三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

保守からの死刑廃止運動を

2007年05月02日 | 死刑

死刑廃止を主張する人は左翼だと思われがちである。
人権問題や市民運動をしている人に対しても同じようなイメージがあるように思う。

ところが、「インパクション」という雑誌に載っている安田好弘弁護士と小倉利丸の対談を読むと、死刑問題が市民運動や左翼とつながっているわけではないらしい。

社会運動に参加している私たちは、多くの場合、いろいろな意味で豊かな場面で生活しているわけですから、犯罪とは遠い人たちなんですね。もし、市民運動に参加している人たちに、犯罪に対する共感が薄いとしたら、それが原因しているのではないかと思います。
現実に、「左翼運動」とか「市民運動」をやっている人たちの中で、死刑の関心度というのはそれほど高くはありません。ですから左翼と死刑廃止とは必ずしも一致しない。
世界を見ても、左翼が政権を取ったところが死刑を廃止しているわけじゃない。むしろ、中道右派的な、あるところはキリスト教的なヒューマニズム、保守リベラルとか、そういうところで死刑廃止がなされている。彼らは、犯罪を主観的にではなく客観的にとらえているんだろうと思います。しかも、彼らの精神は、寛容と非攻撃性によって支えられているんだろうと思います。
しかし、社会主義政権からは死刑廃止は誕生していないんですね。左翼の人たちは犯罪をなくすることができると考えているんではないでしょうか。

死刑廃止運動は左翼からではなく保守からとは意外だった。

「インパクション」に、水田ふうがこういうことを書いている。

死刑は、国家がわたしらひとりひとりに向かって、いつでも合法的に殺すことができるんやぞという脅かしなんやんか。(略)
いまヨーロッパでは、EU加盟には死刑廃止を条件にするくらいやし、韓国でも死刑廃止が国会で審議されたりしてる。これはひとびとや運動の力でそうなったんやない。政府・指導者と国会議員たちの働きがあってのことや。そして、ひとびとはむしろ、いつでも死刑復活の声をあげる側の反動勢力なんや


権力からの脅しの手段である死刑制度を国家自らが放棄しているのが世界の流れである。
ところが、一般の国民のほうが死刑を求めているのだから、何だか逆説のようだ。
これは「自由からの逃走」ということか。

左翼が退潮し、組合の力もほとんどない保守王国の日本なのに、なぜか厳罰化の声が高く、死刑判決が異常に増えているのはどうしてなのかと、不思議になった。

コメント (60)
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