
─── 経営をもっと身近に、もっと確かに ───
おはようございます。スプラムの竹内幸次です。
今日は休日的な話題です。
先日、東京北千住でコンサルティングした時、自分が出身地(生まれた場所)が東京都荒川区であることを再認識した。入谷、三ノ輪、町屋、尾久という地名を見ると、物心が付き始めた頃、よく親が口にしていた言葉が蘇り、自然と時代が40年前に戻る。
人生も43年になると、自分のルーツや、それまでしてきたことを整理したくなる。色々な場面で多くの人生の選択肢があり、そのうち1つでも選択が異なれば今の自分がいなかったのだと思うと、人生こそ最大の推理小説であり、不確かなギャンブルであり、積み木の城でもあると思う。
荒川区町屋6丁目にある「りんぽかんほいくえん」(正式には
(福)東京都福祉事業協会尾久隣保館保育園)は私が始めて社会生活を送った場所だ。当時父親が旭電化という化学会社に勤めていて社宅に住んでいた。
その社宅から親が手を引いてこの保育園に送り、2歳上の兄が私を迎えにきてくれた。小学生の兄と保育園の弟が手を繋いで自宅に帰る姿は両親には微笑ましかったことと思う。
当時広々と感じた保育園「りんぽかん」は、今年立派なビルに建て替えられていた。「40年ほど前にお世話になった竹内幸次と申します」と説明すると、園長先生はまるで予約した訪問者のように手厚く迎えてくれた。「去年なら竹内さんが通った時のままの建物だったのですよ」と園長。とても親切な園長で、30分ほど掛けて園内を丁寧に案内してくれた。温かい。
木の内装の一室で子供たちが食事をしていた。「皆さん、こんにちは、40年前にここに通ったたけうちこうじといいます」と子供たちに挨拶もしてしまった。映画バックトゥーザ・フューチャーのシーンのように、40年前の自分に話しかけているようで、少々照れくさかった。「おいらも40年したらこーんなに大きくなるの?」と元気な男の子。「そうだね、たくさん食べておじさんよりも大きくなるんだよ」と私。

▲保育園の周囲に高層マンションが多くてびっくりした

▲きれいに立て替えられたりんぽかん

▲園長が園内を案内してくれた。木製で温かい
入学した大門小学校にも行った。横浜に引っ越すまでの3ヶ月間しか通わなかったけど、思い出深い学校だ。朝礼をした時に広々と感じた校庭は、やはりとても狭く感じた。

▲私が通った大門小学校
父が勤務した旭電化は今は公園になっている。「旭電化跡地」という都の看板があり、今後も「旭電化」という名称が後世に伝わるのだと思うと、ここで汗を流した父も天国からほっとしていることだろう。北海道奥尻島から東京に出稼ぎに来た父はこの旭電化に採用されて、浅草の母と知り合って所帯を持ち、私が産まれた。

▲「旭電化跡地」という看板が嬉しい

▲今ではこのような広々した公園になった
日頃、パソコン等を使って将来を目指す革新的なコンサルティングをしているけど、この時期、ゆっくと自分を整理しています。
子供の頃や思春期には、それほど重要だと感じずに様々な人生の選択をしていた。好き嫌いで選んだこともあった。でもその選択が、今につながっている。
今の自分の行動や選択が、訪れるべき自分の未来につながっている。私は40年後には83歳。そのときに現役バリバリの40代の中小企業診断士にどのように話しかけるのだろうか。それも人生の楽しみである。
株式会社スプラム代表取締役 竹内幸次 中小企業診断士
情報満載のスプラム公式WEB:
http://www.spram.co.jp
e-mail
Copyright:© 2006 SPRAM All Rights Reserved.
【ブログ執筆・運営ポリシー】

中小企業経営にプラスになる情報を執筆します

顧問先企業等、守秘義務のある特定企業情報は執筆しません