真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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国際社会を欺瞞する政治、いつまで

2024年07月20日 | 国際・政治

 718日朝日新聞は「オピニオン&フォーラム」という欄に、政治学者の境家史郎(サカイヤシロウ)東京大学教授に対するインタビュー記事を掲載しました。”55年体制」の行方”と題されていました。そのなかに、「非常に逆説的ですが、支持率が低く、人気のない政権であっても、あれだけのことが出来てしまうことは、首相、あるいは政権与党中枢へ権力がいかに集まっているかを示しているともいえるでしょう」という指摘がありました。そして、「長期的には、憲法改正問題が政党間の大きな争点であり続けていることをどうするかが、日本の政治にとって大きな課題ではないでしょうか。改憲発議を阻止するには国会議席の三分の一超を占めれば足りるわけですが、このことが過半数を取れない野党にある種の満足感を与えていて、現状維持的な路線を採らせ、結果として政権交代を遠ざけています。『ネオ55年体制』を本当に終わらせるためには、避けて通れない課題だと私は思います」とありました。

 私は、日本の政治課題に関し、敢えて、的を外したことを言っているのではないかと思いました。なぜ、”政権与党中枢へ権力が集まっているのか”を明らかにすることが大事であり、その権力集中を何とかしないと、憲法改正問題がどうなろうと、日本が大きく変わり、民主的な国になることはないと思いました。

 そして、現在の日本の重要問題は、日米関係であり、「日本国憲法」の上にあると言われる、「日米安保条約」や「日米地位協定」を放置せず、日本を利するものにすることだと思います。そこに踏み込まなければ、日本が大きく変わることはないと思うのです。

 1994年、社会党は「55年体制」で対決してきた自民党と連立を組み、村山富市委員長が首相に就任しました。でもその時、村山氏は「自衛隊は合憲」とし「非武装中立は政治的役割を終えた」と表明して、社会党の基本政策を大転換しました。なぜでしょうか。

 また、立憲民主党政権は、自民党時代の日米密約の問題の調査に取組みましたが、事実を明らかにしただけで、現実的な日米関係の見直しや、沖縄の在日米軍基地問題については、何も踏み込んだ政策に結びつけることができませんでした。なぜでしょうか。

 私は、そうしたことが、「日米安保条約」や「日米地位協定」が、現実に、「日本国憲法」の上にあることを示しているように思います。

 

 現在、岸田政権が進めている中ロを敵視する日米や近隣諸国との関係強化の政治は、日本の外交はもちろん、国内政治の大枠を決定し、日本人が日本の針路を自由に決められない状況をつくりだしていくように思います。

 先だって、国の指示権を拡大する改正地方自治法が成立しましたが、国だけではなく、地方も独自の政策決定ができない状況に陥る可能性があると思います。とくに有事の場合は、地方の自治権はなくなるように思います。すべて「アメリカまかせ」になるような気がします。

 したがって、日本のことは日本人自身が決める、あるいは、自分のことは自分が決めるという、民主主義の大原則に立ち返り、軍事同盟や特定の国を敵視するような対外関係を解消していくことが、日本の課題であると思います。そして、それが、政治に対する日本人の関心を高め、日本人の政治的主体性を復活させることにつながると思います。

 現状を追認すると、日本が独自の外交や政策決定ができず、日本人の政治に対する関心は薄れ、民主主義が意味を持たなくなると思います。

 また、メディアが西側諸国を主導するアメリカの戦略に追随するような報道しかしなければ、政権が変わる可能性は少なく、たとえ政権が変ったとしても、その政策に大きな変化は期待できないと思います。

 現在国際社会は、アメリカを中心とする西側諸国とブリックス(BRICS)や上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization、略称: SCO)に結集する国に分かれつつあるように思いますが、それは、大雑把に言えば、かつて植民地支配をした国々(欧米)と支配された国々および社会主義革命を経験した国々に分かれつつあるということだと思います。

 

 下記抜粋文で、ケニアにおいてイギリスが何をしたのか、また、ケニアの人たちの思いがその後どのような政治活動につながっていったのかを知ることができるように思います。私は、下記のような記述を見逃すことが出来ません。

若者層の怒りは、ケニアの現代史において常に極めて決定的な意味をもってきた。その典型的な例として、1950年代末、英国が白人入植事業で、ケニアの最も肥沃な土地が集中するケニア山周辺の地域をギクユ人から奪ったことに抗議した、英国当局がマウマウと呼んだ蜂起(ないし戦争)がある。

 ギクユ人は、ケニア中央部に住むバントゥー系農耕民だといいます。その農耕民から、ケニアに入り込んだイギリス人が土地を奪ったから、彼らは「ケニア土地自由軍」を組織し蜂起しました。でも、ギクユ人の蜂起は、イギリス植民地当局の圧倒的な軍事力で潰されてしまったのです。そうした歴史が現在につながっていることを忘れてはならないと思います。

 アメリカを中心とする西側諸国が、国際社会に素晴らしい文化・文明をもたらしたことは誰も否定できないと思いますが、それを支えたのが、現在の法や道義・道徳に反する植民地支配新植民地支配であったこと、そして、そうした搾取・収奪に基づく他国支配が、もはやできない状況に変わっていることは、アメリカを中心とする西側諸国が発展させた、文化・文明、法や道義・道徳が示していると思います。

 今もなお、ケニアにおけるイギリスのような振る舞いが、西側諸国によって、国際社会を欺瞞するかたちで続けられているために、著しい経済格差が生まれ、国際社会が対立を深めているのだと思います。イスラエルによるパレスチナにおける蛮行が、許されないことは、西側諸国が発展させた法や道義・道徳が示していると思います。

 岸田首相は先だって、アメリカのワシントンで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で演説し、NATO加盟国がインド太平洋への関心と関与を高めていることを歓迎したといいます。どのように中国やロシアと関係を改善し、平和的に共存するかという視点を欠落した法や道義・道徳に反する演説だと思います。

 下記は、「新・現在アフリカ入門 人々が変える大陸」勝俣誠(岩波新書)から「第二章 民主化20」の 「4  ケニアの民主化と暴力の系譜」 の一部を抜萃しました。

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                    第二章 民主化の20

                 4  ケニアの民主化と暴力の系譜

 

 マウマウ戦争の現代的意味

 若者層の怒りは、ケニアの現代史において常に極めて決定的な意味をもってきた。その典型的な例として、1950年代末、英国が白人入植事業で、ケニアの最も肥沃な土地が集中するケニア山周辺の地域をギクユ人から奪ったことに抗議した、英国当局がマウマウと呼んだ蜂起(ないし戦争)がある。マウマウの語源は諸説あるが、ケニア人はケニア土地自由軍と呼び、その戦いはケニア人なら誰でも知っている出来事である。

 白人入植者に土地を奪われたギクユ人、とりわけ土地へのアクセスがほとんどなくなってしまったギクユ人の若者にとって、それは何よりも将来への絶望につながった。土地を持ち、結婚し、親孝行をするという男子のメンツが、この植民地政策下では実現不可能になったのだ。

 彼らの武装蜂起は一時広がりを見せ、英国民植民地当局は、村落の空爆、マウマウの活動地域での強制移動、拷問など、その後のアルジェリアやベトナムでの民族自決運動抑圧のお手本となるような過酷な措置に出た。結果、この蜂起は、植民地当局の圧倒的な軍事作戦で潰されてしまう。

 1956年の英国植民地当局の発表によれば、マウマウの戦死者は約1万人、ヨーロッパ人95人、さらに2000人近いアフリカ人やインド系などのアジアの死者が出たとされた。しかしマウマウ戦争を検証した歴史家キャロリン・エルキンズは、アフリカ人側の犠牲者は実際は数十万人に上ると示唆している。 

 これを機に、ケニア社会には世代間対立の種が蒔かれていった。すなわちマウマウ蜂起が鎮圧され、ケニアが63年に英国植民地から独立して行くプロセスの中で戦って、結局報われなかった若者と、英国の植民地総局と妥協することによって、自らの地位を維持・拡大していった新興政治エリートとの間の亀裂である。この亀裂は、今日のケニアの政権の性格を規定する重要な要因であろう。

 

 盗まれ続ける若者の革命

 他の多くのアフリカ諸国のポスト独立期と同様、ケニアのポスト独立期も、独立期の権力のとり方によってその方向が決められたと言っても過言ではない。

 独立時に「英雄」として登場した穏健派のケニア政府ケニヤッタ政権は、マウマウ戦争の犠牲者の名誉回復を葬り去ろうとした。それを受け継いだモイ政権時代。マウマウの復権を一応はかりながらも、同じ民族集団の貧困層からは必ずしも支持されなかったキバキ政権……。これらすべてが、独立以降の国富の処分と私物化に膨大な権力を行使できる政治エリートという特権層と、選挙のたびに期待を裏切られた若年層との溝を深めたと言っても過言ではないであろう。

 マウマウ蜂起に参加した人々が要求した土地は、独立後、政治エリート主導でほぼ私物化され、命を落とした戦士はほとんど得ることがなかった。この現実は、2007年の「ポスト選挙暴動」後、ライバル同士が権力を分ち合う政権を発足させ、政治エリートは一応利害を調整したが、より公正な選挙で、よりましなケニア社会を求めた若者は、相変わらず貧しいという現実と重なり合う。

 ケニア地域を専門とする人類学者小馬徹は、この2007年の危機を「盗まれた若者革命」と名づけた(『神奈川大学評論』2008年第61号)

 2008年、以前マウマウの戦士が隠れたケニア山の麓を案内してくれた元戦士の孫である案内人の青年は、戦争が終わって、何ら報償らしい恩典もなく、現在にいたるも細々と農業を続ける祖父から聞いた言葉を筆者に教えてくれた。

 「マウマウの戦士は土を掴んで死んでいった」

 かくして、ケニアは90年代の民主化、07年の「ポスト選挙暴力」で大きな挫折を味わうことになった。そこで改めて浮き彫りになったのは、独立以来の政治エリート中心の議会民主主義の限界とともに、自国の富の分配の民主化こそが、独立以来、未完のアジェンダになっているということである。

 

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なぜ、ウクライナ戦争を支援するのか

2024年07月18日 | 国際・政治

 第三次世界大戦が迫っていると指摘する人がいます。私も、国際社会での西側諸国の動きが、それを示しているような気がします。日本の戦争準備もますます加速しているように思います。

 にもかかわらず朝日新聞は、714日朝刊の一面トップで、「刑務所か戦場か迫った警察」と題する記事を掲載しました。「ロシアの突撃兵 ウソつかれ前線へ」とか、”部隊8割死亡「死ぬために送られる」”などという副題が挿入されていました。

 また、その記事は2面に続き、”占領していない所に「旗立ててこい」”とか、”31歳「前進を偽装する撮影のためと気づいた」”、”34歳「誰も突撃の準備なんてできてなかった」”、「戦死者いとわぬロシア軍、東部戦線で攻勢強める」、”容疑者や移民に軍との契約を迫る「隠れ動員」も”と題する記事もありました。

 私は、徹底したロシア敵視の記事であり、プーチン社会主義政権を転覆しようとするアメリカの戦略に基づく記事だと思いました。

 これらの記事は、ウクライナ戦争の激戦地で捕らえられたロシアの突撃兵が、捕虜の一時収容施設で、朝日新聞の取材に応じ証言したものだということです。ロシア国内の反発をできるだけ小さくして、有利に戦いを進めるためには、あり得ることかも知れないと思います。でも、ウクライナの管理下に置かれたロシア兵の証言ですから、そのまま事実と受け止めることはできないところもあると思います。

 そして何より、こうした記事は、ウクライナ戦争の停戦を遠ざけ、ロシア領内へ攻撃を広げて、プーチン政権を転覆しようとするゼレンスキー大統領の主張(アメリカの戦略)を後押しする記事だと思います。対ロ戦争支持の記事だと思うのです

 逆に、ウクライナでは、暴力的な徴兵に遭遇したという動画の投稿が、ツイッターにしばしば投稿されています。(一例、https://twitter.com/i/status/1746829070992875715)。また、先日は、徴兵を逃れるために、国外に脱出しようとしたウクライナの男性が射殺さたとAFPBBNewsが報じました(https://www.afpbb.com/articles/-/3529140)。徴兵に関しては、ウクライナの方が苦しいだろうことは、明らかだと思います。いずれにしても戦争を続ければ、両方にさまざまな悲劇が起きるのであり、停戦すべきなのです。ウクライナの人々も、停戦を望んでいるという下記のような記事が、プラウダ(english.pravda)に掲載されていました。

 多数のフォロワーを持つウクライナのブロガーが、ゼレンスキー大統領に、できるだけはやく戦争を終わらせるよう呼びかけているというのです。ウクライナの人々は、戦争にうんざりし、失った領土を取り戻す必要性ではなく、「皆殺しになる」なる前に、戦争を終わらせる必要性について語っているというのです。だから、プーチン政権の転覆を意図するアメリカの戦略に従ってはいけないと思います。

Ukrainian bloggers with millions of followers call Zelensky for peace

Ukrainians sick and tired of war, call Zelensky for peace

https://english.pravda.ru/world/160031-ukrainian-blogers-peace/

 私が、アメリカの戦略に従ってはいけないと考えるのは、アメリカが戦争してでも、他国から利益を吸い上げないと国を維持できない体制になっていると考えるからです。以前取り上げましたが、エドワード・スノーデンが所属した国防総省の情報機関、国家安全保障局( National Security Agency:NSA)には、莫大な資金が投じられています。軍やCIAと連携する組織のようですが、アメリカは世界中から利益を吸い上げることによって、それらを維持し、世界中のあらゆる国に対して影響力を行使することができる体制にあるのだと思います。でも多くの場合、社会主義政権の国や反米政権の国は、利益を吸い上げられること、言い換えれば、搾取・収奪されることを拒否します。だから、アメリカはそうした国の社会主義政権や反米政権の転覆を意図し、戦争をくり返してきたと思います。

 西側諸国では、悪質な独裁者として知られるジンバブエフのムガベ大統領は、南アフリカの反アパルトヘイト運動を積極的に支援し、アフリカで絶大な尊敬を得ていたといいます。でも、南アフリカの白人政権は、一度ならず、ジンバブエの要所に対する爆弾テロや空爆などを行い、ジンバブエの不安定化を図ったといいます。

 下記抜粋文の記述を見逃すことができません。

南部アフリカ諸国がムガベ政権を支持し、欧米諸国が反ムガベ勢力を支持した「民主化のねじれ現象」の背景には、こうした経緯がある。支援公約を覆した英国政府と、ジンバブエを「ならず者国家」に仕立て上げ、反ムガベ勢力に多大な資金援助をする一方で食糧援助への反対さえも辞さなかった米国のジョージ・ブッシュ前政権のパフォーマンスも、一体誰のための援助か疑念を残した。

 下記は、「新・現在アフリカ入門 人々が変える大陸」勝俣誠(岩波新書)から「第二章 民主化20」の 「2 ジンバブエの政治経済危機」の一部を抜萃しました。

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                   第二章 民主化の20

                 2 ジンバブエの政治経済危機

 

 南部アフリカでのムガベ像

 第一は、ムガベが、ヨーロッパによる植民地支配に対して自らの力で独立を勝ち取った、アフリカ全体でも数少ないカリスマ的アフリカ人リーダーの一人であることだ。

 ジンバブエはかつて、英国の植民地推進者セシル・ローズの名にちなんで「ローデシア」と呼ばれた、白人中心の実質的アパルトヘイト国家だった。1960年代、ムガベは他のナショナリストと共に反植民地闘争を開始し、前出のジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANUPF)という名称でゲリラ活動を展開した。

 79年、ムガベは英国と停戦し(ランカスター合意)、翌80年、新生国家「ジンバブエ」の首相そして大統領になり、その後、2013年現在に至るまでその座にとどまってきた。

 80年代、ムガベ大統領は、首都ハラレに隣国南アフリカでは非合法とされていたアフリカ民族会議(ANC)の拠点を提供するなど、南アフリカの反アパルトヘイト運動を積極的に支援し、アフリカで絶大な尊敬を得た。これに対して南アフリカの白人政権は、複数回にわたり、ジンバブエのANC事務所への爆弾テロや空爆などで応酬し、ジンバブエの不安定化を図った。南アフリカの反差別運動に対するムガベ大統領の揺るぎなき支援は、南部アフリカでのジンバブエの評価を確固たるものにした。

 

 かつてANCのリーダーだったタボ・ムべキ元南アフリカ大統領が、数回にわたりジンバブエでの与野党間の対立の調停活動を行ったが、ムガベを説得できず、欧米のメディアにはムベキの軟弱な態度を非難する声さえ出た。しかし、その背景には、以前のムガベ支援へのANCの恩義あったと思われる。実際、60歳代でゲリラ戦の経験のないムベキが80歳代で独立戦争を戦ったベテランのムガベ大統領に向かってどこまで強い発言ができたであろうか。

 それどころか、かつて南アフリカのアパルトヘイト勢力を支援した諸国が加盟するSADCでは、2007年の首脳会議において、ムガベ大統領に対しては野党との対話を促す一方で、英国など欧米諸国による経済制裁を批判し、その圧力にアフリカ人として毅然と立ち向かっているとして、ジンバブエ支持が満場一致で再確認されたほどである。

 冷戦下に植民地支配に対して武力闘争によって独立を勝ち取った国が多い南部アフリカの現代史の文脈を見ないと、ムガベ独裁に対する欧米とこの地域の間の温度差は分かりにくい。

 

残る英国の公約反古ツケ

 危機が長びいたもう一つの要因として、白人入植者の土地問題に対する英国の対応がある。

 前述した1979年のランカスター合意の時点で、ジンバブエでは、わずか6000人の白人入植者が最も肥沃な土地のほとんどを所有し、450万人のアフリカ人が、残りのより生産性の低い土地での伝統的農業に押しやられている状況だった。英国政府は同合意で、白人の売り手とアフリカ人の買い手の合意による土地改革を、資金援助によって支援すると公約した。

 しかし実際には、それから10年たっても合意よる土地改革は進まず、それに追い打ちをかけるかのように、97年、英国のトニー・ブレア政権は、土地改革問題は植民地問題ではないとして土地改革支援の打ち切りを通告し、歴代の政権が継承してきた公約を覆してしまった。

 このとき、ジンバブエの国家財政は、IMFに課せられた経済改革の不調と旧解放軍戦士に対する大盤振る舞いによって、危機的状況にあった。そのため、ブレアの通告を受けたムガベ政権は、2000年になるや白人大農場を補償なくして接収。政権維持に功績のある軍人や与党関係者と貧農への再配分を強行したのである。こうした経緯から、身内への配分は良くないとしても貧農への補償なき土地接収自体は支持する、というジンバブエ人は、今日でも少なくない。

 南部アフリカ諸国がムガベ政権を支持し、欧米諸国が反ムガベ勢力を支持した「民主化のねじれ現象」の背景には、こうした経緯がある。支援公約を覆した英国政府と、ジンバブエを「ならず者国家」に仕立て上げ、反ムガベ勢力に多大な資金援助をする一方で食糧援助への反対さえも辞さなかった米国のジョージ・ブッシュ前政権のパフォーマンスも、一体誰のための援助か疑念を残した。

 

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独裁者一族の復権と、対中国、訓練円滑化協定

2024年07月14日 | 国際・政治

 79日、朝日新聞は一面トップで「日比、準同盟へ深化」と題する記事を掲載しました。「対中国、訓練円滑化協定に署名」との副題がついていました。

 日比両政府は、自衛隊とフィリピン軍が共同訓練などで相互に訪問しやすくする「円滑化協定(RAA)」に署名することによって、東シナ海や南シナ海で、”海洋進出を強める中国”に対抗するため、米国とともに、フィリピンとの安全保障面での連携を強化し、比との関係を「準同盟」級へと格上げを図るというのです。海洋進出を強める中国”という言葉を、自らの戦略に基づく言葉であるかのように使い、軍事的連携を深化させるというのは、日本国憲法の平和主義の精神に反する攻撃的な話だと思います。そんな話が、何の議論もなく進められていることに、愕然とします。

 ”海洋進出を強める中国”というのは、具体的にはどういうことなのでしょうか。また、そのことに関して、中国と何か話し合いをしたのでしょうか。中国の海洋進出が違法であるというのであれば、きちんと指摘して、法的に解決する努力をするべきではないでしょうか。そういうことを無視して、軍事的関係を強化するということは、やはり、中国の影響力拡大を阻止しないと、アメリカの覇権と利益が損なわれるということを踏まえたアメリカの戦略なのではないかと疑わざるを得ないのです。戦争を必要としているのは、アメリカではないかと思うのです。

 

 そういう意味で、現在のフィリピン大統領が、かつて戒厳令布告による強権政治を続けた独裁者フェルディナンド・マルコス大統領の息子であることも、私はとても気になっています。フェルディナンド・マルコス大統領は、当時、東南アジアにおける共産主義勢力の拡大を恐れたアメリカと手を結び、約20年間にわたって独裁政治を続けた政治家ですが、マルコスの独裁政権下では、政敵が拷問を受けたり、裁判なしに即決処刑されたり、失踪したりするケースが相次いだといいます。また、厳しい報道統制や不当なマスコミ弾圧もあったと言われています。

 不満を募らせたフィリピン国民によってマラカニアン宮殿を包囲されたマルコス一家は、ヘリコプターでクラーク空軍基地から逃れ、亡命に追い込まれました。そして、自らの不正行為を認めないまま、亡命先のハワイで亡くなったということですが、「クローニー(縁故・取り巻き)資本主義」という言葉が生まれるほど、彼の統治は、不正にまみれていたといいます。

 選挙で当選したとはいえ、フェルディナンド・マルコス・ジュニアの大統領就任は、.独裁者一族の復権といわれおり、とても気になるのです。そのフィリピンで、アメリカが最近、「防衛協力強化協定(EDCA)」に基づき、新たに4か所に基地を設け、台湾には大量の武器を売却し、韓国や日本と共同の軍事訓練も実施していることも、”海洋進出を強める中国”を理由としているようですが、緊張を緩和し、平和的に共存しようとする姿勢を示すことなく、中国を敵とし、近隣諸国で軍事的連携を深化させるということは、アメリカの戦略に従って、中国との戦争に向かうことだと思います。

 一貫しているのは、中国を敵視し、武力的に屈服させようとする戦略で、それは、アメリカ離れが進み、覇権や利益が危うくなっているアメリカの戦略からくるものだと思うのです。「対中国、訓練円滑化協定」で、アメリカの武力主義政策が強化されるということです。

 にもかかわらず、朝日新聞のこの記事には、批判的な記述はありませんでした。だから私は、朝日新聞をはじめとする日本の主要メディアは、日本国憲法の平和主義の精神をかなぐり捨てて、事実上武力主義のアメリカ政府、ホワイトハウスの広報機関になっているように思います。

 

 そうした姿勢を正当化するかのように、朝日新聞は 7月11日の社説で「ウイグル弾圧 文化と尊厳を奪う暴挙だ」という中国敵視の記事を掲載しました。こうした記事はくり返し目にしています。書き出しは、”イスラム教の礼拝所であるモスクが次々と取り壊され、空き地になる。そんな無残な光景が中国の新疆ウイグル自治区のあちことで広がっているという”ということなのですが、記事を書いた本人が確認したわけではなく、現地入りした本紙記者が、”一部の地域”で破壊の事実を確認したということです。だから、弾圧の実態はよくわかりません。とにかく自らの覇権と利益を維持しようとするアメリカの戦略に従って、中国を敵視する意識を広めるために書かれた記事だと思います。

 

 また、朝日新聞は710日の朝刊に、「病院や学校に攻撃ウクライナ死者啓46」という記事を掲載しました。記事の中に、”各地の当局によると、死者はキーウ32人、中部クリビーリフ10人、東部ドネツク州ポクロースク3人、中部ドニプロ1人。ゼレンスキー大統領は、医療機関や教育機関を含む100近くの建物が被害を受けたと指摘。「ロシアのミサイルを撃墜し、戦闘機を破壊しなければならない」とし、欧米に対し、供与された兵器を使ってロシア領内を攻撃することへの認可を求めた。”とありました。

 ロシアは否定しているのに、何の確認もせず、ウクライナ側の主張をそのまま事実として受け止める記事だと思います。また、ゼレンスキー大統領が、平和を取り戻す努力を求めたのではなく、戦線の拡大に理解を求めたということに対する朝日新聞の主張はありません。これも、ロシアを孤立させ弱体化したいアメリカの戦略に従っているからだろうと思います。

 

 この件に関し、ロシアのネベンジャ国連大使は、”一般のウクライナ人さえ疑問を呈しているのに「キエフ政権とそのスポンサー」はブチャやマリウポリの産院の時と同様、真実には全く興味を示さない”などと批判したということです。メディアきちんと確かめる責任があると思います。

 私は、日々の日本の報道に、アメリカの「善悪を逆様に見せる」( ジャフロミー氏)戦略、あるいは、「黒を白に変える」戦略を感じています。

 下記は、「日123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子(河出書房新社)の中から、日航123便墜落の目撃情報が明らかにしている事実に関する部分をところどころ抜萃したものです。下記のような多くの目撃情報から、日航やボーイング社、自衛隊や米軍関係者、日本やアメリカの政府関係者、報道各社の関係者などが、そろって真実の隠蔽に加担しているということがわかります。恐ろしい力が働いているのだろうと想像します。

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                 第四章 三十三回忌に見えてきた新たな事実

               1 事故原因を意図的に漏洩したのは米国政府という記事

 

●人命救助よりも大切だったのは赤い物体か?

