大阪知事、通り魔に「死にたいなら自分で死ね」
大阪・ミナミの通り魔事件で、松井一郎大阪府知事は11日、現行犯逮捕された礒飛京三容疑者が「人を殺せば死刑になると思ってやった」と供述していることに対し、報道陣に「『死にたい』と言うんだったら自分で死ねよと(言いたい)。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と発言した。
府は自殺予防対策を行う立場だが、松井知事は「(容疑者が必要とするなら)相談窓口に来ればいいし、『行政の支援は受けたくない、この世からいなくなりたい』と言うなら止めようがない」と述べた。(読売新聞6月11日)
2ちゃんねるに匿名で書き込むのならともかく、公の場でこんなことを平気で発言する神経がわからない。
死刑になりたいからという無差別殺人事件は毎年のように起きている。
死刑になりたい(因)→知らない人を殺す(果)
こういった事件を防止したいのだったら、因をなくせばいい。
すなわち、まず死刑の廃止を訴えるのが政治家たる松井一郎氏のすべきことである。
また、「『行政の支援は受けたくない、この世からいなくなりたい』と言うなら止めようがない」という発言はあまりにもひどい。
自己責任ということか。
松井一郎氏としては、自死したい人は「相談窓口に来ればいい」わけで、大阪府の自死対策はこれで十分だと自負しているのだろう。
その程度の対策で自死者が減るのだったら楽ちんな話である。
自殺未遂を何回かした人が言ってたのだが、いのちの電話に数十回電話したが、いつも話し中だったという。
いのちの電話に電話するのはまだ調子のいいときで、本当にダメなときは電話をする気すら起きないそうだ。
電話もできないのに、まして相談窓口までわざわざ出かけることなど無理である。
松井一郎大阪府知事は自死問題について無知で無能、なおかつやる気がないということを表明したようなものである。
こんな公務員はすぐさまクビにすべきだと、橋下徹大阪市長なら考えるのではないかと思う。
追記
親が子どもを道連れにして命を断つ親子心中は少なくない。
自分が死んだら子どもたちは困るだろうからと、子どもを殺して自分も死のうとする。
しかし中には、死にきれずに親だけが生き残ってしまうこともある。
人を巻き添えにして自死しようとするという点では、通り魔殺人と同じだと思う。
こういう事件に対しては、松井一郎氏も違った言い方をするのではないだろうか。
昨日東京に出かけましたが、月曜日であったため人身事故が多発でした。踏み切りに「列車に飛び込んだ場合には、こうなる」といったような看板を掲げるのも一案かと思いました。忍野八海では町の人の税金で行方不明者を探しているそうです。
今日は知人のお通夜、明日は告別式です。この方は本当に頑張って命をまっとうされました。命の大切さを伝えるのが大人の役割の一つです。その大人が自死を選ぶのは悲しい現状です。
ある本で読みましたが要約しますと「精神を病んでいる方は死にたいと思ったとき、他人を巻き添えにしてしない、そうしてしまうと世間のこの病気の人にたいする偏見がますますひどくなるのでそこに配慮している」という内容でした。
蛇の道は、ヘビ。狼に羊の番をさせ、豚に野菜畑の番をさせる。
大阪市長さんは、この発言どう考えるのでしょう?
>他人を巻き添えにしない、配慮している
希死念慮の強い人は、自分が死んだらまわりの人は苦しむだろうなと頭ではわかっていても、どうすることもできないそうです。
『精神』という、岡山の外来精神科のドキュメンタリーがあります。
撮影後に2人が自死したそうです。
http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%B4%BE/2178
難しいですね。
今年の社会を明るくする運動のポスターに「相談できる人がいる。帰る場所がある」という言葉がある。
死にたいと思っている人にも、相談できる人、相談できる場所があれば少しは違うのかもしれません。
悩みに悩んで死を選んだ人はその死を認めてあげないと。
ご冥福を祈ります。生まれかわったら、もう、そんな人生絶対に繰り返さないでください。
もっと楽に生きれたらと思っても、そうはできない。
持って生まれた性分なのか、生育歴のためなのか。
『ライ麦畑でつかまえて』の最後のささやかな救いは、妹とのちょっとした会話によってです。
人との関わりしかないと思います。
行政の窓口に来ないのならお手上げだと、あっさり言っていいものでしょうか。
昨日も知人と話していて、どうしたらいいのかという話になりました。
特効薬、即効薬はないので、じっくり気長に見守るしかないのかもしれません。