ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

一輪の沙羅双樹の花を見てきた

2010-06-11 21:20:26 | 神社、お寺

6月11日(金曜日)
本日も道草を食う。 

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「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色,盛者必滅の理をあらはす」

 でお馴染みの、沙羅(夏ツバキ)双樹の花を 「酬恩庵一休寺」 に見に行った。

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沙羅(夏ツバキ)双樹の花を見に行くのは、3年連続になる。例年は散り始めの新聞報道で見に行ったが、今年は新聞報道に先駆けてひと足お先にぃ。
駐車場に着くと、外人さん御一行さんのバスも到着し、一緒に拝観をした。

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参道のコケが美しい。

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参道を歩くと菊の御紋の入った扉が目に入る。

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この中には、一休禅師の墓がある。

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宮内庁が管理されていると立て看板に書いてある。まずは方丈へ入る。方丈とは禅宗寺院における住職の接客や仏事に使う建物で、いわゆる居間となる所だそうだ。参拝された方は、どなたも縁に座り、方丈庭園を眺める。

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外人さん御一行さんには住職の説明付だ。日本語でしゃべっているが、日本語は分かるかな?この後は座禅の体験をするようだ。
庭園を眺めていると、雑念が無くなり心が落ち着く。これだけで拝観料500円の価値がある。
本日の主目的の沙羅(夏ツバキ)双樹の花をもとめて境内を散策する。

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境内には9本の紗羅の木がある。毎年沙羅双樹の花は、木の周りにぐるりと落ちている。落ちた沙羅双樹の白い花は、コケの緑の上で映える。あれ?今年はどこにも落ちていない。

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下がダメなら上を見な。木を丹念に見ていくと、「あったぁ!」。

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花一輪とは、まさにこのことだ。今年初めて一休寺に咲いた沙羅双樹の花だ。花は咲いてから半日しかもたないそうだが、明日咲くであろう、つぼみが沢山待ち構えている。

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これが順次咲いていくので、今月いっぱいは見られると思われる。
境内を散策すると、とんちの一休さんでお馴染みの「このはしわたるな」の看板の立った小さな橋に出くわす。

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真ん中を、胸を張って堂々と渡った。さすが賢いゆみちゃんと言いたい所だが、昨年だったか一昨年だったか、姪っ子の温子さんに教えてもらった・・・。池には睡蓮のつぼみが沢山出ている。数日もすれば、睡蓮の花も沙羅双樹の花も堪能できることだろう。
今日は、まだ花が散っていなかったので、花のはかなげな風情に「諸行無常」の思いを重ねることがアイキャンノットだった。「あぁ、はかなき白い花かな・・・」「昨日は済んだ。明日はまだ来ない。今を大切に」と晩年の一休禅師は説いた。この寺の住職は、「散った花を見て落ち込むのではなく、今を大切にして生きることを考えてほしい」と言っている。もしもあなたが何も考えていなければ、今月中に是非一度「酬恩庵一休寺」へお出かけされてはいかが。限りある人生を、大切に生きることが出来るかもよ。

【参  考】
1.沙羅:フタバガキ科
  学名:Shorea robusta
 原産地:インド
2.祇園精舎って、何? 祇園と聞けば、まず頭に浮かぶは京都です。しかし京都とは一切関係はありません。
「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」というのは、中インドのサーヴィッティー国にあった精舎(寺院、僧院)です。その都に国一番の大金持ちのスダッタ長者がいて、ブッダとその教団のために、ジェーダ太子の林苑(祇樹給孤独園{ぎじゅぎっこどくおん}と漢訳される)を買い取って僧院を建立しました。その「祇樹給孤独園」を略して「祇園」とし、寺院、僧院を「精舎」と言うので「祇園精舎」になったのです。
祇園精舎にはたくさんの院や堂が建っていました。その中に「無常堂」というものがありました。精舎で修行する僧が病にかかって命が尽きようとするとき、無常堂に移って、無常を観じさせます。この堂の四隅には玻璃の鐘がありました。病僧が臨終を迎えるまさにその時、四隅の鐘がひとりでに鳴り出し、「無常偈」を説くのだといいます。その音を聞きながら病僧は安らかに息をひきとります。
「無常偈」とは、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」(諸行は無常にして これ生滅の法なり 生滅は滅しおはりて 寂滅なるを楽しみとなす)という四句の偈です。
『平家物語』の冒頭の句と類似する文言は、『平家物語』が語れていた当時、浄土教信仰の流行とともに、寺院での説教や法会の場でさかんに語られて、また「祇園精舎の鐘」も、『栄華物語』や『梁塵秘抄』などに散見されます。

コメント
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