真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「慰安婦」問題 「直言!」(櫻井よしこ)に対する5つの疑問

2012年05月30日 | 国際・政治

  「直言! 日本よ、のびやかなれ」櫻井よしこ(世界文化社)には「従軍慰安婦」問題に関わる記述がある。その記述に5つほど疑問を感じた(関係資料は別ページ)。
 まず、「直言!」には、「強制連行の事実はあったの」と題して下記のような記述がある。

 強制連行だというイメージを定着させることになった発端は日本国政府のお詫びでした。政府が二度にわたり従軍慰安婦は強制的に連行されたものとの前提に立ってお詫びを表明しています。最初は、1992年1月16日、宮沢総理大臣が韓国を訪問した時です。その5日前に朝日新聞が、「日本帝国陸軍が従軍慰安婦の慰安所の設置と運営に関与していた」という内容の記事を一面で大きく取り上げました。そのことが恐らく、宮沢総理の足下を揺らがせたのでしょう。韓国で宮沢総理は、「従軍慰安婦の方々が筆舌に尽くしがたい思いをされたことは、誠に遺憾に思います」と言って、謝罪したのです。
 日本の総理大臣が謝ったため、韓国のマスコミも、一応沈静化の方向に向かいました。ただ、このような問題には、燃え上がっては沈静化し、沈静化しては燃え上がるという風にいくつもの波があるようです。翌年の93年8月、今度は河野洋平官房長官が謝る事態になりました。
 河野洋平官房長官は、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合も、甘言、強圧によるなど、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり」などと述べて、謝罪しているのです。この官房長官談話は韓国では慰安婦が強制的に連行されたことを日本政府が正式に認めたものだと解釈されました。宮沢総理つづいて政府の顔である官房長官も謝ったのですから、そうとられても仕方がありません
。……

疑問1
 まず、一国の総理が「朝日新聞の記事に足下が揺らいで、謝罪した」というような理解が正しいのかどうか、という疑問である。宮沢総理が、二国間の重要問題であり、日本の国益に大きく関わる「慰安婦」問題で、事実に基づくことなく、「朝日新聞の記事に足下が揺らいで、謝罪した」と主張するのであれば、何らかの根拠を示すべきではないか、と思う。個人的にそういう判断をすることが許されても、人前で講演し、著書を出版するということになれば、根拠を示さずそういう主張をすることには、問題があるのではないかと思うのである。

疑問2
 河野官房長官の談話(「従軍慰安婦」問 資料NO1 日本政府の発表ーⅢ)の内容のどこが事実に反するのか、という疑問である。

 櫻井氏の「慰安婦たちへの補償は民間でおこなうべき」には

 ……宮澤総理や河野官房長官が、従軍慰安婦が官憲による強制連行であったと認め、日本を代表して謝罪することは、今現在、強制連行が歴史の事実であったと証明する資料が、吉田氏の著書以外に見あたらないならば、日本の歴史を歪めること以外のなにものでもありません。

 とある。河野官房長官の談話には「強制連行」という言葉は出て来ない。にもかかわらず、櫻井氏は一貫して「従軍慰安婦」問題イコール「強制連行」問題であるかのように置き換えて論じ、おまけに従軍慰安婦証言については、全く触れられていない。元「従軍慰安婦」の証言には「騙されて慰安所に入れられた」というものもある。また「従軍慰安婦」問題は、たとえ強制連行でなく応募によるものであったとしても、慰安所に拘束され、自由な外出が許されず、性交渉を強制されたという事実があれば、重大な人権問題であることにかわりはない筈である。したがって奴隷狩りのような「強制連行」だけを取り上げて、「強制連行」を証明する資料が、吉田氏の著書以外に見あたらないから、河野官房長官の談話の内容は事実に反し、謝罪は必要ない、と主張できるのかという疑問である。

 元「従軍慰安婦」の方々の証言については、櫻井氏は全く取り上げていないのでどのように理解されているのか分からない。少なくても、河野官房官の謝罪は、元「従軍慰安婦」の方々や関係者の方々の証言と、そうした証言に符合する様々な公文書や記録などに基づくものであることは、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(龍渓書舎)でも明らかにされており、疑いない。日本政府の発表した「政
府・基金公表文書」の「2 いわゆる「従軍慰安婦問題について」平成5年8月4日 内閣官房内閣外政審議会室)には

……政府は、平成3年12月より関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広い聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳に聴取した。また、調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添えのである。……

とあるのである。
 しかしながら、櫻井氏は、そうした「証言」には全く触れず、文書資料だけで判断し、日本を代表する責任ある立場の人が、事実に基づくことなく、個人的見解で謝罪したというような受け止め方をされているように読み取れるのである。「従軍慰安婦」問題では、もちろん諸文書や記録との整合性も含まれるが、元「従軍慰安婦」の方々の証言の分析や検証に基づく理解が不可欠なはずである。それらを抜きに河野官房長官の謝罪を否定することはできないのではないということである。

疑問3
 櫻井氏は「政府の謝罪と外務省の資料との大きなギャップ」として内務省警保局長から各庁府県長官宛通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』(『325「従軍慰安婦」問題 資料NO2 当時の文書』Ⅳ)を取り上げている。しかしその取り上げ方には疑問がある。この通牒が発せられたのは昭和13年2月23日付であるが、その前の昭和13年1月19日に群馬県知事から内務大臣や陸軍大臣のみならず、各庁府県長官宛に「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」という重要な文書(325「従軍慰安婦」問題 資料NO2 当時の文書ーⅠ」)が送付されている。また、同じような内容の文書が、形県(同ーⅡ)や高知県、和歌山県(同ーⅢ)、茨城県、宮城県から内務省警保局長宛てに発せられている。こうした文書に触れることなく、櫻井氏は

 この書類は、「最近支那(中国大陸)に渡る女性たちが増えているが、女性たちの募集や働き口を周旋する業者が、『あたかも軍当局の了解があるかのよう』に装うケースが増えていることに困っている」という書き出しで、以下の事を指示しています。……

 と言っている。困ったのは確かであろうが、「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件(和歌山県知事)」(同ーⅢ)の文書の「四、関係方面照会状況」にあるようにこれは装いではなく、現実に軍の依頼に基づくものであった。政府や軍当局は秘かに集めるようにしてほしたかったのであろうが、業者は依頼を受けて集めたのである。警察の対応からもわかるように、それが広く知れわたると、大きな社会問題
に発展する可能性があり、政府は決断を迫られた、と考えられるのである。
さらに、

 役所が女性たちに身分証明書を発行するとき、彼女らに仕事の契約期間が満了したり、働かなくてもよい状態になったら、早く帰国するように勧めること、この種の仕事に就く女性は本人が警察に出向いて身分証明書をつくってもらうこと、警察はその場合、必ず女性の親か、または戸主の承認を得て身分証明書を出すことなどと書かれています。
 さらに(5)として「醜業を目的とする婦女に身分証明書を発給するときは、稼業契約その他各種の事情を調査し婦女売買または略取誘拐等の事実がないよう特に留意すること」と書かれています。
 売春の仕事に就かざるを得ない女性たちを、まかり間違っても本人の意志に反してそこに追い込んではならないとの思いが表れています
。…

 とも言っている。書かれていることは事実であるが、それを「売春の仕事に就かざるを得ない女性たちを、まかり間違っても本人の意志に反してそこに追い込んではならないとの思いが表れています」と解釈するが、正しいのかどうか、当時の状況や前後に発せられた文書を読むと、疑問なのである。

 なぜなら、内務省警保局長が上記文書『支那渡航婦女の取扱に関する件』を発する前に、前述の群馬県知事から、同ーⅠ)の文書にあるように「公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長に対シ指揮致置候」と指摘されているのである。
 また、山形県知事は(同ーⅡ)「所轄新庄警察署ニ於テ聞知シタルカ如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス斯ル事案カ公然流布セラルルニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ所轄警察署長ニ於テ右ノ趣旨ヲ本人ニ懇諭シタルニ…」と指摘している。
 さらに和歌山県知事から内務省警保局長宛の文書(同ーⅢ)には「酌婦ヲ呼ヒ酌セシメツツ上海行キヲ薦メツツアリテ交渉方法ニ付キ無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点軍隊ノミヲ相手慰問シ食料ハ軍隊ヨリ支給スル等誘拐ノ容疑アリタルヲ以テ被疑ヲ同行取締ヲ開始シタリ」と報告し、現状を批判しているのである。その他の社会状況もあり、政府(内務省)はむしろ追い詰められて、「二重基準」を決断し、国内向けには『支那渡航婦女の取扱に関する件』を発したと考えるべきではないか、といことである。

 同文書の「婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ、実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルルモ…」の表現に表れているように、軍は慰安婦を求めており、それを否定するわけにはいかない状にあった。
 したがって、世の批判をかわすために、日本国内から慰安婦を送る場合は、徹底して国際条約を遵守することにした、と捉えべきではないかと考える。
 その根拠は、同じ年の昭和13年3月4日には、陸軍省兵務局兵務課起案の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」という文書が「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」(325「従軍慰安婦」問題 資料NO2 当時の文書ーⅤ)として発せられているからである。この「通牒」には「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」で定められていた、慰安婦を募集し送り出すための7つの制限項目がないことが重要である。まさに、「軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様」「関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ」て、朝鮮などから若い女性を慰安婦として集める「二重基準」政策を取ることにしたと考えられるのである。

 そして、こうした文書が発せられて以降、「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(326「従軍慰安婦」問題 資料NO3 婦女売買関係条約)調印時に、日本が設定した「留保宣言」を利用して、現実に朝鮮を中心とする植民地や占領地から、多くの若い女性が慰安婦として集められることになった、ということである。櫻井氏のように、『支那渡航婦女の取扱に関する件』を、その前に発せられている文書や、その後に発せられた文書と切り離しては、その歴史的意味を理解することはできないのではないかと思う。資料の単なる文章理解で歴史を語ることには疑問がある。
 
疑問4
 また、櫻井氏は「政府の謝罪と外務省の資料との大きなギャップ」の中で、 

 ただし、……慎重な配慮は中国に渡る日本人女性にだけ向けられたもので、朝鮮や中国、その他の国々の女性への取り扱いは全く異なっていたのではないかと疑うこともできます。

 と言っておきながら、元「従軍慰安婦」の聞き取りや証言に基づくことなく、「渡支取締方ノ件」という台北州知事から警務局長などに宛てた文書を取り上げている。「渡航身分証明書並外国旅券発給状況」を表にした毎月の報告書である。確かに櫻井氏が指摘するとおり、1月の報告には「南支方面」の欄に、「内地人59、朝鮮人8、本島人8、計75」という数字が読み取れる。でも、分かるのはその数だけである。年齢も、売春婦であるかどうかも、親族や戸主の承認を得ているかも、何も分からない。内務省警保局長が発した各庁府県長官宛文書、「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」で制限した「1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト」を含む7つの項目が、きちんと守られているかどうかは、この文書からは全く分からないのである。でも櫻井氏は

 日本人女性59名と共に朝鮮人女性と台湾人女性、各々8名ずつに、中国南部に渡るための身分証明書と旅券を発行したという記述です。このことから判るのは朝鮮人女性も台湾人女性も日本人女性と同様の手続きを経て中国大陸に渡ったということです。少なくてもこのケースからは日本人女性と非日本人女性との差別は見えてきません。

と言っている。もともと身分証明書と旅券の発行数の報告書から どうして「差別が見える」と考えるのか、まったく理解できない。それでは、兵站病院の軍医、麻生徹男の軍陣医学論文集(昭14年6月26日)(316「従軍慰安婦と兵站病院の軍医麻生徹男)の

「……コノ時ノ被験者ハ半島婦人80名、内地婦人20余名ニシテ、半島人ノ内花柳病ノ疑ヒアル者ハ極メテ少数ナリシモ、内地人ノ大部分ハ現ニ急性症状コソナキモ、甚ダ如何ハシキ者ノミニシテ、年齢モ殆ド20歳ヲ過ギ中ニハ40歳ニ、ナリナントスル者アリテ既往ニ売淫稼業ヲ数年経来シ者ノミナリキ。半島人ノ若年齢且ツ初心ナル者多キト興味アル対象ヲ為セリ」

 という記述は、どのように理解すべきか、説明を求めたい。私は、これは差別の一端を示すものと捉えて間違いないと思う。ここでも元「従軍慰安婦」の方々の聞き取り調査は欠かせないものであり、そうした方々の証言を抜きに「渡航身分証明書並外旅券発給状況」の報告書のみから、差別がなかった、という結論を引き出すことには、もともと無理があると言わざるを得ないのである。

 したがって、櫻井氏の

 それだけに、河野官房長官が慰安婦の募集等は「甘言・強圧によるなど、本人たちの意志に反して行われた」または「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と断言したのは資料の内容とはかなり異なると感じるのです。

との受け止め方も、当時「従軍慰安婦」がどのような状況にあったのかを理解した上での言葉とは考えられないのである。

疑問5
 さらに、櫻井氏は「開設二ヶ月で閉鎖された慰安所」と題して、ジャワ島セマランの慰安所が閉鎖されたことを、日本軍が強制連行や強要を認めていなかった証拠として下記のように述べている。

 これは日本が戦いに敗れたあとの1947年12月22日に下された「戦争裁判の判決」の記録です。被告は9名、陸軍軍人5名、陸軍に雇われた民間人4名です。下された刑はいずれも重く1人が死刑を執行されています。残り8名は懲役20年から7年の実刑です。

 ・・・

 ここで、私の注意をひいたのは、女性に売春を強要するのは日本軍部の方針ではなかったという点です。たしかに1944年2月末に、オランダ人女性らを強要する形で慰安所が開設されたわけです。しかし「(女性が)自発的に慰安所で働くという軍本部の許可条件」が満たされていないために、この施設は開設2ヶ月になるかならないかで、軍本部の気付くところとなって閉鎖されているのです。
 言いかえれば、この慰安所に限って言えば、軍の規律に従わなかった不心得の将校や兵隊がオランダ人女性らに慰安行為を強要して企んだものだったことが、軍本部に伝わったとき、軍本部は施設を閉めさせて、それ以上女性が強制的に働かせることをやめさせていたという事実があるということです。つまり、このケースから考えると、日本軍は強制連行や強要による慰安婦を認めていなかったということになります。
 ただし、忘れてはならないのは、規律も規則も無視した悪どい兵がいたという事実です。彼等が女性を無理に働かせ売春させたことは許されません。だからこそ、彼らは戦後死刑にもなり長期間刑務所につなれたのです。ですが、彼らなりに己の罪の償いはすでにさせられているわけです。

 ここでの疑問は、では、なぜ日本軍部は、国際法違反及び軍の規律違反を犯した不心得の将校や兵隊を処罰しなかったのかということである。櫻井氏が「戦争裁判の判決の記録」として取り上げたのは、日本軍部の軍法会議のものではない。注意深く読まないと、あたかも日本軍部が処罰したかのように誤読してしまうのあるが、櫻井氏は、「規律も規則も無視した悪どい兵」を、なぜ日本軍部が放置したのかについては触れていない。「だからこそ、彼らは戦後死刑にもなり長期間刑務所につながれたのです」ということが、日本軍部によるものなら、「日本軍は強制連行や、強要による慰安婦を認めていなかったということになります」は理解できる。しかし、慰安所は閉鎖したけれど、関係者を何の処罰もしなかったことから、事実は「国際世論の反発を恐れた陸軍省や軍司令部は、やむなく2ヶ月でこの慰安所を閉鎖せざるを得なかった」と理解すべきだと考えるのである。

一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。資料のアップには多少時間が必要です。  

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「従軍慰安婦」問題 資料NO4 婦女売買関係条約と報道

2012年05月30日 | 国際・政治
 ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を『日本軍「慰安婦」関係資料集成(明石書店)』からとり

ⅩⅡとして 「婦人児童売買禁止国際条約」の
      1、醜業婦輸入取締1904年条約
      2、醜業婦取締1910年条約
      3、1921年条約
      4、婦人児童売買1921年国際会議の最終議定書

ⅩⅢとして、国民新聞(8月29日朝刊記事)
ⅩⅣとして、国民新聞(9月9日社説)
を入れた。

 戦地における「従軍慰安婦」が、公娼制度で認められた売春婦であり、合法的な存在だった、とする考え方の問題点を確認するためである。「従軍慰安婦」の訴えを退けるために、よく利用される「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」にさえも、「これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地??シンガポール??における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った」とある。また、これに似たような元「従軍慰安婦」証言は数多くあるが、こうした誘いは、当時も許されるものではなかった。国際法で禁じられていたことが分かるのである。

 また、櫻井氏は内務省警保局長発の各庁府県長官宛(除東京府知事)文書「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」を読んで、「売春の仕事に就かざるを得ない女性たちを、まかり間違っても本人の意志に反してそこに追い込んではならないとの思いが表れています」と解釈しているが、国民新聞の8月29日朝刊記事や9月9日社説は、そうした解釈があやまりであることを物語っている。

