真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

米国覇権の衰退に比例して貧困化し、戦争に向かう日本の悲劇

2023年09月29日 | 国際・政治

 先日、米宇宙軍トップが来日し、「日米宇宙軍」の創設を明らかにしたという報道がありました。米宇宙軍は、宇宙監視や統合作戦で自衛隊との連携や、日本の準天頂衛星システムとの協力も進めていくとのことです。宇宙領域でも、中国やロシア、北朝鮮を敵視する日米一体化の政策が進み、国際平和は遠のくばかりだ、と私は思いました。
 そして、そうした日米一体化の政策のために、日本の国民が額に汗して働き納めた税金が、惜しげもなく使われるのだろうと想像しました。

 私はアメリカが、どのようにして圧倒的な軍事力と経済力を持つに至ったのか、また、今世界はどのようの方向に動いているのかを理解することが、アメリカの覇権が衰退しつつある今、とても大事なことだと思います。
 だから私は、アメリカの対外政策や外交政策の問題を、いろいろな学者や研究者の著書をもとに、考えるようにしています。
 今回は、「混迷するベネズエラ 21世紀ラテンアメリカの政治・社会状況」住田育法・牛島万(明石書店)から「第四章 ベネズエラ、何が真実か?」のなかの「2、グアイドー暫定大統領の正当性」を抜萃しました。プロパガンダに影響されず、アメリカという国を正しく理解するのに役立つ文章だと思います。

 以前に取り上げましたが、世界的な言語学者で哲学者のノーム・チョムスキーは、アメリカは「世界一のならずもの国家」であると言いました。また、「アメリカ自身がテロ国家の親玉」だとも言いました。
 私は、それを、世界的な言語学者で哲学者のノーム・チョムスキーが言ったからということではなく、彼が確認した事実や、下記のような文章で、間違っていないと確信するのです。
 
 下記の抜粋文で明らかにされているように、2018年12月に、ベネズエラで国民議会議長に選出された反体制派グアイドー氏は、正当に選出されたチャベスマドゥロなどを大統領とする反米左翼政権を顚覆するために、くり返しクーデターを画策しました。それを支えたのが、アメリカであることを見逃してはならないと思います。
 そういう意味では、ロシアの特別軍事作戦(ウクライナ侵攻)を受けて、即座に「国民総動員令」に署名し、18歳から60歳の男性市民の出国を全面的に禁止しするとともに、希望者全員に武器を提供する方針を示したゼレンスキー大統領も、独裁者か、それに類する人物だろう、と私は思っています。
 ゼレンスキー大統領が民主的な大統領親であれば、ロシア派政党の結成を禁止する法案に署名したり、ロシア国籍を持つウクライナ人の国籍を剥奪したり、正統派ウクライナ正教会の信者の権利を侵害したり、今年10月の議会選挙や来年3月の大統領選挙の計画を無視したりはしないだろうと思うのです。 

 アメリカは、ウクライナやベネズエラと同じように、数え切れない国々の内政に干渉し、反米政権の顚覆を支援したり、独裁者と手を結び、搾取や収奪をくり返して、圧倒的な軍事力と経済力を持つに至ったのだ、と私は思っています。

 だから、そうしたアメリカの内政干渉や軍事介入から免れるために、中南米で2011年に、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)が生まれたのだと思います。加盟国がアメリカ合衆国とカナダを除くアメリカ大陸33カ国であることが、それを示していると思います。
 メキシコ先住民が組織するサパティスタ民族解放軍の指導者が発した 「もう、たくさんだ!」という言葉が、象徴的です。

 さらに、アフリカでは、2001年にアフリカ連合(African Union: AU)が設立され、2002年7月に正式に発足しています。アフリカ大陸に位置する55の加盟国からなる大陸連合であるのみならず、「アフリカ合衆国」に発展する可能性を秘めているということも見逃せないと思います。
 覇権国家アメリカを中心とする西側諸国の切り崩しがあるでしょうから、「アフリカ合衆国」の実現は、簡単な話ではないと思いますが、欧米の支配や内政干渉・軍事介入に対抗しようとするアフリカ諸国の動きとして、注目に値すると思います。
 現在の日本は、完全にアメリカの影響下にあるために、そうした現実やウクライナ戦争の客観的報道が、ほとんどないと思います。だから、SNSでは、くり返し
”ロシアはウクライナ侵攻しなければ北海道を攻めてきたと言われております。北海道を攻められないのは日米安保があるからです。なので、日本にとってアメリカはありがたい存在だと思います。
とか、ウクライナ戦争に関して、 
ロシアが侵略をやめ、占領している土地から撤退したら戦争はすぐに終わる。至ってシンプル”などというような主張が、投稿されるのだと思います。
 アメリカという国のことが、何もわかっていないと言わざるを得ないと思います。
 下記をじっくり読んで、アメリカこそが「世界一のならずもの国家」であり、武力衝突をもたらしているということを、知ってほしいと思うのです。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   第四章 ベネズエラ、何が真実か?

                   2、グアイドー暫定大統領の正当性

(1) 無法なグアイドー議長の大統領自己宣言
 2019年1月5日、輪番制で野党が支配する国会議長に大衆意志党(Voluntad Popular)のファン・グアイドーが選出されると、グアイドー氏は、「軍部の支持があるならばマドゥロ氏に代わり臨時大統領に就任し、その後に自由選挙を実施する用意がある」と表明し、米国とリマ・グループの要望に呼応する発言を行った。グアイドー議長は、1月23日、突然、野党の集会で、「(憲法)第333条及び350条に基づく責任を私は果たす、非暴力を約束する、(マドゥロによる)権限侵害を止めさせるため、ベネズエラの使命を与えられた大統領として国家行政権を正式に掌握することを誓う」と宣言した。しかし、この二つの条文は、憲法擁護の精神を述べたもので、大統領を宣言する理由は書いてない。グアイドー議長の宣言の直後、ポンペオ米国務長官は、「米国は憲法第233条に基づき(絶対的欠缺=不存在)就任したグアイドー新臨時大統領を承認する」と述べた。実は、グアイドー議長は、同日ボルトン(John Bolton)補佐官に、米時間9時25分、メディア時間午前10時25分、ベネズエラ時間午前10時25分に電話し、暫定大統領宣言の文言を相談していたのである(Bolton 2000:256)。
 確かに、憲法の内容からすれば、マドゥロ大統領の不存在を問うことには無理がある。しかも、同じ野党の社会主義運動党のフェリーべ・ムヒカ(Felipe Mujika)議長[GV 2019a]、エンリケ・カブリーレス正義第一党の指導者(El Nuevo Heraid 2019)も、自己宣言に反対しており、23日にグアイドー議長が暫定大統領を宣言するとは知らなかったと証言している。

 (2)大統領自己宣言を演出したトランプ政権
 実際は、前夜の22日、ペンス副大統領がグアイドーに電話し、大統領を宣言するなら支持すると約束していたのである。これは、数週間前から、米国政府上層部、同盟国、国会議員、ベネズエラの野党と極秘に進められた計画によるものであったと、その後『ウォール・ストリート・ジャーナル』は報道している[WSJ 2019]。同氏の自己大統領宣言は、国会の決定自体が無効とされている国会でも、事前の承認を得ておらず、街頭で行ったものであり、無法で、正当性は疑わしいものである。実際、19年1月21日~2月2日に行われたインテルラセス社による世論調査によると、マドゥロ氏を合法的と見る人々は57%。グアイドー氏を正当と認めるのは32%、回答なしが11%であった[GV 2019]。 

(3) 人道的支援の自己演出
 グアイドー氏が、2019年1月に自己大統領宣言を無法に行った後、2月23日早朝、グアイドー氏は反政府派を組織し、「人道支援物資」をコロンビア領からベネズエラ領に強硬搬入を行おうとした。政府側は、支援物資は国際赤十字あるいは政府間の合意により秩序ある形で受け取るとして、それに反対した。するとグアイドー氏は、支援物資を積載した三台のトラックをベネズエラ領に搬入しようとしたが、ベネズエラの国家警備隊に拒まれ入国できず、一台が炎上し、ベネズエラメディアの国家警備隊の仕業と見えるように仕組んだ。グアイドー氏は、支援物資っを積載したトラックの炎上は、国家警備隊が行ったものであり、マドゥロ政権が、国民の困窮に背を向けていることを示していると国際世論に訴え、国際メディアもそのように異口同音に報道した。しかし、その後、3月10日、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、炎上させたのは実は反政府グループの行為であることを暴露した。

 (4) 今度はクーデターで政権奪取をねう
 4月30日になると、早朝、首都カラカスで野党の大衆意志党を中心とする過激派により、クーデター未遂事件が発生した。このクーデターは、二ヶ月前から米国国務省筋の首謀のもとに「自由作戦」という名前で計画され、レオポルド・ロペス(Leopold Lopez)、グアイドーなどの反政府派により実行された。これらの勢力は、フィゲーラ(Figuera) 内務省司法諜報局長官、モレーノ(Moreno)最高裁長官、パンドリーノ(Padrino)国軍司令官を調略して、マドゥロ大統領を放逐しようとした。フィゲーラは調略に陥り、レオポルド・ロペス大衆意志党党首を自宅軟禁から脱出させ、ロペスとグアイドーが、一部の国家警備隊、国防軍、国家諜報組織に呼びかけ、それに呼応して重機関銃で武装した数十人が蜂起した。ロペス党首とグアイドー議長は、30日早朝から再三再四、軍隊と市民にクーデターに加わるように呼び掛けたが、軍も市民もそれに反応しなかった。結局、同日午後7時頃にはクーデター実行者は、政府の反撃を受けて散発的に撤退し、クーデターは失敗した。
 このクーデターの準備に当たって、米国政府、反政府派は、執拗にモレーノ最高裁長官の離反を図り、同長官が、16年1月以来活動が無効とされ、19年1月に無効が再確認されていた国会を合法化して、それによりグワイドー氏の大統領就任を合法化しようと画策したことが判明している(WP、2019)。このことは、グアイドー氏の暫定大統領自己宣言が、合法的ではなかったことを、グアイドー派自身が認めたものである。

 (5) 再度クーデター起こすも失敗
 しかし、グアイドー一派は、2018年5月の大統領選挙後からマドゥロ政権打倒の計画を練っており、19年4月30日の「自由作戦」クーデター計画の失敗後、さらに、20年6月、チリのセバスティアン・ピネェーラ(Sebastian Pinera)政府、コロンビアのイバン・ドゥーケ(Ivan Duque)政府、米国のボルトン大統領補佐官の支援を受けて、6月23日~24日にクーデターを実行する手はずであった。しかし、ベネズエラ政府は、これを察知しており、クーデター計画に関与した7名の治安当局関係者のうち、6名を事前に逮捕し、クーデターは未遂に終わった。[DW 2019]。クーデターは、①マドゥロ大統領、ディオスタード・カベージョ(Adios Cabello)制憲議会議長及びフレディ・ベルナル(Freddy Bernal)タチラ州担当保護官を拘束し殺害する、②レベロル(Reverol)内務司法大臣を拘束し、首都の軍の基地を占拠する。③ゴンザレス・ロペス(Gonzalez Lopez)ボリーバル国家諜報局(Sebin)長官を拘束し、2009年から、セビン(国家諜報機関)に拘束されているラウル・バドゥエル(Raul Baduel)大将を解放し、大統領として宣誓させることを目的としていた。これらの攻撃には、イスラエル、米国、コロンビアの戦闘員も参加することになっていた。(EFE France 24、2019)。

(6) 国会議長に再選されず
 2020年1月5日、国会の新指導部が憲法第194条に従い、選出された。与野党の国会議員167人のうち、151名が出席(定足数は三分の二の112人)。出席野党議員の中には、マドゥロ政権と熾烈な言論戦を戦わせている、スターリン・ゴンサーレス(Stalin Gonzalez 新時代党Un Nuvo Tiempo)、ラモス・アジュップ(Ramos Allup、民主行動党)、ファン・パブロ・グアニバ(Juan Pablo Guanipa、正義第一党)などの有力な野党指導者もいた。グアイドー議長は、国会で再任されないと思っていたのか、欠席した。新指導部として、国会議長ルイス・パーラ(Luis Parra 正義第一党)。第一副議長フランクリン。ドゥアルテ(Franklyn Duarte キリスト教民主党)、第二副議長ホセ・グレゴリオ・ノリエガ(Jose Gregorio Noriega、大衆意志党)、書記ネガル・モラレス(Negal Morales 民主行動党 Aoccion Democratica)、副書記アレクシス・ビベネス(Alexis Vivenes 大衆意志党)が選出された。主要野党がすべて網羅されていた。投票では81人が賛成し、(そのうち野党議員は30人)、規程の過半数76名を越えており、適法的新指導部が選出された。
 新国会議長が選出されたことを知った米国務省のマイケル・コザック(Michael Kozak)西半球局次官補代行は、すぐさま、「国会の開催は、定足数不足で、偽物であり、グアイドー氏は引き続きベネズエラの暫定大統領である」とツイートした。このコザック発言に勢いづいて、グアイドー氏は午後5時半から保守系新聞『エル・ナショナル』紙の建物内で国会を開催し、100名が出席し、グアイドー(大衆意志党)を議長に、ファン・パブロ・グアニバ(正義第一党)を第一副議長に、カルロス・エドゥアルド・ベリスベイティア(Carlos Eduardo Berrizbeitia、ベネズエラ計画党 Proyecdto Venezuela)を第二副議長に選出した。[Eu 2020]。しかし、この「国会」は国会議場外で開催され、定数も満たしておらず、グアイドー氏の新議長選出は無効である。即ち、1月5日以降グアイドー氏は、国会議員で元国会議長である。従って、暫定大統領の資格ももちろんない。その後、ベネズエラの主要紙は、中道右派も含めて、グアイドー氏を議員と呼び、暫定大統領とは呼んでいない。

 (7) 再びクーデター起こすも失敗
 また2020年5月には、コロナ対策で非常事態宣言がなされている中、「ギデオン計画」でマドゥロ拉致未遂事件が勃発した。この事件は、2019年4月30日のクーデターが失敗して、大衆意志党の党主レオポルド・ロペスが、より確実にマドゥロ政権を転覆する方法として、同年10月から、グアイドーを実行責任者として、トランプ政権とも密接な関係がある、米国の警備会社シルバーコープ社と契約して、マドゥロ大統領を拉致し、米国に連行しようと計画した事件であった[WSJ 2020]。
 シルバーコープ社は、トランプ大統領の集会でも警備を請け負っており、トランプ政権と関係が深い。逮捕されたリューク・デンマン(Luke Denman)の自白によれば、ジョーダン・グドロー(Jordan Goudreau)に計画の指令を与えたのはトランプ大統領であった[BBC 2020]。
 3月23日、クリベル・アルカラ(Cliver Alcala、アメリカ麻薬取締局DEAの要因)が秘密裏にベネズエラに搬送する予定の大量の武器が、計画を知らないコロンビア警察の末端組織により公道で押収された。そのため23~25日に計画されていた「ギデオン作戦」は不可能となり、延期された。すると、3月26日、米司法省はマドゥロ大統領及び政権高官ら14人を麻薬テロや麻薬密輸の罪で起訴した。バー(William Barr)司法長官は声明で、マドゥロ氏の身柄拘束につながる情報提供には、最大1500万ドルの報奨金を提供することも明らかにした。
 同日、クリベル・アルカラは、マドゥロ暗殺計画は事実で、グアイドーが関与していると明らかにし[TS 2020]、この情報をベネズエラ政府は入手した。

 (8) 憲法違反、刑法違反を繰り返したグアイドー氏
 このようにグアイドー氏は、この二年間に三度のクーデターに関与し、一度の騒擾事件を引き起こし、二度にわたる国会無視の行動をとっている。これらの行動は、憲法の遵守を規定した、憲法第一条、第七条に、また大統領の権限の簒奪により大統領の絶対的不在を規定した憲法第233条、最高裁の権限を規定した第336条に違反しており、さらに国家反逆罪として刑法第四条にも違反していることが、ベネズエラの法学者により指摘されている。大統領として、決して正統性がないことは明らかである[Sputnik 2019]。
 ダータ・アナリシスのレオン(Leon)社長は、19年3月には国民の63%がグアイドー氏により政府を変えることは可能と考えていたが、20年5月現在では、それは20%になっているという。
 2020年7月21日、ベネズエラの中道保守の新聞『グロボビシオン』(Globovision)が、Dtanakisisという保守系の調査会社の調査結果を「グアイドーの人気地に落ちる」と題して、報道しているし、2020年6月、トランプ大統領はグアイドーのあまりの不人気に、グアイドー氏がベネズエラの正当なリーダーであるか、疑問を持っていると述べている[Axios、2020]。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生存権を脅かすアメリカの残酷な経済制裁

2023年09月24日 | 国際・政治

 先日、ウクライナのゼレンスキー大統領が国連で演説しました。でもその内容は、ウクライナ戦争のすべての責任をロシアに押しつける、一方的でひどいものだったと思います。プーチン大統領が主張しているNATOとウクライナの、ロシアに対する脅威の拡大に関する内容や、ヤヌコビッチ政権の転覆を受け入れないドンバス住民の問題、世界中の人たちが望んでいる停戦のきっかけを模索するような内容は全くありませんでした。
 だから私は、民主主義者を装っても、衣の下から鎧が見える演説だったと思います。
 ロシアを降伏させ、プーチン政権を顚覆しようとする覇権国家アメリカの戦略にもとづく内容だったと思うのです。
 また、対面の演説であったにもかかわらず、当初のような熱烈な支持や拍手はなかったように思います。それは、アメリカのウクライナ支援の裏側が少しずつ明らかになり、多くの国の人たちがウクライナ戦争の真実を知り始めているからではないかと思いました。

 莫大な金額にのぼる武器を供与しウクライナ支援を続けてきたアメリカのバイデン大統領が、射程の長い地対地ミサイル「ATACMS」を供与するとゼレンスキー大統領に伝えたとの報道が、昨日ありました。非人道兵器とされているクラスター弾を使うタイプを提供する方向ということですが、そうした武器供与を中心とするアメリカのウクライナ支援の目的や意味が、徐々にわかってきたのではないかと思うのです。 

 下記は、「キューバは今」後藤優子(神奈川大学評論ブックレット17お茶の水書房)からの抜萃ですが、敵対する国に対するアメリカの制裁が、どんなに残酷で恐ろしいものであるかが、よくわかります。
 かつてキューバのゲリラ指導者、チェ・ゲバラが、”祖国か、死か”と語った言葉を思い出します。アメリカに逆らうということは、それほど厳しい覚悟を必要としたのだということです。
 だから、そのことを踏まえて国際情勢を捉える必要があると思います。

 2022年3月の国連緊急特別会合では、日米など96カ国が、”「ロシアによるウクライナ侵攻に最も強い言葉で遺憾の意を表す」として、ロシアに対し「軍の即時かつ無条件の撤退」を求めたうえで、ウクライナ東部の親ロシア派支配地域の「独立承認の撤回」も要請する決議を共同提案し、141カ国の賛成多数で採択しました。その時の報道では、ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリアの5カ国が反対し、中国やインドなど35カ国は棄権したとのことでした。多数決ではロシアの敗北です。
 でもその採決結果には、大きな力が働いていたと思われることを見逃してはならないと思います。すなわち、アメリカの制裁を恐れて、賛成せざるを得なかった国が含まれていただろうということです。
 また、アメリカを中心とするNATO諸国の、ロシアに対する挑発的・攻撃的活動が、明らかになっていなかったということや、西側諸国の、日常的なプロパガンダの影響も踏まえる必要があると思います。

 日本を含む西側諸国では、日々、アメリカの戦略に基づくプロパガンダが流されています。
 例えば、9月22日の朝日新聞「世界発 2023」には、”インフレ率数百% 700万人脱出 独裁政権続くベネズエラ”という見出しの記事が出ていました。
 でも、ベネズエラのマドゥロ大統領は、アメリカの搾取や収奪を断固として拒否し「貧者の救済」を掲げて、1998年のベネズエラ大統領選挙で選出されたチャベス大統領の後継者であり、ベネズエラ統一社会党の出身です。
 チャベス大統領死去後、チャベス政権の継承を掲げて大統領選挙で正式に後任の大統領に選出されているのです。 
 ただ、南米の資源大国なので、アメリカの厳しい切り崩しに対応せざるを得ず、政治的には行き過ぎた問題もいろいろあるだろうとは思います。でも、命がけでアメリカに抵抗するマドゥロ政権独裁政権と断定し、否定することは間違っていると思います。
 また、中国の台頭に合わせるように、徐々にアメリカ離れが進んでいることもきちんと受け止めるべきだと思います。

 先だって、ベネズエラ外務省は、中国とベネズエラの両国首脳会談で、ベネズエラのBRICS加盟、「一帯一路」など各種協力事業の推進に合意したことを発表しました。
 また、両国が日本のALPS処理水放出に反対する旨を共同声明に盛り込んだといわれています。
 
 第三次世界大戦の危険を回避するためにも、圧倒的な軍事力と経済力を背景としたアメリカの世界支配を終わらせ、民主的な国際社会を実現するために行動すべき時期がきているのではないかと思います。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                    「国民を路頭に迷わせない」

 キューバでは、共産党大会は原則として五年ごとに開かれる。前回の第三回大会は1986年に開かれており、したがって第四回大会は91年に開催が予定されていた。そのため、本格的な経済危機対策はその時まで待つこととし、当面は緊急対策でしのぐことになった。
 この間に取られた政策はいかにもキューバらしいものであった。学校給食など無料サービスの有料化や配給品の値上げは避けられなかったものの、不足する物資を次々と配給に組み込んでいったのである。「金のある者、力のある者だけが豊かな生活を享受するのであってはならない」という理念にもとづくものであり、たとえば、ほとんど輸入に頼っていたために最も不足の激しかったミルクは、乳幼児と高齢者と病人だけに配給切符が配られた。
 一方、原料も部品も燃料もなければ工場は動かせない。しかし、工場を閉鎖したり操業短縮すれば多くの失業者を出し、国民を路頭に迷わせることになる。そこで政府は91年10月に余剰労働力に関する政令を出し、リストラ労働者は転職させるか、または職業訓練を施し、その間、6ヶ月は元の職場と同じ賃金を支払うことにした。しかし、次々と企業が閉鎖に追い込まれているときに、転職の可能性があるはずはなく、結局、雇用の確保のために赤字企業に財政補填を行ない、維持する以外になかった。
 こうして91年10月の第四回共産党大会を迎える。キューバでは何か大きな問題が起きると「全国民的討論」が繰り広げられる。このときにも党大会を前に90年3月から、いかなる政策をとるべきかについて、共産党の下部組織だけではなく、労働組合、女性団体、青年団体、住民組織などで「全国民的討論」が行われてきた。だが、党大会直前には経済状況は予想以上のスピードで悪化しており、ソ連の解体すら予想される事態になっていた。これは大会の議論にも影響を与え、指導部も相当の危機意識をもって臨んだ。カストロ第一書記の基調報告も刻々と変化する情勢を前にして、即興の演説となった。
 もしもソ連解体という事態になれば世界での孤立は避けられない。米国はカストロ政権追放の好機とみなし、経済封鎖をさらに強化してくるであろう。キューバにとって非常に厳しい事態であったといえる。
 第四回党大会ではさまざまな決議が出され、さまざまな経済危機対策が打ち出されているが、ソ連消滅が避けられない以上、取るべき基本的政策は決まっている。結局、「経済決議」で打ち出されているように、(一)世界のあらゆる国々と経済関係を打ち立てる。(二)外貨収入確保のため新たな砂糖輸出市場を確保し、さらに非伝統的輸出品を開発する。(三)輸入に頼らない自給的経済体制を打ち立てる、ということになるが、ソ連消滅によって米国の一極支配体制ができれば、これも非常に厳しい。
 米国の対キューバ制裁法、つまりクリントン大統領が96年に署名して成立したヘルムズ・バートン法(「1996年キューバの自由と民主主義連帯法」)は、ブッシュ政権が制定したいわゆるトリチェリ法(正式には「1992年キューバ民主主義法」)が効果を上げていないとして制裁をさらに強化したものであるため、非常に厳しいものとなっている。世界のどこの国で作られたものであれ、キューバ産物資を含む物品の輸入は禁止され、キューバに立ち寄った船舶は六ヶ月間、米国の港に入ることができない。大型の貨物船は各地の港を回っていくから、これは第三国に対する対キューバ貿易の禁止を意味する。しかもキューバと取引した国や企業も制裁され、またキューバを援助した国は米国の援助が停止されるため、とくに、累積対外債務をかかえる近隣のラテンアメリカ諸国には大変な脅威である。
 経済回復はいうまでもなく、砂糖輸出の増加にかかっている。しかし、国際市場での取引はほとんどが二国間協定になっておりキューバが食い込むのは難しい。そのため、自由市場で売らざるを得ないが、砂糖の国際価格は「ゴミ価格」といわれるほどに低迷している。砂糖に将来性がないとすれば、輸出できるものは全て輸出し、生き残りを図らなければならない。その中で新たな外貨収入源として観光開発に力が注がれたことは有名だが、この他、いかにもキューバらしいものとしては、医薬品の輸出やスポーツコーチの派遣がある。いずれも革命後、医学の発展やスポーツの振興に力を注いできた成果である。医薬品では脳髄炎ワクチンがよく知られており、スポーツについては野球やバレーボールなど、ラテンアメリカ諸国を中心にコーチを「輸出」し、外貨を稼いでいる。そのために、パンアメリカン・スポーツ大会などはそれまではキューバと米国の争いの場という感があったが、他のラテンアメリカ諸国は強力な相手として台頭しており、ジレンマでもある。
 外資の積極的導入も打ち出された。やはりホテルの建設や経営が中心だが、スペイン、カナダなど多くの企業が進出した。ハバナや世界的な有名な保養地であるバラデロ海岸などはホテル建設ラッシュとなっているが、それでもホテルの客室数はまだ足りないという。外国人観光客はすでに年間百万人を超え、外貨収入も砂糖のそれを上回り、全体の50%を超えた。観光客が多いのはスペイン、イタリア、ドイツ、フランス、カナダ、それにアルゼンチンなどのラテンアメリカ諸国といったところである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くり返される内政干渉と武力介入

2023年09月20日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞の「天声人語」を読んで、少々驚きました。私は勝手に、「天声人語」は、社説と異なり、アメリカのプロパガンダとは無縁だろうと思っていたからです。でも、先日の 天声人語は 、
ヒラリー・クリントン氏が米国務長官だったとき、2011年のことだ。「アラブの春」と呼ばれた中東の民主化の動きを受け、42年に及んだリビアのカダフィ政権の独裁は崩壊した。直後に軍用機で首都トリポリ入りした彼女はその体験を、感慨深く回想録に記している。彼女に強い印象を与えたのは、民主国家を目指す若者の「思慮深さと決意」だった。「言論の自由を根づかせるために、どのような段階を踏めばいいと思いますか」何人もの学生が真摯な質問をぶつけてきたという。彼女は何と答えたかは回想録に記述がない。おそらく民主化が容易でないと、分かっていたからだろう。「国の将来を形作るのは民兵の兵器だろうか、それとも人々の切望だろうか」。そんな感想だけが書かれている。…”
などと、アメリカの表向きの情勢認識や考え方で書かれていたのです。
 独裁者とはいったいどういう人物をいうのでしょうか。「カダフィ政権の独裁は崩壊した」と断言する根拠は何でしょうか。
 私は、カダフィが独裁者とされているのは、彼が強い反米主義の姿勢を貫いていたからだと思っています。カダフィ政権の時代、欧米の搾取や収奪を断固として拒否し続けたリビアは、豊かであり強い経済力を持っていたといいます。だから、地域での立場は強かったということです。また、「外国では、リビアという国を知らなくても『カダフィ』を知る人は非常に多かった。行く先々で尊敬の念をもって迎えられた」などと、カダフィ政権時代を懐かしむ人もいるということです。

 前回「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)から抜粋した文章の中に、
1998年のベネズエラ大統領選挙で勝ったのは、「貧者の救済」を掲げたウゴ・チャベスだ。元軍人で、陸軍中佐の時にクーデターを起こして失敗し投獄されたが、国民の赦免運動で釈放された。このあたりの経歴は、キューバのカストロに似ている。彼は99年に大統領に就任すると、この国の唯一の収入源の石油から得られた利益を貧しい人々の生活支援に向けた。学校や診療所を建て、貧しい人が無料で治療を受け、学べるようにした。これもキューバ革命と同じだ。
 これはまずいと見た米国は2002年手を出した。CIAがおぜん立てをしてベネズエラの軍部にクーデターを起こさせたのだ。蜂起した軍が大統領官邸を占拠してチャアベス拉致し、経済界の代表が新大統領に就任したことをテレビで宣言した。チャベスは米国が差し回した飛行機で亡命させられるはずだった。
 これまでの中南米なら、これで片が付いたが、この時は違った。ベネズエラの多数の市民が大統領官邸を囲んで抗議行動を起こし、チャベスを支持する軍人が出動してクーデター派を官邸から追い出した。一時は死を覚悟したチャベスは救出され、大統領に返り咲いた。
 とありましたが、カダフィカストロチャベスと同じように、断固として欧米の搾取や収奪を拒否し、国の利益や富は国民に返す指導者であったと思います。だから、アメリカから独裁者呼ばわりされ、敵視され続けたのだと思います。それを無視して、アメリカと同じように、カダフィを独裁者とすることは、アメリカのプロパガンダを広げ深めることであると思います。
 「カダフィ政権崩壊」の経緯、とくにアメリカの介入が無視されてはならないと思います。
 
 カダフィは、1980年代には、反米テロを支援したと疑われました。そのため、アメリカのレーガン大統領は1986年にリビアへの経済制裁を発動したのみならず、リビアを空爆しました。その空爆は「独裁者カダフィ」の殺害が目的であったといわれています。
 だから、いつ政権転覆工作が実施されるか、また、いつカダフィ暗殺計画が実行されるかわからないリビアでは、欧米のような自由は望めないのだと思います。そこが大事なところであり、そこを無視すると、カダフィは酷い独裁者に見えるのだろうと思います。アメリカの巧みな内政干渉に目をつぶると、善悪が逆様に見えるということです。

 2010年末にアラブ世界で始まった民主化要求の波に影響され、リビアでも民主化要求の声が高まります。そしてそれが、反政府デモに発展し、どんどん拡大して、首都トリポリが混乱に陥ります。当然、その拡大にはアメリカの介入があったと思います。
 だから、カダフィ大佐の次男が記者会見で、デモには徹底的に対抗することを宣言したのだと思います。

 その後トリポリで、「政府軍の戦闘機やヘリコプターが、反政府デモに対して上空から攻撃を加えた」との報道がなされるのです。その結果、国連のパン・ギムン事務総長、アメリカのクリントン国務長官EUなどが、それぞれ、市民への攻撃を非難し、攻撃中止を求める声明を発表するに至ります。「民衆に対する武力弾圧」の報道は、カダフィ政権を揺るがし、閣僚が辞任したり、軍幹部が反政府勢力に合流したりすることになるのです。そして反政府勢力は「国民評議会」を結成するに至り、リビアは内戦状態に陥るのです。そのリビア内戦に至るプロセスにアメリカが介入していたことを見逃してはならないと思います。

 また、リビア内戦に関わる「国連安保理決議1973」も、ウクライナ戦争における決議同様、アメリカ主導によるもので問題があったと思います。だから、軍事介入を懸念した中国・ロシア・インド・ブラジルに加えドイツも棄権しています。

 さらに、この時、リビアの反政府勢力に武器を売却することをやめるように、ヒラリークリントン国務長官に訴える声があったことも忘れることができません。その後、ヒラリークリントン国務長官が武器密売に関わっているとの報道さえありました。真実は知りませんが、大量のアメリカ製武器が、反政府勢力にわたっていた事実は見逃してはならないことだと思います。
 「国連決議1973」に基づく、多国籍軍のリビア爆撃、アメリカを中心とする西側諸国の反政府勢力に対する武器提供財政支援がなければ、カダフィ政権が崩壊することはなかったと思います。
 リビアの問題は、法的に解決すべき問題であり、法的に解決できた問題であったと思います。政府と反政府勢力の争いに他国が介入することは、基本的に内政干渉であり、仲裁ならいざ知らず、武力介入など許されることではない、と私は思います。また、「武力介入」が「人道的介入」などと言い換えられてはならないと思います。

キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)から抜粋した下記の文章には、 
メキシコゲリラは、それに対して声をあげ武器を取った。彼らのスローガンは「ヤ・バスタ(もう、たくさんだ)」だ。米国の思うままに搾り取られるのはごめんだという叫びが、この一言に含まれている。
 とありました。
 搾取・収奪によって、世界最大の軍事力や経済力を持つに到ったアメリカのやりたい放題を止めることが求められていると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 Ⅰ章 キューバを取り巻く新しい世界

                 2米国はなぜ国交回復に踏み切ったのか

                      米州の形成逆転
 蜂起したメキシコのゲリラ
 米国は中南米を巻き込み米州全体にまたがる自由貿易地域を築こうとした。1994年、その先駆けとして北米地域でつくったのが北米自由貿易協定(NAFTA)である。米国、カナダ、メキシコという北米にある三つの国で関税を撤廃するものだ。あからさまに言えばカナダとメキシコを米国経済の支配下に取り込もうとするものである。1994年1月1日に発効した。
 まさにその日、メキシコで蜂起したのがサパティスタ民族解放軍(EZNL)だ。ピラミッドや暦で名高い高度な文明を築いたマヤ民族の血を引く先住民が主体となった左翼ゲリラである。蜂起した理由はまさに、米国との自由貿易協定の拒絶だった。米国との協定がメキシコ人、とりわけ農業で生活する先住民の命を奪うことにつながるという思いからである。
 なぜ自由貿易が農民の生活を破壊するのか。
 メキシコ人の主食はトウモロコシだ。日本人がお米を炊いて御飯にして食べるように、彼らはトウモロコシを粉にしてパンのように焼いたトルティージャを日ごろ食べる。だからメキシコの農民の多くがこのトウモロコシを栽培する。米国との自由貿易によって、それが壊滅的な打撃を受けた。米国産の安いトウモロコシがメキシコに流れ込み、市場からメキシコ産のトウモロコシを排除してしまったのだ。
 自由貿易の反対が保護主義だ。それを精神に沿って、米国は協定を結ぶ相手の国に対して、国内の産業に対する保護をやめるように強要した。例えばTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で米国は日本に対し米農家への補助金を撤廃するように迫った。同じように米国はメキシコに対して、自国のトウモロコシ農民への保護政策を実施しないように迫った。
 このように他国に対しては保護を止めろと言いながら、米国政府は自国の農民は保護しているのだ。産物を他国に輸出するトウモロコシ農家に米国は多額の補助金を出している。このため、米国産のトウモロコシの価格は安くなる。それが他国の市場に流れ込むと、その国の人々は安い米国産を買う。このためにメキシコで生産されたトウモロコシが売れなくなりトウモロコシ農家が廃業に追い込まれた。そうやって他国の農業を破壊したうえで、こんどはトウモロコシの値段をつり上げるのだ。
 米国政府は狡猾だ。彼らは二枚舌を使う。自由貿易で両国ともに利益を得ようといいながら、自分だけがもうかるような仕組みを作る。相手の国は文句を言いそうだが、米国の政府と結びついて、自分の懐を肥やす政治家たちは、自分の国や国民はどうなってもいいと考える。こうして長年つちかってきた経済や文化が破壊される。
 メキシコゲリラは、それに対して声をあげ武器を取った。彼らのスローガンは「ヤ・バスタ(もう、たくさんだ)」だ。米国の思うままに搾り取られるのはごめんだという叫びが、この一言に含まれている。

 米国に対抗する経済同盟
 南米ではこの1994年、大国ブラジルとアルゼンチンが主体となり、四つの国が一緒になって独自の経済共同体を作り上げた。一つの国では米国にのみ込まれるので、共同で米国に対抗しようという戦略だ。南米南部共同市場という。スペイン語の頭文字MERCOSURからメルコスールと呼ばれる。域内では関税を撤廃し、域外の国に対しては共通関税を実施することになった。域外の国とは、米国を頭に置いたものだ。
 発足を進めたのはブラジルとアルゼンチンの官僚だった。この隣り合った両国はそれまでことあるごとに対立してきた。協調のきっかけは両国ともに軍事政権から抜け出したことだ。民主化を進めるために通信、エネルギー政策など、途上国が単独で進めるには難しい政策を協力して行った。これで信頼関係が生まれ、経済の共同体に話が進んだのだ。
 それは戦後の欧州に発足した欧州経済共同体の流れと同じだ。欧州ではドイツとフランスという犬猿の仲の二つの国が競い合って何度も戦争を起こし、そのために両国とも荒廃した。第二次大戦後、フランスの周シューマン外相が提案して両国が主体となって欧州石炭鉄鋼共同体が結成され、まもなく欧州経済共同体につながった。さらに経済から政治の統合をめざし、現在の欧州連合を生んだ。
 メルコスールには、ブラジルとアルゼンチンに挟まれたウルグアイとパラグアイも同調した。翌1995年に正式に発足した。2012年にはベネズエラも加盟した。チリやボリビアなどのアンデス諸国も準加盟した。これが欧州と同様、経済の共同体が政治の共同体を作る動きにつながった。2004年、南米首脳会議は欧州連合並みの南米国家共同体を創設することを宣言した。中でも反米の姿勢を鮮明にしたベネズエラのチャベス政権は2001年、米州ボリバル代替構想(ALBA)という新たな中南米統合の枠組みを提案した。米国による中南米支配の具となった米州機構にとって替わろうとするものだ。だから「代替」なのだ。ボルトはかつて中南米を植民地支配したスペインから中南米を解放した将軍シモン・ボリバルの名に由来する。2010年にはキューバとベネズエラが共同声明で正式に提起し、2009年には米州ボリバル同盟と名を変えた。ボリビア、エクアドル、ニカラグアやカリブ諸国など8カ国が加盟した。

