真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ポグロムとホロコーストを逃れたユダヤ人

2024年10月31日 | 国際・政治

 イスラエルは、公然と国際社会に挑戦するかのように、パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の国内での活動をる禁じ法案を可決しました。

それを受けて、パレスチナのマンスール国連大使は「イスラエルの政策は人道に対する残虐な犯罪だ」と非難したといいます。国連のパレスチナに対する人道支援を否定したのですから、当然だと思います。

 GAZAの実態を鑑みれば、懸念の表明などではなく、即刻イスラエルに対する制裁が科されるべきことだと思います。

 もしこれがイスラエルではなく、反米や非米の国であれば、アメリカは、即座には武力を行使したり、厳しい制裁を科したり、国際社会のあらゆる組織からイスラエルを追放したりしたと思います。

 でも、制裁の話が一切出ないところに、欧米主導の国際社会の醜い姿があらわれている、と私は思います。

 

 だから、くり返しになりますが、大事なことなの、でもう一度確認しておきたいと思います。

 イスラエル独立後に、現在ネタニヤフ首相率いる政党「リクード」を設立したメナヘム・ベギンは、ユダヤ人の武装組織イルグンのリーダーとして、エルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆破を実行しました。また、「デイル・ヤシーン村事件」といわれるパレスチナ人村民虐殺を実行しました。「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と公言し、村民皆殺しを実行するようなテロリストが、イスラエルの政党「リクード」を設立し、現在、ネタニヤフ首相が、そのリクードを率いていることを見逃してはならないと思います。

 同じユダヤ人である世界的科学者、アイシュタインは、この村民虐殺に怒り、「その組織、手法、政治哲学、社会的訴えにおいてナチスやファシスト党と酷似している」と批判したのみならず、「過去の行動から、将来何をするか予想できる」と述べたこと(朝日新聞・佐藤武嗣)は、忘れてはいけない指摘だと思います。

 パレスチナ人を容赦なく殺し、パレスチナの地からパレスチナ人を追い出そうとしているイスラエルのユダヤ人(シオニスト)の思想は、「ナチズムの裏返し」であるという指摘や、ナチズムの民族浄化を思わせると指摘する人も少なくありません。

 

 イギリスやアメリカを中心とする西側諸国が、自らの利益のために、そうしたイスラエルの国連決議違反や明らかな国際法違反を黙認して来たことが、現在のイスラエルの蛮行につながっていることを踏まえた対応が求められていると思います。

 パレスチナ難民救済事業機関は、国連総会の決議に基づき設置された機関です。だから、今回のイスラエルの法案可決は、国家として、国連の決議を否定するものであり、かつて、満州事変を契機に国際連盟から脱退したファシズム国家、日本の対応と似通っていると思います。

 

 西側諸国が「懸念」を表明しても、制裁を科したり、法的に対応しないことを見透かした「リクード」を中心とするイスラエルの政治家や軍人、閣僚が、公然と「ガザ人の移出を促進しようではないか。彼らに対して、どこかほかの国に行く機会を与え、土地は我々のものだと伝えることが、最も道徳的で、正しく、そして強制力のない解決策だ」と言ったり、、「ガザ地区はイスラエルのものだ」と言ったり、「パレスチナは存在しない」などと言っていのです

さらに、ヤフーニュースは、

AFP=時事】国連(UN)のフランチェスカ・アルバネーゼ(Francesca Albanese)特別報告者(パレスチナ自治区の人権担当)がイスラエルについて、「ジェノサイド(集団殺害)」によってパレスチナ人を「根絶」しようとしていると非難したのを受けて、イスラエルのダニー・ダノン(Danny Danon)国連大使は、アルバネーゼ氏に即時辞任するよう求めた。”

 と、伝えているのですが、

アルバネーゼ氏は国連総会の委員会で、ここ数か月の展開によって、「イスラエルがパレスチナ人に対してジェノサイド作戦を行っているという私の評価は、これまで以上に確固たるものになった」と述べ

 29日に公開した報告書で、「パレスチナ人に対するジェノサイドは、パレスチナ人のアイデンティティーに不可欠な土地からパレスチナ人を完全に排除、または根絶するという目的を達成する手段であるように思われる。イスラエルはこの土地を違法かつ公然と狙ってきた」と指摘、

「イスラエルは建国以来、被占領地の住民(パレスチナ人)を憎むべき障害であり根絶すべき脅威と見なし、何世代にもわたって何百万人ものパレスチナ人を、日常的な侮辱、大量殺害、大量投獄、強制移住、人種差別やアパルトヘイト(人種隔離政策)にさらしてきた」

 と続けたといいます。私は、パレスチナを客観的に見てきた人の実感なのだろうと思います。

 問題は、このやりとりに対するアメリカのグリーンフィールド国連大使の反応です。グリーンフィールド国連大使は、Xへの投稿で、アルバネーゼ氏は国連特別報告者として「不適格」だと反発し、「国連は、人権を促進するために雇われた国連特別報告者の反ユダヤ主義を容認してはならない」と続けたというのです。でも、このやりとりは、反ユダヤ主義という思想問題ではなく、現実の問題なのです。

 下記は、「見えざるユダヤ人 イスラエルの東洋」臼杵陽(平凡社)から「第七章。マイノリティーと国家 ── 民族国家vs民主国家」の「一 イスラエル国家の建国理念」を抜萃しましたが、建国当初から、大きな矛盾を抱えていたことが分かります。

 文中に、”パレスチナに住んでいた「先住民族」であるパレスチナのムスリムとキリスト教徒は、「ユダヤ人国家」からは排除されて難民となった”とあります。

 国際社会は、”二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争”を経験し、その”惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件(国連憲章)”を確立したはずなのに、現在、イスラエルによって、植民地時代と変わらない弱肉強食の蛮行がくり返されているのです。武力を利用した領土の拡大が進んでいるのです。

 それは、アメリカを中心とする西側諸国が、法に基づくことなしに、自らの利益のために、国際社会を主導してきた結果だと思います。乗り越える方途を考える必要があると思います。

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              第七章。マイノリティーと国家 ── 民族国家vs民主国家

 

 一 イスラエル国家の建国理念

 1949514日。ベン・グリオン初代イスラエル首相によって読み上げられた独立宣言には、新生イスラエル国家の屋台骨となる基本的な理念が掲げられていた。「イスラエル国家は、ユダヤ人移民および離散家族の集合のために開放され、また、宗教および人種の違いにかかわらず、すべての住民のために国を発展させることを責務とする」と。つまり、独立宣言のこの短い一節において、「ユダヤ人国家」であることと「民主国家」であることを同時に規定したのである。しかし、非ユダヤ人であるムスリムおよびキリスト教徒が居残っていた当時のイスラエルの現実の政治の場で、この二つの理念を両立させるには根本的な矛盾が潜んでいた。というのも、一方でこれからやってくるであろうユダヤ人移民を前是とする「ユダヤ人国家」という「民族国家」としての特殊な理念を宣言し、他方で、宗教および人種を問わず、全ての住民の諸権利を保障した「民主国家」としての普遍的な理念を宣言したからである。前者の理念したがって、世界に離散(ディアスポラ)の状態にある「ユダヤ人」であれば自動的にイスラエル国籍が与えられる「イスラエル帰還法」が制定され、後者の理念にしたって1948年のいくさのあともパレスチナから離れずに残ったアラブ(つまりパレスチナ人)にもうイスラエル国籍および市民権が付与されたのである。しかし、アラブ市民は「アラブ」あるいは「パレス人」としての民族的な諸権利は当然ながら棚上げされた。

 

 この二つの理念は多かれ少なかれ、フランス革命以来の欧米型の「国民国家」が孕んでいた共通した矛盾であるといってもよく、イスラエルに特徴的にみられる問題とは必ずしもいえない。というのも、国家権力が国民に基本的人権を保証しつつ、民族国家におけるマイノリティを国民として統合していく同化過程で必ずや起こる問題といっていいからである。しかし多数派国民へのマイノリティのづ同化を前提とした国民統合の過程は、国家権力が同化を拒絶する少数の異質分子を排除する過程でもあった。ヨーロッパの歴史を繙けば、異質分子を物理的に抹殺しようとした国家的暴力の事例には事欠かない。そのもっとも悲劇的な帰結を生み出したのが、19世紀末から続いた旧ロシア帝国におけるポグロムと20世紀のナチス・ドイツによるホロコーストであったことは周知の事実である。

 

 この。陰惨なポグロムという事件が契機となって発生したパレスチナへのユダヤ人移民の波が、それに反発するアラブとの紛争を引き起こし、パレスチナ問題として発展していった。さらにナチスによるホロコーストの結果としてイスラエルが建国されることになった。ヨーロッパ出身の植民者は侵略を目的とした植民の過程で先住民族を絶滅あるいは征服したり、先住民族を「辺境」へと追いやったりした、近世初期のアメリカやオーストラリアといった新大陸の事例が想起されるかもしれない。しかし、パレスチナの場合にはニ十世紀も後半に差し掛かろうかという時期、それもホロコーストで灰燼に帰したユダヤ人への国際的な同情が主要な動因となってイスラエル国家が建設されたのである。その結果、パレスチナに住んでいた「先住民族」であるパレスチナのムスリムとキリスト教徒は、「ユダヤ人国家」からは排除されて難民となった。難民となった人々はその後、アラブという民族的アイデンティティよりもパレスチナ人という民族的存在を自己主張するようになった。もちろん、先に述べたようにイスラエル建国後もパレスチナの地に留まった15万人余りのパレスチナ・アラブの人びともいた。

 

 土地の喪失という契機から発生したパレスチナ問題は解決の方向として「領土の回復」という回路を通過することにより絶えず「国民国家」の神話に呪縛されるようになる。つまり、イスラエル/パレスチナ双方の闘争の歴史の方向性を相互排他的なナショナルな対立として規定するようになったのである。しかしパレスチナ解放運動は現代の国際政治のリアル・ポリティックスのただ中にあって「国民国家」の枠組みに由来する呪縛を克服するという歴史的使命を帯びていたはずであった。パレスチナ解放運動は「非宗派的民主国家」の設立という理念を掲げていたからである。しかし、残念ながら、その理念の実現という観点から見れば、このような重い歴史的使命を帯びたパレスチナ解放運動の掲げた「パレスチナ民族主義」はその役割の終焉を告げた。1993913日、ワシントンにおいてPLOとイスラエルとの間で調印された原則合意ゆえである。この歴史的な合意は暫定自治政府樹立では成功したが、結果的には占領地以外に住むパレスチナ人難民を切り捨てることになった。アラファトPLO議長の生き残りのための政治戦略といえばそれまでであるが、離散パレスチナ人の苦難は新たな段階に入ったと言えるのである。

 

 

 

 

 

 

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モルドバとウクライナ戦争

2024年10月27日 | 国際・政治

 アメリカ主導の西側諸国のメディアの情報に基づいて判断すれば、ウクライナ戦争はロシア軍のウクライナ侵攻によって始まったということになると思います。

 でも、ウクライナ戦争の経緯を客観的に捉えれば、ウクライナ戦争は、実は2014年から始まっていたと言ってもよいと思います。

 反政権側の主張だけではなく、当時のヤヌコビッチ政権側の主張も取り上げたり、マイダン広場のデモの実態をきちんと取材して報道したり、その後のドンバス戦争の実態や、クリミアの人たちのマイダン革命に対する思いを報道していれば、多くの人は、ドンバスで、1万人以上の人たちが亡くなっていたことを踏まえて、紛争解決に動いたと思います。

 また、ロシアがウクライナとの国境に軍を終結させていたときに、現在のような両国の本格的な戦争に発展することを食い止めるための話し合いが行われたと思います。

 でも、残念ながら、アメリカが主導する西側諸国では、客観的な事実に基づく報道はなされず、逆に、アメリカ大統領候補、ハリス氏のような考え方が西側諸国を席巻し、プーチン政権打倒の戦争に至ったと思います。

 ハリス氏ような考え方は、日本のメディアでも、専門家と呼ばれる人たちがくり返していました。プーチンを悪者にするための妄言だと思います。”トランプが大統領になったらウラジーミル・プーチンはキエフを占領するわよ。 プーチンのやりたい放題になったら、ポーランドや他のヨーロッパ諸国に侵攻しないわけないでしょ?”、などというのは、根拠のない話だと思います。

 だから、フランスの著名な歴史学者、エマニュエル・ドット氏はそれを、”ヨーロッパにおけるロシアの拡張欲望を空想する欧米のロシア嫌いヒステリー”、と指摘し、”真面目な歴史家にとっては全くばかげている"、と言うのです。私は、当たっていると思います。

”Russia will have neither the means nor the desire to expand once the borders of pre-communist Russia are reconstituted. The Russophobic hysteria of the West, which fantasizes about the desire for Russian expansion in Europe, is simply ridiculous for a serious historian,” he said.

A number of Western leaders have in recent months raised concerns that if Russia were allowed to defeat Ukraine it would eventually set its sights on other European countries.”

 でも、日本のメディアも、その ”欧米のロシア嫌いヒステリー” 鵜呑みにするような報道をしており、大本営発表を鵜呑みにして報じた過去と変わらないのではないか思うのです。

 そして現在、アメリカやEUとロシアがモルドバのこれからをめぐって、熾烈な戦いをしているように思います。

 親欧米か、親ロシアかで揺れてきた旧ソビエトのモルドバで20日、大統領選挙とEU=ヨーロッパ連合への加盟の是非を問う国民投票が行われといいます。

 報道によれば、EU加盟賛成が50.46%、反対が49.54%で、1ポイント以下の僅差で賛成が上回ったということです。また、大統領選挙では、EU加盟を推進してきた現職のサンドゥ大統領の得票率が42.45%、ロシアとの関係も重視する元検事総長のストヤノグロ氏が25.98%、そして、どの候補も過半数の票を獲得できず、来月3日に決選投票が行われることになったということです(このパーセンテージの数字には、異論もあるようです)。

 

 でも問題は、今回の投票をめぐってモルドバ政府が、ロシアが大規模な買収や偽情報の拡散による選挙介入を行ったと指摘していることです。

 新欧米のサンドゥ大統領は、”モルドバのEU加盟を阻止したいロシア側が多額の現金を使って有権者を買収するなど、大規模な選挙介入を行っている”と非難し、アメリカやイギリスなど欧米諸国も、懸念を表明しているということです。

 当然のことながら、ロシア側は、こうした選挙介入などの関与を否定しています。だから、両方の主張に耳を傾け、検証する必要があるのだと思います。

 

 選挙介入に関しては、ロシアが介入して13万人を買収し、サンドゥ政権を批判するとともに、 EU加盟阻止を狙っているというような報道があります。

 また、”9月だけでロシアから15万ドル(22億円)の工作資金が送られ、親ロシア勢力が支配する同国領内の未承認国家「沿ドニエストル」でロシアの銀行カードなどを使い現金を引き出した(ロイター通信)”というようなことも報じられました。

 

 親欧米のサンドゥ大統領は、EUへの加盟を明確に打ち出していて、ロシアによるウクライナ侵攻後加盟の手続きを加速させており、最新の世論調査では、サンドゥ大統領がほかの候補を大きくリードしているばかりでなく、EU加盟を支持する人も63%に上っているなどと報道されています。

 

 でも、ロシアとの関係を重視するモルドバの女性は、親欧米のサンドゥ政権について「今の政権は一般の市民のことなんて考えていません。だから国民の多くは外国に出稼ぎに出ないと行けないのです」と話し、経済状況を改善するためにもロシアとの関係が重要だと訴えているといいます。そういう声やモルドバの経済状況を客観的に受け止める必要があると思います。

 

この件に関し、ロシアのenglish.pravdaは、下記のように報じています(https://english.pravda.ru/world/160965-moldova-eu-referendum/)。

Moldova's illegitimate European choice referendum plunges country into chaos

The people should save their nation from EU claws

Marginal result with diaspora fake votes calls the legitimacy of the constitutional referendum in Moldova into question. The next two weeks before the second round of the presidential elections will be dangerous.

モルドバの違法な欧州選択国民投票は、国を混乱に陥れる

国民はEUの爪から自国を救うべき

ディアスポラの偽票によるわずかな結果は、モルドバの憲法改正国民投票の正当性に疑問を投げかけています。大統領選挙の第2回投票までの次の2週間は危険です。(機械翻訳)

 

 また、下記のような疑問をなげかける記述もあります。外国に出稼ぎに行かざるを得ない人の存在を考えると、頷けるのです。

The result of the referendum in Moldova is questionable. It just so happens that the Moldovans living in the country voted for "not wanting to be in Europe", and Moldovans living outside the country voted for "wanting to be in Europe" even though they already live there.

モルドバでの国民投票の結果には疑問が残る。たまたま、その国に住むモルドバ人は「ヨーロッパにいたくない」と投票し、国外に住むモルドバ人は、すでにヨーロッパに住んでいるにもかかわらず、「ヨーロッパにいたい」と投票したのです。

 

 さらに、決戦投票にかんしても、見逃せない記述があろます。

Can Sandu lose the second round?

If the second round (Sandu vs. Stoianoglo) does take place, the outcome of the elections will be decided by voters of Renato Usatii, who received 13.77 percent of the votes. He refused to vote in the referendum on joining the EU. Those who did not vote in the first round will also come to the polls because the moment for the country is decisive.

サンドゥは2回戦に負けることはありますか?

2ラウンド(サンドゥ対ストイアノグロ)が行われた場合、選挙の結果は、13.77パーセントの票を獲得したレナート・ウサティの投票者によって決定されます。彼はEU加盟に関する国民投票を拒否した。第1回投票で投票しなかった人々も、国にとって決定的な瞬間であるため、投票に来るでしょう。

 

 でも、サンドゥ氏は21日の記者会見で、「モルドバ国民は、未来を決める最初の厳しい闘いに勝利した」と勝利宣言し、また、同日未明の演説では、ロシアの選挙介入を念頭に、外国勢力と結託した犯罪集団が30万人の買収を企てたと主張。「前例のない規模の不正で、民主的手法の破壊が狙いだった」と国民に訴えたといいます。

 その訴えの背後に、アメリカやEUがあることを見逃してはならないと思います。

 今年に入ってから、EUのフォンデアライエン委員長やアメリカのブリンケン国務長官らが相次いでモルドバを訪問し、連帯を表明しています。のみならず、EU18億ユーロ、日本円にしておよそ3000億円という大規模な支援を発表し、リンケン米国務長官は、13500万ドル(約210億円)の支援を打ち出したと報道されました。

 モルドバは、人口およそ250万で面積が日本の九州よりやや小さい国だということですが、このような莫大な支援は、何に使われ、どのような意味もつのか、考える必要があると思います。

 私は、アメリカやEUの誘いを拒否すれば、ロシア側の国であるとして、ロシアに対するのと同じような制裁を受けるおそれもあり、モルドバにとっては、拒否し難い誘いで、事実上の買収工作といえるように思うのです。

 EUやアメリカが、そんな莫大な資金をモルドバに投入して、モルドバから得られる利益は何でしょうか。

 やはり私は、アメリカやEUが、モルドバを支援して、モルドバから何か利益を得ようということではなく、ロシアを追い詰め、プーチン政権を倒したいということではないかと想像します。

 だから、ロシアの資金は選挙目当ての買収で、アメリカやEUの資金は支援だということに、何の疑いも持たないようではいけないと思うのです。

 そういう意味で、モルドバの大統領選挙の結果は、ウクライナ戦争に大きな⑦影響があるだろうと思います。

 先月、ドイツのベアボック外相も、モルドバを訪問したということですが、その際、「ウクライナへの支援はすべてモルドバの安定を進めることにもつながっている。ウクライナが倒れれば次に狙われるのはモルドバだとこの国の人々は深く懸念している」と述べて危機感を示したということです。アメリカの戦略に従っているのだと思います。

 

 

 

 

 

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先住民を抑圧する排他的な宗教国家

2024年10月25日 | 国際・政治

 下記は、「イスラエル、イラク、アメリカ ─戦争とプロパガンダ3─E.W. サイード:中野真紀子訳(みすず書房)のあとがきの一部です。訳者の中野真紀子氏が、パレスチナ人とユダヤ人の戦いの大事な点をしっかり踏まえて、現在に至る経緯をわかりやすく解説しているような内容なので、抜萃しました。

 

 注目したいのは、下記のような点です。

〇 イスラエルは先住民を抑圧する排他的な宗教国家である

〇 抑圧された記憶が、裏返されて他者の抑圧につながるというなら恐ろしい話だ。自らが抑圧者となって他者を同じ目に合わせなければ、過去の埋め合わせができないというのなら、迫害は永遠に繰り返す連鎖ということになってしまう。

〇 オスマン帝国のもと、様々な人種や文化や宗教が複雑に絡み合うパレスチナでは、人々が多様性を維持しながらおおむね平穏に共存していた。そこに排他的で暴力的な民族対立を持ち込んだのは、19世紀末に始まる欧州ユダヤ人の移住である。

〇 1948年のイスラエル建国と第一次中東戦争の結果、歴史的にパレスチナと呼ばれた土地はイスラエルが確保した領土以外は周辺アラブ諸国に併合され(東エルサレムを含む西岸地区はヨルダンに、ガザはエジプトに)、「パレスチナ」はいったい消滅してしまう。

〇 パレスチナ人としてのアイデンティティがよみがえる契機となったのが、1967年の戦争での汎アラブ主義の大敗北と、イスラエルによるガザ、西岸地区の占領支配の開始である。

〇 難民たちが目覚めたナショナリズムは、失われた祖国の解放を目標に掲げながら、70年以降ベイルートを拠点として、南アや中南米など世界の他地域の解放運動と積極的に連帯していった。

〇 在外パレスチナ人運動が停滞する中で、1987年にガザで民衆蜂起が起こり(第一次インティファーダ)、軍事占領下の人々の独立が急務であることがあらためて認識された。

 

 こうしたことを踏まえると、イスラエルの政治家や軍人が「テロリスト」と呼ぶ「ハマス」誕生の責任がイスラエルおよびイスラエルを支援する国の側にあることが明らかだと思います。

 だから、ハマスの殲滅を掲げパレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを支援する一方、ロシアのウクライナ侵攻を厳しく非難し、制裁を加えるアメリカのバイデン政権は、「二重基準」だと非難する声が、現在国際社会で高まっています。

 民間人の犠牲は膨らみ続け、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員や救援医師にも犠牲者が出ているため、国際司法裁判所(ICJ)は攻撃の停止を命じたにもかかわらず、攻撃は続いています。西側諸国が国際法に従い、対処すれば止められるのに・・・。

 

 こうした状況は、イギリスやアメリカを中心とする西側諸国が、長きにわたってイスラエルの犯罪行為を黙認し、支援し、加担して来た結果だと思います。

 イスラエルは、最近、ガザ地区のみならず、ヨルダン川西岸地区も攻撃対象に加え、パレスチナ人殲滅や追い出しの作戦を展開しているようです。でも、こうした武力による領土の奪取や拡大は、「領土不拡大の原則(太西洋憲章・カイロ宣言)」に反するもので、国際法で禁じられていることです。

 

 ふり返れば、第二次世界大戦後 日本が、”満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域”を中華民国に返還し、また、”朝鮮を自由且独立のものたらしむる(カイロ宣言)”ことになったのは、この領土不拡大の原則に基づくものだったのだと思います。

 また、日本を含む西側諸国は、ロシアのウクライナ侵攻や中国の台湾海峡及び南シナ海における習近平政権の軍備増強を”力による現状変更”として非難しているにもかかわらず、イスラエルの武力による領土の拡大(力による現状変更)は、黙認し続けてきたのです。

 

 だからアメリカを中心とする西側諸国は、今も、法の上に存在するといえるように思います。

 西側諸国は、イスラエルによる違法なパレスチナの軍事占領も、高い塀を築いてパレスチナ人を狭い地域に閉じ込め、検問所を設けて自由な出入りをさせないという人権侵害も、武力を利用した入植地拡大も、ずっと見逃し続けてきたのです。随分おかしなことだと思います。だから、アメリカを中心とする西側諸国主導の国際社会は、改められるべきだと思います。

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                        訳者、あとがき

 

 催眠にかかったように戦争に向けてつき進んでゆくアメリカ。もはやイラクとの戦争は既定事実だとでもいうようだ。そのアメリカの政権中枢に深く食い込み、国の政策を左右しているのはイスラエルの利害である。国防総省に陣取りブッシュ政権を事実上動かしているネオコン(新保守主義者)勢力にとっては、イスラエルの利害とアメリカの利害は同じものである。誕生の瞬間からアメリカと特別な関係を結び、その庇護のもとに成長してアメリカの中東出先機関と見られてきたイスラエルだが、ここへきて逆にアメリカの政策がイスラエルに操られるという現象が顕著になってきている。

 「アメリカのイスラエル化」という言葉さえ聞かれるが、そのイスラエルは先住民を抑圧する排他的な宗教国家である。ヨーロッパでの迫害の歴史のトラウマにより「存続の危機」という妄想に取りつかれ、「犠牲者」という(まるで遺伝形質であるかのような)自己認識のもとに、病的なまでに過剰な反撃を被支配民に加えている。抑圧された記憶が、裏返されて他社の抑圧につながるというなら恐ろしい話だ。自らが抑圧者となって他者を同じ目に合わせなければ、過去の埋め合わせができないというのなら、迫害は永遠に繰り返す連鎖ということになってしまう。このようなイスラエルのあり方と「犠牲者」の犠牲者として苦しむパレスチナ人とのシンメトリカルな関係を描き、暗に警告も発しているのが「細目にわたる懲罰」と「無力のどん底」の二本のエッセイである。

・・・

 パレスチナのアイデンティティ

 オスマン帝国のもと、様々な人種や文化や宗教が複雑に絡み合うパレスチナでは、人々が多様性を維持しながらおおむね平穏に共存していた。そこに排他的で暴力的な民族対立を持ち込んだのは、19世紀末に始まる欧州ユダヤ人の移住である。ヨーロッパにおける国民国家の形成にあたって「国民」として同化しえぬ《他者》として排除された人々だ。迫害の高まりに直面して、ヨーロッパの外に自らの祖国を建設することに出口を求めたユダヤ人のナショナリズムがシオニズムである。この運動は当時の西欧の植民地主義も取り込んで、パレスチナの地に他民族を排除・抑圧する排他的な単一民族国家をつくりあげた。同地のアラブ系住民は、先住民として征服・駆逐され、記憶から抹消された。 

 1948年のイスラエル建国と第一次中東戦争の結果、歴史的にパレスチナと呼ばれた土地はイスラエルが確保した領土以外は周辺アラブ諸国に併合され(東エルサレムを含む西岸地区はヨルダンに、ガザはエジプトに)、「パレスチナ」はいったい消滅してしまう。地図の上からの消滅は、人々の意識からの消滅でもあった。「アラブは一つ」とするエジプト革命後の汎ハブアラブ主義台頭もあいまって、イスラエル対アラブの対立という図式が前面に押し出され、当事者であるパレスチナ難民の姿はその影に埋没する。パレスチナ出身者であることにネガティブで挑発的なイメージがつきまとい、うしろめたささえ感じたとサイードが述懐している時期である。

 

 パレスチナ人としてのアイデンティティがよみがえる契機となったのが、1967年の戦争での汎アラブ主義の大敗北と、イスラエルによるガザ、西岸地区の占領支配の開始である。これ呼応して、当初は周辺アラブ諸国によってアンマン(ヨルダン)につくられたPLO(パレスチナ解放機構)が民族運動組織として自立しはじめ、69年に就任したアラファト議長のもと、自力でパレスチナの解放をめざすようになる。難民たちが目覚めたナショナリズムは、失われた祖国の解放を目標に掲げながら、70年以降ベイルートを拠点として、南アや中南米など世界の他地域の解放運動と積極的に連帯していった。領土主権をもたない亡命者の運動であることが、この運動を民主的で開かれたものにし、他のアラブ民族運動とは大きく異なり、偏狭なナショナリズムを超えた次元で考えることを可能にしたようだ。「PLOの永遠の功績」とサイードがをたたえるのは、このような広がりをもったパレスチナ人のアイデンティティを可能にしたことである。

 だが、これに危機感をもったイスラエルは1982年レバノンに軍事侵攻し、南レバノンからPLO勢力を一掃する。ベイルート陥落により、広義のアイデンティティに基づく解放運動は壊滅的な打撃を受ける。軍事的にパレスチナ全土を解放することはもはや不可能となり、イスラエルとの共存の道を探るしか選択肢がなくなったからである。在外パレスチナ人運動が停滞する中で、1987年にガザで民衆蜂起が起こり(第一次インティファーダ)、軍事占領下の人々の独立が急務であることがあらためて認識された。これを受けて翌88年、PLOは正式に「解放」路線を放棄し、パレスチナの分割を認めてイスラエルを承認し、交渉を通じたパレスチナ国家の建設をめざして動き出す。運動の主体は占領地のパレスチナ人に移り、独立国家の建設が目標となったが、それが最終的に行きついたのはオスロ合意だった。

 

 オスロ体制は主権国家の建設にはほど程遠いアパルトヘイトにちかいもので、その数多くの欠陥については、合意発表の直後からサイードは具体的で徹底した批判を一貫してぶつけてきた。だが、そうした批判の底流にあったのは、パレスチナ運動の変質への批判である。この運動は当初より領土主権も持たない人々の解放闘争という側面と、占領下の人々の独立(すなわち国民国家の建設)の側面という矛盾する二つの要素を抱え込み、両者のバランスの上に可能性と広がりを生み出していた。だが、80年代後半に前者が放棄され、西岸とガザにおけるパレスチナ国家の建設へと目標が集約されていくなかで、PLOの変質が進み、他のアラブ国家と変わらぬ地域支配権の維持に専念する専制的で腐敗した組織になっていった。変質したPLOがイスラエル・アメリカと手を結んで進めた自治国家建設の試みは、せいぜいうまくいっても(行くはずはないが)パレスチナにアラブの専制国家をもう一つ作ることにしかならない。そんなものが運動の目標ではなかったはずだというのがサイードの言い分だ。では、それに代わるどのようなヴィジョンがイスラエルという国家の存在を認めたうえで、描けるというのだろうか。

 90年代後半になってサイードが、ニ国民国家という言葉を使いはじめたのは、これに対する回答だったのではないかと思う。PNCPalestine National Council)議員として88年のアルジェ会議に参加したサイードがは、いったんパレスチナの分割と二国家並立という解決案に賛成したはずである。だが、分割が何を意味するかが次第に明白になるにつれ、二つの国家を完全に切り離すのではなく、二つの国民が互いに同等の権利を認め合いながら一つの領土を共有するという方向で考えを仕切りなおしたようだ。それが決して従来の考え方からの飛躍ではないことは、「生れついてか、選び取ってか」でパレスチナ人のアイデンティティとして論じているものからすれば明らかであろう。その考えの根本にあるのは、一つのアイデンティティを押し付けて人々を文化や国民といったものへ押し込め、分断することの虚構性、そういうものを通じて支配されることへの抵抗である。

 ・・・

 

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シャロン、ネタニヤフ、アメリカ大統領の恐るべき思考

2024年10月22日 | 国際・政治

 下記の、「無力のどん底」は、「イスラエル、イラク、アメリカ ─戦争とプロパガンダ3─E.W. サイード:中野真紀子訳(みすず書房)から抜萃したものですが、アリエル・シャロンが首相であった、2001年から–2006年頃のイスラエルの蛮行の話です。圧倒的な軍事力を背景に、現在と同じようなパレスチナ人の殺戮や収奪、人権侵害、レバノン侵攻や爆撃が行われていたことが分かります。

 見逃せないのは、下記のような記述です。

”・・・それでもなお、イスラエルは、パレスチナ人のテロリズムに抵抗して生き残る為に闘っているのだとシャロンは反論する。これ以上にグロテスクな主張があり得ようか。何しろ、この狂ったアラブ殺しは、そう言いながらF16戦闘機や攻撃型ヘリコプターや何百台もの戦車を、全く防衛のすべがない非武装の人々に差し向けているのである。彼らはテロリストだ、とシャロンは主張する。彼らの指導者は、イスラエルがまわり中を破壊するなかで崩れた建物に屈辱的に監禁されているのだが、史上最大のテロの頭目だと決めつけられる。・・・”

 

 イスラエルは、現在も同じような主張で、同じようなことをやっていると思います。イスラエルはパレスチナ人、特にハマスの指導者を狙い撃ち的に殺害しています。報道によれば、しばらく前ハマス軍事部門トップのムハンマド・デイフ氏を殺害しました。また、イスマイル・ハニヤ指導者を敵対するイランの首都テヘランで殺害しました。そして先日、ハニヤ氏の後継者、ヤヒヤ・シンワル氏も殺害したのです。

 びっくりするのは、それを受けて、”ネタニヤフ首相が声明で、「我々は世界に善が悪に勝利すること示したが、戦争は終わっていない」と述べ、今後も戦闘を続ける方針を示した1019日、朝日新聞)”ということです。だから私は、シャロン同様、ネタニヤフ首相も、”アラブ殺し”だと思います。

 

 そして、シンワル氏殺害を知ったバイデン大統領は、「イスラエル、米国、世界にとって良い日だ」と歓迎したと伝えられています。

 話し合うことをせず、裁判をすることもせず、軍事的優位な立場を利用して、敵対する者を殺害することは 法や道義・道徳を完全に無視した弱肉強食丸出しの考え方だと思います。

 サイード氏が指摘するように、本当に”グロテスク”だと思います。

 ふり返れば、かつて、ヒラリー・クリントン国務長官(当時)は、米軍がリビアを破壊し、カダフィ大佐を殺害した時、「来た、見た、彼は死んだ!(Hillary Clinton laughed at killing Gaddafi and destroying Libya: "We came, we saw, he died!" 」と笑ったとの報道がありました。

 オバマ(Barack Obama)大統領も、米軍がビンラディン(Bin Laden)容疑者をパキスタンで殺害したとき、「正義はなされた(Justice has been done. )」と語りました。

 でも、忘れてはならないことは、アメリカはアフガニスタンでソ連に抵抗していた武装勢力に武器や資金を援助していましたが、その中心にいたのがビン・ラディンだったということです。過去に支援した相手なのです。また、その殺害の米国の作戦について、パキスタン外務省は声明を出し、パキスタンの承認なしに実施されと、「深い懸念」を表明しているのです。それを「正義はなされた」と言ったのです。

 

 だから私は、そんなアメリカとの同盟関係の強化にはとても問題があると思います。

 しばらく前、アメリカ中央情報局(CIAのバーンズ長官が、講演で、アメリカのインテリジェンス(機密情報)として、中国の習近平国家主席が「2027年までに台湾侵攻を成功させる準備を整えるよう、人民解放軍に指示を出した」との見方を示しましたが、それは不安を煽り、日本や韓国、フィリピンその他との軍事的同盟関係を強化するためのアメリカお得意の「作り話」だ、と私は思います。

きちんと確認することなく、信じてはいけない話だと思います。

 

 そういう意味で、DSの解体を宣言している大統領候補トランプ氏に、私は期待するのです。北朝鮮を訪れ、金正恩氏と握手をしたトランプ氏が大統領に返り咲けば、米軍の日本からの撤退のチャンスが訪れるかも知れないと思うからです。トランプ氏が大統領になれば、米軍駐留の経費の日本負担を倍増するよう求めるだろうと言われていますが、それを断れば、米軍が本当に撤退する可能性があると思うのです。

 

 フランスの学者(人口統計学者、歴史学者、人類学者)エマニュエル・トッド氏(Emmanuel Todd)は、911 テロから1年後の 20029月、『帝国以後(Après l'empire) を出し”1991年のソビエト連邦の崩壊以降、アメリカが唯一の超大国になったといわれていたが、そのアメリカも同じ崩壊の道を歩んでおり、衰退しているからこそ世界にとって危険だと述べ、世に衝撃を与えたといわれています。

 そのドット氏は、また、”もしロシアがウクライナ紛争で敗北すれば、アメリカに対するヨーロッパの服従が一世紀も長引くことになる(if Russia were to lose in the Ukraine conflict, this would allow “European submission to the Americans to be prolonged for a century.)”といっています。逆に、”アメリカが敗北すれば、NATOは崩壊し、ヨーロッパは自由になるだろうRussian victory will liberate Europe)”と言っているのです。さらに、”ヨーロッパにおけるロシアの拡張欲望を空想する欧米のロシア嫌いヒステリーは、真面目な歴史家にとっては全くばかげている" とも言っているのです。

 

 ”2024年現在、世界は、文字通り(=比喩ではなく)、殺戮、謀略、略奪、嘘で溢れています。主体は決してアメリカだけではなくて、とくに目につくのはイギリス、それからフランス、ドイツ。私たちがずっと憧れ、手本としてきた国々が、一斉に狂気に陥っている

 ということも、その通りだと思います。

 特に、”衰退しているからこそ世界にとって危険だ”という指摘は、アメリカが台湾有事を想定した動きをしているだけに、しっかり受け止めるべきだろうと思います。

 だから、日米同盟を強化したり、日本がNATOに与するようなことは、歴史の流れに逆行することだと思います。被爆国日本は、日本国憲法の考え方で、軍縮や核廃絶の先頭に立つべきなのだと思うのです。

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                         無力のどん底

 60年前、ヨーロッパのユダヤ人は集団としての存在の最低点にあった。家畜のように群れを作って運搬列車で誘導され、ヨーロッパ中から絶滅収容へとナチ兵士に移送され、ガス室で計画的に抹殺された。ポーランドでは若干の抵抗運動があったものの、たいていのところでは、ユダヤ人はまず市民の資格を失い、次いで職場を追われ、撲滅すべき公敵として名指しされ、やがてそのとうりの目に会った。重要なことについてはいつもユダヤ人はもっと無力な存在だった。自分たちよりずっと強い力を持つ指導者や軍隊から、油断のならない、圧倒的な強さを秘めた敵として扱われたからだ。実際には、後者の優勢はあまりに明らかで、ドイツやフランスやイタリアのような強大な国々にユダヤ人が脅威を与えるなど、とんでもない妄想だった。にもかかわらず、それは定説として受け入れられていた。ユダヤ人が虐殺されているときに、ヨーロッパの大部分はほとんど例外なく知らぬふりをしていたのだから。これは数ある歴史のいたずらの一つにすぎないが、ファシズム体制の胸の悪くなるような官庁用語でユダヤ人を表わすのにもっとも頻用された言葉は「テロリスト」であった。後に、アルジェリア人やベトナム人が彼らの敵から「テロリスト」と呼ばれるようになったのと全く同じである。

 

 人間を襲う災いには、どれひとつとして同じものはない。ある災いと別の災いのあいだに等価を見出そうとしても意味がない。けれどもたしかに言えるのは、ホロコーストについての一つの普遍的真理は、単にそれがふたたびユダヤ人に起こってはならないものだというだけでなく、そのように残酷で悲惨な集団懲罰はどんな人々に対しても起こってはならないということだ。等価を探すことには意味がないとしても、共通項を見出し、隠れた類似性をつきとめようとすることは平衡感覚さえ失わなければ、十分に価値のあることだ。これまで積み重ねてきた失敗や悪政のことはさておいて、ヤセル・アラファトはいまや国家に迫害されるユダヤ人の気持ちを味わっている。狩りたてているのはユダヤ人の国家だ。イスラエル軍はラーマッラーの破壊された議長府にアラファトを閉じ込めて攻撃しているが、その最大のアイロニーは、これを計画・実行している精神病質の指導者がユダヤ人民族を代表していると主張していることだろう。この類比をあまり強引に押し進めるつもりはないが、イスラエル占領下の今日のパレスチナ人が、1940年代のユダヤ人と同じほど無力な状況に置かれているのは事実である。イスラエルの陸・海・空軍は、合衆国から多額の資金援助を受けて、占領下の西岸地区とガザ回廊の全く無防備な一般住民の生活をめちゃくちゃに破壊している。過去半世紀にわたって、パレスチナ人は自分たちの土地を追われてきた。数百万人が難民となり、それをまぬがれた人々も大半は35年に及ぶ軍事占領の下で、組織的に彼らの土地を盗みとる武装した入植者と、数千ものパレスナ人を殺害してきた軍隊のなすがままにされてきた。さらに数千人が投獄され、数千人が生活の道を失い、2度目あるいは3度目の難民化を体験している。こういう人たちには、公民権も人権も与えられていない。

 それでもなお、イスラエルは、パレスチナ人のテロリズムに抵抗して生き残る為に闘っているのだとシャロンは反論する。これ以上にグロテスクな主張があり得ようか。何しろ、この狂ったアラブ殺しは、そう言いながらF16戦闘機や攻撃型ヘリコプターや何百台もの戦車を、全く防衛のすべがない非武装の人々に差し向けているのである。彼らはテロリストだ、とシャロンを主張する。彼らの指導者は、イスラエルがまわり中を破壊するなかで崩れた建物に屈辱的に監禁されているのだが、史上最大のテロの頭目だと決めつけられる。アラファトには抵抗する気骨があり、その点では彼は自国民の支持を得ている。アラファトに故意に加えられている屈辱には政治的・軍事的な目的など何もなく、ただの純粋な懲罰以外の何物でもないと、パレスチナ人はみんな感じている。イスラエルは何の権利があってそんなことをするというのか。

 このシンボリズムは書きとめるもおぞましいが、シャロンや彼の支援者が──彼の非道な軍隊はいうまでもなく──この象徴が冷酷に指示していることを実行するつもりだと知れば、おぞましさは倍増する。イスラエルのユダヤ人は強力な存在だ。パレスチナ人は、彼らに狩りたてられ、侮蔑される「他者」である。シャロンには幸いなことに、シモン・ペレスという、おそらく今日の世界政治でいちばんの臆病者、一番の偽善者が、イスラエルはパレスチナ人の困難を理解しており、「われわれ」は閉鎖による難儀を少しは和らげる用意があると、そこら中を訪問して吹聴してくれる。その後も何ひとつ改善されないし、それどころか外出禁止令や家屋破壊や殺害はむしろ加速するのだ。もちろんイスラエルは大々的な国際人道支援を呼びかける立場をとっているが、ラーセン中東和平プロセス特別調査官が正確に指摘したように、それは世界各国の資金援助をイスラエルの占領体制の実質的な保証人に仕立て上げようとするものだ。シャロンは、自分には何でもできると思っているに違いない。何をしてもまったく処罰されないばかりか、イスラエルを犠牲者に仕立て上げられるようなキャンペーンさえ不可能ではないのだと。

 

 世界中で大衆の抗議が広がるにつれ、シオニストは組織的な反撃として反ユダヤ主義が高まっているという訴えを起こしている。ほんの2日前には、ハーヴァード大学学長、ローレンス・サマーズが、教授たちを中心とした投資撤収キャンペーン(大学に圧力をかけて、大学が株式を保有するアメリカ企業のうちイスラエルに軍事物資を販売している企業の株式は売却させようという運動)は反ユダヤ主義的だと決めつけるに等しい声明を発表した。アメリカでにもっとも古く資金豊富な大学のユダヤ人学長が、反ユダヤ主義に苦情を述べるとは!合衆国では語るに足るような反ユダヤ主義など存在しないにもかかわらず、いまやイスラエルの政策を批判することは、ホロコーストもたらしたような種類の反ユダヤ主義と同一視されるのが普通になっている。合衆国ではイスラエルとアメリカの学者グループがマッカーシ流儀のキャンペーンを組織して、イスラエルによる人権侵害について大っぴらに話す教授たちを攻撃している。このキャンペーンの主要目的は学生や教師たちに親パレスチナ派の同僚を密告するよう呼びかけることであり、それが言論の自由を脅かし、学問の自由に重大な制約を加えようとするものだ。

 

