真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

ウクライナ戦争、「オデッサ旅団」結成の詳細を知りたい

2022年07月29日 | 国際・政治

 かつて日本は、大本営発表に導かれて、悲惨な戦争を続けました。でも、その大本営発表は、戦後、「嘘の代名詞」と言われるような発表でした。例えば、「台湾沖航空戦」における戦果の発表があります。実際は、撃沈した敵艦は一隻もなく、空母二隻にかすり傷らしきものを与え、巡洋艦二隻を大破させたにすぎなかっただけなのに、”撃沈撃破したものは、航空母艦(空母)が十九隻、戦艦が四隻、その他が二十二隻、合計四十五隻”などと、アメリカ海軍の主力を全滅させたかのようなでたらめな大戦果が発表されたりしたのです。
 現在私は、ウクライナ戦争に関する報道が、それに似た状況になっているように思います。大本営にあたるのが、アメリカのバイデン政権であり、ウクライナのゼレンスキー政権です。いつもは自民党政権に批判的な朝日新聞でさえも、アメリカやウクライナからもたらされる報道内容には、何の疑いも差し挟むことなく、そのまま、日本で報道し続けているように思います。大本営発表が真実に基づいていれば、日本の戦争はもっとずっと早く終わっていたのではないかと思います。だから、ウクライナ戦争についても、世界中で客観的事実がきちんと報道されれば、停戦・和解の話し合いが進むはずだと思います。でも現状は、ロシア側の情報はもちろん、ロシアのウクライナ侵攻の経緯や背景、また、その実態がほとんど報道されていないと思います。

 例えば、ブチャの虐殺の報道にも、いくつかの疑問があります。
 ウクライナはかつてソ連の一部です。独立したとはいえ、今なおロシアとの関係は深いと思います。ロシアを憎んでいる人たちばかりではないと思います。だから、平和に暮らしていたウクライナの人たちの多くは、ロシアとの戦争を望んではいなかったと思います。にもかかわらず、ゼレンスキー大統領は、ロシアのウクライナ侵攻直後、18歳から60歳の男性を出国禁止にし、民間人に武器を取って抵抗するよう指示しました。でも、軍事力や経済力でロシアに劣るウクライナの民間人が、ロシアを敵とし、武器を取って戦うことを決断することは、簡単にできることではないと思います。だから、ゼレンスキー大統領の方針に同意できない人たちや、断固反対する人たちは、少なくなかったはずだと思います。
 でも、ロシアの反戦運動はくり返し報道されましたが、ウクライナの反戦の動きが報道されることは、ほとんどなかったように思います。
 ブチャの虐殺の報道がくり返されているとき、私は、もしかしたら戦争に反対する親ロ派の人たちが、ウクライナ軍によって殺された可能性があるのではないかと疑いました。そして、いろいろな情報に当たっているなかで、”「ブチャの大虐殺」をめぐる矛盾 (https://www.kla.tv/22232)”があることを知りました。やっぱりそうだったか、と思いました。
 戦争に虐殺はつきものですが、様々な虐殺事件をふり返れば、虐殺が起きるのは、戦友が殺されたリ、長く苦しい戦いが続いて、憎しみが深くなり、心が荒れ、冷静な行動が出来なくなった時であることが、ほとんどであったように思います。
 だから、侵攻直後の虐殺や、自ら撤退したのに、虐殺が疑われる死体を、路上に放置して撤退したということが、私には謎でした。その謎が、スイスやドイツに本拠をおく独立系メディアKLA.TV(”「ブチャの大虐殺」をめぐる矛盾” https://www.kla.tv/22232)の報道で、解けたように思いました。でも、日本のメディアは、そうした報道には無関心のようです。


 また、スコット・リッター元国連大量破壊兵器査察官が、ウクライナ危機に関するイベントに参加し、”ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊のブチャで起こった虐殺はウクライナ軍による犯行である”と発言したという情報もあります。

 リッター氏によると、”ロシア軍がブチャに展開していたのは直近の数週間で、地元住民との関係は良好だったという。その証拠に、ウクライナ警察は4月1日にブチャへ向かう際、ロシア軍への協力者を摘発して殲滅すると警告していた。リッター氏はイベントの中で次のように発言した。

 ウクライナ側はこのように発言していました。仮にロシア軍に協力すれば、待っているのは死だと。政府高官がこうした発言を行った映像は残っています。その高官はブチャの市民に対し、SNSで次のように呼びかけました。「自宅にいてください、国家警察が摘発を行います。パニックにならずに自宅にいてください」と。ウクライナの懲罰部隊は路上で市民に発砲し、ロシア軍に協力していた市民の自宅に押し入るなどしていたという。
 我々のもとにはウクライナ警察が、具体的にはアゾフのグループが「サファリ」(狩猟)を始めると豪語している動画が残っています。ブチャに展開したウクライナ警察特殊部隊の名称がまさに「サファリ」でした。そして彼らはサファリを実行し、ロシア軍への協力者を摘発したのです。摘発とは殺害を意味します。拘束するのではなく殺害です。そして彼らはこれを実行しています。その後、彼らは市内を練り歩き、遺体の撮影を行い、ロシア人がやったのだと豪語してるのです。
 またリッター氏は遺体に白い布が結われていることに着目した。これは市民がロシア軍に投降したことを示しているという。また、遺体近くには緑色の箱が映されているケースがあるが、これはロシア軍による食料供給の箱とされている。さらに、メキシコのジャーナリストが4月1日、現地に到着して撮影していたところ、まだ鮮血が流れていたと証言している。これは市民が撮影直前に殺害されたことを意味している。こうした状況を踏まえ、ブチャで起こった虐殺の真相はウクライナ国家警察による親露派住民の粛清だとリッター氏は結論付けている。”といいます。

 また、”ケルソン地方で、「オデッサ旅団」が結成。兵士の大多数は解放された地域とまだウクライナ支配地域からのウクライナ人。西側メディアでは絶対に触れない不都合な事実。”の動画、「ここは我々の土地だ。ナチのクズどもを一掃する」(https://twitter.com/littlemayo/status/1551760824720433153)も、真実だろうと思います。

 先日(4月17日)ゼレンスキー大統領は、ベネディクトワ検事総長と、情報機関・保安局(SBU)のバカノフ長官を更迭したとの報道がありました。”東部ハリコフ州や南部ヘルソン州のロシア軍に制圧された地域で検察とSBUの職員らが職務を続けていることを、ロシアへの協力とみなし、国家反逆罪としてトップに引責させた”ということです。ゼレンスキー政権内部にも、いろいろな問題があることがわかります。だから、そうした問題に目を向け、客観的な報道に努めれば、停戦・和解の道は開けるのではないかと思います。でも、そうした問題に立ち入ることなく、アメリカやウクライナからもたらされる情報を、そのまま流すメディアは、真実を国民に伝える責任を放棄し、停戦・和解のための努力をしていないように思えます。

 そして何より、日本のメディアは、ウクライナ戦争を主導するアメリカの意図を、覆い隠すような報道を続けていると思います。
 
 バイデン大統領は、事あるごとに「民主主義と専制主義の戦い」を強調し、ウクライナ戦争でも、その主張をくり返しました。だから、多くの人たちは、バイデン政権の対外政策の基調は、専制主義との戦いであると受けとめているのではないかと思います。
 でも、アメリカの戦争や他国に対する武力行使の過去をふり返れば、アメリカの対外政策は、まさに民主主義を蹂躙するものであり、専制主義であったことがわかると思います。アメリカの民主主義は、アメリカ国内だけのものだと言えるのです。アメリカは自国の民主主義を、世界中の人々に見せ付けつつ、他国に対しては、非民主的で、専制主義的な政策を続けているのです。

 下記は、「概説 ラテンアメリカ史」国本伊代(新評論)から一部抜萃したのですが、アメリカが非民主的で、専制的な対外政策を続けていることがわかります。
 例えば、”米ソの冷戦関係が進展するにつれてアメリカの反共主義は強化の一途をたどり、戦時中に形成された米州の協調体制はアメリカの強力な反共政策による米州反共防衛体制の強化へと転じた”という記述があり、”グアテマラ革命では、共産主義革命であるとみなしたアメリカのCIA(中央情報局)の工作を通じてグアテマラ国内に反革命勢力を組織し、社会改革と取り組むアルペンス政権(1950~54)を転覆させて、社会革命を挫折させた。”とあります。すでに、いくつかの国の例を取りあげてきましたが、アメリカはこのような民主主義を蹂躙する政策をくり返してきたのです。

 だから、米国務省のビクトリア・ヌーランド(オバマ大統領上級補佐官)が講演で、”我々は、ウクライナの繁栄、安全、民主主義を保障するため(現実は政権転覆)に50億ドル以上を投資してきた”と語った事実、また、その他のいくつかの情報を考え合わせると、2014年のウクライナのマイダン革命(ヤヌコービッチ政権転覆)が、アメリカのCIA(中央情報局)の工作によるものだったのではないかと思います。そしてそれは、ロシアを孤立化させ、弱体化させるためのウクライナ戦争の準備であったのではないかと思います。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                     第八章 躍進と変革の時代  

                     3 冷戦体制下の革命運動

 冷戦とラテンアメリカ
 第二次世界大戦の終結は、米ソ対立の冷戦期のはじまりとなった。アメリカの最大の関心はヨーロッパとアジアの復興へと転じ、ラテンアメリカ政策は二次的事項となった。とくに米ソの冷戦関係が進展するにつれてアメリカの反共主義は強化の一途をたどり、戦時中に形成された米州の協調体制はアメリカの強力な反共政策による米州反共防衛体制の強化へと転じた。この過程は、国連の指導下で地域機構として発足した米州機構を中心にして展開された。
 米州機構は、米州諸国間の政治・経済・社会・文化における協力関係を緊密化する目的を掲げた米州機構憲章に基づいて設置されたアメリカ大陸の地域機構である。同憲章は1948年にボゴタで開催された第九回米州諸国会議で調印され、1951年に発効した。このボゴタ会議は、ラテンアメリカにとって対米関係の新たな転換点となった。集団安全保障と協調関係の要となる米州機構が設立されたというだけでなく、急速に進展した米ソの冷戦において米州機構がアメリカ大陸の反共体制の砦となったからである。同時に米州機構の出現は、ラテンアメリカ諸国の戦後政治の方向を決定したからでもあった。とくに1950年代から1960年代にかけてラテンアメリカ諸国に出現した革命運動と急進的な革新政権は、アメリカ合衆国主導による米州機構の決定を通じて孤立させられ、封じ込めらた。その典型的な例は、1950年代のグアテマラ革命の挫折であり、1959年に出現したフィデル・カストロの率いるキューバ革命がたどった道であり、1965年に挫折したドミニカ革命であった。
 例えばグアテマラ革命では、共産主義革命であるとみなしたアメリカのCIA(中央情報局)の工作を通じてグアテマラ国内に反革命勢力を組織し、社会改革と取り組むアルペンス政権(1950~54)を転覆させて、社会革命を挫折させた。グアテマラは、20世紀初頭から中米にバナナ・プランテーション経営を目指して進出してきたアメリカ資本のユナイテッド・フルーツ社に大規模な土地所有を認めた国のひとつであった。1931年から政権を握ってきたウピコ大統領が1944年にゼネストを含む激しい反政府運動によって倒れ、翌1945年に改革派のファン・ホセ・アレバロが社会改革を公約し国民の圧倒的多数の支持を得て大統領に選出された。アレバロ政権はインディオの国民統合、教育改革、社会保障制度の整備など一連の社会改革と取り組んだ。アレバロ政権の改革の政治は、左翼勢力と軍部の支持を受けて1950年の大統領選挙で選出されたアルベンス政権に受け継がれた。アルベンス政権は1952年に農地改革法を制定して大土地所有制の解体と小規模自作農の創設を目指したが、可耕地の約半分を所有していた「バナナ帝国」とも呼ばれたユナイテッド・フルーツ社とまっ正面から対立することになった。アメリカはこのような農地改革を含む急進的な社会改革を目指したアルベンス政権に共産主義政権のレッテルを張り、CIAが組織し援助する反革命勢力を通じて1954年にアルペンス政権を倒した。
 
 キューバ革命の展開過程は後で詳しくとりあげるが、グアテマラ革命と同様に農地改革法を制定して社会構造の根本的改革に着手したカストロ革命政権もまたアメリカ資本の利害とまっ正面から対立することになった。アメリカとの妥協を許さなかったカストロら革命指導者たちは、ソ連と貿易援助協定を結ぶことによってキューバ革命を社会主義革命へと転じさせる第一歩を選択した。やがてキューバは「アメリカ帝国主義」との闘争を呼びかけた「バナナ宣言」を出し、ラテンアメリカ諸国の急進的左翼勢力による革命運動を支援して、アメリカとの決定的な対立関係に入った。これに対してアメリカは1962年の第八回米州外相会議でキューバを米州機構から除名決議し、さらに1964年の第九回外相会議で対キューバ外交・貿易関係の断絶の決議を採択して、アメリカ大陸におけるキューバの孤立化に成功した。しかしキューバはソ連の援助と東ヨーロッパ社会主義諸国との関係強化によって、アメリカと対決し続けた。
 ドミニカ共和国では、1930年から独裁政権を維持してきたトルヒーリョ大統領が1961年に暗殺された後、1962年に行われた30年振りの選挙でドミニカ革命党から立候補したファン・ボッシュが大統領に選出された。しかし左翼両派の激しい対立の中で退陣に追い込まれ、その後国内は民主主義を求める国民運動が展開され、1965年の大統領選挙に絡んだこの左右両派の対立は内戦へと発展した。アメリカは米州機構と国連を動かし、米州平和軍を派遣して内戦を鎮圧した。こうしてアメリカは、ドミニカ共和国の場合には内戦の段階で左翼勢力の排除に成功して、第二のキューバ化を防いだ。このドミニカ革命と同様に、アメリカの積極的な政策が根本的な社会変革を目指す急進的な革新政権を穏健な改革派に転じさせるのに成功したのが、1952年に革命政権が樹立されたボリビアであった。

 ボリビア革命
 1952年にボリビアでは、民族主義的革命運動党(MNR)が政権を武力で奪取した。MNRは、ボリビアがチャコ戦争(1932~35)でパラグァイに敗れた1930年代末に高まった民族主義運動を背景にして、近代化と変革を求めた若手革新勢力によって1941年に結成された政党である。MNRに結集した若手革新勢力は、その結成以前に、重要な輸出産品の一つであった錫の開発を独占してきた三大錫財閥およびそれと結託する外国資本に反対して民族主義的政策を追求したヘルマン・ブッシュ軍事政権(1937~39)に閣僚を送り込んだ経験を有しており、その民族主義的な政策立案に貢献していた。政党を結成したのちの1942年に多数の労働者が軍部に虐殺されたカタビ錫鉱山のストライキ事件を契機として、MNRは錫鉱山労働者の組織化を推進した。翌1943年に革新派青年将校団を率いて政権を奪取したピリャロエル政権(1943~46)に協力したMNRは、党の指導者層を閣僚に送り込んだ。しかし1946年のクーデターでピリャロエル政権が倒れると、6年間MNRの指導者層は亡命するか地下にもぐらねばならなかった。しかし1950年の大統領選挙では国外亡命中であったビクトル・パス・エステンソーロとエルナン・シーレス・スワソをそれぞれ大統領と副大統領候補に立ててMNRは、選挙で勝利を収めた。これに対して軍部はクーデターを決行して実権を掌握した。その結果1952年4月、MNR、鉱山労働者、一般市民、国家警察部隊の連合による武装蜂起が成功して、ここにMNR革命政権が成立したのである。

 MNR政権は、パス・エステンソーロ(任期1952~56、1960~64)とシーレス・スワソ(任期1956~60)の二人の大統領の下で12年間にわたって社会改革の政治を遂行した。文盲を含めた男女に選挙権を与えた普通選挙法が制定され、伝統的な大土地所有制を解体して土地なき農民に土地を与えると同時に東部低地の広大な未開地への入植と農業開発を促す東部開発計画を含んだ農地改革法が制定され、三大錫財閥の解体と錫鉱山の国有化が実施された。またMNR政府は、義務教育と公用語としてのスペイン語の普及に力を注いで国民の統合を進めると同時に、アンデス高地と東部平原という地形的に分断されている国土の統合を図った。12年間におよんだMNR政権による改革の実績は「ボリビア革命」と呼ばれているが、独立以来長い間停滞してきたこの国の近代化を大きく推進した12年間となった。
 この間ボリビア革命を支えたのがアメリカの援助であった。革命政権の樹立と急進的な革命政策によってボリビアが混乱状態に陥ると、アメリカはボリビア革命が共産主義化することを懸念して、経済・社会開発のための資金と技術の援助を拡大した。しかしアメリカの対ボリビア援助は突然この時期にはじまったわけではない。1940年代はじめの第二次世界大戦時に、アメリカは西半球の戦略構想の中でボリビアを重要な戦略物資の供給国とみなしていた。その結果、鉱物資源の開発と増産を含むボリビアの経済社会開発計画がアメリカの主導で作成され、それに基づく援助政策がただちに開始された。例えばボリビア近代化の要ともいうべきアンデス高地の中心部と石油資源を有する東部低地の中心部を結ぶ全天候道路(アスファルト道路)が、アメリカの援助資金で1943年に建設がはじめられ、1954年に完成していた。MNRの革命政権樹立後もアメリカは、開発のための資金と技術の援助政策を続けた。1952年から1964年のMNR革命政権時代にアメリカがボリビアに与えた援助額は約3億8000万ドルにのぼり、国民一人当たり援助額としてはラテンアメリカの中で最高の水準に達した。ボリビアの国家予算の歳入に占めたアメリカの援助資金の割合は1957年から1963年まで平均で25%にのぼったのである。
 1964年6月の選挙でパス・エステンソーロ大統領は連続再選を果たして3期目の大統領職に就任したが、クーデターによって軍事政権にとって代わられた。しかしMNR政権が12年間に実施した改革のプログラムの多くは、軍事政権によって受け継がれ今日にいたっている。すでに述べたように教育改革の実績を含めて、MNR革命政権が実施した農地改革、東部低地開発、鉱山の国有化などは、ボリビア社会を大きく変化させた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカによるチリのアジェンデ政権転覆とウクライナのヤヌコービッチ政権の転覆

2022年07月25日 | 国際・政治

                  アメリカの過去の所業をふり返りつつ、ウクライナ戦争を考える

 1973年9月11日、社会主義政権としては史上初めて自由選挙によって樹立されたサルバドール・アジェンデ政権をクーデターで転覆し、議会制民主主義を否定して、軍事政権を率いたのは、ピノチェトでした。
 下記資料1は、「燃える中南米 特派員報告」伊藤千尋(岩波新書)から、その一部を抜粋したものですが、著者の伊藤千尋氏は、ピノチェトの軍政に抵抗を続けるチリ国民に寄り添い、その内面にも踏み込んで、抵抗の実態を詳細に語っています。
 一方、資料2は、「収奪された大地 ラテンアメリカ五百年」E・ガレアーノ:大久保光夫訳(藤原書店)からの抜萃ですが、著者ガレアーノは、チリの政権転覆が、アメリカの主導したものであったことを明らかにしています。政権転覆の戦略はワシントンで作成されたというのです。そして、それを準備したのが、キッシンジャー情報機関(CIA)であると、明らかにしています。

 大金をつぎ込んで政権転覆を主導し、ピノチェトの軍事独裁政権を支えたアメリカの姿は、大金をつぎ込んでマイダン革命を主導し、ウクライナ戦争で、ゼレンスキー大統領を支えるアメリカとダブって見えます。
 ウクライナのヤヌコービッチ大統領は選挙で選ばれた大統領ですが、ドンバスを地盤とする親ロ派の大統領であったために、アメリカによって転覆の対象にされ、悪魔のような独裁者に仕立て上げられて、政権を追われたのです。

 Wikipediaによると、ピノチェト(Pinochet)は、教会関係者から、「拷問」を止めるよう申し入れられたとき、
私は軍人だ。国家元首として、チリ国民全体に責任を負っている。共産主義という疫病が国民の中に入り込んだのだ。だから、私は共産主義を根絶しなければならない。(中略)拷問は共産主義を根絶するために必要なのだ。祖国の幸福のために必要なのだ。
 と語ったということですが、その考え方が、アメリカと共有されていたのだと思います。ドミノ理論に象徴されるように、アメリカにとっては、社会主義政権や共産主義政権は、転覆の対象なのだと思います。そして、社会主義政権や共産主義政権の国々に対しては、法や道義・道徳は、適用される必要がないという考えなのだと思います。それは、今回取り上げたチリの政権転覆に限らず、アメリカが武力行使したさまざまな国の実態が示していることです。

 だから、ウクライナ戦争に関しても、そうしたアメリカの武力行使や内政干渉の過去の歴史を踏まえ、ロシア軍がウクライナ侵攻に至る経緯全体を、しっかり見つめる必要があると思います。

 私は、ロシアのウクライナ侵攻以降のことしか取り上げないアメリカやウクライナからもたらされる情報は、基本的にプロパガンダなのだと考えて間違いはないと思っています。
 アメリカやアメリカと一体となったウクライナのゼレンスキー政権は、世界中の人々の目を、戦争に至る経緯や背景から遠ざけ、ロシアの軍事行動だけに向けさせたいのではないかと思います。そして、メディアを利用して、ロシアを孤立化させ、弱体化させるという目的を達成しようとしているのだと思います。

資料1 ーーーーーーーーーー「燃える中南米 特派員報告」伊藤千尋(岩波新書)ーーーーーーーーーーーーーーー
                   第三章 戒厳令下の抵抗
 
 ハトと鉄条網
 むき出しのカービン銃を手に、カーキ色の軍服を着た警察軍兵士が隊伍を組んでパトロールする。軍事独裁化の南米チリの首都サンチアゴの中心部にあるアルマス広場。石畳を鳴らす軍靴の音が、市庁舎や大聖堂など、周囲の荘厳な石造りの建物に響く。
 その80メートル四方の広場の一角、植込みの脇で、若者が路上に絵を並べて売っていた。葉書ほどの大きさの白いカードに、フェルトペンで描いたものだ。赤レンガの牢獄のなかで懸命に飛ぼうとする白いハト。胸を撃たれ路上に横たわるハト。あるいは鉄条網の間から顔をのぞかせる黄色いバラの花。鎖に繋がれた手で持つギターとハト・・・。様々な図柄のなかで最も多かったのは、平和と自由の象徴であるハトとオリーブ、これに圧政の象徴である鉄条網の三つを組み合わせたものだ。オリーブの葉をくわえたハトがチリの国旗をなびかせながら鉄条網にとまっている絵のカードには、ていねいな文字でこう書き添えられてあった──「奴らは、まず平和のハトを撃ち殺した。次に、自由のハトを檻(オリ)に入れた。しかし我らには、なお希望のハトが残っている」。十字架にはりつけにされたハトを描いたものには「パンか自由か、どちらかを選べと問われるなら、自由を取る。自由を武器に、パンを得るため戦う」とある。
 中南米で初めての民主的な選挙で選ばれた社会主義政権がチリに誕生し、世界を驚かせたのは1970年のことだ。それは、議会政治を通じての政権獲得をめざす世界の革新政党を活気づけた。その3年後の73年には軍事クーデターが発生し、再び衝撃を巻き起こした。チリは以来、ピノチェト陸将を中心とする軍事独裁政治の支配下にある。一見すると、武力が国民の声を封じたように見えるが、実情はそうではない。この絵が、チリ国民の軍政に対する抵抗の意志の一端を示している。私は84年9月から87年4月まで、チリをほぼ三か月おきに訪れた。そこで目にしたのは、強権統治下でたくましく生きる民主主義の伝統だった。
 アルマス広場の周辺は、碁盤の目のように街並みが整然と区切られ、大統領官邸や市庁舎など行政庁、さらに報道機関や商店などが軒を並べる。街路は清掃が行き届いてゴミがほとんど目に付かず、歩行者天国の噴水やショーウインドーを飾る豊富な商品が、清潔で豊かな社会を感じさせる。東の方角には、白雪を頂いたアンデス山脈の山容を、さながら大空をスクリーンとした映画のように仰ぎ見ることができ、家々の造りも、一見すると北欧的な情緒がある。
 国民は親切かつ穏やかで、魚や貝など海産物をよく食べ、南北に細長い国土も思い合わせると「南米の日本」という見方もできる。南部の湖沼地帯に行くと、その牧歌的風景は日本の田舎そのままであり、北方に富士山そっくりの火山を望む。オソルノ火山、別名を「チリ富士」とも言う。そっくりといえば、この国の通貨の100ペソ銅貨の図柄は、ゼロを一つ取りさえすれば日本の10円玉と見まがうばかりだ。カニやウニなど海産物のうまさ、中南米でも三本の指に入る女性の理智的な美しさ
、という事情もあり、チリを訪れた人々、とりわけ日本人は一様に親近感をもつのが通例だ。短期間の、あるいは表面的な見方だけでは、こうした肯定的な側面しか目に付かない。
 しかし、目を凝らせば、この秩序は軍政による厳しい反体制派市民の抑圧によってようやく保たれ、経済的な繁栄は見た目に過ぎず、一皮むけば、政治、社会、経済すべての面に危機的な要素をはらんでいることがすぐ分かる。カードの絵を売っていた若者は、大学の美術学部を卒業したが職がなく、当座の日銭を稼ぐために絵を売っていたのだった。カード売りの青年のそばには、黄色いバラの花びらにペンで文字や絵を描いて一枚100円程度で売っている女性がいた。その一枚には「権力は奉仕するものであり、支配するものではない」と書いてあった。政府が公僕という立場を忘れて国民を強権的に支配している姿を批判したものだ。こうした失業青年の多さ、そして彼らが軍政下でみせる反政府の公の意思表示。早くもここで、現代のチリの一見秩序正しいように見える姿が、実は仮面にすぎないことが見て取れる。
 経済的な繁栄の実情はどうか。返済不可能な対外累積債務や高い失業率などの数字を持ち出すまでもない。首都から約20キロ郊外に行けば、繁栄の空虚さが直ちに実感できる。首都で会った失業者の一人で中道野党を支持する青年が案内してくれたのは、スラム街の一つだった。チリ・カトリック教会の指導者の名前をとって、「フアン・フランシスコ・フレスノ・キャンプ」という名が付けられていた。砂漠化した荒れ地に、丸太を柱とし、板を張り付けただけの粗末な小屋が並ぶ。板がなく、ズタ袋を吊るして外壁とした小屋もある。そのトタン屋根のうえには石が重しとしておいてある。アンデス山脈から吹きつける強い風で屋根が吹き飛ばされるのを防ぐためだ。
 冬はアンデスおろしの寒風が吹きすさび、隙間風どころか、そのまま風が小屋の中を吹き抜ける状況下で、この地区には2560家族、約1万1000人が暮していた。うち6800人が子供で、その多くが0歳から4歳までの乳幼児である。住民の多くは、地方の農村で食い詰め、首都に流れてきた農民の一家だ。住民の一人は農村での生活を振り返って「一つの家に4家族も住む状態だった。耕作する農地もなく、生きていけなかった」と逃げてきた理由を語った。 
 キャンプは83年9月にできたものだ。食べ物も、水道も、電気もろくに通っておらず、学校もない。せっかく町に出てきたものの首都中心部に住める財力はなく、郊外のスラムに住むしかない。職もなく、地区の労働人口のうち70%が失業者だ。残る30%は大道での露天商をして食つなぐ。キャンプの運営の責任者はカトリックの神父だった。彼は「政府に支援を求めてみても、軍政は何一つしてくれない」と怒る。アジェンデ社会主義政権時代には重視された国民の福祉も、軍政となってからはなおざりにされ、貧しい庶民には生活の保障もない。キャンプの運営費はすべて、国連と世界各国の人権団体にすがる。軍政は、貧民を切り棄てることで成り立っている。首都中心部の繁栄の陰には、こうした保障なき人々の群れがいるのだ。神父によると、首都周辺にこのようなスラムがおよそ40あり約9万家族が暮らす。全国では約100万人が同様の悲惨な境遇にあるという。その数はなお増え続けている。そして、さらに、その背後には荒廃した農村と膨大な数の飢えた農民がいる。
 キャンプの小屋の軒先にも旗が翻っていた。赤・白・青の三色に白い星がついたチリ国旗だ。強い寒風のため、どの旗もほつれてボロ切れのようになっていた。神父はこの旗を指していった。「国旗を掲げるのは、軍政に対する抗議の意思表示です」と。「チリ国民は、チリ国旗は正統な民主体制の下で翻るべきだと考えている」とも語った。

 反軍政国民デー 
 国旗の掲揚に限らない。軍事独裁化においてチリ国民は、軍政に対する根強い抵抗の意志を行動で示してきた。その象徴が、83年5月から続く「反軍政国民抗議デー」だ。その行動が最も盛り上がったの84年9月4日、私はサンチアゴにいた。
 ……以下略

 抵抗止まず
 中南米で初めて選挙による社会主義政権が生まれた後、社会党のアジェンデ氏を首班とする左翼の人民連合は、銀行や銅山の国有化や農地改革などを進めた。しかし、73年9月11日、ピノチェト将軍を中心とする軍がクーデターを起こし、大統領官邸のモネダ宮を空爆し、砲撃した。炎上する建物のなか、アジェンデ大統領は銃を手に戦い、最後には、「アジェンデ・ノ・セ・リンデ(アジェンデは降伏しない)!」と叫んで、椅子に座ったまま銃弾を頭に撃ち込んで自殺した、と警備員は証言する。射殺説もある。
 この直後、軍は人民連合派と見られる人々を大量に逮捕した。逮捕者は10万人を越えるといわれる。首都サンチアゴの国立競技場が臨時の収容所となり、そのスタンドは逮捕された市民で埋まった。中には国民的なフォーク歌手ビクトル・ハラもいた。ハラはギターをひけないように指を砕かれたあと、人民連合の歌「ベンセレーモス(我らは勝利する)」を歌い、機関銃で射殺された。このとき、拷問の末に虐殺された人々は約3万人といわれる。北部の砂漠地帯や南極に近いマゼラン海峡の無人島に作られた収容所に送られた政治囚は、約5万人を数えた。
 軍部はクーデター直後から戒厳令を発動し、反政府派市民の一掃による強権発動と米国資本による経済立て直しで内政を固めた。軍政という正統性の欠如を、経済再建で補おうとした。これが成功して国民生活は安定し、国内の治安も治まった。5年後の78年には戒厳令を解除し、80年には新憲法を発布した。国民投票で三分の二の67%が賛成した。年率8%の高度経済成長を達成していたこの時、軍政は得意の絶頂にあった。政治的な不自由さを経済の自由で賄った。
 だが、破綻は経済からやってきた。国外からの投資を導入して開発は対外債務の累積を招き、84年末の時点で累積債務は国内総生産の(GDP)の80%に当たる176億ドルにのぼった。
……以下略
資料2ーーーーーーーー「収奪された大地 ラテンアメリカ五百年」E・ガレアーノ(藤原書)ーーーーーーーーーー

                     新版への序
8 アメリカ合衆国議会の議事録は、ラテンアメリカへの介入に関する反論不能の証言を記録するのが慣例である。罪悪感にさいなまれた良心が告白室で罪をあがなっている。例えば、最近、さまざまな災禍への合衆国の責任を公式に認めようとする動きが強まっている。なかでも、広範な人々の公的告白は、合衆国政府が買収やスパイ活動、恐喝などを通してチリの政治に直接関与したことを明らかにしている。犯罪の戦略はワシントンで作成された。キッシンジャーと情報機関は、アジェンデ転覆を周到に準備していた。適法的な人民連合政府の敵たちのあいだに、数百万ドルがばらまかれた。こうして、トラックの所有者たちは1973年に、国の経済を麻痺させる長期ストを打つことができた。刑罰を受けることがないという確信は、口を軽くする。グラールに対するクーデターが発生したとき、合衆国はブラジルに合衆国にとって世界最大の大使館を有していた。当時大使の任にあったリンカーン・ゴードンは13年後、あるジャーナリストに対して、その政府がずっと以前から改革に反対する勢力に資金を提供していたことを認めた。「なんということだろう! あの時期には、それが半ば習慣になっていたのである。・・・CIAは政治資金を使うのが常だった」とゴードンは述べている。同じ会談のなかでゴードンは、クーデターが起きたときペンタゴンは、巨大な航空母艦一隻と補給船四隻を「反グラール勢力の支援要請に備えて」ブラジル沿岸に配置していたと説明した。そして、「その援助は道義にかなったものとは言いがたいが、われわれは食糧や弾薬、石油など兵站面で支援しようとしていた」
 と語った。
 ジミー・カーター大統領が人権外交を発表してからは、アメリカ合衆国の干渉によって押し付けられたラテンアメリカの体制が、内部問題への合衆国の干渉に対して激しい怒りの声明を発することが常態化している。
 アメリカ合衆国議会は1976年と77年に、もろもろの国に対する経済軍事援助の停止を決議した。合衆国の外国援助の大部分は、しかしながら、議会のフィルターにかけられていない。そのため、宣言や決議や抗議にもかかわらず、ピノチェト将軍の政府は76年に合衆国から、議会の承認なしに2億9000万ドルの直接援助を受け取った。アルゼンチンのビデラ将軍の独裁政権は、同政権成立一周年の時点ですでに、合衆国の民間銀行から5億ドル、合衆国が決定的な影響力をもっている二つの機関、(世銀と米州開発銀行)から4億1500万ドルを受け取っていた。75年に6400ドルであったアルゼンチンのIMF特別引き出し権は、二年後には7億ドルに拡大していた。
 ラテンアメリカの若干の国々での虐殺に対するカーター大統領の懸念は、もっともなことと思われる。しかし、現実の独裁者たちは「独学」ではない。彼らは、アメリカ合衆国およびパナマ運河地帯にあるペンタゴンの〔専門〕学校で弾圧の手法や統治の方法を学んだのである。その種の教育は今日も行われており、その内容は基本的に変化していない。今日、合衆国で物議をかもしているラテンアメリカの軍人たちは、優秀な生徒だったのである。数年まえに国防長官をつとめ〔61年から68年〕現在は世銀総裁のポストについているロバート・マクナマラは、次のように語った。「彼らは新しい指導者たちである。われわれ合衆国人がどのように考え、どのように行動するかをあらかじめ熟知している人たちが指導的立場につくことの意義については、詳しく説明するまでもない。われわれがそのような人たちと友人になることは、はなはだ価値のあることである」と。
 一体、われわれを中風患者にした人々が、われわれに車椅子を提供できるであろうか。”

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スノーデンのリークした機密文書とアメリカのグラデーション民主主義

2022年07月22日 | 国際・政治

 7月20日、ゼレンスキー大統領のオレナ夫人が、米議会で演説し、「大統領夫人としてではなく、一人の娘、一人の母親として演説したい」と語り、「ロシアは人々を殺し、米国は救っている。我々は感謝しているが、残念なことに戦争は終わっていない」と述べ、市民の犠牲を防ぐために武器や防空システムの供与など、さらなる軍事支援の提供を訴えたといいます。
 でも、子どもたちに「もう空爆もミサイル攻撃もないから、安心して眠りなさいと言ってあげられるように」するためには、停戦・和解を実現し、戦争を終わらせることではないのか、と私は思います。
 アメリカが合意すれば、停戦・和解が可能なのに、なぜ武器や防空システムなどの軍事支援の提供を呼び掛けるのか、と思うのです。ウクライナの人たちはもちろんですが、世界中の人々が、ウクライナ戦争のために、食糧問題やエネルギー問題で追い詰められ、特に弱い立場の人々にとっては、死活問題になっています。それをすべてロシアのせいにして、停戦・和解のための話し合いを呼び掛けず、軍事支援を訴えるのは、おかしいのではないか、と私は思います。

 私は、ウクライナ戦争の経緯を考えると、ゼレンスキー大統領やオレナ夫人に、武器や防空システムの供与など、さらなる軍事支援の提供を訴えさせているのは、ロシアをヨーロッパから排除し、弱体化させたいアメリカではないかと疑わざるを得ません。ゼレンスキー大統領やオレナ夫人は、アメリカのシナリオ通りに動いているように思います。

 アメリカの過去の戦争が、それを物語っているように思います。

 アメリカが国連憲章違反やハーグ条約、ジュネーブ条約などの国際条約違反をくりかえしてきたことが否定できません。第二次世界大戦時における日本の都市に対する空爆も、広島・長崎に対する原爆の投下も、さらには、ベトナム戦争時の枯葉剤の散布や絨毯爆撃なども、明らかに国際法違反であったと思います。 
 
 湾岸戦争で、アメリカが国連憲章違反や国際法違反をくり返したことは、ラムゼー・クラークの告訴状を中心にすでに取り上げましたが、さらに、湾岸戦争以降のイラクに対する経済制裁について、エリック・ホスキンズ博士(湾岸平和チーム医療協力者公衆衛生と災害援助の専門家)は、
イラクの民間人の苦しみや死は、戦争自体よりもむしろ、制裁の結果であるところが大きいように思われる。イラク人民に対する本当の戦争は、経済制裁による永続的な戦争だった。継続的に課された懲罰目的の制裁は、確実に、流行病(コレラを含む)の蔓延、飢餓そして死へと導いた。制裁は、基本的人権のあからさまな侵害をいろいろな形で感じさせた。
と語っていることも見逃すことができません。

 アメリカが、敵対する国の人たちの人権を侵害してきたことは、数え切れないのです。 
 だから、シリアにおけるアメリカの資源略奪行為について、先日新華社通信が報じた、
”China urges U.S. to stop looting Syrian national resources
Source: XinhuaEditor: huaxia2022-07-20 19:46:30
BEIJING, July 20 (Xinhua) -- The United States should immediately stop plundering Syria's national resources, a Chinese Foreign Ministry spokesperson said here Wednesday.・・・”
 という記事なども、私は、事実に基づいたものであろうと思います。
 そうしたことを踏まえると、私は、ウクライナ戦争の停戦・和解を呼びかけ、国際社会におけるアメリカのやりたい放題をやめさせることが、今、最も大事なことではないかと思います。

 下記の「スノーデン 監視大国日本を語る」エドワード・スノーデン、国谷裕子、ジョセフ・ケナタッチ、スティーブン・シャピロ、井桁大介、出口かおり、自由人権協会監修(集英社新書)の国谷裕子氏の文章は、アメリカの民主主義がいかなるものであるかを知り、課題を解決するために重要な一文であると思います。