 キューバの孤立から米国の孤立へ
 米国とカナダで構成する北米と中南米を合わせて米州と呼ぶ。アメリカ大陸だ。そこにある35の国がいっしょになって第二大戦後の1951年に創った米州機構(OAS)という国際組織がある。地域の国々の連携を強め、平和や安全保障、紛争の平和解決を目指した。とはいえ。実態は、冷戦の中で米国が身近な国々を自分の陣営に固めるために作った反共同盟である。キューバは1962年に除名された。 米国の権威が続いたのは1994年までだ。その3年前にソ連が崩壊したあと、キューバの崩壊も間近だと考えられた。米国は北米自由貿易協定を発効させた1994年、勝ち誇ったように米州全体の首脳を米国のマイアミに集めた。当時のクリントン大統領が主導した第一回米州首脳会議で彼は勢いに乗り、キューバを除く米州すべてを網羅する米州自由貿易地域(FTAA)の創設を打ち上げた。2015年までにこれを実現しようとした。
 ところが、中南米諸国はいっせいに反発した。 
 それは政治の組織である米州機構に如実に現れた。中南米の国々は経済だけでなく政治でも自立をめざし、米州機構から除名されていたキューバを復帰させようという声が高まった。米国はキューバの復帰を阻止するため、2001年の第31回総会で「加盟国を民主主義国に限定する」という規則を盛り込むことを提案した。キューバは民主主義ではないとして排除できるからだ。しかし、この提案は採択されなかった。これが米国の最初のつまずきである。
 2002年のベネズエラのクーデター騒ぎのさいには、米州機構として米国に敵対するチャベス政権の正当性を認めた。2005年には事務総長選挙で革命が起きた。米国はエルサルバドルの前大統領を事務総長にしようとした。米州で唯一の国としてイラク戦争に派兵した彼への論功行賞だった。しかし、南米諸国は反発してチリのインスルサ元内相を推した。米国の推す候補は出馬を辞退した。その結果、インスルサ氏が就任した。それまでの米州機構の事務総長は、すべて米国が提案した米国べったりの政治家が就任していた。史上初めて米国が支持しない候補が機構のトップに選ばれたのだ。
 

 2009年の総会では、キューバを追放した1962年の決定を無効と決議し、ついにキューバの復帰を認めた。これに対してキューバは「米州機構はごみ溜めであり、消え去る命にある」と冷ややかに述べ、復帰を拒否した。この年に就任したオバマ米大統領は、米朝首脳会議に「米国は中南米諸国と対等な関係にある」と語った。米州に君臨していた米国が、少なくとも対等な関係まで降りたと認めざるを得なくなったのだ。
 米州首脳会議の第6回会議が開かれた2012年、ALBA諸国がキューバも参加させないのはおかしいと主張し、会議をボイコットした。そして、2014年の第7回会議準備会合では、翌年の会議にキューバを招待することを承認した。排除されてきたキューバは、丁寧に招かれることになったのである。
 この間、2011年にはベネズエラの呼びかけにより、中南米諸国すべてえの33カ国を網羅した中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)が発足した。これまでとは反対に、キューバを受け入れ米国を排除するものである。2014年に開かれたその第2回首脳会議は、キューバのハバナで開催された。
 ラウル・カストロ国家評議会議長は開会演説で米国によるキューバへのスパイ活動を国際法違反だと批判するとともに、中南米すべての国が戦争を放棄する「平和地帯宣言」を行うことを提案し、そのとうりに採択された。「武力の行使をおよび武力による威嚇を永久に放棄することをまざし、紛争を平和的に解決する」という、日本人にはなじみの深い文句が宣言に入った。
 こうした背景を受けて2015年の米州首脳会議で、キューバは初めて参加した。その場でラウル・カストロ国家評議会議長とオバマ米大統領は握手し、歴史的な首脳会談に臨んだのだ。オバマ大統領は、米国とキューバとの関係が中南米地域全体の転換点になると演説で語った。
 それは米国にとって、中南米支配の終焉を意味した。直後に登壇したカストロ議長は「相互に尊重した対話と共存」を強調した。キューバにとっては長年の孤立に耐えた勝利宣言である。
 このような流れの結果、米国はキューバを認めざるをえなくなったのだ。米国とキューバの国交回復交渉が再開したのは、この文脈を知って初めて納得できる。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロパガンダの政治論、想像から妄想へ

2023年09月16日 | 日記

 「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)のような本を読めば、アメリカという国がどういう国であるかが分かるように思います。
 極論すれば、アメリカは、圧倒的な軍事力や経済力を背景に、世界中の国々を、アメリカの影響下に置き、利益を吸い上げてきたということです。また、従わない国や抵抗する国は、武力を行使してつぶしてきたということです。
 だから、ロシアに対してもさまざまな工作や攻撃をしてきたことは間違いないと思います。
 現に、ロシアの主張を無視してNATOを拡大させ、ウクライナの政権を転覆して武器を配備し、合同軍事演習をくり返したのみならず、ノルドストリームの問題では、ウクライナ戦争のずっと前から、ロシア側に制裁を科していました。 

 ところが、驚くことに、メディアに登場する専門家と言われる人たちの多くは、そうした現実を無視し、ウクライナ戦争を主導するアメリカの存在を消し去って、ウクライナ戦争を論じているのです。
 それは、現実を直視し、ウクライナ戦争の経緯を踏まえて、ウクライナ戦争の分析や考察をすると、覇権や利益を失いつつあるアメリカの問題に帰着せざるを得ないからだと思います。

 例えば、ハーバード大学ウクライナ研究所長の歴史家のセルヒー・プロヒー教授は、ウクライナ戦争は「プーチンの戦争」などと言っています。
 そして、 
 「プーチンは明らかに、ソ連崩壊と、超大国の地位とその権威の失墜、ロシアが自領だと考える領土の喪失などに大いに不満を抱いてきた。これは『古典的なポスト・インペリアリズム・シンドローム』であり、プーチン本人がその象徴になったのです。ですから、ロシアの戦争はある程度、『プーチンの戦争』と言い換えることができるわけです
 とか、
こうした外国の中に自国を作り出すロシアの行動パターンには、「事態を激化させ、さらに強欲になっていく」傾向があるという。そして、そのプロセスが作用するには、「プーチン大統領」という個人的な要因が大きい。
 というのです。そして、ウクライナ戦争が、ロシアの大国回帰への欲望の結果であるかのようにいうのです。
 
 プーチン大統領個人の心の中を想像してウクライナ戦争を論じるのは、アメリカのプロパガンダに欠かせないことだからだろうと思います。そして、プーチン大統領を悪魔のような独裁者とするから、ロシアの人たちは恐くて逆らうことができないのだろうと、さらに想像が膨らみ、プーチン率いるロシアはつぶさなければならないということになるのだろうと思います。
 それは、極論すればプーチン個人の心の中の想像から、ロシアという国を理解する、妄想ともいうべき受け止め方だと思います。
 日本を含む西側諸国政府から停戦・和解の話が出て来ないのは、妄想の世界に入り込んでいるからではないかと思うのです。

 ウクライナ戦争の解説に登場する学者や研究者も、”プーチン大統領は、ウクライナがほしかったのです”などと、セルヒー・プロヒー教授と同じようなのようなことを語っていたことを忘れることができません。現実の諸問題から国民の意識を遠ざけ、想像や妄想の意識を共有すること、それが、アメリカの影響下にある日本の学者や研究者の務めになっているような気がします。

 下記は、「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)からの抜萃ですが、なかに
モラレス(この国で初めての先住民出身の大統領)はボリビアのコカ生産組合の組合長でもあった。コカは麻薬であるコカインの原料にもなるが、もともとは日本茶と同じようなコカ茶の原料だ。ボリビアの人々は、日本人が日本茶を飲むように普段コカ茶を飲む。ところが、米国でコカインが流行すると、米国は茶畑を焼き払うように、ボリビア政府に要求した。米国べったりだったボリビア政府は軍を動員してコカ茶畑を火炎放射器で焼いたが、畑が広すぎて撲滅できない。すると米軍は畑の上空から枯葉剤をまいた。

 怒ったのがボリビアの人々だ。…”
 というような見逃せない記述があります。こういう過去を無かったことにしてはいけないと思います。

 先日朝日新聞は、松野官房長官が関東大震災当時の朝鮮人虐殺の記録は政府内に「見当たらない」と発言をしたことを、史実の歪曲として批判する記事を掲載しました。当然のことだと思います。

 だから私は、同じようにアメリカの戦争犯罪や国際法違反も、無かったことにしないでほしいと思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   Ⅰ章 キューバを取り巻く新しい世界

                  2 米国はなぜ国交回復に踏み切ったのか

                       米州の形勢逆転

 ベネズエラのチャベス
 こうした中で、最初に反米の旗を掲げたのが南米のベネズエラであった。
 1998年のベネズエラ大統領選挙で勝ったのは、「貧者の救済」を掲げたウゴ・チャベスだ。元軍人で、陸軍中佐の時にクーデターを起こして失敗し投獄されたが、国民の赦免運動で釈放された。このあたりの経歴は、キューバのカストロに似ている。彼は99年に大統領に就任すると、この国の唯一の収入源の石油から得られた利益を貧しい人々の生活支援に向けた。学校や診療所を建て、貧しい人が無料で治療を受け、学べるようにした。これもキューバ革命と同じだ。
 これはまずいと見た米国は2002年手を出した。CIAがおぜん立てをしてベネズエラの軍部にクーデターを起こさせたのだ。蜂起した軍が大統領官邸を占拠してチャアベス拉致し、経済界の代表が新大統領に就任したことをテレビで宣言した。チャベスは米国が差し回した飛行機で亡命させられるはずだった。
 これまでの中南米なら、これで片が付いたが、この時は違った。ベネズエラの多数の市民が大統領官邸を囲んで抗議行動を起こし、チャベスを支持する軍人が出動してクーデター派を官邸から追い出した。一時は死を覚悟したチャベスは救出され、大統領に返り咲いた。
 このとき、私は朝日新聞のロサンゼルス支局長をしていた。ベネズエラに取材に入ったとき、すでにクーデターは失敗していた。始まりから失敗までわずか30時間だ。クーデターを阻止したベネズエラ市民の力に驚嘆したが、それ以上に印象的だったのはCIAの実力の低下だ。
 過去の歴史でCIAが失敗したのは、キューバに反革命軍を侵攻させたピッグス湾事件くらいである。キューバの場合は革命政権が組織的に動いて反革命を撃退したが、ベネズエラでは市民が自発的に大衆行動を繰り広げて米国政府の謀略を阻止した。中南米の歴史上、画期的な事件である。
 これを機にチャベスはあからさまな反米、親キューバ路線に舵を切った。それは中南米が「反米大陸」になる先触れでもあった。

 反米政権ラッシュ
 この時期の中南米に生まれた大統領はいずれも個性的で、人間的にも面白い人たちだらけだ。
 チャベス政権転覆のクーデターが失敗した2002年、南米で最大の大国ブラジルの大統領に左翼労働党のルーラが当選し、翌2003年に就任した。彼は貧しい農家に生まれて7歳から靴磨きをし、小学校を中退して日系人のクリーニング店に住み込んで働いた苦労人である。
 労働組合運動で頭角を現し、軍政時代には地下活動しながらゼネスト指導した「お尋ね者」が大統領になったのだ。就任すると農地改革を進めた。ブラジルではかつてのキューバのような大土地所有制が続いていたが、貧しい農民が土地を手にした。同じ年、南米の大国アルゼンチンで左派のキルチネルが政権に就いた。貧しい大衆の味方として名高いエピータことエバ・ペロンの夫が率いたペロン党の代表である。 
 2004年には中米パナマでマルティン・トリホスが大統領に当選した。彼の父オマール・トリホスは民族主義者で、米国からパナマ運河を返還させる条約を結ぶことに成功したパナマの英雄だ。謎の飛行機事故で亡くなったが、この事故もCIAが黒幕にいるというわさが流れた。イギリスの小説家のグレアム・グリーンが『トリホス将軍の死』で書いている。
 同じ年、南米のウルグアイでは左派のバスケスが大統領に当選した。貧しい家庭の生まれで、少年時代は日雇いの肉体労働で家計を助けた。南米のスイスと呼ばれるほど豊かなこの国で、貧困層出身の初めての大統領だ。
 2005年には南米の中央部にあるボリビアで、明確に反米を掲げる社会主義運動党の党首、エボ・モラレスが大統領に当選した。この国で初めての先住民出身の大統領だ。彼は就任式のさい、こぶしを突き上げて「この闘いは、チェ・ゲバラに続くものだ」と叫んだ。ボリビアで戦死したゲバラの遺志を受け継ぐ意味を込めたのだ。
 モラレスはボリビアのコカ生産組合の組合長でもあった。コカは麻薬であるコカインの原料にもなるが、もともとは日本茶と同じようなコカ茶の原料だ。ボリビアの人々は、日本人が日本茶を飲むように普段コカ茶を飲む。ところが、米国でコカインが流行すると、米国は茶畑を焼き払うように、ボリビア政府に要求した。米国べったりだったボリビア政府は軍を動員してコカ茶畑を火炎放射器で焼いたが、畑が広すぎて撲滅できない。すると米軍は畑の上空から枯葉剤をまいた。
 怒ったのがボリビアの人々だ。それはそうだろう。たとえば日本の静岡や宇治の茶畑の上空に米軍が枯葉剤をまいたら日本人は怒るだろう。最も強く怒ったのがコカ茶を生産する農民だ。反対運動の先頭に立ったのがコカ茶生産組合で、その先頭にいたのが組合長のモラレスだ。
 なぜ米国のためにボリビアの伝統産業をつぶすのか、と彼は国民に訴えた。悪いのはコカを麻薬にするマフィアと、それを買う米国の消費者であり、コカ茶やコカを飲む人々に罪はない。米国のために国民を犠牲にするような政治ではなく、ボリビア国民のためになる政治に変えよう、と訴えて大統領選挙で勝ったのだ。
 2006年には南米三番目の大国チリで社会党のバチェレが当選した。チリで初の女性大統領だ。この国では1973年に軍部がクーデターを起こした。そのさいバチェレは逮捕、拷問され、のちに亡命を強いられた。彼女の父親は当時、空軍の司令官だったがクーデターに反対したため逮捕され、獄中の拷問で殺された人である。このクーデターを画策したのが米CIAだった。同じ年、南米ペルーでは中道左派、アメリカ革命人民同盟のガルシアが当選した。彼は1985年にも大統領となり、最も貧しい人々の政府となる」と宣言した。米国主導の国際通貨基金(IMF)に反発して債務の返済を拒否した人だ。

 左翼ゲリラが選挙で大統領に
 この年は中南米の国で大統領選が相次いだ。中米のニカラグアで勝利したのは左翼サンディニスタ民族解放戦線のオルテガだ。サンディニスタとは1920年代に米海兵隊のニカラグア駐留に反対してゲリラ戦を展開したサンディーノ将軍から生まれた名である。1979年の革命で政権を取ったさいに大統領に就任したのが、このオルテガだ。内戦が終了後は中道や右派が政権を握っていたが、オルテガは16年ぶりに政権に返り咲いた。
 同じ2006年にペルーの隣の。エクアドルでは反米左派のコレアが当選した。前の政権で経済相だったが米国との自由貿易協定に反対したため大臣を罷免され、かえって国民の人気を得た。コレアはやがてベネズエラのチャベスやボリビアのモラレスと共に反米の急先鋒となった。この年の国連総会でチャベスは当時のブッシュ米大統領を「悪魔」と呼んだが、コレアは「間抜けなブッシュと比べるなんて、悪魔に失礼だ」と言った。
 2007年には中米グアテマラで中道左派のコロンが当選した。この国は36年間にわたって内戦が続き、その後は米国の言うなりに動いていた元軍人ら右派勢力が三代続けて政権を握った。そこに社会民主主義を掲げる大統領が当選したのだ。2008年には南米パラグアイで中道左派連盟のルゴが当選した。それまでの61年間、「世界最長」と言われるほど長く保守政党が政権を握ってきた国は画期的な変化をした。ルゴは「貧者の司教」と呼ばれるカトリックの「解放の神学」派の神父だった。土地を持たない貧しい農民のために反政府デモをし、司教の地位を捨てて政治の世界に飛び込んだ人だ。
 2009年には中米エルサルバドルで内戦時代に左翼ゲリラだったファラブンド・マルティ民族解放戦線のフネスが当選した。武力革命は成功しえなかったゲリラが選挙で政権をとったのだ。同じ年、ウルグアイでムヒカが当選した。5年前に政権を握った左派が連続で当選したのだ。ムヒカも左翼ゲリラの出身である。キューバ革命の影響を受けて都市ゲリラに加わり、武装闘争の資金稼ぎのため強盗したこともある。国会議員時代にはヨレヨレのジーンズにオートバイで国会乗り付け、入るのを警備員に拒否されたこともある。大統領の給与の大半は貧しい人に寄付することを約束し、「世界でも最も貧しい大統領」を自認した。
 2011年には。ブラジルでルーラの後継者として女性のルセフが当選した。彼女も左翼ゲリラの出身である。軍事政権化で武力革命を主張し、資金稼ぎの銀行強盗を指揮した。逮捕、拷問され、国家反逆罪で3年投獄された人である。同年南米ペルーでは先住民の出身で、左派民族主義者のウマラが当選した。新自由主義からの転換を主張し、経済発展から取り残された人々のため、「貧困のないペルーを作る」と宣言した。
 こうした流れはその後も続き、2013年にはベネズエラでチャベスの後継者マドゥーロが当選した。

 新自由主義への反発
 なぜ中南米が左派や中道左派に変わったのだろうか。大きな原因は、米国に生まれ世界に広まった新自由主義の経済に対する反発だ。
 新自由主義とは簡単に言えば、すべての規制をなくして市場のなすがままにしようということだ。政治の経済への介入をなくして、金と欲望の赴くまま市場のなすに任せれば社会は反映するという考え方である。アダム・スミス以来の自由競争絵に描いたような原始的な資本主義だが、それでうまくいかなかったから、その後の世界はケインズ経済などさまざまな修正を重ねてきた。こうした歴史を忘れて、野獣のような戦国時代に戻ろうというのだ。金持ちがより金持ちになり、貧乏人を支配するのに都合のいい考え方である。
 それは国営企業の民営化、自由貿易という政策となって現れる。日本でも小泉首相の時代に郵政の民営化を進めたが、米国のおひざ元で自由主義が暴走した中南米では、郵政どころかあらゆる面で民営化が進んだ。
 典型的なのがボリビアだ。水道事業まで民営化した。「水道局」を競売にかけたらカネを持っている企業が落札し、水道料金が一挙に3倍になった。市民のためでなく企業がもうかればいいという考えだから、こうなる。国民は怒った。水は飲むだけでなく、洗濯にも洗面にも使う。水が「なければ生きていけない。「日本人よりよりおとなしい」と言われるボリビア国民が反政府行動に立ち上がった。
 全国で民営化に反対するデモや集会が起きた。放って置けば暴動に発展すると見た政府は、あわててまた国営化した。これで国民が気づいた。自分達が何もしなければ政治は変わらないが、行動すれば社会を変えることができるのだと。このときの市民の動きが激しかったことから、この現象は「水戦争」と呼ばれた。
 先に述べた。コカ茶をめぐる反政府運動の動きは「コカ戦争」と呼ばれた。その直後の大統領選挙で立候補したモラレスが米国や大企業のためでなく本当に国民のためになる政府にしようと訴えると、有権者はすんなり納得したのだ

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義が攻撃されている? 

