三日坊主日記

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太田肇『お金より名誉のモチベーション論』

2016年08月17日 | 

太田肇『お金より名誉のモチベーション論』は、承認欲求について書かれています。

有名な大企業に就職したがるのも、有名校にわが子を入れたがるのも、大学教師がマスコミに顔を出したりするのも、金銭欲とはかぎらない。

彼らを動機づけているのは、お金よりもむしろ社会的に評価されたい(評価されるようにしてやりたい)、有名になりたい、認められたいという承認欲求です。


学歴を求めるのも、人格的評価、すなわち頭のよい人、優秀な人物と見られるから。
承認は欲求を満たし、社会的地位や経済面でさまざまなものを手に入れることができる。

太田肇氏によると、〈表の承認〉と〈裏の承認〉とがあります。

〈表の承認〉 大きな成果をあげたり、卓越した実力を示したり、あるいは自分の個性を発揮したりすることで積極的に認められる。
〈裏の承認〉 義理を果たしたり周りとの調和を保ったり、あるいは自分を殺したりすることで消極的に認められる。

〈裏の承認〉が重視される風土の中では、人々は互いに突出することを戒め、組織や社会の序列を守りながら奥ゆかしく承認されようとします。そのため表だって承認や賞賛をしても、受け入れられないばかりか、かえって逆効果になることもあるのです。

たとえば、日本の会社では決まった時間に帰れない。
仕事があろうとなかろうと、だれも早く帰ろうとしない。
東京に住む幼児の父親は、午後11時台に帰宅する人が最も多い。
北京、上海、台北の父親は6時台か7時台、ソウルでは8時台が最多。

有給休暇の平均取得率は2006年が47.1%と、半分も取得していない。

欧米では100%取得するのが当たり前。
時間外労働賃金の割増率は25%以上だが、欧米では50%以上。
残業をなくして新たに人を採用するよりは、時間外労働賃金を払うほうが割安になる。

残業するのはなぜか。

たいていの人はお金のためだけに働いているわけではない。
お金よりも、自分がいかにがんばって会社のために貢献しているかが認められ、評価されることを望んでいる。
権利としての休暇も取らずにがんばる姿を示すことによって評価してもらおうとし、最終的には出世という形で報われたいと思っている。

ところが、最初は意欲を認めてもらうため自発的・積極的に残業していたのが、いつしかそれが当たり前になり、いつの間にか悪い評価を受けないため残業しないわけにはいかない、という受動的で、半ば強制的な立場に追い込まれてしまう。


〈裏の承認〉を無視すると、「あいつはやる気がない」とか「協調性に欠ける」といった非難が浴びせられたり、仲間はずれにされたりすることが待っているわけです。


徳田靖之「当事者とは誰のことか 「らい予防法」廃止から20年を振り返って」という講演録(要旨)を読み、〈表の承認〉と〈裏の承認〉の問題がここにもあると思いました。


「らい予防法」は憲法違反だとして国家賠償請求訴訟が起こされ、2001年5月、熊本地裁は、「らい予防法」は憲法違反であるとの判決を出した。

ところが、2003年11月、熊本県黒川温泉のホテルがハンセン病元患者の宿泊を拒否した。
熊本県知事の厳しい対応に、ホテルはあやまちを認めて、宿泊拒否を撤回、謝罪した。
すると、菊池恵楓園に300通を超える誹謗中傷のハガキ、手紙、ファックスが殺到する事態となった。

特に腹立たしく感じたのは、「身の程知らず」という言葉が共通していたということです。これらの方々は、隔離政策の被害を受けた方々が大変な苦労を強いられたということをある程度は理解をしている。被害を受けた方々が「大変な思いをされて、気の毒ですね」と同情され、控えめにつつましやかに行動する限りにおいては理解もし、決して批判はしない。しかし、加害者に対しその責任を追及しようとすると、途端に態度が変わる。「身の程知らず」という言葉に、その態度の変化が見事に表されていると思います。

被害者がおとなしく我慢していれば同情されもするが、権利を主張すると、とたんに「何様と思っているのか」と誹謗中傷されるわけです。

医療ミスでの死亡や過労死でもそうで、損害賠償請求の裁判を起こすと、金がほしいのかと非難する人間が必ずいます。

ネットなんか特にひどく、どういう状況だったかを知りもせず、とにかく叩く。
こうしたことも〈表の承認〉と〈裏の承認〉の問題だなと思いました。

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