真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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石原完爾 満蒙領有 関東軍 「情勢判断ニ関スル意見」

2017年01月30日 | 国際・政治

 石原莞爾の『現在及将来ニ於ケル日本ノ国防』(昭和2年・1927年)は、「満蒙領有」によって、日本の経済的苦境や農村の疲弊を、何とか打開しようとする内容のものでした。そして、石原完爾は、翌年の昭和3年(1928年)には、関東軍作戦参謀として、関東軍による満蒙領有計画を立案しています。

 計画は、下記資料1の「十四、昭和六年四月策定ノ参謀本部情勢判断」で、現実に実行されていったことがわかります。また、 資料2の「情勢判断ニ関スル意見(関東軍参謀部昭和六年七・八月ごろ)」で、様々な観点から「満蒙領有」の必要性を確認し、石原完爾の考えに沿って意思統一が進められたことがわかります。

 だから、柳条湖事件を画策した石原完爾が中心となり、事件をきっかけに強引に関東軍を動かすによって満州事変に発展させ、思惑通り満州国を建国をさせたと言えるのではないかと思います。そして、それが中国民衆のはげしい反日感情を生み、日中戦争へと突入していく流れをつくったのだと思います。
 しかしながら、関東軍の作戦参謀であった石原完爾は、その後「満蒙領有論」から「満蒙独立論」へとその主張を変えていきます。そして、参謀本部の参謀となった時には、自身の勢力下にあると思っていた関東軍の参謀が、陸軍中央の戦線不拡大の方針に従わないことに業を煮やして、東京からわざわざ新京に乗り込んだといいます。
 その時のやり取りが、「石原完爾 その虚飾」佐高信(講談社)に出ています(資料3)。石原完爾は、武藤章の
 ”本気でそう申されるとは驚きました。私はあなたが、満州事変で大活躍された時分、この席におられる、今村副長といっしょに、参謀本部の作戦課に勤務し、よくあなたの行動をみており、大いに感心したものです。そのあなたのされた行動を見習い、その通りを内蒙で、実行しているものです
という言葉に返す言葉がなかったのではないでしょうか。

資料1と2は、「現代史資料 (7) 満洲事変」(みすす書房)から抜粋しました。

資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                      二、満洲事変
第一節 前夜
                      2 情勢判断  
                十四、昭和六年四月策定ノ参謀本部情勢判断
(「満洲事変に於ける軍の統帥」より抜粋)(参謀本部)

 (昭和六年九月)19日深更軍幕僚ノ一部(板垣、石原両参謀、花谷少佐、片倉大尉)ハ18日午後9時頃奉天ニ到着シ事変勃発以来軍ノ行動ヲ静観シアリシ参謀本部第一部長少将建川美次ト密ニ会シ激論数刻ニ及ヒ意見ヲ交換セリ(建川少将ハ当事件渦中ニ投シ且世ノ疑惑ヲ蒙ルヲ恐レ料亭菊水ノ一室二引籠リ一切外部トノ交渉ヲ絶チアリタリ)
 席上建川少将ハ此四月策定セル参謀本部情勢判断満蒙問題解決第一段階(条約又ハ契約ニ基キ正当ニ取得シタル我カ権益カ支那側ノ背信不法行為ニ因リ阻害セラレアル現状ヲ打開シ我カ権益ノ実際的効果ヲ確保シ更ニ之ヲ拡充スルコトニ勉ム実施ノ時期ナル旨(元ヨリ政権ハ学良政権ニ代ルニ親日新政権ヲ以テスルモ支那中央政府ノ主権下ニ置ク)ヲ提言セリ板垣、石原両参謀ハ交ゝ之ヲ駁シ今日満蒙問題ヲ解決セスシテ好機何時カ来ルヘキヲ述ヘ特ニ石原参謀ハ一挙第三段階ノ満蒙占領案ニ向ヒ断乎トシテ進ムヘキヲ提唱シ建川少将亦漸次之ヲ諒トスルニ至レルカ如ク少将自体トシテノ主張ヲ曲ケサルト共ニ一方軍ノ積極的行動ニ敢テ拘束ヲ加ヘサルコトヲ言明シ尚軍事行動ハ吉林、長春、洮昻沿線(成ルヘクハ洮南迄)ニ留ムルヲ有利トスヘキヲ附言セリ

資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
             十五、情勢判断ニ関スル意見(関東軍参謀部昭和六年七・八月ごろ)
    判決
(1)極東露領ノ価値如何
(2)北支那亦可ナラスヤ
(3)第三国カ我国策遂行ニ妨害セハ武力抗争ハ辞セサルノ断乎タル決心ヲ以テ臨ムヲ要ス之ノ決心ト成算ナクンハ対支政策ノ遂行ハ不可能
(4)直ニ着手スルヲ要ス
    説明
(1)東部西比利亜(シベリア)ハ領土トシテノ価値少ナシ森林、水産、鉱山、毛皮等ノ利権ニテ足ラン
(2)一挙解決何故ニ不利ナリヤ、満蒙ノ解決ハ第三国トノ開戦ヲ誘起スヘク戦勝テハ世界思潮ハ問題ニアラサルヘシ
(3)好機会ノ偶発ヲ待ツハ不可ナリ機会ヲ自ラ作ルヲ要ス

   第二 満蒙ノ情勢ト之カ積極的解決ノ必要
(1)従来ノ穏忍自重ハ帝国ノ武力不充分ナリシニ非ストシテ而モ米国ニ考慮ヲ払ヒシハ矛盾ニ非スヤ

   第三 米国ノ情勢
(1)満蒙問題解決国策遂行ハ急速ヲ要ス急速解決ハ勢ヒ露骨ナラサルヲ得ス往時露骨ヲ避ケ漸次主義ヲ採用シ来リテ何等得ルトコロ無カリシニアラスヤ是クノ如クンハ只往時ノ状態ヲ繰返スヘキノミ米国ノ武力及経済的圧迫恐ルルノ必要ナシトセハ何故断然タル決心ヲトラサルヤ

   第四 蘇国ノ情勢
(1)蘇ハ我国厄ニ乗シ只ニ満蒙赤化ノミナラス帝国内部ノ破壊ノ企図ニ出ツルコトアルヘキヲ保シ難シ
(2)東部西比利亜問題ノ根本解決ニ関シテハ極東露領ノ価値ニ就キ充分ナル吟味ヲ要ス

   第六 国際諸条約ノ関係
(1)九国条約ニ関スル門戸開放機会均等主義ヲ尊重スルトシテモ満蒙ニ於ケル既得権益ノ実効ヲ収ムル手段ヲ理由トセハ兵力ノ使用何等問題ナカ ルヘシ
(2)九国条約ヲ尊重セサル場合世界各国ノ感情ヲ害スルコトアルモ之カ為帝国ニ対シテ積極的ニ刃向ヒ来ルモノ幾何
(3)満蒙問題ノ解決ハ米蘇ト開戦ヲ覚悟セサレハ実行シ得ス米蘇ト開戦ヲ覚悟シツツ而モ何ソ之ニ気兼スルノ要アラン満蒙ヲ占領セハ直ニ之ヲ領土化スルヲ有利トス近来ノ列国ハ名ヨリモ寧ロ実利ニ依リテ動ク実利ヲ得ントシテ名ヲ作ルナリ

    結言
(1)未曾有ノ経済艱難不良外来思想ノ浸潤ハ単ニ一般的世界現象ナリト云フヲ得ス之ノ間米蘇ノ思想及経済的侵略ニ禍セラレルコト大ナリ従テ之カ防圧ノ手段トシテ両国ノ勢力ヲ打破スルノ必要アリ
 但シ経済的社会的必然ノ推移トシテ社会改造ノ必要アリ而シテ如何ニ帝国カ経済及社会組織ヲ改メテ帝国発展ノ基礎ヲ固ムヘキヤハ外方ニ対スル国策遂行ト同時ニ研究スヘキ重大問題ナリ之ニ関シテ予メ充分ノ成案アルヲ要ス
(4)速戦即決ハ作戦ノ範囲ノミ 

資料3------------------------------------------
             第十七章 今村均の回想
 ・・・
 その後の今村の述懐を引こう。
 「彼は実にさっぱりとしている男。それから二時間ほど、真剣に公事を談じあった。が、彼の事変対処思想と、私の処理信念との間には、相当のへだたりがあり、爾後に於ける中央の、関東軍統制の難事を思わぬわけにはいかなかった」
 しかし、今村は「板垣、石原両参謀とは事変に関し、多くの点で意見を異にするが、この人たちを非難する気にはどうしてもなれない」と言う。満州事変を「国家的宿命」と見る点では同じだからである。

 ただ、当時の陸軍首脳が中央の統制に従わなかった板垣と石原を罰するどころか、賞讃し、破格の欧米視察までさせたことは、以後、著しく軍紀を紊(ミダ)す因(モト)となった。
 彼等は中央の要職に就き、逆に関東軍を統制下に置こうと骨折った者はすべて左遷の憂き目をみた。
 今村によれば、これによって軍内に次のような空気が醸成されたのである。
 「上の者の統制などに服することは、第二義的のもののようだ。軍人の第一義は大功を収めることにある。功さえたてれば、どんな下克上の行為を冒しても、やがてこれは賞され、それらを抑制しようとした上官は追い払われ、統制不服従者がこれにとってかわって統制者になり得るものだ」
 さらに、将官にとっても「若い者の据えたお膳はだまって箸をつけるべきだ。へたに参謀の手綱を控えようとすれば、たいていは評判を悪くし、己の位置を失うことになる」といった雰囲気を生じさせ、軍統帥の本質上に大きな悪影響を及ぼしたのである。

