三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ『錯覚の科学』2

2012年04月27日 | 

○自信の錯覚(自信ありげな態度を、相手の知識や能力のあらわれとして受け入れてしまう)(1)

自信たっぷりに話す人がいて、どうしてこの人はこんなに自信があるのだろうか、不思議に感じることがしばしばある。

「自信に影響をあたえると思われる一つの要素が遺伝である」
自信は能力、知能、知識、実績などとは関係がない。

犯罪者には間抜けが多いそうだ。

・学校に嫌がらせしようと考え、カラースプレーで校舎の壁に自分のイニシャルを書いた高校生。
・スーパーで百万ドルの偽札を出した66歳。
・「紀元前300年」という日付が刻まれている古代ギリシアの偽造コインを売る人。

自信を持っているのは犯罪者だけではない。
アメリカ人の63%が自分の知能を平均より上だと考えている(男性は71%、女性は57%)。
自動車の運転能力については、アメリカの学生の93%が仲間の5割より自分のほうが上と考えている。
男子学生のおよそ15%が実際以上に自分を魅力的と評価しているが、女子学生は実際より自分の魅力をやや低く評価している。
ということは、男性は女性よりもうぬぼれが強いらしいらしい。

自分に対する評価が低すぎると考えるチェスプレイヤーの圧倒的多数は、対局成績が下位半分の人たち。

「強いプレイヤーはほどほどに強い自信をもっているが、弱いプレイヤーは極端に自信過剰だったのだ」

ここで法則が編み出される。
「能力のない者のほうが、自分の力を過信しがち」
「十分な能力を身につけないかぎり、自分の限界もわからない」

私は、自信がないことに自信がある、劣等感だけは誰にも負けない、と自負しているのだが、『錯覚の科学』を読み、私もまったく根拠のない自信をたくさん持っていることに気づいた。

たとえば、小学生の時になぜか長距離走に私は自信を持っていた。
私は運動神経が鈍くて運動会の徒競走では毎年ドベのくせして、長距離なら、と自負していたわけです。
でも6年生の時、体育の時間に校舎のまわりを走り、その自信はもろくも崩れてしまったのでした。
他にもいろいろあるけれど、恥ずかしいので。

「能力不足は自信過剰につながる」
なぜ能力のないのに自信を持てるのか。
「能力のない者は二つの大きなハードルを目の前にする。一つは、自分の能力が平均以下だということ。二つめは、自分が平均以下であるという自覚がないため、能力を向上させる努力をしないこと」
たしかにそのとおり。
自分が平均以下だということを認めるのはつらい。
だけど、何もしなかったら自分の事実を知らずにすむので、自分はこういう能力があるという夢を見ることができる。
努力しないのは、面倒だからということもあるが、現実の自分と向き合いたくないからだと思う。

この「能力不足と無自覚」効果は、ユーモア感覚、論理的な推理能力や文法の能力など、人間のあらゆる面に見出せるそうだ。

コメント (75)
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