朝鮮の南北分断を意図したアメリカは、ソ連ブロック6カ国が欠席する国連小総会で、「・・・臨時朝鮮委員会が立ち入りうる部分で選挙を実施すべきである」というようなアメリカ決議案を強引に通し、南朝鮮における単独選挙実施を主導しました。その決議案は、ソ連と北朝鮮人民委員会の拒絶を前提にしていたといいます。
だから、カナダやオーストラリアは、アメリカ決議案に反対したようです。
文京洙教授によると、その反対理由の一つは、南朝鮮の政治的状況が、権力による思想の弾圧、あるいは警察や右翼団体による政敵の暗殺や公然たる殺害などにみられるように、きわめて非民主的であるということでした。また、もう一つの理由は、南朝鮮単独選挙実施は、南北分断の現状をさらに悪化させ、制度化させてしまうということでした。
さらに、カナダ代表は、「単独選挙が朝鮮の統一を阻害するものであれば、国連の臨時朝鮮委員会には、選挙を強行する権利はない」(「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健)と主張したともいいます。国連小総会で、カナダ代表の主張が尊重されなかったアメリカ決議案の承認は、アメリカの圧力の結果でしょうが、それは、南朝鮮の状況や朝鮮の人たちの主権を無視した不当なものであったように思います。
でも、アメリカは、「選挙の施行が朝鮮の恒久的分割を意味するのではなく、真の自由選挙によって選出されたもののみが朝鮮人民の真の代表である」などと欺瞞的な主張をくり返し、投票を呼びかけて、1948年5月10日、南朝鮮単独選挙強行したのです。その結果が、朝鮮の恒久的分割につながったという事実を見逃してはならないと思います。
そして、その南朝鮮単独選挙は、左派と民族主義右派のボイコットのなかで実施され、李承晩率いる大韓独立促成会56、韓国民主党29、大同青年団13,民族青年団6、民族統一党その他少数政党10、無所属83という結果だったといいます。その後、無所属議員が漸次、非公式にいずれかの党に加入したので、最終的には、大韓独立促成会65、韓国民主党84、大同青年団32、その他無所属少数派17ということになったといいます。
大事なことは、左派と民族主義右派がボイコットするのなかで実施された選挙であったにもかかわらず、李承晩率いる大韓独立促成会は十分な支持を得られず、国会が、駐韓米軍撤退や反民族行為特別調査委員会(反民特委)による親日派の断罪を求め、さらに統一問題などでも、李承晩と鋭く対立することになったことです。
アメリカ軍政庁の方針によって、新政府の行政や法曹、警察などに、日本の植民地時代の下級官吏7万人余りが再登用され、政府の要職には、反民特委の告発対象である高級官僚30人余りが含まれていたということなので、李承晩政権と国会の対立は、当然のことであったろうと思います。
見逃せないことは、国会と対立し、追い詰められた李承晩が、”反民族行為特別調査委員会(反民特委)のなかにアカがいる”などと主張して、ソウル市警に反民特委を襲撃させたり、事件をでっち上げたりして、政敵追い落しをくり返したということです。また、韓国独立党党首の金九暗殺事件も、李承晩の指図によるものであったとされているということです。
さらに、李承晩は、日本の「治安維持法」にあたる「国家保安法」を制定し、反共の名の下に、政敵を合法的に追い落とす制度も整えました。だから、南朝鮮の人たちの多くは、日本による植民地支配が、アメリカによる植民地支配に変った、と受け止めていたといいます。
李承晩と右派勢力、および選挙に当選した国会議員たちは、国連の臨時朝鮮委員会が、まだ認定していないにもかかわらず、「議員」として「国会」を設置し、「憲法」を制定したうえ、李承晩を大統領に選出するという既成事実をつくったこと、そしてアメリカ政府が、これを「国会」として認め、そこから生まれた「政府」だから、第二回国連総会決議文が要求した「全朝鮮の国民政府」であると主張し、これを「承認する」と宣言したことなども、重大な問題だったと思います。
だから、李承晩と手を結んだアメリカの韓国支配が、いかに朝鮮の人たちの思いを踏みにじるものであったかがわかると思います。
そうしたことを踏まえて、朝鮮戦争をふり返れば、北朝鮮軍の約十万の大部隊が、窮地に陥った際、国連軍部隊の眼前から消え去ってしまった、ということに関する「日本の黒い霧」松本清張(文春文庫)の、下記の指摘が、間違っていないことがよくわかると思います。
”このようなことは土地の住民の北朝鮮軍に対する好意がなくては出来ないのだ。好意とは、即ち、北朝鮮軍兵士が信念として持っている革命への共感であり、同情である。十万の兵士がさしたる損害も受けずに、無事に北朝鮮へ向かって「集合」したのは、一に南朝鮮住民の支持があったからである。それは李承晩政権への反感と云うよりも、同胞を殺しに来るアメリカ軍への憎悪からであったに違いない。”