 墜落現場がわかっていたにもかかわらず、人命救助をせずに、一晩中隠蔽工作をしなければならなかったとすれば、その突発的事態とはなんだろうか。これは目撃情報を繋ぎ合わせて考えるしかない。 ・・・

 本書では、日航123便墜落前に目撃されているファントム二機のみならず、赤い物体の目撃情報や遺族提供の写真に映った黒点の画像解析から分かった事実にもとづいて推測をしてきた。この点を重視しながら、さらに考察を進めてみたい。

 新聞報道や上野村の子どもたち、大人も含めた地元の人々が語る中では、「赤い閃光」、「ピカピカ光るもの」、「赤い流れ星」「雷のような光」、「真っ赤な飛行機」という表現が出てくる。私が直接インタビューした小林さんが見たものは、「ジャンボ機の腹部左側に付着して見える赤色のだ円、または円筒形のもの」という表現であった。赤のだ円または円筒形のものが付着……?

 高速で飛んでいる飛行機に付着したままということは考えにくい。

 そうなると低空で右旋回中の飛行機の左側腹部にピタッとついてきた物体、とするといくつか可能性のあるものが考えられる。誘導弾、いわゆるミサイルではないだろうか。

 ・・・

〇相模湾上空で機外を写した写真に映り込んでいるオレンジ色の物体。

〇静岡県藤枝市上空で低空飛行中の日航123便の胴体腹部に付着しているように見えた赤いだ円や円筒形のもの。

〇赤い飛行機を目撃した地元の人たち。

 

 これらの目撃情報の点をつなぐと、日航123便の動き方からも真実が見えてくる。

 ・・・

 その赤い破片(ミサイルの痕跡)を消すこと、それを最優先にして人命救助を後回しにした。遺体の状況から推定すると、その際、現場を破壊して何らかの証拠を消すためにゲル状燃料の武器を使用したのではないだろうか。このように結果からさかのぼって考えると、色々な場面の説明がつく。

 ・・・

〇完全炭化した遺体から推測できることとして、ガソリンとタールを混ぜたゲル化液体を付着させる武器を使用した可能性があるのではないだろうか。

〇非発表のファントム二機による墜落前の日航123便追尾が明確になった。

〇集落直前に赤い飛行機と思われたダ円や円筒形に見える物体を目撃した人がいる。

 

 この三点が物語ることは、武器を持つ自衛隊や米軍が関係していると思わざるを得ない、ということを明記しておきたい。

 

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自分の頭で、格差社会の世界を捉え直す 

2024年07月11日 | 国際・政治

 ウクライナやパレスチナで戦争が続く今、メディアの報道を鵜呑みにせず、自分の頭で世界情勢を捉え直す努力が大事だと思います。そうしないと、「台湾有事」などが現実のものとなり、悲惨な戦争に否応なく巻き込まれることに気づくべきだと思います。

 

 先日、アメリカのバイデン大統領が、「私が日本の防衛予算を増額させた」 と語ったことが「失言」として報道されました。バイデン米大統領がアメリカのABCテレビとのインタビューで、「私が日本の防衛予算を増額させた」と語ったのみならず、2021年に発足した米国、英国、オーストラリアの3カ国の安全保障枠組み「AUKUS(オーカス)」なども成果として挙げたといいます。また、「北大西洋条約機構(NATO)を団結させた」とか、「欧州以外の国々にウクライナを支援させた」などとも語ったということです。こうした発言は、バイデン大統領の高齢を不安視する、「あと4年を務めきれるか」との記者の質問に対し、大統領としての外交成果を誇る文脈で飛び出したということですが、バイデン大統領は、アメリカが帝国主義的影響力の行使によって、国際社会を動かしている現実を語ってしまったということだと思います。

 バイデン大統領が、中国に仕掛けるために、日本の防衛予算の増額を提案し要求したから、それを受けて、岸田首相が、2023年度から5年間の防衛費を総額43兆円とするよう財務大臣と防衛大臣に指示したのだと思います。日本はバイデン大統領の発言に対し、「わが国自身の判断」 だと申し入れをしたようですが、増額決定の経緯を踏まえれば、そうでないことは明らかだと思います。

 だから、こうしたアメリカの帝国主義的影響力行使に目をつぶるようでは民主主義を語る資格はないと思います。また、日本の防衛予算の増額が、国会はもちろん、閣議での議論もなく決定されたことを「民主主義の否定」として問題視しない日本のメディアは、日本政府同様、すでにアメリカの忠僕に成り下がっていると思います。

 

 先日の東京都知事選挙で、蓮舫氏が大敗したことを受けて、立憲民主党関係者が、野党共闘のありかたに言及し、共産党との共闘を見直すことも検討課題になるというようなことを口にしたようです。それは、連合の芳野会長が、たびたび「連合は共産党とは考え方が全く違う。そこの考え方を再度、立憲民主党には申し上げることになる」と語ったり、国民民主の関係者が「共産党と堂々と連携する人は応援できない。共産党と連携する人が東京の知事では困る」と述べたりしていたからだと思います。

 でも立憲民主党が、そうした考え方を受け入れることは、日本の戦後史や現状を客観視しない人気取りの党になってしまうことだと思います。アメリカの戦略を見すえて対応しない限り、日本の発展や民主化はないことを忘れてはならないと思います。

 

 戦後、日本を統治したGHQの「逆コース」といわれる対日占領政策の転換以来、日本は客観的な歴史認識や情勢認識が受け入れられない状況にあると思います。 

 当時、すでに米ソを軸とする東西の冷戦が始まっており、朝鮮半島では、南北朝鮮が対立し、中国では、毛沢東率いる共産党軍が、蔣介石の国民党軍を追いつめていました。

 だから、共産主義勢力の台頭を恐れたアメリカの占領政策は180度変わり、「マーシャル・プラン」によるヨーロッパ復興援助計画の反共政策とリンクさせた政策を日本の占領政策にも適用したと言われています。

 それは、戦犯の公職追放を解除し、一線に復活させたことにあらわれているように、戦後の民主主義を否定し,戦前への復帰を促すものでした。

 1948年、アメリカのロイヤル陸軍長官は「日本を共産主義の防波堤にする」と宣言したことはよく知られていますが、それは、日本を東アジアにおける主要友好国と位置付けつつ、ほんとうは「反共の防波堤(属国)」にすることであった、と言ってもよいと思います。

 以来日本人は、戦前の治安維持法時代と同じように、「共産主義者は怖い」「共産主義者は暴力革命を意図している」「共産主義国には自由がない」というような意識をいろいろなかたちで、持たされてきたのではないかと思います。

 思い出すのは、下山事件、三鷹事件、松川事件という「国鉄三大ミステリー事件」その他、連続的に発生した凶悪事件です。当時の日本人に、治安維持法時代の反共意識を復活させたといえる事件だったと思います。そう言う意味で、松本清張が『日本の黒い霧』で指摘したことは、きわめて重要だと思います。当時の「国鉄三大ミステリー事件」をはじめとする事件は、さまざまな事実が、日本を反共国家にするための、CIAの謀略であったことを示してると思います。それらの事件が、日本人の反共意識を復活させたといえると思うのです。また、レッド・パージも、日本人の反共意識を高めることにつながったのではないかと思います。

 そして現在も、日々中国やロシアを敵視する報道のなかで、くり返し日本人に反共意識が刷り込まれていると思います。

 そうした背景を無視して、反共的な連合幹部や国民民主党にすり寄れば、立憲民主党の存在意義はなくなってしまうと思います。日本では、保守の政治家のみならず、主要メディアの中枢、そして、労働組合の組織のリーダーさえも、アメリカの戦略を受け入れてしまっているように思います。

 

 でも、NATOが、日韓豪NZと連携強化目指すというのも、中国やロシアを敵視するアメリカの戦略に基づくものであり、決して平和な国際社会をつくろうとするものではないことを見逃してはならないと思います。

 戦争をくり返してきたアメリカの戦略が、国際社会の平和に逆行するものであることを見逃してはならないのです。 

 

 最近、ヨーロッパ諸国では右翼の抬頭が著しいようですが、その背景は、経済の行き詰まりや格差による移民問題ではないかと思います。

 最近の国際社会のグローバル化により、人やモノ、お金、情報や文化などが国境を越えて行き来するようになりました。だから、経済成長や技術革新などが進んだ一方で、人や国家の間の格差も拡大し、貧困問題や移民問題が大きな問題になってきているのだと思います。

 言い換えれば、それは、マルクスの指摘した窮乏化の問題であり、人類がいまだに「窮乏化」問題を乗り越えられていないということだと思います。格差の解消に成功していないといってもよいと思います。

 なぜ、アフリカや中東を中心とする国々から、大勢の人々が命を懸けて、西側諸国を目指すのか、また、その実態はどうなっているのか、ほとんど議論や報道がありません。でもそれは、西側諸国の植民地主義や新植民地主義に基づく長期間にわたる搾取や収奪の結果であることは明らかだと思います。でも、西側諸国は、そのことを自覚し、対応しようとせず、不法入国者を東アフリカのルワンダに移送する計画などを進めているといいます。とんでもない、人権無視の計画だと思います。

 中国によるウイグル人への実態不明の人権侵害に関する議論や報道はくり返されているのに、毎年多くの死者が出ている西側諸国の不法移民の問題は、ほとんど議論されず、報道されないのはなぜか、

アフリカや中東の窮乏化の問題や経済格差の問題を乗り越えようとせず、不法移民の強制送還で対応しようとすることが許されてしまうのはなぜか、考える必要があると思います。

 そして、国際社会をリードするアメリカは、窮乏化や格差の問題に向き合うことなく、固定化しようとさえしていると思います。アメリカという国は、圧倒的な覇権や利益の維持を続けなければならない仕組みになっているのだと思います。

 だからアメリカは、戦争してでも、ロシアや中国の影響力拡大を阻止する必要に迫られているということができると思います。

 

 先日、トヨタ自動車の子会社が「下請けいじめ」”との報道がありました。公正取引委員会が下請法違反を認定したというのです。そしてそうした違反が、2024年に入ってから急増しているというのです。

 また、”働き手1人あたりの5月の「実質賃金」は、前年同月より1.4%減り、過去最長を更新する26カ月連続のマイナスとなった”との報道もありました。

 こうした現実は、日本の政治家や労働組合のリーダーが、きちんと日本の働き手を代表せず、搾取や収奪をする側に立っている結果だと思います。

 また、NATOも、基本的に搾取や収奪をする側の軍事組織であるといってもよいと思います。NATOはかつて植民地支配をした国々の組織であり、現在も、新植民地支配というかたちで、多くの国々から利益を吸い上げている国々の組織だということです。

 本来、窮乏化を乗り越え、格差を解消するためにはどうすべきか、答えをださなければならない立場の国や組織や人が、自身の延命しか考えなければ、国際社会で、悲劇がくり返されることになると思います。

 下記の「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子(河出書房新社)からの抜粋文に、”この話を元自衛官にしたところ、「核心に近づくと妨害や脅迫が増えてくるから気を付けた方がよい」という丁寧なアドバイスまで頂いた”とあります。日本という国がどういう国であり、日米関係がどういうものであるかを示していると思います。

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              第三章 「小さな目は見た」というもう一つの記録

              3 ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体と遺品

 

●検死に関わった医師たちの証言

 乗員4名と乗客1の司法解剖を担当した群馬大学医学部の古川研教授は、遺体の状況を衝撃的に記述している。

『(機体)前部の遺体には損壊や焼損が目立ち、衝撃の凄まじさと主翼の燃料タンクの火災の影響を受け、焼損遺体の中には部位も判然としないものがあり、通常の家屋災現場の焼死体をもう一度焼損したように見えた(略)』(群馬県医師会活動記録『日航機事故に対する法医学の対応』昭和61101日発行)

 通常の家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したという遺体……。

それほどまでにジェット燃料は凄まじいのか」

 取材の際、医師、歯科医師、消防団の人たちから逆にそういう質問を受けたことを思い出す。一度焼けた遺体がもう一度焼損することは、まったく別の何かによって再び燃えたという意味にとれる。いずれにしてもジェット燃料だからという理由では説明がつかないのではないか。

 エンジンもそれぞれがバラバラの位置に落ちており、翼にある燃料タンクから漏れ出たとしても、それよりも遠いところまで燃焼した痕跡がある。

 この墜落現場の状況の地図(次ページ参照・略)に関しては、上野村消防団や営林署、群馬県警も同様に確認していることからほぼ正確である言える。

 次頁の地図の破線で囲ってある部分が焼損区域である。確かに広範囲に燃えたことはわかる。

 生存者が発見されたスゲノ沢第三支流周辺に、No1エンジン(第一エンジンナン)、No2エンジン(第二エンジン)、後部胴体が沢を滑落して落ちている。左右の主翼内部が燃料タンクであるにもかかわらず、実際にはここだけ全く火災が生じていない。完全遺体百体ほどあった場所である。この一帯は40度近い急勾配で、沢も山頂からはまったく見えないところである。

 ところが山頂の激突した周辺および、左主翼もエンジンも何もないところがひどく焼けている。地図では前部胴体と書かれているところから機首部周辺である。左と右の主翼が落ちた部分ならまだわかるが、エンジンもないこの場所が著しく燃えていた。

 実際に医学的資料として撮った検死写真にも、ポロポロと崩れるほど炭化した遺体が写っている。これは消防団にも確認したことだが、雷や夕立の多い湿った夏山であることから、通常の火災はそれ

ほどまで広範囲に広がらないという。ましてや重要なのは、ジェット燃料のケロシンは灯油とほぼ同じ成分ということだ。名古屋など他の航空機火災で真っ黒になった遺体あったという報告書もあるが、これは煤の成分が付着した状態で黒くなったものである。

 1986年にまとめられた群馬県医師会活動記録には、『筋肉骨の完全炭化が、著明であった』という記述がある。

 完全炭化という言葉を使って医師たちが指摘しているように、歯や骨の中心まで炭化した状態であったのはこの事故が初めてといえる。

 これは歯型から検死を行った群馬県警察医で、現在84歳の歯科医師である大國勉氏にもを確認した。 その完全炭化というのは、「黒いコロコロとした塊があるだけで、人としての原型をとどめておらず、歯を含む骨まで完全に炭化した状態」ということであった。身元確認のためにそっと手で触るとポロポロと崩れてしまうので、どうしようかと思案しながら検死を行ったのだが、本当に大変な作業だったと語ってくださった。

 どうやら緑多く、木々が茂る山中に放り出された生身の肉体が、炭化するほど焼けるのが最大の疑問である。飛行機の燃料は灯油の一種だという話をしたところ、かつて灯油を何度もかぶって自殺した遺体を検死したことがあるが、ここまで焼けていなかったという。医師たちはこの炭化状態になった遺体がジェット燃料によるもの、と思い込んでいたようだ。しかしながら、科学的にその成分から考えると、炭となった結果との整合性がつかないとのことであった。

 ・・・

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      第四章 三十三回忌に見えてきた新たな事実 ~目撃証言からの検証~

   1 事故原因を意図的に漏洩したのは米国政府という記事

 ●ガソリンとタールの異臭について。

 事故当日の朝、極めて早い時間に現場に足を踏み入れた消防団の人々による証言をもとに、現場に漂っていた臭いから推定されるものについて、元自衛隊関係者、軍事評論家、大学の研究者などに質問をぶつけてみた。なお、その臭いの現場が日航123便の墜落現場ということは伏せて質問をした。

質問1  ガソリンとタールの臭いが充満し長時間燃える物質は何か。その結果、人間の体が炭のようになる状態(完全炭化)のものは何か。

 このシンプルな質問に対して、共通する答えは次のとおりである。

 答え ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である。

 

質問2 なぜそれが人間の体を炭にするのか。

 答え、化学薬品によってゲル状になったガソリンであるため。これが服や皮膚に噴射されて付着するとそのすべてが燃え尽き、結果的に炭状になる。

 

質問3 これはどこで手に入るのか。

 答え 一般にはない。軍用の武器である。その武器は、燃料タンクを背負い、射程距離は約33mで歩兵が用いるものである。第二次世界大戦中は米軍で使用された。M1M22種類がある。昔の武器というイメージがあるが、戦後は米軍から自衛隊に供与されていた。現在も陸上自衛隊の普通科に携帯放射器として配備されている。これはM2型火炎放射器の改良型である。噴射回数10回まで可能。噴射用の圧縮空気タンクを連結している。今でも駐屯地祭でデモンストレーションしている。

 

質問4、それはどこにあるのか。

 答え、陸上自衛隊普通科歩兵、化学防護武器隊で、相馬原普通科部隊にもある可能性が高い。

 

 1985年当時に実際に確かめたわけではないので、確実とはいえない。しかし、いずれにしてもその臭いがガソリンとタールということから、この武器を使用したとすると筋が通ってくる。

 ちなみにこの話を元自衛官にしたところ、「核心に近づくと妨害や脅迫が増えてくるから気を付けた方がよい」という丁寧なアドバイスまで頂いたが、逆に核心はこちらだ、ということを暗示されたようなものだった。

 こういった武器を平時に使うとはどういうことなのだろうか。

 完全なる証拠隠滅を狙った指令が出て、それに従ってしまったのだろうか。

 万が一、このような状況を作り出した人たちがいたとすると、恐ろしいなどということを超えて背筋が凍るような話である。もしこの武器によって遺体が完全炭化してしまったとすると、それを命じた人、それに従った人たちは今どうしているのだろう。この事実を闇に葬ってしまうことで、罪ら逃れたと勘違いしているのではないだろうか。その危険性をしっかりと認識せず、検証することもないままだとすると、次の事故、事件につながる可能性は非常に大きい。

 今こそ事故の原因を明らかにしなければならない理由はそこにある。

 それではなぜ炭化状態にする必要があったのだろうか。そのいきさつと理由を考えてみる。

 

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すべての個人情報を差し出すのか?

2024年07月07日 | 国際・政治

 さまざまなところでモラハラや企業従業員のモラルの低下が問題になっています。私は、それは長期にわたる自民党政権の悪政の結果ではないかと思っています。

 先日、朝日新聞は、川崎重工業が海上自衛隊の潜水艦乗組員らに対し、下請け企業との架空取引で捻出した裏金で物品を購入したり接待したりしていた事実を報じました。20年も前からのようだといいます。またか、と思いました。

 政治家や大手企業の不正は、途絶えることがありません。改善の兆しがないばかりでなく、年々悪化しているように思います。発覚しなければ何をやってもよい、というような状況になってきていると思うのです。

 だから、情報処理サービスなどを手掛けるイセトー(京都市)がランサムウエア(身代金要求型ウイルス)に感染し、およそ150万件の個人情報が流出したというようなことも、これから増えるのではないかと心配です。

 

 にもかかわらず、河野太郎デジタル相は、マイナンバーカードを、健康保険証やお薬手帳、診察券や、運転免許証、外国人在留カード、公金受取口座などと一体化する方針を強引に進めています。しばらく前には、マイナンバーカードと健康保険証の一体化に向けた取り組みを前倒しするために、「保険証を廃止する」方針を示しました。私は、とんでもないことだと思いました。また、マイナンバーカードの健康保険証としての利用登録公金受け取り口座の登録でポイントを付与するなどというのも、いかがなものかと思いました。そんなことまでして、計画を進める理由はいったい何か、と思ったのです。

 また、国家が国民の個人情報すべてを一括して握ることには、モラルの低下が著しい時代だけに、大きな不安があります。権力やマイナカードの関係者がカードの個人情報を恣意的に利用する不安があると思います。また、ランサムウエア(身代金要求型ウイルス)に感染した場合、どういうことが起きるのかもよくわかりません。

 さらに、国民皆保険制度の日本で保険証を廃止し、マイナカードと一体化するという方針は、事実上マイナカード取得を強制することだと思います。当初、カードの取得は「任意」とうことだったと思います。だからマイナカードは本人が申請し、受領することになっていると思います。河野デジタル相が、マイナカードを扱う現場の実態や保険証を使い続けたいという人たちの思いを理解して進めているとはとても思えません。だから、今までの保険証を廃止し、マイナカードに諸情報を一体化させる計画を進めようとすることには、何か別の目的や意図があるのではないかと疑います。

 全国民が所持することになるカードに関わる企業にとっては、きわめて大きな永続的仕事でしょうし、莫大な利益がともなうと思います。だから、計画を進める政治家と企業の関係も気になるのです。

 しばらく前にもとりあげましたが、アメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の元局員、エドワード・スノーデンは、NSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を、告発しました。

 また、「スノーデン 監視大国日本を語る」エドワード・スノーデン、国谷裕子、ジョセフ・ケナタッチ、スティーブン・シャピロ、井桁大介、出口かおり、自由人権協会監修(集英社新書)では、スノーデンが、インタビューのなかで、次のようなことを語ったことが明らかにされています。

 

 国谷裕子 ─ アメリカはマルウェアを作動させて日本のインフラを大混乱に陥れることができるというのは本当のことでしょうか。

 スノーデン ─ 答えはもちろんイエスです。

 

 さらに、2017年、日本関連の秘密文書が新たに暴露されたということですが、そこには大量監視システムXKEYSCORE(エックスキースコア)が、アメリカ政府から日本政府に譲渡されていることが記されていたといいます。

 だとすれば、もはや日本には、プライバシーなど存在しないということではないかと思います。きちんと議論すべきで、黙殺してよいということではないと思います。

 そんな状況のなかで、さらにマイナカードによる全国民の諸情報の一体化を進めことは、合意なく一方的に進めてよいことではないと思います。

 アメリカ兵が少女に暴行した罪で今年3月に起訴された事件は、政府から県へ情報提供がされなかったといいますが、その他にも隠蔽された犯罪があったといいます。米軍をかばい、沖縄県民の人権を蔑ろにする政府のもとで、マイナカードによる諸情報の一体化を進めることには、慎重であるべきだとと思います。