 そして、五年後。今村と石原は攻守ところを変える。満州事変の「功」によって石原が陸軍参謀本部の作戦課長となり、今村は参謀本部の統制に服さなければならない関東軍の参謀副長の職にあった。参謀長は石原の盟友で中将となっていた板垣征四郎。今村と石原は少将である。
 石原は己の勢力下にあると思っていた関東軍の参謀たちが指示に従わず、勝手な行動ばかりするので、業を煮やして東京から新京に飛んで来た。第六章「予一個ノ責任」にもその情景を書いたが、板垣の官舎に集まった参謀連を前に、石原は自信に満ちた態度でこう言った。
 「諸官等の企図している内蒙工作は全然中央の意図に反する。幾度訓電しても、いいかげんな返事ばかりで、一向に中止しない。大臣総長両長官は、ことごとくこれを不満とし、よく中央の意思を徹底了解せしめよとのことで、私はやってきました」
 要するに独走するなということである。しかし、これは板垣の意図にそって、大佐の武藤章や中佐の田中隆吉が進めていた工作だった。
 聞いていた武藤が笑みを浮かべながら、石原に問い返す。
 「石原さん! それは上司の言いつけを伝える、表面だけの口上ですか、それともあなた自身の本心を、申しておられるのですか」
 それに対して石原は怒気を含んで言い放った。
 「君! 何を言うのだ。僕自身、内蒙工作には大反対だ。満州国の建設が、やっと緒につきかけているとき、内蒙などで、日ソ、日支間にごたごたを起こしてみたまえ、大変なことになるぐらいのことは、常識でもわからんことはありますまい」
 しかし、武藤はまったく怯まない。
 「本気でそう申されるとは驚きました。私はあなたが、満州事変で大活躍された時分、この席におられる、今村副長といっしょに、参謀本部の作戦課に勤務し、よくあなたの行動をみており、大いに感心したものです。そのあなたのされた行動を見習い、その通りを内蒙で、実行しているものです」
 この武藤の言葉に若き参謀たちは同意して哄笑した。石原は助けを求めるように板垣を見たが、板垣も黙っている。座は白けきってしまった。
 仮にも石原は「参謀総長殿下」の代理である。たまらず、今村が板垣に呼びかける形で引き取った。五年前の石原が武藤であり、自分はその石原に無礼な態度であしらわれたのだが、それにこだわる今村ではなかった。
 「参謀長! いかがでしょう。もう夕食の時間です。一応食事にし、殿下の御意図は、参謀長と私とが、軍司令官室でうけたまわることにし、今夜は懇談だけにいたしては…」
 その今村の言葉に板垣も、
 「そうだね。そうしよう。食事しながら話すほうが、堅苦しくなくていいかもしれん。諸君、食堂に移ろう」
 と応じた。
 翌日、石原は来た時とは別人のよな顔つきで悄然として帰途につく。
 そして、翌年夏、日中戦争が勃発した。
 石原は参謀本部作戦部長として不拡大方針を貫こうとするが、関東軍は従わない。それどころか、独自の対策意見書を出すことになり、その説明役に今村が選ばれて、東京に飛来した。
 そこで驚いたのだが、参謀本部で、石原の不拡大主義に同調しているのは、大佐の河辺虎四郎以下、一、二名だけだった。河辺は、満州事変勃発当時、今村の部下として誠心誠意補佐してくれた人である。石原と違って、最初から不拡大主義ということになるが、その河辺に今村は熱をこめて口説かれた。
 ・・・

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石原完爾 「 現在及将来ニ於ケル日本ノ国防」

2017年01月20日 | 国際・政治

 満州事変から満州国建国に至る前後の関東軍は、事実上、板垣征四郎と石原完爾の支配下にあったようです。ある人は、板垣征四郎と石原完爾に花谷正、片倉衷を加えた”四人組が関東軍を壟断(ロウダン)していた”と書いています。なかでも、石原完爾が、関東軍の、さらに言えば日本の、「満蒙構想」の思想的リーダーであったと言えるのではないかと思います。

 その石原完爾の「満蒙構想」の内容を知り、過去の戦争をふり返るために、彼の書いた「現在及将来ニ於ケル日本ノ国防」を読むことは、現在の日本の状況を考えると、とても意味あることではないかと思います。安部首相が、何年か前に「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」などと発言したことを、私は忘れることができません。

 下記は、その「現在及将来ニ於ケル日本ノ国防」のなかから、「四、現在ニ於ケル日本ノ国防」と「五、日本将来ノ国防」の部分を抜粋したものです。「太平洋戦争への道 開戦外交史 別巻 資料編」(朝日新聞社)から抜粋しました。


 石原完爾は、満州事変以前に、日米戦争を中心とする世界大戦を想定しています。そして、現実に太平洋戦争に至った事実を、私は見逃すことができません。また、彼の文章を読めば、関東軍による張作霖爆殺事件や柳条湖事件も当然のこととして理解できるように思います。この文章が書かれた三ヶ月余り後の関東軍参謀部による「情勢判断ニ関スル意見」には、「満蒙ノ情勢ト之カ積極的解決ノ必要」や、「好機会ノ偶発ヲ待ツハ不可ナリ機会ヲ自ラ作ルヲ要ス」とあることから、石原完爾の考え方に基づいて、関東軍が、「積極的解決」のために「謀略」によって、満州領有を実現しようとしたのだろうと思うのです。

