正木晃『お坊さんのための「仏教入門」』には知らないことが書いてあって、そうなのかと教えられました。
まずは大乗非仏説、すなわち大乗仏教は釈尊が死んで何百年か経ってから作られたものであり、本当の仏教は釈尊の言葉を含む根本仏教・原始仏教だけで、後のものは後世のでっち上げだという考えについて。
正木晃氏は日本の仏教を4つのグループに分ける。
①浄土教系 阿弥陀信仰はインドにはなかった。
②法華経系 法華経信仰はインドでは大きな勢力にならなかった。
③禅系 禅宗は中国で生まれたので、インドには存在していなかった。
④密教系
中国で残ったのは浄土教と禅だけ。
インドでは大乗仏教は仏教界の主流を占めたことがなかったらしく、大乗仏教が台頭したのは5~6世紀以降、密教化してからだという欧米の研究者の指摘がある。
では、大乗経典の内容は釈尊の教説とは似ても似つかないものばかりであり、インド仏教と中国仏教は別物ということになるのか。
そうではないと正木晃氏は言う。
釈尊の言葉が文字にされたのは、入滅後300年ほど後の紀元前89年から77年のころで、それから百年ぐらい経ったころに大乗仏典の編纂が始まった。
釈尊の教説を完全に復元するのは不可能で、釈尊が十二縁起を説いたかどうかすら確定できない。
今後も、これこそが釈尊の真の教説だと確定することは不可能らしい。
以前、コメント欄に書いたが、桜部建先生も『仏教とはなにか』で同じことを話されている。
小川一乗『大乗仏教の根本思想』にも、『阿含経』の中で、実際に釈尊が説かれたのは、1割ないし2割程度だろうと考えてよいのではないか、とある。
それでは『阿含経』の中で一番古い部分が本当の釈尊の教えかというと、必ずしもそうとは断定できないと、桜部建先生は話している。
釈尊の説いたことがインド古代思想と変わらなければ、仏教はヒンズー教の一分派にすぎなくなる。
桜部建先生は仏教とは何かについて、このように説明している。
この考えを最初に打ち出したのは宮本正尊先生だそうです。
こういう思想は仏教か仏教じゃないかを見定める標準こそが仏教的な「ものの考え方」だと桜部建先生は言われる。
では、釈尊は何を説こうとしたのか。
宮本正尊先生は「中」が根本だと、また山口益先生は「縁起」が中心だと考えられたそうです。
いつの時代の仏教をも貫いて流れている仏教的な「ものの考え方」を指す代表的な言葉を一つだけあげるとすれば、「縁起」だと桜部建先生も言われています。
大乗仏教が非仏説なら、テーラワーダ仏教だって非仏説になってしまうと思う。