 

 下記の「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子(河出書房新社)の抜萃文のなかに、日航高木社長の「そうしたら私は殺される」という言葉が出てきます。重大な意味を持つ言葉だと思います。日本人は、その意味を深く考え、法治国家日本のモラルの立て直しに生かす必要があると思います。

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                第二章 新たに浮かび上がるあの日の証言

               1 遺族となった吉備素子氏の体験と記憶。

 2011826日(金)は、午前中の晴天から急激な雲に覆われて、恐ろしいほどの強い雨と稲妻が鉛色の空にピカピカと不気味な光を放っていた。

 吉備素子氏(現在74歳)が出版社の会議室に入った直後のことだったため、無事に東京駅から神保町まで雨に打たれることはなく来られてほっとしたのを覚えている。そのとき録音された会話の合間に雷鳴が響きわたり入ってる。それはまるで天からの520名の怒りに満ちた相槌のごとくであった。

 小柄な吉備さんは股関節脱臼で少々足が不自由になり、左手に杖を右手にステッキバックを引いていらした。夫の吉備雅男さん(当時45歳)は塩野義製薬次長として出張中に事故に遭遇した。私の本を読み進めているうちに、その中で記述された学生が持つ疑問と自分のいくつかの疑問が一致し、すっきりと解消されたという。そして即、出版社に連絡を入れたのです、ということだった。

 私が日本航空にいた人間だということで、笑顔で逆に気を遣ってくださりながら、この一言から始まった。

「私ら子どもたちも整備から来たという日航の世話役のKさんには、本当にお世話になりました。子どもたちもkさんのお陰で救われた、といっています。顔を真っ赤にしながら、寝ないでお世話をしていただいた、とてもよい方でした。でも世話係で遺族が喜んでくれるような本当に良い人、そういう人は会社では不利になったみたいで、その後あちこち飛ばされる、と聞いていたから気の毒でねえ。もう日航に戻っていいよ、って遠慮してこっちから言ったぐらいです」

 整備出身の世話役ということであれば、まさに事故原因に直結する部署だから、よほど気を配ったのだろう。遺族の方から感謝という言葉を頂くと私も嬉しかった。ただ、遺族のために尽くすのが当然の世話役の仕事である。それが親身になってくれる人ほど社内で不利になるとはなんということだろうか。まるで逆ではないかと唖然とせざるを得なかった。それも実際に多くの事例があったと聞いている。この期におよんで組織の利益を優勝させてきたということだ。当然のことながら、この社風は後の倒産にもつながったのだろう。

 

 ・・・

 

 吉備さんは、遺体安置所で部分遺体となった夫の身元確認をしながら、その一部を荼毘に付して、夫の社葬、日航の合同葬と日々過ぎてゆく。会社の書類が入ったカバンはほぼ無傷のまま見つかった。 928日に大阪にて49日の法要、929日に藤岡市光徳寺でも同じく49日の法要が行われた。日航の女性社員18名を含んだ社員百名で法要や藤岡の体育館清掃を手伝った。105日、藤岡市民体育館にて施主を黒澤丈夫村長として、身元不明者のご遺体出棺式、1022日大阪城ホールにて大阪地区追悼慰霊祭、1024日、日比谷公会堂にて東京地区追悼慰霊祭が行われた。

 そんな慌ただしい日々の中、吉備さんは日航本社(建て替え前の東京ビル、千代田区丸の内二ノ七ノ三)に一人で高木社長を訪ねている。そのいきさつについて話をしてもらった。半官半民の日本航空では、歴代の社長はすべて経済界や運輸省からの天下りであった。その中、高木氏は日航生え抜きの社長である。

9月ごろに遺族に対して日航の方から、身元不明の部分遺体や炭化が著しいもの、骨粉など10月中にすべてを荼毘に付すとの連絡があってね。検死の困難さも見ていたから、それも仕方がない、やむを得んなあと思っていたけど、104日に群馬入りしたら、血液検査を頼んでいた主人の足と思われる右大腿部の大きなものまで、荼毘にされていて、アッ無くなっているって驚いたんです。事前の連絡とちがう。ひどいって、私は警察ともめだした。世話役が間に入って、警察と掛け合ってくれたけど、日航は警察の検死現場に入るなと言われたのを見ていたしね。現場責任者の日航重役の人も『僕らは何もできない』と、私らと一緒に泣いて、泣いて……。でも、泣いていたって、こんな状態で10月中に全部荼毘に付すのはいかん、あなたらができんのならば、直接、高木社長に会いに行きましょう。本社に行きましょう、と言って東京に行ったんです。その時について来んでもええ、と言ったのに、何やら女性的な雰囲気の世話役の人が『ふいふい』言いながら(内股で歩いて)ついて来た。吉備さんって男性的ですねえ、って」

日航本社の社長室に通されて、高木社長と実際に会って話をすると、山中の墜落現場にも行っていない、黒焦げの遺体も見てない、彼はまったく現場を見ていない様子だった。

 そこで「あのような状態で、遺体を荼毘に付しては520名が浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところに行って直訴しましょう。あんたの命をかけても首相官邸に行ってください、そう言ったんです。そしたら、急に高木さんはブルブルと震え出して『そうしたら私は殺される』そない言うて殺されるってね。何って思ったら、隣に座っていた女性的な世話役も震え上がっている。なんで? と思った。一緒になってフルフルしている。本当に怯えていた。殺されるって、命かけての意味わからんのか、おかしい、これはもうどうしようもない状態だった」と語る。

 高木社長が首相官邸に行ったら殺されると怯えていたということは、一体どういうことなんだろうか。この時すでに後部圧力隔壁の修理ミスということで97日にボーイング社より手落ちがあったと報道されている。日航だけのせいではないと事故原因もはっきりしたはずである。それなのに中曽根氏のところに行ったら殺されるとは穏やかではない言動だ。ましてや日航の社長として事故についてまず詫びるのが先ではないか。この振る舞いは、遺族を前にして恥かしい失態だと片付けるだけであまりにもお粗末である。

 もしかすると町田副社長が遺族に叫んだ『北朝鮮のミサイル』をネタに中曽根氏から、「正直に何かしゃべったら恐ろしい人が来るよ」とでも聞かされて、脅されていたのだろうか。今でこそ、新型の弾道ミサイル実験として、時おり日本政府の都合にタイミングを合わせたように、日本海に飛んできている状態であるが、1985年当時に北朝鮮から領空侵犯して相模湾まで入ってピンポイントで日航機を撃ち落とすほどの技術があるはずもない。当時、そんな高度な技術があれば、いまさら実験などしているわけがない。例えば、1983年の大韓航空機爆破事件のように、北海道より北のルートでソ連(当時)にやられたというなら話は別だが、単に北朝鮮の怖い人、という話にひっかかったかかとすると、当時の社員としてはあまりに情けない。しかしながら、普通に話ができないほど怯えている高木社長を目の当たりにして、吉備さんは気丈に言った。

「それなら私の一人で行きます、って、そう言ったら、二人とも、えっ、 て顔を見合わせて。そうしたらしかたがないから、政府に対して口が利ける人、日航の社員の中で、公家さんかなんか出身の人が付いていくからって。その公家さんは私を先導して一緒にタクシーに乗って行ったんです。だけど、私は首相官邸に行くって言ってるのに、知らないまに着いたのが運輸省だった。東京の地理に不案内だったから、結局運輸省に連れて行かれた。会議室のようなところに通されて、そこである程度権限を持った人が出てきたと思う。

 その男の人に『あんな遺体の扱い方ではいけない、遺族は納得しませんよ。身元を確認してない人も多いのに、すぐ荼毘に付すとは、裁判でも何でもしますよ』って言ったら、その人は『僕は東大の法科を出ている。法学部出身者です』と、やれるもんならやってみろ、といった顔つきで言い返してきた。そこで『ほんなら話は早い、わかってるならなおさら』と私も言った。逆にぎょっとしたような呆れた顔してはったね。『何か問題があるの? 法的に問題ありませんよ。まったく問題ない』ってすぐに答えた」

 日航の大株主で監督責任もある運輸省の官僚であるならば、東大云々といった話を出すよりも、まず遺族の気持ちを汲み、哀悼の意を持って誠心誠意接するのが当たり前ではないか。なぜすぐに自分たちの身を守ることを前面に出して防衛姿勢をとるのだろうか。事故原因に関しても10月の時点では全てが明らかになってないし、事故調査報告もまだまとまってない。「まだ今は詳細に調査中ですが、全力を挙げて対処します」というように当たり前の受け答えがまったくできていないではないか。

 それとも女性が一人で乗り込んできていることへの男女差別的偏見が先に立ったのだろうか。または必死に何かを隠そうとしていたのかもしれない。その真意はわからないが、いずれにしても高圧的で通常の人間の受け答えとは思えない振る舞いに遺族として怒りがこみ上げて当然だろう。

 

 さらに吉備さんは、運輸省の官僚にまだ身元確認が終わってない遺体をさっさと荼毘に付そうとしている姿勢について意見を述べたという。

「それじゃ、今の遺体の管理はどうですか? 私の夫のように保存して検査を依頼していてもさっさと荼毘に付されたり、遺体を取り違えたりしている。そんな警察の失態を話し始めたら、『それはいかん、わかりました』と青い顔して。『そういうことでしたら、善処します』と。今から私が群馬に帰るというと、『急いで何とかする』という話でした」

 この遺体取り違えに対しては、極めてまともな判断がなされたといえる。

 群馬に戻る、と急に命令があったのか、警察は突如全部の遺体を写真に撮っていたそうである。荼毘に付す日は延期されることになり、12月まで冷凍保存することになった。

 1220日、施主を上野村とする身元不明のご遺体出棺式が群馬県スポーツセンターで行われ、1221日には群馬会館にて収骨供養、光徳寺での仮安置ご遺骨とともに上野村役場に仮安置された。

吉備さんは、12月に入っても連日、夫の部分遺体を探し続け、最後にようやく足首を見つけ出した。  

 保存されていた身元不明の遺体を荼毘に付すという日の前日、警察の中にも吉備さんの行動をわかってくれる人もいて、真夜中まで待っていてくれたそうである。吉備さんは全部の遺体を両手でさわって、「見つけてあげることができなくてごめんなさい」と、おわびをしながら、最後のお別れをしたという。

 そこで私はあえて「事故原因を追及したら戦争になる」という話について聞いたことがあるかを尋ねた。

「それはねえ、警察で河村んと10月中に荼毘に付すという話をしていたら急に『戦争になる』という言葉が飛び出てきた。え? なんで? おかしいでしょう。私の父も戦死しているから、私も幼い時に朝鮮半島から屍乗り越えてきた引揚者で、ようやく生きて帰国した。そういう話なのかなと思ったけど」

 確かにボーイング社が修理ミスを認めているのだから、いまさら何も戦争にはならない。事故原因の話と戦争の話が一緒になるのは筋が通らない。

 河村一男氏といえば、群馬県警察本部長で日航機事故対策本部長を務め、1224日の事故対策本部の解散まで135日間にもわたり前例のない過酷な状況の下、捜査の総指揮を執った方である。責任感が強い人らしいが、事故原因の圧力隔壁説以外の説を荒唐無稽と断言していた。その人が、圧力隔壁だと言いながら、事故原因を追究すると戦争になると言うのはどういうことなのだろうか。米ボーイング社も日航もすべて認めているではないか。戦争になる要素など一つもなく、まったく辻褄が合わないではないか。この河村氏は警察を退職し、再就職をして大阪に行き、その後神戸に住いを構えた。この再就職先から吉備さんに電話がかかってきたという。その内容とは……

「私のこと、新聞や本とか名前が出ると、電話がかかってきてね。私を監視するためにわざわざ大阪に来たんやっていうてね。ずっと見てるぞという感じの話しぶりでした。あれえ? まったく不思議なこと。事故はきちんと解明されていると信じ込んでいるからね。監視はなんで? 高木社長に会いに行ったり、運輸省に一人で乗り込んだりしたからやろうか? 今思えば、そんな程度の問題とは違うやろ。きっと政府から何か言われてたんだろうなって。私らは国を信じ切っているからね。でも本当は違うんやなあって、そう思ったわ」

 警察を辞めたからといって、元群馬県警察本部長として立派な事故関連の本も書かれて人が、再就職したとはいえ、監視をほのめかすとはどういうことか。まず、監視そのものが通常では考えられない行為である。平成22年前後の話というから、すでに事故経緯が明確にわかっており、本人も他の説を荒唐無稽と否定しているにもかかわらず、アメリカと戦争になる、という話はまったく意味が通じない。それにしても時々電話がかかってきたというが、なぜ遺族である吉備さんを監視する必要があったのだろうか、元警察官部だった人がとるべき態度ではない。実におかしな言動だ。吉備さんの話が続いた。

「とにかく、おかしな話はたくさんあって、遺族もみんな連携してるわけではないのでね。日航の世話役の中でも、Oさんのように表向きはいい人なんやけど裏ではねえ。実際はあることないこと私らの悪口を言う人もいて……。それぞれが陰で何言われたかわからない。遺族間で、相手と組まないように散々吹き込まれている。横のつながりがいまだに持てないんですよ。日航はいまだに私たち被災者と呼ぶし、主人は(山で)遭難したままだから、何ぼ言っても直さない。私らは遺族でしょう。被災者やない。これも政府から日航が言われたのかなあ、わからへんけど」

 ・・・

 

 

 

 

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目を背けたくなる企みを凝視する

2024年07月04日 | 国際・政治

 名護市辺野古の新基地建設現場で死傷事故がありました。また、沖縄では、米兵による未成年の少女に対する性的暴行事件がありました。こうした悲しい事件が延々と続くことは、日本人には耐え難いことです。

 でも、事件に向き合わない日本政府の姿勢が明らかになっています。

 今年3月に起訴された事件では、政府から県へ情報提供がされなかったというのです。そして、同種の事件が他にもあったというのです。政府は、再発防止の措置など考えていないということではないか、と私は思います。

 この件に関し、小林外務報道官は、

常に関係各所への連絡通報が必要であるという風には考えておりません

 などと述べたことが報道されています。平然とこうしたことが言えるのは、沖縄の人たちの人命や人権を蔑ろにしているからだ、と私は思います。

 だから私は、こうしたことをなくすために、現実を直視し、総合的に情勢を認識して対応する必要があると思います。「見たくないものは見ない」、という姿勢では、こうしたことをなくすことはできないと思うのです。

 現在も、国際社会の声を無視するかたちで、ウクライナ戦争が続き、パレスチナのガザを巡る戦争も拡大傾向にあります。

 また、2023年度から5年間の防衛費を総額43兆円とすることは、国会はもちろん、閣議での議論もない岸田首相の「独裁的」決定でした。そして、それに基づく政府の「防衛力整備計画」は、円安や資材高などの影響で装備品の単価が跳ね上がり、既に計画額より8000億円以上超過する恐れがあるといわれています。

 そんな莫大なお金を費やして、着々と、アメリカの戦略に基づく「台湾有事」作戦の準備が進んでいるのだと思います。悪質な企みだと思います。

 だから、「見たくないものは見ない」という姿勢では、悲惨な戦争はなくせないと思うのです。人を疑うことはよいことではありませんが、権力を握る者や軍人のことばは、やすやすと信じてはいけないと思います。

 

 下記の「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」(河出文庫)からの抜粋文のなかで、著者の青山透子氏は、

あの晩、目撃した子どもたちの小さな目は、未来に向けられている。

 私たちは誠実で嘘偽りのない子供たちの文章を読みながら深く、深く考えなければならない。32年後の今は、彼らが思い描いた未来と言えるのだろうかと自問自答しなければならない。特に長い間、為すべきことを為してこなかった関係者は心の底から詫びなければならない。

 あの日、あの時の記憶。それは地元の子どもたちのみならず、この事故に関わった人々の記憶に残り、受け継がれていくのである。

 と書いています。日航123便の墜落は、圧力隔壁が壊れて、垂直尾翼を吹き飛ばした、というような単純な整備ミスによる事故などではないのです。恐ろしいことですが、そこには目を背けてはいけない数々の事実があるのです。

 

 また、俄かに信じ難いことですが、同じように、下記のような報道にも目を向ける必要があると思います。

 世界中を震え上がらせたテロ集団(ISISは、”アメリカが供給した武器、アメリカが訓練した戦闘員、ワシントンDCの銀行から送られた資金を使ってイラク第二の都市を征服し、スンニ派イスラム教徒の住民を恐怖に陥れた”、というのです。

The notorious terror group used US-supplied weapons, US-trained fighters, and funding sent from banks in Washington, DC, to conquer Iraq’s second-largest city and terrorize its Sunni Muslim inhabitants.

 そしてその狙いは、シリア東部とイラク西部のスンニ派多数派地域に、これらの過激派勢力による国家を樹立させ(イスラム国)、シリアを、地域の主要な支援国であるイランから領土的に孤立させることだったというのす。「ザ・クレイドル」の関係者が、モスルを訪れた際の住民との議論を綿密に検討する と、この集団を最終的に破壊すると言った当時のアメリカ大統領バラク・オバマのことばや対応は、まったくの欺瞞であったというのです。

 思い出すのは、1979年、ソ連のブレジネフ政権が、政権転覆の危険が迫っているアフガニスタンの社会主義政権を支援するため、ソ連軍を侵攻させた時、アメリカのカーター大統領が、ソ連の武力侵攻を批判するだけでなく、ソ連を「悪の帝国」と呼び、経済制裁を発動するとともに、まさに、”アメリカが供給した武器、アメリカが訓練した戦闘員、ワシントンDCの銀行から送られた資金”をアフガニスタンの反政府勢力「ムジャヒディンに提供したのです。その中枢にいたのが、アルカイダのウサマ・ビン・ラディンだったことは、いろいろな人が指摘していることです。「ムジャヒディン」に武器や資金の提供を行ったアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) のこの計画に対するコードネームは、イクロン作戦(Operation Cyclone)と呼ばれているということです。

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                 第3章 『小さな目は見た』というもう一つの記録。

                1 上野村小学校中学校の文集が語る235名の目撃証言

 ・・・

 その他にも、小学五年生のSM君は、ニュースでジャンボ機墜落報道があった時に、外で飛行機が追っかけっこしているぞ、と父親に言われて見たら、電気のついた飛行機が二機飛んでいた、と書いている。こちらはニュース速報後であるから、これは公式発表のファントム二機の可能性が考えられる。当日少なくとも墜落前に二機、墜落後に二機、合計四機のファントム機が飛んでいたということになるのではないか。

 墜落場所については父母と具体的な話をしている子どもが多い。例えば小学校六年生のEKさんは730分頃、『自分の家の上が何かうるさくなったため、外に出て見るとヘリコプターが何機も飛んでいた。夏期講習に行ってる兄からの電話で、飛行機が長野県北相木村に墜落したと聞き、びっくりした。夜中一時頃に姉がNHKに電話をして「絶対に日航123便は上野村に墜落していますよ」と伝えたところ、NHKの人が「はい、ありがとうございましたと」言った』とまで記述している。これは大変重要なことである。『次の日、姉はやっぱり私の言ったとうりに上野村だったじゃないと言いました』とも書いている。

 他の地元民も報道機関に電話しているが、テレビでは別の地名を報道し続けていた。小学校三年生でも、大人と地図を見ながら、『スゲノ沢に落っこちた』と書いている。

 当日、ドカーンという音が聞こえるほどの距離で、その前後に飛行機や自衛隊機を目撃し、さらに五機以上の多数のヘリコプターも目撃している。ぐるぐる回り、右から左へいったりきたり、という表現も多数ある。墜落した場所はお父さんが20年前に植林した場所だ、という子どもいて、その日のうちに上野村だとわかって現地に行く用意をしている。これでなぜ上野村という地名が墜落現場として挙がらなかったのだろうか。子供たちの目はしっかりと見ていたのである。

 さて中学校の生徒87名はどんな目撃情報を記しているのだろうか。

 それの目撃者は63%とこちらも多い。墜落現場については、中学校一年生のTN君が『お父さんが営林署の山に落ちたのかなと言いながらテレビを見ると、三国山とかブドウ峠とか言ってるので、実際に行ってみた。「どうもあの辺は木谷だなあ」と言っていた』と記している。そして『車のラジオでは長野県北相木村付近だと言っていたので、あまりラジオあてにならない』と書いている。ヘリコプターが山の陰に消えたりしているので、『もうこの時は、上野村だと思った。一刻も早く見つかって、生存者を確認してもらいたいとずっと思っていた』と、墜落地名不明の報道にもどかしさを感じている。さらに『学校がはじまって千羽中鶴を作り、航空史上最大ということがとてもショックだった』と書いている。

 中学校の文集には、ヘリコプターの数も、三機、十機と見た数を具体的に記述している。場所も木谷、時計山、御巣鷹山の方といった地名が出てくる。親戚や近所の人たちの会話、さらに場所について電話しているという記述もある。

 墜落前に見たものとして小学校でも記述があったが大きい飛行機と二機のジェット機が目撃されている。中学校三年生のYK君である。

『その日はやたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく思って外に出て行って、「おいY、、飛行機が飛んでいるぞ。来てみろ」と言ったので行ってみた。飛行機は大きいような飛行機と小型のジェット機が二機飛んでいた。5分以上も経っているのに、さっきからぐるぐる回ってばかりいた。外に居ると蚊に刺されるので家の中に入った。そしてテレビを見ていたら「キロリン、キロリン」と音がして、なおいっそうテレビに注目した。ニュース速報で大阪行き日航ジャンボジェット機123便が、レーダーから消えましたと書いてあった』とある。

 これも大きい飛行機と二機の小型ジェット機である。二機はファントム機に間違いないが、大きい飛行機はアントヌッチ氏が後ほど手記を書いたように、墜落地点を探しにきたC─130の輸送機ではないか、という説もあるが、アントヌッチ氏は自衛隊の飛行機は見なかった、ということである。二機のファントム機と日航機による追いかけっこ状態だと推定さっる。

 

墜落現場となった村でしっかりと目撃されていた事実が書いてあるこの文章を残した意義は大変大きい。しかもどこか遠い国の出来事ではない。ましてや戦争でもなく、平時のこの日本において、群馬県の山中にある農村の子供たちが見たものである。

 目撃情報の重要な点を整理してみると次のようになる。

1 墜落前に大きい飛行機と小さいジェット機二機が追いかけっこ状態であった。

2 真っ赤な飛行機が飛んでいた。

3 墜落前後、稲妻のような閃光と大きな音を見聞きした。

4 墜落場所は上野村と特定できて報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所不明または他の地名を放送し続けていた。

5 墜落後、多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車どなどを目撃した。

6 ヘリコプターは墜落場所をサーチライトのような強い明かりで照らしながら、多数行き来していた。7 煙と炎上がった山頂付近をぐるぐると回りながら何かをしている何機ものヘリコプターがブンブン飛でいた。

 

 これで墜落場所が不明だった当時はしかたがなかったとメディアも政府も言い張ることができるのだろうか。逆に何らかの作為があったと思われても仕方がない。

 子どもたちの父親には山を管理する営林署で仕事をしていた人も多い。数十年前の山火事で焼失した部分に新しい木を植林した父親もおり、その植林した木によって落合さんら四名は生還することができたということに感慨深い思いを抱いている子供もいた。文中に一番多く名前が出てきたのは、生存者の川上慶子さんで『助かって本当に良かった。お父さんもお母さんも妹も死んじゃったって悲しいだろうが、頑張って生きてほしい』と自分と同じくらいの年齢の子ども達にとって最も身近に感じたようであった。そして次のようなことばが一番重い。

「(前略)人の命、命というものはいくら高いお金を出しても買えません。お願いします。一生のお願いです。もうこんな惨酷な事故はおこさないでください。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、友達、親友を亡くした人はどうするんですか。この事故で助かった人達、これからどうするんですか。『一生懸命生きてください。なくなった人のためにも。これが私のたのみです』」(原文、ママ 小学六年生MNさん)

 あの晩、目撃した子どもたちの小さな目は、未来に向けられている。

 私たちは誠実で嘘偽りのない子供たちの文章を読みながら深く、深く考えなければならない。32年後の今は、彼らが思い描いた未来と言えるのだろうかと自問自答しなければならない。特に長い間、為すべきことを為してこなかった関係者は心の底から詫びなければならない。

 あの日、あの時の記憶。それは地元の子どもたちのみならず、この事故に関わった人々の記憶に残り、受け継がれていくのである。

 

 

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ボリビアの反米政権転覆未遂とリチウム、

2024年07月02日 | 国際・政治

 下記の画像のなかに、

04/24/2024 - #Bolivia hopes to join BRICS.

06/26/2024 - coup attempt.

Bolivia also has loads of lithium.

 とありますが、ブリックスに加盟することを希望していたボリビアのクーデター未遂事件に関わって、私は、「メキシコ革命物語」渡辺建夫(朝日選書285:朝日新聞社)の記述を思い出しました。
この強力な軍事独裁政権の出現をいちばん歓迎したのは、メキシコ駐在アメリカ大使ヘンリー・レーン・ウイルソンだった。彼はマデロ夫人(当時のマデロ大統領夫人)に夫の命を救うため援助してほしいと懇願されたとき、厚顔無恥にも内政干渉することはできないと答えてつっぱねている。が、彼ほどアメリカの巨大な国力を背景に最大限メキシコの内政に干渉しつづけた男もいなかった。


いまも昔も、ラテン・アメリカで頻発する政変、クーデター、反革命の背後には必ずアメリカ合衆国政府の黒く大きな影があったのである

 だから南米のボリビアは、CIAの工作に負けず、クーデターを阻止し、ボリビアの貴重な資源、リチウム(lithium)が収奪されることを防ぐことが

できたのだと思います。

 

 ウクライナ戦争以後、アメリカと手を結んでいるG7NATO諸国は疲弊し、政権の支持率は低下して、どこも極右の台頭が著しいようです。見通しが暗いからではないかと思います。

 そして、日本にはますます戦争の危機が迫っているように思います。先日、朝日新聞のトップ記事は、”自衛隊70年、加速する「日米一体」 中国念頭、「列島線防衛」訓練に初参加”、と題されていました。

 訓練は「中国」を敵とするものです。でも、日本が中国を敵視することは間違っている、と私は声を大にして言いたいと思います。

 日本政府は、防衛力強化を正当化するために、しばしば「自由で開かれたインド太平洋」(Free and Open Indo-Pacific)という言葉を使いますが、その言葉は、中国の勢力拡大を止めたいアメリカの戦略からくる言葉であって、なかみが曖昧であり、日本が同調すべき戦略ではないと思います。

 アメリカのインド太平洋軍司令官、ジョン・アキリーノ氏は、しばらく前、「中国人民解放軍が2027年までに台湾に侵攻しようとする習近平国家主席の目標を達成しつつある」などと語ったようですが、私は、根拠のない「作り話」のように思います。

 アメリカはいつもそうやって、事の「善悪を逆さに見せる」(イラン政府報道官ジャフロミー氏)情報を流し、自らの対応を正当化して、有利な立場に立とうとしてきたからです。

 でも、中国が主導するブリックス(BRICS)や上海協力機構(SCO)は年々拡大しているのです。 台湾に侵攻する必要性などまるでないと言えると思います。わざわざ、台湾や周辺国を敵にまわすような侵攻などするわけはないということです。

 一方、世界中でアメリカ離れが進んでいることは、誰にも否定できない事実だと思います。だから、アメリカは中国の拡大を阻止するために、何としても、中国を「悪の枢軸」に加え、習近平を「極悪人」にしたいのだと思います。

 メディアの報道を鵜呑みにせず、情勢の変化を注視していると、”中国の軍事的台頭を背景に2010年の「防衛計画の大綱」で部隊配備が明記された 九州南端から台湾へと連なる南西諸島で、自衛隊の体制を強化する”という「自衛隊南西シフト」の政府の方針は、実は、中国を挑発するのが目的のアメリカの戦略なのだろうと思います。また、自衛隊の島嶼防衛( Defense of remote islands)策は、現実にはあり得ないことを想定している愚策だと思います。だからそれは、中国を挑発するアメリカの戦略に基づくものだと思うのです。 

 

 そして、日航123便墜落事故の対応にも、「アメリカ合衆国政府の黒く大きな影」が見えるのです。  

 だから、アメリカとの同盟を強化すれば、日本独自の外交が出来ず、日本の労働者が真面目に働いて得た富を吸い取られ、日本の国土がアメリカの覇権と利益のために利用されるのみならず、アメリカの戦争に協力させられることになると思います。政治家や大手企業の不正が横行するのも、そうした流れと無関係ではない、と私は思っています。

 

 下記は、「日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子(河出書房新社)から、政府関係機関の圧力隔壁破壊説を覆す、目撃証言の部分を抜萃しました。

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            第二章 新たに浮かび上がるあの日の証言

               3 目撃者たちの証言

 ファントム二機と赤い物体の目撃者

 20159月、「青山さんに聞いてもらいたい目撃証言がある」ということで突然出版社を訪ねてきてくれた女性がいる。その人は、1985812日に目の前を異常なほど低空で飛ぶ日本航空123便を見た、とのことだった。担当編集者がたまたま在籍していたが、次の予定があって私の代わりに少し話を聞いて職場の名刺と連絡先を受け取り、そのままになってしまっていた。今回の出版が決まって連絡をすると快く対応してくださり、改めて話を聞く機会を得た。

 現在は東京にて福祉関係の仕事をしていらっしゃる小林美保子さんは1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで車で通勤していた。812日のあの日は、お盆前で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が1830分頃になってしまった。

 タイムカードに打刻して階段を下りて外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と二度、凄まじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェット機が見えた。

 ちょうど会社の敷地内で前方に東名高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺色の線が入っていた。駿河湾の方向から富士山のある北の方角に向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。飛行そのものは安定している感じだった。それにしても、いつもの航空路でないこの場所で低空飛行のジャンボ機を見るとは思ってもいなかった。

 そして、その時あることに気づいたのである。

「それはですね。機体の左下のお腹です。飛行機の後ろの少し上がり気味の部分、おしりの手前ぐらいでしょうか。貨物室のドアがあるような場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。一瞬火事かな、と思ったけど、煙が出ている様子もない。ちょうど垂直尾翼のあたりがグレー色でギザギザのしっぽみたいだったので、それが煙に見えたけど、煙ならたなびくけど、それは動かなかった。今思うと、千切れたしっぽのギザギザが煙のように見えたんですね」

 真っ赤というと火事かと思いきやそうではないという。

 そのお腹の部分、つまり飛行機の左側のお腹の部分、45mぐらいになるのかなあ。貨物室のドア二枚分ぐらいの長さでしょうか。円筒形で真っ赤。だ円っぽい形でした。濃いオレンジ色、赤という色です。夕陽を浴びて赤い、という感じでもない。夕日は機体の背を照らしていたので、逆にお腹は薄暗く見えました。円筒形のべったりとした赤色がお腹に貼り付いているイメージ。言葉で伝えるのは難しいけど、絵に描くとこんな感じかなあ」

 次頁に飛行機の模型を使って、絵に描いてもらったものを再現してみる。

 機体に穴が開いているのでもなく、腹部にべっとり貼りついているように見える。

 赤色とは何だろうか。ずっと気になって疑問に思っていたという。

 その機体を見た後、いつもどうりの道を車に乗って帰宅途中、今度は目の前を飛ぶ二機のファントム(F─4EJ)を見た。時間は先ほどのジャンボジェット機を見て5分ぐらい過ぎてからだという。田舎なので高い建物はなく、突然視界に入ってきた。浜松の方向、西の位置から飛んできたと思われるファントム二機はジャンボジェットが飛び去った方向に向かい、それを追うようにして、今では新東名(第二東名)高速道路の方向、山の稜線ギリギリの低空飛行で飛び去っていった。時間は1835分頃である。まだこの時点で日航機墜落していない。しかも公式発表で195分に出動となっているファントムが、すでに実際に飛んでいたことになる。

 小林さんは子どもの頃から近くにある航空自衛隊第十一飛行教育団静浜基地のこどもの日イベントや航空祭で、よくブルーインパルスなどを見ていたという。航空祭の前日にはいついろいろな飛行機が飛んできていたし、ファントムの展示もあったのですぐわかった。ファントム二機が少し斜めぎみに頭を上げた状態で飛んで行った。

「場所は大洲中学校あたりの道路を西に向かって走行中に見えてきました。ずいぶん低い高度で北の方向に稜線ギリギリで飛んでいった。日航機の飛び去った方向でした。その後、家に着いたのが1850分より前だったので35分ごろに見たのは間違いない。きっとニュースで放送されるから見なくちゃって思いながら帰りました。そして家に着いたら、まだ7時のNHKニュースが始まっていなかったので、時間はよく覚えています」

 それではNHKの臨時ニュースで「あ、この飛行機を見た」と思いびっくりしたでしょうと話すと「いいえ、違う飛行機のことだと思っていました」という。その理由について尋ねると、

「だって私が見たジャンボジェットのほうはすぐにファントム二機が追いかけていったから。大きなトラブルではなかったからニュースにならなかったんだと思っていました。それよりも今日はとても大きな事故があったんだと思った」そうである。

 なるほど、ファントム二機がすぐに後を追っていたので助かったと思い込んでいたということだった。つまり、さっき自分が見た飛行機はまだ明るいうちにファントムが追尾してくれたので、当然のことながら何が起きたかわかるし、着陸地点もわかるので、報道された行方不明機ではないと思い込んだそうである。その後、いろいろな本や報道で特集されたものをみているうちに、もしかして自分が見たものは日航123便ではないかと気付いたが、何か見てはいけないものを見たような気がして、恐怖心が出てきたこともあり、記憶を遠ざけていたということであった。

 その後、何年か経って東京で暮らすようになり、「青山さんの本を手に取ってみて、身近な同僚を亡くされたということに、読んでいて同じ気持ちになって……、これはぜひわたしが目撃したことを青山さんに聞いて頂きたいと思いました。それに女性だと話しやすいし、勇気を振り絞って、いつか話しに行かなきゃって、思い切って会社に行ったのです」ということだった。確かにご遺族以外の女性がこの事件を書いた本は他に見当たらず、先輩を亡くした当事者意識が共感を呼ぶと言っていただいたことはうれしい一言だった。

 それにしてもべっとりと貼り付いたように見えた真っ赤な火事のように見えるオレンジ色のものはなんだろうか…。

 だ円や円筒形のような形で、まるで絆創膏を貼っているように見えたそうだ。そうなると、5分後に追尾していたファントム機の乗務員も、その物体をしっかり見たであろう。そしてそれをどのように理解し、どのように報告し、どのような命令を受けたのだろうか。

 ファントム機が追尾したならば、それによって墜落地点が早急にわかり、すぐに生存者を救出することが可能となろうが、小林さんが子どものころから身近に感じて信頼してきた自衛隊のお手柄。という結果にはつながらなかった。

 目撃者にとっては救助してくれたと思って安堵した存在であったファントム機が、なぜ公式記録には出てこないのかもいまだに不思議な話である。

 小林さんにとって、何年経ってもあの時の飛行機が発した悲鳴にも近い高音が忘れられないという。「キャーン、キャーン」と女性の悲鳴に似た甲高い音は、おそらく機体の音ではなく、機内の人たちの悲鳴だったのではないだろうかという思いが胸に残る。その時、123便からの「助けてほしい」という心の声を聞いた気がする、と語っていた。

 

 心の悲鳴が聞こえた……。機内の人たちはこの声を誰かに聞いてほしかったのだ。

 

 1830分頃というと遺書を書いた人たちも多かった時刻である。

 まだあの時点では、飛行にも支障がないように安定して見えたとのことで、着陸を予定して徐々に高度を下げて低空飛行をしていたのだろう。

 その時、垂直尾翼の部分がギザギザに壊れた状態であったことが目視できたということだが、事故調査で発表された静岡県焼津付近の高度は24,900フィート(7470m)である。その高度では、お腹も垂直尾翼も地上からはあまりに遠すぎてクリアに見えない。しかし、現実には他にも東名高速道路や新幹線の駅でも超低空飛行するジャンボ機が目撃されている。1985815日付毎日新聞には、当日、新幹線広島発東京行きひかり252号に乗っていた埼玉県大宮市の主婦SIさん(37歳)の証言として『午後6時半ごろにジャンボ機が超低空で山側へ向けて飛んで行った。やや右下がりの飛行であんな場所でジャンボ機を見たのは初めて』という記事がある。

 目撃者たちの見た高度は、群馬の山々の稜線から見て1000mちょっとの低さであろう。

 小林さんにはっきりと見えた超低空飛行中のジャンボ機、その左腹部にあった赤色の正体は何か。彼女が抱えてきた長年の疑問として、とにかくこれを誰かに解明してほしいというのが切実な願いであった。

 それが「心の悲鳴」を聞いてしまった人としての役割だということで話に来られたのだろう。

 一体何がそこにあったのだろうか……。

 しかも破壊された垂直尾翼でなく、胴体部分に位置する赤色の物体である。例えば、貨物室のドアが開いて室内にあった何か赤色のものがはみ出したとも考えられない。それならばドアオープンのサインが出て、すぐコックピットで分かったはずである。そうなると機体外側に付着していた、またはそのように見えた、と考える方が自然と筋が通る。これについて考えられる仮説を第四章で提示したい。

  もうひとつの疑問。ファントム二機についてであるが、これも墜落前の時刻に自衛隊員によって明確に記述された目撃証言がある。

 群馬県警察本部発行の昭和6010月号『上毛警友』という冊子は日航機墜落事故特集号として、警察関係者のみならず、救助や捜索に関係した、医師、日赤、報道、地元消防団、ボランティアなどあらゆる部署、現場の人々の手記が掲載されている。表紙が生々しい煙が立つ上野村の墜落現場の写真である。それぞれが経験した「あの日」のことが書いてあり、仕事や役割といえ、これほどまでに大変な思いをして任務に当たったのかと本当に頭が下がる思いで読んだ。

 その122ページに『日航大惨事災害派遣に参加して』というタイトルで、自衛隊第十二偵察隊(相馬原)の一等陸曹、MK 氏手記がある。その出だしを読んだとき、これは確実な目撃情報だと確信した。

812日私は、実家に不幸があり吾妻郡東村に帰省していた。午後640分頃、突如として、実家の上空を自衛隊のファントム二機が低空飛行していた。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でもあったのだろうか』と兄と話をした。午後720分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知った。これは出動になると直感し、私は部隊に電話をしたが回線がパンク状態で連絡がつかない」(原文ママ、以下略)

 この後タクシーで向かったが、所属部隊はすでに20時半に第一次偵察隊として先遣されていたという。

 自衛隊がファントム機を見た、ということで見間違いはあり得えない。警察の編集する冊子に、当日自分が経験したままを書いたのだろう。この記述によって、群馬県吾妻郡上空を1840分頃ファントム機二機が飛行したていたことが明らかになった。そうなるとやはり、小林さんが語ってくれた。静岡県藤枝市上空を1830分頃にファントム二機が通過したという目撃情報と一致する。したがって、明確にしておかなければいけないことは、まだ明るい墜落前に、航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかりと見ていた、という事実である。もはや墜落場所は一晩中特定できなかったという言い訳は当然のことながら通用しない。

 問題なのは、なぜ墜落前に飛んでいたファントム二機の存在を隠し続けているのか、ということである。どうしてもそうしなければいけない理由があったとしか考えられず、それがこの事故を事件ではないかと感じた理由である。

 さらに目撃者を続く。墜落現場となった上野村では多くの人たちがあの日の晩、いろいろなものを目撃している。特に注目すべきは子どもたちの目である。子どもたちはその目で真実を見たのである。

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反米政権転覆戦略と日航123便墜落事故

2024年06月29日 | 国際・政治

 先日、ロシア南部のダゲスタン(タジキスタン)で起きたテロに関し、朝日新聞は「相次ぐ襲撃、統治能力に疑問符」と題する記事を掲載しました。ロシアは、外国勢力がロシアを混乱させるために計画し、実行したと主張しているのに、そのことについては、事実の確認や取材をせず、また、教会やシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)を襲い、神父や警察官を殺し、火を放つという悪質なテロであるにもかかわらず、そのことに目をつぶり、プーチン大統領の統治に問題があるかのような記事を掲載することは、いかがなものかと思います。このテロが、アメリカをはじめとする西側諸国で起きたテロであれば、あり得ない記事だと思います。

 ロシア政府系ニュースサイト「コムソモリスカヤ・プラウダ」は、”「西側全体」がロシアに対して「第二戦線を開こうと」している”と非難したようですが、私は、それが事実ではないかと想像します。だから、上記のような朝日新聞の記事は、アメリカの反米政権転覆戦略に加担するものだと思います。現実の無視といってもいいと思います。

 ”3月にモスクワ郊外で大規模襲撃事件が起きていて、ウクライナ侵攻後、国民の間に広がる政権への潜在的な不満が一段と強まる可能性もある”などと、モスクワ郊外のテロ事件も、その実行犯の目的や背景をきちんと把握しないまま、プーチン大統領の統治の問題として論じているように思います。でも、それはアメリカの外交政策や対外政策の問題点(反米政権転覆戦略)に目をつぶることだと思います。アメリカは中南米やアフリカを中心とする国々で、反米政権転覆作戦をくり返してきたのです。

 このモスクワ郊外のテロ事件に関して、ロシアのパトルシェフ安全保障会議書記が、「捜査の過程で、実行犯とウクライナの民族主義者との直接的なつながりが確認された」と語っているので、まずは、その事実をきちんと確認することが大事だと思います。

 

 下記は、628日、english.pravdaが報じたものですが、アメリカはボリビアを不安定化させ、アメリカの産業へのリチウムの供給を確かなものにしようとしているというような内容です。

The United States will continue to destabilize Bolivia in order to install a government that will ensure the supply of lithium to the American industry.(See more at https://english.pravda.ru/news/world/159869-bolivia-coup/ )

 そして、この報道と関わって、Twitterには、CIAの関与を指摘する下記のような投稿がありました。

 CIAの任務を考えれば、こうした問題にCIAが無関係であるわけはない、と私は思います。アメリカが圧倒的な経済力と軍事力を持っているのは、こうしたことを積み重ね、利益をあげてきた結果であると思います。現実を見なければいけないと思います。

 

 再び、沖縄のアメリカ軍嘉手納基地に所属する兵士が、16歳未満の少女をわいせつ目的で誘い出し性的暴行をするという事件がありました。でも、外務省は、ことし3月の起訴の時点でアメリカのエマニュエル駐日大使に抗議していたにもかかわらず、県に対しては3か月近くたった25日になって、県の問い合わせを受けたあとに伝えたといいます。日本政府は、アメリカの忠僕であり、沖縄県民を蔑ろにしている、と私は思います。

 今、私がとり上げている日航123便墜落事故でも、アメリカは、事実を偽り、隠然とした力の行使をしていることは明らかだと思います。

 

 下記は、「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、私が、記憶しておきたいところを抜萃しました。圧力隔壁破壊説は、客観的事実に反するのです。

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               2部 エマージェンシー 墜落か不時着か

               第3章 原因は何か 新聞報道から見える事実

 

 ボイスレコーダーの一部解明─818日の事故原因

 ・・・

  第二次中間報告…

 96日付で突然発表されたニューヨーク・タイムズ紙によるボーイング社の修理ミス説が主力となり、7年前の大阪空港における尻もち事故の修理を全面委託されて請け負ったボーイング社が、後部圧力隔壁の修理の際、決められたリベットより少ない数で修理したことによって金属疲労が生じ、それが原因で隔壁が破壊された。(1985914日発表)

 

 これを受けて各新聞や雑誌では、

「ボーイング社は、世界中飛んでいるたくさんのジャンボジェット機の構造にミスがあるのではなく、悪いのはあの修理ミスを行った一機のみであるとしたくて発表したのだろう」

 とか、わざわざ弱い所を作るような修理をしたとは、信じられない。あれほどひどい修理をよく日航だまって通したと思いますよ」という意見があり、さらに、

「事故調にお願いしたいのは、単なるつじつま合わせではなく、事故原因を突き詰めてもらいたい、今後に役立つようにしてほしいということだ」

 などの声が上がった。

 1987619日、最終事故調査報告書…

 橋本竜太郎運輸大臣に提出した内容は、やはり、事故機が197862日に大阪空港で胴体後尾部を滑走路にこすった際にボーイング社が修理し、その修理ミスを起因とした後部圧力隔壁が、疲労亀裂となって破壊されて急減圧が生じ、垂直尾翼を突風が吹き飛ばしたというものであった。

 日航側もその修理ミスを見逃したということで、責任を指摘された。

 報告書のほとんどは修理の際にミスをした断面図や隔壁の状況説明である。

 乗客、乗員の死傷についての解析では、機体前方部は即死状態、後方胴体のさらに後方にいた生存者は奇跡であるとした。

 また、運行乗務員は急減圧による低酸素状態で操縦したことにより、知的作業能力、行動能力がある程度低下したものと考えられるとした。

 さらに捜索活動については、登山道がなく落石危険の多い山岳地域であり。夜間ということで、機体の発見及び墜落地点確認まで時間を要したことはやむを得なかったとしている。

 

 事故から1か月後、第二次報告書が出た時の日本航空側の河野宏明整備部長のコメントだが、「ボーイング社の修理ミスは考えられない。修理後7年間も無事に飛び続けていたという事実がある。隔壁の亀裂発見については、隔壁の亀裂は1インチ(2.54cm)程度になったものを目視で発見して手当をすればよい規定になっている。仮に数ミリの亀裂があっても、客室内のタバコのヤニはここに付着するので、あればすぐわかるはずだ」と点検ミスを否定している(1985915日付毎日新聞朝刊)。

 

 この言葉を重く受け止めた学生A

「これはJAL整備部長の単なる言い逃れと思えないです。だってこれほどまでに言うということは、この人は信念を持っていると思うし、記者もそれを知ってわざわざ書いたのだと思います」

 と言った。

 おそらくこの学生は、インターンシップで航空会社の整備士と接していたから、特にそう感じたのだろう。

 たしかに当時はタバコ(機内で喫煙可のため)のヤニ付着によって亀裂部分がすぐ発見できるということを整備さんから聞いたのを思い出した。

 

 事故から7ヶ月後の1986328日に報道された『事故調査に関する報告書』の中で、まるでこの日航整備本部長の発言にヒントを得たかのごとく、いきなりヤニについての記事が出たのである。なぜ突然ヤニになのか?

 ヤニが付いていた事故機のリベット部分を指さしながら見せるヘルメットをかぶった人の写真が公表されたのだが、その新聞をみんなで回して見た。

 328日付各新聞記事によると、そのヤニは修理ミスの継ぎ目に付着しており、長時間にわたって空気が漏れ続けていた証拠であるとしている。

 報道書案に添えられた7枚の写真には、継ぎ目とリベット周辺にこびりついた黒ヤニが鮮明に写され、中には垂れかかったものまであるという。

 垂れかかったものとは、長年洗浄していないということか?

ーーー

      第3部  乱気流の航空業界 未来はどこへ

         第1章 過去からのメッセージ

 

先輩の墓標

 ・・・

それからこの辺りは、歯の骨まで真っ黒で、炭化状態になってしまった。通常の火災現場の遺体と異なって、なんか二度焼かれたぐらいひどい状態だったよ。ちょっとさわるとポロポロと崩れそうだった。ジェット燃料のケロシンって、そんなに燃えるのかね」

 のように当時を思い起こして真剣なまなざしで語る大國氏の言葉を受けて私はこう答えた。「ジェット燃料はJET─A40という灯油の部類でケロシンと言いますが、マイナス50度の上空でも凍ってしまわないように、灯油よりも純度が高くて水分の少ないものです。基本は灯油です。両方の主翼内の区切られたタンクに入っていますが、事故機の胴体部分には入っていませんでした。翼が激突で壊れた時、燃料が飛び散ったとしても、この高い木々の上を、例えばフランス料理のフランベのように炎が立ち上がっても燃えて爆発するイメージですね。さらに夏山でもありますし、当時の墜落直後の写真を見ても、木の幹は茶色に焦げた程度ですよね。

 木々の葉っぱが黒くなっていても、幹は炭化していませんし、こげ茶のままです。さらにケロシンは灯油よりも燃焼性がよいので、炭素分子の『すす』の発生量が少ない、つまり黒くならないのです」

ええ? ジェット燃料って灯油程度? それでは家の火事ぐらいだなあ。私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は「すす」で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えてない。

なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化嗚呼する燃えていた。まるでガソリン頭からたくさん被って亡くなった方のような状態だったよ。それを検死担当の先生は二度焼きしたような状況だと表現している」

 二度? 両翼はそれぞれ機体からもがれて、乗客の席とは分離して右と左の沢に落ちている。そこから燃料が飛び散り、二度爆発があったとしても、それは木々を焦がしているが、幹の中までは燃えていない。なぜか地上に落ちた遺体の広範囲にわたって黒々と骨の芯まで燃えているというのだ。

 なぜだろうか? ジェット燃料でもガソリンでも、炭焼き釜でも、すべて圧力のかかった限られた狭い範囲(燃焼室)おいて、爆発的に燃えて高温になるが、この山の上にばらまかれた燃料は、圧力がかかった状態でもなく、狭い範囲でもなく、広範囲の山の木々に散らばり、広い空間に放出されたのである。

 尾根を伝って流れ落ちることや、夏山の青々としたみずみずしい草木や、大気の中に放出されたケロシンは、ガス化しやすく、「すす」も出にくい成分だが、霧状に噴霧された時、土や臭いの上にある遺体が骨の芯まで黒く炭化するのだろうか。各科学的にも考えにくい。

 唯一、火炎の難を逃れた生存者が発見された場所であるスゲノ沢付近の遺体は、まったく異なる方向に後方の機体(Eコンバートメント)が分離して、この沢の下までかなりの距離を滑落した。尾根の頂点から見えないほど、急な斜面をかなり下まで滑り落ちたため、✕岩付近から随分と見えない場所に落ちている。

 それ以外は、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体も、俺の頂上付近で激突したところも、遺体が集中した場所が特に黒こげ炭化状態であったという。

 夏の軽い衣服にジェット燃料が付着したとしても、生身の体が骨の芯まで炭化する前にガス化してしまう。そびえ立つ木々の幹や土はそこまで燃えていないのだから。

 大國氏によると、ある炭のようになった遺体は固く抱き合った新婚夫婦のものだったという。そのままの状態で炭化したために、耳の穴が三つ確認できるが、二体を分けようとしても、

ちょっとさわると炭がボロッと崩れるになってしまうために、身元を割り出すのに大変苦労されたということであった。

 大國氏のように、自分の命さえも投げ出して献身的に身元確認作業をした人々は、骨の奥まで、520名もの故人を思い、遺族を思い、その方々の無念を皮膚感覚で感じ取ったのであった。 さらにその時の惨状を黒澤氏はこう語ってくれた。

 「生存者を見つけた日が13日だったから、あれが一番だね。うれしかったよ。

 その後は、何日かしてから、手伝ったんたけど、1メートル間隔でナイロン袋を持たされて肉片とか拾ったけど、ウジが湧いて…、ハラワヤもも木に引っかかっていて、とにかくすごい臭いだったよ。椅子に座った状態でさあ、胴体がベルで切れてしまって… 

 それで家に帰ってね、焼肉を出されたけど、気持ち悪くて食うなかった… 噛んでいるだけでグッと飲み込めないいんだよ。腹が減ってるけど、本当につらかったよ。何も飲み込めないんだから」

 消防団員として火事も経験していたそうだが、あれほどの炭化した遺体を見たことがないということであった。

 大國氏も身元確認作業で、頭部がめり込んでしまった遺体に自分の手で歯の部分を引き出して、必死に確認しと語る。お二人はまさにあの時、仕事としての責務を超えた状況の中で、自分の命さえもなげうって必死に作業したのである。

 

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日航123便墜落事故から日米関係を考える NO5

2024年06月25日 | 国際・政治

 アメリカのオースティン米国防長官は、先日訪問先のシンガポールのスピーチで、重要なことを語りました。アメリカやアメリカの同盟各国が相互に結び付きを強める「新たな結集(new convergence」に移行したというのです。 "hub-and-spokes" modelは、過去のものだというのです。そして、「新たな結集(new convergence」は、より強力であり、頼りになり、可能性のあるパートナーのネットワークだというのです(a stronger, more resilient, and more capable network of partnerships)。でも、それは同盟各国の独自の外交や対外戦略を許さず、アメリカの戦略に統合しようとする関係強化だろう、と私は想像します。同盟各国のアメリカとの関係強化のみならず、同盟各国相互の関係も強化して、がんじがらめの関係強化で、同盟各国で政権交代があっても動きがとれないにするものではないかと危惧します。

 下記は、その中心部分を抜萃したのですが、そういう大事なことが、日本ではまったく議論されていませんし、周辺国も同じだと思います。中国を念頭に置いた軍事的な関係強化といえるように思いますが、見逃せないのは、一般国民の知らないところで、こうした軍事的な関係強化が進められ、戦争に向かっている事実です。
 日本では、しばらく前、岸田首相が2023年~27年度の5年間の防衛費について、総額43兆円とするように浜田防衛相と鈴木財務相に指示しましたが、それは、国会で何の議論もなく、閣議でも議論されていないことでした。防衛費の大幅な増額が、何の話し合いもなしに、首相が防衛相や財務相に指示するなどということは、民主主義の国家では許されないことですが、こうした独裁的な決定が、アメリカの世界戦略からきていることは、こうしたオースティン国防長官のスピーチが示していると思います。本来、各国が意見を持ち寄って決めるべきことが、アメリカの方針として示され、関係国が受け入れていくのです。大国、アメリカの戦略に反対したり、異論を挟んだりすることはできないのだろうと思います。

 地方分権の流れに逆行する、国から地方への指示権を認めた改正地方自治法が19日の参院本会議で、可決成立したとの報道がありましたが、それも、台湾有事などを考慮したアメリカの戦略と切り離せないものだろう、と私は思います。法に縛られることなく、アメリカは、日本で、自由に活動できる体制をつくっておきたいということだろうと思うのです。

'The New Convergence in the Indo-Pacific': Remarks by Secretary of Defense Lloyd J. Austin III at the 2024 Shangri-La Dialogue (As Delivered)

June 1, 2024 As Delivered by Secretary of Defense Lloyd J. Austin III SINGAPOREhttps://www.defense.gov/News/Speeches/Speech/Article/3793580/the-new-convergence-in-the-indo-pacific-remarks-by-secretary-of-defense-lloyd-j/

 

 ・・・

And this new convergence is producing a stronger, more resilient, and more capable network of partnerships. And that is defining a new era of security in the Indo-Pacific.

You know, in the past, our experts would talk about a "hub-and-spokes" model for Indo-Pacific security. Today we're seeing something quite different. This new convergence is not a single alliance or coalition, but instead something unique to the Indo-Pacific—a set of overlapping and complementary initiatives and institutions, propelled by a shared vision and a shared sense of mutual obligation.

This new convergence is about coming together, and not splitting apart. It isn't about imposing one country's will; it's about summoning our sense of common purpose. It isn't about bullying or coercion; it's about the free choices of sovereign states. And it's about nations of goodwill uniting around the interests that we share and the values that we cherish.

Now, at the heart of this shared vision is a set of common principles. Countries across the Indo-Pacific, including the United States, are converging around these enduring beliefs: respect for sovereignty and international law. The free flow of commerce and ideas. Freedom of the seas and skies. And openness, transparency, and accountability. Equal dignity for every person. And the peaceful resolution of disputes through dialogue—and not coercion or conflict. And certainly not through so-called punishment.

 

 下記は、「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、アメリカや日本側関係者の法や客観的事実を無視した事故処理や対応、また、私が個人的に気になるところを中心にところどころ抜萃した文章です。 

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 群馬から通学している学生街抱いた疑問 その② 首相の一日

「ここで有名な別荘地、軽井沢です。ゼミ合宿をした人も多いでしょう。

 事故当日、そしてその後も私たちの町や村が最も辛くて大変だった時に。本当ならば一番先に駆け付けるべき人がここでテニスをして、プールで泳いでいると新聞に書いてありました。それは、このときの総理大臣、中曽根康弘氏でした」

  812日から8月末日ごろまで、各紙に掲載された首相の一日を要約したものを黒板に貼りながら学生Jは言った

「もし今ならば、この首相の一日をどう思いますか? もし皆さんが今、墜落現場にいるとしたらどう感じますか? そう思って読んでみてください」

 

813日(火曜日)1630分クラフ米太平洋軍司令官、ティッシュ在日米軍司令官、マンスフィールド大使同席

 

 すると、この墜落の次の日に首相官邸訪れたティッシュ氏はまさに在日米軍司令官だ。救出しようとした海軍海兵隊救難チームを途中で止めさせて、戻した責任者である。さらに、日本側が。現在救助に向かっているから帰還せよということは、日本側に墜落現場をきちんと伝えたという証拠となる。

 

 駐日米大使も同席しているが、このクラフ米太平洋軍司令官は101日付で米軍統合参謀本部議長に就任するために、退任の挨拶に来たというのが名目である。

 この状況の中で、中曽根氏と一言も日航機事故について語らなかったと言えるだろうか? それはありえないはずだ。

 

 中曽根氏は、突然15日夕方から夫人とともに23日で人間ドック入り 東京女子医大病院

体の具合が悪いわけではない。

 15日の人間ドック入りの時刻は、米国からボーイング社の担当者らが来て垂直尾翼を検証している時刻で、その直後の16日、17日はフライトレコーダーもボイスレコーダーも一部しか分析されていないにもかかわらず、いきなり後部隔壁破壊説が出てきた出てきた時期と重なるのである。

 この空白の2日間に事故原因がなぜか新聞記事で断定されていた。

 まさか病院を抜け出して、また病院において誰かとの協議があったのだろうか。

 面会記録に残らないこの病院で、確かに疑われても仕方のないものだと言えるのではないか?

 

 なお。7年前に事故機を検証した運輸省航空事故調査委員の平栗次席調査官は検証後の記者会見で、「損傷は滑走路をこすった。外板部分だけでなく、フレームなどの骨組みにも異常が見つかった」と指摘していた、ということである。

 

 事故歴のある飛行機だったことが分かり、その修理方法に目が向いている中で、さらに同日の各紙夕刊で次のような報道があった。

「垂直安定板の下の部分に通常の飛行では考えられない力によってできたとみられるへこみがあることがわかった。… 発見された安定板には、リベットや主要構造物の一部分がついており、リベットがはずれて安定板が取れたのではなく、通常の飛行では考えられない力が加わったとみられる」

 

 新聞各紙によると、海上自衛隊の護衛艦『まつゆき』が試運転中に引き揚げた垂直尾翼の一部には、両端がもぎ取られたような跡と、何かがぶつかったような大きな穴があいていると記されている。

 

 落合先輩が語った内容が各地でトップ記事として全文が載せてある。

 彼女は同じ寮で部屋も近く、よく見かけた大阪弁でおしゃべりの好きな楽しい先輩だ。その中で私が気になったことが二つあった。なぜ初めに会社の人間が彼女の証言を発表したのだろうか。普通警察の事情聴取が先なのではないか。それに「ダッチロール」「ベントホール」という言葉だが、私は聞いたことがなく、これは客室乗務員が日常的に使う言葉ではない。

<注5 機首の左右の揺れと機体の横回転がほぼ同時に起きる運動をダッチロール運動という。落合由美さんは後に、この言葉を自分は知らず、当時言っていなかったと証言している。ベントホール(気圧調整孔)も落合さんの座席からは確認できる位置にはなかったと語っている。 >

 

 さらに読売新聞には、墜落寸前の垂直尾翼がもぎとられて航行している123便をカメラに収めた山崎啓一氏の写真が掲載されている。

 航空関係者は、その写真を見て、「明らかに垂直尾翼はほとんどなくなっている、これでは機体の安定を保つことは無理だ」と語り、墜落原因を示す証拠写真であることを強調した、とある。確かに高さ10m程ある部分が三分の二ほど消失しており、主構造物と前縁部の一部だけが、短いツノのように残っているだけである。

 

 さらに、「来日した米ボーイング社などの事故調査担当者と米大使館員ら7人、運輸省事故調査委員らは、15日午後、相模湾で回収した方向舵の一部など落下物が保管されている神奈川県警第一機動隊(横浜市金沢区)を訪れ。詳細に検分した。立ち会った同県警の話によると、国家運輸安全委員会(NTSB)のスタッフと米ボーイング社の事故調査担当者ら5人だけが中に入り、落下物を検分。5人は13日に回収された垂直安定板の一部に注目。特に何かの強力な衝撃でちぎられたようなギザギザの切断面を見せる下部(接合部分)とさらに上部を詳しく見た」とある。

 つまりボーイング社とNTSBスタッフは、墜落現場に行くよりも、まず相模湾で回収された垂直尾翼の検分を行ったとのことだ。

 そして、まだボイスレコーダーやフライトレコーダーを解明するには時間がかかると書いてある事実。

 にもかかわらず「日航機墜落、最初に後部隔壁破壊 客室から与圧空気が噴出、垂直尾翼を壊す」という見出しが、なぜ816日の毎日新聞朝刊に載っているのだろうか。

 重要な証拠がまだ解明されていないのに、隔壁破壊の文字が躍っている。

 

 この記事は非常に大きなヒントを含んでいるのではないか。

 つまり、このような垂直尾翼の破損は、外から加わる力で、飛行機同士の衝突などのような異常な衝撃で生じるのだと書いてあることになる。

 それ以外には機体内側より与圧された空気など強い力が噴出した場合にも充分考えられるということだ。ということは、逆に主要構造をちぎる程の強い爆風が起きなければ、外から変わった衝突の説となる。外的要因と内的要因の二者択一ということだ。

 生存者や落合さんの証言に出ている事実は、機内で減圧現象が起きたのは一時的で、一瞬周りが白くなったがそれもすぐに収まったということだ。さらに、生存者の証言によると、爆発的空気の流れは爆風ではなかったということも分かってきた。つまり、誰一人として機外へ吸い出されず、機内の荷物も散乱せず、突風も吹かなかった。落合さん自身の鼓膜も無事だったからインタビューにすぐ応じられた。

 そうなると残る一つ、外から外衝突などの強い力が加わった説も考えなければならない。

 しかし、なぜか外的要因を全く考えずに、内的要因による原因へと絞られていく。近くを飛んでいた飛行機がいなかった。他の接触は考えられないなどの意見は出ているが、まったく事故原因から外すことはできないのではないか。内的要因だけとなると、どうしても生存者の証言と食い違っていくからだ。

 このように新聞を読んでいくと、次の日から内的要因のみで事故原因が歩き出していったのが不思議でならない。

 

 隔壁破れ垂直尾翼破壊が原因か?─817日の事故原因

 この日の新聞は全紙一面がすべて隔壁破壊解説で埋め尽くされている。

 

 毎日新聞では、日米合同現場調査で隔壁(アフター・プレッシャー・バルクヘッド/直径4.5m)が破裂していたことを確認し、客室内部で与圧された空気が尾翼内に爆風となって流れ込んだための事故としている。(16日に合同調査実施)尻もち事故の修理ミスも原因の一つではないかとのことだ。

 ただし同日朝日新聞夕刊では、事故調査委員会のメンバーの一人がこのような発言をしている。

「事故直後13日に機体後部が見つかった谷底で、お椀状の原型をとどめたほぼ完全に残った隔壁を発見。アルミ合金製の隔壁に放射状の亀裂が数か所入っていることを確認した。写真を収めているのでその後分析が必要。隔壁はその後捜査活動の中でエンジンカッターで切断されてバラバラになったらしい」

 したがって、破裂でなくエンジンカッターでバラバラにしてしまった後に検証しているという事実だ。

 隔壁の破損は、飛行中なのか、墜落衝撃によるものか、さらに、救出活動中の中でカッターで切られた際に亀裂が入ったかどうか不明だとある。切断面を詳細に調べることが不可欠のようだ。

 さらに、隔壁破壊が墜落の原因とすると、客室内を爆風が吹き抜けることが前提条件となる。

 そうなると、爆風によって生存者たちの体にはどんな症状が出ていたのだろうか。

 爆風が吹くほどの急激な減圧となると、耳が聞こえなくなり、航空性中耳炎となる。さらに肺から一気に空気が吸い出されることにより、肺出血もありうる。そのような症状が4名にあったのだろうか。医師のコメントでは4名にみられる症状として骨折しか見当たらないが、落合さんやほかの生存者もインタビューに答えていることから、鼓膜は破れていない。助かった4名は皆最後部の席であり、ちょうどトイレの向こうにある隔壁に一番近い席である。このトイレの前の席で、さらに最強の垂直尾翼を吹き飛ばすほどの爆風を体験した4名が生き残っているという事実…。

 この説は本当なんだろうか。どうも客観的事実と食い違っている。

 

  ボイスレコーダーの一部解明─818日の事故原因

「『機首上げろ』と冷静な機長」というタイトルで毎日新聞、「隔壁破壊で墜落が固まり、整備点検に手落ち」とあるのが産経新聞、「尾翼の大半がまだ洋上にあり、原因なお調査」というのが朝日新聞だが、読売新聞では、「隔壁破れ、垂直尾翼破壊」のタイトルの下に、隔壁破壊説をボ社は否定」ということで、ボーイング社が否定した記事を載せている。

「シアトル17UPI共同によると、群馬県の山中に墜落した日本航空のボーイング747ジャンボ旅客機を製造した米ワシントン州シアトルのボーイング社スポークスマンは、16日、客室後部の圧力隔壁(アフターバルクヘッド)が破壊され、垂直尾翼などを吹き飛ばしたのが墜落原因、との報道を否定した」(1985818日付読売新聞)

 

 日航による隔壁破壊実験結果を発表─1819日の事故原因

「日本航空の河野広明整備部長は19日の記者会見で、垂直尾翼の破壊と隔壁の破壊について、推論として『突風など、何らかの外圧で垂直尾翼が壊れ、それと同時か、直後に機体の歪みに耐えられず、隔壁が破裂したと推論もできる』と外的要因強調の見方を明らかにした」(1985819日毎日新聞夕刊)

 垂直尾翼に客室からボーイング社が想定している上限圧力をかけた場合、日航の計算では、最初に同尾翼トーション・ボックス(主要構造部)の最上部(前桁ウェーブ)が吹き飛んだという実験結果が出た。しかし、実際の事故の状況を見ると、前桁ウェーブは壊れておらず、その下の部分から破壊されていることを重視し、同部長は、隔壁が破壊し、垂直尾翼が下からのプレッシャーで破壊されたとは考えにくいと指摘した。

 

 その後。827日の第一次中間報告では、ボイスレコーダーとフライトレコーダーの解読が中心で、隔壁には一言も触れていない。

 だが、突然アメリカのニューヨークタイムズ紙で驚くべき記事が掲載される。

 それは日航機墜落事故の原因究明に当たっている米当局者に近い筋の人が明らかにしたという。当人が特定できないにもかかわらず、もっともらしく力強い記事だ。

「同機の墜落事故原因は1976年、大阪空港での着陸の際、同機が尻もち事故を起こした時の修理の不備による可能性が強いことが明らかになった」(198596日付ニューヨークタイムズ紙)

 同紙によると、大阪空港での尻もち事故の際、ボーイング社の専用専門チームが派遣された。この時、客室と尾翼構造部分を遮蔽している与圧隔壁の修理に二列にリベットを打つべきところを一列に打ったままにとどめた事が明らかになった。

 この修理法によって隔壁が弱くなり、今回の事故で垂直尾翼が吹き飛ぶ原因となったという。修理ミスについての詳細が載っているこの記事は、日本での発表ではなく、米国の新聞に載ったのである。

 その日の夕刊各紙では、直ちに「怒りの声」として、ボーイング社の手抜き修理と日航、運輸省の甘すぎた点検を取り上げている。

 

「修理を請け負ったボーイング社がなぜリベット打ちで致命的な手抜きをしたのか。日航や安全をチェックする運輸省はそれをどうして見逃したのか」

 すべては手抜き修理を行ない、それを見抜けなかったところへの非難と怒りである。

 もしがそれが真実ならば当然のことだ。私も情けないほど怒りがこみ上げてくれ。

 

 97日付の毎日新聞夕刊に小さい記事で、日本の運輸省航空事故調査委員会の八田佳三委員長は心外な表情で「米当局者が事故調査委員会の公開に先駆けて、調査過程を明らかにするのは好ましくない。この点はNTSB(米国国家運輸安全委員会)側にも事情をただしたい」と語ったとある。それは当然の抗議だろうと、誰もが思うことである。

 しかし、その次の日の新聞を見て驚いた。全く別のことが書いてある。それは、実は日本側が本当はすべて事前に知っていたと言うのである。

 新聞なのでタイムラグがあるが、夕刊の記事を書いた時、つまり昨日のボーイング社の修理ミス記事が出た午前中は、事実を確認してみる、とか、わからない、などとあいまいなコメントを繰り返してた日本側もついに、その日の午後5時からの記者会見で一転して、この内容は既に知っていた、少なくとも第一次中間報告発表よりも前の827日から分かっていた、という記事である

 

「事故調査主権は、事故発生国にあるのに、当方に何の連絡もせず、ボーイング社が一方的に声明を出したのは遺憾である。隔壁を東京に運んでから(接合部)を充分調べることにしていたのに…と藤富久司事務局長。知っていた事実を公表しなかったことよりも、ボーイング社に先を越され、いわばメンツを潰されたことの方が重大と受け止めているようなムードだった」(198598日付毎日新聞朝刊)

 この記事では、航空事故調査委員会運営規則第18条には、事故調査により知り得た事実は可能な限り発表するよう努めるものとする(1985年当時)、と定められているのだが、先月の27日にこの事実を知りながら、事故調査委員会は隔壁には一言も触れていなかったことになると追求している。

 これに対して八田委員長は、まだ発表の段階ではなかったと弁明し、逆にこちら側に何の連絡もなく、なぜ突然発表したのか、信義に反すると不快感さえ表している。

 航空評論家たちは、日本の事故調をお粗末だと言ったり、ボーイング社は自首したのだと言ったり、また修理ミスを見逃した運輸省をかばったのか等々、色々な意見を述べている。事故調独自に専門家を総動員し、調査した上で自信を持って公表すべきだという意見、米国に対して弱腰だという考え方など、実に混乱している様子がうかがえる。

 委員長の八田佳三氏は、この1ヶ月後の109日に辞任した。その後任として竹田俊氏が第103回国会の議員運営会議にて任命、承認された。

 

 NTSB─米国運輸安全委員会。大統領の直属機関として大変な権威を持つところである。そこに所属していた日航機墜落事故原因究明にあたっていた何かしらの近い筋の情報として書かれた、修理ミスが原因という断定的な記事。

 事故発生から25日目にして、唐突にニューヨーク・タイムズで発表された事故原因であった。

 その後一気にボーイング社の修理ミスを見逃した日航側、そして運輸省のチェック体制へと世論が集中していくる。

 

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日航123便墜落事故から日米関係を考える NO4

2024年06月21日 | 国際・政治

 先だって、 中東のメディア、アルジャジーラは、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスのナセル病院敷地内の地中から310人の遺体が見つかったと報じました。そして、ガザ当局は軍がパレスチナ人を処刑後、埋めて隠そうとした「集団墓地」だと非難し、国際刑事裁判所(ICCに捜査を要求したといいます。

 イスラエルによる学校や病院や難民キャンプの爆撃もくり返されました。戦争犯罪がくり返されてきたのです。

 また、CNNは、パレスチナ自治区ガザ地区で軍事衝突が始まった昨年10月7日以降、最初の1カ月間でイスラエル軍が数百発の「大型爆弾」を使ったことも明らかにしていました。それは、1000フィート(約305メートル)以上離れた住民らも死傷させる破壊力を持っているといいます。

 CNNとAI(人工知能)企業「シンセティック」による衛星画像などの分析で判明したということですが、その「大型爆弾」によって地面に刻まれた穴の直径は12メートル超で、500カ所以上にできていたといいます。この直径は、2000ポンド(約907キロ)爆弾が着弾した際に生じる規模と一致しているというのです。そして、ガザでの死者数の急増は2000ポンド爆弾のような「大型爆弾」の広範な利用が原因だというのです。ガザは地球上で人口密度が最も高い地域といわれており、「大型爆弾」の使用で多数のパレスチナ人市民が死ぬであろうことはわかりきったことだったと思います。だから、何度もくり返しているように、イスラエルの主張する「ハマス殲滅」は言い逃れであり、ほんとうは「パレスチナ人殲滅」、追い出しを意図しているのだと思うのです。ナチスドイツを思い出させるイスラエルの残虐な犯罪をふり返れば、「シオニズムを裏返すとナチズムになる」という高橋和彦氏の指摘は、単なる言葉遊びではないことがわかると思います。

 イスラエル独立後にネタニヤフ首相率いる政党「リクード」を設立したメナヘム・ベギンは、ユダヤ人の武装組織イルグンのリーダーとなった時にエルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件を実行したり、1948年の第一次中東戦争において、「デイル・ヤシーン村事件」といわれるパレスチナ人村民虐殺を行ったことで知られています。「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と公言し、村民皆殺しを実行するようなテロリストが、イスラエルの政党「リクード」を設立しているのです。

 だから、ユダヤ人である世界的科学者、アイシュタインは、この村民虐殺に怒り、「その組織、手法、政治哲学、社会的訴えにおいてナチスやファシスト党と酷似している」と批判したこと、また、「過去の行動から、将来何をするか予想できる」と述べたこと(朝日新聞・佐藤武嗣)は、現在に通じる指摘であり、忘れてはいけない指摘だと思います。パレスチナ人を容赦なく殺し、追い出そうとしているイスラエルのユダヤ人(シオニスト)を容認してはいけないと思います。「シオニズムはナチズムの裏返し」であり、現在イスラエルを主導する政権は、ナチズムの野蛮性を持って、パレスチナを攻撃していると捉え、糾弾し、さまざまな制裁を加える必要があると思います。「ハマス殲滅」を掲げつつ、実は、パレスチナの地から、パレスチナ人を排除しようとしているイスラエルを容認してはいけないと思うのです。

 

 でも大戦後も、国際法に反する犯罪をくり返してきたイスラエルに、いまだ何の制裁も加えられない理由は、はっきりしています。

 だから、BRICS加盟国が拡大し、国際社会でアメリカ離れが進んでいるのは不思議ではないと思います。グローバルサウスが「ウクライナ平和サミット」の「共同声明」を支持しないのも、当然だと思います。そうした国際社会の大きな流れに逆行するようなG7の外交や対外政策では、世界平和は実現できないと思います。上川外相は、ハマスのイスラエル襲撃を非難し、イスラエルに連帯を表明しましたが、取り消すべきだと思います。 

 

 The cradleは、下記のようなことを伝えています。見逃すことができません。

A senior doctor from Gaza was killed in November while under interrogation by the Shin Bet, Israel's internal security service, Haaretz reported on 18 June.

 618日、ハアレツ紙が伝えたところでは、ガザ地区の上級の医師が、イスラエルの国内治安機関シン・ベトの尋問で殺害された、というような内容です。

 イスラエルにとっては、パレスチナ自治区ガザ地区で活動する国連機関(UNRWAの職員や医師も、不愉快な存在であり、ハマスと同類と見なされているのだろうと思います。

 

 そうしたイスラエルを支えるアメリカの正体を捉えるために、今回も「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、「3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ」の「第一章 過去からのメッセージ」「群馬から通学している学生が抱いた疑問 その① 墜落地点報道」を抜萃しましたが、こうした疑惑が解明できない日本の現実を、はやく何とかしないと、恐ろしいことになるような気がします。台湾有事は、「ブチャの虐殺」のような中国軍による残虐事件のでっち上げをきっかけに、始められるような気がするのです。

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               3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ

                 第一章 過去からのメッセージ

群馬から通学している学生が抱いた疑問 その① 墜落地点報道

・・・

 その中のひとりで、高崎市から通っている学生Hが、大きな群馬県の地図を黒板に広げて貼った。そして、墜落地点となった御巣鷹山の尾根を細長い棒で示しながら説明を始めた

・・・

 次に墜落地点が定まらなかったことに関して、地元の人々の声を聞いてきたことを話した。

 確かにあの時、テレビでは長野県北相木村の御座山、埼玉、長野、群馬の県境にある三国山、上野村の小倉山、諏訪山、ぶどう峠などを墜落場所と報道していた。

 学生Hは、それぞれの報道された場所に赤い丸印のマグネットをつけていた。

 しかし、地元ではそれらの場所について、どうも違うとの意見があったということだった。

 まず上野村の対応だが、夕方のNHKニュースの速報を聞き、812日の夜8時には上野村防災行無線で村民に一斉放送を行っていたのだ。日航機墜落事故に関する情報を連絡するように協力を依頼したのである。

 テレビはその後長野県北相木村付近に墜落したと報道していたのだった。

 しかし上野村では墜落現場が上野村と考えられると独自で判断し、2012分に職員招集をして、役場では村内放送して村民から情報を集めたところ、やはりほとんどが御巣鷹山方面(高天原山付近)との答えであった。村民たちは、自分の村に落ちたことをすでに気付いていたのである。

 説明する学生Hの顔をみんなが見た。

 ・・・

 学生Hは続けて「生存者を一番先に発見したのは地元の消防団だったんです」と発表した。

え!、なんとそんなわけだったの!」学生が口々に叫ぶ。

 一番先に生存者を発見したのは、地元の上野村消防団の人たちなのか!

 どうしても自衛隊のヘリで吊り揚げられたイメージが大きく、私たちはすっかり勘違いをしていたようだ。

 学生Hは「このスゲノ沢辺りで生存者が発見されました」と、地図を指した。

 突然、静けさを破る声が教室に響いた。その声の主である学生Iは、黒板の地図を指さしていた。「みんな、見てよ。地図、ほら、ぐるっと一周り、サークルだわ!」

え? なになに、サークルって?」

 学生Iは、教壇前に走り出て地図の前に立ち、群馬県上野村周辺を指さした。そこは先程、墜落現場がコロコロ変わったということで赤マルをつけた部分である。

埼玉県三国山」「長野県御座山」「上野村小倉山」「上野村ぶどう峠」

 一つひとつそれをなぞっていくと、楕円にゆがんでいるが一つのサークルとなった。

 なんと本当の墜落現場である御巣鷹の尾根、報道での通称「御巣鷹山」となっている場所を中心に、それらのおもな山や峠は等距離の場所に点在するのだ。

 逆に見ると、墜落現場を中心として円が描ける。まるでコンパスの軸を御巣鷹山に起き、ぐるりと円を描いていたようだ。その円の周りに事故当初に間違った墜落場所名が入り込む。その距離は8キロから10キロの5Nマイル(海里)くらいの計算となる。(1Nマイル=1.852メートル)

 5マイル、およそ9キロは急な山を登り降りしているうちに、78時間が経ち、夜明けを迎える時間となる距離だ。日が昇り、明るくなってから言い訳するとしたら、これぐらいの誤差は仕方がないと言える距離だ。

 もしかすると誰かが地図をテーブルの上に置いて、本当の墜落現場である御巣鷹山にコンパスの軸を置き、ぐりと回す。そこに引っ掛かってくる山や地図上に名前のある場所を次々と言って、そちらが墜落現場と言えば、地上では皆、散ってバラバラに探し始めるではないか。

 そうこうしているうちに太陽が出てくる。そして本当の墜落現場をそれの中心に位置する御巣鷹山 と分かる。それぞれの場所から集合するはめとなる。これならば、現場の人々の証言とも一致する。

・・・

 もしそうならば、なぜ意図的に散らしのだろうか。いずれにしても、なぜそのような誤場所報道がなされただろうか。

 墜落現場の発見が遅れたことに関しては、当時の植村の村村長、黒澤丈夫氏もはっきりと異議を唱えていらっしゃった。地元の学生が言うには、黒澤村長とは、過疎の村にこのような立派な経歴の方がいるのかと誰もが思うような人だという。

 ・・・

 その黒澤氏は自らの戦争体験やパイロットとしての科学的な根拠をもって、事故当時の墜落地点の計測ミスについて大変な憤りを感じていた。

 将来のためにどうしても伝えなければならないことがあるとして、ご自身の著書『道を求めて─憂国の7つの提言』(上毛新聞出版局)でも特に次の二点について語っておられる。

 ①12日午後8時頃は、上野村南西部上空をヘリが盛んに富んでいた。

 火災も確認し、遭難地はここだと判断していたのだが、いったい誰が、いかなる判断で、長野県の北相木村御座山と断定したのか。

 これによって、一番大切な救難が混乱によって遅延し、その責任は大きく、断定は慎重に正確にすべきであった。夏山では火災の心配などない。また位置の特定は日本で技術的にも充分可能なはずであり、地上の者に正確な墜落場所を教える事は絶対に不可欠なことである。

②この時、誰が最高責任者であったのか。誰が総合指揮権を持っていたのか、まったくよくわからないままに、いくつもの対策本部が置かれて体制が整っていないことを実感した。国においても、誰が最高責任者だったのか、国政の中で、誰が統合して指揮をしていたのか、その実態はどこにあったのか、まったく見えなかった。

 こんなことで、今後の防衛や天災に果たして対処できるのか。将来のために今一度考えて備えておく必要性を現場にいて痛感した。

 突然の事故現場となった上野村で、滞りなくどうにか対策本部が形になっていったのも、黒澤丈夫村長がいたからだ、という声が多かった。現に、遺族側の人たちも、日航側の人間もそして現場にいて様々な仕事をしなくてはならなかった人々も、それぞれの胸の奥にある想いをすべて汲んでもらい、癒していただいたのも上野村の人々によるところが大きかった。お互いの立場を思いやったのも、黒澤村長の思慮深い言動によるものだったという。

 

 



 

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日航123便墜落事故から日米関係を考える NO3

2024年06月18日 | 国際・政治

 国際社会は、”二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害”を経験し、国際社会のトラブルを解決するために国際司法裁判所を設け、その基本方針を国連憲章に定めて、相互に”寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和および安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則”とすることを約束しました。

 でも、大戦後世界を主導してきたアメリカは、世界中に米軍基地を置き、国際司法裁判所を利用することなく、戦争や武力行使をくり返してきたと思います。法に基づいてトラブルを解決してこなかったのです。

 先日、「ウクライナ平和サミット」がスイスで開かれましたが、それは、ロシアを排除した一方的なサミットで、「平和」サミットといえるようなものでなかったと思います。発表された「共同声明」もそのことを示していると思います。

 日本国憲法には第32条に、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定し、国民の裁判を受ける権利を保障しています。だからその考え方で、ロシアを排除した今回の「ウクライナ平和サミット」を捉えれば、その「共同声明」は、ロシアの権利や主張を考慮しておらず、法的には意味のないものだと思います。そういう意味で、サミットでのサウジアラビア外相の発言はきわめて重要だと思います。

 なぜ、国際司法裁判所を利用し、国連憲章の基本方針に沿ってきちんと法的に争わないのか、と思います。「ウクライナ平和サミット」の「共同声明」では、

1、ウクライナを含むすべての国家の主権と領土保全の尊重

2、原発の安全確保と核兵器使用の威嚇禁止

3 、食料安全保障とウクライナ産農産物の安全かつ自由な輸出

4 、強制連行されたウクライナ市民の帰還

5、戦争犯罪の責任追及、

6、ウクライナの復興

7、紛争の平和的解決に向けた外交努力の継続

などが盛り込まれているといいます。でも、ウクライナとロシアのトラブルを、ウクライナの言い分だけで解決しようとすることには問題があります。上記の17のすべての内容に、ロシアは異議があると思います。そのロシアの異議を無視することは、法を無視することです。「法の支配」を認めないことです。

 一例をあげると、プーチン大統領に逮捕状が出されたのは、ウクライナの占領地から違法に子どもを連れ去ったという戦争犯罪の嫌疑によるものでした。でも、ロシア側は、連れ去ったのではなく、保護したのだといっているのです。

 ロシアは、アゾフ大隊を中心とするウウライナ軍の攻撃を受けているドネツク・ルハンシク州を中心とする地域で、両親を亡くし孤児院や社会福祉施設にいた子ども、また、父親が強制的に動員され、母親も出稼ぎに行くなどして、養育困難に陥っている子ども、さらに、祖父母や知人に預けられ、経済的な理由などから養育に適切な環境でない状況にあると思われる子ども、親が収容所に送られるなどして、親と離ればなれになっている子どもなどをロシアに移送し、保護したといっているのです。だから、「連れ去りではなく、保護」だと言っているのに、それを一方的に連れ去りと断定して、戦争犯罪だというのは、いかがなものかと思います。実態はわかりませんが、法に基づけば、裁判所がロシアの主張に耳を傾け、きちんと調査をして、結論を出すべきだというのです。

 このロシア側の主張の詳細をもう一度確認し、情報源を示したいと思ってアクセスを試みたら、”404 Not Found 該当するページが見つかりません。ページは削除されたか、移動された可能性があります”と表示されました。だから今度は、グーグルの「Gemini(ジェミニ)」を使って、関連のサイトにアクセスし調べようとしたら、”ロシアによるウクライナの子ども連れ去り問題について、ロシア側の主張をそのまま伝えている日本語メディアは、情報公開の制限や検閲の影響もあり、現時点では確認できませんでした”という回答だったので驚きました。こんな情報でさえ、制限され、検閲の対象になるのかと思ったのです。ウクライナ側の情報はいろいろ出てくるのに、ロシア側の情報は制限され、検閲の対象になるというのは、なぜなのか、と思います。ずいぶんおかしな世の中になったように思います。

 「ウクライナ平和サミット」には、およそ90カ国以上の首脳や代表が参加したといいますが、ロシアはもちろん、ラテンアメリカの国々や中国は参加していません。また、「ウクライナ平和サミット」で採択された「共同声明」には、サウジアラビアや南アフリカ、インドなどおよそ10か国が支持しなかったともいいます。なぜなのか、ということを理解することが大事だと思うのですが、報道はありません。

 

 また、この「ウクライナ平和サミット」の報道が続いている最中、20240613日、”タイの閣議で、BRICS加盟に向けた意向書が承認された”という報道がありました。BRICSはブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国によって2006年に設立されたということですが、2024年年1月からエジプト、イラン、エチオピア、アラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビアが加盟していると聞いています。かつて植民地支配をされた国々が手を結び、植民地支配をした国々に対抗しようとしているように見えます。そして、拡大が止まらないのです。

 日本は、かつて植民地を支配をした国としてG7に加わり、アメリカのお手伝い外交をしているようですが、それは、国際社会の流れに逆行し、日本国民を疲弊させるものだと思います。

 

 下記は、「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、「第3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ」の「第一章 過去からのメッセージ」「●米軍の証言記事 事故から十年後に見えた真実」を抜萃しました。

 著者の青山氏が指導する学生たちの素朴な疑問と、素直な感情が、日航123便墜落事故の救助活動がすぐになされなかった問題の重要性を露わにしていると思います。

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                 3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ

                   第一章 過去からのメッセージ

 

 ●米軍の証言記事 事故から十年後に見えた真実

 1995年の829日の新聞は、学生たちにもうひとつの衝撃と疑問を与える記事だった。この記事については、インターネット上で色々と付け足しの情報があるが、学生Gは、シンプルに新聞各紙を読んで考えてきた。

 米軍の準機関誌である『パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス』(星条旗新聞)の8

27日付号が報道した内容は次の通りである。証言をしたのは、当時、米空軍第345戦術空輸団に所属していた元中尉のマイケル・アントヌッチ氏だ。

 

1985812日に発生した日航ジャンボ機墜落事故直後の当日夜、640分ごろ、C130輸送機で沖縄の嘉手納基地から横田基地に戻る途中の大島上空にて、日航機の機長が緊急事態発生と告げる無線を傍受した。墜落の20分後には群馬県上野村にある御巣鷹の尾根の墜落地点に到達して煙が上がるのを目撃した」

 

 この報告を受けて同日午後95分に米海兵隊救難チームのヘリが厚木基地から現場に到着して、隊員がロープで現場に降りようとしたのだが、在日米軍司令部がある横田基地に連絡をすると担当の将校が「日本側が現在現場に向かっているので帰還せよ」という帰還命令を出したという。

 事故の生存者のひとりで日航アシスタントパーサーだった落合由美さんの証言では、「救助ヘリコプターが上空で回っているのがわかった。手を振ったが気付いてくれなかった。自分の周りでは数人の子どもたちの声が聞えたがそのうち聞こえなくなった」と言っている。これについてアントヌッチ氏は、落合さんが見たのは海兵隊のヘリだった、と証言しているのである。

 このことを伝える日本の各新聞記事をまとめると、在日米軍のヘリコプターが自衛隊より約12時間も早く墜落現場上空に到着しつつも、上官の指示で現場には降りなかったということである。

 最後にこの元軍人は、「在日米軍は事故直後にすでに現場を発見しており、もっと多くの命を救えたはずだ}と述べている。

 新聞記事はこの程度の内容でしかないが、この文章を読むと、一気に重い空気が教室中に流れた。

「信じられない!」

「冗談じゃないよ!」

「これじゃ、まるで見殺しじゃないか!」

「アメリカが知っていたのなら、日本も知ってたってこと?」

「墜落現場がコロコロ変わって不明だというのがNHKの報道だったんじゃないの?」

「落合さんが生きている人がもっといたって証言していたのに……」

「結局朝まで墜落現場が分からないと言ったじゃないか!」」

 若い彼らの憤りは止まらなかった。彼らだけでない。恐らく、この事実を聞いた人、この記事を読んだ人たちの全ての気持ちは同じだ。怒り以外の何ものでもなく、心底驚いた証言である。こんな重大なことが事故後10年も経ってからはっきりとした形で明らかになったのである。

 事故発生から深夜にかけて、確かに墜落現場は二転三転した。最終的には次の日の早朝、空が明るくなってから明確になったのだが、それでもまだNHKは異なる場所を繰り返し報道していた。

 事故当初の報道では明け方まで墜落現場は分からなかったとあるが、報道機関に偽りの情報が知らされていたということか……なぜ日本側は分からないふりをしていたのだろうか?

 しかし、十年後の元軍人のこの証言によれば、墜落のに20分後に墜落場所は群馬県上野村、御巣鷹の尾根付近とはっきりわかっていたことになる。

 そうなのか。墜落地点は墜落後20分後にすでに分かっていたのだ……。

 

 この日は米軍輸送機C130から連絡が防衛庁・空幕に入って、その直後、日本側は茨城県百里基地を緊急発進したF─4EJファントム戦闘機二機も場所を確認したという動きが記録されているが。正確な現場の位置を特定したのは翌朝であった。

 緊急時、生存の可能性を考えて1分でも1秒でも早く救助しなくてはならないことは、私自身も何度も行ったエマージェンシー訓練で実感しているが、こんな事は誰でも分かる。

 学生たちは怒りの声で叫んだ後、皆黙りこくってしまった。

 そこに何か恐ろしい不作為を感じたのであろう。直感的におかしいと思うのは当然である。当たり前の救助が行われなかった理由がどうしても見えてこない。

 あの時の報道で、自衛隊員が一生懸命生存者を救助し、ヘリコプターで吊り上げている写真は大変印象深かった。これほどまでに私たちのために頑張ってくれているのだという印象がとても強かった。実際に自衛隊員の家族がいる学生も多く、彼らはそれを誇りに思っていた。

 しかし、なぜ米軍が帰還命令を出してせっかくの救出もせずに戻り、その連絡を受けている日本側はそれより10時間も後に現場に到着したのだろうか。

 繰り返すが、落合さんの証言では、墜落直後は周りでたくさんの声がして、子どもも「頑張るぞ」と叫んでいたとのことである。多くの人たちが実際に生きていたのである。

 まさかそれを見殺しにするつもりで、わざわざ遅く行ったわけではないだろう。

 人命よりも大切な「何か」を守るためだったとでもいうのだろうか。

 何かを隠している?

 何のために?

 学生たちは、それぞれの頭の中で、その疑問点を解決すべく、いろいろと考えをめぐらせていたいった。場所を教えられても、技術や装備がなくて、米軍のように充分対応出来る訓練された人もいなくて、残念ながら日本側はすぐに現場にたどり着けなかった、そのことを国民に知られたくないから隠しているのだろうか ……。

 そこから見えてくる真実は、愚かな人間の単なるメンツなのか、浅はかな悪知恵なのか、ずるい人間の欲望なのか…。

 次々と浮かぶ疑問に、新聞記事の切り抜きだけでは答えが見えてこないような気がする。

 

 いずれにしても、10年後に見えた真実とは、墜落現場は墜落後20分ほどで分かっていたということだ。米軍が人命救助の為に現場に向かったヘリコプターから救助隊が降りる直前に帰還命令が出て降られなかった。日本側が断ったのか? それともそれは何らかの作為だったのか。誰かの指示によって、せっかく生き残っていた人たちがなくなったのか。消し去りたくても消せない疑問が次々に頭に浮かぶ。

 なお、テレビでもこのことを取り上げた番組あった。アントヌッチ氏はこの事実を誰にも語るなと言われていたそうである。ご自身は事故を伝える翌日の報道を聞いて愕然としたという。

「なんと、あれからすぐに救助したのではないのか、朝まで墜落現場不明とは? なんということだ。もっと多くの人を救出できたのに…」と絶句した、と手記の中で、その胸の内を明かしている。(カリフォルニア州サクラメント市発行『サクラメント・ビー』、1995820日付)

 学生たちはあの機内写真を見た後だけに、墜落現場で救助を待っている人たちの果てしない苦しみ、生きる希望、深い絶望、それらすべて思い、乗客や乗員の気持ちを敏感に感じ取っている。さらに、当時その現場に直行した人間が、10年間も明らかに出来ずにいたことについては次のような意見がでた。

 ある学生は、

もし日本の証言によって。真実が明らかになるとするならば、堂々ともっと早く証言してほしかった。この人はまだ人間としての最後の勇気があったが、日本側には、未だに話す人がいない。話す度胸もない人がいるということが同じ日本人として信じられない。知っていたら、今からでも教えてほしい」と語り、別の学生は、

もっともっと生きたかった人たちの叫び声を聞かないふりをする人とは、いくら任務だ、命令だと言っても信じられない人間だ。そのような人と結婚もしたくないし、同じ社会で暮らしたくない。万が一、生活のためや家族を守るためと言って、自分の父親が事実を沈黙するような人間だったなら、子供として許さない。だってもしかしたら自分の子供が犠牲になったのかもしれないじゃない! 

 子どものために黙っていたなどと言って欲しくない」と真剣に話す。

 

 立場でものを言う人はいるが、立場で沈黙する人もいるということが分かったということだ。日本側の対応を追及する記事がひとつもないのが残念だ。記者魂もないのだろうか、と私も思う。

 最後に学生Gは、

そのことを証言した元軍人は人として当然の行為である。もし自分の父親がその軍事さんの立場だったとしたら、そのような発言した父親を心から尊敬する」と意見を述べた。

 




 

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日航123便墜落事故から日米関係を考える NO2

2024年06月14日 | 国際・政治

 先日の欧州議会選挙で極右や右派が躍進し、ヨーロッパ諸国の指導者が混乱状態にあるという報道がありました。フランスのマクロン大統領が、歴史的大敗を受けて国民議会(下院)の電撃解散に踏み切ったということもくり返し報道されました。

 でも、その混乱の原因についての分析や考察が、適切になされているとは思えません。確かに、ヨーロッパ諸国で極右や右派が権力を握ると、国際社会は、ふたたび大戦前のような不安定な状況にもどってしまうと思います。でも、現在のG7NATO諸国の主導する国際社会も、行き詰まりを打開できる見通しはなく、G7NATO諸国の合意政策を継続する限り、混乱状態を脱することはできないと思います。

 そして、行き詰まり打開の道は、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELACの「カラカス宣言」や「カラカス行動計画」が示していると思います。

 2011に、ベネズエラの首都カラカスで開かれた中南米諸国33カ国の首脳会議で、「南アメリカ解放の父」と言われる英雄シモン・ボリバルを共に称賛し、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)設立原則を「カラカス宣言」と「カラカス行動計画」に記して、満場一致で採択したということが、新しい国際社会を生み出そうとする動きであると思います。ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELACの加盟国が、アメリカ合衆国とカナダを除く33カ国であるということがそれを示していると思います。だからそれは、欧米による搾取や収奪、また、新植民地主義的な支配を拒否ということだと思います。

 同じように、アフリカ大陸にも、「アフリカ合衆国」の構想があります。アフリカ合衆国(United States of Africa)は、アフリカを統一国家とする構想で、クワメ・エンクルマやムアンマル・アル=カッザーフィーが提唱し、2007年、アフリカ連合9回サミットで、当時のリビアの指導者カッザーフィーが、具体的な提案したといいます。そして、現在もアフリカ連合において議論が継続されているといいます。反米主義者とて知られるカッザーフィーは、政治や経済の統合を進めて、欧米に対抗しようとしたのです。だから、この「アフリカ合衆国」の構想も、アフリカ諸国が結束して、欧米の搾取や収奪、また、新植民地主義的支配を拒否しようとするものなのだと思います。
 したがって、西アフリカのニジェール軍事政権が、フランスやアメリカに軍部隊の撤退を要請したことも、そういう流れのなかで、見る必要があると思います。ニジェール国内で欧米諸国への嫌悪感が高まり、デモがくり返されていたといわれているのです。

 大航海時代以来、欧米諸国は、ラテンアメリカやアフリカ、中東やアジアの国々を植民地支配し、吸い上げた利益で繁栄してきたといえると思います。戦後、多くの国が独立し、直接的な権力支配はあまり見られなくなったとはいえ、新植民地主義といわれるような新しいかたちの支配が、現在なお続いていると思います。だから、欧米が主導する国際社会、すなわち、搾取や収奪、新植民地主義的な他国支配、さらには、戦争がくり返される国際社会では、混乱状態を脱することはできず、根本的に解決されることはないと思うのです。

 そうした欧米の搾取や収奪、新植民地主義的支配を象徴するのが、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザに対する攻撃ではないかと思います。

 先日(68日)、IDF(Israel Defense Forces)のダニエル・ハガリ報道官は、パレスチナ自治区ガザ地区中部のヌセイラト人質救出作戦を実施し、人質4人の救出に成功したと発表しました。また、「120人の人質を取り戻すためにあらゆることを行う」とも述べたといいます。それは、国際法を守る意思はないということだと思います。

 パレスチナ自治区ガザの保健省は その人質救出作戦で、8日、283が死亡し、1日の死者数としては昨年12月半ば以降で最多を記録したと発表しているのです。でも、イスラエルがそれを受け止める様子はありません。きわめて差別的だと思います。ふだんは表に出て来ない欧米の差別性が、ハマスの攻撃を受けたイスラエルによって、露わにされることになったのだと思います。

 ネタニヤフ首相も、シェバ病院で救出された人質4人とその家族と面会した後に声明を発表し、そのなかで、「ハマスが人質を全員解放することを期待しているが、もし解放しないのであれば、われわれは人質を全員帰国させるためにあらゆる手段を講じる」と述べたといいます。一方的な主張であり、強引だと思います。そうした一方的で強引な主張が出てくるのは、民主主義を装いつつ、搾取や収奪、新植民地主義的な他国支配を続け、大戦後も各地で戦争をくり返し、武力行使をくり返してきたアメリカの差別的な戦略の影響だと思います。でも、アメリカは国際社会の反発を招かないように、うまくつくり話を交えて、自らの戦争や武力行使を正当化してきたのです。でも、情報手段の発展や世界的な交流の深まり、中国の著しい成長などによって、徐々に通用しなくなり、世界的にアメリカ離れ(欧米離れ)が進むことになったのだと思います。

 アメリカ合衆国とカナダを除く33カ国によるラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の設立や、「アフリカ合衆国」構想が話し合われている理由は、欧米による搾取や収奪、また、新植民地主義的支配を拒否しようとする姿勢が背景にあるのだと思います。グローバルサウスやブリックスが力をもつようになってきたのも、そうした流れと切り離して受け止めることはできないと思います。

 岸田首相や上川外相が世界を飛び回って、グローバルサウスやブリックスの切り崩しに努めているようですが、国際社会の流れや発展に逆行するものであり、日本の利益にも反すると思います。

 そして、そう考えざるをえないような問題は、いたるところにあるのです。だから、今回も

日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、「3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ」の「第一章 過去からのメッセージ」「●不起訴の理由」の続きを抜萃しました。

 前回は、ボーイング社が日航123便墜落事故の関係者に対する検察の聴取を拒否したために、関係者全員を不起訴処分にせざるをえなかったことが中心でした。

 今回は、「隔壁破壊によって垂直尾翼が飛び、油圧配管が切断されて操縦が不能になった」という日航123便墜落事故の原因とされる話が、実は、「つくり話」である可能性が大きいという重大問題が中心です。

 下記のような記述を見逃すことができません。

私が検事正になったとたん、すでにマスコミが『検察不起訴か』などと報道し始めた。いったいどうなっているのかと驚いた。さらに捜査会議を開いたら、部下の検事はだれもこの事件は起訴できないと言った。

 タイ航空機事故では、”乗客の証言からはドーンというは破壊音とともに、機内与圧が急激に低下し、白い水蒸気のような気体が充満したことが明らかになっている。乗客乗員、89名が一瞬で航空性中耳炎になった。山口氏は日航機事故では「それがなかった」と指摘、従来の隔壁説に大きな疑問を投げかけている。さらに山口氏は一気に発言している。”

ボーイングが修理ミスを認めたが、この方が簡単だからだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、全世界で飛ぶ飛行機の欠陥となると売れ行きも悪くなり、打撃も大きくなる。そこで、いち早く修理ミスとした”

山口から日航関係者への意見として、「整備陣もやるべきことをやっていなかった事実もある」ということや、彼らが最後まで非協力的であったという事実、さらに任意で事情を聞くと、必ず調書を一言ももらさず写して帰り、地検に呼んだ日本航空の人間すべてが判で押したような答えをする、と書いてあったという発表も付け加えた。”

事故に対しての責任を微塵も感じさせない振る舞いで苛立った捜査員が机を叩くと「✕時✕分、✕✕氏が机をたたく」ということまでメモしているということである。

 日航123便墜落後、東京地検検事が渡米して、ボーイング者側の事情聴取が行えるように米国司法省と協議を重ねたのに、捜査協力がえられず、ボーイング社より関係者の聴取拒否と回答されたために、膨大な事故に関わる資料や調書類が闇に葬られることになり、誰も起訴できず、賠償を得る可能性もなったところに、アメリカという大国の支配の「力」が見える、と私は思います。差別的だと思います。

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                 3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ

                   第一章 過去からのメッセージ

 ●不起訴の理由

 ・・・

 なお、この事件を担当した山口悠介前橋地検検事正は遺族側からの強い要望で異例の説明会を開いたそうである。(1990717日に実施)

 それについての記事が時効直前の83日付毎日新聞朝刊に載っているのを取り上げた学生Fの発表が、その検察側の意見を反映していて、別の角度から物事を考えさせるきっかけとなった。記事の内容は以下の通りである。

 

 ゆったりと流れる利根川が見える前橋地検三階にある検事正室で遺族側21名、弁護士2名で山口氏との説明会は5時間にも及んだとある。

 山口氏はこの年の前年、19899月まで東京地検の次席検事であり、リクルート事件、平和相互銀行事件など、数々の政財界の汚職事件を手掛けている。いわばやり手の検事である。

 その山口氏はこう述べている。

私が検事正になったとたん、すでにマスコミが『検察不起訴か』などと報道し始めた。いったいどうなっているのかと驚いた。さらに捜査会議を開いたら、部下の検事はだれもこの事件は起訴できないと言った。それでも私は様々な角度から捜査した。

 捜査の結果、わかったことは修理ミスかどうか相当疑わしいということだ。事故原因にはいろいろな説がある。タイ航空機の時には、乗客の耳がキーンとしたという声があったが、今回はない。圧力隔壁破壊がいっぺんに起きたかどうかも疑わしい」

 この発言の中にあるタイ航空機事故は19861226日、高知県上空で起きた事故で、機体後部の圧力隔壁が破損して、大阪国際空港に緊急着陸した、前述の事件である。

 この時、乗客の証言からはドーンというは破壊音とともに、機内与圧が急激に低下し、白い水蒸気のような気体が充満したことが明らかになっている。乗客乗員、89名が一瞬で航空性中耳炎になった。 山口氏は日航機事故では「それがなかった」と指摘、従来の隔壁説に大きな疑問を投げかけている。さらに山口氏は一気に発言している。

まず、ボーイングが修理ミスを認めたが、この方が簡単だからだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、全世界で飛ぶ飛行機の欠陥となると売れ行きも悪くなり、打撃も大きくなる。そこで、いち早く修理ミスとした。

 事故調査委員会の報告もあいまいだ。(膨大な書類を指して)これを見ても真の原因分からない。事故後の機体や遺体の写真、ボーイング社、日航、運輸省関連調書、何を見ても事故の報告書でしかなく、それからは本当の原因などは何もわからない。皆さんはわれわれが何か特別に大切なものを持っているように思っているかもしれないが、本当に原因が不明なのです」

 そう言って、すべての書類が入ったキャビネット20本以上を遺族に見せた。その凄惨な事故の写真の数々を見た遺族たちは言葉を失ったという。

 

 学生Fは言った。

この担当検事自らが語ったのはすごいことだと思います。事故調査の結果、委員会で出した結論が疑わしいということを言っているのですから、本気だと思います。

 隔壁破壊によって垂直尾翼が飛び、油圧配管が切断されて操縦不能というのが事故の原因とする隔壁説だとすると、それに対して意見を言った山口検事の心には何か思うところがあったのでしょうか。ただ残念ながら、遺族はその気持ちを違う方向で受け取られたようです。なぜならば、『何をいまさら! 言い逃れか! それは、あなたたち検察が十分調査をしなかった、自分の仕事をしなかったからなのではないか』と言って、怒ってしまっているからです。つまり、検事の言い訳ととったようです。さらにそれを聞いたS評論家はこんなことを言いました。

わが国最高のメンバーである調査委員会の報告書を疑うならば根拠を示せ』

 こう言われてしまった山口検事は大変不愉快だったと思います。なぜならば、ここまで自分は正直な話をしているのに、この評論家はメンバーの評価だけを言っている、つまり、内容を客観視せずに運輸省側のために言っているような御用評論家だと思われても仕方がないでしょう。しかし結局は、山口検事の発言は無責任すぎる、という記事内容でした。でも、今となってもう一度、ゆっくり客観的に読んでみると、もし無責任ならば、わざわざこのような説明会など開かないのではないか。いくらでも避ける方法はあるはずで、むしろ、山口検事の心の中にあるわだかまりと良心がこのような発言をしたという見方は出来ないだろうか。と、そう感じたのです』

 

 なるほど、この学生の意見には感心した。物事を客観的に見る目がとても鋭い。私自身も気付かなかったことである。しかし「遺族の人たちは納得いかないだろうな」と思った。「そう考えるのはちょっと無理だろう」という意見も出た。

 また、山口から日航関係者への意見として「整備陣もやるべきことをやっていなかった事実もある」ということや、彼らが最後まで非協力的であったという事実、さらに任意で事情を聞くと、必ず調書を一言ももらさず写して帰り、地検に呼んだ日本航空の人間すべてが判で押したような答えをする、と書いてあったという発表も付け加えた。

 

 写して帰って同じ答をするということは、何を意味しているのか。

 自分を守るためにやってるのか、会社を守るためにしているのか、よく分からない。

 誰かが、「こんなおやじ最低!」と叫ぶ。

 さらに、事故に対しての責任を微塵も感じさせない振る舞いで苛立った捜査員が机を叩くと「✕時✕分、✕✕氏が机をたたく」ということまでメモしているということである。

 なんと情けないことだろうか。

 同じ会社の社員だった者として、これは許せない態度である。学生たちもこんな上司なら、すぐ会社を辞めたくなると言った。

 彼らは整備士という仕事に人生を懸けたプロの集団だったのではないか。

 自ら責務を持って仕事をしてたのではないのか。

 私もさすがに憤った。これがナショナルフラッグキャリアの看板を背負って昼夜問わず働いた仲間のすることなのだろうか。「何時何分、机をたたく」と書くことに何の意味があるのか。

 520名の命を考えるとその態度はどういうことなんだろうか。

 何を守り、何をしなくてはいけないか、分かっているとは思えない。会社の内部にいると世の中がまったく見えないものなんだろうか。

 学生たちは就職した職場をイメージして、これでは風通しが良いとは言えないし、自分がそれを強いられたらどうしようか、真剣に考えている。

 弱い立場の人間は、なかなか本音が言えるものではないということは分かる。

 ましてや修理ミスの嫌疑がある人たちは、どうしたら良いのか分からなかったのか。

 それでは、会社側が契約している弁護士たちにアドバイスされたのか。だとしたら、その弁護士は、それで何を守ろうとしていたのだろうか。

 法曹界で働く身内がいる学生は次の授業までに意見を聞いてくることも、この日の課題となったのである。

 ただ学生たちは、そんな態度をとる人間がいる職場では働きたくないというのが、共通の結論だった。私にとっては非常に悲しく、残念な意見であった。

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日航123便墜落事故から日米関係を考える NO1

2024年06月11日 | 国際・政治

 先日(69日)、朝日新聞に、”From The New York Times ニューヨーク・タイムズから読み解く世界 Drones Changed This Civil War Linked Rebels to the World ミャンマー 抵抗勢力は世界とつながる ドローンが変える軍事政権との戦い” と題する写真入りの記事が、でかでかと掲載されました。何の検証も、批判も、解説も、感想さえもない記事でした。世界を読み解くためには、ニューヨーク・タイムズを読めばよい、といわんばかりの内容に呆れました。

 日本のメディアとしての主体性の放棄ではないかと思ったのです。そんなことでは、平和な世界はつくれないと思いました。

 そういえば、ウクライナ戦争に関わる記事でも、朝日新聞記者が現地に取材に入って書いたのではなく、アメリカやウクライナからもたらされたと思われる内容の記事が、くり返し掲載されたことを思い出しました。慣れっこになってしまっているのではないかと想像しました。

 その書き出しは、下記のようなものでした。

ミャンマーで軍事政権と戦っている抵抗勢力の最も優秀な兵士の一人は、サンダルにショートパンツ姿だった。彼は武器を自慢げに披露しつつ、謝った。ほとんどバラバラの部品だったからだ。その兵士ジャンジー氏は、3Dプリンターで造形したプラスチックパネルを接着剤でくっつけていた、近くには中国製の農業用ドローンから取り出した電装品が地面に並べられ、配線はまるで手術を待つかのようにむき出しになっていた。……”

 ミャンマーで、軍事政権と戦っている兵士は、「抵抗勢力」として評価し、パレスチナでイスラエル軍による人権侵害やパレスチナ人殺害に抵抗して戦っているハマスの兵士は「テロリスト」であるとするようなニューヨーク・タイムズに依拠して、どうして世界が読み解けるのか、と私は思ったのです。

 

 今回取り上げるのは、「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、「3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ」の「第一章 過去からのメッセージ」「●不起訴の理由」です。著者は、大学で教える学生の意見や素直な感想をうまく生かし、日航123便墜落事故の重大な問題を明らかにしています。

 私は、下記のような記述が、見逃せないのです。

ボーイング社側は4名で、1978年のしりもち事故修理指示書で、整備指示書にある検査員署名欄から名前を割り出したが、米国側司法省側の捜査協力が得られずに、ボーイング社より聴取拒否との回答によって氏名不詳となった。……事故機の修理ミスについて、担当作業員への事情聴取が断念された。このことがネックとなり、結果的には198991520名全員を不起訴処分とする方針を固めたと予測、……不起訴処分の方針を伝えた報道の翌月、102日に、実はボーイング社が修理ミスを正式に認めているとの回答をしていることが分かった

 理不尽だと思います。ニューヨーク・タイムズをはじめとするメディアが、単独機としては世界最悪の航空事故といわれる日航123便墜落の事故原因やその法的責任の問題をきちんととらえて報道していれば、捜査に国境の壁」などという内容の記事が書かれることはなかったと思います。また、”膨大な資料や調書類が国民の前から姿を消して、カーテンの向こう側で終わってしまう”ということもなかったのではないかと思います。日航123便墜落事故に関する”膨大な資料や調書類”が闇に葬られることになったのは、アメリカの司法省だけではなく、アメリカ政府、そして、日本にも駐在員を置いているようなアメリカの大手メディア、また、日本のメディアが、墜落事故の原因や法的責任に目をつぶったからだ、と私は思います。それは、事実の隠蔽や「つくり話」に基づく問題の処理に手を貸すことだ、と私は思うのです。

 日航123便墜落事故には、さまざまな問題がありますので、青山透子氏の記述に基づいて、さらに考えていきたいと思うのですが、下記のような指摘も参考になると思います。


ーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ

                  第一章 過去からのメッセージ

 ●不起訴の理由

 書類送検されたのは、日航で12名、運輸省側では、19787月に修理後検査を行なった運輸省修理改造検査担当者の東京航空局航空機検査官の4名である。

 そのうちのひとりは1987年に自宅で殺虫剤を飲んで自殺しており、被疑者死亡での送検である。事実上の飛行許可である耐空証明(航空機の飛行性能の安全性について運輸大臣が出した証明)を出していたことを苦にして亡くなったとのことであった。

 ボーイング社側は4名で、1978年のしりもち事故修理指示書で、整備指示書にある検査員署名欄から名前を割り出したが、米国側司法省側の捜査協力が得られずに、ボーイング社より聴取拒否との回答によって氏名不詳となった。(1988122日付各紙)



 1989123日に前橋地検と東京地検が合同捜査体制を組んで捜査に乗り出し、東京地検検事が渡米して、ボーイング者側の事情聴取が行えるように米国司法省と協議を重ねたが、事故機の修理ミスについて、担当作業員への事情聴取が断念された。このことがネックとなり、結果的には198991520名全員を不起訴処分とする方針を固めたと予測、という報道があった。

 まだ検察当局の発表が出ていない中での予測報道である。

 それに対して航空評論家たちは、各メディアに次のようなコメントを寄せていた。

「ボーイング社と日航の責任分担は82であり、主犯はボーイングだが、検察当局がその責任追及ができないという。いくら国際的な法律の壁があるといっても、もっと執念を持って国境の壁を突き破ってしかるべきだ」

「これで膨大な資料や調書類が国民の前から姿を消して、カーテンの向こう側で終わってしまう。結果にこだわらずに裁判をして明らかにすべきだ。公開の場で責任問題を追及すべきであり、その社会的意義は大きく、国民も納得するのではないか」



 不起訴となったことで憤りを感じた学生も多かった。

「あれほどの事故なのに、誰も責任をとらないで済むのが信じられない」「今、こうやって暮らしているこの国とは、そうやって物事を簡単に済ませられる社会なのか……」「人災でありながらも、責任の所在が不明確な事故とはひどすぎる」

 次々と不満の声が上がる。

 不起訴処分の方針を伝えた報道の翌月、102日に、実はボーイング社が修理ミスを正式に認めているとの回答をしていることが分かった、とある。新聞各紙によると、その回答には、修理の日時、場所、修理計画、スタッフなどに触れており、「修理ミスをした」とはっきり認めたという。しかし、そのスタッフが具体的にどう修理したかなどの刑事責任追求となる点については、まったく触れていないという内容の記事だった。

 なんと修理ミスを認めて回答しているではないか。



 父親が自動車修理工場を経営しているという学生Dは、親にこのことを話して、いろいろな「大人」の立場を聞いてきた。

 以前、三菱自動車工業(現在の三菱ふそうトラック・バス)製造のトラックのタイヤが飛び、その事故で死者が出てもなお整備ミスとされた事件があった。結局、三菱自動車工業側が根本的な欠陥品のリコール対象車を隠して、事故原因を隠蔽していたという事実が分かった。

 整備工場側の整備ミスにされたこの事件を通じて全国の小さな修理工場は、当然のことながらプロとして精一杯正直に仕事をすることが最終的には自分を守り、真実を見つけることだと悟ったという。 ボーイング社の社員で、修理ミスをした人間がいるのであれば、それがミスであって、わざと手を抜いたのではないなら、きちんと出てきて自らを語るべきだという意見であった。

 さて、この事故を担当していた検事達も苦悩していたのである。「捜査に国境の壁」という内容の記事(19891124日付毎日新聞朝刊)を取り上げた学生Eは、「検事たちがワシントンの米司法省内で交渉しても、ボーイング社の修理担当者に、直接質問を投げかけることは出来なかったとありますが、それはなぜなのか調べました。

 

・・・中略

 

