真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

報道によってつくられる世論、隠されるアメリカの犯罪

2023年02月28日 | 国際・政治

 下記は、「レッド・パージとは何か 日本占領の影」三宅明正(大月書店)から、報道機関のパージの遂行に関する一部分を抜萃したものですが、私は、ここにウクライナ戦争におけるアメリカの姿が重なって見えます。
 アメリカは、直接表に出ることなく、相手国の権力者と手を結び 相手国の権力者の責任においてアメリカの目的を達成するための活動をさせるという、新植民主義的なアメリカの姿が見えるように思うのです。

 このところ、「ロシアによるウクライナ侵攻一年」というようなテーマの記事や映像を毎日のように目にし、巧みに世論が誘導されているのを感じています。
 悩ましいのは、親族や友人を失ったり、苦しい生活を強いられているウクライナの人びとの辛い日常に心を痛め、何とかしてあげたいという思いを抱かせる報道の内容が、停戦の方向ではなく、ロシアを憎み、プーチン大統領を悪魔の如き独裁者に仕立てあげるために利用されていると感じられることです。

 また、多くの識者がウクライナ戦争について語っていますが、ウクライナ戦争を主導するアメリカに関しては、ほとんど何も語りません。それでは、停戦・和解の方向には進まないと思います。
 例えば、朝日新聞の「日曜に想う」に国末憲人欧州駐在編集委員
昨年11月にウクライナで実施された世論調査を見ると、ロシア軍による占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずかに1%だった。停戦の条件として。93%が「クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍撤退」を挙げた。多くの人々は、即座に平和を得るよりも、戦う道を選ぶ。つまり「平和」とは異なる価値観を重視しているのである。「ウクライナの人々が求めているのは『正義』である」
 と書いていました。ウクライナの人々が、ウクライナ戦争を主導するアメリカの深い関与を知ったら、この世論調査の結果は、逆転するだろう、と私は思います。独裁者プーチンの野望に基づく、一方的な侵略などではないからです。

 アメリカはオバマ大統領のときから、ウクライナにさまざまな働きかけや工作を続けていたといわれています。
 国務省でウクライナを担当していたのは、ビクトリア・ヌーランドで、彼女は、ウクライナを北大西洋条約機構(NATO)に加盟させるため、当時のアザロフ首相ヤヌコビッチ大統領を引きずり降ろそうと働きかけていたといわれています。
 また、いわゆる「マイダン革命」のデモの指導者たちは、米大使館から指令を受けただけでなく、報酬も受けていたとわれていますが、それを裏づけるかのように、ヌーランドは講演で、”我々はウクライナの民主主義を保証するために50億ドル以上を投資してきた”と語っているのです。これには、元米下院議員のロン・ポール氏などから、批判の声があがったとのことですが、ウクライナのデモ隊の中にお金をもらっている人がいることは、当時公然の秘密だったといいます。オリバーストーンも、プーチン大統領との会見で、そのことを語っていました。

 ウクライナ戦争には、ヨーロッパ諸国に対するロシアの影響力拡大を阻止しなければ、アメリカの覇権や利益が損なわれ、アメリカの衰退が一気に進みかねないという問題が背景にあることを、敢えて見ようとせず、独裁者プーチンの野望に基づく、ロシア軍の一方的な侵略だと捉えるから、ウクライナ戦争が侵略者に対する「正義」の戦いになり、停戦・和解が進まないのだと思います。

 昨年末、岸田首相は、2023年度から5年間の防衛費の総額を43兆円とするよう指示し、浜田靖一防衛相、鈴木俊一財務相に伝えた、との報道がありました。その時、こんな大増額を、岸田首相が、防衛相や財務相はもちろん、関係機関と綿密な相談なく決定し、”指示し、伝えた”というようなことが、なぜ、受け入れられたのか、と疑問に思いました。そして、それはアメリカの戦略に基づくものであるからだろうと考えざるを得ませんでした。もちろん、アメリカから何らかの要請や指示があったのか、それとも岸田首相の忖度かはわかりませんが。
 
 東西冷戦の終結後、東側諸国のワルシャワ条約機構が解散したにもかかわらず、西側諸国の北大西洋条約機構(NATO)が温存されたのは、アメリカがヨーロッパ諸国に対する影響力を維持するためであったといわれています。ノルドストリーム爆破の問題には、ヨーロッパ諸国に対するアメリカの影響力維持という意味で、それと共通する側面があると思います。にもかかわらず、日本のメディアは、ノルドストリーム爆破に関しては、”ロシアの関与が疑われる”というようなこと以外、ほとんど報道していません。だから、日本の主要メディアは、ウクライナ戦争の実態を、本気で理解しようとはしていないように思います。

 ベトナム戦争中の米軍による「ソンミ村虐殺事件」を調査し、暴露したことで知られるアメリカの調査報道記者、シーモア・ハーシュ氏が、”バイデン政権が、ドイツとロシアを結ぶ天然ガスパイプライン・ノルドストリームの爆破を計画実行させた”というスクープを発表しましたが、日本の主要メディアは、ほとんど無視しているように思います。新華社通信は、すぐに報じていました。
 ウクライナ戦争に関わる重大問題であるのに、日本の主要メディアは、爆破の真相を探ることなく、また、報道もせず、相変わらずアメリカからもたらされる「ロシアのウクライナ侵攻一年」の情報を流し続け、ロシアを悪者とする報道に終始しているように思います。

 ノルドストリーム爆破は、オバマ大統領、トランプ大統領、バイデン大統領の対応や発言をたどれば、シーモア・ハーシュ氏のスクープどおり、アメリカによる犯罪であることは間違いないと思います。
 トランプ米大統領が、ロシアにエネルギーを依存するドイツは「ロシアの捕虜だ」と発言し、ドイツに警告を発したのみならず、アメリカは、ロシア産ガスをバルト海経由で欧州に輸送するパイプライン「ノルドストリーム2」プロジェクトを阻止するため、パイプラインの建設に関わる船舶に制裁を科し、また、「ノルドストリーム2」の運営会社やCEOも制裁対象としたのです。
 また、バイデン米大統領は、ショルツ独首相と会談した際、ロシアがウクライナに侵攻した場合、独ロを結ぶガスパイプライン「ノルドストリーム2」を稼働させないと主張したことがわかっています。そして、バイデン大統領が”ロシアがウクライナに侵攻すれば、ノルドストリーム2を終わらせる”とも指摘し、ドイツの管理下にある事業をどう止めるのかという質問には”われわれにはそれが可能だ”と述べたことも伝えられています。
 その後、実際にノルドストリームは爆破されたのです。当初から、アメリカの介入を非難していたロシアが、パイプラインを爆破するわけはないのあり、シーモア・ハーシュ氏のスクープを報道しないのは、明らかにメディアが偏向していることを示しているように思います。

 ノルドストリーム2が有効に機能すれば、ロシアはヨーロッパ諸国から利益を得るばかりでなく、影響力を拡大させることができるのであり、それを台無しにするような侵略をするはずはないと思います。
 下記の文章は、巧みなアメリカの工作によって、ウクライナ戦争に対するアメリカの関与が、ほとんど報道されず、隠されていることを、暗示しているように思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                Ⅱ パージはどのように遂行されたのか
                     ──初期の事例──
 1 報道機関──放送

 放送協会が最初
 1950年における狭義のレッド・パージは、報道機関から始まった。報道機関におけるパージの経緯としては、同年7月24日に、新聞各社と放送協会の、社長、会長らが法務府特審局長吉川光貞を通じて民政局長ネピア少佐に呼ばれて指示をうけ、28日、各社一斉にパージを通告した、と従来言われてきた。だが実のところ、日本放送協会では、これよりやや早く、日本共産党と同調者の施設立ち入り禁止命令が出されていた。
 7月15日、大阪で、AFRS(Armed Forces Radio Ssevices 第八軍放送部隊)が大阪中央放送局に対し次の命令を出した。「連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の命により、共産党並びにその同調者は大阪、名古屋地区の米軍放送部隊によって接収された施設およびBK(大阪中央放送局 
)と共同使用の施設の全施設内に立ち入ることを禁ずる」この命令にもとづき、同日5人の労働組合員の名前が日英両文ではりだされ、局への立ち入りを禁じられた。命令は文書だけでなされたのではなかった。武装兵士を従えた放送隊長バーンズ大尉が職場に現われ、「名前を呼び上げ」「二分以内に立ち退け」と命じた(『放送労史』)。
 このとき放送協会では、労働組合が二つに分かれていた。もともと一つであった組合は、1946年1月設立の日本放送協会従業員組合で、これは同年2月につくられ7月に改称した日本新聞放送労働組合(略称は新聞単一)の支部となった。だがこの新聞単一の支部は、2・1ゼネストの中止後分裂状態となり、48年2月に同支部が日本放送協会労働組合(放送単一、左派)へと改組し、翌3月にはこれと別に日本放送労働組合(日放労、右派)が設立されていた。50年7月15日に立ち退きを命じられた5人はいずれも放送単一の組合員であった。
 AFRSの命令は15日の5人にとどまらなかった。17日には1人(無所属)、19日に23人(日放労8人、放送単一12人。無所属3人)が、24日には2人(日放労1人、無所属1人)が、それぞれ追加された。さらに7月28日、東京の日本放送会館会長室にAFRSのターレン少佐が現われ、放送協会会長に局舎に立ち入りを禁じる職員の氏名を通告、会長はこれをうけて会館、および同霞ヶ関分館、技術研究所など東京管内の建物にいっせいに命令を掲示した。地方には同様の文書が電話で連絡された。会長命令とは、「日本放送協会はSCAP(連合軍最高司令官)が最近数次にわたって発した日本政府宛の書簡および声明の精神並びに本日第八軍AFRSより会長宛に発せられた通牒に鑑み別紙の者爾今協会所属の一切の建物およびその構内に立ち入ることを厳禁する」というものである。同時に解雇通告書が内容証明で各人に発想された。解雇通告は次のとおりである。

    「昭和25年7月28日  日本放送協会会長古垣鉄郎
         殿
   日本放送協会はSCAPが最近数次にわたって発した日本政府宛の書簡並びに声明の精神に基づて貴殿を昭和25年7月28日付で解職したから通知します。」
       (日本放送協会労働組合「経過報告」、1950年8月7日付、大原社研所蔵)
 この時の解雇者は104人で、所属組合では、放送単一が90人、日放労8人、無所属6人、ほかにおかしなことに放送単一の書記が2人(放送協会を退職ずみ)が「解雇」を通告された。職場別では放送会館119、放送文化研究所23、技術研究所20、通信工作部9、大阪11、名古屋5、広島9、熊本5、松山3と、北海道、東北を除き全国の職場に及んでいた(『日放労』)1950年8月5日付)。北海道と東北は放送単一の組織がなくなった職場であった。研究所が多いのは、協会がストライキをおそれて労働組合の活動家をここに異動させていたためである。

 強弁された解雇理由
 正確に言うと、28日に人びとが知ったのは立ち入り禁止の掲示のみであった。放送単一は、組合に対して、正式通告がなかったため、立ち入り禁止の理由と今後の措置を質すべく総務部長に会見を求めた。しかし経営陣は会長室に閉じこもったままであった。労働課長も、「命令書以外の事は何も言えない」とし、命令の写しも渡さなかった。組合側が解雇通告を知ったのは、各人が郵送で通告書を受け取ってからである。29日も組合の会見申し込みは経営側に拒否された。30日以降も同様であった(前掲「経過報告」)
 日放労も経営側に会見を申し入れた。経営側はこれに応じ、次のように答えた。
 「一、今回の措置は,去る5月3日のマ元帥声明、及び6月26日、7月18日吉田首相宛発せられたマ元帥書簡の精神により、又協会所属の一切の建物及びその構内に立ち入ることを禁ずるAFRSの通達、その他現段階においては発表することが出来ない指令に基づいて会長が会長の自主性と責任においてとったものであること 

  ニ、従ってこの問題は労働三法は勿論のこと、国内法一切を超越する措置であり、その為労働協約の拘束をうけない特例の措置であり、当然団体交渉の対象にならないと考える。そして解職をすることは当協会の自主的なものであり、経営者の責任において行ったものであること

  三、協会が解職処分に付したものは共産党員、及びこれに同調して行動した者に限っているが、その認定はイデオロギーにあるのではなく、具体的な行動をとったか否かを基準にしており、同調者に対しては共産党的な活動をやっていたもので、解職に値すると解した者を解職にしたこと
 
  四、協会立ち入り禁止に付された職員の指名は、AFRS自ら行ったものであり、解職処分は協会の自主的に行ったものである。

  五、解職者の退職金は特別の場合で協約に定めはないが、協会としては、今のところ希望退職並の金額を支給する予定であること」
(『日放労』前掲号)
 このうち注目されるのは一と四である。すなわち、立入禁止は第八軍が具体的に指名までして命じたものであったが、その上で解職は放送協会会長が「自主的」にした、というのである。またその根拠としては、マッカーサーの声明と書簡をあげ、AFRSの通達とあわせて、「発表することの出来ない指令」が述べられている。もとよりAFRSには解職の権限はなく(そうであるがゆえに立入禁止のみを命じる)、いっぽう協会経営社はそれを支えに「自主的」に解職を行なう、ただし法的な根拠はないがゆえに「発表することの出来ない指令」を掲げ、労働三法や労働協約を「超越」した措置だと強弁したのである。当時放送協会には労働協約が存在し、二つの組合いずれとの間でも、組合員の解雇
行なうにあたっては、一定の手続きと、事由の存在が必要であると定めていた。強弁は組合側の抵抗を封じ込めるためのものにほかならなかった。
 日放労は、8月1日にAFRSティドウェル少佐を訪ね、いくつかの質問を行った。主な応答は次のとおりである。
  「問 今回の措置において名前の発表は経営者の指名によるのか
 答 それは経営者ではない、私の方が責任をもってやった」
  「問 名前を発表された者が共産党員でもなく、その同調者でもないことがわかったならば、その人は解除できるか 

 答 それは協会の経営者側においてある特定の人物が完全に共産活動を放棄したことを認めるときには、AFRSにおいても解除することにはやぶさかではない」
 日放労は、さらにGHQ労働課を訪ねたところ、同課のウィルソン女史は次のように述べた。
   「今回の措置はマ書簡に基づいて行われたもので、全く特殊な措置であり、今や二つの世界に妥協のないことを物語るものであり、組合としてもこれに介入しない方が賢明である」(『日放労』前掲号) 

 


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの戦争犯罪と大統領の嘘

2023年02月24日 | 国際・政治

 アメリカがベトナム戦争で、意図的に民間施設を目標として爆撃し、違法な大量殺人兵器(CBU)ナパーム弾で数え切れない民間人を殺害した事実は、ラッセル法廷調査団はもちろん、多くの報道関係者が現地に入り確認しています。

 下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から抜萃したものですが、民間目標に投下された爆弾やその破片の確認、また、大量殺人兵器(CBU)によって負傷した人々のその後の様子や、聞き取り調査、さらには、そうした事実を裏づける米軍捕虜の証言などが記されています。

 でも、アメリカのアイゼンハワー元大統領は”アメリカの北ベトナム作戦の対象は軍事目標だけにかぎられている”と述べ、ジョンソン大統領”軍事目標だけを爆撃することが現政府の政策である”と言明しているのです。アメリカの大統領が、自国の覇権や利益のために嘘をついたことは明らかだと思いまます。そしてそうした嘘が、その後もくり返されていると思うのです。

 日本政府はもちろん、主要メディアも、ウクライナ戦争に関するアメリカやウクライナからの情報を、何の検証もせず報道し、日本の記者が自らウクライナに入り報道する場合も、アメリカおよびウクライナ側の主張を正当化するような報道ばかりしているように思います。親ロ派の人びとが暮らすウクライナ東部の取材に基づく報道ななどに触れたことはほとんどありません。

 それは、戦前、大本営発表を、何の検証もせず国民に伝えた続けた過去の過ちのくり返しだと思います。「大本営発表」が「アメリカ(ウクライナ)発表」に取って代わっただけだと思います。公平な報道が、野蛮な戦争を終結させるために求められていると思うのです。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

           民間人爆撃とアメリカ軍捕虜  ジョオン・B・ニーランズ

裁判長、法廷議長、ならびに法廷にご出席の皆さん、私の名前はJ・B・ニーランズ、本籍地はカリフォルニア州バークレイ、ヒル・ロード185番地で、職業はカリフォルニア大学の生化学教授です。1967年3月10日、私は当法廷の第三次調査団の一員としてハノイに入りました。調査団員は、私のほか、レリオ・パッソー(団長)、アクセル・フイエル、ヒュー・メインズおよびジョン・タックマンでありました。この報告書は、ベトナム民主共和国における重要な調査結果を記録するもので、とくに二つの問題、つまり対人兵器を用いた計画的な民間人に対する爆撃、およびベトナム民主共和国におけるアメリカ人捕虜の待遇について記録するものです。

 対人爆撃について

 過去数カ月間にベトナム民主共和国を訪れた西側諸国の訪問客は一人のこらず、アメリカ空軍がこの国でさまざまの対人兵器を使用していることについて報告しています。この問題がとくに人びとの関心をよんでいるのは、アメリカ政府要人が北ベトナムの民間人爆撃をくりかえし否認しているからです。

 すでに1966年6月1日、ワシントン『デイリー・ニューズ』紙は報道しました。 「信頼すべき筋によれば、アメリカ空軍機が投下する爆弾のなかには強力な対人兵器がふくまれている。対人兵器は従来から北ベトナムにたいして使用されていたが、今日まで明らかにされていなかった。この爆弾からは数千個の小さな鉄の球がとびだす。これらは共産側が操作する高射砲やミサイル発射場を攻撃する目的で設計されたものである」。同じような記事は1966年6月2日付『フィラデルフィア・インクワイアラー』紙および1966年12月29日付『ワシントン・ポスト』紙にも出ています。1966年6月28日付『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のように述べています。

「ベトコン、アメリカの新兵器に直面──大音響とともに山をも崩す爆弾の雨。その音は人びとを驚かせ、仰天させる。……これは『クラスター・ボム・ユニット(爆弾の房)』で、軍隊ではCBUという略語で呼ばれる……アメリカ国防省とホワイト・ハウスは、CBUや、新しい良質のナパームなどいわゆる新型兵器を恥じているように思われる。……クラスター・ボム・ユニットは800個以上の小弾を内包する金属製容器で、先端部分はオレンジ色でずんぐりしており、銀色の折りたたみ式尾翼がついている。……現在では、小弾からナパームと致命傷を与える鉄の球とをまき散らす、もっと性能の良い新型CBUも開発されている。……CBUは、現在までに戦場で使用された通常兵器のなかで、最も強烈なもののひとつである」。

 ジョンソン大統領は、アメリカの爆撃対象は「鉄とコンクリート」であると終始言明しております。たとえば、1966年12月28日付『ニューヨーク・タイムズ』紙はこう報道しました。「アイゼンハワー元大統領は今日、アメリカの北ベトナム作戦の対象は軍事目標だけにかぎられていると述べた」。数日後(12月31日)の記者会見で、ジョンソン大統領は「……軍事目標だけを爆撃することが現政府の政策である」と言明しました。さらに1967年1月2日付『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「……アメリカが計画的に民間目標を爆撃しているという共産側の宣伝を裏づける一片の証拠もない」と述べています。

 ジョンソン大統領は1967年3月15日、テネシー州議会で演説しましたが、『ニューヨークタイムズ』紙は、その内容を次のように報じています。「さて、民間人の爆撃については、われわれは現在、戦史上に前例のない努力を払っており、そのような事実はけっしてない。われわれは、民間人を殺傷する目的で都市を爆撃したり、目標を攻撃したりしたことはない」。

 いっぽう、1967年4月11日付『サンフランシスコ・クロニクル』紙に掲載されたホンコン電によれば、ベトナム民主共和国から帰国途上のクエーカー教徒たちが、アメリカは特別に設計された爆弾で民間人を殺傷していると非難しています。サイゴン駐在の軍司令部はただちにこれに答え、「そうだ。われわれは北ベトナムでCBUを使尉している」と述べております。ところが『イブニング・サン』紙の記事はさらにつづけて、CBU爆弾は「庇護壁の薄い」軍事目標だけに使用されていると書いているのです。同じような記事は、「アメリカ、霰弾の使用認む」という見出しで4月11日付『サンフランシスコ・クロニクル』紙にも掲載されました。『クロニクル』の紙のコラムニストであるロイス・グライアーはこう述べています。「こうして大嘘は崩れ去った。ペンタゴンは遂に、過去1年以上、その種の兵器を使用してきたという事実を認める『スポークスマン』をひっぱりださねばならなかったのだ。それらは高射砲と砲手、軍用輸送船・車輛などに対して使われる、とスポークスマンは述べた。こう白状しておきながら、彼はそれをわすれてもらいたいのだ。あなた方はそれを忘れますか? 彼を信じますか? どうですか? 4月14日」。

 ヴェト・チ地区で調査結果

 1967年3月15日、私は第三次調査団の他の団員とともに、ハノイの北西50から100キロのヴェト・チ地区を訪れました。われわれはそこで、CBU爆弾による爆撃を受けた数カ所の部落を視察したのです。CBU爆弾の容器から落下した野球のボール大の弾丸が道路に穴をあけていましたが、その深さはわずか6インチでした。小球も、1インチとは木材にめりこんでいないように思われました。小球の痕跡をもっともよく残しているのは、レンガ造りの壁や、明らかにCBU爆弾の目標と見られる人体なのであります。われわれは野戦病院を訪れ、X線や診察記録を見、患者に会いました。彼らはみな、鉄の小球の犠牲者だったのです。次に数人の患者の症状を簡単に説明したいと思います。

 17歳の少年、1966年1月18日の爆撃の犠牲者、腕、尻、胃、腸が鉄球で蜂の巣のようになった。14歳の少女、1966年8月14日の爆撃の犠牲者、胸、腸、上腕、指、唇に鉄球が埋まっている。額の皮膚の下にもまだ鉄球がのこっている。

 35歳の農夫、1967年1月18日の爆撃の犠牲者、左の頭蓋骨に鉄球が埋まっている。患者の体は右半分が麻痺している。

 この農夫の5歳になる息子、同じ爆撃でやられ、鉄球が脳に2センチ入りこんだ(手術による除去。彼は手と右足も鉄球でやられた。

 21歳の婦人、1967年1月18日の爆撃の犠牲者、左の目をやられて失明した。胴体もやられた。

 5人の子をもつ34歳の母親、いちばん重症である。彼女は1966年8月11日の爆撃でたった一つの鉄球にやられた。鉄球は額から入り、脳の底部に埋まっているため、手術をしても取り除くことができなかった。患者はほとんど全身麻痺状態にある。彼女は飲みこむことはできるが、固形物を食べることができない。そのため、息子が毎日口まで運ぶスープによってかろうじて生きている状態である。

 7歳の女児、1967年3月12日の爆弾の犠牲者、胸の下にまだ生々しい鉄球の傷がある。球は背骨のちかくに埋まっている。左足にも鉄球が入りこんでいる。

 われわれがヴェト・チ地区で視察した部落のほとんどは、米田と農地にかこまれており、軍事目標らしいものはただの一つも発見できませんでした。われわれはどの村でもCBU爆弾が使われた証拠を見、何度も空の容器を調べ、これを写真にとることができました。容器はオリーブのような淡褐色に塗られ、黄色い塗料で字が書かれてありました。数字には多少のちがいがありますが、それはたとえば次のような具合です。

   サイクロトル  125ポンド

   装填日     11-66

   組番号     PA─20─19─シリーズ番号15

 CBU容器には、ほかにも次のような記述がみられました。

   FSN1325─N─(この次に判読しがたい数字がつづく)

   散布容器および爆弾 CBU

 これらの引用はほんのわずかな例にすぎません。たとえば別の容器では、サイクロトルの重さは139ポンド、装填日は7─66となっております。

 容器一個当たりの、小弾の数については、200から800までさまざまのくいちがう報告がなされています。しかし、兵器専門家は640という数字を出しています。ベトナム人はCBU爆弾を「親爆弾」と呼び、内包された小弾はときに「グァヴァ」と呼んでいます。この小弾の壁には鉄の小球が埋めこまれていますが、われわれの調査によると、その数は1小弾あたり265です。小球の直径は5.56ミリとなっています。

 ハノイの兵器展示会で、われわれは「パイナップル」とよばれる第二の対人爆弾を見ました。これもやはり鉄製の小球弾で、この場合の射出物は直径6.33ミリありました。「パイナップル」は19個の筒からなる散布容器から発射さあれますが、筒にはそれぞれ約20個ずつの「パイナップル」型小弾が充填されています。

 われわれは「グァヴァ」および「パイナップル」型爆弾の見本をもらいました。これらの専門的写真を法廷の記録として提出したいと考えます。

  捕虜は洗脳されるか

 捕虜となったアメリカ軍飛行士を戦争犯罪人として裁判にかけてはどうかという案が先ごろ流れたさい、アメリカの新聞はヒステリーにちかい反応をみせました。リチャード・A・ストラットン海軍少佐がハノイの記者会見に出席したときの模様を伝えた1967年4月7日の『ライフ』誌は次のように述べています。

 「ちょうど操り人形のように、捕虜は表情もかえずに聴衆に深々とお辞儀をした。ついで彼は気をつけの姿勢となり、四分の一だけ左をむき、そしてまたゆっくり深々とお辞儀をした。こうして4、5回もお辞儀がつづいた。士官が別の命令を大声でだして叫ぶと、同じ儀式がふたたびはじまった。──捕虜は無表情に四方八方へお辞儀をしたのである」。

 『ライフ』誌はまたハリマン無任所大使の発言として次のように書いています。「……北ベトナム当局はアメリカ軍捕虜にたいして精神的ないし肉体的圧力をかけているようである。朝鮮戦争中の『洗脳』といういまわしい記録はわれわれの記憶に新しい。もし、北ベトナムが捕虜にたいして同様な手段をとっているとすれば、きわめて重大なことだといわざるをえない」。

 アメリカの新聞は依然として「洗脳」の亡霊にとりつかれ、頭がいっぱいです。1967年4月、『ニューヨーク・タイムズ』は私の会見した捕虜の一人が奇妙なお辞儀をしたと誤って報道しています。

 飛行士との会見

 1967年3月16日夜、モーリス・コーニル、JーM・クリヴィンと私の3人はハノイ市内のある邸宅へつれて行かれました。私たちはそこでアメリカ軍飛行士の捕虜2人と別々に会見しました。会見の部屋は大きく、ゆったりとした椅子と低いテーブルが備えてあり、テーブルにはベトナム風の茶碗や菓子、それにバナナなどがならべてありました。くつろいだ、少しも格式ばったところのない雰囲気でした。ハ・ヴォンラオ大佐、通訳1人、それに、ベトナム人の士官がひとりふたり同席しましたが、会見でする質問の性質、範囲などについてはなんらの指図をうけませんでした。捕虜がそれぞれ室内に連れてこられるまえに、その姓名や階級、登録番号と捕虜となった日時などを教えてもらいました。

 最初に会見した飛行士は姓名を公表してほしくない、北ベトナムの収容所からアメリカの刑務所に行くことになりたくないから、と語りました。彼はかつてダナンに配属されており、主として南ベトナムでのナパーム攻撃を任務としていたようです。ダナン基地では樹木の葉を落とす薬剤を投下できる装置をそなえたCー132型機が3機編隊で出撃してゆくのを再三目撃した、と彼は語っています。また捕虜になって以後、自分がうけた人道的とりあつかいに驚いていました。彼は毎日衣類を洗濯し、風呂に入ることができます。新聞や本、雑誌も、限度はありますが提供されております。クリスマスには、キリスト誕生の情景をかざりつけた祭壇でお祈りすることができたし、ビールとピーナッツつきのご馳走をもらっています。

 この飛行士はベトナムにたいするアメリカの介入に批判的になっていました。収容所内の図書館で手に入る資料のいくらかを読んで彼の態度は変わったのです。彼は客観的情報の源としてフェリック・グリーン著『ベトナム・ベトナム』の名をあげました。彼はまたアメリカ空軍では新聞といえば『スターズ・アンド・ストライブス』(星条旗)紙しかあてがわれていない、と不平をならしていました。

 第二の捕虜は姓名を明らかにすることに反対しませんでした。彼の名はジャック・ウィリアムソン・ボマー。1926年6月10日生まれです。登録番号FV2251452のこの飛行士は、タイのタクリ航空基地に配属されていた隊から、飛んでいました。1967年2月4日、高度3000フィートで飛行中、彼の飛行機はミサイルにやられました。ボマー少佐は稲田に降りましたが、すぐ一団の農民にとりかこまれました。彼らは少佐の靴をきりとりにかかりました。というのは彼は左足首をひどく痛めており、左ももに金属片が一つささっており、右手小指の爪の下に軽い傷をおっていたのです。彼はずぶぬれで、冷えており、またおびえていました。すぐさま彼は部落にはこばれ、医者がよばれました。彼は毛布にくるまって火であたたまりました。彼を捕らえた人びとは彼に卵ニ個、ご飯、その他の食物を与えたそうです。そして翌日、彼は収容所へ連行され、そこで足のX線撮影をしてもらい、足にそえ木をあてがってもらっただけでなく、傷の手当てもうけ、抗生物質の処方をうけ、歯ブラシと新しい衣類を支給されたのです。私たちが会ったとき、彼は私たちに、自分が人道的な扱いをうけていることをアメリカ人に知らせてほしい、と述べていました。

 ボマー少佐がベトナム戦争の持つ政治的意味のすべてを理解しているとは言いませんが、現在のアメリカの政策については強い疑惑を表明していました。彼によりますと、アメリカ軍飛行士の多くの態度は「100回出撃して国に帰ろう」ということで、政治は概して話題になっていなかったといいます。少佐が自分の家庭と家族について懐かしそうに語り、妻のことにふれたさい、彼は「これまでの生活で一度も彼女は政治のことを考えたことはなかった」と語ったものです。彼は『ベトナム・ベトナム』やウィルフレット・バーチェットの著書をよむ機会を新たにえたことに感謝していました。

 いずれも少なくとも1時間はつづいた両飛行士との会見で、二人はいずれも北ベトナム側が「洗脳」を試みたことはないと述べ、人道的な処遇をうけている点を強調しました。彼らはいずれも健康そうで、心理的にも安定していたようです。アメリカとアメリカ軍での生活では、必要不可欠な政治教育と政治知識が奪われている、と彼らは感じとっているようでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラッセル法廷、日本調査団の報告

2023年02月21日 | 国際・政治

  ラッセル法廷の日本調査団は、現地を訪れ、アメリカがベトナム戦争で、CBU爆弾(クラスター爆弾)を使用し、ナパームスーパー・ナパームを使用したことを確認しています。下記を読むまでもなく、それらはいずれも残虐な大量殺人兵器です。
 また、病院を狙い撃ち的に爆撃し、とくタンホア以南では、すべての省立・県立・市立病院・診療所・療養所が爆撃されており、意図的に爆撃したとしか考えられないという結論づけています。アメリカはベトナムで国際法違反を犯しているのです。 

  思い出すのは、「朝鮮戦争米軍細菌戦史実調査団」の報告です。調査団は、2002年に中国・朝鮮を訪れ、その中国・朝鮮での米軍による細菌戦被害状況を報告しています。さらに、国際民主法律家協会や国際科学委員会などが調査団を派遣し、独自に朝鮮戦争における細菌戦の事実を確認しています(www.pacohama.sakura.ne.jp/rekisitabi/02koreabwar.html )。見逃せないのは、明らかに戦争犯罪を犯した旧日本軍731部隊(別名石井部隊)の石井四朗や第二代部隊長・北野政次らが、研究資料を差し出すことで免責され、米軍の下で朝鮮戦争に関与していたといわれていることです。

 ふり返れば、1945年7月26日にポツダム宣言が発表され、27日の外務省幹部会では、「ポツダム宣言受諾」で一致していたといいます。でも、アメリカは、反撃能力を失い、降伏に関する話し合いがはじまっていた日本に、2発の原子爆弾を投下しました。それは、防衛目的ではなく、アメリカの力を誇示するもので、明らかな国際法違反だったと思います。以後、アメリカは西側諸国の頂点に立ち、アジア人民その他に対し、大量破壊兵器残虐兵器を次々に使用して、戦争犯罪を重ねてきたと思います。

 くりかえしになりますが、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の「第二款 戦闘 第一章 害敵手段、攻囲、砲撃第22条には、”交戦者は害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものではない”とあります。戦争であるからといって、何をやってもよいということではないということだと思います。そして、第23条で、”特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り”として、具体的に、”毒、または毒を施した兵器の使用や、不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること”と 定めています。CBU爆弾(クラスター爆弾)や、ナパームスーパー・ナパームはこの条項に反するものだと思います。
 にもかかわらず、アメリカは、そうした兵器の開発を続け、くり返し使用してきたと思います。下記を読めば、それが否定できない事実であり、アメリカ国内の民主主義が進んでいるからといって、アメリカが民主主義国家とはいえないことがわかると思います。 

下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から「民間目標の砲爆撃 日本委員会」を抜粋したものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 民間目標の砲爆撃    日本委員会

 民間目標の砲爆撃について述べるにさきだって、われわれは本法廷の過程について、つねに銘記しておくべきことがあります。それは「アメリカはベトナムにおける軍事目標にたいして爆撃する権利があるか?」という問題です。われわれの理解するかぎりでは、これにたいする答は否であり、強く否であります。合衆国はベトナムにおけるいかなる施設をも──民間であれ軍事であれ──爆撃する一片の権利ももってはいません。われわれの信ずるところでは、ベトナム国内に軍事施設を建設し、兵器弾薬をつくり、国防のためにみずからの武装兵力をもつことは、ベトナム人民の基本的権利の一つに属しています。
 さて、本題にもどりましょう。
 われわれ第一次日本調査団は1966年12月から67年1月までの約1ヶ月間、ベトナム民主共和国に滞在しました。ニューヨーク・タイムズのハリソン・ソールスベリー氏も当時ベトナムにいました。彼はナムディンとフリーの2市をまわっただけですが、われわれは北ベトナム各地をジープで3500キロ以上走破し、7省において証拠を収集し、100人以上の証人に面会して、その証言をテープ、フィルム、写真におさめました。

 使用兵器
 どこの現場でももっとも普遍的に発見される爆弾はCBU(Canister Bomb Unit)です。この種の爆弾については、ヴィジェ教授が当法廷ですぐれた説明をされましたので、2、3つけ加えることがあるだけです。CBUは、同重量の在来型爆弾の170倍に及ぶ被弾範囲をもつ新型の大量殺傷兵器です。このボール型のCBUは1966年4月からベトナムで広汎に使用されはじめました。
 CBUは対ゲリラ兵器であり、人民戦争をつぶすための大量殺人兵器です。CBUは軍事目標の破壊にはおよそ無力で、ただ人間殺傷にだけ大きな効果があります。CBUが北爆でもっともひろく使われている兵器だという事実ほど、爆撃を軍事目標だけに限定しているというジョンソン大統領、ラスク国務長官の言明にたいする有力な反証はありません。
 第二に、私たちは、南ベトナムだけでなく北でも、ナパームがひろくつかわれていることを確認しました。ナパームは直径80メートルの範囲を火の海にし、800度から1300度の高熱で燃えます。このような高温では、犠牲者の皮膚や肉だけでなく、骨までも癒着してしまいます。私たちの会った患者は、手の指が一つに癒着してしまい、二度の整形手術によってようやく指を3本にしたとのことでした。ケロイドはヒロシマ、ナガサキの原爆ケロイドと異なりません。皮膚が1、2センチも赤黒くもりあがります。
 ナパームは燃えるときに大量の酸素を吸収するので、現場に大量の炭酸ガスと一酸化炭素を発生させ、このため、ナパームの被害をまぬがれた人びとでも、一酸化炭素中毒のために現場離脱を困難にし、犠牲者を多くします。
 ナパームの付着した個所に毛布か砂をかければ、酸素の遮断によって火はきえますが、いまアメリカが使っているスーパー・ナパームは、ナパーム液に30パーセントの白燐をまぜてあるので、これが皮膚に付着すると、空気を遮断しても火は消えず、放置しておくと、傷は深く内部に浸透して骨にまで達します。患部から白燐を完全に除去してしまわなければ、治療の対策も立ちません。ナパームとスーパー・ナパームは、一般住民の殺傷だけを目標にした残酷兵器です。
(ここで、法廷にナパームの燃えかすを証拠として提出し、燃えかすの一部に点火する。デディエ議長、法廷メンバーにしばらく禁煙を要求、同時に、ナパーム弾の信管を証拠として提出)
 最新型の航空機とヘリコプター、CBUのパイナップル型からボール型への、ナパームからスーパー・ナパームへの「進化」、空対地ミサイルの広汎な使用、堤防・水利施設の破壊、農薬・毒物・毒入り菓子の散布などに見られるように、アメリカはベトナム人民を最新兵器や最新の大量殺人戦術の実験動物として使っています。ウィルフレット・バーチェット記者がハノイのホテルで私たちに語ったように、私たちは日本人として、アメリカがいつも最新の開発兵器をまずアジア人にむけて実験してきたという事実──人類史上はじめてヒロシマとナガサキに核兵器をつかい、朝鮮人と中国人に細菌戦とナパームを、そしてベトナム人民にCBU、農薬、毒物、スーパー・ナパームをつかったことを──見逃すことはできません。

 各種兵器の組合せによる攻撃
 1月6日の夜、私たちはハノイで、アメリカ第七艦隊旗艦「コーラル・シー」号の海軍少佐で、1966年10月9日フリー市北方で撃墜され、捕虜となったチャールズ・N・タナー(彼の妻と二人の子供はいまサンディエゴにいます)に会いました。彼の証言は次のとおりです──
 a目標となる都市が選び出されると、何枚も航空写真をとり、対象を正確に確認する。そして爆撃する日の昼間、もう一度目標確認の偵察飛行をする。
 b住民が寝しずまっている真夜中に、アメリカの飛行機はレーダーをさけて超低空飛行で奇襲し、人口密集地域にまず普通爆弾と風圧爆弾を落とす。住民が就寝しているあいだの奇襲攻撃であるから、当然かなりの死傷者が出るが、悪運をのがれた人びとは防空壕に逃げる。
 c第二波の攻撃はナパームである。防空壕のなかの人びとは、火災と窒息をさけようとして、壕から飛び出す。
 d人びとが壕から出たところに、第三波の攻撃がCBUの雨をふらすのである。(これはまさに大量殺人である)。
 「この種の攻撃は、フリー市攻撃のときだけに用いたのか?」という質問にたいして、タナー少佐は、「私たちはこれまでに95回出撃しているが、これはいつもやっている方法です」と答えました。さらに、「事前の偵察で病院、学校、教会は識別できるか?」という問にたいしても、「だいたいできます。しかし、われわれの目標は全市、全町です」と答えています。
 彼の証言が、現在の彼の境遇のゆえに虚偽であるという非難は当りません。なぜなら、私たちは現場で、ナパームの燃かす、普通爆弾やCBUの破片や不発弾を見つけ、証拠物によって彼の証言が信用できるものであることをみずから確かめたからです。

 爆撃目標
 都市・農村住民が目標になっているほかにも、爆撃目標に関連して指摘しておくべきことがあります。
──
 (1)堤防、運河、灌漑施設、海岸の防潮堤が、とくに6月から10月までの雨季に系統的に爆撃されています。堤防破壊計画については、べつにいくつかの報告がありますので、詳細ははぶきますが、ここで『I・F・ストーンズ・ウィークリー』1965年7月12日号を引用尉しておきます──
 「さきゆきはいっそう悪くなるかもしれない。北ベトナム堤防の爆撃のことである。堤防は紅河デルタの灌漑施設を支えている。堤防の破壊はフランスの新聞では何回か論じられたが、アメリカでは無視されてきた。『ル・モンド』7月4─5日号は、堤防がわれわれの次の目標になるかどうかを論じている。7月6日号では、有名な農業専門家ルネ・デュモンの論文をのせているが、彼は北ベトナムの過剰人口を支えるために灌漑体系にたいへんな努力がそそがれてきたことを述べている。我が軍部にとってもっとも誘惑的な時期は、とくに南で夏のあいだに重大な敗北を喫するならば、水位が高くなる8月の雨季の終わりにやってくるだろう。ハノイ北方の大堤防を吹っとばせば、それはその効果において水爆に匹敵し、デルタ全域を水びたしにして、夏の米の収穫を潰滅させ、2、3百万の住民を溺死させることになる。北ベトナムは、1954年以降に建設した工業を失っても生きのこるだろうが、堤防が爆破されれば飢餓がやってくる。堤防の破壊は戦争犯罪の一つで、ナチのオランダ占領高等弁務官ザイスーインクァルトは、この罪のゆえにニュールンベルクで絞首刑の判決をうけた。ハーグ議定書はずっと以前から、そうした行為を国際法違反としているが、ゲーリンクは法廷で、「死活の闘争のときには、合法などというものはない」と申し立てた。ベトナムはわれわれの死活問題などではないのに、ゲーリンクの見解がわれわれの見解になってしまったのか? 堤防の破壊は、ジェノサイドである」。
 アメリカの飛行機は、堤防破壊の現場に修理隊が近づくことができないようにするため、現場に時限爆弾を落としてさえいるのです。クァンビン省では、修理隊にナパーム攻撃が加えられた例もあります。
 (2)病院が系統的な爆撃目標にされています。それは誤爆もしくは都市爆撃に付随した結果ではありません。たとえば、タンホア省立結核病院であるKー71病院は、広大な敷地に約50の建物が散在するベット数600の病院ですが、すべての建物が3回にわたる連続爆撃によって破壊しつくされました。クァンピン省のドンホイ省立病院も、同じように破壊爆弾とナパームで破壊されました。都市ばかりでなく農村の病院や診療所も系統的に破壊されているし、一度病院が爆撃されて地方に疎開するとその疎開先の病院までが破壊されています。ベトナム民主共和国の総数28の省立・市立病院のうち、14が破壊され、県立の病院・診療所のうち24が爆撃されています。とくタンホア以南では、すべての省立・県立・市立病院・診療所・療養所が爆撃されています。このことは、医療施設の破壊が意図的なものであることをしめしています。私たちは、爆撃されても治療してくれるところがない、たすけてもらえない、とベトナムの人びとに感じさせるのがアメリカのねらいである、と判断せざるをえませんでした。同じことは、学校や教会の破壊についてもいえるのです。
 鉄道、道路、橋の無差別爆撃のほかにも、アメリカの飛行機は田のなかのワラぶきの一軒家にもロケットを射ちこみ、小さな土橋をも吹きとばし、耕作中の農民、牛番をしている子供と牛、海辺の漁船までも銃撃しています。
 われわれ日本調査団は一致して、もはや地上に安全なところはどこにもない、抗米闘争をやめざるをえない、とベトナム人民に感じさせるのが北爆の主要なねらいである、と結論せざるをえませんでした。
 われわれの報告をおえるにあたって、私はバートランド・ラッセル卿の次のことばに心から共感を表明します。
 「私はベトナム人民にたいする心の底からの讃嘆と共感の念を諸君からかくそうとは思わない。ベトナム人民にたいしておかされた犯罪を裁く義務感を私がおさえることができないのは、私自身がそういう感情をもっているからである」。
 第一次日本調査団はホー・チミン大統領、ファン・ヴァンドン首相から、また兵士、労働者、農民、婦人、少女民兵から子どもたちにいたるまで、さらに南ベトナムからきた人びとから、深い感銘をあたえられたことを付言しなければならない。苛烈な戦時の条件のもとで、ベトナムの人びとは驚嘆すべき努力、英知、創意を発揮し、生産と戦闘に励んでいます。彼らは心から平和と自由、国の再統一をねがい、最後の勝利を確信して発剌(溌剌?)さと楽天主義にみちあふれています。
 みなさんとともにわれわれは、本国際法廷が自由と独立をねがうベトナム人民の利益になり、ベトナムの戦争を一日も早くおわらせ、平和の回復に役だつであろうことを心からのぞみます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラッセル法廷とサルトル

2023年02月17日 | 国際・政治

 下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から抜萃したジャンポール・サルトルの文章です。サルトルは、実存主義の哲学で知られる世界的な哲学者であり、ノーベル文学賞を拒否した作家としても知られていますが、はじめて戦争犯罪を裁いた最初のニュールンベルクの国際法廷が「常設」とならず、”ドイツ人被告の最後の一人に有罪判決が下されるやいなや、法廷は雲散霧消”してしまったことを問題視しています。
 サルトルは、ベトナム戦争に限らず、”広大な植民地を占拠することによって富をきずきあげていた諸国”の、”アフリカやアジアにおけるそのやりくち”も、「これこれしかじかの行為にはニュールンベルク判決の効力がおよんでいる。だから、ニュールンベルク判決にしたがえば、それは戦争犯罪である。その法律が適用されたとすれば、これこれしかじかの法的制裁が課せられるべきであろう」というかたちで、欧米の植民地支配にも、法的に裁かれる犯罪があったと主張しています。
 サルトルの考え方にもとづけば、欧米諸国は、自分の都合でニュールンベルク国際法廷を開き、目的達成後は、意図的とも思えるようなかたちで雲散霧消させた、ということだと思います。
 だから、しかたなくドイツの戦争犯罪を裁いたニュールンベルク法廷にならい、何の権限もあたえられていない「ラッセル法廷」で、ベトナム戦争の戦争犯罪を裁き、世界中の人びとに訴えるということだと思います。
 そうした「ラッセル法廷」や、湾岸戦争に関わる「クラーク法廷」の裁きに耳を傾ければ、日本を含む、西側諸国の政治的偏向やメディアの報道の偏向を否定することはできないように思います。
  
 朝日新聞の「時事小言」の欄に、「米中経済安保 平和の危機」と題し、藤原帰一千葉大特任教授の文章が出ていました。そのなかに、”米国も中国も今戦争を準備しているとはいえない”などとありました。
 経済のリベラリズムが、現在、経済の安全保障化に向かっており、”平和の危機”だと言いながら、なぜ、読者の目を眩ませ、意識を逸らすような、”米国も中国も今戦争を準備しているとはいえない”などという一文を挿入したのか、私はとても疑問に思いました。
 なぜなら、先日、バーンズCIA長官が、ワシントンの講演で、”2027年までに中国が台湾侵攻を成功させる準備している”と語り、フィリップ・デービットソン元米インド太平洋軍司令官も、自民党本部の講演で”2027年までの中国軍の台湾侵攻の可能性に言及”したといわれています。そして、そうした見通しと連動するかのように、バイデン大統領が、台湾に8回目の武器の売却を発表したことも報じられていたのです。
 また、アメリカは、先日フィリピン国内で米軍が使用できる軍事拠点を4か所拡大しました。
 さらに、米下院が中国に関する特別委員会を設置し、米シンクタンク・戦略国際問題研究所は、台湾有事に関する24通りの戦闘シナリオを分析したことも報じられています。
 気球の問題でも、アメリカは中国と話しあうことなく、偵察目的だと主張して撃墜しました。
 どうして、”米国も中国も今戦争を準備しているとはいえない”などと言えるでしょうか。

 国際社会におけるアメリカの覇権や利益の行く末を考えれば、何か画期的な取り組みや国際世論の決定的な動きがない限り、台湾有事は避けられないように思います。だから、日本がアメリカに追随していることは、きわめて危ういと思います。
 こんな時だからこそ、メディアは、日本の立場を考え、日本がアメリカと距離を置く方向へ向かうような「報道」に徹してほしいと思います。アメリカに追随し中国を敵視することは、戦争への道だと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                開廷にあたって  ジャンポール・サルトル

 この法廷は、バートランド・ラッセル卿の提唱にもとづいて構成され、ベトナム紛争にかんして、アメリカ政府および南朝鮮、ニュージーランド、オーストラリア各政府を相手とする戦争犯罪の告発が、事実と証明されるか否かを決定しようとするものです。開廷にあたり、この法廷の起源、機能、目的および限界をぜひとも明らかにし、その、いわゆる「正当性」の問題について、単刀直入に立場を表明したいと思います。

 1945年、まったく新しい出来事が歴史に記録されました。交戦中の一国によっておかされた犯罪を裁くための最初の国際法廷がニュールンベルクに出現したのです。そのときまではたしかに、たとえばケロッグ=ブリアン条約のように、Jus ad bellum(交戦権)の制限をめざした国際協定もいくつもありましたが、そうした協定を実効あらしめるいかなる機関も創設されなかったので、あいかわらず弱肉強食の掟が列強間の関係を規制していました。それ以外ではありえなかったのです。広大な植民地を占拠することによって富をきずきあげていた諸国は、アフリカやアジアにおけるそのやりくちが、一定の基準をもって裁かれることなどがまんがならなかったからです。1939年以降、ヒトラーの狂気が人びとをあまりに重大な危険に直面させたので、戦慄した連合諸国は、勝利者となったあかつきには侵略戦争や捕虜虐待、拷問、人種差別行為(いわゆる人種的大量殺人)を裁判に付し、罪を宣告しようと決定しましたが、ほかならぬことによって、彼らみずから植民地での行為ゆえに、われとわが身に罪を宣告しているのだとは気づかなかったのです。
 ニュールンベルク法廷は、ナチの犯罪に制裁を加え、より普遍的なかたちで、戦時違法行為をどこで、だれが犯したものであっても告発し、刑を宣告しうるような、真の裁判権に道をひらいたことによって──この二つの理由から、いまなお重要な変化をしめすもの、つまり Jus ad bellum(戦争をなす権利に関する法)をJus contra bellum (戦争に反対する法)に置きかえたものとされています。
 歴史の要請によって新しい機関が設置されるときによくあるように、不幸にしてこの法廷も、重大な欠陥をもたなかったわけではありません。それは、戦敗国にたいする戦勝国の強制条約にすぎなかったとか、また、おなじことですが、ほんとうの国際法廷ではないとかいって非難されました。一グループの国々が別のグループを裁いている、というわけです。中立国市民のなかから判事を選んだほうがよかったでしょうか? わかりません。たしかなことは、倫理的見地からすれば判決はまったく妥当なものであったにもかかわらず、それがあらゆるドイツ人を納得させたとはおよそ言いがたいことです。裁判官の正当性、その判決の正当性について、今日なお異議が出ているという意味においてです。そして、もし両軍の運命が逆転していたとしたら、枢軸側法廷がドレスデンや広島の爆撃を理由に、連合国側に有罪判決を下したはずだ、と公言する者もありえたのです。
 この正当性の根拠を示すことは、しかし困難ではなかったはずです。ナチ裁判のために設置された機構が、その本来の役目を終えたのちも存続していたとしたら、つまり国際連合が、この裁判からできるかぎりの結論をひきだして、総会の票決をもってその機構の強化をはかり、常設の法廷としていたら、そしてたとえ裁かれるべき側がかつてニュールンベルク裁判に裁判官を参画させたある国の政府であっても、あらゆる戦争犯罪を告発し、それを裁判する機能がこの法廷にあたえられていたら、それでじゅうぶんだったはずです。そうすれば、この裁判がそもそも志向していた普遍性は鮮明にひきだされていたでしょう。ところで、現実はどうであったか。周知のようにドイツ人被告の最後の一人に有罪判決が下されるやいなや、法廷は雲散霧消してしまい、だれひとり二度とそのうわさを聞かなかったのです。
 いったいそれほどわれわれの手は汚れていないのでしょうか? 1945年このかた、戦争犯罪はもうどこにも存在しなかったのでしょうか? 二度とふたたび、暴力や侵略に訴えることはなかったのでしょうか? 「人種的大量殺人(ジェノサイド)」はけっしておこなわれなかったのでしょうか? どんな大国も、ある小国の主権を暴力で踏みにじろうとしたことはなかったのでしょうか? オラドゥールやアウシュビッツを世界中の人びとに告発する必要はなかったのでしょうか?
 ことは明らかです。この20年間、歴史の大きな出来事といえば、第三世界の解放のたたかいです。植民地支配は解体し、それと交替に、主権をもつ国々が出現し、あるいは、植民地支配によって圧しつぶされていた古くからの伝統的独立をよみがえらせました。すべては、苦痛と汗と血のなかでおこなわれたことです。ニュールンベルク法廷のような法廷が恒常的に必要不可欠となったゆえんです。ナチ裁判の以前には、戦争は法をもたなかった。そのことには触れました。二つの側面をかねているニュールンベルク法廷は、うたがいもなく、強者の権利から生まれたものですが、同時に、ある先例、ひとつの伝統の萌芽を生みだし、未来のサイクルをひらいています。だれもあともどりはできません。法廷が存在したという事実はどうすることもできないし、貧しい小国が侵略の対象とされているとき、あの裁判の過程を追想し、こう考える人間がいても、それをとどめることはできないでしょう。──それにしてもまさにこれではないのか、あの法廷が断罪したことは。したがって、連合国が1945年に不完全で未成熟の法規を採用し、ついでそれをみはなしたということが、国際政治に事実上の間隙をうみだしたのでした。ひとつの機構が、決定的に欠けています。それは、かつて出現して、みずから恒常的・普遍的な機構であると主張して、不可逆的に権利義務を規定した。ところがそれから、ある空隙をのこしたまますがたを消した。この空隙はうめられなければならないのに、だれも埋めてはいないのです。
 事実上、司法権には二つの源があります。第一は、制度法律をもった国家です。ところで、大多数の政府が、この暴力の時代に、そのような裁判のイニシアティヴをとれば、いつかはそれがこちらに向けられて、自分たちが被告席にひきだされるのではないか、と恐れをいだくことでしょう。それに、多くの政府にとって、アメリカ合衆国は強力な同盟国です。明らかにベトナム紛争にかんして調査をおこなうことがその最初の活動となるような法廷の復活を、どの国の政府が、あえてもとめるでしょうか。もう一つの源、それは人民です。革命の時代、人民は制度法律を変えるのです。しかし、闘いがどんなにねばりづよいものであっても、さまざまな国境に隔てあれた大衆は、なにを手段として団結し、真の人民の法廷となるようなひとつの機関を、もろもろの政府に押しつけることができるでしょうか。
 
 ラッセル法廷は、矛盾した二重の事実の確認から生まれました。つまり戦争犯罪を調査し、必要な裁判をおこなう機関の存在が、ニュールンベルク判決により不可欠となったこと。ところが政府も人民も、今日、これを設置できないでいる、ということです。われわれはだれからも、委任されていない、とはっきり意識しているのですが、われわれが開廷のイニシアティヴをとったのは、われわれに委任をおこないうるものがいないということも知っていたからです。この法廷は、たしかに、なんら制度的な機関ではない。まして、正式の裁判所に代わりうるものではなく、空隙と訴えから生まれているのです。
 われわれは、政府から選ばれて裁判権を付与されたのではありません。さきほど考えたとおり、ニュールンベルク法廷が裁判を委任されたという事実は、それだけでは裁判官に異論の余地ない正当性をあたえるものではなかった。それどころか、なまじその判決が執行力をもっていたがゆえに、敗者たちは、その有効性に異議申立てをなしえたのでした。つまり力に頼っていたために、その判決は、強者の権利の表現にすぎないように思われたのでした。ラッセル法廷は、これに反して、完全に無力で普遍的であるところに、正当性の根拠をもっていると考えます。
 われわれは無力です。これこそがわれわれの独立の保障なのです。われわれ自身とおなじように個々人の集まりである支援委員会の協力を別とすれば、われわれにはなんの援助もありません。政府代表でも党派の代表でもないわれわれは、命令を受けとることができません。ただ「良心にもとづいて」、事実を検証するでしょう。精神のまったき自由において、と言ってもよろしいが、討論はどう進んでいくのか、告発を認めるのか認めないのか、あるいは、告発は、おそらく根拠のあるものであろうが、じゅうぶん証明されていないと考えて、告発に応じないのか、いまのところわれわれのうちのだれひとりとして、述べることはできません。
 いずれにしても、たしかなのは、提出された証拠によってたとえ有罪の確信をえたとしても、われわれは無力ですから、判決を下すことはできないことです。有罪判決を下したところで、じつのところ、なんの意味がありましょうか。どんなに軽い刑でも、それを執行する手段をもたない以上は。ですから、必要な場合にはこういう宣伝をするだけにしておきましょう。「これこれしかじかの行為にはニュールンベルク判決の効力がおよんでいる。だから、ニュールンベルク判決にしたがえば、それは戦争犯罪である。その法律が適用されたとすれば、これこれしかじかの法的制裁が課せられるべきであろう」。この場合、できれば、その責任者を指名するでしょう。したがって、調査の段階でも、結論においても、ラッセル法廷は、国際的機関の必要をすべての人びとに感じさせることだけに心をくばるでしょう。が、この機関の本質はニュールンベルクの死児 Jus contra bellum(戦争に反対する法)をよみがえらせて、弱肉強食の掟を法的・倫理的規制におきかえることになるでしょう。ラッセル法廷には、その代わりをつとめる野心も手段もありません。
 一介の市民であるというまさにそのことによって、われわれは広く各国から構成メンバーを選出しあい、ニュールンベルクの特徴であった普遍的構造よりもいっそう普遍的な構造をこの法廷にあたえることができました。それは、より多くの国々の代表がここに集まっているという意味だけではありません。この見地からすれば、みたされるべき点はまだまだあるでしょう。
 わたしが言いたいのは、なによりもまず、1945年当時ドイツ人は被告席にしか姿をみせなかった、あるいは、せいぜい、被告に不利な証人として証言台にたつだけだったのに、いま、幾人かの法廷メンバーはアメリカ合衆国の市民である。いいかえればこのひとたちは、そこの政治そのものが告発されている当事国からきているので、したがってその国の政治を理解する固有の方法をもっています。また、彼らがそれをどう思っていようと、祖国や制度や伝統と内的な関係を保っています。このことは、法廷の結論にかならずや跡をとどめるでしょう。
 われわれがどんなに公平で普遍的でありたいと意図しようと、しかしその意図だけではこの運動を正当と承認させることはできません。このことはよく自覚しています。実際にわれわれがのぞむのは、運動が後からふりかえって、いわばア・ポステリオリに、正当と認められることなのです。事実上、この活動は、われわれ自身のためでもなければ、たんにわれわれの教化のためでもないし、それに、われわれは、最終的結論を青天の霹靂のように押しつけようとも思いません。実際、世界のあらゆる地域で、ベトナムの悲劇を身をもって生きている大衆とのあいだに恒常的な接触を、新聞や雑誌の協力をえて、保っていたいとのぞんでいます。われわれが情報を交換しあうように、大衆が情報を交換しあい、われわれとともに報告や資料や証言をみつけだし、それらを判定して、われわれとともに日々世論をつくりあげていくようねがうものです。
 この法廷で、と同時にあらゆる人びとのところで、おそらくはわれわれに先だって、結論がひとりでにうまれてきてほしいと思います──たとえその内容がどのようなものになったとしても。この裁判の過程は、共同のひとつの運動となります。ある哲学者のことばによれば、「真理は生成される」。この運動の終期がまさにそうなるようにすべきです。
 そうです。大衆がわれわれの判決を裁可すれば、そのとき、それは真理となるでしょう。そうすれば大衆は、この真理の、番人にして強力な支持者となり、われわれのほうは、その大衆の面前から消え去るのです。そして、まさにこのとき、われわれの正当性が認知されたことがわかるでしょう。また、人民が、われわれとの意見の一致を表明しつつ、もっとふかい要求──真の「戦争犯罪法廷」は常設機構として開設されるべきであり、言いかえれば、戦争犯罪がたえず、至るところで告発され、罰せられうるのでなければならぬ、という要求を明らかにしているのがわかるでしょう。
 以上のことから、われわれは、ある批評欄の記事に答えることができます。
 パリの一新聞が、悪意はないでしょうが、こんなことを書いていたのです。「何という奇妙な法廷か、法廷メンバーがいて、判事がいない!」そのとおりです。われわれは法廷メンバーでしかない。だれかに有罪を宣告する権限も無罪を宣告する権限ももっていません。だから、検事はいないのです。厳密にいえば、起訴状さえ存在しないでしょう。法律委員長マタラッソー氏が、これから起訴状のかわりに告発理由を読みあげます。
 開廷にあたって法廷メンバーは、これらの理由について意見を表明することができます。──それが根拠をもっているかどうかはべつとして。しかし、法廷メンバーはいたるところにいます。それは人民、とりわけアメリカアメリカ人民です。このひとたちためにこそ、われわれの活動はあるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラッセル法廷」、アメリカの戦争犯罪を裁く[国際法廷へのメッセージ]

2023年02月13日 | 国際・政治

 ラッセルは、ベトナム戦争の状況が、ナチスによるユダヤ人絶滅作戦の状況に類似しているとして、戦争犯罪法廷を提案し、「人類の良心に」と題する文章で、「すべての国の人びとよ、戦争犯罪国際法廷に手をかしたまえ」と呼びかけました。

 下記は、動き出した戦争犯罪国際法廷へのラッセルのメッセージです。アメリカという国が、なぜ戦争をくり返すのか、ということがよくわかります。また、アメリカという国が、なぜ、他国の独裁政権や軍事政権と手を結ぶのかということもよくわかります。

 現在、アメリカと一体となったウクライナがロシアと戦っていますが、アメリカはすでに次の戦争の準備を着々と進めているように思います。アメリカのバイデン政権は、昨年暮に、台湾に対する8回目の武器売却を表明しています。そのうち7回は22年に入ってからのことです。台湾有事が近いことを示しているように思います。そのほかにも気になることがたくさん報道されています。

 その一つは、フィリピンへの働きかけです。アメリカは、2014年にフィリピンとの「新軍事協定」に署名し、フィリピンに米軍を再駐留させることによって、中国をけん制する体制を築いていましたが、最近、オースティン米国防長官マルコス大統領と面会し、「防衛協力強化協定(EDCA)」を締結して、米軍が使える拠点と使用権の拡大をとりつけています。
 さらに、防衛費の大増額を決めた岸田首相が、フィリピンのマルコス大統領と会談し、両国の共同訓練等を強化、円滑化するための枠組の検討を継続し、「円滑化協定(RAA)」の締結につなげたいとの考えを示したということも、アメリカに追随する敵対的な中国政策として見逃すことができません。

 また、アメリカのシンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)が公開した165ページにのぼる台湾有事に関する報告書は、設定の異なる24の戦闘シナリオを分析しているといいます。アメリカは、中国の台湾侵攻を想定した模擬実験(シミュレーション)を重ねているのです。そして、その報告書で、「日本が要だ」強調されていることも見逃すことができません。
 だから私は、アメリカにと一体となって(事実上、アメリカに代わって)ロシアと戦うウクライナのように、日本がアメリカに代わって、中国と戦う国のひとつになるのではないかと心配なのです。

 次に、中央情報局(CIA)のバーンズ長官が、習近平国家主席が「2027年までに台湾侵攻を成功させる準備を整えるよう、人民解放軍に指示を出した」との見方を示したという報道も重大だと思います。
 アメリカのインド太平洋軍司令官時代に中国の台湾侵攻に警鐘を鳴らしたというフィリップ・デービットソン氏も、自民党本部で講演し、2027年までの中国軍の台湾侵攻の可能性の認識は、以前と変わらないとの見解を示したといいます。

 さらに、アメリカの下院は、今月10日、中国に関する特別委員会の設置を超党派の賛成多数で可決したという報道もありました。その際、マッカーシー下院議員が「私が最も心配していることの一つは、中国の後塵を拝することだ」と主張し、「これは現政権で始まったことではないが、現政権は明らかにに状況を悪化させた。我々の経済を弱体化させ、中国の脅威に対し、脆弱にした」とバイデン政権を批判したといいます。それは、このまま中国が成長を続け、影響力が拡大すると、アメリカの覇権や利益が損なわれるので、座視しないということだと思います。中国の後塵を拝することになると、現在のアメリカ社会を維持することができなくなるのだと思います。

 こうしたアメリカの対中姿勢を、下記のようなベトナム戦争に関わる「ラッセル法廷」の内容や湾岸戦争時にブッシュ大統領の戦争犯罪を問うため、ラムゼイ・クラーク元アメリカ司法長官の呼びかけによって開かれた「クラーク法廷」の内容、さらには、アメリカのアジアや中東、ラテンアメリカなどでの武力行使の事実を踏まえて考えると、よほどのことがない限り、「台湾有事」は、2027年ころまでに、必ず起こるということだと思います。

 だから、私は、将来を自民党政権に委ねていてはきわめて危ういと思うのです。

 下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)からバートランド・ラッセルの「国際法廷へのメッセージ」の全文を抜萃したものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                    国際法廷へのメッセージ
                                                バートランド・ラッセル

 戦争犯罪国際法廷がここに召集されたのは、アメリカがベトナムで残虐な戦争をつづけているからであります。この戦争の原因は、世界人口のわずか6パーセントを占めるにすぎないアメリカが、世界の自然資源のじつに60パーセントを支配しているという事実にあります。
 この帝国を守るためにアメリカの資本家たちは、アメリカの経済支配にたいする人民の抵抗を粉砕しようとして、巨大な軍隊と軍事機構を創設しなければなりませんでした。アメリカはまた、全世界から社会革命を除去しようと努力し、そのなかでいくつかの技術を発達させております。アメリカの支配者たちは、侵略の近代的形態は国内の破壊活動である、と口癖のように言います。しかし、彼らのいう国内の破壊活動とは、被圧迫民族の献身的で自己犠牲的な指導者がいだく社会的変革への要求にほかならないのです。
 実際には、侵略の近代的形態は、外国勢力の利益を擁護するかいらい政権の樹立です。かいらい政権は、次のような基本的性格をもっています。つまり、彼らは外国投資の現地保証人として機能し、彼らかいらいの売国的行為に戦いをいどむような政治的敵対者をすべて残忍なやりかたで粉砕する、そして社会革命の勢力が手におえないほど強力になると、彼らは支配者であるアメリカが、社会革命の鎮圧という、ほかならぬその目的のために自ら創設した巨大な軍事機構を用いるよう懇願するのであります。ある国々が外国資本家に従属する腐敗した独裁政治の打倒に成功したとします。するとアメリカは、莫大な金を投じてCIA(中央情報局)をあやつり、アメリカの権力に刃向かう人民の政府を買収したり、抹殺したり、クーデターによって転覆したりするのです。
 こうした残酷な搾取の代価が一般民衆の苦難と飢餓と疾病──アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国の第一の特徴──であることを、アメリカ政府はよく承知しています。アメリカによって任命され、保護されたこれらの国の社会的勢力は、苦難や飢餓や疾病を解決する能力がないだけではありません。彼らの存在こそ、じつはこれらの害毒を永続させるものなのです。貧しい国々から飢餓や疾病を取り除く方法はただひとつしかありません。それはかいらい政権を打倒し、アメリカの力に立ち向かうことのできる革命をおこすことです。現在ベトナムでおこっていることがまさにこれです。だからこそアメリカは、あらゆる種類の拷問と殺人実験をおこない、ベトナム人民の革命を押しつぶそうとしているのです。
 アメリカが現在、ベトナムでおこなっていることは、かつてのヒトラーが東ヨーロッパでおこなったこととまったく同じであり、その理由も基本的にはまったく同じものです。アメリカは、ベトナムが人類史上の英雄的かつ重要な事件であるばかりでなく、アメリカの力にたいする一つの危険な徴候えあることを認めています。アメリカは、ヒトラーがスペインにたいしたと同じやり方でベトナムをを考えているのです。スペイン革命は、他のヨーロッパ諸国に革命の息吹を吹き込むことができるものでした。
 そこでナチは、現地のファシストとともにこの革命を押しつぶそうとし、非人道的な兵器や大量殺戮の実験的方法をためす試験場としてスペインを利用したのです。アメリカが現在ベトナムでおこなっていることの意義の深刻さは、ここにあるのです。
 ベトナムで、アメリカは有毒化学薬剤、毒ガス、神経麻痺ガス、細菌兵器、黄燐ナパームや悪魔的な破砕爆弾を実験していますが、これはたんにベトナムを破壊するためではなく、さらに他の戦争に備えるためでもあるのです。ベトナムで実験したガスやナパームを、アメリカ政府はすでにラテンアメリカ諸国に持ちこんでいます。ペルーで、コロンビアで、ヴェネズエラで、そしてボリヴィアで、現在、これらの兵器は、土地改革、食糧、および警察による拷問の廃止のためにたたかっている農民パルチザンにたいして使用されているのです。世界の革命はつづき、それにたいして世界の反革命は凶暴に立ち向かう。これがベトナム問題のもつ偉大な意義であります。
 これは基本的な教訓であり、この教訓を無視しようとするものは、たんに有害な幻想をふりまくだけでなく、他の諸国民を幾世代にもわたって苦しみと死の犠牲にさらすことになるでしょう。
 侵略という言葉は、軍隊による国境の侵犯という意味で用いられる習慣になっています。しかしこれは、国連や、国際司法裁判所や、ハーグにとって都合のよい、形式的で習慣的な意味での侵略にすぎません。世界市場もまた侵略の一つの主要な形態であって、国際価格は貧しい国々には不利な結果をもたらし、富める国々はアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国を窮乏させるためにこの国際価格をつくりだすのです。飢餓に苦しむ1千万人のインド人は、現在一種の侵略を経験しています。強国や支配者集団が、世界の人民を無慈悲にも搾取しているのです。
 だからこそ、これらの機関に被圧迫民族の要求や苦悩を反映させることができないし、全世界の被圧迫民族とまったく無関係な種類の侵略しか、現在公認されていないのです。たしかにアメリカは、ベトナムに武力侵略をおこなっていますが、これは、もうひとつの、もっとも根本的な意味での侵略がベトナム人民の革命が搾取国の侵略に挑戦しているからなのです。
 この戦争犯罪国際法廷は、私がここに述べたような方向で世界のできごとを見る勇気を、全世界人民に与えるものと私は期待しています。私は、この法廷が今後も存続されることを希望します。そうすれば法廷は、将来必要なときに開廷し、全世界人民がすべてベトナムの例にならうまでは、今後とも避けることができないであろう戦争犯罪を暴露し、告発することができるでしょう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラッセル法廷」、アメリカの戦争犯罪を裁く

2023年02月10日 | 国際・政治

 アメリカは第二次世界大戦後も、あちこちで武力を行使し、戦争をくり返してきました。
 そして、数々の戦争犯罪を犯してきたと思いますが、戦争犯罪を犯したのがアメリカの場合、国連や国際司法裁判所などの国際組織が機能したことはないと思います。そこに、軍事大国であり、経済大国であるアメリカの影響力の大きさが示されていると思います。

 でも、そんな国際社会に抗い、いわゆる「ペンタゴンペーパーズ」によって、でっち上げが明らかになったトンキン湾事件を発端とするアメリカ主導のベトナム戦争を裁くために、民間人であるイギリスの哲学者が立ち上がりました。世界的な哲学者で、1950年にノーベル文学賞を受賞しているバートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872年~1970年)が、法律の専門家その他を招請し、多くの人たちに協力を呼びかけ、いわゆる「ラッセル法廷」と呼ばれる「民衆法廷」を開いたのです。

 下記は、ベトナム戦争におけるアメリカの戦争犯罪を裁くためにラッセルが中心となって開いた「ラッセル法廷」の開廷にむけ、「人類の良心」に訴える呼びかけです。
 ベトナム戦争で、アメリカが、国際法が禁じている武器(毒ガスや化学物質その他)を使い、学校や病院などの民間施設を爆撃し、拷問などの残虐行為をくり返していることが明らかであり、アメリカの戦争犯罪を黙認してはならないと、ラッセルが訴えたのです。

 でも、アメリカが受け入れることはありませんでした。
 だから、湾岸戦争に関して、今度は、ラムゼイ・クラーク元アメリカ司法長官の呼びかけによって、湾岸戦争時のアメリカの戦争犯罪を問う、いわゆる「クラーク法廷」という「民衆法廷」が開かれることになったのだと思います。

 アメリカが、自国の戦争犯罪を、国連や国際司法裁判所などの公的な組織に裁かせないばかりではなく、こうした「民衆法廷」の裁きの影響力拡大を抑え、乗り越えることができるのはなぜなのか、と私は考えます。
 思いつくのは、やはり圧倒的な軍事力と経済力、また、それらに支えられ、世界中に張りめぐらされたCIAやNSA(国家安全保障局:National Security Agency)というような組織の情報収集力や指導力だろうと思います。 
 グローバルノートの「世界の軍事費(軍事支出)国際比較統計」によると、アメリカの軍事支出は突出しています。最近支出を増やしている中国の倍以上の軍事支出をしているようです。また、武器輸出額でも、アメリカは突出しています。
 今まで、そうした圧倒的な軍事力や経済力で、他国がアメリカの利益に反するようなことをしないように影響力を行使するとともに、反米的な国家や組織、団体の影響力が拡大するのを、時に武力を行使しながら抑えてきたと思います。そして、そうした力を維持するために、アメリカは常に最先端の武器を開発し、大量に生産して、武器の売却や戦争をくり返す国になっているのだと思います。

 なぜなら、圧倒的な軍事力を維持しないと、アメリカの絶対的な影響力も維持できず、多くの利権を失うとともに、世界中で反米的な動きが激しさを増すことになるのだろうと思います。だから、アメリカは常に最先端の武器を開発し、生産を続けて、軍事産業が衰退しないようにしつつ、他国に武器を売却したり、戦争をしたりして、それを様々な利権の維持・獲得にも結びつけてきたのだと思います。

 そんなアメリカも、最近、工業生産額で中国に追い越され、「覇権国家アメリカの盛衰」とか「超大国アメリカの没落」などということが、あちこちで語られるような状況に追い込まれているようです。
 だから、”CIA長官が言及、「27年までに台湾侵攻準備 習氏が指示」”というよう報道が、アメリカのあがきのように思えて、とても気になります。
 アメリカが、中国の弱体化や孤立化をねらって、台湾有事を現実のものにし、限定的ではあっても、台湾と中国との武力衝突に、日本や韓国やフィリピンなどを巻き込むのではないかと心配なのです。

 本来、アメリカが台湾の政権に近づき、「台湾独立」を働きかけたり、大量の武器を売却したり、南シナ海で共同の軍事演習をしたりして、中国に敵対する動きをしなければ、中国が台湾に侵攻する必然性は少しもないと思います。アメリカが、意図的に中国の台湾侵攻を画策しているように思うのです。
 だから、日本は、あくまでも法や道義・道徳に基づいた政策を進め、アメリカと距離を置く方向に進まないと、危ういと思います。軍事費の大増額などとんでもないことだと思います。台湾有事の際、指揮権はアメリカが握るのであって、戦闘を始めるのも、終らせるのも、アメリカだろうと思います。

 下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から、「人類の良心に」を抜萃しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                      人類の良心に
                                                   バートランド・ラッセル

 アメリカの良心に対する私の訴えは、ベトナムにおける戦争犯罪と、アメリカ人自身の生命とのあいだの関係をアメリカ人民のまえに提起しようとするものである。あの紛争にまきこまれているのはアメリカ人民だけでなく、われわれのすべてなのだ。世界の世論と世界の行動が、あの途方もない残虐行為をやめさせなければならない。そうしなければ、アイヒマンが全人類にのりうつることになろう。われわれは──アイヒマンは言った──「ただ兵器を供給しているだけだ」。
 これにたいして、ホセ・マルティは言った、「犯罪を無関心に見まもっていることは、犯罪をおかすのと同断である」。
 アイヒマンは人類の堕落を、何も知らない人びとを、考えることをしない人びとを、何にも関心をもたぬ人びとを象徴している。マルティは、思いつめた、妥協を知らぬ態度で、人間の責任感を表明し、また、ぞっとするような惨事、道徳的な責任回避に平然としている態度に心の痛みを表明した。西方世界の知識人で、アメリカ政府がベトナムで挑発している戦争について熟知しないものはほとんどいない。マス・メディア、わけてもテレヴィジョンと雑誌は、アメリカ政府とそのかいらい政府の部隊がベトナムでおかしている残虐な行為の動かしがたい歴然とした証拠を定期的に報道してきた。農民や、解放民族戦線側から捕らえられた捕虜を不具にしたり、拷問にかけたりしたさまをうつした写真が、『ニューヨーク・タイムズ』『ニューヨークヘラルド・トリビューン』『ワシントン・ポスト』その他多くの新聞の第一ページに載った。『ニューズウィーク』『タイム』『ライフ』『ルック』誌は、ベトナムで作戦しているアメリカ軍が隣、毒ガス、化学物質、ナパームをつかっている写真をたくさん載せてきた。「ベトコンを煙にまいてしまう」とか「燐は猛毒ガスだ」といった見出しと一緒に、写真が、こうした雑誌には載っていた。
 病院、学校、結核療養所の無差別爆撃も報道されてきた。西側の新聞に報道された写真、資料、情報をまとめるだけでも、ドイツがニュールンベルクで断罪される理由になったと同じくらい多くの恐るべき犯罪の一覧ができあがる。
 合衆国最高裁の首席検察官ジャクソンは、ニュールンベルクでの最初の証言で述べた、「本法廷の原告は文明である。文明は、法というものが完全に無力なほど怠慢なものかどうか──ドイツがおかした途方もない犯罪を裁くには無力なものかどうか──を知ることを要求している。文明は、本法廷が国際法とその適用、その禁止条項、その制裁力の大半を平和のために役だてることをのぞんでいる」
 ニュールンベルクの先例は、現在の状況にもあてはまる。その点は、ジャクソン検事によって以下のように表現された──
 「世界平和にたいする犯罪を告発する将来の法律家ないし国家は、たしかに、そうした告発には先例がなく、したがって──含意的には──それが適法でない、というような主張に直面することはないであろう」。
 われわれは、1966年に戦争犯罪法廷を提案したとき、いまの情勢がニュールンベルク裁判をもとめたときの状況に類似している、と主張した。われわれはいま、25年前にユダヤ人がガス室で絶滅させられた当時に世界が感じたのと同じような気持ちでいる。われわれは、ベトナムで犯されている犯罪に抗議して発言するのをおさえることができない──いやむしろ、叫ばざるをえないのである。
 われわれの見解では、圧倒的な証拠、反証のない証拠があり、それらは西方諸国自らのマス・メディアをつうじて日々暴露されている。われわれの戦争犯罪糾弾を裏づけるこれらの証拠によって、われわれは、一種の調査委員会として機能する「国際法廷」を組織する気持ちに駆られたのである。
 それでは、本法廷の性格はどういうものであるか? 被告側は自由に法廷に出頭することができるが、出頭を強制されるわけではない。法廷は、被告に判決を下し、あるいは制裁を課する権限をもたない。法廷はいかなる政府のスポークスマンでもない。
 こういった事実は、(法廷に)なにか別途の手続きを要求している。というのは、被告側が弁護の証言をおこす可能性がなければ、裁判は成り立たないからである。見せかけの裁判では、本法廷の諸要求に役立たない。戦争犯罪法廷はそれゆえに、どちらかといえば一種の国際調査委員会となるであろう。それはちょうど大陪審の場合のように、おかされたと判断される犯罪を調査するに十分な、反証のないかぎり有効な証拠をもっている。
 本法廷の影響力は、参加するメンバーの傑出度と、彼らが何を代表しているかとにかかっている。彼らは、不当または不正な証拠を出すなどとはだれひとり非難できぬような、非の打ちどころのない人びとである。この点は強調されなければならない。なぜなら、犯罪がおかされたと信ずる人びとは、事件を公平に審理することができない、と強弁する人びともいるだろるからである。これは、開かれた心と空虚な心とを混同するようなものである。本法廷が召集されようとしているのは、恐るべき犯罪と残虐行為が一小国に対して現にこの瞬間もおかされているという牢固たる革新をわれわれがもっているからである。本法廷は大陪審のやりかたにならい、あらゆる証言を正しく評価するであろうが、法廷が証言を聴取するのは、犯罪が現におかされていると確信するからである。
 本法廷は、ベトナムで使用されている化学物質、ガス、その他の兵器の性質、属性、効果をきわめて綿密に調べるであろう。200人以上の証人および犠牲者が、証言のためにベトナムからくるであろう。科学者や兵器専門家が、その鑑定結果を提出するであろう。医師、看護婦、ジャーナリスト、その他の証人が証言するであろう。爆撃や犠牲者のフィルム、写真が、法廷の検討にゆだねられるであろう。証人の証言、法廷の審理、証拠を撮影したドキュメンタリー・フィルムがつくられるであろう。聴聞は記録され、つくられた記録は広く頒布されるであろう。すべての資料と証言は、公刊されるであろう。
 法廷の成立を公表しただけで、きわめて大きな関心と国際的な支持があつまった。多くの国で、裁判を支持する自主的な活動がおこなわれてきた。人びとに法廷構想の支持をよびかけるアピールが至るところで配布され、多くの国で連帯委員会がつくられた。法廷にかんする集会や討論が組織された。こうして、法廷の成立を支持するかなりの意思表示がすすめられたことは、明白になりつつある。法廷はパリで聴聞をおこない、十二週間つづくであろう。
 戦争犯罪法廷を成立させるイニシアティブは、バートランド・ラッセル平和財団ではじめられた。われわれは、人間文明に特別に寄与した経歴のある有徳な傑出した人物を招請した。そのなかにはユーゴスラヴィアの博士で教授のウラジミール・デディエ、国際法学者で『インターナショナル・ソシアリスト・ジャーナル』編集者のレリオ・バッソーがいる。
 そのほかのメンバーにはオーストリアの作家ギュンター・アンデルス、フランスのシモーヌ・ド・ボーボワールとジャンポール・サルトル、メキシコ前大統領ラザロ・カルデナス、SNCC会長ストークリー・カーマイケル、国連食糧農業機構の元議長だったブラジルのホスエ・デ・カストロ、イギリスの歴史家アイザック・ドイッチャー、シチリアのダリオ・ドレイ、スウェーデンの劇作家ペーター・ヴィアスがいる。
  法廷は明らかに、著名で、かつ地理的な代表となるようなかたちで構成される。法定メンバーたちの重要な職務のため、すべてのメンバーがパリに十二週間とどまあることは出来ないであろう。法廷の法律顧問たちが証人らの証言を聴取し、その結論を法定メンバーたちに──彼らがどこにいるにしても──提出するであろう。聴聞の最後には、法廷の判定が公表されるであろう。
 法廷の開催にさいしては、世界的規模で強く支持が要請されるであろう。
 合衆国にたいする解放戦線およびベトナムのレジスタンス側の暴力という問題をとりあげる人びとがいる。戦争犯罪法廷はアメリカの侵略にたいするベトナムの抵抗を犯罪として検討するつもりはない。それはちょうど、ニュールンベルクの法廷がワルシャワ・ゲットーの蜂起、ユーゴの生きのこるためのゲリラ闘争、ノルウェーのレジスタンス、デンマークの地下活動、フランスのマキの活動を犯罪と考えなかったのと同様である。法廷が断罪したのはゲシュタポであって、ゲシュタポの犠牲者ではなかった。この点はニュールンベルク法廷における核心のアイディアであったから、それはベトナム戦争犯罪法廷によっても尊重されるであろう。
 被告側の証人に本法廷への出廷を強要することは不可能であるが、法廷は、被告側を代弁する証人からも聴聞する用意がある。ただし、それは合衆国によって正式に弁護に立つよう指示されたものにかぎる。
 合衆国の行動を弁護するのに、権限のない証人をみとめるわけにはいかない。そんなことをみとめるなら、アメリカ政府によって不当かつ不正とみなされることは避けがたいし、アメリカ政府は、アメリカ政府を弁護するという問題は同政府みずからの責任に属する問題だ、と強く主張するであろうからである。
 本法廷は、法廷の責任が文明と人類にたいするものであることを考慮している。
 合衆国最高裁のジャクソン首席検察官は、ニュールンベルクで言った、「ある行為または条約侵犯が犯罪であるとしたら、そのときにはそれは、合衆国、ドイツのいずれがおかしたものであれ、犯罪である。われわれは、自分にたいして適用するものがないとしたら、他人に適用する犯罪行為の原則をさだめる気にならない」。本法廷は、そうした犯罪がふたたびおかされたということ、そしてそれに責任あるすべての人びとが裁きをうけなければならないという確信にもとづいて召集された。
 ニュールンベルク法廷が戦勝国によって戦敗国にむけられたものであったということは、指摘しておくべき重要な点である。戦争犯罪国際法廷は、勝利によっても、またいかなる国家の権力によっても権限を賦与されていない。それはただ、世界じゅうの高潔な人びとの感情にたいする訴えである。国際調査委員会はベトナム全土を旅行し、証拠を収集するであろう。
 すべての国の人びとよ、戦争犯罪国際法廷に手をかしたまえ。
 本法廷を人類の良心の法廷せよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秘書官の差別発言とアメリカの対日政策

2023年02月07日 | 国際・政治

 2月5日朝日新聞社説は、”側近の差別発言 「包摂社会」は口だけか”と題して、下記のような記事を掲載しました。
”岸田首相と日常的に行動を共にし、広報担当としてスポークスマン的な役割も担っている秘書官から、耳を疑う差別発言が飛び出した。
 首相は就任当初から、「多様性のある包摂社会」を掲げながら、内実が伴わずにきた。即座に更迭を決めたとはいえ、それで不問に付される話ではない。政権の人権意識の欠如が厳しく問われねばならない。
 問題の発言は一昨日夜、8人いる首相秘書官の一人で、経済産業省出身の荒井勝喜氏が、首相官邸で記者団に語った。性的少数者や同性婚をめぐり、「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「見るのも嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」などと述べたとされる。
 首相の側近といっていい、重い公的な立場にある者の、差別丸出しの放言に、驚きあきれるほかない。・・・”
 
そして、岸田首相が同性婚法制化への賛否を問われた際、慎重な検討が必要な理由として
”すべての国民にとって、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ”
 と述べていたことも報じました。重要な指摘だと思います。
 
 
だから私は、再び自民党、特に安倍元首相を中心とした人たちの問題を取り上げなければなりません。
 神政連や日本会議に関わる自民党の人たちが、憲法を改正し
、「伝統的な家族観」を軸にした国家をとり戻そうとしていることを見逃してはならないと思います。
 
しばらく前、丸川珠代・男女共同参画担当相や高市早苗・元男女共同参画担当相ら自民党の国会議員有志が、埼玉県議会議長の田村琢実県議に、「選択的夫婦別姓の反対を求める文書」を送るという問題がありました。自民党国会議員有志は、地方自治や民主主義のルールを無視するようなかたちで、「選択的夫婦別姓を求める要求」に反対するよう要請する文書を地方議会の関係者に送ったのです。事実上、政府中枢から、地方議会関係者に、夫婦別姓に反対する考え方を押し付けるものであったと思います。それも、今回の差別発言と同じ「伝統的な家族観」に関わる問題です。
 そして、安倍政権と関わりを持った
長谷川三千子教授や八木秀次教授など、国民主権や人権さえも否定するような考え方をする人たちが、まわりにいることも見逃せないと思います。

 
その文書のなかには、”戸籍上の「夫婦親子別氏」(ファミリー・ネームの喪失)を認めることによって、家族単位の社会制度の崩壊を招く可能性がある”などとあるのですが、私は、家族単位の社会制度の崩壊ではなく、戦争指導層の考え方を受け継ぐ自民党保守派が復活を意図する、戦前の「家族国家観」が崩壊するということだろうと思います。

 
自民党保守派の人たちは、明治維新によってつくりあげられた皇国日本の家制度、「一家一氏一籍」の原則が崩壊することは、皇国日本の考え方の「崩壊」を意味し、受け入れることができなのだろうと思います。
 遠藤正敬
氏が『戸籍と無戸籍 「日本人」の輪郭』(人文書院)で取り上げていますが、明治期における家族国家思想の理論的指導者であった法学者、穂積八束「我千古ノ国体ハ家制ニ則ル、家ヲ大ニスレハ国ヲ成シ国ヲ小ニスレハ家ヲナス」と述べています。それは、明治民法制定以来、日本の敗戦に至るまで維持された、家は「万世一系」の皇統を基軸にした「国体」の私的領域における縮図であり、家の維持こそは「国体」の安寧をもたらすものであるという思想です。

 日本国憲法の制定に基づく民法の大改正によって、家制度が廃止され,家督相続も廃止されましたが、自民党保守派は、それを一部復活させ、祖先崇拝や男性優先(男尊女卑)の考え方に基づ
く”家の系譜”として戸籍制度を復活させたいのだと思います。

 明治維新以来、日本は万世一系の天皇が統治する「国」であり、「家」は、戸主の系譜として受け継がれるものと考えられてきました。そして、「戸籍」は「祖孫一体」を本義とする連続性を記録するものであるのです。そうした「国体」と「家」を直結した「家族国家観」は、戦時中の「国体の本義」に、はっきり示されています。


”大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我万古不易の国体である。而(シコウ)してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克(ヨ)く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。”

 したがって、先だって更迭された、杉田水脈総務大臣政務官や、今回更迭された荒井勝喜秘書官の発言は、決して個人的なものではなく、憲法改正を目指す自民党、特に右派が共有している考え方だと思います。それは、同性婚についての荒井勝喜秘書官”秘書官室もみな反対する”という発言に示されていると思います。

 そして、私は、現在国民の意識と乖離した考え方をする自民党の人たちが、戦後、長く政権を担ってくることができたのは、公職追放解除によって、戦争指導層を復活させたアメリカの対日政策によるものであることを見逃すことができないのです。
 アメリカは、日本をアメリカに都合よく従えるために、日本が社会主義化することはもちろん、真に民主化することも許さなかったのだと思います。だから
公職追放解除の際、日本の戦争指導層がアメリカに逆らうことがないように工作し、その上で戦争指導層や富裕層と手を結ぶことにしたのだと思います。その方が、民主化された日本より、影響力を行使しやすいということだったのだろうと思います。社会主義的な政権や民主的な政権では、「密約」の締結は難しいのです。

 そう考えるのは、下記の文章が示すような、アメリカの
ニカラグアパナマグレナダその他、中南米諸国に対する影響力の行使の仕方、また、すでに取り上げてきた、アジアにおけるアメリカの独裁政権支援の政策と同じだと思うからです。アメリカは社会主義政権はもちろん、民主的な民族主義政権をも潰し、独裁者や一部の富裕層と手を結んで、共に搾取や収奪をくり返してきた歴史があるのです。

 下記は
、「燃える中南米 特派員報告」伊藤千尋(岩波新書23)から「第4章 出口なき?経済」の一部を抜粋しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   第4章 出口なき?経済

 富裕層と貧困層
 皆が一様に貧しいのなら、まだしも納得できよう。しかし、中南米はかつて「エル・ドラド(黄金郷)」と呼ばれた地であり、今も緑の肥沃な大地の下には豊富な鉱物資源が眠る。メキシコは世界最大の銀生産国であり、サウジアラビアに次ぐ世界第四位の産油国でもある。ベネズエラとエクアドルはOPEC(石油輸出国機構)の加盟国だ。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを一歩郊外に出ると、黄金の穂波に揺れる小麦畑や、太った牛が群がる緑豊かな牧場が地平線まで続く。豊かさの極みは、GNP(国民総生産)世界第八位のブラジルである。
 ブラジルのアマゾン河流域に、カラジャスという鉱山地帯がある。日本の面積の三分の一に当たる広大な地に、鉄や金、ボーキサイトなど様々な鉱物資源が詰まっている。アマゾン河口の町から軽飛行機を乗り継ぎ現地に行くと、見渡すかぎり大地が赤い。足下の土を手にすくうとズッシリと重い。鉄鉱石が露出しているのだ。推定埋蔵量は180億トン。日本の鉄鉱石消費の180年分に当たる。高品質のうえ露天掘りだ。地面の鉄鉱石をさらってはダンプカーに積む。ダンプは120トン。人間が側に立つと、タイヤの半径にもならない。採取した鉄鉱石は、三両連結の機関車が160両の貨車を引く専用鉄道で大西洋岸の港に運ぶ。その巨大なショベルカー、ダンプ、汽車さえミニカーのように見える広大な鉱山にたつと、「資源大国」という名が実感される。鉄のほかにも、石油は国内消費の半分を自前で生産する。名高いイグアスの滝には、世界一の容量を誇る水力発電所もある。
 こうした富を背景に、とてつもない金持がいる。ブラジルには1000ヘクタール以上の土地をもつ農場が焼く5万もある。農場のなかに飛行機の滑走路を七つももち、自家用飛行機で自分の農場をみて回るのに一週間かかるという大農園主もいる。きわめて多数の貧民がいるかたわら、日本の金持など足下にも及ばないほどのこうした資産家が中南米各地にいるのだ。中南米の最貧国ハイチでは、人口の5%の富裕層が国の富の90%を所有し、一方で75%の国民が飢えていた。飢える国民を尻目に、大統領夫人は18人のお付きを従えて超音速機コンコルドでパリに買物に行き、ブランド商品を買いそろえた。
 中南米に共通しているのは、社会がごく少数の富裕層と大多数の貧困層にくっきり二分され、中産階級がきわめて少ないことである。ベネズエラは「王様と乞食の国」といわれる。中南米に関する質問で最も無意味なのは「平均的家庭の収入は?」という問いだ。平均家庭など中南米にはありはしない。
 富裕層は白人系、貧困層はインディオや黒人と、肌の色ではっきり分かれる。国家の支配層はほぼ白人が占める。スペイン人などによる新大陸征服以来、少数の白人が統治して多数のインディオや混血が支配される、という基本的な構造は500年にわたって今日も続いているのだ。インディオが住む山岳部や地方には、国の予算は回らない。都市が近代化する反面、農村部はいつまでも昔ながらのままに取り残される。そればかりか企業や大農園による土地の囲い込みが進み、貧農はわずかな農地をも失い、農奴同然となるか農村を去る。都市のスラムに農民がなだれ込むのは必然的な現象なのだ。金持はますます金持ちに、貧民は一層貧しくなる。
 富裕層は国政を私物化して公然と汚職をはたらき、富を増やす。メキシコのドゥラス警視総監は、5年間の在職中に部下の2万人の給料をピンハネした。公金横領と脱税、さらに麻薬にも手を染め、25億ドルもの膨大な不正蓄財をおこなった。法を守る立場の最高責任者が、地位を利用して法を犯し、私腹を肥やしていたのだ。首都郊外にある彼の家は白亜の豪華なもので、「宮殿」と呼ばれていた。
 メキシコでは、権力を握ったものが不正・汚職をするのが常識とされる。大統領が替わると門番まで替わるといわれ、公職が血縁やコネで左右された。大統領任期の最後の年には、大統領から門番まで不正蓄財に走る、とも言われた。ドゥラソ警視総監は、幼友達だったロペス・ポルティーヨ元大統領によって警視総監に任命され、ロペス政権の任期が終了すると同時に職を辞し、悪事が露見しそうになると大金を米国の銀行に移して逃亡した。ブラジルなど他の国でも、警官は信用されていない。泥棒の被害にあって警察に届けても無駄だという。捜査して犯人が判明しても、警官がその品物を横取りしたうえ、犯人から見逃し料をとって放免する、と市民たちは首をすくめる。
 中南米の各地で、「日本は理想的な国だ」「社会主義社会ではないのか」という言葉を聞く。経済大国として発展し、しかも国民の大多数が平等な経済生活を送っている、とのほめ言葉としていっているのだ。その当否はともかく、これが貧困と不平等にあえぐ中南米の民の素直な声なのだ。

 累積債務危機・・・略

 高揚する民族主義
 追い詰められた債務国が債権国に反抗したように、経済危機が引き金となって「持たざるもの」による「持てるもの」への反乱が表面化してきた。対外的な民族主義、国内での富の分配の公平を求める運動がそれである。
 「米国の裏庭」と呼ばれるのに甘んじてきた中南米諸国が、民族主義の旗を掲げて、米国の政治・経済支配に抗議する。中米の小国ニカラグアが、米国の侵略の危険を冒してまでこの身近な超大国に刃向かうのはその代表だ。ニカラグアの民族主義的政権を政治・経済的な圧力でつぶそうとする米国に対し、中米周辺のメキシコなど四か国は83年1月にパナマのコンタドーラ島でコンタドーラ・グループを結成し、中米紛争は中南米諸国の手で域内自主解決する、と宣言した。従来、民族主義的な動きは分断、孤立化されて米国の手で一つ一つつぶされてきたが、中南米諸国が結束して米国に対抗する動きを見せるようになったことが注目される。また、ラテンアメリカ経済機構(SELA)は緊急特別会議を開き、ニカラグアに対する経済制裁の撤回を米国に要求するとともに、加盟国に対してニカラグアに金融面で協力するよう促した。これは米国の中南米への「干渉」に中南米全域が共同で対処する方向を示した点で画期的なものだ。
 中南米各国の国会議員で構成するラテンアメリカ議会の第七回総会は85年6月、キューバの加盟を圧倒的多数の賛成で承認した。ブラジルやペルーなど民政移管した国でキューバと復交する国が相次いだ。米州機構(OAS)第16回総会では、フォークランド紛争で、米国のみが英国とアルゼンチンとの交渉を求める中立的な姿勢を示したのに対し、他の諸国はすべてアルゼンチンを支持した。かつて「米国の中南米支配の道具」といわれてきた米州機構の変貌を示すものである。ジュネーブでの国連人委員会で米国が提出したキューバ人権侵犯非難決議は、中南米諸国の反対で否決された。米国代表が中南米代表を「裏切り者」とののしると、中南米側は「我々は独立と自由を放棄しない」と逆に反発した。かつて米国の外交をそのままなぞり追随していた国々が、国際社会で独自の判断を下すようになったわけだ。
 モンロー主義を宣言した1823年以来、米国は中南米を準領土に見立て、不都合が生じると「米国の権益の擁護」を唱えて海兵隊を派遣した。1983年10月には民族主義政策を進めていたカリブ海の島グレナダの政変に乗じて、同国に住む米人学生の生命保護などを理由に派兵し、政権を武力で覆した。米人の安全のためには中南米の国に干渉し、その国の人々を殺害したうえ、政府をつぶす。「米国人でなければ人間ではないのか」と中南米の人々は反発する。
 グレナダへの侵攻は、最近のほんの一例にすぎない。米国による中南米地域への武力介入は、1833年アルゼンチンへの海兵隊派兵を手始めに、150年の歴史があるのだ。米国に逆らえば力で押しつぶすという砲艦外交の圧力の下、中南米諸国を政治も、経済も、文化も従属させてきた。グレナダの旧民族主義政権の閣僚は、これを「新植民地主義」と非難した。中南米の人々は、恐れとあこがれと嫌悪の入り混じった複雑な気持ちで、米国を「北方の巨人」と呼ぶ。ニカラグアは、米国を聖書の中の伝説の巨人ゴリアテに、自身はゴリアテを倒しダビデにたとえる。
 中南米の各国の内部でも、これまで虐げられてきた国民が、平等と社会的正義を求めて実力を行使するようになった。
 ブラジルでは、土地を求める小作農が大地主の所有する遊休地を占拠し、武装集団を雇って自衛する地主との間で血を血で洗う抗争となっている。労働者は合法化された政党の傘下に結集し、賃上げや反政府政治集会が相次いでいる。アンデス諸国では、餓死する前に実力に訴えようと左翼ゲリラが武装闘争を繰り広げる。コロンビアでは6つのゲリラ組織が入り乱れて攻撃し、85年には首都中心部の最高裁判所をゲリラ組織が占拠し、政府軍がロケット砲で攻撃、炎上させる事態にまで至った。左翼ゲリラは主要組織だけでも中南米9か国に計27組織、総兵力2万5000を数える。
 ペルーではインディオがゲリラとなったように、スペインによる新大陸征服以来、白人に圧迫され続けて来たインディオが武器を手に立ち上がった。スペイン軍にアステカ帝国を滅ぼされたメキシコでも、インディオが農地改革を主張してデモやハンストを実施する。デモの横断幕には「インディオの飢餓は社会の不公正の証拠」と書かれていた。デモの指導者は「我々は五世紀の間、食料と正義に飢えてきた。土地と言葉を略奪されてきた」と叫んだ。五世紀とは、コロンブスが新大陸を発見して以来、ということだ。1992年には新大陸発見からちょうど500年を迎える。500年の怨念が、いま吹き出して来た。もの言わぬ無告の民が主張を始めたのだ。
 コロンブスの名を取って建国されたコロンビアの病院の壁にスプレーで「飢餓と抑圧の下で社会の平和なし」と書かれている。貧しい人々は、現在の苦しい生活の原因が歴史的な特権支配の構造にあることを知っている。
 中南米の支配層は、被支配層が支配層にはなれないようにするとともに、貧しい人々でも最低生活なら何とか生きていけるような社会的な仕組みを整えた。第一に愚民政策だ。国民教育とは名のみで、多数の文盲を放置した。教育費は少なく、学校を作らず教師も養成しない。義務教育は名目にすぎない。被支配層の貧しい家庭の子どもたちにとって、出世のための努力をする機会すらないのだ。ブラジルでは学校が少ないため小学校にも通えない子が多く、一つの校舎を午前と午後と夜間の三部制にして使用する所もある。文盲率は21%というが、実際には30%を越すとも言われる。中南米の最貧国ハイチでは文盲率が62%で、国民の三人に二人は字が読めない。雇用や取引きにあたって契約書の内容を理解せずにサインさせられ、しかもその不当性に気付かない。ハイチで86年に食料暴動を機に独裁者が国を去ったが、そのすぐ後には民主化が達成されなかった。国民の大多数が民主主義の概念はもとより、労働組合や政党というものを理解できなかったからである。一定の教育が行き届かなければ、暴動は起きても革命は起きず、ましてや新国家の建設など出来はしない。
 第二に、支配層は公共料金を安く抑え、貧民でも最低限の生活ができるようにした。不満を暴動につなげないためだ。メキシコの地下鉄料金は、全線一律0.04円である。貧しい人々も主食のトウモロコシのパンが格安のため、最低給料でも食べていける。このため社会変革の大衆的な運動は起こりにくい。
 このような支配の構造が、民主化の潮流と経済危機の中で崩壊してきた。民主化のうねりは国民全体が政治に参加できるシステムを求め、経済危機での公共料金引き上げで最低生活もできないようになると、貧民は政府への抗議行動に立ち上がった。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隠されるアメリカの犯罪、作られるプーチン像

2023年02月04日 | 国際・政治

 イングリッシュ・プラウダが、すでに報じていましたが、日刊IWJ(independent web journal) も、2月3日、下記のような記事を掲載しました。
 オバマ政権下の2014年、”ユーロマイダン・クーデター当時、ウクライナ担当だったヌーランド米国務次官が、上院公聴会で天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」が「海の底の金属の巨塊」になって嬉しいと失言”し、早速、”この失言を報じたロシア『RT』(モスクワに拠点を置くニュース専門局・ロシア・トゥデイ)は、昨年9月のパイプライン爆破は西側のテロという主張を繰り返し、「最大の受益者は米国」であり、ラブロフ露外相は、米国要人による「興味深い自白である」”と指摘したという内容です。

 くりかえし取り上げて来ましたが、バイデン大統領も、ロシアがウクライナに侵攻する前の声明で、”ロシアがウクライナに侵攻した場合、ノルドストリーム2を停止するよう緊密に調整してきた”と明かしています。そして、記者会見で、つぎのようなやり取りがあったことも報道されています。

 ABC News(https://twitter.com/i/status/1490792461979078662)
Pres. Biden: "If Russia invades...then there will be no longer a Nord Stream 2. We will bring an end to it."
Reporter: "But how will you do that, exactly, since...the project is in Germany's control?"
Biden: "I promise you, we will be able to do that." http://abcn.ws/3B5SScx”                               


 バイデン大統領の、”もしロシアがウクライナに侵攻したら、ノルドストリーム2を終らせる”との発言に、女性記者が、”そのプロジェクトはドイツのものであるのに、どうやって終らせるのですか”と質問。バイデン大統領は、”私は約束する、私たちにはそれが可能だ”、と答えているのです。
 こうしたノルドストリーム2をめぐる重大な発言や ウクライナが、米国の資金提供を受けてペストや 炭疽たんそ 菌などの病原体を使った生物兵器の開発をひそかに進めていたという情報(ロシアが侵攻を開始した2月24日に、ウクライナ保健省が東部ハリコフとポルタワの研究施設に病原体の緊急廃棄を指示したとする文書も「証拠」として公表)およびチェルノブイリ原子力発電所で、放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」を作っていたという情報などを無視して、ウクライナ戦争を語ろうとするから、プーチン大統領を侵略的悪魔に仕立てあげる必要が出てくるのだと思います。
 ノルドストリーム2が有効に機能すると、ヨーロッパ諸国に対するロシアの影響力が拡大し、アメリカの覇権や利益が損なわれるため、トランプ前大統領も、「悲劇だ。ロシアからパイプラインを引くなど、とんでもない」などと発言しているのです。そして、様々な「制裁」を課したのです。
 
 でも、日本のメディアは、ノルドストリームの問題をウクライナ戦争と関連させることはほとんどせず、「爆破」に関しても、”ウクライナへの全面侵攻を続けるロシアに多くの疑いの目が集まっている”などというNATO諸国の報道を、小さくそのまま伝えているのです。
 せっかくロシアが、ドイツとともに進めてきた天然ガスパイプラインを、自ら爆破するなどということは考えられないことだと思います。
 さらに言えば、ノルドストリーム2が有効に機能すると、ヨーロッパ諸国との関係が深まり、ロシアの将来は明るいのに、わざわざこれからという時に、ウクライナ戦争を始め、それを台無しにするようなことをするわけもなかったと思います。アメリカによる武器売却や供与、合同軍事訓練、また、上記のような細菌兵器や大量破壊兵器の製造などによる挑発が、ウクライナ戦争のきっかけだと私は思います。

 ラブロフロシア外相の指摘するように、ビクトリア・ヌーランドの失言やバイデン大統領の発言が、爆破がアメリカによるものであることを示していると思います。そうしたアメリカの犯罪を見逃すから、戦争が始まったばかりでなく、戦争が拡大するのだ、と私は思います。

 そして、今に気になるのが台湾有事です。アメリカ政府の要人や米軍関係者が次々に台湾を訪問し、また、多額の武器の売却や供与をくり返しました。
 それに連動するように、日本の防衛予算の大幅増額の計画が進んでいます。
 また先日、ロシアと戦うNATOのストルテンベルグ事務総長が日本を訪れ、岸田首相と会談して連携強化を確認しています。さらに、アメリカのオースティン国防長官がフィリピンを訪れ、防衛協力の方針を打ち出しています。それらはすべてアメリカの戦略に基づく対中戦争の準備であり、平和構築のためではないと、私は思います。

 2月1日、朝日新聞は、”安保政策転換 首相は具体論に応じよ”と題する社説を掲載し”戦後の安全保障政策の歴史的な転換というのに、「手の内を明かせない」などと言って具体的な説明を避けてばかりでは、一向に議論が深まらない”と非難しています。そして、野党が、敵基地攻撃に使える米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入数や、「存立危機事態」における敵基地攻撃はどんな場合に開始するかを問うたことに対する岸田首相のこたえが、「手の内を明らかにしない」というものであったことを、問題視しています。当然だと思います。
 でも、私は「トマホーク」の購入数はともかく、”「存立危機事態における敵基地攻撃”などというのは、日米安保条約のもとでは、日本が決められることではないだろうとも思います。
 すでに取り上げましたが、「指揮権密約」で、下記のように約束されていることが、新原昭治氏が発見した、アメリカの機密解禁文書で明らかになっています。
敵対行為、もしくは差し迫った脅威をともなう敵対行為に対して、すべての日本軍は、海上保安庁も含めて、合衆国政府によって任命された最高司令官の統一指揮下(under the unified command of a Supreme Commander)に入る。(The Special Assistant for Occupied Areas in the Office on the Secretary of the Army(Magruder) to the Assistant Secretary of the States Far Eastern Affairs(Rusk),FRUS,1950,VL.Ⅵ VI,P.1341) 
 
 下記は、「検証・法治国家崩壊 砂川事件と日米秘密交渉」吉田敏浩(創元社)からの抜萃ですが、どこまでも法や道義・道徳基づき、こうした問題に向き合わない限り、日本が望まない中国との戦争に巻き込まれることを避けることはできないと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                Part1 マッカーサー大使と田中最高裁長官

 「安保法体系」を「憲法体系」よりも優先させる
 この日米両政府と米軍の望みどおりの最高裁判決は、「米軍駐留は合憲」と判断したことで、事実上、安保条約の合憲性も認めたことになります。安保条約にもとづく米軍の駐留が合憲なら、米軍の日本における法的地位を定めた行政協定(現在の地位協定)も、それに基づく刑事特別法も合憲となる、と連鎖的に判断を下したことになるのです。
 そして最高裁判決は、「伊達判決」が指摘し、弁護団も「台湾海峡危機」の例をひいて追及した「日本が直接関係のない武力紛争に巻き込まれ、戦争の惨禍が日本に及ぶおそれ」をもたらす、米軍の日本国外での軍事行動のための基地使用の事実、「米軍駐留は違憲」に通じる実態には目を向けず、問題にしませんでした。それは結局、日本に直接関係のない海外の紛争に、米軍が日本の基地から出動することを、最高裁判所が認めたことを意味します。
 つまり、最高裁は「安保法体系」を「憲法体系」よりも優越させる判断を下したのです。主権在民にもとづく独立国家の根幹である憲法の法体系よりも、軍事同盟である安保条約の法体系を上位に置いたのです。
 それはマッカーサー大使をはじめ米政府。米軍にとって、願ったりかなったりの判決でした。「安全法体系」による米軍の基地運営や訓練実施や戦闘作戦への出動など軍事活動の自由という特権が「憲法体系」によって制約されないことを、この最高裁判判決が保障したことになるのですから。
 日本政府も安保条約によるアメリカとの軍事同盟を通じ、アメリカ中心の資本主義陣営に属して共産主義陣営と対峙するという政策をとる以上、日本における米軍の特権を認める必要があり、最高裁判決を歓迎するのは当然でした。
 田中最高裁長官がこの日本政府の政策に同調し、安保条約に肯定的だったことは、前出の彼自身の発言などからもわかります。
 東京地裁に指し戻された砂川裁判は、伊達秋雄裁判長らとは別の裁判官らのもとで審理されました。そして1961年3月27日、検察側の言い分を認め「米軍駐留は合憲」という最高裁判決を支持し、刑事特別法違反の罪で罰金2000円(求刑は懲役6カ月)の有罪判決が7人の被告に言いわたされました。
 判決当日の「朝日新聞」夕刊記事には、次のような解説が載っています。
「弁護団では、『駐留米軍が日本の戦力となっていることは誰が見てもハッキリしている。それこそ、”一件明白”に違憲の存在なのである』と主張、在日米軍の”性格”と”実態”をやりなおし審でもくり返し訴えていた。
 だが、結局、『上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する』という裁判所法〔第四条〕の”鉄則”は動かず、この点についての結論も『最高裁と異なる判断は許されない』ということになった」
 こうした差し戻し審の判決からも、最高裁判決が拘束力と権威のある判例となり、以後、他の米軍基地がらみの裁判、違憲訴訟が起こされても、地裁や高裁が「米軍駐留は違憲」や「安保条約は違憲」といった判決を出すことは、まずできなくなるだろうという、日米両政府と米軍の思惑も裏づけられたのではないでしょうか。
 実際、その後、米軍基地内の土地の強制使用の取り消し・返還を求める民事訴訟など、米軍基地がらみの裁判では、「米軍駐留は合憲」と前提したうえで、安保条約が違憲か合憲かの法的判断は司法審査権の範囲外という、「統治行為論」をもちいた判決が出されるようになりました。砂川事件最高裁判決の判例が下級審の裁判所に対して、いわばしばりをかける効果をもたらしたのです。日米両政府と米軍の思惑どおりの展開でしょう。
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする