真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

イスラエルに対する制裁は?

2024年05月31日 | 国際・政治

 戦争に関しては、一つの事実に対する対戦国相互の主張が、しばしば真っ向から対立します。それはどちらかが嘘を語っているということです。したがって、真実を知るためには相互の主張をじっくり聞き、事実を確認しながら、とことん問い詰めていく必要があると思います。片方の主張を鵜呑みにしてはいけないのです。

 でも、ウクライナ戦争やイスラエル・パレスチナ戦争では、ロシアやハマスの主張は、あまり報じられなかったと思います。だから、西側諸国では、ウクライナやイスラエルの主張が真実であるかのように受け止められた面があると思います。特にウクライナ戦争では、プーチン大統領の主張やロシア人の考え方は、直接知ることができず、ほとんどウクライナやアメリカを通して伝えられたので、かなり偏っていたと思います。

 それは、アメリカの戦略の結果だと思います。 だから、私は、世界の平和、日本の安全のためには、日米同盟の強化ではなく、逆に、日米安全保障条約や日米地位協定の破棄が必要だと思っています。

 下記の抜粋した日米地位協定の内容をきちんと受け止めれば、誰でも思い至る結論ではないかと思います。アメリカは、日米安全保障条約と日米地位協定と、日米合同委員会をうまく使い分けて、巧みに真実を曖昧にし、日本をアメリカのために利用していると思います。

 

 ガザでは、35000人を越えるパレスチナ人が犠牲になっても、イスラエルの攻撃が続いているので、やっと国際司法裁判所(ICJがイスラエルに対し、暫定的な措置としてガザ地区南部ラファでの攻撃を停止するよう命じたのだと思います。

 日本政府も、「当事国を法的に拘束するものであり誠実に履行されるべきもの」として、イスラエルは従うべきとの考えを示しましたが、ウクライナ戦争におけるロシアに対する対応とのあまりの違いに愕然とします。

 イスラエルに対しては、いまだに、何の制裁もありません。ロシアに対しては、即座にオリンピックからロシア選手を排除したのをはじめ、あらゆるスポーツの国際組織からロシア人を排除しました。また、ロシア人の排除は、芸術や学術その他の領域にも及びました。経済制裁もさまざまな領域に広がりました。多くの企業が取引を停止し、ロシアから撤退しました。制裁は私的企業も対象となり、個人資産の凍結にも及んだときいています。

 だから、ガザの惨状について、今頃、「人道状況の改善や事態の早期に沈滞化に向け引き続き外交努力を粘り強く積極的に行っていく」などと言って、とぼけていてはいけないと思います。

 立場が逆であれば、即罪にアメリカを中心とする有志連合のパレスチナ爆撃が開始されていたのではないかと想像します。

 南米のボリビアは、イスラエルのガザ攻撃開始後間もなく、イスラエルとの国交断絶を表明しました。また、少し遅れてコロンビアも国交を断絶しています。イスラエル大使を召還した国もあります。日本は、なぜ動かないのか。西側諸国でイスラエルに対する制裁の話がいまだにないのは、やはり、イスラエルを支えるアメリカの力の大きさを示しているのではないかと思います。 

 

 国際司法裁判所(ICJ)のイスラエルに対するラファ攻撃即時停止暫定措置命令にかかわって、二つの見逃すことのできない報道がありました。

 一つは、昨日、yahooが報じた、下記のニュースです。

イスラエルの情報機関の前長官がICC=国際刑事裁判所の捜査を妨害するため、前主任検察官を脅迫していた疑いがあることが分かりました。 イギリスのガーディアン紙は28日、イスラエルの情報機関モサドのコーヘン前長官が、ICCのベンスダ前主任検察官を脅迫し、圧力をかけていた疑いがあると報じました。 イスラエルによるパレスチナ自治区への戦争犯罪をめぐる捜査を妨害することが目的とみられ、ベンスダ氏はICCに「コーヘン氏がイスラエルの捜査を断念するよう何度も圧力をかけてきた」と報告しているということです。 また、ここ数か月の間にもモサド側は捜査を引き継いだカーン主任検察官など複数のICC職員に対し、メールの傍受や盗聴をしていたとみられています。 ガーディアン紙によりますと、モサド側による介入工作はベンスダ氏がパレスチナへの戦争犯罪に関する予備調査の開始を発表した2015年から始まりました。 イスラエル側は報道について、「根拠のない虚偽の主張だ」と否定しているということです。 ”

 こうしたことは、イスラエルの歴史を調べれば、不思議ではないことがわかると思います。ユダヤ人武装組織イルグンは村民254人を虐殺したことがあるのです。そのイルグン軍の指導者はのちのイスラエル首相ベギンです。その流れを汲むネタニヤフ首相は、「ハマスを根絶やしにする」と言っているのです。だから、イスラエルは、「ハマス殲滅」を掲げつつ、ほんとうは「パレスチナ人殲滅・追い出し作戦。」を展開しているのだと思います。

 「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」(講談社現代新書)の著者、 高橋和彦氏シオニズムを裏返すとナチズムになる」と書いていますが、噛み締める必要があると思います。

 

 もう一つは、The Gradle が報じた、下記のニュースです。

 ジュネーブ国際平和研究所が、国際刑事裁判所(ICC)に対し、ガザ地区におけるイスラエルの戦争犯罪への共謀について、欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長を捜査するよう要請したというような内容です。

 イスラエルの戦争犯罪に、西側諸国が加担しているということだと思います。

The Gradle 

The Geneva International Peace Research Institute (GIPRI) has submitted a request to the International Criminal Court (ICC) to investigate the President of the EU Commission, Ursula von der Leyen, for complicity in Israeli war crimes in the Gaza Strip.”

 

 また、The Gradle は、下記のようなメキシコの動きも伝えています。怒りが世界中で爆発しているように思います。

 下記は、「日米地位協定逐条批判」地位協定研究会著(新日本出版社)から、「5 税金の免除などの経済的特権供与」の一部を抜萃しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                    5 税金の免除などの経済的特権供与

                         ── 第1115条。1920

 

 現在日本には132の米軍基地(自衛隊との共同使用施設を含む)があり、米軍人約47000人、軍属約5000人とそれらの家族がいる。首都東京に置かれている横田基地は、米軍が世界各地に出撃するための輸送・補給中継基地として強化され、横須賀は空母インディペンデンスなどの、佐世保は強襲揚陸艦ベロー・ウッドなどの母港にされ、沖縄と岩国には第三海兵遠征軍が駐留している。在日米軍基地は、アメリカが世界各地の紛争に介入する場合の世界でもっとも突出した出撃拠点になっており。在日米軍は、極東地域はもとよりアジア太平洋地域、さらには地球的規模で活動するに至っている。  

 在日米軍は、軍隊としての活動をおこなうために、また米軍人、軍属とそれらの家族の生活を維持するために、膨大な物質を日本国内に持ち込み、あるいは日本国内で調達し、さらには持ち出す事などを必要としている。これらの米軍の活動や米軍人の生活の便宜のために、地位協定は第11条以下で各種の税金を免除することを中心に、日本政府による労務の調達の肩代わりや為替管理の免除、ドル軍票の使用など、米軍および米軍人、軍属とそれらの家族にさまざまな経済的特権を供与している。

 この点で日本は、国家主権の一部である課税自主権などの経済主権をアメリカによって大きく侵害されている。

                一 各種税金の免除

   1 関税及び税関検査の免除

 地位協定第11条は、米軍および米軍人 軍属とそれらの家族が輸入する、表26種類の物品にたいして関税その他の課徴金を免除することにしている(2項、3項、「地位協定の実施に伴う関税法等の臨時特例に関する法律」第六条1から6号)。関税とは、外国からの輸入財貨に課す税金のことである。これらの品ついては、内国消費税(消費税、酒税、たばこ税、揮発油税、地方道路税、石油ガス税、石油税)も免除される(関税法等臨時特例法第7条)。したがって、米軍人らは、PXなどの軍人用販売機関などで、関税や消費税などを免除されたやすい物品を入手できる。これらの物品は、再輸出するさいにも関税その他の課徴金を免除されることになっており(第117項)、日本の国境をこえての米軍の活動を側面から保障している。

 関税が免除されることにともない、①米軍の命令により日本に入国し、又は日本から出国する米軍部隊の携行品、②米軍の公用の封印がある公文書、③米国政府の船荷証券により船積みされている米軍に仕向けられた軍事貨物、④米国軍事郵便線路上にある公用郵便物の4種類の物品について。税関検査も免除されている(第115項、関税法等臨時特例法第九条14号)。税関検査とは、輸出入の禁制品が含まれていないかなど、輸出入貨物の検閲、取り締まりを行うことである。ところで、表3のとおり、米軍人らが米国軍事郵便の個人宛小包などを使って、短銃や銃弾、麻薬を密輸入しようとする事件が摘発されている。これらは税関検査があるから摘発できるものであるが、税関検査を一切免除されている米軍部隊の携行品や軍事貨物、公用軍事郵便を利用して、禁制品の密輸入がなされていないかなど、その実態はいっさい不明である。

    2 国税と地方税の免除

 米軍や米軍人にたいする国税と地方税の免除は、地位協定第1215条と、同条項をうけた「地位協定の実施に伴う所得税法等の臨時特例に関する法律」、「地位協定の実施に伴う地方税法の臨時特例に関する法律」に定めてある。

1) 地位協定第121項は、米軍また米軍の公認調達機関は、日本国内で自由に物品・役務を調達できることを定めるとともに、日本政府を通じて物品・役務を調達できることも定めている。同条31文は、これらの物品・役務の調達について、国税たる物品税、通行税、揮発油税、地方税たる電気ガス税を免除することを定めている。33文は、「両政府は、この条に明示していない日本の現在の又は将来の租税」について、「この条の目的に合致する免税又は税の軽減を認めるための手続について合意する」と定めている。この規定にもとづき、今日までに、米軍また米軍の公認調達期間の物品・役務の調達について、国税たる地方道路税、石油ガス税、石油税、消費税、地方税たる軽油引取税を免除することが認められている。なお19894月の消費税の導入にともない、31文中の物品税、通行税、電気ガス税は消費税に吸収されて廃止されている。32文は、最終的には米軍が使用するため調達される物品・役務についても、揮発油税などが免除される旨を定めているが、この規定をうけて、後述する個人契約者、法人契約者の物品、役務の調達についても。揮発油税、消費税の免除など、米軍の調達の場合と同様の税金の免除が認められている。

(2) 以下略

              二 税金免除がもたらす損害

 

 地位協定による米軍や米軍人らにたいする税金免除の全容とその総額は、米軍へは税関検査が免除されるとか、米軍基地への立ち入りが禁止されているとかの状況の下では、ほとんど明らかになっていない。日本政府がそれらを把握する努力をしているかどうかも、きわめて疑わしい。最近では、日本の石油各社が、1989年から95年の7年間に在日米軍に販売したジェット燃料油、灯油、軽油。合計858365キロリットルにかかる石油税や軽油引取税などの石油諸税が、合計で226億円も免除されていることが明らかになっている程度である(「在日米軍の石油製品 226億円も免税」「赤旗」9692日付)。これらの取引には、このほかに消費税も免除になっている。