 日本政府が、「婦人児童売買禁止国際条約」にすぐ調印せず、督促され「帝国ニ於テモ余リ遅レサル方然ルヘシト思考シ」調印したという事実や、調印にあたって 
下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス
 
というような「留保宣言」をつけ加え、それを、その後も撤回しなかった事実をみれば、櫻井氏のような解釈はできないのである。
 したがって、「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」は、国内世論や国際世論をかわすための手段として発せられ、実は、「慰安婦」集めにあたって、何の制限も加えていない陸軍省兵務局兵務課が発した「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」という文書こそが、政策上重要であったと考えられる。軍が必要とした若い「慰安婦」集めるために、「留保宣言」を利用した差別政策がとられたということである。
ⅩⅡ-------------------------------
              婦人児童売買禁止国際条約        

 目次
1、醜業婦輸入取締1904年条約
2、醜業婦取締1910年条約
3、1921年条約
4、婦人児童売買1921年国際会議の最終議定書

         1、醜業婦輸入ノ取締ニ関スル1904年5月18日条約

独逸国、丁抹国、西班牙国 仏蘭西国、大不列顚国、伊太利国、露西亜国、瑞典国、那威国及瑞西国ハ1905年1月18日ニ白耳義国ハ1905年6月22日ニ葡萄牙国ハ1905年7月12日合衆国ハ1907年1月14日ニ本条約批准書ヲ巴里ニ寄托シ1905年7月18日ヨリ之ヲ実施シタリ

第1条 各締盟国政府ハ外国ニ於テ醜業ヲ営マシメントスル婦娘ノ傭人ニ関スル一切ノ材料ヲ蒐集スヘキ一種ノ官憲ヲ創立若クハ指定スルコトヲ約ス右官憲ハ他ノ各締盟国ノ創立シタル同種ノ官憲ト直接ニ交渉スル権能ヲ有スヘシ


第2条 各締盟国ハ醜業婦ニ用ヰントスル婦娘ノ誘導者ヲ殊ニ停車場、上陸港及旅行中ニ於テ捜索スル為メ監視ヲ行フコトヲ約ス右ノ資格ヲ有スル官吏若クハ其他ノ者ニハ右ノ目的ノ為メ法定ノ範囲内ニ於テ犯罪的取引ノ踪跡ヲ知ラシムヘキ諸材料ヲ収得セシムル為メ訓示ヲ与フヘシ

第3条 各締盟国政府ハ必要アルトキハ法定ノ範囲内ニ於テ醜業ニ従事スル外国籍ヲ有スル婦娘ノ其身分及戸籍ヲ証明スル申告書ヲ受理セシメ何人カ彼等ヲシテ生国ヲ去ラシメタル乎ヲ調査スルコトヲ約束ス、蒐集シタル材料ハ随時婦娘ヲ帰国セシムル為メ其生国ノ当該官憲ニ通告ス
締盟国政府ハ若シ犯罪的取引ノ犠牲者カ全然資力ヲ有セサルトキハ法定ノ範囲内ニ於テ為シ得ヘキ限リ該犠牲者ヲ随時帰国セシムル為メ仮ニ彼等ヲ公設若クハ私設ノ救済機関若クハ必要ナル担保ヲ提供シタル個人ニ委托スルコトヲ得又締盟国政府ハ右ノ婦娘中帰国ヲ請求シ若クハ其身上ニ権威ヲ有スル者ヨリ要求シタル婦娘ヲ法定ノ国境内ニ於テ為シ得ヘキ限リ其生国ニ送還センコトヲ約束ス其帰国ハ本人ノ身分及国籍並ニ国境ニ到着ノ期日及場所ヲ照会協議シタル後ニアラサレハ為スヘカラス各締盟国ハ其領土内通過ノ便ヲ与フヘシ帰国ニ関スル通信ハ可成直接ニ為スヘシ。


 第4条 帰国セントスル婦娘カ其帰国旅費ヲ償還スルヲ得サル場合及彼等ノ為メ之ヲ支払フヘキ夫、父母若クハ後見人アラサル場合ニ於テハ帰国ノ為メ要スル諸費ハ最初ノ国境若クハ生国ノ方向ニ在ル乗船港迄ハ彼等ノ居住シタル国ノ負担トス

第5条 第3条及第4条ノ規定ハ締盟国間ニ於テ締結セラレルヘキ特別条約ヲ徐棄セサルヘシ

第6条 締盟国政府ハ法定ノ範囲ニ於テ出来得ル限リ外国ニ婦娘ノ職業ヲ紹介スル事務所ヲ監視スルコトヲ約ス

第7条 締盟国外ノ諸国モ本条約ニ加入スルコトヲ得ヘシ之カ為メニハ右諸国ハ外交官ヲ経テ其意思ヲ仏蘭西政府ニ通告スヘシ同国政府ハ其旨ヲ締盟諸国ニ通知スヘシ

第8条 本条約ハ批准交換ノ日ヨリ起算シ6ヶ月ヲ経テ実施シ、締盟国中ノ一国カ本条約ヨリ脱スルモ其脱退ノ効力ハ右ノ一国ニ止マリ脱退ノ日ヨリ起算シテ12ヶ月タルヘシ


第9条 本条約ハ可成速ニ批准ヲ経テ其批准書ハ巴里市ニ於テ交換スヘシ
1904年5月18日巴里市ニ於テ調製シタル原本一通ハ之ヲ仏蘭西共和国外務省ノ文庫ニ保存シ其謄本一通ヲ証認(ママ)ノ後各締盟国ニ交付ス



        2、醜業婦ノ取締ニ関すスル1910年5月4日国際条約

 前文略

第1条 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス 

第2条 何人ニ拘ラス、他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ詐偽、暴行、強迫、権勢其他強制的手段ヲ以テ成年ノ婦娘ヲ雇入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス

第3条 現ニ各締盟国ノ法規カ前2条ニ規定セラレタル犯罪ヲ処罰スルニ足ラサルトキハ締盟国ハ各自国ニ於テ其犯罪ノ軽重ニ従ヒ処罰スル為メ必要ナル処分ヲ定メ若クハ之ヲ立法府ニ建議センコトヲ約束ス

 以下略

       3、婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約(1921年条約)

 前文略

    第1条 
締約国ニシテ未タ前記1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国タラサルニ於テハ右締約国ハ成ルヘク速ニ前記条約及協定中ニ定メラレタル方法ニ従ヒ之カ批准書又ハ加入書ヲ送付スルコトヲ約ス

    第2条
締約国ハ児童ノ売買ニ従事シ1910年5月4日ノ条約第1条ニ該当スル罪ヲ犯ッッスモノヲ発見シ且之ヲ処罰スル為メ一切ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス

    第3条
締約国ハ1910年5月4日ノ条約第1条及第2条ニ定メタル犯罪ノ未遂処罰及法規ノ範囲内ニ於テ右犯罪ノ予備ノ処罰ヲ確保スル為メ必要ナル手段ヲ執ルコトヲ約ス

    第4条
締約国ハ締約国間ニ犯罪人引渡条約存在セサル場合ニ於テハ1910年5月4日ノ条約第1条及第2条ニ定メタル犯罪ニ付起訴セラレ又ハ有罪ト判決セラレタル者ヲ引渡ス為又ハ之カ引渡ノ準備ノ為其権内ニ在ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス

    第5条
1910年ノ条約ノ最終議定書(ロ)項ノ「満20歳」ナル語ハ之ヲ「満21歳」ニ改ムヘシ

    第6条 
締約国ハ職業紹介所ノ免許及監督ニ関シ未タ立法上又ハ行政上ノ措置ヲ執ラサル場合ニ於テハ他国ニ職業ヲ求ムル婦人及児童ノ保護ヲ確保スルニ必要ナル規則ヲ設クルコトヲ約ス


    第7条 
締約国ハ移民ノ入国及出国ニ関シテ婦人及児童ノ売買ヲ防遏スルニ必要ナル行政上及立法上ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス締盟国ハ特ニ移民船ニ依リ旅行スル婦人及児童ニ付其出発地及到着地ニ於ケルノミナラス亦其旅行中ニ於ケル保護ニ必要ナル規則ヲ定ムルコト並婦人及児童ニ対シ売買ノ危険ヲ警告シ且宿泊及援助ヲ得ヘキ場所ヲ指示スル掲示ヲ停車場及港ニ掲クルコトヲ約ス


