暑いし、あれやこれやと用事はあって忙しいし、おまけにブログのアクセスは少ないしするのに、それにもかかわらずブログを何とか三日ごとに更新しようとするのは、自分でも偏執狂的だと思いつつ、『ザ・コーブ』であります。
上映中止騒ぎでさぞや大入り満員かと思ったら、上映三日目なのにさほどの入りではなかった。
日本人としては反発を感じる、見て楽しい映画ではないからかもしれない。
『靖国』の時もそうだったが、抗議して上映中止に追い込もうとする人たちは何を考えてそんなことをするのかと思う。
本来ならひっそりと上映され、注目を浴びることもないだろうに、あんまり騒ぐから、じゃあ見にいこうかという気になる。
『右翼の掟 公安警察の真実』に、鈴木邦男氏がこんなことを北芝健氏に言っている。
「今は、公安警察が右翼を焚きつけているんですよ。
右翼が上映妨害をしたってことで話題になった映画『靖国』の騒動だって、右翼の人間はあの時点で誰も映画を観ていないんですからね。右翼側の人間として試写会で観たのは僕一人です。映画が公開されて右翼が見て『これはけしからん!』と言うんだったら分かるんですよ。あの騒動はそうではなかった。公開もされていないのに『週刊新潮』が反日映画だと書いた。『週刊新潮』は右翼に対して情報を提供し続けている雑誌です。『週刊新潮』に書かれたのに右翼は何も行動していない。『これは俺たちがやらなくちゃ』と右翼は思う。『天の声』だと思う。と同時に公安も煽ってるんじゃないですか」
それに答えて元公安の北芝健氏は「『週刊現代』なら百パーセントのウソを何度も書いてきたから、ちゃんとしたメディアも公安も信用はしてませんが、『週刊新潮』となると、かなりの信用度だから、公安警察が右翼の尻を叩いて起きた騒動ってことですか?」と聞き返す。
鈴木邦男氏は「そうとは言いませんが、何かあると、煽っていることはある」と言い、そしてこうも言う。
「公安は右翼が死滅したら自分たちの仕事が無くなっちゃう。そのためにいろいろな工作をしかけてくるんです」
そこらはともかくとして、『ザ・コーブ』の感想だが、イルカ漁はひどい、許せないと、まあ正直なところ思いましたね。
あの血で真っ赤になった海を見たら誰でもそう感じる、そういう映画です。
イルカの虐殺といえば、昭和53年、壱岐で魚を食い荒らすイルカを殺したことが世界中から非難され、オリビア・ニュートン=ジョンが来日公演をボイコットしたことがありましたな。
オリビアは、「イルカのようにかわいくて賢い哺乳動物を殺すことを認めるような国では歌を歌う気にはなれません」と発言したとか。
『ザ・コーブ』にも、壱岐とおぼしき海岸に何十頭ものイルカが横たわってて、男がわざわざイルカを踏んで歩いている映像が映され、観客は日本人の野蛮さにあきれ果てるようになっている。
つまり、『ザ・コーブ』は面白く作られた映画だということである。
私が他国の人間なら、日本政府に圧力を加えてでもイルカ漁をやめさせるべきだと考えるに違いない。
これは映像の怖さである。
昔々、佐藤栄作首相が退任の記者会見で「テレビカメラはどこかね?」「新聞記者の諸君とは話したくない」「偏向的な新聞は大嫌いなんだ」「直接国民に話したい」「新聞は間違って伝える」「新聞記者は出てください」と言い、新聞記者が退席したあとテレビカメラに向かってしゃべり続けた。
佐藤栄作氏がそれほどテレビを信用していたとは驚きだが、カメラが真実を伝えるかどうかはわからない。
ヤラセや捏造、恣意的な編集などによって情報操作しているのかもしれない。
そんなことを考えると、アンドレス・オステルガールド『ビルマVJ 消された革命』(2007年にビルマで起きた反政府デモのドキュメンタリー)にしても、ビルマ軍事政権は「ビルマ民主の声」は虚偽の報道をしていると非難しているわけで、何が真実で、何が嘘なのかわからないことになる。
『ビルマVJ 消された革命』を『ザ・コーブ』と比べたら怒られるだろうけど。
『ザ・コーブ』がプロパガンダ映画だとしたら、日本で上映中止されてもまるっきり意味がない。
外国では自由に見ることができ、見た人は日本及び日本人を非難するのだから。
『ザ・コーブ』がどこがどのようにおかしいかをきちんと議論して、製作者に間違いを指摘し、誤解を解くようにすべきである。
私も『ザ・コーブ』を見ながらいろんな疑問がわいた。
たとえば、「日本のイルカを救いましょう」という、『ザ・コーブ』の主人公リチャード・オバリー氏のサイト(たぶん)がある。
そこで主張されている三点に関する疑問。
・イルカを銛で突いて殺すのが残酷だというのなら、『いのちの食べかた』で牛や豚や鶏を殺すように、機械による流れ作業によってイルカが苦しまないように殺して解体すればいいのか。
・イルカには許容量をはるかに超える水銀が含まれているからイルカを食べてはいけないのなら、水銀の含有量が少なければ食べてもいいのか。
・イルカを水族館で飼うことがイルカを苦しめているのなら、動物園や水族館にいるすべての動物や魚を解放すべきなのか。
『ザ・コーブ』の公式サイトにはルイ・シホヨス監督のメッセージがあり、そこにはこう書かれている。
「私はダイバーであり、水中カメラマンでもあるので、海の環境が汚染され破壊されていくのを間近で見てきました。そこで、そのような海洋環境に関する懸念を広く伝えるため、慈善団体OPSをスタートさせました。私は地球存続には海洋保護が重要だと思っており、それには大きな情熱を持っています」
海洋汚染についての問題提起を『ザ・コーブ』ではどうしてしていないとのか思う。(水俣病のフィルムはあったけど、それは日本政府批判で使ってた)
それと、リチャード・オバリー氏をはじめとして、『ザ・コーブ』では、イルカ大好き人間の方たちがあれっと感じる発言を当たり前のようにしているのを聞いて、そういえば『トンデモ本の世界』にイルカについてのトンデモ本が紹介されていたなと思いだした。
それは植木不等式「イルカに乗ったトンデモ 鯨類をめぐるフシギな本あれこれ」という文章で、「イルカ・オカルティズム」についてこういう説明がしてある。
「イルカ・オカルティズム」は二つの主張を柱とする。
「ひとつめは、イルカやクジラと直接的・非言語的な交流(テレパシーとかチャネリング)による深いレベルの精神的交流が可能であるという主張。ふたつめは、彼らが人間にまさる知性と徳性を持っており、そんな彼らとの精神的交流を通じて人間は自らの救いとなるいろいろなメッセージやパワーを受け取れるのだという主張である」
これを読んで笑ってしまったのだが、シー・シェパードの人たちは「イルカ・オカルティズム」的発言をしてるわけだ。
クジラやイルカを愛する人たちはトンデモ的思考の持ち主がどうも多いように感じる。
そして植木不等式氏はこうしめくくる。
「イルカやクジラをむやみに賞賛するのは、もうやめようじゃないか。彼らはたぶん、自分たちを食肉にしたかと思ったら今度はヒーリンググッズにしてしまう人間の身勝手さに、いい加減イライラしているのだ」
上映中止騒ぎでさぞや大入り満員かと思ったら、上映三日目なのにさほどの入りではなかった。
日本人としては反発を感じる、見て楽しい映画ではないからかもしれない。
『靖国』の時もそうだったが、抗議して上映中止に追い込もうとする人たちは何を考えてそんなことをするのかと思う。
本来ならひっそりと上映され、注目を浴びることもないだろうに、あんまり騒ぐから、じゃあ見にいこうかという気になる。
『右翼の掟 公安警察の真実』に、鈴木邦男氏がこんなことを北芝健氏に言っている。
「今は、公安警察が右翼を焚きつけているんですよ。
右翼が上映妨害をしたってことで話題になった映画『靖国』の騒動だって、右翼の人間はあの時点で誰も映画を観ていないんですからね。右翼側の人間として試写会で観たのは僕一人です。映画が公開されて右翼が見て『これはけしからん!』と言うんだったら分かるんですよ。あの騒動はそうではなかった。公開もされていないのに『週刊新潮』が反日映画だと書いた。『週刊新潮』は右翼に対して情報を提供し続けている雑誌です。『週刊新潮』に書かれたのに右翼は何も行動していない。『これは俺たちがやらなくちゃ』と右翼は思う。『天の声』だと思う。と同時に公安も煽ってるんじゃないですか」
それに答えて元公安の北芝健氏は「『週刊現代』なら百パーセントのウソを何度も書いてきたから、ちゃんとしたメディアも公安も信用はしてませんが、『週刊新潮』となると、かなりの信用度だから、公安警察が右翼の尻を叩いて起きた騒動ってことですか?」と聞き返す。
鈴木邦男氏は「そうとは言いませんが、何かあると、煽っていることはある」と言い、そしてこうも言う。
「公安は右翼が死滅したら自分たちの仕事が無くなっちゃう。そのためにいろいろな工作をしかけてくるんです」
そこらはともかくとして、『ザ・コーブ』の感想だが、イルカ漁はひどい、許せないと、まあ正直なところ思いましたね。
あの血で真っ赤になった海を見たら誰でもそう感じる、そういう映画です。
イルカの虐殺といえば、昭和53年、壱岐で魚を食い荒らすイルカを殺したことが世界中から非難され、オリビア・ニュートン=ジョンが来日公演をボイコットしたことがありましたな。
