真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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原発事故 想定外 と 人為ミス

2013年04月30日 | 国際・政治
 若い頃に、柳田 邦男「恐怖の2時間18分」を読んだことを覚えている。スリーマイル島で起きた原発事故を追った作品である。不運ないくつかの偶然とちょっとした人為ミスとがからんで、事故が拡大したことを教えられた。
 七沢潔「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」(岩波新書)は、もんじゅのナトリウム漏洩事故でも、チェルノブイリ原発事故でも、同じようなことが事故の拡大につながっていることを明らかにしている。『事故とはそもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」も、もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで、次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった』というわけである。「もんじゅ」の事故の意味を考える上で極めて重要な視点であると同時に、福島の事故を「想定外」で終わらせてはならないことを示唆しているのだと思う。そうした意味で、著者七沢寄潔もまた高木仁三郎同様、福島第1原発の事故以前に「想定外」や「人為ミス」「情報隠し」「通報の遅れ」などを取り上げ、原発の稼働に対し、警鐘を鳴らしていた一人であった。
 下記は、「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」七沢寄潔(岩波新書)の序章からの抜粋である。
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            序章 もんじゅとチェルノブイリ

神話崩壊の年

 戦後50年という区切りの1995年、皮肉にも日本人は、堅固に築き上げてきたと思っていた自分たちの世界に対する確信が、脆くも崩れていく瞬間に何度も立ち会った。
 阪神大震災では、強固だったはずの高速道路の橋脚が無惨にも倒れ、耐震設計が自慢だったビルやマンション、そして通信、運輸、医療などあらゆる都市機能が、一瞬のうちに壊滅した。前年のロサンゼルス地震のときに、専門家たちが口をそろえて、「日本の技術ではこんな破壊はありえない」と語っていたのを思い出す。
 テロのない平和な国という、誰しも疑わなかったイメージも崩れた。通勤客を満載した地下鉄で、大量殺戮兵器の毒ガスがばらまかれるという世界でも例のない窮極のテロ事件が起こり、多数の市民が死傷した。事件を起こした宗教団体は武装計画も進めていたという。
 そして、戦後日本経済の要とまで言われた大蔵官僚たちのあい次ぐスキャンダル。バブル崩壊後、いまだ出口の見えない長い不況と不良債権問題、失業
……。

 「安定」「安全」「ハイテク」「不滅の成長」といった戦後日本神話は、この1年で一気に崩壊し始めたといえる。日本人の多数はいま、これまで拠って立ってきたものの行方に不安を感じこそすれ、洋々たる未来を語る気分になれない。

 そして、この一連のできごとを締めくくるかのように起こったのが、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏洩事故であった。
 12月8日夜に起こったこの事故では、配管から二次冷却系のナトリウムが推定700キロ(科学技術庁調査・1次報告書)漏れ出し、原子炉補助建屋の2割に当たる広い面積に拡散した。さいわい、放射能漏れも、直接的な死傷者もなかった。だが、「小さな漏洩事故」としてかたづけたかった動燃(動力炉・核燃料開発事業団)や科学技術庁の思惑に反して、日本の社会に重大な事故として受け止められた。なぜだろうか。


 日本の原子力政策は、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、ふたたび利用する「核燃料サイクル」の実現を将来のエネルギー供給の柱に位置づけている。資源小国日本が、独立して安定したエネルギーを確保するための悲願ともされるこの大国家プロジェクトの中核に位置するのが、プルトニウムを消費しながら発電し、同時に消費した以上のプルトニウムを生み出すように設計された高速増殖炉なのである。6000億円をかけてつくられたもんじゅは、2000年代初頭に建設開始予定の「実証炉」、2030年ごろをめざす「商業炉」の先駆けとなる「原型炉」である。つまり、もんじゅは「国の命運を握る計画」の鍵だったのである。

 事故が「重大」である理由はそれだけではない。高速増殖炉の技術は、猛毒プルトニウムを燃料とすること、冷却剤として、水と反応すると爆発的に反応し、空気中で燃えやすい金属ナトリウムを使うことから危険が多く、アメリカ、フランス、ドイツなどで事故が多発開発から撤退する国が続出している。そのなかで日本は、「わが国の技術水準ならば問題ない」と、建設を進めて来た。フランスでナトリウム漏洩が問題になった時も、動燃は「日本の溶接技術は優秀だから大丈夫」と強弁していた。

 つまりもんじゅ事故は、日本国家が「未来のために」と、膨大な予算を投入し、さまざまな懸念の声も振払いながら、技術立国・日本の威信をかけて進めてきたプロジェクトの挫折であり、それゆえに被害規模の大小にかかわらず、国の未来にとって重要な意味を持つのである。
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共通点(1)── 「想定外」の事故と対応の遅れ

 チェルノブイリ原発事故以前、原子炉が暴走して炉や建物が完全に破壊されるような爆発事故はありえないといわれた。そのため、事故直後、原発の運転員や管理職は、しばらくは炉の破壊を把握できず、無意味な復旧活動などを命じて、職員に大量の被爆をさせている。また原発に配備されていた放射線測定器の測定能力が低かったため、針が振りきれてしまい、いったいどれだけの放射線被曝の危機にさらされているかさえ、定かにわからなかった。


 もんじゅの場合、いわば宿命的なアキレス腱として、ナトリウムの漏洩対策は万全のはずだった。放射能をふくんだナトリウムが流れる一次系の配管周辺は、ナトリウムが漏れても酸素などと反応しないように、部屋を窒素で満たしている。また、水とナトリウムが管を隔てて接している蒸気発生器がある部分(ここでは便宜的に「三次系」と呼ぶ)では、漏れをいち早く検出できる装置を他所よりも数多く設置し、爆発的な反応を極力抑える特殊装置もついている。
 今回、事故がおこったのはそのどちらでもなく二次系の配管部だった。放射能をふくむ一次系と、水との接触の高い三次系とを隔てるために設けられた、いわば存在そのものが安全装置の位置づけである。ここで漏洩事故が起こることを想定していなかったであろうことは、配管の真下に空調ダクトを設置していたことからも推察できる。おかげで漏洩後、空気中の酸素と反応してさらに高熱を発したナトリウムは、空調ダクトの漏れ落ちて穴をあけ、床や鉄製作業用足場に飛び散った。さらに空調を3時間も動かし続けたため、原子炉補助建屋の2割にもあたる4000平方メートルにナトリウム化合物が拡散してしまった。


 また、漏洩が起こるとすれば溶接部分であると動燃は考え、その技術には工夫を凝らしていたが、今回の事故は配管にとりつけられた温度計の「さや管」の破損から始まった。その後の調査で、「さや管」の設計を動燃がメーカーにまかせきりだったことが浮かび上がっている。
 想定外だったのは、漏洩が起こった場所だけではない。漏れたナトリウムを受けとめて反応させないまま地下タンクに流し込むために床に敷かれた鋼鉄板「床ライナー」に流れ落ちるナトリウム化合物の温度は、530度までと想定されていたが、実際には千度を超す部分もあった。その後の現場検証で、「床ライナー」の一部に溶融が認められた。
 

 そしてなにより動燃自身がみとめたように、大規模な漏洩こそ想定していたものの、今回のような1トン程度の中規模の漏れは想定しておらず、したがってその対応策は異常時運転員手順書のなかで十分にはマニュアル化されていなかった。中央制御室は発生から1時間半たってからようやく原子炉を緊急停止している。この間に漏洩が拡大したことはいうまでもない。
 
 事故とは、そもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった。

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「プルトニウム」 高木仁三郎が語る

2013年04月28日 | 国際・政治
   高速増殖原型炉「もんじゅ」は、完工延期が20回にもなる失敗続きで、実用化のめどはいまだ立たない。のみならず、現在日本の多くの原発は、安全上再稼働が無理な状況にある。したがって、ウランとプルトニウムの混合(MOX)燃料の利用も見通しが立たず、行き詰り状態である。にもかかわらず青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場を操業させることは、問題だと思う。数々のリスクを無視し、大量の核廃棄物と利用の見通しのない猛毒「プルトニウム」を増やすだけだからだ。

 高木仁三郎は、「一般の人が一年間にこれ以上体の中に入れてはいけないとされている量に当てはめると、原子炉から取りだしたプルトニウム1グラムは、18億人分になります。それくらい猛毒なのです。」といっている。さらに、プルトニウムは容易に核兵器に利用され得るものであるという。そんなプルトニウムが、日本にはすでに、およそ45トンもあるというのだ。使うあてのないプルトニウムをさらに増やそうとする原子力政策は、「神州不滅」「進め一億火の玉だ」などをスローガンとした、人命軽視の日本の戦争政策を思い起こさせる。「一億玉砕・本土決戦論」に似たような、悪あがきともいえる政策を続けるのではなく、実態を直視し、素直にその破綻を受け入れて、原子力政策を根本的に改めるべきあると思う。

 ここでは、「高木仁三郎が語る プルトニウムのすべて」(原子力資料情報室)『核物質「プルトニウム」のあと始末』から、「プルトニウムとは?」の一部を抜粋した。
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核物質「プルトニウム」のあと始末

プルトニウムとは?

 その本題に入る前に、プルトニウムとは何かということを、ごく簡単におさらいしてみたいと思います。プルトニウムというのは、第1たいへん毒性が強い物質です。第2にたいへん長生きです。第3に核分裂を起こしやすい、したがって原子力発電もできるし、原爆の材料にもなります。

 第1の毒性が強いということでは、とくに空気中にただよっているプルトニウムの微粒子を吸い込む場合が問題です。プルトニウムは肺に入り、その一部が数百日から1000日くらいとどまって、肺に被曝を与えます。さらに、その一部が血液に取り込まれ、主として骨と肝臓に集まる。ごくわずかですが、生殖腺に入るものもあります。
 これらの臓器にプルトニウムがとどまる期間はほぼ一生と言ってよいでしょう。そして、ずっと被曝を与えつづけるのです。


 プルトニウムに汚染された食べ物や飲み物を飲食した場合は、大部分は排泄されますが、ごく一部は血液に入り、やはり骨や肝臓に集まってきます。こうして肺ガンや肝臓がん、骨のがんなどを引き起こすのです。
 ビーグル犬などを使った実験では、100万分の数グラムほどのプルトニウムが肺がんを起こさせた実例があります。目に見えないくらいの量を警戒しなければならない物質なのです。
 そんなものをトン単位で扱おうというのですから、プルトニウム利用計画には大きな無理があります。


 一般の人が一年間にこれ以上体の中に入れてはいけないとされている量に当てはめると、原子炉から取りだしたプルトニウム1グラムは、18億人分になります。それくらい猛毒なのです。

 100万キロワット級の原発を1年間運転すると200キログラムから250キログラムのプルトニウムが生まれます。現在日本では、約4000万キロワットの原発が動いていますから、1年間で9トンほどのプルトニウムが生まれる勘定になる。1グラムが18億人分ですから、いかにたいへんな毒ができるかがわかります。