だから私は、アメリカ軍が、日本や韓国に基地を置き、戦時ではないのに撤退しないのは不当だと思うのです。
日本では、アメリカは最高裁判所長官や外務大臣に働きかけ、日本の司法に介入して、伊達判決を覆し、永続的な軍の駐留を可能にしました。
そうしたことが、韓国や日本における米軍の駐留が、韓国や日本を守るためではなく、実は、アメリカの覇権と利益の維持・拡大のためであることを示していると思います。
今アメリカは、台湾に大量の武器を売り込みつつ、政府や軍の要人が、蔡英総統と接触をくり返しているようですが、危険な徴候だと思います。
再び、何らかの謀略に基づく、軍事的衝突が起きるのではないか、と私は心配です。ロシアや中国を敵視するアメリカのプロパガンダに踊らされて、日本の自衛隊員が中国と戦火を交え、命を落とすようなことにならないように、客観的事実や真実の報道を願うばかりです。
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謀略朝鮮戦争
7
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国連軍の猛攻によってソウルも遂に落ちた。一方、国連軍の仁川上陸によって洛東江戦線から北朝鮮軍は一斉に大退却を開始した。米韓軍が南方からこれを追い、その先鋒第八軍の第一騎兵師団は、これと呼応して仁川・ソウル地区から南下した第十軍団と水原付近で連絡が成り、ここに南部方面の北朝鮮軍を挟撃する形勢となった。
それでは、南北の国連軍に挟まれた大部隊の北朝鮮軍は捕捉され、殲滅できたのであろうか。決してそうではなかった。それは米軍の眼前から煙のように消え去ってしまったのである。
「南部戦線の北朝鮮軍がどうして国連軍の追撃から免れたのかは、戦局の一つの謎である。彼らは煙のように消え失せたようだ。彼らは殆ど一夜にして姿を消しはじめ、米軍探索機も道路上における北朝鮮軍大部隊の移動をまだ発見していない。また、北朝鮮軍が大部隊を北部戦線に送っている動きもない。大きな問題は、「装備を付けたこれらの北朝鮮軍がどうしたかということでる」(AP・ホワイトヘッド記者)
「米軍情報将校は、30日夜、北朝鮮軍はどこに居るか、という非常な難問題に対する解答を見出そうと躍起になっている。ここ4日間、北朝鮮軍の大部分約十万は、少なくとも国連軍部隊の眼前から消え去ってしまった」(ロイター・バレンタイン記者)
十万の大軍が敵前で掻き消えた──これまでの戦史にも無いことである。が、この謎の解答は、実はこういうことだった。
十万という兵は撤退というより解体に近かった。例えば、歩兵部隊は、1ヶ月先とか40日先とかの非常に長期に亙る集合日時と集合地点を指示される。小銃その他の小火器は全身に厚くグリースが塗られ、それぞれの工夫で隠され埋められる。その場所についても、埋めた者自身か、せいぜい、彼のほかには彼が最も信頼する市民一人かが知っているだけである。その市民は、のちにこれをパルチザン闘争に使うことができよう。こうして武装を解いた兵士たちは、それぞれ、彼等特有の驚くべき耐久力と不屈の意志を持って、山から山へ、集合地点に向かい、不眠不休、飲まず食わずの彷徨をはじめるのである。まさしくこれは撤退よりも解体に近い。しかも、それが解体に至らなかったところに資本主義国の軍隊との相違がある。辿り着けなかった者は、行き着いた山でゲリラとなったであろう。行軍半ばにして仆れた者もあったろう。いずれにせよ、このような様相の撤退は、住民の完全な精神的支持と、兵士各自の頑強な政治意識の二つがあって、はめて可能なことである。
また、歩兵部隊のような消滅と異なり、重砲兵や重戦車の撤退はいかにしておこなわれたか、それは未だ謎である。ただ一つ明らかなことは、米軍が遂にこれを捕捉できなかったという事実だけである。(前掲『アメリカ破れたり』)
兵隊は民家に飛び込み、そこで軍服を脱ぎ、白衣に着替える。こうすると、付近の住民と全く変わらないことになる。そして、彼らは白衣のまま、いわゆる便衣隊となって、山野の北へ北へと向かって走りつづけたであろう。いずれにしても、このようなことは土地の住民の北朝鮮軍に対する好意がなくては出来ないのだ。好意とは、即ち、北朝鮮軍兵士が信念として持っている革命への共感であり、同情である。十万の兵士がさしたる損害も受けずに、無事に北朝鮮へ向かって「集合」したのは、一に南朝鮮住民の支持があったからである。それは李承晩政権への反感と云うよりも、同胞を殺しに来るアメリカ軍への憎悪からであったに違いない。