三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

スコット・デリクソン『エミリー・ローズ』

2006年04月13日 | 問題のある考え

『エミリー・ローズ』は、悪魔祓いによって19歳の女性エミリーを死なせたとして、神父が過失致死罪で起訴されるという法廷劇の映画。
『エクソシスト』の二番煎じかと思っていたら、かなり怖かった。
拾いものである。

1976年にドイツで実際に起きた事件をもとにしている。
実際の事件では、てんかんの発作を悪魔憑きと信じた女性が悪魔祓いをしてもらい、結局は栄養失調で死亡、神父と両親が裁判にかけられ有罪となった。
また、裁判の直前に彼女の墓を掘り起こしたところ、彼女の遺体は腐敗していなかったという尼僧の証言があり、今では彼女のお墓は、熱心なクリスチャンらの巡礼地になっていると、あるサイトにあった。

悪魔の存在をまじめくさって肯定する映画は好きではない。
アメリカ人の60%が悪魔の実在を信じているのだから、まずいのではないか。
映画では、エミリーが悪魔に取り憑かれて苦しむシーンが描かれているので、観客は神父らの証言はウソではないと思うだろう。
しかし、実際の裁判では証人の話を聞くだけで、その証言が正しいかどうかはわからないはずだ。
これは映画のウソである。

さらにまずいと思うのは、神の存在を証明するためにエミリーに悪魔が取り憑いた、ということである。
エミリーも家族も熱心なクリスチャンなのに、なぜ悪魔に取り憑かれたのか、なぜ神は助けようとしなかったのか。
裁判でそのことを弁護士から問われた神父は、エミリーは聖人となるだろうと言い、エミリーからの手紙を読む。
エミリーの前に現れた聖母マリアにエミリーは、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか、と尋ねる。
するとマリアは、神は死んだと言われている、霊界の存在を人々に知らせるためだ、もしもいやなら私と一緒に天国に行ってもいい、と答える。
エミリーはこのまま苦しむことを選ぶ。
エミリーは神の存在を証明するための犠牲となり、そして自分の信仰を証明するために死んだ。

しかしですね、神の実在を証明するためなら、一時的でもいいから戦争や飢餓や疾病をなくすとかいった方法のほうが効果的だと思う。
実際、エミリーが苦しみながら死んだことによって、霊界の存在を信じる人がどれだけ増えたのか。

犠牲を強い、苦しめる神というのは私は嫌いである。
アブラハムやヨブにしてもそうだが、どうして苦しめて試す必要があるのだろうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする