真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

戦争に関わる歴史の真実は・・・ http://hide20.web.fc2.com に記事にリンクの一覧表


霧社事件と毒ガス使用の「蕃人」(山地原住民)討伐

2011年01月25日 | 国際・政治
 「台湾秘話 霧社の反乱・民衆側の証言」林えいだい(新評論)の中に、まさに霧社事件勃発当時(1930年10月27日)、台中州員林郡社頭小学校に教員として赴任していた河口又二の毒ガス使用に関する証言がある。信じがたい証言ではあるが被害山地原住民の多くの証言や当時の報道、軍の記録などが、それが真実であることを物語っている。山地原住民の証言の中には、当時の「蕃地」駐在所巡査の多くが、山地原住民を人間扱いしなかったために霧社事件が起こった、というものが多々あるが、総督府の理蕃政策関係者や台湾軍関係者も、同じように山地原住民を人間扱いしなかったということなのだろうと思われる。下記は、霧社事件後、日本人を殺戮した「蜂起蕃」討伐のために、毒ガスを使用したことを証す中山巡査の話しの部分を抜粋したものである。
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          まえがき ──── 霧社事件検証の旅

1 霧社事件の生き証人たち

 毒ガス生体実験の真相


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 霧社事件が勃発する半年前の1930年(昭5)4月、河口は台中州員林郡社頭小学校に教員として赴任すると、ブヌン族の卓社(タクシャ)を中心に原住民の民族文化の調査を始めた。その頃、小学校の近くにあった派出所に勤務していた、熊本県出身の中山又雄という同年輩の巡査と親しくなった。
 10月27日午後、中山が背嚢(ハイノウ)を背負い、銃を手にして小学校の職員室にやってくると、「霧社で蕃害(バンガイ)事件が起こったので、いまから出動します」と挨拶した。
 事件勃発で台中州管内の巡査に非常招集がかかり、中山たちが鎮圧のために出動したことを数日後の新聞で河口は知った。
 約1ヶ月後、中山が社頭に帰ってきたと派出所の警手が知らせてくれた。河口は事件の様子を聞くために、派出所の官舎に中山を訪ねた。すると彼は激しい咳をしながら、苦しそうに布団の中に横たわっていた。
「どうしたんだ、その格好は?」
「毒ガスにやられた。どうして俺がこんな目に遭わんといけんのかのう……」
 日頃の中山とは別人のように、弱々しくつぶやくようにいった。手足の布団から出ている部分には水泡ができて、呼吸が困難なほど咳き込んでいた。


 中山の話によると、員林郡の巡査はまずトラックで埔里に送られた。ただちに警察隊が組織され、霧社への攻撃が開始された。霧社を占領すると中山は捜索隊本部付きとなり、水越台中州知事の身辺警護を命じられた。
 まもなく、台湾軍から派遣された鎌田支隊(鎌田少将が指揮をとっていた)が到着して、霧社分室が討伐隊本部となった。分室には鎌田少将、服部参謀、憲兵隊長、水越知事、総督府警務局森田理蕃課長が集まり、蜂起したセーダッカに対する討伐作戦会議が連日開かれた。
 11月初め、中山が参謀室にお茶を持って行くと、服部参謀と水越知事が激論しているところだった。服部参謀は、兇蕃(キョウバン)鎮圧のために、軍側は最後の手段として毒ガス弾を使用するといい、水越知事がそれに猛反対していたのだった。
「貴官らのこれまでの理蕃政策が悪いから、軍の出動という事態になったんだ。反抗する蕃人(バンニン)は一人でも生かしておくいわけにはいかん。毒ガスで皆殺しだ!」
「服部大佐、私は州知事として軍の出動を要請したが、鎮圧の手段として毒ガスを使用することだけは人道上絶対に許せません。それだけは止(ヨ)してください!」
 いまにも互いに掴みかかろうとした時、副官が駆け寄ってきて2人をなだめ、騒ぎは収まった。
 11月中旬、軍側の主力が台北に引き揚げることになり、警察隊と交代した。その頃、マヘボ渓の岩窟に籠って抵抗する蜂起蕃(ホウキバン)に対して、軍が毒ガス攻撃を行っているという噂が飛んだ。まもなく台北陸軍病院から数人の軍医将校が霧社に来て捜索隊が編成され、中山もその一員になった。隊員には奇妙な格好のマスクが渡され、軍医から装着方法の実習を受けた。
「お前たちはこれからマヘボ渓に行くことになった。毒ガスにやられた負傷者を担送して、ボアルン社の野戦病院まで届けてくれ」
 能高郡役所の江川警察課長が命令した。


 中山たち捜索隊員は、味方蕃(ミカタバン)の壮丁(ソウテイ)(蕃地の若者・壮年男性)の案内でマヘボ渓の険しい道を登って行った。倒れて苦しんでいる者を担架に載せると、2人でマヘボ社まで下ろした。休憩すると再び担架を抱え、2時間かけてボアルン社まで運んだ。負傷者は、みな生きてはいるが、全身がただれてもがき苦しんでいた。

 ボアルン駐在所前にある蕃童教育所の前に設置された臨時野戦病院では、3人の軍医がメスを持って待っていた。にわか仕立ての手術台の上に負傷者を載せると、赤い蕃布の胸をはだけてメスを入れた。それは投下した毒ガスの効果を調べるための生体解剖だった。解剖が終わった遺体は、味方蕃の壮丁たちのよって運び去られた。

 そのうち中山は意識不明に陥り、気がついた時は霧社診療所にある救護班のベッドの上だった。顔は腫れ上がり目が見えないほどで、全身に激痛が走り、明らかな毒ガス症状を呈していた。隣のベッドにも捜索隊員が入院していたが、手足に水疱状のものができて苦しんでいた。中山は心配になり、たまたまそこへ知り合いの二水駐在所の公医が派遣されてきたので、治療方法はないのかとたずねた。すると、「原因不明の病気だが、社頭へ帰って休養しておれば自然に回復するよ」といわれた。
 
 宿舎に見舞いに行った河口は、中山の症状を見て、これはただごとではないと思った。手足表面の皮膚が火傷したようにただれ、水疱状のブツブツができていた。河口は子どもの頃、天ぷら油が飛び散って火傷した時、母親が馬鈴薯をおろして金でおろして傷口につけてくれたことを思い出した。さっそく官舎にとって返し、田舎から送ってきたばかりの馬鈴薯を持って官舎へ戻った。馬鈴薯をおろして中山の手足に塗り、その上を包帯で巻いてやった。


 数日後、小学校に台中の憲兵隊から下士官2人が来て、河口を員林警察署へ連行した。
「中山がお前に何を話したか知らんが、このことは一切口外してはならない。お前が命令を聞かないで人にしゃべったら、軍法会議にかけ銃殺する!」
 一人の憲兵は肩から吊したピストルを外すと、河口に銃口を突きつけて激しい口調で口止めした。河口はその時の憲兵の態度と苦しむ中山の症状が、いまも忘れられないという。
 翌日、中山は台中陸軍病院に送られ、それ以後消息を絶った。河口は戦後、台湾から引き揚げたあと、北九州市内の中学校に勤務しつつ、霧社事件の研究を続けた。

 
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政府極秘文書『台湾霧社事件調査書』が明かす真相

2011年01月15日 | 国際・政治
 「現代史資料22台湾2」(みすず書房)の中に「霧社事件」に関わる政府極秘文書が入っている。同書編者の山辺健太郎は、「最後に入れた『台湾霧社事件調査書』というのは、極秘という印をおしたプリントで、国会図書館の憲政資料室にある牧野伸顕文書のなかから私の見つけたものである。この筆者は、事件調査のために、拓務省から生駒管理局長が派遣されていることから、おそらく生駒局長であろう」と書いている。台湾総督石塚英蔵の名による『霧社事件の顛末』や、台湾軍司令部編刊の「昭和5年 台湾蕃地 霧社事件史」と読み比べると、現実に発生した「霧社事件」の理解が、立場によってこれほど違うのか、と驚かされる。『台湾霧社事件調査書』を読めば、「証言 霧社事件 台湾山地人の抗日蜂起 アウイヘッパハ」解説-許介鱗(草風館)の中で、アウイヘバハが証言していることは、ほぼ事実に違いないことが分かる。日本人の首をはねたという霧社事件は、事件そのものも恐ろしいが、そこに至る過程も、また事件後の解釈や対応も、劣らず野蛮で恐ろしいと思う。
 以下『台湾霧社事件調査書』から、総督府の見解を批判的にとらえているところや、出役・使役の実態にふれ、特に「イナゴ駐在所移転改築工事」の「労銀」に関わって、「其の不条理なること言語道断なり」と断じている部分、および「…我が殖民史上中外に対する一大汚辱たり」と結論している部分を抜粋する。こうした文書が正しく評価され、日本のその後の政策に生かされていれば、悲惨な戦争は避けられたのではないかと思われる内容である。
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               25 牧野伸顕文書

霧社事件調査書

第2章 原因

 彼等兇蕃は前章述ぶる如き悲壮なる決意の下に彼の戦慄すべき残虐を敢えてし而して此の頑強なる抵抗を継続す。惟ふに少なくも彼等に取りて余程重大なる原因なかるべからず。今此の機に於て其の真相を究むることは将来に於ける理蕃政策上寔に重要なる意義を有すべきことに属するを以て当局は勿論吾人と雖も飽迄其の闡明に努むるの責務あるを感ぜずんばあらず。


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 以上両発表を閲するに何れも甚だ冷々淡々として恰も些々たる一突発事件を取り扱うが如き態度あるに止まり、斯かる一大兇変の原因として吾人を首肯せしむべき何等の事実を発見し得ざるの憾あり。殊に2日の発表中「賦役回数の増加」の項に於て「……然るに最近各蕃社共(註、此の「各蕃社共」は多分「各蕃界駐在所共」の意味ならん、若し然らざれば各蕃社自ら進んで其の陋習改善に力めつつ而も之に含む所ありとは自家撞着なるを以てなり)争つて其の改善に力むる傾向あり。其の結果として勢ひ出役回数の増加するは免れざる所にして之に含む所ありたるものと推せらる」と説明しあり。然るに、18日の発表に於ては「……肩が痛い等と云つて居た、是等は極めて普通のことで特に彼等の恨みを深くしたような事はない」と言明して此の労役問題を原因中より排除しあり。今此の労役問題を原因中より除外することは本事変を何処迄も一の突発事件として処理する上に於ては極めて都合好きことに属すべしと雖も、事実は決して然らざるのみならず此の労役問題而も最近に於ける苛酷なる使用事件こそ寧ろ今回兇変の直接原因と認むべき事情あり。今重なる原因と目すべきものを仮に部分的原因及一般的原因の2項に分かちて詳述する所あらんとす。

第1項  部分的原因

 1 蕃婦の差別待遇  略
 2 無理解に基く拘禁 略
 3 ピホサツポ事件 略

第2項  一般的原因

 前項述ぶる所の所謂部分的原因と云ふが如きは実は殆ど対人的事実にして本兇変に対しては只一の導火線的役目を為したるに過ぎず。然れども本項述べんとする所謂一般的原因に至つては即ち然らず。例えば導火線に対する敷設地雷なり、而して其の害や普遍的なり、其の災や甚大なり、一頭目一族の私怨、一番丁の私行的出草、かかる事実は従来共屡々現はれたる事象にして決して今回に始まりたるものにあらず、然るに斯かる有り触れたる蕃界の事例に因りて何故に斯かる爆発が導かれたるか、而も其の爆発が何故に此の如く大なりしか、何故に所在響応の一大事変を惹起せしめたるか、換言すれば此の一般的原因と称するは一面より観れば正に理蕃事業に対する最高政策の当否如何に触るべき問題にして吾人の最も探求に力めむと欲する所なり。


1 出役問題

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 尚此の使役に当たって必ずしも予算面の如き労銀を支給せざりしこと殆ど公知の事実に属するものにして、試みに最近行はれたる顕著なる実例としてイナゴ駐在所移転改築工事を引例せん。

 本工事は昭和5年3月初旬着手同3月31日竣工したるものの如く形式を整へ居れども事実は10月中旬に入りて竣工したるものにして、事務室及宿舎一棟31坪5合5勺、警手宿舎一棟15坪、浴室便所一棟4坪5合、総計51坪5勺を工費1500円(坪当たり29円40銭)にて完成したることになり居れり。而して当初の予算内訳を見るに材料費として164円50銭、労力費として1335円50銭を計上しあるも此の所謂労力費なるものは事実に於て種々なる他の経費に差し向けられ、関係書類に依れば材料費313円25銭、器具費56円45銭、職工費は167円67銭、人夫費762円63銭、合計2000円として辻褄を合わせあり(この予算超過額500円は如何なる方途によりて填充すべき意向なりしや不明なり)。而も右人夫費762円余も実は全部蕃人人夫に支払はれたものにあらざりしことは更に他の証憑書類に依りて明らかとなれり。即ち霧社分室金庫内に発見せられたる出役蕃人仕払い領収証なるもの之れなり。此の領収証には蕃人のものとも見るべき怪しげなる拇印を押捺しけり。其の総計金額は564円40銭にして前記人夫賃より更に約200円の減少なり。尚此の証憑書類に依れば、蕃人1人当たり1日40銭を支給しありて、此の564円40銭は即ち延人員1411人分の支給額に相当す。

 本工事は移転と云ふと雖も実は新築にして其の木材は霧社、バーラン、万大方面の蕃人を使役して遠く濁水渓の対岸より運搬せしめたるものなるを以て、運材其の他の人夫として坪当たり45人以上を要したるものと見るべく(当地附近に於ける類似の工事を検するに埔里武徳殿は建坪65坪にして使用延人員3380余人、即ち坪当たり約52人、又霧社小学校寄宿舎新築工事の設計書を見るに72坪余りに対して人夫3000人を計上し、即ち坪当たり41人強となり、故に今其平均を取りて仮に45人と計算す)、総計約2300人以上の運材人夫を要したるは、勿論なり。果して然らば上記762円余又は564円余の金額は到底一人当たり24,5銭乃至33,4銭以上の支給を許さざる計算なり。更に驚くべきは前掲職工費の名目の下に支出されたる867円余は実際上自ら大工左官等の役割に当りたる付近駐在所職員自身の取得額にして、之が濁水渓越を為せる2300人の人夫賃を超過し居る点にして其の不条理なること言語道断なり。

 蕃地に於ける此種工事に関しては従来共各種忌はしき風説を耳にすること屡々なり。殊に所謂蚩々蠢々たる蕃人使役の一条に至つては世人の批難最も濃厚なる所にして、或は蕃人に対しては所謂義務出役と称して其の労役に対し何等労銀支払の事実なしと云ふものあり、或は蕃人従来の慣習を無視して上述の如く之に担送其他過酷なる使役を課し、苟も従はざるものに対しては常に厳重なる制裁を加へつつありきと云ふものあり(目下尚工事中なる霧社小学校の材料運搬に際して彼等に担送を強ひたることが兇変の主要原因の一なりと迄論ずるものあり)、或は蕃地に於ける労役は大は道路橋梁の修築より小は駐在警官の日常家事に至る迄凡て蕃人をして之に当らしめつつある一面に於て、最近工事頻に起り、イナゴ駐在所あり、霧社小学校あり、霧社公学校あり、之に続ぐに霧社倶楽部あり、此の如く矢継ぎ早に来る過酷なる労役が遂に蕃人をして所謂自暴自棄に陥らしめたるなりと云ふものあり、或は蕃人対しても時に金品の支給を為したる事実なきにあらざれども、そは殆ど往返に日を要すべき遠路難路の運搬に対しても僅に2,30銭を給する等極めて僅少のものに過ぎざるなりと云ふものあり、更に或は担当警察官の死蔵せる現金2万円を発見したりと云ふものある等巷説誠に紛々たり。然れども本件の如きは今回の兇変に対して最も緊密なる関係を有するものと認むるを以て、本調査に於ては一切の風説を排して一に事実の根本を究むることに力め、而も其の関係数字の如きは決して過当に渉らざることに注意せり。故に是等の数字より推して苟も不条理不穏当と目すべき廉ありとせば事実の真相に伴ふ不条理不穏当は決してより少き程度のものにあらざるを断言し得るの確信を有す。

 督府当局は利に敏なる蕃人に対して所謂上前をはぬる等のことはあり得べからずと声明せり。只吾人の知る所に依れば、タイヤル族は威武必ずしも屈すべからず、利益必ずしも(?)はざるべからざる一種のプライドを有すと聞けり、而も仮に当局の言の如く彼等果して利に敏なりとせむか、之を使役するに相当の支給を為したりとせば決して其の怨恨を買うべき筈なきと同時に、若し反対に利を伴ふことなく而も其の最も苦痛とする労役を強ふることに依て其の不平怨恨を買ひ得たること亦極めて当然の帰結なり。督府当局の声明の如きは此の厳然たる数字と事実とを無視したる一種の漫談に過ぎざるものと云ふべきなり。

 2 人事問題    略
 3 郡警分離問題  略

第3章

 第1項 余録
 第2項 結論

 要するに現督府当局は久しく綱紀のの粛正を怠り監督を忽諸にし下僚をして暴戻を恣にせしめ以て蕃界一般に不平反抗の気分を醞醸せしめ、殊に理蕃関係の人事を濫りにし蕃界の事情に通ぜざるものを配置して蕃情の察知を欠き、併せて屡々勃発の動機を作らしめ、更に当局自ら蕃政閑却を暴露すべき軽々しき声明を敢へてし、特に理蕃関係官吏をして過度の弛緩気分、荒怠気分を起さしめ其の結果徒らに事態の重大を馴致せしめたり。換言すれば今次の兇変は如何に粉飾し糊塗せむとするも督府当局の所謂突発事件等にあらざること明瞭にして、既に其の失政に因りて敷設せられ、其の失政に因りて爆発せされ、而して其の失政に因りて拡大せられ、その結果200の無辜を殺戮せしめ、延いて同じく 陛下の赤子たる幾百の新付を族滅せしめつつあり。正にこれ所謂豆を煮るに萁を以てするの悲惨事にして、実に昭和未曾有の一大不祥事なると共に又我が殖民史上中外に対する一大汚辱たり。苟も其の局に当たるものは勿論吾人局外者と雖率直に明白に其の由来する所を究め以て将来の対処に資するの責務あるを感ずるものなり。蓋し此の如きは以て惨禍の幾分を讀ひ得るの方途たると共に、又以て無告の犠牲者に対する弔慰の第一義たるべきを信ずればなり。(昭和5年12月1日)


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”霧社事件”天皇の「ご下問」と政府極秘文書

2011年01月05日 | 国際・政治
 「霧社事件 台湾高砂族の蜂起」中川浩一・和歌森民男編著(三省堂)によると、霧社事件に関わる政府極秘文書があるという。それは、霧社事件の実態と原因調査を目的として拓務省が派遣した生駒管理局長による報告書であり、その内容は総督府の『霧社事件の顛末』の内容とは全く異なる。

 極秘の印を押した生駒管理局長による『台湾霧社事件調査書』によって、政府関係者は、山地原住民が日本人を狙って136名を殺害した(ただし、その中に日本人の装いをしていたためにあやまって殺された4歳の子どもと、山地原住民に暴行を加えた店員の2人の漢民族が含まれている)霧社事件の真相をかなり正確につかんでいたことが分かる。また、この霧社事件が契機となって台湾総督府も「理蕃事業」の方針を改めたようではあるが、公式的にはあくまでも台湾総督府「石塚英蔵」名による『霧社事件の顛末』に基づいた対応がなされ、自らの非を認めることはなかった。そうした意味では、真相の把握が決定的な意味を持たなかったということである。

 事件後、味方蕃を動員し、馘首にたいして懸賞金までかけて報復ともいえる「討伐」が行われた。そして、それは第二霧社事件につながっていく。昭和初期のできごとである。山地原住民に対する差別や偏見に基づく不当な理蕃政策が蕃地警察の手によって展開された事実や理不尽な討伐によって多くの人たちの命が奪われたことを忘れてはならないと思う。
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Ⅲ 霧社事件その後

 3 真相をかくした台湾総督府

 ごまかす総督、疑う天皇


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 事件の発生からほぼ3ヶ月、蜂起を鎮圧した台湾総督府では、石塚総督が経過報告のため上京し、参内して天皇に拝謁した。そのおりに石塚総督は”一巡査の問題に端を発し、遂に彼如き事件を発生するに至りしは誠に恐懼に堪えず”と説明し、事件のとりつくろいに努めたという。
 そのことに対して天皇は、直接的にはなんの言及もしなかったが、総督の退出後、内大臣としての牧野伸顕に向かい、”右は一巡査の問題に非ず、由来、我国の新領土に於ける土民、新付の民に対する統治官憲の態度は、甚だしく侮蔑的圧迫的なるものあるように思われ、統治上の根本問題なりと思ふが如何”と下問したと、牧野からの話しを木戸が聞き書きしている点である。


 天皇の認識は、霧社事件は偶発事件ではなく、植民政策の失敗に基づく変事ととらえたもののようである。皇太子当時の台湾巡歴にさいして、山地原住民を呼称するに「生蕃」あるいは「蕃人」の語を用いるのは侮蔑の極地ゆえ、これを「高砂族」と改めるよう指示したといわれる挿話が真実であるならば、総督府官憲の失政に事件は起因するとの考え方に天皇が帰着したのは、当然ありうる判断となる。

 こうした天皇の下問にたいして、牧野伸顕の側からは、”我国の新領土の人民に対する統治方針は、度々仰出され居るごとく一視同仁たるべきは疑いなきところなるが、其の事実は往々にして侮蔑的なる態度に出るものあるは多年の病弊にして誠に遺憾とするところ”と言上したとされている。

 牧野伸顕が、霧社事件は失政にもとづく不祥事と判断した根底には、霧社事件の実態と原因調査を目的として拓務省が派遣した生駒管理局長による復命を目にし、あるいは耳にする機会を持ちあわせたためと判断される。
 生駒管理局長による報告書と称される資料は、極秘の印を押した『台湾霧社事件調査書』であり、これは山辺健太郎が国立国会図書館憲政資料室において「牧野伸顕文書」のなかから発見し、『現代史資料』22・台湾2(1971年)の刊行にあたってこれを収載している。もっとも、戴国煇によると、生駒管理局長による復命所は、「牧野伸顕」文書とは別の構成をもつ『霧社蕃騒擾事件調査復命書』として存在するとのことである。

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総督府主張を否定した政府極秘文書

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 霧社事件が、積年の搾取・酷使にたいする抵抗運動としての側面を色濃く持っていたことは、疑う余地がない。けれども、『霧社事件の顛末』は右の事実を認めず、”勇猛を以て誇りと為し労役を好まざる伝統的傾向”を有するにもかかわらず、不慣れな担送を命じたうえ、”賃金支払も遅延勝ちの状況”にあったことが、”不平の念を醸成したるもの”と書くにとどめてしまう。これにたいして『霧社事件調査
書』は、

  一頭目一族の私怨、一蕃丁の私行的出草、かかる事実は従来共屡々現れたる事象にして決して今回に始まりたるものにあらず、と記して、これを事件の主因とする見解を退けている。
 このような性格をもつ『霧社事件調査書』が重視したのは、”出役問題”としてとらえた搾取と酷使にかかわることがらであった。それが極秘文書であり、一般の目にふれる気づかいはなかったという条件があったにしても、総督府側の見解などは”一種の漫談に過ぎざるもの”ときめつけた事実に注意しなければならない。
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 蕃地に於ける此種工事に関しては従来共各種忌はしき風説を耳にすること屡々なり、殊に所謂蚩々蠢々たる蕃人使役の一条に至っては世人の批難最も濃厚なる所にして、或いは蕃人に対しては所謂義務出役と称して其の労役に対し何等労銀支払の事実なしと云ふものあり、或いは蕃人従来の慣習を無視して上述の如く之に担送其他過酷なる使役を課し、苟も従はざるものに対しては常に厳重なる制裁を加へつつありきと云ふものあり(目下尚工事中なる霧社小学校の材料運搬に際して彼等に担送を強いたることが凶変の主要原因の一つなりと迄論ずるものあり)或いは蕃地に於ける労役は大は道路橋梁の修築より小は駐在警官の日常家事に至る迄凡て蕃人をして之に当らしめつつある一面に於いて、最近工事頻に起り、イナゴ駐在所あり、霧社小学校あり、霧社公学校あり、之に続くに霧社倶楽部あり、此の如く矢継ぎ早に来る過酷なる労役が遂に蕃人をして所謂自暴自棄に陥らしめたるなりとい云ふものあり、或は蕃人に対しても時に金品の支給を為したる事実なきにあらざれども、そは殆ど往返に日を要すべき遠路難路の運搬に対しても僅かに2,30銭を給する等極めて僅少のものに過ぎざるなりと云ふものあり、更に或は担当警察官の死蔵せる現金2万円を発見したりと云ふものある等巷説誠に紛々たり。然れども本件の如きは今回の凶変に対して最も緊密なる関係を有するものと認むるを以て、本調査に於いては一切の風説を排して一に事実の根本を究むることに力め、而も其の関係数字の如きは、決して適当に渉らざることに注意せり。故に是等の数字より推して苟も不条理不穏当と目すべき廉ありとせば事実の真相に伴ふ不条理不穏当は決してより少き程度のものにあらざるを断言し得るの確信を有す。督府当局は利に敏なる蕃人に対して所謂上前をはぬる等のことはあり得べからずと声明せり。只吾人の知る所に依ればタイヤル族は威武必ずしも屈すべからず、利益必ずしも□はざるべからざる一種のプライドを有すと聞けり、而も仮に当局の言の如く彼等果たして利に敏なりとせむか、之を使役するに相当の支給を為したりとせば決して其の怨恨を買ふべき筈なきと同時に、若し反対に利を伴ふことなく而も其の最も苦痛とする労役を強ふることに依て其の不平怨恨を買ひ得たること亦極めて当然の帰結なり
督府当局の声明の如きは此の厳然たる数字と事実を無視したる一種の漫談に過ぎざるものと云ふべきなり。


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