 ここでは、地方自治体に大きな損害を与えている米軍人らの私有車両に対する自動車税、軽自動車税の大幅減税と、米国が使用している国所有の固定資産や米軍資産にたいする固定資産税、都市計画税の免除の問題についての述べる。

    1 自動車税、軽自動車税の大幅減税

1) 地位協定第131項と地方税法臨時特例法第3条は、米軍所有の車両については、自動車税、軽自動車税を免除しているが、そのことはもとより、米軍人の私有車両にたいする自動車税、軽自動車税を免除することを意味するものではない。地位協定第133項および146項は、「この規定は」、米軍人、軍属とそれらの家族および個人契約者、法人契約者とそれらの被用者の「私有車両による道路の使用について納付すべき租税の免除を与える義務を定めているものではない」と定めている。

 ところが、日米両政府は19543月の合同委員会で、「行政協定第13条第3項及び第145項の規定(地位協定第133項及び第146項とまったく同じ規定)に関し、日本国には各種の私有車両による道路の使用度に対応する税率がないので、米軍人らは、私有車両による道路の使用に関して、つぎに掲げる金額を納付すればよいとして、米軍人らは、普通トラック以外の私有車両については自動車税や自動車税を大幅に減額した金額を納付すればよい旨を合意している。この日米合同委員会の合意は、その後、何度か改訂され、最近では842月に改定されている。

 そして、日米合同委員会の合意もとづく自治事務次官通達(最近では843月の通達)をうけた「米軍人等の所有する自動車に対する自動車税の賦課徴収の特例に関する(都道府県)条例」と「米軍人の所有する軽自動車に対する軽自動車税賦課徴収の特例に関する(市町村)条例」では、地方税法第147条で定める自動車税と同法第444条で定める軽自動車税の税額を、普通トラックに対する税額のぞいて、大幅に減額することを定めている。その減額状況は、表5のとうりである。この減額措置による税収の減収額は、沖縄県の調査によれば、沖縄一県だけで年間798699000円にもなる。また、沖縄、神奈川、青森、東京、長崎、山口の5県の減収額は、年間合計で18億円になる(自動車税、こんなに安い」「赤旗」96922日付)。

 以下略

ーーー

 一般民間車両と米軍人・軍属・家族の私有車両の自動車税比較の表から一部抜萃

       米軍人・軍属・家族  日本国民

 小型乗用車   6500円     29500円~39500

 普通乗用車   19000円     45000円~111000

ーーー

   2 固定資産税、都市計画税の免除と基地交付金

1) 国が所有する固定資産で米軍や自衛隊が使用している固定資産については、固定資産がある市町村にたいして、固定資産税(課税標準額の1.4%が標準税率)や都市計画税(課税標準額の0.3%が上限税率)、国有資産等所在市町村交付金(国有財産台帳価格などの)1.4%が、一切支払われていない。

 この間の法的仕組みは、つぎのとうりである。地方税法では、市町村は、国や都道府県などの地方公共団体に固定資産税や都市計画税を課すことができないと定めている(第3481項、第702条の21項)。しかし、「これらの固定資産といえども、当該資産所在地の市町村の消防、道路その他の事業や施設によって受益していることは、現に固定資産税を課されている固定資産と全く同様である」自治省全務局編『地方税制の現状とその運営の実態』地方財務協会、70年、591頁)。そこで19564月に制定された「国有資産所在市町村交付金及び納付金に関すする法律」では、国や都道府県などの地方公共団体は、「当該固定資産を所有する国又は地方公共団体以外のものが使用している固定資産」などの固定資産について、所在地市町村に対して、国有資産等所在市町村交付金を交付する(第211号など)と定めている。交付金額は、国有資産台帳価格などの1.4%とされている(第3条)。

 この交付金・納付金法第211号の規定によれば、国は、「国以外の者である」米軍が使用している国所有の固定資産について、所在市町村に対して、市町村交付金を交付しなければならないことになる。ところが、ここでも米軍を聖域視する考えのもとに除外規定を定めて、交付金・納付金法第226号は、国は、「地位協定の実施に伴う国有の財産の管理に関する法律」第二条の規定により、米軍に使用させている固定資産については、市町村交付金を交付しなくてもよいと定めている。

2)米軍が使用している国所有の固定資産について、固定資産税や市町村交付金が支払われていないということは、固定資産が所在する市町村がこうむる損害は莫大な金額になる。また、米軍や米軍人らに対する市町村税の免除についても、市町村は多大の損失をこうむっている。これらの地方自治体の不満をそらし、政府が自治体をコントロールしようとして導入されたのが、575月制定の「国有提供施設等所在市町村助成交付金に関する法律」にもとづく基地交付金の制度である。

 基地交付金は、国所有の米軍が使用する固定資産と自衛隊が使用する固定資産(一部)を、所在する市町村にたいし、「毎年度、予算で定める金額の範囲内において」交付するとされている。(助成交付金法)1条)。「予算で定める金額の範囲内」という制約があり。基地交付金は、地方自治体の最低の損失をカバーするものにも、およそなっていない。しかも、政府によって基地政策の道具に使われているのである(前掲『地方自治体と軍事基地』4148頁参照)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧米主導の世界の終焉?

2024年05月26日 | 国際・政治

 国際社会は、現在、大きく変わろうとしているように思います。その変化を見逃さず、適切に対応することが重要だと思います。政府に追従することなく、言うべきことを言うことが、変化の時代には特に大事だと思います。

 

 そこで、最初に注目するのが、ガザの戦争犯罪の問題です。

 南アフリカが、2014年のガザ紛争におけるイスラエル軍による砲撃により、民間人100人以上が死亡した事件について、イスラエル軍が戦争犯罪を犯したと主張し、国際刑事裁判所(ICCに提訴しました。それを受けて、2024516日から17日にかけて、国際刑事裁判所(ICC)において、この訴訟に関する公聴会が開かれたということです。

 この訴訟は、2014年のガザ紛争における、イスラエル軍のパレスチナ占領地域での軍事作戦に関するものですが、20231017日以降のイスラエルによるガザ民間人殺害にも通じるものだと思います。イスラエル軍が戦争犯罪をくり返しているので、かつて、アパルトヘイトに苦しんだ南アフリカが提訴に踏み切ったのだと思います。

 イスラエルは、ICCの管轄権を否認し、南アフリカによる訴訟の提起自体が、政治的に動機付けされたものであると反論しているようですが、私は、イスラエルが法に基づく議論をしたくないのだと思います。

 また、イスラエルは、自国の軍隊はテロリストに対する正当な防衛を行っており、戦争犯罪を犯していないとも主張しているようですが、病院や学校や難民キャンプを爆撃し、大勢の女性や子どもを殺害した事実は、正当防衛が成立しないことを示していると思います。また、ハマスをテロリストと決めつけて、そこから話をはじめようとしますが、ハマスが組織化された経緯や武装することになった経緯は、無視されてはならないと思います。

 そうしたことを踏まえて、きちんと国際法に基づいて議論すれば、イスラエル軍によるガザでの攻撃が、ジェノサイド(集団殺害)にあたることは、誰にも否定できないことだと思います。

 

 したがって、法に基づいた議論がなされるべきだと思いますが、ICCがイスラエルに対して、本格的に捜査を開始した場合、イスラエルが孤立する可能性が大きく、イスラエルの支援を続けるアメリカが、なんらかの影響力を行使し、この訴訟を進めさせないのではないかと想像します。 

 なぜなら、バイデン大統領が、「言語道断だ」と強く非難する声明を発表し、「イスラエルとハマスが同列だということは全くない」となどと、非常識なことを語っているからです。

 また、ブリンケン米国務長官も、米連邦議会議員らと協力し、ICCに対する「制裁」の可能性について検討すると示唆したとも伝えられているからです。アメリカは、お得意の超法規的措置をとるのではないかと想像します。

 

 また、国際社会では、そうした動きと関連して、見逃せない変化が同時進行しているように思います。その一つが、スペイン、アイルランド、ノルウェーの欧州3カ国が、パレスチナを国家承認すると表明したことです。また、パレスチナとの連帯を呼びかけるデモも、世界中でくり返されており、イスラエルの孤立は、もはや止められない状況ではないかと思います。

 

 アメリカは、パレスチナのガザ地区に救援物資を投下したり、浮き桟橋を設置して救援物資を搬入したり、イスラエルがガザのラファに侵攻すれば武器供与を止めると警告したり、パレスチナ人を襲撃したユダヤ人入植者に制裁を科したりしましたが、それらが目くらましであることを、多くの人は見抜いているように思います。

 3カ国の決定について、ネタニヤフ氏は「テロへの報奨」であり、パレスチナは「10月7日の大虐殺を何度も繰り返そうとするだろう」と述べ、3カ国から大使を呼び戻すとともに、3カ国の駐イスラエル大使を召喚して10月7日のイスラム組織ハマスによる攻撃のビデオを見せたりしたと伝えられていますが、それがイスラエル軍のガザにおけるジェノサイドを否定することには結びつかないと思います。

 また、サリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)が、記者会見で「一方的な承認が、現実の和平プロセスの進展や停戦にどう結びつくのか分からない」と述べ、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが共存する「2国家解決」を達成する唯一の方法は「当事者間での直接交渉だ」と訴えた

ということですが、現実を直視すれば、当事者間での直接交渉で、「2国家解決」が達成されることがあり得ないことは、誰にでもわかることではないかと思います。だから、そうした発言を踏まえれば、訴訟が法に基づいて進められる可能性はあまりないように思います。

 

 世界情勢で注目すべきもう一つのことは、直接的にはイスラエル・パレスチナ戦争とは関係がないように見えますが、西アフリカの共和制国家ニジェールで、祖国防衛国民評議会(CNSP)によるクーデターがあり、軍事政権を組織したチアニ氏が、アメリカとの軍事協定を破棄し、親ロシア路線に転じる方針を示したということです。

 ニジェールは、かつてフランスの植民地で、独立後も親仏的な政権が続き、フランスとの軍事協定を1977年から2020年にかけて5つ結んだといいます。だから、アルカーイダやISIL(イスラム国)と関連のある勢力に対抗するため10001500人規模のフランス軍部隊が駐留していたといいます。しかし、今回クーデターを引き起こし、政権を掌握した軍事政権は、20238月に対仏軍事協定を破棄したため、フランスのマクロン大統領は、年内に駐留軍を撤退させると表明していたのです。

 そして、アメリカも同国に駐留する米軍を915日までに撤退させることで合意したというのです。ニジェールは米国にとっても、サハラ砂漠南部のサヘル地域のイスラム過激派を監視する重要な拠点だったようですが、クーデター後、軍事政権は米軍撤退を求め、ロシアと接近していたということです。

 報道によれば、マリ、ブルキナファソ、ギニアでクーデタが相次いだ後、ニジェールはこの地域における西側諸国の拠点になっていたということです。欧米主導の世界の終焉が進んでいるように思うのです。

 

 さらに、南太平洋のフランス領ニューカレドニアで、先住民の抗議行動を発端とした「暴動」が続いているという問題です。日本の報道では、破壊された町の様子や、避難する人たちの様子が中心で、ほとんど触れられていませんでしたが、アルジャジーラが伝えた下記の内容は重要だと思います。

 フランスはアゼルバイジャンが暴動を支えているというのです。名指しされたアゼルバイジャンは、フランスによる海外領土での植民地主義や、ナゴルノ・カラバフ戦争におけるフランスのアルメニア支援を非難したというような内容です。先住民の抗議行動を発端とする「暴動」は、単なる「暴動」ではなく、先住民の独立運動であり、東西対立のような側面があることを見逃してはならないと思います。

 それは、イランのニュースサイトの下記の写真や、報道の内容でも明らかだと思います。先住民は、ニューカレドニアのアイデンティティを表す公的なシンボルである旗を掲げて、訴えているのです。

 フランス政府は現地に非常事態宣言を出し、軍や治安部隊を派遣して事態の鎮静化を図っているといいますが、 軍や治安部隊が解決できることではないように思います。

 アメリカを中心とする西側諸国の、植民地主義的な対外施策や外交政策の問題が、世界的規模で告発されているようにも思います。

        New Caledonia unrest due to French policy deadlock: Russia - IRNA English

AzFrance blames Azerbaijan for New Caledonia violence: Unpacking their spaterbaijan previously condemned French colonialism in overseas territories, while has France backed Armenia on Nagorno-Karabakh.”

 

 最後に、日本の問題です。日米地位協定は、第23条で、「日本国及び合衆国は、合衆国軍隊、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族並びにこれらのものの財産の安全を確保するため随時に必要となるべき措置を執ることについて協力するものとする。…」と定めています。この定めがあるために、米軍機が日本国内で墜落した場合、墜落した場所の所有者の承諾なし日本人の土地に立ち入ったり、逆に、日本人の立ち入りや現場検証、調査などを禁止したりすることができるといいます。また、米軍の危険物にも、日本の法が適用されず、火薬の輸送なども、日本はチェックができないというのです。こんな日米地位協定をいつまでも放置すべきではないと思います。だから、日本のメディアのように、自民党政権を批判したり、非難したりしていても、日米関係の見直しにまで踏み込まない限り、日本は変わらないと思います。

 日米関係が変わらなければ岸田政権の非を暴き、岸田政権を倒しても、また、似たような政権が生まれるだけだろうと思うのです。

 下記は、「日米地位協定逐条批判」地位協定研究会著(新日本出版社)から、「四 米軍に対する安全措置」を抜萃しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                  4 米軍の優先使用、協力を義務化

                ──第六~八条 十条、二十一~二十三条

 

四 米軍に対する安全措置

 地位協定第23条は、米軍などの安全のための日米協力およびアメリカの財産の安全のための日本側の立法措置などについて規定している。

 日米双方は、米軍隊、軍人、軍属およびその家族、ならびに彼らの財産の安全を確保するため随時、必要となるべき措置をとることについて協力する、とされている。日本政府はその領域において、アメリカの施設・備品・財産、記録および公務上の情報の十分な安全および保護を確保するため、適用されるべき日本国の法令に基づいて犯人を罰するため必要な立法を求め、およ必要なその他の措置を取ることに同意している(第23条)

 これによって、米軍およびその構成員の財産は、それが施設・区域外である場合でも、不可侵の特権が与えられ、そのため住民の安全や権利との調整をはかる合意が、さまざま存在することになる。たとえば、危険物の輸送の場合でも、危険物がアメリカの財産であるため、米軍財産は不可侵であるとする特別な取扱いがされ、火薬輸送については「米軍の火薬類運搬上の措置」が日米合同委員会で合意されている。米軍管理下の火薬の輸送については(日本人が運転する場合も)は火薬取り締まり法が直接適用されない。したがって、火薬取り締まり法により都道府県公安委員会が行える輸送火薬類のチェックができない。

 

 また、米軍機が墜落した場合でも、墜落機が米国の財産であることから特別扱いされる。米軍は、墜落した場所の所有者などの承認を得ずに立ち入ったり、墜落現場について立ち入り禁止措置などをとることができるようになっている。これについては「施設区域外の米軍事故現場における手続きに関する合意事項」があり、次のようにのべている。

 

 「本合意事項は、合衆国軍用機が合衆国軍隊の使用する施設または区域外にあるわが国の財産に墜落した時の緊急事態についての合意であり、……緊急事態で急を要する場合には、あらかじめその場所の管理者の承認を求めるいとまのない場合もあるので、そのような場合に限り、管理者の承認を得ないで米軍の代表が事故現場において緊急措置をとるために立ち入ることができる」(19771013日)衆議院予算委員会)

 さらに、本条に基づいて日本の国内法として、刑事特別法が制定されている。同法は、施設・区域を犯す罪(第二条)。運用物を破壊するなどの罪(第五条)、合衆国軍隊の秘密を犯す罪(第六条)などを定めている(本書2「『排他的使用権』を容認する反国民的規定』参照)。

 以上みたように、日米地位定によって米軍は飛行管制から公共事業などの利用優先権、気象、通信郵便にいたるまで、数かずの特権を保障されている。米軍が日本で横暴をふるうことができるのは、このような法的措置があるからである。日米地位協定および、その関連法令の一切を廃棄しないかぎり、日本国民の安全は保障されない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シオニズムとナチズム NO2

2024年05月21日 | 国際・政治

 大航海時代以降、政治や経済のみならず、あらゆる文化や文明の領域で、ヨーロッパ諸国が世界をリードしてきたと思います。法や道義・道徳に関しても例外ではないと思います。
 現在、戦争に関わる国際法には、ジュネーヴ条約 (1864年)やハーグ陸戦条約(1899年)、不戦条約 (1929年)、国連憲章(1945年)などがありますが、それらも、ヨーロッパ諸国が主導して締結され、採択されたといえるように思います。
 でも、見逃せないのは、それらを尊重せず、自らをそうした条約や国際法の外に置いてきたのがアメリカを含むヨーロッパ諸国であるということです。

 多数のユダヤ人の移住とイスラエルの建国によってもたらされたパレスチナ問題にも、ヨーロッパ諸国の法や道義・道徳を無視した身勝手な対応が随所にみられると思います。
 イギリスの三枚舌外交で始まったパレスチナ問題における国連の分割決議案(United Nations Partition Plan for Palestine)にも、それは見て取れると思います。イギリスの委任統治を終わらせ、アラブ人とユダヤ人の国家を創出し、エルサレムを特別な都市とする国連決議案は、アメリカを含むヨーロッパ諸国の目先の利益のために、パレスチナに移住したユダヤ人の業深い建国の思いを受け入れた内容で、パレスチナの合意が得られるような内容ではなかったと思います。
 「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」(講談社現代新書)の著者、高橋氏も書いていました。
”…オニストの移住が始まる前のパレスチナにおけるユダヤ教徒の数はどう多めに見積もっても2万5千程度であった。そこにヨーロッパのユダヤ人がやってきて自分たちの国を建てるなど土台無理な話であったシ。”

 イスラエルの建国は、その無理を押し通すことだったのです。

 1937年、イギリスで組織されたピール委員会は、パレスチナをアラブ国家と小さなユダヤ国家(15%程度)、国際地域に分割する提案を行ったといいますが、これには、パレスチナ人住民をユダヤ人国家の国境外へ移転させる条文が含まれていたということです。理不尽な内容が含まれていたと言わざるを得ない思います。立場が逆であれば、ありえない条文だと思います。
 また、イギリスのウッドヘッド委員会が、いくつかの分割案を考案したといいますが、前例や慣習に従ったり、法に基づいて考えることができる問題ではなかったからだと思います。
 だから、1938年のイギリス政府の政策要綱では「パレスチナにアラブ人とユダヤ人の独立国家を創出する提案に関する政治的、行政的、財政的困難は非常に大きく、問題の解決は不可能である」と書かれることになったということですが、当然だろうと思います。

 また、国連は、分割決議案を採択するにあたって、1947年5月、11カ国の代表からなる「国連パレスチナ特別委員会(UNSCOP)」を組織し、合意が得られる案の作成に努力をしたようですが、もともと、パレスチナの地に、イスラエルというユダヤ人の国家を建国するという発想そのものが、あまりに突飛だったために、 国連パレスチナ特別委員会は、案を一つにまとめることができず、いくつもの提案を並記した報告書を作成し、提出することしかできなかったのだと思います。

 また、採決で3分の2の賛成を得るために、「シオニスト」が議事妨害を行い、採決を延期させ、その間に、支持を表明していない国家へ工作を行ったといわれています。イスラエルを支えるアメリカも、海外援助をちらつかせるなどして、多くの国に分割案に賛成するよう圧力をっけたといいます。”土台無理な話”を、押し通すためだったのだと思います。

 さらに見逃せないのは、シオニズムの過激派、メナヘム・ベギンのイルグンや地下武装組織レヒが、分割案は合法的にユダヤ人の領土を放棄させるものとして拒絶したという、驚くべき事実です。
 メナヘム・ベギンは一貫して、「分割すれば、アラブ人が攻め込んでくるので平和は訪れない」と主張し、「我々の祖国を2つに分けることは許されないことである。それを認めるようなことはありえない」とも述べていたというのです。とんでもない話だと思います。
 メナヘム・ベギンは、エルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件を主導し、1948年の第一次中東戦争では、デイル・ヤシーン事件などパレスチナ人の虐殺を行ったことでも知られていますが、ネタニヤフ首相は、そのメナヘム・ベギンが複数の右派政党を糾合し結党したリクードの党員であることも見逃してはならないことだと思います。パレスチナをめぐるネタニヤフ首相の発言の数々は、メナヘム・ベギンの思想を受け継いでいることは明らかだと思います。

 1948年、当時建国まもないイスラエルの右派政党ヘルート(現在の「リクード」)の党首、メナヘム・ベギンが訪米した際、世界的に知られたユダヤ人の理論物理学者、アルベルト・アインシュタインは、ハンナ・アーレントらユダヤ系知識人と連名の書簡をニューヨーク・タイムズ紙上に発表したということです。その書簡で、アインシュタインはメナヘム・ベギンとその政党ヘルートの政治家をファシストと呼び、ベギンが主導したデイル・ヤシーンの虐殺事件をテロ行為として非難したということです。
 本来であれば、世界的に著名なユダヤ人学者の、こうしたユダヤ人政治家非難の書簡の発表は異例であり、大きく取り上げられ、長く語り継がれて、多くの人びとが知っていてもおかしくないのでしょうが、アメリカを含むヨーロッパ諸国の都合で、抑えられているのではないかと想像します。 

 下記は、「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」高橋和彦(講談社現代新書)から「一 パレスチナへ ユダヤ人国家イスラエルの成立」の一部を抜萃したものです。イスラエルのファッショ的な体質や国際法違反を黙認して来たアメリカを含むヨーロッパ諸国の、パレスチナ問題に対するご都合主義が読み取れると思います。例をあげると、

・シオニストが所有していた土地はパレスチナの7%にすぎなかった。しかし、決議案はその57%をユダヤ人に割り当てていた。
・シオニストは、アラブ各国を撃破して、新生イスラエルの存在守った。停戦が成立した時には国連決議をはるかに上回る領土をイスラエルは確保していた。パレスチナの77%がイスラエルの支配下にあった
・この戦争において70万のパレスチナ人が難民となってヨルダン、レバノン、シリア、エジプトなどの周辺国へ流入した。
・イスラエルがパレスチナ人を追い出したというのである。その一つの方法としてとられたのがディル・ヤシーン村の虐殺であった。
・この村を包囲したシオニストの軍事組織の一つ「イルグン・ツヴァイ・レウミ」の一部隊が、老若男女を問わず村の住民の皆殺しをおこなった。
・いずれにしろ難民化したパレスチナ人の帰還をイスラエル側は認めなかった。
・ユダヤ人国家建設というシオニストの夢が成就し、故郷の喪失というパレスチナ人の悪夢が始まった。

 こういったことを踏まえると、下記のようなイスラエルの軍人による無抵抗なパレスチナ人の殺害行為が、実際にあるのだろうと、私は思います。
 そして、高橋氏が書いているように、”ユダヤ人をドイツ社会から排除するというナチスの発想は、ユダヤ人を集めてユダヤ人だけの国を打ち立てるというシオニズムの目標と相通ずるものがあった。シオニズムを裏返すとナチズムになる。ナチズムにはシオニズムのネガ(陰画)のような面があったわけだ。”という受け止め方に同意せざるを得ないのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                          一 パレスチナへ
                    ユダヤ人国家イスラエルの成立

 
 シオニズムのネガティブ──ナチズムの台頭
 ユダヤ人がヨーロッパ社会への同化の試みを放棄し、パレスチナに自らの国を創設すべきというのがシオニズムであるが、ある面ではそれによく似た考えが第一次世界大戦後のドイツに現れた。この考えはドイツ人の血の優秀性を信じ、その純粋性を守るためにドイツからユダヤ人を排除すべしというものであった。ナチズムである。
 シオニズムの父ヘルツルと同じくオーストリア生れのアドルフヒトラーの率いたナチスの人種「理論」によれば、諸民族は、その血統によって格付けられ、最も優秀なのがドイツ人であり、最も劣等なのがユダヤ人であった。
 それでは、民族の優秀性は何によって決められるのだろう。それは戦争に強いかどうかであった。戦争に強い民族が優秀であり、日の当たる場所に生存圏(レーベンスラウム)を確保する権利があるとするものであった。古来から武勇で知られるゲルマン民族こそ、神が創造した最優秀民族、マスター・レースであった。 しかし、ナチのこうした宣伝にも不都合な点があった。そのマスター・レースのドイツが第一次世界対戦で敗北していることであった。民族の優劣が戦争の勝敗で決まるとするならば、大戦で敗れたドイツ人が最優秀民族である道理は成り立たない。ヒトラーは、この点をいかに説明したのだろうか。ナチズムはそんな事実にこだわるような生易しいものでなかった。
 その宣伝は、まず第一にドイツが軍事的には負けてないとするものであった。第一次世界大戦終了の時点ではドイツ軍は、敵国深く進撃しており、決して負けていなかった。にもかかわらず、ドイツが降伏せねばならなかったのはドイツのユダヤ人が裏切り、背後から卑怯にもドイツを突き刺したからだ。
 第二にドイツ敗戦は、神がドイツに国民に与えた懲罰であるとするものである。神は最も優れた民族としてゲルマン民族を創造した。ところがドイツ人は、愚かにもその神の意志に反し、ユダヤ人と接触し、通婚し、神の創造した素晴らしい血を汚してきた。こうした愚行に対する神の懲罰が、負けるはずのないドイツの敗北であった。したがって、ドイツの再興の道はユダヤ人の排除によってドイツ人の純血を守ることである。
 この正体不明の疑似科学的説明はドイツの大衆の心をとらえた。第一次世界大戦の敗北の責任をユダヤ人に押しつけ、そのユダヤ人を迫害する「論理」的根拠まで与えてくれたのであるから、ヨーロッパのキリスト教社会に根強いユダヤ人の偏見を「科学」にまでナチスを高めた。
 ナチスに言わせれば、ドイツは白い肌をした美しい女性であった。ユダヤ人は、その母なるドイツの内部に入り込み、内側からその純血を汚す、忌まわしい存在であった。ユダヤ人の排除は理論やイデオロギーの問題ですらなく、清潔感の問題であった。つまり、体についたシラミを洗い流すように、ドイツもユダヤ人を一掃するというものであった。ユダヤ人の迫害が熾烈さを増していた。
 だが、ユダヤ人をドイツ社会から排除するというナチスの発想は、ユダヤ人を集めてユダヤ人だけの国を打ち立てようというシオニズムの目標と相通じるものがあった。シオニズムを裏返すとナチズムになる。ナチズムにはシオニズムのネガ(陰画)のような面があったわけだ。事実、ユダヤ人の虐殺を始める前のナチスは、パレスチナにユダヤ人を送り込むことに興味を示した。何度かナチスの高官が同地を訪れているほどである。ドイツにおけるナチスの台頭は、いずれにしてもユダヤ人のパレスチナへの流入を加速することになった。
 パレスチナへのユダヤ移民の数が増えたもうひとつの理由は、この頃アメリカとイギリスが移民の流入を制限したからであった。これは後に見えるようにペレストロイカ以降ソ連からのユダヤ人の出国が自由になり、また同時にアメリカが移民法を改正したために、やむなくソ連からの多くのユダヤ人がイスラエルに向かうこととなったのと類似の状況であった。
 話を1930年代に戻そう。したがってナチスは、シオニズムにとっての最大のリクルート機関となった。ヒトラーが権力を掌握する1933年の前年の1932年から1936年までのあいだにじつに25万のユダヤ人がパレスチナに到着している。彼らドイツ系ユダヤ人は、資本と技術をもたらした。そのためパレスチナのユダヤ社会は急速に発展した。パレスチナで初めてオーケストラができるのもこの頃である。
 シオニズムジムの隆盛のこの時期において最大の貢献をしたのは、こうしたユダヤ人の流入を引き起こしたヒトラーの政策であったというのも、歴史がしばしば用意するアイロニーというやつであろうか。

 アメリカのシオニズム
 アメリカが第二次世界大戦に参戦したよく年の1942年5月、全米シオニスト組織が代表派遣し、ニューヨークのビルティモアホテルで会議を開いた。これは会場の名をとって「ビルティモア会議」と呼ばれる。またこの会議で採択された政治目標は「ビルティモア・プログラム」として知られる。
 そのプログラムとは、戦後にユダヤ人の国の樹立を求めるものであった。それまではナショナル・ホーム(民族的郷土)との用語を使い、国家との表現をシャニストは避けてきた。それは、ユダヤ人の居住する国でその忠誠心を疑われかねないからであった。また、パレスチナの統治国(最初はオスマン帝国、そしてイギリス)の権威に直接挑戦することを求めなかったからであった。それだけにビルティモア・プログラムはシオニストたちの自らの力への自信を反映していた。
 事実、第二次世界大戦末期には一部のシオニストはイギリス当局に対するゲリラ攻撃を開設することになる。その中にメナヘム・ベギン(1913年~1992年)やイツハーク・シャミール(1915年~)の名があった。いずれもイスラエルの首相になる人物たちである。この2人の人物については、後の章で触れる機会があるだろう。
 また、ビルティモア会議が象徴していたのは、ユダヤ社会の重心の、ヨーロッパからアメリカへの移動であった。実際のところ、ヨーロッパのユダヤ人はナチスによる虐殺で数百万を失い、人口的にもその比重を低めていた。このビルティモアの会議の最中にも、ナチス占領下のヨーロッパの強制収容所のガス室では、ドイツ的能率でのユダヤ人の大量虐殺が進行していた。結局、ナチスのユダヤ人問題の「最終的解決」方法によって、全ユダヤ人口の1/3が抹殺されることとなった。「ホロコースト」として知られる大虐殺であった。
 第二次世界大戦が終わり、ナチスの勝利の可能性が消滅すると、今度は委任統治国イギリスのパレスチナからの追い出しにシオニストたちは本格的に取りかかった。イギリス当局の存在はユダヤ人国家建設の障害とみなされたからである。前述のようにシオニストのゲリラ(テロ)攻撃がイギリスに向けられた。十万のイギリス軍をもってしても状況は掌握できなくなった。1947年、パレスチナからの撤退をロンドン発表した。シオニストの狙い通りに事が運んだ。

 誰がパレスチナ人を難民にしたか
 1947年11月29日、国連総会はパレスチナの分割決議案を可決した。賛成33、反対13、そして棄権10(イギリスを含む)であった。
 その内容は、パレスチナをアラブ地区、ユダヤ地区、国際管理地区に分割することを勧告するものであった。シオニストが所有していた土地はパレスチナの7%にすぎなかった。しかし、決議案はその57%をユダヤ人に割り当てていた。
 これでは、パレスチナ全土を自らの土地と考えるパレスチナ人が、この決議を受け入れるわけはなかった。また、周辺のアラブ諸国がパレスチナ人に同調した。一方シオニストは、この決議案を受け入れた。そして1948年5月、イギリス軍がパレスチナから撤退した。シオニストはその直後にユダヤ人国家イスラエルの成立を宣言した。一方周辺のアラブ諸国がパレスチナに進撃した。
 シオニストは、アラブ各国を撃破して、新生イスラエルの存在守った。停戦が成立した時には国連決議をはるかに上回る領土をイスラエルは確保していた。パレスチナの77%がイスラエルの支配下にあった。だが、その代償は安くなかった。わずか人口65万のパレスチナのユダヤ人社会がその1%にあたる6500の死者を出した。この比率を現在の日本の人口1億2千万に当てはめると120万である。その犠牲の大きさが想像できよう。これが「第一次中東戦争」であった。またイスラエル側の名称では独立戦争である。そしてパレスチナ人の呼称では、いみじくも「ナクバ」(破局」)であった。
 だが、敗れたとはいえパレスチナ南部のガザ地区はエジプト軍が押さえていた。そして、ヨルダン川西岸地区はヨルダンが制圧した。つまり、パレスチナがイスラエル、エジプト、ヨルダンの三国に分割されたわけである。
 パレスチナ人の国は、このどこにもなかった。この戦争において70万のパレスチナ人が難民となってヨルダン、レバノン、シリア、エジプトなどの周辺国へ流入した。その理由については、パレスチナにかかわる他の多くの問題と同じくイスラエルとアラブ側で異なった歴史が語られている。
 イスラエルの歴史によれば、戦争中にアラブ側がパレスチナ人に避難を呼びかけた。アラブの軍がシオニストを攻撃するので、その邪魔にならないように、一時脱出するようにとの指令がラジオで流されたというのである。アラブの軍隊の勝利の後に帰還すればよいと思ったパレスチナ人たちは、そのため故郷を離れたというわけである。たとえば、1991年10月の中東和平国際会議でのシャミール・イスラエル首相の演説は、この歴史解釈を繰り返している。つまり、アラブの指導者がパレスチナ人の避難を勧告したという説である。
 一方、アラブ側の歴史によれば、アラブ諸国はそのような呼びかけは行っていない。イスラエルがパレスチナ人を追い出したというのである。その一つの方法としてとられたのがディール・ヤシーン村の虐殺であった。
 この村を包囲したシオニストの軍事組織の一つ「イルグン・ツヴァイ・レウミ」の一部隊が、老若男女を問わず村の住民の皆殺しをおこなった。この虐殺のニュースはパレスチナ人のあいだに広まり、恐怖にとりつかれたパレスチナ人の大脱出が始まった。これがアラブ側の歴史である。この両者の中間に位置する以下のような説もある。ディール・ヤシーン村の虐殺が始まると、これに気付いた付近の村のユダヤ人が、この虐殺を止めた。だがアラブ側のラジオが、ディ-ン・ヤシーン村の女性に対する暴行が起こったと脚色を加えて放送した。これがパレスチナ人の避難を引き起こした。
 なおディーン・ヤシーンの付近には、現在ド・ヴァシェム(ホロコースト犠牲者の記念碑)が建てられている。またイルグンの指導者は後に首相となるベギンであった。
 いずれにしろ難民化したパレスチナ人の帰還をイスラエル側は認めなかった。したがってパレスチナ人は今日に至るまで望郷の念を抱いて世界を放浪することとなった。ちょうどユダヤ人がイスラエルの建国まで2000年のあいださまよったと主張するようにである。
 難民となったパレスチナ人への支援はけっして充分でなかった。テントが不足し、上半身のみをテストに入れ、足を出して寝たという悲惨なあり様であった。その脱出には栄光など一かけらもなかった
 イスラエルではパレスチナ人の「放棄」した財産の没収、地名の変更、村落の破壊など、パレスチナ人の生活の痕跡の抹消のための施策がつぎつぎと実行に移された。だがイスラエルのこうした政策も、難民キャンプで呻吟するパレスチナ人の脳裏からパレスチナの記憶を消し去ることはなかった。
 こうして、パレスチナで少数派であったユダヤ人が多数派に変身し、多数派であったパレスチナ人が少数派に転落した。パレスチナ人の悲しみの上にシオニストの歓喜があった。ユダヤ人国家建設というシオニストの夢が成就し、故郷の喪失というパレスチナ人の悪夢が始まった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナチズムとシオニズム NO1

2024年05月19日 | 国際・政治

 憲法は、日本がアジア太平洋戦争で大変な犠牲者を出したことを踏まえ、国民が制定した憲法によって、国家権力を制限し、国民の権利や自由を守るため、国家権力に縛りをかける法律として制定されたといわれます。ところが、現在、自民党政権はいろいろな部分で、国家権力が国民を縛る法律として憲法を機能させられるようにしようとしていると思います。

 同じように国際社会では、二度にわたる、”言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う”ために、”国際法の基本的な規範である国際連合憲章において、武力による威嚇や武力の行使は、国際紛争の解決手段として禁止”すること、その他を決定しましたが、現在その国際連合憲章は、事実上、反米や非米の国々を縛る国際法として機能するようになってきていると思います。
 アメリカやイスラエルの国際法違反は見逃され、非米・反米諸国を裁き、制裁を加えるための国際法になっているように思うのです。
 だから、先だってパレスチナの国連加盟を支持する決議案採択で、イスラエルのエルダン国連大使が、「テロ組織に国家の権利を与えようとしている」などと非難し、小型のシュレッダーで、国連憲章が書かれた紙を公然と細断するようなことをしたのだと思います。

 下記は、「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」高橋和彦(講談社現代新書)からの抜萃ですが、パレスチナにおけるイスラエルの蛮行は、国連憲章採択後もまったく裁かれることなく、見逃されてきたと思います。第一次中東戦争での事実上の勝利によって、イスラエルは、当初の国連による分割決議より広大な地域を占領する事となりましたが、これは明らかに国連憲章違反だと思います。
 また、高橋氏も書いていますが、
”…「国のない民へ、民のいない国を」というキャッチ・フレーズのもとに、ユダヤ人のパレスチナへと流れが数を増した。だが、そこは「民のいない国」などではなかった。パレスチナ人の居住地であり、イスラム教徒とキリスト教徒、ユダヤ教徒が長年にわたって共存してきた土地であった。ちなみにシオニストの移住が始まる前のパレスチナにおけるユダヤ教徒の数はどう多めに見積もっても2万5千程度であった。そこにヨーロッパのユダヤ人がやってきて自分たちの国を建てるなど土台無理な話であった。

 パレスチナに移住したユダヤ人は、当初、パレスチナ人から土地を買って住みついたようですが、国際法に従えば、当然、すべてのユダヤ人が、そうやって土地を買って、パレスチナ人と共存するかたちで、住みつくべきであったと思います。にもかかわらず、ホロコーストやポグロムから逃れ逃れてきたユダヤ人は、カナンの地は神がユダヤ人に与えると約束した土地であるとして、パレスチナ人を排除し、土地や家や畑を強奪するかたちで、1948年5月14日に独立宣言を行ったのです。そして、最終的には、武力を行使して国連の分割決議をはるかに上回る、パレスチナの領土の77パーセントをイスラエル領土とし、パレスチナ人を隔離壁でガザ地区やヨルダン川西岸地区に閉じ込めてしまったのです。
 だから、旧約聖書を持ち出し、カナンの地からパレスチナ人を排除して、イスラエルという国を建国したシオニズムの発想は、汚らわしいユダヤ人をドイツから排除しようとしたナチズムの発想と変らないのだろうと思います。
 そして、ガザ地区に対し、「ハマス殲滅」を掲げつつ、事実上、パレスチナ人殲滅・追い出しの攻撃を続けるイスラエルのネタニヤフ首相は、戦闘終結後も、ガザ地区やヨルダン川西岸地区のパレスチナ人を自由にし、人権を保障することはないと思います。
 それは、アメリカをはじめとする西側諸国が、これまで、イスラエルの数々の国際法違反を許容してきた結果だろうと思います。

 下記の動画の応答も、明らかに国際法違反すが、不思議ではないのです。

「パレスチナ人を何人殺した?」

「20人......パレスチナ人じゃなくてハマスだ。ガザにいる連中は市民じゃなく全員ハマスだ」

「ガザにいるのは市民じゃなくて、ハマスという認識か?」

「そうだ、全員ハマスだ」

「100万人の子供がガザにいるが、彼らもハマスか」

「......そうだ」

「そうだ、全員ハマスだ」”

 これが、フェイクでないことは、ネタニヤフ首相をはじめとするイスラエルの政治家の発言や、ガザの実態が示していると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 一 パレスチナへ
               ユダヤ人国家イスラエルの成立

 ドレヒュース事件の衝撃
 ・・・ 
 ヘルツルは、自らの考えを「ユダヤ人国家」というパンフレットにまとめ、1896年にオーストリアのウィーンで出版している。ヘルツルの考えに同調する人々が集まり、ユダヤ人国家を建設しようとする運動が開始された。
 当初からこの運動がユダヤ人国家をパレスチナに建設しようとしていたわけではない。ユダヤ人が独自の国を持てればよいということで、その候補地として、たとえばイギリスの植民地であった東アフリカのウガンダなどもあげられていたほどである。しかし、やがてヘルツは、国家建設の土地としてパレスチナを選ぶことになった。それは、そうしなければユダヤ人のうちでも宗教的層の支持を得られなかったからである。

シオニズムと帝国主義
  自分たちの祖先の地と 彼らが考えたエルサレムの古い名称であるシオンの丘に因なんで、この運動は「シオニズム」として知られるようになった。そして、その推進者たちは「シオニスト」ということになる。「国のない民へ、民のいない国を」というキャッチ・フレーズのもとに、ユダヤ人のパレスチナへと流れが数を増した。
 だが、そこは「民のいない国」などではなかった。パレスチナ人の居住地であり、イスラム教徒とキリスト教徒、ユダヤ教徒が長年にわたって共存してきた土地であった。ちなみにシオニストの移住が始まる前のパレスチナにおけるユダヤ教徒の数はどう多めに見積もっても2万5千程度であった。
 そこにヨーロッパのユダヤ人がやってきて自分たちの国を建てるなど土台無理な話であった。しかし、その無理が無理とも、無茶が無茶とも思われないような知的雰囲気が当時のヨーロッパには充満していた。19世紀末から20世紀初頭は、民族主義の高まった時期であったのと同時に、帝国主義の時代でもあったのだ。つまり、圧倒的な軍事力でアジアとアフリカをヨーロッパが制圧した時期であった。
 そのため、アジアやアフリカなどヨーロッパ望みさえすればどうにでもなるとの思考が強かった。シオニズムもこうした時代精神の落とし子であった。さもなければ、現実にパレスチナ人の住んでいる地域に自分たちの国を作るなどといった発想が出てくるはずもなかった。当初、東アフリカにユダヤ人の国を建てるとの案が出てきたのも、そうした思考の反映であった。
 シオニズムが始まった頃、パレスチナを支配していたのはオスマン帝国であった。したがってシオニストは、当初はイスタンブールのスルタンの許可を得て、パレスチナへの移民を進めようとした。たとえば1899年に、ヘルツルは、スルタンの許可を求めた手紙の中でユダヤ人はアラブと平和的に共存し、オスマン帝国の忠誠な臣民になるだろうと述べている。

 この翌年の1900年におけるユダヤ人の比率は、シオニストの努力にもかかわらず。パレスチナの総人口の1割にも満たなかった。
 第一次世界大戦の始まった1914年においても、人口比は同じようなものであった。ユダヤ人8万5千に対し、パレスチナ人70万がいた。前者の所有する土地はパレスチナのわずかに2%であった。そして、第一次世界大戦においては、オスマン帝国は、ドイツ、オーストリアの同盟国側について参戦した。このためイギリスは、オスマン帝国の後方攪乱を狙った。オスマン帝国のアラブ地域で反乱を起こさせたのである。 
 メッカの有力者、シャリーフ・フセインとのあいだにイギリス政府は書簡を交換し、戦勝後のアラブのオスマン帝国からの独立を約した。そして、そのアラブの独立国の領土には、パレスチナが含まれるはずであった。これは書簡を交換したイギリスの高官とフセインの名前をとって、「フセイン・マクマホン書簡」として知られる。この約束を受けてフセインは、イスタンブールに対しては反旗を翻した。1916年6月のことであった。
 「アラブの反乱」として知られる事件であった。この時に「アラビアのロレンス」として知られるイギリスの情報将校が歴史に登場した。だが実際は、ロレンスは単なる連絡係にすぎず、映画化されたように重要な役割を果たしたのではなかったようだ。

