真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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チョムスキーが語るウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞

2022年06月27日 | 国際・政治

 “知の巨人、ノーム・チョムスキー!「ウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞」”と題された動画の中で、チョムスキーが語っていることは、ウクライナ戦争の解決のためだけではなく、現在世界が直面している諸問題の解決にも関連することだと思います。だから、その内容を私なりに文章化し、まとめておくことにしました。
 チョムスキーが語っていることは、概略下記のような内容です。
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 ニカラグアに対するアメリカの軍事介入のケースでは、アメリカは世界裁判所に提訴され、不法な武力行使の停止や、賠償金の支払いを命じられた。でも、アメリカは紛争をエスカレートさせる対応しかしなかった。
 ウクライナ戦争に関しては、支援を強化すればよいというものではない。交渉による解決に向かうことが最善だと思う。戦争の終わり方には二つある。どちらかが破壊されて終わる場合と交渉による場合だ。でも、ロシアが破壊されて終わることは考えられない。交渉を進める場合、プーチン大統領や取り巻く少数の人たちの心の中を覗こうとしてはいけない。

 アメリカの方針は「いかなる形の交渉も拒否する」ということだ。アメリカの行動方針2021年9月1日共同方針声明 11月10日の合意憲章に「基本的にロシアとは交渉はしない」と書いてあるのだ。そして、「NATO加盟のための強化プログラム」と呼ばれるものに移行するようウクライナに要求している。バイデンのロシア侵攻予告前のことだ。だからそれは、ウクライナにロシアとの交渉の余地を与えないということを意味する。
 最新兵器の供与、軍事訓練の強化、合同軍事演習、国境配備の武器の供与。こうしたアメリカ政府の強硬な発言が、プーチンとその周辺を直接のウクライナ侵攻へ導く要因になった可能性がある。チャス・フリーマン元サウジアラビア大使の言葉を借りれば「ウクライナ人は最後の一人になるまで戦え」と言っているのと同じだといえる。


 国際社会は、ウクライナ人に自衛のための軍事的支援を与えつつも、大規模な破壊につながるエスカレーションを招かないよう配慮が必要だ。戦争を抑止するのに有効な制裁措置を考えながら、交渉による解決を進めなければいけない。

 ゼレンスキーが政治的解決について述べた非常に明確で真剣な発言ほど報道されていない。特に、「ウクライナの中立化を受け入れる」と言った彼の発言は、ほとんど報道されていない。そして、ゼレンスキーをウィンストン・チャーチルになぞらえたり、その型にはめようとした議員や人間によって彼のもつ本質は脇に追いやられてしまった。
 でも、解決可能な方策をいろいろ打ち出し双方の間でかなり明確になってきている。もし以前からアメリカがそのことを検討する気があったなら、侵略はなかったかも知れない。
 もともと、アメリカには二つの選択肢があった。一つは強硬な姿勢をつらぬき、交渉を不可能とし、戦争に発展させること。もう一つは利用可能な選択肢を追究すること。

 ラブロフ外相は二つの主要な目的を発表した。ウクライナの中立化と非武装化だ。非武装と言ってもすべてではなく、ロシアを標的にした「重火器」武装を排除することだ。ウクライナをメキシコ化するということだ。メキシコは自分の道を選ぶことができる当たり前の主権国家だ。若しメキシコが中国が主導する軍事同盟に参加し、先端兵器や中国製の武器をアメリカとの国境に配備したり、人民解放軍と共同軍事作戦を実施したりしたら、アメリカは絶対に許さない。だから、ウクライナのメキシコ化は実現可能なオプションであった。しかしアメリカは、自分自身が絶対に許さないと考えていることをロシアにやろうとしたのだ。
 もう一つはクリミアの問題だ。クリミア人は満足しているのに、アメリカは「我々は譲歩するつもりはない」と言っている。それが永遠に続く戦争の火種になる。ゼレンスキーは賢明にも「この問題は今後の議論として先送りしよう」と言っている。
 もう一つはドンバスの問題だ。8年間、極端な暴力が行われてきた。ウクライナの砲撃。ロシアの砲撃。地雷だらけ、暴力だらけ。OSCE欧州安全保障協力機構のオブザーバーやヨーロッパのオブザーバーが現地にいて定期的に報告している。報告書は公開されているが、問題は彼らが暴力の原因を解明しようとはしていないことだ。でもマイダン革命以来1万5000人が殺されたと推定される。適切な対応は住民投票だと考えられる。
 侵攻前に可能だったのはミンスク2合意の実施だった。この合意で、ドンバスに何らかの自治権を認めることが定められている。紛争はあっても、連邦制の中に組み込まれているような形だ。スイスやベルギーに見られる。でもアメリカはそれを行おうとせず、好戦的な立場をとった。間違っていたら教えてほしい。主要なマスコミが一度もそのことに言及していないのではないか。
 交渉拒否の公式見解や11月の綱領でその再提示があったことは言及された。交渉の主たる目標は、ウクライナの中立化と非武装化だ。つまりメキシコ式の秩序を選ぶことだ。クリミアについては、ゼレンスキーの立場(後で話合い)で進めればよい。ドンバス地方は、国際的監視のもとで、住民投票をする。ロシアが受け入れるかどうかはわからないけれど、やっていくことが大事ではないか。他のだれかではなく、「私たちになにができるか?」を考えて。
 今我々が注目すべきは、二つの不作為だ。ロシアの弱体化発言があったが、アメリカはこれを取り消してはいない。もうひ一つは、ロシアとは交渉しない。という不作為。
 ウクライナ戦争に有効な発言権を持つ国は二つだ。中国とアメリカだ。でも、止めない。アメリカの思いは、”ウクライナを滅ぼせ、そして、ロシアも国際社会から消えろ”ということだろう。

 ある米政府高官は「我々の発表する内容が、確かな情報である必要はない」「プーチンが何かをする前に先手を打つことが重要だ。それが抑止になるからだ」と発言している。第一次世界大戦ではイギリスが情報省を設立し、情報操作に乗りだした。その時の意図は、情報操作によって、アメリカを戦争に引き込むことだった。ウィルソン大統領は公共情報省を設立し、情報操作によって、アメリカ人がドイツにかかわるあらゆるものを憎むように仕向けた。ボストン交響楽団はベートーベンを演奏しないなどというような…。
 レーガン政権は、「広報外交室」をもっていた。国民やメディアを丸め込むための組織だ。1954年アメリカがグアテマラの民主的な政府を転覆させる経緯をユナイテッドフルーツ社の広報担当者がかなり明確に述べている。その後何十万人を殺すことになる独裁政権はアメリカの支援を受けて樹立された。今度の戦争にも言えることだが、1980年代のニカラグアや中米の戦争、ベトナム戦争などには現地に優れた記者がいて、記事を書いた。でも、オフィスの報道室に行くと、全く違った視点で報道する。それがアメリカのメディアといえる。
 ニューヨークタイムズの真面目な記事を書く論説委員のひとりは、「戦争犯罪人にどう対処すればいいのか?」という記事を書いた。「どうすればいいのか。私たちはお手上げだ。戦争犯罪者がロシアを動かしているんだ。どうやってこの男と付き合えばいいんだろう。」興味深いのは、世論がそのような記事を期待していたから、嘲笑を誘わなかったことだ。
 アメリカで最も代表的な戦争犯罪者はアフガニスタンとイラクへの侵攻を命じた人物だ。ウクライナで、ロシアによる重大な戦争犯罪があったことは否定できない。でも、アメリカは国際刑事裁判所の権威を完全に無視しているのも事実だ。アメリカは世界裁判所の判決を拒否し続けている唯一の国だ。かつてはアルバニアのホシャとリビアのカダフィがアメリカの仲間だったが、二人とも地上から消えた。
 アメリカは、1986年ニカラグアに対する戦争で、世界法廷の判決を拒否し、孤立した。「不法な武力行使」「国際テロリズム」と断罪され、その停止と賠償を命じられた。レーガン政権はその判決に反発、犯罪行為をエスカレートさせた。


 ニューヨークタイムズは社説で、「裁判所の判決は無意味だ。裁判所自体が敵対的な立場だからだ」と主張した。裁判所は、すべての国に国際法を遵守するように呼び掛けただけだったが、アメリカは拒否権を発動した。アメリカは安保理に対して、「国家は国際法に従う必要はない」と発言したことが記録に残っている。総会では、圧倒的多数で可決したにもかかわらず、アメリカとイスラエルは反対した。二国だけ。共和党によれば、国民の分裂を招き、気分を悪くさせるから、そういう歴史は教えるべきではないという。アメリカは「米州機構」のような主要な条約に署名するとき、「ただしアメリカには基本的に適用されない」という留保を付ける。
 アメリカどんな条約に対しても、完全な形で署名することは非常に稀だ。アメリカが条約を批准する場合、ほとんど「アメリカを除外する」という留保をつける。実はアメリカはジェノサイド条約でも、同じ態度を取った。条約が採択されてから約40年後にやっと批准したが、この時も「アメリカには適用されない」という留保を付けた。つまり、なんと今も「アメリカだけは、大量殺戮を行う権利がある」ということだ。
 それが問題となったのは、セルビアへ大規模空爆をおこなったことは戦争犯罪であるとして、ユーゴスラヴィアがNATOを告発したときだ。NATO列強は裁判所が開廷にふみ切ることに合意したが、アメリカは拒否した。結局のところ、アメリカはこの自己免責留保を主張し、「ジェノサイド」の罪から「免責」されたのだ。アメリカだけは、例外的な特権を持ち続けている。
 だから、アメリカは巨大な規模の「世界一のならずもの国家」であり、誰もその足元にも及ばないのだ。他人の戦争犯罪裁判は平気で要求することができる。有名なコラムニストでさえ「戦争犯罪人をどう扱えばいいのだろう?」などと呆れたコラムを掲載することができる。世界でもより文明的とみなされる一部の人間がこの手のすべての出来事への反応を見るのは、実に興味深い。
 バイデンはプーチンを戦争犯罪者と呼んだ。これこそ「類は友を呼ぶ」という好例だ。アメリカはなぜ世界の一部しか経済制裁に加わらないのか理解していない。世界地図を見て制裁国家一覧マップを自分で作って見れば一目瞭然だ。英語圏の人々、ヨーロッパ、そしてアパルトヘイトの南アフリカが名誉白人と呼んでいた人々、つまり日本および旧植民地の数カ国。たったそれだけだ。「なんでお前らの偽善にまきこまれなきゃいけないんだ? なんでアメリアにはそのことが理解できないんだ?」アメリカは文明のレベルをあげて過去の被害者の立場に立って世界を見ることができるようにならなければいけない。

 米国は今、インドを支持している。モディ政権はネオファシスト政権で、インドの民主主義を破壊し、人種差別国に変えようとしている。ヒンズー教の独裁国家にし、カシミールを征服しようとしている。インドはイスラエルの緊密な同盟国だ。でもインドの実態はそれほど進んでいない。中国包囲網にも積極的には参加していない。インドは西側のゲームに関与するつもりはないと言っている。
 アメリカにとってロシアの問題は副次的なもので、最重要課題は中国を包囲することだ。従来の封じ込め作戦はすでに時代遅れだ。大規模な攻撃能力で武装した衛兵国家で中国を包囲しようとしている。衛兵国家に当たるのが、日本、オーストラリア、インド。インドに高精密なミサイルを提供し、オーストラリアには原子量潜水艦の提供するという。実戦配備されれば、誰にも発見されず、2~3日で中国艦隊を破壊できると公言している。中国は前近代的な潜水艦しか持っておらず対応ができない。アメリカのトライデント級原子力潜水艦が配備されれば、一隻の潜水艦で200近くの都市を核で破壊できるという。そして、アメリカはさらに進んだバージニア級潜水艦の配備に移行している。また、対中経済政策も準備中で、改善法は可決した。地球温暖化、パンデミック、核兵器の問題に対処するため中国と協力するのはやめようという。病理学的に見てこれほど狂気に満ちた戦略はない。中国の脅威とは何であるか。非常に残忍で手強い中国政府ではない。オーストラリアのポール・キーティングの記事がある。「中国の脅威は、中国が存在していることにある」という。中国がアメリカの命令に従わないからだ。実は、ヨーロッパもアメリカのキューバやイランに対する制裁を軽蔑し、反対しているが、ゴッドファーザーのつま先を踏んではいけないという理由で黙認している。アメリカのイラク侵攻は、ソ連とナチスドイツのポーランド侵攻と並んで歴史に刻まれるべき侵攻だ。中国は国務省が「成功した反抗」と呼ぶ反抗に従事している。

 国連総会の投票をふり返ると184対2でも、妥協しないのがアメリカだ。モンロー主義はアメリカが南半球を支配する決意表明と言える。1823年のキューバが米国の政策に反抗することに成功したため、アメリカはそれを実行しなければなくなっている。でも中国はキューバよりはるかに大きな国で、うまくアメリカの政策に逆らっている。ジム・マンティスによって策定された対策がある。アメリカはロシアにも中国にも勝たなければならない。でもそれは狂気を超えた話。中国とロシアのどちらかと戦争をする意味は、「知りあえてよかった。文明よさらば。私たちはおしまいだ」。プーチンはアメリカにとびきりの贈り物を差し出した。欧州を金の皿に載せ、アメリカに差し出した。冷戦の全期間を通じて最大の課題は、ヨーロッパが国際情勢において、独立した勢力になるかどうか、いわゆる第三勢力になるかどうかだった。ヨーロッパとロシアの平和的な共存体制をつくり出せるかどうか。もう一つはNATOが実行した「大西洋主義プログラム」と呼ぶものだ。アメリカが命令し、欧州がした従う。プーチンは「欧州ではなく、アメリカが問題だ」と言った。宇宙からだれかがこれを見ていたら笑い転げるだろう。世界で気候変動を止める動きが進んでいたが、環境保護主義者たちは追い払われた。エネルギー企業はほっとして、ハグしてほしいと思っているのだ。
 米政府は、8130億ドルの軍事予算を検討している。ドイツは国防費の上限を撤廃した。軍事産業や化石産業が勢いづいている。ネオ・マッカーシズム一色だ。支配的な報道や権力者の動機に疑問を呈することは反逆者、裏切り者、プーチンの手先と位置付けられる。ジュリアン・アンサンジは国民に明らかにされるべき情報を開示したために、罪に問われ、厳重警備の刑務所に収容され、拷問と認められる扱いを受けているよ。メディアはウィキリークスが暴露したものを嬉々として利用し、大金を稼ぎ、評判を上げた。でも、彼を支持し、彼を保護し、擁護するために動いていない。やったことは利用するけれど、支援しない、足元にへばりついているジャッカルと同じだ。1968年ベトナム戦争のピーク時、マクジョージ・バンディが書いてる。「アメリカがベトナムでやったことに誤りがあったのではないか、また、もっと他の方法があったのではないかという批判がある」「しかし、戦術的な問題を踏み越えて、アメリカの政策に疑問を呈する野人たちもいる。ひどい奴らだ。だが、アメリカは民主主義国だ。彼らを殺すことはしない」。カークパトリック国連大使は「道徳的同等性」という概念を考案した。もしあなたが果敢にもアメリカを批判するなら、あなたは道徳的同等性という罪を犯していることになる」と。「道徳的に世界で最も優れたアメリカを批判する人間は、スターリンやヒトラーと同じ道徳レベルしか持っていない」との論理だ。だから「誰もアメリカを批判する権利はない」と。今もう一つ使われている言葉がある。ホワットアバウティズムだ。(whataboutism)。過去の過ちを挙げて、今アメリカがやっている行動を批判することはホワットアバウティズム(whataboutism)に当たる(論理的に間違っている)と言われ、相手にされないのだ。

 

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アメリカのエルサルバドル寡頭制支配体制支援とウクライナ戦争

2022年06月24日 | 国際・政治

 ウクライナ戦争が始まるまでは、私は、日本の戦後の歴史、特に明治維新以後の「薩長史観」といわれる歴史の諸問題や、「逆コース」と言われるGHQの方針転換後の日本の歴史の諸問題を中心に、歴史の学び直しをしてきました。
 当初GHQは、日本の実態を踏まえ、丁寧に「日本の民主化・非軍事化」に取り組んでいたと思います。でも、よく知られているように、日本共産党主導の二・一ゼネスト(1947年)をきっかけとして、GHQは対日占領政策を根本的に転換したのです。そして、「公職追放令」や「団体等規正令」などによる戦争指導層排除の方針を、労働運動や社会主義運動を取り締まる法律に変え、戦争指導層と手を組むことにしたのだと思います。だから、それを正当化するためと思われる諸事件が頻発することになったのではないでしょうか。

 「レッドパージ」開始後、公職追放の対象が右翼から左翼に変化したと言えるわけですが、GHQのこの方針転換後の諸政策が、ベトナム戦争におけるドミノ理論で明らかなアメリカの反共思想を象徴していると思います。
 したがって、「ロイヤル答申」に基づいて、旧日本軍の軍人を中心に構成された「警察予備隊」や「自衛隊」も、また、その後締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」も、基本的には、アメリカの反共思想に基づいたもので、安保条約は言い換えれば反共軍事同盟だと思います。

 そして、そうした日本の歴史を踏まえてウクライナ戦争をとらえると、同じような側面が見えるような気がします。
 アメリカは世界中の国の紛争に関わっているように思いますが、そのかかわり方には大きく二つに分けられると思います。 
 一つは、その国が社会主義政権の場合、反政府勢力を支援して政権転覆を意図するということです。
 もう一つは、その国が親米政権であれば、たとえその政権が独裁政権であっても、その政権を支援し、民族解放戦線などの反政府勢力を潰しにかかるということです。
 前者の例は、ニカラグアやリビア、チリなどであり、後者の例は、ベトナムや今回取り上げたエルサルバドルなどに見られると思います。
 アメリカが、ヤヌコビッチ大統領を歴史上稀に見る独裁者に仕立て上げ、暴力的な政権転覆に手を貸したという主張に耳を傾ければ、ウクライナは前者であり、逆コース後の日本はどちらかといえば、後者に入ると思います。

 そして、そうした見方が、単なる妄想や空想ではないことが、下記の、中米の小国、エルサルバドルに対するアメリカのかかわり方が示しているのではないかと思います。"…このままでは政府軍はあと半年しか持たず、革命成功は時間の問題と言われた。この時介入してきたのが米国である。レーガン政権は対ゲリラ戦用のヘリコプターや攻撃機を供与するとともに、経済・軍事援助を大幅に増額した。このため政府軍の兵力は一挙に増大した。政府軍は、ゲリラ支配区を空から爆撃したうえ、ヘリで空輸された兵士がゲリラ支配区の村を焼き払った。…”とあります。ほんの2%の富裕層が、国土の60%を私有するという 「14家族」の寡頭制支配体制による差別や搾取を乗り越えるために立ち上がったのが、ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)です。そのファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)を、なぜ、アメリカが潰しにかかったのか、なぜ、自由主義や民主主義に反する寡頭制支配体制を維持しようとする政権をアメリカが支援したのか。そこに、ドミノ理論に繋がる反共思想が示されているのではないか、と私は思うのです。
 そうした問題意識をもって、ウクライナ戦争をふり返ると見えてくるものがあるように思います。
 だから、「燃える中南米 特派員報告」伊藤千尋(岩波新書)から、「エルサルバドルの最前線へ」と<「救世主」に見放されて>を抜萃しました。とても考えさせられる特派員報告であると思います。
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                      第一章 革命と内戦

                   ニカラグア、エルサルバドルの素顔


 エルサルバドルの最前線へ
 ニカラグアと同じく、内戦が続く隣国エルサルバドル。首都サンサルバドルから東へ150キロのサンミゲルに本部を置く陸軍東部方面軍は、左翼ゲリラ組織、ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)に対する制圧作戦の前線基地だ。重装備のヘリコプターが空に舞い上がり、迷彩服のコブラ小隊40人が2台のトラックに分乗して、ゲリラ出没地点のレンパ川一帯に出撃した。赤土の道路の両側は、収穫期を迎えた白い綿花と、赤い実のコーヒー畑が続く。車はたびたび停止した。前方に数台の車が連なって停車しており、運転手たちの顔は一様に恐怖で引きつっている。すぐ前方で今しがた戦闘があったのだ。銃声が静まっても、だれも車を前に進めようとしない。ひたすら、向こう側から車がやって来るのを待つ。
 しかし、戦場の村で生きる民衆にとって、恐怖はその比ではない。「ゲリラが来て、共に銃を取れといった。従えば政府軍に家を焼かれる。断ればゲリラに殺される。わしら農民は、そのつど逃げるしかない。でも、土地を離れて逃げれば生きていけない」と、沿道の農民へラルド・ソリスさん(40歳)は嘆く。そのかたわらを、直径50センチもある水がめを背負った10歳ほどの少年と母親が、うつろな目で通り過ぎる。ボロをまとった母親がつぶやいた。「生活が少しはよくなるかと、ゲリラにに期待した。でも、長い内戦にもう疲れた。今はなにも考えたくない」。水がめは少年の肩にくいこみ、少年の背は老人のように曲がっていた。黙々と歩く二人のわきを、機関銃の銃口をハリネズミのようにいくつも突き出した政府軍のトラックが通りすぎ、砂埃を舞いあげた。二人は無言のまま、ほこりの中を歩き続けた。
 首都から北部幹線道を、車で一路北へ。隣のホンジュラスまでわずか11キロの国境の町ラパルマをめざす。1984年10月に、内戦開始以来初めてのゲリラと政府の和平交渉がここで開かれてから一年目の日だ。この間、交渉は途絶え、両者の対立がいっそう深まった。ここ数日、ゲリラは全土で道路封鎖を宣言し、通行する車両は銃撃すると警告している。攻撃された車はすでに数十台にのぼり、昨日は赤十字の救急車が地雷に触れて爆破された。私の乗る車は、銃撃に会ったときガラスが飛び散るのを防ぐため、すべての窓に布テープをはってある。一年前は政府とゲリラの合意の下に安全が保証されたこの道が、今は命がけである。自動小銃を突き出した軍用トラック、装甲車が行き交う。橋のたもとには、安全武装の政府軍兵士が目を光らせる。首都中心部を出発して一時間半ほどで、すれ違う車はなくなった。道路わきの電柱が爆破され、切れて垂れ下がった電線が風に揺れている。雨上がりの空に虹が浮かぶ。よく見ようと窓に顔を近づけると、運転手が「伏せろ。狙撃されるぞ!」と叫んだ。一瞬、蝶に見とれて塹壕から顔を出し狙撃され命を失ったレマルク原作の『西部戦線異状なし』の主人公を思い出した。ここには夢に思いを馳せる束の間の自由もない。
 不気味に静まりかえった舗装道路をさらに一時間。道筋の民家の軒先に白い旗が掲げてある。平和の象徴だ。一年前、この町に集まった政府とゲリラの代表を、人々はこの旗の波で迎えた。今はまばらだ。やがてラパルマに入った。かつて両者の対話の場となった教会前の広場には、政府軍部隊100人が陣取っていた。22歳の中尉が無線でひっきりなしに交信している。「ネコから幽霊へ応答せよ」。ネコとはこの中尉の暗号だ。偵察から帰ったばかりの兵士が米国製M16自動小銃を身から離さず、コンクリートの塀の影で身体を休める。そのベルトにはUSのマークが刻印してある。装備はすべて米軍の支給品だ。3日前にはゲリラがこの町を占拠していた。今も6キロ先の山中にいるという。両軍の一進一退が、この町を舞台に展開する。
 かつて和平交渉の地はいま、最前線である。住民の表情は固い。広場の一角で野菜を売っていたマリア・マンシーヤさん(35歳)は、「あの交渉でようやく平和が来ると思ったのに。ふたりの子どものためにも、早くヘ平和が欲しい」と訴える。クリ色の髪をしたトマト売りの少女マルタさん(16歳)は「平和が来たら、したいこと山ほどある。でも、平和はこないわ」と言い切った。町なかに白い旗はもう見られない。家々の壁は弾痕だらけだ。住民はあきらめきっている。

 「救世主」に見放されて
 かつてエルサルバドルは、「中米の日本」と呼ばれた。国土は狭いのに人口密度が高く、日本の四国よりやや広い土地に約500万人が住む。火山が多い山国だ。国民は勤勉なうえ親切である。「エル・サルバドル」とは「救世主」の意味だ。その昔、スペイン軍が征服に成功したとき、勝利を神に感謝して名づけた。しかし、現在この国は、救世主から見放されたとしか思えない。「死の部隊」と呼ばれる極右暗殺者集団が暗躍し、白昼から市民を虐殺する。80年3月には、その一部がカトリック大司教(オスカル・ロメロ)を暗殺した。これをきっかけとして本格化した内戦で、死者はこれまでに6万人を越す。
 かつてこの国には「14家族」といわれる寡頭制支配体制が君臨した。ほんの2%の富裕層が、国土の60%を私有した。一方では、コーヒーや綿花など季節労働にのみ使われる、膨大な数の貧しい農民がいる。1957年には国民の6割が月収1300円ほどという低賃金だった。食べ物を買えず、5歳以下の子どもの70%が栄養失調に陥っていた。農民は学校に行けず、文盲率は43%にも達した。あまりにひどい不平等のため、1932年には共産党の指導の下で小作農たちが山刀を手に蜂起したが、計画が漏れて3万人が政府軍に殺された。この時銃殺された共産党の指導者の名をファラブンド・マルチという。80年に国内の左翼ゲリラ5組織が集まって統一ゲリラ組織を結成したとき、この名をとって、ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)」と名づけた。
 ゲリラ組織は攻撃を重ね、83年には国土の三分の一を支配下に置いた。当時の政府軍は「午後五時までの軍隊」といわれ、夕刻にはさっさと自宅に帰るサラリーマンぶりで士気も上がらなかった。このままでは政府軍はあと半年しか持たず、革命成功は時間の問題と言われた。この時介入してきたのが米国である。レーガン政権は対ゲリラ戦用のヘリコプターや攻撃機を供与するとともに、経済・軍事援助を大幅に増額した。このため政府軍の兵力は一挙に増大した。政府軍は、ゲリラ支配区を空から爆撃したうえ、ヘリで空輸された兵士がゲリラ支配区の村を焼き払った。こうしたなかで84年に就任した中道のドアルテ大統領はゲリラの対話呼びかけに応じ、同年10月、ラパルマの町で初めての和平交渉が実現したのだ。「ラ・パルマ」とはスペイン語で植物のシュロを指す。シュロは平和の象徴である。人々はこの交渉に期待し、当日は国をあげてお祭り騒ぎとなった。
 しかし、ゲリラの武装解除を求める政府と、政権への参加を要求するゲリラとの主張はかみ合わず、交渉は一か月後の第二回で打切られた。以後は、ゲリラに対しては軍事せん滅あるのみ、とする軍部の主張が優先した。これは米国の意志でもある。圧倒的な物量作戦により、ゲリラ側はしだいに追い詰められた。政府側は、拡声器を山に向け、自動小銃持参の投降者には罪を許したうえ160ドルを与える、と呼びかける心理作戦を展開した。内戦の長期化に疲れて政府側に投降するゲリラが相次ぎ、ゲリラ勢力は最盛期の1万2000から、85年には三分の一の4000に減った。このためゲリラは従来のような支配区分を拡大する「面」の戦略から、国内各地でテロ活動を行なう「点」の戦略に重点を移し首都で米海兵隊員射殺、さらには大統領の娘を誘拐して捕虜となっていたゲリラ指導者と身柄を交換するなどの動きを見せた。道路封鎖や首都の送電施設の破壊は日常的に行われている。
 戦乱だけではない。86年10月には大地震で1500人以上が死んだ。被災者は30万人に及ぶ。内戦により国内の難民キャンプ、さらには国外に逃れた戦争難民は50万人を越す。戦争そして天災により、総人口500万人のこの国でいまや国民の六人に一人が難民となった。
 首都サンサルバドルの空港に夜、到着すると、タクシーは30分間全速力で市中心部へ車を飛ばす。空港と首都とを結ぶ国道でさえ、政府軍が完全に制圧してはいないのだ。道路のあちこちで自動小銃を構えた政府軍兵士がパトロールする。首都中心部は、一見すると平和で繁栄し、内戦下とは思えないほどだ。商店には物資が満ち、真新しいジョッピングセンターは買い物客でにぎわう。しかし、街中を通る軍用トラックの荷台に乗った兵士の銃口は、市民に向けられている。ゲリラの不意打ちに備えてのことだ。戦争と平和の混在する奇妙な世界がここにある。道路のあちこちにはカマボコ状の盛り上がりがある。ゲリラの車が襲撃後に高速で逃げるのを防ぐためのバリケードだ。車はこの前でいったん停止し、ギヤを切り替えてからゆっくりとこの障害物を越える、ひどいところは、100メートル行くのに10回も停車をくり返す。このバリケードを人々は「墓」と呼ぶ。形が似ているからだ。そしてこの国を「墓国」と呼ぶ。
 東部の前線地帯への取材に先立って、国防相を訪れた。周囲は防塁がめぐらされ、まるで都市の真ん中に城塞が出現したかのようだ。出入りする車は入念な検査をし、車の下に鏡を差し入れて爆発物などないか調べる。政府軍スポークスマンのリカルド・シェンフェゴス中佐に会った。「目下の激戦地は?」と質問すると、壁一面の地図を棒で指し、次々に地名を挙げた。「戦闘の主な時間帯は?」「24時間だ」。「最近、最も大きな戦闘があったのはどこか?」「今この瞬間に起きているかもしれない」…。中佐は最後に東部方面軍司令官への紹介状を書き、「気をつけて行けよ。死ななかったらまた会おう」と笑った。
 この三か月後、私は新聞を開いて絶句した。テニス・ウェアを着てベンチに座り、頭からすっぽりと上着をかぶった男の写真がのっている。テニスのあとうたた寝しているようだが、実は死体である。ゲリラのテロ活動で射殺された将校、と写真に説明があるが、上着の下の隠された顔を、私は思い浮かべることができた。写真の下には、シェンフェゴス中佐の名が書いてあった。
 87年2月、大統領官邸にドアルテ大統領を訪ね、日本人記者として初めて公式単独会見を行なった。ドアルテ大統領は、中米の現在を「独裁から民主主義への過渡期にある。輝く未来のまえに横たわる最も困難な時期」と説明した。そして、「中米全域が民主化するか共産化するか、どちらか一つの道しかない。内戦、経済危機、地震、改革を阻む要素があまりにも多い」とため息をついた。大統領官邸の周囲は、大地震で壊滅した家々の残骸がそのまま残っている。エル・サルバドル、即ち救世主は、いつになったらこの国に顔をみせるのだろうか。

 「失われた世代」
 この泥沼の内戦は、渦中の人々にとってどれほどの重みをもつのか。その一端を、首都サンサルバドルの難民キャンプでかいま見た。
 ときおり遠い砲声が聞こえる。下町のぬかるみの袋小路。鶏が放し飼いされ、腐臭漂うなかで裸の子が戯れる。その向こうの古びた教会が、臨時の難民収容所である。礼拝堂の床には粗末な毛布が並び、戦場の村を追われ命からがら逃げてきた人々が、冷たく固い石のうえに痩せた体を横たえる。
 難民の一人ニコラス・アルファロさん(55歳)は、首都の東20キロのコフテペケ県の農民だった。トウモロコシ畑が戦場となり、砲煙と機関銃の銃声の中を、わずかな家財道具を手に、妻と子供三人を連れて逃げたのが80年3月。以来ずっと、このキャンプで過ごしてきた。
 教会正面の鉄の扉は固く閉ざされていた。アルファロさんに、扉を開けない理由を聞いて耳を疑った。政府軍を恐れているのだという。難民となるような貧しい農民には左翼に共感する人が多く、軍は収容施設をゲリラ基地と同一視する。つい最近も、武装兵士が踏み込み、数人を連行した。本来なら難民を保護するはずの政府軍が、ここでは恐怖の的になっている。難民は避難先の、それも教会にいてさえ、心が休まらない。わずかな物音におののき、眠れない夜が続く毎日だ。
 かたわらの男の首には、毛糸で編んだ十字架が下がっていた。職は見つからず、貧しくて、露店で売っている金属製の安物の十字架さえ買えない。やむなく、着古したセーターのほつれた毛糸を糸で結んで作ったのだ。頼れるもののない不安さからわずか三センチ四方の毛糸の十字架にさえすがろうとする。
 難民の心をいっそう重くしているのは、その存在が無視されていることだ。収容されたあとは、職をあてがわれるのでなく、いわば「飼い殺し」の日々が続く。85年3月に実施された大統領選でも、難民は投票できなかった。規則は、出身地で投票するよう定めているが、戦場と化した村に帰れるはずはなく、35万人の投票権は葬られた。家を焼かれ、土地を棄て、内戦で最も被害を受けた彼らには、ささやかな一票の意思表示をする機会もない。  
 別れぎわに、アルファロさんと握手した。貧農に生まれ、小学校に通えず、半生を土とともに過ごした根っからの農民というのに、その手のひらは女性のように柔らかかった。畑仕事をやめて祈るのみの日々は、硬かった手をふくよかに変えてしまったのだ。内戦の歳月は、人々の心を痛め、生活を破壊しただけではない。一人の人間が生きてきた証左さえ葬り去った。
 新聞に「平和を求める」と題した女性読者の投降の詩がのっていた。
 ”私は平和を求める 心が男性を求めるように
 幸福に満ち 永遠と歓喜の平和を
 私は平和を求める 体が空気を求めるように
 生きるための 不可欠の要素として
 おお、神よ 奇跡をあなたに願う
 平和がかくも 遠のかざらんことを”

 内戦の長期化で、国民の心を虚無感と絶望が覆っている。かつての活力が影を潜め、人々は意欲をなくした。この国の精神病理学者は現状を憂い、現在の国民を「失われた世代」と呼ぶ。熱帯の太陽が照りつける昼下がりの首都の街道で、ブーゲンビリアの赤い葉の下、失業中の若者が黙りこくって座っている。その目の前を、米国製M16自動小銃を構えた兵士を満載した兵員輸送車が通り過ぎる。若者のうつろな目と、兵士のギラギラ光る目は対照的だが、その底には共通して空しさがある。
 この国の最大の産業は「戦争」である。若者は徴兵されて戦地に赴く。戦地といっても、首都から車で一歩出れば、もう前線地帯だ。戦争は日常生活に組みこまれている。戦う相手は同胞であり、戦争の大義を個々人は見いだせない。
 小規模な国家経済では多数の兵士を養えず、数年で除隊を迫られる。若い盛りに銃の扱いと人の殺し方しか教えられなかった彼らがつけるまともな職はない。それでなくとも内戦下、農地は戦場となり、工場は閉鎖して、失業率は労働人口の半分、実に50%に達している。今、数千人の退役軍人が警備員やボディーガードとして糊口をしのいでいる。
 内戦と経済破綻で、国の教育予算は小学校の義務教育さえ維持できず、地震で倒壊した首都の学校再建は進まない。学校に行けない子が87年、100万人を越した。全児童・生徒数の40%に当たる膨大な数だ。
 農村は戦場と化し荒れはてた。わずかに残った耕作地でも農民が戸惑っている。農地改革は実施されても、かえって農家の収入は減った。コーヒーや綿花などの大規模農業が伝統的な同国で、いきなり土地を細切れにしても、新たな農業技術教育がされなければ生産は低下するしかないのだ。
 最も苦しい立場にあるのは、山岳部の左翼ゲリラだ。政府軍は「武器をもって投降すれば大金をやる」と、挫折したゲリラ兵士の心を金で買う工作を展開する。筋金入りではない兵士は未来が見えず、苦しいだけの生活に疲れて誘いに乗る。投降の際には仲間を殺し、その銃を奪って金にするものも出ている。
 心の荒廃は政府軍とて同様だ。最低給料で戦場に追いやられる彼らは、物価高の中で家族を養うため、弾薬をこっそり「死の商人」に売る。ゲリラに転売されることを知っていながら。売却の際に「ゲリラに渡るんじゃないだろうな」とひとこと言うのは、呵責の念を自分で免罪するために過ぎない。その弾はやがてわが身にはね返ってくるかもしれないが、宝くじに当たるような確率だからと自分を納得させる。仲間の誰かに向って飛んでくることは確実なのだが、そんなことは意に介さない。
 裏切り、失望、モラルの崩壊が習い性となった社会。たとえ内戦が今すぐ終わったとしても、健全さがすぐによみがえるはずがない。内戦の悲劇とは、現在だけでなく、将来にわたって、人間の精神も社会も荒廃させることになる。
 「失われた世代」とは元来、第一次世界大戦の戦場を体験、様々な幻滅を経て1920~30年代に活躍したヘミングウェイら米国の若き作家たちに与えられた名だった。荒廃の中から雄々しく、かつ人間性に満ちた文学を創造した彼らのように、エルサルバドルの人々がたくましく立ち上がる日は、いつ来るのだろうか。 

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アメリカのニカラグア反政府勢力支援とウクライナ戦争

2022年06月21日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞は、中国の3隻目となる空母「福建」が進水し、自衛隊関係者が「極めて大きな脅威だ」と危機感を募らせているということを報じました。であれば日本は、ロシアがNATO(北大西洋条約機構)の拡大やNATO諸国の軍事演習、またウクライナへの武器の配備に、脅威を感じ危機感を募らせていたことを理解し、対応すべきだったのではないでしょうか。ロシアが、ウクライナとの国境付近に軍部隊や戦車などを終結させている時に、なぜ、話し合いを求め、侵攻を食い止める努力をしなかったのでしょうか。
 また、4月22日、アメリカの国家安全保障会議インド・太平洋調整官のキャンベル氏は、南太平洋の島国ソロモン諸島を訪れ、ソガバレ首相に対し、”ソロモンと中国が署名した安全保障協定について、中国軍がソロモンに常駐した場合は、対抗措置を取ると警告した”との報道がありました。アメリカから遠く離れた小さな島国に対してさえ、そうした圧力をかけるアメリカは NATO諸国の動きにロシアが脅威を感じ、危機感を募らせていることを知らなかったはずはないと思います。それを十分承知した上で、アメリカのバイデン大統領は、”ロシア軍は、2月16日にウクライナに侵攻するだろう”と予言めいたことを言ったのです。そこに私は、ウクライナ戦争にかけるアメリカの意図や思いがあらわれていると思います。
 
 朝日新聞は、耕論欄に「戦争とスポーツ」と題し、フェンシング指導者のオレグ・マツェイチュクさんの主張を掲載しました。そこに、”どの国にも良い人、悪い人はいる。どこの国で生まれたか、国籍で差別したくありません。ただ今回、ロシアが仕掛けた戦争は許せません。フェンシングをはじめ、ほとんどのスポーツの国際競技連盟がロシアを国際大会から排除しているのは、正しい判断だと思います。一方、スポーツと政治は別であるべきだ、国家の責任を個々のアスリートに押しつけるのはかわいそう、という声は耳に入ってきます。では、母国が無慈悲に空爆され、大勢の国民が殺される立場に置かれたとしても、その理想を貫けますか? そう問い返したいです。… ウクライナでは2004年のオレンジ革命、そして14年のマイダン革命で親ロシア路線に国民が反旗を翻し、民主主義を守りました。自由のためなら耐え忍ばない。皆が死を覚悟して闘いました。…”とありました。その気持はわかるような気がしますが、賛成はできません。なぜなら、彼にはオレンジ革命やマイダン革命、また、ウクライナ戦争の真相が十分理解されていない部分があるように思うからです。
 特にアメリカが、ロシアに対する敵視政策をどのように進めていたか、また、ウクライナの政権転覆や今回の戦争にどのように関わっていたか、ほとんど考慮されていないように思います。だから、彼は、通り魔が突然通行人に襲いかかるように、ロシアが突然ウクライナに襲いかかったというような捉え方をしているように思います。でも現実がそんなものでなかったことは、侵攻前のプーチン大統領の演説の内容でわかると思います。
 マイダン革命にアメリカが深くかかわっていることはすでに取り上げましたが、そうしたウクライナに対するアメリカのさまざまな働きかけを見ないと、ロシア軍が通り魔の如き存在に見えるのだろうと思います。だから、彼の主張を取り上げること自体が、アメリカのプロパガンダに協力する意味を持つのではないかと思います。
 私はロシア側にもいろいろな問題があるだろうとは思いますが、ロシア以上にアメリカが問題なのだと思っています。だから、今回は、「燃える中南米 特派員報告」伊藤千尋(岩波新書)から、ニカラグアに対するアメリカのかかわりを明らかにした部分を抜萃しました。アメリカが反政府勢力を支援し、政権転覆を意図するところは、ウクライナに対するアメリカの関わり方と共通している面が多いと思います。
 アメリカの援助に支えられたニカラグアの反政府勢力との戦いについて、ニカラグアのベツヘ内相は、”ニカラグアには内戦はない。あるのはニカラグアと米国との戦争だ”と語ったことが書かれていますが、それは、アメリカの外交政策を象徴しているように思います。
 アメリカは自由主義や民主主義を掲げ、社会主義政権の国を、専制主義や独裁主義の国と非難して潰そうとしてきたと思います。でも、アメリカの掲げる自由主義は、搾取を可能にするための自由主義であり、アメリカの民主主義は、アメリカの権力を維持することが可能な範囲での民主主義であるように思います。アメリカの国内は、かなり民主主義が進んでいると思いますが、外交では、いつも経済力や武力を背景にかなり強引な主張を押し通していると思います。特に、アフリカや中東、アジアやラテンアメリカの小国に対する姿勢は、とても不平等で民主的なものとは思えません。アメリカの掲げる自由主義や民主主義は、真実を覆い隠した自由主義であり、民主主義だと思います。第二次世界大戦後も、くり返し戦争をしてきたのはアメリカです。だから、アメリカの政治家は、仮面をかぶり、素顔を隠していると思います。
 ニカラグアにたいするアメリカの政策が示すのは、アメリカの外交が武力主義であり、また、制裁主義であって、決して民主的ではないということだと思います。そして、それはウクライナ戦争にも共通していると思います。

 ウクライナ戦争に関わるプロパガンダを見抜き、真実を知るためには、様々な情報源から出来るだけ多くの情報を得ること、また、過去にアメリカが関わった戦争や政権転覆の詳細をいろいろ知ることが欠かせないと思います。アメリカやウクライナからもたらされる情報だけでは、決して法的に正しい判断を下すための真実を知ることはできないと思います。
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               第一章 革命と内戦

            ニカラグア、エルサルバドルの素顔
 サンディニスタ革命
 ・・・
 中南米でめだつのは貧しさだが、中米地域の国内総生産は、中南米平均の三分の一でしかない。とりわけ貧しいのだ。ニカラグアの年間国民所得は、ざっと日本の一ヶ月分である。ボルヘ内相は言う。「中南米の問題は飢えなのだ。飢えは東西紛争とは関係ない。中米の司令官はただ一人、飢餓将軍が存在するのみだ」。サンディニスタ革命とは飢餓に追いつめられた人々が、飢餓をもたらす構造に立ち向かい、不平等の是正と社会的正義の実現を求めた闘いだった。革命から八年後の87年に制定された新憲法は、前文でその目的を「すべての搾取階級をなくし、経済・政治・社会的平等を達成し、人権を尊重する新しい社会の建設のために」とうたう。
 革命前、農民の75%が土地を持たない貧農で、平均年収は二万五千円でしかなかった。国民が貧困と飢餓に苦しむのに、独裁者ソモサは国の総生産の三分の一を一族の手に収めた。肥えた農地のほとんどは、人口の7%にすぎない地主が私有していた。不満を漏らすものにたいしては、独裁者の私兵である国家警備隊が暴力で取り締まり、40余年間に30万人が虐殺されたという。その独裁政権の打倒を掲げて61年に組織されたのがサンディニスタ民族解放戦(FSLN)だ。
 「サンディニスタ」とは「サンディーノ主義者」という意味である。サンディーノとは、1920年代に米海兵隊のニカラグア駐留に反抗してゲリラ戦を開始した将軍の名だ。米国はかつてパナマのかわりにこのニカラグアに運河を掘ろうとしたこともあり、十九世紀中期には米国人が軍団を率いてニカラグアを占領し、大統領になった。当時は米国資本のバナナ農園が広がってニカラグアは米国の「バナナ共和国」でしかなく、農民は奴隷労働を強いられた。米国は、民族主義的な動きが出た1912年に海兵隊を侵攻させ、20年間にわたってニカラグアを軍事占領した。これにたいして「自由」と「死」を象徴する赤と黒の旗を掲げて武装蜂起したのがサンディーノ将軍だった。自由を得なければ、服従よりも死を選ぶ、という気概を示した。同将軍をだまして暗殺し、独裁者となったのがソモサである。反独裁と反米ナショナリズムの闘いは、1927年のサンディーノの蜂起から79年の革命成功まで、実に半世紀におよぶ歴史があるのだ。
 サンディニスタ民族解放戦線は、サンディーノの主張と二色の旗をそのまま採用した。だから、その主張の根幹は民族主義である。米国に対して立ち向かう姿勢は、この時からのものだ。米国によるニカラグア侵攻の危険性を現政権が声高に叫ぶのも、歴史的な侵略の事実を踏まえているからである。
 サンディニスタ民族解放戦線は、三つのグループの連合体である。創始者のカルロス・フォンセカや現政府の実力者ボルヘ内相らの持久人民戦線(GPP)は、中国革命型の農村を中心とした持久闘争を進めていた。ウイロック農相らプロレタリア派(GPP)は、都市労働者が前衛となるよう主張した。オルテガ大統領ら第三派(TT)は、農民や都市労働者にこだわらず国民的な連合による反独裁の闘いを呼びかけた。女性も革命に数多く参加し、独裁打倒時には革命軍の30%が女性だった。政権奪取後は、この三つの派から三人ずつが出て全国評議会を構成し、党は集団指導体制を旨としている。党綱領は「忘れられたすべての貧しい人々のための政府」の樹立を宣言した。
 革命後は直ちに社会改革に取り組んだ。農地改革により、革命前に全農地の36%を占めた350ヘエクタールを超す大農地は、86年には11%に減った。革命後に自分の土地を手にした農民は12万家族に及ぶ。特に政府が力を入れたのは教育と福祉で、中学生ら5000人を山村に派遣しての文盲退治運動の展開により、50%をこえていた文盲率は13%に減り、40万人が学校に行けるようになった。乳児死亡率は三割も減らした。何よりも、政府は、「革命は国民一人ひとりを政治の対象から主体に変えた」(アルセ革命司令官)と胸を張る。
 とはいえ、革命政権の指導部にとって、実際に政治を運営するのはこれが初めてだ。革命の理想を掲げつつ、実際の現場では試行錯誤の政策を展開してきた。政府の閣僚と国民が顔を突き合わせる「対話集会」は、世界でも珍しい直接民主主義の試みである。
 首都マナグアの繊維工場の中庭に折り畳みの椅子が並び、青空の下、300人の労働者や付近の住民が座った。その前方には板を数枚重ねた段が作られ、大統領をはじめすべての閣僚、次官ら約30人が対面する。市民の質問や要望に、政府指導部が直接答えるのだ。いわば大衆団交である。筋書はない。発言希望者は勝手に手を上げる。「真面目に働いているのに給料が少なすぎる」「ヤミ市で買わなければ食べていけない。何故こうなるのか説明してほしい」と労働者が問う。経済閣僚が、苦しい国の台所事情と賃上げの見通しを話す。若い男が「役所でたらい回しされた。官僚主義じゃないか。省なんかなくして、みんな一つにしちまえ」というと、ドッと拍手がわいた。文学者でもあるラミレス副大統領が苦笑いしながら立ち上がり、「労働者にエリートはあってはならない。官僚主義をなくす闘いを進めたい」と答えた。
 他にも、トラクターの性能が悪くて困るという農民の訴えや、内戦終結の見通しなどの問いが相次いだ。きわめて率直なホンネが飛び交う。閣僚は問題点をメモする。土曜の午前10時に始まった集会は炎天下、休みなく二時間半続いた。閣僚たちのなかにはジーンズ、野球帽姿もいる。ネクタイなどしている人は一人もいない。きわめて気さくだ。集会が終わると、参加者と閣僚が握手し会話を交わす。まるで旧知の友だち同士のような家族的な雰囲気だ。この対話集会は毎週土曜、国内のどこかで開かれている。
 ニカラグアについての大きな錯覚は、サンディニスタ政権がマルクス主義政権の一党独裁だという誤解である。米レーガン政権が振りまいたデマだ。サンディニスタ政府は複数政党主義、混合経済、非同盟外交を政策の三本柱としている。84年10月の革命後初の大統領選挙で、その主張が国民の三分の二の支持を得た。当時でさえニカラグアには野党が六つあった。このうちサンディニスタより左の、マルクス主義を掲げる党が二つあった。ニカラグア共産党(ソ連派)の党首が「サンディニスタはイデオロギー的には混沌としている。政府のなかにカトリック神父までいる。マルクス主義とは無縁だ」というくらいなのだ。
 しかし内戦が進み米国との対決が増すにつれて、政権は左傾化してきた。当初、サンディニスタとともに国家再建委員会を構成してきた中間勢力は政府から次々に去り、在野で政府批判をした。批判の中心となったのは野党、新聞、教会の三つである。これに対し政府側は、反革命活動を助長しゲリラを利するもの、とみなしてしばしば弾圧した。
 社会民主党のトマス政治局長は「デモをすればやめさせられ、宣伝ビラは焼かれた。これが民主主義か」となじる。この国には新聞が三紙ああるが、ただ一つの反政府系紙『ラプレンサ』は検閲を義務づけられてきた。ときには記事の60%が削られ、発行不能となった。その編輯局の外壁には、発禁処分となった記事が壁いっぱいに張ってある。せめてもの抵抗だ。ラミレス編集長は「自由な言論を求めての革命ではなかったのか」と非難する。カトリック教会のラジオも放送を禁じられた。教会の主流はオバンド・イ・ブラボ枢機卿を中心とし、ローマ法王庁の支持を受けた保守派である。政府の閣僚には「解放の神学」派の神父がいるとはいえ、進歩派は傍流でしかない。内戦という非常事態の下では、政府批判と反革命活動の区別がつきにくく、政府は批判者を反革命と断定して弾圧しがちだ。しかし、民主化の理想と抑圧は明らかに矛盾する。政権の真価が問われているといえる。

 コントラと米国
 ニカラグア政府は、反政府勢力を「コントラ」と呼ぶ。「コントラ・レボルシオン(反革命)」の略だ。反政府ゲリラは大きく三組織に分かれ、同国の北、東、南部の三方面で攻撃する。このうち最大の組織は、北部のニカラグア民主軍(FDN)だ。独裁政権時代の国家警備隊を主力として82年3月に結成され、米国から大量の資金・武器援助を受けてきた。その秘密司令部は、隣国ホンジュラスの首都テグシガルパにある。
 空港から七分。曲がりくねった道を車で走ると、右手に白い豪邸が見える。鉄の門は閉ざされ、門番が外を見張る。ここで会ったのは、FDNのナンバー2、ロドリゲス氏(47歳)だった。かつて野党の総裁や大学の学長を務め、革命後も一時は政権の中枢にいた大物だ。ニカラグアの地図と幹部の肖像が掛かる作戦本部室で、同氏は「現有兵力22500人。ただし武器がないので戦えない部分がかなりある。九県で作戦を展開中であり、うち北部の三県に前進基地を置いた」と目下の戦闘配置を説明した。司令部の地下にはビデオ設備を多数置いた部屋があり、ここでゲリラ・キャンプでの訓練の様子を見た。兵士の質、装備、食事はいずれもひどい。足並みがそろわない行進や射撃の姿勢だけ見ても、訓練不足が知れる。軍服がなく、太ももまで裂けたズボンをはいたいた者までいる。食事は、すりつぶしたトウモロコシが金属のおわんに一杯だけだ。兵士一人の人を養うのに一日一ドルだという。
 そのゲリラ兵士に、ニカラグアとの国境地帯であった。テグシガルパから東へ200キロ。つづらおれの山道と三つの川を越え六回の検問を切り抜けると、国境の集落シフエンステだ。集落から国境まで600メートル。眼前の山はニカラグア領だ。一帯は「非常地帯」で通行禁止となり、ホンジュラス政府軍兵士が自動小銃を手に警戒している。ゲリラの第三十八大隊所属のレイタン軍曹と、ここで会った。その首に下がった楕円形の認識票にはゲリラとしての変名と血液型、認識番号、宗教が刻印されている。
 レイタン軍曹は、FDNがこの近くのホンジュラス領内に大小四つの秘密基地を置いていることを、具体的な基地名と兵員数まであげて明らかにした。さらに、ホンジュラスの政府がゲリラに土地と食料を提供していることも暴露した。当人としてはゲリラの宣伝のつもりで正直に話したのだが、これは大変なニュースだった。ホンジュラス領内にゲリラ基地があるのは公然の秘密だが、ホンジュラス政府はニカラグアとの争いを恐れて、認めようとしなかった。ところが、現実はかなり深入りした支持をしているのだ。話している目の前を、ゲリラ向けの食料を積んだホンジュラス軍のトラックが通り過ぎた。
 FDNの実働兵力は1万5000と見られている。これに加え、東部の湿地帯で活動するインディオ原住民の組織「キサン」が4000、南部のコスタリカ国境地帯では民主革命同盟(ARDE)の1000人が戦う。
「キサン」は「ニカラグア沿岸インディオ住民連合」の略称だ。ニカラグアの東部、カリブ海岸はインディオや黒人約30万人が住むが、太平洋岸の白人・混血のニカラグア人とは人種も文化も違う。革命後、政府はここに役人を送り近代化しようと試みたが、インディオにとっては従来の自治制度と固有の文化を奪われることにほかならなかった。内戦が進んで政府が安全保障を理由にインディオ住民を強制移住させたあと、ゲリラの使用を警戒して村を焼きは払ったことから対立が強まり、ホンジュラスに逃げた4万人のインディオの中からゲリラ組織が生まれた。
 キサンの秘密司令部もテグシガルパにある。鋭い目をしたヘルマン政治局長(33歳)は、「我々には武器も金もないが、三つの味方がある。神と人民と自然だ」という。信仰心厚いキリスト教徒の彼らは、当初ナイフや山刀を武器に立ち上がり、ジャングルとベトナム型のゲリラ戦を展開してきた。「これは正義の戦いだ。右の頬を殴られたら左の頬を殴り返す」とも言う。キサンの要求は連邦国家である。歴史的に手にしていた自治を政府が認めるよう主張する。「我々には服従した歴史はない。最後の血の一滴まで戦う」
 ニカラグアのサンディニスタ政権にとって、本当に困難なのは、実はこのインディオ問題である。両者は民族自決という同一の大義のために戦っている。インディオにすれば、サンディニスタこそ侵略者なのだ。政府にとってインディオの主張を否定することは、自らの革命活動を否定することになるのだ。
 このようなゲリラ諸勢力にたいし、米国は公然と軍事・経済援助をする一方、レーガン政権はニカラグアに経済封鎖の圧力をかけ、CIA(米中央情報局)がニカラグアの港湾に機雷をしかけたり、85年からは対ニカラグア全面禁輸という兵糧攻めに踏み切るなど、事実上の戦闘行為をとってきた。86年にはゲリラに武器を空輸していた飛行機がニカラグア領内で撃墜され米人乗員が逮捕されたが、その自供から隣国ホンジュラスやエルサルバドルの米軍基地を利用してのコントラ援助網が明らかになった。対イラン秘密工作と絡んだノース中佐による積極的なゲリラ軍事支援は、米議会でも問題となった。ニカラグアのベツヘ内相は「ニカラグアには内戦はない。あるのはニカラグアと米国との戦争だ」というほどだ。この認識から、ニカラグア政府はゲリラとの交渉は無意味であるとして、米国との二国間交渉を要求してきた。実際、ニカラグアのゲリラ、特に主力のFDNは、米国が援助しなければ一日として持たない、いわば「米国の傭兵」なのだ。
 FDNはその後、ARDEを吸収した形でニカラグア反政府連合(UNO)を結成した。さらに87年5月にはゲリラとインディオ、国内野党勢力の統一組織、ニカラグア抵抗(RN)に発展し、反サンディニスタの政治・軍事活動の組織系統を一本化した。
 FDNの非民主的な体質や麻薬とのかかわりなどが明らかになったり、国際世論がニカラグアの民族自決を支持して米議会が対ゲリラ援助に難色を示すと、米政府は工作をそのつどめぐらした。ニカラグア政府軍がホンジュラスに侵攻したと発表し、ホンジュラスに米兵を送って危機をあおりたて、米国内の世論を盛り上げて議会がゲリラへの援助を自ら議決するように持ち込むのだ。86年3月、同12月、88年3月と、まったく同じパターンが三度も続いた。ニカラグア軍の「侵攻」は、おそらく事実である。だが、これはホンジュラス領内にあるゲリラの基地を攻撃するためで、ホンジュラスを攻撃するのではない。両国の国境には小さな川が流れているだけの深い山岳地帯で、明確な国境線がみえるわけでもなく、戦闘中には知らずに越境することもありがちだ。ホンジュラス政府は、ニカラグア軍がホンジュラス内のゲリラ基地を攻撃することを、従来黙認して来た。領土内に他国のゲリラ基地の存在を許しておきながら、公にはその存在を否定せざるをえないという奇妙な立場からである。だから米政府がニカラグアの「侵攻」を発表しても、侵攻されたはずのホンジュラスの政府は当初、その事実を否定し、米政府から強く促されてようやく「侵攻された」と認めた。しばらくすると米国からホンジュラスへ経済援助のおみやげが渡されるのが、お定まりの型である。
 米レーガン政権はニカラグアを「西半球のガン」と敵視する。ニカラグア左翼政権の定着を許せば、中米全域、さらにはメキシコの共産化につながる、とのドミノ理論を恐れてのことだ。レーガン政権はニカラグアを「ソ連傘下の共産主義テロ国家」としか見ない。ホンジュラスに米軍基地を多数新設し、ニカラグア侵攻の際の前進基地とする体制を整えた。ホンジュラス駐留の米軍は常に数千人おり、軍事演習を絶やさないでニカラグアに心理的圧力をかける。とはいえ、実際に米軍がニカラグアに侵攻すれば、「第二のベトナム」となり、20万人の米兵が戦死する、といわれる。米政府はこれを嫌って、ニカラグア人同士が戦うように仕向け、真綿で首を絞めるような兵糧攻めを行なう。ニカラグアにしてみれば、米国こそが「テロ国家」なのだ。米国内にもニカラグアの国内問題に介入すべきではないとする世論が強いのに、レーガン政権は執拗にこの小国をつぶしにかかった。
 米国の圧力が強まるにつれて、ニカラグアは必然的にソ連に接近した。米国が経済封鎖した分をソ連が肩代わりした恰好だ。軍備から食料や燃料に至るまで、ニカラグアはもはやソ連の援助なしには維持できない。ソ連、東欧による大規模開発が国内で進み、ニカラグアの学生が毎年5000人、これら東欧諸国に留学している。南北問題を原因としておきた革命は、米国の敵視政策によって、いまや完全に東西問題となった。オルテガア大統領に会見したとき、「東西対決が激化するなかで、小国が非同盟を貫くのは難しい。ある程度の(一方への)依存はやむを得ない」と語った彼の表情は、苦悩に満ちていた。超大国の身勝手さが、小国の自立を踏みにじり、平和を遠のかせている。
 

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ロシアの軍事的敗北による問題解決を期待してるのですか?

2022年06月17日 | 国際・政治

 6月15日朝日新聞「時事小言」に、東京大名誉教授の政治学者・藤原帰一氏が、下記のようなことを書いています。
”・・・東部地域に主力を集めたロシア軍は開戦時の劣勢をはね返し、ルハンスク州を制圧する勢いだ。短期戦による戦勝に失敗したロシアは、戦争の長期化を想定した巻き返しに転じ、成果を上げようとしている。
 だがウクライナが負けたわけではない。そもそもロシアは戦争の行方を定めるような戦果はまだ手にしていない。時間が経過すれば北大西洋条約機構(NATO)諸国の提供する高性能兵器によってウクライナがロシア軍に対して優位となることも期待できるだけに、侵略者への屈服ではなく侵略に持ちこたえることがウクライナ側の目標になるだろう。
 将来の戦況が有利だと双方が考えるとき、戦争終結の展望はない。今後ドイツやフランスなどの諸国は欧州連合(EU)加盟交渉を誘い水として停戦交渉の再開をウクライナに提案するものと見られるが、停戦交渉に応じれば、ロシアが既に合併したクリミアや東部地域の自称人民共和国だけでなく2月の侵攻後に制圧した地域の帰属さえ議題になりかねない。侵略と殺戮を加えた側への譲歩をウクライナ住民が受け入れる可能性は低い以上、極度の戦況の変化がない限り、外交交渉によって停戦が実現する見込みは少ない。
 ・・・”
 私は、人が今殺し合っているというのに、どうしてこういうことを考えるのだろうと思いました。そして、藤原教授も、やはり停戦による話し合いの解決ではなく、アメリカの意向を受け入れて、ロシアの軍事的敗北による問題解決を期待しておられるのかも知れないと思いました。

 現在、日本のメディアに登場する多くの知識人の主張に共通しているのは、ロシアのウクライナ侵攻から話を始めること、言い換えれば、侵攻に至る経緯はほとんど問題にしないことだと思います。侵攻前に、プーチン大統領が国民に語りかけた演説に対する分析や考察も、目にしたことがありません。きちんと受けとめて考えれば、平和的に解決することもできるのではないか、と私は思います。
 また、ウクライナに対するアメリカの関わり方や、アメリカの意図の分析・考察などがほとんどないことも共通していると思います。それは、平和的解決の放棄に等しいように思います。

 私は、メディアに登場する多くの知識人が、ロシアのウクライナ侵攻や軍事攻撃ばかりを問題にし、侵攻前のNATOによるロシアに対する軍事的威嚇を無視していることが、とても気になるのです。

 また、50億ドルを費やし、アメリカがウクライナのヤヌコビッチ政権転覆に深く関わった事実や、その後のウクライナ政権との関わりも無視していると思います。米国務省のビクトリア・ヌーランド(オバマ大統領上級補佐官)が講演で、”我々は、ウクライナの繁栄、安全、民主主義を保障するため(現実は政権転覆)に50億ドル以上を投資してきた”と語り、元下院議員のロン・ポール氏が、”そういうことが許されるのか”と非難したという事実に目をつぶっていいのでしょうか。
 ヤヌコーヴィチ大統領を失脚させることになったデモが、「ウクライナ騒乱」と呼ばれるように、実は平和的なものではなく、極めて悪質で暴力的なものであったこと、また、デモの指導者が報酬を得ていたことも知られるようになっていたといいますが、そういうことに目をつぶると、将来に禍根を残すことになるのではないでしょうか。ブルドーザーで強引に警官隊を押しのけたり、火焔瓶を投げつけたり、警官隊に化学薬品を吹き付けたりする、kla.tvの動画(https://www.kla.tv/21962)を無視してよいのでょうか。

 さらに、ウクライナ戦争とノルドストリーム2の関連の問題なども無視していると思います。アメリカはウクライナ戦争によって、ヨーロッパに対するロシアの影響力拡大を阻止し、ロシアを弱体化させようとしていることは否定できないと思います。だからその目的を達成するために、話し合いをしないのだと思います。
 だからやはり、日本のメディアに登場する人たちは、アメリカの意向を受け入れて、ロシアの軍事的敗北による問題解決を期待しているように思います。

 事実はどうあれ、法律はどうあれ、アメリカの意向に従うというような姿勢を、私は受け入れることができません。下記は、NHKのサイトからプーチン大統領演説をコピーし貼り付けたものです。(空白を減らすために、いろいろなところで、行かえや段落は変更しています)。 
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                 プーチン大統領演説 2022年2月24日
NATOの“東方拡大”への危機感
親愛なるロシア国民の皆さん、親愛なる友人の皆さん。
きょうは、ドンバス(=ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州)で起きている悲劇的な事態、そしてロシアの重要な安全保障問題に、改めて立ち返る必要があると思う。
 まずことし2月21日の演説で話したことから始めたい。それは、私たちの特別な懸念や不安を呼び起こすもの、毎年着実に、西側諸国の無責任な政治家たちが我が国に対し、露骨に、無遠慮に作り出している、あの根源的な脅威のことだ。つまり、NATOの東方拡大、その軍備がロシア国境へ接近していることについてである。

 この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。
 私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺まんと嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。

 その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。軍事機構は動いている。繰り返すが、それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。西側諸国が打ち立てようとした“秩序”は混乱をもたらしてきた なぜ、このようなことが起きているのか。
 自分が優位であり、絶対的に正しく、なんでもしたい放題できるという、その厚かましい態度はどこから来ているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。答えは明白。すべては簡単で明瞭だ。

 1980年代末、ソビエト連邦は弱体化し、その後、完全に崩壊した。当時起きたことの一連の流れは、今でも私たちにとってよい教訓となっている。それは、権力や意志のまひというものが、完全なる退廃と忘却への第一歩であるということをはっきりと示した。当時、私たちはしばらく自信を喪失し、あっという間に世界のパワーバランスが崩れたのだ。
 これにより、従来の条約や協定には、事実上、効力がないという事態になった。説得や懇願ではどうにもならない。覇権、権力者が気に入らないことは、古風で、時代遅れで、必要ないと言われる。
それと反対に、彼らが有益だと思うことはすべて、最後の審判の真実かのように持ち上げられ、どんな代償を払ってでも、粗暴に、あらゆる手を使って押しつけてくる。賛同しない者は、ひざを折られる。

 私が今話しているのは、ロシアに限ったことではないし、懸念を感じているのは私たちだけではない。これは国際関係のシステム全体、時にアメリカの同盟諸国にまでも関わってくるものだ。
 ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法の規範が、そのうち最も重要で基本的なものは、第二次世界大戦の結果採択され、その結果を定着させてきたものであるが、それが、みずからを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。もちろん、実務において、国際関係において、また、それを規定するルールにおいては、世界情勢やパワーバランスそのものの変化も考慮しなければならなかった。しかしそれは、プロフェッショナルに、よどみなく、忍耐強く、そしてすべての国の国益を考慮し、尊重し、みずからの責任を理解したうえで実行すべきだった。しかしそうはいかなかった。
 あったのは絶対的な優位性と現代版専制主義からくる陶酔状態であり、さらに、一般教養のレベルの低さや、自分にとってだけ有益な解決策を準備し、採択し、押しつけてきた者たちの高慢さが背景にあった。事態は違う方向へと展開し始めた。

 例を挙げるのに遠くさかのぼる必要はない。まず、国連安保理の承認なしに、ベオグラードに対する流血の軍事作戦を行い、ヨーロッパの中心で戦闘機やミサイルを使った。数週間にわたり、民間の都市や生活インフラを、絶え間なく爆撃した。
 この事実を思い起こさなければならない。というのも、西側には、あの出来事を思い出したがらない者たちがいるからだ。私たちがこのことに言及すると、彼らは国際法の規範について指摘するのではなく、そのような必要性があると思われる状況だったのだと指摘したがる。
 その後、イラク、リビア、シリアの番が回ってきた。リビアに対して軍事力を不法に使い、リビア問題に関する国連安保理のあらゆる決定を曲解した結果、国家は完全に崩壊し、国際テロリズムの巨大な温床が生まれ、国は人道的大惨事にみまわれ、いまだに止まらない長年にわたる内戦の沼にはまっていった。リビアだけでなく、この地域全体の数十万人、数百万人もの人々が陥った悲劇は、北アフリカや中東からヨーロッパへ難民の大規模流出を引き起こした。

 シリアにもまた、同じような運命が用意されていた。シリア政府の同意と国連安保理の承認が無いまま、この国で西側の連合が行った軍事活動は、侵略、介入にほかならない。ただ、中でも特別なのは、もちろん、これもまた何の法的根拠もなく行われたイラク侵攻だ。その口実とされたのは、イラクに大量破壊兵器が存在するという信頼性の高い情報をアメリカが持っているとされていることだった。それを公の場で証明するために、アメリカの国務長官が、全世界を前にして、白い粉が入った試験管を振って見せ、これこそがイラクで開発されている化学兵器だと断言した。後になって、それはすべて、デマであり、はったりであることが判明した。イラクに化学兵器など存在しなかったのだ。

 信じがたい驚くべきことだが、事実は事実だ。国家の最上層で、国連の壇上からも、うそをついたのだ。その結果、大きな犠牲、破壊がもたらされ、テロリズムが一気に広がった。世界の多くの地域で、西側が自分の秩序を打ち立てようとやってきたところでは、ほとんどどこでも、結果として、流血の癒えない傷と、国際テロリズムと過激主義の温床が残されたという印象がある。

 私が話したことはすべて、最もひどい例のいくつかであり、国際法を軽視した例はこのかぎりではない。アメリカは“うその帝国”NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、だまされたのだ。俗に言う「見捨てられた」ということだ。確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。そうかもしれないが、ここまでではない。ここまで汚くはない。

 これだけのいかさま行為は、国際関係の原則に反するだけでなく、何よりもまず、一般的に認められている道徳と倫理の規範に反するものだ。正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。ちなみに、アメリカの政治家、政治学者、ジャーナリストたち自身、ここ数年で、アメリカ国内で真の「うその帝国」ができあがっていると伝え、語っている。これに同意しないわけにはいかない。まさにそのとおりだ。

 しかし謙遜する必要はない。アメリカは依然として偉大な国であり、システムを作り出す大国だ。
その衛星国はすべて、おとなしく従順に言うことを聞き、どんなことにでも同調するだけではない。
それどころか行動をまねし、提示されたルールを熱狂的に受け入れてもいる。だから、アメリカが自分のイメージどおりに形成した、いわゆる西側陣営全体が、まさに「うその帝国」であると、確信を持って言えるのには、それなりの理由があるのだ。

 我が国について言えば、ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。まさに90年代、2000年代初頭がそうで、いわゆる集団的西側諸国が最も積極的に、ロシア南部の分離主義者や傭兵集団を支援していた時だ。当時、最終的にコーカサス地方の国際テロリズムを断ち切るまでの間に、私たちはどれだけの犠牲を払い、どれだけの損失を被ったことか。どれだけの試練を乗り越えなければならなかったか。私たちはそれを覚えているし、決して忘れはしない。
実際のところ、つい最近まで、私たちを自分の利益のために利用しようとする試み、私たちの伝統的な価値観を破壊しようとする試み、私たちロシア国民を内側からむしばむであろう偽りの価値観や、すでに彼らが自分たち側の国々に乱暴に植え付けている志向を私たちに押しつけようとする試みが続いていた。それは、人間の本性そのものに反するゆえ、退廃と退化に直接つながるものだ。こんなことはありえないし、これまで誰も上手くいった試しがない。そして今も、成功しないだろう。

 色々あったものの、2021年12月、私たちは、改めて、アメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。すべては無駄だった。アメリカの立場は変わらない。彼らは、ロシアにとって極めて重要なこの問題について私たちと合意する必要があるとは考えていない。自国の目標を追い求め、私たちの国益を無視している。そしてもちろん、こうした状況下では、私たちは疑問を抱くことになる。「今後どうするべきか。何が起きるだろうか」と。

 私たちは、1940年から1941年初頭にかけて、ソビエト連邦がなんとか戦争を止めようとしていたこと、少なくとも戦争が始まるのを遅らせようとしていたことを歴史的によく知っている。そのために、文字どおりギリギリまで潜在的な侵略者を挑発しないよう努め、避けられない攻撃を撃退するための準備に必要な、最も必須で明白な行動を実行に移さない、あるいは先延ばしにした。
 最後の最後で講じた措置は、すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった。その結果、1941年6月22日、宣戦布告なしに我が国を攻撃したナチス・ドイツの侵攻に、十分対応する準備ができていなかった。敵をくい止め、その後潰すことはできたが、その代償はとてつもなく大きかった。
 大祖国戦争を前に、侵略者に取り入ろうとしたことは、国民に大きな犠牲を強いる過ちであった。
最初の数か月の戦闘で、私たちは、戦略的に重要な広大な領土と数百万人の人々を失った。私たちは同じ失敗を2度は繰り返さないし、その権利もない。

 世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、私たちロシアを敵国と呼ぶ。確かに彼らは現在、金融、科学技術、軍事において大きな力を有している。それを私たちは知っているし、経済分野において常に私たちに対して向けられている脅威を客観的に評価している。そしてまた、こうした厚かましい恒久的な恐喝に対抗する自国の力についても。
繰り返すが、私たちはそうしたことを、幻想を抱くことなく、極めて現実的に見ている。

 軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。
この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。
 また、防衛技術などのテクノロジーは急速に変化している。この分野における主導権は、今もこれからも、目まぐるしく変わっていくだろう。しかし、私たちの国境に隣接する地域での軍事開発を許すならば、それは何十年も先まで、もしかしたら永遠に続くことになるかもしれないし、ロシアにとって増大し続ける、絶対に受け入れられない脅威を作り出すことになるだろう。NATOによるウクライナ領土の軍事開発は受け入れがたい。すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。言いかえれば、彼らは強硬化している。起きていることをただ傍観し続けることは、私たちにはもはやできない。

 私たちからすれば、それは全く無責任な話だ。NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、私たちにとって受け入れがたいことだ。

 もちろん、問題はNATOの組織自体にあるのではない。それはアメリカの対外政策の道具にすぎない。問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。一方、我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。

 そんな中、ドンバスの情勢がある。2014年にウクライナでクーデターを起こした勢力が権力を乗っ取り、お飾りの選挙手続きによってそれを(訳注:権力を)維持し、紛争の平和的解決を完全に拒否したのを、私たちは目にした。8年間、終わりの見えない長い8年もの間、私たちは、事態が平和的・政治的手段によって解決されるよう、あらゆる手を尽くしてきた。すべては徒労に帰した。先の演説でもすでに述べたように、現地で起きていることを同情の念なくして見ることはできない。
 今やもう、そんなことは到底無理だ。この悪夢を、ロシアしか頼る先がなく、私たちにしか希望を託すことのできない数百万人の住民に対するジェノサイド、これを直ちに止める必要があったのだ。
まさに人々のそうした願望、感情、痛みが、ドンバスの人民共和国を承認する決定を下す主要な動機となった。

 さらに強調しておくべきことがある。NATO主要諸国は、みずからの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。彼らは(訳注:民族主義者ら)、クリミアとセバストポリの住民が、自由な選択としてロシアとの再統合を選んだことを決して許さないだろう。当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。それこそドンバスと同じように。戦争を仕掛け、殺すために。大祖国戦争の際、ヒトラーの片棒を担いだウクライナ民族主義一味の虐殺者たちが、無防備な人々を殺したのと同じように。彼らは公然と、ロシアの他の数々の領土も狙っていると言っている。全体的な状況の流れや、入ってくる情報の分析の結果が示しているのは、ロシアとこうした勢力との衝突が不可避だということだ。それはもう時間の問題だ。彼らは準備を整え、タイミングをうかがっている。今やさらに、核兵器保有までも求めている。そんなことは絶対に許さない。前にも述べたとおり、ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、新たな地政学的現実を受け入れた。私たちは、旧ソビエトの空間に新たに誕生したすべての国々を尊重しているし、また今後もそのようにふるまうだろう。
それらの(訳注:旧ソビエト諸国の)主権を尊重しているし、今後も尊重していく。その例として挙げられるのが、悲劇的な事態、国家としての一体性への挑戦に直面したカザフスタンに対して、私たちが行った支援だ。
 しかしロシアは、今のウクライナから常に脅威が発せられる中では、安全だと感じることはできないし、発展することも、存在することもできない。

 2000年から2005年にかけ、私たちは、コーカサス地方のテロリストたちに反撃を加え、自国の一体性を守り抜き、ロシアを守ったことを思い出してほしい。2014年には、クリミアとセバストポリの住民を支援した。2015年、シリアからロシアにテロリストが入り込んでくるのを確実に防ぐため、軍を使った。それ以外、私たちにはみずからを守るすべがなかった。ウクライナ東部の親ロシア派の武装勢力からの支援要請 今もそれと同じことが起こっている。きょう、これから使わざるをえない方法の他に、ロシアを、そしてロシアの人々を守る方法は、私たちには1つも残されていない。この状況下では、断固とした素早い行動が求められている。

 ドンバスの人民共和国はロシアに助けを求めてきた。これを受け、国連憲章第7章51条と、ロシア安全保障会議の承認に基づき、また、本年2月22日に連邦議会が批准した、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国との友好および協力に関する条約を履行するため、特別な軍事作戦を実施する決定を下した。その目的は、8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく。また、ロシア国民を含む民間人に対し、数多くの血生臭い犯罪を犯してきた者たちを裁判にかけるつもりだ。
 ただ、私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない。私たちは誰のことも力で押さえつけるつもりはない。同時に、ソビエトの全体主義政権が署名した文書は、それは第二次世界大戦の結果を明記したものだが、もはや履行すべきではないという声を、最近、西側諸国から聞くことが多くなっている。さて、それにどう答えるべきだろうか。
 第二次世界大戦の結果は、ナチズムに対する勝利の祭壇に、我が国民が捧げた犠牲と同じように、神聖なものだ。しかしそれは、戦後数十年の現実に基づいた、人権と自由という崇高な価値観と矛盾するものではない。また、国連憲章第1条に明記されている民族自決の権利を取り消すものでもない。
 ソビエト連邦が誕生した時も、第二次世界大戦後も、今のウクライナの領土に住んでいた人々に、どのような生活を送っていきたいかと聞いた人など1人もいなかったことを思い出してほしい。
私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。そして、今のウクライナの領土に住むすべての人々、希望するすべての人々が、この権利、つまり、選択の権利を行使できるようにすることが重要であると私たちは考えている。
 これに関し、ウクライナの人々にも言いたい。2014年、ロシアは、あなた方自身が「ナチス」と呼ぶ者たちから、クリミアとセバストポリの住民を守らなければならなかった。クリミアとセバストポリの住民は、自分たちの歴史的な祖国であるロシアと一緒になることを、自分たちで選択した。そして私たちはそれを支持した。
 繰り返すが、そのほかに道はなかった。目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため
現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。それは、ウクライナを人質にとり、我が国と我が国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。
 繰り返すが、私たちの行動は、我々に対して作り上げられた脅威、今起きていることよりも大きな災難に対する、自己防衛である。どんなにつらくとも、これだけは分かってほしい。そして協力を呼びかけたい。できるだけ早くこの悲劇のページをめくり、一緒に前へ進むために。

 私たちの問題、私たちの関係を誰にも干渉させることなく、自分たちで作り上げ、それによって、あらゆる問題を克服するために必要な条件を生み出し、国境が存在するとしても、私たちが1つとなって内側から強くなれるように。私は、まさにそれが私たちの未来であると信じている。
 ウクライナ軍の軍人たちにも呼びかけなければならない。親愛なる同志の皆さん。あなたたちの父、祖父、曽祖父は、今のネオナチがウクライナで権力を掌握するためにナチと戦ったのではないし、私たち共通の祖国を守ったのでもない。あなた方が忠誠を誓ったのは、ウクライナ国民に対してであり、ウクライナを略奪し国民を虐げている反人民的な集団に対してではない。その(訳注:反人民的な政権の)犯罪的な命令に従わないでください。直ちに武器を置き、家に帰るよう、あなた方に呼びかける。
 はっきりさせておく。この要求に応じるウクライナ軍の軍人はすべて、支障なく戦場を離れ、家族の元へ帰ることができる。
 もう一度、重ねて強調しておく。起こりうる流血のすべての責任は、全面的に、完全に、ウクライナの領土を統治する政権の良心にかかっている。
 さて、今起きている事態に外から干渉したい思いに駆られているかもしれない者たちに対し、言っておきたい大変重要なことがある。私たちに干渉しようとする者は誰でも、ましてや我が国と国民に対して脅威を作り出そうとする者は、知っておくべきだ。ロシアは直ちに対応し、あなた方を、歴史上直面したことのないような事態に陥らせるだろうということを。私たちは、あらゆる事態の展開に対する準備ができている。そのために必要な決定はすべて下されている。私のことばが届くことを願う。

 親愛なるロシア国民の皆さん。国家や国民全体の幸福、存在そのもの、その成功と存続は、常に、文化、価値観、祖先の功績と伝統といった強力で根幹的なシステムを起源とするものだ。そしてもちろん、絶えず変化する生活環境に素早く順応する能力や、社会の団結力、前へ進むために力を1つに集結する用意ができているかどうかに直接依存するものだ。力は常に必要だ。どんな時も。
 しかし力と言っても色々な性質のものがある。冒頭で述べた「うその帝国」の政治の根底にあるのは、何よりもまず、強引で直接的な力だ。そんな時、ロシアではこう言う。「力があるなら知性は必要ない」と。

私たちは皆、真の力とは、私たちの側にある正義と真実にこそあるのだということを知っている。
もしそうだとしたら、まさに力および戦う意欲こそが独立と主権の基礎であり、その上にこそ私たちの未来、私たちの家、家族、祖国をしっかりと作り上げていくことができる。このことに同意しないわけにはいかない。

 親愛なる同胞の皆さん。自国に献身的なロシア軍の兵士および士官は、プロフェッショナルに勇敢にみずからの義務を果たすだろうと確信している。あらゆるレベルの政府、経済や金融システムや社会分野の安定に携わる専門家、企業のトップ、ロシア財界全体が、足並みをそろえ効果的に動くであろうことに疑いの念はない。すべての議会政党、社会勢力が団結し愛国的な立場をとることを期待する。
 結局のところ、歴史上常にそうであったように、ロシアの運命は、多民族からなる我が国民の信頼できる手に委ねられている。それはつまり、下された決定が実行され、設定された目標が達成され、我が祖国の安全がしっかりと保証されるということだ。あなたたちからの支持と、祖国愛がもたらす無敵の力を信じている。

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死体で埋めつくされたブチャの通りの画像は創作?

2022年06月14日 | 国際・政治

 ウクライナにおける「ブチャの虐殺」は、プーチン大統領を悪魔の如き侵略者とし、ウクライナ軍を支援することによって、ロシアを武力で屈服させようとする動きに、大きな力を与えたと思います。でも、ウクライナの政権転覆(マイダン革命)と同様、その「ブチャの虐殺」に関しても、kla.TVが、スイスのガンザー博士の主張をもとに、重大な疑問を投げかける動画を公開しています。

 先日、朝日新聞は、山口真一・国際大学GLOCOM准教授の、「偽・誤情報の速い拡散 ファクトチェック充実へ メディア連係急務」と題する文章を掲載しました。そのなかで、山口准教授は、
今年の2月、ロシアがウクライナへの侵攻を開始した。いまだ終わりの見えない戦いの中、問題視されていることの一つに、偽・誤情報の拡散がある。
 日本語でもSNSを中心に様々な情報が広まっている。「ブチャの虐殺はウクライナ軍がやった」「ウクライナ政権は8年間ジェノサイド(集団殺害)をしており、女性や子供を含む数千人の命を奪った」。こうした情報を見た人は多いのではないだろうか。これらは元々は、ロシア政府や関連機関が意図的に流した偽・誤情報だ。
 と述べています。私は、やはり山口准教授も、アメリカやウクライナからもたらされる報道は真実で、ロシアからのものはプロパガンダであると、知らず知らずのうちに思い込むようになっていたのだろうと思いました。なぜなら、「ブチャの虐殺」に関しては、第三者機関によるきちんとした検証がなされていないからです。
 元々、欧米や日本のように、かつて植民地を支配し、植民地から利益を吸い上げていた国々の支配層は、革命や民族解放戦争で成立した政権の国が嫌いであり、敵視する傾向が強いと思います。アメリカの中国やロシアに対する敵視政策が、それを象徴していると思いますが、そうしたアメリカの傾向は戦後一貫しており、すでに「ウクライナ戦争とベトナム戦争」で触れました。ベトナム戦当時のアメリカ国防長官、ロバート・マクナマラは、ベトナムとの非公開討議(1997年6月、ハノイ対話)で、”ケネディ、ジョンソン両政権を通して我々は、南ベトナムを北ベトナムに譲り渡すのは、東南アジア全体を共産主義者に与えることになると考えていました。そして東南アジア全体を失うことは、アメリカ合衆国やその他の自由主義社会の安全保障体制を大きく揺るがすと判断していたのです”と語っているのです(「我々はなぜ戦争をしたのか 米国・ベトナム 敵との対話」東大作:岩波書店)。
 アメリカやアメリカの同盟国が、北ベトナムから武力攻撃を受けたわけではないのに、アメリカは独裁者ゴ・ディン・ジエムを支援するために、ベトナムに軍隊を送り、無差別な絨毯爆撃をくり返したばかりでなく、有毒な枯葉剤をまき散らすことさえしたのです。自由主義社会の安全保障のために、独裁者を支援するというのも、子どもにでもわかる矛盾だと思います。
 また、アメリカがマイダン革命におけるウクライナの政権転覆に深く介入するとともに、ロシアに対する様々な挑発をくり返し、ウクライナ戦争に至る経緯にも、同じような側面があると思います。
 「ノルドストリーム2」というロシア産の天然ガスをドイツに送るパイプライン建設に関し、トランプ前大統領は、”悲劇だ。ロシアからパイプラインを引くなど、とんでもない。”と発言しています。また、”ベルリンはロシアの捕虜となっている”などと言って、「ノルドストリーム2」関連会社に対する制裁を立案し、バイデン大統領も制裁を課しているのです。それは、西側諸国の支配層に共通する、革命や民族解放戦争で成立した政権の国に対する敵視政策のあらわれであると思います。
 だから、ロシアを孤立させ、弱体化させるために、また、あわよくばプーチン政権を顛覆するために、ロシアに対する様々な挑発をくり返したのだと思います。法的に対処することが難しい時には、アメリカは、さまざまな理由づけをして、武力を行使してきた歴史を忘れてはならないと思います。
 でも、そうしたアメリカの戦争の歴史やウクライナ戦争の経緯、また、その背景を考えないと、山口准教授のように、西側諸国の考え方に影響されて、真実が見えなくなっていくのだと思います。山口准教授は、”ロシア政府や関連機関が意図的に流した偽・誤情報”に関して、”しかし今回のロシアによるウクライナ侵攻では、高度な対抗手段が出てきたのも特徴だ。例えば、ブチャの虐殺の件では、米ニューヨーク・タイムズ紙が衛星写真の解析を行い、ロシア軍が現地から撤退する前にすでに複数の遺体がブチャ市内に散乱していることを突き止めた。ブチャの虐殺はウクライナによるものだというロシアの主張をマスメディアが反証したのである。”と述べています。
 でも、その衛星写真の解析が、正確に遺体を写し出しているのかどうか、また、写っているという複数の遺体が、確かにロシア軍によって虐殺された人の遺体であると確認できるのかどうか、さらに、それは加工されたリ、修正されたリしたものではないと断定できるのかどうか、第三者機関の専門家による、きちんとした検証がなされなければならないと思います。特に、戦争当事国であるアメリカやウクライナからもたらされる情報は、プロパガンダを疑う必要があると私は思います。
 戦争となれば、その国のメディアは、国益に沿う報道をする可能性が大きいのであって、簡単に、ニューヨーク・タイムズが、”ロシア軍が現地から撤退する前にすでに複数の遺体がブチャ市内に散乱していることを突き止めた。”などと断定してはならないと思います。

 そういう意味で、スイスのガンザー博士の主張や、スイス、ドイツに本拠をおくという独立系メディア kla.TVの動画の情報は貴重だと思います。日本でも、日常的にロシアや中国を敵視するような報道がなされていることを踏まえ、積極的に中立的な立場の主張や報道を求め、真実を追究するようにする必要があると思うのです。

  kla.TVの「ブチャの虐殺をめぐる矛盾」と題した動画は、概略、下記のような内容です。欧米や日本のような、かつて植民地支配で利益を得、いまもなおいろいろなかたちで収奪を得続けながら、中国やロシア、そして、その同盟国などを敵視している西側諸国では、報道されにくい内容なのだろうと思います。極めて重大な問題提起であり、無視されてはならないと思います。多くの人に見てほしいと思います(https://www.kla.tv/index.php?a=showlanguage&lang=ja&id=22242)。
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                     ブチャの虐殺をめぐる矛盾

 ブチャの画像が世界中を駆け巡りました。その画像には、路上に多くの民間人の死体が転がり、中には縛られたまま頭を撃ち抜かれた死体があります。集団墓地もあります。死者は400人以上ということです。
 攻撃を受けたロシア軍は3月上旬、キエフの北にある人口35000人のブチャに陣取りました。3月30日、ロシア軍は撤退しました。ブチャの市長が3月30日、町の解放を報告しました。4月2日ウクライナ国家警察が町に入りました。ブチャから死体の画像が初めてメディアに流されたのは、ロシア軍撤退から三日目の4月2日です。4月4日ニューヨークタイムズは、数週間前から死体が横たわっている衛星画像を報じました。この画像は3月19日と21日のものだといいます。ブチャで何が起こったかは明らかになっていません。ロシア側とウクライナ側の主張は真っ向から対立しています。ウクライナ政府は、キエフ近郊の小さな町で、ロシア軍が400人以上の市民を残虐に殺したと非難しています。ロシア政府は、キエフ政府の挑発だと語り、ロシア軍が撤退するまでは、誰も被害を受けてはいないと主張しています。水掛け論になっています。でも、真実を知るのは困難な状況です。だから、どちらかに肩入れする目的ではなく、いくつかの矛盾を指摘し、疑問を投げかけたいと思います。

 ブチャの市長は3月31日、ブチャの解放を喜んで報告しましたが、その時ブチャの大虐殺や戦争犯罪には触れていません。4月3日にウクライナ政府が、ロシア軍の戦争犯罪を糾弾してから、突然語り始めたのです。ウクライナ国家警察は4月2日にブチャに入る様子を撮影した動画を公開しました。破壊の様子は確認できますが、死体が転がっている様子はありませんでした。3月19日と21日の衛星画像で死体が転がっていたことが確認されているとしたら、なぜ二週間も放置し、なぜ4月4日まで公表されなかったのか。この衛星画像は少なくとも米国防省の四つのプログラムに関わり、米軍と密接な関わりのあるマクサー社のものでした。
 また、ドイツのノンフィクション作家トーマス・レバー氏は、死体の多くが、白い腕章をつけていることについて、それはロシア兵を識別するものだといいます。ブチャの人たちもロシア軍に連帯して手製の白い腕章をつけたことでしょう。
 ブチャのこの戦争犯罪で利益を得るのは誰でしょうか。ロシア軍は腐敗した死体を放置して何の利益があるでしょうか。そんなことをすれば、ロシアを非難するレトリック、制裁、軍備増強を強化しようとする西側諸国の政治の術中にはまることになります。
 独立した調査も開始されないうちに、ロシアに対して軍備増強が叫ばれています。
 4月4日、国防相の報道官が、ウクライナに多くの兵器、スティンガー、シャベリンミサイル、ドローンなどを供与したいと言明しました。躊躇していたドイツ政府のアンナレーナ・ベアボック外相も支援強化を主張しました。ウクライナ大使のアンドレイ・メルニク氏も「今、重要なのは重火器の供与だ」と語り、専守防衛から一歩踏み出した武器の供与を語っています。
 レバー氏は3月30日のイスタンブールでの交渉で、歩み寄りがあったことを述べています。ウクライナが非同盟、非核所有国になることが、平和への道であった可能を語っています。ウクライナは安全の保障を得るかわりに、NATOへの加盟や外国軍の駐留を求めないというような内容です。でも、「ブチャの虐殺」が、和平交渉を決裂させてしまいました。
 すべてが、ロシアとウクライナの対立激化を示唆しています。第三次世界大戦の予兆かもしれません。そのような対立激化を望むのは誰でしょうか。ますますロシアは疲弊し、孤立するのではないでしょうか。経済的にも弱体化するのではないでしょうか。欧州も間違いなく影響を受け、破滅の瀬戸際に追いこまれるのではないでしょうか。高みの見物でほくそ笑むのは米国でしょうか。欧州やロシアが戦争に苦しむ一方で、救世主として登場し、新世界秩序を構築するために、世界政府を強制できるようにすることは、彼らの利益になるのではないでしょうか。
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アメリカが、アフリカや中東やアジアやラテンアメリカでやってきたことをふり返れば、kla.TVの報道内容に大きな誤りはないと思います。だから、死体で埋めつくされたブチャの通りの画像は、創作ではないかと疑わざるを得ないのです。

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ガンザー博士が語るウクライナの政権転覆とウクライナ戦争

2022年06月11日 | 国際・政治

 中国問題グローバル研究所所長で理学博士の遠藤誉・筑波大学名誉教授が、”スイスのガンザー博士が、ウクライナ戦争に関してアメリカが国際法違反をしていることを証明している。日本はこれを完全に無視し事実の半分の側面だけしか見ていない。戦争はこうして起こる。犠牲になるのは日本だ”と語っています。そのガンザー博士の主張を、スイスやドイツに本拠をおく独立系メディア、kla.TVが取り上げています。kla.TVは、世界中70か国以上の国々の2000人以上のボランティアスタッフによって運営されているということですが、やはり、こうした報道は、独立系メディアでないと難しいのだろうと考えさせられながら、ガンザー博士の主張を解説する動画を見ました。

 動画は、概略、下記のような内容でした。欧米や日本のような、かつて植民地支配で利益を得、いまもなお、いろいろなかたちで収奪をし続けている国々では、報道されにくい内容なのだろうと思います。
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 ロシアのプーチン大統領が、2022年2月24日にウクライナ侵攻を命じたのは、国連の暴力禁止規定に反し、違法行為である。しかし、2014年2月20日、オバマ大統領がウクライナ政権を転覆させたのが、ウクライナ戦争の原点であり、オバマ大統領の行為も国連の暴力禁止規定に反する違法行為である。
 しかしながら、ウクライナで戦争が続いている現在、オバマ政権のクーデターはほとんど取り上げられていない。だから、世界はウクライナ戦争の物語の半分しか見ていない。
 ウクライナのマイダン革命は、欧米が主導した。それは間違いない事実だ。元CIA職員のレイ・マクガバンも認めている。
 キューバ危機のように、双方が隠しカードで勝負し、ウクライナを自国の勢力圏に引き込もうとした。アメリカは約束を破りNATOを拡大させた。1999年、ポーランド、チェコ、ハンガリーがANTOに加盟した。
 2013年にマケイン議員は、ウクライナの元ボクサービタリ・クリチコとともに、ヤヌコビッチ政権に対する抗議者陣営を訪れ、政権転覆を促した。そして、アメリカの在キエフ大使館が抗議行動をコウディネートしたのだ。マイダンのデモのリーダーたちは、アメリカ大使館に出入りし、指令を受けていた。参加者の一部は武装していた。
 ジェフリー・パイアット大使がデモを支援していた。パイアット大使はデモを扇動するビタリ・クリチコと直接接触していた。
 当時副大統領だったバイデン氏もマイダンのデモを支持していた。そして、ヤヌコビッチ大統領に電話をかけ「警察がデモ隊を排除したら、ただではすまないぞ」と脅したので、ヤヌコビッチ大統領は、デモ隊の排除行動を撤回したのだ。
 米国務省のビクトリア・ヌーランド(オバマ大統領上級補佐官)が、ウクライナのクーデターを担当した。マイダンの指導者たちはアメリカ側から、指令とともに報酬も受けていた。ヌーランドは講演で「我々は、ウクライナの繁栄、安全、民主主義を保障するために50億ドル以上を投資してきた。」と語っている。
 元下院議員のロン・ポール氏は、ヌーランド氏が「政権交代に50億ドルを費やしたことを自慢している」ことを取り上げ、そういうことが許されるのかと非難した。だから、デモの指導者が報酬を得ていることも知られるようになっていた。
 米国の大富豪ジョージ・ソロス氏も、デモを支持し、資金を提供し、給料を支給をした。
 ウクライナの専門家イナ・キルシュは、デモの指導者が通常の給料の倍を得ている事実を明らかにしている。アンチ・マイダンのデモとマイダンのデモの両方に参加して、報酬を受けていた者が少なくないというのである。
 ヌーランドとジェフリー・パイアット大使は電話で、ウクライナ政権を担当する人物を、ビタリ・クリチコではなく、ヤツェニュク氏にすることで合意した。
 2014年2月20日、正体不明の狙撃手が複数の建物から警官隊とデモ隊の両方を狙撃した。40人以上が死亡した。ヤヌコビッチ政権と警察が責任を負わされたが、狙撃は、彼らに何の利益ももたらさないし、証拠もないので、彼らの仕業とすることには問題がある。
 だから、元ボクサー、ビタリ・クリチコの「国際社会は独裁者が国民を虐殺することを傍観してはならない」との発言にも、問題がある。ウクライナの億万長者、ペトロ・ポロシェンコが大統領になったが、すぐにNATO加盟を目標とすることを宣言した。
 プーチン大統領はNATO諸国を批判した。ロシア軍管理下のクリミアでは、政権転覆は受け入れられないということで、ウクライナアを離脱し、ロシアに加盟したいという意思が表示された。賛成投票は97%であった。

 ドネツク・ルハンスク両州の多くの住民も、ウクライナのクーデター政権を支持していない。
 元連邦裁判所判事、ディーター・デゼーロート氏は、ロシアを批判しつつ、西側諸国の対応も批判した。コソボ、イラク、アフガニスタン、リビアなどを取り上げ、西側諸国には、ロシアを批判する資格がないと語った。
 アルセニー・ヤツェニュク氏は、東部親露派を分離主義者でありテロリストと主張して、対テロ特別作戦を開始した。その結果、8年間で1万3000人の死者を出した。
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 だから、私は、ウクライナ戦争は、暴力団の抗争と変らないと思うのです。
 以前にも書きましたが、世界最大の暴力団(アメリカを中心とする西側諸国)が、二番目の暴力団(ロシアを中心とする国々)を屈服させるために挑発をくり返し、乗ってきた二番目の暴力団に対する反撃を、自らの子分となったウクライナにやらせているのだと思うのです。どちらも、法や道義・道徳ではなく、武力で決着させようとしている点で共通していますが、特に、世界最大の暴力団の目的は、二番目の暴力団を屈服させることなので、話し合う気がないのだと思います。

 この現実を乗り越えるためには、やはり、ガンザー博士が明らかにしたような真実を広め、双方、特に西側諸国に、武力による決着をやめるように促すしかないと思います。日本もウクライナを支援することと、ウクライナ軍を支援することをはっきり区別して、法や道義・道徳に基づく解決を求めるべきと思います。
 

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真実を知らないのか、知らないふりか、それとも隠蔽しようということか

2022年06月09日 | 国際・政治

 私は、ウクライナで、武器を使って人が殺し合う戦争が続いていること、また、そのあおりで、エネルギー問題や食糧問題が、世界的規模で深刻になっていることが、納得できません。戦争も、制裁も直ちにやめてほしいと思います。だから、ロシアのウクライナ侵攻以上に、アメリカの対応に問題があると思います。国連憲章その他の法の精神に反していると思います。

 また、朝日新聞が、ロシアを「悪」とし、欧米日を「善」とするアメリカの戦略に乗って、ロシアを力で屈服させようとする記事を、連日掲載していることも、受け入れることができません。

 

 「世界はどこへ ウクライナ侵攻100」欄に国末憲人氏が書いています。”…ロシアの支配下の停戦は、犠牲を重ねる結果となりかねない。加えて、ロシアとの安易な妥協は戦略戦争の容認であり、国際秩序の崩壊を招く恐れが否定できない。軍事大国の攻撃に常におびえて暮らす世界を、次世代に残すべきではない。…”

 ”軍事大国の攻撃に常におびえて暮らす世界を、次世代に残すべきではない”ということで、今、殺し合うこと、すなわち戦争することを正当化できるんでしょうか。おかしいと思います。矛盾していると思います。

 

 また、駒木明義氏も同欄に書いています。”…三年前、プーチン氏は「リベラルな価値観は時代遅れになった」と断言し世界を驚かせた。さらに、武力で隣国に独善的な価値観と歴史認識を押しつけようとしているのが、今回の戦争の本質的な構図だ。停戦が実現しても、ロシアに従順なウクライナしか存在を認めないプーチン氏のような指導者がいる限り、危機は去らない。

 ”武力で隣国に独善的な価値観と歴史認識を押しつけようとしているのが、今回の戦争の本質的な構図だ。”というのも、相手の主張にまったく耳を傾けない、独善的なものだと思います。また、「危機」を乗り越えるために戦争をするというのも間違っていると思います。

 

 バイデン政権の意向に沿って、日々、ウクライナの惨状と反ロ的な感情をあらわにするウクライナ市民の証言の報道に徹し、ロシアのウクライナ侵攻に至る経緯は、ほとんど取り上げない。

 例えば、冷戦終結にともないワルシャワ条約機構が解散したにもかかわらず、アメリカが北大西洋条約機構(NATO)を存続させ、ロシアを取り囲むように拡大させたことは、ほとんど問題にしない。

 ロシアを脅すように、くり返されたNATO諸国とウクライナの軍事訓練もまったく取り上げない。

 オバマ政権の時から、アメリカがロシアを敵国と想定し、ドローンやレーダーその他をウクライナに供与し、バイデン政権では武器を配備したというのに、それも取り上げない。

 ロシアがウクライナに侵攻する前、プーチン大統領が演説しています。その演説で、アメリカが軍事力を不法に使い、ベオグラード、イラク、リビア、シリアを攻撃した事実を取り上げ、そうした国と同じ立場に置かれることは受け入れられないと言っているのに、無視。

 溯れば、マイダン革命におけるアメリカの介入も、まるでなかったかのように、”武力で隣国に独善的な価値観と歴史認識を押しつけようとしているのが、今回の戦争の本質的な構図だ”などと断定する。

 平和憲法を持つ日本の、それも朝日新聞がこれでは、将来は真っ暗だと思います。なぜ、話し合いを呼びかけないのか。話し合いでは、解決できないということであれば、人類が直面している地球規模の諸問題も解決できないのではないかと思います。

 スイス平和エネルギー研究所のガンザー所長が”8年前のオバマ大統領の国際法違反がなければ、プーチンの違法な軍事侵攻はおそらく起こらなかったでしょう”と語ったと言います。ガンザー博士は、スイスの歴史学者で、1945年以降の現代史と国際政治の専門家だということですが、

 https://www.kla.tv/index.php?a=showlanguage&lang=ja&id=22242 の動画は、事実に向き合い、戦争を終結させるために重要だと思います。「ブチャの虐殺」も、ウクライナやアメリカ側が主張する通りかどうか、極めて疑わしいことがわかります。

 

 また、ノーム・チョムスキーの「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」鈴木主税訳(集英社新書)の下記の、東チモールアフガニスタンに関する記述は、アメリカを中心とするNATO諸国が、人命や人権を無視する蛮行をくり返してきた事実を明らかにしています。そしてそれは、ウクライナ戦争の本質を考える上で、無視できない内容だと思います。

 

 2月の国連安全保障理事会緊急会合で、ケニアのキマニ大使が、ロシアの行動を正当化できないと非難したうえで、”アフリカをさんざん虐げてきた西欧が人権や非暴力の重要性を唱えることには偽善を感じざるを得ない”と主張したと言います。アフリカの多くの国が、同じ思いで、ロシア非難の決議に賛成しなかったのだと思います。だから、やはり戦争をとめることに全力を傾けるべきで、アメリカのウクライナ軍支援の姿勢に同調してはならないと思います。朝日新聞も、根本的に方針転換するべきだと思います。

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                インタビュー 根源的な反戦・平和を語る

 

 チョムスキー証言を日本が妨害

 

チョムスキー いささか個人的な話になりますが、私が東チモール問題について初めて国連で証言したのは二十四年前、1978年のことでした。証言は裏で妨害されていましたが、妨害しようとしていたのは日本の大使館だということがあとでわかりました。

 

辺見 えっ、そんなことがあったのですか。

 

チョムスキー インドネシアの友人たちが行った大量虐殺が告発されるのを防ぎたかったのです。だから日本の行いも、決して誉められたものではない。アメリカだけではないのです。

 とはいえインドネシアの東チモール政策の主な支援者はイギリスとアメリカだった。最後まで支援し続けたのです。一度たりともやめなかった。最後には、ありとあらゆる圧制が行われていたことなど気づかなかったふりです。世論の圧力に負けて、クリントン政権は最終的にはインドネシア軍との公的な関係を断たざるをえなくなった。けれども政府は関係の再構築を欲していた。そこでいわゆる対テロ戦争を利用して、血に飢えたインドネシア軍の将軍たちと再び手を結ぼうとしているのです。彼らは主に日本とアメリカによって、虐殺の責任について西側の調査の手が及ばないよう、守られています。

 ですから、これはももう一つの非常に重要な問題なのです。ただし簡単にはいかないでしょう。例えばオーストラリアでは大きな反対が起きています。そして名前はわかりませんが、オーストラリアの情報部の人がとても重要な文書をリークしました。ついこの数日の間に出てきた文書もあります。それによると、オーストラリアは1998年から99年の虐殺行為を承知していた。 

 

辺見 国連管理下の住民投票のころですね。独立派が圧勝したけれども、いわゆる併合派民兵が発砲、放火、略奪を繰り返し、多国籍軍「東チモール国際軍」が展開を開始した。

 

チョムスキー オーストラリアのマスコミによって明らかになった話は、極めてショッキングです。オーストラリアの情報部が承知しているなら、アメリカの情報部も知っていただろうし、イギリスの情報部も認識していたはずです。アメリカはオーストラリアに大規模な情報収集センターを持っているんですから。ここはあらゆる出来事を把握していたでしょう。つまりビル・クリントンは東チモールで途方もない大量虐殺が行われているのを知りながら、コソボよりひどい状況であるのを知りながら、軍隊を送り、訓練も行っていたのです。

 トニー・ブレアはこれに輪をかけて悪質です。オーストラリアの平和維持軍が駐留を始めたあとも、戦闘機を派遣しているのですから。それが「倫理的外交政策」だというのです。これもまた、知識人にとっては大きな問題です。知識人は「我々の指導者」をトニー・ブレアでもロビン・クック(第一期ブレア政権の外相)でもビル・クリントンでも誰でもいいが、とにかく聖人に見せなければなりません。大量殺戮の手に、完全に意識的に武器を手渡すような類の聖人です。それを二十五年間やってきたのです。

 メディアが取り上げてもいい恰好の材料ですよ、これは。イギリスの新聞を読んで、どのように書かれているか見てみるといい。いや、見るまでもないでしょう。まったく触れられてもいないのだから。

 しかし和解は成立するでしょう。そういうことは大切だ。世界の形勢を少しばかりは変えることになる。しかし大きく変えはしません。

 

 中央アジアでグレートゲーム

 中央アジアはおそらく最も重要な場所ですよ。十九世紀の「グレートゲーム」の再現です。十九世紀、イギリスとロシアは中央アジアまで拡張していき、そこで衝突した。アフガニスタン周辺で、イギリスとロシアが覇権を争って随分戦いました。それが「グレートゲーム」と呼ばれたのです。

 これは新しいグレートゲームです。当事国の顔も違う。イギリスはいまや片隅に追いやられてしまいました。今度の主役はアメリカとロシアと中国です。利害も当時とは異なる。中央アジアの豊富なエネルギー資源をどこが支配下におくか、ということが争点なのです。湾岸地域ほどではないが、

豊富です。日本も関わってきています。

 

辺見 最近、アフガニスタン復興国際会議が東京で行われました。私の考えでは、アフガニスタンの経済的、社会的な復興はたしかに大事なんですけれども、非常に残念だったのは、アメリカによる一方的な軍事攻撃に対しての非難の声、それを問題にする声がなかったことです。逆にいえば、アメリカの一方的な攻撃が、紛争解決のための一つの定式として、国際社会に受け入れられつつある。私はこの定式に反対です。

 

 チョムスキー 一方的な軍事攻撃は新しい方法などではまるでありません。じつに古臭い方法です。イギリスが世界を支配していたころのことを考えてみましょう。イギリスは何をしたか。例えば、第一次世界大戦後、イギリスは弱体化しました。大英帝国全域を直接の兵力で支配することはもはやかなわなくなった。そこでやり方を変えねばならなかった。どのように? ウィンストン・チャーチルが音頭をとったんですよ。彼は陸軍大臣でした。彼はアフガン人とクルド人に対して毒ガスを使うことを推奨しました。なぜならそれが、「生々しい恐怖」を駆り立てるからです。そうやって、完全に制圧できない未開の人々、アフガン人やクルド人を、支配下におこうとしたのです。

 インド省からは反対がありました。毒ガスを使うのは立派なことではないと。チャーチルは激怒しました。「未開人たちに毒ガスを浴びせるのは気分がよくないという心境は理解できん。それが多くのイギリス人の命を救うのだぞ。これは優れた科学の成果なのだ」

 第一次大戦後の話です。毒ガスは残虐の極みですが、クルド人やアフガン人相手ならそうではなかった。当時、空軍力はようやく出はじめたところでした。そこでイギリス軍は空軍力を一般市民に投入することにした。中央アジアの一帯、アフガニスタンやイラクなどを爆撃しはじめたのです。

 当時も軍縮会議はありました。軍縮会議のたびにイギリスが心を砕いたのは、空軍力を市民に行使することに対して、いかなる障害も持ち上がらないようにすることでした。首尾よくやり遂げたとき、イギリスの偉大な政治家ロイド・ジョージは、政府代表を称えて日記に書いた。「ニガーに爆弾を落とす権利は守られなければならない」と。これがロイド・ジョージの姿です。有名な政治家の。そしてウィンストン・チャーチルです。偉大な指導者の。ふたりとも大英帝国のヒーローです。どこか違いがあるでしょうか? 実際のところ、もし時間が許せばフランスのこと、日本のこと、ドイツのことも話したい。大国はいつもこうやって人の顔を正面から蹴飛ばしてきた。何も目新しいことではないんです。だから誰ひとり驚かない。

 

 数百万人の餓死を推定して空爆

(アフガンへの)空爆を始めたのはたしかにアメリカです。ジョン・F・ケネディの話に戻りましょう。ハーバード大学にはケネディ・スクールがある。ここが政府の頭脳です。この大学院は『インターナショナル・セキュリティ(国際安全保障)』 という機関誌を出しています。今月号を見ると、アフガニスタン専門家が記事を書いている。この文章が書かれたのは空爆が始まって一ヶ月後くらいで、戦闘はそのころほとんど終わっていたはずです。この作戦は、数百万のアフガン人を飢餓に追いこむであろうという見積もりの上に行われた、と筆者は書いています。数百万の人々が餓死する可能性があると、前もってわかっていたのです。

 彼らがいまどうなっているか、わかっているでしょうか。いいえ。自分たちの犯罪を調べていないからです。誰ひとり知りません。ヴェトナムで何人が殺されたか、数百万の単位でなら知っています。我々は自らの罪を調査することはしません。負けた国だけが「悪いことをした」といわされる。第二次大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などといういうものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れたときだけ、自らの罪を見つめる。そのように仕向けられるのです。

 しかしいったい何人の人が死んだのか、正確なところを見出すことは誰にもできないでしょう。ただ推定はできます。アメリカ軍は、数百万の人々を死なせることになるという推定のもと、空爆を行った。それをかなり高いところで話し合ったのでしょう。誰か気にかけたでしょうか? いいえ。それが当たり前だから。ヨーロッパとその分家は、何世紀にもわたって、常にそうやって世界を扱ってきました。そして日本もこの半世紀、できる限りそうしてきたのです。

 例えば、フランスを例にとってみましょう。アルジェリア独立戦争の際、フランスの国防相は「我々はいま原住民を撲滅している」といった。これが当たり前でした。ベルギーはおびただしい数の人を殺している。これはことさら驚くような数字ではありません。

 だからアメリカが盛んに空爆するのも驚くにはあたらない。いたって普通のことなのですから。弱い人たち、貧しい人たちをそうやってあしらってきたのです。何もいまさら驚くことではありません。

 

 米英はアフガンに賠償を払え

 アフガン復興の東京会議は資金援助を約束しました。金は現地に届けられたのか? 届いていません。約束はされたけれども届けられてはいない。届けられない理由はいくらでも並べられるでしょう。ただ援助のポーズだけでも、先進国の我々はなんてすばらしいんだろうという、たいそうな宣伝になる。あきれた話です。ロシアとアメリカはアフガニスタンに賠償すべきです。1980年代、この二つの国がアフガニスタンをめちゃくちゃにしました。よってたかって国土を破壊した。アメリカはイスラム過激派テロリストの組織化を援助した。アフガニスタンの利益のためではありません。支援を通して国土を荒廃させ、狂信的な宗教指導者の手に委ねてしまった。こういう場合、援助ではなく補償を支払うべきです。ほんの少しでも誠実さのかけらがあるのなら、援助などと口走らないほうがいい。自分たちのしたことに対して、巨額の賠償を支払うべきなのです。しかしそれは協議項目になかった。

 実際のところ、アメリカが一ドルでも支払うとしたら驚きです。いまアフガニスタンは群雄割拠のころに逆戻りしようとしています。ロシアとアメリカが掃討したあとに、いくつかの軍事勢力が国土を分断したように、そういうふうになりつつある。

 911日のことで人々が何よりショックを受けたのは……あの行為は大変に残虐でした。しかし衝撃的なのはあれだけではない。残虐非道な行為はほかにもたくさんあります。ただ西側で起こったのはあれが初めてというだけのことです。世界のほかの人々に対して、我々がやってきたことなのです。ほかの人々は、我々にあんなことはしなかった。だからショックだったのです。ほかの国の新聞を見ると、かならずしも驚いていません。パナマでは、メディアが残虐行為を批判している例があり、そこでは父親のジョージ・ブッシュの名前が出てきます。1989年、パナマに侵攻したとき、ブッシュはパナマのスラムを空爆させています。2000人あまりの人が犠牲になった。そういうことをよく知っているので、「自分たちがこれまで我々にしてきたことをよく見てみなさい」となる。だからといって残虐さが薄れるというものではないけれども、衝撃は小さくなりますね。世界のどこにでも同様の戦争の話があるんです。

 

辺見 最後の質問です。いまの日本の首相は、ブッシュ政権を、前のクリントン政権より好きらしく、ほとんど運命をともにするようなことをいっています。同時に、日本がずっと大事にしてきた平和憲法を変えようともしています。アメリカのアフガンに対する報復攻撃の際には、インド洋に自衛隊の艦隊を出したり、憲法に真っ向から反する法律をつくったりして、アメリカの意のままに平和的政策を変えようとしています。日本にはいま重大な変化が生じていますが、この点、あなたはどうお考えですか?

 

チョムスキー 日本はこれまでもアメリカ軍国主義に全面的に協力してきました。戦後期の日本の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担することによっています。朝鮮戦争までは、日本の経済は回復しませんでした。朝鮮に対するアメリカの戦争で、日本は供給国になった。それが日本経済に大いに活を入れたのです。ヴェトナム戦争もまたしかり。アメリカ兵の遺体を収容する袋から武器まで、日本はありとあらゆるものを製造して提供した。そしてインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていったのです。

 そして沖縄は相変わらず、米軍の一大軍事基地のままです。五十年間、アメリカのアジア地域における戦争に、全面的に関わってきたのです。日本の経済発展の多くは、まずその上に積み上げられたのです。

 五十年前に遡ってみましょう。サンフランシスコで講和条約が調印されました。五十周年を祝ったばかりですね。

 

辺見 昨年九月ですね。サンフランシスコのオペラハウスで五十周年記念式典が開かれ、日本から田中真紀子外相(当時)が出席しました。これには、戦争責任を回避しているというアジアからの非難の声もありまあした。

 

チョムスキー その条約にどこの国が参加して、どこがしなかったか、ご存知ですか? アジアの国は軒並み出ませんでした。コリアは出なかった。中国も出なかった。インドも出なかった。フィリピンも出なかった。出席したのはフランスの植民地と、当時イギリスの植民地だったセイロンとパキスタンだけでした。植民地だけが出席した。なぜか? それは講和条約が、日本がアジアで犯した犯罪の責任をとるようにつくられていなかったからです。日本がすることになった賠償は、アジアに物品を送ること。日本にとっては万々歳です。資金はアメリカが賄ってくれるからです。しかしもちろん、アメリカには支払いをしなければなりませんでした。占領経費やその他の犯罪のつけをアメリカに支払う。アジアの人々には支払わない。アジアに対しては何も提案されませんでした。それは日本が、誰もが知るところの真の戦争犯罪人である天皇のもと、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていたからです。それも、アメリカの覇権の枠組の中で。

 

辺見 同時に締結された日米安保条約とともにサンフランシスコ体制という、日本の対米盲従構造をつくりました。これが今日もつづいている。

 

チョムスキー 日本はその状態にいたく満足していました。それで富を蓄積することができたからです。日本の戦後復興はこのようにして成された。日本はそこを見つめる必要があります。だがもしも  

憲法を変えるというのなら、たしかに由々しいことではあります。しかし五十年にわたってアジア地域での戦争に貢献してきたことに比べたら、ささいな問題です。

 

辺見 おっしゃっている意味はわかりますが、我々にとってはささいなことではありません。

 

チョムスキー この五十年を含む前の世紀には、日本が記憶に留めておくべきことが数多くあります。何度もいうようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人は何てひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。日本の人たちがいましなければならないのは、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。

2002315日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学にて)

 

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プロパガンダ、プーチンの演説とオリバー・ストーンの主張

2022年06月06日 | 国際・政治

 バイデン大統領が、”ウクライナはロシアに領土を渡さなくてはいけないかもしれない(Biden says Ukraine might have to give Russia land in 'negotiated settlement’)”と発言したことを、アメリカの日刊タブロイド紙「ニューヨーク・ポスト」が報じました。
 先日の朝日新聞には、バイデン大統領が、”ロシアに苦痛を与えるためだけに戦争を長引かせることはしない”と明言したという記事や、”停戦交渉か対決か 割れる欧州”と題した記事、また、”ロシア軍はウクライナ東部で、ゆっくりながらじわじわと前進している。軍事の専門家たちは、長く続く消耗戦を口にし始めている。こうした中、ウクライナ支援で連帯してきた西側諸国の一致団結に、ひびが入りつつあるのだろうか。”という記事が出ていました。
 何か今までの報道とはちょっと違う印象を受けました。そして、やっぱり今までのウクライナ戦争に関わる報道は、事実の報道ではなく、アメリアが周到に作り上げたプロパガンダだったのだと思いました。

 なぜなら、下記のような根拠のはっきりしない内容の報道が、あたかも疑いようのない事実であるかのように、色々な形でくり返されてきたからです。
○ ”プーチンは、首都キーウを占領しようとしてウクライナ侵攻を命じた。そして、ゼレンスキー政権を打倒して、ロシアの傀儡政権を樹立し、ロシアがコントロールするウクライナの建設を夢想した。でも、その試みは見事に失敗した。

○ ”ロシア軍は首都キーウを占領できず、大きな損害を出して撤退せざるを得ない状況になった。”

○ ”ロシア軍は士気が低下し、脱走する者が相次いでいる。”

○ ”プーチンの歴史的な誤判断のために、世界的なパワーバランスが民主主義陣営にとって有利な状況になりつつある。”

 また、建物が完全に破壊されたウクライナの惨状や、破壊された建物の近くで不自由な生活を送るウクライナの人々の様子、他国に非難した人々の訴えなどが、ほとんど、ロシアのプーチン政権を倒さなければ、改善されることはないというような結論を導く方向で、報道されてきたと思います。

 でも、プーチン大統領は、ウクライナ侵攻前の演説で、
ただ、私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない。私たちは誰のことも力で押さえつけるつもりはない。
 目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため
現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。
それは、ウクライナを人質にとり、我が国と我が国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。
ウクライナ軍の軍人たちにも呼びかけなければならない。
親愛なる同志の皆さん。
あなたたちの父、祖父、曽祖父は、今のネオナチがウクライナで権力を掌握するためにナチと戦ったのではないし、私たち共通の祖国を守ったのでもない。
あなた方が忠誠を誓ったのは、ウクライナ国民に対してであり、ウクライナを略奪し国民を虐げている反人民的な集団に対してではない。
その(訳注:反人民的な政権の)犯罪的な命令に従わないでください。直ちに武器を置き、家に帰るよう、あなた方に呼びかける。
 と言っています。

 こうしたプーチン大統領の演説の内容をまったく取り上げず、無視して、”プーチンの夢想”だとか、”キーウの占領”だとか、”傀儡政権の樹立”だとか”撤退せざるを得ない状況”とか”士気の低下”いうことは、アメリカのプロパガンダの証しではないかと思います。
 そしてそれは、ロシアをヨーロッパから切り離し、孤立化させるために、戦争を画策したのがアメリカであるということ、したがって、いつでもロシアとの停戦交渉が可能であることを示していると思います。

 ベトナム帰還兵としての実体験をもとにした映画『プラトーン』で知られる米国の映画監督オリバー・ストーンは、インターネット討論番組「PBD Podcast」に出演し、現在のウクライナ情勢について、下記のようなことを語ったといいます。
 ”残念ながら現在のアメリカのすべてのメディア報道は一方的なものであり、反対側(ロシア側)からは何も得ようとしない。公平なキャンペーンをしていたRT(ロシア発の国際放送局)さえも放送禁止にし、実際に起きていることさえも偽情報として眼に触れさせないようにしている

実際に2014年からウクライナ東部のドンバス地域では、ウクライナ軍によって住民が犠牲にされ、とくにネオナチ(ナチズムに由来する極右民族主義)の武装集団が彼らを血まみれにし、ロシア系住民1万6000人が殺されたと推定されている。これはプーチンを挑発するためのもので、 アメリカが代理としてウクライナ政府にやらせているというのが真実だ。

オリバー・ストーン監督は、プーチン大統領に何度もインタビューを重ねて、ドキュメンタリー「オリバー・ストーン オン プーチン」を世に出しましたが、『JFK』、『ニクソン』、『スノーデン 』などの映画を通して、徹底的に真実を追究する映画監督であることが、よく知られていたと思います。 そして、オリバー・ストーン監督の上記の主張は間違っていない、と私は思います。

アメリカの国家安全保障局(NSA)が、莫大な予算をつぎ込んで秘密裏にクリプトシティでやっていることも、ウクライナ戦争と深く関わっているのではないかと想像します。 だから、スノーデンが暴露した、明らかに違法な情報取集というが、放置されてはならないと思います。

下記は、「すべては傍受されている  米国国家安全保障局の正体」ジェイムズ・バムフォード:滝沢一郎訳(角川書店 )から、異常とも思えるその施設の概要を記した「第十二章 心臓」を抜萃しました。
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第十二章 心臓

 鉄条網付きのフェンス、爆薬を嗅ぎつける番犬、数百人の武装警官、スワットチーム(狙撃部隊)、バリアー、脅し文句の入った警告表示板などを越えていくと、その表面の下に暗号都市の諸機能があり、一階レベルで見ればそこいらの街と変わらない。

どんな地図にも載っていないが、クリプトシティは全体としてはメリーランド州最大級の自治体であろう。 平日には毎日三万二千人の特別許可を受けた民間人、軍人、出入業者が延べ三十二マイルの構内道路を行き来している。 その一つ一つの道には過去のNSA著名人の名がつけられている。 一万七千台を収容する駐車場の広さは三百二十五エーカー。 五十棟あるビル群の総床面積は七百万平方フィートである。 成長という点から言えば、クリプトシティは米国内でもいちばん元気のいい都市の内に入る。 1982年から96年までに五億ドル以上の施設が新設された。 さらに約五億ドルが投入されて百五十平方フィートの貸しオフィススペースができた。 また新千年紀に至る数年間に一億五千二百八十万ドル以上が新築費用に充てられた。 クリプトシティの予算は、久しく極秘とされていたが、市内のエンジニアリング・トンプスンは「われわれが四十億ドルの予算と現員数の職員に依って立つ民間企業とすれば、ヒューレットパッカード社くらいのところに相当するだろう」と述べた。

事実、1995~99年のNSA予算は総額百七十五億七千六十万ドルである。 さらに2000~01年度の予算として七十三億四百万ドルが要求された。 NSAの職員数はCIAとFBIの職員数を合計したものより多い約三万八千人。 その上さらに二万五千人が数十カ所の傍受基地を運用するNSAの中央保安部(CSS)に雇われている。 これらはNSAの職員数には入っていない。

クリプトシティでは三万七千台以上の車が登録されている。 その郵便局は毎日七万通の郵便を配達する。 秘密都市の警護・パトロールには自前の警官が当たり、彼らは二州にまたがる法執行権限を持つ。 米国内にある一万七千三百五十八ヶ所の警察署のうち、規模では上位四・八パーセントに入り、署内にはスワットチームさえある(Special Weapons And Tactics=特殊武装及び戦術チーム)。
NSAのパトカー群は月平均延べ三千八百五十マイルを走行し、年間七百件の緊急電話に対処する。

1990年にはクリプトシティ警察の制服署員数は七百名を超えた。 その装備は緊急事態対処用であるばかりか、それをまったくの秘密のうちに実行できるものである。 STUーⅢ秘話携帯電話と暗号化閉会路テレビを備えた緊急対応通信指令所が使える。 この技術により市内の危機管理センターおよびその支援サービス業務センターと秘密通信ができる。 これは二十四時間勤務の指令、管制、通信センターである。

脅威が発見されるようなことがあれば、クリプトシティには自前の特殊部隊/緊急対応チームがある。 隊員は軍隊式の黒い制服を着用、特殊ヘルメットをかぶって、九ミリ口径のコルト・サブマシンガンを誇示する。 NSA医療センター付きの二つの軍医班がこのチームにつき従う。 高度警戒態勢のとき、また、それ以外のときには抑止力として、黒装束組といわれるこのチームは、各外部通用口で立哨する。 もうひとつの特殊班である幹部警護隊は、NSA長官と副長官に運転手やボディーガードを提供し、これら二名の高官が姿を現す予定の場所で予め保安措置を講ずる。

NSAの周辺保安対テロプログラムは増強され、その一環として全市を取り囲む新しいフェンスとバリアーが設置されつつある。 完成すれば、クリプトシティに入城を許可される前に先ずすべての非登録車両は、四百万ドルを投入した新検査センターで爆弾などの危険物検査を受けなければならない。 そこでは犬訓練士と特殊訓練を受けた十一頭のダッチシェパードとベルジアンマリノワ犬の一団が乗用車やトラックに近づき、爆弾を嗅ぎ分ける。 これらオランダから輸入された犬たちはまた業務支援用や緊急対応事態にも使われる。
犬小屋、リモコンドア、猛暑から犬を守る気温モニター装置を備えた特注チェロキージープで犬は構内各所に運ばれる。 現在はまだ限定使用状態だが、爆発物検出特殊犬隊は週平均七百五十台以上の車両を検査する。

クリプトシティの年間電力消費量は、四億九百万五千八百四十キロワットアワーであり、これが総延長六百六十二マイルの電線で送電される。 これはメリーランド州の州都アナポリスのものに匹敵する。 コンピューターの総設置面積は六エーカー、総重量は二十五トンのエアコン装置は年間六十億立方フィートの空気を冷却し、照明は灯は五十万個以上あるから、これだけでも一日五千四百ワットの電力を使う。 そのツケも驚くべきものであり、毎月の電気料金は二百万ドルに達する。 州内で二番目の大口電力使用団体である。 1992年に構内で消費された石油、電力、ガスは三兆互千億But〔But=0.252kcal〕であり、燃料油換算で三千三百万ガロンに等しい。

このように膨大なエネルギーが供給されているが、NSA文書によると、それでもクリプトシティが停電に見舞われ、「緊要任務情報」が失われることがある。 こういう機能不全に対処するため、構内には出力二十六メガワットの自家発電所がある。 これは三千五百世帯分の家庭電力をまかなえる発電量である。
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プロパガンダと国家安全保障局

2022年06月03日 | 国際・政治

 先日、衆議院予算委員会の集中審議で、れいわ新選組の大石晃子議員が、岸田総理を「」などとののしり、委員長に注意されたという報道がありました。ののしった言葉のなかに、「資本家の犬」という言葉もあったようですが、これは多くの国で見られる政権与党の共通の問題なのではないかと思います。
 共産主義革命や民族解放闘争によって生まれた国家でない限り、政権与党の政治家は、ほとんどの国で資本家や経営者の求める政策を掲げ、資本家や経営者はそうした政策を掲げる政治家を支援するという「持ちつ持たれつの関係」にあるということです。

 その結果、世界中で経済格差が拡大し、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンにマイクロソフトを加えたアメリカのGAFAM、5社の時価総額がおよそ560兆円に達し、東証1部約2170社の合計を上回わるというような状況に至っているのだと思います。先日、ツイッターの買収で話題になった、テスラのイーロン・マスク氏の個人資産は、約3000億ドル(約37兆円)にのぼるいわれます。アメリカの一部企業や富裕層への富の片寄りは異常ではないかと思います。

 フランスに拠点を置く世界各国の経済学者などによる研究グループの調査では、世界の成人人口の上位1%に当たるおよそ5100万人の富裕層だけで、世界全体の個人資産の37.8%を保有しているとのことです。逆に、下位50%の層の資産は、全体の2%にとどまっていているといいます。
 だから、”大規模な富の再分配なくして21世紀の課題に取り組むことはできない”と結論づけているのです。そして、高額所得者を対象にした「富裕税」や、「多国籍企業への課税」が必要だと指摘しているのですが、私は、それでも、格差拡大の問題は解決できないのではないかと思います。

 この格差の問題は、労働者の立場から言えば、「資本論」で有名なカール・マルクスが指摘した「窮乏化」の問題です。資本主義国家では、時代が進めば、資本の論理によって必然的に多くの労働者が窮乏化し、格差が拡大するのです。
 だから、窮乏化を乗り越えるために、マルクスは、”万国の労働者よ、団結せよ!”というスローガンを掲げ、共産主義革命を呼びかけたのです。
 でもその革命が、資本家や経営者の巧みな戦略によって、事実上あり得ない状況になっている現在、格差が拡大しないようにするためには、賃金を定める方法について、厳しい法律(国際法)を作るなどして、資本家や経営者が、自由競争の名の下に、恣意的に賃金を定めることを禁じる必要があると思います。そうしなければ、格差の拡大は止められず、労働者がさらに窮乏化するとともに、先進国と発展途上国の間の格差も拡大し、ますます深刻なものになると思います。そして、それがさまざまなところで、さまざまな争いを引き起こすことにつながると思います。

 西側諸国の頂点に立つアメリカが、”大規模な富の再分配なくして21世紀の課題に取り組むことはできない”ということをしっかり受けとめ、方針転換しなければ、人類は破滅を免れない時期に差し掛かっているように思います。地球温暖化や気候変動問題、海洋汚染や森林破壊、野生動植物の絶滅問題など、人類が直面している問題は、どれも待ったなしの状況だと思います。
 でも、アメリカは、今なお、世界中から利益を吸い上げ、その経済力や軍事力を背景に、絶対的権力を維持しようとしているように思います。だから、ヨーロッパに対するロシアの影響力拡大を阻止したり、中国の一帯一路構想に基づく関係国への影響力拡大を阻止したりし、より多くの国々を影響下に置ことによって、自ら危機を乗り越えようと躍起になっているのではないかと思います。


 だから、ウクライナ戦争に関わる報道はもちろんですが、その他の報道でも、世界中の人々が、アメリカによるプロパガンダのもとで生活していると言っても過言ではないのだと思います。
 かつて、アメリカ国家安全保障局 (NSA)や中央情報局 (CIA) の元局員であったエドワード・ジョセフ・スノーデンは、それまで陰謀論として退けられていたようなアメリカによる違法な国際的監視網(PRISM)の実在を命がけで告発しました。
 そして、現実にロシアとノルドストリーム2の計画を進めていたドイツのアンゲラ・メルケル前首相の携帯電話が、11年間にわたり盗聴されていたという事実が明らかにされました。メルケル前首相は「友好国に対するスパイ行為は絶対に受け入れられない」してアメリカに強く抗議したということですから、アメリカのメディア・コントロールやプロパガンダが、違法な情報収集によってなされるほど徹底しているということだと思います。

 ジェイムズ・バムフォードによると、どんな地図にも載っていないというアメリカ国家安全保障局 (NSA)の存在する、クリプトシティは、全体としてはメリーランド州最大級の自治体であろうといいます。そして、鉄条網付きのフェンスに守られているのみならず、爆薬を嗅ぎつける番犬がおり、数百人の武装警官やスワットチーム(狙撃部隊)も抱えていると言います。そして、毎日三万二千人の特別許可を受けた民間人や軍人が働き、出入業者が仕事をしているといいます。その駐車場は、およそ一万七千台を収容することができるというのです。また、五十棟あるビル群の総床面積は七百万平方フィートであるというのですが、そうした事実が、アメリカという国の本質をあらわしているように思います。そうしたところで、周到に準備されたプロパガンダが、計画的に発せられているのではないかと思うのです。特にウクライナ戦争に関する情報は、アメリカ国家安全保障局 によって統制され、バイデン大統領やゼレンスキー大統領も、その統制下でいろいろな発言をしているのではないかと想像します。

 そういう意味では、かつてアジアやアフリカその他の植民地を支配し、今なお、発展途上国などから利益を吸い上げているような国々のメディアは、政府と一体であると思いますが、 ノーム・チョムスキーのリビア空爆に関する、下記のような話が、それを裏付けていると思います。

 下記は、「チョムスキーが語る戦争のからくり ヒロシマからドローン兵器の時代まで」(ノーム・チョムスキー、アンドレ・ヴルチェク:本橋哲也訳から抜萃しました。
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                      第三章 プロパガンダとメディア

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N・C(ノーム・チョムスキー)
 私にはチャーリー・グラスという親しい友人がいて、長年ABCテレビの中東特派員をしています。人間はとてもいいのだけれど、一人で仕事をするタイプなので他人とあまりうまくいかず、とうとうABCテレビから干されてしまった。1986年のリビア空爆の夜、彼がトリポリから6時半ごろ電話してきてその夜の七時のニュースを見ろと言う。当時はアメリカの三つのチャンネルがどれも七時にメイン・ニュースを放送していて、彼は私がテレビを見ないと知っていたのだけれども、それでも「今夜は見てくれ」と言うのです。そこで七時にテレビをつけてみたら、まさにきっかり七時に空爆が始まった。そしてすべてのテレビ局がトリポリにいた。

A・V(アンドレ・ベルチェク)
 みな事前に知らされていたのですね。

N・C(ノーム・チョムスキー)
 そういうことです。主要テレビ局が全部ね。なかなか大変なことですよ。フランスが上空を飛びことを許さないので、大西洋の上を飛ばなくてはならないから、ロンドンからだと六時間かかる。その時間まで測って、ちょうど夜のニュースに間に合うように空爆の時間を決めたのですね。だから視聴者が爆弾の破裂で興奮すると、映像はペンタゴンに替わり、ペンタゴンの冷静なコメントのあとには国務省に替わるといった具合。つまりテレビ局はアメリカ政府にただでプロパガンダを一時間させたわけ。すべて知らされていたから現地に人を事前に送り込むことができていた。テレビ・ニュースのゴールデン・タイムに合わせて空爆がおこなわれた歴史上最初の事例であることを指摘した人は誰もいませんでした。

A・V(アンドレ・ベルチェク)
 似たようなことがのちにベオグラードの爆撃でも起こりましたね。

N・C(ノーム・チョムスキー)
 ベオグラードでは、テレビ塔が爆撃されて人権団体が抗議しましたが、爆撃したほうは「そうは言ってもね、間違っていませんよ。テレビはプロパガンダ機関ですから。ニュースを流しているんですからね」と言った。
 同じことがイラクのファルージャでも起こりました。覚えておいででしょうが、アメリカの侵攻時に海兵隊がいちばん先にファルージャでしたことは総合病院の接収だった。患者をすべて床に放り出して縛ってね。ジュネーブ条約を持ち出して避難した人もいたのですが、米軍は病院がプロパガンダ機関だと言った。犠牲者を公表しているので破壊する権利があるというわけ。報道機関もそれに追随するのみで誰もコメントしませんでした。
 ファルージャでの放射線量は、ほぼ原爆投下時の広島と同じくらいだと言われていますね。どんな武器が使われたにしろ、その損害は甚大なものがある。

A・V(アンドレ・ベルチェク)
 実際イラクじゅうがそうですよね。放射線量が致死量に達しているところもあって、そのレヴェルは信じがたいほどです。人は西側諸国の公式プロパガンダを驚くほど簡単に信じてしまう。私は東ヨーロッパで育ったので、公式の政府発表を国民がまったく信じないというのは当たり前の感覚なのですが、ですからある意味では東ヨーロッパの人々の、世界や自分の国で起きていることに対する認識レヴェルはとても高い。
 東側の人たちは自分たちの国のシステムによって犯された「犯罪」のことを知り尽くしていた。西側諸国が犯したもっとひどい犯罪のことはそれほど知らなかったかもしれませんが。東ヨーロッパの人たちの見解は、何十年もラジオやテレビを通した西側のプロパガンダによって形作られてきた。彼らを洗脳してきたのはソ連のプロパガンダではなく、西側諸国のそれだったのです。それでも世界のほかの場所でどんなことが起きているかについての意識や関心があった。1985年にアメリカ合衆国にやってきてコロンビア大学の映画学校にいたのですが、そのときリビアが空爆されました。もちろんコロンビアの学生たちは空爆を批判していたけれど、町に出てみてショックだったのは、一般の人たちがまったく関心も批判意識もないことでした。アメリカ合衆国や西ヨーロッパの人たちよりも、東ヨーロッパの人たちのほうが自分たちの抱えている問題についてずっと情報も知識もあったし、自分たちのシステムについて批判的でした。
 世界のあらゆる大陸に住んでみて、「西洋人」がいちばん偏見を叩き込まれていて、地球上でいちばん無知で批判意識に乏しいと思いますね。もちろんサウジアラビア国民のような、同じくらい物を知らない人たちもいますが、それなのに西側諸国の人たちはまったく反対のことを信じている──自分たちこそがいちばん情報に恵まれ、「もっとも自由な」国民だとね。

N・C(ノーム・チョムスキー)
 このことに関する興味深い研究が1970年代の後半にありました。ロシアの複数の大学の研究所が政府と共同でおこなった研究で、ロシアから外に出た移民がロシアにいたあいだにどこから情報を得ていたかを調べたものです。驚いたことに、ほとんどのロシア人たちがきわめて高い確率でBBC放送を聞いていたというのが結論だった。

A・V(アンドレ・ベルチェク)
 当たり前です。こうした人たちは自分から進んで「違う側」から情報を得ていたのだから。私はピルゼンで育ちましたが、そこはバイエルンとの国境に近かったので西側のテレビやラジオを受信するのはとても簡単でした。冷戦の真っ最中でも、共産主義チェコスロバキアで外国のテレビ局はまったく妨害されていなかった。英語放送はどこからのものだろうと自由に聞けましたし、そうした地域の住民は、少なくともいくつかの言葉を話したり理解したりすることができた。

N・C(ノーム・チョムスキー)
 BBCにはロシア語放送もありましたね。

A・V(アンドレ・ベルチェク)
 BBCは普通どの言語も、とくに英語放送は妨害されませんでした。「ヴォイス・オブ・アメリカ」や、公然とプロパガンダを放送する「ラジオ・リバティ」とか「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」とかは地域によって妨害されていましたけれど。しかし考えてみると情報に対する飢えは相当なもので、それを西側諸国のプロパガンダ・メディアは最大限に利用していた。ニュースのまとめ方も上手でしたし、何世紀も積み上げてきた経験からその宣伝方法は巧妙でしたたかだった。たとえ東ヨーロッパ諸国が正直に熱を込めて、ヴェトナム戦争やニカラグアのアメリカ合衆国に支援されたコントラ〔1979~90年に、米国の援助を受けてニカラグアのサンダニスタ民族解放戦線政府の打倒を画策した反革命ゲリラ〕の問題をイデオロギーの側面から取り上げても、西側の洗練された嘘には対抗できずに、プラハやブダアペストそれにモスクワでもほとんど誰も信用しなかった。私がアメリカ合衆国にやってきてショックだったのは、いかに自分が西側諸国のプロパガンダに騙されていたかとうことでしたね。
 ここにパラドックスがある。自由でオープンで民主的であると自称する西側諸国は、かつてのソビエト連邦や現在の中国で作っれるプロパガンダにアクセスもできなければ、それに影響されることもなかった。プロパガンダだけではなくて、ほとんど西ヨーロッパやアメリカ合衆国の市民はソヴィエトや中国の人たちの世界観から影響を受けていない。ほとんど何も知らない彼らの世界観は一極的です。あるのは一つのイデオロギーだけで、それは「市場原理主義」と言っていい。それを支えているのが複数政党国会システムないし立憲君主制です。一方、旧ソ連や中国の人は、昔も今も資本主義や西側の共産主義解釈に精通している。ということは、どちらがよりオープンで知識に恵まれているのか、ということですね。中国の本屋を覗くと、資本主義の文献もたくさんある。アメリカ合衆国やヨーロッパの本屋には共産主義中国の文献などまずない。
 
 つまり私が中国の『人民日報』とか『チャイナ・デイリー』とかに書いたり、中国のメディアでしばしばインタビューを受けるときに言っているのは、西側のプロパガンダに十分注意すべきだし、それが中国を標的にしていることに意識的であるべきだということ。それは情報をもたらすためではなく、国を破壊するためにおこなわれているのだ、と。
 ですから私はキューバとか中国のような西側の包囲下にある国が、そのサイバー空間やメディアを完全にオープンにしてしまうことには注意しすぎることはないと思っています。私が恐れているのは、国を破壊することを目的としている西側諸国のプロパガンダが入り込むことによって、チェコスロヴァキアやソヴィエト連邦が崩壊を余儀なくされたようにならないかということです。私は検閲を擁護しているわけではないけれども、同時に西側の電波やウェブサイトがいかに悪質で破壊的であるかを知っている。その主要目的は傷つけ破壊することで、情報をもたらすことではない。
 中国についてどんなものを読んでいたとしても、実際に行ってみれば西側の報告を読んで想像していたのとはまったく違う国であることがわかって、人は衝撃を受けるでしょう。私たちが教えられてきたこと、中国の人たちが西側のマスメディアやプロパガンダ・システムから自分たちの国について言われてきたことはまったく違った国がそこにあるのですから。問題はとても複雑です。

N・C(ノーム・チョムスキー)
 そうですね。巧妙で複雑なプロパガンダ・システムを構築するのに、長いあいだ集中的で非常に込み入った活動が続けられてきた。アメリカ合衆国では広告によって人々を洗脳することが主で、市場操作や広告に莫大な資金が投入されて消費社会を支える。たとえば数年前に広告会社が気づいたことですが、自分たちの広告が届いていない人たちがいる、つまりお金を持たない層である子どもたち。そこで英知が動員されて子ども向けのプロパガンダが作られ、金を持っている親に子どもたちがせがむようにさせた。ですから子どもたちが親に要求して、あれこれが欲しいと言うと親が買ってやる。
 いまではそれが学問分野になって、応用心理学のなかにせがむことを研究する部門もできています。目的が違えばせがみ方も違う。私もたまにありますが自分の孫とテレビを見ていると、もう二歳くらいから消費者向けのメッセージの爆撃にさらされている。聖域なんかもうない。だから外国向けのプロパガンダとなると、そのテクニックはすべて経験済みなのです。
 このことに大きく影響された人物の一人がゲッペルス〔ナチス・ドイツの宣伝相〕ですね。彼自身書いていますが、ナチス・ドイツのプロパガンダのモデルはアメリカの商品広告にあり、じつに洗練されいる。

A・V(アンドレ・ベルチェク)
 私がいいたいのもまさにそういうことで、広告こそがプロパガンダで、その逆もまた言える。ある意味、プロパガンダは特定の政治経済システムを売って特殊な世界観を促進する広告の試みですから。売り込むのは掃除機だけとはかぎらない……。

N・C(ノーム・チョムスキー)
 そうですね。また、広告について一つ明らかな事実があるのに誰も指摘しようとしないのが興味深いのですが、それは広告が市場に対抗するものだということです。経済学の授業では、合理的な選択ができる知識のある消費者によって市場が支えられていると習う。でもテレビの広告を例にとると、その目的は不合理な選択をする無知な消費者を作り出すことにある。ここにあるのは凄まじい矛盾ですよ。私たちは市場を愛すべきで、市場を維持するためにさまざまな理論や経済学者、連邦準備制度とかが動員されている。なのにそれをひっくりかえそうとする巨大産業がつねに消費者の目の前にあって、しかもその矛盾がまったく見えていない。同じことが選挙でも起きていますね。いまや選挙の目的は民主主義を邪魔することです。選挙を牛耳っているのは広報産業で、彼らがやろうとしているのは正しい情報をもって合理的な選択をする選挙民を作ることではない。不合理な選択をするよう人々を騙しているのだから。市場の邪魔をするのに使われているのと同じテクニックが民主主義を阻害している。それがアメリカ合衆国の主要産業の一つであって、その働きは目に見えない。

 

 

 

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