富山県の病院で、医師がガンなどで意識不明の末期患者7人の人工呼吸器をはずしたという事件があった。
これに関連して先日の毎日新聞に3人の方が尊厳死について考えを書かれている。
井形昭弘氏(日本尊厳死協会理事長)
尊厳死の容認は尊厳なる生を目指しており、命が軽視されるとの理解は全くの誤解である。
山崎章郎氏(日本ホスピス緩和ケア協会会長)
延命治療の是非や尊厳死を論じても、それは死ぬ間際の、目に見える形だけを論じているにすぎない。
川口有美子氏(筋萎縮性側索硬化症の母の看病をする)
私は尊厳死の考えにうさんくさいものを感じており、井形昭弘氏の意見にもひっかかるものがある。
○苦痛について
昨年、私の伯父(88歳)が肺炎で入院、一ヵ月後になくなった。
見舞いに行くと、非常に苦しそうにしている。
酸素マスクをはずすので、「そういうことしちゃいけんじゃないか」と言うと、「苦しいから早く死にたい」と伯父はしんどそうに言う。
食べれないので点滴をしていたのだが、そのチューブもはずそうとする。
痛み止めをしても、なにせ呼吸ができないので、しばらくするとまた苦しみ出す。
伯父の場合は意識はちゃんとあり、自分で呼吸をするし、話すこともできる。
しかし、誰が見ても助からないのはわかっているし、本人も死にたいと望んでいる。
こういう場合は尊厳死賛成の人はどうするのだろうか。
人工呼吸器を止めてしまえば、呼吸ができなくなり、窒息してしまうから、これは苦しいのではないだろうか。
だったら尊厳死よりも、薬物を注射する安楽死のほうが苦しみから救うことになるのではないか。
尊厳死というのは、人の苦しみを見たくないだけで、偽善っぽいように感じる。
○尊厳について
7年間寝たきりだった人だが、死ぬ前の日に「ご飯が食べたい、便所に行きたい、お風呂に入りたい」と言い、これが最後の言葉だったそうだ。
その人の尊厳は7年間傷つけられていたわけだ。
意識のないまま身体中にチューブをつけて寝ている姿を見るのは、正直なところいいものではない。
患者本人の気持ち、患者本人が苦しんでいるかどうかよりも、まわりの人が不快なものを見るのがいやだから、これじゃ患者の尊厳がない、延命措置をしても苦しめるだけだ、生の尊厳がどうのこうのと言ってるんじゃなかろうか。
○生者の都合
胃ガンだった叔父(67歳)は、酸素マスク、痛み止め、腹水や尿を出すためのチューブ、栄養の点滴などのチューブを身体中につけたスパゲティ状態で亡くなった。
それらチューブを一つでもはずすと、叔父は苦しみながら死ぬことになる。
医者から「あと二、三日」と言われ、心臓が強いものだから、それから十日ばかり保った。
死ぬのをただ待つだけの十日間だった。
そういう時、自分の都合を考えてしまう。
この日は用があるから死んでもらっては困る、どうせなら葬式はこの日がいいとか、医療費、そして介護のこと。
もしも尊厳死が当たり前となったら、生者の都合に合わせるようになることは間違いない。
(追記)
日本尊厳死協会についてはこちらを。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/b7634a94e5bfede31ae3b512b3d11dc9
尊厳死については児玉真美『死の自己決定権のゆくえ』が参考になります。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%BB%F9%B6%CC%BF%BF%C8%FE%A1%D8%BB%E0%A4%CE%BC%AB%B8%CA%B7%E8%C4%EA%B8%A2%A4%CE%A4%E6%A4%AF%A4%A8%A1%A1
川口有美子氏については別のところでも書いています。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/69bc4cc0d0bac2bd358a6706166b907c