 土地を売り渡したパレスチナ人
 その後の1917年11月2日にイギリス外相バルフォアは、世界のユダヤ人の支持を求めて、宣言を発した。戦争後にパレスチナにユダヤ人の「ナショナル・ホーム」を樹立することを認めた。「バルフォア宣言」であった。
「ナショナル・ホーム」とは主権を持った国家ではないものの、その道程にある政治的存在である。つまり、イギリスは、同じ土地をアラブとシオニストの両方に約束したわけであった。
 そして、戦争が終り、オスマン帝国のアラブ領土の分割が始まると、結局イギリスが、パレスチナを国際連盟の委任統治領として、自ら支配することにした。これで、シオニストにもアラブにも不公平が生じなかった。紳士の国イギリスならではの三枚舌外交であった。
 委任統治の時代に入っても、「ナショナル・ホーム」樹立の約束を盾に、シオニストの流入は続いた。そして、パレスチナにおける自らの将来に不安を高め始めたパレスチナ人の反発が激しくなってくる。
 ここで指摘をしておきたいのは、ユダヤ人のパレスチナへの流入が土地の買収を通じて行われたことだ。パレスチナに土地を所有する不在地主たちがシオニストに土地を売却した。また、パレスチナ人の政治家や有力者たちの中には、口ではシオニストに反対しながらも、実際には金のために土地を手放した者もいた。  
 シオニス組織は、世界のユダヤ人からの寄付を募り、その資金はパレスチナでの土地の購入にあてた。1937年までにパレスチナの5.7%の土地がシオニストの手に渡っていた。これがシオニスが、パレスチナへは正当な手段で移住したのだと主張する根拠の一つをなしている。
 また、パレスチナ人以外のアラブが、建前ではパレスチナ人の権利の回復といういわゆる「パレスチナの大義」を口にしながらも、本音では「シオニストに土地を売り渡し、あげくの果てに国を奪われてしまったお馬鹿さんにはとてもつきあいきれない」との感情を持っているゆえんである。 

 さらに、現在のパレスチナ人が、シオニスに土地を売ったパレスチナ人を非難する理由でもある。シオニストに土地を売り渡したパレスチナ人は父祖伝来の土地を次の世代に引き継ぐという責任を果たさなかったわけだ。したがって、現在のパレスチナ解放運動の指導層が見習おうとしているのは、アルジェリアの独立闘争であり、キューバやベトナムの経験であって、決してパレスチナを失った世代であるイスラエル成立以前のパレスチナの指導層ではない。
 日本の一部には、この世代のパレスチナ人の闘争がパレスチナ人自身によっても正当に評価されていないとの意見もあるが、それは、エアコンの効いた研究室で安楽椅子に座っている人間の発想であって、難民キャンプで呻吟するパレスチナ人のそれではない。
 彼らの人の父親の世代が、そして父祖の世代がしっかりしていれば、こんな苦難をパレスチナ人が味わう事もなかったのに、という無念の感情が強い。確かに勇敢にシオニストと戦い、いまだに尊敬を受けている指導者もいる。だが、パレスチナを失った世代に反発する感情が抱かれている事実は一般論として指摘できるだろう。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハマスのテロ組織指定とハマス殲滅という言い訳

2024年05月15日 | 国際・政治

 イスラエルの人道に反するガザ地区の攻撃によって、イスラエルを支えるアメリカを中心とする西側諸国の欺瞞性が露わになってきているように思います。バイデン政権のイスラエル非難の言説が、悪質な芝居であることは、現実の対応を見れば、誰にでも分かることではないか、と私は思います。

 特別軍事作戦に踏み切り、ウクライナに侵攻したロシアには、すぐに、軍事的にはもちろん、その他あらゆる分野・領域で大変な圧力をかけ、制裁にも踏み切りました。でも、イスラエルに対しては、言葉だけの非難です。その言葉にふさわしい現実的な対応がほとんどなされていないと思います。弾薬輸出を一時保留し、軍事支援を差し止めるということも、実際は極めて限定的で、あまり意味のない状況だと言われています。

 また、先日、国連総会でパレスチナの国連加盟を支持する決議案が採択されましたが、143か国が賛成したのに対し、アメリカは、イスラエルなどとともに、反対したといいます。
 パレスチナの国連への加盟には、安保理の勧告決議が必要で、パレスチナの加盟をめぐっては先月、安保理でアメリカが拒否権を行使したことから、現時点で実現する見通しは立っていないということです。だからアメリカは、言葉でイスラエルを非難しつつ、現実的にはイスラエルを支えていると言えると思います。
 アラブ諸国を代表して演説したUAE=アラブ首長国連邦の国連大使は、ガザ地区での情勢が緊迫する中、パレスチナの国連加盟を通じて「2国家解決」への道筋をつけるべきだと訴えたということですが、決議に反対したアメリカの国連次席大使は、できるわけがないのに、あくまでも当事者どうしの直接交渉によって事態の打開を目指すべきだと強調したということです。欺瞞的だと思います。

 また、見逃してはならないことは、アメリカをはじめ、カナダ、欧州連合、イスラエル、日本、オーストラリア、イギリスが、イスラエルと敵対するハマスを「テロ組織」として指定していることです。
 でも、ハマスは2006年のパレスチナ立法評議会選挙で過半数の議席を獲得し、内閣を発足させている組織です。わけの分からない組織ではないのです。この時、イスラエルやアメリカが、危機感を表明したということですが、民主主義を否定するような、その植民地支配的な姿勢こそが問題だと思います。

 それは、ブラジルや中国、エジプト、イラン、ノルウェー、カタール、ロシア、シリア、トルコなどが、ハマスをテロ組織とは見なしていないことでもわりますし、ハマスに対するテロ組織としての非難決議は、2018年12月の国連総会では採択されなかったことにも示されていると思います。逆に、パレスチナ人に対するイスラエルの過剰な武力行使に対する非難決議案には、アメリカが拒否権を行使しているのです。
 だから、現在の国際社会は、アメリカに敵対する組織が、テロ組織と指定され、アメリカに敵対する指導者が、独裁者と呼ばれる状況にあるということだと思います。「テロ組織」指定に法的な根拠などないのです。

  さらに、4月22日、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のスタッフがイスラム組織ハマスによるイスラエル奇襲攻撃に関与したとの疑惑を巡り、UNRWAの中立性を評価する外部グループが公表した報告書も、重大な事実を明らかにしたと思います。イスラエル側から「相当な数のUNRWA職員がテロリストグループのメンバーだ」との主張を裏付ける証拠は提供されていないというのです。(同グループは今年2月に活動を開始し、フランスのコロナ前外相が率いているといいます)。
 にもかかわらず、虚偽の疑いのあるイスラエルの指摘を受けて、UNRWAへの資金拠出を停止した国があり、今なお、停止を続けている国があることも忘れてはならないと思います。

 関連して、米共和党の重鎮といわれるグラム上院議員の広島と長崎への原爆投下正当化の発言も見逃すことができません。
 グラム上院議員は、NBCテレビの番組で、イスラエルへの弾薬輸送を一部停止したバイデン大統領を批判し、「われわれが広島、長崎に原爆を投下して戦争を終わらせたように、イスラエルもユダヤ人国家として生き残るために必要なことは何でもすべきだ」と主張したというのです。
 グラム氏は、原爆投下を「正しい決断だった」と強調、司会者から米軍が戦後、民間人犠牲者を最小限に抑えるために(精密誘導兵器などの)技術開発を進めたことを指摘されると、「くだらない」と切り捨てたといいます。
 加えて、パレスチナの国連加盟を支持する決議案採択で、イスラエルの国連大使が、テロ組織に国家の権利を与えようとしているなどと非難し、小型のシュレッダーで国連憲章が書かれた紙を細断したという行為などに、アメリカやイスラエルという国の「ならず者」的な体質があらわれていると思います。

 国連決議に公然と拒否の姿勢を見せ、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)さえも敵視するイスラエルに、日本が連帯を表明したまま取り消すことなく放置し、国際社会で、ハマスをテロ組織としているアメリカに追随しているようでは、停戦は望めませんし、イスラエルの犯罪に加担していることになると思います。

 このところアメリカの大学で、イスラエルへの抗議活動が広がり、コロンビア大学その他23州の30校で、1500人以上が逮捕されたと、先日、CNNが伝えました。だから、バイデン大統領は、世界で「反ユダヤ主義」が急拡大していると指摘し、「反ユダヤ主義やヘイトスピーチ、暴力の脅しに居場所はない」と戒めたというのですが、まったく的外れだと思います。この戒めは、バイデン大統領による、イスラエルの犯罪行為に対するホワイトウォッシュだろうと思います。なぜなら、学生たちは、ガザ地区におけるイスラエル軍によるジェノサイドに抗議し、イスラエル軍が使う武器や弾薬を製造する企業への投資に反対しているのであって、反ユダヤ主義とは関係がないのです。ユダヤ人を地上から一掃するために、差別や憎悪を煽っているのではないことははっきりしていると思います。イスラエル軍が、ジェノサイドをやめ、停戦にむけて動けば、大学生の運動は終息するのだと思います。

 世界史の窓(https://www.y-history.net)の「インティファーダ」には、下記のようにあります。
インティファーダとは 「一斉蜂起」を意味するアラビア語。インティファーダは1982年にPLOがイスラエルに押さえ込まれて、アラファトがチュニスに移った後に、ガザ地区のパレスチナ民衆の中から自然発生的に始まった。パレスチナ人は大人も子供も女性も石を投げたりタイヤを燃やしたりしてイスラエル軍に立ち向かい、最初の一年で2万人が逮捕され、3百人が死亡した。このような従来と違った民衆運動にイスラエル当局も当惑したが、その背景には「ハマス」や「ジハード」と称するイスラーム原理主義運動の活動家がいた。
 インティファーダのきっかけ ガザ地区最大の難民キャンプ、ジャバリヤで1987年12月6日、ユダヤ人入植者がパレスチナ人の「イスラム戦線」に刺殺された。2日後、イスラエルのトラックが道路をそれてパレスチナ人労働者の車に衝突し、4人が死亡した。事故は入植者の親族による報復だとのうわさが広がり、争議の後、キャンプを包囲するイスラエル軍に「ジハード(聖戦)!」の叫びともに投石が始まった。インティファーダはPLOとイスラーム主義組織の合同指令の下でヨルダン川西岸にも拡大し、大規模な住民蜂起に発展した。
 その「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ民衆の一斉蜂起がきっかけで、パレスチナ解放を目指すイスラーム組織「ハマス」が創設されたという事実は見逃されてはならないと思います。
 だから、ハマスは、バイデン大統領がいうような、「ユダヤ人を地上から一掃しようとする古くからの欲望」による組織などではなく、イスラエルの圧政に抵抗する組織なのです。バイデン大統領の主張は、明らかに歴史の歪曲だと思います。また、バイデン大統領が、「(イスラエルが)独立したユダヤ国家として存在する権利は鉄壁だ。たとえわれわれと意見が異なる場合でも」と語り、イスラエルへの連帯は揺らがないことを確認したというのも、法や道義・道徳を無視した問題の多い主張だと思います。

 もう一つ、どうしても確認しておきたいことは、イスラエルがガザを攻撃するにあたって、「ハマス殲滅」を掲げていますが、実際は、それが「パレスチナ人殲滅」であるということです。ガザ地区を攻撃するイスラエル軍は、ハマスとガザ地区のパレスチナ人を区別してはいないと思います。また、区別できるものでもないと思います。またそれは、リクードの政治家や、イスラエルの元諜報機関トップのアミ・アヤロン氏が指摘していることで明らかだと思います。アミ・アヤロン氏は、朝日新聞のインタビューで、「今、イスラエル人のほとんどは、ガザでの戦争がハマスに対するものであり、パレスチナ人に対するものではないということを、理解していません。パレスチナ人みんなをハマスだと信じているからです。政治指導者も国民も、その『敵』を軍事的標的とみている。これは大きな悲劇です」と語っているのです。
 私たちは、イスラエルの政治家の言うことではなく、現実を見て判断するべきだと思います。イスラエルの政治家の言う「ハマス殲滅」は、自らの攻撃を正当化する見え透いた言い訳で、ほんとうは「パレスチナ人殲滅」を意図していることは明らかだと思います。それは毎日毎日、多くの女性や子どもが殺されている現実がはっきり示していると思います。イスラエルのリクードの政治家を中心とする一部のユダヤ人は、パレスチナ人との混在のない、ユダヤ人だけのイスラエルを実現しようとしているのだと思います。パレスチナ人の土地や家を奪い、畑を奪い、抵抗するパレスチナ人を殺して、悪の限りを尽くしてきたともいえるユダヤ人は、パレスチナ人が混在していると安心できないのだろうと思います。

 だから、アメリカが、強引にハマスを「テロ組織」に指定し、イスラエルがそのテロ組織「ハマス殲滅」を掲げて、実際は「パレスチナ人殲滅」追い出しを意図している構図をしっかり踏まえる必要があると思います。
 また、バイデン大統領のように、イスラエルのジェノサイドに抗議する大学生の運動に「反ユダヤ主義」のレッテルをはることも、許されない誤魔化しだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オペレーション・モッキンバードで歪められる現実

2024年05月06日 | 国際・政治
 1948年、話し合いに基づく合意なく、ヘルツルの呼びかけに応じてパレスチナの地に他国から移住してきたユダヤ人が、強引にイスラエルという国の建を宣言しました。だから、アラブ諸国は、パレスチナ人を支援するため立ち上がりました。それが、第一次中東戦争です。
 以後、アメリカを中心とする西側諸国は、イスラエルの武力行使や入植活動を黙認し、イスラエルの違法行為にも目をつぶってきたので、パレスチナ問題は、一掃深刻化することになってしまったと思います。
 「エクソダス号事件」後の違法移民の問題も、見逃されてしまったようですが、現在のイスラエルの領土には武力によって奪取されたものが少なくないのに、国際社会はきちんと対応してこなかったと思います。
 下記は、「イスラエルを知るための60章」立山良司編著(明石書店)から、「Ⅸ 中東和平問題とイスラエル」の「55章 宗教と政治の複雑な絡み」の一部を抜萃したものですが、イスラエルが、違法行為をくり返してきたことがわかると思います。 

 イスラエルとハマスの衝突が始まった去年10月以降、アメリカの多くの大学でイスラエルの軍事攻撃に対する抗議活動が活発化しているといいます。抗議行動で逮捕者が出た大学は、2234校で1,300人以上にぼるということです。
 (朝日新聞、5/4)は、バイデン大統領は、2日、「秩序が優先されるべきだ」と語り、破壊行為を批判した。 ホワイトハウスで演説し、「平和的な抗議行動は重要な問題に対応するための米国の最良の伝統だ」としながら「無法な国ではない。秩序が優先されなければならない」とした
 と伝えています。でも、ジョージア州エモリー大学の経済学教授が、ガザとの連帯と大量虐殺に反対する抗議行動中に、アメリカの警察に逮捕されるときの映像は、どう見ても破壊活動には見えません。


 また、大學の敷地内にテントを張って抗議を続ける学生たちに対し、大学側が、退去しなければ停学処分にすると通告したということですが、テントを張って抗議を続けることは、”平和的ではない”というのでしょうか。学生は、”大学側がイスラエルに関係する企業から支援を受けないとする要求を拒んでいる”と主張しているようですが、その主張は無視していいのでしょうか。学生に平和的にそれを阻止する方法があるでしょうか。
 ロシアや中国で、同じような抗議活動があれば、西側諸国は間違いなく民主主義の破壊だ、とか、権力の乱用だ、とか言って大騒ぎするのではないでしょうか。
 全米各地の大学で続く抗議デモは、大学に、人命や人権を無視したジェノサイドを続けるイスラエルとの経済的関係を断つよう求めているのに、西側のメディアは、特に日本のメディアは、そのことはほとんど問題にしていません。 
 連邦議会では、イスラエルを擁護する立場から「大学の安全確保」を名目にデモを解散させるよう求める声が出ているという報道もあります。だから、警察が強制的にデモを解散させた大学もあるようですが、アメリカには平和的な抗議行動も許さないという動きがある、ということではないかと思います。でも、西側メディアの多くは、そうしたことには深入りしないのだと思います。
 
 だから私は、イラン政府報道官、ジャフロミー氏が、「アメリカ は善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている」と語ったことを思い出すのです。
 そして、そうした情報操作が、「オペレーション・モッキンバード」(Operation Mockingbird)と呼ばれ、第2次世界大戦が終わって間もない頃から、日常的に行われているプロジェクトだということを最近知りました。
 日本のメディアも、アメリカの下請けで、「オペレーション・モッキンバード」に取り組んでいるのだろうと想像しています。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                    Ⅸ 中東和平問題とイスラエル

 

                   第55章 宗教と政治の複雑な絡みあい

 

 1948年のイスラエルによる独立宣言直後から始まった第一次中東戦争の際、エルサレムをめぐって激しい攻防戦が繰り広げられた。イスラエルはエルサレム新市街地(西エルサレム)を確保したが、旧市街地を含む東エルサレムはトランス・ヨルダン(現ヨルダン)の手に落ち、町は東西に分断された。

 東エルサレムをイスラエルが手にしたのは、1967年の第三次中東戦争だった。東エルサレムの占領。(スラエル側は”解放”と呼ぶ)直後、イスラエルは拡大したエルサレム市全域にイスラエル法を適用する新法制定した。さらに1980年には、「基本法─エルサレム─イスラエルの首都」を制定し、「統一された完全なエルサレムはイスラエル国の首都である」と規定した。こうした法的措置を背景にスラエルは、東を含むエルサレム市全域は自分たちの永遠の首都であると主張し続けている。

 だが、1967年にイスラエルが進歩を成立させた直後、国連総会が「エルサレムの地位変更は無効である」と決議したように、国際社会はイスラエルによる東エルサレム併合を認めていない。国際社会から見れば、エルサレムはまだ法的に帰属が決まっていない地域であり、イスラエルの首都ではない。そのため日本を含む各国はエルサレム以外に大使館を置いている。

 それでもイスラエルの併合以来、エルサレムは大きく変わった。第一にイスラエルが活発な都市開発行い、旧市街地のユダヤ人地区を始め東エルサレムでユダヤ人入植地を次々に建設した。その結果、人口構成も景観も一変した。イスラエル政府などのデータによれば、2009年末現在のエルサレムの総人口77万人のうち、ユダヤ人は48万人で、このうち19万人が東エルサレムに住んでいる。他方、パレスチナ人は28万人で、そのほとんどは旧市街地を含む東エルサレムに居住している。

 東エルサレムには13ヶ所入植地があるが、外見はどれも普通の住宅地で、ヨルダン川西岸の入植地のように塀や鉄条網で囲まれ警備のイスラエル兵がいるわけではない。この十年ほどの間にこれら入植地を結ぶ新しい道路が次々に建設された。つい最近では北部の入植地から旧市街地の横を通り、西の郊外近くまでを結ぶ路面電車も完成し、エルサレムの交通事情は激変しつつある。

 第二の変化は、イスラエルが「テロリストの侵入を防ぐ」とそして、2002年以来、建設している「安全フェンス」(パレスチナ側の呼称は「分離壁」「隔離壁」)の影響だ。壁はエルサレム周辺のヨルダン川西岸にある入植地をエルサレム市域に取り込むかたちで建設されており、すでにかなりの部分が完成している。東エルサレムのパレスチナ人社会は歴史的にパレスチナ地域全体の政治や宗教、文化、経済などあらゆる面で中心の役割を果してきた。しかし、壁ができた結果、東エルサレムのパレスチナ人住民は西岸からほとんど切り離され、日常的な接触は非常に限定されている。その分、東エルサレムのパレスチナ人社会は中心としての地位を失いつつある。

 1990年代に始まったイスラエル・パレスチナ間の和平交渉で、エルサレム問題はパレスチナ難民問題と並び最も解決が難しいと言われてきた。イスラエルは東エルサレムを含むエルサレム全市をイスラエルの首都であると主張し、入植地や壁の建設など既成事実を積み重ねてきている。一方、パレスチナ側は東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の樹立という立場を堅持しており、両者の公式な立場は完全に平行線をたどっている。

 それでも過去の和平交渉でエルサレム問題の解決策が協議されたことはある。その過程で生み出されてきた基本的な枠組みは、旧市街地内を含めユダヤ人居住地域はイスラエルの、パレスチナ人居住地域はパレスチナの主権下とし、それぞれ主権を行使するが、町を分断することなく、一つの都市としての性格や機能は維持するという構想だ。

 ただこれまでの交渉でも、「神殿の丘(ハラム・アッシャリフ)」や「嘆きの壁」など宗教上、

大変重要な場所の主権や統治をどうするかに関し、基本的な枠組みができていない。それどころか、近年、イスラエル・パレスチナ間の和平交渉は完全に行き詰まっている。

 一つの町を分断できない以上、共有するしかない。しかし、エルサレムは宗教と政治が余りにも複雑に絡み合い、共存ではなく対立のシンボルとなっている。その結果、誰もが問題解決のための適切な解を見出せないでいる。(立山良司)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼレンスキーネオナチ政権のホワイトウォッシュ問題

2024年05月03日 | 国際・政治

 私は、またか、と思ったのですが、朝日新聞は、”「純化」するロシア番外編”という枠で、”祖国は「ファシズム」に落ちた オルロフ氏”と題する長文の記事を掲載しました。オルロフ氏 は、ノーベル平和賞を受賞したロシアの人権団体メモリアル元幹部で、今年2月に軍の信用失墜の罪で禁錮2年半の有罪判決を受ける前に、朝日新聞のインタビューに応じたということです。

 そのいくつかをとりあげたいと思いますが、その前に、朝日新聞は、ノーベル賞の権威を利用して、読者に反露的な意識を持たせようとしているようなので、ノーベル平和賞について、確認しておきたいと思います。 

 ノーベル賞は世界的に権威のある賞だと思いますが、ノーベル「平和賞」に関しては、問題があると思います。多様な考え方が存在する政治的な問題に関する評価は、そんなに簡単にできるものではないと思うからです。

 現に日本の佐藤栄作元首相は、非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を日本人で初めて受賞しましたが、佐藤首相の密使としてキッシンジャー大統領補佐官と沖縄返還に関して水面下で交渉した若泉敬京都産業大教授(当時)が書き留めた事実は、驚くべきものでした。 

 1972年に返還することが決まった6911月の日米首脳会談で、アメリカが、返還後の沖縄に、緊急時には核兵器を持ち込むという密約の詳細な締結経緯が明らかになったからです。重大な事実を伏せて、アメリカと密約を交わした佐藤栄作首相が、ノーベル平和賞に値するのでしょうか。

 また、イスラエルのラビン首相(当時)は、オスロ合意に調印し、ヨルダンとの平和条約にも調印した功績により、アラファト議長や、ペレス外務大臣と共にノーベル平和賞を受賞しています。でも、ガザのパレスチナ人は、受け入れることができなかったと思います。彼は、1980年代、国防相として、先頭に立ってパレスチナ民衆のインティファーダを弾圧した人です。当時彼は、「石を投げる者の手足を切れ」などと強硬な弾圧を指令したといわれているのです。そして、調印したオスロ合意も、その後進展せず、事実上形骸化してしまっています。それなのに、ノーベル平和賞受賞に値するのでしょうか。ノーベル平和賞という政治的な問題の評価は、公平な判断が難しく、また、時間が経過しないと正しい評価ができない側面もあると思います。さらに言えば、さまざまな価値観や思想、各国の歩んできた歴史や政治戦略などを踏まえ、ノーベル平和賞の受賞者を選定することは難しく、強国の影響を受けざるを得ないのではないかと思います。

 でも、朝日新聞は、ノーベル平和賞を受賞した人だから、読者は疑うことなく、言葉どおり受け止めるだろうと考えて、こうした記事を掲載しているように思います。以前、ノーベル文学賞を受賞した作家、スベトラーナ・アレクシェービッチ氏の文章も目にしましたし、世界的に著名な人のロシア敵視の記事も、これまで何度か目にしています。すべてを否定するつもりはありませんが、私は、読者を欺瞞する側面があることを見逃すことができません。

 そのノーベル平和賞受賞者、オルロフ氏のインタビューのやりとりは、下記のようなものでした。私は、質問内容も問題だと思いますが、オルロフ氏の答えが、すでに西側諸国で共有されている反ロ思想の言い換えだと思いました。極論すれば、アメリカと手を結んで、政権転覆を意図する人の、一方的な内容だと思ったのです。 

── ロシアではウクライナ侵攻について、実質的に議論が禁じられています。

 ファシズムでは必ず反対意見の弾圧が起こる。(反逆罪で禁固25年となった反政権派活動家の)カラルムザ氏は批判以外は何もしていない。(反政権派指導者で、216日に獄死した)ナワリヌイ氏も完全に合法的に反政権派を組織した。(ソ連の独裁者)スターリンの時代に近づいている。

 でも、ナワリヌイ氏が完全に合法的に反政権派を組織したかどうかは疑問だと思います。ウクライナの政権転覆にも、アメリカは深く関わっていたので、ナワリヌイ氏が、アメリカの支援を受けて反政権派を組織しいた疑いは拭えないのではないかと思うのです。

 なぜなら、ナワリヌイ氏の妻ユリヤ氏は、ナワリヌイ氏の死後まもなく(およそ一週間後)、アメリカのバイデン大統領と面会しています。そして、バイデン大統領は面会した際、「“遺志”は実現する」と強調したことが報道されていたからです。

── ウクライナ政権を「ネオナチ」とするプーチン氏の持論の背景は。

 ロシアには「偉大な帝国」の神話があり、ウクライナはロシアの一部で、ロシアが生まれた母なる都市がキーウだ。帝国に戻したい理由を説明するには、悪のイメージが強いナチスの存在は(政権にとって)「素晴らしい神話」になる。

 こうした「偉大な帝国」の神話に関する内容も、ウクライナ戦争の解説に当った大学教授やジャーナリストなどから、くり返し聞きました。でも、こうした主張を、クライナ政府とネオナチの現状に関するホワイトウォッシュであると指摘している人や組織があることは、まったく触れられることがありませんでした。

 日本でも、在日ロシア大使館が、”日本の公安調査庁がウクライナの国家組織「アゾフ大隊」をネオナチ組織と認めている”とSNSで発信し、それが拡散したことがあったといいます。だから、公安調査庁は、ホームページで公開している「国際テロリズム要覧2021」から「ネオナチ組織がアゾフ大隊を結成した」というような記載を削除するということがあったのです。

 その「アゾフ大隊」が、2014年以降のドンバスに対する爆撃や 侵攻するロシア軍に対する抵抗で存在感を示したというのは、多くの人が認めていることだと思います。だから、クライナ政府とネオナチのホワイトウォッシュ問題の指摘は無視されてはならないと思います。

 Wikipediaには、”侵攻後の「ウクライナ政府に関する警告」”と題して、下記のような記述があります。

米国でのユダヤ系最大紙「フォーワード」では、調査報道で知られるベリングキャットのスタッフでライターのマイケル・コルボーンが2018年時点で以下の発言をしている。

ウクライナの極右(ネオナチ)はたいした問題ではないと数えきれないくらいに言われてきました。

「すべてクレムリン(ロシア政府)のプロパガンダですよ。その話をすることは、プーチンをアシストすることです。他の国にも極右の問題があるじゃないですか。なぜウクライナだけをとりあげるのですか?」

私はそう言われてきました。

しかしウクライナには極右の問題があり、それはクレムリンのプロパガンダではありません。”

  2022224日からのロシアのウクライナ侵攻後、ロヒンギャ問題やQアノン問題などを追うルポライターの清義明は、報道機関によるウクライナ政府とネオナチの現状に関するホワイトウォッシュ問題を寄稿し、「この論考がプーチンの侵略戦争を支持したり、正当化する目的で書かれていないことを明記しておく。」とした上で以下と記述した。

ウクライナの極右(ネオナチ)の問題が、単にロシアのプロパガンダとみなされてしまっている。

しかし、これが他の国の極右やネオナチの事情とかなり違ったクリティカルな状況だということは、強調しておくべき話なのだ。

 これを先に概略として記しておくと、次のようになる。

・ウクライナでは極右・ネオナチと呼ばれる勢力が政権や行政や司法に関与していること。

・その極右勢力が軍事化したのみならず、国軍勢力の中核におり、「世界で唯一ネオナチの民兵が正式に軍隊になった」国であること。

・その様々なセクトが一般人への軍事訓練などを続けながら勢力をウクライナの政治から文化まで拡大しつつあったこと。

・彼らは民主主義的な価値観を肯定しておらず、さらに政権のコントロールを必ずしも受け入れておらず、将来的に民主主義への敵対勢力となる可能性があること。

・世界の極右やネオナチのハブ的存在になっており、ISのように世界的にネットワークを広げて、コントロール不能になることすら考えられること。

・またウクライナの過去のナチス協力をめぐる「歴史修正主義」がウクライナを席巻しており、すでにイスラエルをはじめ、関係する国々から強く批判されていたこと。

 もちろん、今はそれを「部屋に象がいる」と、見て見ぬふりをしておくべき時なのかもしれない。このウクライナ戦争がどのような結果になるかは今はわからないからだ。

 だが、ウクライナが、欧米の国々のように単にネオナチ思想をもつものが軍隊にいるとか、極右政党が議会に勢力を確保しているというようなレベルではなく、黄色信号を超えた危険水域に達していることを今のうち理解しておくのは悪いことではないはずだ。

 同年314日、米紙ワシントン・ポストは「プーチンを支援する目的ではない」とした上で以下とした。

 世界の過激派を追跡する諜報機関SITEでは、ウクライナ戦争に関連して、白人民族主義者やネオナチによるオンライン活動の急増に気づいています。

 ここ数週間でアゾフ連隊に参加する意思を表明した何百人もの人物の中には、ネオナチとして知られる人物が複数人含まれています。

 たとえば、アゾフの募集チャットグループのアメリカ人メンバーである「MD」は、同胞をウクライナの大隊に参加させようと何度も試みていました。

 「行きたいアメリカ人はいる?向こうへ行くグループを募集できるんだ」と彼は語っていました。

 私たちは、「MD」がTelegram上の最もサディスティックな極右過激派チャットのメンバーでもあり、そこで彼は米国にネオナチ民兵を設立することを提案していることを突き止めました。

 

 こうした指摘を完全に無視するオルロフ氏や、オルロフ氏の主張をノーベル平和賞受賞者として持ちあげて掲載する朝日新聞は、意図的に客観的事実に目をつぶっていると思います。

 また、朝日新聞に限らず、西側諸国のマスメディアが、ロシアの特別軍事作戦(ウクライナ侵攻)後、ゼレンスキー大統領を持ち上げ、ウクライナアゾフ大隊の”「ホワイトウォッシュ」一色”なのは、戦後世界を影響下においてきたアメリカが、急速にその覇権と利益を失いつつあり、ヨーロッパ諸国に影響力を拡大しつつあったロシアを孤立化させ、弱体化しなければならない状況に追い詰められて、ゼレンスキー政権の「ホワイトウォッシング」に目をつぶらざるを得ないかったからだ、と私は思います。 

── ロシアは政権が決めた価値観に「純化」しつつあるように見えます。

 全体主義では、国家は一つの価値観を押しつけ生活全般に侵入する。ロシアの新しい全体主義を、私は21世紀のファシズムと呼ぶ。

 この指摘は、ロシアだけに当てはまるものではないと思います。政治的な側面では、日本もすっかりアメリカの世界戦略に基づく考え方に純化されつつあると思います。ウクライナ戦争に関する報道は、ほとんど同じで、ロシアを支持したり、アメリカやウクライナを批判したりするメディアはありませんでした。あらゆる組織や団体から、ロシア人を排除することに反対するメディアもなかったと思います。 

 先日、朝日新聞は、「学長にモノ言わせぬ国では」と題する教育社説担当の増谷文生氏の文章を掲載しました。下記はその一部です。

国立大が法人化されて20年がたった。学長たちは、この間の国の大学政策をどのように評価しているのか。確認してみようと、国立大の学長86人を対象にアンケートを実施した。

 調査を通じて、改めて実感したことがある。それは、国立大の学長の多くが、国にモノ申すことを過剰なまでに恐れるようになったことだ”とありました。

 さらに、

コメントを記事で使いたいと連絡すると、多くの学長が匿名を希望した。ある旧帝大の学長は、「個人的に答えただけ」として、匿名でもコメントの活用を承諾してくれなかった。別の有力大学の学長はコメントどころか、「学生教育」や「地域貢献・地域連携」の進み具合を尋ねる質問にどう答えたかも含め、37問全回答について匿名を希望した。

 国から独立した法人のトップが、国に堂々と意見を言えない。これが実態だ。”

  先だっては、国に政策提言を行う特別機関「日本学術会議」が、新会員として内閣府に推薦した法律・歴史学者ら6人の任命について、菅首相が拒否する問題もありました。政権の政策や価値観に反する考え方の人間は排除し、自民党政権の考えや価値観を押し付ける日本が、”全体主義では、国家は一つの価値観を押しつけ生活全般に侵入する。ロシアの新しい全体主義を、私は21世紀のファシズムと呼ぶ。”などと批判できるのでしょうか。現実をしっかり見つめてほしいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする