三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

新谷尚紀『お葬式』4

2011年07月05日 | 仏教

新谷尚紀『お葬式』に書かれてある事例は興味深いものが多いのだが、一地方の習慣を日本全体のこととして説明しているのではないかと疑問に感じるところもある。
たとえば、奈良県のある村に明治18年から昭和37年までの死亡者リストが残されている。
ある墓地では、埋葬された100人のうち2、3人しか墓石が建てられていない。
別の墓地でも、墓石を建てられている死者は30%にも足りない。
では、墓石を建ててもらった人は誰かというと、多くは子どもと戦死者である。
「幼い子どもが死んでかわいそうだというので、両親が建ててあげているのです。あるいは、お嫁に行く前に病気で死んだ娘がかわいそうだと両親が建ててあげています。あとは戦死者です。遺体は帰ってきていないけれども戦死した若者にだけは墓石を建ててあげています」
子どもや戦死者は不成仏霊であり、祟る霊なので、特別にお祀りしないといけないし、墓も別に建てる必要があると考えられていたということはあるにしても、子どもと戦死者以外には個人墓を建てないというのは、全国的な習慣なのだろうか。

新谷尚紀氏は、家の墓を作るようになったのは戦後の高度経済成長期以降の現象であり、
「家ごとの先祖代々の墓という大型の墓石が現在では目立つからといって、それが墓石の基本であり伝統であると考えるのは、墓石の変遷史からみれば大きなまちがいなのです」と言う。
たしかに、現在の墓のデザインは近年のものではあるにしても、大人の墓や先祖代々の墓を昔は作らなかったわけではない。
田舎にある古い墓は個人墓や夫婦の墓が多い。
町中の寺の境内にある墓地では、土地が限られているためか、先祖代々の墓は珍しくない。
両墓制の墓が現在も各地に残っているし、鳥取県や福井県などにはお墓のない村もある。
新谷尚紀氏が紹介する奈良県の村も特殊な事例ではないかという気がする。

へえっと思ったのは、靖国神社のように戦没者を神に祀り上げるという信仰の背景には御霊(ごりょう)信仰があると考えられているが、新谷尚紀氏は「それは正確ではない。その信仰の中核といえば、むしろ平田篤胤の説いた「御国の御民」の思想とそれにもとづく御霊(みたま)信仰である」と言う。
「御国の御民」の思想とは、天皇だけでなく、
「一般の人びともまた神の子孫に他ならないとする考え方」である。
「神道式の葬儀、神葬祭による死者のみたまが祖霊としてさらには神として祀られるという方式が、国学の理念のもとに定式化されてくる」
ということは、戦死者を神として祀らなければいけないという考えは幕末から起きたものであり、日本古来の信仰ではないことになる。

慰霊と追悼の違いを新谷尚紀氏はこのように説明する。
「追悼は通常死と異常死の両者ともに該当する語であるが、慰霊は事故死や戦闘死など異常死の場合は主である。そして追悼の場合は死者はあくまでも追想しながらその死が哀悼される死者であるのに対して、慰霊は事故死と戦闘死とで大きくことなる」
「(事故死の)慰霊の場合、さまよえる死者の霊魂が想定されてその招魂と慰霊のため、浮遊する霊魂の安息所、共に落ち着くことができる場所としての慰霊碑が建立され、犠牲者たちの集団的な霊魂が共に慰められ、かつおのおのの死者の安息を願う行事が行なわれることとなっている。それが慰霊碑の一般的機能であり、霊魂の安息と、悲劇を繰り返さないことへの祈願と誓願とが中心となっている。
しかし、戦闘死の場合には招魂霊魂による積極的意味づけなされ、社祠が設営されるなどして戦死者は霊的存在として祭祀の対象となりうる。つまり、死者が神として祀り上げられる可能性があるという点が特徴的である」
平田篤胤の「御国の御民」思想は現代でも生きているわけだ。

また、『お葬式』にはさまざまな地方の墓や葬儀の事例が多く紹介されているが、有元正雄氏の言う「真宗篤信地帯」はない。
おそらく、真宗が盛んな地方ではケガレを忌むなどの習慣が断ち切られているし、先祖供養をしない、死穢をいとわないのが真宗のタテマエだから、民俗学としてはあまり興味をそそられないのかもしれない。

それと、新谷尚紀氏は、近代の二元論批判としてこういう例をあげている。
「(暴力団を)治安対策として、警察は徹底的に排除しようとします。そうすると、どういうところに矛盾が出てくるかというと、より巧妙に隠れたところで悪事を働き、弱いものが犠牲になります」
「しかし、前近代社会では、これは作り話に過ぎないでしょうが、どっちつかずの乱暴集団もいたわけです。清水の次郎長とか国定忠治、また新門辰五郎ではないですけれども、あるときは弱きを助け、あるときは権力に反抗し、町方では顔役としてトラブルを処理していたという話も伝えられています」
このことも、有元正雄氏によれば、真宗があまり盛んではない関東と周辺地帯では、治安が悪く、無宿者が多いのに対して、真宗篤信地帯では治安は確保され、博奕はあまりなされていないという説と関係がある気がする。
で、またまた「風が吹けば桶屋が」論だが、暴力団がでかい顔をしていることは、真宗の衰退と関係があるとしたら面白いのだが。

コメント
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