昨年の2月に大阪に行ったとき、知人に釜ヶ崎、飛田、新世界あたりを案内してもらった。
飛田には「日本にこんなところがあったのか」と、カルチャーショックを受けましたね。
飛田は空襲に遭わなかったそうで、戦前という雰囲気が残っているように思う。(私は戦後生まれだから戦前は知らないけど)
別の知人に飛田体験(朝、通りを歩いただけです)を話したら、「午前中に行ったんじゃつまらない。夜に行かないと」と言われ、11月に大阪に行く用事があったので、その時にぜひ、と心に誓ったのでした。
いやはや、感動しましたね。
道の両側に間口二間の二階建てが長屋みたいにずらっと並んでいる。
玄関のところにはおねえさんが座っており、横にいる客引きのおばちゃんが「お兄さん、この子かわいいやろ」と声をかけてくる。
きょろきょろしながら通りを歩いたわけですが、客引きのおばちゃんに値段を聞いたりして、おねえさんを間近で見ればよかったと、あとから反省。
大阪サミットが開かれた時に、自主規制でおばちゃんが外に出て客引きするのをやめたそうだ。
これもちょっと残念。
そしたら、新聞で井上理津子『さいごの色街 飛田』の書評を目にし、図書館で予約しました。
井上理津子氏は2001年から取材を開始、2011年10月に本となる。
飛田の店は料亭であり、おねえさんと飲んでいて、たまたま恋愛に陥ったということで、売春ではないというのがタテマエとなっている。
158軒の料亭(2010年)に、おねえさんが450人(推定)、客引きのおばちゃん(曳き子)が200人(推定)いる。
おねえさんの年齢は、20代後半から40代前半(推定)。
もっとも、知人の話だと「客引きのおばちゃんのほうが若いやないか」というおねえさんがいる通り(妖怪通り)があるそうで、ここの見学は次回のお楽しみ。
料金は店によって違うが、20分1万5千円、30分2万円、プラス消費税というところ。
1956年は40分が254円で、学生アルバイトの一日分と同じくらいだったそうだから、今は料金が4倍ぐらいになっているわけである。
取り分はおねえさんが5割、経営者が4割、客引きが1割。
メインの通りの店は、敷金800~1千万円、家賃は4~50万円が相場。
これで儲かっているんだから、一日に何人の客が来るのだろうか。
料亭の経営者、おねえさん、客引きといった人たちは取材になかなか応じてくれない。
それで井上理津子氏は、飛田で遊んだことのある知人たちや、近くの商店街のお店、飛田の飲み屋の人に尋ねる。
話を聞かせてほしいと書いたチラシを料亭に配ったら、チラシを見たおねえさん4人から電話をもらう。
さらには暴力団にアポなし取材。
若い衆が「中華の出前をとりますが、ねえさんも一緒にどうですか」と聞かれるが断り、「あとあと後悔した」そうだ。
警察にも「なぜ売春を取り締まらないのか」と質問しに行く。
スポーツ新聞の求人広告を見て、料亭に電話する。
いろんなツテで経営者に話を聞く。
井上理津子氏の行動力には驚くし、それぞれの話は興味深いのだが、どこまで本当のことを話しているのだろうかとは思う。