三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

エマ・ラーキン『ミャンマーという国への旅』

2007年05月11日 | 

ミャンマーの首都がネピドーに移転した。
毎日新聞は「荒野の中の楼閣」と書いている。

ジョージ・オーウェルは作家になる前の数年間、ビルマで警察官をしていた。
そのオーウェルのデストピア小説『1984年』とそっくりなのが現在のビルマである。

密告者がどこにでもいて、政治についての不平、不満を漏らすと、すぐさまそれが伝わってしまう。
乞食までが人の話に耳を傾けているというのだから。

エマ・ラーキンはビルマにおけるオーウェルの足跡をたどりながら、ビルマの人たちと話し、『ミャンマーという国への旅』でその声を伝えている。
軍事政権が改名したミャンマーではなくてビルマ、ヤンゴンではなくてラングーンを使っていることからもエマ・ラーキンの立場がわかる。

ある司祭はこう言っている。

どうしてそんなに少数の人間で、多数の人たちを意のままにできるのかとお考えでしょうね。それは恐怖ですよ。


アウン・サン・スーチーが列挙している「恐怖」、
「投獄の恐怖」
「拷問の恐怖」
「死の恐怖」
「友人、家族、財産、生活手段を失う恐怖」
「貧困の恐怖」
「孤独の恐怖」

報道が統制され、テレビ、新聞はウソを言っていることをみんな承知している。
しかし、みんな黙っている。
密告されて捕まるのが怖いから。

ビルマの軍事警察に逮捕されると、拷問され、友人、仲間を告発させる。

彼らは一つだけ友人たちに約束をしている。三日間だけは頑張りとおすという約束だ。この三日間は、ほかの仲間たちが姿を消すだけの余裕を作る時間だ。


ビルマでは義務教育がない。
教育を受けると、これはおかしいと思うようになる。
国民を愚かなままにさせておく愚民化政策である。

では、日本はどうなのか。
都知事選のあと、4月11日の毎日新聞に「政治家にオーラ求めるな」という記事があった。
石原慎太郎について聞かれて、こう答えた人たちがいる。

「あれだけ大きいことできる人だもの。私らとは違うんだから。高い店で飲んだり、高級ホテルに泊まったりもするでしょう」=元会社員の男性(65)
「いろいろ批判はあるけど、迫力があって引っ張っていってくれそうな感じがする」=主婦(37)。

これじゃジョージ・オーウェル『動物農場』や沼正三『家畜人ヤプー』の世界じゃないか。

ビルマのある女性がエマ・ラーキンに話す。

私たちは理解する力があります。善悪の判断ぐらいはできます。でも自分で判断することは許されないんです。

自覚しているだけ、ビルマの人たちのほうがましなのではないか。

「パンとサーカス」という言葉がある。
食べ物(パン)と気晴らし(サーカス)で満足する日本人は、自ら進んで理解する力を失い、自分で判断をしなくなってもおかしくはないと思う。
知らない間に、ビルマよりももっと巧妙な管理統制社会になるかもしれない。

そんなことを思ってたら、イギリスが「1984年」化しているという記事があった。
また毎日新聞から。

英政府は4日、問題行動をする人に音声で注意や警告ができるスピーカー付き監視カメラを各地に設置すると発表した。


ブレア政権発足の1997年に10万台だった監視カメラが420万台、40倍以上に増えているそうだ。
国民は外出すると1日平均300回撮影されている計算になるという。
ところが、犯罪は1997年450万件から2004年600万件に増加、強盗は19%減ったが、殺人は15%、性犯罪も57%増えている。

英王立工学アカデミーは「このままだと我々の『ビッグブラザー』社会は、オーウェルが思い描いた以上の強力なものになってしまう」と警鐘を鳴らしている。

ここでもオーウェルの名前が出てくる。

日本の昨年の記事。

英国訪問中の石原慎太郎東京都知事は5月31日、テロや犯罪対策としてロンドン市内に数多く設置されている監視カメラについて「実績のあるものはまねした方がいい。日本にとって不可能なことではない」と述べ、東京都での導入拡大に前向きな姿勢を示した。


日本では、治安が悪化しているという不安感を煽り立られて、地域で安全を守ろうという風潮になっている。
防犯が危機管理に結びつき、不審者というと外国人と思われているから、防犯のつもりがテロ対策に協力していることになってしまう。
「国民保護法」という国家総動員体制が着々と進行しているわけだし、どうなることやら。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする