カルマの浄化と慰霊・鎮魂と禊ぎ・祓いを日本人は同じものとして考えているのではないかということについて。
おさらいになりますが、ウパニシャッドで業思想が説かれたのは、それまでの運命論やすべては神のお考えなんだという神意説を否定し、善因善果、悪因悪果なんだからいいことをして充実した人生を送りましょうと、人間の自由意志を尊重したんだと思う(たぶん)。
たとえば、勉強しなかったのでテストで0点だった、これではいけないと思って一生懸命勉強したらいい点数を取った、というような。
ダライラマの妹ジェツン・ペマ氏の講演を聴いた。
質疑応答で「国を失うということはどういう気持ちですか」という質問があり、ジェツン・ペマ氏の答えは「チベット人は何かあると、前世のカルマでこうなったんだ、と受けとめる。そして、だったらこれからどうしたらいいのかを考えていくんだ」というようなものだった。
カルマというと何か自分を縛りつける、どうすることもできないものというイメージがあるが、本来のカルマはそんな重苦しいものではなかったのかもしれない。
それがいつの間にかカルマの法則=宿命論になったのだと思う。
で、インド人は、何らかの行為(業・カルマ)をすると、何かが残る、残ったものが後に影響を与えると考えた。
その残ったものとは実体的実在である。
たとえば、2千年以上前のハスの実から発芽して花が咲いた大賀ハスのようなもので、何かの行為をしてカルマという実体が生じてもしばらくは何の影響をもたらさず、だからといってなくなったわけではなく、ある時ひょこっと果を生じさせる。
話は飛んで、日本人はよくないことが起こる原因として、
・過去の行為(前世や先祖の行為も含む)
・霊魂のしわざ
と考えていた。(今もそう)
折口信夫は霊魂に三種あると言っている。
「純化した祖先聖霊、其にある時期において昇格飛躍して、祖霊の中に加る筈の新盆の霊魂、其に殆浮かぶことなき無縁霊」
つまり次の三種である。
1,死のケガレがついている死んで間もない霊
2,純化した先祖霊
3,ほとんど浮かぶことのない霊
死んで間もない霊には死のケガレがついているが、お祀りすることによってだんだんと清められ、そうして先祖霊と一体化し(柳田国男説)、さらに清まると氏神となる(五来重説)。
無縁霊とは「横死・不慮の死・咒われた為の死など(の不完全な死によって)迷える魂・裏づけなき魂・移動することの出来ぬ魂として、永久に残らなければならない」霊魂である。
すなわち、不完全な死、中絶した生(事故死・自殺・他殺、あるいは横死・不慮の死・呪われた死・志半ばでの死・この世に思いを残した死・怨みの残した死など、そして水子・子供)の場合は不成仏霊となる。
たとえば、菅原道真や平将門、そして戦死者などといった、思いを残して死んだ人の霊魂が無縁霊である。
水子も無縁霊なわけで、水子供養は日本の宗教観から言うと伝統的なのである。
そういう死に方だと迷える魂・移動できぬ魂になり、霊魂は死んだ場所に留まると日本では考えられた、と折口信夫は言っている。
で、霊魂も言うまでもなく実体的実在である。
こうした霊魂観は現代にも受け継がれていて、道ばたに花や飲み物が置かれていることがあるが、おそらくそこで誰かが交通事故によって亡くなったのだろう。
死んだ場所にお供えするとか、慰霊碑を建立することがごく自然な行為として受けとめられているのは、不慮の死の場合は死んだ場所に霊魂がとどまって無縁霊となり、無縁霊は他人に取りついて苦しめるので、慰霊・鎮魂しないといけないからである。
新聞の広告で「悪因縁を絶つ」とか「霊障を切る」といった、いかにもインチキだと思わせる本の題名をみるが、これらはカルマの浄化と同じ意味だと言ってもいい。
そしてケガレ。
ケガレの代表は死のケガレ、そして生理や出産の血のケガレである。
四十九日がすぎるまでは鳥居をくぐってはいけないとされ、生理中の女性は神事に参加できない。
神事があると男たちが一緒に生活することがあるが、これはしてはいけないことをしないようにするためである。
禊ぎ・祓いとはケガレや罪(ケガレが罪)を清めることである。
で思ったのが、無縁霊は不慮の死の原因となった行為(カルマ)、ケガレだとケガレとなる行為が災いをもたらすから、そうした行為によって生じたカルマを消す(浄化する)ことが供養・慰霊、もしくは禊ぎ・祓いだという解釈も成り立つと思う。
となると、稲盛和夫氏が
「大病になるとか挫折するとか、そういう災難に遭うのは、自分が過去に―先祖をも含めて―魂が積んできたカルマ、業というものが消えるときなのです」
「大地にもカルマがあります。神戸周辺は昔の源平合戦やいろんなことがあって、そこには定着したカルマがあったのでしょう。私には、そういう積み重ねられたカルマを清算するために、今度のような大震災が起きたとしか思えません」
と言っているカルマとは、無縁霊(不成仏霊)や死のケガレだと理解してもかまわないのではないだろうか。
カルマの浄化=無縁霊への供養=禊ぎ・祓いと考えてもそう見当違いではないと思う。