真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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チェルノブイリ原発 事故対策 極秘文書

2013年06月28日 | 国際・政治
 「チェルノブイリ極秘 隠された事故報告」アラ・ヤロシンスカヤ:和田あき子訳(平凡社)の著者アラ・ヤロシンスカヤは事故当時現地から160キロ離れたウクライナ共和国ジトーミル市で新聞記者をしていた女性である。

 子どもを連れて汚染地帯を逃れ、不安の中で生活していたが、政府の事故対策に疑問を抱き、真実を報道しようと、汚染地帯の取材を続ける。そして、どこに持って行っても掲載してもらえない記事を、自ら友人たちに配布するなどの活動を始める。彼らはそれを読んで、人から人へまわしてくれたという。その結果、市民の支持を得てソ連邦人民代議員選挙に当選し、最高会議議員にまでなったのである。 その後も、真実を国民に隠し続ける政治家や学者の責任を追及する彼女の厳しい姿勢は、一貫して変わらない。そうして、彼女は、国民に真実を知らせず、多くの人たちを被曝させた政府や関係者の政策を明るみにしていったのである。

 下記資料1は、ソ連共産党中央委員会政治局事故対策グループが、汚染地域住民の放射線による障害の詳細な状況報告を日々受けながら、それを隠蔽し、偽の情報を流したことを示す機密議事録に関するもの、および放射線被曝許容基準の50倍もの引き上げることを可能とした新基準値に関するものである。同書の中の「第2部 極秘」の中から抜粋した。

 資料2はアラ・ヤロシンスカヤの記述に関わる内容を「原発事故を問うーチェルノブイリからもんじゅへー」七沢潔(岩波新書)の中から抜粋したものである。書記長ゴルバチョフが、首相ルイシコフやソ連共産党保守派の領袖といわれたリガチョフ等の住民無視、国家優先の主張に屈したことを示す部分である。

 東京電力福島第1原発事故では、文部科学省が外務省を通じて米軍に提供していたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が、住民の避難に生かされなかった。

 また、米国エネルギー省が、空中測定システム(Aerial Measuring System:AMS)を使い、米軍の航空機2機で、福島第一原発を中心に周辺約40km圏内、地上高さ1mにおける放射線濃度測定を実施、その測定結果に基づいて作成した放射能汚染地図を在日米国大使館を通じて外務省に電子メールで送ったという。それは外務省から放射線測定を担う文部科学省科学技術・学術政策局と住民の避難範囲を決める原子力災害対策本部の事務局を担う経済産業省原子力安全・保安院に提供されていたという。にもかかわらず、この情報も生かされず、その時点で公表されることはなかった。なぜなのか。

 ソ連と同じように、どこかで隠蔽が決定されたのではないか、と疑いたくなるのである。

資料1------------------------------
        1 クレムリンの賢人たちの40の秘密議事録
          ──「極秘の対策本部」は何を決めたのか

ウソ1── 放射能汚染について

 政治局対策グループの第1回会議は、1986年4月29日
(事故3日後)に開かれた。グループは、5月半ばまでは、毎日、どこかで会議を行っている。(このことは指導者たちは情報をまったく持っていなかったかのように、何年も私たちに信じさせてきた問題にかかわっている。つい最近も、ニコライ・ルイシコフはロシアのテレビでインタヴユ-を受け、自分たちは「当時知っていたことは少ない」と誓わんばかりだった)。5月4日から、対策グループには、住民の病院収容に関する報告が次々と入って来ている。 

「機密 議事録第5号。1986年5月4日。出席者──ソ連共産党中央委員会政治局員同志N・I・ルイシコフ、E・K・リガチョフ、V・I・ヴォロトニコフ、V・M・チェブリコフ、同政治局員候補同志V・I・ドルギフ、S・L・ソロコフ、同書記A・N・ヤーコヴレ
フ、内相同志A・V・ウラーソフ
 …5月4日現在、合計1882人が病院に収容されていることを了承。検査を受けた者の総数は、3万8000人に達した。幼児64人を含む204人に、いろいろな程度の症状の放射線障害が表れている。重体患者18人である」

「機密。議事録第7号 1986年5月5日。出席者──ソ連共産党中央委員会政治局員同志リガチョフ、チェブリコフ、同政治局員候補同志ドルギフ、同書記ヤーコヴレフ
 …5月6日9時現在、病院収容者数は3454人になった、という同志シチューピン(ソ連邦保健次官─著者)の報告を了承。そのうち2609人が入院治療中であり、その中には幼児471人が含まれている。正確なデータによれば、放射能障害が表れた者は367人、うち子どもは19人となっている。そのうち34人が重体である。モスクワの第6病院に入院治療中の者は179人で、その中には、2人の幼児がある」


「機密。議事録第8号。1986年5月7日。対策グループの会議に、ソ連共産党中央委員会書記長同志M・S・ゴルバチョフが参加。出席者──ソ連共産党中央委員会政治局員同志ルイシコフ、リガチョフ、ヴォロトニコフ、チェブリコフ、同候補同志ドルギフ、内相同志ウラーソフ。
 …一昼夜で1821人が追加入院した。入院治療者数は、5月7日10時現在、4301人であり、その中には1351人の幼児がいる。そのうち、放射線障害と診断された者は、ソ連邦内務省係官を含めて520人。重体患者は34人である。

「機密。議事録第12号。1986年5月12日。
 ……この数日間に、主としてロシアで、2703人が追加入院した。入院して検査検査および治療を受けている者は1万198人であり、そのうち345人に放射性障害の徴候がある。その中には子どもが35人いる」

 対策グループの会議での、これらの秘密情報のダイナミックスと、マスコミでの頑強な沈黙とをどのように関連づけるべきか。貴族のための真実と、奴隷のための真実がある。1986年6月4日付けの議事録21号の「ソ連および外国の、専門知識をもつジャーナリストのための定例記者会見参加者への指令」の中には、「病院収容問題を解決するために……しかるべき数字が設定された。この間に医療施設に送られた人びとは、すべて検査され、急性放射線障害の診断が187人の被災者(全員が原発職員)に下され、うち24名が死亡した(事故時に2人が死去した)こととする。病院に収容された住民には、子どもを含めて、放射線障害の診断は確認されなかったものとする」といった下書きがあった。


 国じゅうに放射能がおり強力に這いまわればまわるほど、ソビエト国民はますます健康になるかのようだった。ウクライナ共和国保健相A・ロマネンコは、事故後数年が経ってからさえ、ウクライナ共産党中央委員会5月総会(1989年)で、次のように相変わらず主張した。「全責任をもって言うことができるが、障害が表れた209人以外には、現在、発病を放射能の影響と関連させることができたり、関連させなければならない者はいない」

 どうして、このような言明ができるか、その鍵が、対策グループの文書の中に隠されていた。放射線障害になった何千人もの人びとが奇跡的に、突然に元気になってしまったわけは、以下の通りであった。

「機密。議事録9号。1986年5月8日。……ソ連邦保健省は、住民の放射線被曝許容基準の新基準値──従来値の10倍引き上げを承認した。(資料添付)。特別な場合には、従来値の50倍(!──著者)にまで、これらの基準値を引き上げることも可能である」。これは、原発内で働いている作業員の許容基準の5倍であることを言っておきたい。さらに、議事録の添付資料にはこうある。「……かくして、この放射能状態が2年半続いても、老若男女すべての住民の健康の安全は保証される」と。だが、こうした基準値の下に、私たちは妊婦や子どもまで「追いやった」のである。水文気象国家委員会の資料に基づいた、この医療・衛生上の機密の結論に署名しているのは、ソ連邦保健省第1次官O・シチューピンと、ソ連邦水文気象国家委員会第1副議長Y・セドゥノフである。このようにして、1986年5月8日、何千人もの同胞は、治療も薬もなしに、一瞬にして健康体になってしまったのである(方法の効き目、単純さ、「科学性」は、次のような思いを抱かせる。それならなぜ、今日の薬、医療器具、ベッド不足を考慮して、例えば、本年5月1日から平熱は36.6度とせず、38度、あるいは「特別な場合には」39度とする、といった指令を採択しないのだろうか。そうすれば、一般的に病人などいなくなってしまうだろうに) 


 事故から数年たって、白ロシアやウクライナの学者たちや、ソ連邦最高会議の専門家たちが拒否した、有名な「70年35レム」説の父であるアカデミー会員L・A・イリインさえも、議会公聴会で発言し、次のように認めざるをえなかった。「もしも35年間7レムまで下げるとすれば、一般的に困難な状況の中でいま避難が想定される人は、16万6000人ではなく、その場合には、この数字を約10倍に増やさなければならない。つまり150万人以上の移住が問題となるのだ。……社会は、このような措置がもたらす、すべてのリスクと利得を天秤にかけなければならない」と。当時、この演説を聞きながら、そんなことを言うのはどんな人間なのだろう、と私は考えた──1人ひとりの生命を尊ぶ医者か、あるいは、この命はあっち、この命はこっち、と算盤の珠をがちゃがちゃさせる、けちな会計係だろうか、と。ともあれ、その後、アカデミー会員自身も、「160万の子どもが、われわれを不安にするほどの被曝線量を受けており、今後どのように対処すべきかという問題を解決する必要がある」と認めざるをのである。私は忘れない──この被曝線量が、共産党中央委員会の「機密」印を押された、御用科学の最新の「処方せん」を拠り所にして、算出されたものであることを。文明諸国では信じられている、犠牲を許さないという倫理的要請の観点からこれらの子どもたちを見れば、さらに何倍も掛けなければならない。

 ウソ2──汚染された農地の「きれいな」農産物について ・・・略
 ウソ3──新聞向け報道について
 ・・・略

資料2------------------------------
チェルノブイリ事故後の7月3日、ソ連の政治局会議で

ゴルバチョフ:IAEAやほかのの諸国にどのような情報を伝えるかを、これから決
       めたいと思います。これまで決議した内容を秘密にせず、すべて伝え
       なければなりません。
ルイシコフ:発表する内容については、慎重に決めるべきだと思います。それも私
       が主宰する事故処理問題緊急対策会議の場で審議すべきです。政治
       局員多数:異議なし
ゴルバチョフ:しかし、われわれは可能なかぎりたくさんの情報を出さなければなり
       ません。それによって、西側諸国によるソビエト攻撃をかわすことがで
       きます。

 原子炉の欠陥をもふくむ情報の公開にこだわるゴルバチョフを、首相のルイシコフが諫めた理由は何であったのか。のちにチェルノブイリ事故の事故処理の最高責任者として、ウクライナ、ベラルーシの市民から非難の声を浴び、マスコミから遠ざかっていたルイシコフが、半年に及ぶ交渉の末にようやく応じたインタビューは、ソ連が真の事故原因を隠すことになった事情の核心について解き明かした。

「ゴルバチョフは政治家です。彼が情報を公表するにせよ、その内容をどうするかは別の問題です。もしあの時、チェルノブイリ型原子炉が危険であることを発表してしまったら、ソ連国内のすべての同型原子炉が停止へと追い込まれたでしょう。そうなったら国を支える電力供給はどうなりますか。14基で1400万キロワットの電力が失われることになります。このような事故が起きたからといって、原発の重要性を忘れてしまうようではいけないのです」

 事故の原因である原子炉の欠陥を隠す最大の理由は、原発による国内の電力供給体制を維持することにあったのである。


 改革を国際的に印象づけるか、それともただでさえ逼迫する国内エネルギーの現実を重視するのか。政治局会議の最終盤で生じた書記長と首相の対立という膠着状態に打開の糸口を与えたのは、意外にも会議の中で一度は恩師アレクサンドロフを裏切ったレガソフだった。

 レガソフ:同志ゴルバチョフ。アメリカのスリーマイル島原発事故では、アメリカ当局は事故の内容についてわかっている情報のわずか4分の1しか発表しませんでした。そのことをよくお考えください。

 結局、ゴルバチョフは初志に反して、運転員だけに責任を負わせる道を選択せざるをえなかった。原子炉の欠陥の公表がもたらす深刻な事態を、恐れたからである。書記長就任から1年4ヶ月、体制の改革に挑んだゴルバチョフの最初の挫折だった。

 「政治家というものは、こういう場合には社会に動揺を与えないことを第1に考えるものなのです。公表したあとの、社会的影響を深く考慮すべきだという意見が、政治局の大多数だったのです」


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「日本人捕虜尋問報告 第49号」の資料的価値が高い?

2013年06月17日 | 国際・政治
 「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」については、すでに『検証「従軍慰安婦」と「 日本人捕虜尋問報告 第49号」』や『「従軍慰安婦」問題 秦郁彦教授の論述に対する疑問』の中で、これを「従軍慰安婦」の証言として利用することにはとても問題があるということを、具体的にその形式や内容と関連づけて指摘した。

 秦郁彦氏は、「慰安婦」を「性奴隷」などと表現するのは間違いで、「慰安婦」は、「合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった」と指摘し、「慰安婦」には「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」があった証拠資料として、これをあげている。また、多くの人たちが同じようなかたちでこの資料を利用し、「慰安婦は公娼だった」「慰安婦は商行為を行っていたのである」「従軍慰安婦など存在しない」などと主張し、「教科書から慰安婦問題の記述を削除せよ」などという活動を展開してきた。しかし、この資料を、そうしたかたちで利用することはできない、と考える。

 なぜなら、この資料には情報提供者不明という 大きな欠陥があるからである。尋問を受けたのは20人の朝鮮人「慰安婦」と日本人民間人2人であるが、この報告書のすべての項目が、朝鮮人「慰安婦」の証言か、日本の民間人(業者)の証言か、不明なのである。そして、その大部分が、その内容からして日本の民間人(業者)の証言ではないかと考えられるのである。したがって、これを「従軍慰安婦」の証言として、利用することは間違いであると考えるのである。

 朝鮮人「慰安婦」の生活や労働条件等について、日本の民間人(業者)が、詳しく正確なことを話すとは考えにくい。軍の監督下にあり従属的であったとはいえ、朝鮮人「慰安婦」の立場からみれば、日本の民間人(業者)も加害者側といえる。性交渉を強要された朝鮮人「慰安婦」の証言の中には、軍人はもちろん、「経営者にぶたれるのではないかといつも身をちぢこませて」いなければならなかった(李容洙)というような証言(「従軍慰安婦」吉見義明<岩波新書>)があるのである。

 さらに、人身売買により、女性を「慰安婦」として拘束し、「相手を拒否する自由」、「廃業の自由」、「外出の自由」などを認めないことは、国際法違反で罰せられる可能性がある。日本の民間人(業者)が、そうした事実を自ら認めるとは考えにくい。日本の民間人(業者)が、尋問官に対し、責任逃れの証言をした可能性が高いのである。したがって、報告の内容が「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものか、それとも日本の民間人(業者)の証言に基づくものかが分からないこの資料を、「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものと勝手に判断し、秦郁彦氏のように「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」など言って利用することは、許されないのではないかと思う。

 「日本人捕虜尋問報告 第49号」の次に『従軍慰安婦資料集』吉見義明(大月書店)に収められている、「東南アジア翻訳センター 心理戦 尋問報告 第2号」では、「それぞれの項目に対して付された整理番号は情報提供者を示す」とある。センターの尋問官、アメリカ陸軍歩兵大佐アレンダー・スウィフトは、だれが話したかを明らかにしているのである。また「正確を期すために十全の努力が払われているが、この報告のなかの情報は、他の諸情報によって確証されるまでは控え目に評価されるべきである」とも記している。ところが、「第49号」の報告は、そうした配慮や慎重さがない。

 また、この報告書には何の記述もないが、「日本人捕虜尋問報告 第49号」の内容に関わって、尋問が何語でなされたか、ということも重要な問題だと考えられる。
 なぜなら、あのビルマで、韓国人慰安婦を捕虜とした米軍部隊の指揮をしていた中国系米人、Won.Loy Chan 大尉の“Burma: The Untold Story”には、朝鮮人慰安婦は、日本語がカタコトで、「尋問報告第49号」作成者の日本人二世(通訳・軍曹)「アレックス・ヨリチ」氏と直接話すことは、ほとんどできなかった可能性を示唆する、下記のような記述があるからである。
 「慰安婦」に対しての尋問は、朝鮮語を話せた日本の民間人(業者)、ママさん(Mama-san)を介して行うしかなかったため、報告書全体が、罰せられることを恐れる日本の民間人(業者)の責任逃れの内容となっているのではないかということである。
 また、「慰安婦」に直接尋問できなかった報告者は、日本の民間人(業者)が話すことを、自分なりにまとめるしかなかったために、情報提供者を明示できなかった、と考えられるのである。したがって、「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」などと言えるものではない、と考えるのである。
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          Won-loy Chan "Burma: The Untold Story
      (http://ianhu.g.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080514/p1)

・・・
Each platoon-sized group was commanded by Mama-san, usually a middle-aged Japanese woman who spoke Korean. When the girls weren't engaged in their primary occupational specialty or were ill, they acted as the washerwomen and barracks maids in the troop rest areas.

・・・

I had with me a number of photographs of Japanese officers who were supposed to be commanders of units of the 18th and 56th divisions that I showed to the girls, which Grant asked them to identify in his fluent Japanese. The girls (Koreans all) spoke some Japanese, but it was of the bedroom and kitchen variety and extremely limited. When you added that to their confusion, fear, and general lack of education, the answers they gave weren't worth much. They mumbled in mish-mash of Korean and Japanese in answer to the questions, but one of them did finally identify a photo of Colonel Maruyama as commander of the 114th Regiment. (I got the impression that the young woman who made the identification had known the good Colonel Maruyama very well indeed!)

Aside from that we got nothing of value. We had reached an impasse with the girls looking at us and us looking at them. After some hesitation, one of the girls spoke to the Mama-san and the next thing we knew all the girls were chattering hysterically. The old Mama-san listened and then told the girls to be quiet. She looked at all four of us and then approached me. (She also obviously recognized rank when she saw it.) She looked around again, and this time included Grant in her look. (She also obviously recognized who spoke the best Japanese in the group.) Then, looking at me she spoke to Grant. She asked if the girls could be permitted to know their fate. I instructed Grant to tell her that confinement was only temporary. That just as soon as possibly they would be sent to India (I doubted if any of them knew where India was) and eventually back to Korea. Grant spoke in his best Japanese. The Mama-san translated to Korean.


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原発事故 汚染地域ウクライナの報告 NO5

2013年06月14日 | 国際・政治
 安倍自民党政権は、原発の再稼働だけではなく、原発の輸出を推進し、青森県六ヶ所村の再処理工場の操業、高速増殖炉「もんじゅ」の本格稼働によって、行き詰まっている核燃料サイクル政策を強引に押し進めようとしている。東電福島第1原発の事故などなかったかのよう、また、放射線障害の問題など眼中に無いかのように。
 私は、ウクライナと福島の汚染地域対策におけるの放射線量の数値の違いが気になる。晩発性放射線障害の問題と関わってである。 たとえば、下記の「
ガン患者の診断後の余命が、チェルノブイリ事故後毎年短縮しているのである」という文章や「表8 第3期-第4期の胃ガンと肺ガン患者の診断後余命(チェルノブイリ事故の前と後)」の表が意味することはどういうことであろうかと。また「チェルノブイリ事故前(1984年、1985年)のルギヌイ地区の平均寿命は75歳であったが、事故後(1990-1996年)は65歳になっている」というようなことにも驚く。
 下記は、「チェルノブイリ事故による放射能災害-国際共同研究報告書」今中哲二編(技術と人間)からの抜粋である。

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ウクライナ・ルギヌイ地区住民の健康状態
     イワン・ゴドレフスキー、オレグ・ネスビット
     ルギヌイ地区医療協議会、ウクライナ科学アカデミー・水圏生物学研究所

ルギヌイ地区住民の健康状態

 ソ連の崩壊にともない、その長所短所を含め、ウクライナは旧ソ連の医療システムを引き継いだ。そのシステムは、国立医療センターを頂点として州、地区、町(村)の病院へと底辺に向かって広がっていく。一種のヒエラルキーを構成している。それぞれの地区には中央病院が1つ設置されている。このレポートの著者の1人は、ルギヌイ地区医療協議会病院(ルギヌイ地区の中央病院)に勤務しており、したがって、地区住民の医療情報をすべて入手することができる。
 健康状態の指標として、私たちは、免疫系の状態、内分泌系疾患、新生児罹病率、住民の精神神経的状態、老化の早まり、および死亡率に着目して分析する。

免疫系

 免疫系の状態は、健康状態を知るうえで最も重要な指標の1つである。ルギヌイ地区中央病院のデータによるち、事実上すべての患者の免疫力の低下がみられた。この免疫力の低下は、感染症の増加と長期化、急性進行型の結核の増加、疾病の再発、疾病にかかりやすい人々の増加、ガン患者の診断後余命の短縮、疾病の経過不良、病原体の毒性増加、アレルギー疾患の増加などとして臨床的に観察されている。

 ガン患者の医療記録を調べてみると、つぎのような、深刻な傾向が明らかとなった。すなわち、ガン患者の診断後の余命が、チェルノブイリ事故後毎年短縮しているのである。事故前の1984ー1985には、第3期から第4期にある胃ガン患者診断後余命は、約60ヶ月であり、第3期ー第4期の肺ガン患者では、約40ヶ月だった。1992年には第3期ー第4期の胃ガン患者の余命は15.5ヶ月となり、第3期ー第4期の肺ガン患者では8ヶ月となった。そして1996年それぞれ2.3ヶ月と2ヶ月となった。(!!!)(表8)。検査技術、診断方法、および治療方法は事故以前のレベルと変わっていない。

 そのような余命の差が生じたのはなぜだろうか?生命力を維持するための免疫機能の重要性は、チェルノブイリ事故後に特に顕著となっている。免疫機能は、生体組織の内部バランスを維持するのに重要な役割を果たしており、ガン防止の働きをしている。放射線の影響によって免疫機能は強度のストレスにさらされ、それに続いて免疫の働きが破壊される。そのことによってガンが進行すると同時に、治癒不能な感染症との合併症が起こるというのが、そういった患者の一般的な死亡経過である。

 医師たちはまた、新規結核患者において急性進行型の結核が増えていることを憂慮している
(表9略)。これもまた、免疫機能が低下していることのあらわれである。

 1990年、必要以上の医療放射線被曝から住民を守るという保健当局の指示によって、健康診断でのレントゲン検査は急激に減少した。1990年の新規結核患者数が前年に比べて落ち込んでいる理由はそのためである
(表9略)。1990年の落ち込みは結核患者が実際に減少したことを示しているのではない。その後、より近代的に設備を備えたレントゲン撮影室と施設の設置にともない、レントゲン検査の数も復活し最大限実施されている。

内分泌系の疾患

 内分泌系の疾患には、甲状腺腫、甲状腺結節、糖尿病、脂肪症その他がある。とくに憂慮されているのは、子供たちの内分泌系疾患の増加である。1990ー1991年以降、子供たちの内分泌系疾患が確実に増加している。(
図5略)。1986年以前は、内分泌系疾患の罹病率が1000人当たり10件を上回ることはなかった。甲状腺結節および甲状腺腫は地区内には皆無であった。甲状腺疾患の罹病率を分析すると、患者の大部分は1986年にヨウ素に被爆した子供たちだということがわかる。事故直後に放射能が到達したときにはいかなる予防策もとられなかった。事故から3週間たって予防のためのヨウ素剤が配られはじめた。甲状腺疾患は大人にも見られる。残念なことに、甲状腺について専門的な住民検診を実施するための医療施設や財政的措置は、事実上存在しない。

 甲状腺ガンは地区では記録されていない。しかしながら、甲状腺肥大の数が著しく増加していることは確実である
(図6略)。1986年以前には地区内で甲状腺肥大は記録されていないが、現在では半分近い子供たちに認められる。甲状腺肥大はそれ自体は特定の病気ではないが、外部からの影響に甲状腺組織が反応していることを示している。

新生児罹病率

 チェルノブイリ事故後の新生児(生後7日目まで)の罹病率の増加は、その形成障害の増加とともに目立っている
(図7略)。1983年以降の先天性形成障害(口唇裂、内部器官の閉塞など)の発生率を図8に示す。事故後の先天性形成障害発生率の変動は単純とはいいがたいが、1988年以降の発生率の平均値は事故前の数倍になっている。

精神神経的障害
 
 医師たちが突然直面するようになり、絶えず悩まされている最も重要な問題に、精神神経的障害がある。うつの症状やさまざまな恐怖症をかかえた患者がますます増えている。頻繁にみられるのは、不安、恐れ、情緒不安定などを訴える、神経症に似た症状、無気力、ヒポコンドリー(心気症、訳註:ちょっとした症状を自分勝手に判断して気にする病的症状)である。

 放射能と精神的なストレスが一緒になって諸器官に影響し、心身のバランスが崩れ、内因的な中毒症や精神神経的な症状を引き起こしているのであろう。また、低線量被曝が脳の機能変化をもたらすということもありえる。それは間脳の機能障害をともなう自律神経失調症の著しい増加にはっきりとあらわれている。事故前には、自律神経疾患の例はまったく記録されていない。現在では、この疾患は人々が医者にかかる最も大きな理由の1つとなっている。

 医師たちが精神神経障害の問題に直面するようになったのは、ほんの4年前からである。自殺や深刻な精神病が今後増加すると予想され、心身症あるいはそうした疾病に対処できるように今から考えておかなければならない。

老化の早まり 
 
 内部および外部被曝の影響によって、年齢を重ねて行くにつれてますます細胞の破壊が進んでいる。このことは、老化を早め、寿命の短縮につながっている。老化と関連する指標の検査結果から、若い世代で老化が進んでいる事実を確認することができる。これらの老化の目印は、体内のいろいろなシステムの機能に関する種々の検査によって明らかにされている。たとえば、心臓循環器系では、血圧、若者の速脈、若者の高血圧と虚血性心疾患の統計的に有意な増加である。また神経系では、身体的原因その他に起因するうつや恐怖症的な症状の増加である。これらの症状はすべて、臨床的検査によって容易にチェックすることができる。

 老化とそれにともなう死期の早まりをもたらしているものは何だろう? 主な要因は、放射線レベルの上昇と永続的なストレスである。これらの要因による影響のメカニズムは、事実上同じものである。つまり、それらの要因は、生体のさまざまなシステムや器官に直接あるいは間接に影響を与え、代謝と血液循環の機能を低下させる。その結果、システムや器官にジストロフィー(異栄養症。訳註:組織の栄養欠乏から生じる進行性の変化)が生じ、老化と死期を早めるのである。チェルノブイリ事故前(1984年、1985年)の、ルギヌイ地区の平均寿命は75歳であったが、事故後(1990-1996年)は65歳になっている。



      
 表8 第3期-第4期の胃ガンと肺ガン患者の診断後余命
              (チェルノブイリ事故の前と後)
 診断後余命
胃ガン 肺ガン
1984 62 38
1985 57 42
1992 15.5 8.0
1983 5.6
1994 7.5 7.6
1995 7.2 5.2
1996 2.3 2.0

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原発事故 放射能汚染地域 対策 ウクライナと福島

2013年06月10日 | 国際・政治
 2013年5月25日の朝日新聞が、「福島第1原発事故で避難した住民が自宅に戻ることのできる『年20ミリシーベルト以下』の帰還基準は、避難者を増やさないことにも配慮して作られていた」と報じたことはすでに取り上げた。住民の被曝を減らすために、帰還基準を5ミリシーベルトにするべきだという意見もあったという。しかし、そうすると福島県の13%が原発避難区域に入り、人口流出や風評被害が広がること、また避難者が増えて賠償額が膨らむことが懸念されたためであるという。そして、2011年11月の放射線量に基づき、下記のように再編された、と伝えている。

(1)5年以上帰れない帰還困難区域(年50ミリシーベルト超)
(2)数年で帰還を目指す居住制限区域(年20ミリ超~50ミリシ-ベルト)
(3)早期帰還を目指す避難指示解除準備区域(年20ミリシーベルト以下)
に再編


 しかしながら、この放射線量の数値は、1991年2月27日ウクライナSSR最高会議で採択された法制度の基本概念の数値と大きな 開きがある。
 福島では見送られて実現しなかった、「
帰還基準の年間被曝線量5ミリシーベルト」は、下記の表1を見ても分かるように、ウクライナでは、「健康にとって危険である」との理由で 「移住義務ゾーン」になっているのである。それは、「基本概念」によれば、「チェルノブイリ事故が人々の健康にもたらす影響を軽減するため」である。だとすれば、福島での早期帰還を目指す避難指示解除準備区域(年20ミリシーベルト以下)の対策は、様々な放射線障害その他の問題を考える時、どのように理解すればよいのであろう。年間被曝線量が20ミリシーベルト以下であれば帰還させようという日本、年間被曝線量が5ミリシーベルトを超える地域は移住義務ゾーンのウクライナ。
 下記は、「チェルノブイリ事故による放射能災害-国際共同研究報告書」今中哲二編(技術と人間)からの抜粋である。
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ウクライナでの事故への法的取り組み
      オレグ・ナスビット(ウクライナ科学アカデミー・水圏生物学研究所)
      今中哲二(京都大学原子炉実験所)

1 チェルノブイリ事故に関する基本法

 基本概念

 チェルノブイリ事故がもたらした問題に関するウクライナの法制度の記述は、まず基本概念文書「チェルノブイリ原発事故によって放射能に汚染されたウクライナSSR(ソビエト社会主義共和国)の領内での人々の生活に関する概念」の引用から始めるのが適切であろう。この短い文書は、チェルノブイリ事故が人々の健康にもたらす影響を軽減するための基本概念として、1991年2月27日、ウクライナSSR最高会議によって採択された。

 この概念の基本目標はつぎのようなものである。すなわち最も影響をうけやすい人々、つまり1986年に生まれた子供たちに対するチ ェルノブイリ事故による被曝量を、どのような環境のもとでも(自然放射線による被曝を除いて)年間1ミリシーベルト以下に、言い換えれば一生の被曝量を70ミリシーベルト以下に抑える、というものである。


 
基本概念文書によると、「放射能汚染地域の現状は、人々への健康影響を軽減するためにとられている対策の有効性が小さいことを示している。」それゆえ、「これらの汚染地域から人々を移住させることが最も重要である。」基本概念では(個々人の被曝量が決定されるまでは)土壌の汚染レベルが移住を決定するための暫定指標として採用されている。一度に大量の住民を移住させることは不可能なので、基本概念では、つぎのような”順次移住原則”が採用されている。

第1ステージ(強制・義務的移住の実施)
 セシウム137の土壌汚染レベルが555kBq/㎡(15Ci/?)以上、ストロンチウム90が111kBq/㎡(3Ci/?)以上、またはプルトニウムが 3.7kBq/㎡(0.1Ci/?)以上の地域。住民の被曝量は年間5ミリシーベルトを超えると想定され、健康にとって危険である。

第2ステージ(希望移住の実施)
 セシウム137の土壌汚染レベルが185~555kBq/㎡(5~15Ci/?)、ストロンチウム90が5.55~111kBq/㎡(0.15~3Ci/?)、またはプルト ニウムが0.37~3.7kBq/㎡(0.01~0.1Ci/?)の地域。年間被曝量は1ミリシーベルトを超えると想定され、健康にとって危険である。さらに、汚染地域で”クリーン”な作物の栽培が可能かどうかに関連して、移住に関する他の指標もいくつか定められている。
 
 基本概念の重要な記述の一つは「チェルノブイリ事故後、放射線被曝と同時に、放射線以外の要因も加わった複合的な影響が生じている。この複合効果は、低レベル被曝にともなう人々の健康悪化を、とくに子供たちに対し増幅させる。こうした条件下では、放射能汚染対策を決定するにあたって、複合効果がその重要な指標となる。」
 セシウム137の汚染レベルが185kBq/㎡(5Ci/?)以下、ストロンチウム90が5.55kBq/㎡(0.15Ci/?)以下、プルトニウムが0.37kBq/㎡( 0.01Ci/?)以下の地域では、厳重な放射能汚染対策が実施され、事故にともなう被曝量が年間1ミリシーベルト以下という条件で居住が認められる。この条件が充たされなければ、住民に”クリーン”地域への移住の権利が認められる

 こうした基本概念の実施のため、つぎの2つのウクライナの法律、「チェルノブイリ事故による放射能汚染地域の法的扱いについて」および「チェルノブイリ原発事故被災者の定義と社会的保護について」が制定された。

          表1  法に基づく放射能汚染ゾーンの定義
土壌汚染密度.kBq/㎡(Ci/?) (ミリシーベルト/年)
NO ゾーン名 セシウム137ストロンチウム90プルトニウム 年間被曝量
避難(特別規制ゾーン) n.d. n.d. n.d. .n.d.
移住義務ゾーン 555k以上
(15以上
111k以上
(3以上
3.7以上
(0.1以上
以上
移住権利ゾーン 185~555
(5~15)
5.55~111
(0.15~3)
0.37~3.7
(0.01~0.1)
以上
放射能管理強化ゾーン 37~185
(1~5)
0.74~5.55
0.02~0.15
0.185~0.37
0.005~0.01
0.5以上
(注)避難ゾーン:1986年に住民が避難した地域  n.d.:定義なし

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晩発性放射線障害 チェルノブイリと福島の事故後 NO4

2013年06月08日 | 国際・政治
 6月6日の朝日新聞に、”福島県は5日、東京電力福島第1原発事故発生当時に18歳以下だった子ども約17万4千人分の甲状腺検査の結果を発表した。9人が新たに甲状腺がんと診断され、すでに診断された3人と合わせ、甲状腺がんの患者は累計12人になった。疑いのある人は16人になった。チェルノブイリの事故では、被曝から4~5年後に甲状腺がんが発生していることから、県は「被曝による影響の可能性はほとんどない」と説明している。・・・”との記事があった。まだ2年少々しか経過していない現在、なぜ「被曝による影響の可能性はほとんどない」というのか、その意味がよく分からない。

 下記は、
「チェルノブイリ事故による放射能災害-国際共同研究報告書」今中哲二編(技術と人間)の中の「ウクライナにおける事故影 響の概要」(ドミトロ・M・グロジンスキー:ウクライナ科学アカデミー・ウクライナ細胞生物学遺伝子工学研究所)の論文から抜粋したものであるが、その中に、「被曝からガンが発現するまでの潜伏期間は、平均約8年から10年の付近でばらついている」という文章があり、表16からは、確かにそのことが読み取れる。そして、10年が経過しても「現在まだその発生率のピークに至っていない」というのである。

 それは、「晩発性放射線障害 原子力村 国際組織?」で取り上げたベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所のミハイル・V・マリコの論文に添付されていた
「ベラルーシにおける甲状腺ガン発生数(大人と子供)」の表を見ても分かる。1986年から1995年まで一貫して増加を続けているのである。

 国際放射線防護委員会(ICRP)が、線量とがんや白血病などの発生確率は比例するとし、
「しきい値」はないとしている。その考え方に基づけば、たとえ低線量の放射線による被曝であっても、人体・生体への影響および健康被害の可能性はあると考えるべきであろう。低線量被曝ほど、潜伏期間が長いという。したがって、今の段階で「被曝による影響の可能性はほとんどない」と言う根拠は何なのか、と疑問に思う。

 東京電力福島第1原発事故後の原発関連組織やそれらと一体となった関係者の対応が、グロジンスキーが指摘するチェルノブイリ事故後の一部の組織や関係者の動きと同じ、ということはないであろうか。 
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          ウクライナにおける事故影響の概要
                             ドミトロ・M・グロジンスキー
  (ウクライナ科学アカデミー・ウクライナ細胞生物学遺伝子工学研究所)

放射線影響評価

 事故の直後から、災害の規模についての情報は不当に見くびられ、また誤解されてきた。今日でさえ、世間一般の見方は、人類におよぼされた破局的大災害の実相からはるかにかけ離れている。放射線の専門家の間にはっきりと浮かび上がってきた論争は、今日に至っても、チェルノブイリ事故の医学的影響をめぐって続いている。チェルノブイリ事故後、ウクライナの人々の間に生じてきたおびただしい病気の真の原因が何なのか、意見が分かれているのである。事故後の罹病率が増加した原因は、心理的な要因にあるのであって、それ以外にはありえないとする見解を支持する人たちがたくさんいる。「放射能恐怖症」なる用語が、放射線関係の論文の中に現れるようになっている。しかしながら、罹病率は環境の放射能汚染と深く関連しているという見解もまた存在している。すでに、低線量被曝の効果、および甲状腺に対するヨウ素の影響について、信頼できるデータがある。


 チェルノブイリの事故の影響がなかったかのような嘘をついたり、それを忘れ去るべき過去のこととして記憶から消し去ってしまおうとさえするような恥ずべきまた非人間的な動きがあることを、私は注意しておきたい。チェルノブイリ原発事故によって原子力の権威は地に 落ちたが、多くの場合、上のような見方は原子力への偏向した支持者たちによってなされてきた。しかし私は、この事故は決して忘れ去られてはならない信じる。むしろそれどころか、私たちは、事故の影響を慎重に明らかにしなければならない。なぜなら、以下に述べるよう に、チェルノブイリ事故による放射線影響は、未曾有で大規模な生態学的な危険と関連しているからである。


 ・・・(以下略)

-------------------------------
子供たちの健康状態

 チェルノブイリ事故で被曝した子供では、1987年から1996年まで慢性疾患がたえず増加してきた。表14はチェルノブイリ被災地域の子供の発病率と罹病率の値である。
 この10年間で、罹病率は2.1倍に、発病率は2.5倍に増加した。罹病率の増加が最も激しいのは、腫瘍、先天的欠陥、血液、造血器系の病気であった。もっとも罹病率が高いのは、第3グループ(厳重な放射能管理下の住民)
-下記註参照-の子供たちである。同じ期間において、ウクライ
ナ全体の子供の罹病率、20,8パーセント減少していることを指摘しておく。

 このように、被災地域の子供たちの罹病率は、全ウクライナ平均での子供の罹病率をはるかに超えている。被災地域の子供たちの病気の構成表、を表15に示す。
 同じ期間に、先天的欠陥の発生率は5.7倍に、循環器系および造血器系の罹病率は5.4倍に増加している。
 妊娠中と出産時の異常の増加に伴い、新生児の死亡率が増加している。また、1987年に1000人当たり0.5件であった0~14歳の子供の死亡率は1994年には、1.2件に増えている。
 神経系と感覚器官の病気(5倍に増加)、先天的欠陥(2.4倍に増加)、感染症・寄生虫起源の病気、循環器系の病気などによって、子供の死亡率は増加している。

 他の地域の子供に比べ、問題の子供たちのガン発生率も明らかに大きい。被災地域の子供の腫瘍発生率は、1987年10年間で3.6倍に増加している。ガンの種類によって、その死亡率の増加傾向は、必ずしも一定していない。しかし、汚染地域の子供のガン死亡率は、他の地域の子供よりも大きくなっている。


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甲状腺ガン

 今日では、チェルノブイリ事故が甲状腺ガンを増加させたことに議論の余地はない。甲状腺の悪性腫瘍を引き起こした原因が、破壊された原子炉から放出されたヨウ素にあることもまた確定されている。事故前は甲状腺ガンはまれな病気であり、主に年長者に特徴的な病気であった。子供や青年においては、甲状腺ガンの年間発生率は100万人当たりおよそ0.2ないし0.4件であり、全腫瘍の約3%を占めたと推定されている。1981年から1985年にかけて、ウクライナの子供にみられる甲状腺ガンはわずか25例にすぎなかった。
 被曝からガンが発現するまでの潜伏期間は、平均約8年から10年の付近でばらついている。被曝量の大きさと潜伏期間の長さの間には関連がない。しかし、甲状腺ガン発生率の増加は予測されるよりもはるかに早く、すなわち事故後4年にして始まり、現在も増加中である。

 甲状腺ガンは、事故時年齢が3歳以下の子供で著しい増加を示している。この甲状腺ガンの特徴はたいへん攻撃性が強いことである。半数の症例では、ガンが甲状腺の外側に広がっていき、周辺の組織や器官までも冒している。子供の甲状腺ガン症例数を、表16に示す。
 小児甲状腺ガンの増加は、今後長い年月にわたって続くと考えるのが合理的である。現在まだその発生率のピークに至っていない。
 

第1グループ チェルノブイリ事故の事故処理作業従事者(リクビダートル)
         男性22万3908人 女性2万1679人 合計24万5587人
第2グループ 避難ゾーンからの強制避難者と移住義務ゾーンからの移住
         者 男性3万1365人 女性3万9128人 合計7万483人
第3グループ 厳重な放射線管理が行われる地域にいま現在も居住してい
         るか、事故後数年間にわたって住み続けていた住民。
         このグループに属する人数はたいへん多く、
         209万6000人である(男性45.7%、女性54.3%)
第4グループ 上記のグループのいずれかに属する親から生まれた子供。
         1995年の時点で、31万7000人以上。

表14 被災地域の子供の発病率と罹病率
発病率罹病率
1987455.4786.6
19941138.51651.9

表15 被災地域の子供の病気の構成

疾病の種類
呼吸器系の病気6106
神経系の病気6.2
消化器系の病気5.7
血液・造血器系の病気3.5
内分泌系の病気1.2

表16 ウクライナにおけるチェルノブイリ事故後の小児甲状腺ガン症例数
(事故時年齢0歳から19歳)

症例数10万人当たりの
件数
1986150.12
1987180.14
1988220.17
1989360.28
1990590.45
1991610.47
19921080.83
19931130.87
19941341.00
19951661.30

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晩発性放射線障害 原子力村 国際組織 NO3  

2013年06月08日 | 国際・政治
 「チェルノブイリ事故による放射能災害-国際共同研究報告書」今中哲二編(技術と人間)を読むと、IAEAやWHOが、関係政府の意見を大筋で受け入れ、原発事故の被害を過小評価することによって、原発推進の役割を果していることが分かる。日本国内の「原子力ムラ」と同じように、国際的にも「国際原子力ムラ」が存在しているということである。「チェルノブイリ 極秘」(平凡社)の著者アラ・ヤロシンスカヤも、その事実を明確に指摘していた。”国際原子力共同体”は、国際的な「原子力村」というわけである。
 ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所の、ミハイル・V・マリコは、下記のようにベラルーシにおける甲状腺ガンの発生数を通して、その晩発的影響に関する事実を明らかにし”国際原子力共同体”の過小評価を批判しているが、
「被災地住民の間に一般的な病気が有意に増加している」との指摘なども見逃すことはできない。

  そうした指摘をふまえれば、今回
「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)が、東京電力福島第一原子力発電所事故による住民への被曝影響の報告書で、「被曝による住民への健康影響はこれまでなく、将来的にも表れないだろう」と述べていることは、そのまま受け入れることはできない。チェルノブイリ事故後の状況と比較すると、福島でも晩発的影響が出てくる可能性は否定できないのではないかと思うのである。
-------------------------------
     チェルノブイリ原発事故:国際原子力共同体の危機
                 
ミハイル・V・マリコ(ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所)

はじめに


 ・・・
 今日、チェルノブイリ原発の核爆発が、生態学的、経済的、社会的そして心理学的にどのような影響を及ぼしたかについては議論の余地がない。一方、この事故が人びとの健康にどのような放射線影響を及ぼしたかについては、著しい評価の食い違いが存在している。チェルノブイリ事故直後に、被災した旧ソ連各共和国の科学者たちは、多くの病気の発生率が著しく増加していることを確認した。しかし”国際原子力共同体”は、そのような影響はまったくなかったと否定し、病気全般にわたる発生率の増加とチェルノブイリ事故との因果関係を否定した。そして、この増加を、純粋に心理学的な要因やストレスによって説明しようとした。”国際原子力共同体”が、こうした立場に立った理由には、いくつかの政治的な理由がある。また、従来、放射線の晩発的影響として認められていたのは、白血病、ガン、先天性障害、遺伝的影響だけだったこともある。同時に、”国際原子力共同体”自身が医学的な影響を認めた場合でも、たとえば彼らは、チェルノブイリ事故によって引き起こされた甲状腺ガンや先天性障害の発生を正しく評価できなかった。こうしたことを見れば、”国際原子力共同体” が危機に直面していることが分かる。彼らは、チェルノブイリ事故の深刻さと、放射線影響を評価できなかったのであった。彼らは、旧ソ連の被災者たちを救うために客観的な立場をとるのではなく、事故直後から影響を過小評価しようとしてきたソ連政府の代弁者の役を演じた。本報告ではこうした問題をとりあげて論じる。


チェルノブイリ事故原因と影響についての公的な説明

 チェルノブイリ原発事故は、原子力平和利用史上最悪の事故として専門家に知られている。事故は1986年4月26日に発生した。そ の時、チェルノブイリ原発4号炉の運転員は、発電所が全所停電したときに、タービンの発電機を使って短時間だけ電力を供給するテストを行っていた。事故によって原子炉は完全に破壊され、大量の放射能が環境に放出された。当初、ソ連当局は事故そのものを隠蔽してしまおうとしたが、それが不可能だったため、次には事故の放射線影響を小さく見せるように動いた。


 ・・・(以下略)

チェルノブイリ事故被災者の医学的影響

「350ミリシーベルト概念」
 いわゆる350ミリシーベルト概念、すなわち、被災者の被曝限度を一生の間に350ミリシーベルトと定めた主な理由は、おそらくソ連の困難な経済状況であった。この概念は、1988年秋にソ連放射線防護委員会(NCRP)によって作られた。
 この350ミリシーベルト概念は、以下の仮定に基づいている。

・ ソ連国内汚染地の大多数の住民にとって、外部被曝と内部被曝を合わせた、チェルノブイリ事故による個人被曝は、1986年4月26日を起点とする、70年間に350ミリシーベルトを越えない。
・ 汚染地で生活する人の全生涯に、事故によって上乗せされる被曝量が350ミリシーベルト程度か、それ以下であれば住民への医学的な影響は問題にならない。

 こうした仮定により、ベラルーシ、ロシア、ウクライナの全チェルノブイリ被災地において、移住を含めた何らの防護措置も実質的に行う必要がなくなった。この350ミリシーベルト概念は、1990年1月から実施されるはずであった。その実施によって、事故後汚染地でとられてきたすべての規則は解除されることになっていた。


 350ミリシーベルト概念は、1986年夏にソ連の専門家が行った医学的影響予測に基づいている。また、1988年末イリイン教授の監督のもとで行われた改訂版の評価にも基づいている。その改訂版の評価は、昔のものと非常によく一致していた。しかし古い評価と同様、新しい評価も正しくない。そのことは、甲状腺ガンの評価からはっきりみてとれる。新しい評価によれば、チェルノブイリ事故によってベラルーシの子供たちに引き起こされる甲状腺ガンは、わずかに39件とされている。そして、その症例は5年の潜伏期の後、30年かけて現れるはずであった。つまり、ベラルーシの子供たちにはじめて甲状腺ガンが増えてくるのは1991年になってのことだと予測されていた。

 イリイン教授らの予測は完全に誤りであった。そのことは、表1
(下記)に示すベラルーシにおける甲状腺ガンの発生件数のデータをみれば分かる。チェルノブイリ事故前9年間(1977-1985)においては、ベラルーシで登録された小児甲状腺ガンは、わずか7例であった。つまり、ベラルーシにおける自然発生の小児甲状腺ガンは、1年に1件だということである。ところが、1986年1990年の間に47例の甲状腺ガンが確認され、それは、イリインらによる予測に比べれば、9倍以上に達する。
 
 チェルノブイリ事故後最初の10年、つまり1986年から1995年の間にベラルーシで確認された甲状腺ガンの総数は424例であった。この値は、事故後35年の間に全部で39件の小児甲状腺ガンしか生じないというイリインらの予測に比べ、すでに10倍を超えている。予測と実際とを比べてみれば、チェルノブイリ事故による小児甲状腺ガンの発生について、ソ連の専門家の予測はたいへんな過小評価をしていたことがわかる。同じことは、旧ソ連の汚染地域における先天性障害に関してもいえるであろう。ソ連の専門家の評価は、それがみつかる可能性すら実際否定していた。その結論の誤りがラジューク教授らによって示された。

 上述した事実は、チェルノブイリ事故による放射線影響に関してソ連の専門家が行った評価が、著しい過小評価であることをはっきりと 示している。そのことは、ベラルーシ、ロシア、ウクライナの汚染地域において、事故直後から被災者の間に健康状態の顕著な悪化を確認してきた多くの科学者たちにとっては自明のことであった。

 ところが、ソ連当局と国際原子力共同体は、イリイン教授らの評価結果と350ミリシーバルト概念が正しいと考えていた。国際原子力共同体が、チェルノブイリ事故の放射線影響に関するソ連の新しい評価や350ミリシーベルト概念の意味するものを十分承知していることに注意しておかねばならない。ソ連医学アカデミーの会議の後、イリイン教授らの報告は、世界保健機構(WHO)に提出され、後日それは、有名な国際雑誌に科学論文として掲載された。350ミリシーベルト概念についても同様である。350ミリシーバルト概念に関する報告は、1989年5月11日ー12日にウィーンで開かれた国際法車線影響科学委員会の第38回会議に提出された。この概念は、国際原子力機関(IAEA)事務局が、1989年5月12日に開いた、チェルノブイリ事故に関する非公式会議にも提出された。

 このソ連の新しい評価は、国際原子力共同体の専門家からは何らの批判もうけなかった。そのことはイリイン教授らの論文の内容が、もとの報告と大きく変わっていなかったことからもわかるし、ソ連政府に350ミリシーベルト概念を実施させるために国際原子力共同体が多大な手助けをしたことからもわかる。

       表1 ベラルーシにおける甲状腺ガン発生数
                (大人と子供)
事故前 事故後
大人 子供 大人 子供
1977121219861622
197897219872024
1979101019882075
1980127019892267
19811321199028929
19821311199134059
19831360199241666
19841390199351279
19851481199455382
合計11317合計2907333

被災地における健康統計

 ベラルーシの専門家が成し遂げたもう1つの重要な仕事は、被災地住民の間に一般的な病気が有意に増加していることを見つけたことである。多くの専門家は、一般的な病気が増加していることを疑っている。そのような疑いが根拠をもたないことは、本報告の表2,3に示したデータがはっきりと示している。
 これらのデータは、ブレスト州の汚染地域とその対照地域住民について、P・シドロフスキー博士が行ってきた疫学研究の結果である。


・・・(以下略)

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