真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「従軍慰安婦」国際法律家委員会(ICJ)の結論

2012年02月19日 | 国際・政治
 国際法律家委員会(ICJ)は、世界における法の支配の確立や世界人権宣言の規定の完全な遵守を追及する世界三大NGO(非政府間国際組織)の一つであるという。世界の30人の著名な法律家によって構成され、国連経済社会理事会などと協議資格を有するとともに、75カ国に支部と加盟団体を持っており、日本では自由人権協会が加盟団体であるという。そのICJが、1993年4月から5ヶ月かけてフィリピン、日本、韓国、朝鮮民主主義共和国で、のべ40人以上の証言者からの聞き取りを行い、また、資料を収集し、報告書をまとめたのである。最終報告書をまとめるまでに1年以上を要したという。下記は、その最終報告書(10章からなる)の「結論と勧告」の結論部分である。ICJの法的判断には、世界の法曹界から深い信頼が寄せられてきたということを考えると、早急な日本の決断が望まれる。『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』国際法律家委員会(ICJ)著:自由人権協会(JCLU)・日本の戦争責任資料センター訳(明石書店)からの抜粋である。

 しかしながら、日本政府がそれに応えなかっただけではなく、逆に自民・民主両党の国会議員やジャーナリストらが、2007年6月24日「従軍慰安婦」の「強制連行はなかった」と主張する意見広告を米ワシントン・ポスト紙に出した。それは結果的に、2007年7月31日、アメリカ合衆国下院121号決議の採択をもたらすことになった。「性奴隷にされた慰安婦とされる女性達の問題は、残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模の人身売買のひとつである」と断定し、「日本軍が強制的に若い女性を”慰安婦”と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない」というのである。また、「現世代と未来世代を対象に、こうした残酷な犯罪について、教育をしなければならない」とも要求している。

 その後、アメリカにとどまらず、オーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議、オランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議、カナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議などが続き、フィリピン下院外交委、韓国国会なども謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択をし、さらに、台湾の立法院(国会)も日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択したという。サンフランシスコ講和条約締結国が、次々に日本のみを対象とする決議を出すに至ったということである。

 それらの決議に対応しないため、2011年12月14日午前、ソウルの日本大使館前の路上に、韓国が主張する従軍慰安婦問題を連想させる少女のブロンズ像が設置された。ブロンズ像を設置したのは、韓国の民間団体「挺対協」(韓国挺身隊問題対策協議会)である。同会は元慰安婦への賠償と謝罪を求め、大使館前で毎週水曜日に集会を開いており、14日に集会が1000回となるのを記念し、寄付を募って制作したという。日本は1965年の日韓国交正常化の際、元慰安婦の賠償請求権問題は解決したとの立場をとり、「女性のためのアジア平和国民基金」という財団法人を設立して償いの事業を展開したが、受け入れられてはいないのである。かつて日本が、42対1で国際連盟を脱退したことを思い起こさずにはいられない。一日も早く、ICJの法的判断に従うべきではないか、と思うのである。
 少なくても、誠意をもってすべての関係者の聞き取りをしたり、指摘されている軍や警察の公文書の徹底した調査をすることなく、限られた一部の人の証言や都合のよい文書によって、「従軍慰安婦」の「強制連行はなかった」とすることは、許されないのではないか、ということである。
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                  結論と勧告
結論

                    1 
 日本帝国陸海軍は、第二次世界大戦前と同大戦中に日本帝国陸海軍の「享楽」と専用のために、広範な慰安施設網の設立を開始した。日本軍部は、その部隊がどこに駐留しようとも、部隊用の慰安施設を作るよう計画し、かつ実行した。中国、朝鮮、台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシアそしてオランダ人女性と少女たちがこれら慰安施設に入れられ、脅迫の下に性的サービスをさせられた。

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 これら女性たちの連行は、最初は私人によって行われたところでも、日本軍部自身によって行われるようになった。日本軍部はあっせん業者を任命、彼らに軍事施設への特別な通行許可証を与えた。軍(憲兵隊)と地域警察は、これら女性や少女たちが「自発的に申し出た」かのようにするため、業者に積極的支援を与えた。
 これら女性たちが日本軍部に性的サービスを提供するよう、強制、欺罔、脅迫、誘拐されたことは議論の余地がない。

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 慰安施設の設立、利用、運営、監督のための詳細な規則が日本軍部によって作られた。これらの規則は、細部にわたり、その結果、女性たちは単なる商品へとおとしめられた。

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 これらの施設における生活は、女性たちにとって生ける地獄だった。女性たちは2週間から8年間の期間にわたり、日々、日中は15、20、あるいは30人の兵士たちに、夜間は将校たちによって強姦され続けたうえに、殴打され、拷問を加えられた。生活状態は、閉鎖的でみすぼらしかった。前線から前線へと部隊につき従わされた者たちの生活は、日々、危険にさらされていた。食料は常に乏しく、量も少なかった。軍医による検診も、時に行われたが、女性の多くは性病にかかった。慰安施設に入れられた時、彼女たちは心身健康な処女だった。慰安施設を出た時、彼女たちは身体は病気に冒され、精神的にも癒しがたい傷を負っていた。


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 日本軍部に支配された全地域において、交通輸送は厳しく統制されていたため、軍部は何千人もの朝鮮人女性が朝鮮の中で、さらに朝鮮半島から中国、ビルマ、フィリピン、南太平洋そして琉球諸島(沖縄)の各地へ輸送されたことを承知していたことは明白である。客船による移動が手配された時でも、移動は軍当局の許可を必要とした。彼女たちの多くは、実際には、軍用の船舶、列車、自動車に乗せられて移動させられたとの事実を証人たちは証言した。これら交通手段は、日本政府の統括下にあったことから、日本政府は、女性の移送(trafficking)に責任がある。

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 1942年以降、日本は、フィリピンを占領し統治した。フィリピン女性が誘拐され、強制的に軍事施設に拘禁されたことは明白である。フィリピンにおいて、フィリピン女性が誘拐され、慰安施設に入れられていたことを軍当局が承知していたことを示す十分な証拠がある。

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 ICJが入手した文書の中には、前線の将校が東京の司令官に彼らの地域へ慰安婦を徴集、移送するよう求めた特別の要請書も含まれている。同文書はまた、軍部高官たちが、慰安施設の存在を認識していたことを明白に示している。日本は、戦争を行っており、軍部に支配された地域、特に軍事施設は、厳しい治安規則下にあったことから、それ以外のことはありえなかった。


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 証人の証言から、日本の兵士が敗戦を実感した際、いくつかの慰安施設にいた女性を殺害しようとしたことも明らかになった。

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 これら女性の監禁は、きわめて悲劇的な結末をもたらしたのであるが、戦争の終結と共に、これらの女性の苦渋は終わらなかった。逃亡する日本軍兵士に捨て去られた後、数々の語ることのできないほどの困難に直面し、何人かの女性は帰郷したものの、その後の生活は、人目を避ける孤独なものでしかなかった。幾多の人権侵害を蒙った被害者の女性たちが、かえってその代価を支払うという試練を受けるのが普通だったのである。

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 10万から20万の女性が慰安婦にさせられたという歴史家の推定は、アジア太平洋地域一帯に駐留した多数の日本軍の数と符合している。こうした残虐行為が行われたその規模の大きさは、まさにぞっとさせられるほどのものである。当時はその社会においても、女性は平等に扱われてはいなかったが、これほど大規模かつ長期間にわたって、これほどまでに侮辱されたことはかつてなかった。

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 身を削るような貧しい環境や、社会的枠組みによって、これらの少女や女性たちは、暴力、詐欺、ペテン、強制そして誘拐に対してきわめて無力な存在になっていた。フィリピン人の場合には、女性たちは、日本軍の残虐行為と理不尽で乱暴な振る舞いによって、二重の犠牲を強いられ、相当数の女性たちは、ゲリラの成員あるいはそのシンパの疑いで逮捕され、拷問を受けた後、慰安婦として軍事施設に監禁された。その他には、身内の人びとが拷問されたり、殺害されるのを強制的に見せられた女性たちもいた。


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 日本政府が、何人かの女性について「自発的に」慰安施設に行くと合意したことを証拠づけ得たとしても、彼女たちは、どういう境遇に入っていくのか想像さえもできていなかったであろう。さらに戦後に軍部が彼女たちを殺したり、殺そうとしたり、置き去りにすると知っていた女性は、皆無だった。

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 当時の日本政府は、これら女性の身の上に起こったすべてにつき、直接的に、あるいは代位的に責任があった。その行為は、戦争犯罪、人道に対する罪、奴隷および婦人と児童の売買に関する国際法の慣習規範に違反した。これらの行為は、戦後に行われた(戦犯)裁判の一部として裁かれるべきだった。残念なことに、これらの裁判の焦点は、連合国国民に対して行われた行為に置かれた。日本は今、完全に責任を取り、被害者とその家族に適切な原状回復を行うべきである。

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 日本政府によってなされた調査は、不十分であり、問題の解決に焦点を当てるよりも、いろいろな感情の沈静化をはかろうとする計算によるもののように思われる。日本は、より一層の完全な調査を行わなければばらない。


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 日本政府による調査に関しては、できる限り多くの文書を発掘するとこも重要だが、証人の聞き取り調査を行うことも等しく重要である。日本軍の元将校は生存しており、この問題に関して彼らの聞き取り調査を行うべきである。

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 政府が入手できる文書のすべてを公開しているかどうかについて日本国内で疑問が提出された。終戦に当たり、数多くの文書が焼却されたり、他の方法によって処分されたためゆえ、書類により完全な全体像が浮かび上がることはあり得ないと言われてきた。こう言ったからといって、われわれは、日本政府がこの問題に関連するすべての記録を捜す義務を軽減すると言っているのではない。朝鮮半島からの女性の「募集」に関連して、警察の資料が存在していない、と信じることは難しい。警察は、しばしば、特定地域から集められるべき女性の数に関して指令を受けており、これらの資料すべてが破棄されたと信じるのは、また困難である。警察庁は、労働省を除いて、唯一、この問題に関する資料がファイルされていないとする官庁である。これが、正確な宣言だとは信じられない。


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 さらに、将兵の日記が発掘されるよう一層の努力がなされるべきである。こうした資料が公開された場合には、慰安施設の設立、運営を証拠によって明確にするのに有益だった実績がある。存在しているあらゆる日記がどこにあるかを探すべく、日本政府はさらに一層の努力をすべきである。

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 連合国は、加害者を裁判にかけたり、犠牲者に補償を支払わせるようにするために何もしなかった。これら諸国は、このことについて説明する義務があり、またこの問題に関し、その持っている資料を公開する義務を果たすべきである。

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 1965年の日韓協定も、1956年日比賠償条約も日本に対する女性たちの請求を妨害するものではない。前者は、人権被害に関する請求を包含すると意図されたものではないし、現に包含しもしなかった。後者も、国家にもたらされた破壊に関し、フィリピンの「人民」への賠償のためのものだった。個々人への補償問題は、交渉で提起されておらず、よれゆえ、同条約は、この問題を解決しようと意図されたものではなかったし、解決したとも解釈されてはならない。

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 これまでに名乗り出た女性の個々のケースを判定するため、なんらかの機構を早急に設立すべきである。犠牲者の年齢を考慮すれば、彼女たちに対してなされた人権侵害の救済手段として、日本の裁判は十分ではない。

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 第二次世界大戦の終結に際し、慰安婦の取扱いに関し、日本の責任を問う試みがなされなかったことから、国際社会、特に連合国のメンバーは、彼女たちに、人権と基本的自由の被害者の原状回復、補償およびリハビリテーションへの権利に関する研究のための特別報告者であるテオ・ファン・ボーベン教授の報告書が言うように、十分なリハビリテーションのための措置と完全な原状回復を与えるよう日本政府に圧力をかける義務を負っている。犠牲者の多くは、友人や親族の情けに頼って何とか生き延びてきた。彼女たちは、労働を求められる年齢を超えている。何人かは、ただ生きるためだけに、多額の借財をし、負債を抱えている。多くの者は、常に医療とケアを必要としている。それゆえ、彼女たちへのリハビリテーションは、十分な住居、医療補助と、適切な生活水準を保障するものでなければならない。長年無視されてきた年月を考慮すれば、4万米ドルを、暫定補償金としてただちに支払うことは十分に正当な理由のあることである。

    
 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。

コメント (22)
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