オリビアは、「イルカのようにかわいくて賢い哺乳動物を殺すことを認めるような国では歌を歌う気にはなれません」と発言したとか。
『ザ・コーブ』にも、壱岐とおぼしき海岸に何十頭ものイルカが横たわってて、男がわざわざイルカを踏んで歩いている映像が映され、観客は日本人の野蛮さにあきれ果てるようになっている。
つまり、『ザ・コーブ』は面白く作られた映画だということである。
私が他国の人間なら、日本政府に圧力を加えてでもイルカ漁をやめさせるべきだと考えるに違いない。
これは映像の怖さである。
昔々、佐藤栄作首相が退任の記者会見で「テレビカメラはどこかね?」「新聞記者の諸君とは話したくない」「偏向的な新聞は大嫌いなんだ」「直接国民に話したい」「新聞は間違って伝える」「新聞記者は出てください」と言い、新聞記者が退席したあとテレビカメラに向かってしゃべり続けた。
佐藤栄作氏がそれほどテレビを信用していたとは驚きだが、カメラが真実を伝えるかどうかはわからない。
ヤラセや捏造、恣意的な編集などによって情報操作しているのかもしれない。
そんなことを考えると、アンドレス・オステルガールド『ビルマVJ 消された革命』(2007年にビルマで起きた反政府デモのドキュメンタリー)にしても、ビルマ軍事政権は「ビルマ民主の声」は虚偽の報道をしていると非難しているわけで、何が真実で、何が嘘なのかわからないことになる。
『ビルマVJ 消された革命』を『ザ・コーブ』と比べたら怒られるだろうけど。
『ザ・コーブ』がプロパガンダ映画だとしたら、日本で上映中止されてもまるっきり意味がない。
外国では自由に見ることができ、見た人は日本及び日本人を非難するのだから。
『ザ・コーブ』がどこがどのようにおかしいかをきちんと議論して、製作者に間違いを指摘し、誤解を解くようにすべきである。
私も『ザ・コーブ』を見ながらいろんな疑問がわいた。
たとえば、「日本のイルカを救いましょう」という、『ザ・コーブ』の主人公リチャード・オバリー氏のサイト(たぶん)がある。
そこで主張されている三点に関する疑問。
・イルカを銛で突いて殺すのが残酷だというのなら、『いのちの食べかた』で牛や豚や鶏を殺すように、機械による流れ作業によってイルカが苦しまないように殺して解体すればいいのか。
・イルカには許容量をはるかに超える水銀が含まれているからイルカを食べてはいけないのなら、水銀の含有量が少なければ食べてもいいのか。
・イルカを水族館で飼うことがイルカを苦しめているのなら、動物園や水族館にいるすべての動物や魚を解放すべきなのか。
『ザ・コーブ』の公式サイトにはルイ・シホヨス監督のメッセージがあり、そこにはこう書かれている。
「私はダイバーであり、水中カメラマンでもあるので、海の環境が汚染され破壊されていくのを間近で見てきました。そこで、そのような海洋環境に関する懸念を広く伝えるため、慈善団体OPSをスタートさせました。私は地球存続には海洋保護が重要だと思っており、それには大きな情熱を持っています」
海洋汚染についての問題提起を『ザ・コーブ』ではどうしてしていないとのか思う。(水俣病のフィルムはあったけど、それは日本政府批判で使ってた)
それと、リチャード・オバリー氏をはじめとして、『ザ・コーブ』では、イルカ大好き人間の方たちがあれっと感じる発言を当たり前のようにしているのを聞いて、そういえば『トンデモ本の世界』にイルカについてのトンデモ本が紹介されていたなと思いだした。
それは植木不等式「イルカに乗ったトンデモ 鯨類をめぐるフシギな本あれこれ」という文章で、「イルカ・オカルティズム」についてこういう説明がしてある。
「イルカ・オカルティズム」は二つの主張を柱とする。
「ひとつめは、イルカやクジラと直接的・非言語的な交流(テレパシーとかチャネリング)による深いレベルの精神的交流が可能であるという主張。ふたつめは、彼らが人間にまさる知性と徳性を持っており、そんな彼らとの精神的交流を通じて人間は自らの救いとなるいろいろなメッセージやパワーを受け取れるのだという主張である」
これを読んで笑ってしまったのだが、シー・シェパードの人たちは「イルカ・オカルティズム」的発言をしてるわけだ。
クジラやイルカを愛する人たちはトンデモ的思考の持ち主がどうも多いように感じる。
そして植木不等式氏はこうしめくくる。
「イルカやクジラをむやみに賞賛するのは、もうやめようじゃないか。彼らはたぶん、自分たちを食肉にしたかと思ったら今度はヒーリンググッズにしてしまう人間の身勝手さに、いい加減イライラしているのだ」