「ハマのメリー」という、顔を白く塗り、ドレスを着た年寄りの娼婦が横浜にいた。
1995年、74歳の時に姿を消した。
中村高寛『ヨコハマメリー』は、メリーについて、ゲイのシャンソン歌手・風俗ライター・写真家・舞踏家・芸者・クリーニング店の夫婦・化粧品店の女将・女優といった人たちが語るというドキュメンタリーである。
全財産のカバンを持って横浜の町を歩き、住む部屋がないのでビルの廊下で寝ていた。
メリーさんの存在は圧倒的である。
しかし、白塗りの異様な姿の老婆を買おうという人がいたのだろうか。
映画を見ていくうちに、白塗りの顔は仮面であり、仮面の下には何もないのではないか、だからメリーさんについていくら語っても、結局のところ自分自身を語っているのではないかという印象を受けた。
そして、猪瀬直樹『ミカドの肖像』を思い出した。
冒頭にロラン・バルトの言葉を引用している。
いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚であると いう逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所 。緑におおわれ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。
『ミカドの肖像』は、皇居(天皇)のまわりを論じてはいても、天皇については何もふれない。
メリーさんの白塗りの下には何があるのか。
映画の最後、なんともまあ驚いたことに、老人ホームにいるメリーさんをゲイのシャンソン歌手が訪れる。
メリーさんは若いころはさぞかし美人だったろうと思わせる上品そうな老婦人だった。
全く想像もしなかった素顔である。
笑顔の下に何があるのか、それは想像するしかない。