 ウリ・アヴネリの言う通りだ。アラファトは殺されつつある。そして、アラファトが消えれば、(シャロンの考えによれば)パレスチナ人の目標も一緒に消滅するだろう。それはジェノサイドの一歩手前の行為であり、イスラエルが力にまかせてサディストじみた蛮行を、阻止も捕縛もされることなく、どこまで進めることができるのかを試すものだ。シャロンは今日、イラクとの戦争(確実に起こる)になれば、自分はイラクに復讐すると述べた。したがって、ブッシュとラムズフェルドには自業自得の悪夢が引き起こされることはまちがいない。シャロンは最後に政権のすげ替え(レジーム・チェンジ)を図ったのは、1982年のレバノン侵攻中のことだった。シャロンはバシール・ジェマイエルをレバノンの大統領に据えたが、ジェマイエルからレバノンはイスラエルの家来にはならないと手短に宣告された。そしてジェマイエルは暗殺され、続いてサブラーとシャティーラのパレスチナ人難民キャンプでの大虐殺が起きた。その後20年にわたり血なまぐさい不名誉な占領を続けたあげく、イスラエルはしぶしぶレバノンから引きあげた。

 このような前例から、どのような結論が導かれるだろうか。イスラエルの政策は、中東地域全体にたいへんな災いをもたらしてきた。イスラエルが強大になればなるほど、周辺諸国に多くの災厄をまき散らし(パレスチナ社会の崩壊はいうまでもない)、一段と周囲の憎しみを買うことになるのだ。その力が奉仕しているのは邪悪な目的であり、自己防衛のためでは全くない。ユダヤ国家を他のすべての国と同じ普通の国にしたいというシオニストの夢は、パレスナ先住民の指導者のヴィジョンにもなっている。だが、その男はいまやイスラエルの戦車とブルドーザーがまわりじゅうを破壊しつづける中で、首の皮一枚で命を繋いでいるのだ。こんなことが何十万もの人々の犠牲の上に成り立つシオニズムの目標だというのか。どのような恨みと暴力の論理がそこに働いているかは、明白ではないだろうか。そして無力な人々のあいだから。どのような力が出現するか(今はだまって見守るしか術のない人々だが、将来かならずそれを生み出す)は明らかではないのか。シャロンは得意気に世界全体を無視しているが、それは世界が反ユダヤ主義だからではなく、ユダヤ人の名において自分のしていることがあまりに非道なものだからだ。彼のおぞましい行為は自分たちを代表するものではないと思う者たちにとっては、それに待ったをかける時が来ているのではないだろうか。

 

 

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ハマス、”死に物狂いの反抗”

2024年10月18日 | 国際・政治

 ウクライナ戦争が始まって以来、私は何度も、イラン政府報道官、ジャフロミー氏の、「アメリカ は善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている」という言葉をとり上げてきました。ジャフロミー氏は、「アメリカは、様々な時代において真実を実際とは間逆に見せて、直接・間接的に戦争の中心的存在となってきた」とも指摘しているのですが、それは、アメリカの影響下にあると思われる朝日新聞の、下記の記事でも、うかがい知ることができると思います。直接的に関わっているにもかかわらず、ウクライナ戦争におけるアメリカの悪質な関与が不問に付され、ロシアとの関係における戦争支援の在り方だけが問題にされているのです。

 

緊急連載 ノーベル平和賞被団協に 

<瀬戸際の世界 80年後も核の脅し  「なぜ国際社会はロシアを止められない」>

 黒く焼け焦げた建物の前で、住民のナディア・ゼムスコワさん(67)が泣いていた。今年2月、ウクライナの首都キーウ。集合住宅がミサイルで攻撃され、4人が亡くなった。ロシアの侵攻が続く2年半余り、何千回と攻撃が繰り返され、市民が殺され続けてきた。「なぜ国際社会はロシアを止められないの?ロシアがこわいから?」ゼムスコワさんはそう言って、自宅を指さした。ロシアが怖いから、わたしたちへの支援をためらうのか──ウクライナの人々が何度も口にしてきた、欧米支援国への問いかけだ。国境から数百キロも離れた上空から発射されるミサイル。ロシア領内奥深くの軍事拠点を攻撃しなければ命を守れない。だが、最大の支援国である米国は、提供兵器をこうした攻撃に使うことを認めていない。背景のあるのは核の存在だ。

 

 トランプ氏が主張しているように、圧倒的な経済力と軍事力を持つアメリカが、他国にも働きかけて、ウクライナ戦争を止める気になれば、すぐに止められるのだと思います。でも、ウクライナ戦争は、ロシアの影響力拡大を恐れ、ロシアを弱体化させ、孤立化させ、できればプーチン政権を転覆したい意図を持つ、アメリカのバイデン政権が主導する戦争だから続いているのだと思います。それは、ロシアの侵攻が始まる前、ウクライナとの国境にロシア軍が終結していた時、バイデン大統領が、記者会見で、”プーチン大統領がウクライナ侵攻を決断したと確信している”と述べ、”攻撃は数日中にも始まり、首都キーウ(キエフ)が標的になる”との見方を示しておきながら、侵攻を止めるための動きをまったくしなかったことにあらわれていたと思います。

 

 下記の「細目にわたる懲罰」は、「イスラエル、イラク、アメリカ ─戦争とプロパガンダ3─E.W. サイード:中野真紀子訳(みすず書房)から抜萃したものです。

 私は、ジャフロミー氏の、「アメリカ は善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている」ということを、E.W. サイード氏が、パレスチナの問題を例に、具体的に解説しているような文章になっていると思いました。もちろん、それは、私が勝手に結びつけて受け止めた個人的な感想ですが、ジャフロミー氏の指摘は、パレスチナの問題にもそのまま当てはまることだということです。

 

 E.W. サイード氏の下記の記述は、完全に人間性を否定され虐げられたパレスチナの人たちの日常やや苦しみを伝えています。Lauren Booth氏は、ガザは天井のない監獄ではなく、強制収容所だと言っています。だから、それがハマスの”死に物狂いの反抗”としてイスラエル襲撃につながったのだと思います。でも、そういうことは、イスラエルやアメリカにとっては、どうでもいいことであり、考えたくもないことであり、知られたくないことなのだと思います。

 だから、アメリカの影響下にある日本の主要メディアにとっては、ハマスは単なる「テロリスト集団」なのです。

 パレスチナ人がなぜハマスを組織したのか、ハマスに加わったパレスチナの若者は、どんな日常生活を送り、どんな思いで武器を手にし、圧倒的に優位な立場にあるイスラエル襲撃に加わったのか、そんなことは問題として取り上げてはいけないのだと思います。

 自らの悪事を隠す必要があるアメリカやイスラエルにとっては、ハマスは、殲滅されるべき残虐なテロリスト集団である、ということだけが大事なことなのだ思います。

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                         細目にわたる懲罰

 ・・・

 パレスチナからのニュースを読み、殺戮と破壊の恐ろしい映像をテレビで観ているうちに、個々の報道から推測されるイスラエル政府の政策、とりわけアリエル・シャロンが考えていると思われることに、わたしは呆然としてしまった。シャロンのF16戦闘機の一つがガザを爆撃し、九人の子どもを虐殺したと言う最近の事件の後、彼がパイロットに祝辞を述べ、偉大なイスラエルの勝利を自慢したと伝えられたとき、病的に錯乱した精神がどんなことをなしうるかについて、わたしは以前よりはっきりした考えを抱くようになった。そのような精神が何を計画し、命ずるかということだけでなく、どのようにして他の人々までも同じような妄想じみた犯罪的思考に引きずり込むのかという、もっとたちの悪いことも含めて、イスラエル当局側の思考をさぐってみるのは、気持ちがいいとは言えないが、無意味なことではない。

 だが欧米では、パレスチナ人の自爆攻撃にろくでもない関心が執拗に向けられたため、それよりずっと悪質なものが現実のひどい歪曲によって完全に覆い隠されている。悪質なものとは、きわめて意図的、計画的にパレスチナの人々に襲いかかる、イスラエル当局の(たぶんシャロン特有の)危害である。自爆攻撃は非難すべきものだが、それは長年の虐待と無力と絶望から直接的に生じたものであり、わたしの意見では故意に仕組まれた結果である。アラブ人やムスリムは暴力に走りやすいとされているが、そんな架空の性格はこの問題とはまったく関係がない。シャロンが望んでいるのは平和ではなく、テロリズムである。それを誘発する状態を作り出そうと彼はあらゆる手段を使っている。その恐怖だけを残し、パレスチナ人の暴力、恐ろしく虐げられた民族の死にもの狂いの反応は、前後関係やそれを生み出したひどい苦しみという背景をすべて剥ぎ取られてしまっている。これを見ることができないというのは、人間性の欠陥である。それで悲惨さが少しでも緩和するわけでもないが、少なくとも本当の歴史と本当の地理のなかにそれを位置づけることになるはずだ。

 しかし、そのようなパレスチナ人のテロ ──もちろんそれはテロである── の位置づけは、表面に出ることが一瞬たりとも許されない。切り離された現象、理由のない純粋な悪事としての注目は、それほどに呵責のないものだ。そのような悪事に対抗して、イスラエルが、純粋な善の行為という想定で繰り広げている気高い戦いとは、300万人のパレスチナ系一般住民にさまざまなかたちで不釣り合いに大きな暴力を加えるというすさまじい行為である。わたしが話しているのは、イスラエルによる世論操作のことばかりではない。イスラエルは、対テロ戦争というアメリカの等価物を利用していることも重要で、それなくしては、イスラエルがこれまでしてきたようなことは実行不可能だったろう(実際、毎晩テレビ視聴者が見守る中なかで、細目にわたるサディズムを一つの社会全体に加えておきながら、処罰を免れるという奇跡をやってのけた国は、この地上では、イスラエルの他に思い当たらない)。この悪事が、いとも簡単にアメリカ人の空想と強迫観念を無分別に誇張して、ジョージ・W・ブッシュの反テロ軍事作戦の一環に意識的に仕立てあげられていることは、そのやみくもな破壊性の少なからぬ部分を説明するものである。熱意にに溢れた(私に言わせれば、腐敗しきった)アメリカの知識軍団が、アメリカ帝国主義の善良な目的と必然性についての巨大な虚構をつくり出しているのと同じように、イスラエル社会は数多くの学者やシンクタンクの政策提言者、防衛関連や広報関連の仕事に就いついている退役軍人たちを動員して、イスラエルの安全のために必要だとされる非人間的な(パレスチナ人への)懲罰政策を合理化し、説得力を持たせる作業に従事させている。

 イスラエルの安全は、いまや伝説の獣である。一角獣のように、それはどこまでも追い求められるが、決して見つかることはない。永遠に、今後の行動目標にとどまるのだ。時が経つうちに、イスラエルはますます安全でなくなり、隣国からはいっそう疎まれれるようになったが、そのことは一瞬の注意にも値しないらしい。だが、イスラエルの安全が私たちの倫理世界を規定して当たり前という見方に、異議を唱える者がいるだろうか。もちろん、アラブやパレスチナ指導者たちではない。彼らは30年間というものイスラエルの安全のためにあらゆる譲歩を行ってきたのだ。このことは問題にされてもよいのではないだろうか。何しろイスラエルは核兵器を持ち、合衆国の納税者から無制限に供給される陸・海・空軍力を背景に、国の規模に比例させれば、世界のどの国よりも大きな損傷をパレスチナ人や他のアラブ人に加えてきたのだから。結果として、パレスチナが経験させられている日々の細かな出来事は隠蔽され、さらに重要なことは、自衛やテロ撲滅という理屈で覆い隠されてしまう。テロリスト、テロリストの爆弾製造所、テロリスト容疑者等々、無限にリストが続くテロ撲滅は、シャロンや嘆かわしいジョージブッシュにはうってつけの仕事だ。テロリズムという観念はひとり歩きを始め、なんども重ねて正当化されているが、そこには何の証明も、論理も理屈も合理的な議論もない。

 たとえばアフガニスタンは散々に破壊され、百人近いパレスチナ人が「標的となって」暗殺されたが、(イスラエル兵に一斉検挙され、いまも拘置されている何千人もの容疑者についてはいうまでもない)、このように殺された人々はみんな本当にテロリストだったのか、テロリストだと証明されたのか、あるいはテロリストになるところだったのか、そういうことは誰も尋ねない。この人々はただ断定されただけで、危険だと決めてかかられたのである。ラナアン・ギシン(イスラエル政府報道官)、アヴィ・パズネル(政府報道官)、あるいはドール・ゴールド(首相顧問)のような横柄な報道官が1人か2人いて、おまけにアメリカ政府内にはアリ・フライシャー(ホワイトハウス報道官)のように無知と無定見に弁明をだれ続ける人物がいるというのであれば、狙った獲物はすでにしとめたも同然だ。疑念や、質問や、異議はいっさいなし。証明の必要もなければ、うんざりする気配りの必要もない。テロリズムとその偏執的な追跡は、いまや完全な円環構造を形成し、予言が自己達成するような殺人と、選択の機会も発言の機会も与えられない敵を緩慢な死へ追いやることへと変形してしまったのだ。

 アミーラ・ハス、ギデオン・レヴィ、アモス・エロン、タニア・リーボヴィッツ、ジェフ・ハルパー、イスラエル・シャミールなど少数の勇敢なジャーナリストを除いては、イスラエルのメディアにおける公論は、品質的にも誠実さにおいても恐ろしく後退している。愛国心と政府へのやみくもな支持が、懐疑的な熟考と真摯な倫理観にとって代わったのだ。イスラエル・シャハクやヤコブ・タルモンやホシャ・レイボヴィッチなどの時代は過ぎ去ってしまった。「安全」と「テロリズム」についての愚劣な議論が、イスラエルの和平推進派や、さらには退潮いちじるしい左派の抗議の声にとって代わった観があるが、そのような主要論調から逸脱する勇気を持った学者や知識人(たとえばゼヘブ・スターンヘル、ウリ・アブネリ、イラン・パペのような人々)は、ほとんど思い浮かばない。イスラエルとユダヤ人の名において毎日のように犯罪が行われているというのに、知識人たちがさかんにまくしたてるのは、戦略的撤退について、あるいは入植地を含むべきかどうか、あるいは例の巨大なフェンスの建設を続行するべきかどうか(現在の世の中で、これ以上ばかげた考えが実行に移されたことがあっただろうか? 数百万の人々を檻に閉じ込め、彼らは存在しないと主張するのだ)などというくだらない議論ばかりだ。その様子は、軍司令官や政治家にこそ似合うものであり、独立した判断力と一定の道徳基準を持つ知識人や芸術家にふさわしいものではない。ナディン・ゴーディマ、アンドレ・ブリンク、アソル・フガートなどの南アフリカの白人作家たちは、アパルトヘイトの弊害について曖昧さやごまかしのない口調できっぱりと公言した。この人たちに匹敵するようなイスラエル人はどこに居るのだろう?そんなものはイスラエルに全く存在しない。この国では、作家や学者たちは言葉を濁し、政府のプロパガンダを復唱するのみに陥っている。本当に第一級の著作や思考は学術機関からでさえも姿を消している。

