加賀乙彦『永遠の都』は小説を読む楽しさを満喫させてくれた大河小説だった。
『雲の都』は『永遠の都』の続編。
セツルメント、血のメーデー、大学紛争、阪神大震災などの記述は興味深いが、主人公の悠太(作者の分身)が結婚し、大学をやめて小説家になるあたりから俄然つまらなくなる。
大金持ち・芸術家の自慢話(ひがみ、嫉妬かもしれないけど)が延々と続くので。
ピアニストで大金持ちの妻は炊事・掃除・洗濯がまったくできない。
結婚するときに、20年間使っている女中に家事をいっさいまかせたいと妻が言うと、悠太は「ぼくは構わないよ。君はピアニストだ。包丁なんか使って、手を怪我したら大変だし、家事に時間をとられて、練習の時間を取られたら困るだろう」と答える。
1971年、妻が信濃追分に別荘地として約2万坪の土地を購入する(坪1万5千円)。
悠太の処女作がかなり売れ、印税で悠太も隣に400坪ほど買う。
1974年、印税でマンションの借金を大分返し、別荘を建てる。
2000年、風呂場を直して、二階に作った。
「室内を檜造りの風呂場にして張り出したベランダに浅間石の露天風呂の浴槽を作って生垣で囲む」
露天風呂のほかに湯の人工滝を作る。
「湯は地下の小ボイラーで温め電動ポンプで室内の風呂場と露天風呂に出させるようにした」
もちろん『雲の都』はフィクションである。
どこまでが加賀乙彦の実体験なのか、モデルはどういう人物なのか知りたくなって、『加賀乙彦自伝』を読む。
『永遠の都』では母親の浮気が描かれるのだが、事実がもとになっているそうだ。
「母の不倫相手は、小説では悠太の従兄にしてありますが、実際は私の小学校の先生です」
私の知り合いに小説家がいなくてよかったと思う。
それとか、家族が病気になると、悠太は親しい医者に連絡して、日曜日でも入院させてもらう。
『加賀乙彦自伝』には、母親がクモ膜下出血で倒れたときのことが書かれている。
「前の晩、満床で断られたといいますが、大きな病院には必ず特別な患者のための予備のベッドがあるんです。友人はそれを都合してくれたのです。(略)もし、前の晩に私が友人の医者に連絡を取っていれば……」
コネがあったのに、と悔やまれてもねえ。
加賀乙彦氏の妻が急死し、菩提寺(曹洞宗)にある墓に妻の骨を納めたいと頼むと、「当寺は仏教の寺でキリスト教徒はいっさいお断りです」と断られる。
「父の死後、父母の供養年には法事を頼んで読経してもらっているという顔見知りの住職なのですが、キリスト教への敵意は確固としていました」
金沢の菩提寺(天台宗)の住職に電話で事情を話し、キリスト者の妻の墓をそちらに造りたいと申し出ると、「うちは、どんな宗派の方でもお墓に入っていただいてかまいません」という返事をもらう。
そこで、東京の菩提寺にある墓石を金沢に運ぶ。
このことはよほど腹に据えかねたらしく、『雲の都』にもこのエピソードを書いている。
しかし、寺院の境内にある墓地は、たいていの場合は共同墓地ではなく、その寺院の檀家のための墓地である。
ところが、加賀乙彦氏の母親は洗礼を受けており、教会で葬儀をしている。
たぶん妻も仏式の葬式ではないと思う。
住職に葬儀をしてもらわないのだから、住職が納骨を拒むのもわからないわけではない。
でも、加賀乙彦はその寺でキリスト教徒の母親の法事をしているし、家には仏壇があって、イエス・キリストの十字架と阿弥陀様がある。
「我が家ではキリスト教と仏教が共存しているのです」
妻と父母の位牌も仏壇の中にある。
どういうことのなんでしょうね。