三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

平雅行『歴史のなかに見る親鸞』2

2011年07月29日 | 仏教

 親鸞が流罪になった理由
親鸞は公然と妻帯したために流罪となったと言われている。
しかし、平雅行氏は「親鸞が妻帯をしていたから流罪になったということも、まったくあり得ない話です」と、あっさり否定する。
中世の顕密仏教界では妻帯は「公然」と認められていたからである。
「中世の顕密僧が妻帯していたというのは、今では研究者の間では常識に属することです。それだけに、親鸞が「公然」と妻帯したのは「革命的」だ。などといった話を、いまだに公言している歴史研究者がいるのは、とても残念です(松尾剛次『親鸞再考』)」
うーん、厳しい。

松尾剛次氏は親鸞の最初の妻を玉日姫だと主張するが、これも一刀両断。
「玉日伝説を事実とみなす研究が増えていますが、非常に残念なことです。私は賛成できません」
その理由。
「第一に、摂関家の娘と親鸞との婚約などあり得る話ではありません」
「殿上人にすらなれない家柄の者と、摂関家の娘を妻合わせるというのは、当時の身分制の在り方からすれば考えられない話です」
「第二に、親鸞が九条兼実の娘と結婚していたのであれば、建永の法難の際、兼実の働きかけで親鸞は流罪を免れたはずです。幸西と証空は、兼実の要請で慈円が身柄を預かり流罪を免れました」
平雅行氏は第八まで理由を述べているが、私はこの二つで十分納得した。

観音が女犯を認めたとされる「行者宿報偈」によって、親鸞は妻帯したとされるが、これまた平雅行氏は否定。
では、「行者宿報偈」はどういう意味があるか。
「親鸞が「女犯」を「宿報」と表現した時、「女犯」は単なる女犯ではなく、本人の意志を超えた普遍的で絶対的なあらゆる罪業の象徴表現と化しました。その結果、意志薄弱な男に対する女犯の許可という如意輪観音の話は、普遍的人間における罪と救済のドラマへと昇華されました」
自分の力ではどうすることもできないことの象徴が女犯であり、その赦しが「行者宿報偈」だというわけである。
「私たちは生きてゆくために「こんなこと」までやらざるを得ませんが、しかしそういう苦悩を背負った存在であるがゆえに、私たちはまた赦される。そういう思想が「行者宿報偈」には見えています」
「あらゆる人間が背負う普遍的で絶対的な罪業への赦しの世界、これが親鸞を法然のもとへ衝き動かしたのです」

で、親鸞が流罪になった理由だが、平雅行氏は「彼の思想が問題になったのです」と言う。
どういう思想か。
「顕密仏教が処罰すべき人物と考えたのは、「偏執」、つまり諸行往生を否定する僧侶です」

法然はどうして諸行を否定したのか。
平雅行氏は悪人正機説と悪人正因説は異なると言う。
7世紀、中国の迦才『浄土論』に「浄土宗の意(こころ)は、本は凡夫のため、兼ねては聖人のためなり」とあるように、凡夫正機説、悪人正機説は早くからある。
悪人正機説は「民衆の愚民視を随伴した救済論」である。
「顕密仏教は、次のように考えました。「善い人」は聖道門で自力で悟りを開くので、阿弥陀仏は彼らの面倒をみる必要がない。でも、「悪い人」は能力的に劣っているので、阿弥陀仏に救ってもらうしかない。だから阿弥陀は「悪い人」を救済の正機に据えた。これが悪人正機説です」
女人正機説を見ると、悪人正機説の問題が理解できる。
「なぜ女性が弥陀の正機なのかといえば、女性は男より罪が重いからです。そのため女性正機説を説いた文献では、女性の愚かさや罪深さを執拗なまでに説いています」
「ありていに言えば、女性正機説は「女は男よりバカだから、弥陀はバカな女をまず救済する」という教えです。それは確かに救済の教えではありますが、女性をバカにした差別的救済論です。そして悪人正機説もそれと同じ難点を抱えています」
なるほど、納得。

「法然は、浄土門の救済対象を悪人・凡愚に限定するのではなく、人間一般に広げました」
「これまで南無阿弥陀仏、称名念仏は「無智のもの」にあてがわれた一時しのぎの方便と考えられてきたのですが、法然はこの称名念仏こそが唯一の往生行だと主張します。これがただ一つのまことの行であって、これ以外に往生行はない、というのが法然の考えです」
つまり、こういうことだと思う。
顕密仏教―人間の中に善人と悪人がいる→いろんな行があるが、悪人は念仏しかできない
法然―人間はすべて悪人である→念仏以外では救われない

「念仏や浄土教はレベルの低い連中向けの大衆宗教だという考えに対し、念仏や浄土門はすべての人を対象にした教えである、と法然は主張しています」
「悪人・凡愚のための教えを、普遍的人間の教えへと昇華させたのが、法然という思想家の最大の達成です」
この悪人正因説と造悪無碍の問題は関係あるのだが、これはまたあとで。

建永(承元)の法難では四人の僧侶が死罪になっている。
上横手雅敬氏は「四名の死刑は公的手続きを経たものではなく、後鳥羽院の私憤による私刑ではないか」と問題提起をされているそうだ。
「公家社会では保元の乱で久しぶりに死罪が復活しますが、その三年後に平治の乱が起きました。そのため平治の乱が勃発したのは死罪復活が原因ではないか、死罪はむしろ治安維持に逆効果だ、という考えが広まっていて、公家法の世界では実質的に死罪は全面禁止の状態が続いていました。ですから、公的な手続きを踏んで死罪に処すには高いハードルを越えないといけません」
私怨によるリンチだとしてら、親鸞が『教行信証』に書いた「法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ」という言葉も納得できる。

コメント (9)
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