 常に戦いに勝利して、国益を得ようとする軍部の独裁が、日本を存亡の危機に陥れることになったことを踏まえると、私は、外交官のみならず、政治家や軍人にも「周辺国の人々の考え方や思いを理解し、関係を深める方法について考えたり、平和構築の方法を学んだり、相互に議論したりする課題」が課せられるべきではないか、と思ったりします。 
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                第二章 満州事変
 事件前夜
           現在及将来ニ於ケル日本ノ国防(石原完爾 昭和六年四月)
一、世界ノ大勢 ・・・ 略
二、日本ノ使命及日本ノ武力 ・・・ 略
三、戦争ノ現在及将来 ・・・略 
四、現在ニ於ケル日本ノ国防
 世界大戦ノ襲来決シテ遠キ未来ノ事ニ非ス吾人ハ今ヨリ十分ナル準備ト覚悟ヲ要スルモ同時ニ現状ニ於テ其足下ニ注意ヲ要ス 而シテ現在ノ国防ト世界大戦トノ間ニハ決シテ無関係ノモノニ非スシテ現今ノ国防ニ関スル努力ハヤカテ世界大戦ノ一準備トナルヘシ
 然ラハ現在日本ハ如何ナル事情ノ下ニ戦争ノ避クヘカラサルニ至ル恐アリヤ 勿論支那現在ノ不安其原因タルヘシ
 我国情ハ殆ント行詰リ人口糧食其他ノ重要諸問題皆解決ノ途ナキカ如シ 唯一ノ途ハ、満蒙開発ノ断行ニアルハ輿論ノ認ムル所ナリ
 然ルニ満蒙問題ノ解決ニ対シテハ支那軍閥ハ極力妨害ヲ試ムルノミナラス列強ノ嫉視ヲ招クヲ覚悟セサルヘカラサルノミナラス国内ニモ亦之ヲ侵略的帝国主義トシテ反対スル一派アリ
 満蒙ハ漢民族ノ領土ニ非スシテ寧ロ其関係我国ト密接ナルモノアリ 民族自決ヲ口ニセントスルモノハ満蒙ハ満洲及蒙古人ノモノニシテ満洲蒙古人ハ漢民族ヨリモ寧ロ大和民族ニ近キコトヲ認メサルヘカラス 現在ノ住民ハ漢人種ヲ最大トスルモ其経済的関係亦支那本部ニ比シ我国ハ遙ニ密接ナリ
 之等歴史的及経済的関係ヲ度外スルモ日本ノ力ニ依リテ開発セラレタル満蒙ハ日本ノ勢力ニヨル治安維持ニ依リテノミ其急激ナル発達ヲ続クルヲ得ルナリ 若シ万一我勢力ニシテ減退スルコトアランカ目下ニ於ケル支那人唯一ノ安住地タル満洲亦支那本部ト撰フナキニ至ルヘシ而モ米英ノ前ニハ我外交ノ力ナキヲ観破セル支那人ハ今ヤ事毎ニ我国ノ施設ヲ妨害セントシツヽアリ 我国正当ナル既得権擁護ノ為且ツハ支那民衆ノ為遂ニ断乎タル処置ヲ強制セラルヽノ日アルコトヲ覚悟スヘク此決心ハ単ニ支那ノミナラス欧米諸国ヲ共ニ敵トスルモノト思ハサルヘカラス
 更ニ支那全体ヲ観察センカ永ク武力ヲ蔑視セル結果漢民族ヨリ到底真ノ武力ヲ編成シ難キ状況ニ於テ主権ノ確立ハ全然之ヲ望ム能ハス 彼等ノ止ムルヲ知ラサル連年ノ戦争ハ吾等ノ云フ戦争即チ武力ノ徹底セル運用ニ非スシテ消耗戦争ノ最モ極端ナル寧ロ一種ノ政争ニ過キサルノミ 我等ニ於テ政党ノ争ノ終熄ヲ予期シ得サル限リ支那ノ戦争亦決シテ止ムコトナキモノト云ハサルヘカラス
 斯クノ如キ軍閥学匪政商等一部人種ノ利益ノ為メニ支那民衆ハ連続セル戦乱ノ為メ塗炭ニ苦シミ良民亦遂ニ土匪ニ悪化スルニ至ラントス 四億ノ民ヲ此苦境ヨリ救ハント欲セハ他ノ列強カ進テ支那ノ治安ヲ維持スル外絶対ニ策ナシ 即チ国際管理カ某一国ノ支那領有ハ遂ニ来ラサルヘカラサル運命ナリ 単ナル利害問題ヲ超越シテ吾等ノ遂ニ決起セサルヘカラサル日必スシモ遠シト云フヘカラス
 此ノ如ク支那ヲ中心トスル戦争起ランカ単ニ我等カ支那人ヲ相手トセハヨク殲滅戦争ヨリ迅速ニ之ヲ屈スルヲ得ヘシト雖モ他ノ強国ノ妨害ヲ排除スル為メノ戦争ハ勿論消耗戦争ノ外ナシ
 殲滅戦争ニ於テハ迅速ニ事件ヲ解決シ以テ第三国ノ加入ヲ防止シヘキ外交モ比較的容易ニ成功シ得ヘシト雖戦争持久ニ亘ル消耗戦争ニ於テハ状況ニ依リ戦争範囲ノ拡大ヲ妨クルコト難ク遂ニ予期セサリシ多数ノ敵ヲ受クルニ至ルヘキハ Friedrich大王ノ戦争 Napoleonノ対英戦争及欧州大戦争ノ最モ明ニ示ス所ナリ

 故ニ吾人カ支那中心ノ戦争ヲ準備セント欲セハ東亜ニ加ハリ得ヘシ凡テノ武力ニ対スル覚悟ヲ要ス 勿論外交トシテハ多クノ味方ヲ作リ敵ノ数ヲ減少スルニ努力スヘキモ軍部ノ計画トシテハ此ノ如キコトヲ根拠トスルヲ許サス 即チ我国ノ国防計画ハ米露及英ニ対抗スルモノトセサルヘカラス 人往々此ノ如キコトヲ不可能トシ米又ハ露ヲ単独ニ撃破スヘキ等ト称スルモ之自己ニ有利ナル如キ仮想ノ下ニ立論スルモノニシテ危険甚シキモノト云フヘク絶対ニ排斥セサルヘカラサル議論ナリ若シ此ノ如キ戦争ヲ不可能ナリトセハ最初ヨリ絶対ニ戦ヲ避クルニ如カス
 (外交ハ日本ノ得意ニアラス コレ日本人ノ正シキ性格ノ為ナリ 日露講話ノ際日本外交ハ失敗ナリシナラン コレヲ責ムルモ可ナリ 然レトモ結局コレ我武力ノ不十分ナリシコトヲ吾人軍人ノ最モ留意スベキ所ナリ 日本ノ消耗戦争ハ目下ニ於ケル欧州強国ノソレト異ル)

 日露戦争ハ Moltke元帥時代ノ思想ニヨリ
「主作戦ヲ満洲ニ導キ敵ノ主力ヲ求メテ遠ク之ヲ北方ニ撃攘シ艦隊ハ進ンテ敵ノ太平洋艦隊ヲ攻撃シ以テ極東ノ制海権ヲ獲得スルニ在リ…」ナル作戦方針ノ下ニ行ハレタルモノナリ 然ルニ日露戦争ハ Moltke元帥ノ対墺対仏戦争ノ如ク殲滅戦争タラシメ得ルコト不可能ニシテ如何ニ武力カ精鋭ナルモ結局消耗戦争ノ準備ヲ要スルモノナリキ即チ Friedrich大王ノ所謂「遠大ナル戦役諸計画(die weitausgehenden Feldzugplane)ヲ要セシモノナリ 軍事的ニハ攻勢ノ終末点ニ関スル見解ヲ明ニスルト共ニ戦争計画トシテ財政其他ニ関シ遠大ナル計画ヲ必要トセルモノナリ(即チ「戦争計画」)幸ヒ戦争ハ露国内部ノ不安我軍事当局及政治家ノ全般ヲ見ルノ達観力及英米ノ財政的援助等ニヨリ大勝利ニ帰セシト雖若シ露国ニシテ断乎タル決意ヲ有セシナラハ真ニ寒心ニ堪ヘサルモノアリシト云フヘシ
 日露戦争後軍事界ニ於テハ攻勢終末点ノ研究等相当重要視セラレタリ 然レ共日露戦争ノ僥倖的成功ト吾国情ノ戦争持久ニ不利ナル為且ツハ欧州軍事界ノ趨勢ニ盲従スルノ結果我国軍ハ益々速戦速決主義ニ重キヲ置ケリ欧州大戦初期ニ於テスラ我軍事界ニ於テハ欧州ニ於ケル陣地戦ハ欧州人ノ勇気足ラサル結果ナリト判断ヲ下シ益々猛烈ナル作戦ヲ称揚セリ 然ルニ大戦ノ末期ヨリ初メテ戦争持久ノ止ムナキヲ判断シ国家総動員其他之ニ関スル議論施設逐次其発展ヲ見ルニ至レリ 欧州大戦ニ於ケル消耗戦争ハ防禦威力ノ至大ト兵力ノ関係上正面突破ノ止ムナキニ至リシニヨレリ 我国ハ対支戦争以外依然消耗戦争外ナキハ勿論ナルモ其原因ハ欧州ニ於ケル目下ノ消耗戦争ト全ク相異ナリ Napoleon ノ対英対露戦争ノ如ク作戦地域ノ関係ヨリ来レルモノナリ 日露戦争ノ経験ニ依レハ当時ノ兵力ハ両翼ヲ障碍ニ托スルニ至ラサリシモ土地貧弱其他ノ関係上作戦ハ概シテ正面突破ニシテ結局欧州大戦ニ於ケルト同様作戦的決戦亦行ハレス大局ヨリ見タル消耗戦争ノ止ムナキ外作戦的ニモ亦欧州大戦ガ消耗戦争トナル先駆ヲナシタルモノナリ

 吾人ノ用兵述ハ其後益々研究精煉セラレタリ 若シ満洲ノ地ニ敵ト相見ユル如キコトアラハ必スヤ Tannnennbrg ニマサル殲滅戦争ニ依リ迅速ナル軍事的決勝ヲ収メサルヘカラス我等ノ消耗戦争ハ其後猶敵カ屈服セサル場合或地域ヲ領有シテ戦争ノ持久ヲ計ルモノナリ 
 即チ我等ノ予期セサルヘカラサル消耗戦争ハ仏国等カ目下準備シアル戦争トハ其本質ニ於テ大ナル差異ヲ有シ(若シ万一北満平野ニ於テ大ナル敵武力ト相対峙スルカ如キ状況ヲ生セハ仏国式総動員ニ学フヘキコト多カルヘシ)寧ロ之ヲ Napoleon ノ対英戦争ニ比較スルヲ至当トス 徒ラニ欧州直輸入ノ思想ニトラハレ日露戦争前後ニ於ケルト同シク誤レル基礎ノ下ニ戦争準備ヲナスカ如キハ厳ニ戒メサルヘカラス 将来ノ戦争ハ必スシモ日露戦争ノ如ク僥倖ヲ予期スヘカラサルナリ
 戦争ノ場合幾河ノ地域ヲ領有スルヲ要スルヤハ戦争ノ目的外交上ノ関係及持久ノ為物資等ノ関係ヲ顧慮シテ決定セサルヘカラス
 若シ満蒙ノ関係ヨリ戦争ニ入リタルモノトセハ更ニ支那本部ヲ占領スヘキヤ否ヤハ重大ナル問題ナリ 何レニセヨ満蒙ヲ領有セサルヘカラサル絶対的ナルノミナラス同地方ハ我平時勢力ノ関係上戦時速ニ其占領ヲ確保シ其行政ヲ適切ナラシムルニ便ナリ 平時ヨリ之等ニ関シテハ特ニ綿密ナル準備ヲナスヲ要スルハ勿論果シテ満蒙ノミヲ領有シ如何ナル事情ノ下ニ戦争ノ持久ヲナシ得ルヤニ就テ断案ヲ有セサルヘカラス 外交其他ノ関係上遂ニ支那本部ヲ領有スルニ決セハ之ニ対スル処置ハ更ニ更ニ雄大適切ナルヲ要ス 各方面ヨリ之ニ対スル研究準備ハ実ニ吾等目下ノ最大業務ト言ハサルヘカラス 而シテ之カ為メニモ先ツ行ハルヘキ満蒙ノ経営カ至大ナル関係ヲ有スルコトニ注意ヲ要ス
 而シテ此持久戦争ニ於テ最モ大ナル関係ヲ有スルモノハカノ厖大ナル地域ノ治安維持ノ外我本土及占領地ノ経済トス 即チ戦争ニヨル各交通路ノ遮断ニヨリ果シテ我国民及占領地住民ハ大ナル生活ノ脅威ヲ受ケスヨク我力ニヨリ其安寧ヲ維持シ得サルヘカラス 此ノ如キ大問題ハ勿論政府当局及学者等協同シ平時ヨリ充分研究準備ヲ要スルモノニシテ要ハ
 太平洋交通
 印度洋交通
 露西亜トノ交通
 支那トノ交通
 中若干若苦は全部遮断セラレタル各種ノ場合ニ於テ経済状態ハ如何ナル状態ヲ呈スヘキヤ 之ニ対シ如何ニ施設スルカ尤モ合理的ナルヤヲ考ヘ且ツ各場合交互ニ転化スル場合ヲモ考察シ之ニヨリ遂ニ平時ヨリ改革ヲ要スル緊要欠クヘカラサル要件ハ万難ヲ排シテ速ニ断行ヲ期セサルヘカラス
 戦争ト共ニ年ニ九億円ノ輸出ヲナシアル生糸ノ輸出杜絶セハ既ニ日本ハ戦争ヲナス能ワストハ米国人ノ考フル所ナリ 其他幾多ノ困難群リ来ルヘシ 巧ニ此ノ困難ヲ排除スルハ真ニ大事業中ノ大事業ナリ 若シアラユル方法ヲ研究シ遂ニ戦争持久ノ望ミナキモノトセハ遺憾ナカラ日本ハ遂ニ白人種ノ横暴ニ対シ正義ヲ守ル能ハサルナリ 然レトモ吾人決シテ此ノ如カルヘシト信セサルナリ 一日モ速ニ国家ノ力ヲ挙ケテ此ノ計画ヲ確立セサルヘカラス 欧米ノ先進国ニ対シ商工業立国ノ至難ナル状況ニ在ル日本却テ此封鎖ニ依リ Napoleon カ英国ノ進歩セル産業ニ対セル商業ニ如ク奮闘ヲ続ケ遂ニ Napoleon ノ達セサリシ大目的ヲ達成シ得ヘキヲ信スルモノナリ
 持久戦争ニ於テ重要ナルハ財政ナリ Friedrich大王ノ戦争Napoleon ノ対英戦争カ如何ニ彼等ノ財政ニ至大ノ力ヲ用ヒ且其天才ヲ発揮セルヤヲ見ルヘシ 若シ貧弱ナル我国カ百万ノ新式軍隊ヲ出征セシメ莫大ノ軍需品ヲ補給スルモノトセハ年ニ費ス所幾何ソ 忽チ破産ノ運命ヲ免ルヽ能ハサルヘシ
 我等ノ戦争ハNapoleon ノ為シタルカ如ク戦争ニヨリ戦争ヲ養フヲ本旨トセサルヘカラス 即チ占領地ノ微税物資兵器ニヨリ出征軍ハ自活スルヲ要ス 支那軍閥ヲ掃蕩シ土匪ヲ一掃シテ其治安ヲ維持セハ我精鋭ニシテ廉潔ナル軍隊ハ忽チ土民ノ信服ヲ得テ優ニ以上ノ目的ヲ達スルヲ得ヘシ
 前記我国民及占領地住民ノ生活ニ関スル経済ハ政府当局ノ準備ヲ主トスヘキモ此出征軍ノ自活的ノ給養ニ関スル事項ハ占領地行政ノ最モ重大ナル事件トシテ軍部ハ特ニ平時ノ調査研究ヲ十分ナシ占領地カ果シテ幾何ノ軍隊ヲ養ヒ得ヘキカ其ノ治安維持ニハ幾何ヲ要スヘキヤ等ニツキ具体的成案ヲ要スルハ勿論ナリ此持久戦争ニ於テ必要トスル陸上武力次ノ如シ
(一)占領地治安維持ノ兵力
(二)外敵ノ来襲ニ対スル兵力
 (イ)満蒙ニ来ルヘキ露国ノ兵力ニ対スルモノ
 (ロ)制海権ヲ失ヒタル時支那ニ上陸スヘキ兵力ニ対スルモノ
 (ハ)万一ノ場合本土ヲ守備スヘキモノ
(三)ヒリツピン香港等奪取ニ要スル兵力
 海上武力ハ持久戦争ノ為メ最モ必要ニシテナルヘク広ク制海権ヲ掌握スルコト極メテ大切ナリ 然レトモ殲滅戦略ヲ行ヒ能ハサル我国ニ於テハ一部論者ノ云フ如ク海軍武力ヲ絶対トシ次テ陸上兵力ヲ整備スヘシトノ論ハ正当ナラス戦争持久ノ為制海権ノ範囲及大陸占領地ノ必要ヲ考ヘ公平ニ両兵力ノ比率ヲ定メサルヘカラス
 (陸上武力ノ中心タル兵力ハ戦争持久ノ目的ヨリシテ極メテ本国ノ経済ニ不利来ササルコトヲ考ヘ動員ノ如キハ目下ノ如キ劃一主義ヨリ蝉脱シ先ツ志願ヲ中心トスル主義ヲ可トスヘシ ”但シヒリツピン占領又ハ北満ヲ領有等ノ場合ノ為メニハ在来ノ動員ニヨル”)

 而シテ万一海戦不利ニシテ大陸トノ交通危殆に陥ル時ト雖内国及出征軍ハ各別ニ自治シ断乎トシテ戦争ヲ継続スルノ覚悟ヲ要ス 自彊将命ヲトナヘナカラ艦隊ノ敗北制海権ノ喪失ヲ以テ全戦争ノ敗北トナスカ如キハ許スヘカラサル迷想ト云ハサルヘカラス

 欧州大戦前ノ如キ状況ニアリテハ上記ノ如キ戦争ハ至難中ノ至難ナリシコト勿論ナリ 即チ露国カ百万ノ精兵ニ対シ満洲ニ於いテ対戦スル為我国ハ全力ヲ尽ササルヘカラス 而シテ此大軍ハ到底戦地ニ於テ自活スヘクモアラス 此間海ニ於テ米英ヲ敵トセンカ戦争ノ決忽チ定マルモノト言フヘシ 然ルニ今ヤ露国ハ北満洲ヨリ退キ万一ノ場合我ハ之ニ先チテ同地方ヲ領有スルコト困難ナラサルヘク北満ヲ失ヘル露国カ興安嶺西方ノ砂漠ヲ越ヘ又ハ遠ク沿海州ヲ迂回シテ大兵ヲ進ムルハ甚タ困難ナルノミナラス露国内外ノ事情亦恐ラク戦争ニ十分ノ力ヲ用フル能ハサルヘシ 此ノ如キ事情ノ下ニ上記ノ如キ大戦争ハ決シテ無謀ナラサルヲ信ス
 但シ此戦争ノ為メニハ各方面広汎ナル大準備計画ヲ要スルコト前述セルカ如シ 而シテ此ノ如キ消耗戦争ハ武力ノミヲ以テ解決シ難ク政戦略ノ関係尤モ緊密ナルヲ要ス 即チ軍人ハヨク政治ノ大綱ヲ知リ政治家ハ亦軍事ノ大勢ニ通セサルヘカラス 英国ノ如キ国防大学ノ設立目下ノ一大急務ナリ
 特ニ最モ重大ナルハ国民思想ノ統一ニ在リ又国民ヲシテ支那ノ事情ヲ理解セシメ「対支絶対不干渉」ノ如キニヨリ支那カ決シテ統一スヘキモノニ非ス 徒ニ可憐ナル支那四億ノ民衆ヲシテ一部職業政治家ノ喰物トナリ遂ニ収拾スヘカラサルニ至ルヘキヲ了解セシメサルヘカラス