 だがここで、この数年のあいだイスラエルを虜にしている行動や考え方に話を戻すため、シャロンの計画について考えてみよう。それが帰結するところは、窒息と、明らかな殺人と、日常生活の重圧という緩慢で系統的な手段によって、一つの民をまるごと抹消すること以外の何物でもない。カフカの『流刑地』にていう非凡な作品は、途方もなく手のこんだ拷問装置を見せびらかす気の変な役人の物語である。この機械の目的は、犠牲者の身体中に文字を彫りこむことであり、針を埋め込んだ複雑な装置で全身に細かい文字を刻まられていく囚人は、究極的には出血多量で死に至る。これはまさに、シャロンと彼の死刑執行人たちがパレスチナ人にかけていることであるが、それに対する抗議は、最低限の、しるしだけのものにとどまっている。パレスチナ人は一人残らず囚人になっている。ガザは、電気を通した鉄道網で三方を囲まれている。動物のように閉じ込められて、ガザの人々はい移動もできず、働くことも、自分たちの野菜や果物を売ることも、学校へ行くこともできなくなっている。空からはイスラエルの飛行機とヘリコプターに狙われ、地上では戦車と機関銃によって七面鳥のように打ち倒される。貧困と飢えが蔓延し、ガザは人類の悪夢と化している。ささやかなエピソードの一つ一つ(エレツ検問所や入植地付近で起きていることのような)に、何千という兵士によって、一人一人のパレスチナ人に年齢や性別や健康状態にはおかまいなしに加えられる侮蔑、懲罰、耐えがたい無力化が反映されている。医薬品は国境でとどめ置かれ、救急車は砲撃されたり拘留されたりする。民間人に対する組織的な集団的懲罰として、何百という家がなぎ倒され、何十万という樹木や耕地が破壊された。この人々の大半は、すでに1948年にイスラエルによって自分たちの社会を破壊されて難民となった人々である。パレスチナ人の語彙からは「希望」というものが抹消されており、残っているのはむき出しの反抗だけだ。そしてシャロンと彼の手先のサディストたちは、テロリズム排除するために占領が必要ださえずりつづけている。刻々と侵食を続けるこの占領はすでに35年も続いているのだ。この作戦そのものが、すべての植民地支配に絡む残虐行為がそうであるように、無益なものであるということ、あるいは、それはパレスチナ人の反抗を煽るだけで、弱めることにはならないということは、シャネルの閉鎖した心には届かない。

 西岸地区は、千台のイスラエル軍戦車によって占領されている。その目的は民間人を砲撃して威嚇することだけだ。外出禁止令は、長ければ2週間も連続する。学校や大学閉鎖されるか、そこに行くことができない。主要九都市のあいだの移動が阻まれているだけでなく、各都市の内部でさえ移動ができないのだ。どの町も、いまでは荒廃しきっている。──建物は壊され、事務所は略奪され、水道・電気システムは故意に破壊された。商業活動は壊滅した。子供たちの半数が栄養失調に陥っている。住民の三分の二が、貧困レベルとされる一日二ドルを割り込んだ生活をしている。ジェニーン(イスラエルの装甲部隊による難民キャンプの破壊という重大な戦争犯罪も、コフィ・アナンのような卑怯な国際官僚がイスラエルの脅迫に屈したため調査されることはない)では、戦車が子供たちに発砲し、殺しているが、それさえもパレスチナ民間人の殺戮という途切れることのない流れの、ほんの一滴でしかない。これを実行しているイスラエル兵たちは、イスラエルの不法な軍事占領に無条件で忠実な奉仕を提供しているのだ。パレスチナ人は一人残らず「テロ容疑者」である。この占領の真髄は、若いイスラエルの新兵が、検問所において、パレスチナ人にありとあらゆる形の私的な責め苦と屈辱を加えることが無制限に許されていることだ。太陽の照りつけるところで何時間も待たされる。医療品や生産物が腐るまで留め置かれる。好き放題にぶつけられる侮蔑的な言葉と乱打、パレスチナ人の生活を窒息地獄のようにしている無数の検問所では、千人単位で順番を待たされている民間人に、突然ジープや兵士が狂暴に襲いかかる。何十人もの若者を太陽の照りつける中で何時間もひざまずかせる。男たちの衣服を脱がせ、子供たちの前で親を侮蔑し、恥をかかせる。ただの個人的な気まぐれで病人の通過を禁止する。救急車を停車させ、砲撃する。パレスチナ側の死者数(イスラエル側の4倍)は日々上昇しているが、集計されることはまれだ。「テロ容疑者」とその妻子の数は増えているが、彼らの死は「われわれ」も遺憾に思っている、というのがイスラエルの言い草だろう。

 イスラエルはよく民主主義国として言及される。もしそうであるならば、それは良心の欠けた民主主義国家、国の魂が。弱者の懲罰に夢中になっており、統治者シャロンの病的な精神構造を忠実に反映している民主主義国家である。シャロン将軍の唯一の考え(この言葉が適当ならばだが)は、パレスチナ人を殺し、おとしめ、身体を損ない、追い払うことによって、「やつらが降参する」のを待つことだ。シャロンは自分の作戦(現在のものも過去のものも)の目標として、それ以上に具体的なものは何ひとつ提供してないし、カフカの物語の饒舌な役人のように、無防備なパレスチナ民間人を虐待する自分のマシンを自慢している。また同時に、シャロンはグロテスクな虚言を吐いているが、それを忌まわしくも煽っているのは彼の相談役や哲学者や軍司令官たち、加えて忠実なアメリカの家来たちの大合唱である。パレスチナ人の軍事占領などというものは存在しないし、パレスチナ側の戦車も、兵士も、武装ヘリも、大砲も、語るに足るような政府さえも存在していない。それでもイスラエルが発明した「テロリスト」と「暴力」は存在する。これはイスラエルがみずからのノイローゼをパレスチナ人の身体に刺青し、それに対する実効性のある抗議がイスラエルのぐずな哲学者や知識人や芸術家や平和活動家たちの大多数から出ないようにするための発明だ。パレスチナの学校、図書館、大学はもう何ヶ月間も通常の機能を停止している。それなのに、欧米の「著述の自由」擁護団体や、アメリカにおける学問の自由を声高に擁護する団体は、いまだに抗議の声を上げていない。イスラエルでも欧米でも、このようなパレスチナ人の知識や学習の権利、留学の権利を完全に廃棄するような事態に対し。何らかの声明を出した学術団体はいまだ見たことがない。

 要約すると、パレスチナ人がじわじわと死んで行かねばならない理由は、イスラエルの安全という、ほんの目と鼻の先にあるのだが、この国の特別な「不安感」のために決して実現しないものを、獲得できるようにしてやるためなのだ。世界中がこれに思いやりを示すように求められるが、その一方で、パレスチナの孤児、老いて病んだ女たち、犠牲者を出したコミュニティ、拷問された囚人の声は、耳に届くことも、記録されることもないまま捨て置かれる。このようなおぞましい行為も、ただのサディスト的な残虐行為ではなく、もっと大きな目的に奉仕しているのだと、わたしたちは告げられる。何となれば、「二つの陣営」がはまり込んでいる「暴力の連鎖」は、いつか、どこかで、阻止されねばならないのだから。たまには、わたしたちも立ち止まり、憤りを込めて表明すべきだろう──軍隊と国をもつ陣営は一つしかなく、もう一方の側は国もない追放された民であり、何の権利も、自衛手段ももたない人々なのだ。苦悩や具体的な日常を表現する言語はハイジャックされてしまった。あるいは大きく歪められた結果、わたしの見るところ、完全な作り話の他には使い道がなくなったようだ。その作り話を目隠しにして、さらに多くの殺戮や。精緻な拷問をゆっくりと、うるさくこだわりながら、容赦なく推進しようとしているのだ。これが、パレスチナ人を苦しめているものの正体だ。だが、どの道イスラエルの政策は、最終的には敗北する。

 

 

 

 

 

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イスラエル軍の暴走、国連暫定駐留軍の監視塔砲撃

2024年10月15日 | 国際・政治

 今年5月、アメリカのトランプ前大統領に有罪の評決が下されました。不倫の口止め料をめぐって業務記録を改ざんした罪に問われていたのです。それを受けて、バイデン米大統領の陣営は声明を発表し、「私たちは今日、ニューヨークで法の上に立つ者はいないということを目の当たりにした」とその評決を歓迎しました。

 でも、そのバイデン大統領は、イスラエルのネタニヤフ首相とともに、あたかも自分達が国際社会で、法の上に立つ者のような振る舞いを続けていると思います。

 

 というのは、国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL が、”イスラエル軍の戦車が国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)の監視塔に砲撃を加えるなど、UNIFILの拠点を意図的に繰り返し攻撃している”とのUNIFIL statementを発表したことでもわかると思います(UNIFIL statement (13 October 2024) | UNIFIL (unmissions.org)。それは、”国際法と安全保障理事会決議1701(2006)の甚だしい違反である”と告発しているのに、イスラエルは受け入れず、さまざまな言い逃れをしているのです。

 

 また、声明のなかには、”午前640分頃、同じ位置にいた平和維持軍は、100メートル北で数発の砲弾が発射され、煙が発せられたと報告した。防護マスクを着用していたにもかかわらず、15人の平和維持要員は、煙がキャンプに入った後、皮膚の炎症や胃腸反応などの影響を受けた。平和維持軍は治療を受けています。”というような内容もあります。有毒ガスが使われたのでしょうか。詳細が明らかにされるべきだと思います。

 こうしたイスラエルの蛮行は、圧倒的な経済力と軍事力を持つアメリカの支援さえあれば、何でもできてしまうということを示しているように思います。だから、パレスチナでも、平然と国際法違反や安全保障理事会決議違反をくり返しているのだと思います。

 そして、そうした蛮行が、イスラエルの建国前後から続いていることも見逃してはならないと思います。下記の、「イスラエル、イラク、アメリカ ─戦争とプロパガンダ3─E.W. サイード:中野真紀子訳(みすず書房)には、過去のレバノン侵攻や、イラクをめぐるアメリカとイスラエルの無法者ぶりが明らかにされています。

 次のような文章は、その一つです。

”・・・現代の中東において一つの主権国家が別の主権国家に対し軍事的手段による政権交代(レジームチェンジ)を企てた最初の本格的な試みは、このようにして終わった。この事件を持ち出したのは、いま起こっていることの面倒な背景を説明するためだ。シャロンは現在イスラエルの首相となり、彼の軍隊とプロパガンダ機構はふたたびアラファトとパレスチナ人を囲い込み、「テロリスト」と呼んで人間扱いを止めている。ここで思い出したいのは、「テロリスト」という言葉が、イスラエルによって1970年代半ばからパレスチナ側のいっさいの抵抗活動を表現する言葉としてシステマティックに用いるられはじめたことだ。以来ずっとそれが続いており、特に1987年─93年の第一次インタファーダの時期には、抵抗と純粋なテロ行為の間の区別が取り払われ、その結果として武力闘争の理由から政治色が消されてしまった。1950年代と60年代に、アリエル・シャロンは悪名高い101部隊を率いて、ベングリオン首相の承認のもとにアラブの民間人を殺し、彼らの家を破壊したことによって「偉勲」を立てた。・・・”

 現在のレバノン侵攻は、こうした過去を無かったことにして受け止めてはならないと思います。

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                      イスラエル、イラク、合衆国

 198264日、レバノンの多数の地域にイスラエルの戦闘機が激しい爆撃を加えた。二日後、イスラエル軍はレバノンの南部国境を越えて侵攻した。当時のイスラエル首相はメナヘム・ベギン、国防大臣はアリエル・シャロンだった。侵略の直接の理由は、ロンドンで起こったイスラエル大使の暗殺未遂事件だった。だがそのとき(現在と同じように)、ベエギンとシャロンはその責任を「テロ組織」PLOに負わせ、同組織が南レバノンにおける停戦をほぼ一年近く遵守してきたにもかかわらず侵攻したのである。数日後の613日、ベイルートはイスラエル軍に包囲された。侵攻開始にあたってイスラエルの政府報道官が目標地点として挙げたのは、レバレッジ国境から北方35キロのアワリー川だったにもかかわらず。やがて、シャロンがヤセル・アラファトを殺そうと、この反抗的なパレスチナ指導者の周囲をことごとく爆撃していることが明白になる。包囲攻撃に伴い、人道支援が途絶し、水と電気の供給が停められ、持続的な空爆によって何百というベイルートの建物が破壊され、8月下旬に包囲戦が終了するまでに、パレスチナ人とレバノン人を合わせて18千人が犠牲になった。そのほとんどが民間人だった。

 レバノンは1975年春に始まった凄惨な内戦ですでにがたがたになっており、イスラエル軍が1982年以前に侵入したのは一度だけだったが、早い時期から(レバノンの)キリスト教右派民兵組織によって協力者として求められていた。東ベイルートに拠点を置くこれらの民兵組織は、シャロンの軍隊の包囲戦にはじめから終わりまで協力した。812日の凄まじい無差別爆撃、そしてあのサブラーとシャティーラの両難民キャンプでの大虐殺を経て、ベイルート包囲戦は終わった。シャロンの一番の同盟者はファランジェ党のバシール・ジェマイエルで、この人物が813日、議会によってレバノン大統領に選ばれた。

 

 ジェマイエルは、パレスチナ人が「民族運動」の側についてレバノンの内戦に介入するという愚をおかしたことを憎んでいた。「民族運動」は左派とアラブ民族主義諸政党の緩やかな連合体で、後者に含まれるアマルという政党は今日の「ヒズボラ」シーア派運動に成長し、20005月に(南レバノンに居座り続けた)イスラエルを徹底させる主役となった。シャロンの軍隊が当選させたといってもよいジェマイエルは、イスラエルの露骨な属国扱いを受けそうなことに抵抗を示したらしい。彼は914日に暗殺された。その2日後に難民キャンプの大虐殺が始まった。イスラエル軍はキャンプの周りに非常線を張り、復讐に燃えるバシール(・ジェマイエル)の仲間の急進派キリスト教徒たちが誰にも邪魔されることなく忌まわしい仕事に専念専念できるように取り計らってやった。

 国連と(もちろん)合衆国の監督のもとに、8月にはフランス兵がベイルートに入っていた。PLOの兵士たちは821日からレバノンを撤収しはじめていたが、フランス兵に少し遅れて合衆国や他のヨーロッパ諸国からの兵力もレバノンに入ることになっていた。91日までにPLOの退去は完了し、アラファトと少数の側近や軍人たちはチェニスに身を寄せた。一方レバノンの内戦はその後も続き1990年頃にようやく(サウジアラビアの)タイフで合意が結ばれた。その結果、多かれ少なかれ昔どうりの宗派制度が復活し、そのまま今日に至っている。1994年のなかば、アラファト──依然PLOの議長だった──と同じ顔ぶれの側近や軍人たちの一部が、いわゆる「オスロ合意」の一環としてガザに入ることを許される。今年の早い時期に、シャロンはベイルートでアラファトを殺しそこなったことを悔やむ言葉を吐いたと伝えられた。とはいえ、その努力が足りなかったわけではない。何十ヶ所もの隠れ家や司令部は瓦礫となるまで破壊され、多数の人命が失われた。思うに、アラブ人は1982年の出来事によって、イスラエルは最新技術(飛行機、ミサイル、戦車、ヘリコプター)を投入して民間人を無差別に攻撃するだけでなく、たとえ指導者や首都が標的にされていたとしても、そのような行為を止めるために合衆国や他のアラブ諸国が何かをするということはないという考えに慣れっこになってしまったようだ(この出来事についてのはさらに詳しい説明は、ラシード・ハーリーディ、ロバート・フィスク・パスク、ジョナサンランドルの著書などに載っている)。

 

 現代の中東において一つの主権国家が別の主権国家に対し軍事的手段による政権交代(レジームチェンジ)を企てた最初の本格的な試みは、このようにして終わった。この事件を持ち出したのは、いま起こっていることの面倒な背景を説明するためだ。シャロンは現在イスラエルの首相となり、彼の軍隊とプロパガンダ機構はふたたびアラファトとパレスチナ人を囲い込み、「テロリスト」と呼んで人間扱いを止めている。ここで思い出したいのは、「テロリスト」という言葉が、イスラエルによって1970年代半ばからパレスチナ側のいっさいの抵抗活動を表現する言葉としてシステマティックに用いるられはじめたことだ。以来ずっとそれが続いており、特に1987年─93年の第一次インタファーダの時期には、抵抗と純粋なテロ行為の間の区別が取り払われ、その結果として武力闘争の理由から政治色が消されてしまった。1950年代と60年代に、アリエル・シャロンは悪名高い101部隊を率いて、ベングリオン首相の承認のもとにアラブの民間人を殺し、彼らの家を破壊したことによって「偉勲」を立てた。彼は1970─71年のガザ鎮圧の責任者だった。1982年の軍事侵攻を含め、これらの試みはどれひとつ、パレスチナ人を追い払うことには成功しなかったし、軍事的な手段による地図の描き替えや、政権のすげ替えにもイスラエルの完全な勝利を保証するほどには成功しなかった。

 

 1982年と2002年の主な相違は、いま虐待され、包囲されているパレスチナ人たちがいるところは、1967年に占領されたパレスチナの領土であり、占領による破壊と略奪、経済の破壊、共同体の社会生活基盤全体の破壊にもかかわらず、彼らがとどまり続けた場所であるということである。主な類似は、不釣り合いに大規模な手段が投入されていることである。たとえば、何百台もの戦車やブルドーザーがジェニーンのような町や村、ジェニーンにあるものやデヘイシャのような難民キャンプに入り込み、殺戮と施設の破壊、救急車や救急隊員の仕事の妨害、水や電気の切断などを行っている。合衆国はこれらすべてに支持を与えており、その大統領は20023月から4月にかけてイスラエルがもっとひどく暴れまわった時期に、シャロンを平和主義者と呼ぶほどのことまでした。シャロンの意図が「テロの根絶」をいかに大きく超えていたかを暗示しているのは、彼の軍隊が中央統計局、教育省、財務省、保健省、文化施設などに入り込んで、すべてのコンピューターを破壊し、ファイルやハードディスクを持ち去り、オフィスや図書室を破壊したことだ。これらみな、パレスチナ人の集団としての生活を近代以前の水準に戻してやるためになされたことだった。

 アラファトの失策や、オスロ交渉中やそれ以降の情けない政権のいたらなさについて、これまで批判してきたことを今もう一度くり返そうと思わない。ここでも、よそでも、すでに十分すぎるほど詳述してきたことだ。加えて、いまこの原稿を書いている時点で、アラファトは文字どうり首の皮一枚で命をつなぎとめている。ラーマッラーの崩れかけた議長府は包囲され、シャロンは殺しそこなったものの、ありとあらゆる手段を用いてアラファトを痛めつけている。わたしが心配なのは、敵よりも段違いに強力な人々、イデオロギー、制度などにとって、政権のすげ替えという発想が、魅力的な展望となっていることだ。いったいどんな思考法によれば、軍事大国には以前は考えられなかったような巨大なスケールで政治や社会の変化をもたらす自由が与えられていると考えたり、そのような変化が当然もたらす途方もない被害について気することはないと考えたりすることが、そんなに容易になるのだろう。自分の側にはそれほど犠牲が出ないだろうという見通しが、いったいどうして、正確無比な空爆、きれいな戦争、ハイテク戦争、を全面的な地図の塗り替え、民主主義の創出、等々についての幻想をこれでもかとばかりに掻き立てのだろうか。このような幻想が全能、ゼロに戻してやり直し、「われわれ」の場合に重要なことは究極的に支配する、といった考えの台頭につながっているのだ。

 

 アメリカが今進めている。イラクの政権を交代させるキャンペーンのなかで、視界から消えているのはイラク国民だ。彼らの大半は、十年にわたる経済制裁がもたらした貧困と栄養失調と疾病によって、酷い犠牲をこうむってきた。これは、イスラエルの安全と安価な石油の豊富な供給を強力な二本柱として組み立てられたアメリカの中東政策に完全に合致するものだ。無愛想な専制支配者が治める国民国家の存在にも関わらず、慣習や宗教や文化や民族性や歴史といったものの複雑なモザイクがアラブ世界(とりわけイラク)を作り上げているのであるが、そうしたものは、合衆国とイスラエルの戦略設計者たちの目には映らない。5000年におよぶ歴史を持つイラクは、いまでは主に、周辺諸国にとっての「脅威」(弱体化し、包囲された現在の状態状態では全くのナンセンスだ)、あるいは合衆国の自由と安全にとっての脅威(もっとナンセンスだ)と考えられている。サダム・フセインのおぞましい性格については、ここでわざわざ私が非難を付け加えるまでもないだろう。およそどのような基準に照らしてもこの男は退けられ、処罰されるのがふさわしいということは当たり前のことだろう。最大の罪は、彼が自国民を脅かしていることだ。

 しかし、最初の湾岸戦争が起こる前の頃から多様性に富み反映しているアラブの大国というイラクの本当のイメージは姿を消した。メディアや政策論議の中で広げられたイメージは、サダムの率いる残忍なごろつきどもが巣食う砂漠の国というものだ。イラクの現在の凋落が、たとえば、アラブ世界の出版産業をほぼ壊滅させたということ(イラクはアラブ世界で最大の読書人口を持っていた)、イラクは教育のある有能な専門職が大きな中産階級を形成するアラブ世界では数少ない国であったこと、イラクには石油と水と肥沃な土地があること、イラクはこれまで常にアラブ世界の文化の中心にだったこと(文学、哲学、建築、科学、医学が素晴らしい発達を遂げたアッバース朝はいまもアラブ文化の基礎をなしているが、これはイラクの寄与である)。他のアラブ人やムスリムにとってもイラク人の苦しみという血の流れを続ける傷口は、パレスチナ人の苦しみと並んで、持続的な悲しみの源となっていること──こういうようなことは、文字ど通り決して語られることはない。だが、その巨大な石油埋蔵量については話題にされる。そこでの議論は、「われわれ」がこの石油資源をサダムの手から奪って支配下に置けば、サウジアラビアの石油にそれほど依存しなくてよくなるだろうというものだ。

ただ、こういうことも、アメリカ議会やメディアを荒らしまわっているさまざまな論争のなかでは、めったに要因として引用されることはない。だがここで指摘しておきたいのは、イラクの石油埋蔵量はサウジアラビアに次いで世界第2位であり、現在イラクが開発可能な約一兆一千億ドル相当の石油── 大半はすでにサダムがロシア、フランス、その他若干の国々に開発権を与えている──は合衆国の戦略の鍵を握る目標であり、イラク国民議会が合衆国以外の石油消費国に対する切り札として用いてきたカードである(これについての詳細は『ネーション』107日号に掲載されたマイケル・クレアの論文を参照されたい)。プーチン─ブッシュ交渉のかなりの部分はこのイラクの石油のどれほどを合衆国企業がロシアに保証する用意があるかを巡るものだ。それは、先代ブッシュ大統領がロシアに提案した30億ドルに薄気味悪にほど似ている。ブッシュ親子はどちらも結局は石油実業家なのであり、彼らの頭のなかではこのようなたぐいの計算のほうが、イラクの民生インフラの再破壊というような中東政治のデリケートなポイントよりもずっと大きな位置を占めているのだ。

 このように、憎まれ者の「他者」を人間扱いしなくなる最初の一歩は、彼らの存在を少数の執拗にくり返される単純な表現、イメージ、概念へと還元してしまうことなのだ。それによって良心の呵責を感じることなしに敵を爆撃することがずっと容易になる。911日以降は、イスラエルやアメリカが、それぞれパレスチナ人に対して、イラクに対してそうすることが極めて容易になった。ここで気をつけておきたいのは、圧倒的な優位をもって、同じような政策、同じような容赦ない段階的計画が、基本的に同じアメリカ人とイスラエル人によって押し進められているということだ。合衆国では、ジェイソン・ヴェストが『ネイション』(92/9日号)に書いたように、極右の安全保障問題ユダヤ研究所(JILSA)や安全保障政策センター(CSP)の出身者が、国防総省や国務省の委員会に入り込んでいる。たとえば、ウォルフォウィッツ国防副長官いラムズフェルド国防長官によって任命されたリチャードパールが議長をつとめる委員会などがそうだ。イスラエルとアメリカの安全保障は等しいものとされ、JINSAは「合衆国の退役将校をイスラエルに連れて行くのに予算の大部分を」使っている。帰国すると、彼らは新聞の論説欄やテレビ番組で、リクード党の主張を売り歩く。国防総省の国防政策委員会は、メンバーの多くがJILSCSP出身者でかためられており、『タイム』誌が823号に掲載した同委員会についての記事のタイトルは、「秘密戦争評議会の内幕」である。

 

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G7(Group of Seven)の過ち

2024年10月11日 | 国際・政治

 イギリスが、チャゴス諸島の領有権モーリシャスに返還するとの報道がありました。

 チャゴス諸島は、もともとモーリシャスの一部でしたが、1965年にイギリスがモーリシャスから分離し、イギリス領インド洋地域(BIOT)として編入していたということです。そして、イギリスのみならずアメリカも、インド洋の要衝だとして、そのチャゴス諸島に軍事基地をおいていたということです。

 

 ふり返ると、第二次世界大戦後モーリシャスは、イギリスの植民地支配下にありましたが、独立を求める動きが高まり、1968年に独立、イギリス連邦の一つになったのです。

 でも、モーリシャスは、多様な国際関係を築くために、特定の大国に依存しない外交政策を選択しました。「非同盟政策」を掲げ、様々な国との関係を築いて、国を発展させてきたのです。だから、長年にわたりチャゴス諸島の返還を求めてきたといいます。

 にもかかわらずアメリカは、インド洋に位置する戦略的に重要な位置にあるとして、モーリシャスとの関係を重視し、経済や安全保障の分野で働きかけを続けて、ディエゴガルシア島に軍事基地を設置したといいます。その強引な姿勢は、ディエゴガルシア島に米軍基地を建設する際、島民を強制移住させたという話にあらわれていると思います。

 

 「非同盟政策」を掲げるモーリシャスは、チャゴス諸島の返還を求めて、声を上げ続けていたので、2019年には、国際司法裁判所(ICJ)がイギリスに対し、チャゴス諸島の管理を放棄し、モーリシャスに返還するよう勧告していました。国連総会でも、同様の決議が採択されていました。だから、イギリスは、国際的な圧力に屈し、領有権を返還せざるを得なかったということだと思います。法に基づけば、領有権の返還は当然の成り行きだと思います。

 

 でも見逃せないことは、領有権返還後も、イギリスとアメリカの軍事基地は残されるということです。それは、「非同盟政策」を掲げるモーリシャスの方針を無視するものではないかと思います。

 そこに私は、米英の植民地支配の延長としての外交政策や対外政策の本質が見えると思います。

 

 そういう意味では、昨年マクロン大統領が表明した、ニジェールからのフランス軍の撤退も、そして、最近のアメリカ軍の撤退も、共通の問題だと思います。

 かつて欧米の植民地だったアフリカの国々で、近年発生したクーデターや軍事政権の樹立が何を意味しているのかを見極めることは大事なことだと思います。

 日本政府は、G7を構成する国の一つとして、アメリカの戦略に基づく外交政策や対外政策をもって「G77Group of Seventy-seven」や「グローバルサウス」と呼ばれる国々に働きかけているようですが、それは、世界を分断することに与するばかりでなく、日本の衰退を加速することになると思います。衰退傾向にあるアメリカやG7に与して、衰退する国々の先頭を走るようなことはすべきではない、と私は思います。

 日本は、大変な犠牲を払って定められた平和憲法を守り、平和主義に徹して諸外国の信頼を得、核兵器廃絶をはじめとする世界の軍縮を、先頭に立って進める責任があると思います。

 

 ロシアや中国を敵視するアメリカの描き出す虚構の世界を現実と思い込み、軍事同盟を強化したり、防衛費を増額したりすることが、世界の緊張を高め、戦争につながる道であることに気づくべきだと思うのです。

 

 アメリカはニジェールで、サヘル地域のテロ対策の拠点として、およそ1,100人の部隊を駐留させきました。でも、ニジェールでは去年、軍の部隊がクーデターを起こし、欧米寄りの大統領を排除して軍事政権が発足させました。だから、旧宗主国のフランスは去年、駐留部隊を撤退させていましたが、結局、アメリカも部隊を撤退させざるを得ない状況に追い込まれたのです。

 

 西アフリカでは、最近ニジェールのみならず、マリやギニア、ブルキナファソでクーデターやクーデター未遂が起きているといいます。西アフリカ諸国は15世紀からの奴隷貿易、また、19世紀以降はヨーロッパ諸国の植民地として、西洋諸国から搾取され続けた歴史を持っているから、欧米に対する反発があるのだと思います。 

 だから、そういう歴史を踏まえた対応が必要だと思うのです。

 日本ではほとんど報道されないのですが、下記のような動きを無視してはいけないと思います。

 ニジェールの首都ニアメーで、アフリカのテロリストを支援するウクライナの政策に反対する抗議行動が行われているというのです。

 ウクライナ支援のために欧米から送られた武器の一部が、世界各地のテロ組織その他に転売されているという話を、私は何度か耳にしていますので、そういう問題と関連しているのではないかと思います。

 

 それは、G77Group of Seventy-sevenグローバルサウスと呼ばれる国々が、力を持ち始めているあらわれだと思います。

 G77Group of Seventy-seven)は、現在は135カ国になっているということですが、アパルトヘイトに反対し、世界的な軍縮を支持する共通の姿勢を持っているといいます。

 軍事力を背景に、植民地支配の延長のような外交政策や対外政策を進めるG7の支配は受けたくないということだと思います。

 ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体アフリカ合衆国の構想もそうした流れのなかで生まれてきたのだと思います。

 だから、日本はG7の側の立場で、それらの国々と関わるのではなく、G77やグローバルサウスと呼ばれる国々と手を結んで、軍縮外交を進め、経済交流を深めるべきだと思うのです。

 喧嘩をする前から、喧嘩仲間を決めておくような軍事同盟や軍事的連携を強化することは、日本国憲法や欧米が発展させた国際法にも反することだと思います。またそれには、主権の放棄という側面もあることを見逃してはならないと思います。

 

 欧米は、”われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進する…(国連憲章)”と約束したはずです。

 自らが生みだした法を、自ら侵しているようでは文明国とは言えないと思います。他国の領土に強引に軍事基地を設け、植民地支配の延長のような外交政策や対外政策を進める欧米は、野蛮国家だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハマス殲滅は、シオニストによる民族浄化?