 第2の長生きだという点に関しては、よく24000年の寿命と言われます。これはプルトニウム-239の寿命です。ここで寿命というのは半減期、つまり放射能が半分に減る時間のことです。
 24,000年経って半分になる。もう24,000年経つと、ゼロではなく、半分の半分で四分の一といった減り方をしていきます。
 この寿命がプルトニウム-240だと6,600年、プルトニウム-241で14年、プルトニウム-242では376,000年にもなります。
 プルトニウムは非常に長生きで、いったん生まれたら、なかなか減ってくれません。

 先日ある本を読んでいたら、世界の人口の伸びは1年間に1億人。1秒間に3人ずつ増えつづけていて、この勢いで人口爆発をしたら、世界は破滅すると書いてありました。


 それで思ったのは、プルトニウムは、日本全体で1秒間に約1万人の肺がん致死量にあたるくらいの割合で生産されていて、世界全体ではその10倍くらいです。これが超長生きなわけですから、プルトニウムで人類が破滅するほうがはやいとも思えるのです。

 そして第3の特徴である核分裂を起こしやすく、原爆の材料になること、それが、これからお話ししたいことの中心テーマです。


 ・・・(以下略)


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原発事故 NO2 東海再処理工場の火災・爆発事故

2013年04月21日 | 国際・政治
 下記は、「原子力の社会史 その日本的展開」吉岡 斉(朝日選書624)の中から「東海再処理工場の火災・爆発事故」の概要について記述している部分を抜粋したものである。この事故でも、高木仁三郎が指摘していた「隠蔽、改ざん、捏造」に類する「虚偽報告」が問題となった。

 2011年の福島第1原発の事故でも、重要機器の非常用復水器が、東電の主張と違って地震直後に壊れたのではないかとして、現地調査を決めた国会事故調査委員会に、東電は、建物の内部は明かりが差し照明も使えるのに、「真っ暗」と虚偽の説明をし、現地調査を断念させていたことが報じられた。

 事故が起きるたびに、こうしたたぐいの問題が報じられる。原発自体の危険性の問題もさることながら、原発に関わる組織や人間がかかえる問題も深刻であると思う。あらゆる事態を想定し、安全に万全を期すのではなく、利益のために安全を蔑ろにし、事故が起きると取り繕うというような姿勢に、福島第1原発の事故後もなお、変化が見られないのである。きちんとした対処がなされないまま、原発を再稼働し、維持し、推進するということのリスクは、あまりにも大きいと思う。
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         第6章 転換期を迎えた原子力開発利用(1995~ )

4 分水嶺となった東海再処理工場の火災・爆発事故

 高速増殖原型炉「もんじゅ」事故によって大きく揺らいだ動燃に対する国民の信頼を、完膚無きまでに失墜させたのが、1997年3月11日午前10時6分に、動燃の東海再処理工場のアスファルト固化処理施設(ASP)で発生した火災・爆発事故であった。
 この事故の概要を説明しておこう。東海再処理工場には、再処理の各工程、施設の各所から排出される低放射性廃液を、アスファルトと混ぜて固めるアスファルト固化施設がある。その内部のアスファルト充填室には、低放射性廃液をアスファルトで固化したものを一杯に詰めたドラム缶が多数おかれている。その1本が充填の20時間後に発火し、またたく間に周囲の多くのドラム缶に火が燃え移った。作業員は下請け会社の社員だったため、動燃職員の指示をあおいだ。動燃職員は上司と相談の上水噴霧による消火を命じた。火災発生から6分後、作業員はスプリンクラーを使った消火行動を1分間おこなった。だがその頃から、放射能を含む煙が充填室から施設全体に広がり、火災発生から約30分後までに、作業員は全員避難を余儀なくされた。この予期せぬ事態を終息させようと関係者が懸命に努力していた午後8時4分、充填室付近で爆発が起き、アスファルト固化処理施設の窓と扉のほとんどが破損した。爆発によって発生した火災は3時間あまりにわたって続いた。そして施設の破損箇所から、大量の放射能が外部へ拡散していった。


 この原稿を書いている98年末現在に至るまで、事故原因の詳細はいまだ解明されていないが、最初に起きた火災事故に関しては、ドラム缶内で発熱暴走反応が発生して自然発火をもたらしたものと推定されている。またその約10時間後に起きた爆発事故に関しては、消火作業に使われた水量がわずかであり、完全な消火がされなかったために、ドラム缶に詰められたアスファルト固化体内部で、何らかの発熱をともなう化学反応が進行し、それにより可燃性ガスが部屋に充満し、何らかの引き金で爆発に至ったものと推定されている。原子力安全委員会は、火災爆発事故調査委員会を設置して事故原因調査を進めさせ、調査委員会は97年12月15日に報告書を提出したが、そのなかで事故原因を特定することはできなかった。

 この事故によって動燃の安全対策の不十分さがクローズアップされることとなった。また事故に際して動燃がとった対応行動も、きわめて不適切なものであった。安全対策の不十分さの筆頭にあげられるのは、アスファルト固化という方法を採用したこと自体である。アスファルトは可燃物であり、発火した場合には、内蔵された放射能を、まき散らすリスクがある(減速剤に黒鉛を用いる原子炉と同様のリスク)。セメント固化のほうがベターであり、それが世界の標準的方法である。にもかかわらず動燃は、コストが安く海洋投棄にも都合のよいアスファルト固化の方法を選んだ(前述のように80年代初頭まで、科学技術庁は中低レベル放射性廃棄物の海洋投棄計画に固執していた)。
 また動燃は、アスファルト固化処理施設で火災事故や爆発事故が起こることをほとんど想定せず、消火訓練もまったくおこなっていなかった。


 次に動燃の事故対応行動も、多くの問題点を有するものだった。それは大きく2つに分けることができる。第1に、消火作業がきわめて不適切なものとなった。まずマニュアルの記述が不備だったため、現場作業員の判断で消火活動を開始できず、消火開始が遅れた。またマニュアルの消火手順が守られなかった。放水開始の前に充填室の換気を中止しなかったのである。そのためフィルターの目詰まりによる機能喪失と、外部への放射能漏洩を招いた。さらにわずか1分間の散水をおこなっただけで消火作業を中止し、十分な消火確認もおこなわなかった。1981年に起きたベルギーのユーロケミック社のアスファルト固化施設での事故に懸念をいだき、動燃は82年に燃焼実験をおこない、完全消火まで8分間の散水が必要であるとの結果を得ていたが、それが生かされなかった。そうした不適切な消火活動によって、適切な対応がなされていれば火災事故だけですんだところが、爆発事故に発展した

 第2に消火活動にからむ虚偽報告事件が発生した。動燃が科学技術庁に提出した事故報告書には、午前10時13分に消火を確認したのち、10時22分に目視で再確認したと記載されていたが、実際には消火確認していなかったことが、事故から1ヶ月後の4月8日に露見したのである。それは簡単に訂正できるはずの単純ミスにすぎなかったが、ひとたび政府・自治体・マスコミ等に流した情報について、もしその訂正をおこなえば、「もんじゅ」事故で失墜した動燃の信用がさらに低下するのではないかと幹部職員たちが恐れ、口裏合わせをおこなおうとしたが、それが作業員一人の抵抗により発覚したのである。この虚偽報告事件の発覚は、国民の動燃への不信を決定的なものとし、動燃解体論を呼び起こした。マスコミは動燃を「うそつき動燃」呼ばわりするようになった。

 ・・・(以下略)


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原発事故 NO1「もんじゅ」ナトリウム漏洩と情報の秘匿・捏造

2013年04月20日 | 国際・政治
 「原発 高木仁三郎の鳴らした警鐘1」で取り上げたように、原子力は、日本では科学的実態や技術的実態がないまま、また、産業的基盤もないまま、「札束で学者のほっぺたを引っぱたけばいいんだ」という言葉(中曽根康弘氏)に象徴されるような政治的思惑によって導入された。そして、三井や三菱、住友などの旧財閥を引き込み、国家主導のトップダウン型で開発が進んだ。したがって、一企業、ましてや一個人が、その国家的推進体制に異を唱えることなど許さないという状況のもと、寄せ集めの集団と技術によって開発が進められたのである。
 そうした開発・推進を、高木仁三郎は「議論なし、批判なし、思想なし」であると批判した。原発が事故をくり返す理由や、事故のたびに「隠蔽、改ざん、捏造」が問題となる理由の一端は、そこにあるというわけである。

 下記は「原子力の社会史 その日本的展開」吉岡 斉(朝日選書624)の中から、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故の概要と、事故後の情報秘匿や捏造について記述している部分を抜粋したものである。
 福島第1原発の事故は「想定外」の津波によるものだ、という言い訳を受け入れることができるだろうか。
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          第6章 転換期を迎えた原子力開発利用(1995~ )

1 高速増殖炉「もんじゅ」事故とそのインパクト

 1995年12月8日夜、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖原型炉「もんじゅ」で二次冷却系からのナトリウム漏洩が起きた。漏洩したナトリウムは空気中の水分や酸素と反応して激しく燃焼し、空気ダクトや鉄製の足場を溶かし床面に張られた鋼鉄製ライナ-上に落下してナトリウム酸化物からなる堆積物を作った。事故原因については、A、B、Cと合計3グル-プある冷却系のうち、Cループは配管に差し込まれたナトリウム温度計のステンレス製保護管の先端部分が、微小運動をくり返すことによる金属疲労により破断し、その折れた開口部から配管内のナトリウムが保護管の内部を通り、直接配管室の室内にでたものと推定されている。事故の経過について本書でくわしく述べる紙面はないので、他の文献を参照していただきたい(たとえば、もんじゅ事故総合評価会議著『もんじゅ事故と日本のプルトニウム政策──政策転換への提言』、七つ森書館、1997年。読売新聞社科学部著『トキュメント「もんじゅ」事故、ミオシン出版、1996年。緑風出版編集部編『高速増殖炉もんじゅ事故』、緑風出版1996年。)
   

 この事故に対して動燃がとった対応行動は、きわめて不適切なものであった。まず第1に、運転者(当直長)の判断の誤りにより、警報がなった12月8日午後7時47分以降、1時間33分にわたって原子炉を手動停止せず、ようやく9時20分に停止したのに加え、停止後のナトリウム緊急ドレン(抜き取り)も大幅に遅れたため、適切な判断がなされた場合に比べて数倍(推定700キログラム)のナトリウムが漏洩したのである。原子炉停止後もナトリウム漏洩は続き、配管部分のナトリウム抜き取りが終了したのは、夜半過ぎの午前0時15分となった。さらにその間、空調システムを停止しなかったために、放射性物質トリチウムを含むナトリウム・エアロゾルが原子炉建屋全体に拡散し、その一部は環境に放出された。こうした運転者による一連の判断の誤りの一因は、マニュアル(異常時作業手順)の不備であった。またこの事故では周辺自治体への通報の遅れも問題となった。福井県及び敦賀市への通報は事故の約1時間後となったのである。