 今ヤ西洋思想甚シク国民ノ間ニ侵入シ「マルクス」主義ハ殆ント若キ人々ヲ征服セントセルカ如キ形勢ナリ 而モ半面日本民族固有ノ精神ハ深ク民族ノ心底ニ潜在シ又一部真ニ日本国体ノ大精神ニ目醒メツツアリ
 日本国体ノ大精神ヲ了解セシムルハ目下国家最大ノ大事業ナリ 而モ国民ヲシテ徹底的ニ此処ニ至ラシムルハ頗ル難事ナリ 余ハ形勢黙々ノ裡ニ切迫シツヽアル支那問題ヲ中心トスル我国ノ消耗戦争ハ此ノ大事業ヲ完成セサルニ先チテ勃発スルニ非サルヤヲ懼ルヽモノナリ 然レ共又一方考フレハ此戦争ハ遂ニ国民ノ奮起ヲ促シ為メニ全国民ノ自覚思想ノ統一ヲ来スヘキニハ非サルカ即チ近ク来ルヘキ消耗戦争ニヨリ日本ハ先ス国民的ニ日本国体ノ大精神ニ統一セシメ且ツ戦争ニヨリ我商工業ニ十分ナル根底ヲ養ヒ戦争ニヨリ却国家経済ノ急劇ナル進歩ヲ来シ以テ来ルヘキ殲滅戦争タル世界大戦所謂「前代未聞ノ大闘争」ヲ準備シ此最後的大決戦的戦争ニヨリ遂ニ世界ノ強敵ヲ屈伏シテ日本国体ノ大精神ヲ世界ノ全人類ニ徹底セシメ日本天皇ヲ中心トスル大平和ノ時代ニ入ルモノナルヲ確信シテ疑ハサルモノナリ
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五、日本将来ノ国防
 吾等ノ最大目標タル世界戦争カ刻々切迫シツツアルコトハ再三論シタル所ナリ 之ニ対スル根本的準備ノ重要ナルコト論ヲ俟タス 今之ニ関スル二、三ノ着意ヲ述ヘン
(一)最モ重要ナル攻撃兵器殊ニ飛行機ノ研究ニ全力ヲ傾注スルコト
 徒ラニ飛行機数ヲ云々スルヨリモ寧ロ目下ハ根本的設備ニ力ヲ用フヘク又目下ノ状況上徒ラニ民間営利事業ヲ奨励スルヨリモ官業能力ノ主力ヲ之ニ用フルヲ有利トスヘシ
(二)次ニ防禦能力増進ノ為メニハ
 (イ) 国民ニ自覚ヲ与フルコト最モ緊要ナリ 即チ国民全体トシテ強固ナル意志ナクンハ到底将来戦ノ惨状ニ堪ヘ難キナリ
 (ロ) 団体的訓練ノ必要
  敵機ノ襲来ニ当リ爆撃瓦斯攻撃等ニ対シ甚タ必要ナルニ関セス我国民ノ欠点ナルヲ以テ殊ニ力ヲ用フルヲ要ス
 (ハ) 木材耐火ノ研究 
 世人動モスレハ木造家屋ノ不利ヲ説ク 然レトモ余ハ之ニ同スル能ハス 将来ノ爆撃ニ対シテハ煉瓦コンクリート石造等ハ却ツテ惨害大ナルニ非スヤ 数十層ノ大建築カ爆撃セラルヽ状況ヲ想像セハ直ニ之ヲ了解スルヲ得ヘシ 「バビロン」ノ滅亡「カルタゴ」ノ最後モ到底将来戦ノ惨状ニ比スヘクモアラサルナリ 之ニ対シ日本ノ如ク文明的設備分散シ且ツ木造建築大部分ヲ占ムルハ却ツテ損害大ナラサルヘク唯木材ノ耐火ニ就キテハ十分ノ研究払ハサルヘカラス 之単ニ国防上ノミナラス国家経済上極メテ有意義ナリ
 貧乏ナル日本国民カ徒ラニ都市ノ外見ノミヲ飾リ之ニ巨万ノ資ヲ投シ浅薄極マル洋式建築ヲナスハ一考ヲ要ス 宜シク当分「バラック」式ニ満足シ木材ノ耐火ヲ完成シ防火区域ニヨリ耐火熱度ヲ制定スヘク有ルカ無キカ不明ナル戦争ヲ基準トシテ復興計画ヲ立ツル能ハストハ屢々耳ニスル議論ナルモ然ラハ反問セン有ルカ無キカ不明ナル地震ニ対シ徒ラニ顧慮スルハ如何ト 地震ハ百年ニ一回トセハ次ノ大戦争ハ到底万年ヲ待ツ能ハサルナリ
  最後ニ一言スヘキコトハ軍事当局トシテ特ニ重大ナルハ此重大ナル変転期ニ於テ適時其国防機関ノ大変革ヲ行ヒ得ヘキ準備ニツキ常ニ欠クル所ナキヲ要スヘク之カ根本ハ将校ノ精神的準備ニアル点ニアリ

 

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