2024年10月07日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞は、「(ガザ戦闘1年 新中東危機)渦巻く不信、イスラエルが進めた排除の論理」と題する日本女子大・臼杵陽教授のインタビュー記事を掲載しました。アメリカ帰りの学者や研究者と違って、武力行使を続けるイスラエル対する厳しい見方がなされていると思いました。いくつかピックアップします。

イスラエルのユダヤ人の間には、自分たちの生命も保障されないような相手と交渉することは無意味だ。パレスチナ人は信用できない」という感覚が広がった。ユダヤ人社会の生活空間の中に、パレスチナ人が入って来る事を極度に恐れ、その異質なものを排除したいという想いが強くなっていった

今回の軍事作戦の徹底ぶりを見ると、もはやガザのパレスチナ人は元の住んでいた場所に戻れるかわからないような状態だ。ネタニヤフ政権は、パレスチナ人を全面的に排除することがイスラエルの安全にとって最善の方法だと考えているのではないかと思わざるを得ない”

記者 ”ネタニヤフ首相は7月の米議会演説で「文明と野蛮の衝突」と主張しました。シャロン元首相の「対テロ戦争」の路線を継承しているのでしょうか。

臼杵教授 ”そうだと思う。「対テロ戦争」の根底には、相手がテロリストだろうと民間人だろうと区別しないという部分がある。今回のガザの攻撃でも、空爆すれば当然、民間人だって命を落とす。「対テロ戦争」と言いながら、結局やってることは見せしめ的なパレスチナ人の集団殺戮という形になっている。イスラエルのパレスチナ支配が続く限り、イスラエル側からすれば、テロリストが無数に生まれてくる。もう攻撃相手を絞れないということなのかもしれない。ユダヤ人社会の中で上から下までパレスチナ人が入っていることを許容しない排除の論理が一貫してきていると感じる”

”仮に独立したパレスチナ国家ができたとしても、問題の解決は難しいと思う

 でも、残念ながら、なぜイスラエルが法や国際社会の声を無視して、排除の論理でパレスチナ人の殺戮をくり返すのかということの考察は、充分なされていない、と私は思いました。

 

 両国の歴史を抜きに、現在のパレスチナの問題は語れないと思います。パレスチナ人とユダヤ人の対立の発端ともいえるイギリスの二枚舌外交や、イスラエル建国、また、建国以降のアメリカを中心とする欧米のイスラエルに対する姿勢(イスラエルの違法行為や犯罪行為には目をつぶる姿勢)が、現在の「テロ国家」ともいえる攻撃的なイスラエルの存在につながっているのだ、と私は思います。

 現在も、「対テロ戦争」の論理で、民間人が死ぬことを厭わず攻撃を続けるイスラエルに対するアメリカの支援は続いています。イスラエル軍の攻撃は、「ジェノサイド」だと言われ、法に反し正当化できないことなのに、アメリカは、平然と支援を続けています。そのことが大きな問題だと思います。

 105日の「ガザ戦闘1年 新中東危機」には、国内諜報機関シンベト元幹部、リオル・アッカーマン氏に対するインタビュー記事が出ていました。そのなかに見過ごすことのできない指摘がありました。

ハマスのガザ支配、ネタニヤフ氏が望んだ」というのです。そしてそれは、ヨルダン川西岸の自治政府の主流派組織「ファタハ」が「ガザ」に戻ってしまうと”「パレスチナ国家」の樹立の問題に対処しなければならないからだ”、というのです。

 1947年の国連総会決議181(パレスチナ分割決議)に端を発し、1974年に国連が提案した「二国家解決」や、1993年の「オスロ合意」を、イスラエルは守る気がなかったということだと思います。

 今まで何度か、リクードの政治家やイスラエルの軍人が、「私たちは、二本足で歩く獣と戦っている」というような差別発言をしていますが、イスラエルのユダヤ人支配層は、当初から、パレスチナ人と共存する気がなかったといってもよいのではないかと思います。

 だから、過去の歴史、また政権を担う政党の政治家や軍人の発言、そして現実にイスラエルがパレスチナにやっていることを総合的に捉えると、イスラエルのガザ攻撃は、「ハマス殲滅」ではなく、それを口実に、「パレスチナ人殲滅(国外追い出しを含む)」を目的にしているのだと思います。それは、「パレスチナ人はみんなハマスだ」というようなユダヤ人の発言にもあらわれていると思います。そして、それがナチストによるユダヤ人虐殺同様、シオニストによる民族浄化(ethnic cleansing)であり、国際社会は放置してはいけないことだと私は思うのです。

 アメリカはイスラエルの違法行為や犯罪行為止める力を持っているのに、止めません。イスラエル建国以来、アメリカを中心とする欧米諸国はイスラエルの違法行為や犯罪行為には目をつぶり、黙認してきたと思います。

 

 下記は、english.pravda に出ていたロシアの主張です。私も、欧米主導の世界は終わりにして欲しいと思います。

Futile and completely pro-Western UN should end its existence

Russia protests against the future that UN prepares for it

World » Americas

The UN is a completely pro-Western, worthless and detached from reality organization. Reforming it is not enough — the UN should be pushed aside to form an alternative based on BRICS.(https://english.pravda.ru/world/160739-russia-un-future-pact/

無益で完全に親欧米的な国連は、その存在を終わらせるべきだ

国連が準備する未来に対して、ロシアが抗議

世界 » アメリカ大陸

国連は、完全に親欧米で、価値がなく、現実からかけ離れた組織だ。それを改革するだけでは十分ではなく、国連はBRICSに基づく代替案を形成するために脇に追いやられるべきです。(機械翻訳)

 

 下記は、「ダイヤモンドと死の商人 イスラエルの世界戦略 ユダヤ人Ⅱ」広河隆一・パレスチナユダヤ人問題研究会編(三友社出版)からの抜萃文ですが、現在のイスラエルという国の違法行為や犯罪行為は、建国以来続いていることが分かります。次のような記述があるのです。

1983年には、イスラエルから船積みされた60トンの兵器類が、南ア政府の支援を受けているアンゴラの反政府勢力アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に引渡されたことが知られている。公式にはこの兵器は、ザイールに向けて輸送されることになっていた

しかし、イスラエルは、(国際社会が認めていない)ホームランドの傀儡政権と貿易関係を持つだけでなく、そこで詐欺まがいの「経済開発」をしたいという欲求を隠そうともしてない。イスラエルと台湾は、ホームランドの一つシスケイにおける二大投資国であり、その地域はなぜか「ニュー香港」と呼ばれている

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                   第二部。イスラエルの世界戦略

                  二つのアパルトヘイト国家──南ア

 軍事協力

 南ア共和国に対する兵器売却の停止を決めた国連安全保障理事会の決議ののち、イスラエル─南ア間の軍事協力は当然停止されるべきであった。しかし、イスラエルは、この協力関係を弱めることなく継続した。

 こうした両者間の関係を全体として見るなら、イスラエルは情報、技術的専門的知識、西側兵器市場へのコネクションを提供し、南アフリカ共和国は鉄と資本、労働力を供給しているといえる。

 この二国の兵器生産量を評価するのは難しい。1980年代はじめ、南アは兵器輸出額を年間13000万ドルにまで拡大しようと計画したが、その手始めは、対南ア兵器禁輸の国連安全保障理事会決議を犯して、イスラエルの協力のもとにひそかに最新の155ミリ砲システムをアメリカから輸入することであった。このシステムはさらに、イスラエル─南アの共同プロジェクトによって、通常爆弾と核弾頭双方の発射用に改良され試験が行われた。

 

【軍事情報および軍事技術の提供】イスラエルの情報機関モサドは、国家安全保障レベルで南アを援助しており、南ア側からの信用を獲得する上で大いに役立っている。イスラエルがアフリカ各地から事実上排除される以前に、モサドはその情報を、コートジボアール、中央アフリカ共和国、ダホメ(現ベニン)、カメルーン、リベリア、セネガル、トーゴ、タンザニア、ウガンダ、エチオピア、ナイジェリア、ソマリア、モーリタニアに広げていた。またガーナ、ウガンダ、ザイールでは、モサドは秘密警察の訓練を行っていたが、同様のことは南アの「ホームランド」(後述)でも行われていると考えられる。

 イスラエルの軍および農業省は「ホームランド」内の「青年運動」の育成を、シオニストの「入植運動」の経験にもとづいて援助している。このために「ナハル運動」と呼ばれるグループがイスラエルで組織されており、このグループから農業指導者と民兵訓練要員が南に送られている。この協力への見返りは、南アのサイモンズタウン近郊にあるシルバーマイン・レーダー基地の情報の、イスラエルへの提供である。

 

 さらに南ア政府は、イスラエルをモデルとして、国境の重要拠点防衛監視システム「鉄の輪」を構築する決定を、1978年に行っている。この警備棒網の目的は、反アバルトヘイト軍事組織であるアフリカ民族会議(ANC)のゲリラが、国境を越えて侵入することを防止しようとするものである。

 このためにイスラエル製の兵器やシステムが導入され、電流フェンス、夜間監視装置、レーダーおよび赤外線探知機、グランド・ソナー(探知マイク網)、有刺鉄線、対人地雷などが敷設された。また、これらのシステムの設置及び監視の為に、イスラエル人専門家50人が継続的に派遣されている。【アンゴラ・モザンビーク攻撃の支援】

 イスラエルはまた、南アフリカ共和国によるアンゴラなどブラックアフリカ諸国に対する攻撃にも加担していると考えられる。

 1981年には、イスラエル国防相アリエル・シャロンは、南ア軍とともにナミビアのアンゴラ国境沿いの地域に10日間滞在しており、また南アのシオニスト組織の指導者たちはナミビアにおける作戦地域への視察旅行に招かれている。

 1983年には、イスラエルから船積みされた60トンの兵器類が、南ア政府の支援を受けているアンゴラの反政府勢力アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に引渡されたことが知られている。公式にはこの兵器は、ザイールに向けて輸送されることになっていた。

 

【兵器の製造・開発における協力】南ア軍の使用している戦車は、イスコール社を通じて南アからイスラエルに提供された鉄を使用して、イスラエルで新型の装甲へと改修されている。この改修は何年にもわたって継続して行われており、すでに150両が改修を済ませている。イスラエル製のメルカバ戦車も南ア産の鉄を使っているが、これもまた南へ輸出されるのではないかと考えられている。

 イスラエル─南ア間の兵器の共同開発の動きは、かなり以前から始まっていた。1967年には、戦闘機の共同生産に関する討議がすでに始まっており、1973年の10月戦争ののちには、南アで組み立てられたミラージュ戦闘機をイスラエル空軍が使っていたことが確認されている。そしてまたこの戦争で最初に撃墜されたイスラエルのパイロットは、南アから来ていた人間だったことも明らかになっている。

 1980年、イスラエル国防相エツェル・ワイツマンはプレトリアを訪問し、ラビ戦闘機の開発についての協力を話し合っている。未確認の情報によれば。この年南アは、イスラエル製の戦闘機36機を、43000万ドルで購入したとされている。さらに南アはナミビアで、イスラエル製のアラバ輸送機の試験的導入を行っており、また無人偵察機の引渡しも、イスラエルから受けている。この無人偵察機のうちの一機は、1983年にモザンビーク上空で撃墜された。

 海軍関係の兵器について見てみよう。南ア海軍はイスラエルの支援で再編成が行われ、高速ミサイル哨戒艇中心の装備に転換されている。これにともなって南アは、イスラエルで開発されたレシェフ級哨戒艇のライセンス供与を受け、この型の艇を生産している。またディボラ級哨戒艇六隻をイスラエルから購入している。

【軍レベルでの共同計画】イスラエル・南アの軍相互の協力関係も深まっており、それは共同訓練やイスラエルによる南ア兵員の教育を通じて、戦略研究のレベルにまで及んでいる。南ア軍は、イスラエルの機動攻撃戦略を高く評価している。

 この二つの植民国家は、ともに以前から住んでいた住民からの敵対に直面し、また敵対する他の国家に囲まれている。そして二国は相互に補完する物質的技術的な需要と供給の関係を持っている。二国間の核兵器共同開発計画では、南アがウラン実験施設を提供し、イスラエルが技術を提供するという形が成立していることに、その典型を見ることができよう。

 

【人的資源の交流】 イスラエルの元外相アバ・エバンによれば、イスラエルには14000人の南ア国民が住んでおり、25000人のイスラエル国民が南アに住んでいるといわれる。

 19765月時点で、イスラエル軍事顧問団が南アの全ての部隊を訓練し、また国境警備の専門家として活動していた。こうした軍事顧問団は、対ゲリラ作戦の指導のほか、占領地ナミビアとローデシア(ゲンジンバブエ)では現場の作戦指導にもあたっていた。同じ時期に南ア軍兵員数百人がイスラエルで訓練を受けていたが、このような訓練は現在でも行われていると考えられる。

 イスラエルのシオニスト組織は、南アできわめて活発に行動している。彼らの目的は、イスラエルのためのロビー活動や、イスラエル軍の現役および予備役要員の募集などである。たとえば、「イスラエル・カウンシル」は南アのシオニスト連盟と密接な関係を持っているが、近年も元空挺部隊員シモン・カハネを南ア派遣し、そこでユダヤ人ボランティアをイスラエルに送る活動を行っていた。こうしたボランティアは、イスラエル兵の代わりとして、薬莢の回収、戦車の修理、あるいは食堂での調理や給仕など、後方の管理・保守・雑務部門で働いている。期間は六ヶ月である。

 こういったボランティアの利用計画は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻以後始まったが、17歳から65歳までの3500人のユダヤ人がアメリカ、フランスなどから集められたといわれる。南アのユダヤ人たちは、こうしたボランティアのうちでも最も忠誠心のあるシオニストであると、高く評価されている。

 

「ホームランド」へのコミット

 いわゆる「ホームランド」と呼ばれる地域には、南アの黒人が押し込められているが、これは世界のどの国にも(イスラエルにさえも)承認されていない。しかし、イスラエルは、ホームランドの傀儡政権と貿易関係を持つだけでなく、そこで詐欺まがいの「経済開発」をしたいという欲求を隠そうともしてない。イスラエルと台湾は、ホームランドの一つシスケイにおける二大投資国であり、その地域はなぜか「ニュー香港」と呼ばれている。

 最近のイスラエルとホームランドの準外交的接触をあげておけば、19835月のトランスケイ、シスケイ、ボブタツワナの高官によるイスラエル訪問、ジョンギランガの「元首」による2週間のイスラエル公式訪問、19838月のシスケイの「大統領」セベによる非公式訪問がある。198311月にはベンダの「大統領」ムフェフェが訪問している。

 一方イスラエル閣僚のヨラン・アルドールは、19843月にシスケを訪問し、その後ホームランドに投資を行った。

 1980年のはじめには、2000人ほどのイスラエル人がボプタツワナで機械技術のエルディアや、医師など20の職種に進出し、さらにイスラエルの企業がボプタツワナのテレビ放送施設を造るための契約をしている。また60人のイスラエル人が、シスケイの秘密警察を訓練しているが、この秘密警察は、アフリカ民族会議(ANC)に対抗するための組織で、南アの日刊紙【ディスパッチ】でさえ、84年にひどく下劣な組織であると書いている。

 19851212日付の現地紙『タイムズ』によれば、シスケイ「大統領」の「警備と経済活動に関する直属のアドバイザーはイスラエル人である」。857月には200人のイスラエル人がシスケイにいた。

 しかしながら1983年末頃、イスラエル政府はあからさまな南アとの関係の拡大に対しては当惑の色を見せるようになった。当時イスラエル政府は、ブラック・アフリカ諸国からの承認を受けるために、再度これらの諸国への働きかけを強めていたからである。

 

  結論

 イスラエルと南アの同盟は、南アと他の国との関係に比べてきわめて異質なものであるが、イスラエルでは、その特別な同盟は公然と認知されており、重要だと考えられるに至っている。

 1977年以来、南アフリカ共和国はイスラエルのほとんどの人々の意識の中で、それ以前より大きくはっきりしたものとして存在している。「善良なイスラエル国民」の中で、南アは行ったことのある国、行ってみたい国、知り合いが楽しんで来た国、そして行けば金になる国として話題にされている。

イスラエルによって南アの白人少数派は、圧倒的な公然たる支持を満喫している。

 しかし、イスラエルの政策は、南アの進歩的ユダヤ人の活動を妨げているという事実も見落としてはならない。南アでは反アパルトヘイトの活動で勾留されている白人の半分がユダヤ人なのである。

 

 19861月、アメリカの黒人公民権運動のリーダーだった故ML・キング牧師の誕生日がアメリカ国民の祝日となり、盛大な式典が催された。しかし、その式典出席者の中に、およそこの日に不似合いな人物の姿があったことは、あまり知られていない。「もう一つのアパルトヘイトの国」イスラエルのイツハック・ミール氏である。最近のアメリカの黒人運動にとって、真に批判すべき相手が誰であるかを見きわめることはかなり難しいのかもしれない。しかし、P・ポタ大統領だけがアパルトヘイトの責任者であるわけではないことを、決して忘れてほしくないのである

 

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カマラ・ハリスは、なぜ、打負かされなければならない?.

2024年10月03日 | 国際・政治

 イスラエル軍によるレバノン・ヒズボラ最高指導者ナスララ師の殺害に関し、イスラエルのネタニヤフ首相は、先月28日、「殺害は私が指示した」と明かしました。そして「重要な成果だ」などと強調する声明を発表したといいます。恐ろしい話だと思います。話し合うことなど眼中になく、”逆らう者は許さない”、というシオニストの正体が見えるような気がします。

 パレスチナで、ハマス殲滅を掲げつつ、実はパレスチナ人殲滅という民族浄化の攻撃を続けるイスラエルのシオニストは、ドイツでユダヤ人の皆殺しという民族浄化を意図したナチストと変わらない、と私は思います。

 現在、そういう人道に反するシオニストの存在を許しているのは、圧倒的な軍事力と経済力で、事実上、世界を影響下においているアメリカが、イスラエル支援を続けているからだと思います。

 イスラエルが、”レバノンで限定的な地上作戦を計画し、間もなく開始する可能性がある”、とアメリカにに伝えていたといわれていますが、アメリカは、それを止めることなく許容したのだと思います。「限定的」などという言葉は、その地上作戦を正当化するために使われている言葉だと思います。

 国際社会を欺くプロ集団を持つアメリカは、さまざまな情報操作で、イスラエルのそうした蛮行に対する非難の声をかわしつつ、武力による制圧の戦略を、実はイスラエルと共有しているのだ、と私は思います。

 だから、Electronic Intifada(エレクトリック・インティファーダ)は、下記のように報じました。

Why Kamala Harris must be defeated. (カマラ・ハリスを倒さなければならない理由)

 アメリカの大統領選が迫っているだけに、見逃せない指摘だと思います。

Neither can American citizens ignore the harsh reality that the Democratic Party today represents the most bloodthirsty, war-hungry elements of the US ruling elite. It is, unabashedly, the party of neocons, Zionists, hawks, interventionists and security state apparatchiks.・・・

 アメリカ国民は、今日の民主党が、アメリカ支配層エリートの最も血に飢えた分子を代表しているという厳しい現実を無視することはできない。その支配層とは、臆することのないネオコン、シオニスト、タカ派、介入主義者、そして治安国家の官僚たちだ。・・・(機械翻訳)

 ナチストのユダヤ人虐殺と同様に、シオニストに統治されたイスラエルのガザ爆撃や、レバノン侵攻その他の蛮行も許されることではないと思います。国際社会は、数え切れない犠牲者を出した二度の大戦を経て、立派な国際法を持つに到ったのに、無視され続けていると思います。

 イスラエルは、そうした国際法を尊重せず、あたかも存在しないかのように、パレスチナ人の土地を奪い、分離壁でパレスチナ人を狭い土地に閉じ込め、自由な往来を禁じ、人権を無視し続けて、逆らえば武力でパレスチナ人を殺傷し、抑圧してきたのです。それは、かつての南アのアパルトヘイトと同じです。

 下記「ダイヤモンドと死の商人 イスラエルの世界戦略 ユダヤ人Ⅱ」広河隆一・パレスチナユダヤ人問題研究会編(三友社出版)で、イスラエルとアパルトヘイト国家であった南アの関係が分かります。イスラエルは、過去の南ア同様、アパルトヘイト国家であるばかりでなく、かつては、アパルトヘイト国家同士で支え合っていたのです。

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                   第二部 イスラエルの世界戦略

                  二つのアパルトヘイト国家──南ア

 イスラエルもまたアパルトヘイト国家である

 19853月、デニス・ゴールドベルグという名前の一人のユダヤ系南ア国民がイスラエルに到着した。彼は、1964年に「アパルトヘイト体制の転覆をはかった」として終身刑の判決を受け、南アフリカ共和国の刑務所に入れられていたが、娘がイスラエル大統領や他の高官に働きかけ、その仲介で釈放されたのだった。

 ゴールドベルグは、イスラエルに到着してしばらくすると「南の黒人に対する抑圧と(イスラエルにおける)パレスチナ人への抑圧の、多くの共通点」をイスラエルで見たと述べ、イスラエルがアパルトヘイト体制の最大の同盟者であることを指摘して、南アに対するあらゆる面での経済ボイコットを呼びかけた。ゴールドベルグを追放しようとする動きもイスラエルの国会の中で起こったが、彼自身が、アパルトヘイト国家の最大の支援国などに決して住みたくないと言ってロンドンに向けて出国したのであった。

 ゴールドベルクの指摘するとおり、イスラエルは現在、南アフリカ共和国の人種主義白人少数者体制に対する、最も強力な支援国となっている。

 その関係は、貿易・軍事・核開発・政治・外交など広範囲な協力におよび、事実上、一国の生存がもう一方の生存を左右するというほどの強固なものとなっている。

 なぜこれほどの関係が築かれたのだろうか。それを解く鍵は、南アの元首相ヘンドリック・フルブールトの次の発言の中に見出される。つまり彼は「イスラエルも人種差別国家だ」と語ったのである。

 シオニスト運動と南ア政府の結びつきは50年もさかのぼることができる。その当時、イスラエルの初代大統領となるハイム・ワイツマンと南アフリカ共和国首相ヤン・スマッツの間で、緊密な同盟関係が開始されたのである。南アのアパルトヘイト体制の基礎を築いたダニエル・マランは、英連邦諸国からイスラエルを表敬訪問した最初の首相だった。

 イスラエルの南アの同盟関係は、1967年の6月戦争のあと、貿易を中心に加速度的に進んだ。戦争直前に南アは、エジプトによるチラン海峡の封鎖を破るために、イスラエルに海軍艦艇を提供した。翌1968年にイスラエル─南ア有友盟が設立されたが、その初代代表はメナヘム・ベギンである。

 これは、6月戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地区、ガザ地区・シナイ半島およびゴラン高原を占領したことに対して、国際世論の強い非難が起こり、そのためイスラエルは国際的に孤立し始めたが、同じような立場であった南アフリカ共和国との関係がこれ以後急速に深まった結果だと言える。両国は1975年までに正式の外交関係を結んだ。

 

 貿易関係

 イスラエル ─ 南アフリカ共和国の貿易は公的に知られているだけでも長期的に増加の方向を示している。イスラエルの対南ア輸出は1965年には270万ドルだったが、74年には2870万ドル、84年には1400万ドルに達した。南ア駐在のイスラエル貿易担当官ダニ・ゴランによると、600以上のイスラエル企業が、主に化学製品、電気・コンピューター機器、機械、プラスチックの輸出にたずわっている。

 南アの対イスラエル輸出も同様に増加している。1965年に430万ドルだったものが、74年には4310万ドル、84年には18100万ドルとなったのである。おもな南への対イスラエル輸出品目は鉄、各種の鉱物、そして中でも最も重要なものになりつつあるのが石炭である。

 10年近くにわたって、イスラエル軍需産業にとって不可欠な鉄の最重要供給国は南アフリカ共和国だったし、イスラエルの火力発電所要の石炭についても、同様のことがいえる。この石炭は、イスラエルの石油依存度を軽減する上で歓迎されている。

 イスラエルを弁護する人々はイスラエルと南アの貿易額が両国の貿易額の1%にもみたないことを指摘し、両国関係は大して深いものではないと述べている。しかし、公表された統計には。最重要な二つの分野が抜け落ちている。つまり、軍需物資とダイヤモンドである。とくに南アがダイヤ原石の世界的産地であることを忘れてはならない。

 南アはさらに「デビアス」シンジケートを通じて、ダイヤモンド産出国であるオーストラリアやソ連のダイヤ市場を操作しているのである。オッペンハイマー家率いるデヴィアスは、世界のダイヤ産出量の95%以上を抑え、ロンドンで分配している。そしてイスラエルは世界最大のダイヤモンド研磨センターでもある。最盛時でもたった8000人しか従事していない産業とはいえ、インドのダイヤ産業の35万人の労働者によって確保されるより多くのダイヤを、イスラエルはカットし、加工している。軍事関係の輸出を除くと(もちろん、これは統計には現れないのだが)、ダイヤモンドはイスラエル最大の輸出品目である。

 経済ジャーナリストのアブラハム・ツァハルが198619日付のイスラエル日刊紙『ハアレツ』で報告しているところで、デビアス・シンジケートによるダイヤモンド原石の総売り上げは182000万ドルにのぼる。イスラエルはそのうち三分の一を直接手に入れており、また別の三分の一をアントワープ、ロンドン、ニューヨークのダイヤ取引所で仲介者を通じて間接的に買っているという(残りの三分の一はデヴィアス傘下の他国の研磨業者に売れる)。イスラエルと南のダイヤ取引きは、公に発表れた数字でも12億ドルにのぼる。しかしこの数字は、実数よりも小さいと考えられている。 

易のほかに、両国はお互いを「コンジット(地下パイプ)」として利用し、利益を得ている。南アで生産された半製品状態の商品はイスラエルに送られて完成品となり、「メイド・イン・イスラエル」のラベルを付けてEC諸国やアメリカへ船積みされていく。

 南の大蔵相バレンド・デ・プレッシスは「イスラエルのECに対する戦略的位置の有利さは、貿易関係を捏造する上で役に立つし、提案されている自由貿易協定地域を経由してのアメリカ向け貿易の隠されたルートとしても役立つ」と提言している。

 

資本の交流 ・・・略

 

 南アシオニスト組織からの送金

 イスラエル国家は、南アのシオニストたちから長年にわたって援助を受けてきている。たとえば首都プレトリアのシオニスト連盟は、1973年の10月戦争の時、3000万ドルを送金している。また、この連盟による1980年の総金額は2000万ドルであったが、この金額は、世界各地のユダヤ人コミュニティにおける一人当たり総金額としては最高額を示している(アメリカからの一人当たり総金額に比して約2.5倍)。

 南アフリカ共和国におけるシオニスト機構は、特別な地位を享受している。通常、この種の送金は資本の国外流出を許すおそれがあるため、禁止ないし規制を受けることになるが、シオニスト機構はこれをまぬがれているのである。

 この特権は1962年から67年にかけて一時停止されたことがある。この時期イスラエルは、ブラック・アフリカ諸国の市場への進出を望んでおり、国連で南アに対する反対票を一度だけ投じた。特権の停止は、それに対抗してとられた措置であった。

 南のシオニストたちによるパレスチナのシオニスト入植者への援助は、きわめて早い時期から始まっていた。1922年には、彼らは。ビンヤン信用保障会社を設立して、入植者たちに住宅を提供している。同様の基金は、アシュケロン港の整備や、国営のエルアル航空にも提供された。

 

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