三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

デイパックの荷物

2012年01月03日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

最近、通勤距離が長くなったこともあり、大きなカバンをぶら下げて通うのがおっくうになりました。たまたま、父から譲り受けた新品のデイパックがあり、荷物を詰めて背負って通うことにしました。両手が使えて、なかなか便利です。自分が使わなければ、父が散歩にでも使ったにちがいありません。

快適に使って通勤していましたが、さすがに毎日使っていると、ほころびも出てきます。ある日、とうとう縫い目が破れてしまいました。両手が使えて便利なので、さっそく家にあった一回り大きなデイパックに荷物を詰め替えて出勤するようになりました。

すると、背中のデイパックが少し大きくなった分、たくさんの物を入れるようになってしまいました。以前よりもたくさん物が入れられる分、荷物も多くなり、重くなり、荷物を背負うのがしんどくなってきました。しかも、余計な物まで入れるようになり、本当に使うのかどうかも考えずに、本だの着替えだのをほうりこむようになったのです。

あるとき、ふと思いデイパックを担いでいて、気がつきました。
人間は、大きな入れ物を持つと、余計な物を入れたくなる。また、入れ物を満たさないと不安になるものだと。

これって、人間の欲望にも同じことがいえるのではないかと考えます。人間は、自分を取り巻く器(地位や名誉、財産や立場など)が大きくなればなるほど、余計な物を取り込んで、あくせく苦労しなければいけなくなります。そしてさらに、もっと大きな入れ物を持ちたいと願い、その中を欲望で満たそうと必死になるのです。

身の丈に合った物を持ち、不要な物を除いて身軽になることのほうが、快適なくらしをおくることにつながると思います。

京都の龍安寺の手水鉢に「吾唯知足」という言葉が書かれていたのをおもいだしました。「われ、ただ足るを知る」と読むのでしょうか。「知足」という言葉には、私たちの日ごろの心、日常のくらしを見つめ直す力があるように感じます。

最近、シンプルライフとか断捨離という言葉が流行っています。無駄を省き、物欲から解放されることによって、自分の生活を身軽にし、本当に大切にしなければいけないものに目を向けていこうという風潮でしょうか。

震災以来、人々は知足の促しを再三受けてきましたが、時間の経過とともに、再び我欲の肥大化が始まろうとしています。せめて、背中に背負ったデイパックの中身が欲で満たされないように用心しないといけないなと思います。

先月、自分の不注意から左手の親指を骨折しました。普段は、左手の親指がどんな役目をしているのか、気にもとめたことがありませんでしたが、利き手でもない左手の親指が使えないと、ワイシャツの袖のボタンがとめられなかったり、納豆のたれが開けられなかったり、とても不便でした。

親指とは、誰が名づけたものなのか、手の中心となる指なのですね。これも知足だったのでしょう。足りていたことを知らなかったのです。「怪我の巧名」という言葉がありますが、私にとっては、まさに「怪我の光明」でありました。

コメント (59)
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