 世界人権宣言(外務省の仮訳文)第十二条
 何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
とあります。
 でも、プライバシー権に関する国連特別報告者の、ジョウセフ・ケナタッチ氏(Joseph A. Cannataci、法学者、マルタ大学教授)は、”アメリカ法の下では、プライバシー権が保障される主体は、アメリカ人だけ”であると言っています。
 そしてそれは、スノーデン氏がリークしたNSA機密文書が証明しているのです。

 だから、アメリカの民主主義は、グラデーション民主主義で、あくまでも自国中心の民主主義であり、真の民主主義ではないと思います。
 グラーデーションは、アメリカの次に、ファイブアイズの国々が「白」に近い状態で続き、その次に、その他の同盟国があり、さらに非同盟国が灰色で続き、ロシア・中国の友好国、社会主義体制の国々、反米的な独立国などが濃い「灰色」となり、対極に中国やロシアがほぼ「黒」に近いグラーデーションで続いているように思います。
 そして、アフリカやラテンアメリカ、中東や東南アジアの濃い灰色の国々が、アメリカに逆らったために主権を侵害され、基本的人権を侵され、軍事侵攻を受けて荒らされてきたと思っています。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
               あとがき 浮かび上がった情報格差の深い溝
                                                国谷裕子

 スノーデン氏によってリークされたNSA機密文書の衝撃は、その報道からすでに5年が経過しているにもかかわらず、静かにしかし深く続いています。
 NHKは昨年(2017年)4月、インターセプトと共同で、スノーデン氏がリークしたNSA機密文書のうち、日本に関わる文書を明らかにし、NSAが日本の諜報活動を支援するために、スパイのグーグルと呼ばれる大量監視を可能にするアメリカの諜報プログラム、「XKEYSCORE(
エックスキースコア)」を日本側に提供していたことを報道しました。そして、その後、この機密文書による取材をNHKは継続し、今年(2018年)5月、NHKスペシャル「日本の諜報、スクープ最高機密ファイル」において、さらに新たな多くの事実を明らかにしています。
 この番組によって報道された機密文書およびNHKの取材によって明らかにされた主な内容を以下にまとめてみます。

・機密文書でDFS(Directorate for SIGINT)と記載されている日本の組織は、防衛省情報本部電波部のことであり、このDFSがNSAの日本側のパートナーとなっている。その活動実態は防衛省内でもあまり知られていない。またDFSと深い関係にある組織として内閣情報調査室も機密文書にCIRO(Cabinet Intelligence and Research Organization)という名称で頻繁に登場している。文書には、日本のネット諜報導入を推進しているのはCIROとの記述がある。
・米軍横田基地に通信機器を製造する新たな工場を建設するにあたり、660万ドルの建設費のほとんどや年間37万 5000ドルの人件費は、日本政府のおもいやり予算として計上しているものから支出されていた。その費用によって製造された通信機器は、米軍によるアルカイダ攻撃を支えた。
・90年代から2000年代はじめにかけて、クロスヘア作戦と呼ばれる諜報作戦に日本も参加していた。
・DFSの傍受施設は全国に6ケ所ある。
・2012年以降、DFSの通信傍受システムのサイバー化により、ネットによる傍受など日本の諜報も新たな時代に入っていたとみられる。
・コードネームでマラード(MALLARD)と呼ばれる衛星傍受システムにより、日本は、民間通信衛星を経由しているインターネットから大量の情報を収集している。
・文書には、マラードは1時間あたり50万件の傍受を行っていたが、そのなかで安全保障関連のリスクとなるのは一件、との記述がある。
・機密文書について内閣情報調査室は、文書については出所不明のものであり、コメントは差し控えると回答。また防衛省は、情報収集活動は法令を遵守して適正に行われており、一般市民の情報を収集しているものではないと回答している。

 番組は、国民の知らないところで社会的議論もないままネット諜報が肥大化することに警鐘をならして終わっています。
 スノーデン文書とそれに基づくNHKの取材によるこの報道は、これまで明らかにされてこなかった日本の諜報活動の一端と、一般市民の情報を大量に収集している可能性を指摘したのであり、今後の日本における個人情報をめぐる議論にとって極めて重要なものと思われます。

 問題はプライバシーかセキュリティか、という二者択一ではない
 今回のインタビューのなかでスノーデン氏は、 XKEYSCOREなどの監視技術がアメリカから日本に提供されていたことをあらためて明らかにしたうえで、その提供されていた事実にだけこだわってはならない、このようなことは、いたるところで行われ、それが諜報機関の役割であり、このこと自体は、衝撃的ではないのだと話しています。NSAの元分析官として直接諜報活動に携わってきたスノーデン氏にとっては、たしかに、そう思えるのかもしれませんが、これまで、まったくと言っていいほど、日本の諜報機関に関する情報が知られていない日本においては、スノーデン氏が明らかにしたこと、そして機密文書をもとにNHKが取材し、番組として伝えた内容は、やはり衝撃的なものでした。しかし、スノーデン氏はインタビューのなかで続けて、「重要で啓示的なことは、必要がないとの理由で国民に事実が知らされていないということです」と語りました。まさに5年前の告発以来一貫してスノーデン氏が主張しているのは、このことなのです。
 スノーデン氏がリークしたNSAの機密文書により明らかにされたことのうち、世界中、とりわけアメリカ国民に最も大きな衝撃を与えたのは、Collect it all’アメリカの政府機関NSAが、一般市民も含めた世界中の人々の個人情報を大量に無差別に収集しているという事実でした。国民に知らされることなく、閉ざされたドアの向こうで行われているこの個人情報の大量収集は、単にアメリカ国内法を逸脱しているだけでなく、民主主義の根幹を侵しているものと受け止められたのです。
 国家の諜報機関による情報収集の在り方については、それが安全保障上の措置を理由として行われているだけに、情報の収集やその秘匿の妥当性について必ずしも否定できない面があり、個人のプライバシー保護との関係については議論が難しいと言えます。日本においても2020年の東京五輪を控え、欧州での相次ぐテロ事件や北朝鮮をめぐる緊張関係のなかで、「安全安心」「安全保障」への志向、関心が高まるなか、個人のプライバシー保護よりも「国家の 安全安心」「国民の生命」が大切、プライバシーよりはセキュリティが重要との風潮が勢いを増しているように感じます。アメリカが9・11以後、大量監視システムを積極的に導入した状況に似てきているのかもしれません。しかし、プライバシーかセキュリティか、という問の立て方は果たして正しいでしょうか。
 このことについてスノーデン氏は、繰り返し、問題は目的ではなく、結果なのだと強調しています。
テクノロジーの進歩により、特定のターゲットの情報だけではなく、すべての人々の情報通信を目的のいかんにかかわらずすべて収集できてしまうこと、Collect it all、が問題の根幹にあるとしているのです。つまりプライバシーかセキュリティかという問いではなく、安全保障のための情報収集活動の結果として生まれた個人情報の大量収集、大量監視をどうコントロールすべきなのか、という問いを立てることが重要なのです。
 また、スノーデン氏へのインタビューに続くシンポジウムでは、スノーデン・リーク後のアメリカの動きが報告されています。それによれば、明らかにされたNSAの大量収集、大量監視について、法廷においてその一部が違法とされ、またアメリカ議会もNSAの情報収集権限を部分的に制限するよう法律を修正しています。アメリカ自由人権協会(ACLU)のスティーブンシャピロ氏は、講演のなかでこのことを「プライバシーのささやかな勝利」と呼んでいました。リーク以前には、誰一人として誠実な議論をしていなかったにもかかわらず、スノーデンリークによって最低限ではあるが、情報収集による監視についての議論が始まったことを評価しているのです。もちろんシャピロ氏は、NSAは、いまだにあらゆるインターネット上に飛び交う個人情報に対し、「より広範で、かつ侵入的」な監視を行っていると指摘することを忘れてはいませんでした。

 情報収集と監視の時代にもとめられるもの昨年の4月、スノーデン氏がリークした機密文書のうち、日本に関わる文書がNHKとインターセプトによって公開されたことにより、日本では情報収集や監視はどのように行われているのか、アメリカが開発、実用化し、日本にも提供されているとされた大量収集、大量監視プログラムは、どう利用されているのか、など大きな疑問が一挙に湧き上がりました。それにもかかわらず、その後、先ほど触れた「NHKスペシャル」による報道を除けば、その疑問に答えた報道はなく、依然としてブラックボックスに入ったままの状態が続いています。しかしそうしたなかでも、スノーデン氏へのインタビューやNHKの報道によって、日本政府はいま、アメリカとの同盟関係において、これまでの「サード・パーティー」の位置付けから、「セカンド・パーティー」(ファイブ・アイズ)への「格上げ」(シックス・アイズ化)を志向しているのではないかとの疑念が浮かび上がってきます。それは、セカンド・パーティ国間で行われている大量の個人情報の相互交換の環(ワ)に日本も加わることの可能性を意味します。スノーデン氏は2013年に成立した特定秘密保護法も、その法制化の背景には、日本とアメリカの間に秘密についてのパートナー関係を強化したい思惑があるのだと従来から主張していました。
 しかし、個人情報の大量収集と大量収監視という世界中に衝撃を与えた報道があり、日本国内での実施の可能性が指摘されながら、いまだに日本においてはこのことについて大きな議論とはなっていません。そのことの原因の一つには、政府の対応の在り方にあると思えます。
 スノーデン氏はインタビューのなかで、アメリカにおけるプライバシーに対する脅威はなお深刻だが、アメリカ政府は暴露された監視プログラムの一部が違法であったことを認めるなど、プログラムの存在を認め、対話を試みている。しかし日本政府は、明らかにされた機密文書自体を信憑性に欠けるとしてメディアの質問をかわそうとしている。それは国民を侮蔑するものだと述べています。文書の存在さえ否定してしまうのであれば、議論そのものが成立しません。2018年8月5日の「NHKスペシャル」においても、政府の内閣情報調査室はNHKの取材に対し、文書については出所不明のものであり、コメントすることは差し控える、と回答したことが紹介されています。これでは、国民の情報収集についてのあり方を議論することはできません。
 先ほど触れたように、シンポジウムでは、個人情報の大量収集、大量監視について、アメリカでは情報の管理にかかわる法律が無視されたリ、法律を逸脱した行為なのではないかとの議論が行われ、愛国者法など、法律自体のあり方も問われることになったとの報告がありました。このことは、大きな限界や運用体制の不備があるものの、またその実際の運用については、その多くが知られないままであったにしろ、情報やの収集や監視といったものは法によって規定されたものでなくてはならないという考え方自体は、 アメリカでは従来から定着していたことを示しています。それだからこそ、スノーデン・リークによってさまざまな議会での議論も含めた社会的対話が成立し、法の修正、運用体制の不備の整備、今後の問題点などがさまざまに検討されたのです。
 このことを踏まえれば、スノーデン文書によって明らかにされたようにアメリカから日本に大量収集、大量監視のシステムが提供されたのであれば、すべてをブラックボックス化するのではなく、その運用にともなって発生するであろう個人情報の大量収集、大量監視について、それをコントロールするための法整備が必要となります。このことについて法空間に大きな欠落部分を残したままでは、立法、行政、司法による相互牽制、相互チェック機能が働きようがありません。シンポジウムでの出口かおり氏の、多くの日本の監視政策が法律の定めなく行われているとの報告に、ケナタッチ氏は懸念を表明し、監視政策のコントロールのための国会による法制化の必要を力説しています。データ収集の目的を限定し、当人に何が集められているかを知らせるという個人情報保護におけるプライバシーの原則と、監視のための情報収集行為の関係性、整合性を法的に規定することがいま求められているのではないでしょうか。それが民主主義社会の基本なのです。
 日本でも議論されるべき法整備について、ケナタッチ氏がシンポジウムにおいて紹介し、この本にも収められた「監視システムに対する保護措置」についての5つのカテゴリ、①法による監視政策の規定、②独立機関による承認、③大量監視の禁止 ④監視の事後的検証、⑤透明性・情報公開、これからの議論にとって、 極めて重要な指摘だと私には思えます。

 スノーデン氏へのインタビューを始めるにあたり、テクノロジーの発達によって可能になった個人情報の大量収集、大量監視によって、国家と国民相互の情報アクセスの格差は、飛躍的に拡大してしまい、国民主権という民主主義の根幹を揺るがしかねない状況が到来しています。テクノロジーの発達によって高度化していく情報収集技術、監視技術を前に、そのコントロールはどのようにして可能になるのでしょうか。もはや、私たちには政府をコントロールすることは無理なのでしょうかとの、いささかネガティブ私の質問にスノーデン氏は、政府に対して説明責任を追求する人権NGOやメディアの強い姿勢と、テクノロジーの進化を個人情報を守るためにも活用することが重要だとして、その双方に自らも関わっていきたいと、答えていました。この答えは、日本へのメッセージでもあります。
 情報格差の深い溝を少しでも埋めるべく、政府が何をしているのか、力を持つ者に対して説明責任を求めて問い続けていく責務を報道機関は負っています。そしてまた大量の個人情報をふだんあまりにも無警戒にインターネット上に流している私たち一人ひとりがネット空間でのプライバシーを取り戻すためのさまざまな行動を起こさなくてはなりません。シャピロ氏が語ったように魔法の解決策はありません。これからも、スノーデン氏が告発、提起した問題を私たちは受け止め続けなければならないのです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スノーデンのメッセージとアメリカのグラデーション民主主義

2022年07月19日 | 国際・政治

 アメリカが民主主義国家であることを否定する人はいないと思います。しかしながら、第二次世界大戦後にアメリカが関わった戦争、また、アフリカやラテンアメリカなどの国々に対する軍事侵攻をふり返れば、アメリカの外交は決して民主的なものではなく、専制的で、武力主義的であったことは否定できないと思います。
 だから、リンカーンの名言を借りれば、アメリカの民主主義は、アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための民主主義であり、アメリカ国内だけの民主主義だと言えるように思います。
 世界中から吸い上げた利益に基づく、華やかな文化と、そのアメリカ国内の民主主義を、世界の人々に見せつけつつ、国際社会では、およそ民主主義国家とは言えない振る舞いを続けてきたのが、アメリカだということです。
 今回は、「スノーデン 監視大国日本を語る」エドワード・スノーデン、国谷裕子、ジョセフ・ケナタッチ、スティーブン・シャピロ、井桁大介、出口かおり、自由人権協会監修(集英社新書)を取り上げたのですが、スノーデンは、インタビューのなかで、次のようなことを語っています。
”…NSAを含めアメリカ政府は、同盟国との関係を三つに分類しています。第一グループは自国です。第二グループは、この表現はやや人種差別的ですが、英語を話し、基本的には白人系が多数を占め、同じ伝統文化を持つ国々、すなわちオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、イギリス、そしてアメリカを指します。ちなみに彼らは自分たちを”セカンド・パーテイ”とは言わないし、アメリカもそのように呼びません。ただイギリスはアメリカのことをセカンド・パーテイと呼びます。セカンド・パーテイはこの五カ国で、サード・パーティはその他の国です。最近は英語を話さないサード・パーティの中に、セカンド・パーテイになろうとする国もあります。これらの国は、最大の同盟国として常に支援しているのだからセカンド・パーテイにしてくださいとアメリカに頼んでいます。最近はドイツが頼みましたが、アメリカは少し悩んで、「ダメだ」と答えました。とても緊密だし頼りにはしているが、それはできないと。理由は公的にも秘密裏にも説明されていません。少なくとも現実として、セカンド・パーテイの同盟国は英語圏の国々で、英語を母語とする国です。
 さて、セカンド・パーテイとサード・パーティでは同盟関係にどのような差があるのでしょうか。セカンド・パーテイは、もちろん実際にはまったく対等ということではありませんが、アメリカを含めて相互に対等とされています。…”
 この指摘は、アメリカの民主主義がグラデーション民主主義であることを見事に暴露していると思います。
 上記のセカンド・パーテイは、ファイブアイズ(Five Eyes)として知られていますが、かつて、アメリカに逆らった日本は、自民党政権がどんなにアメリカに尽くし、媚びても、 ファイブアイズの仲間入りを果たし、シックスアアイズを構成する国になることはないのだと思います。
 
 下記は、「スノーデン 監視大国日本を語る」発刊にあたっての、エドワード・スノーデンのメッセージです。その内容も、アメリカの民主主義が、いかに手前勝手なものであるかを示していると思います。

 したがって、ウクライナ戦争に関しても、アメリカに同調せず、あくまでも法や道義・道徳に基づいて、一日もはやく停戦・和解の道を探ることが大事だと思います。
 しばらく前、マクロン仏大統領とショルツ独首相が、ロシアのプーチン大統領と、長時間にわたって電話で3者会談をおこなったことが報じられました。欧州諸国の首脳は、ほんとうはウクライナ戦争の停戦・和解を望んでいるのだと思います。
 でも、ロシアをヨーロッパから排除し、弱体化させたいファイブアイズのアメリカやイギリスは、ウクライナ戦争をやめることが、自らの弱体化につながり、敗北に等しいのだと受けとめているように思います。

 バイデン米大統領は、ロシアがウクライナに侵攻する前、記者団に対し、”ロシアによるウクライナ侵攻の可能性が非常に高い。数日以内にも起こり得る”などと語ったことは、日本でも何度も報道されました。見逃せないのは、その時、”現時点でロシアのプーチン大統領と電話で話す予定はない”と述べたことです。私はそこに、ロシアをヨーロッパから排除し、弱体化させたいファイブアイズを代表するアメリカの姿勢があらわれていたと思います。
 また、バイデン大統領は、ロシアとの停戦・和解の話し合いを求められた時に、「今は話し合うときではない」などといって拒否したことがありました。だから、停戦・和解を仲介しようとしたトルコの外相が、「NTOの中には、ウクライナ戦争を長引かせたい国がある」と語ったのだと思います。

 したがって、人命や人権を尊重し、民主主義を掲げるのであれば、アメリカの専制的で、武力主義的な振る舞いに同調するのではなく、話し合いによって、問題解決することを主張すべきだと思います。ロシアが停戦交渉を拒否しているのではないのです。

 アメリカが親露派のヤヌコービッチ大統領を悪魔に仕立て上げ、ウクライナの政権転覆に関わったと主張する人は少なくありませんが、バイデン大統領が副大統領時代、何度もウクライナに足を運んでいた事実や、ジョン・マケイン上院議員(共和)やビクトリア・ヌーランド国務次官(当時のオバマ政権の国務次官補、現在のバイデン政権の国務次官)などが、ヤヌコービッチ大統領に対する抗議行動参加者を支援していたという事実は、その主張の正しさを裏づけるもので、ウクライナ戦争が、アメリカの戦争であることを物語っていると思います。だから、ウクライナ軍支援ではなく、停戦・和解を求める主張を呼びかけ、実現に向けてがんばってほしいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
表紙裏の一文
 国谷裕子 アメリカはマルウェアを作動させて日本のインフラを大混乱に陥れることができるというのは本当のことでしょうか。
 スノーデン 答えはもちろんイエスです。

 2013年のリークで世界を震撼させた元アメリカ情報局員のスノーデン。そして2017年、日本関連の秘密文書が新たに暴露され、そこには大量監視システムXKEYSCORE(エックスキースコア)がアメリカ政府から日本政府に譲渡されていることが記されていた。
 ・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
             刊行にあたって エドワード・スノーデンのメッセージ

 2017年4月、世界は、アメリカ政府が日本政府にXKEYSCORE(エックスキースコア)と呼ばれる新たな監視技術を秘密裏に提供していた事実を知ることになりました。XKEYSCOREは、大量監視によって集められた数兆のコミュニケーションを探索することのできる、世界でも最先端のシステムです。これを用いることで、地球に張り巡らされたインターネットを飛び交うあらゆる人々のコミュニケーションや、ポケットやハンドバッグの中でも音もなく持ち運ばれる機器の間で交わされるコミュニケーションを監視することが可能となりました。有史以来はじめて、政府は、捜査の対象者に関するものだけではなく、社会におけるすべての人々のコミュニケーションを探索しています。この方針転換は、私たち市民が知らされることも同意を求められることもないまま行われました。

 NHKは、インターセプト(The Intercept)との共同スクープとして、証拠となる文書とともにこの重要な事実を報じました。菅義偉官房長官は、この報道は事実かと尋ねられましたが、証拠となる文書に信憑性がないと述べて、答えをはぐらかしました。(リーク元である)アメリカ政府ですら、この文書が偽物であるとは述べていません。説明責任をまったく果たそうとしない日本政府の態度は、国民を侮蔑するものであるばかりか、国民を欺くものです。

 日本政府の欺瞞によって、日本の人々は、プライバシーという、開かれた社会における自由の基盤に対する深刻な脅威について、討議の機会を奪われてしまいました。ジャーナリストや人々がそのことを大きな問題として捉えず、また、人々が日々起こるさまざまな事件やニュースの中に埋もれさせて忘れてしまうとすれば、事態が解決しないまま、プライバシーという貴重な権利は取り返しのつかないほど傷つけられ、ついには消えうせてしまうかもしれません。

 ジャーナリズムの役割は、権威を疑い、疑問を突き付けることです。(政府という)社会における最も強大な組織による情報の独占に挑戦することです。政府の発表を単に繰り返すだけではメディアではありません。メディアの役割とは、その真偽を調査することです。民主的な政府の正統性は、たった一つの原理から導かれます。投票という被治者の同意です。しかし、事前に事実が知らされていなければ同意は無意味です。メディアが政府の発表の真偽を調査しなければ、人々は無知に基づく投票を余儀なくされ、選挙はその意味を失います。つまり、政府の公式見解をそのまま垂れ流すメディアは、いかなる組織であれ、単にメディアの名に値しないというだけでなく、民主主義を危機に陥れているのです。

 結局のところ、人々こそが民主主義の最後のよりどころです。疑問を抱く習慣を身に着けることが必要です。たとえば、私たちがプライバシーのことを、そしてそれがなぜ必要なのかを語るとき、政府はしばしばこう述べます。「隠すべきものがなければ、何も恐れることはありません。プライバシーのことを心配する必要はありません。良き市民である限り、何も影響を受けません。」と。この説明がどこから来るものか、考えてみてください。これは、第二次大戦時のナチスの宣伝大臣、ヨーゼフ・ゲッペルスによるプロパガンダです。彼の言葉は決して正当化し得ないものを正当化しようとするものでした。真っ当な社会の自由第一号とも言うべき重要な原則、すなわち無罪の推定を破壊することによって、人々の私生活、コミュニケーション、さらには思考に対するコントロールを正当化しようとしたのです。”隠すことなどない”という主張は、政府が負うべき有罪の立証責任を転換させ、人々に対し自らの無実の証明を強いることとなります。この”専制国家の自由第一号は”ゲッペルスの国家において人々を支配するために用いられました。そしてこれは、かの国だけにとどまるものではありません。

 およそ一世紀を経て、今、同じ言葉を再び聞くこととなっています。結果も同じものとなるのでしょうか。それは私たちにかかっています。

  ガンバロウ。

                                             エドワード・スノーデン
                                      2018年7月 ロシア・モスクワにて

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際戦争犯罪法廷の最終判決とアメリカのグラーデーション民主主義

2022年07月15日 | 国際・政治

 今まで、4回にわたって取り上げてきた、湾岸戦争の「告発状」と今回の最終判決を読めば、湾岸戦争におけるアメリカの戦争犯罪は明らかではないかと思います。
 1990年、イラク軍が隣国クウェートへ侵攻し、クウェート併合を発表するや、アメリカはイラクに即時撤退を求めるにとどまらず、国連で、武力行使容認決議を可決させ、アメリカ軍部隊をサウジアラビアへ派遣するとともに、同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかけました。
 そして、寄ってたかってイラクを徹底的に破壊したのです。それは、アメリカがアラビア半島での石油およびその他の権益に対する支配力を確保するため、湾岸地域内における軍事的支配を目的としていたからだと言われています。
 また、同じころ、アメリカ自身が国際法に違反して他国へ軍を侵攻させていたことは、見逃されているように思います。告訴状にあげられているのは、1983年のグレナダ侵攻、1986年の、リビア侵攻、さらに、1989年のパナマ侵攻です。

 アメリカは、湾岸戦争で徹底的にイラクを破壊したにもかかわらず、2003年には、大量破壊兵器保持を理由として、再び、復興途上のイラクを爆撃し、イラク全土に壊滅的な被害をもたらしました。でも、アメリカが指摘した大量破壊兵器は発見に至りませんでした。でっち上げとも言われる偽情報によって、多くの人が亡くなり、取り返しのつかない過ちを犯すことになったにもかかわらず、アメリカ政府に悔い改める様子はありませんでした。

 だから私は、湾岸戦争についてだけでも、チョムスキーの「アメリカは、世界一のならず者国家」という指摘は正しいと思います。

 でも、多くの人は、アメリカが、世界を代表する民主主義国家であると受け止めているように思います。
 私も、アメリカが民主主義の国であることを否定するつもりはないのですが、アメリカの民主主義は、グロテスクなグラデーションの民主主義だと思います。その民主主義は、アメリカ人だけの民主主義であり、アメリカ国内だけの民主主義のように思います。人種や民族、主義や主張によって多少の濃さに違いはあるかも知れませんが、白黒のグラデーションで表現すれば、アメリカは限りなく白に近く、次にイギリスやオーストラリアのように常にアメリカとともに行動する国があり、欧米でも、時として異なる主張をするドイツやフランスは、やや灰色ではないかと思います。そして、ロシアや中国に同調する国々は、ほとんど黒で、アメリカは、そういう国々の民主的な権利や自由は、ほとんど認めないということです。
 さらに言えば、アメリカは、自国が民主主義の国であることを、世界中の人々に見せつけながら、実は、世界中から非民主的な方法で強引に利益を吸い上げるシステムを構築しているように思います。
 アメリカが、他国の主権を侵すことはめずらしくないと思います。アメリカが、日本の主権も侵していることは、日米地位協定で明らかではないかと思います。だから、日本はかなり色の濃い灰色ではないかと思います。アメリカの主権の侵し方が、その国の経済や文化のレベル、また、その国との関係性によって異なるので、私はアメリカの民主主義が、「グラデーション民主主義」に思えるのです。
 アメリカはいつも、アメリカの意向に逆らう弱小国家対しては、厳しく対応し、民主的な対話によって理解が得られなければ、経済制裁や武力行使を匂わせ、圧力をかけてきたと思います。それでも合意しないと、グレナダやリビアやパナマのように爆撃されることになるのです。
 最近、ソロモン諸島が中国と安全保障協定を締結しましたが、アメリカは、早速潰しにかかっているようで気になっています。
 
 ウクライナ戦争が続いている中、先日、english.pravda が、下記のように報じました。
BRICS expands to build multipolar world: Saudi Arabia, Egypt and Turkey to join in
The decision was discussed by Russia, China and India during the 14th BRICS Summit, she added.
"All of these countries have shown their interest in joining and are preparing to apply for membership. I think this is a good step, since expansion is always perceived positively, this will clearly increase the influence of the BRICS around the world," Purnima Anand said in a statement.

 ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国(Brazil, Russia, India,China ,South Africa)のいわゆるBRICSに、 サウジアラビア、エジプト、トルコが、加わる意向を持っていることを伝えたものだと思います。
 詳細はわかりませんが、アメリカの民主主義が、実はきわめてグロテスクなグラデーションの民主主義であるために、真に民主主義に基づく法治を求め、異を唱える国が、決して少なくないことを示しているように思います。

 下記は、「アメリカの戦争犯罪」ラムゼイ・クラーク(柏書房)のなかの「国際戦争犯罪法廷の最終判決」全文です。日本人の尾崎 陞(ススム)(元裁判官、日本の中国侵略に反対し、軍事政権下で治安維持法のため、1934年から1938年まで投獄、戦後には労働弁護士として活動)も署名しています。
 ウクライナ戦争が、一日も早く停戦・和解に至るよう、過去の戦争をふり返って、考えたいのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                     国際戦争犯罪法廷の最終判決

 国際戦争犯罪法廷の構成員は、ニューヨークに集まり、ジョージ・ブッシュ大統領、ダン・クエール副大統領、リチャード・チェイニー国防長官、コリン・パウエル統合参謀議長、ペルシャ湾岸連合軍司令官ノーマン・シュワルツコフ将軍を相手として、国連憲章、1949年のジュネーブ協定および同協定第一議定書、その他の国際協定と慣習国際法を侵犯する、平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪になど十九項目にのぼる犯罪事実を告発した1991年5月6日付の調査委員会の訴状を注意深く検討し、
 国際人道法の侵犯に関し、審判に臨む世界市民としての権利と義務を有し、
 この一年間においてそれぞれの国およびその他の場所で開かれた様々な調査委員会の公聴会からの証言を聴取し、また集められた証拠を列挙したその他の数多くの委員会の公聴会において報告を受け、
 文書証拠、目撃証言、写真、ビデオテープ、特別報告、専門家の分析、委員会の入手しうる証拠の要約を提供され、
 委員会ファイルないし委員会スタッフが入手しうるすべての証拠、知識、専門家の意見を検討し、
ペルシャ湾における事態と状況、兵員と兵器の常備編制のさまざまな側面に関する種々の書物、論文その他の書類を委員会より提供され、あるいは入手し、
 新聞報道、雑誌、定期発行の報告書、特別な出版物、テレビ、ラジオその他のマスコミ取材、被告人その他の高官による公式声明、およびその他の公的資料を検討し、
 1992年2月29日の公聴会における調査委員会の主張とそこで発表された証言および証拠を聴取し、
 会合を開き、構成員相互および委員会スタッフと検討、審議し、当初の訴状で申し立てられている19項目にわたる犯罪行為の罪状に関わる全ての証拠を検討した。

 事実の認定
 国際戦争犯罪法廷の構成員は、証拠にもとづき各被告人を有罪と認め、添付の本訴状に申し立てる19のそれぞれの犯罪事実が合理的な疑いの余地なく立証されたと判定する。
 法廷構成員は、もし平和が存するべきであるならば、権力はみずからの犯罪行為に対して責任を負わなければならないと確信し、ここに挙げられた罪状で有罪とされた者に対し最大級の非難を行う。われわれは、調査委員会およびすべての人々に対し、権限ある者にその責任をとらせ、恒久の平和の基礎とされる社会正義を守るため、委員会の出した勧告に従って行動するよう求める。

 勧告
 法廷構成員は、イラクに対する禁輸、制裁、懲罰が人道に対する犯罪の継続をなすものであるがゆえに、これらすべての即時解除を求める。
 法廷構成員は、イラク、リビア、キューバ、ハイチ、北朝鮮、パキスタン、その他の諸国およびパレスチナ人民に対するアメリカの新たな侵略を防ぐ大衆的行動と、アメリカがイラク国民に対して行使したような民間人と兵員とを問わず、人命に対する軍事技術のいっさいの使用、使用の威嚇に関し、その全面的糾弾を呼びかける。
 安全保障理事会は、不法な軍事行動と制裁を承認するにあたりアメリカによるあからさまな操作を受けたが、法廷構成員は、安全保障理事会の権限が国連総会に付与されるべきこと、全常任理事国が排除されるべきこと、拒否権は反民主的かつ国連憲章の基本的諸原則に矛盾するものとして廃止されるべきことを求める。
 法廷構成員は、委員会に対し、他の者に活用されるべく、収集された報告、証拠資料の永久保存の措置を採ること、およびアメリカのイラク攻撃に関し、可能な限り広範に真実を広めるための方途を追求することを求める。

 他の国々の罪状
 調査範囲の指定した最初の訴状の最終段落に即し、委員会は、正式にこの法廷に提訴された者に加えて、諸国政府および個々の高官によって行われた犯罪行為について、実質的な証拠を収集した。いくつかの調査委員会により、アメリカ合衆国に加えて、その他の国の政府に対して正式な告発状が起草されている。ここでは、これらについて文書にとどめていない。将来において、調査委員会または各国の委員会は、このようなその他の告発を訴追できるものとする。本法廷の構成員は、ここで判断の対象とされなかったその他の国の政府による違法行為の再発を防止するために、関係者すべてが最大限の努力を行うよう求める。
                                         ニューヨーク、1992年2月29日
                                                        署名
アイシャ・ニエレレ    
  (タンザニア、アルシャ高等裁判所駐在司法官)
オルガ・メヒア
  (パナマ、全国人権委員会委員長)
バッサム・ハッダディン
  (ヨルダン、国会議員、ヨルダン人民民主党第二書記)
シェイク・モハメッド・ラシド
  (パキスタン、元副首相、農業相、反英植民地闘争での政治囚)
ローラ・アルビス・カンボス・メネセス
  (プエルトリコ、元プエルトリコ民族党党首、現在は外交問題担当書紀)
シェリフ・ヘタタ博士
  (医学博士、アラブ進歩統一党中央委員、50年代、60年代に14年間政治囚)
オパト・マタマ
  (アメリカのメノメイア・ネーション。1981年から先住民の人権擁護活動に従事)
ハルーク・ゲルゲル博士
  (トルコ、トルコ人権協会発起会員、政治学博士、1982年に軍事政権によってアンカラ大学解職)
アブデッラザク・キラニ
  (チュニジア・チュニジア弁護士会代表。元チュニジア青年法律家協会会長。対イラク通商禁止解除全国委員会の創立委員)
ジョン・ジョーンズ
  (アメリカ、ニュージャージー州の地域活動家、ベトナム帰還兵、対イラク攻撃に反対する運動のリーダー)
尾崎 陞(ススム)
  (元裁判官、日本の中国侵略に反対し、軍事政権下で治安維持法のため、1934年から1938年まで投獄、戦後には労働弁護士として活動)
ピーター・レイボヴィッチ
  (カナダ、鉄鋼労働者連合会長)
ジョン・フィルボット
  (カナダ、弁護士)
ルネ・デュモン
  (フランス、農業学者)
トニー・ジフォード卿
  (英国、人権弁護士) 
アルフレッド・メヒタ-シャイマー博士
  (ドイツ、緑の党所属元連邦議会議員)
アポラ・ジャクソン
  (アメリカ、アメリカ法曹協会第一副会長)
グロリア・ラリーヴ
  (アメリカ、農業労働者緊急救助委員会および中東でのアメリカの戦争を阻止する緊急委員会の創立会員。地域および労働の活動家)
キー・マーティン
  (アメリカ、ベトナム戦争中に反戦活動で数度逮捕。新聞キルド第30支部長)
マイケル・ラトナー
  (アメリカ、弁護士、憲法上の権利に関するセンター元所長、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド元会長)
欠席
タン・スリ・ノールディンビン・ザカリア
  (マレーシア、元会計検査院総裁)
P・S・ポティ
  (インド、グジャラート高等裁判所元長官、1981年に全インド法律家聯盟会長に選出)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湾岸戦争の実態とウクライナ戦争とメディアコントロール

2022年07月12日 | 国際・政治

 私は、ウクライナ戦争の報道を通じて、湾岸戦争の告発状に記された内容を、実感として、自ら味わうことになったように思います。
 また、参院選街頭演説中に撃たれ死亡した安倍元首相に関する報道にも、似たような違和感を感じました。
 7月9日の朝日新聞は、容疑者が特定の宗教団体の名称を挙げて「恨む気持ちがあった」と供述し、「(安倍氏の)政治信条には恨みはない」とも供述しているという事実を取り上げながら、社説には「民主主義の破壊許さぬ」と掲げ、「銃弾が打ち砕いたのは民主主義の根幹である」と書いています。
そして、いたるところに、「民主主義に銃口」とか、「言論への暴力」とか、「民主主義への最大の冒涜」というような見出しが躍っていました。なぜ恨みによる殺人が民主主義の破壊なのか、と違和感を感じたのです。
 武装した青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害することによって、軍部の独裁をもたらそうとした事件や「天皇の戦争責任はあると思う」と主張して、右翼団体のメンバーに背後から銃撃された本島等長崎市長の事件などとは、根本的に異なるものだと思います。
 さらに、そうした報道が、安倍元首相の追悼と賛美の記事に結びついていく流れは、選挙期間中であるだけに見過ごすことができないものでした。

 ふり返れば、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、ポツダム宣言と日本国憲法に基づく戦後の「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」柱とする日本を解体し、戦前の日本を復活させるために、「日本を取り戻す」と称して、憲法改正を叫び続けてきたのが、安倍元首相だったのではないかと思います。

 だから安倍元首相が、先頭に立ち、色々な場面で日本の民主主義を捻じ曲げ、戦前化してきたのではないかと思います。それなのに、今回の「恨み」による銃撃を「民主主義の破壊」であるとか、「言論への暴力」であるとか、書きたてるのはなぜなのかと思うのです。

 だからメディアは、やはり、巧みにコントロールされているような気がします。そして、下記に抜萃した湾岸戦争の告発状にも、そうした指摘があります。 
ブッシュ政権は、軍国主義と個別の兵器システムを宣伝するために、5ヶ月にわたってメディアによるコマーシャルを行った。アメリカ国民は、プロパガンダ統制によって、殺人者を祝福するように仕向けられた。このプロパガンダ統制よって、イラクは悪魔に仕立て上げられ、イラクの文民には危害を加えていないという約束が世界になされ、残虐行為についての虚報が故意に流された。化学兵器の脅威とか、保育器の赤ん坊の死とか、新たなヒトラーによる湾岸全域への脅威というような報道が、このような虚報に含まれている。
 報道機関は事実上、すべての情報をペンタゴンから入手するか、ペンタゴンの許可を得て流すかした。これと違った情報や反対の見解が聞かれないように防止する努力が払われた。

 とあるのです。 
 ウクライナ戦争に関しても、同じなのではないかと思います。漏れ伝えられる情報は、それを証明しているのではないかと思います。恐ろしいことだと思います。

 下記は、「アメリカの戦争犯罪」ラムゼイ・クラーク(柏書房)の「告発」11から19です。信じがたいほど酷い内容ですが、調査委員会は、15カ国で結成され、公聴会はアメリカだけでも28都市で開催され、多くの関係者が参加し、様々な証言や証拠が集められたのです。否定できるものではないと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                                                      

                         告発状

 告発

11 ブッシュ大統領は、平和に対する犯罪、戦争犯罪その他の重大な犯罪を行う権能を確保する手段として議会の憲法上の権限をさん奪した。
ーーー
 ブッシュ大統領は、意図的に議会の権限をさん奪し、その権威を無視し、議会の助言を得ることを怠り、あるいはこれを拒否した。ブッシュ大統領は、故意に、議会を誤導し、欺き、議会に事実を隠し、かつ虚偽の報告を行って、議会の自由な討議を妨げ、説明を受けてなされる立法権限の行使を妨げた。ブッシュ大統領は、それ自体が戦争行為にあたるイラクに対する海上封鎖を独断で命令した。ブッシュ大統領は、議会に与えられた保障に反して、議会に諮ることなく、アメリカ軍の完全に防御的な態勢および能力を、イラクに対する侵略のための攻撃的能力に切り替えた。ブッシュ大統領は、どんな国にも完全に自由裁量を与えるという国連決議の実施を認める立法を成立させたが、その決議は、ブッシュ大統領がイラクの軍事力や民間経済力を破壊しようとしていることを知りながら、ガイドラインをいっさい規定することなく、国連への報告をいっさい求めないというものだった。これらは、ブッシュ大統領に、平和にたいする犯罪および戦争犯罪を遂行させることを可能にするものだ。
 この行動は、アメリカの憲法と法律に違反し、そのすべてがこの告発状に掲げる弾劾に値する犯罪を行うためになされたものである。

12 アメリカは、環境に対する戦争を行った。
ーーー
 8万8000トンの爆弾、無数のミサイル、ロケット、砲撃や小火器、これにともなう燃焼や火災、さらに6週間にわたって1分間にほぼ2回の割合で行われた11万機の航空機の発進によって生じた環境汚染は、生命と生態系に甚大な被害を引き起こした。アメリカの航空機による攻撃は、ペルシャ湾における石油流出という最悪の事態のすべてではないにしても、かなりの部分を引き起こした。油田、石油貯蔵タンクと石油精製所に対する航空機とヘリコプターによるナパーム弾や気化爆弾の投下によって、イラク全域にわたって油井火災が発生し、イラクやクウェートの油井の大部分ではないとしても、多くの部分が火災で燃えた。市町村の水道システム、ゴミ処理および下水処理の意図的な破壊は、イラク全域にわたる生命と健康に対する直接かつ継続的な攻撃にあたる。
 この行動は、国連憲章、ハーグ条約、ジュネーブ条約、武力紛争に関する法に違反し、戦争犯罪および人道に対する犯罪にあたる。

13 ブッシュ大統領は、イスラム教シーア派およびクルド人に対し、イラク政府に反乱するよう促し援助した。その結果、同胞間の衝突、国外流出、住居の喪失、飢餓、病気および数千人もの死が引き起こされた。反乱が失敗に終わると、アメリカは、イラクの国内に分裂と敵対を増大させるために、権限もないのに、イラクの一部に侵攻し、これを占拠した。
ーーー
 議会または国連から権限を与えられていないのに、ブッシュ大統領は、停戦後も、その強引な軍事行動を継続した。ブッシュ大統領は、イラクに対する反乱をあおり援助しながら、彼らの保護を怠り、その国外移住を奨励し、自然の脅威や飢餓および病気の危険にさらした。多くの苦難と多くの死者を出した後で、ブッシュ大統領は、権限もないのに、トルコ国境およびその周辺において援助を施すためにアメリカ軍を使用したが、イランにいる難民がしばしば受けている、より大きな苦難を無視した。ブッシュ大統領は、ついで、イラクにおけるクルド人についてバンツー流解決(領土的隔離政策のこと)をでっち上げ、アメリカの負担分を支払うようイラクに要求した。クルド人がイラク内の故郷に帰ることを選んだときには、ブッシュ大統領は、イラク政府の意思に反して、かつ権限もないのに、アメリカ軍さらに北イラクに移動させた。
 この行動は、国連憲章、国際法、アメリカの憲法および法律ならびにイラクの法律に違反する。

14 ブッシュ大統領は、イラク国民から、不可欠な医薬品、飲料水、食糧その他生活必需品を意図的に奪った。
ーーー
 イラクに対する攻撃の主な狙いは、人として不可欠な物資とサービスを系統的に奪うことにあった。イラク国民の意欲を砕き、その経済力を破壊し、その人口を減少させ、その健康を衰弱させるために、アメリカは次の行為を行った。
・必要な医薬品、浄水装置、乳児用調整ミルク、食糧その他生活用品の船積みを妨げ、禁輸を押し付け、強要した。
・独断で、議会の承認を得ることなく、イラク国民から必要な生活用品の供給を奪うため、アメリカ海軍によるイラクの海上封鎖すなわち戦争行為を命じた。
・イラクの資産を凍結し、他の諸国に同様のことを行うよう強制し、必要な医薬品、食糧その他生活用品を購入する能力をイラクから奪った。
・病気、死亡および社会全体を危うくする差し迫った疫病の蔓延を防止するためには、このような生活用品が緊急に必要であるという情報を統制した。
・国際機関、各国政府や救援団体が必要な生活用品を提供したり、不足しているものについての情報収集を妨害した。
・エジプト人、インド人、パキスタン人、イエメン人、スーダン人、ヨルダン人、パレスチナ人、スリランカ人、フィリピン人を含む大量の難民を支援することを怠り、あるいは、その緊急の必要に応じることを怠り、さらに他の者の支援することに干渉した。
・アメリカによって引き起こされたトルコ国境でのクルド人民の苦難を宣伝しておきながら、イラク国内における健康状態と疫病のおそれに対してたえず注意をそらせようとした。
・送電線にねらいを定めて爆撃したことによって、病院および薬品工場を閉鎖させ、医薬品および基本的な溶液・血液を不足させた。
・食糧貯蔵庫、肥料および種子貯施設にねらいを定めて爆撃した。

 これらの行為の結果として、数千人の人が死亡し、より多くの人が病気や永続的な傷害をこうむった。ひとつだけ例を挙げれば、イラクは、1990年の最初の7ヶ月間に、月当たり2500トンの割合で乳児用調整ミルクを消費していた。しかし1990年11月1日から91年2月7日までの期間、イラクは、17トン輸入できただけだった。イラクのもっている生産設備は破壊された。多くのイラク人は、ブッシュ大統領がイラクの食糧供給システムを目標にしたので、ブッシュ大統領には、イラクの子どもを死なせる意図があったと信じている。イラクの赤新月社の推定によれば、乳児用調整ミルクや乳児用医薬品の不足のために、1991年2月7日現在で3000人の乳児が死亡した。
 この行動は、ハーグ条約、ジュネーブ条約、、世界人権宣言およびその他の条約に違反し、人道に対する犯罪に当たる。

15 アメリカは、停戦後もイラクに対する攻撃を継続し、ほしいままに侵攻し占拠している。
ーーー
 アメリカは、軍事的紛争が終了して以来、イラクおよびその対外的関係について独裁的権限をもって行動している。アメリカは、ほしいままに、イラクの軍事要員を射殺し、航空機および物資を破壊し、北部および南部においてイラクの広大な地域を占領し、イラクに対して絶えず武力行使するといって脅している。
 この行動は、国家の主権を侵害し、国連決議に認められた権限を超えており、アメリカの憲法および法律によっても認められないものであって、戦争犯罪にあたる。

16 アメリカは、軍事的支配を達成するために、アメリカ、クウェート、サウジアラビアその他の地域で、人権、市民的自由およびアメリカの権利章典に違反し、これらの違反行為を容認している。
ーーー
 アメリカ政府によって行われたリ容認されたりしている多くの違反の中には、次のものがある。

・アラブ系アメリカ人、イラク系アメリカ人およびアメリカに居住するアラブ人に対する違法な監視、 逮捕、取調べと嫌がらせ
・イラクの戦争捕虜に対する違法な拘禁、取り調べと取り扱い
・アメリカが占領して以後におけるクウェートでのパレスチナ人その他居住者に対する、クウェート人による略式処刑、暴行、拷問や違法な拘禁の助長と容認
・湾岸への出役拒否し、良心的兵役拒否者の地位を求め、または、アメリカの政策に抗議したアメリカ軍の兵士に対する不当で差別的かつ行きすぎた訴追と処罰

  これらの政策の結果として、殺害され、暴行を受け、拷問にさらされ、不法に拘禁され、訴追され、嫌がらせを受け、侮蔑されている人々がいる。
 この行動は、国連憲章、世界人権宣言、ハーグ条約、ジュネーブ条約、アメリカの憲法および法律に違反する。

17 アメリカは、イラクの経済基盤を破壊しておきながら、賠償を請求したが、これによってイラクは永久に困窮状態に置かれ、イラク国民は飢餓と疾病に脅かされることになる。
ーーー
 アメリカの認めるところによれば、復興するのに500億ドルかかるといわれている(イラク側の試算では2000億ドル)イラクにおける生活、財産および基本的な民間施設を破壊し、爆撃によって少なくとも12万5000人を殺害し、病気と飢餓によってさらに数千人の生命を失わせたにもかかわらず、アメリカは、イラク国民が飢えと疾病に直面しているまさにそのときに、イラクを経済的に支配しようとしている。アメリカによってイラク側が受けた損害は、死傷者を含めて、この紛争に関与した他の当時国すべてのあらゆる損害、死傷者、費用を集めても、優にその数倍以上にのぼる。このような状況における損害賠償は、決定的に欠乏している国から勝者の分け前を搾り取るものだ。アメリカは、大部分はアメリカによって引き起されたクウェートの損害をイラクに償わせようとしたばかりか、さらにイラク北部のクルド人住民を操り、イラク北部を占領してイラクの主権を侵害しているアメリカの費用についてまでイラクに支払わせようとしている。そのような賠償は、イラクの石油、天然資源および人間労働を搾取する新植民地主義の手法だ。
 この行動は、国連憲章およびアメリカの憲法と法律に違反する

18 ブッシュ大統領は、みずからの軍事的政治的目標のためのプロパガンダとして、報道機関およびメディアの報道を意図的に操作し、統制し、指導し、制限し、誤った情報を提供した。
ーーー
 ブッシュ政権は、軍国主義と個別の兵器システムを宣伝するために、5ヶ月にわたってメディアによるコマーシャルを行った。アメリカ国民は、プロパガンダ統制によって、殺人者を祝福するように仕向けられた。このプロパガンダ統制よって、イラクは悪魔に仕立て上げられ、イラクの文民には危害を加えていないという約束が世界になされ、残虐行為についての虚報が故意に流された。化学兵器の脅威とか、保育器の赤ん坊の死とか、新たなヒトラーによる湾岸全域への脅威というような報道が、このような虚報に含まれている。
 報道機関は事実上、すべての情報をペンタゴンから入手するか、ペンタゴンの許可を得て流すかした。これと違った情報や反対の見解が聞かれないように防止する努力が払われた。かろうじてCNNだけがバグダッドに滞在していたが、これはイラクのプロパガンダだと言われた。アメリカの爆撃の効果に関する情報をもった独立の観察者、目撃写真やビデオテープは、メディアから排除された。テレビのネットワークの所有者、広告主、新聞の所有者、エリート・コラムニストや論説家は、記者を脅かし、言い含め、インタビューの相手方を選別した。彼らは、ほとんど声を一つにして、アメリカの軍国主義をほめたたえ、そればかりか、しばしばペンタゴンよりもずっと好戦的でさえあった。
 アメリカ国民およびその民主主義的な制度は、健全な判断に不可欠な情報が欠けており、深い関心をにもかかわらず、もっぱら新植民地主義的介入と侵略戦争を支持するように、型にはめられた。アメリカの憲法修正第一条の主要な目的は、報道機関および人民が、処罰を受けることなく、政府に対して批判をする権利をもつことを保障することだった。しかし、報道機関がグレナダ、リビア、パナマへの攻撃や今回イラクへの大々的な攻撃を取材することを拒否されたので、アメリカの軍事的侵略に関しては、この目的は保障されないことになる。
 この行動は、アメリカの憲法修正第一条に違反し、平和に対する犯罪と戦争犯罪にあたる行動への支援を目的とした一連の行動の一部をなすものだ。

19 アメリカは、力によって、ペルシャ湾岸における永続的な軍隊の駐留、その石油資源の支配権およびアラビア半島とペルシャ湾岸地域における地政学的支配力を確保した。
ーーー
 アメリカは、ペルシャ湾において永続的に軍隊を駐留させ、枯渇するまでその石油資源を支配し、この地域全体に対して地政学的支配力を維持するために、この告発状に述べた行為を行った。
 この行動は、国連憲章、国際法およびアメリカの憲法と法律に違反する。

 調査の展望
 調査委員会は、アメリカの犯罪行為に焦点をあてるだろう。なぜなら、アメリカはイラクを破壊し、アメリカ側の戦死者が148名であると公表される一方で、アメリカ軍の爆撃によって直接に殺害された者は、控えめにみても12万5000人にのぼり、イラクの経済的基盤が破壊され、その後もアメリカの行為によって数万にのぼる死者が出ているからだ。調査委員会は相手に応じて国際法の適用を別々にすべきではないと考えるので、どんな人からも、どの国の政府からも、湾岸戦争関する犯罪行為の証拠を集め、これを受け取る用意がある。調査委員会は、「勝者の裁き」は法ではなく、勝利した側の力による戦争の延長だと考える。アメリカ上院議員、ヨーロッパ共同体諸国の外相や西側報道機関ばかりか、ニュルンベルク裁判の元検察官たちも、その圧倒的多数は、サダム・フセインとイラクの指導者だけが戦争犯罪者だと主張している。裁判には触れていないものの、バーバラブッシュ夫人でさえ、サダム・フセインが吊るされるのを見たいと言った。証拠を収集し吟味するよう広く努力してきたが、平和に対する犯罪と戦争犯罪にあたるあらゆる行動を客観的に判断し、さらに世界の世論という法廷の判決のためにこれらの事実を提供するうえで、すくなくともひとつの大きな努力はアメリカに向けられる必要があると言わねばならない。調査委員会は、アメリカの犯罪行為に焦点をあてる重要であり、正当であって、しかも人類のこの大きな悲劇に法を適用するに当たり、全体的な真実、偏らない見通しと公平さをもたらす唯一の方法であると信じる。
                                                 ラムゼー・クラーク
                                                 1991年5月9日
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの戦争犯罪に目をつぶり、プーチンを悪魔に仕立て上げる人たち

2022年07月08日 | 国際・政治

 7月5日、朝日新聞のオピニオン&フォーラム欄に、「プーチンは皇帝か」と題する、作家ミハイル・シーシキン氏の寄稿文が掲載されました。ウクライナ戦争を主導するアメリカの関係者が、大喜びするような内容です。
 朝日新聞は、別のところで、ウクライナ戦争に関して、”消耗戦の末 東部一州制圧 ロシア予想以上に時間・戦力消耗 ウクライナは「戦略的撤退」”などと、アメリカからもたらされた情報と思われる記事も掲載していたのですが、その脇に”ロシア人であることに苦痛を覚える”と題して、そのミハイル・シーシキン氏を紹介する文章も掲載しているのです。そこには、”ロシアを代表する作家”とあり、”ロシアの主要な文学賞を全て受賞”した作家という誉め言葉も添えられ、シーシキン氏のウクライナ戦争に関する考え方を称賛し、多くの読者に寄稿文を読ませようとする姿勢が読み取れました。
 でも、そのロシアを代表する作家が書いている寄稿文には、停戦や和解を進めようとする記述はありませんでした。
”…なぜ、プーチンはこんなにもウクライナを憎むのか? ウクライナは私たちが共有する、むごたらしく血まみれた過去から逃れることができ、民主的な未来を築く道を選んだ。ロシアの僭称者(訳注=ロシアでは歴史上、皇位を勝手に名乗る人物がたびたび出現した)はそれが気にくわないから憎むのだ。自由で民主的なウクライナが、打ちのめされたロシア人の規範となり得るからだ。プーチンにとってウクライナを破壊することがこれほど大事なのはそのためだ。しかし、プーチンがこの戦争で勝利を収めることはできない。…”とか、”…プーチンは最後まで戦うだろう。新たに何千人もの命を火の中になげいれながら。しかし、彼に勝ち目はない。彼は国民に勝利を与えたかった。勝利は、自分が「真の」ツァーリ(訳注=皇帝)であることの唯一の証しだからだ。…”
 などと書かれています。プーチン大統領が、ウクライナを憎んでいるというのは、作家であるシーシキン氏の主観的な認識だと思います。プーチン本人が認めない限り、それは、読者が共有すべき客観的なものではないと言えます。
 私は、”ウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞”と題された動画の中で、チョムスキーが、ウクライナ戦争の停戦交渉に関して、”交渉を進める場合、プーチン大統領や取り巻く少数の人たちの心の中を覗こうとしてはいけない。”と語っていたことを思い出しました。
 プーチンの心の中を覗くようにしながら、ウクライナ戦争をとらえると、現実認識の客観性が後退し、観念的な溝が深まったり、広がったりして、停戦や和解が難しくなると思います。また、ロシアの人たちが、厳しい経済制裁を課されている上に、あらゆる組織から排除されている状況のなかでは、シーシキン氏のような主観的認識が、国家を暴走させることがあることは、歴史が教えていることではないかと思います。日本でも、戦時中は「鬼畜米英」の思想が戦争を煽ったと思います。
 現に、シーシキン氏は、ウクライナ戦争に至る経緯や、ウクライナ戦争を主導するアメリカに関しては、何も語っていません。プーチン大統領の演説もきちんと受けとめているとは思えません。

 アメリカが、ウクライナの政権転覆に関与し、NATOを拡大させ、ロシア周辺で軍事演習をくり返し、ウクライナに武器を配備したことなどをとり上げ、プーチン大統領が、ウクライナは、”完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。”と語り、ベオグラード、イラク、リビア、シリアなどでアメリカがやったことをふり返れば、アメリカやNATO諸国がやっていることは、まったく受け入れられないと語っているのに、シーシキン氏は、そういうことについては、何も語っていないのです。現実を見ていないと言ってもよいのではないかと思います。
 そして、”なぜ、プーチンはこんなにもウクライナを憎むのか?”などとして、ウクライナ戦争を、ウクライナ憎しというプーチンの心の問題に矮小化しているように思います。
 だから、シーシキン氏のような考え方では、ウクライナ戦争の停戦協議や和解はできないように思います。
 私は、人命を考慮して、先ず停戦、そして和解のための努力を、すべてに優先させてほしいと思います。
 勝ち負けではなく、有利不利でもなく、国連憲章やユネスコ憲章の精神をもって、停戦や和解に向けて、努力してほしいと思うのです。

 だから、私は、アメリカがアフリカやラテンアメリカ、中東や東南アジアで重ねてきた戦争犯罪を直視すれば、ウクライナ戦争の真相を理解するのに役立つのではないかと思い、今回も「アメリカの戦争犯罪」ラムゼイ・クラーク(柏書房)から「告発」の6から10の一部を抜萃したのです。
 下記の告発の7にあるように、アメリカは、湾岸戦争において、気化爆弾ナパーム弾集束対人炸裂爆弾(クラスター爆弾)、 スーパー爆弾など、”使用を禁止されている兵器”を使用し、たくさんの人を殺しています。  
 告発の8では、イラクの核関連施設化学工場ダム、その他の甚大な被害の可能性が否定できない場所を爆撃した事実が指摘されています。
 告発の9で見逃せないのは、”アメリカのパナマ侵攻は、イラクがクウェートに侵攻したときに違反した国際法にすべて違反しているばかりか、それ以上でもある”という指摘です。また、”イラクが殺害したクウェート人の数よりたくさんのパナマ人が、アメリカ軍によって殺された。”という指摘です。
 イラクのクウェート侵攻を非難し、湾岸戦争を主導して、イラクを武力攻撃したアメリカが、実は、イラクのクウェート侵攻直前に、パナマに侵攻して、イラク以上のことをやっていたということです。したがって、チョムスキーが、アメリカを「世界一のならず者国家」と指摘したことは、当然であると思います。

 戦争犯罪を重ねてきたアメリカと一体となって、ウクライナ軍を支援するのではなく、アメリカと距離を置き、ウクライナ戦争を話し合いで終息させることができるかどうかは、人類にとって、きわめて重大な問題だと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   第一部 告発

                     告発

6 アメリカは、無防備なイラクの兵員を意図的に爆撃しし撃破し、過剰な軍事力を行使し、しばしば武器をもたず、しかも戦闘地域からはるかに離れた場所で降伏しようとした兵士や、バラバラに分かれて逃亡している兵士を殺害し、停戦後においても、無差別にかつ気まぐれに、イラク兵を殺害し物資を破壊した。
ーーー

 航空機とミサイルによる攻撃の最初の段階で、アメリカは、大多数の軍事通信施設を破壊し、防禦も逃亡もできない兵士を系統的に殺害しはじめ、軍事設備を破壊しはじめた。42日間にわたり、アメリカの爆撃は、無防備な兵士を数万人殺害し、ほとんど食糧や水その他の補給を絶ち、絶望的で頼るすべのない混乱状態に彼らを陥れる¥た。アメリカは、みずからの兵員に対する脅威がほとんどないのに、(アメリカ政府によれば)戦闘によるわずか148人の死者の代償として、イラク兵士をすくなくとも10万人も殺害するに至った。一般市民経済および兵力が十分破壊されたことがはっきりしてから、アメリカ地上部隊は、クウェート、イラクに移動し、組織が壊滅し方向を失って逃走するイラク軍兵士を見つけ次第攻撃し、さらに数千人を殺害し、どんな装備でも見つけ次第これを破壊した。殺戮は、停戦後も続いた。たとえば三月二日に、アメリカ第二十四師団は、バスラの真西にいた

イラク人に対して4時間におよぶ攻撃を行った。740台以上の車両が破壊され、数千人が殺害された。アメリカ側の死傷者はなかった。あるアメリカ軍の指揮官は、「われわれは奴らをかたづけた」と語った。それはまんさに「七面鳥射ち」と呼ばれていた。あるアパッチ型ヘリコプター部隊の乗組員は、レーザーで誘導されるヘルファイヤー・ミサイルを発射するとき、「アラーの神によろしく」とわめいていた。

 アメリカの目指したものは、クウェートからのイラク軍を排除することではなかった。イラクを破壊することが目的であった。その過程で、クウェートにおける財産が大損害をこうむった。無防備なイラク兵に加えられた殺害と破壊は、100対1を超える不均衡なものだった。

 トマス・ケリー将軍は、二月二十三日に、地上戦が始まるまでには「彼らの多くは生き残っていないであろう」というコメントを加えた。ノーマン・シュワルツコフ将軍は、イラク軍の死傷者数を10万以上と見積もった。そのねらいは、いたるところであらゆる軍事施設、装備を破壊し、イラクが実力のある軍隊を半世紀にはわって編制できないように、男子兵役人口の一割を取り除くことにあった。

 この行動は、国連憲章、ハーグ条約、ジュネーブ条約、ニュルンベルク憲章および武力紛争に関する法に違反する。

 

7 アメリカは、軍事目標と非軍事的目標の両方に対し、大量破壊が可能で、無差別殺害と不必要な苦痛を与えるために使用を禁止されている兵器を使用した。
ーーー
 アメリカが用いた違法な兵器および違法に使用さた兵器のうち、知られているのは、次のものである。
 ・広範囲に及ぶ火災と殺害が可能な気化爆弾(FAE)
 ・ナパーム弾
 ・集束対人炸裂爆弾(クラスター爆弾)
 ・政府指導者の殺害のために用いられた「スーパー爆弾」、すなわち2.5トンの爆弾
 気化爆弾は、配備中の部隊、文民地域、油田およびクウェート・イラク間を結ぶ二本の幹線道路を逃げている文民と兵員に対して用いられた。使用された気化爆弾には、数百メートル以内にあるものならなんでもバラバラにしてしまう威力のある1万5000ポンド爆弾、BLU82が含まれていた。「死のハイウェイ」と名づけられた直線道路は、7マイルほどの間数百台の車両と数千人の死者でいっぱいだった。そのすべてが命からがらイラクへ逃げる途中だった。数千の者は、クウェート人、イラク人、パレスチナ人、ヨルダン人その他の国籍をもつ者を含む、あらゆる年齢階層の文民だった。それより東の60マイルは、2月25日夜半の護送輸送隊に対する攻撃によって生じた、戦車、装甲車、トラック、救急車の残骸と数千人の死体でいっぱいだった。報道によれば、生存者は知られておらず、ありそうもない。ある平床トラックには九柱の死体が積まれていたが、その髪や服は焼かれて残っておらず、皮膚も相当強い熱で焼かれており、その強い熱のせいでフロントガラスがダッシュボードの上に溶けおちていた。
 ナパーム弾は、文民および兵員に対して用いられ、火災を引き起こすためのものだ。イラクとクウェートの油田火災は、ナパーム弾その他の強力な熱兵器を落としたアメリカ軍航空機によって意図的に引き起こされた。
 集束対人炸裂爆弾は、上に述べた護送輸送隊と軍事拠点に対して、バスラその他の都市や町で用いられた。CBU75は、サダイヤと呼ばれる小爆弾を1800もっている。ある種のサダイヤ爆弾は、地上に衝突する前に、衝撃爆破させることができるし衝撃を受けた後一定の時間を経て別々の時間に爆発させることもできる。それぞれの小爆弾には、40フィート以内にあるものに対して致命的な損傷を与える600個もの鋭い鉄片が詰められている。CBU75一発に含まれる1800の小爆弾は、殺傷能力のある鉄片によって、フットボール場157個分の地域をおおうことができる。
「スーパー爆弾」は、フセイン大統領殺害の目的で、強襲の終わりに近い日に少なくともニ個、頑丈な避難所に投下された。ひとつは方向を間違えた。アメリカは1986年4月に、リビアのトリポリを攻撃した際にも、レーザー誘導弾でカダフィ大佐を殺害しようとしたことがある。
 違法な武器は数千人もの文民および兵員を殺した。
 この行動は、ハーグ条約、ジュネーブ条約、ニュルンベルク憲章および武力紛争に関する法に違反する。

8 アメリカは、危険な物資および危険な威力を含むイラク内の施設を意図的に攻撃した。
ーーー
 イラクが核兵器も化学兵器も使用しなかったにもかかわらず、また、クウェートからイラク軍を撤退させるために許される手段を国連諸決議が制限したにもかかわらず、アメリカは、核関連施設、化学工場、ダムその他の危険な威力が存在すると称するところを意図的に爆撃した。アメリカは、このような攻撃によって以上の施設から危険な威力の放出がありうること、したがって一般住民に重大な損害を与えうることを知っていた。このような攻撃によって文民が何人か殺されたが、各物資が原因だと考えられる重大な損害が生じたという報告はされていない。また危険な化学兵器や生物兵器は、爆撃された場所にはなかった。
 この行動は、ジュネーブ諸条約第一追加議定書(1977年)第56条に違反する。

9 ブッシュ大統領は、アメリカ軍に対してパナマ侵攻を命令し、その結果、1000ないし4000人ものパナマ人が死亡し、数千もの民間の住宅、公共用建物および商業施設が破壊された。
ーーー
 1989年12月10日、ブッシュ大統領は、航空機、大砲、機銃装備ヘリコプターを使用して、かつ、ステルス爆撃機を含む新兵器を実験的に使用して、パナマに軍事攻撃をかけることを命令した。攻撃は、民用施設および非戦闘用政府施設を目標とする急襲だった。パナマ市内のエル・チョリリョ地区だけでも、数百人の文民が殺害され、1万5000ないし3万人が住居を失った。アメリカ兵は、しばしば識別することなく、大きな墓穴の中に死んだパナマ人を埋葬した。元首であるマヌエル・ノリエガ(実際には、国軍司令官であって、必ずしも元首ではなかった)は、アメリカ政府および報道機関によって意図的に悪魔として仕立て上げられたが、結局アメリカ軍に降伏し、アメリカの国外犯として裁かれるために、フロリダ州マイアミに送られた。
 アメリカのパナマ侵攻は、イラクがクウェートに侵攻したときに違反した国際法にすべて違反しているばかりか、それ以上でもある。イラクが殺害したクウェート人の数よりたくさんのパナマ人が、アメリカ軍によって殺された。
 ブッシュ大統領は、パナマへの攻撃を命令し指揮した点で、国連憲章、ハーグ条約、ジュネーブ条約に違反し、平和に対する犯罪、戦争犯罪を行い、アメリカの憲法および数多くの刑事法に違反した。
 
10 ブッシュ大統領は、正義の実現を妨げ、国連の機能を腐敗させ、平和に対する犯罪および戦争犯罪を行う権限を確保する手段たらしめた。
ーーー
 ブッシュ大統領は、国連に働きかけて、紛争の平和的解決に関する国連憲章第六章の諸規定をことごとく無視させた。その目的は、どんな国でもその完全に自由な裁量において必要なあらゆる手段をとることができる、という安全保障理事会の決議を得ることであり、対イラク国連決議を実施することにあった。しかし、この決議は、結局、イラクを破壊するために利用された。安全保障理事会の得票を確保するために、アメリカは、理事国に対して数十億ドルもの汚い金を支払い、地域的戦争を遂行するために武器を提供し、数十億ドルもの負債を免除し、世界銀行の貸付に対する異議を取り下げ、人権侵害が行われているにもかかわらず外交関係をもつことに同意し、経済的政治的報復で脅した。アメリカに反対の投票を行ったイエメンは、ただちに、数百万ドルの援助を失うという制裁を受けた。アメリカは、みずからのゴリ押しに対する批判をかわすために、国連に1億8700万ドルを支払い、国連に対して負っていた未払いの分担金の額を減らした。国連は、戦争の惨害をなくすためにつくられたのに、戦争の道具に成り下がり、戦争犯罪を容認した。
 この行動は、国連憲章およびアメリカの憲法と法律に違反する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ならずもの国家」アメリカの戦争犯罪に目をつぶるのはなぜ?

2022年07月04日 | 国際政治

 この頃、朝日新聞の社説にとても抵抗を感じています。7月2日の社説には、「日韓首脳外交 打開探る実質対話こそ」と題して、”国と国との間で長引く懸案があるからこそ、指導者は時間をかけて対面すべきではないのか”とありました。その通りだと思います。
 では、なぜウクライナ戦争で、日々人が死んでいるというのに、また、世界中の人々が食糧問題やエネルギー問題で苦しんでいるというのに、停戦や和解のための対話を呼び掛けないのでしょうか。なぜ、ウクライナ戦争を主導するアメリカに、対話を求めないのでしょうか。

 ノルドストリームプロジェクトは、ヨーロッパに対するロシアの影響力を強め、アメリカの覇権の凋落を加速させることは、明らかだったと思います。
 でも、第二次世界大戦後、西側諸国の頂点に立ってきたアメリカは、国際社会の多極化や多中心化とよばれる状況を受け入れようとせず、あらためて、世界各国をアメリカ中心の経済秩序に組み込み、自らの覇権の危機を乗り越えようと、ロシア排除に動いた、そのことを抜きに、ウクライナ戦争を語ることはできないと思います。
 戦争で、日々死者が出ているにもかかわらず、また、世界中の人々が食糧問題やエネルギー問題に直面し、苦しんでいるにもかかわらず、今なお、アメリカが、ウクライナ戦争にかかわる対話を避け、NATOの拡大や強化、ウクライナに対する武器の供与を主導している事実を、なぜ黙認してしまうのか。停戦や和解のための対話を、なぜ、強く求めないのか、と苛立ちを感じます。

 アメリカは、第二次世界大戦後も、自国の利益を、世界平和や国際秩序に優先させ、あらゆる地域で、くりかえし武力を行使してきたと思います。国連憲章や国際条約を蔑ろにしてきたと思います。
 ロシアのウクライナ侵攻が、違法であるという側面は否定できないと思いますが、実は、アメリカがロシアを弱体化させるために、ウクライナに巨費を投じ、今回の戦争を準備してきたという側面も見逃してはならないと思います。
 米国務省のビクトリア・ヌーランド(オバマ大統領上級補佐官)が講演で、”我々は、ウクライナの繁栄、安全、民主主義を保障するため(現実は政権転覆)に50億ドル以上を投資してきた”と述べたことはすでに取り上げました。それは、オバマ元大統領も認めているといいます。バイデン大統領は、副大統領時代に6回もウクライナを訪れているといいますが、マイダン革命は、アメリカの関与がなければなかった可能性があるということだと思います。だから、ウクライナ戦争では、ロシア以上にアメリカが問題だと思います。

 アメリカ主導のNATOの拡大や強化、ロシアに対する徹底した経済制裁、あらゆる組織からのロシア人の排除、ウクライナに対する際限のない武器の供与は、民主主義や自由主義や平和主義を掲げる国のやることではないし、国連憲章や国際条約その他の法の精神に反すると思います。
 
 ”国と国との間で長引く懸案があるからこそ、指導者は時間をかけて対面すべき”なのであって、同盟国であるからといって、法の精神に反するようなことを黙認してはならないと思います。
 ウクライナを支援することと、ウクライナ軍を支援することは同じではないのです。「死の商人」を喜ばせるだけの戦争は、やめてほしいのです。

 だから、今回も「アメリカの戦争犯罪」ラムゼイ・クラーク(柏書房)から、「告発」の続きの一部を抜萃しました。告発は、下記と同じようなかたちで、19まで続くのです。
 イラク戦争は、ほんとうに酷い戦争であったことがわかります。
 たとえば、
ブッシュ大統領は、国連安全保障理事会に圧力をかけ、一連の先例のない決議を採択させ、最終的には、諸決議を実行するためにいかなる国も絶対的な裁量によってすべての必要な手段を行使することができる、という権限を確保した。票をかき集めるために、アメリカは何十億ドルもの贈賄を行い、地域紛争のための兵器を提供し、経済的報復をほのめかし、また報復を実行し、数十億ドルの貸付を免除し(エジプトに対する兵器購入のための70億ドルの貸付を含む)、人権侵害のいかんを問わず外交関係の開設をもちかけ、その他腐敗に満ちた方法を使って、アメリカの対イラク政策は普遍的といってよいほど国際的に承認されたものであるという外観をつくりだした。アメリカに反対する国は、イエメンのように、すでに約束されていた数百万ドルの援助を失うことになった。これは今まででもっとも高くついた投票である。
 とあります。こうしたことは、今回のウクライナ戦争に関しても、あるのではないでしょうか。
 また、
ブッシュ大統領は、サダム・フセインを悪魔に仕立てあげる巧妙な宣伝活動を行った。
 とあります。プーチン大統領を悪魔に仕立て上げる宣伝活動はなかったといえるでしょうか。
 下記の内容は、調査委員会の呼び掛けにより集められた、さまざまな関係者の証言、写真、ビデオテープ、公文書や記録その他に基づいているといいます。
 だから、私は、ウクライナ戦争を止めるために、「ならずもの国家」アメリカの戦争犯罪に目をつぶらないでほしいと思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 第一部 告発

告発
2 ブッシュ大統領は、1990年8月2日から、イラクを経済的かつ軍事的に破壊するみずからの計画に対するいっさいの干渉を妨げるよう意図し、かつ行動した。

 1990年8月第一週の間に、議会に諮ることも通知することもなく、ブッシュ大統領は、四万のアメリカ軍兵員に対し、サウジアラビアへの派遣命令を下した。ブッシュ大統領は、サウジアラビアからアメリカの軍事的支援の要請を取り付け、8月8日には全世界に対して自分の行動は「まったく防衛的なあもの」であると断言した。ブッシュ大統領は、1990年11月の中間選挙が終了するまで待って、すでに発していた20万以上の兵員の増派命令を公表した。これは明らかに攻撃部隊であり、しかも今度の議会に謀らなかった。
 1991年1月9日に至っても、ブッシュ大統領は、議会の承認なしにイラクを攻撃する憲法上の権限が大統領にはあると主張していた。
 ブッシュ大統領は、イラクを攻撃し破壊することを意図しながらこれを隠し、1990年8月から91年1月までひたすら、アメリカ軍の増強を続けた。大統領は、軍部に攻撃準備を急がせ、軍事上の観点からみて最適な状態になる前に攻撃を開始させた。9月16日に、ドゥーガン将軍は、イラクの民間経済を破壊する計画があることを報道関係者にもらしたところ、解任された。
 ブッシュ大統領は、国連安全保障理事会に圧力をかけ、一連の先例のない決議を採択させ、最終的には、諸決議を実行するためにいかなる国も絶対的な裁量によってすべての必要な手段を行使することができる、という権限を確保した。票をかき集めるために、アメリカは何十億ドルもの贈賄を行い、地域紛争のための兵器を提供し、経済的報復をほのめかし、また報復を実行し、数十億ドルの貸付を含む)、人権侵害のいかんを問わず外交関係の開設をもちかけ、その他腐敗に満ちた方法を使って、アメリカの対イラク政策は普遍的といってよいほど国際的に承認されたものであるという外観をつくりだした。アメリカに反対する国は、イエメンのように、すでに約束されていた数百万ドルの援助を失うことになった。これは今まででもっとも高くついた投票である。
 ブッシュ大統領は、8月11日のイラクの提案を大幅に無視したのを始めとして、ブッシュ大統領が「みじめなペテン」と呼んだ翌年2月半ばの最後の和平提案まで、平和的解決をめざして交渉しようとするイラクの努力を一貫してはねのけ、嘲弄した。ブッシュ大統領は、侵略に対しては交渉も妥協も面子も報酬もありえないことを一貫して主張した。同時に、ブッシュ大統領は、外交的解決を拒否したと言って、サダム・フセインを非難した。
 ブッシュ大統領は、サダム・フセインを悪魔に仕立てあげる巧妙な宣伝活動を行った。この工作は、フセインをヒトラーになぞらえたり、保育器に入った数百人の赤ん坊の殺害についての報告を繰り返し引用したり、アメリカの情報機関が虚偽だと確信していることを知りながら、イラクが自国民およびイラン国民に化学兵器を使用したと非難することによって行われた。
 和平のための努力をことごとくひっくり返した後で、ブッシュ大統領は、次のように自問自答し、イラクの破壊を開始した。「なぜ待たないのか? ……世界はもはや待つことができない」。
 この一連の行動は、平和に対する犯罪にたる。

3 ブッシュ大統領は、イラク全土にわたって、民間の生活や経済的生産にとって不可欠な施設を破壊することを命令した。

 イラクに対する空爆とミサイル攻撃は、アメリカ東部時間1991年1月16日午後6時30分〔バグダッド時間で午前2時30分〕に開始するように命令されたが、これは最終期限より18時間半後のことであった。この時間はテレビのプライムタイムで報道されることを意図して、ブッシュ大統領が主張したものだ。爆撃は42日間続いた。イラク側は、航空機や地上からの効果的な対航空機・対ミサイル砲火によって抵抗しなかった。イラクは無防備の状態だった。
 アメリカは、イラクに対して11万機を出撃させ、8万8000トンの爆弾を投下したが、これは広島を破壊した原子爆弾の7倍に匹敵する。爆弾の93%は自由落下爆弾であり、大部分は高度3万フィート(1万メートル)以上の上空から投下された。残りの7%の爆弾はレーザー誘導装置をつけた爆弾だが、その25%以上が目標をはずれ、ほぼその全部が、もともと識別可能な目標を超えて、被害をもたらした。目標の大部分は、民用施設であった。
 一般市民生活や民用施設にむけられた爆撃の意図と努力は、イラクの経済基盤を系統的に破壊して、工業化以前の状態に陥れることにある。イラクの市民生活は、工業力に依存している。戦争後初めてイラクに入国した国連の調査団が報告しているように、アメリカの攻撃によって、イラクは黙示録に示された状態に近い惨状におかれた。目標とされた施設は以下のものだ。

・発電、電力中継および送電
・浄水装置、揚水や配水システムおよび貯水池
・電話・ラジオの交換局、中継局、発信局および送信施設
・食品加工、貯蔵や配送施設および市場、乳児用ミルク調整工場と飲料品工場、動物免疫施設、灌漑施設
・鉄道輸送施設、バス車庫、橋、主要高架道路、幹線道路、道路補修基地、列車、バスその他公共輸送車両、商業用車両および私用車両
・油井および油井ポンプ、パイプライン、石油精製所、石油貯蔵タンク ガソリン給油所、燃料輸送タンクローリーとトラック、および灯油貯蔵タンク
・下水処理システム
・民用物資の生産に従事する工場、たとえば繊維工場、自動車工場

 このような破壊の直接的な結果として、数万の人が脱水症、赤痢や不衛生な水に起因する病気、医師の効果的な治療の欠如、飢餓とショックと寒さとストレスから生じた衰弱によって死亡した。飲用可能な水、衛生的な居住条件、十分な食糧配給その他、必要な手段が提供されるまでには、もっと多くの人々が死ぬであろう。食糧供給が十分行われ、基本的なサービスが回復しない限り、1991年夏にかけてコレラ、チフス、肝炎その他の病気が流行する危険が高く、また餓死や栄養不良が生じる危険も高い。
 イラクの破滅は、アメリカによってのみ可能だったのであり、また、アメリカがほとんど一国で行った。この行動は、国連憲章、ハーグ条約、ジュネーブ条約、ニュルンベルク憲章ならびに武力紛争に関する法律に違反する。

4 アメリカは、文民の生命、商業およびビジネス地区、学校、病院、モスク、教会、避難所、居住地区、史跡、民用車両ならびに政府文民機関を意図的に爆撃し破壊した。

 民用施設の破壊により、一般住民はすべて、暖房、調理用燃料、冷蔵設備、飲料水、電話、ラジオやテレビ受信用の電源、公共輸送手段、民用車両のための燃料がない状態におかれ、食糧供給は限られ、学校も閉鎖され、大量失業がつくりだされ、経済活動は厳しく制限され、医療施設も閉鎖された。さらに、あらゆる主要都市と大部分の町村の居住地区が目標にされ破壊された。ベドウィンのキャンプがアメリカ軍機によって攻撃された。死傷者に加え、空襲によって2万戸の家屋、アパートその他の住居が破壊された。商店、事務所、ホテル、食堂その他公共宿泊施設のある商業センターが目標にされ、数千が破壊された。多数の学校、病院、モスクおよび教会が損傷を受け、あるいは破壊された。幹線道路その他道路上の民用車両、野外駐車や車庫の中の民用車両が、何千も目標にされ破壊された。この中には、公共用バス、民間のバンやミニバス、トラック、牽引トレーラー、タンク・ローリー、タクシーおよび自家用車が含まれている。この爆撃の目的は、この国全体を震えあがらせ、人民を殺害し、財産を破壊し、移動を阻止し、人民の士気を阻喪させて、政府転覆を余儀なくさせることだった。
 一般市民生活にとって必要不可欠の施設、居住用建物その他一般の建物および地区が爆撃され、「すくなくとも2万5000人の男女・子どもが殺された。ヨルダン赤新月社(赤十字社にあたる)の推定では、戦争終結1週間前に、文民11万3000人が死亡し、そのうち60%が子どもだった。
 この行動は、国連憲章、ハーグ条約およびジュネーブ条約、ニュルンベルク憲章ならびに武力紛争に関する法に違反する。

5 アメリカは意図的に、イラク全土にわたって無差別爆撃をおこなった。

 都市、町、地方および幹線道路に対する空襲において、アメリカ軍機は、無差別に爆撃と機銃掃射を行った。どの都市でも町でも、爆弾は、民用施設、軍事設備、または軍事上の標的にかかわりなく、偶然にゆだねられて、予定の目標からはるかに離れた地点に落下した。地方では、無差別爆撃が旅行者や村民に対して行われ、ベドウィンも例外ではなかった。この攻撃の目的は、生命を奪い財産を破壊し、一般住民を震え上がらせることにあった。幹線道路では、公共用バス、タクシーおよび旅客用運送車両を含む民間の車両が無差別に爆撃され地上掃射されたため、一般住民は恐怖により逃げたり、食べ物・医薬を求めたり、近親者を探すなど、幹線道路の通常の使用ができなくなった。これは結果として、老若男女を問わず、大きな移民グループを含むあらゆる国籍の人(アメリカ人さえも含む)、多数のクルド人やアッシリア人を含むあらゆる人種グループ、イスラム教スンニー派、シーア派、カルデア人その他キリスト教徒およびユダヤ教徒を含むあらゆる宗教徒に対する無差別な略式処刑、身体刑であった。アメリカがイラクにおける文民および兵員の死傷者やその内訳に対して故意に無関心を通したことは、空爆および地上作戦から生じた死亡人員について記者の質問に答えたコリン・パウエル将軍の次のような発言が典型的に示している。「実際、数じゃないのだ。私が気にしているのは」
 この行動は、ジュネーブ諸条約に追加される1997年の第一議定書第五十一条第四項に違反する。

6 ・・・略

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界一のならずもの国家」アメリカによる世界支配を終わらせて

2022年07月01日 | 国際・政治

 ウクライナ戦争の報道によって、私は、日本の主要メディアが、少しも真実の報道を心がけていないということを知ることになりました。また、国連憲章やユネスコ憲章、その他の国際条約や日本憲法の精神を尊重しようとしていないこともわかったように思います。
 6月22日、沖縄慰霊の日の朝日新聞天声人語に”…きょうは沖縄慰霊の日、始めてしまった無謀な戦争を終わらせることができず、日本は本土決戦の時間稼ぎに沖縄を使った。失われた命にはそれぞれに名前があり、全うすべき人生があった。いかなる戦争でも同じである。”とありました。
 その通りだと思います。だから、ウクライナの戦争を止め、和解をもたらすために、あらゆる努力をしなければいけないのではないかと思います。でも残念ながら、日本の政治団体や主要メディアは、戦争を止めるための努力を、ほとんどしていないように思われます。
 他の記事の中には”ウクライナ侵攻で、日本社会の戦争への忌避感は強まっただろう。半面、一方的に攻め込まれて必死に応戦するウクライナを応援する雰囲気の中で、「命と国土を守るための戦いならやむを得ない」と考える人が増え、軍事行動自体は必ずしも忌避されなくなってきたようにも見える”などという傍観者的な記事が出ていました。
 第一、”一方的に攻め込まれて必死に応戦するウクライナ”という受け止め方自体が、ロシアのウクライナ侵攻の理由や背景を、読者とともに考え、和解へと導こうとする姿勢の放棄を表明しているに等しいと思います。
 また、「東部要衝の攻防が今後を左右」などと題する防衛研究所主任研究官・山添博史氏の主張が掲載されたりしました。その中に、”…ロシア軍は武器の数量や射程で優位に立つ。「火砲」を駆使し、東部でウクライナ側の後方陣地をたたき続けている。ウクライナ側にとって重大な問題が、その火砲での劣勢だ。西側諸国の援助が期待されるが、補充が戦況に追いついていない。東部ルハンスウ州の要衝セベロドネツクでは激しい市街戦も起きている。ウクライナは苦しい状況だが、相当な犠牲を払ってでもロシア側を消耗させ、侵攻を遅らせる作戦なのだろう。ここでいかに戦うかで、ウクライナが別の場所で反転攻勢に出られるか、戦力を失ってロシア軍に押されていくのかが決まる。…”とありました。なぜ、戦争を止めようとせず、ウクライナ軍を支援することによって、ロシアを屈服させようとするような、武力主義的な主張を掲載するのでしょうか。
 どうして、ロシア側とウクライナ側の主張をしっかり受け止め、それを分析したり考察したりして、停戦のための妥協点を見つけようとしないのでしょうか。どうして、どのようにすれば停戦が可能になるかを考え、停戦による和解をもたらす動きを組織的に発展させようとしないのでしょうか。
 それはやはり、ウクライナ戦争を主導するアメリカには逆えないという判断の結果なのでしょうか。ウクライナ戦争を止め、和解をもたらす動きを実行に移すことは、アメリカの反発を招くと考えているからなのでしょうか。

 そのアメリカをチョムスキーが、「世界一のならずもの国家」と指摘していることは、チョムスキーが語るウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞」で取り上げました。

 チョムスキーによると、アメリカがセルビアで大規模空爆をおこなったことは戦争犯罪であるとして、ユーゴスラヴィアがNATOを告発したとき、NATO列強は裁判所が開廷にふみ切ることに合意したにもかかわらず、アメリカは拒否したといいます。
 また、アメリカは、さまざまな国際法の規定に関して、自国についての適用を排除・変更する目的をもって一方的に、「留保」を主張し、大規模空爆による「ジェノサイド」の罪からも「免責」されたといいます。アメリカだけは、例外的な特権を持っているということになります。

 その他、ラテンアメリカやアフリカ、中東や東アジア諸国で、多くの政権転覆や軍事クーデター、民主化運動弾圧に関わり、武力を行使した事実に基づいて、チョムスキーは、アメリカを「世界一のならずもの国家」と指摘したのですが、私はその指摘は間違っていないと思います。


 だから、ウクライナ戦争を止め、和解をもたらす動きを実行するためには、アメリカの主張する武器の供与や制裁ではなく、国際社会が法的に対応することが求められると思います。
 下記は、「アメリカの戦争犯罪」ラムゼイ・クラーク(柏書房)から抜萃しましたが、チョムスキーの「世界一のならずもの国家」という指摘の正しさを裏づける「告発」だと思います。特に「背景事実」に関する記述には、考えさせられることが多々あります。
 ウィリアム・ラムゼイ・クラーク(William Ramsey Clark)は、アメリカ合衆国の法律家で、ジョンソン大統領のもとで第66代司法長官を務めた人物です。その法的判断は、事実に基づいており、否定しようのないものだと思います。
 ウクライナ戦争をきっかけとして、今までのアメリカの数々の戦争犯罪を、国際的にきちんと処断し、アメリカの武力主義や制裁主義による世界支配を終わらせる努力をしてほしいと思います。国際法に基づく問題解決の道を切り開いてほしいと思うのです。そういう考える人は、数は少ないかも知れませんが、世界中に存在すると思います。

 イラクの問題は、プーチン大統領も演説で触れていますが、アメリカと距離を置く多くの国に脅威を感じさせるものであったと思います。また、世界中の人々に絶望を感じさせる蛮行であったと思います。だから、一日も早くウクライナ戦争を止め、和解をもたらすためにも、「世界一のならずもの国家」を放任しない歩みを始めてほしいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                      第一部 告発

                        告発状
被告人 
 ジョージブッシュ、ダンフォース・クエール、ジェームズ・ベーカー、リチャード・チェイニー、ウィリアム・ウェブスター、コリン・パウエル、ノーマン・シュワルツコフ

訴因
 平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪または国連憲章、国際法、アメリカの憲法および関連法規に違反する犯罪行為

前提的陳述
 この告訴状は、国際戦争犯罪法廷のための調査委員会の第一回聴聞に先立って、そのスタッフによって準備された。この告訴状の基礎となる直接的証拠および状況証拠は、次のものである。まず、公的文書および私的な文書、被告発者およびその他の者の公的な陳述ならびに告白、目撃者の供述。ついで、爆撃の最中および爆撃後においてこの委員会がイラク、中東で行った調査と目撃者の聞き取り、さらに1990年12月から1991年5月の間に収集された写真、ビデオテープ、専門家の分析、論評や聞き取り、マスコミによる報道、公刊された報告書と供述書である。調査委員会の聴取は、被告発者および国籍のいかんを問わずその他の者に対するこの告発または同等の告発について、これを裏づけ、その範囲を拡大し、これに追加し、あるいはこれと矛盾し、もしくはこれを否定し、または釈明するにふさわしい証拠が得られる主要都市において行われる予定である。被告発者およびその他の者の有罪を裏づけるのに十分な証拠が得られる場合には、アメリカ政府その他に対し文書の提出を求め、かつ、被告発者に対し、みずからまたは弁護人を通じて弁明する十分な機会を与えたうえで、証言することを請求した後、これらの証拠は、国際戦争犯罪法廷に提出されることになる。法廷は、収集された証拠を考慮し、補充証拠があれば、自らの選択にもとづきこれを探究し審査して、告発し、証拠および法によって判決を下すであろう。

背景事実
 第一次世界大戦後、イギリス、フランスおよびアメリカは、アラビア半島とペルシャ湾沿岸地域およびその石油資源を支配してきた。この支配は、軍事的征服および強制、経済的統制および搾取によって行われ、代理人ともいうべき当事国政府とその軍隊を通じて行われてきた。こうして、第二次世界大戦後1953年から79年まで、この地域に対する支配は、主として、湾岸首長国、サウジアラビアに対するアメリカの影響力の行使を通じて、さらにイラン国王を通じて行われた。1953年から79年まで、イラン国王は、ペンタゴン=CIA(中央情報局)の代理人として、湾岸地域における警察官の役目を果たした。イラン国王が失脚し、テヘランのアメリカ大使館人質事件が起こってからは、アメリカはイラン・イラク戦争において、ソ連、サウジアラビア、クウェートおよび大部分の首長国と同様、イラクに軍事的援助と支援を与えた。1980年から88年までの悲劇的な8年戦争におけるアメリカの政策を最も巧みに要約しているのは、ヘンリー・キッシンジャー(当時、米国務長官)がその初期に述べた次の言葉であろう。「互いに殺し合えばいい」。
 第一次世界大戦初期におけるイギリスのイラク侵略から1991年におけるアメリカ空軍のイラク破壊までの75年間を通じて、両大国は、この地域における民主主義、軍事的侵略、人権、社会正義あるいは政治的・文化的統合に対して、まったく関心を示さなかった。アメリカはイラン国王を25年間にわたって支持し、1972年から78年だけをとっても、200億ドル以上の新鋭軍事装備を売ってきた。この期間を通じて、イラン国王とその野蛮なサヴァク(秘密警察)は、世界で最もひどい人権侵害の記録のひとつを残した。1980年代になると、アメリカは、イラクが人権侵害をくり返していることを不問に付して、イラクがイランに対して不正な侵略を行った際には、これを支持した。
 1972年にイラク政府がイラク石油会社を国有化したとき、ニクソン政権は、イラク政府の転覆工作に乗り出した。1970年代にアメリカはクルド人を武装させたが、やがてクルド人を見捨て、数万におよぶ死者を出させた。アメリカは、CIAその他の機関を通じてクルド人を操り、イラクを攻撃させた。そこには、クルド人の生命をもってイランの優位を維持しながら、イラクを苦しめようとする意図はあったが、クルド人民の利益やクルディスタンの自治をはかる意図はなかった。
 サウジアラビアやクウェートには、民主主義的な制度がまったくなく、常軌を逸した人権侵害、たとえば姦通に対する石での撲殺とか財産犯罪に対する手の切断などのように、残虐で非人間的な処罰があるにもかかわらず、両国と石油その他の緊密な経済関係をもつアメリカは、両国政府を全面的に支持してきた。一方アメリカは、イスラエルが、パレスチナ人の権利に関する多数の国連決議を無視し、レバノンに侵攻して数万の命を奪い、南レバノン、ゴラン高原、ヨルダン川西岸地域およびガザ地区を引き続き占領しているにもかかわらず、時には孤立してでもイスラエルを支持した。
 アメリカ自身、近年、国際法に違反して次のような侵略を行った。1983年のグレナダ侵攻、1986年におけるリビアのトリポリ、ベンガジへの爆撃、ニカラグアにおけるコントラ、南部アフリカのアンゴラ完全独立民族同盟(UNITA)への資金援助、リベリア、チリ、エルサルバドル、グアテマラ、フィリピンおよびその他多数の地域における軍事独裁政権の支持がそれにあたる。
 アメリカによる1989年12月のパナマ侵攻は、イラクのクウェート侵攻に適用されるのと同様な、あるいはそれ以上の国際法違反を伴っている。アメリカの侵攻は、1000名ないし4000名のパナマ人の生命を奪った。アメリカ政府は、現在もなお死者の数を隠している。アメリカの侵略は、パナマ全土に大規模な財産破壊を引き起こした。アメリカの人権団体や国際的な人権団体の推定によれば、イラクの侵攻およびその後数ヶ月にわたる占領によって生じたクウェート側の死亡人員は「数百」すなわち300ないし600の数にのぼる。クウェートからの報告によれば、サバハ王家がクウェートの支配権を回復して以来、クウェート人の暗殺隊によって殺されたパレスチナ人は628人にのぼる。
 経済問題によってソ連の軍事力が無力化したことが明らかになり、またソ連軍がアフガニスタンから撤退した1980年代末に、アメリカは、アラビア半島での石油およびその他の権益に対する支配力を確保するため、軍事計画を変更した。これ以後、湾岸地域内における直接的な軍事的支配がアメリカの戦略になった。
 1989年にアメリカで石油生産が減少した。このことにより、専門家は、アメリカの湾岸地域からの石油輸入が89年の10%から2000年には25%に上昇すると予想した。湾岸地域への、日本やヨーロッパの依存度はさらに大きい。

告発
ーーー
 1 アメリカは、イラクを挑発して、アメリカの対イラク軍事行動および湾岸に対するアメリカの永続的な軍事的支配を正当化する目的で、1989年にあるいはそれ以前に開始された一連の行動をとった。
ーーー
 1989年に、統合参謀本部議長コリン・パウエル将軍および中央軍最高司令官ノーマン・シュワルツコフ将軍は、対イラク地域紛争への介入を準備するため、ペルシャ湾に関する軍事作戦および計画を全面的に改訂した。CIAは、クウェートを支援し、石油輸出国機構(OPEC)の石油生産協定違反、イラクと共有の石油資源からの過剰な石油採掘、イラン・イラク戦争時における対イラク借款の返済要求、そして、これらの紛争に関する対イラク交渉の打ち切りなどの行動を導いた。アメリカはクウェートに対する軍事行動にイラクを駆り立てることを意図し、これによってアメリカの介入が正当化されるものと見ていた。
 1989年に、CIA長官のウィリアム・ウェブスターは、アメリカの湾岸からの石油の輸入量が驚くほど増加していることをアメリカ議会で証言した。この証言によると、アメリカの消費量(に占める湾岸地域からの輸入石油の割合)が1973年の5%から89年には10%に増大しており、さらに2000年までには、アメリカの全石油消費量の25%を占めることが予想されている。1990年代初頭に、シュワルツコフ将軍は、アメリカ上院の軍事問題委員会において、湾岸地域での新しい軍事戦略について話したが、これは地域紛争が生じた場合に、湾岸地域の石油に対するアメリカの権利および支配力を守るためにとられるはずのものだった。
 1990年7月にシュワルツコフ将軍とその幕僚は、イラク装甲師団に対して10万のアメリカ軍を戦わせるというコンピューター化された詳細な図上演習を実施した。
 クウェートに対するイラクの脅迫行為が度重なっているにもかかわらず、アメリカはこれに対してまったく異議を示さなかった。アメリカ企業は、イラクにおいて大規模な契約を獲得しようとした。アメリカ議会は、自国の農作物を輸出する目的で、数億ドルにのぼる農業貸付補助金をイラクに対し承認した。しかし、イラクがもっぱらアメリカから輸入しているコメ、トウモロコシ、小麦その他基本的作物の食糧供給に対し行われた貸し付けは、1990年春に打切られ、イラクでは食糧不足が生じた。アメリカの軍事産業からイラクに兵器が売却された。サダム・フセインはアメリカ大使エイプリル・グラスピーに対し、クウェートに対するイラクの脅威に関して、国務省が議会でどのような発言をするのか説明を求めた。これに対し大使は、アメリカはこの紛争を地域問題と考えており、介入するつもりはないことを確言した。これらの行為によって、アメリカにはイラクに挑発行為を行わせ、戦争を正当化しようとする意図があったことがわかる。
 1990年8月2日、イラクは大した抵抗も受けずに、クウェートを占領した。
 同年8月3日、ブッシュ大統領は、サウジアラビアを防衛することを約束した。サウジアラビアに対する脅威についてはまったく証拠がないのに、しかもイラクにはサウジアラビアに侵入する意図がまったくないとファハド国王が信じていたにもかかわらず、この約束はなされた。ブッシュ大統領は
、ほとんど即座に、チェイニー国防長官、パウエル将軍およびシュワルツコフ将軍をサウジアラビアに派遣した。8月6日には、シュワルツコフ将軍がファハド国王に対して、サダム・フセインが48時間以内にサウジアラビアを攻撃する可能性があるとアメリカは考えている、と告げた。アラブ諸国による、湾岸危機に対する解決に向けての努力は打ち砕かれた。アメリカは、50万以上の兵力をゆっくり構築し、防衛能力のないイラクとその軍隊に対し、航空機とミサイルによる系統的な破壊を開始した。しかしイラクが、、実際にサウジアラビアを攻撃したのは、5か月以上も後のことであった。1990年10月、パウエル将軍は、新軍事計画が1989年に練られていたことを明らかにした。湾岸戦争後、シュワルツコフ将軍は、戦闘のための計画作成に18ヶ月費やしたと述べた。
 アメリカは、イラクおよびこの地域全体に軍隊を駐留させ、永続的な軍事力を維持することを発表した。
 このような一連の行動は、平和に対する犯罪にあたる。
ーーー
 2 ブッシュ大統領は1990年8月2日から、イラクを経済的かつ軍事的に破壊するみずからの計画に対するいっさいの干渉を妨げるよう意図し、かつ行動した。
ーーー
 以下、119項目の戦争犯罪とその証拠や説明が続いているのですが、次回に、その一部を取り上げたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一のならずもの国家、アメリカによる世界支配を終わらせて

2022年07月01日 | 国際・政治

 ウクライナ戦争の報道によって、私は、日本のメディアが、少しも真実の報道を心がけていないということを知ることになりました。また、国連憲章やユネスコ憲章、その他の国際条約や日本憲法の精神を尊重しようとしていないこともわかったように思います。
 6月22日、沖縄慰霊の日の朝日新聞天声人語に”…きょうは沖縄慰霊の日、始めてしまった無謀な戦争を終わらせることができず、日本は本土決戦の時間稼ぎに沖縄を使った。失われた命にはそれぞれに名前があり、全うすべき人生があった。いかなる戦争でも同じである。”とありました。
 その通りだと思います。だから、ウクライナの戦争を止め、和解をもたらすために、あらゆる努力をしなければいけないのではないかと思います。でも残念ながら、戦争を止めるための努力は、ほとんどなされていないと思います。
 他の記事の中には”ウクライナ侵攻で、日本社会の戦争への忌避感は強まっただろう。半面、一方的に攻め込まれて必死に応戦するウクライナを応援する雰囲気の中で、「命と国土を守るための戦いならやむを得ない」と考える人が増え、軍事行動自体は必ずしも忌避されなくなってきたようにも見える”などという傍観者的な記事が出ていました。
 第一、”一方的に攻め込まれて必死に応戦するウクライナ”という受け止め方は、ロシアのウクライナ侵攻の理由や背景を、読者とともに考え、和解へと導こうとする姿勢の放棄を表明しているのに等しいと思います。
 また、「東部要衝の攻防が今後を左右」などと題する防衛研究所主任研究官・山添博史氏の主張が掲載されたりしました。その中に、”…ロシア軍は武器の数量や射程で優位に立つ。「火砲」を駆使し、東部でウクライナ側の後方陣地をたたき続けている。ウクライナ側にとって重大な問題が、その火砲での劣勢だ。西側諸国の援助が期待されるが、補充が戦況に追いついていない。東部ルハンスウ州の要衝セベロドネツクでは激しい市街戦も起きている。ウクライナは苦しい状況だが、相当な犠牲を払ってでもロシア側を消耗させ、侵攻を遅らせる作戦なのだろう。ここでいかに戦うかで、ウクライナが別の場所で反転攻勢に出られるか、戦力を失ってロシア軍に押されていくのかが決まる。…”とありました。なぜ、戦争を止めようとせず、ウクライナ軍を支援することによって、ロシアを屈服させようとするような、武力主義的な主張を掲載するのでしょうか。
 どうして、ロシア側とウクライナ側の主張をしっかり聞き取り、それを分析したり考察したりして、停戦のための妥協点を見つけようとしないのでしょうか。どうして、どのようにすれば停戦が可能になるかを考え、停戦による和解をもたらす動きを組織的に発展させようとしないのでしょうか。
 それはやはり、ウクライナ戦争を主導するアメリカには逆らわないほうがよいという判断の結果なのでしょうか。ウクライナ戦争を止め、和解をもたらす動きを実行に移すことは、アメリカの戦略に反すると考えているからなのでしょうか。

 そのアメリカをチョムスキーが、「世界一のならずもの国家」と指摘していることは、チョムスキーが語るウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞」で取り上げました。

 チョムスキーによると、アメリカがセルビアで大規模空爆をおこなったことは戦争犯罪であるとして、ユーゴスラヴィアがNATOを告発したとき、NATO列強は裁判所が開廷にふみ切ることに合意したにもかかわらず、アメリカは拒否したといいます。
 また、アメリカは、さまざまな国際法の規定に関して、自国についての適用を排除・変更する目的をもって一方的に、「留保」を主張しており、大規模空爆による「ジェノサイド」の罪からも「免責」されたといいます。アメリカだけは、例外的な特権を持っているということだと思います。その他、ラテンアメリカやアフリカ、中東や東アジアでの多くの武力行使の事実に基づいて、チョムスキーは、アメリカを「世界一のならずもの国家」と指摘したのですが、私はその指摘は間違っていないと思います。


 だから、ウクライナ戦争を止め、和解をもたらす動きを実行するためには、武器の供与や制裁ではなく、国際社会の法的対応が求められると思います。
 下記は、「アメリカの戦争犯罪」ラムゼイ・クラーク(柏書房)から抜萃しましたが、チョムスキーの「世界一のならずもの国家」という指摘の正しさを裏づける「告発」だと思います。特に「背景事実」に関する記述には、考えさせられることが多々あります。
 ウィリアム・ラムゼイ・クラーク(William Ramsey Clark)は、アメリカ合衆国の法律家で、ジョンソン大統領のもとで第66代司法長官を務めた人物です。その法的判断は、事実に基づいており、否定しようのないものだと思います。
 ウクライナ戦争をきっかけとして、今までのアメリカの数々の戦争犯罪を、国際的にきちんと処断し、アメリカの武力主義や制裁主義による世界支配を終わらせる努力をしてほしいと思います。国際法に基づく問題解決の道を切り開いてほしいと思うのです。

 イラクの問題は、プーチン大統領も演説で触れていますが、アメリカと距離を置く多くの国に脅威を感じさせるものであったと思います。また、世界中の人々に絶望を感じさせる蛮行であったと思います。だから、一日も早くウクライナ戦争を止め、和解をもたらすためにも、「世界一のならずもの国家」を放任しない歩みを始めてほしいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   第一部 告発

                     告発状
被告人 
 ジョージブッシュ、ダンフォース・クエール、ジェームズ・ベーカー、リチャード・チェイニー、ウィリアム・ウェブスター、コリン・パウエル、ノーマン・シュワルツコフ

訴因
 平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪または国連憲章、国際法、アメリカの憲法および関連法規に違反する犯罪行為

前提的陳述
 この告訴状は、国際戦争犯罪法廷のための調査委員会の第一回聴聞に先立って、そのスタッフによって準備された。この告訴状の基礎となる直接的証拠および状況証拠は、次のものである。まず、公的文書および私的な文書、被告発者およびその他の者の公的な陳述ならびに告白、目撃者の供述。ついで、爆撃の最中および爆撃後においてこの委員会がイラク、中東で行った調査と目撃者の聞き取り、さらに1990年12月から1991年5月の間に収集された写真、ビデオテープ、専門家の分析、論評や聞き取り、マスコミによる報道、公刊された報告書と供述書である。調査委員会の聴取は、被告発者および国籍のいかんを問わずその他の者に対するこの告発または同等の告発について、これを裏づけ、その範囲を拡大し、これに追加し、あるいはこれと矛盾し、もしくはこれを否定し、または釈明するにふさわしい証拠が得られる主要都市において行われる予定である。被告発者およびその他の者の有罪を裏づけるのに十分な証拠が得られる場合には、アメリカ政府その他に対し文書の提出を求め、かつ、被告発者に対し、みずからまたは弁護人を通じて弁明する十分な機会を与えたうえで、証言することを請求した後、これらの証拠は、国際戦争犯罪法廷に提出されることになる。法廷は、収集された証拠を考慮し、補充証拠があれば、自らの選択にもとづきこれを探究し審査して、告発し、証拠および法によって判決を下すであろう。

背景事実
 第一次世界大戦後、イギリス、フランスおよびアメリカは、アラビア半島とペルシャ湾沿岸地域およびその石油資源を支配してきた。この支配は、軍事的征服および強制、経済的統制および搾取によって行われ、代理人ともいうべき当事国政府とその軍隊を通じて行われてきた。こうして、第二次世界大戦後1953年から79年まで、この地域に対する支配は、主として、湾岸首長国、サウジアラビアに対するアメリカの影響力の行使を通じて、さらにイラン国王を通じて行われた。1953年から79年まで、イラン国王は、ペンタゴン=CIA(中央情報局)の代理人として、湾岸地域における警察官の役目を果たした。イラン国王が失脚し、テヘランのアメリカ大使館人質事件が起こってからは、アメリカはイラン・イラク戦争において、ソ連、サウジアラビア、クウェートおよび大部分の首長国と同様、イラクに軍事的援助と支援を与えた。1980年から88年までの悲劇的な8年戦争におけるアメリカの政策を最も巧みに要約しているのは、ヘンリー・キッシンジャー(当時、米国務長官)がその初期に述べた次の言葉であろう。「互いに殺し合えばいい」。
 第一次世界大戦初期におけるイギリスのイラク侵略から1991年におけるアメリカ空軍のイラク破壊までの75年間を通じて、両大国は、この地域における民主主義、軍事的侵略、人権、社会正義あるいは政治的・文化的統合に対して、まったく関心を示さなかった。アメリカはイラン国王を25年間にわたって支持し、1972年から78年だけをとっても、200億ドル以上の新鋭軍事装備を売ってきた。この期間を通じて、イラン国王とその野蛮なサヴァク(秘密警察)は、世界で最もひどい人権侵害の記録のひとつを残した。1980年代になると、アメリカは、イラクが人権侵害をくり返していることを不問に付して、イラクがイランに対して不正な侵略を行った際には、これを支持した。
 1972年にイラク政府がイラク石油会社を国有化したとき、ニクソン政権は、イラク政府の転覆工作に乗り出した。1970年代にアメリカはクルド人を武装させたが、やがてクルド人を見捨て、数万におよぶ死者を出させた。アメリカは、CIAその他の機関を通じてクルド人を操り、イラクを攻撃させた。そこには、クルド人の生命をもってイランの優位を維持しながら、イラクを苦しめようとする意図はあったが、クルド人民の利益やクルディスタンの自治をはかる意図はなかった。
 サウジアラビアやクウェートには、民主主義的な制度がまったくなく、常軌を逸した人権侵害、たとえば姦通に対する石での撲殺とか財産犯罪に対する手の切断などのように、残虐で非人間的な処罰があるにもかかわらず、両国と石油その他の緊密な経済関係をもつアメリカは、両国政府を全面的に支持してきた。一方アメリカは、イスラエルが、パレスチナ人の権利に関する多数の国連決議を無視し、レバノンに侵攻して数万の命を奪い、南レバノン、ゴラン高原、ヨルダン川西岸地域およびガザ地区を引き続き占領しているにもかかわらず、時には孤立してでもイスラエルを支持した。
 アメリカ自身、近年、国際法に違反して次のような侵略を行った。1983年のグレナダ侵攻、1986年におけるリビアのトリポリ、ベンガジへの爆撃、ニカラグアにおけるコントラ、南部アフリカのアンゴラ完全独立民族同盟(UNITA)への資金援助、リベリア、チリ、エルサルバドル、グアテマラ、フィリピンおよびその他多数の地域における軍事独裁政権の支持がそれにあたる。
 アメリカによる1989年12月のパナマ侵攻は、イラクのクウェート侵攻に適用されるのと同様な、あるいはそれ以上の国際法違反を伴っている。アメリカの侵攻は、1000名ないし4000名のパナマ人の生命を奪った。アメリカ政府は、現在もなお死者の数を隠している。アメリカの侵略は、パナマ全土に大規模な財産破壊を引き起こした。アメリカの人権団体や国際的な人権団体の推定によれば、イラクの侵攻およびその後数ヶ月にわたる占領によって生じたクウェート側の死亡人員は「数百」すなわち300ないし600の数にのぼる。クウェートからの報告によれば、サバハ王家がクウェートの支配権を回復して以来、クウェート人の暗殺隊によって殺されたパレスチナ人は628人にのぼる。
 経済問題によってソ連の軍事力が無力化したことが明らかになり、またソ連軍がアフガニスタンから撤退した1980年代末に、アメリカは、アラビア半島での石油およびその他の権益に対する支配力を確保するため、軍事計画を変更した。これ以後、湾岸地域内における直接的な軍事的支配がアメリカの戦略になった。
 1989年にアメリカで石油生産が減少した。このことにより、専門家は、アメリカの湾岸地域からの石油輸入が89年の10%から2000年には25%に上昇すると予想した。湾岸地域への、日本やヨーロッパの依存度はさらに大きい。

告発
ーーー
 1 アメリカは、イラクを挑発して、アメリカの対イラク軍事行動および湾岸に対するアメリカの永続的な軍事的支配を正当化する目的で、1989年にあるいはそれ以前に開始された一連の行動をとった。
ーーー
 1989年に、統合参謀本部議長コリン・パウエル将軍および中央軍最高司令官ノーマン・シュワルツコフ将軍は、対イラク地域紛争への介入を準備するため、ペルシャ湾に関する軍事作戦および計画を全面的に改訂した。CIAは、クウェートを支援し、石油輸出国機構(OPEC)の石油生産協定違反、イラクと共有の石油資源からの過剰な石油採掘、イラン・イラク戦争時における対イラク借款の返済要求、そして、これらの紛争に関する対イラク交渉の打ち切りなどの行動を導いた。アメリカはクウェートに対する軍事行動にイラクを駆り立てることを意図し、これによってアメリカの介入が正当化されるものと見ていた。
 1989年に、CIA長官のウィリアム・ウェブスターは、アメリカの湾岸からの石油の輸入量が驚くほど増加していることをアメリカ議会で証言した。この証言によると、アメリカの消費量(に占める湾岸地域からの輸入石油の割合)が1973年の5%から89年には10%に増大しており、さらに2000年までには、アメリカの全石油消費量の25%を占めることが予想されている。1990年代初頭に、シュワルツコフ将軍は、アメリカ上院の軍事問題委員会において、湾岸地域での新しい軍事戦略について話したが、これは地域紛争が生じた場合に、湾岸地域の石油に対するアメリカの権利および支配力を守るためにとられるはずのものだった。
 1990年7月にシュワルツコフ将軍とその幕僚は、イラク装甲師団に対して10万のアメリカ軍を戦わせるというコンピューター化された詳細な図上演習を実施した。
 クウェートに対するイラクの脅迫行為が度重なっているにもかかわらず、アメリカはこれに対してまったく異議を示さなかった。アメリカ企業は、イラクにおいて大規模な契約を獲得しようとした。アメリカ議会は、自国の農作物を輸出する目的で、数億ドルにのぼる農業貸付補助金をイラクに対し承認した。しかし、イラクがもっぱらアメリカから輸入しているコメ、トウモロコシ、小麦その他基本的作物の食糧供給に対し行われた貸し付けは、1990年春に打切られ、イラクでは食糧不足が生じた。アメリカの軍事産業からイラクに兵器が売却された。サダム・フセインはアメリカ大使エイプリル・グラスピーに対し、クウェートに対するイラクの脅威に関して、国務省が議会でどのような発言をするのか説明を求めた。これに対し大使は、アメリカはこの紛争を地域問題と考えており、介入するつもりはないことを確言した。これらの行為によって、アメリカにはイラクに挑発行為を行わせ、戦争を正当化しようとする意図があったことがわかる。
 1990年8月2日、イラクは大した抵抗も受けずに、クウェートを占領した。
 同年8月3日、ブッシュ大統領は、サウジアラビアを防衛することを約束した。サウジアラビアに対する脅威についてはまったく証拠がないのに、しかもイラクにはサウジアラビアに侵入する意図がまったくないとファハド国王が信じていたにもかかわらず、この約束はなされた。ブッシュ大統領は
、ほとんど即座に、チェイニー国防長官、パウエル将軍およびシュワルツコフ将軍をサウジアラビアに派遣した。8月6日には、シュワルツコフ将軍がファハド国王に対して、サダム・フセインが48時間以内にサウジアラビアを攻撃する可能性があるとアメリカは考えている、と告げた。アラブ諸国による、湾岸危機に対する解決に向けての努力は打ち砕かれた。アメリカは、50万以上の兵力をゆっくり構築し、防衛能力のないイラクとその軍隊に対し、航空機とミサイルによる系統的な破壊を開始した。しかしイラクが、、実際にサウジアラビアを攻撃したのは、5か月以上も後のことであった。1990年10月、パウエル将軍は、新軍事計画が1989年に練られていたことを明らかにした。湾岸戦争後、シュワルツコフ将軍は、戦闘のための計画作成に18ヶ月費やしたと述べた。
 アメリカは、イラクおよびこの地域全体に軍隊を駐留させ、永続的な軍事力を維持することを発表した。
 このような一連の行動は、平和に対する犯罪にあたる。
ーーー
 2 ブッシュ大統領は1990年8月2日から、イラクを経済的かつ軍事的に破壊するみずからの計画に対するいっさいの干渉を妨げるよう意図し、かつ行動した。
ーーー
 以下略

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする