伊藤整『日本文壇史』によると、金田一京助は明治42年に三省堂で百科辞典の編輯にあたり、月給を30円もらい、國學院の講師としては1時間1円の講師料だった。
同じ年、石川啄木は朝日新聞の校正係として採用され、月給25円、夜勤は一晩1円。
石川啄木の下宿料は食事と間代を含めて月12円。
今のお金でいうと、1円は1万円ぐらいか。
森田草平は朝日新聞の嘱託として朝日文芸欄を担当したが、東京大学の卒業生なので、月給が60円。
石川啄木よりもはるかに多い。
石川啄木は「病院の窓」という小説の原稿料22円75銭を春陽堂からもらう。
「一枚25銭といふ安い稿料であった」と伊藤整は書くが、東京に出てきたばかりの無名小説家としてはまあまあではないだろうか。
石川啄木と土岐哀果(善麿)が50~60ページの雑誌を作ろうと考え、印刷屋に見積もらせたところ、500部印刷して53円40銭だった。
1部10銭ちょっと。
1円が1万円だとしたら、一冊千円以上で売らないと足が出てしまうわけで、同人誌がこんなに高くつくとは知らなかった。
明治43年、吉井勇は「三田文学」に発表した戯曲によって原稿料10円を得る。
明治44年、田村俊子は大阪朝日新聞の懸賞小説一等となり、賞金千円を手にする。
この年、久保田万太郎も「太陽」の募集に小説を応募し、こちらは賞金が50円。
後藤宙外は「新小説」の編輯をしており、春陽堂から70円の月給をもらっていた。
後藤宙外は明治40年、鎌倉に家賃8円の家を借り、明治42年に東京市芝区で家賃17円の家を借りている。
桐野夏生『ハピネス』の主人公岩見有紗(33歳)は、江東区の湾岸にあるタワーマンション29階に娘と二人で住んでいる。
家賃は月23万円で、アメリカにいる夫が仕送りし、生活費10万円は夫の親が出している。
ママ友たちはマンションを分譲で買っており、有紗は賃貸なのでレベルが下、公園要員と見られている。
ママ友は海外ブランドのベビーカーを持っている。
着ている服、身につけているアクセサリなど推して知るべし。
ママ友のリーダーいぶママの夫は30代半ば、大手出版社に勤めている。
ネットで調べると、30歳代後半で平均年収は1000万円を超え、残業の多い編集者は30歳で1000万円を超える人もいるそうで、納得しました。
今も昔も、作家よりも大手出版社で編集者になるほうがよほどいい生活ができるらしい。
ノア・バームバック『フランシス・ハ』では、3人で借りているニューヨークのアパートの家賃が月4000ドル。
部屋代として1200ドル出してくれとフランシスは言われ、950ドルにしてもらう。
フランシスはダンスカンパニーの実習生だから給料はもらっていないだろうし、子供にバレエを教えているが、大した収入ではないと思う。
有紗にしても仕事はしていないので、月10万円でママ友とのつき合いをしないといけない。
他人事ながら気になりました。
フランシスの同居人は二人とも芸術家志望。
芸術は金持ちでないとできないという台詞がありました。