真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

戦争に関わる歴史の真実は・・・ http://hide20.web.fc2.com に記事にリンクの一覧表


関東大震災 「王希天」虐殺事件

2011年12月17日 | 国際・政治
 関東大震災直後、多数の朝鮮人が虐殺されたことはよく知られている。しかし、中国人の集団虐殺があったことは、あまり知られていない。また、無政府主義者大杉栄と内縁の妻伊藤野枝および甥の橘宗一(6歳)が、東京憲兵隊の甘粕大尉によって殺されたことはよく知られている(事実は、軍の組織的虐殺で、彼が軍の組織防衛のために、犯人となることを引き受けた事件のようである)。しかし、中国人「王希天」が虐殺されたことは、あまり知られていない。
 留日学生「王希天」は、当時中国人労働者のための僑日共済会長であり、中国人なら知らない者はなく、また、日本人にも広く知られた人望家であったという。そんな彼が、震災後の中国人労働者たちの様子を確かめに危険を承知で大島町へでかけたまま帰らなかった。王兆澄をはじめ、危険性を指摘していた友人たちが、彼の身を案じて探し回った。「震災下の中国人虐殺 中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか」仁木ふみ子(青木書店)には「14日以後は、日華学会、救世軍、および丸山伝太郎、佐藤定吉、服部マスらが、外務省や警視庁を訪ねた」とある。多くの日本人も、彼の身を案じたのである。しかし、日本の関係機関は一致して隠蔽方針をとり、真実を明らかにすることはなかった。
 
 「関東大震災と王希天事件 もうひとつの虐殺秘史」(三一書房)の著者「田原 洋」は、王希天を背後から斬ったという垣内中尉(当時)の証言を、事件後五十数年を経た1981年に、直接本人から得ている。しかしながら、当時の官憲は、その事実を隠蔽し「分隊本部に行く途中放還した云々」を繰り返したのである。そして、それは、陸軍のみならず、日本政府決定の隠蔽方針に基づくものであった。
 多くの人たちが、王希天が殺されたことを漏れ聞いていたにもかかわらず、である。
 「震災下の中国人虐殺 中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか」の著者仁木ふみ子は、中国の温州を訪ね、同郷の者6人を殺されたという温州沢雅県の88歳になる老人、陳国法(チェンクオファ)から「王希天はね、ころがっている死体をいちいち中国人かどうか調べて歩いたよ、だから自分が殺されてしまったのだと聞いているよ」との証言を得ている。

 下記は、隠蔽を決定した戒厳司令部の筋書きと、中国代理公使の照会・抗議文に対する日本政府の正式回答、および、上からの命令によって、隠蔽を主導した遠藤大尉(当時)と王希天を斬った垣内中尉(当時)の事件後59年を経ての証言である。「関東大震災と王希天事件 もうひとつの虐殺秘史」田原 洋著(三一書房)からの抜粋である。こうした事実を隠蔽したままの歴史教育について考えさせられる。

陸軍創作の王希天虐殺隠蔽の筋書き------------------
                  第1章 死地へ赴く
4 護送か抹殺か
 どうしても「王を斬る」


 ・・・
 まず、殺害から1ヶ月後、10月13日に戒厳司令部から外務大臣に提出された覚書(外務省文書「大島町事件其ノ他支那人殺傷事件」つづり所収──以下、単に「事件つづり」と称す)がある。殺害を隠蔽する方針を決めていた陸軍だったが、中国に帰った労働者、学生たちが「事件」を語り、それが中国紙のニュースとなり、日本の新聞も動き始めたため、ついに「事情説明」をせざるを得なくなったときの文書である。もちろん、事情説明といっても、政府部内での「口裏合わせ」用の資料の類にすぎない。

 王希天ノ件左記ノ通
佐々木大尉ハ亀戸税務署ニ中隊本部ヲ置キ鮮人及ビ支那人ヲ習志野ニ汽車輸送ヲナスニ当リ、其ノ受領及ビ運輸ノ業務ニ従事、9月11日午前11時ゴロ、巡査ガ王希天以下10名ノ支那人ヲ護送シ来リタルニヨリ之ヲ受ケ取リタルニ、巡査ノ一名ガ「王希天ハ排日支那人ノ巨頭ナレバ注意セラレタシ」ト、告ゲタルヲ以テ、口頭ニテハ判明セザルガ故ニ、書面ニテ通知セラレタシト求メ置キタルニ、

午後2時過ギニ至ルモ、書面ヲ送付セザルニヨリ、鉛筆書ニテ亀戸警察署ニ「支那人王希天ニ関スル調査ノ件、至急御送付相ナリタシ云々」ナル書面ヲ差出シタルニ、亀戸警察署長ヨリ半紙全罫紙一枚ノ王希天ノ素行ニ関スル事ヲ認(シタタ)メタル書面ヲ、同日午後3時40分送付シ来リタリ。
ヨッテ王希天ハ直ニ習志野ヘ送付スルハ危険ナリト思惟シ、翌朝早ク野戦重砲兵第三旅団司令部ニ同行スルヲ適当ト認(ミト)メ、其ノ事ヲ亀戸警察署ニ告ゲテ王希天ヲ預ケ置キ其ノ旨ヲ上記旅団司令部ニ報告シタリ。

シカシテ翌12日午前3時、亀戸警察署ヨリ王希天受領シ、亀戸町東洋モスリン株式会社ニ在リタル右旅団司令部ニ同行ノ途中、種々取調ベヲナシタルトコロ、王希天ハ相当ノ教育モアリ、元支那ノ名望家ニテ在京ノ支那人中ニ知ラレオリ、何等危険ナキ者ト認メタルニヨリ、旅団司令部ニ連レ行キ厳重ナル手続キヲナスヨリハ、此ノママ放置スルヲ可ナリト考エ、本人ニ対シ「習志野ニ行クコトヲ嫌ッテイル様デアリ又教育モアルノデアルカラ十分注意ヲシテ間違イヲセヌ様ニセヨ、自分ガ責任ヲ負イ逃ガシテヤル」ト告ゲタレバ本人モ非常ニ悦ビタリ。ヨッテ同日午前4時30分ゴロ前記会社西北方約千米ノ電車線路付近ニ於テ同人ヲ放置シタルニ、東方小松川町方面ニ向カイ立去リタリ。


 ウソばかりの釈明に含まれた事実
 言うまでもなく、内容はウソで固められている。ところがウソとしてもお粗末なものである。第一に9、10日のことが何も書かれていない。第二に、いったん習志野へ護送と決まった人物を、巡査がそそのかしただけで保留したのはスジが通らない。警察に突き返せばいいはずだ。第三に、さんざん催促して入手した”罪状書”をもとに、旅団司令部で厳重取調べの方針を決め(連絡もした)たのに、一転、道中の会話だけで「自分の責任」で逃がすなどあり得ない。一大尉にできることではない。第四に、進行の時間が不自然。第五に、都心(西方)に向かうべき人物が、東方向の小松川に向かうわけがない。

 ・・・

中国代理公使の照会・抗議文に対する日本政府の正式回答--------
(責任追及を逃れるために、上記より更に曖昧な内容となっている)

            第6章 日中間の大問題に発展

 「大島町・王希天」に触れない回答

 ・・・
 以書翰致啓上候、陳者(ノブレバ)今回ノ震災ニ際シ危害ヲ被リタル貴国人ノ件ニ関シ……当該官憲ヲシテ厳密調査ヲ遂ゲシメタル結果、今日マデニ判明セル事実大要左記ノ通リニ有之(コレアリ)候。
一、中華僑日共済会長、吉林学生王希天ハ9月10日東京市外大島町ヲ徘徊中、亀戸警察署ニ於テ万一ノ危険ヲ慮(オモンバカ)リ、一時同署ニ収容保護ヲ加エ、12日早朝、習志野救護所ニ送致スルタメ、同方面警備ノ任ニ当リ居タル軍隊ニ引継タルニ、同軍隊係員ハ、王ガ一見普通労働者ト挙措(キョソ)ヲ異ニスル点アルヲ発見シ、念ノタメ取調ベタルニ、相当ノ教育アル者ニシテマタ日本語ニモ熟達シオリ、習志野ニ送致スルノ必要ナシト認メタル折リ柄、同人モマタソノ寓所タル早稲田ニ帰還シタシト申シ述ベタルヲモッテ、同係員ニ於テ直ニソノ希望ヲ容(イ)レ、コレヲ放還セリ。シカルニソノ後同人ハソノ寓所ニ帰還セザル趣ニ付、帝国官憲ニ於テ目下極力ソノ行衛捜査中ナリ。

……(続きあり)

59年後の関係者の証言-----------------------
                 序章 59年目の新証言

 元陸軍中将の爆弾証言

 ・・・
 1981年春、私は遠藤三郎・元陸軍中将(陸士26期、1893年1月生まれ)を訪ねる機会があった。遠藤は旧陸軍のエリート軍人(敗戦時、閣僚級の航空兵器総局長官)である。米寿に達していたが記憶は確かだった。2人の対話が、関東大震災のことに触れたとき、遠藤は、当時「第一師団野戦重砲兵第三旅団第一連隊第三中隊長・大尉として、東京・江東地区警備の第一線にいたと語った。
「大杉が殺されましたね」私が会話のつなぎのつもりで、何気なく応じると、遠藤は
大杉どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだと言いだした。
「オーキテンという支那人労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。朝鮮人とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(インペイ)したんだ」

 ・・・

 その結果(1)オーキテンは王希天(2)労働運動家ではなく、学生兼社会事業家(YMCA幹事)(3)中国人虐殺は、朝鮮人虐殺のカゲに隠れているが、決して少数ではない(4)すでに一部研究者の間で「中国人虐殺・王希天殺害事件」を、先の3大事件(朝鮮人大虐殺、亀戸事件、大杉栄殺害事件)と並べ「大震災下の不当(思想弾圧)虐殺四大事件の一」として位置づける試みが行われている(5)しかし、いぜんとしてナゾが多く、一般の歴史常識とはなっていない──などがわかった。
 右の中間報告をたずさえて、遠藤を再訪した。私は(1)王希天に関する遠藤証言は、歴史的にきわめて重要である。(2)角田房子は追加取材せず、遠藤のミスリードのまま文章化している──の2点を、とくに指摘した。頭脳明晰で知られる遠藤の表情が、引きしまっていくのが見てとれた。
「へえ
、王希天は社会主義者じゃなかったのか主義者だから殺していいというわけじゃないが、正直なところ隠蔽工作にたずさわったことを、今日まで深刻に反省したことはない。(しばらく沈黙して)いや実は斬殺した犯人も知っておる……おそらく、まだ生きておるだろう……うーん、田原さん、オレはいま心の整理がついた。これは、事実をきちんと書き残すべき(事件)だな。知っていることはすべて話すから、あなたも、もっと調べてほしい」

 真犯人をさがし当てた
 遠藤は、斬殺犯人の姓しかおぼえていなかったが、陸軍士官学校卒業生である。その男の名は、容易に知れた。
垣内八洲夫、陸士31期、1897年5月生まれ。A県A市……に健在。
 初夏の太陽が照りつける昼下がり、私はA市郊外の垣内家をさがしあてた。……

 ・・・
 以下、そのやりとりをできるだけ忠実に再現してみる。

 ──関東大震災のとき江東区の警備部隊に属しておられましたね。
 垣内 はい(一瞬、緊張の色が横切(ヨギ)る)。
 ── 王希天という名の中国人留学生が殺されたことをおぼえておられますか。
 垣内 (ドキッとした表情、次いで質問の意図をはかりかねる呆然たる表情、さら
    に開き直ったようなうす笑いと、めまぐるしく表情を変えたあと、横をむいて)
    ……そんなこともありましたね。
 ── 王希天の名をよくおぼえておられましたね。
 垣内 (あわてて)いや、それは、後で新聞を見たから……
 ── 初対面の方に言いにくいのですが、王希天を殺したのはあなただという証
   言があるのですが、当時のことを話していただけませんか。
 垣内(鋭い表情でにらむ)……誰ですか、証言なんて、いまごろ。
 ──少なくとも2人います(遠藤証言の内容と、歴史上の事実を明らかにしてお
   きたいとする遠藤の義務感を説明。また、久保野日記=後述=についても説
   明)。余計なことですが、私はあなたの刑事責任をいまさら追及しようというつ
   もりはありません。事実、できもしません。しかし、王希天の短い一生(ほとん
   ど、あなたと同年輩です)を知るにつけ、その無念を晴らしてあげたいという気   持強くなっています。戦前の不幸な日中関係に、この事件は濃いカゲを落と
   しているようにも思います。当時の日本人あるいは陸軍は、なぜあんなに朝
   鮮人や中国人を虐殺したのか、若い将校だったあなたは、上官の命令でやっ
   たのか、自発的にやったのか、そのへんの事実関係を教えてください。
 垣内 (横を向いて沈黙しているが、最初のショック状態は去ったらしい。むしろ
   私には、彼が長年の心のつかえをおろす機会を得て、安堵感にひたり始めて
   いるようにさえ見えた)……あのね、私は後ろから一刀浴びせただけです。そ
   のまま(隊に)帰りましたから、王希天が死んだかどうか確認はしとらんです。
 ──どうして斬りつけたんです? 相手が誰か処刑する理由は何か知っていた
   んですか。
 垣内 知りません! 佐々木中隊(後述)が、あの日、1人殺(ヤ)ると言っておっ     たので、私は見に行っただけです。……いや、そのつもりだった……佐々木   (兵吉)中隊長は、上から命令を受けておったと思います。……後で、王希天
   が人望家であったと聞いて……驚きました。可哀そうなことをしたと……。中
   川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ。


  こうして、私は、”忘れられた”王希天虐殺犯人の自供と反省の弁を聞くことができた。ふりかえってみると、1923年は、大正デモクラシーの息の根が止められた年である。3月1日普通選挙法案否決、6月5日=第1次共産党員(根こそぎ)検挙、9月大震災と引き続く不当弾圧・虐殺諸事件、12月難波大助による摂政宮暗殺未遂事件……こう並べたうえで、9月の虐殺諸事件の中に、大島町事件・王希天事件の2つを加えると、大正12年の全体図が、より明確に浮かびあがってくるようだ。 
 
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信濃川水力発電所虐殺事件と関東大震災 朝鮮人虐殺事件

2011年12月04日 | 国際・政治
 「信濃川水力発電所虐殺事件」は、関東大震災前年の出来事である。「不逞者」宮崎学(角川春樹事務所)によると、この事件後、在日本朝鮮人労働者状況調査会が結成され、「在日同胞」が置かれている状態についての調査活動が始まったという。そして、その調査活動は、東京朝鮮労働同盟会や大阪朝鮮労働同盟会の結成へと発展していった。そうした朝鮮人労働者の労働環境改革のための組織的活動は、当然のことながら日本の労働運動や社会主義者の活動と関わりを深めていく。

 その展開が、米騒動や三・一運動、五・四運動等のような民衆蜂起つながることを、日本政府や官憲が恐れていたことは、いろいろな局面で認められる。例えば、「信濃川水力発電所虐殺事件」の調査は、朝鮮の諸団体から派遣された調査員や在京朝鮮人の代表調査員に東亜日報の特派員なども加わって実施されたが、警察や暴力団がいろいろな手を使って妨害したようである。したがって、調査は極めて難しかったという。その他の朝鮮人労働者の日常状況調査でさえ難しく、やむを得ず自ら現場労働者となって飯場を渡り歩き、調査にあたった人間もあったというほどである。
 また、下記の「信濃川虐殺事件問題大演説会」での弁士中止ヲ命ズ」や「…次ニ白武カ登壇スルヤ又々不穏ノ言動アリ同9時2分直ニ解散ヲ命セラレ同時ニ騒擾ノ言動アリ検束セラレタルモノ白武、富岡誓、元九碵、鄭在旭、沈洪局、李鎬林、李海炯、姜大見ノ8名ニシテ目下取調中ナルカ…」などの文面の中にも、何とか運動の広がりを押さえ込もうとする姿勢が認められる。

 さらに、関東大震災直後、政府自ら「主義者と不逞鮮人」を常套句として「放火・略奪・強姦・爆弾投擲・井戸への毒薬投入」などの恐怖を煽る流言蜚語の伝搬に一役買い、震災は自然災害であるにもかかわらず、違法・違令の戒厳令や徴発令を発令し、戦時武装を整えた軍隊を動員して多くの朝鮮人や中国人を虐殺するとともに、社会主義者や無政府主義者を次々に検挙し中心的人物を虐殺した理由も民衆蜂起を恐れてのことであろう。
 
 「信濃川水力発電所虐殺事件」などを切っ掛けとして、虐殺事件の背景にある,
監獄部屋」に閉じこめられた朝鮮人労働者の労働実態が明らかにされ、それを打破しようとする組織が結成され、さらに、その組織の活動が、日本の労働運動や社会主義者の運動と結びつき発展して大きなうねりとなり、民衆蜂起にいたることを、日本政府や官憲が恐れていたが故に、震災を利用し先手を打って、そうした運動を潰そうと計画的に虐殺におよんだのではないか、というわけである。

 下記の読売新聞の記事と「信濃川虐殺事件問題大演説会開催ノ件」という「朝鮮総督府警務局資料」は、そうしたことを物語る資料の一つであると思う。下記は、「朝鮮人強制連行の記録」朴慶植著(未来社)からの抜粋である。
----------------------------------
 資料

           (1) 信濃川水力発電所虐殺事件

 読売新聞(大正11年7月29日)

    信濃川を頻々流れ下る
     鮮人の虐殺死体
     「北越の地獄谷」と呼ばれて、
       附近の村民恐ぢ気を顫ふ
        信越電力大工事中の怪聞

 〔新潟特電〕 信越電力株式会社では昨年から向う8カ年計画で信濃川の水力を利用して、遠く関東地方まで送電し、東洋第一の発電所とする空前の大工事をその水源の新潟県下に起したが最近
工事に使用されている鮮人の溺死体が下流各所に発見され次第に工夫虐待致死という奇怪至極の風聞を伝えられて来た。然も命知らずの工夫頭の多い事とてうっかり口を滑らすと直ぐ襲撃を受ける恐れがあるため附近の町村民は悉く秘密裡に葬り去っているがこの人道を無視した虐殺問題は今や「北越の地獄谷」として喧伝され、所轄十日町警察署では工事地である大割野巡査出張所を駐在所と変更して警官の増派方を請い徹底的取締りをなすべく現に県警察本部に申請中である。

    逃げ出すと嬲り殺し
     山中にも腐爛した死体が転がって居る

       ……目撃した人の話
 〔新潟特電〕 一目撃者は恐れおののきながら今の世にあり得ない次の物語をした「地獄谷というのは妻育秋成村大字穴藤という作業地でここには1200名の工夫がいて内600名は鮮人です。始め雇い入れる時は朝鮮からのは1人40円位前貸し1ヶ月69円の決めですが、山に入ったが最後規定の8時間労働どころか、朝は4時から夜の8、9時頃まで風呂にも入れず牛や馬のように追い使う、仕事といえば食事を除けば1分間も休まずにトロッコを押し、土掘り、岩石破壊から土木、材木かつぎまでやるのだから心臓は悪くなる。体は極端に弱る、堪えきれないから罷めたいといっても承知して呉れない。冬は雪国だから丈余の雪中に埋もれてピョウピョウ北風に身を切られ、夏は四方の山に風が遮られて、蒸し殺されるよう、そこへこの苛酷な労働です。始めとはまるで約束違いの待遇に夜に入って逃げ出そうとする者の多いのは何の無理がありましょう。私は逃げようとして捉えられたものをもう十何度となく見ています。中にもなまけものといわれている朝鮮人が多いのです。逃走者に対する処罰、それは両手を後に縛り上げて3、4人の見張り番──見張り番は一名決死隊と呼んで七首や短銃を懐にしている、──が杉の樹に吊し上げて棍棒で打つ、なぐる、この月の始めでしたか県下東頸城郡松の山の尾身某というのがやはりこの伝でやられた。3日間絶食させられ、3度気絶した、その後どうなったか。


 地獄谷の後に当たる苗場山か岩菅山に逃げたというのですが、まだ生死不明です。そして恐ろしい事にはよくこの山中で逃げ出した鮮人の腐爛した残死体が発見される。私の聞いた丈でも川の下流だけでさえ死因不明の鮮人7、8名の死体が漂着しています。恐らく働かぬといって虐められ、逃げ出したといっては前のように嬲り殺しにされたのではあるまいか。」

    身体に大石を結び着け断崖から
     此儘には済まされぬと官吏語る
 〔新潟特電〕 更に同郡の一官吏は「2、3日前4、5名の土方が下穴藤の高さ1450尺の断崖から1名の鮮人に石を結び付けて投げ込んだのを見た村民が来て内々知らせて呉れたので、もうこの儘には済まされない」と記者に単なる噂でない事を裏書したのも恐ろしい

 
 東亜日報(1922年8月1日)略

 東亜日報(1922年8月20日)略

 朝鮮総督府警務局資料
  鮮高秘乙第623号 大正11年9月5日


    信濃川虐殺事件問題大演説会開催ノ件
 来ル7日神田区美土代町基督教青年会館ニ於テ首題演説会開催ニ関シ既報ノ処其後左記ノ如ク弁士及宣伝文ノ幾分ヲ変更シ入場者ヨリ金20銭ノ徴収ヲ廃止スルコトト為シ宣伝文一万枚印刷方註文セルカ昨日印刷出来セルヲ以テ朴烈、金若水等ハ之ヲ同志ニ配布シ而シテ市内各所ノ電柱ニ貼付或ハ内鮮労働者等ノ多数集合セル場所ニ於テ撒布スル等ノ計画ナリシヲ以テ電柱ニ貼付云々ノ件ニ付テハ厳重注意ヲ与ヘ置キ彼等ノ行動警戒中ノ処彼等ハ基督教青年会館ヘ借間代金トシテ金60円ヲ支払ヒ残金ノ分及宣伝文印刷費其他ノ費用後日有志ノ寄附ヲ仰キ之レヲ支払フベキ計画ナリト

     左記   
  ◎信濃川虐殺事件問題大演説会
 文明国と云われて居る今の日本に土木工事のある所全国到る所に多くの兄弟共は生き乍らの地獄で痛い笞に鞭たれつつある愛があり血があるべき人々よ! 来れ来れ此の戦慄すべき殺人境打破の叫を聞きに!!


 弁士  鄭 雲 海    白   武    松本 淳三
      羅 景 錫    金 鐘 範    李 康 夏
      朴   烈     山道 襄一   金   燦
      中浜  哲    申   焰    堺  利彦
      小牧 近江    中野 正剛    大杉  栄
      鄭 泰 成    金 炯 斗

 時日   9月7日(木) 午後7時
 場所   神田美土代町青年会館
 主催   信濃川朝鮮労働者虐殺事件調査会


 右及申(通)報候也
   申(通)報先 
    内相  次官  局長  
    朝鮮警務局長殿 
    拓殖局長官
    新潟 長野  京畿道各知事



 鮮高秘乙第627号 大正11年9月7日

    信濃川虐殺事件問題演説会ニ関スル件


在京鮮人金若水、朴烈 申栄雨等ハ首題ノ演説会開催ニ関シ曩ニ宣伝ビラヲ印刷ニ附シ内鮮労働者其他同志等ニ配布シ頻リニ聴衆吸収策ニ奔走中ナルコトハ既報(法相、次官、局長ヘハ未報)ノ処本日午後7時ヨリ神田区美土代町基督教青年会館ニ於テ開会スルニ入場者一千名中内地人ハ約500名、鮮人約500名ノ割合ニシテ其主ナル者左記ノ通リニ司会者金若水ノ紹介ニテ鄭雲海開会ノ辞ヲ述ベタルニ亜テ羅景錫、朴烈、金鐘範、申栄雨、小牧近江 金炯斗順序ニ出演セルカ金炯斗ノ演説中不穏ノ点アリテ中止ヲ命セラルヤ次ニ白武カ登壇スルヤ又々不穏ノ言動アリ同9時2分直ニ解散ヲ命セラレ同時ニ騒擾ノ言動アリ検束セラレタルモノ白武、富岡誓、元九碵、鄭在旭、沈洪局、李鎬林、李海炯、姜大見ノ8名ニシテ目下取調中ナルカ演説ノ要旨左ノ如シ而シテ入場料金拾銭ヲ徴シタルカ総額金93円余アリタリ

    左記
1 出席者ノ主ナル者
 李 如 星(甲)    黄 錫 禹(甲)    徐 相 一(要注意)    
 鄭 雲 海       羅 景 錫       朴   烈(甲)
 金 若 水(甲)    李 康 夏(甲)    朴 治 鎬(要注意)
 柳 震 杰(要注意) 張 祥 重(要注意) 申 栄 雨(申)
 卞 凞 瑢(申)    李 周 和(〃)    金 炯 斗(乙)
 高津 正道       中名生幸力      小池  薫
 浦田 武雄       望月  桂       渡辺 満三
 長島  新(埼玉編入)坂野 八郎       橋浦 時雄
 伊藤 逸郎       富岡  誓
                         (以上)

 申報通報先
 内相  次官  局長
 法相、 次官  局長
 検事総長 検事長 検事正
 朝鮮警務局長
 拓殖局長官
 京畿 新潟 長野 埼玉各知事


第一席  無題  鄭 雲 海
吾々朝鮮人ハ生命ノ糧ヲ得ル為メ遙々此ノ日本ニ渡来スルノテアルガ此等ノ人々ハ無産者デアルト共ニ鮮人ナルト云フ偏見ノモトニ幾多ノ暴虐敢テ受ケツツアルノテアル今回ノ信濃川事件ノ如キモ又其一例テアル斯ノ如キ問題ハ吾々朝鮮人ハ勿論又日本ノ無産者モ之ヲ対岸ノ火災視スル事ハ出来ヌト思フ而シテ
監獄部屋ノ如キ不平等ニシテ且ツ人道ヲ無視スル弊風ハ一時モ早ク吾々ハ此ノ血ト腕トヲ以テ解決セサル可ベカラス

第二席  無題  羅 景 錫  (略)
1、無題   第三席   朴  烈
監獄部屋組織ノ不完全ナル事其待遇ハ非人道的ナリト難シ斯如キ反人道的行為ハ常ニ親方連中ノ饗応ヲ受ケツツアル三名ノ巡査ニヨリ助長セラレツツアルノテアル斯カル無秩序ナル状態ニ対シ日本政府ハ何等ノ救済策ヲ講シナイノテアル此ノ悪制度ハ現在ノ資本家的社会組織ノ結果ナルカ故ニ此ノ社会制度ヲ根本的ニ破壊スル必要カアルト私ハ思フ云々


2、無題   第4席   金 鐘 範  (略)

1、無題   第5席   申 栄 雨  (略)

1、無題   第6席   小牧 近江
朝鮮ノ文化ハ総督府ノ手ニ依リ破壊セラレントシツツアリ新潟県ノ監獄部屋取締ノ巡査ハ請負師ニ買収セラレ居ルノ状況ハ資本家並ニ特権階級ノ横暴ヲ遺憾ナク発揮セルモノト云フヘシ


1、無題   第7席   金 炯 斗
諸君ノ兄弟姉妹ノ血ヲススリ吾々同胞ヲ道傍ニ餓死セシメ居ルノハアノブルジョアト云フ悪魔テアル諸君ノ自由言論ノ自由ト称シナガラ健全ナル思想ヲ攪乱セントシテ居ル斯ノ革命的ナ宗教的ナ迷信的ナ倫理観ヲ以テ凡ユル利権ヲ得ントスルハブルジョア此ノ悪魔ノ奴テアル諸君此ノ狂暴ナル悪魔ノ奴カ諸君此ノ悪魔カ日韓合併ニ依ッテ日本ノ無産者ト朝鮮民衆
(弁士中止ヲ命ス) 

1、無産(ママ) 第8席   白   武
先般ノ弁士ハ到頭横暴ニモ中止ヲ喰ッタノテアリマス私ハ斯ウ云フ事ヲ前提トシテ置カウト思フ貴様等虐ケレハ虐ゲウ打タハ打テ最後ニ殺セト言ヒタイノダ(
弁士中止ヲ命ズ)殺シテコソ……反逆ハ(弁士中止ヲ命ズ)(更ニ解散ヲ命ズ
   
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