    第8条~第13条 略

    第14条
本条約ニ署名スル連盟国又ハ其他ノ国ハ其署名カ其殖民地海外属地保護国又ハ其主権又ハ法権ニ属スル地域ノ全部又ハ一部ヲ包含セサルコトヲ宣言シ得ヘク右宣言ニ於テ除外セラレタル前記殖民地海外属地保護国又ハ地域ノ何レノ為ニモ後日格別ニ加入ヲ為スコトヲ得廃棄モ又右殖民地海外属地保護国又ハ其主権若クハ法権ニ属スル地域ノ何レニ関ステモ各別ニ之ヲ為スコトヲ得ヘク且第12条ノ規定右廃棄ニ適用セラルヘシ
1921年9月30日「ジュネーブ」ニ於テ本書一通ヲ作成シ之ヲ国際聯盟ノ記録ニ寄托保存ス


 ・・・

 日本国  
下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス


    以下略

        4 婦人児童ノ売買ニ関スル国際会議最終議定書

 前文略

1、婦人及児童ノ売買ノ有効ナル禁止ハ成ルヘク多クノ国ニ於テ共通ノ原則及同様ニ措置ヲ執ルコトニ依リテ促進セラルヘキニ因リ之カ為ニ右犯罪行為ハ各国ノ法律ニ依リ処罰セラルヘキコト肝要ナリト認メラルルニ因リ1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ハ右ノ点ニ於テ肝要ナル原則及措置ヲ含ムニ因リ前記協定及条約ヲ成ルヘク完全且一般的ニ適用スルコトハ現在ノ状態ニ対シテ重要ナル改善ヲ確保スルノ効果有ルヘキニ因リ本会議ハ国際聯盟理事会ニ対シ

 1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ヲ未タ批准セス又ハ之ハ加入セサル一切ノ連盟国及他ノ国ニ右協定及条約ヲ批准シ又ハ之ニ加入スルノ緊要ナルコトヲ力説セムコトヲ勧告ス 

2 本会議ハ人種及皮膚ノ色ノ如何ヲ問ハス婦人及児童ノ保護ヲ確保セムコトヲ欲シ国際連盟理事会カ婦人及児童ノ売買問題ニ関スル1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国並未タ右協定条約ニ加入セサル国ニ対シ其ノ植民地及属領ノ為ニモ加入ヲ為スヘキ旨招請セムコトヲ勧告ス


3、本会議ハ国際連盟理事会カ各国政府ニ対シ1910年5月4日ノ条約第1条及第2条ニ定ムル犯罪ノミナラス右犯罪ノ未遂及法規ノ範囲内ニ於テ其予備ヲモ処罰スルノ規定ヲ設クヘキ旨要請セムコトヲ勧告ス

4、本会議ハ国際連盟理事会カ1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国又ハ之ニ加入セントスル国ニ対シ1910年ノ最終議定書(ロ)ニ掲ケタル年齢ヲ満21歳ニ延長シ且右年齢ヲ以テ最低限(右最低限ニ付テハ各国ハ更ニ之ヲ高ムルコトヲ勧告セラルルモノトス)ト看做スヘキ旨定ムルコトヲ要請セムコトヲ勧告ス


5~15 略

 調印及留保宣言

 大正10年10月6日外務省ハ在「ジュネーブ」国際連盟総会帝国全権ヨリノ電報ニ依レハ婦人小児売買〔禁止〕条約調印ニ関シ国際連盟事務局ハ熱心ニ勧誘ヲ為シタル結果調印国既ニ15カ国ニ達シ尚増加ノ形勢ヲ示シツツアルニ依リ帝国ニ於テモ余リ遅レサル方然ルヘキト思考シ大正10年10月4日林大使調印セリ

 調印文

 『下記署名ノ日本国代表者ハ政府ノ名ニ於テ〔本〕条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ』且ツ其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス  林 権助  印


参考
本条約
 第5条 1910年ノ条約ノ最終議定書(ロ)項ノ「満20歳ナル語ハ之ヲ満21歳ニ改ヘシ」1910年条約最終議定書
 (ロ)第1条及第2条ニ定ムル犯罪ノ禁止ニ付テハ「未成年ノ婦女成年ノ婦女」ナル語ハ満20歳未満又ハ以上ノ婦人ヲ指スモノト了解セラルヘシ但シ何レノ国籍ノ婦女ニ対シテモ同一ニ適用スルコトヲ条件トシテ法律ヲ以テ保護年齢ヲ更ニ高ムルコトヲ得


ⅩⅢ-------------------------------
国民新聞(8月29日朝刊記事)

  確定的宣言の不法を詰る/婦人売買禁止条約批准の枢府精査委員会で

 婦人児童売買禁止の国際条約批准に関する枢密院第1回精査委員会は既報の如く28日午前10時より同院事務所に開会され正午一旦休憩、一同午餐を共にしたる後午後1時半より再会し午前に引き続き審議を進め質問未了の儘同4時散会した、而して当日会議の内容として確聞する所に依れば開会まず山川法制局長官より同条約の経過並に結果及案の内容と帝国政府に於いて除外例として留保したる二箇の点即ち

 1、同条約は総て之を植民地に適用せざる事
 2、売買年齢を満21歳以上とあるに対し18歳以上としたる事

に関し約40分に亙り詳細なる説明をなし終つて愈々質問に入つたが質問者は全部にして之に対する政府側の答弁は主として山川法制局長官及湯浅内務次官が其の衝に当つた、而して当日提起されたる枢府側の質問者要旨は大体に於て左の如くであると


 第1、本条約に於て帝国政府独り二箇の除外例を設けたるは如何なる理由に基づくか、或は貸座敷業取締規則等の国内法との抵触を慮つた結果であるか、若し然りとせばそは大なる錯誤なり然らずとせば全然理由なき有害無益の留保と観ねばならぬ、抑も同条約の目的とする所は未成年の婦女が醜行を目的として勧誘、誘引、又は拐去され若くは同様の目的に依り詐偽又は暴行脅迫権利の濫用其他一切の強制手段に依つて国内より国外に売買されんとするを禁止するものである以上之に政府の要求したるが如き留保を付するの必要は毫も之を認むる事は出来ぬ、而して斯くの如き留保は人道尊重の上より見るも或は日本文明の見地よりするも、更に又日本婦人の立場より之を論ずるも自ら侮るの甚だしきものであつて甚だ遺憾とせざるを得ぬ、政府は如何なる理由に依り斯くの如き留保を為したか此の点を明瞭に承り度い

 第2、政府は本条約の批准に先ち右二箇の留保に関し殆ど確定的の宣言を為して居る、斯くの如きは御裁可御批准に先ちて帝国政府の立場を確定的にしたものであり御批准に際して仮りに錯誤を発見したりとしても其撤回を要求する政府の面目にも関し殆んど之を不可能としたものと観ねばならぬ、斯くの如きは条約締結の手続上より之を見て頗る遺憾とする所であり将来は大いに注意を要する点と思惟する、即ち御批准前に於て斯くの如き宣言をなしたる事は如何なる理由に基づくのであるか

 第3、本条約は来る9月7日よりゼネバに開会さるる国際連盟総会の議題となり居る問題にして帝国政府としては少なくとも夫れ迄に御批准を為して之を通告せねばならぬ事となつて居る然るに政府は条約締結以来満4箇年其の間屡々連盟事務局より御批准の督促ありしに拘らず苒苒之を抛擲し御批准期の切迫せる今日に於て突如として御諮詢の手続きを執つた事は誠に遺憾とする所である

 右に対する政府側の答弁要旨は大体左の如くである。

 第1、二箇の留保を付したる事は何等国内法規との関係を顧慮したるに非ず唯だ種々の理由に於て特殊の立場に在るのみならず婦女成熟の点に見るも外国に比し可及的速やかなる点もあり且つ国内法に於ても満18歳以上の者に対し之を認め居る事実あるに鑑み右の除外例を要求した次第である


 第2、御批准前に留保の宣言をなしたる事は特に理由ある次第に非ず唯だ日本の公娼制度と関係する所あるに鑑み之を娼妓取締規則と合致せしむべく18歳を主張し且つ植民地に於ける朝鮮人台湾人及海外出稼醜業婦に対し一律に適用し難き事情ある為右の宣言を為したものである

 第3、御諮詢手続きを今日迄遷延せしめたる事は誠に遺憾とする所なるも之は国内的事情に基き万已むを得なかつた次第であると云ふに在るが更に枢府瀚長と政府側との間に於て下調べの必要を生じたる点二三あり其終了を俟つて更に次回委員会に於て質問を続行する事となる模様である
ⅩⅣ------------------------------
 国民新聞(9月9日社説)

           婦人売買禁止と留保

  一   
婦人売買禁止条約に対して我が政府のとつた措置は如何なる点から観ても、決して認容すべからざる近来の一大失態である。それも事前に於て十分に考慮するの余裕がなかつたとか、若しくは咄嗟のあひだに、誤つてあのやうな失錯をしでかしたとか云ふことであれば、それは多少情状酌量の余地もあらう。然るに今回問題になつた婦人売買禁止条約は1921年に成立したもので、それ以来すでに満4年を経過してゐる。即ち政府としては満4年間考慮に考慮を重ねた上で、今回いよいよ批准の手続きをとることになつたのである。然かも満4年間、政府が考慮に考慮を重ねた結果が最近、枢密院に於て問題となつた2個の留保であると云ふに至つては、実に御念の入つた一大失態と云はねばならぬ。

 
 二   
婦人売買禁止条約の目的とするところは「醜業に従事せしむる目的を以て未成年の婦女を誘拐し誘引し、若しくは拐去したもの」を処罰するにある。これは何人も異議のあらう筈はない。そして1921年の条約では、1910年の条約に売買の目的物たる婦人の年齢を満20歳としてあつたのを満21歳と訂正したのである。満20歳を引き上げて満21歳とした理由は、これによつて更に婦人売買の範囲を制限せんとするにあるは勿論であつて、此の年齢の引上を規定した第5条こそ実に本条約の生命である。従つて我が政府として1921年の国際条約に加入すると云ふならば、よろしく此の趣意にもとづき、全くの無条件で加入するが当然であつた。


 三
政府は満21歳とすれば国内法に抵触するかの如く云つてゐるが、これは全然事実を無視したる弁解である。此の場合、国内法と云ふのは刑法を指すことは勿論である。然るに我が刑法は第224条、第225条及び第226条に於て、誘拐其の他の手段により未成年者を帝国外に移送するものに対し、之を処罰することを規定してゐる。即ち未成年者の誘拐に対してこれを保護することは明らかに我が国内法の命ずるところである。国内法との関係上、満21歳を18歳に引下げねばならぬ理由はすこしもない、また我国に於ては公娼制度がおかれてあるばかりでなく、其の方面に於ては満18歳を以て標準年齢としてゐるので、政府は此等の事情に鑑み、それと釣合を取る必要上、年齢の引下げを条件としたのであると云ふ説もあるが、若しさうだとすれば、其の結果は少数なる営業者の利益を保護するために国家の対面を犠牲に供して顧みざる言語道断のやりかたと云はねばならぬ。


 四
元来、婦人売買禁止の如きは重大なる人道問題であつて、それがだんだん国際問題として取り扱はれるやうになつたことは1921年の国際条約が成立するに至つた経路(ママ)を見ても明白である。即ち1921年の国際条約の前には1910年の国際条約があり、1910年の国際条約の前には1904年の国際条約がある。即ち此等の3条約が相集まつて婦人売買禁止に関する国際条約の三部を作成してゐるある。然かも此等の条約が成立したのは、表面に於ても裏面に於ても、人道論者の大なる努力の賜である。日本は比較的おくれて此等の会議に参加したのであるが、然し政府にして、より多くの道義的観念を持つてゐたならば、たとひおくれたりとは云へ、あのやうな留保をなす以外多少なりとも列国から感謝されるやうな積極的行動に出づることが出来たであらう。然し今となつては、もはや云つても仕方がない。ただ政府としては今回の失態を鑑みて、よろしく自ら其の将来を戒むべきである。「近き将来、適当の機会に於て2個の留保を撤回する」だけでは、決して政府の罪ほろぼしにはならない。(伊藤)


一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。赤字は記憶したい部分です。 

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325「従軍慰安婦」問題 資料NO3 内務省や軍関係文書

2012年05月30日 | 国際・政治
 ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』から

Ⅶとして「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」
                                  (群馬県知事)
Ⅷとして「北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件」(山形県知事)
Ⅸとして「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(和歌山県知事)
Ⅹとして「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(内務省警保局長)
ⅩⅠとして「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」
      「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」(兵務課)
を入れた。

 重要なことは、内務省警保局長が各庁府県長官宛(除東京府知事)に「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」の文書を発する前に、内務大臣や陸軍大臣、内務省警保局長などに宛てて県知事発の文書が出されていることである。そして、それがいずれも業者による「慰安婦」集めを問題視するものなのである。「…公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ…」とか「…銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ…」と指摘している。そして、和歌山県知事からの文書には業者の慰安婦集めは、依頼があったことを確認したとしている。したがって、業者の「慰安婦」集めは、政府としてはもはや放置できない状況にあったとことが察せられる。

 また、 内務省警保局長が、各庁府県長官宛(除東京府知事)に発した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(Ⅹ)と陸軍省兵務局兵務課が発した、副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(ⅩⅠ)の内容の違いが重要であると思う。国内世論や国際世論の批判をかわすために、国内向けには国際条約に則って「慰安婦」集めに7つの制限項目を設けた文書を発し、植民地や占領地での「慰安婦」集めには、そうした制限を設けない文書を発しているのである。

 日本政府が、「最初は日本国内から集められた女性が多かったのですが、やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。その人たちの多くは、16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちで、性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした」と認めざるを得なかったのは、上記2つの文書による、二重基準の差別政策が採用された結果であろう。
Ⅶ--------------------------------
   上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件(群馬県知事)

 保第○○○号
    昭和13年1月19日
                                群 馬 県 知 事
                                ( 警 察 部 長)
    内  務  大  臣  殿
    陸  軍  大  臣  殿
     北 海 道 庁 長 官 殿
     警  視  総  監  殿
      各 廳 府 県 長 官 殿
      高 崎 聯 隊 区 司 令 官 殿
      高 崎 憲 兵 分 隊 長 殿
      (県 下 各 警 察 署 長 殿 )

       上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦
       募集ニ関スル件
          神戸市  ○○○○○○    
            貸座敷   大 内  ○ ○
 右者肩書地ニ於テ娼妓数十名ヲ抱エ貸座敷営業ヲ為シ居ル由ナルカ今回支那事変ニ出征シタル将兵慰安トシテ在上海軍特務機関ノ依頼ナリト称シ上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(醜業)ヲ為ス酌婦三千人ヲ必要ナリト称シ本年1月5日之カ募集ノ為
            管下前橋市 ○○○○○○
            芸娼妓酌婦紹介業 反 町 ○ ○
方ヲ訪レ其ノ後屡々来橋別記一件書類(契約書(一号)承諾書(二号)借用証書(三号)契約条件(四号))ヲ示シ酌婦募集方ヲ依頼シタルモ本件ハ果シテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長に対シ指揮致置候條此段及申(通)報候也
尚大内○○ノ言動左記ノ通付申添候
 追而兵庫(貴)県ニ於テハ相当取締ノ上結果何分ノ御通報相煩ハシ度
 (県下各警察署長ニ在リテハ厳重取締セラルヘシ)
                    記
日支事変ノ依ル出征将兵モ既ニ在支数ヶ月ニ及ヒ戦モ酣ハナ処ハ終ツタ為一時駐屯ノ体勢トナツタ為将兵カ支那醜業婦ト遊フ為病気ニ掛ルモノカ非常ニ多ク軍医務局テハ戦争ヨリ特務機関カ吾々業者ニ依頼スル処トナリ同係
          神戸市 ○○○○○○
          目下上海在住貸座敷業  中  野 ○  ○
ヲ通シテ約三千名ノ酌婦ヲ募集シテ送ルコトトナツタノテ既ニ本問題ハ昨年12月中旬ヨリ実行ニ移リ目下2~300名ハ稼業中テアリ兵庫県ヤ関西方面テハ県当局モ諒解シ応援シテヰル、営業ハ吾々業者カ出張シテヤルノテ軍カ直接ヤルノテハナイカ最初ニ別紙壹花券(兵士用2円将校用5円)ヲ軍隊ニ営業者側カラ納メテ置キ之レヲ軍テ各兵士ニ配布之ヲ使用シタ場合吾々業者ニ各将兵カ渡スコトトシ之レヲ取纏メテ軍経理部カラ其ノ使用料金ヲ受取ル仕組トナツテヰテ直接将兵ヨリ現金ヲ取ルノテハナイ軍ハ軍トシテノ慰安費様ノモノカラ其ノ費用ヲ支出スルモノラシイ
何レニシテモ本月26日ニハ第2回ノ酌婦ヲ軍用船テ(神戸発)送ル心算テ目下募集中テアル 云々

Ⅷ--------------------------------
       北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件(山形県知事)

  収保親第一号ノ内
   昭和13年1月25日
        山形県知事 武 井 群 嗣 
           (山 形 県 警 察 部 長)
   内務大臣 末 次 信 正 殿
   陸軍大臣 杉 山 元  殿
     警  視  総  監  殿
     各 廳 府 県 長 官 殿
        (県 下 各 警 察 署 長 新庄ヲ除ク)   
      北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件
         神戸市 ○○○○
            貸座敷 大 内 ○ ○
管下最上郡新庄町桜馬場芸娼妓酌婦紹介業者戸塚○○ハ右者ヨリ「今般北支派遣軍ニ於テ将兵慰問ノ為全国ヨリ2500名ノ酌婦ヲ募集スルコトトナリタル趣ヲ以テ500名ノ募集方依頼越下リ該酌婦ハ年齢16歳ヨリ30歳迄前借ハ500円ヨリ1000円迄稼業年限2ヶ年之カ紹介手数料ハ前借金ノ1割ヲ軍部ニ於テ支給スルモノナリ 云々」ト称シアルヲ所轄新庄警察署ニ於テ聞知シタルカ如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス斯ル事案カ公然流布セラルルニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ所轄警察署長ニ於テ右ノ趣旨ヲ本人ニ懇諭シタルニ之ヲ諒棏シ且ツ本人老齢ニシテ活動意ニ委セサル等ノ事情ヨリ之カ募集ヲ断念シ曩ニ送付アリタル一切ノ書類ヲ前記大内ニ返送シタル状況ニ有之候
右及申(通)報候也
  (県下警察署長ニ於テハ参照ノ上取締上遺憾ナキヲ期セラルベシ
)

Ⅸ--------------------------------
       時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件(和歌山県知事)

刑第303号 

 昭和12年2月7日(昭和13年の間違い)
                 和 歌 山 県 知 事
                    (警 察 部 長)
 内 務 省 警 保 局 長 殿
   (県下各警察署長殿)

           時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件
 当県下田辺警察署ニ於テ標記事件発生之カ取締状況左記ノ通ニ有之候條此段及申報候也
   (県下ハ参考ノ上取締ニ資スルト共ニ爾後同様犯罪アリタル場合ハ捜査着手前報告セラルベシ)
                        記
一、事件認知ノ状況
  昭和13年1月6日午後4時頃管下田辺町大字神子濱通称文里飲食店街ニ於テ3名ノ挙動不審ノ男徘徊シアリ注意中ノ處内2名ハ文里水上派出所巡査ニ対シ疑ハシキモノニ非ス軍部ヨリノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来リタルモノニシテ3000名ノ要求ニ対シ70名ハ昭和13年1月3日陸軍御用船ニテ長崎港ヨリ憲兵護衛ノ上送致済ナリト称シ、立出タリトノ巡査報告アリ真相ニ不審ヲ抱キ情報係巡査ヲシテ捜査セシムルニ文里港料理店萬亭事中井○○方ニ登楼シ酌婦ヲ呼ヒ酌セシメツツ上海行キヲ薦メツツアリテ交渉方法ニ付キ無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点軍隊ノミヲ相手慰問シ食料ハ軍隊ヨリ支給スル等誘拐ノ容疑アリタルヲ以テ被疑ヲ同行取締ヲ開始シタリ
二、事件取調ノ状況    
  被疑者ヲ取締タルニ
                   大阪市 ・・・・・・
                     貸席業 佐賀・・・
                                当45年
                   大阪市 ・・・・・・
                     貸席業 金澤・・・
                                当42年
                   海南市 ・・・・・
                     紹介業 平岡・・・
                                当40年
 ト自供金澤・・・ノ自供ニ依レバ昭和12年秋頃
                   大阪市 ・・・・・・
                     会社重役  小西・・・
                   神戸市 ・・・・・
                     貸席業 中野・・・
                   大阪市 ・・・・・
                     貸席業 藤村・・・
 ノ3名ハ陸軍御用商人氏名不詳某ト共上京シ徳久少佐ヲ介シ荒木大将、頭山満ト会同ノ上上海皇軍ノ風紀衛生上年内ニ内地ヨリ3000名ノ娼婦ヲ送ル事トナリ詳シキ事情ヲ知ラサルカ藤村、小西ノ両名ニテ70名ヲ送リタルカ九條警察署(大阪府)長、長崎県外事課ニ於テ便宜ヲ受ケタリ
上海ニ於テハ情交金将校5円、下士2円ニテ2年後軍ノ引揚ト共ニ引揚クルモノニシテ前借金ハ800円迄ヲ出シ募集ニ際シ藤村・・・ノ手先トシテ和歌山県下ニ入リ込ミ、勝手ヲ知ラサル為右事情ヲ明シ平岡・・・ニ案内セシメ御坊町ニ於テ
                      ・・・・・     当26年
                      ・・・・・     当28年
ノ両名ヲ・・・・・ハ前借金470円、・・・・・ハ前借金362円ヲ支払ヒ海南市平岡・・・方ニ預ケアヲリト自供セリ依テ九條警察署関係ヲ照会スルト共ニ真相ヲ明明ニスル為メ・・・、・・・等ヲ同行シ事情ヲ聴取スルニ金澤・・・自供ノ如ク誘拐方法供述セリ

三、身柄の処置
  照会ニ依リ被疑者3名ノ身元ノミ判明シタルカ皇軍慰問所ノ有無不明ナルガ九條警察署ニ於テ酌婦公募証明ヲ出シタル事実判明疑義ノ点多々アリ真相確認後ニ於テ取調ヲ為スモ被疑者逃走証拠湮滅ノ虞ナシト認メ所轄検事ニ報告ノ上
                    被疑者 ・・・・・
                     〃  ・・・・・
                     〃  ・・・・・
                    被疑者 平岡 ・・
                    関係人 中井 ・・
                     〃  弓倉 ・・
ノ聴取ニ止メ1月10日身柄ヲ釈放セルモ何時ニテモ出頭方誓言セシメタリ


四、関係方面照会状況
  長崎県外事課及大阪府九條警察署ニ照会シタルニ左記ノ通リ回答アリタリ
                     記
 (長崎県外事課ヨリノ回答)
 宛先等略
 ……本件ニ関シテハ客年12月21日付ヲ以テ在上海日本総領事館警察署長ヨリ本県長崎水上警察署長宛左記ノ如ク依頼越シタルヲ以テ
本県ニ於テハ右依頼ニ基キ…                         

 (大阪九條警察署長ヨリノ田辺署長宛回答)
  拝啓 唐突ノ儀御赦シ被下度候
  陳者此ノ度上海派遣軍慰安所従業酌婦募集方ニ関シ内務省ヨリ非公式ナガラ当府警察部長ヘ依頼ノ次第モ有之当府ニ於テハ相当便宜ヲヘ既ニ第1回ハ本月3日渡航セシメタル次第ニテ目下貴管下ヘモ募集者出張中ノ趣ナルカ左記ノ者ハ当署管内居住者ニシテ身元不正者ニ非サル者関係者ヨリ願出候ニ就キ之カ事実ニ相違ナキ点ノミ小職ニ於テ証明書致候間可然御取計願上候
                                       敬具

 以下略   
Ⅹ-------------------------------- 
 内務省発警第5号
 秘  昭和13年2月23日
                                      内務省警保局長
   各庁府県長官宛(除東京府知事)                         

                支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件

 最近支那各地ニ於ケル秩序ノ恢復ニ伴ヒ、渡航者著シク増加シツツアルモ、是等の中ニハ同地ニ於ケル料理店、飲食店ニ類似ノ営業者ト聯繋ヲ有シ、是等営業ニ従事スルコトヲ目的トスル婦女寡ナカラザルモノアリ、更ニ亦内地ニ於テ是等婦女ノ募集周旋ヲ為ス者ニシテ、恰モ軍当局ノ諒解アルカノ如キ言辞ヲ弄スル者モ最近各地ニ頻出シツツアル状況ニ在リ、婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ、実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルルモ、是等婦女ノ募集周旋等ノ取締リニシテ、適正ヲ欠カンカ帝国ノ威信ヲ毀ケ皇軍ノ名誉ヲ害フノミニ止マラズ、銃後国民特ニ出征兵士遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ与フルト共ニ、婦女売買ニ関スル国際条約ノ趣旨ニモ悖ルコト無キヲ保シ難キヲ以テ、旁々現地ノ実情其ノ他各般ノ事情ヲ考慮シ爾今之ガ取扱ニ関シテハ左記各号ニ準拠スルコトト致度依命此段及通牒候


1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト

2、前項ノ身分証明書ヲ発給スルトキハ稼業ノ仮契約ノ期間満了シ又ハ其ノ必要ナキニ至リタル際ハ速ニ帰国スル様予メ諭旨スルコト

3、醜業ヲ目的トシテ渡航セントスル婦女ハ、必ズ本人自ラ警察署ニ出頭シ、身分証明ノ発給ヲ申請スルコト

4、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ノ発給ヲ申請スルトキハ必ズ同一戸籍内ニ在ル最近尊属親、尊属親ナキトキハ戸主ノ承認ヲ得セシムルコトトシ若シ承認ヲ与フベキ者ナキトキハ其ノ事実ヲ明ナラシムルコト

5、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ヲ発給スルトキハ稼業契約其ノ他各般ノ事項ヲ調査シ婦女売買又ハ略取誘拐等ノ事実ナキ様特ニ留意スルコト

6、醜業ヲ目的トシテ渡航スル婦女其ノ他一般風俗 関スル営業ニ従事スルコトヲ目的トシテ渡航スル婦女ノ募集周旋等ニ際シテ軍ノ諒解又ハ之ト連絡アルガ如キ言辞其ノ他軍ニ影響ヲ及ボスガ如キ言辞ヲ弄スル者ハ総テ厳重ニ之ヲ取締ルコト

7、前号ノ目的ヲ以テ渡航スル婦女ノ募集周旋等ニ際シテ、広告宣伝ヲナシ又ハ事実ヲ虚偽若ハ誇大ニ伝フルガ如キハ総テ厳重(ニ)之ヲ取締ルコト、又之ガ募集周旋等ニ従事スル者ニ付テハ厳重ナル調査ヲ行ヒ、正規ノ許可又ハ在外公館等ノ発行スル証明書等ヲ有セズ、身許ノ確実ナラザル者ニハ之ヲ認メザルコト


ⅩⅠ-------------------------------
 陸軍省兵務局兵務課起案
                      1938年3月4日   起元庁(課名)兵務課
            軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件

 副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案

 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ラ(コトサラ)ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且(カ)ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞(オソレ)アルモノ、或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ、或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ、為ニ募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス。



一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。括弧内の半角カタカナは読み仮名です。
   

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「従軍慰安婦」問題 資料NO2 日本政府の発表

2012年05月29日 | 国際・政治
 ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』から
Ⅳとして『「従軍慰安婦」にさせられた人々』
     (1995年 10月25日発行 アジア女性基金パンフレットより)
Ⅴとして元従軍慰安婦の人たちに送られた「内閣総理大臣の手紙」
Ⅵとして同じように元従軍慰安婦の人たちに送られた
     「女性のためのアジア平和国民基金理事長の手紙」
を入れた。いずれも、日本国として「従軍慰安婦」問題における軍や政府の関与を認めた文書である。

 特に、Ⅳにある「最初は日本国内から集められた女性が多かったのですが、やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。その人たちの多くは、16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちで、性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした」の記述に注目したい。
 なぜなら、日本国内から、戦地の慰安所に「慰安婦」を送る場合は、内務省警保局長が各庁府県長官宛(除東京府知事)に発した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」の文書で
 1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ……外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト
など、国際法に則って7つの制限項目を設けていたからである(この文書の全文は「325「従軍慰安婦」問題 資料NO3 内務省と軍の文書」のⅩに入れた)。
 朝鮮からの「慰安婦」に「16、7歳の少女もふくまれる若い女性たち」がいたという事実は、それが守られていなかった証拠であり、「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」の調印時に日本がつけた留保宣言、『下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス』を適用した差別政策、すなわち「二重基準」の政策の結果なのである(同条約は「326<従軍慰安婦>問題 資料NO4 婦女売買関係条約と報道」ⅩⅡに入れた)。      
Ⅳ--------------------------------
                 政府・基金公表文書

 「従軍慰安婦」にさせられた人々

    ──1995年 10月25日発行 アジア女性基金パンフレットより──

 「従軍慰安婦」とは、かつての戦争の時代に、日本軍の慰安所で将兵に性的な奉仕を強いられた女性のことです。
 慰安所の開設が、日本軍当局の要請によってはじめておこなわれたのは、中国での戦争の過程でのことです。1931年(昭和6年)満州事変がはじまると、翌年には戦火は上海に拡大されます。この第1次上海事変によって派遣された日本の陸海軍が、最初の慰安所を上海に開設させました。慰安所の数は、1937年(昭和12年)の日中戦争開始以後、戦線の拡大とともに大きく増加します。

 当時の軍の当局は、占領地で頻発した日本軍人による中国人女性レイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることをおそれて、防止策をとることを考えました。また、将兵が性病にかかり、兵力が低下することをも防止しようと考えました。中国人の女性との接触から軍の機密がもれることもおそれられました。
 岡部直三郎北支那方面軍参謀長は1938年(昭和13年)6月に出した通牒で、次のように述べています。


「諸情報ニヨルニ、………強烈ナル反日意識ヲ激成セシメシ原因ハ………日本軍人ノ強姦事件カ全般ニ伝播シ………深刻ナル反日感情ヲ醸成セルニ在リト謂フ」「軍人個人ノ行為ヲ厳重ニ取締ルト共ニ、一面成ルヘク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整ヘ、設備ノナキタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムルヲ緊要トス」
 このような判断に立って、当時の軍は慰安所の設置を要請したのです。

 慰安所の多くは民間の業者によって経営されましたが、軍が直接経営したケースもありました。民間業者が経営する場合でも、日本軍は慰安所の設置や管理、女性の募集について関与し、「統制」を行いました。日本国内からの女性の募集について、1938年3月4日に出された中央の陸軍省副官の通牒には次のようにあります。
 「支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ、或ハ………募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」


 最初は日本国内から集められた女性が多かったのですが、やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。その人たちの多くは、16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちで、性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした。

 1941年(昭和16年)12月8日、日本は米英オランダに宣戦布告し、(太平洋戦争)、戦線は東南アジアに広がりました。それとともに慰安所も中国から東南アジア全域に拡大しました。そのほとんどの地域に朝鮮半島、さらには中国、台湾からも、多くの女性が送られました。旧日本軍は彼女たちに特別軍属に準じた扱いをおこない、渡航申請に許可をあたえ、日本政府は身分証明書の発給をおこなうなどしました。それと同時にフィリピン、インドネシアなど占領地の女性やオランダ女性が慰安所に集められました。この場合軍人が強制的手段をふくめ、直接関与したケースも認められます。


 慰安所では、女性たちは多数の将兵に性的な奉仕をさせられ、人間としての尊厳をふみにじられました。さらに、戦況の悪化とともに、生活はますます悲惨の度をくわえました。戦地では常時、軍とともに行動させられ、まったく自由のない生活でした。
 日本軍が東南アジアで敗走しはじめると、慰安所の女性たちは現地に置き去りされるか、敗走する軍と運命をともにすることになりました。

 一体どれほどの数の女性たちが日本軍の慰安所に集められたのか、今日でも事実調査は十分に「はできていません。1939年(昭和14年)広東周辺に駐屯していた第23軍司令部の報告では、警備隊長と憲兵隊監督のもとにつくられた慰安所にいる「従業婦女ノ数ハ概ネ千名内外ニシテ軍ノ統制セルモノ約850名、各部隊郷土ヨリ呼ビタルモノ約150名ト推定ス」とあります。第23軍だけで一千人だというのですから、日本軍全体では相当多数の女性がこの制度の犠牲者となったことはまちがいないでしょう。現在研究者の間では、5万人とか、20万人とかの推計がだされています。


 1945年(昭和20年)8月15日戦争が終わりました。だが、平和がきても、生き残った被害者たちにはやすらぎは訪れませんでした。ある人々は自分の境遇を恥じて、帰国することをあきらめ、異郷に漂い、そこで生涯を終えました。帰国した人々も傷ついた身体と残酷な過去の記憶をかかえ、苦しい生活を送りました。多くの人が結婚もできず、自分の子供を生むことも考えられませんでした。家庭ができても、自分の過去をかくさねばならず、心の中の苦しみを他人に訴えることができないということが、この人々の身体と精神をもっとも痛めつけたことでした。
 軍の慰安所で過ごした数年の経験の苦しみにおとらない苦しみの中に、この人々の戦後の半世紀を生きてきたのです。

 現在韓国では、政府に届けでた犠牲者は162名とのことです。フィリピン、インドネシア、台湾、オランダ、朝鮮民主主義共和国、中国などの国や地域からも名乗りでている方々がいます。しかし、いずれにしても多くの人がこの世を去ったか、名乗りでることをのぞんでおられないのです。このことも忘れてはならないでしょう。


Ⅴ--------------------------------
               内閣総理大臣の手紙

拝啓
 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として、改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
 我々は、過去の重みからも未来の責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
 末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。
                       平成8(1996)年    
                       日本国内閣総理大臣  橋本龍太郎

Ⅵ-------------------------------
         女性のためのアジア平和国民基金 理事長の手紙

 謹啓
 日本国政府と国民の協力によって生まれた「女性のためのアジア平和国民基金」は、かつて「従軍慰安婦」にさせられて、癒しがたい苦しみを経験された貴方に対して、ここに日本国民の償いの気持ちをお届けいたします。

 かつて戦争の時代に、旧日本軍の関与のもと、多数の慰安所が開設され、そこに多くの女性が集められ、将兵に対する「慰安婦」にさせられました。16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちが、そうとも知らされずに集められたり、占領下では直接強制的な手段が用いられることもありました。貴方はそのような犠牲者のお一人だとうかがっています。
 
 これは、まことに女性の根源的な尊厳を踏みにじる残酷な行為でありました。貴女に加えられたこの行為に対する道義的な責任は、総理の手紙にも認められている通り、現在の政府と国民も負っております。われわれも貴女に対してこころからお詫び申し上げる次第です。
 貴女は、戦争中に耐え難い苦しみを受けただけでなく、戦後も50年の長きにわたり、傷ついた身体と残酷な記憶をかかえて、苦しい生活を送ってこられたと拝察いたします。
 
 このような認識のもとに、「女性のためのアジア平和国民基金」は、政府とともに、国民に募金を呼びかけてきました。こころあるい国民が積極的にわれわれの呼びかけに応え、拠金してくれました。そうした拠金とともに送られてきた手紙は、日本国民の心からの謝罪と償いの気持ちを表しております。

 もとより謝罪の言葉や金銭的な支払によって、貴女の生涯の苦しみが償えるものとは毛頭思いません。しかしながら、このようなことを二度とくりかえさないという国民の決意の徴(シルシ)として、この償い金を受けとめて下さるようにお願いをいたします。
 「女性のためのアジア平和国民基金」はひきつづき日本政府とともに道義的責任を果たす「償いの事業」のひとつとして医療福祉支援事業の実施に着手いたします。さらに、「慰安婦」問題の真実を明かにし、歴史の教訓とするための資料調査研究事業も実施てまいります。

 貴女が申し出てくださり、私たちはあらためて過去について目をひらかれました。貴女の苦しみと貴女の勇気を日本国民は忘れません。貴女のこれからの人生がいくらかでも安らかなものになるようにお祈り申し上げます。
                                       敬具
  平成8(1996)年
                    財団法人 女性のためのアジア平和国民基金
                                    理事長  原 文兵衛


一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。 

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「従軍慰安婦」問題 資料NO1 日本政府の発表

2012年05月29日 | 国際・政治
 ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』からとり
Ⅰとして「政府・基金公表文書」「1、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題      について」
Ⅱとして「いわゆる従軍慰安婦問題について」
     平成5年8月4日内閣官房内閣外政審議会室の文書を
Ⅲとして「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」 
     平成5年8月4日
の3つを入れた。
 特に、Ⅰの調査の期間や方法とともに、Ⅱの「調査の経緯」の記述が見逃せないものであると考える。”まだ不十分だ”という声も聞かれるが、幅広い調査が行われことが分かる。また、櫻井氏が批判した河野官房長官談話が、この政府の「慰安婦関係調査結果」の発表と同時に行われていることも踏まえる必要があると思う。謝罪は、こうした政府の「慰安婦関係調査結果」をもとにしたものであり、個人的見解によるものではないからである。

Ⅰ-------------------------------
                  政府・基金公表文書

1、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について 

 政府としては、12月より朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかについて、関係資料が保管されている可能性のある省庁において関連資料の調査を行っていたところであるが、現在までの調査結果を下記の通りまとめたので発表する。なお、政府としては、今後とも新たな資料が発見された場合には、これを公表してまいりたい。


                     記
1 調査期間

 平成3年12月~平成4年6月

2、調査を行った省庁と調査方法 
  警察庁…①警察庁所管資料を調査。
      ②各都道府県の本部長に対して調査を依頼。
  防衛庁…防衛研究所を始め、陸上、海上及び航空の各自衛隊、防衛大学校等の防衛庁関係の各機関において戦史資料を中心に調査。
  外務省…外交史料館等において、外交資料を中心に調査。
  文部省…①各国公私立大学附属図書館に対し調査を依頼。
      ②各都道府県教育委員会(公立図書館関係)及び私立図書館に対し調        査を依頼。
  厚生省…復員関係資料及び軍人・軍属名簿を中心に調査
  労働省…本省関係部局及び関係機関並びに地方職業安定期間に「おいて調         査。

3、調査結果 

(1) 各省庁から発見された資料の件数 

警察庁……0件   防衛庁……70件   外務省……52件   厚生省……4件労働省……0件

(2) 今回の調査で発見された資料を整理すると、次のとおり。(詳細は別紙のとお   り、括弧内の件数は重複しているものもある。)
 ①慰安所の設置に関するもの(4件) 
 ②慰安婦の募集に当たる者の取締りに関するもの(4件) 
 ③慰安施設の築造・増強に関するもの(9件)
 ④慰安所の経営・監督に関するもの(35件)
 ⑤慰安所・慰安婦の衛生管理にお関するもの(24件)
 ⑥慰安所関係者への身分証明書等の発給に関するもの(28件)
 ⑦その他(慰安所、慰安婦に関する記述一般等)(34件) 

(3) 今回発見された資料の主な記述を上記分野に従って整理すると次の通り
 ①慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日本軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないため、軍人個人の行為を厳重に取り締まるとともに、速やかに慰安設備を整える必要があるとの趣旨の通牒の発出があったこと、また、慰安施設は士気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に対する影響が大きいため、慰安の諸施設に留意する必要があるとの趣旨の教育指導参考資料の送付が軍内部であったこと。


 ②慰安婦の募集に当たる者の取締りについては、軍の威信を保持し、社会問題を惹起させないために、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うようにとの趣旨の通牒の発出が軍内部であったこと。

 ③慰安施設の築造・増強については、慰安施設の築造・増強のために兵員を差し出すようにとの趣旨の命令の発出があったこと。

 ④慰安所の経営・監督については、部隊毎の慰安所利用日時の指定、慰安所利用料金、慰安所利用にあたっての注意事項等を規定した「慰安所規定」が作成されていたこと。

 ⑤慰安所・慰安婦の衛生管理については、「慰安所規定」に慰安所利用の際は避妊具を使用することを規定したり、慰安所で働く従業婦性病検査を軍医等が定期的に行い、不健康な従業具においては就業させることを禁じる等の措置があったこと。

 ⑥慰安所関係者への身分証明等の発給については、慰安所開設のため渡航する者に対しては軍の証明書により渡航させる必要があるとする文書の発出があったこと

 ⑦その他、業者が内地で準備した女子が船舶で輸送される予定であることを通知する電報の発出があったこと。


以上のようにいわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた。   
Ⅱ-------------------------------
2 いわゆる「従軍慰安婦問題について
                                平成5年8月4日
                              内閣官房内閣外政審議会室
1 調査の経緯

 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者による我が国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めて来た。また、この問題は、昨年1月宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。

 このような状況の下、政府は、平成3年12月より関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広い聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添えのである。


 調査対象機関  警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、            国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館
 関係者からの聞き取り
         元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、         慰安所付近の居住者、歴史研究家等
 参考とした国内外文書及び出版物
         韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、
         太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体が作成した元慰安婦の証         言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いが          そのほぼすべてを渉猟した。
  本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下に発表することにした。


2、いわゆる従軍慰安婦問題の実態について

 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。
(1) 慰安所設置の経緯
  各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本  軍人が住民に対し強姦の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要があったこと、性病等の病気による兵  力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。
(2) 慰安所が設置された時期
  昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安  所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。
(3) 慰安所が存在していた地域
  今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、、ビルマ (当時)ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。
(4) 慰安婦の総数
  発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難  である。しかし、上記のように、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。
(5) 慰安婦の出身地
  今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、及びオラ  ンダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。
(6) 慰安所の経営及び管理  慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営した場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の私設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。
 
  慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない痛ましい生活を強いられことは明らかである。

(7) 慰安婦の募集 
  慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。

(8) 慰安婦の輸送等
  慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輌によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。


Ⅲ--------------------------------
3、慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話
                                 平成5年8月4日
 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、1昨年12月より調査を進めてきたが、今般その結果がまとまったので発表することにした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦としての数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
 

一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
資料順次アップ予定。 

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