三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

争いを避けるアフリカの知恵

2008年03月22日 | 厳罰化

ジョン・カーニー『ONCE ダブリンの街角で』という映画の中でビッグイシューを売っている女性は住んでいる家があった。
ホームレスでなくてもビッグイシューを売れるのだろうか。

というわけではないのだが、久しぶりにビッグイシューを買う。
アフリカ社会を研究する松田素二(京都大学教員)氏のインタビュー記事が載っていた。
アフリカというと、政府は腐敗し、内戦ばかりしているどうしようもないところ、というイメージがあるが、本来のアフリカ社会は違うらしい。

「仮にもめごとが起こっても民族同士の全面対立に発展させない、どこかの民族に所属しているというだけで見ず知らずの人を殺すことを防ぐ、彼らの巧妙な仕組みとしてつくられていたんです」
と松田素二氏は言う。

実際、アフリカでは過去400年ほどの歴史を見ても民族同士の全面対立がほとんど起きていないそうだ。
しかし内戦になったら万単位で虐殺が起きるし、ルワンダでは100万人もの虐殺が行われたじゃないかと思う。
だが、それはヨーロッパの植民地時代に人為的に民族を対立させたり、資源をめぐる争いが、もめごとを解決する仕組みを壊してしまったからなんだそうだ。

「紛争や殺人事件などのもめ事を解決する際も、アフリカの伝統的な解決方法は西欧型の司法制度とは根本的に異なる。そのアフリカの紛争解決方法が象徴的に現れたのが、南アフリカでアパルトヘイトの人権侵害を裁く際にマンデラが用いた「真実和解委員会」という方式だった。この委員会では、過去30年に及ぶ約2万件の人権侵害事件について、被害者と加害者が公の場で対面して告白し合うことで真実を追究し、加害者は謝罪し、被害者が許すという和解が行われた」

松田素二氏はこう話す。
「アフリカ的な真実へのアプローチは、加害者と被害者が対話し、語りの中で交渉して討論する過程で確定していく対話型真実なんです。真実を創造すると言ってもいいかもしれません。それによって、被害者は癒され、加害者は許しを得て和解を成立させて被害者への補償を決めていく。もちろんさまざまな問題はありますが、その和解の方法は復讐の連鎖を断ち切り、社会を癒す一定の力を持っている」

これは修復的司法ではないのだろうか。
社会を再生するためには、厳罰ではなく、被害者と加害者が出会うことが必要だということなんだろう。

日本でも共同体がしっかりしていたころは、犯罪やもめ事の解決はお上の手ではなく、共同体の話し合いでなされていた。
しかし、今はこんなのんびりしたことははやらない。
裁判員制度になれば数日の審理で判決が下されるようになるらしい。
それでは被害者と加害者が分断されたままになってしまう。
「被害者は癒され、加害者は許しを得」るためにはそれなりの時間が必要だと思う。

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