三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「光市母子殺害」テレビ発言 橋下知事が逆転勝訴

2011年07月18日 | 厳罰化

光市事件弁護団へのバッシングは、有川浩『図書館戦争』が「正しくあろうとしているはずなのにそれは市民には理解されず、むしろ非難の対象にさえなる」と書いているようなものだった。
スティーグ・ラーソン『ミレニアム』には、
「かりに大新聞の裁判担当記者が、たとえば殺人事件の公判の報道で、弁護側の情報を入手したり被害者の家族を取材したりして自分なりに何が正当であるかをつかむ努力をまったくせず、検察側の情報だけを真実として示し、何の検討も加えずに記事にした場合、どれほどの抗議が起こることになるか」とある。
スウェーデン国民があの騒ぎを目にしたらどう思っただろうか。

刑事弁護人の仕事はどのようなものか。
橋下徹氏が光市事件弁護団への懲戒請求を呼びかけたことに対する損害賠償事件の、一審の判決文には次のようにある。
被告人には資格を有する弁護人を依頼する権利があり、いかに多くの国民から、あるいは社会全体から指弾されている被告人であっても、その主張を十分に聞き入れた上で弁護活動を行う弁護人が必要であり、弁護人には被告人の基本的人権を擁護する責務がある。被告人の主張や弁解が仮に一見不可解なものであったとしても、被告人がその主張を維持する限り、それを無視したり、あるいは奇怪であるなどと非難したりすることは許されないし、被告人が殺意を争っている場合においては弁護人が被告人の意見に反する弁論を行うことは、弁護士の職責・倫理に反するものであり、厳に慎まなければならない。
被告人の弁明を誠実に受け止めて、これを法的主張として行うことは弁護人の正当な弁護活動であり、仮にこれによって関係者の感情が傷つけられ、精神的苦痛を及ぼしたとしても、ことさらその結果を企図したのでない限り、その正当性が否定されることはない。以上のことは憲法と刑事訴訟法に基づく刑事裁判制度から必然的に導かれるものである。

橋下徹氏は弁護士なんだから、被告人は弁護を受ける権利がある、どんな犯罪者でも必ず弁護しなくてはならない、刑事弁護人の職責はこういうことなんだと説明すべきなのに、「許せないと思うなら、一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」などと、受け狙いの発言をした。
弁護団が橋下徹氏に損害賠償を求めた裁判で、最高裁はなぜか賠償請求を棄却した。
 上告審では、呼びかけが不法行為に当たるかどうかが主な争点となった。
 同小法廷は判決で「事件の情報を持っていないのに、弁護団を非難したのは配慮を欠いた軽率な行為で、不適切だ」と批判。しかし、弁護士の懲戒請求が広く認められている点を重視し、「発言内容は、視聴者の判断に基づく行為を促すものだったに過ぎない」などと指摘。「弁護士業務に重大な支障は生じておらず、弁護団の精神的苦痛が受忍限度を超える程度だったとはいえない」と結論付けた。名誉毀損の成立も認めなかった。
(産経新聞7月15日)
それくらいのことは我慢しなさい、ということである。

まあ、予想された判決ではある。
裁判所としては光市事件の被告を何としてでも死刑にしたい。
マスコミも協力してくれたので、世論も「死刑!死刑!」と圧力をかけている。
それなのに、バッシングに一役買った橋下徹氏が名誉毀損ということになると、こりゃまずい。
で、一審では一応筋を通し、最高裁でひっくり返す。
そういうことじゃないかと思う。

それに、たとえば大雨によって河川の堤防が決壊した責任は国にあるとして住民が国を訴えた裁判は、たいてい一審原告勝訴、最高裁原告敗訴となっているように、結局は国の都合のいい判決が出るようになっている。
福島原発の事故で、東京電力や国を訴える裁判が起こされても、結局は最高裁で棄却されると思う。
裁判官も出世したいですからね。

だけども、一審の判決後に橋下徹氏はこのように謝罪している。
「大変申し訳ございません。私の法解釈が誤っていた。裁判の当事者のみなさん、被告人、ご遺族に多大な迷惑をおかけした」
「表現の自由の範囲を逸脱していたという裁判所の判断。判決内容を見ていないが、私の考え方が間違っていたものと重く受け止めている」
いわば被告が犯行を認めて被害者に謝罪したようなものなのに、最高裁は被告の自白を無視して無罪判決を出したわけである。

橋下徹氏の談話。
 判決について「1審や2審で負けたので、あまり偉そうなことは言えない」としながらも、「長い裁判で、知事になってからも自分で書面を書いてきたが、僕は弁護士に向いているのかもしれない。国民の皆さんには、制度を正しく活用していただきたい」と余裕もみせた。
(産経新聞7月15日)
気に入らない弁護士の懲戒請求をテレビで呼びかけてもかまなわいことになったわけだから、刑事事件の弁護人をやる弁護士はますますいなくなる。
弁護士として有能だと自負されている橋下徹氏自身が、死刑を求刑され、マスコミから叩かれるかもしれない事件の国選弁護人を是非引き受けてもらいたい。

一方、原告代理人の島方時夫弁護士は「刑事弁護をする人はバッシングを受けても我慢しなければならないのか」と不満を述べた。
(読売新聞7月15日)
もっともな不満だと思うが、裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。
「弁護団としては,社会的な高い地位を有し,また,社会的な耳目を集め,多くの論評の対象になる著名事件の刑事弁護を担当していることから生ずる避けられない事態等ともいうべきものであり,一種の精神的圧迫感があったであろうことは想像に難くないが,甘受するしかないのではなかろうか」
千葉勝美氏も最高裁判事を退任して弁護士になったら、どんなにボロクソに非難されても「甘受」する立派な刑事弁護人になってほしい。

この裁判のニュースを見ると、どれも淡々と伝えている。
森達也『A3』にこうある。
「刑事司法や治安権力だけが変わったわけではない。多くの人の意識が変わったからこそ、刑事司法や治安権力の基準が変わったのだ。メディアはこの変化に便乗しながらさらに善悪の二元論を煽り、刑事司法や治安権力はこの変化に追随しながら併走する」
橋下徹氏の逆転勝訴を喜ぶ人たちは、自分で自分の首を絞めていることを考えてほしいと思う。

コメント (5)
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