 もう一度、あの事故の法的な結末をここに記しておく。群馬県警から業務上過失致死傷容疑で書類送検された日航12名、運輸省4名(1名死亡)、ボーイング社4名(被疑者不詳)計20名と遺族から告訴、告発された三者の首脳ら12名(うち1名送検分と重複)の計31名全員を不起訴処分とした。 不起訴理由としては、送検分20名(1名の死亡者を除く)は「嫌疑不十分」遺族からの告訴、告発分はボーイング社首脳2名が「嫌疑不十分」日航、運輸省関係9名は「嫌疑なし」

 以上である。(19891223日付各紙)

 

 ボーイング社においても、技術担当者、品質管理責任者の指示が適切で、作業担当者は特定出来ず、具体的な過失は認定できないとした。

 ある遺族は、

ボーイング社を起訴すると、まるで日米関係の新たな問題になることを恐れているような雰囲気を感じた」と新聞記事の中で語っている。日米間の国境による法の壁は越えられなかったということか、それとも何か他に理由があるのだろうか。

 運輸省側も、航空会社が行う領収検査(メーカーから引き渡しを受ける際に行う機体仕上がりなどの各種機能チェック)に対して、検査官が支持監督権限を持つわけではなく、検査も不適切とは認め難いとした。

 日航側も、領収検査の不適切な点は指摘したものの、外見上修理ミスは発見できず、特別の検査が必要と思われなかったとして、修理ミスを発見する可能性はなかったことや、C整備についても当時19個の可視亀裂が生じていたとする事故調査委員会の調査結果について、「推定にとどまり、断定できない」とした。

 

 ただこの時、前橋地検は事故調査委員会の検査レベルのとり方が誤っていたことを指摘している。つまり、C整備での疲労亀裂発見確立の算定で、事故調査委員会は発見率を「60─14%」としていたが、地検側は「6.6─2.0%」であったとし。致命的な誤りを事故調査委員会が犯したとしている。ケタ違いの亀裂発見率である。

 事故調査委員会側はG2検査をしているととっており、地検はG─1検査と断定したためで、これはC整備の方法についての相違である。

 少し専門的になるが、この整備方法は重要であるので説明する。

 もともと整備マニュアルでは後部圧力隔壁は、G1(巨視的検査)でOKとなっていることを反映している。

 G1とは、一定範囲を60センチから1メートルの距離から目視することを基準としている巨視的な検査方式で、機体外面一般や貨物室ドアなど、構造部材の波打ちやゆがみ、変形などの発見を期待するものである。

 

 いずれにしても地検の不起訴理由に、このG1検査では修理ミスで生じた亀裂発見は難しかったとしたのであった。

 それならば、事故調査委員会は、なぜ整備ミスとしたのだろうか。 

 ヤニがべっとりと付いていたという記事や亀裂を指さした写真は一体何だったのだろう。

 最終的に前橋地検が出した結論は、「すべては推定にとどまり断定できない」となった。

夫は日航、ボーイング、運輸省だけでなく、地検にまで二度殺された」といった遺族の言葉を取り上げた学生がいる。国を救ってくれなかったという意味だ。

 ただ、もう一度考えてみる。すべては推定にとどまり、断定できないとある。

 これはもしかして本当の真実は別にあるという意味なのではないか……。

 そういう意見を出した学生もいた。

 なるほど、確かに、静まりかえった心で新聞記事を追っていくと、そういう道も見えてくる。

 これは結果を踏まえての遺族による不服申し立てを受け、審査をしていた前橋検察審査会は、1990425日午後「ボーイング社修理スタッフ2名、日航検査担当者2名については不起訴不当」とる議決を出した。刑事上の時効を迎える812日まであと、3ヶ月程である。

 しかし残念ながら結局、再び不起訴となった(1990713日付各紙)

 これで単独航空事故として史上最大の墜落事故においての刑事責任は誰ひとり問われることなく、1990812日に時効を迎えたのである。

 学生Eがレポートで、「この事故が誰も罪を問われることなく時効を迎えた」と発表を締め括る

と教室が静まり返った。

 「時効って冷たい響きだわ……」

 「今後は誰も罪を問えないなんて……」誰かがポツンとそう言った

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大事なことから目を逸らす報道

2024年06月08日 | 国際・政治

 先日、メキシコ市の市長だったクラウディア・シェインバウム氏が、メキシコ初の女性大統領になることが確実となったと、日本のメディアは報じました。でも、初の女性大統領であることが強調され、シェインバウム氏が、自身の師である左派ロペス・オブラドール大統領の後継者であることには、あまり突っ込んだ報道はなかったように思います。

 それは、大事なことから目を逸らす報道だと思います。なぜなら、アメリカと長い国境を接している隣国のメキシコが、アメとムチのアメリカの強力な圧力に負けず、中国との関係を深めている左派のロペス・オブラドール大統領の後継者を大統領に選んだということは重大なことだと思うからです。  

 選挙結果は、クラウディア・シェインバウム氏の圧倒的な勝利だったといいます。

 そのことを、ロシアのEnglish.pravdaは、アメリカはソロスの手下たちの努力にもかかわらず、惨めに敗北した、と伝えました。下記です。

Strong Mexican woman beats feeble US protege

The United States has "lost” the Mexico elections miserably, despite all the efforts of the Soros minions to return "democracy” to Mexico

 メディアは、クラウディア・シェインバウム氏の圧倒的な勝利について、その理由を考え、日本の国民に示す必要があるのではないかと、私は思いました。

 Twitterには、ロペス・オブラドール大統領の痛烈なアメリカ批判がたくさん投稿されています。どれも重大な内容だと思います。

 

 

 下記は、「現在メキシコを知るための60章」国本伊代(明石書店)から、「V 国際政治とメキシコ外交」の「30 対米外交」の「反米と依存と共存の関係」を抜萃しましたが、アメリカという国の「正体」ともいえるような対外関係の本質をつかむことができるのではないかと思います。

 メキシコのカルデロン大統領は、アメリカ連邦議会における演説の中で、

メキシコに流入する武器の80%はアメリカから違法に持ち込まれているもので、国境沿いに約7000軒の武器弾薬の販売店があることを指摘し、アメリカ側に武器流出に対する管理強化を要請した。

 などとあるのです。

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                   V 国際政治とメキシコ外交

                      30 対米外交

                    ★反米と依存と共存の関係★ 

 メキシコの外交政策は、第26章で取り上げた原則に基づき国際社会の中でメキシコが主権国家としての地位を保全することにある。しかしその対外政策の中で最も重要な課題は、常に約3200kmの国境線を共有するアメリカ合衆国との関係である。少なくとも北米自由貿易協定(NAFTA)が発効した1994年まで、メキシコは対米関係においても独自の外交路線を貫き、北方の巨人アメリカと対等であることが歴代政権に課された原則であった。この意味で、アメリカへの依存を強化したNAFTAの成立は、メキシコの外交政策を大きく転換させる分岐点となった。

 メキシコの対米関係には、19世紀前半のメキシコ・アメリカ戦争で現在のアメリカのテキサス州から以西のカリフォルニア州までを含む国土の半分以上を失ったこと、ポルフィリオ・ディアス時代、(18761911年)に資源開発を外国資本に依存した結果アメリカの経済支配を受けたこと、メキシコ革命の動乱期にメキシコ国内のアメリカ人の生命と財産を保護するという名目でアメリカ軍による武力干渉を受けたこと、アメリカ国内に合法的・非合法的に居住するメキシコ人に対するアメリカ側の仕打ちなどの歴史的な経緯があるため、メキシコの反米感情は根深い。その反米感情の中で1938年にカルデナス大統領が断行した石油の国有化は、アメリカに対するメキシコの確固たる姿勢を示したものとなった。しかし、第二次世界大戦中におけるメキシコの連合国側への参戦とアメリカ国内の労働力不足を補充するために締結したアメリカへの労働移民ブラセロの送り出し協定は、メキシコの対米政策の変化でもあり、その後のメキシコの対米外交は「反米・独立」と「すり寄り」との間でシーソーのように変化をし続けた。そして、1994年に発効したNAFTAによって、メキシコの対米関係は180度転換したといっても過言ではない。

 現代メキシコの対米関係で最大の問題は「移民」と「麻薬」である。合法・非合法を問わず、所得格差のある国家間を人々がより良い生活を求めて移動するのは自然の理である。さらにメキシコ人のアメリカ移住には、現在のアメリカの国土のほぼ半分がかつてメキシコ領であったという歴史と約3200キロメートルの長い国境を陸地で接しているという現実がある。メキシコ側はこの移住を自然の流れとして受け止め、対米外交政策としての移民問題を主としてアメリカ国内におけるメキシコ移民への差別・迫害・犯罪事件などにかかわる人権問題として対応してきた。しかし21世紀にはメキシコを経由してアメリカに不法入国しようとする国民の扱いが深刻化している。

 2010823日に発覚した72人の不法外国移民(非メキシコ人)の惨殺事件は、麻薬問題と国内の不法移民問題を明らかにし、メキシコ内外の注目を集めた。メキシコに不法入国した後にアメリカへさらに不法に越境しようとした72名の国籍は8カ国にのぼり、唯一生き残ったエクアドル人の証言でその詳細が明らかになったからである。メキシコの麻薬グループに入るか、15000ドルの越境料を払うかの要求を拒否したこのグループは殺害され、死体の下敷きとなった1人だけが助かった。メキシコ政府は自国の犯罪組織が殺害した人々(メキシコにとっては不法入国者)の出身国に謝罪すると同時に、麻薬密売組織の凶悪化の原因の一端がアメリカにあることも指摘した。

 

 2008年以降、両国間の緊急課題となっているのがこの「麻薬」である。麻薬をめぐる問題は古いが、2008年から2010年に麻薬カルテルは強大な組織犯罪者集団となっている。大麻を栽培する農民を巻き込み、麻薬精製と南米各国から送り込まれるコカインのアメリカ市場への密輸出のための人員を確保するために不法越境者を取り込み、メキシコの国境警備員および関係者の買収、地方警察官と政治家への賄賂、誘拐ビジネスなどで、アメリカとメキシコの間にある約3200キロメートルの国境をはさんだ地域は犯罪多発地帯と化してしまった。メキシコとアメリカ両国政府は「イニシアティブ・メリダ」を発足させ協調して麻薬カルテルの撲滅に乗り出したが、歩調は必ずしも一致してない。20105月に訪米したカルデロン大統領はアメリカ連邦議会における演説の中で、「イニシアティブ・メリダ」を通じた麻薬犯罪組織対策のためのアメリカの資金提供と国境警備の強化に感謝しながらも、メキシコに流入する武器の80%はアメリカから違法に持ち込まれているもので、国境沿いに約7000軒の武器弾薬の販売店があることを指摘し、アメリカ側に武器流出に対する管理強化を要請した。 

 そのほかの場面でも、カルデロン大統領はアメリカ側に強い抗議を続けている。20106月に起こったアメリカの国境警備隊員による不法越境者の殺害事件では、メキシコ政府はアメリカに強く抗議し、アメリカは即座に謝罪した。さらに9月にヒラリー・クリントン長官が「現在のメキシコは20年前のコロンビアの状態にあり、国土の一部が麻薬カルテルによって支配されている」と公式発言をしたときには、カルデロン大統領は直ちに猛反発して、オバマ米大統領は、謝罪ともとれる弁明をした。

 

 麻薬問題と対米関係は、カルデロン政権にとって神経をとがらせる問題である。国境に接する北部諸州では、メキシコの州警察および地方自治体警察の不備による無法地帯の出現と連邦軍の出動だけでなく、国境の税関へのアメリカの治安維持関係者の関与がメキシコの世論を逆なでしているからである。約3200キロメートルの米墨国境戦は世界で最も活発な物流前線で、メキシコの輸出の80%がこの国境を陸路でアメリカへ入っている。厳格な麻薬取締を求めるアメリカは2010年前半に9回にわたって税関業務に介入し、メキシコ側の税関職員に対して安全と業務に関する教育を行った。これらの活動は2007年に締結された米墨ニ国間税関戦略計画に基づくものであるが、国境地帯の無法状態を自力で解決できないメキシコにとってはアメリカに頼らざるを得ないのが現実である。(国本伊代)

 

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日本は、戦争に突き進むのか

2024年06月03日 | 国際・政治

 日本の主要メディアは、すっかりアメリカに取り込まれ、アメリカの戦略に基づいた報道をするようになってしまったと思います。

 しばらく前、栃木県那須町で夫婦の遺体が見つかった事件のニュースが、朝、昼、晩とほとんど同じ内容で毎日続き、辟易しました。遺棄現場の上空からの映像を何度見たかわかりません。こんなニュースがくり返される意味は何なのかと考えさせられました。投資詐欺であるとか、振り込め詐欺のように、視聴者が巻き込まれる心配がある事件の報道は、同じ内容でくり返されてもそれなりの意味があると思います。でも、最近の日本のニュースは、事件や事故、あるいは日本のスポーツ・チームや選手の活躍に関するものが大部分で、日本の将来や国民全体に関わるような内容のニュースは、ほとんど見られなくなってしまったと思います。

 先だっても、大勢の人たちが参加する「パンデミック条約改定反対デモ」が実施され、「WHOから命を国民まもる運動・大決起集会」では、参加者が、  自由を奪うな!」「自分の健康は自分で管理する!」などと声をあげていたのに、テレビのニュース番組では、一度も見たことはないのです。

 政府が進める沖縄県名護市の辺野古新基地建設の状況や自衛隊の南西シフトに関わる現場からのニュースもほとんど見たことがありません。でも辺野古新基地建設や自衛隊の南西シフト反対する集会が、国会前でも開かれているのです。それは、那覇市の「県民平和大集会」に全国各地で連帯する行動だったといいます。沖縄、鹿児島両県の島民らも参加して、「有事になれば基地のある島が狙われる」「戦争の準備は始まっている」と危機感を訴えているのです。そういう訴えは、沖縄だけの問題でしょうか。あたかも、議論の余地のない問題であるかのように、主要メディアが無視しているのは、やはり、沖縄の問題が、アメリカの戦略に関わっているからではないでしょうか。

 

 私は、下記のような問題も含めて、日本が直面している政治的問題を報じることが、アメリカの戦略に反するからだろうと考えるのです。

 アメリカは、何としてもアメリカに追随しない中国やロシアの勢力拡大を止めなければ、国家が維持できなくなる状況に陥っているのだ、と私は思っています。

 ウクライナ戦争に関しては、先日、バイデン米大統領がウクライナに供与した武器使ってロシア領攻撃を限定容認したといいます。現状ではウクライナ側が苦しい戦いになっているからではないかと想像しています。あくまでも、武力で決着させようとしているように思います。

 また、アメリカは日本や韓国、フィリピンなどを巻き込んで、中国に対する圧力を強めています。先だっては、台湾と海軍の合同訓練を実施したことが報道されました。また、日米韓の協同訓練も計画されており、軍事的に対決する姿勢を強化しながら、口では「法の支配」を語るのですから、呆れます。中国が台湾近海で法に反することをしているのであれば、きちんとそれを指摘し、法的解決を目指すことが、「法の支配」の道だと思います。でも、現実問題はそういうことではないのだと思います。戦争屋といわれるアメリカは、今までと同じように、武力で解決しようとしているのだと思います。

 現在、アメリカが関与しなければ、中国が台湾のみならず、世界を敵に回すような武力攻撃をする理由などない、と私は思います。武力を行使し、中国を孤立させて、自らの覇権と利益を維持しようと躍起になっているのはアメリカだと思います。だから、台湾有事に関しても、何らかのでっち上げ事件が工作されるのではないかと心配しています。

 

 ふり返れば、国際社会が中華人民共和国を国連加盟国として承認し、国連安全保障理事の常任理事国として認める一方、台湾(中華民国)を国連から追放することしたのも、当時のアメリカの対中政策がもたらしたものだったと思います。当時のアメリカの対中政策における、「一つの中国」を国際社会が受け入れることになったのだと思います。それは、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問したときの、「米中共同声明」が示していると思います。共同声明には、下記のようにあるのです。

米国は,台湾海峡の両側のすべての中国人が,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は,この立場に異論をとなえない。米国政府は,中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。

 にもかかわらずバイデン政権は、中国を敵視し、台湾にくり返し高度な武器を売却して合同訓練などやっているのです。そういう意味では、アメリカと手を結び、中国を敵視している民進党の頼清徳氏は、ウクライナのゼレンスキー大統領と同じで、平和的ではない、と私は思います。

 

 私は、日本の平和と安全のためには、日米関係を見直す必要があると思い、日米関係を規定している「日米安保条約」や「日米地位協定」の問題をとり上げているのですが、今回は、「日米地位協定逐条批判」地位協定研究会著(新日本出版社)から、「三 労務の調達の肩代わり。為替管理の免除とドル軍票の使用」を抜萃しました。放置してはいけない内容だと思うのです。

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           三 労務の調達の肩代わり。為替管理の免除とドル軍票の使用

 

   1 労務の調達の肩代わり

 地位協定第124項は、米軍と第15条の諸機関が必要とする日本人従業員は、米軍と同機関の費用負担で日本政府が雇用し、米軍と同機関に提供する間接雇用の制度を定めている。米軍に雇用される日本人従業員を基本労務契約従業員(Master Labor ContractMLC従業員)、第15条諸機関に雇用される日本人従業員を諸機関労務従業員(Indirect Hire AgreementIHA従業員)と呼んでいる。前者は19516月に日米両政府間で締結された基本労務契約によって、後者は6111月に両国政府間で締結された諸機関労務協約によって、それぞれ、間接雇用制度に移行した。それまでは、米軍については、日本政府の費用負担で日本政府が従業員を雇用し、米軍に提供するという形態であった。第15条諸機関については、同機関の費用負担で同機関が従業員を雇用する直接雇用の制度であった。なお、基本労務契約は579月に新基本労務契約に改定されている。

 日本政府が労務の調達の肩代わりをするにあたっては、これらの従業員の「雇入れ、提供、解雇及び労務管理、給与の支給並びに福利厚生に関する事務」は都道府県知事に対する国の機関委任事務とされている(地方自治法別表第31、<33>)。この機関委任事務は、沖縄県や神奈川県などの米軍基地所在都道府県に多大な負担を強い、地方自治の本旨にとって大きな障害になっている。

 また、日本政府は516月制定の特別調達資金設置令により、「米軍や15条諸機関の需要に応じ行う物及び役務の調達を円滑に処理するため」(第1条)、特別調達資金の制度を設置し、米軍にたいして資金の立て替え払いの便宜まではかっている。

 さらに地位協定第126項は、保安解雇の制度まで定めている。保安解雇の基準は、「従業員が、米国側の保安に直接的に有害であると認められる政策を採用し、又は支持する破壊的団体又は会の構成員であること」(新基本労務契約第9章1b)などとされているが、実際は日本共産党などに加入したり、協力したりすることを理由とする解雇を容認する基準である。そして保安解雇の場合には、裁判所は労働委員会の解雇無効、原職復帰の決定が確定しても、米軍や第15諸機関は、その労働者の就労を拒否できるとされている。保安解雇の制度は、米軍の治外法権的特権と日本政府の従属的立場を象徴的にしめしている。

 

   2 為替管理の免除とドル軍票の使用

 外国為替管理とは、政府が外国為替の取引を管理することで、日本の外国為替管理は、194912月に制定された「外国為替及び外国貿易管理法」にもとづいて実施されている。ところが、地位協定第192項は、米ドルもしくはドル証券で、米国の公金であるもの、米軍人、軍属が勤務や雇用で取得したもの、米軍人、軍属とそれらの家族が日本国外の源泉から取得したものの、日本国内または国外への移転を、日本政府の外国為替管理の対象外とすると定めている。

 ところで、NATO地位協定第14条は、「軍隊、軍人、軍属とそれらの家族は、派遣国と受入国の双方の国の外国為替規制に服さなければならない」(1項)、「派遣国と受入国の外国為替当局は、軍隊、軍人、軍属とそれらの家族に適用すべき特別な規制を発することができる」(2項)と定めている。このNATOの地位協定第14条とくらべて、日米地位協定第19条では、受入国はすなわち日本の権利が尊重されていないことは、条文を比較するだけで明らかである。例193項は、米国当局は、米軍人らによる特権の乱用や日本政府の外国為替管理の回避を防止するため適当な措置をとらなければならないと定めているが、それはもっぱら米国当局の裁量に委ねられている。

 また、地位協定第20条は、米軍基地内に限定してであるが、合衆国によって「認可された者」がドル表示の軍票を「相互間の取引のため使用することができる」と規定している。軍票とは「戦地・占領地で、軍隊が通貨の代用として使用する手形」(広辞苑)のことである。「認可された者」は、合衆国軍隊、軍隊の構成員、軍属、それらの家族、軍事用販売機関(PK)、軍事郵便局、軍用銀行および米軍との契約者をさす。しかし、「外国為替管理令等の臨時特例に関する政令」(1952428日、政令127号)第4条第1項の大蔵大臣が指定する者として、「本邦に派遣された合衆国の大使、公使、領事その他これに準ずる使節及びその随員その他本邦にある合衆国の大使館、領事館その他これに準ずる施設に雇用され、又これらに勤務する合衆国の国籍を有する者(通常本邦に住所を有する者を除く)」(同日、大蔵省告示、752号)も軍票を自由に使用できると拡大されている。

 外務省は軍票が69年以降事実上使用されておらず、現在はドルが使用されている」と言うが、外務省の次のような見解は批判し、軍票使用を禁止させなければならない。

(1) NATO地位協定自体には軍票の規定がなく日米地位協定であるのは「わが国の為替管理の状況からして実際上便宜がある」ことによるという。これでは説明にまったくなってない。どのような便宜があるのか具体的に論証しなければならない。

2) 軍票銀行施設が軍票管理のため認められたものであれば、軍票が使用されていない現在、軍用銀行が米ドルを取り扱うことは認められるではないかとの疑問がありうると自問し、実際ドルのみ流通することがあっても、「制度として軍票の使用が認められる建前となっている限り、〔米軍当局は、日本政府の判断により必要があれば、いつでもドルの使用を廃止して軍票のみを使用させることになっている〕、軍用銀行施設は、制度上軍票を管理する任務を負っていると考えられるので」規定に問題がないという。

 これは軍票使用の徹底した弁護論であり、その使用のアメリカの便宜の確保擁護論である。

3)チェース・マンハッタン銀行等の軍用銀行は、日本の銀行法に服していないが、日本の金融市場から全く隔離した活動を行っているのであるから、日本がこれにたいする監督を行う意義がないと軍用銀行の存続を当然視している。

 これらは基地の「排他的使用権」に対応する「経済的租界」の容認と言わざるをえない。日本国内における通貨=経済的主権にかかわわる重大な問題である。

 軍票の実態に関するデータはまったく公表されていない。日本政府はそれを公表すべきであり、今後の「有事」などの際に米軍が大量に発行する可能性もあり、看過できない。

 なお、「ドイツ連邦共和国に駐留する外国軍隊に関して北大西洋条約当事国間の軍隊の地位に関する協定を補足する協定」(ドイツ補足協定)に軍票に関する規定がある(第69条)、それによれは軍隊・軍属の当局は「派遣国の通貨で表示される軍票を輸出し、輸入し及び所有する権利を有」し、「軍隊構成員、軍属および家族に対して」「派遣国の通貨で表示される軍票」を分配することができるが、その制度がドイツ政府の協力のもとに採用されている場合に限って認められる、ときわめて限定的であること、軍用銀行の規定がないことを付言しておきたい。

 

 

 

 

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