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ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

私を育ててくれた湯梨浜町(旧泊村)

2010-06-22 23:27:20 | 旅行記

6月21日(月曜日)
復路は、まずは病院の婆さんにサイナラを言い、国道9号線沿いにある爺さんの墓に参った。帰省すれば一度は行く 「潮風の丘とまり」。「潮風の丘とまり」には、グランドゴルフコース、恐竜の屋外展示物、スーパースライダーなど、家族みんなで過ごせる施設がある。また鳥取県第1号の大型風力発電機(風車)が、威風堂々とぐるりぐるりと回っている。

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グランドゴルフ

は今では全国で認知されているが、1982年に当時の泊村教育委員会が生涯スポーツ活動推進事業の位置づけで考案したスポーツで、我が村はグランドゴルフ発祥の地だ。
ここへ行けば日本海を見下ろすことが出来る。

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眼下には泊漁港があるが、私が住んでいる頃は灯台のある手前の小さな波止場だけだった。中学時代の水泳部の練習は、5月から防波堤の外側を泳ぐ。ワカメが取りが解禁になれば、水泳部の全員でワカメ取りに励み、これを村民の方に買ってもらった。この金で防波堤の内側に、4コースほどの25メートルのターン台を水泳部の皆で作り練習をしたものだ。5月の日本海はそれこそ縮み上がるくらい寒かった。練習後のクチビルは全員紫色で、あそこは縮み上がって息子はいずこへ。
泳いだ後は銭湯に入るのが楽しみだった。昔の銭湯は男湯と女湯の壁に半月の窓があり、そこが水汲み場になっていた。ここで石鹸の受け渡しを大人はやっていた。水泳部の男子中学生はこの穴から女湯がチラ~ッと見えるので銭湯が楽しみでしょうがなかった。こらスケベ!
この丘に立てば、走馬灯のように昔が思い出される。冬の怒涛渦巻く日本海も良し、穏やかな日本海も良し。とまり村万歳!!

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東郷湖畔で”温泉たまご”を作った

2010-06-22 21:17:51 | 旅行記

6月21日(月曜日)
宿泊した国民宿舎「水明荘」は東郷湖の湖畔にある。

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その隣に公園があり、そこでは”温泉たまご”を作ることが出来る。

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前日に愛妻は「温泉たまごを作るぞ」とスーパーで卵を1パック買ってきていた。朝食前に「温泉たまご」を作りに公園に行った。こんな朝早くから温泉たまごを作る人はいない。説明の看板を読むと20分間温泉の中に吊るしておけば出来るようだ。

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網の中にたまごを10個入れて温泉の中に投入した。

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20分間じっと見ていても面白くないので、湖畔を散策した。白鳥が2羽泳いでいるが、そばに生まれたての可愛い子白鳥が2羽ちょろちょろ泳いでいた。

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岸に寄って来ないかと待ったが、逆に沖の方へ。
オバサンの二人連れが、網を持って池の中に入れて何やらすくっている。そばに行き尋ねた。「エビでもおっだかえ?」「○○エビがおっだけど今日は取れんが。昨日はようけ取れたけどなあ」。バケツの中を覗いてみた。

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随分と小さいエビだ。これを煮付けるそうだ。今日は日が悪いと決断すればサッサと引き上げた。

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家のそばでタモを持って来てエビが取れる環境が羨ましい。20分経過したので、たまごを引き上げた。

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食べるのは家に帰ってからになる。どんな温泉たまごが出来ていることやら。

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”打吹公園だんご”は日本一の味だ! 

2010-06-22 20:25:18 | 旅行記

6月20日(日曜日)
本日のシメに弟の嫁が連れて行ってくれた所は 「石谷精華堂」 。

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倉吉を代表する銘菓打吹公園だんごの店だった。鳥取へ帰省した帰りのお土産と言えば、必ずと言っていいほど買ったものだ。
店の奥には「喫茶 花」があり、ここで一服した。

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コーヒー等の飲み物を注文すれば ”あずき抹茶” の3種のダンゴが付いている。

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団子だけなら1串90円。
久しぶりの”公園だんご”だ。口へ入れると懐かしさがよみがえる。このダンゴの軟らかさは格別だ。やっぱり公園だんごは美味かった。
喫茶代は払うと愛妻が言うと、弟の嫁さんは太くもない腹をたたいた。よっ太っ腹!すまないね~。

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外の男性トイレの前に見たことのある小便小僧が建立されていた。

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昭和61年に社長がブリュセルからしょって帰ったそうだ。

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国宝三徳山三佛寺投入堂を遥拝した

2010-06-22 19:34:45 | 旅行記

6月20日(日曜日)
中津からの帰路、「三徳山三佛寺投入堂が見れる所があるので行かないか」と弟が言う。子どもが小さい頃、兄貴の子どもやら妹の子どもと団体で、投入堂(なげいれどう)まで登った。
三男がまだ幼稚園だったので、25年以上の昔になる。こんな険しい所を、よくも連れて登ったものだ。この方のブログを見ていただければ、どれだけ険しいかが良くわかる。
愛妻も足が悪くならなければ、もう一度登りたいと願望するほど景色も建築物も素晴らしい。
愛妻は即答で「行きたい!」。30分ほどで、三徳山駐車場の先にある「投入堂遥拝所」に到着した。投入堂までかなり距離があるので、細部までは見えない。

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無料の望遠鏡が設置されているのが嬉しい。望遠鏡で遥拝をした。道路沿いには投入堂についての立て看板がある。

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昭和27年3月に国宝に指定されているので58年になる。
やっぱり自力で登りそばまで行かねば、国宝の良さが分からない。
この投入堂に初めて登ったのは高校2年だったかな?中学の同級生の女性4人、男性5人くらいで弁当持ちで行った記憶が残っている。トータル5回くらいは登っただろうか。あのときは貴女も私も若かった。

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小鹿渓は相変わらず絶景だった

2010-06-22 00:34:46 | 旅行記

6月20日(日曜日)
食事の後、弟が何所でも行きたい所に連れて行ってやると言う。ならばと”奇岩と清流”の名勝の小鹿渓(おしかけい)へ行ってと頼んだ。三朝町はとても広く、大阪市と同じくらいの広さがある。小鹿渓のある中津は標高が600メートルくらいあり、冬は豪雪地帯で1メートルは楽に積もる。小鹿渓は紅葉シーズンはとても素晴らしい。過去に3度ほど訪れた記憶がある。
奇岩のある所へ行く途中の崖には、ツツジ、山アジサイ、マタタビ、ホオバなどが咲いて綺麗だ。

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小鹿渓探勝歩道、奇岩と清流の名勝の看板のある所から谷へ降りて行くと遊歩道が完備されている。

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小鹿渓

には、雄淵・雌淵がある。奇岩と落差の少ない滝があり、見事の一言につきる。

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小鹿渓の上には平家の落人の中津がある。昔は沢山の方が住んでいて、小学校の分校があった。今では、人口が8人で男5名、女3名の過疎になっていた。しかも全員65歳以上の年寄りばかりだ。今から27年前くらいだっただろうか、会社の仲の良い皆さんと梨狩りに東郷へ来て、ここに宿泊した懐かしい思い出がある。弟に宿を紹介してもらったので、どの家だったかと聞いた。「中津荘の隣だったので、確かこの壊れた家のはず」と指を差す。

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無残な姿だ。家は人が住まなければ時期の間に朽ちてしまう。

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ツタで覆われた家があったが、人は住んでいるのかな?

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畑を耕しているお婆さんがいる。ナスビの苗が随分と小さいので、「遅いですね」と言うと「ここは寒いですけ6月にならんと植えませんが」とおっしゃる。
弟はこの当たりまで、渓流釣りに来ているので、中津のことはとても詳しい。「これが小学校のプールだよ」と言うので、見に上がれば10メートルほどの可愛いプールだった。

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38年前に亡くなった親爺は、ここの小学校へ勤務していた。朝は始発の汽車に乗り、バスで1時間はかかっていたようだ。

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