2023年09月12日 | 国際・政治

 しばらく前、朝日新聞の「日曜に想う」という欄に、沢村亙論説主幹代理が「歴史はいかに転換するのか」と題する文章を書いていました。その中で、ドイツのショルツ首相が、「ロシアのウクライナ侵攻」開始を受けて議会演説でくり返した「ツァイテンベンデ(時代の転換点)」という言葉を、ドイツで生まれ、日本で暮らす3人に投げかけ、それぞれの「ツァイテンベンデ(時代の転換点)」に関する思いを聞いていました。
 まったく立場の異なる3人なので、「ツァイテンベンデ 」について、読者に いろいろ考えさせようという意図が窺えました。

 だからこの文章では、ウクライナ戦争の捉え方が極めて重要なわけですが、ウクライナ戦争をより深く理解させ、停戦や和解のきっかけにしようとする意図はまるでなく、「でも、だれもプーチン大統領は止められなかった。楽観は消え、私のツァイテンベンデは終わった」とか、「ナチスの台頭を許したのは市民の傍観でした。民主主義が攻撃されているときに、傍観者ではいられない」とか、冷戦終結は、たとえ敵対国でも関与し、経済の相互依存を深めれば友好的、民主的になるという営為の結実だった。「その成功体験が、ロシアの侵攻で崩れ去った」というような「ツァイテンベンデ(時代の転換点) 」の理解へ、読者を誘うのです。それは、「ツァイテンベンデ(時代の転換点) 」という言葉を利用して、ロシアは悪であり、プーチンは悪魔であるというような捉え方へ、読者を巧みに誘導するものだと思いました。
 考えるべきことは、こういう「反ロ思想」からは、停戦・和解の話は出て来ないということです。
 それは、ウクライナ戦争によってロシアを孤立化させ、弱体化させようとするアメリカの戦略であり、戦術なのだと思います。
 だから私は、アメリカを中心とする西側諸国の、”ウクライナ戦争は、プーチンの野望で始まった”というようなプロパガンダが、そのまま朝日新聞を含む西側諸国の主要メディアのスタンスになってしまっているのだろうと察するのです。
 でも最近、そういう主要メディアのスタンスは、徐々に窮地に立たされつつあるように思います。
 

 9月10日の朝日新聞のトップ記事は、”G20、初日に首脳宣言採択、「戦争非難」文言なし”という見出しでした。
 そして、
主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)が9日、インドのニューデリーで始まり、首脳宣言が採択された。先進諸国とロシアが鋭く対立していたウクライナ侵攻に関して、昨年の首脳宣言にはあった「戦争を強く非難する」という言及がなくなるなど、後退を印象づける内容になっている。
とありました。
 この文章にも、私はとても問題があると思いました。停戦・和解を考えれば、先日の首脳宣言は、少しも後退ではないと思います。私は、G20が中立的な立場に立つようになって、停戦・和解に一歩近づいたという意味で、むしろ前進だと受け止めています。

 ウクライナ戦争を画策したアメリカの戦略に従えば、上記の文章は、「戦争を強く非難する」ではなく、「ロシアを強く非難する」という言葉が、適切だろうと思います。でも、「戦争を強く非難する」という言葉を使うのは、アメリカの戦略に対する反対を許さないための、巧みな誤魔化しだと思います。
 本当に「戦争を強く非難する」ということであれば、即、停戦・和解の話し合いに進めるはずですが、現実的には、停戦・和解には結びつかない考え方、すなわち、ロシアは交渉相手たり得ない悪の国であるというプロパガンダを行きわたらせているために、反対することが許されない「戦争を強く非難する」という言葉を使うのだろうということです。


 下記は、「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)からの抜萃ですが、なかに、

米国に逆らう国は武力でつぶそうとするのが、今も昔も変わらぬ米国の政策だ。当時は今よりもあからさまだった。三ヶ月後、アメリカに亡命していたキューバ人約1500人が武器を手に、キューバ南部のコチノス湾(英語名ピッグズ湾)のプラヤ・ヒロン(ヒロン湾)に上陸した。作戦を計画し、資金や武器を提供したのは米国政府の情報機関、米中央状況情報局(CIA)だ。
 とあります。アメリカの対外政策や外交政策をふり返れば、こういうことがくり返されてきたことがわかります。
 だから、ウクライナにおけるヤヌコビッチ政権の顚覆に、アメリカが深く関わり、ウクライナを利用して、ロシアを孤立化させ、弱体化させようとして、ロシアの特別軍事作戦(ウクライナ侵攻)をもたらしたことは、否定できないと思います。ノルドストリームの問題をはじめとして、いろいろ取り上げてきましたが、数々の証拠が、それを物語っていると思います。
 アメリカに逆らうロシアを、ウクライナを利用して、武力でつぶそうとしているというのが、ウクライナ戦争の現実だということです。
  
 昨年、

プーチン氏は血液のがん”である”とか、”ロシアのプーチン大統領が病気を抱えているとの見方が相次いでいる

というような報道が何度かありました。
 また、
ウクライナ国防省の情報機関「情報総局」トップのキリル・ブダノフ局長は14日放映の英民放スカイ・ニュースのインタビューで、プーチン氏に関し「心理的にも肉体的にも非常に状態が悪い」と指摘し、「がんやその他の病気を患っている」との分析を明かした。
 との報道もありました。
 さらに、
ウクライナで苦戦が続いているため、露国内では政権転覆を図る「クーデター計画が進行している」とも主張し、「止められない動きだ」と語った。情報戦の一環として「プーチン氏重病説」を流しているとの見方については否定した。
 との報道もありました。

 米誌「ニュー・ラインズ」は、
プーチン政権に近いオリガルヒ(新興財閥)の発言として、プーチン氏が2月24日のウクライナ侵攻開始前にがんの手術を受けたと伝えた。
 とか、
プーチン氏の健康状態を巡っては、甲状腺の病気や、パーキンソン病を疑う報道も続いている。
 との報道もありました。

 私は、こうした報道があった時、もしかしたら、アメリカが、現実にロシアにおけるクーデターを画策したり、プーチン大統領を殺害する計画を進めていたのではないかと、「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)その他を読んで、想像させられるのです。殺害しても、病死で片付けることができるからです。あり得る話だと思っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   Ⅰ キューバを取り巻く新しい世界

                      1 国交回復の衝撃

 米国によるキューバへの干渉
 そもそも、なぜ国交が断絶したのだろうか。断絶後のキューバとアメリカはどんな関係にあったのだろうか。
 国交断絶を一方的に通告したのは米国だ。キューバ革命から二年後の冷戦時代のさなか、1961年にアイゼンハワー大統領が行った。
その前年から両国の関係は険悪だった。生まれたばかりのカストロ政権を米国は承認しなかった。不和に輪をかけたのが農地改革だ。
 キューバの革命政府は大土地所有制度を廃止し、大農園を接収して、貧しい人々に農地を分けた。第二次大戦後の日本でマッカーサー連合国軍最高司令官が行ったのと同じような農地改革をしたのだ。接収された大土地の多くが、米国人の地主や米国の大企業の土地だった。接収といっても没収したのではなく買い取ったのだ。しかし、革命政府にはカネがなかった。革命で倒された独裁者、バディスタが国庫のカネを持ち逃げしたからだ。
 土地や資産を接収された米国の地主や企業は怒った。彼らの訴えを受けた米国の政府は、キューバに対する制裁を始めた。キューバから毎年か買い付けていた砂糖の買い上げを拒否し、キューバへの石油の供給も止めた。当時のキューバ経済は完全にアメリカに頼っていたから、こうすればアメリカの言うことを聞くだろうと思ったのだ。
 ここで顔を出したのがソ連である。当時は冷戦のさなかで、ベルリンをめぐる危機など米ソの対立が急速に高まった時期だ。ソ連は米国から迫害されたキューバを味方に引き入れようとした。アメリカが拒否した砂糖をそっくりソ連が引き受け、アメリカが送らなかった石油をソ連が供給すると申し出た。キューバ政府は飛び付いた。しかし、ソ連からキューバに送られた原油は生成しなければ使えない。キューバにあった製油所はほとんどが米国の企業で、ソ連製原油の精製を拒否した。このためキューバ革命政府は米国の石油製油所を国有化した。米国はキューバ向け商品の部分的禁輸を命令した。キューバに物資不足起こして国民の不満を高まらせ革命をつぶそうとしたのだ。両者の対立はエスカレートした。
 米国は1961年1月、キューバに対して国交の断絶を通告した。
 米国に逆らう国は武力でつぶそうとするのが、今も昔も変わらぬ米国の政策だ。当時は今よりもあからさまだった。三ヶ月後、アメリカに亡命していたキューバ人約1500人が武器を手に、キューバ南部のコチノス湾(英語名ピッグズ湾)のプラヤ・ヒロン(ヒロン湾)に上陸した。作戦を計画し、資金や武器を提供したのは米国政府の情報機関、米中央情報局(CIA)だ。

 キューバの革命軍は迎え撃った。カストロ自身も戦車で戦った。侵攻はわずか72時間で撃退された。これでキューバと米国の対立は決定的となった。翌1962年には米国は全面禁輸の経済制裁に踏み切った。
 米国政府がキューバをテロ支援国家に指定したのは1982年だ。タカ派だったレーガン大統領の時代である。当時、爆弾テロを繰り返していたスペインの「バスク祖国と自由」(FTA)や南米コロンビアの左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)のメンバーをキューバ国内にかくまったとして、キューバに対する武器の輸出・販売や経済支援を禁じる制裁を科した。キューバ側は、彼らは立ち寄っただけだと反論した。
 キューバの後ろ盾になっていたソ連が1991年に消滅すると、米国の議会はキューバに対する経済制裁を強め、一気にキューバをつぶそうとした。92年には提案した議員の名からトリチェリ法と呼ばれる「キューバ民主化法」が成立した。キューバへの送金の禁止、キューバへの渡航の禁止、キューバ国内の民主化勢力の支援などを織り込んだ。96年にはヘルムズ・バートン法と呼ばれる「キューバ自由民主主義連帯法」が発効した。キューバを国際金融機関から排除したほか、キューバ産がわずかでも含まれた物資は米国に輸入できず、キューバに寄港した船は180日間、米国に入港できないようにした。 
 米国自身による制裁のほか、周辺のカナダや中南米諸国も動員してキューバを孤立させようとした。1962年には西半球のすべの国を網羅する米州機構(OAS)からキューバを除名した。94年にクリントン大統領の時に始まり、西半球のすべての国の代表が集まる米州首脳会議からも、キューバは排除された。当時の中南米は「米国の裏庭」と呼ばれ、米国の植民地のような状況だった。米国はキューバを孤立させて革命政権をつぶそうとしたのだ。
 しかしつぶせなかった。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 2 米国はなぜ国交正常化に踏み切ったのか

 米国の対キューバ政策を変えたのはオバマ大統領だが、オバマ大統領の個人的な考えから政策が一変したのではない。大統領がオバマでなくても、米国はキューバへの姿勢を変えるはずだった。
 それには大きく2つの理由がある。
 まず米国の内部の事情だ。米国の中で反カストロや反共を掲げ、対キューバ封じ込めの先頭に立っていたキューバ系米国人社会の変化だ。キューバに武力侵攻してカストロ体制を覆そうとしたタカ派が世を去り、社会主義キューバの存在を認めつつ、和解を進めようとする考えが主流になった。対立解消の足を引っ張る人々がいなくなったのだ。
 それどころか、キューバをきちんと認めた方が利益になると考え、正式に付き合おうという勢力が増した。農産物業界を中心とする経済界である。同じ社会主義の中国とも貿易しているではないか。だったらキューバを貿易相手にして金もうけをしよう、と考えるビジネスマンたちが全米規模で急速に増えた。彼らは地域の政治家、ワシントンの議会やホワイトハウスにもロビー活動をし、キューバとの正式な外交、経済関係を結ぼうと積極的に工作した。
 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの内政干渉と台湾政策

2023年09月07日 | 国際・政治

 過去をふり返れば、アメリカの対外政策や外交政策は、基本的にアメリカの覇権と利益のための利己的なものであったと思います。したがって、状況が変ればその政策も変化し、法や道義・道徳に基づくような一貫したものではなかったと思うのです。

 それは、アメリカの台湾政策によく現れていると思います。
 第二次世界大戦後、アメリカのトルーマン政権は、アジアでの共産主義勢力の拡大を恐れ、国共内戦(中国国民党と中国共産党による内戦)における共産側の台湾征服を阻止するため、第7艦隊台湾海峡に派遣しました。だから、共産側による台湾征服はかないませんでした。
 他国が、内戦の一方の側を支援したり、一方の側に加担したりすることは内政干渉だと思います。だから、第7艦隊の台湾海峡派遣は、法や道義・道徳に反するものであったと思います。
 でも、アメリカは圧倒的な軍事力や経済力を背景に、どこの誰にも邪魔させず、そうした内政干渉を押し通してきたと思います。

 国共内戦における共産側の台湾征服を阻止した後、アメリカは、台湾と「米華相互防衛条約」を締結しました(1954年)が、本来、それ自体が大問題だと思います。そしてそれは、アメリカと台湾国民党(蔣介石政権)の間の軍事条約であり、日米安全保障条約や米比相互防衛条約などとともに、対共産圏包囲網の一環であったと言われているのです。
 言い換えれば、米華相互防衛条約は、共産党政権の中華人民共和国を仮想敵国とする軍事同盟であったのです。
 アメリカは国共内戦以来、国民党の蔣介石政権を支持し、蒋介石政権が台湾に逃れ、本省人を排除して独裁的な政治をやっているのに、その独裁政治には目をつぶり、軍事その他の支援を続けました。それらもすべて中国内部の戦いに介入する内政干渉だったと思います。

 当時、台湾を支援するアメリカの国務長官ダレスは、「もし台湾が攻撃されれば大陸を攻撃する」と表明したとのことですが、それは、内政干渉を公言したものだと思います。また、米華相互防衛条約では台湾の範囲として澎湖島とともに大陸に近い金門島、馬祖島なども含めていたということです。アメリカは当初、蒋介石の主張をそのまま受け入れていたのだと思います。

 蒋介石が金門・馬祖に大陸への反攻のための基地を設置すると、中国政府は、金門・馬祖に砲撃を加えるに至ります。
 1958年8月23日、中国の人民解放軍による金門・馬祖への砲撃は激しく、44日間に及んだということです。それ以降、台湾海峡は中国軍と台湾・アメリカ軍がにらみ合う緊張が続きました。アイゼンハウアー大統領が台北に滞在中には、中国の金門・馬祖砲撃が一段と激しさを増したということです。

 ところが、驚くべきことに、1970年代に、それまで東アジアにおける共産政権としての中華人民共和国を敵視する政策を続けていたアメリカが、突然大きく方針を転換したのです。
 米中国交回復の動きは、ベトナム戦争の行きづまりを打開しようとしたニクソン政権で、キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官によって極秘裏に着手されたといわれています。
 そして、1971年7月15日に、”来年2月のアメリカ大統領ニクソンの中国訪問”が発表されたのです。世界中が驚愕する発表でした。
 その後、ニクソン大統領の訪中は、発表通り1972年2月21日に行われました。
 大統領は毛沢東と会見し、米中共同声明(上海コミュニケ)で、平和共存五原則に基づく国交正常化を明らかにしたのです。

 この時、アメリカは、”中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府であることを承認し,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部であるとの中国の立場”を受け入れたことを忘れてはならないと思います。

 そして、その結果アメリカは台湾政府(中華民国)と断交し、1980年に米華相互防衛条約失効することになったのです。台湾(中華民国)にとっては、衝撃であったと思います。
 アメリカが、中華人民共和国の「一つの中国」の考え方を受け入れたために、台湾の中華民国政府は国際連合の「中国」代表権を失い、国連から追放されることになりました。

 また、アメリカは、1979年に国内法として「台湾関係法」を制定しましたが、それも利己的な内容で、台湾を「政治的な実体」と認め、実質的な関係を維持し、台湾の防衛に必要な武器を有償で提供し続けるというようなものでした。
 そのアメリカの「台湾関係法」は、台湾(中華民国)の範囲を台湾と澎湖島だけに限定(台湾海峡上の金門・馬祖などは含まない)しています。米華相互防衛条約の内容とは異なっているのです。

 また、アメリカは、中国との国交正常化にあたって、中華人民共和国を唯一正当の政府として認め、台湾の地位は未定であることは今後表明しないとか、台湾独立を支持しない日本が台湾へ進出することがないようにする台湾問題を平和的に解決して台湾の大陸への武力奪還を支持しない中華人民共和国との関係正常化を求めるとして台湾から段階的に撤退することを約束したということです。

 それらはすべて、当時のアメリカに都合の良い話ばかりであり、一方的な方針転換であり、それまでのアメリカの主張や政策と矛盾した一貫性がないものだったと思います。

 そして、現在アメリカは、再び中国を敵視する方針にもどり、”台湾は中国の一部である”と公式に認めたにもかかわらず、台湾にくり返し武器を売り、要人を派遣し、緊張を高めているのです。国際社会がそれを黙認していることも見逃すことができません。

 日本でも、GHQの「逆コース」といわれる方針転換があり、公職を追放された戦犯や戦争指導層を復活させる公職追放解除があったことを思い出します。法や道義・道徳に基づいて、その方針転換を正当化できる人がいるでしょうか。
 それが、圧倒的な軍事力や経済力を背景に、覇権と利益を追求するアメリカの対外政策や外交政策であることを見逃してはならないと思います。
 
 先日朝日新聞に掲載された、峯陽一国際協力機構緒方貞子平和開発研究所長の”変わる秩序「南ア化」する世界”という文章の中に、下記のような一節がありました。

歴史意識として、グローバルサウスの多くに植民地として支配された記憶が残っています。欧米はアフリカとアジアで主権侵害を繰り返してきた。普遍的価値を語っても偽善だと受け止められがちです。
 一方で、グローバルサウスが「反西洋」の価値観で一色になったわけではない。むしろ西洋と反西洋の両方の意見を聴きながら、自らが納得できる主張を打ち出そうとしているように見えます
 グローバルサウスの価値観の基礎には、55年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)があります。そこでは国連憲章と人権の尊重、内政不干渉、紛争の平和的解決など普遍的な主張がかかげられました。

 グローバルサウスが自立しつつあり、圧倒的な軍事力と経済力を背景としたアメリカを中心とする国際秩序が、少しずつ変わり始めていることを示しているのではないかと思います。
  
 
 
 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする