今日は、長崎に原爆が投下さた日、8月9日。
毎年8月になると、原子爆弾による悲劇の数々が報道されます。それらを読むと、原子爆弾は二度と使われてはならないと強く感じます。
国際社会でも、被爆者の叫びを体現したといえる「核兵器禁止条約」が、2017年7月、122か国の賛成をもって、国際条約として発効しました。そして現在(2023年1月9日)署名:92か国・地域、批准:68か国・地域であるといいます。
でも、理不尽なことに、被爆国である日本がその「核兵器禁止条約」に不参加です。日本人のみならず、世界中の人たちの期待を裏切っている、と私は思います。
そして、被爆国日本がなぜ不参加なのか、その原因を考えるのですが、私はやはりそこにアメリカの力が働いていると思うのです。
不参加国は、核兵器所有国と、米軍基地が存在する日本や韓国、そして、NATO加盟国などの国々だからです。また、被爆国日本の岸田総理の核兵器に対する姿勢にも、全く主体性がなく、期待が持てないと思います。
ふり返れば、人道の観点から、必要以上に人体に苦痛を与える兵器の使用禁止が国際的に論じられたのは、1868年、ロシア皇帝の招請によりロシアの首都ペテルブルグ(現サンクト・ペテルブルグ)で開催された17カ国による会議であったといいます。
そしてこの時採択されたいわゆる「サンクトペテルブルク宣言」は、その後、1907年のハーグ陸戦条約やジュネーヴ諸条約へと発展し、1925年のジュネーヴ諸条約改定では、化学兵器や生物兵器の使用が禁止され、兵器の使用が無制限ではないことが、あらためて国際的に確認されていったということです。
特にジュネーヴ諸条約第一追加議定書第35条において、総括的な規制がなされ、無用の苦痛を与える兵器のみならず、自然環境を過度に破壊する兵器についても合わせて禁止されるに至ったことは見逃せないことだと思います。
ハーグ陸戦条の規定には、第23条に、”特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り”、として、23条1項に、”毒、または毒を施した兵器の使用」、また、同条5項「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること”とあります。
ジュネーブ条約の第1追加議定書の正式名称は、「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」であり、下記のような規定があります。
・過度の傷害又は無用の苦痛を与える兵器等の使用禁止(第35条2)
・自然環境に広範、長期的かつ深刻な損害を与える戦闘の方法・手段の禁止(第35条3)
原子爆弾は、サンクトペテルブルク宣言や、ハーグ陸戦条約、ジュネーヴ条約などで使用が禁止された兵器の典型だと思います。したがって、その開発、実験、生産、製造、取得、占有、貯蔵、委譲と受領、使用 使用するとの威嚇、自国内への配置の許可などは、すべて国際法違反として禁止されていると受け止めなければならないと思います。
そうしたことを踏まえると、「抑止論」などというのは、「違法」を「合法」とするまやかしだと思います。ものごとを順序立てて考えれば、核兵器禁止条約に至る道筋は極めて明快であり、人間の自然な思いの結果であると思います。だから、核兵器禁止条約に対しる期待や核兵器廃絶への思いは、子どもにもわかることだと思います。
それを受け入れようとしない人たちが、拠り所とするのが「抑止論」だと思います。でも、自らの覇権と利益のために、降伏間近の日本に、強引に二発の原子爆弾を投下したアメリカやアメリカの同盟国に、「抑止論」を語る資格があるでしょうか。
また、原子爆弾投下を命じたトルーマン大統領には、「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」という言葉に象徴される様な、対ソ戦略をはじめとする様々な策略があったことが明らかにされています。
だから、「抑止論」を乗り越え、核兵器禁止条約を意味のあるものとし、核兵器廃絶を実現するためには、先ず、原子爆弾を開発し、威嚇ではなく、現実に日本に投下したアメリカが、原子爆弾投下の過ちを認め、反省することが、核兵器廃絶の出発点だと思います。
でも、アメリカは、原子爆弾投下の過ちを認めず、”原爆は戦争終結を早め、100万人ものアメリカ兵の命を救った”などというプロパガンダを広め、「抑止論」などを盾に、核兵器禁止条約や核兵器廃絶の歩みにブレーキをかけていると思います。そして、アメリカの属国のような日本や韓国、およびNATO諸国がそれに従っているのだと思います。
戦争の終結を早めるためなら、核兵器の使用が許されるのでしょうか。
アメリカ兵の命を救うためなら、核兵器の使用が許されるでしょうか。
それを許す人たちに、ロシアの核兵器使用の脅しを批判したり、非難する資格があるでしょうか。
ロシアの核兵器使用の「脅し」は、戦争の拡大を抑止しようとするためのものではないのでしょうか。ロシアの主張を「脅し」としてを非難する人たちが「抑止論」を語るのは、矛盾しているのではないでしょうか。
私は、ロシアの核の威嚇や北朝鮮の核兵器開発、弾道ミサイル発射実験に対する非難や抗議を意味あるもの、力あるものにするためには、まず、現実に原子爆弾を投下したアメリカが、原子爆弾投下の過ちを認め、反省することが欠かせないと思います。ものごとには順序があるのです。
もっともらしいアメリカの主張に乗せられて、難しいことを考える必要はないと思います。
原子爆弾投下の悲劇は、原子爆弾が二度と使われてはならないことを示しています。だから核兵器禁止条約を効力あるものにし、核兵器廃絶につなげるために、アメリカが投下の過ちを認め、核兵器廃絶の先頭に立つことが求められると思います。
”原爆は戦争終結を早め、100万人ものアメリカ兵の命を救った”などというアメリカのプロパガンダに惑わされることなく、アメリカに原子爆弾投下の過ちを認め、核兵器廃絶の先頭に立つことを求めるべきだと思います。
「抑止論」などをあれこれ考える必要はないと思います。問題を複雑にしてはいけないと思います。アメリカが核兵器廃絶に動けば、核兵器廃絶は可能だと思います。核兵器を所有する国は、アメリカとともに搾取や収奪をしてきた強国か、あるいは、アメリカの核兵器に脅威を感じている国だと思います。だから、アメリカが核兵器廃絶に動けば、同調するだろうと思います。
アメリカが、原子爆弾投下の過ちを認め、反省することがなければ、わけのわからない議論がくり返され、事は前に進まないような気がします。
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