真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

戦争に関わる歴史の真実は・・・ http://hide20.web.fc2.com に記事にリンクの一覧表


パル判決書 NO6

2016年04月25日 | 国際・政治

 

 東京裁判(極東国際軍事裁判)で、ただ一人起訴された被告の起訴事実全部につき、すべて「無罪」であると主張したパル判事の根拠の一つは「共同謀議」の証拠が提出されていないということにありました。
 その「共同謀議」と関連して、今回は、すでに抜粋した文章と重複する部分も多いのですが、パル判事が「諸作戦地において俘虜に与えられた待遇が非人道的であったということは否定できない。これらの残虐行為を実際に行った者はすでに他の場所で処分されたのであり、またかれらの事件が厳正な裁判によって適切に処断されなかったなどと想像すべき理由はまったくない」ということで、具体的に取りあげている「パターン死の行進」や「泰緬鉄道工事」その他における俘虜使役の問題の部分を抜粋しました。
 戦地における日本軍の残虐行為の事実を認めつつ、それらについて、ニュルンベルク裁判とは異なり、被告による「命令、授権、または許可」の証拠はないということで、「無罪」だという具体例です。パル判事は、ルース・ベネディクト女史の言葉を引いて、日本兵が残虐行為にいたる文化的背景をも指摘しています。

 ”「パターン死の行進」は、「実に極悪な残虐である」”と認めつつ、

本官は、このできごとがすこしでも正当化しうるものであるとは考えない。同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。これは残虐行為の孤立した一事例である
というわけです。

 また、泰緬鉄道の工事における俘虜の過酷な使役に関しても、”検察側は十分な証拠をもって、俘虜の死亡が、虐待、過労、飢餓、疾病および医療不備によるものであることを示している”と検察側主張を認めています。ただ、この具体例に関しては、
この使役に関しては、被告東条が全面的に責任があると、本官は、躊躇なく言明する。しかしながら、俘虜の使役に関する規則の右の違反は、たんなる国家の行為である。それはそれ自体としては犯罪ではなく、本官は東条に刑事責任を負わすものではない。
と、めずらしく、その責任者を名指ししながら、「刑事責任を負わすものではない」としています。
この部分に関しては、私にはよく理解できません。「たんなる国家の行為」とはどういうものであり、また、「たんなる国家の行為」であれば、それを画策した責任者が罪に問われないのはなぜなのか、よくわからないのです。

 パル判事は、さらに「裁判なしに行われた航空機搭乗員の処刑」についても取り上げていますが、パル判事が、あらゆる問題で政治的判断を退け、厳格に法による裁きをしようとしていることがわかります。また、信頼できる「証拠」しか採用しないという姿勢も徹底しています。マギー牧師の証言を「伝聞」として退けるのも、そうした姿勢によるものだと思います。
下記は、『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会(講談社学術文庫)からの抜粋です。
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           第六部 厳密なる意味における戦争犯罪
   殺人および共同謀議の訴因(訴因第三十七ないし第五十三)
 ・・・
 本官は、前述の第一および第二の主張のふくむところの問題にたいする自分の意見を、侵略戦争の定義を検討するさいにすでに述べておいた。本官は、これらの訴因において言及された敵対行為は、その開始に付随して種々の手落ちがあり、またそれが諸条約その他に違反したものであるにもかかわらず、やはり、国際法の意味する「戦争」を構成したものと考える。主張されているような事実、欠陥または違反はあっても、これらの敵対行為、交戦状態に付帯する通常の法律上の権利義務を、必然的にともなっていたのである。
 ・・・

 本官は本件において提出された各証拠を注意して読み通したが、この点について、共同計画もしくは共謀があったという結論にみずからを到達させるなにものをも見出せなかったといわなければならない。たしかに残虐行為がたがいに似かよっていたであろう。しかし本官には、これらの残虐行為が共同謀議の罪の訴追を受けている人々による共同計画もしくは共同謀議の結果であったという推論をくだす基礎となるものを、なんら見出すことができない。この段階にたいする訴因中に指名されている人々の同意が、こういう残虐行為の遂行になくてはならないものであったことを遺憾なく証明する証拠を提出することは不可能であった。本官の判断するところでは、マンスフィールド氏の言及した諸残虐行為の類似点というものは、かならずしもこの点に関する日本政府の政策を示すものではない。多くの場合、この類似点は拷問のこまかい点にあるのである。本官はこういう詳細な点が政府によって決定されるなどとは信じられない。虐待の項目中の一つにあたるものは俘虜が支給された食糧の量と医療とである。しかし検察側の証拠でさえ、この点についての日本政府よりの支給品がつねに不足であったわけではないことを立証している。とにかくこの類似点にもとづいてマンスフィールド検事が論告したことをすべて仮定に入れてみても、検察側の主張する共同謀議が存在したという結論には到達しないであろう。
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   日本占領下の諸地域の一般人に関する訴因(訴因第五十四および第五十五)
 ・・・
 この点に関して、ニュルンベルク裁判の起訴状中には、本件の起訴状の訴因第五十五に含まれている訴追に該当するものはなんらないことが注目されよう。ニュルンベルク裁判における被告は、すべてなにか特定の残虐行為を犯したという訴追を受けているいるのである。ニュルンベルク裁判の起訴状の訴因第三は戦争犯罪に関する訴追である。罪状を述べるにあたって訴追されているところは、全被告は他の人々と協力し、戦争犯罪を犯す共同計画または共同謀議を立案し、実行した……というにある。この計画は犯された諸犯罪の遂行をふくむものであると訴追されている。後者の所業については被告らが責任を負うべきである。けだしこれは他の人々はその戦争犯罪を犯すにあたり、その戦争犯罪を犯すための共同計画または共同謀議を実行に移すために行為したゆえである。……と主張されている。この点に就いての訴追は以下のようである。すなわち、
 … 略
 ・・・
     (二十) フィリピン群島
 ・・・
 それらは戦争の全期間を通じて、異なった地域において日本軍により、非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例である。主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない。
 本官は事件の裏づけとして提出された証拠の性質を、各件ごとに列挙した。この証拠がいかに不満足なものであろうとも、これらの鬼畜行為の多くのものは、実際行われたのであるということは否定できない。
 しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。そのなかで生きて逮捕されえたものの多くは、己の非行にたいして、すでにみずからの命をその代価として支払わされている。かような罪人の、各所の裁判所で裁かれ、断罪された者の長い表が、いくつか検察側によってわれわれに示されている。かような表が長文にわたっているということ自体が、すべてのかかる暴行の容疑者にたいして、どこにおいてもけっして誤った酌量がなされなかったということについて、十分な保証を与えてくれるものである。しかしながら、現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。
 本件の当面部分に関するかぎり、訴因第五十四において訴追されているような命令、授権、または許可が与えられたという証拠は絶無である。訴因第五十三にあげられ、訴因第五十四に訴追されているような犯行を命じ、授権し、また許可したという主張を裏づける材料は、記録にはまったく載っていない。この点において、本裁判の対象である事件は、ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠により立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っているのである。
 本官がすでに指摘したように、ニュルンベルク裁判では、あのような無謀にして無残な方法で戦争を遂行することが、かれらの政策であったということを示すような重大な戦争犯罪人から発せられた多くの命令、通牒および指令が証拠として提出されたのである。われわれは第一次欧州大戦中にも、またドイツ皇帝がかような指令を発したとの罪に問われていることを知っている。
 ・・・

 ・・・
 いずれにしても、本官が考察したように、証拠に対して悪くいうことのできることがらをすべて考慮に入れても、南京における日本兵の行動は凶暴であり、かつベイツ博士が証言したように、残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり、合計六週間にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見えたのは、ようやく二月六日あるいは七日すぎてからである。
 弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。かれらはたんに誇張されていることを訴えているのであり、かつ退却中の中国兵が、相当数残虐を犯したことを暗示したのである。
 ・・・ 
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   俘虜にたいする訴因             
 ・・・
 …日本人にとっては、「名誉は死ぬまで戦うということに結びつけられているのである」。「日本軍人は絶望的な状態に陥った場合は最後の手榴弾で自殺するか、敵にたいし武器なしといえどもいっせいに自殺的攻撃を敢行しなければならない。決して降伏してはならないのである。たとえ負傷して意識を失っているうちに俘虜になったとしても、かれは日本ではふたたび頭があがらないのである。かれは名誉を失ったのであり、かれのかつての生涯は終わったのである。…」以上はルース・ベネディクト女史の言葉である。
 ・・・

 ・・・
 本官はすでに降伏さい日本人の措置について述べた。それは共同謀議者団の措置ではない。それは、日本人の国民生活と終始一貫したものである。この伝統的措置は、日本の軍人の心境を形づくるに大きな影響を与え、われわれがいま関係している 多くの事件の原因となるものであった。もちろんこれはかれらの非行をすこしも正当ならしめるものではなく、またたしかにかような非行を裁く裁判において、戦勝国はそれによってかれらの行動を正当ならしめようとすることを許してはいないと信ずる。しかしわれわれはここで、これらの行動が犯罪性を有するものであるか否かを考慮しているのではない。われわれはたんにここにおける被告のいずれによっても「命令、授権、または許可」がなされたという証拠がないのに、すべての戦闘地域においてかような非行が、一般的に行われていただけのことによって、かような軍命、授権、または許可があったという推論に導きうるかということだけを考慮しているのである。
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 諸作戦地において俘虜に与えられた待遇が非人道的であったということは否定できない。これらの残虐行為を実際に行った者はすでに他の場所で処分されたのであり、またかれらの事件が厳正な裁判によって適切に処断されなかったなどと想像すべき理由はまったくない。これらの実際の犯行者は本裁判の対象ではない。
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 本官はすでに、本件において、いかなる目的のために、いかなる種類の不作為が立証されなければならないかを指摘した。本官の意見によれば、俘虜にたいして行われた非人道的取り扱いが、被告の中のだれかによって、命令、授権、または許可されたと推定する権利を裁判所に与えるような被告の不作為は、なんら本件において立証されなかった。ここで問題になっている戦争は、あるいは侵略的であったかもしれない。あるいは多くの残虐行為があったかもしれない。しかし被告にたいして公平であるためには、被告が残忍な方法をもってこの戦争を行おうと企てたということは、本裁判においてまったく立証されていない一事であるといわなければならない。
 ・・・

 ・・・
 「パターン死の行進」は、実に極悪な残虐である。輸送機関もなく、また食糧も入手しえなかったために止むをえなかったという理由でこれを弁護しようと試みられたのである。(英文記録27764ページ)
 それが事実であったと仮定しても、それは行軍中の俘虜に与えた取り扱いを正当化するものではない。灼熱の太陽下、120キロメートルにわたる9日間の行軍の全期中、約6万5000名の米国人およびフィリピン人俘虜は、その警備員によって蹴られ、殴打された。与えられた唯一の飲料水は水牛の水呑場の水であり、唯一の食物はフィリピン人がかれらに投げ与えたものであった。病気あるいは疲労のため行進から落伍した者は、射殺されあるいは銃剣で刺されたのであった(英文記録12579─12591ページ)。
 ・・・
 いずれにしても、本官は、このできごとがすこしでも正当化しうるものであるとは考えない。同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。これは残虐行為の孤立した一事例である。その責任は、その生命をもって、償いをさせられたのである。本官は現在の被告のうちのだれも、この事件に関係を持たせることはできない。
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 作戦行動に関係のある仕事に俘虜を用いたことに関する主張は、1907年のハーグ条約第六条ならびに1929年のジュネーブ条約の第三十一条に違反して、日本政府が俘虜をかように用いたというのである。1907年のハーグ条約第六条の条文中に、俘虜を用いるところの仕事は「イッサイ作戦行動ニ関係ヲ有スベカラズ」と規定している。
 1929年のジュネーブ条約の第三十一条には、「俘虜ニヨリナサルル労働ハ作戦行動ニ何ラ直接関係ナキモノタルベシ」とある。
 証拠となった一連の日本政府公文書は、日本政府が、故意に、かつまた政策として、俘虜をこのような労働に就かせたことを示している。次にあげるのは、これらの文書の一部である。
 ・・・
 本件において、ハーグ条約、あるいはジュネーブ俘虜条約が適用されるかどうかは別問題として、これらの条約規定は、ある種の禁止労務について言及しているのである。
 現在の総力戦の時代において「作戦行動に直接関係」という表現の意味がどのようなものであるにしても、俘虜が戦闘部隊にあてられた物資を輸送するために使用された若干証拠があることは否定できない。
 しかしながら、本官はこの違反をたんなる国家の義務違反と考えたい。これらはたんなる国家の行為である。本官はこのような違反にたいして、被告のうちのだれにも刑事上の責任を負わそうとは思わない。俘虜将校の強制使用の問題にも同じ見解が適用される。
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 泰緬鉄道に関しては、検察側の主張はつぎのとおり要約して差しつかえないであろう。
 ・・・
 検察側は十分な証拠をもって、俘虜の死亡が、虐待、過労、飢餓、疾病および医療不備によるものであることを示している。
「F」部隊および「H」部隊は、それぞれ1943年四月および五月に、シンガポールからタイ国に到着した。「H」部隊は3000名中、七ヶ月間に900名死亡した。鉄道建設の決定は、南方軍総司令部の要請にもとづいて大本営によってなされた(法廷記録14633ページ)。ついで1943年二月に、大本営は作戦上の理由から建設期間を四ヶ月短縮することに決定したが、後にその新期間を二ヶ月延長した。その結果として路線は、最初の計画より二ヶ月早く、1943年10月に完成した。
 弁護側は、事実を一般的に否認はしていないが、死亡率の原因は、雨期が早くきたために給与の輸送が妨げられたことであると主張している。(法廷証第475号、法廷記録27412─27414ページ、27746ページ)。弁護側のいうには、南方軍総司令部官は建設の成否が衛生状態にかかっていることを認識し、衛生状況を研究改善し、防遏の目的をもってマラリヤを研究し、また用水を浄化するために、現地に衛生隊を派遣した。南方軍司令部は医務官から、俘虜の罹病の重大な危険と、また1942年以降の俘虜の死亡率増加についての報告を受けていた。
 右のとおりであったと仮定しても、すなわち、日本側があらゆる注意を払ったのであり、また死亡の原因はまったく雨期が予想外に早くきたことに帰しうるものと仮定しても、この状況のもとでは日本側は戦争犯罪を犯したことになる。南方軍司令部は、俘虜を作業のために、いちじるしく不健康地であることを承知のうえで、ある地域に派遣する権利はなく、また軍事上の目的のために使用される鉄道線路の建設に俘虜を使役する権利もなかった。当時日本側は、この鉄道を、もっぱら軍事上の目的のために、すなわち、ビルマ駐屯部隊の補給と増援のために、使用する意図を持っていたことは疑いの余地がない。
 しかしながら、雨期は死亡を増したかもしれないが、死亡の原因は雨期ではなかったことは明瞭である。日本側の数字によっても、三月、四月という早い時期において、一ヶ月の死亡数はすでに200名を超えていた。もし雨期が当時すでに始まっていたとしたならば、なぜそこにF部隊とH部隊とを四月末と五月に送る理由があったか。さらには、死亡は、ほとんどすべて俘虜にかぎられていた。とすれば、俘虜の死亡は、日本人の服しなかった条件に俘虜が服したという事実によるものである。俘虜たちは、虐待、過度の労働、医療の不行届と飢餓によって死んだのである。以上が検察側の主張である。本官は、本件をつぎの二部に分ける。すなわち、
一、作戦行動と直接関係のある作業に俘虜を使役したこと。
二、俘虜の人道的な取り扱い
 この使役に関しては、被告東条が全面的に責任があると、本官は、躊躇なく言明する。しかしながら、俘虜の使役に関する規則の右の違反は、たんなる国家の行為である。それはそれ自体としては犯罪ではなく、本官は東条に刑事責任を負わすものではない。
 この使役中の俘虜の非人道的な取り扱いが、東条をふくむ被告のうちのだれかの不作為に原因し、または被告のうちのだれかがなんらかの方法によって予見しえたということについては、本官を満足させる証拠は提出されていない。
 本件に関して取り調べを受けたもっとも重要な証人はダルリンプル・ワイルド大佐であった。同人の証言のなかで重要な部分は法廷記録5434ページから始まっている。この証言を分析すると以下のことが明瞭となる。すなわち、
 ・・・ 略
 本証人の証言からして、惹起された不幸なできごとは大部分現地係将校の職務上の行過ぎの結果であったことが明らかとなる。法廷記録5445ページにチャンギーにおける有村少将のとった行過ぎの一例が出ている。… 
 それからさらにワイルド大佐が法廷記録5457ページにおいて述べていることは、たんに一伍長の残忍性を示すに過ぎない。50人の俘虜が病気していた。その伍長は、それにもかかわらずかれらを夜間行軍させた。…
 F部隊の日本部隊長坂野中佐が示した職務上の行過ぎの話も同様である。この事件は法廷記録5459─5460ページにおいて本証人が述べている。オーストラリアの行進隊は多数のアジア人労働者がコレラによって死亡している小屋から数ヤードの距離に収容されていた。…
 本証人が法廷記録5477ページで述べている日本軍工兵の数名による不必要な残忍行為の話も同様である。これらの残忍行為の実際の犯行者は法廷に出ておらない。本官はかれらのうちで生存していて逮捕しうる者はすでにその残忍行為にたいして受くべき責は受けていると信ずる。ワイルド大佐みずから本法廷にたいして法廷記録5684─5685ページに記録されている証言のなかで、同人が「東南アジア司令部において東南アジア戦争犯罪調査に従事していらい、およそ400件が裁判に付せられた。そのうち300件以上はすでに裁判が終了し、100以上の死刑宣告と約150の投獄刑」の結果となったと申し立てた。このなかにはオーストラリア、オランダおよび米国の手によって裁判された事件はふくまれていない。したがってこれらすべての不法行為の犯行者と称せられる者の何人にたいしても、なんら誤った寛容が示されたと憂慮する余地はない。われわれがここにおいて関心をもっているのは、右とは全然別個の人間たちなのである。これらの者たちがこの不法行為または職務上の行過ぎを予知すべきであったとわれわれにいわせるようなものは、なんらわれわれには提出されておらない。
 ワイルド大佐の証言は、むしろこれらの現地将校たちは、かようなあまりに行過ぎを示した自分たちの罪を自覚し、したがってこれら行過ぎの結果を東京の当局から隠そうとする手段をとったことを示すものである。…
 ・・・
 この鉄道を急いで完成させるということは、そこで生じた不祥事の原因ではなかった。もし俘虜と労働者たちがよい待遇を与えられていたならば、予定時間以内にその完成を見ることになんら困難はなかったであろうということは、ワイルド大佐の証言中にある。虐待がその完成遅延の原因であった。したがって、時間制限を定めた責任者であったかもしれない人々は、なんら誤算をしたのではない。そしてたしかにかれらの計算は俘虜にたいして発生したことについて責任あるものではなかった。
 ・・・

 ・・・
裁判なしに行われた航空機搭乗員の処刑と主張されている事件は、その基礎となっている証拠とともに左記に註記してある。本官はまず最初に、本件のこの部分を支持する検察側の証拠は、概して無価値であると述べたい。われわれにはJAG報告書というものの抜粋が提出され、同報告書は、米軍「法務部長」によって作成されたものであると聞いている。法務部長というものは、高級な地位にある責任ある人物であることには疑いはないであろう。しかし同報告書の基礎をなしたであろうところの資料が本法廷に提出されていないかぎり、本官はかれの権威だけによってそれを受諾する用意はない。もしかれの結論がほんとうに関連性ある資料にもとづくものであるなあらば、われわれはその資料を入手して、そしてわれわれ自身も同一結論に到達しうるかどうかをただす権利を有するものである。
 ・・・

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コメント

パル判決書 NO5

2016年04月24日 | 国際・政治

 東京裁判(極東国際軍事裁判)で、インド代表のパル判事は、日本人被告を有罪とする判決に反対して、膨大な資料もとに、『パル判決書』をまとめました。
 その中で、パル判事が「予備的法律問題」と題して展開した法理論の主なものを『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会(講談社学術文庫)から部分的に抜粋しました。「法律的外貌をまとってはいるが、本質的には政治的である目的を達成するための」裁判に異を唱えたパル判事が、将来を見据えて、
いまこそ国際法が個人をもって、その究極の主体と認め、かつ個人の権利の維持をもって、その究極の目的と認めるときであると信ずるものである。「個々の人間、すなわちその福祉とまた多種多様な形をもって現れるその人格の自由、これこそすべての法の究極の主体である。この目的を有効に実現する国際法こそは、それが平和と進歩とを実現する手段としての、優越した地位に到達することを保証するのに、効果の大きい実質的な意義と権威とを獲得するであろう」。”
と書いています。下記の「(6) 侵略戦争─その他の理由によって犯罪とされたか」の「(ロ)国際法は進歩する法であるから」の中の
”…この点に関して本官は、ニュルンベルクにおいてジャクソン検事が最終論告で主張したことに、言及しないわけに行かない。同検事によれば、一国家が、他国家の征服支配の準備をすることは、最悪の犯罪である。現在ではこれがそのとおりであるかもしれない。しかし第二次大戦前には、いやしくも強国として、かような企画ないし準備をなしたという汚点を持たない国はなかったのであって、かような場合にそれが犯罪であるとどうして言いうるか、本官には理解することができない。本官の言おうとするところは、強国がすべて犯罪的な生活を送っていたということではなくて、第二次大戦前には、国際社会はまだ上述のような汚点を犯罪とするほど、発展をとげていなかったと考えたという意味である。”
という記述とともにしっかり受け止め、現在に生きるわれわれが、「個人をもって、その究極の主体と認め、かつ個人の権利の維持をもって、その究極の目的と認める」ところの国際社会をつくりださなければならないのだと思います。
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                    第一部 予備的法律問題
(H)侵略戦争 ─  犯罪であるか
(1)1914年までの国際法において不法または犯罪であったか
 本官は以上の問題の最初のものをまず取上げてみよう。便宜上、問題は四つの特定期間について考慮することができよう。
一、1914年の第一次世界大戦までの期間。
二、第一次世界大戦よりパリ条約調印日(1928年8月27日)までの期間。
三、パリ条約調印日より本審理の対象たる世界大戦開始の日までの期間。
四、第二次世界大戦以降の期間。 
 右に挙げた四期間中の最初の第一期に関するかぎり、どんな戦争も国際法生活における犯罪とはならなかったということについては、一般的に意見が一致しているように見受けられる。ただし「正当な」戦争と「不正な」戦争との間に画然たる区別が存することはつねに認められてきたところであると、主張する人が時にはあった。国際法学者や哲学者の論説には、時としてかような区別をつける表現が用いられたかもしれない。しかし国際生活それ自体が、この区別を認知したことはいまだかつてなかったのであり、またかような区別が具体的結果を生ずることもかつて許されなかったのである。いずれにせよ、「不当な」戦争は国際法上の「犯罪」であるとはされなかったのである。実際において、西洋諸国が今日東半球の諸領土において所有している権益は、すべて右の期間中に主として武力をもってする暴力行為によって獲得されたものであり、これらの諸戦争のうち、「正当な戦争」とみなされるべき判断の標準に合致するものはおそらく一つもないであろう。

(2)  侵略戦争 ─ 1914年からパリ条約の1928年までにおいて不法または犯罪であったか
 ・・・
 さてここで本官は、国際団体あるいは国際法の性格に関する自己の見解を表明するために、言葉を挟む必要はない。これらの用語について本官は、後で努めてその意義を明示するつもりであるが、これらは、国際生活に関して特殊な意味に用いられている。しかしこれらの言葉を一般の意味に解するとしても、正当な戦争と不正の戦争との間、あるいは非侵略戦争と侵略戦争との間に明らかな一線を画されたことはなく、また戦争の法的性格についての差異が、かような区別にもとづいて存したこともないのである。
 ケンブリッジ大学のラウターパクト博士が校訂したオッペンハイムの『国際法』第六版(1944年)の中に、われわれはつぎのような一節を見出すのである。すなわち、「…戦争が既存の権利を実行するため、かつ法律を改正するための、一般に認められた国家政策の手段であった間は、戦争の理由が正当であるかないかは、法律的にはなんらの関連性を有しなかったのである。どんな目的をもったものであっても、戦争の権利は国家主権の特権であった。かように考えれば、「すべての戦争は正当であった」と。

(3)  侵略戦争 ── パリ条約以後不法または犯罪であったか ・・・(略)

(4)  侵略戦争  ── パリ条約によって犯罪とされたか
 まず最初に、パリ条約の効果について、考察してみる。
 本官の意見としては、同条約は現存の国際法になんらの変更をももたらさなかった。また同条約はこの点に関してなんら新しい法則をもたらさなかった。この問題は、明確に区別された二つの観点から検討しなければならない。すなわち、…以下略

(5)  侵略戦争  ── パリ条約のために犯罪とされたか
 ・・・ 
 本官の了解するところによれば、パリ条約によって締約国が国家的政策の手段としての戦争を放棄したその瞬間から、どこの国も戦争を行う権利を失い、そのために一つの権利としての戦争は、国際生活から駆逐されたのであるとライト卿はいおうと欲しているようである。
 そうなると、今後どんな国でも、戦争というものを考える場合には、その行動を正当化しなければならない。そうしなければその国は一つの犯罪を犯すことになるのである。けだし戦争というものは、その本質からして犯罪的行為をともなうものであるからである。戦争は自衛のために必要となった場合にだけ、正当化することができるのである。そこで侵略戦争は、自衛のための戦争ではないから、それを正当化することができず、したがって犯罪となるのである。
 もし右条約になんら留保条項がなかったとすれば、、右に述べたことはおそらくそのとおりであろう。しかし困ったことには、パリ条約は、自衛戦争とはなにかという問題を当事国自身の決定 ─ それは世界の与論を不利にする危険をおかすだけのことである ─ にゆだねたので、この点に関するその効果を全然消滅させてしまったのである。本官の意見では、どのような規則によるにしても、ただ当事国だけが、自己の行動を正当化しうるものであるか否かを、判定するものとして許されている場合には、その行動は正当な理由を要求するどのような法律にたいしても、その圏外に立つものであり、またその行動の法的性格は依然として、そのいわゆる規則によって影響されることはないのである。
 ・・・
 本官自身の見解では、国際社会において、戦争は従来と同様に法の圏外にあって、その戦争のやり方だけが法の圏内に導入されてきたのである。パリ条約は法の範疇内には全然はいることなく、したがって一交戦国の法的立場、あるいは交戦状態より派生する法律的諸問題に関しては、なんらの変化ももたらさなかったのである。

(6)  侵略戦争 ── その他の理由によって犯罪とされたか
 (イ) 慣習法の発達によって
 本官の意見では、どのような種類の戦争でも、パリ条約ないしは同条約から生じた結果のために、不法または犯罪的になったものはない。またいずれかの戦争を犯罪的であるとする慣習法もなんら成立してきていないのである。
 (ロ) 国際法は進歩する制度であるから
 ・・・
 以上のことに、もしもつぎのこと、すなわちその後も依然として一国による他国の支配が存続し、諸国家の隷属が依然として指弾されることなしに、広く行われ、かついわゆる国際法団体はかような一国の支配を、たんに支配国家の国内問題であると看なしつづけているという事実を加えるならば、かような団体が、人道を基礎とするものであると、たとえ、うわべだけでもいうこと、どうしてできるのか本官にはわからない。この点に関して本官は、ニュルンベルク裁判においてジャクソン検事が最終論告で主張したことに、言及しないわけには行かない。同検事によれば、一国が、他国家の征服支配の準備をなすことは、最悪の犯罪である。現在ではそれがそのとおりであるかもしれない。しかし第二次大戦前には、いやしくも強国として、かような企画ないし準備をなしたという汚点を持たない国はなかったのであって、かような場合にそれが犯罪であるとどうして言いうるか、本官には理解することができない。本官の言おうとするところは、強国がすべて犯罪的な生活を送っていたということではなくて、第二次世界大戦前には、国際社会はまだ上述のような汚点を犯罪とするほど、発展をとげていなかったと考えたという意味である。

 ・・・
 それでもなお、国際社会が法の支配下にある社会であるということは困難である。つぎにジンメルン教授の言葉を詳しく引用しよう。同教授はきわめてたくみに、また正しく国際社会の特徴を述べている。すなわち、
「イギリスの伝統にもとづいて教育を受けた者にとっては、国際法という言葉は、もっともよい場合にも人を混乱させ、もっとも悪い場合には憤激を感じさせる概念を現すものである。それは決してわれわれが、法と考えているようなものではない。われわれの見るところでは、それはしばしば、法の名をかたる『偽物ノ』法、専権を巧みに法服で包んでいるものと、紙一重の関係にあるもののように思われるし、また事実そうである」。
「イギリス人の目から見れば、満足すべき政治制度は法と力との琴瑟相和した仲から生まれた愛児(いとしご)なのである。……それがわれわれのいわゆるイギリス立憲政治の本質である。政治学者が分析する場合には、理論的には分けられるが、実際の慣行においては、不可分に融け合っている二つの過程、すなわち法の遵法、もしくは戦後の論争によく用いられた言葉を借りれば『制裁』と『平和的な変化』という二つの過程の作用がこの立憲政治によって保障されるのである。かようにして、裁判官や立法者や、また上は総理大臣から下は警察官にいたるまでのすべての行政官が、相互に依存する各部分となって単一の組織をつくり上げる」。「この立憲制度は、外からの刺激とか、上からの強制があるからその機能を果たすのではない。その推進力は内部から供給されるのである。その妥当性は同意からえられる。そのエネルギーは与論との接触によって絶えず更新され、溌剌としたものとなるのである。立法府が適切な成文法の中に具現しようとしているものは人民の意思である。裁判官がその解釈に、そして警察官がその励行にそれぞれ従事しているものは人民の意思である。これらのすべての人々が、社会的機能と思われるものを遂行しているのである。かれらは社会においてもっとも継続的かつ有力な、社会奉仕の機関である国家組織を、永久に絶えることなく、しかもつねに変化する社会の要求に適応させているのである」。
「法をこの大きな全体の一部として考える場合、それは規定として公式化された社会的習慣である、と定義することができよう。もしこれらの規定のうち、いずれかの部分が反社会的なもの、時の一般的感情にもはや合致しなくなっているもの、否、もはや一般的感情によって嫌悪されているものと思われる場合には、それは改正されるのである。このように、法という観念と改変という観念とは、決して相容れないものではなく、逆に、事実上相互に補足し合うものなのである。法は死んだ材料でつくり上げた不動の建築物、固定された永久的な石碑なのではない。人間によって創造され、代々譲り伝えられる、生きた、そして発展しつつある社会の不可欠な部分なのである。……」。
「つぎに国際法に眼を転じてみよう。そこに見出すものはなにか。それは上述したところとほとんど正反対の事態であえる」。
「実際において国際法は、組織をもたない法である。それは組織に基礎をおいていないのであるから自然に成長するということはあり得ない。国際法はこのように社会と結びついていないのであるから、社会の必要に適応することができない。国際法はそれ自身の力では微妙な種々の段階を経て、一つの体系としてでき上がることもできないのである。……」。
「この理由はきわめて簡単である。1914年以前の国際法の諸規則は、二、三の例外を除けば、全世界を一つにした社会の運営上の経験から生じたものではなかった。それはたんに多数の自己中心主義の政治的単位が、たがいに接触した結果できたものにほかならない。その接触はあたかも、星辰がはてしない天空を荘厳に移動するにつれて、その軌道が時として相互に交叉するにもたとえられよう。これらの外的撃突ないし衝突が累積した結果として、かような衝突の事情を検討し、それを処理すべき規則をつくることが、相互に便宜なこととなったのである」。
 本官の判断するところでは、これが国際法のいまなお占めている地位であり、さらに今後において各政治的単位が、その主権を放棄することに同意して、一個の社会を、形成するのでないかぎりは、また形成するときまでは、国際法はこのような地位にあるであろう。すでに前に示したように、戦後の国際連合はたしかにこのような社会の形成にむかって重要な一歩を踏み出したものである。社会的意識をさらに広める必要を説いたり現代世界の物質的な相互依存関係にともなう諸問題の実際的解決策を説いたりすることが、裁判官たる本官の任務でないことは、本官も承知している。裁判官に与えられた仕事は、たんに法の定式化と分類および解釈にすぎないけれども、いまや国際関係は、すでに裁判官であっても、沈黙を守ることのできないような段階に到達しているのである。本官はラウターパクト教授とともに、いまこそ国際法が個人をもって、その究極の主体と認め、かつ個人の権利の維持をもって、その究極の目的と認めるときであると信ずるものである。「個々の人間、すなわちその福祉とまた多種多様な形をもって現れるその人格の自由、これこそすべての法の究極の主体である。この目的を有効に実現する国際法こそは、それが平和と進歩とを実現する手段としての、優越した地位に到達することを保証するのに、効果の大きい実質的な意義と権威とを獲得するであろう」。たしかにこのことは、戦敗国の中から戦争犯罪人を選んでこれを裁判するという方法とは、まったく異なった方法によって行われなければならない。ラウターパクト博士が推奨するような国際機構は支配権を握っている一外国が自国と被支配国との間の種々の折衝を、その国際機構の管轄に属しない自国の「国内問題」であると主張することを許さないであろう。

(ハ) 裁判所の創造的裁量によって
 ・・・
 法の支配下にある一個の国際団体の形成、あるいは正確にいえば、国籍や人種の別の存在する余地のない、法の支配下にある世界共同社会の形成を、世界が必要としていることを本官は疑わない。このような機構の中においては、本件で訴追されているような行為を処罰することは、全体としての共同社会の利益およびその構成員の間に必要である安定かつ有効な法律関係を促進するのに貢献するところがたしかに大きいであろう。しかしそのような共同社会が生まれるまでは右の処罰はなんらの役に立たないのである。特定の行為にともなう処罰にたいする恐怖心が、法のあることによって生ずるのではなくて、たんに敗戦という事実にもとづいて存するにすぎない場合には、戦争の準備が行われているときにすでに存在している敗戦の危険は法の存在のゆえになんら増大するとは考えられない。すでにより大きな恐怖、すなわち戦勝国の勢力、威力、というものが存する。法を犯すものがまず効果的に法を犯すことに成功し、そしてのち、威力あるいは勢力によって圧服されるのでないかぎり法は機能を果たさないものであるとしたら、本官は法の存在すべき必要を見出しえない。もしも(いま)適用されつつあるものが真に法であるならば、戦勝諸国の国民であっても、かような裁判に付せられるべきであると思う。もしそれが法であったとするならば、戦勝国はいずれもなんらこの法を犯すことがなかった、かつかような人間の行為についてかれらを詰問することを、だれも考えつかないほど、世界が堕落していると信ずることは、本官の拒否するところである。    

(ニ) 自然法によって
 ・・・
 国際生活は、まだ法の支配下にある団体として組織されていない。団体生活というものについては、いまだに一般の合意が成立していないのである。いわゆる自然法が、前に示唆されたような方法で機能をはたすことを許されるためには、まずかような合意が必要である。右のような諸国家の団体生活について合意が成立したとき、初めて団体生活を円満に行うために必要な条件によって、ある種の外的基準が与えられるのであって、この基準によって、ある特定の決定が正当であるか否かを測定すべき標準が与えられるのである。
 本官の判断では、本審理の対象である大戦が今次大戦が開始された時までには、どのような種類の戦争も国際生活上の犯罪とはなっていなかったのである。戦争の正、不正の区別は、すべて依然として国際法学者の理論の中にだけ存していたのである。パリ条約は戦争の性格に影響を与えなかったのであり、どのような種類の戦争に関しても、なんらの刑事上の責任をも国際生活に導入することに成功しなかったのである。同条約の結果として、国際法のもとで、不法なものとなった戦争はひとつもない。戦争そのものは従前通り法の領域の外に止まり、たんに戦争遂行の方法だけが法的規律のもとにおかれたにすぎない。戦争を犯罪となすような慣習法はなんら発展していない。国際団体自体が、犯罪性の概念を国際生活に導入することを、正当とする基準の上には立っていなかったのである
 第二次世界大戦以後において、この点についてなんらかの国際法の発展があったかどうかを検討することは、本裁判目的にとってはあまり関連性がない。かりにその後の法の発展によって現在では、かような戦争が犯罪であるとされるようになったとしても、本官はそれによって、現在の被告が影響を受けるものではないと考える。
 ・・・
(I)個人責任
 本件において主張されているような種類の戦争が、国際生活上の犯罪となったか否かの問題について、本官があのような答を与えた以上、本件において申し立てられているような機能を果たした個人が、国際法上においていくらかでも刑事責任を帯びるものであるか否かを論ずるのは、本官にとってどちらかというと不必要なこととなる。しかしこのことについては… 以下略

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パル判決書 NO4

2016年04月08日 | 国際・政治

 東京裁判における日本人被告は、全員無罪という意見書(『パル判決書』)を書いたパル判事も、「通例の戦争犯罪」については、慣習法上交戦国が、罪を犯した敵国の軍人または私人を捕らえたとき、軍法会議に付して、処罰する権利を認めています。したがって、日本軍B・C級戦犯が、各連合国内の裁判で、国際法に反する残虐行為などの罪によって処刑されたことは問題にしていません。ただ、戦勝国による極東国際軍事裁判(東京裁判)に関しては、政治的色彩が濃い検察側主張に、多くの点で異を唱えているのです。
 『パル判決書』の文章は、私にはきわめて難解で読みづらいのですが、なぜパル判事が東京裁判の日本人被告について「本官は各被告はすべて起訴状中の各起訴事実全部について無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部から免除されるべきであると強く主張するものである」と主張したのか、少しでも理解を深めたいと思い、無罪勧告につながると考えられるいくつかの文章を抜粋しました。

 まず、東京裁判において検察側が、「日本が、国際法、条約、協定または保障に違背せる侵略戦争を計画し、準備し、開始または実行した」と主張して、当時の軍や政府の関係者を訴追したことに対し、下記の「(5)侵略戦争 ─ パリ条約のために犯罪とされたか」で、パリ不戦条約をはじめとする当時の国際法では、確かに侵略戦争は犯罪であるとされていたが、「自衛戦争」とは何か、ということについては、戦争当事国の判断にゆだねられていたという事実を指摘しています。したがって、当時の国際法では、日本側が自ら侵略戦争を進めていたと認めないかぎり、被告を有罪にはできないという考え方なのだと思います。重要な指摘だと思います。同時に、パル判事が問題にしていることが、日本の戦争が侵略戦争あったかどうかということではなく、純粋に法の問題であることも、しっかり踏まえなければならないと思います。

 次に、「(6) 侵略戦争 ─ その他の理由によって犯罪とされたか」の中の「(ロ) 国際法は進歩する法であるから」で、パル判事は、第二次世界大戦前、国際連盟設立のための決議の起案委員会の会合において、日本代表の牧野男爵が、連盟の基本原則として、各国民平等の宣言をなすように決議案を提出したにもかかわらず、英国が反対し不採択になった事実をあげ、現在は、一国家が他国家の征服支配の準備をすることは、最悪の犯罪であると主張されているが、第二次大戦前には、そうした考え方は受け入れられなかったと指摘しています。戦いが終わった後に、戦勝国が戦敗国の戦争指導者の個人的責任を問い、有罪として刑に処することは、事後法による処刑であるということで、これも重要な指摘であると思います。第二次世界大戦当時の国際法の下では、戦争を指導した日本人被告を刑に処することはできないということだと思います。

 また、『パル判決書』の中で見逃すことができないのは、原子爆弾投下に関する文章です。「第六部 厳密なる意味における戦争犯罪」「(二十)フィリピン群島」の中の一部を抜粋しましたが、「非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには十分である」と、戦後間もない時期に、勇気をもって原子爆弾投下を指弾しています。「非戦闘員の生命財産の無差別破壊」の命令は、明らかに国際法に反するものではないかということです。そして、「われわれの考察のもとにある太平洋戦争においては、もし前述のドイツ皇帝の書翰に示されていることに近いものがあるとするならば、それは連合国によって為された原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定にたいする判決は後世がくだすであろう」とも指摘しています。したがって、現在を生きるわれわれが、原子爆弾投下をいつまでも不問に付すことなく、一日も早く当時の国際法に反する罪として正当な判決を下さなければならないのだと思います。
 下記は、『「共同研究 パル判決書』東京裁判研究会(講談社学術文庫)からの抜粋です。
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                第一部 予備的法律問題

               (H)侵略戦争 ─ 犯罪であるか    
(5)侵略戦争 ── パリ条約のために犯罪とされたか
 ・・・
 本官の了解するところによれば、パリ条約によって締約国が国際的政策の手段としての戦争を放棄したその瞬間から、どこの国も戦争を行う権利を失い、そのために一つの権利としての戦争は、国際生活から駆逐されたのであるとライト卿はいおうと欲しているようである。
 そうなると、今後どんな国でも、戦争ということを考える場合には、その行動を正当化しなければならない。そうしなければその国は一つの犯罪を犯すことになるのである。けだし戦争というものは、その本質からして犯罪的行為をともなうものであるからである。戦争は自衛のために必要になった場合にだけ、正当化することができるのである。そこで侵略戦争は、自衛のための戦争ではないから、それを正当化することができず、したがって犯罪となるのである。
 もし右条約になんらの留保条項がなかったとすれば、右に述べたことはおそらくそのとおりであろう。しかし困ったことには、パリ条約は、自衛戦とはなにかという問題を当事国自身の決定─それは世界の輿論を不利にする危険をおかすだけのことである─にゆだねたので、この点に関するその効果を全然消滅させてしまったのである。本官の意見では、どのような規則によるにしても、ただ当事国だけが、自己の行動を正当化しうるものであるか否かを、判定するものとして許されている場合には、その行動は正当な理由を要求するどのような法律にたいしても、その圏外に立つものであり、またその行動の法的性格は依然として、そのいわゆる規則によって影響されることはないのである。
 ・・・
(6) 侵略戦争 ─ その他の理由によって犯罪とされたか
 (ロ) 国際法は進歩する法であるから
 ・・・
 国際生活上広く行われている「人道の観念の絶えざる拡大」に関して述べることは、つぎのことに尽きる。すなわち、すくなくとも第二次大戦前においては、列強はなんら、かような兆候を示さなかったということである。それについては、国際連盟設立のための決議の起案委員会の会合において起こったことを、一例としてあげればよい。すなわち日本代表の牧野男爵が、連盟の基本原則として、各国民平等の宣言をなすように決議案を提出したさいに起こったことがそれである。英国のロバート・セシル卿は、これをもってきわめて論争の的となりやすいものであると言明し、これは「英帝国内において、きわめてゆゆしい問題を惹き起こすものである」という理由によって、同決議案に反対したのである。同決議案は不採択を宣せられた。すなわちウイルソン大統領は一部諸国の容易ならぬ反対に鑑み、これは可決されないものと認めると決定したのである。
 
 以上のことに、もしもつぎのこと、すなわちその後も依然として一国による他国の支配が存続し、諸国家の隷属が依然として指弾されることなしに、広く行われ、かついわゆる国際法団体はかような一国の支配を、たんに支配国家の国内問題であると看なしつづけているという事実を加えるならば、かような団体が、人道の基礎とするものであると、たとえ、うわべだけででもいうことが、どうしてできるのか本官にはわからない。この点に関して本官は、ニュルンベルクにおいてジャクソン検事が最終論告で主張したことに、言及しないわけに行かない。同検事によれば、一国家が、他国家の征服支配の準備をすることは、最悪の犯罪である。現在ではこれがそのとおりであるかもしれない。しかし第二次大戦前には、いやしくも強国として、かような企画ないし準備をなしたという汚点を持たない国はなかったのであって、かような場合にそれが犯罪であるとどうして言いうるか、本官には理解することができない。本官の言おうとするところは、強国がすべて犯罪的な生活を送っていたということではなくて、第二次大戦前には、国際社会はまだ上述のような汚点を犯罪とするほど、発展をとげていなかったと考えたという意味である。

 第二次大戦中において、原子爆弾はその敵国の都市破壊よりも、より完全に、利己的な国家主義ならびに孤立主義の最後の防壁を破壊したといわれている。これによって一つの時代が終わりを告げ、つぎの時代─すなわち新しい、そして予測することのできない精神時代が始まったと信ぜられている。
「1945年8月6日および9日に、広島、長崎の両市を木っ端微塵にした、かの爆破のごときは、いまだかつて地球上で起こったことがないことはもちろん、太陽や星においても、すなわちウラニウムよりはるかに緩慢に発散されるエネルギーの源から燃焼しつつある太陽や星においてもなかったことである」。
 これは『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の科学記者ジョン・J・オニールが述べたところである。かれはさらにいわく、
「広島に落下した原子爆弾は、一瞬にしてわれわれの伝統的な経済的、政治的、軍事的諸価値を一変した。それは戦争技術の革命を惹き起こし、われわれをしてすべての国際問題を即刻考えなおさずにはいられないようにしたのである」。
 これらの爆破によって「すべての人間がたんに国内問題だけでなく、全世界の問題にも利害関係をもつということ」を人類は痛感させられたであろう。おそらくこれらの爆発物はわれわれの胸中に、全人類は一体であるという感じ─すなわり、
「われわれは人類として一体をなすものであって、これらの爆発の悪魔のような熱のうちに、完全に溶解され化合したきずなによって、われわれすべての人類は、人種、信仰ないし皮膚の色のいかんを問わず結びつけられているのである」。
という感じを目覚めさせたであろう」。
 これはすべて、これらの爆発の結果、生まれたものであるかもしれない。しかしたしかにこれらの感情は、爆弾の投下されたそのときには、存在しなかったものである。本官自身としては原子爆弾を投下した人間が、それを正当化しようとして使った言葉の中に、かような博い人道観を見出すことはできない。事実、第一次世界大戦中、戦争遂行にあたってみずから指令した残忍な方法を正当化するために、ドイツ皇帝が述べたといわれている言葉と、第二次大戦後これらの非人道的な爆撃を正当化するために、現在唱えられている言葉との間には、そして差異があるとは本官は考えられないのである。
 ・・・
 国際社会というものがあるとしたならば、それが病気にかかっていることは疑いない。おそらくは国際団体を構成する諸国家は、計画社会への過渡期にあるというのが、現在の事態であるともいえよう。
 ・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
              第六部 厳密なる意味における戦争犯罪
                 (二十)フィリピン群島
 ・・・
 しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。そのなかで生きて逮捕されたものの多くは、己の非行にたいして、すでにみずからの命をその代価として支払わされている。かような罪人の、各所の裁判所で裁かれ、断罪された者の長い表が、いくつか検察側によってわれわれに示されている。かような表が長文にわたっているということ自体が、すべてのかかる暴行の容疑者にたいして、どこにおいてもけっして誤った酌量がなされなかったということについて、十分な保証を与えてくれるものである。しかしながら、現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。

 本件の当面の部分に関するかぎり、訴因第五十四において、訴追されているような命令・授権・または許可が与えられたという証拠は絶無である。訴因第五十三にあげられ、訴因第五十四に訴追されているような犯行を命じ、授権し、または許可したという主張を裏づける材料は記録にはまったく載っていない。この点において、本裁判の対象である事件は、ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠により立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っているのである。
 本官がすでに指摘したように、ニュルンベルク裁判では、あのような無謀にして無残な方法で戦争を遂行することが、かれらの政策であったということを示すような重大な戦争犯罪人から発せられた多くの命令、通牒および指令が証拠として提出されたのである。われわれは第一次欧州大戦中にも、またドイツ皇帝がかような指令を発したとの罪に問われていることを知っている。
 ドイツ皇帝ウイルヘルム二世は、かの戦争の初期に、オーストリア皇帝フランツ・ジョセフにあてて、つぎのようなむねを述べた書翰を送ったと称せられている。すなわち、
「予は断腸の思いである。しかしすべては火と剣の生贄とされなければならない。老若男女を問わず殺戮し、一本の木でも、一軒の家でも立っていることを許してはならない。フランス人のような堕落した国民に影響を及ぼしうるただ一つのかような暴虐をもってすれば、戦争は二ヶ月で終焉するであろう。ところが、もし予が人道を考慮することを容認すれば、戦争はいく年間も長びくであろう。したがって予は、みずからの嫌悪の念をも押しきって、前者の方法を選ぶことを余儀なくされたのである」。
 これはかれの暴虐な政策を示したものであり、戦争を短期に終わらせるためのこの無差別殺人の政策は、一つの犯罪と考えられたのである。
 われわれの考察のもとにある太平洋戦争においては、もし前述のドイツ皇帝の書翰に示されていることに近いものがあるとするならば、それは連合国によって為された原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定にたいする判決は後世がくだすであろう。
 かような新兵器使用にたいする世人の感情の激発というものが不合理であり、たんに感傷的であるかどうか、また国民全体の戦争遂行の意志を粉砕することをもって勝利をうるという、かような無差別殺戮が、法に適ったものとなったかどうかを歴史が示すであろう。
「原子爆弾は戦争の性質および軍事目的遂行のための合法的手段にたいするさらに根本的な究明を強要するもの」となったか否かを、いまのところ、ここにおいて考慮する必要はない。
 非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには十分である。このようなものを現在の被告の所為には見出しえないのである。
 ・・・ 

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