 動燃は第2に、意図的な事故情報の秘匿・捏造をおこなった。動燃は12月9日午前2時5分(1巻分)と、16時10分(2巻分)の2回にわたり、事故現場のビデオ撮影をおこなったが、公表したのは後者のビデオテープのうち1巻(11分)を、肝心のナトリウム漏洩部分の映像を削除して編集したものであった。そのことが露見したきっかけは、事故の3日後の12月11日未明(午前3時25分)に、福井県と敦賀市の職員4人が安全協定に基づいて強行した立ち入り調査であり、そのとき撮影されたビデオテープにはナトリウム漏洩部分が写っており、事故の深刻さをうかがわせるものであった。

 このビデオテープ映像の印象と、動燃が発表していた映像の印象とが、あまりにも食い違うことを福井県などから追及された動燃は、やむなくビデオテープの秘匿・捏造の事実をみとめ、動燃もんじゅ建設所の大森康民所長と佐藤勲雄副所長が隠蔽工作の責任者であったことを明らかにし、両名を含む4名を更迭した。(後任の所長には本社企画部長の菊池三郎が、副所長には動力炉開発推進本部次長の鈴木威男がそれぞれ就任した)。また科学技術庁は1月12日、動燃理事長の大石博の更迭を決めた。その翌日の1月13日未明、事故情報秘匿・捏造事件の社内調査の担当者だった動燃総務部次長の西村成生が自殺した。これは動燃の体質による社内調査の難航を、一つの背景とした事件であり、国民の動燃不信をさらに強めた。

 ・・・(以下略)

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原発 高木仁三郎の鳴らした警鐘3

2013年04月17日 | 国際・政治
 「原子力神話からの解放 日本を滅ぼす9つの呪縛」高木仁三郎(光文社10-307)には、信じがたい事実がいくつか取り上げられている。たとえば、「…もともと使用済み燃料のなかのプルトニウムをリサイクルするといっても、リサイクルされるのはごくわずかです」という。そして、それが「…もとになる使用済み燃料に対して1%にも満たない量です。リサイクルしてもそのくらいの量しか、またもとの原子炉の燃料として戻すことはできません。こういうのはふつうリサイクルとは言わないでしょう」というようなことである。

 さらに、「結局のところ、いちばん問題になる高レベルの各種廃棄物は、リサイクル、つまりMOX燃料を使ったプルサーマルをやったほうが、ウランを1回だけ使ってやめてしまうのに比べて、発電される電力1キロワット時当たりに出てくる放射能の量は多くなります。リサイクルによって、かえってゴミが増えてしまうわけですから、とてもリサイクルとは言えません。さらにもう一つ、より深刻な問題は、単純にゴミが増えることよりも、工程中で環境中に放出される放射能が非常に多くなってしまうことです。」というようなこともある。
 原子力の「平和利用」は、まさに「神話」なしには進められなかったことがわかる。ここでは、同書の『「核燃料はリサイクルできる」という神話』の中の、それぞれの項目から結論部分を中心に抜粋した。

 高木仁三郎の指摘する、問題だらけの核燃料リサイクルのために建設されている青森県六ヶ所村の「核燃料再処理工場」は、トラブル続きで、完工延期が20回にもなるという。そして、その建設費用は、当初(1993年)7600億円であったものが、最近の電気事業連合会の発表では、今後の増設分を含め、なんと3兆3700億円になるとのことであり、建設費だけでも、当初の計画のほぼ4.5倍になっている。また、運転・保守費約6兆800億円、工場の解体・廃棄物処理費約2兆2000億円などを合わせると、総費用は「約11兆円」という。運転・保守費、工場の解体・廃棄物処理にも膨大な費用のかかることが、計画の段階ではなく、建設中に明らかにされたということである。その上、この試算は、「工場が40年間100%フル稼働、無事故で動く」という、ありえない前提で試算されており、実際はこれ以上の額になることは確実だといわれている。

 使用済み核燃料から、1%にも満たないプルトニウムを取り出す再処理を「リサイクル」と呼び、日本がこんな莫大な経費をかけるのは、やはり原子力の平和利用が、「原子力神話」によって進められてきた国策の証ではないか、と思う。
 おまけに再処理工場は、事故ではなくても、放射能を日常的に空中や海中に放出し続けるのだという。高さ150メートルの排気筒から、また六ヶ所村沖合3kmの海洋放出管の放出口から…。そして、放射能を放出しなければ運転できないというのである。こうした再処理工場周辺で小児白血病が増えているという調査結果が報告されているのに…。 
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 「核燃料はリサイクルできる」という神話

 絶望的なプルサーマル・MOX計画

 「核燃料はリサイクルできる」という神話は、第1の神話である「原子力は無限のエネルギー源」神話のバージョンと言うことができます。第2章で見たように、原子力で非常に多くのエネルギーを得ようとすれば、資源に限りのあるウランではだめで、高速増殖炉が必要になります。それを使ってプルトニウムをどんどん増殖し、それによって燃料を大量に作り出そうという計画から、高速増殖炉は「打ち出の小槌」のような原子炉だという神話、いわば「プルトニウム神話」が生まれという話もしました。しかし、高速増殖炉計画が世界中で破綻をきたし、日本でも「もんじゅ」がみじめな事故を起こして、その計画はほとんど破綻してしまいました。

 2000年3月に、その破綻した「もんじゅ」をかろうじて首の皮一枚でつなぐ、本当に時代の流れに取り残されたような、みじめな政治的な判決が福井地裁で出されましたけれども、そういう政治的な裁判の判決のいかんにかかわらず、この増殖炉が実用的には生き残れないことは明らかです。

 また、今すぐそれが役立つものであるとは日本政府も考えてはいないはずです。そのためにプルトニウム神話が、さらに新しいかたちをとって生き残ろうとしているわけで、それが、これからお話しする、「核燃料はリサイクルできる」という神話です。
 核燃料リサイクルを別の言葉で言えば、ちょっと聞いたことがあるかもしれませんが、「プルサーマル」というものです。原子炉の燃料の流れを核燃料サイクルと呼ぶことは、すでにお話ししましたけれども、その流れのなかで、使用済み核燃料を化学処理する、つまり再処理してプルトニウムを取り出す過程があります。そのプルトニウムをウランともう一回混ぜてやって酸化物の形にしたものを、混合酸化物燃料、英語でMOX(Mixed-Oxide)と言います。この、MOXという形の燃料にして、ふつうの商業炉、つまり軽水炉で燃やす計画を、日本でつくられた一種のジャパングリッシュですけれども、プルサーマルと呼んでいます。

 ・・・


 言葉だけのリサイクル計画

 なぜ「リサイクル」という言葉が出てきたのか、不思議に思う人もいるでしょう。政府や電力会社の立場にたって説明すれば、要するに、使用済み燃料、いったん原子炉で燃やした燃料から、再処理して、プルトニウムという燃える成分を取り出して、それをもう一回原子炉の中で燃やせる燃料にするからリサイクルだという理屈です。リサイクルであるから、資源の有効利用であり、未来型のエネルギー原料の作り方であり、使い方なんだよ、というわけです。さらには、そういうふうにリサイクルすることによって環境への負荷を少なくするとまで言って、非常に環境重視型のエネルギー政策なんだということが、この神話の根拠になっているわけです。

 こんな神話が本当にあるのかという気がするかもしれませんが、高速増殖炉神話であるとか、あるいはプルトニューム神話という、神話の最たるものが崩れた段階で、この新たな神話は出現しきました。前章の、クリーンエネルギ-神話と並んで「環境に優しい原子力」を打ち出す必要が出てきた原子力産業や日本政府が「リサイクル」という言葉に飛びついてこれを神話化しようとしたわけです。


 もう少し別の狙いとしては、従来のウランを使った原子力産業では、ちょっと先が見えてきたという事情があると思います。新しい仕事がほとんどなくなって、原子炉も建たなくなってきました。そういうなか、プルサ-マルをやることで、プルトニウムを中心とした新しい産業を興していこうという狙いがあって、そのためにリサイクルという神話を持ち出してきたいきさもあるのでしょう。

 しかし、考えてもらえばわかることですが、もともと使用済み燃料のなかのプルトニウムをリサイクルするといっても、リサイクルされるのはごくわずかです。100万キロワット級原発ですと、ウラン燃料は1年分で、およそ27~30トンくらいですから、使用済み燃料もそれくらい出てきます。それに対して、使用済み燃料から再処理したときに取り出されるプルトニウムの量は、全体として250キログラムから多くて300キログラムくらいになります。そのうち燃える成文、つまり核分裂性の成分は、具体的にいうと239と241というアイソトープになりますが、これは百数十キログラムからせいぜい200キログラム程度です。これは原子燃料の燃やし方によっても違ってきますが、だいたいそのくらいの量になります。ということは、もとになる使用済み燃料に対して1%にも満たない量です。リサイクルしてもそのくらいの量しか、またもとの原子炉の燃料として戻すことはできません。こういうのはふつう、リサイクルとは言わないでしょう。

 たとえば自転車のリサイクルを考えてみても、部品の一部、例えばタイヤとかペダルを取り替えたりして、場合によってはチェーンくらいは取り替えるかもしれませんが、古い自転車の60パーセントなり70パーセントくらいはそのまま残して、それに何かを加えて自転車を使えるようにすることをリサイクルと言っています。
 あるいは飲料用ペットボトルのリサイクルとか、新聞紙などのリサイクルが盛んですけれども、この場合のリサイクルは、それを全部原料の形に戻して、それからもう一回ボトルなり再生紙なりを作り直すことです。このときにもそれなりのエネルギ-の投入などが必要になりますが、基本的には原料の70パーセントから80パーセントを再生します。あまりゴミを出さないことで環境上望ましいリサイクルを行う、循環するというのが本来のリサイクルの考え方です。
 それが原子力の場合は、60パーセントから70パーセントを残すどころではなくて、1パーセントだけを残して、残りの99パーセントは捨てなくてはなりません。しかも、おおざっぱに言うと、そのうちの3~4パーセントは、非常に放射能レベルの高い放射性廃棄物です。プルトニウム以上に多量の廃棄物、いわゆる死の灰が出てきます。それからあとのものが燃え残りのウランということになりますが、これはほとんど使い途がありませんから、ある種の廃棄物として残ってしまいます。そういう類のものですから、本来的に言うと循環なんていうものではなくて、ごく一部が、仮にうまくいったとして使い物になるというだけの話で、とてもリサイクルなどというものには値しません。



 リサイクルで放射能がふえる!

 MOX燃料は私の専門分野ですから、大きな国際研究もやりましたし、いろいろなレポートも書いています。ここではくわしく述べませんが、プルサーマル計画、つまりMOX燃焼をやると、どのくらいエネルギー的に得をするのか研究したことがあります。たとえ1パーセント以下とはいえ、本来なら捨ててしまうプルトニウムをまた使うわけですから、それによる燃焼節約の効果も一定程度はあるだろうと、計算上は考えられるわけです。そこで、私たちの国際研究であるIMAプロジェクトのなかで、このメリットについて研究してみました。
 IMA研究の正式な名前は「MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価」というものです。私たちがこの研究をやって明らかにした一つの重要な点は、プルトニウムを取り出して燃やすことは、安全性の問題は別にしても燃料資源上のメリットはまったくないということです。とくにリサイクルによって環境の負荷を少なくするといったメリットは、まったくありません。


 ウランが原発の燃料となるプロセスは、非常に長い道のりだという話はすでにしましたけれども、使用済み燃料を再処理して取り出すことは、それをさらに複雑にした流れとなります。プルトニウムをあちこちに動かし、いろいろな工程を経てプルサーマルという名の再利用を行うと、その過程でいろいろな廃棄物が出てくるうえに、そうやって燃やしたプルトニウム自体が結局、最終的には使用済みのMOX燃料というゴミとなって残ってしまいます。ゴミを減らすことになるどころか、この計画はかえってゴミを増やすことになるのです。ゴミの増大について、私たちはこの国際研究のなかで、かなりくわしく分析してデータを出しました。

 そのあとでこれをフォローするものとして、ウラン燃料で1キロワット時の電力を生産する場合と、ウラン燃料を1回使って1キロワット時の電力を生産し、そこから副産物でできたプルトニウムを取り出してウランと混ぜて、もう1回発電を行う、いわゆるリサイクルをする場合に、どちらがゴミが多いかを比較する研究も行いました。後者の場合にできる電力は、最初のときとリサイクルのときの2回ですから、合計で2キロワット時の電力となりますが、1キロワット時に換算して、低レベル、中レベル、高レベルの各種廃棄物は発生量を比較してみました。この細かい計算は省略しますが、結局のところ、いちばん問題になる高レベルの各種廃棄物は、リサイクル、つまりMOX燃料を使ったプルサーマルをやったほうが、ウランを1回だけ使ってやめてしまうのに比べて、発電される電力1キロワット時当たりに出てくる放射能の量は多くなります。
 リサイクルによって、かえってゴミが増えてしまうわけですから、とてもリサイクルとは言えません。さらにもう一つ、より深刻な問題は、単純にゴミが増えることよりも、工程中で環境中に放出される放射能が非常に多くなってしまうことです。



再処理工場の周辺で増えている小児白血病

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 こういうことからも、再処理は環境に優しいどころか、原子力施設のなかでもいちばん環境的に問題がある工程だということがほぼはっきりして、常識化してきています。
 再処理施設が原発よりもよほど環境への放射能放出が大きいことを考えると、再処理を経由することで成り立っている「燃料のリサイクル」は、とてもではないけれど環境に優しいとは言えません。それどころか、かえって環境に大きな害をもたらす施設であると断言できます。さらに、それに関わる人たちの被曝とか、残される放射性廃棄物の量からしても、環境に優しい施設ではないことがわかります。私たちの研究によっても、それははっきりしたと言えるでしょう。



プルサーマル計画の実態はプルトニウム焼却計画

 ちなみにプルサーマル計画は、あるいはMOX計画のほうが通りがいいでしょうけれども、これはもともと、ウランを燃やすために作った原子炉をほとんどそのまま使って、ウランとプルトニウムを燃やすという計画です。燃料は物理的にも化学的にも違った特性を持ったものを使うし、安全上でもいろいろな問題が起きています。さらに、プルトニウム燃料を作るためには、再処理を含めていろいろな施設を作らなければなりませんから、そういう意味でも高くつきます。
 私たちが2年間にわたって行った国際研究では、あらゆる意味でMOXのメリットはないという結論となりました。

 「プルトニウム分離とMOXの軽水炉利用という路線のデメリットは、核燃料の直接処分の選択肢に比べて圧倒的であり、それは、産業としての面、経済性、安全保障、安全性、廃棄物管理、そして社会的な影響のすべてにわたって言える。換言すれば、プルトニウム分離の継続とMOXの軽水炉利用の推進には、今や何の合理的な理由もなく、社会的な利点も見いだすことができない」(『MOX総合評価』七つ森書館)


 これが、日本、ドイツ、フランス、イギリスという4カ国の研究者、9人が行った国際研究、MOX総合評価IMA研究の結論だったわけです。この研究によって核燃料リサイクルの愚かさを言いつくしたことで、プルサーマル計画をリサイクルなどと言えないことは明らかになったわけですが、いまだに政府はこの表現を使いたがります。
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使用済み燃料をリサイクル燃料と呼ぶ愚

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 とにかくリサイクルは破綻していますから、再処理はちょっと止めて暫定貯蔵という話になってきました。けれども使用済み燃料の暫定貯蔵では、単なるゴミの貯蔵でイメージが悪いから、いずれこれはリサイクルできる燃料なんですよ、ということを言いたくって、リサイクル燃料貯蔵施設なんて言葉を使っているわけです。
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原発 高木仁三郎 事故の予見

2013年04月08日 | 国際・政治
 高木仁三郎(2000年大腸癌で死去。)は、阪神大震災の直後、今回の福島第一原発のような地震による原発事故を驚くほど正確に予見し、警鐘を鳴らし続けていた。しかしながら、その警鐘は受け止められなかった。そして、福島で事故は起きた。それでもなお、原子力産業に関わる事業者や原子力行政関係者の基本的姿勢に大きな変化はないようである。したがって、また事故をくり返す可能性があると考えざるを得ない。
 「日本物理学会誌」に寄稿された『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に 』の中で、高木仁三郎は

 阪神大震災は、絶対を主張する専門家の過信の根拠のなさを 天下に明らかにしたと思われたので、この大きな不幸が、技術過信へのよい反省材料になるだろうと、報道に接しながら確信した。
 ところがである。阪神大震災後に行われた耐震設計に関するいくつかの討論( 政府・電力事業者側との論争 )に出席してみてわかったことだが、行政側にも事業者側にも原発の安全性を見直して、この大災害をよい教訓にするという姿勢が少しも見られなかった。いや、非公式には、私は現場の人たちから、多くの不安や「安全神話 」の過信に対する反省の声を聞いたが、それらは少しも公式の場に現れなかった。そのことにショック を受けた。


と書いている。「原発は壊れない」という原子力産業事業者や原子力行政関係者の建て前のため、原発が被災した場合の緊急体制や老朽化原発対策などを真剣に考える姿勢が見られないことをきびしく批判していたのである。そして、予想外の被害をもたらした阪神大震災以後、耐震設計そのものの見直しが不可欠であること、また、活断層に沿った直下型地震が話題を呼び、新たに多くの活断層が発見され、活断層との関わりで心配される原発が出てきたことに加えて、老朽化した原発が増えてきており、大きな揺れではなくても、大事故につながる可能性があるとして、具体的に、東海、敦賀1、美浜1 福島1を挙げ、次のように指摘していたのである。「想定外」は通用しない。

 さて,原発にこのような老朽化が進行している状態で地震に遭うとどうなるか。冒頭で述べてきたような耐震設計時の条件を満たす性能と比べると、実炉でははるかに劣化していると予想されるから、設計・施工にまったく問題がなくとも、実炉の耐震性は大いに疑わしい、仮に破断寸前まで配管や機器の溶接部分の亀裂が発見されない状態にあったときに地震が起これば、一気に破断する可能性も大きいだろう。耐震設計の有効性を大型模型を用いた振動試験で実証していると言われる多度津工学試験所(原子力発電技術機構)の試験でも、老朽化した装置が試験されているわけではない。

 この指摘と朝日新聞の「東電、国会事故調に虚偽-福島第1 現地入り妨げる」の記事を合わせ読むと、おそろしくなる。朝日新聞の記事の内容は下記である。

 『明るい建屋「真っ暗」と説明』
 東京電力が昨年(2012年)2月、福島第1原発1号機の現地調査を決めた国会事故調査委員会に、原子炉が入る建物の内部は明かりが差し、照明も使えるのに、「真っ暗」と虚偽の説明をしていたことがわかった。国会事故調は重要機器の非常用復水器が、東電の主張と違って地震直後に壊れた可能性があるとして確かめるつもりだったが、この説明で断念した。


 1号機原子炉建屋の4階で「出水があった」という下請け労働者の証言が複数あり、非常用復水器が地震直後に壊れた疑いがあったから計画された現地調査であろう。東電は「何らかの意図を持って虚偽の報告をしたわけではない」と言うが、もしそうなら、なぜ「真っ暗」であるなどと主張して、調査の取り下げを促したのか、また、この出水は何であるというのか、その経過や事実についての説明責任があると思う。決してうやむやにしてはならない問題だと思う。
 残念ながら、福島原発の事故後もなお、高木仁三郎がくり返し指摘していた「隠蔽、改ざん、捏造」の類の継続を疑わざるを得ないのである。また高木仁三郎は、同文書の「原発の非常時対策は?」の中で、静岡県の浜岡原発などを具体的にあげて、下記のように指摘していた。

 … たとえば、静岡県による東海大地震の被害想定に、浜岡原発が事故を起こすことは想定されていない。逆に、浜岡原発の防災対策では、地震で各種の動きや体制がとれなくなることはいっさい前提としていない。ただでさえ、地震時の防災対策にも、原発事故時の緊急対策にも不備が指摘されているから、これらが重なったら対応は不可能だろう。
 仮に、原子炉容器や一次冷却剤の主配管を直撃するような破損が生じなくても、給水管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう。もっと穏やかな、小さな破断口からの冷却材喪失という事態でも、地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展しよう。その場合、住民はきわめて限られた制約の中で、避難等をしなくてはならなくなる。現行の原子力防災指針では、一定の事故段階でコンクリート製の建物などへの住民避難を前提としている―それすら住民参加型の訓練が行われていない状況では実現性に疑問が残る一が、地震でそれらの建物が使えなくなることなどは、想定していない。


 さらに,原発サイトには使用済み燃料も貯蔵され、また他の核施設も含め日本では少数地点への集中立地が目立つ(福島県浜通り,福井県若狭、新潟県柏崎,青森県六カ所など)が、このような集中立地点を大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶するところがある。しかし,もちろん「想像を絶する」などとは言っていられず、ここから先をこれから徹底して議論し、非常時対策を考えていくべきであろう。

 ・・・

 さらに、防災体制についても、地震を想定した、現実的な原発防災を、今すぐにでも具体的に検討すべきだと思う。その中で、たとえば、事故時の避難場所の確保を建物の耐震性も併せて考えることや、現在地域の保健所に置かれているだけのヨウ素剤を各戸配布するなども検討することを提案したい。

 さらに、「他の緊急事態は?」の中では

 少し地震の問題に紙数を費やしすぎたが,阪神大震災は、核施設の他の緊急事態への備えのなさについても、大きな警告を発しているように思われる。考えられる事態とは、たとえば原発や核燃料施設が通常兵器などで攻撃されたとき、核施設に飛行機が墜落したとき、地震とともに津波に襲われたとき、地域をおおうような大火に襲われたときなど、さまざまなことがあげられる。それらの時には、上に地震に関して議論してきたようなことが、多かれ少なかれ当てはまる。

 これまでにもそれらの問題の指摘はあったが、そのような事態を想定して原発の安全や防災対策を論じることは、「想定不適当」とか「ためにする議論」として避けられてきた。しかし、最近、阪神大震災だけでなく、世界のさまざまな状況をみるにつけ、考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる。


 ・・・

と指摘し、警鐘を鳴らし続けていたのである。それでも、福島の原発事故は、「想定外」の津波が原因であると結論づけることが許されるのだろうか。
  
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を、「……」は、文の一部省略を示します。 

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