真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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CIAの「国家転覆の手引書」

2023年07月30日 | 国際・政治

 アメリカの中央情報局( Central Intelligence Agency、略称:CIA)については、多くの研究者や学者、ジャーナリストなどが、さまざまな事件に関し、関わりのある元CIA諜報員や秘密工作員、また、その他関係者の証言を得、さらに、あらゆる種類の公文書を基にして、その犯罪行為や不法行為を明らかにしてきたと思います。だから、CIAに関わる著作物は少なくありません。
 それらを踏まえれば、CIAの関係者が裁かれるべきことは、多々あったと思います。また、CIAの存在そのものが問われるようなことも少なくなかったと思います。
 にもかかわらず、CIAやアメリカ政府は、それらを一貫して黙殺してきました。
 そして、CIAは今も厳然として存在し、活動を続けています。先日、バーンズ長官が、中国の 習近平国家主席が「2027年までに台湾侵攻の準備を整えるよう軍に命じたことを指すインテリジェンスを把握している」などと語ったことが報道されました。でも、どこから得た情報なのかが不明で、本当かどうか怪し気です。だから私は、対立を煽るための虚言ではないかと疑わざるを得ません。
 そうした流れの中で、下記のような報道がなされました。
Biden OKs $345 Million for Taiwan Defense as Chinese Embassy Urges US Not to Escalate Tensions.
 バイデン大統領が、台湾の防衛に345万ドルを費やすことに合意したという内容ですが、それは中国にとっては、「挑発」にほかならないと思います。だから、中国が”緊張を高めるものだ”と非難するのは当然だと思います。

 下記は、「CIA」斎藤彰(講談社現代新書)からの抜粋ですが、CIAは、90ページに及ぶ「国家転覆の手引書」を作成しており、それに基づいて他国の内政に干渉し、政権転覆にも手を染めてきたということです。見逃すことのできない重大な指摘です。

 私は、「国家転覆の手引書」にある”大衆集会に、ナイフやカミソリ、チェンソーなどをもったアジテーターを潜り込ませておき、警備当局を挑発し、警備隊が市民に襲いかかってきたら、一斉にデモ参加者を蜂起させる”などという内容は、2014年のウクライナの政権転覆、すなわちユーロマイダン革命でも、実践されたのではないかと思います。
 Kla.tv(https://www.kla.tv/21962)などが報じた暴力的なデモの様子は、そのことを示していたと思います。

 ”ヤヌコビッチ政権によって、平和的なデモが暴力的に潰されようとしている”という西側メディアのプロパガンダと正反対の実態が、Kla.tvによって明らかにされているのです。そして、”ナイフやカミソリ、チェンソーなどをもったアジテーター”に代わって、ウクライナでは、CIAは、銃を持ったアジテーターやスナイパーを潜り込ませ、発砲させているのです。「平和的なデモ」が、聞いて呆れます。 


 そして、私はそこに、かつて他国を植民地支配し、今もいろいろなかたちで搾取や収奪を続けるG7など西側諸国の政治家やメディアの傲慢さを感じます。特に、G7を主導するアメリカの、反ロ・反中の姿勢は病的であり、国際社会で、法や道義・道徳が通用しないのは、アメリカのそうした姿勢が主な原因だ、と私は思います。アメリカは、覇権や利益の維持を、法や道義・道徳より優先し、敵対する国や集団に対しては、簡単に武力を行使してきたと思います。
 だから、CIAの犯罪行為や不法行為が黙認され続け、アメリカが、自らの覇権や利益の喪失を理性的に受け入れることができなければ、台湾有事が現実のものとなり、世界はさらに壊滅的な争いに突入することになるのではないかと心配しています。
 かつて日本軍は、現実を客観的に把握し、それをもとに軌道修正するということができず、敗戦まで突き進みました。今、アメリカが、似たような状況にあるのではないかと思います。もはやアメリカの一極体制は崩れつつあり、今までと同じような政策では、復活は難しいと思います。
 局面を打開するための話し合いが必要だと思います。だから、アメリカに盲従せず、日本は中国やロシアとの関係改善に尽力するべきだと思うのですが・・・。 
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                          4 スパイ工作

                        4 ダーティー・ワーク復活

 ニカラグアへの介入
 CIAの海外支局員(工作員)は、任地国での各種情報収集のほかに、その国で政府干渉、政権転覆工作にも乗り出すことがある。こうした”ダーティー・ワーク”(汚れた仕事)は、もちろん、NATOや日本のような西側先進同盟諸国では無縁と言っていいだろうが、開発途上国とりわけ中南米諸国では、今日も続けられている。
 CIAの”ダーティー・ワーク”の具体例は、ニカラグアに見ることができる。
 ニカラグアのサンディニスタ革命政権に対する干渉の口火を切ったのは、意外にも、CIA機構の合理化や、対外秘密工作活動の規制に取り組んできたカーター民主党政権である。
 79年7月、ソモサ親米軍事政権が倒れ、代わって左翼ゲリラ組織サンディニスタ政権が誕生した当初、カーター大統領は「民主主義の勝利」として、革命政権樹立を歓迎し、半年足らずの間に、「民生安定化」という目標のために、旧ソモサ体制にアメリカが行った過去十年分以上の規模に相当する経済援助を行った。ホワイトハウスや国務省当局者たちは、サンディニスタ政権が、一時的には急進的な社会主義路線をとるとしても、時間がたてば、民衆の幅広い支持の下に、安定した民主体制を確立するものと期待していた。
 だが、実際にフタを開けてみると、人民裁判、食糧配給制、秘密警察、言論弾圧、強制収容など、アメリカ型理想主義とはああまりにかけ離れた強権、抑圧政治であり、米政府としても、ソ連型社会主義が、キューバの支援の下に中米にジワジワと広がることに強い懸念を抱くに至った。
 そして、カーター大統領は、1979年12月に、米議会に対し、サンディニスタ政権に干渉するための秘密工作活動を開始した旨、通告した。秘密工作活動の狙いは、新政権内部の反対勢力を支援して撹乱し、最後は準軍事的な行動ができるような”環境づくり”に乗り出すことにあった。
 しかし、アメリカの干渉が強まるほど、国内的な弾圧、締めつけがひどくなり、このために1980年までに何万人という難民が国外に逃れたり、地下に潜って右派ゲリラ活動を開始した。アメリカはアルゼンチンとともに、反革命グループ「コントラ」の支援に乗り出した。「コントラ」の人数は、ホンジュラスとコスタリカ両国を合わせ、3000人とふくれ上がってきた。

 国家転覆のマニュアル
 そうした状況下で、CIAの手で作成されたのが、反政府軍用の「国家転覆の手引書」(90ページ)である。同手引書は1984年10月、AP通信など、一部のマスコミの手に渡って暴露され、米議会でも、大論議の的になった。
 その中身は、政権を混乱に陥れるための心理作戦ガイドブックだが、政府要人暗殺をも示唆するような、きわどい部分が少なくなく、レーガン大統領も世論を気にして、ケーシーCIA長官に対し、CIAがニカラグアで不穏当な行使をしていないかどうか、実態調査するよう指示したほどだった。

AP通信によると、心理作戦には、たとえば以下のようなものが含まれている。
〇抑圧されている一般市民をテコ入れし、判事、警察、治安当局者たちを攻撃目標にした反乱行為へと駆り立てる。

〇各市町村の軍事施設や警察署を破壊したり、電話、放送などの通信手段を攪乱するゲリラ作戦を同時多発的に展開し、中立的あるいは比較的無抵抗な市町村は、ゲリラ部隊で占領する。

〇サンディニスタ政権の姿執政官たちや軍人を誘拐し、一般大衆集会で糾弾する。

〇武装宣伝隊をいくつも組織し、各種の宣伝活動を通じて、政府の弱点や恥部を暴露し、反政府デマ攻勢をかける。たとえば、ビジネスマンや農民に対しては、サンディニスタ政権は商業、農業活動をさまざまな形で形で規制し、抑圧しつつあるので、利潤はほとんど期待できず、酷税で締めつけられる」といった宣伝を流し、教師、僧侶、大学生などの知識階層に対しては「著作活動の検閲が徹底的に行われる」と不安をあおる。

〇ゲリラと武装宣伝活動をニカラグア全土に拡大できれば、サンディニスタ政権の基盤を揺るがすことができる。

〇大衆集会に、ナイフやカミソリ、チェンソーなどをもったアジテーターを潜り込ませておき、警備当局を挑発し、警備隊が市民に襲いかかってきたら、一斉にデモ参加者を蜂起させる。

 中米では許される汚い仕事
 外国政府要人の暗殺については、カーター政権当時に、はっきり禁止されたはずなのに、その後、作成された手引書は、「弾圧を加える政府高官、裁判官、警察官などを選択的暴力の使用によって”中和”しても構わない」と、要人を暗殺したり、危害を加えることを教唆している点が、米議会でとくに問題になった。
 このため、ホワイトハウスのスピークス副報道官は「これまで政治的暗殺を米政府が容認したことはなく、今後も容認しない」との声明をわざわざ出し。CIAスキャンダルの火消しつとめた。ま
 た、問題の手引書は、CIAの現地ニカラグア関係者らが作成したものであり、大統領はもとより、国務、国防両長官、ケーシーCIA長官などの承認も何も得ていなかった、といわれている。
 とはいえ、出先のCIA工作員がこうした時代に逆行するような作戦を常に念頭においていたことは確かであり、それは言い換えればダーティー・ワークの伝統を持つ、CIA秘密作戦部(DDO)の最近のムードをある程度反映したものとみることができるだろう。
CIAは、手引書の存在が発覚する以前の同年2月、ニカラグアを経済封鎖するため、同国港湾に機雷を敷設する隠密作戦の指導まで行っている。
 一歩間違えば、第二のベトナムになりかねない。このような政府干渉をなぜアメリカはやろうとしているのだろうか。
 それはアメリカ人にしか分からない、裏庭のゴタゴタに対する一種独特の懸念からきている。フロリダ半島のすぐ目と鼻の先に、共産主義国キューバがあり、しかも、そのキューバはニカラグア・サンディニスタ政権を軍事、経済、政治面で積極支援している。このまま放置しておくと。ニカラグアと国境を接するホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドルにも共産革命が転移し、あげくの果てはグアテマラ、メキシコまでがドミノ式にソ連勢力圏の中に取り込まれることになる──といった不安感なのだ。
 最初はきれいごとを言っていたカーター民主党政権までがニカラグアをターゲットにしたCIAの秘密工作活動を許可したこと自体、アメリカには、こと中米に関するかぎり。超党派的な共産主義アレルギーが存在していることの証左である。
 もちろん、いくら共産主義浸透阻止という名目があっても、外国政府要人暗殺は、米国世論も支持しない。しかし、同じ中米の小国グレナダに米軍が侵攻し、社会主義政権を踏みつぶした強硬策に対し、米国民の圧倒的多数が熱烈拍手を送ったことでもわかるように、いざとなれば、少々汚い秘密工作作戦を、今後もCIAが行うことは十分に予想される。

 途上国では有効
 前述したように、CIAの秘密工作活動は、本来、冷戦時代の遺物である。今日、その遺物の部分が、依然としてCIA内部で主流をなしていることは、いかにも時代錯誤と言うべきである。
 そしてアメリカの専門家や議員の間では、CIAは情報収集のみに徹し、秘密工作活動の部門は、切り落とすべきだとする改革案が検討されている。
 たしかに、公開情報が氾濫し、写真偵察や通信傍受技術などが目覚ましい進歩を遂げた今日、秘密工作活動の果たす役割は小さくなる一方である。
 だが、アメリカは中米のように自国の死活的利益が関わっている地域においては、単なる情報収集だけでは満足できず、手口の汚い秘密工作活動をも今後もやめないだろう。
 やめない理由は、二つある。第一に、中米のような途上国では公開情報がほとんどなく。新聞も左右どちらかに偏ったものが多いため信用できず、また。通信傍受したところで、費用対効果の面から有益なものが少ないことが挙げられる。
 第二に、秘密工作活動には、必ず金銭がからむが、途上国では買収工作に対する役人や軍人の感覚はマヒしてしまっている場合が多いことなどから、作戦の効果が、具体的な形で、しかも短期間のうちに期待できるからである。
 そうした有利な環境に乗じて、ソ連KGBが暗躍しているのを横目に見ながら、CIAが何もしないでいるとは考えにくい。
 ニカラグアの「国家転覆の手引書」は、CIA内部に大きな衝撃をもたらし、こうした危険な手引書の作成を放置していた担当部局のスタッフ数人が、減俸処分を受けた。しかし、ニカラグアの今後の情勢展開次第では、CIAはかなりきわどい工作までいとわないだろう。

 

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アメリカのプロパガンダをより深く、より広く

2023年07月26日 | 国際・政治

 2023年7月19日の朝日新聞に、「ウクライナ戦争の先は」と題した、米ハーバード大学ウクライナ研究所長、セルヒー・プロヒー教授へのインタビュー記事が掲載されました。
 朝日新聞はその冒頭に、”…ウクライナとロシアは、これからどこに向かうのか。ウクライナ研究の第一人者として知られるセルヒー・プロヒーさんを、研究のため滞在中の北海道大学に訪ねた”と書いていました。
ウクライナ研究の第一人者として知られる”などと、異論を封じようとするかのような書き出しのこのインタビューは、以前取り上げた論説委員の国末憲人氏が担当したようですが、私は、アメリカのプロパガンダをより深く、より広く定着させるための、かなり意図的な記事のように感じました。
 なぜなら、ウクライナ研究の第一人者と持ち上げているにもかかわらず、彼の主張にはウクライナ戦争の背景や経緯、およびアメリカの具体的な関与がほとんど取り上げられておらず、逆に
侵攻の目的は、単にウウライナを支配するためです。NATOうんぬんはプーチン政権のプロパガンダに過ぎず、言ったプーチン氏自身さえ信じていません。ロシアにとってNATOよりずっと大きな脅威と映ったのは『オレンジ革命』でした
 などと、プーチン大統領の心の内がわかる神様であるかようなことを、平気で言っているからです。
 こうしたものの言い方は、客観性を大事にする学者や研究者のものの言い方ではないと思います。だから私は、セルヒー・プロヒーと言う人は、若い時にリクルートされたCIAのエージェントだろうと疑います。
 また、セルヒー・プロヒー教授は、ロシアの「特別軍事作戦」(ウクライナ侵攻)開始前の、プーチン大統領の演説内容なども無視し、ほとんど考慮していないからです。 彼は、”ロシアにとってNATOよりずっと大きな脅威と映ったのは『オレンジ革命』でした”などと根拠を示すことなく、決めつけていますが、プーチン大統領は演説で、NATOを主導するアメリカの現実的脅威や犯罪的越権行為について具体的に語っているのです。

 思い返せば、NHKは、2023年1月1日”混迷の世紀「世界は平和と秩序を取り戻せるか」”と題して、ウクライナ出身のジャーナリストでノーベル平和賞作家、スベトラーナ・アレクシェビッチ氏のインタビューを放映しました。
 さらに、朝日新聞も1月1日朝刊トップで、スベトラーナ・アレクシェビッチ氏の大きな写真とともに、根元晃氏のインタビュー内容を掲載しました。
 それらは、著名人をうまく利用して異論を封じ、停戦ではなく、ロシアを敗北させようとするアメリカの戦略を支える意味が込められていたのだ、と私は思います。
 そして、 日本の主要メディアは、著名人をうまく利用して異論を封じ、ロシアを敗北させようとするアメリカの戦略を支える取り組みを、その後もくり返しており、今回はセルヒー・プロヒー教授だったのだと思います。

 下記は、「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)から「(四)国務省の表外交とCIAの裏外交」を抜萃したものですが、アメリカの対外政策・外交政策の中心は、「国務省の表外交」ではなく、むしろ「CIAの裏外交」であることを踏まえないと、日本の主権は失われ、日本の利益は止め処なく流出していくことになると思います。
 先日、ウクライナのシュミハリ首相は、世界銀行から15億ドルの融資を受けると発表しました。驚くのは、債務負担を約束するのが、日本政府だということです。
 また、日米合同委員会で、米海兵隊のオスプレイが、沖縄をのぞく山岳地帯を、高度60メートルで飛ぶことに合意したとの報道もありました。
 でも「航空法」では、航空機は、離陸又は着陸を行う場合、また業務上の理由により国土交通大臣の許可を受けて飛行を行う場合を除き、 150m以上の高度で飛行することとされているのです。だから、航空機の安全を確保するため、航空法において150m以上の高度における無人航空機の飛行は原則禁止されているのです。それなのに、なぜ、オスプレイが、日本の航空法を守らず、高度60メートルで飛べるようにするのか。私は、日本が属国であることを宣言しているに等しいのではないかと思います。日本の現実の数々が、アメリカ国務省の表外交の外にあることを物語っているのではないかと思います。 
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                    (四)国務省の表外交とCIAの裏外交


元CIA長官が暗殺された!?
 特定の国に対するCIAの秘密工作活動を決定するのは米国大統領だが、それを大統領に推薦するのはNSC(国家安全保障会議)である。大統領の外交頭脳集団であるNSCは、通常の外交手段では対応が難しい、でも軍事行動に訴えることはできないと判断した場合、精鋭を使って秘密工作活動のオプションを大統領に進言する。そうすることによって、米国は相手国に知られることなく秘密裏に計画を実行し、外交上の目的を達成することができる。CIAは76年に制定された情報活動監視法に基づいて、秘密工作活動の内容を議会(情報活動監視委員会)に報告しなければならないことになっている。しかし、「秘密工作活動の内容を事前に公表しすぎると、敵国に作戦を見破られて失敗に終わる恐れがある」とか言って、核心部分についてはほとんど報告していないのが現状だ。
 ウィリアム・コルビー元CIA長官によると。CIAの秘密工作活動の成功例は失敗例をはるかに上回っているという。それでは、なぜこれらの成功例がマスコミに報じられないのか? 1950年代から70年代にかけてCIAの秘密工作活動が全盛をきわめていた頃に、サイゴン支局長(59年─62年)、アジア総局長(63年─67年)などを務めた。コルビー氏はこう説明する。
「もし成功例を公表すれば、もはや新たな成功を収めることはできなくなるだろう。敵国が成功例を分析してCIAのやり方を知り、成功を失敗に変えられるからだ。(ブライアン・フリーマントル著『CI』新潮社)。
 実際、コルビーの言うとうり、CIAの秘密工作活動の成功例は公表されているよりはるかに多いのかもしれない。しかし、問題は秘密工作活動の名のもとで、一体どれだけの不法行為が行われてきたかである。
 秘密工作活動はある面で麻薬常用者の心理と似ている。素早い効果を約束するが、その後で長くてつらい落ち込みや禁断症状に襲われる。つまり秘密工作活動は一時的に成功したように見えても、後で必ずと言っていいほど代償を払うことになるということだ。
 代償と言えば、96年4月、ワシントンのポトマック川でカヌーを漕いでいる最中に溺死したはずのコルビー氏に”暗殺説”が浮上している。元CIA長官ともなれば、殺したいほど憎んでいる人はたくさんいるということか。
 コルビーはサイゴン支局長やアジア総局長を務めていた頃、フェニックス作戦を実行した(ベトナム人共産主義者のリストを作成して現地の軍部に提供し、これによって約2万人が殺されたと推定される)。『ニューズウィーク』誌(96年5月13日)は「コルビー氏の死とフェニックス作戦に対する”復讐”の可能性」を指摘している。  

 

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覇権の衰退で、CIAが表に出てきたか?

2023年07月24日 | 国際・政治

 最近、しばしばアメリカ中央情報局(CIA)長官の発言が報道されます。先日は、CIAバーンズ長官イギリスMI6のムーア長官が、”プーチン政権に不満を抱くロシア人たちを情報工作員などとして取り込みながら、諜報活動に生かしたい”とする考えを示した、との報道がありました。
 私は、その報道にびっくりし、それはアメリカが相当追い込まれていることを示しているのではないかと疑わざるを得ませんでした。
 プーチン政権に不満抱くロシア人を工作員として利用し、秘密工作活動によって、ロシアを混乱させ、弱体化し、あわよくばプーチン政権の転覆を図ろうということでしょうが、 今までは、そうしたことは、水面下で秘かに行われてきたと思います。
 CIAは、表向きには、世界中からアメリカの安全保障に関わる情報を収集し、分析することを任務としているということですが、現実には、違法な諜報活動や秘密工作活動も行ってきたと思います。だから、膨大な予算が割り当てられているのに、その用途など詳細情報は明らかにされていなかったり、その組織の詳細もはっきりとはわからないのだと思います。CIAの局員には諜報員だけでなく、公にできない秘密作戦非合法作戦等に従事する局員も少なくないと言われていますが、その実態はわかりません。 
 私は、CIAが自らの手の内を見せるかのように、プーチン政権に不満を抱くロシア人たちを情報工作員などとして取り込みたいという姿勢を公にすることは、アメリカが相当追い込まれていることを示しているように思うのです。言い換えれば、CIAが、なりふり構わず動くことを抑制できない状況になっているのではないか、と想像するのです。
 また、バーンズ長官もムーア長官も、いずれも、ウクライナ軍が続けている反転攻勢について「楽観している」と述べ、ロシア軍は、政権や軍内部の混乱が弱点となり今後、戦況はウクライナ側に好転する可能性があるなどと語ったと言います。でも、国際法違反が問われるクラスター爆弾の供与に踏み切らざるをえなかった現実は、決して「楽観」できるような状況ではないことを示しているように思います。なぜ、長く裏方であったCIA長官が、誤認が疑われるような戦況に関する発言をするのか、と思うのです。

 今、戦争に反対するために大事なことは、CIAが世界中で他国の内政に干渉し、他国の政権転覆にも深く関わってきた過去の事実の数々を振り返ることだと思います。
 下記は、「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)から「第三章 これがCIA”裏外交”の実態だ」の一部を抜萃したものですが、その中に、元CIA諜報員として南米で秘密工作活動に関わってきたバーン・ライオン氏の聞き捨てにしてはならない指摘があります。

宣戦布告も行われずに突然、外国の要人が暗殺されたり、建物や橋が爆破されたリ、一般市民が殺されたりする。ここでは米国が唱えている民主主義、人権、憲法などは全く存在しない。米国はいつも他の国に対して、何が正しく何が正しくないのか、”何をなすべきで何をなすべきでないのか”を告げているが、これは全くの偽善であり、ダブルスタンダードの民主主義です。言うまでもなく米国にそんな権利や資格はありません。米国はいつも民主的な側面と偽善的な側面の”二つの顔”をもっているのです

 また、元CIA諜報員のラルフ・マクギヒー氏は、

米国が支援する外国の政権は、いつも軍事独裁政権か軍隊を前面に掲げた政権、あるいは超保守主義のいずれかである

 と指摘しています。いずれも、重大な指摘だと思います。そして、CIAの歴史は、それが疑いようのない事実であることを示していると思います。

 だから、私は、CIAが何をやってきたのか、また、CIA諜報員の秘密工作活動がどんなものなのかを知らなければ、国際政治の現実はわからないし、ウクライナ戦争の現実も理解できないと思います。
 西側諸国の主要メディアは、ロシアの一方的侵略でウクライナ戦争が始まったとくり返していますが、ヤヌコビッチ政権の転覆に、CIAが深く深く関わっていたことは、さまざまな事実が示しています。バーン・ライオン氏ラルフ・マクギヒー氏の指摘したことは、現在進行形だと思います。
 
 イラン政府報道官・ジャフロミー氏の、”アメリカ は善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている”という言葉が忘れられません。 

 「停戦」の話が進まないのは、ロシアを孤立化させ弱体化させなければ、覇権が失われるため、アメリカがウクライナ戦争を画策したからではありませんか?
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                 第三章 これがCIA”裏外交”の実態だ

             (三)「CIAの秘密工作は宣戦布告なしの奇襲攻撃だ!」

 ”民主”と”偽善”── 米国の二つの顔
 CIAの秘密工作活動は米国政府の活動の中でもきわめて特殊であり、CIAだけに与えられた”特権”ともいうべきものだ。CIAが秘密工作を行うには米国大統領の許可を得なければならないが、誰も知らない秘密情報を握っているという強みからか、CIAは大統領を説得するのがうまい。ここに”秘密”という魔力の本当の怖さがあるのだ。
 CIAが設立された当初は、秘密工作活動を実行するにあたって、はっきりした取り決めがなかったという。CIA設立規約書には、「CIAは米国の国家安全保障に影響を与えると思われる情報の収集・分析、さらに他の諜報活動も行う役割と義務がある」(『CIA入試問題集』より)と書かれているが、もう一つはっきりしない。そこで当時のCAI幹部と政府高官との間で、この規定(条文)をどう解釈したらいいかについての話し合いが行われた。
 初代CIA長官のロスコー・ヒレンコエター氏は、トルーマン大統領の補佐官に「他の諜報活動の役割というのは秘密工作活動を含むのか?」と聞かれた。そこでヒレンコエター氏はCIAの主任顧問弁護士のローレンス・ヒューストン氏に尋ねると、彼の最初の答えは「ノー」だった。しかし、ヒューストン弁護士はこの件をもう一度慎重に検討した結果、「CIAが合法的に秘密工作活動を行うことができるのは、国家の最高指導者である米国大統領がその命令を出し、さらに議会がその秘密工作活動に必要な予算の承認をした場合だけである」との回答をした(『同』より)。こうしてCIAは秘密工作活動を行う”特権”を得たのである。
 秘密工作活動では、積極的かつ意図的に相手国の政治状況を変えたり(外国の政権転覆や要人暗殺などを含む)、相手国の政治不安や混乱を拡張して見せたりする。CIAが過去に行った秘密工作活動の具体例は前項で述べたとおりだ。
 CIAが外国の政治家、新聞社、出版社、学生運動家、労働組合のリーダーなどを買収し、その国の優秀な人材をCIAの操り人形に育て上げて政府や関係機関に送り込み、最終的にその国を乗っ取ってしまうという話はまるで映画か小説のようだ。
 元CIA諜報員として南米で数々の秘密工作活動に関わってきたバーン・ライオン氏は、「CIAの秘密工作活動は相手国に対する宣戦布告なしの奇襲攻撃のようなものだ」ときっぱり言う。
 ライオン氏は私とのインタビューで、CIAの秘密工作活動を厳しく批判した。
「宣戦布告も行われずに突然、外国の要人が暗殺されたり、建物や橋が爆破されたリ、一般市民が殺されたりする。ここでは米国が唱えている民主主義、人権、憲法などは全く存在しない。米国はいつも他の国に対して、何が正しく何が正しくないのか、”何をなすべきで何をなすべきでないのか”を告げているが、これは全くの偽善であり、ダブルスタンダードの民主主義です。言うまでもなく米国にそんな権利や資格はありません。米国はいつも民主的な側面と偽善的な側面の”二つの顔”をもっているのです」
 ライオン氏が大学を卒業してCIAに入ったのは1965年で、ベトナム戦争の真っ最中だった。徴兵制度がどんどん厳しくなり、彼も大学卒業後にベトナムの戦場に送られる可能性が出てきた。そこでどうしようか迷っているときに、大学のキャンパスでCIAのリクルーターから誘いを受けたという。
 ライオン氏は「CIAに入ればベトナム戦争に行かなくて済むし、アメリカのために役に立つこともできる」と考え、一石二鳥とばかりにCIAの誘いに乗った。
 難関とされるCIAの試験を難なくパスしたライオン氏は、それから12年間、CIA諜報員としてグアテマラ、エルサルバドル、キューバなど中南米での秘密工作活動に関わった。最初の数年間で、CIAの不法行為と米国政府の偽善をいやというほど見せつけられた。
「CIAは外国の人たちを苦しめるだけでなく、国内の米国人もずっと騙し続けてきたんです。それがわかって私はすぐにCIAを辞めようとしましたが、秘密計画がすでに進行してしまい、途中で辞められなくなってしまった。結婚に失敗してすぐに離婚しようとしても、いろいろな理由でできない場合があるでしょう。あんな感じでした」
 結局、ライオン氏は77年にCIAを去った。しかしCIAを辞めてから次の仕事を探すのに6年もかかってしまったという。
 ライオン氏は現在、アイオワ州の教会で難民やホームレスの救済活動を行っている。自分がかつて秘密工作活動を行っていた中南米諸国からの難民を救済することで、少しでも昔の償いをしようとしているのかもしれない。

”独裁政権打倒”という名目なら許されるか
 CIAの秘密工作活動は結果的に悲劇を招くケースが多いことは前にも述べた。チリのアジェンデ政権転覆にしても、同国は中南米では最も古い民主主義の歴史を持っており、CIAがあえて内政干渉する必要などなかったのではないか。ベトナムではCIAの秘密工作がきっかけで、あの悪夢のベトナム戦争へと発展させてしまったのである。
 その一方で、「もし独裁政権によって長く支配された国があり、その独裁政権を倒そうとする反対勢力にCIAが秘密工作という手段で支援する。このようなケースなら秘密工作も許されるのではないか」との主張がある。
 しかし、実際にCIAが支援するのはこれとかけ離れたケースが多い。元CIA諜報員のラルフ・マクギヒー氏は、「米国が支援する外国の政権は、いつも軍事独裁政権か軍隊を前面に掲げた政権、あるいは超保守主義のいずれかである」ときっぱり言う。
 たとえCIAの秘密工作活動が独裁政権を倒すための支援だとしても、米国に自国の民主主義を他国へ輸出したり(無理矢理押しつけたり)する権利など与えられていない。神に誓っても米国にそのような権利などないのだ。
 50年代初め、トルーマン政権下でCIA長官を務めたウォルター・スミス氏は、大統領補佐官に、
「秘密工作活動がCIAの本来の仕事である情報の収集・分析活動に障害を与えていることは明らかです。CIAが情報の収集・分析か秘密工作活動かのどちらを主体にしていくのか、いずれはっきりさせなければならないでしょう」
と述べたという。
 この後、アイゼンハワー政権下でCIA長官を務めたアレン・ダレス長官は、後者を選択することで前任者の質問に対する答えを出した。それから75年にCIAの秘密工作活動を調査するチャーチ委員会が設置されるまで、CIAは秘密工作活動をほとんどやりたい放題だった。

 膨大な秘密工作用予算
 それでは、CIAは予算の何割ぐらいを秘密工作活動に費やしているのだろうか。
    1.  ジェームス・ウルジー前CIA長官は「CIA予算の99パーセントは情報の収集や分析などにあてられ、残りを秘密工作活動に費やしている」と言ったが、私が独自に入手した情報では、CIAが秘密工作活動に費やす予算の割合は約三割から五割である。この差は一体どこからくるのか。
 米国の政府情報機関に詳しいジョン・パイク博士(全米科学者連盟)によると、CIAは冷戦後も年間数億ドルから十億ドルを秘密工作活動にに費やしているという。CIAの年間予算は約28億ドル(92年から96年までこの額でほぼ一定)だから、秘密工作活動に費やす額が数億ドルなら全体の約10パーセント、10億ドルなら約35パーセントということになり、どこをどうやっても1パーセントという数字は出てこない。

 『CAQ』誌(95年冬季号)によると、84年度から93年度までに費やされたCIAの秘密工作活動費は、
84年度=6億5900万ドル  
85年度=10億3100万ドル
86年度=8億8500万ドル
87年度=10億9000万ドル
88年度=11億2000万ドル
89年度=9億7000万ドル
90年度=10億3500万ドル
91年度=7億5500万ドル
92年度=7億1000万ドル
93年度=5億ドル

 と推定される。
 これを見ると、CIAは冷戦後も莫大な予算を秘密工作活動に費やしていることがわかる。ちなみに92年度の秘密工作活動費には、アフガニスタンへの2億ドル、アンゴラへの1000万ドルが含まれている。
 どうやら米国政府は、今後もCIAの秘密工作活動に頼った外交政策を続ける方針のようだ。94年にはハイチに対するCIAの秘密工作活動が明らかになったが、このようなケースはこれからもどんどん出てくるだろう。もしかしたら米国は、過去の秘密工作活動の失敗から何も学んでいないのかもしれない。
 CIAの秘密工作活動をどうするかについてはこの数年間、活発な議論が行われ、諜報部門と秘密工作部門をはっきり分ける案、秘密工作部門をCIAから切り離して独立させる案、秘密工作をCIAから国防総省の管轄に移す案などが出た。これらの提案は、95年2月に設置されたCIAの役割を見直す大統領特別委員会で1年余りかけて議論され、96年3月に最終的な結論が出された。これについては第七章で詳しく述べることにする。

 

 

 

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元CIA秘密工作員・フィリップ・エイジー氏の訴え

2023年07月20日 | 国際・政治

 下記は、「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)からの抜萃ですが、元CIA秘密工作員(フィリップ・エイジー氏)の見逃せない主張を取り上げています。

CIAは中南米に正義や民主主義ではなく、不正義を広めているにすぎない。中南米の大多数の国民は貧困にあえぎ、米国の操り人形になっているごく一握りの人たちを豊かにしている。かつての植民地時代と全く変わらないものだ

 元CIA秘密工作員(フィリップ・エイジー氏)が、CIAに留まることはできなかったこうした活動内容こそ、アメリカの対外政策外交政策の本質なのだと思います。だから、こういう主張にきちんと耳を傾け、アメリカ政府を糺さなければ、戦争はなくならないと思います。私は、ゼレンスキー大統領は、フィリップ・エイジー氏のいう、”米国の操り人形になっているごく一握りの人たち”を代表する人物だと思います。

 前回、「アジェンデ政権崩壊の真相」で、CIAがどのような手口でアジェンデ政権を追込み、顚覆したのかを取り上げましたが、社会主義政権として史上初めて自由選挙によって樹立されたと言われているサルバドール・アジェンデ政権を軍事クーデターで転覆し、人民連合系の多数の市民をサンティアゴ・スタジアムに集め、容赦なく虐殺させたのは、アメリカの支援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍です。
 ピノチェト将軍は、議会制民主主義を否定しつつ、長期間政権を維持しました。ウィキペディアによると、教育面では、大学が軍人の統制下に置かれ、思想統制のためマルクスら社会主義関連の書物や、パブロ・ネルーダ、フランツ・カフカ、マクシム・ゴーリキー、ジークムント・フロイトなどが焚書にかけられ、燃やされたということです。
 ピノチェト将軍は、1974年6月に大統領に就任しますが、問題は、アメリカ合衆国の政界や財界、また、チリ国内の一部保守層や軍部の支援を受けながら、その後1990年までの16年間に亘って軍事政権を率いて強権政治を行った「独裁者」であることです。
 アジェンデ政権の顚覆もピノチェト大統領の独裁的強権政治も、アメリカの支援がなければなかったことだと思います。上記の、フィリップ・エイジー氏の、「CIAは中南米に正義や民主主義ではなく、不正義を広めているにすぎない」という言葉通り、チリの人たちは長く独裁政治に苦しむことになったと思います。

 10年ほど前、アメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の元局員であるエドワード・スノーデンも、それまで陰謀論やフィクションとして語られてきたNSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を、命がけで告発しました。
 また、「スノーデン 監視大国日本を語る」エドワード・スノーデン、国谷裕子、ジョセフ・ケナタッチ、スティーブン・シャピロ、井桁大介、出口かおり、自由人権協会監修(集英社新書)には、スノーデンが、インタビューのなかで、次のようなことを語ったことを取り上げています。

 国谷裕子 ─ アメリカはマルウェアを作動させて日本のインフラを大混乱に陥れることができるというのは本当のことでしょうか。
 スノーデン ─ 答えはもちろんイエスです。

 さらに、2017年、日本関連の秘密文書が新たに暴露されたということですが、そこには大量監視システムXKEYSCORE(エックスキースコア)が、アメリカ政府から日本政府に譲渡されていることが記されていたといいます。
 もはや、日本にはプライバシーなど存在しないと言えるような重大な問題が、日本では黙殺されていると思います。
 バイデン大統領やアメリカの高官は ウクライナ戦争が民主主義を守る戦いだとくり返しているのですが、過去のアメリカの歴史や現実が、そんな戦争ではないことを物語っています。
 だから、フィリップ・エイジー氏エドワード・スノーデン氏、ラルフ・マクギヒー氏などの命がけの告発は、黙殺されてはならず、正面から取り上げられるべきだと思います。
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                     第三章 これがCIA”裏外交”の実態だ

                   (一)命がけでCIAの秘密を暴いた男たち

 元秘密工作員が衝撃の暴露
 すべてのCIA諜報員は辞めるとき、「自分の関わった秘密工作活動やCIAに関する一切の秘密を漏らさない」という秘密厳守誓約書に署名する。さらに辞めた後でCIAに関する本を出版する場合は、CIAの検閲を受けなければならない。このルールを破った者は逮捕されるか、場合によっては命を狙われることも覚悟しなければならないが、あえてその危険を冒した男たちがいる。
 まずは、50年代から60年代にかけてCIAの秘密諜報員として中南米のエクアドル、ウルグアイ、ドミニカア共和国などに潜入したフィリップ・エイジー氏である。彼は自らの体験をもとに、CIAの秘密工作活動を暴露した本”CIA DIARY:Inside the Company”(『CIA日記:ザ・カンパニーの内』)を75年に英国で出版した。
 秘密工作活動とは、積極的に秘密工作を講じて相手国の政治的状況を変えてしまったり(政府転覆や要人の暗殺計画などを含む)あるいは相手国の政治的不安や混乱を拡張して大げさに見せたりすることだ。CIAが外国で行った秘密工作活動の具体例は、たとえばキューバのピックス湾侵攻作戦やカストロ首相暗殺計画、ベトナムのフェニックス作戦、チリのアジェンデ政権転覆工作など枚挙にいとまがない。
 CIA諜報員が外国の政治家、新聞社、出版社、政府職員、学生運動家、労働組合などにアプローチして買収し、さらに現地の優秀な人材をCIAの操り人形にしてカリスマ性を持ったリーダーに仕立て上げ、政府や関係機関に送り込んで最終的にその国を乗っ取ってしまう。このスパイ小説のような話を672頁にわたって詳細に描いた『CIA日記』は、たちまちベストセラーとなり、米国民のCIAに対する関心を一挙に高めた。
 本の巻末には、著者が12年間のCIA生活のなかで会ったCIA諜報員の名が実名で発表されている。また、CIAと関係を持つさまざまな組織や団体の名前も出され、これを見ると”CIAの手先”は内外にあふれていることが一目瞭然だ。
 『CIA日記』の出版後、エイジー氏はニューヨークのワシントンスクウェア近くのコーヒーショップで雑誌記者のインタビューを受け、実に衝撃的なことを語っている。
「CIA諜報員は米国の巨大資本を守る秘密警察のようなものです。中南米諸国の政治情勢が反米的にならないように絶えず監視し、大手米国企業の株主たちがうまく金儲けできるような土壌を整える。ホスト国のリーダーが米国の巨大資本に協力するようにあらゆる手段を駆使します。そして、あくまで反米的な国に対しては秘密工作によって政府転覆を企てることもある。どのように仕掛けるのかって? その国の反政府勢力を密かに支援して暴動や反乱を仕掛けたり、方法はいくらでもありますよ」
 フロリダ州タンパの衣服卸問屋の長男として生まれたエイジー氏は、家業を次いでいればある程度豊かさと平和な生活は保障された。しかし彼は57年、ノートルダム大学で哲学の学士号を取得した後、CIAに応募した。当時は米国の民主主義を心から信じ、国のために何か役立つことをやりたいと真剣に思っていたのだ。
 難関とされるCIAの試験をパスしたエイジー氏は、全米から選ばれた他の若者たちといっしょにCIAに入った。CIA諜報員になるために二年間の予備訓練を受けた後、彼はジュニアオフィサー(下級局員)候補生に抜擢された。これは秘密諜報員としてのエリートコースである。
 ジュニアオフィサーの訓練を終えたエイジー氏は、最初の一年間だけラングレー本部でデスクワークをやり、二年目からはエクアドルの米国大使館に秘密諜報員として派遣された。その頃の彼は、まるで50年代の”古き良きアメリカの申し子”のように国を信じきっていた。ところがエクアドルからウルグアイ、さらにドミニカ共和国と滞在するうちに、しだいにからくりが見えてきた。つまり、CIAの秘密工作活動によって誰が本当に利益を受けているかがわかってきたのだ。
「CIAは中南米に正義や民主主義ではなく、不正義を広めているにすぎない。中南米の大多数の国民は貧困にあえぎ、米国の操り人形になっているごく一握りの人たちを豊かにしている。かつての植民地時代と全く変わらないものだ」と確信した彼は、もはやCIAに留まることはできなかった。

 執拗な尾行・監視の果てに
 69年、メキシコでの任務を最後に彼はCIAを去った。その後、数年間メキシコで行商をやって生計を立てながら、メキシコ大学でラテンアメリカ歴史学を学んだ。そして71年に本を書くことを決心し、「メキシコで執筆活動を続けるのは危険すぎる」と急遽ヨーロッパへ飛んだ。
 しかし、ヨーロッパでもCIAの追っ手から逃れることはできなかった。執筆活動を続けていたパリではCIA局員につねに監視・尾行され、若い女性の友人からプレゼントされたタイプライターには盗聴器が仕掛けられていた。パリのコーヒーショップで出会ったこの女性は、彼の執筆状況を調べるためにCIAから派遣されたスパイだったと思われる。
『CIA日記』の出版後、米国政府の締め付けが一段と強まり、エイジー氏は79年に米国のパスポートを剥奪されて国外追放となった。その後、フランスやイギリスなどすべてのNATO諸国からも追放されてしまうが、この裏には米国政府による秘密の圧力があったといわれている。
 自分の生まれた国やNATO諸国からも追放されたエイジー氏が今日まで生き延びることができたのは、世界中のどこへ逃げても彼の勇気を賞賛し、力になってくれる人たちがいたからである。米国政府からパスポートを剥奪された彼は、スペイン政府、グレナダ政府、ニカラグア政府にパスポートを発行してもらい、ヨーロッパや中南米を旅行した。
「本を書いた目的はCIAの秘密工作や破壊活動の犠牲になっている国々の人々と手を結ぶことにあった。CIAの仕掛けた戦争でニカラグアの人口のⅠパーセントもの人間が死んだんですよ」
 というエイジー氏は、米国政府からパスポートを剥奪されたことで結果的にニカラグアやグレナダの人々と手を結ぶことができたのだ。
 当時、エイジー氏は西側の人間で初めて政府諜報機関に真っ向から挑戦状を叩きつけた人物だった。彼の本は新しい世代の人たちにCIAの実態を伝え、多くの米国の外交政策関係者やインテリと呼ばれる人たちの目を覚ました。現在も米国に住むことを許されないエイジー氏は、ドイツに在住しながら米国の外交政策をテーマとした執筆・講演活動を続けている。
 CIA側は「彼(エイジー氏)は性格的欠陥とカネにからむ問題を抱えていたので、CIAの活動を続けるのが困難となり、辞任した」と説明するが、もう一つ説得力に欠ける。
 エイジー氏の勇気に影響を受けたのか、その後CIAの秘密工作を暴露する本を書く元CIA諜報員がどんどん出てきた。12年間のCIA生活をもとにCIAのアンゴラでの秘密工作の全貌を描いた"IN SEARCH OF ENEMIES:A CIA STORY”(『敵を捜して:CIA物語』)のジョン・ストックウェル氏、DEADLY DECEITS “(『致命的な嘘』)を書いたラルフ・マクギヒー氏などである。

 CIA対元CIA諜報員の闘い
 マクギヒー氏は14年間の海外勤務と11年間のラングレー本部勤めを含めて25年間CIAで働いた。50年代前半には日本に2年間滞在し、その後60年代半ばまでインドネシアやベトナムに滞在した。63年にインドネシアで起こったスカルノ政権転覆工作ではキープレイヤー(鍵を握る工作員)役を演じたというが、その詳細については私の取材に対しても何も語ろうとしなかった。
 しかしマクギヒー氏は77年にCIAを辞めて以来、独自の方法でCIA秘密工作活動に対する批判を続けている。まずは、インドネシアやベトナムなどアジア諸国でのCIAの秘密工作活動の内幕を描いた本『致命的な嘘』の執筆・出版だ。彼は秘密厳守誓約書に従って本の原稿をCIAの出版検閲委員会(PRB)に提出したが、出版するまでに2年間もPRBと原稿の削除部分をめぐって激しい議論を行わなければならなかった。
 本の重要部分をかなり削除されてしまい、内容に満足できなかったマクギヒー氏はCIAと闘う新たな方法を見いだした。CIAに関するあらゆる公開情報を集めたデータベース”CIABASE”は、CIAに関する500冊の本と350の公開情報源から収集したCIAに関する情報が、150のトピックに分類されて入っている。利用者はテーマに応じたキーワードを入れれば、要求した情報を引き出すことができる。
 マクギヒー氏がCIABASEをつくった最初の目的は、元CIA諜報員など政府情報機関で働いた経験を持つ人たちが、政府から”秘密を漏らした”と不当な容疑をかけられた場合に、政府に対して反撃するだけの情報を提供することだった。政府から秘密厳守誓約書に違反して"CIAに関する秘密情報を漏らした”と告発された元諜報員は、CIABASEを見ればその情報が公開されたものであるかどうか、すぐにチェックできるというわけだ。公開された情報であれば当然、秘密厳守誓約書に違反したことにはならない。
 CIABASEは現在ではCIA諜報員ばかりでなく、全米の主要メディアや大学の図書館などで使われ、CIA情報源として重要な役割を果たしている。
 マクギヒー氏はこうしてCIAについての専門家として知られるようになり、連邦議会でのCIAの秘密工作活動に関する公聴会などで証言したり、テレビやラジオにも出演して厳しいCIA批判を展開している。
 CIAは50年代から60年代にかけて、エイジー氏など理想主義に燃えた若者をたくさんリクルートした。彼らは「米国の民主主義を守りたい」「国家のために役立つことをしたい」という理想に燃えているだけに、CIAのとっては非常に利用しやすかった。しかし、CIAは一つの重要なことを見落としていた。それは、彼らが理想主義者であったゆえに、”CIAの正体”を知ったときに見て見ぬふりをすることができなかったとうことだ。彼らはCIAを辞めて、CIAの秘密工作活動を強烈に批判する立場に回ったのである。

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ウクライナ戦争の真相を見極め、停戦を!

2023年07月17日 | 国際・政治

 下記は、「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)から抜萃しましたが、アメリカが他国でやってきたことの一端や、アメリカのプロパガンダがどんなものであるかを知ることができると思います。チリのアジェンデ政権の転覆やインドネシアにおける虐殺事件に関わるアメリカの犯罪も、ベトナム戦争やイラク戦争の犯罪と同じように、覇権大国アメリカの影響力行使によって、事実上黙殺されているのですが、見逃してはならないことだと思います。
 同書のなかに、The CIA: A Forgotten History(『CIA:忘れられた歴史』ウイリアム・ブラム著)からの引用がくり返し出てきますが、 そのウィリアム・ブルムが、生涯の使命を「終焉には至らないまでも、少なくともアメリカ帝国を減速させる事。少なくとも獣にダメージを与える事。それこそ世界中の災難の原因に他ならない」と語ったということが、強く心に残りました。
 アメリカは、他国の内政に干渉するばかりでなく、おそろしい虐殺事件にもかかわるのです。「世界中の災難の原因」なのです。

 私は、そういうことを踏まえて、ウクライナ戦争を見てほしいと思っているのです。

 

 「嘘も百回言えば真実となる」と言ったのは、ナチス・ドイツで国民啓蒙や宣伝を担当したゲッベルスであるといいますが、私は、朝日新聞の、”NATOと連携 地域の安定につなげよ”と題する下記のような書き出しの社説を読んで、その言葉を思い出しました。

NATOと連携 地域の安定につなげよ
力による一方的な現状変更は、世界のどこであれ、認められない。ウクライナ侵略をやめないロシアと、強引な海洋進出や台湾への威嚇を続ける中国が結びつきを強めるなか、日本と欧州が安全保障分野でも連携を図る重要性は増している。

 このような考え方は、自らの覇権や利益を維持するために、中・露の影響力拡大を阻止しようとするアメリカの戦略に端を発するもので、現在の日本の立場から出てくるものではないと思います。
 北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)は、軍事同盟です。そんな組織とアジアにある島国の日本が連携して、平和がつくれるわけはないと思います。逆にアメリカを中心とするNATO諸国の戦争に加担しようとする考え方だと思います。

 第二次世界大戦の終戦間際、日本に二発の原子爆弾を投下し、アメリカは、世界にその力を見せつけました。そして、ソ連崩壊後、アメリカは、並ぶもの無き覇権大国として、世界に君臨してきたといえるように思います。でも、そのアメリカの覇権が危うくなっていることは、今や誰も否定できない事実だと思います。世界中でアメリカ離れが進んでいますし、世界の外貨準備高に占めるドルの比率が徐々に低下し、ドルの影響力低下に歯止めがかからない状態になっていると思います。
 大事なことは、アメリカがそういう自国の覇権の衰退に、どのように対処しようとしているのかを見きわめることだと思います。そうしないと、ウクライナ戦争にかかわるアメリカのプロパガンダは理解できないだろうということです。
 
 オバマ大統領が、ノルドストリーム2の計画について懸念を表明したのは、2015年です。ドイツがロシアからのエネルギー供給に依存することを懸念したのです。その際、オバマ大統領は、この計画がウクライナに対するロシアの影響力を高めることになるとも語ったといいます。
 また、トランプ大統領は、ロシア産ガスをバルト海経由で欧州に輸送するパイプライン「ノルドストリーム2」プロジェクトを阻止するため、制裁措置を検討し、ドイツに対しエネルギーでロシアに依存しないよう警告しています。そして、 2019年12月には、トランプ大統領が署名した法案により、同プロジェクトの敷設事業に参加する企業に制裁が科せられたのです。
 アメリカによる経済制裁は、力の行使であり、一種の戦争行為だと思います。ノルドストリーム2の計画が違法だということであれば、経済制裁ではなく、法的に争うべきだったと思います。それが民主主義だと思います。
 その後、バイデン大統領は、ロシアがウクライナに侵攻したら、ノルドストリーム2を終わらせると語り、パイプラインは結局爆破されました。アメリカの目論み通り進んだということだと思います。

 でも、上記の社説は、決してそういうウクライナ戦争の背景や、戦争に至る経緯、ロシアの受け止め方などを語ることなく、「ウクライナ侵略をやめないロシア」とか、「力による一方的な現状変更」とかという、もっともらしい言葉で、アメリカのプロパガンダをくり返していると思います。
 アメリカがロシアや中国の弱体化、孤立化を意図して動いているのに、そこは見せないようにしているのだと思います。

 先日、世界的な言語学者、チョムスキーが、英誌の取材に対し、米国の対ロシア・ウクライナ政策を批判して、「ロシアはウクライナでイラク戦争時の米国より人道的に戦っている」と語ったことが物議を醸したようです。(https://news.yahoo.co.jp/articles/53488cbd950d8b7f9c3dd84a164e2028da8b0d5c/comments?page=2)
 例えば、次のような意見がありました。

アメリカのイラク侵攻を肯定する気はないが、領土的野心がベースにある今回の話とは、まったく違い、今回はもっと悪質だと思う。比較して、ごまかすのは論外で話にならない。こういうのは、最初から、やってはいけないことで、ウクライナは汚職があるから攻めていいとか擁護するのはおかしいというのも、絶対間違いだと思う。ウクライナのことはウクライナの領土内の人間が決めることで、よその国の全く関与する資格のない大統領が決めることではない。そんなこと許したら、中露より、弱い国が世界のほとんどなのに、みんなやりたい放題やられてしまう。あと、先進国ルールが、腹立たしいという人もいるが、好き放題略奪されるより、ましだと思う。
 
 上記の朝日新聞の社説のような記事しか読んでいなければ、こういう考え方になるのも不思議ではないと思います。
 また、下記のような指摘も目にしました。

日本人の多くが、日本の「ヒロシマ」「ナガサキ」「東京大空襲」「大阪大空襲」を忘れてウクライナを応援しているわけではない。それとこれを比較するものではりません。
今般のロシアの侵略行為を認めれば、現在の国際秩序が崩壊して「やったもの勝ち」の「強者の論理」に支配されることが恐ろしいから、ロシアを勝たせるわけには行かないと反応しているのです。
この侵略戦争の帰趨が、日本の平和にも大きな影響を与えることを危惧しているのです。
現実のウクライナとロシアの戦い方は、事実に基づいて比較すべきかもしれなせんがね。「人道」のかけらもないのは、あきらかにロシアでしょう。

 全部を読んだわけではありませんが、大部分がこうした内容で、アメリカのプロパガンダを信じ、「一方的にロシアが悪い」と決めつけるものでした。

 現在、アメリカが、自らの覇権と利益を維持するために、ロシアや中国の弱体化、孤立化を意図して動いていることを見なければ、台湾有事も避けることは難しいと思います。アメリカは、くり返し、台湾に武器を売却してきましたが、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は、中国による台湾侵攻の抑止を念頭に、「台湾の防衛能力強化のため、米国や他国は支援の速度を今後数年で加速する必要がある」と語ったといいます。中国を挑発していることは明らかだと思います。アメリカが挑発しなければ、中国が台湾に侵攻する必要など、少しもないと思います。

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                 第三章 これがCIA”裏外交”の実態だ

(二)インドネシア、チリで何が起ったか?
 CIA諜報員が海外での秘密工作活動を行うときに使う手法(手口)は実に巧妙だ。CIAの世界中の秘密工作活動の実態を暴いた”THE CIA:A FORGOTTON HISTORY”(『CIA:忘れられた歴史』ウイリアム・ブラム著)によると、その手法は五つに分けられるという。
(a)特定の団体への侵入・操作:労働組合、政府団体、女性運動団体、職業ブロック組織、青年会、文化団体などにスパイを送り込んで政治的宣伝工作を行う。あるいは全く新しい団体をつくり、それを地域レベル、国家レベルに発展させていき、既存の団体の勢力を弱めたり、釣り合いをもたせたりする。
(b)ニュース操作:現地の主要メディアの編集者、コラムニスト、記者などに接近して”関係”を打ち立てる。さらに出版社、雑誌社、ラジオ局、ニュース通信社などに財政支援する(あるいはCIAが直接経営に関わるケースもある)。これらの”アセット”をすべて含めると、CIAは世界でも有数のメディア企業になるという。
(c)経済的手段:CIAが海外への経済支援を行う政府機関や国際的融資を行う民間の金融機関などと協力して、標的とする国への財政支援や融資を中止させたりする。このように経済的なプレシャーをかけることで、目的を達成していく。
(d)不法手段:盗聴、郵便物偽造、偽の証拠を植え付ける、ディスインフォメーション、脅迫など。
(eCIA学校:米国内や中南米諸国にあるCIAの訓練所に、第三世界などから軍人や警察官を招き、暴動や破壊活動の鎮圧方法、尋問のテクニック(拷問を含めた)、労働組合への対処方法などの指導訓練を行う。

 アジェンデ政権崩壊の真相
 CIAは、これらの手法を個々の秘密工作活動のケースに応じて巧妙に使い分ける。チリのサルバドル・アジェンデ政権の転覆計画には、主に(a)、(b)、(d)の手法が使われたと思われる。
 1958年のチリ大統領選挙で、サルバドル・アジェンデ候補はわずか3パーセントの票しか集められなかった。ところがアジェンデ氏を”マルクス主義の専心者”として恐れた米国側の見方は違った。米国側は「3パーセントも集めたのか。次の選挙(64年)では民主主義が脅かされるこになるだろう」と考えたのだ。
 60年代初め、米国から約100人の秘密工作員がチリに派遣されたというが、そのうちの一人は「当時のチリに対する米国の介入は実に乱暴でひどいものだった」と語っている(『CIA:忘れられた歴史』)
 チャーチ委員会(上院情報活動調査特別委員会)の報告書は、CIAの秘密工作員はチリの64年の選挙に備えて、カギとなる政党との関係づくり、さらにカギを握る選挙民の投票に影響を与えるための、政治的宣伝工作や組織づくりなどを行ったことを明らかにしている。具体的には、農夫、貧民街の住民、労働組合組織労働者、学生、メディア関係者などへの反共主義思想の啓蒙活動と組織づくりの支援だ。
 CIAは、チリの政党のなかでアジェンデ候補を倒せるのはキリスト教民主党(CDP)以外にないと判断し、CDPのエドゥアルド・フレイ候補を支援することを決定した。
 前出の報告書によると、CIAはチリの政党(主にCDP)を支援するために莫大なお金を費やして、強力な反共主義のプロパガンダキャンペーンを展開した。CIAの支援を受けた組織団体がサンチャゴ(チリの首都)のラジオ局などを使って、一日に何十回も反共主義のメッセージを流したり、新聞社に反共主義をテーマにしたプレスリリースを配布。この結果、反共主義を掲げる政党を支持する記事や論説が目立つようになったという。
 さらに大量の反共主義メッセージ入りのフィルム、パンフレット、ポスター、チラシ、ダイレクトメール、壁画、紙テープ、法王の手紙(教書)などがチリの国民に配布された。
 CIA国内活動調査委員会(ネルソン・ロックフェラー副大統領率いる)の調査レポートによると、CIAは64年に300万ドルを、70年に800万ドルを使ってアジェンデ政権誕生を阻止しようとしたという。チリのマスコミや国民は、この反共主義プロパガンダの影響をもろに受けたのだ。
 この政治的宣伝工作が功を奏したか、64年の選挙ではアジェンデ候補は惨敗した。しかし、70年9月の選挙ではアジェンデ候補が圧勝し、米国が最も恐れていたアジェンデ政権が遂に誕生した。チリの国民は自らの判断で、CIAの後押しを受けたCDPの候補ではなく、アジェンデ氏を自分たちのリーダーに選んだのだ。
 アジェンデ政権誕生の3日後(70年9月7日)に発表された米国側のレポートは、「アジェンデの勝利は米国の大きな心理的後退を、同時にマルクス主義者の大きな心理的勝利を意味する」と結論づけた。(『CIA:忘れられた歴史』より)。アジェンデ政権の誕生を『チリの国民の勝利ではなく、共産主義の勝利と決めつけた米国は、「共産主義が他の中南米諸国に広まったら大変なことになる」と恐れ、アジェンデ政権転覆計画に本腰を入れ始めた。
 そして3年後の73年9月、チリで軍部によるクーデターが起こり、アジェンデ政権は崩壊し、アジェンデ大統領は何者かに暗殺された。
「CIA国内活動調査委員会は、アメリカもCIAもアジェンデが死を招いた事件には関わっていないと判断した。アジェンデの死因は銃弾による重傷で、それも近くにいた目撃者の証言によれば、軍事クーデターの真っ最中に手にしていた銃器が爆発したためだったという」(ブラアイアン・フィリーマントル著『CIA』新潮社刊) 
 結局、CIAがアジェンデ大統領の死に関与していたという証拠は出なかったが、軍事クーデターを指揮した将校たちがCIAの影響下にあったことはほぼ確実視されている。
 チャーチ委員会はCIAのアジェンデ政権転覆計画の調査を終えるにあたって、次のような結論を出した。
「CIAが他国の内政に干渉したことは、我々が支援しようとした政党をかえって弱め、逆に国内対立を生みだす結果になった。それは時間の経過とともに、そして少なくとも現時点では、チリの立憲政治体制を弱体化させたばかりでなく、息の根を止め得ることになった」(『同』)

 命を狙われた要人たち
 75年から76年にかけて行われたチャーチ委員会のCIA秘密工作活動に関する調査では、アジェンデ政権転覆計画の他にキューバのカストロ首相暗殺未遂事件なども明らかにされ、米国のマスコミや国民に大きな衝撃を与えた。CIAはマフィアを使ってカストロ首相の暗殺を計画したり、反カストロ派のキューバ要員を使ってピックス湾侵攻作戦を計画した。ケネディ大統領が最後の段階で「待った」をかけたために、ピックス湾侵攻作戦はなんとか中止されたが、…。しかし、これでケネディ大統領は米国内の反カストロ派キューバ人の恨みを買うことになり、これが大統領暗殺に大きく影響したとの指摘もある。
 CIAが外国の要人暗殺に直接あるいは間接的に関わることは「大統領命令12333号」で厳しく禁止されている。にもかかわらず、CIAはカストロ首相の暗殺を試みた。しかも、CIAから命を狙われた外国の要人はカストロ首相だけではない。インドネシアのスカルノ大統領も、「共産主義に対して理解を示しすぎた、寛大すぎた」という理由でCIAから命を狙われた。

 ”インドネシアの大虐殺”とCIA
 1956年5月、インドネシアのスカルノ大統領は訪米した際に、米国議会で、「インドネシアのような発展途上国が抱える問題とニーズに対する理解を深めていただきたい」と米国に訴えた。感動的なスピーチだったが、これを聞いていたCIA幹部の一人は、「スカルノは要注意人物だな」とつぶやいたという。彼らにとっては、インドネシアの独立運動(オランダからの)を指揮したというスカルノ政権の前歴も気に入らなかったかもしれない。
 米国議会での演説の約1年前、スカルノ大統領は、米国主導でできたアジア地域での共産主義(国)を封じ込めるための政治的・軍事的同盟、SEATO(東南アジア条約機構)に対抗するためにバンドン会議を組織した。
 スカルノ氏はこの会議で、発展途上国の信条として共産主義でも反共主義でもない”中立主義政策”を貫くことを宣言した。バンドン会議の開催も中立主義政策も、CIAにとっては”我慢の限界”を超えていたようだ。それはスカルノ政権転覆計画が現実味を帯びてきた瞬間でもあった。
「当時、東アジアに駐在していCIA諜報員のなかには、1955年のバンドン会議を混乱させるために”東アジアのリーダーを暗殺したらどうか”と提案する者もいたが、ラングレーのCIA本部のほうで反対したという」(『CIA:忘れられた歴史』より)
 当時、スカルノ大統領はソ連や中国を訪問したり、東欧諸国から武器を購入したりしたが、これら一連の行動が米国の不安をさらに大きくしたようだ。しかし、考えてみれば米国だってソ連や中国を訪問している。それに武器購入に関しては、インドネシアは米国に断られたので仕方なく東欧から購入したのだという。米国は冷静に考えればスカルノ大統領に不安を感じる必要はなかったのだが…。
『CIA:忘れられた歴史』の著者、ウイリアム・ブラム氏は本のなかでこう述べている。
「どこをどう解釈したら、”スカルノは共産主義者だ”という言葉がでてくるのかわからないが、彼は断じて共産主義者ではない。スカルノはインドネシアのナショナリスト(国家主義者)であり、独自の考えを貫くスカルノ主義者だ。オランダから独立した直後の1948年にはインドネシア共産党(PKI)に政治的な大打撃を与えている。結局、ワシントン(米国政府)の政策決定者たちはスカルノ政権のナショナリズムと親共産主義、中立主義と危険主義の区別ができなかった。あるいは彼らは意図的にそうしなかったのかもしれない」
 同書によると、1955年のインドネシア総選挙でCIAはイスラム教徒組織をバックにした中道派連合のマスミ党に100万ドルの選挙資金を提供したいう。スカルノの国民党とインドネシア共産党(PKI)の勢力を後退させることが本来の目的だったことは言うまでもない。そして57年、CIAはより直接的な手段に出た。「インドネシア共産党の影響を強く受けすぎている」として、スカルノ大統領を嫌っている軍部の将校にアプローチしたのである。
 58年初め、米国はスカルノ政権に反対する軍部の反抗集団に秘密に武器を提供した。当時、ジョン・ダレス国務長官は政策会議の席で「スカルノ大統領は共産主義の影響を強く受け、危険で信用できない人物だ」(94年10月29日付『ロスアンゼルス・タイムズ』紙)と語っている。CIAと国務省は秘密工作活動をめぐって対立するケースが少なくないが、スカルノ政権の対応に関しては珍しく両者の考えがピッタリ一致したようだ。
 インドネシアの軍部の反抗集団は1959年に反乱を起したが失敗に終わり、米国政府は政策変更を迫られた。アイゼンハワー政権は軍部の反抗集団ではなく、インドネシアの軍部そのものを支援することにした。(軍部がスカルノ政権とインドネシア共産党への対抗勢力になることを期待して)。米国側の政策転換は見事に功を奏した。
 1965年10月、奇妙なクーデター未遂事件が起こった。事件を引き起こしたという共産主義集団は軍部の将校6人を殺しただけで軍部に制圧され、クーデターは失敗に終わった。しかし、この事件をきっかけにインドネシア軍部のスハルト総司令官が総指揮を執り、スカルノ大統領を徐々に権力の座から引きずり下ろした(スハルト氏は今日もまだインドネシアの最高指導者の地位に留まっている)
 謎の多いクーデター未遂事件の直後、軍部はスハルト氏の命令を受けて共産主義者として知られるインドネシア人約25万人を虐殺した。この大虐殺にCIAも関わっていたのではないかとの疑いが出た。
 90年5月19日付の『スパルタンバーグ・ヘラルド・ジャーナル』紙(『SHJ』紙)は、「1965年に起こったインドネシアのクーデター事件で、CIAが約5000人のインドネシア人共産主義者のリストをインドネシア政府に渡していた」と報じた。ちなみに『SHJ』紙は『ニューヨーク・タイムズ』紙の関連会社である。
『SHJ』紙のなかで、当時の在ジャカルタ米国大使館の政治担当書記官は、「大使館とCIAの職員が協力して、2年間で約5000人のインドネシア共産党のメンバーとシンパのリストを作成し、それを反共主義者として知られるインドネシア外務大臣に手渡した。共産主義者の大虐殺が始まったのはその直後です」と語っている。
 CIA側は『ワシントン・ポスト』紙(90年6月20日付)や『ニューヨーク・タイムズ』紙(90年7月12日付)の取材に対して、「インドネシアの大虐殺への関与」をきっぱり否定している。
 しかし、CIAがスカルノ大統領の追放を望んでいたことは否定できない。75年にチャーチ委員会(上院情報活動調査特別委員会)が発表した。外国要人の暗殺計画がに関するレポートでは、「1961年にCIAはスカルノ大統領の暗殺を計画した」と報告されている。

 CIA秘密文書の公開
 91年、米議会はCIAなど情報機関に米国の外交政策決定に関するすべての情報を公開するにあたって、国務省の歴史家に協力することを義務づける法案を通過させた。この法律制定を受けて、国務省は94年10月、CIAのインドネシアでの反共産主義キャンペーンを中心とした秘密工作活動に関する報告書を発表した。これによって、アイゼンハワー政権の政策決定者がインドネシアに対する秘密工作活動を計画し、実行したことが明らかになった。 
 600ページにわたる分厚い報告書の序文を書いたウイリアム・スラニー氏は、国務省職員であると同時に歴史家でもある。スラニー氏は、「この報告書はCIAによって行われた一連の秘密工作活動の完全な情報公開に向けて一石を投じるものとなろう」と述べている。
 一方、ウイリアム・コルピー元CIA長官はこう語っている。
「CIAが秘密に支援していたインドネシアの反抗勢力が1958年に起した反乱が失敗に終わってからは、我々はインドネシアからバックオフした(手を引いた)。60年代初めに我々はインドネシアに諜報員を派遣していたが、それは現地で何が起こっているかを掴む情報収集のためで、軍部との協力関係を打ち立てるためではありません。我々はインドネシアとソ連との関係を突き止めようとしていたんです」(94年10月29日付『ロスアンゼルス・タイムズ』紙)
 相変わらずCIA側の歯切れは悪いが、少なくともコルピー元長官は、CIAがインドネシアのスカルノ政権の反抗勢力を支援していたことは認めた。
 インドネシアのケースは、冷戦時代のCIAの秘密工作活動のやり方を象徴している。 米国政府はスカルノ政権と表面的には正常な外交関係を維持する一方、裏でCIAを使って秘密の政権転覆工作を行っていたのである。

 

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アメリカが主導する西側諸国のプロパガンダ

2023年07月12日 | 国際・政治

 ウクライナ戦争が始まって以降の日本では、ロシア側の主張や情報が遠ざけられて、ほとんど知ることができなくなっています。
 そして日本では、ロシア国民は、プーチン大統領の意向に沿うプロパガンダにさらされており、戦争に関する客観的な事実が知らされていないと受け止めている人が多いのではないかと思います。
 確かに、プーチン大統領が軍に関する「虚偽情報」を広めた者に禁錮刑を科す法案に署名したり、一部の海外メディアやSNSへのアクセスを遮断し、情報統制を強化したのは事実かも知れません。
 でも、それはロシア国民が、客観的事実に反するプロパガンダを信じ込まされ、逆に、西側諸国の国民が検閲のない報道によって、客観的事実を知らされているということではない、と私は思います。

 日々、ロシアを中心とする親露的な国からの情報を日本に流している人のツイートに対し、厳しい批判が続いているのですが、その中に
ブチャの虐殺やミサイルによる民間人への攻撃、数十万とも言われる子供の拉致、ダム破壊による大洪水等、このおばさんが批判したのを聞いた事が無い 本当はどうでもいいのだろう 都合よく人権などと言わないでもらいたい!
 などというのがありました。
 また、西側諸国にはいろいろな考えの人がおり、報道もさまざまなので、ロシアによるウクライナの都市爆撃や、民間人の虐殺、子どもたちの拉致報道がプロパガンダであり、嘘であるはずがないというような主張をしている人もいました。
 でも、アメリカの情報戦略は、きわめて巧みであり、長い歴史があることを見逃してはならないと思います。西側諸国を主導するアメリカのプロパガンダがどんなものであるかを知らなければ、真実は知りえない、と私は思っています。

 先日取り上げましたが、イラン政府報道官・バハードリー・ジャフロミー氏が、「アメリカ は善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている」と語り、「アメリカが見せるやり口のうち、最も得意とする強力なもののひとつに、虚言がある。この国は、嘘を真実に、真実を嘘に見せかけるのである」というようなことを言ったといいます。そして、「言動・行動の両方において善悪を逆さに見せることはアメリカのお家芸である」とし、「アメリカは、様々な時代において真実を実際とは間逆に見せて、直接・間接的に戦争の中心的存在となってきた」と述べたということです(https://parstoday.ir/ja/news/iran)。
 この イラン政府報道官の主張には、それなりの根拠があり、無視してはならないものがある、と私は思います。

 そこで今回は、イラン政府報道官の主張を裏付けるような、湾岸戦争の際の「ナイラ証言」を巡るアメリカの情報戦略に関する記述を「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)から抜萃しました。
 アメリカのプロパガンダが、どんなものであるかを知る手掛かりがつかめるのではないかと思います。

 Wikipedia(ウィキペディア)によると、当時、「ナイラ証言」は裏付けの取れたものと国際的に認識されていたといいます。でも、クウェート解放以後マスコミが同国内に入り取材が許された結果、虚偽の「証言」であった事が発覚したのです。
 「ナイラ証言」はアメリカ政府が目的としていた湾岸戦争の「火付け役」となり、女性や子どもの証言、特に、現地で現場を見た被害者は嘘をつかないとの人々の思い込みを巧みに利用して、反イラク世論を高めたのです。そして、アメリカが参戦し、敵対国イラクが壊滅する結果となりました。子どもを利用したプロパガンダとして大成功だったということです。
 アメリカが利用した虚偽の「証言」で、甚大な被害を蒙ったイラクの現実を 私たちは忘れてはならないと思います。
 そして、同じようなことがウクライナでくり返されているのではないかという疑いを持って、歴史に学び、事実を直視して、自ら情報を集めないと真実は知り得ないと思います。日本の主要メディアが、真実を報道していると信じることは、大本営発表の時代の過ちを繰り返すことにつながる、と私は思います。

 アメリカのプロパガンダは、重層的であり、複合的であり、総合的です。でも、注意深く事実を見つめ、情報を集めれば、真実に近づけると思います。ブチャの虐殺については、すでに取り上げましたが、私は、いくつかの客観的事実から、ロシア兵によるものではないと思っています。そして、ミサイルによる民間施設の爆撃も、数十万とも言われる子どもの拉致も、ダム破壊による大洪水も、西側の報道が真実であるという確定的な証拠はないと思っています。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                    第二章 アメリカ全土に張りめぐらされたCIA網
  
(二)PR会社とCIAの関係
 暴力よりPRが効く
 1930年代、米国の「PRの父」と呼ばれたエドワード・バーネイ氏は、「暴力ではなくPRテクニックを使って人々の考えを変えることができる」と米国企業の経営者たちを納得させた。同氏は当時、米国企業を深刻に悩ませていた社会主義運動や労働組合運動を鎮めるためには、暴漢を使って労働者を棍棒で殴るより、PRテクニックを使った方がはるかに有効であると主張し、それを見事に実践したのである。
 その後米国のPR業界は大きく成長し、現在では一国の政府よりも強い国際的影響力を持つPR会社がある。SWAT(Special Weapons And Tactics:特殊装備戦術部隊)のようなダメージコントロールチームを持ち、クライアントに何か問題が起こると、海外でもどこでも素早く飛んでいって見事な火消しを行う。米国の大手PR会社は莫大な報酬を支払うクライアントに対しては”芸術的”とも思えるPR活動を展開する。そんなPR会社をCIAが放っておくはずはないが、ここではそのPR会社とCIAの関係を明らかにする。
 95年2月、フランス政府からスパイ容疑で国外退去命令を受けた5人の米国人のうち4人は米大使館職員を装ったCIA諜報員で、1人はテキサス州に本支社を持つPR会社の幹部だった。このようにCIAの海外での秘密活動にPR会社が関わっているケースは珍しくない。
 CIAと米大手PR会社との協力関係については古くから言われていた。例えば「大手PR会社の海外事務所はCIA諜報員にとって絶好のカバーとなる」と元CIA局員は言う。
 CIAはPR会社のコネクション(海外事務所)を使って情報収集を行い、それをPR会社のニュースリリースとして作成し、米国メディアに配布することも可能だ。一方、PR会社もCIAとの関係をクライアントのために最大限に利用し、CIAとの”持ちつ持たれつ”の関係を維持している。

 露呈した湾岸戦争時のPRキャンペーン
 大手PR会社は米国の政府、情報機関、さらにマスコミなどの強力なコネクションを利用して、CIA顔負けの大胆なPR活動を展開する。象徴的なケースは湾岸戦争のPRキャンペーン(イラクとクウェートのイメージ作戦)だが、これを担当したのが米大手PR会社のA社だった。
 90年10月、ブッシュ政権(当時)はクウェートに侵攻したイラクに対する戦争準備態勢に入っていた。そんななかで在米クウェート大使の娘(当時15歳)が連邦議会の人権委員会で証言し、イラク軍がいかにクウェートの一般市民に極悪非道な残虐行為をやっているかを、目にいっぱい涙を浮かべながら訴えた。
「私はアル・アダン病院でボランティアをしていたんですが、そこで恐ろしい光景を目にしました。銃を手にした何人かのイラク兵士が病院に入って来て、保育室にいた赤ん坊から保育器を取り上げて冷たいフロアにそのまま放置し、赤ん坊を次々に殺したのです……」(『CAQ』誌93年春季号)
 しかし、後になって彼女の証言はA社による米国内の湾岸戦争フィーバーを喚起するためのPRキャンペーンの一環だったことがわかった。
実際、イラクを悪役に仕立て上げて米国人の反イラク感情に火をつけるのに、これ以上効果的な演出はなかった。
 A社は米国政府、クウェート政府、クウェートの市民団体『CFK』(クウェートを解放する市民連合)などと協力して、このキャンペーンを張った。 『CAQ』誌(93年春季号)によれば、CFKはイラクがクウェートに侵攻した日(91年8月2日)に結成され、その一週間後にA社にPRを依頼した。CFKは米国人とカナダ人から1万7860ドルの個人献金を、クウェート政府から1180万ドルの財政支援を受け、その大部分の1080万ドルをA社のPR活動に使ったという。A社のクライアントはいちおうCFKになっているが、実質的にはクウェート政府がCFKを通してA社にPRを依頼したという形だ。 

A社のキャンペーンは大きな効果を上げ、米国内の反イラク感情はどんどん高まり、同時にクウェートへの支援運動が盛り上がった。全米の20の大学キャンパスでクウェートを支援する学生ネットワークが組織され、また全米各地の教会ではクウェート市民に祈りを捧げる行事が行われた。A社は数万枚のクウェート解放のステッカーやTシャツを配布すると同時に、クウェート市民の美徳と社会・歴史を賞賛するプレスキット数千部をマスコミ関係者に配布した。
 A社はまた”イラク人に足蹴りにされるクウェート人の悲惨な生活”を描いたビデオ・ニュースリリースを制作し、三大テレビネットワークを含む映像メディアに配布した。A社はかつて大手テレビ局のニュース制作室で働いていた社員を何人か抱えており、テレビ局に強力なコネクションを持つと同時に、ニュース制作の質の面でもテレビ局にけっして引けをとらない。
 A社は外部の専門調査機関を使って湾岸戦争におけるブッシュ大統領とイラク政府高官(フセイン大統領を含めた)の発言をテレビで見た米国人の反応を詳しく調査し、その結果をPR活動に反映させた。
 米国人のクウェートに対するイメージはどんどんよくなった(実際はひどい人権侵害と女性蔑視の歴史を持つ国であると言われているが)。A社のキャンペーンの目的は「クウェートはイラクに占領されるまでは平和で暮らしやすいオアシスのような国で、それを奪ったのが極悪非道なイラクであるということを一般の米国人に植え付ける」ことだったが、それは同時にブッシュ政権の政治的な・外交的な思惑でもあった。こうしてみると、米国の外交において大手PR会社の果たす役割はいかに大きいかがよくわかる。

 ”反対分子”はこうして洗脳される
 大きなPRキャンペーンを張る時に障害となる活動家や団体にいかに対応するかは、PR会社にとって重要な問題だ。最も手っとり早い方法は買収だが、それがうまくいかない場合はどうするか。
 ある大手PR会社の戦略はこうだ。まず活動家を急進主義者、日和見主義者、理想主義者、現実主義者の四つのカテゴリーに分け、個々の活動家を中立化させる方法を考える。たとえば急進主義者なら孤立化させ、理想主義者なら現実主義者になるように教化し、日和見主義者や現実主義者は企業との共通点を見つけさせて仲間意識を持たせるようにする。
「急進主義者は『多国籍企業は本来悪である』というような考え方をしがちで、独自の社会的・政治的動機付けに基づいて既存の社会システムを変革しようとする。彼らは『政府は人々の利益よりも企業の利益を優先している』と固く信じ切っているので対応は最も難しい。次に難しいのは理想主義者だ。彼らは完全な世界を求めすぎるあまり、他のものすべてを『邪魔モノ』として扱う傾向がある。でも、企業や商品などに反対することによって他の人間を傷つけていることがわかると、自らの排他主義ゆえに悩み始め、結局立場を変えざるをえなくなる。だから、理想主義者を教育して現実主義者に変えるのはそれほど難しいことではない。でも教育の方法を誤ると頑固に理想主義を維持することになるので、あくまで慎重に行わなければならない。現実主義者というのはどんな相手にもつねに妥協の接点を見つけようとする傾向があり、対処はそれほど難しくない。また日和見主義者は権力を持ちたい、目立ちたいなどの願望が多く、要求を満たしてやれば妥協してくるケースが多い」(『CAQ』誌96年冬季号)
 PR会社は巧みなメディアキャンペーン、議会公聴会での効果的な演出、政治家への強力なロビー活動などで国民の世論形成や政府の政策づくりに影響を与える。同時に優れた調査能力、豊富な資金力、広範なネットワークを駆使してクライアントの政策決定に役立つ秘密(内部)情報を入手する。また独自の政治的コネクションを使って、クライアントにさまざまな政治的便宜を図る。このなかには政治的情報機関へのアクセスも含まれるが、大手PR会社は「重役が元CIA長官と長い間親しい関係にある」というように、CIAコネクションをしっかりキープしているのである。

 新聞記事の40パーセントはPR会社提供?
 このような方法に加えて、PR会社には新聞社やテレビ局に配布するプレスリリースという強力な武器がある。ある米国の大学の調査によると、「米国の新聞社が毎日発表する記事の約40パーセントは、PR会社が作成したプレスリリース、メモ、提案書などが主な情報源となっている」という。
 つまり、PR会社のニュースリリースを、追加取材もほとんど行わずに文章だけを少し変えてそのまま発表する記者が少なくないということだ。逆に言えば、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどのニュースのなかで、PR会社の影響を全く受けていないものを探すのは難しい。
 メディアの影響力について詳しいスーザン・トレント氏は
「優れたPR活動とは、PR会社があれこれ活動・演出していることを人々に悟られることなく、その出来事をまるでニュースのように人々に受け入れさせることです。そして人々はPR会社の意図した方向にゆっくり考え方を変えていくのです」と指摘する(『CAQ』誌96年冬季号)PR会社がクライアントにとって都合の悪い事実を巧妙に隠すことは、ある面で人々から正しい判断をする機会を奪っていることでもあるのだ。
 PR会社の人間はマスコミ関係者の心理構造や物の考え方を理解し、マスコミが興味を引きそうなプレスリリースの書き方や記者会見の演出方法をよく知っている。
 PR会社はニュースリリースの他に大量のビデオリリースも独自に撮影・制作し、テレビ局に配布している。こうしてPR会社のビデオリリースがテレビでニュースとして流されるようになり、PR会社のクライアントにとっては最高のPRとなる。ちなみにPR会社のビデオ専門家によると、ビデオリリースがニュースとして流される可能性は大手より中小のテレビ局のほうが大きいという。中小テレビ局はおそらくニュース制作の予算が少ないからだろう。
 このように、PR会社は豊富な資金力とアイデアを使って次々に新しいPR手法を考え出す。最近は衛星装置やインターネットなど、高度情報システムを使った電脳空間PRが大きな注目を集めている。情報スーパーハイウェイを使ったPRシステムが完成すれば、大量の国際情報がデータライブラリーから低価格で入手できるようになる。
 PR会社は中央処理コンピュータ直結のオンラインを使って世界的な情報ネットワークを作り上げ、クライアントのための情報収集と同時にマスコミ戦略やマーケティング戦略に生かしていく。このような巨大な力を持つPR会社がCIAというクライアントを持ったら、一体どんなことになるのか。

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 ロシア兵は虫けらですか? いいのですか?

2023年07月08日 | 国際・政治

 ウウライナ戦争に加担して! 
 今日、下記のような報道がありました。

アメリカ政府はウクライナ軍の反転攻勢を支援するため、殺傷力の高いクラスター弾を供与すると発表しました。アメリカ国防総省が7日に発表したウクライナへの新たな軍事支援の中にクラスター弾の供与が初めて盛り込まれました。バイデン政権は不発弾によって民間人に被害をもたらす恐れのあるクラスター弾の供与にこれまで慎重な姿勢をとってきましたが、苦戦が続くウクライナ軍の反転攻勢を支えるため、ロシア軍の塹壕(ざんごう)への攻撃に有効だと判断し、供与に踏み切りました。

 クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)は、2021年10月末現在、日本を含む123カ国が署名、110ヵ国が批准しているといいます。クラスター爆弾は一つの「親爆弾」が多数の「子爆弾」を含み、広範囲に飛散、一発で多数の兵士を死傷させるのみならず、不発の子爆弾が地雷のように残り、戦争が終わっても長く、子どもを含む民間人を死傷させる爆弾であるといわれています。だから、国際人道法で非人道兵器とされているのです。
 先だっては、やはり非人道兵器とされている劣化ウラン弾のウクライナへの供与もなされました。
 だから、アメリカが主導するウクライナ戦争に加担せず、停戦を求めなければいけない、と私は思います。

 アメリカは、アメリカの戦力に対応する能力をほとんど失い、降伏が問題にされるようになっていた日本に、原爆を二発も投下し、反省も、謝罪もしていない国だと思います。 
 原爆投下は、アメリカが危機に瀕して、投下せざるを得なかったという、国際条約で定められた正当防衛にはあたりません。
 私は、宋 文洲氏が取り上げている、”「日本に原爆」についてマンデラ
https://twitter.com/sohbunshu/status/1660386441778827266、の「米国が言葉で言い表せない人類への犯罪を起こした。日本軍が全ての戦線から敗退している最中に広島と長崎に原爆を落とし数十万人を殺した。目的はライバルのソ連に力を見せつけるためだった」は、間違っていないと思っています。
 ずいぶん前に取り上げた「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」鳥居民(草思社文庫)などもそのことを論じていたと思います。原爆は、日本を降伏させるためではなく、ソ連を排除して、世界の国々をアメリカの影響下に置くために投下されたということです。

 過去の戦争をふり返れば、アメリカは、アメリカの覇権や利益の維持・拡大のためには、国際法を無視し、何でもする国であったことがわかると思います。世界最大の軍事大国であり、世界最大の経済大国であるアメリカには、他国には適用される国際法が、適用されない状態が続いています。

 だから、ウクライナ戦争についてもいろいろ気になっているのですが、今回は、ウクライナ戦争前のアメリカの対露政策をふり返り、問題点をまとめておきたいと思いました。

 森 聡氏の「ウクライナと「ポスト・プライマシー」時代のアメリカによる現状防衛」によれば、オバマ政権のときから、アメリカは、すでにウクライナ戦争を準備するかのように、三つの取り組みを始めているのです。
 その一つは、ロシアの弱体化を意図するような制裁の数々です。同書には下記のようにあります。
その名称は、どれももっともらしいのですが、中身は穏やかではなく、一種の戦争行為のような厳しいものだと思います。

① 対ロシア制裁
バマ政権は当初、ロシアに対してまず金融制裁を科した。
2014年3月6日付の行政命令第13660号、同16日付第3661号、同20日付第13662号は、ウクライナの不安定化とクリミア侵略に関わった人物、プーチン側近を含むロシア政府関係者やロシア国営企業幹部などを対象にした個別制裁であった。
 また、連邦議会もウクライナ関連で「ウクライナの主権、統一、民主主義、経済の安定性を支援する法」(SSIDES:Support for the Sovreignty Integnity,Democracy,Economic Stability of Ukraine Act of 2014)と「ウクライナ自由支援法」(UFSA:Ukraine Freedom Support Act)という二本の法案を可決し、オバマ大統領が署名して法律になった。前者はウクライナで人権侵害や情勢不安定化に関わった人物、重大な腐敗事案に関わったロシア人などを対象とし、後者はロシア政府が運営する武器輸出業者や、ウクライナやシリアなどに兵器を移転する人物や団体、ロシアで深海・北極海・シェールオイルの開発に投資している人物や団体、ロシアの兵器輸出や資源開発などを幇助している外国金融機関などを制裁対象とした。

 こうした制裁が、ウクライナ戦争前から実施されていたことは、見逃してはならないことだと思います。

 二つ目は、NATO同盟国への「安心供与」という取り組みです。この取り組みは、裏を返せば、ロシアに対する「挑発の取り組み」といえるのではないかと思います。同書には、下記のようにあります。

②同盟国への安心供与
 第二のアプローチである同盟国への安心供与は、当初はイギリス、イタリア及びアメリカ本土の米軍部隊を、バルト三国とポーランドに緊急展開して、パトロール任務に参加させたり、合同軍事演習を実施するという形をとった。中心的な取り組みとなったのは、オバマ大統領が2014年6月にポーランドを訪問した際に発表した「欧州安心供与イニシアティヴ(ERI:European Reassurance Initiative)であった。ERIはトランプ政権期の2018年に「欧州抑止イニシアティヴ(EDI:European Dterrence Initiative)」に名称を変更されるが、①軍事プレゼンスの増強、②装備・軍需品等の事前集積、③インフラの増強、④パートナー国の能力強化、⑤演習と訓練という5つの事業で構成されている。2015会計年度(9.85億ドル)と2016会計年度予算は規模が限定されていたが、2017年会計年度から2019会計年度にかけて増額され、その後2021年まで減少傾向を辿っていくことになる。

 そして、三つ目の取り組みが「ウクライナ支援」です。ウクライナ戦争前から実施されていたということを見逃してはならないと思います。特に、殺傷兵器の提供に関し、オバマ大統領はあくまで提供反対という立場を貫いたが、”供与すべきだと主張した高官の中に、当時ウクライナ問題を任され、同国のポロシェンコ大統領と良好な関係を築いていた副大統領バイデンや国務副長官だったブリケンらもいた”という指摘は見逃すことができません。下記のようにあります。

”③ 対ウクライナ支援
 第三の柱である対ウクライナ支援は、2014年にウクライナで誕生した新政権の要請を受けて、ロシアの支援を受けたウクライナ東部の武装勢力と戦うために必要な装備を提供し、演習や訓練を実施することから始まった。また、オバマ政権はアメリカ政府及び国際通貨基金による対ウクライナ経済援助パッケージも策定し、ウクライナ経済を支える取り組みを実施した。
 まず訓練については、アメリカによるウクライナ軍の訓練は、1993年から「州パートナーシップ(State Partnership)」なるプログラムとして20年以上続いており、アメリカ州兵がウクライナ軍の訓練にあたってきたという実績があった。これはロシアを脅かさない形で、国防改革を目指す中東欧諸国との軍事交流を進めるという趣旨で設けられたプログラムであった。
 しかし、2014年に事態が急変すると、2015年春から米陸軍第7訓練コマンドの責任の下で、統合多国籍訓練グループ・ウクライナ(JMTG-U-:Joint Multinational Training Genter Ukuraine)が、ウクライナ西部ヤボリウの軍事訓練用基地「国際平和維持・安全保障センター」を拠点に、ウクライナ軍の訓練を開始した。
 イギリスなど他国もウクライナ軍への訓練を実施したが、アメリカのプログラムは、アメリカ各地の州兵が9ヶ月のローテーションでウクライナに赴いて同国軍部隊の訓練に当る形をとった。こうした多国籍の取り組みの一環で、2014年9月には、15カ国の軍隊から1300人が参加するラビット・トライデント演習をウクライナ領内で実施するなど、演習や訓練が強化された(なお、このヤボリウの訓練基地ないし演習場は、2022年3月13日にロシアが30発以上のミサイルで攻撃して破壊されることになる)。
 また、アメリカ国防省は、2016年度国防授権法第1250条で定められたウクライナ安全保障イニシアティヴ(USAI:Ukraine Security Assintance Iitiative) を通じて、各種装備の提供も開始したが、兵器類は非殺傷兵器に限定された(USAIは、ERIのパートナー国能力強化支援の枠組みの中に位置付けられている)。2015年には、アメリカがウクライナに殺傷兵器を提供すべきか否かが問われ、この問題をめぐってオバマ大統領と政府高官らとの間で意見が対立した。政府高官の大半が殺傷兵器を提供して、軍事バランスを変えられないまでも、ロシアの武力侵攻の敷居を少しでも上げるべきだと主張したのに対し、オバマ大統領はあくまで殺傷兵器の提供反対という立場を貫いた。このとき殺傷兵器を供与すべきだと主張した高官の中に、当時ウクライナ問題を任され、同国のポロシェンコ大統領と良好な関係を築いていた副大統領バイデンや国務副長官だったブリケンらもいた。
 当時国際安全保障担当の国防次官補だったショレによれば、オバマ大統領が殺傷兵器の供与に反対した理由はいくつかあった。第一に、殺傷兵器をウクライナに提供しても軍事バランスを大きく変えられないにもかかわらず、紛争を激化させて、プーチンにウクライナ全土を侵攻する口実を与えかねない。第二に、ウクライナ支援を強化する条件として、ウクライナが改革を進めるかどうかが重要であるにもかかわらず、ポロシェンコ大統領との信頼関係が十分構築できていない(特にポロシェンコが2014年9月に訪米した際に、殺傷兵器を提供しようとしないオバマ政権を批判する演説を連邦議会で行ったことは、悪影響をもたらしたとされる)。第三に、ロシアがウクライナ東部の武装勢力にミサイルを提供して、マレーシア航空機17便の撃墜という惨劇を招いたように、アメリカも完全に制御できない相手に殺傷兵器を提供すると、予期せぬ事態が生じかねない。
 ショレは、ホワイトハウス高官らは、ロシアを意図せずして挑発することを過剰に恐れていたと指摘している。また、当時のオバマ政権関係者によれば、2015年2月にホワイトハウスでオバマと首脳会談を持ったメルケル独首相は、アメリカはジャベリン対戦車ミサイルをウクライナに提供して事態をエスカレートすべきではなく、外交的解決を探ることは可能だとオバマを説き、このメルケルの説得がオバマの考え方に強く作用したという。
 他方、当時CIA長官だったブレナンは、米情報当局も米軍も当初、ウクライナに特にジャベリン対戦車ミサイルを提供することについては反対だったと、2019年11月のインタビューで述べている。ブレナンによれば、親ロシア政権下のウクライナ軍部、治安当局、情報当局の内部には、ロシアの工作員が深く入り込んでおり、殺傷兵器をウクライナに提供すれば、機微技術がロシア側に漏洩するという懸念があったからだった。ブレナンは、ユーロマイダンから約8週間後にキーウを訪問したが、それはロシアの工作員をウクライナ当局から排除する手伝いをするためであったと語っている。
 ④オバマの判断
 殺傷兵器供与問題に関してオバマ本人はインタビューで、アメリカにとってのウクライナよりも、ロシアにとってのウクライナの方が重要なので、ロシアはエスカレーション上の優位に立っているという考え方を示唆し、「NATO非加盟国のウクライナが、ロシアの軍事的な支配に対して脆弱であるという事実は、何をしようと変わるものではありません」と述べたうえで、次のように説いた。

 人間は自分にとって何が必要不可欠かという判断に基づいて反応するものです。ある何かが、相手にとって本当に重要で、我々にとってそこまで重要ではないとすれば、その事実を相手はわかっているし、我々もわかっているのです。抑止する手段は様々ありますが、それが有効であるためには、あらかじめ何をめぐって戦争する用意があるのかをはっきりさせなければなりません。もしクリミアやウクライナ東部をめぐって我々がロシアと戦争すべきだという人がこの街に(ワシントン)にいるのであれば、その人は声を上げてそれをはっきりいうべきです。単に強硬な言葉を使ったり、問題となっている地域のすぐ隣で何らかの軍事的な行動をとれば、ロシアあるいは中国の意思決定に影響を及ぼせるんどという考えは、過去50年間に見られた様々な事実に反するのです。             

 他方NATO諸国の防衛にかんするオバマのコミットメントは強固だったようである。2014年にNATO諸国の防衛態勢を強化する取り組みについて検討した際に、オバマは側近らに向って、「バルト三国やNATOの前線国家に何らかのトリップワイヤーが張られていない状態のまま、政権を次の大統領に引き継ぎたくない」としたうえで、「我々はウクライナで戦争することはないが、NATOであれば戦争するということをプーチンにわからせる必要がある」と述べた。
 また、オバマはウクライナをめぐって公式にロシアと交渉に入るのは避けるという判断を下していた。

 トランプ政権になっても、オバマ政権の対ロ政策三本柱は、基本的に踏襲されたといいます。すなわち、①対露制裁、②NATO諸国への安心供与、③対ウクライナ支援は継続されたのです。ただ、トランプ政権のときに、対露制裁に関わって、2017年8月 ロシアのみならず、北朝鮮やイランも制裁対象に含む対敵制裁法(CAATSA:Countering America’s Adversaries Through Sanctions Act of 2017)を制定したことは見逃せません。この法律の第二篇が「2017年欧州・ユーラシアにおけるの影響力への対抗法(CRIEEA:Countering Russian Influence in Europe and Eurasia)」というロシア制裁法にあたるということですが、これは既存のアメリカ人によるロシアとの取引禁止の範囲を大幅に拡大するとともに、第三国の外国人によるロシアとの取引も禁止し、それに違反する外国人に二次制裁を科すものであるというのです。

さらに、対ウクライナ支援で、トランプ政権は2017年12月13日民間企業によるウクライナへの殺傷兵器の売却を承認したといいます。この時点ではジャベリン対戦車ミサイルは含まれずていなかったというのですが、4150万ドル相当のM107AIスナイパーシステムと弾薬、関連備品を売却することを決定しているのです。
 また、この決定に至る前から、アメリカ政府はウクライナ軍内部におけるロシアの影響力という米軍部の懸念がある程度取除かれていたと受け止めていたようです。オバマ政権末期の2016年9月に、アビザイド元米中央軍司令官ウクライナ国防大臣顧問に任命され、ウクライナ軍の文民統制強化や腐敗撲滅、NATOとの相互運用性の強化などに取り組んでおり、トランプ政権もウクライナ軍改革を進めていたからだといいます。
 そして、ジャベリン・ミサイルを含む殺傷兵器供与決定に至るのですが、トランプ政権が2017年12月に発出した「国家安全保障戦略」は、中国とロシアを相手にした「大国間競争」の再来を謳っており、安全保障官庁の中で対露強硬論が高まっていたことも、殺傷兵器供与決定を後押ししたと考えられているようです。
 そして、国防省がジャベリン・ミサイル210基と関連機材37台(合計4700万ドル相当)をFMSでウクライナに売却する決定を下し、国防安全保障協力局(DSCA)がこの決定を連邦議会に通告したのは、2018年3月1日だということです。
 
 アメリカが、ウクライナ戦争前から、ウクライナ政府やウクライナ軍の内部に入り込んで、ロシアを睨んだ政策を進めていたことは明らかであり、突然、ロシア軍がウクライナの領土に侵攻して、ウクライナ戦争を始めたのではないと言えるように思います。
 ウクライナの政権転覆で重要な役割を果たした、クリチコ・キエフ(キーウ)市長は、ウクライナ戦争は、プーチンの野望で始まったというのですが、そういう主張をする人たちは、実態を隠したいのだろう、と私は思います。
 ロシア側は、ウクライナ領土に入ったことを「特別軍事作戦」と称しています。ウクライナがロシアに対して軍事的な脅威を与えているので、自国の安全保障を確保するために行動したと主張しているのです。話合いをする必要があるということだと思います。 
 
 でも、クリチコ市長に限らず、著名な作家や学者の中にも ”プーチン大統領はいまだに旧ソビエト時代の意識から脱却できていない。ウクライナ戦争はプーチンの野望で始まった”というようなことを主張する人がいます。自らの立場を守りたいのだろう、と私は思います。
 親露派のヤヌコーヴィチ政権を倒すためのマイダン革命において、アメリカ(バイデンやヌーランドなど)が背後で動いていたということは、2015年1月、当時のオバマ大統領が、CNNの取材で認めたと言われています。そして、それを立証する具体的な動きに関する会話(当時のヌーランド国務次官補と駐ウクライナのアメリカ大使との会話)が録音され、リークされてもいるのです。
 だから、国際法に基き、一日も早く「停戦」すべきだと思います。

 ウクライナ戦争に加担してはいけないと思います。

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アメリカは、国際平和のためだ、と言って戦争する国

2023年07月03日 | 国際・政治

 しばらく前、朝日新聞の「考/論」に、高橋杉雄・防衛研究所・防衛政策研究室長の文章が出ていました。ウクライナ戦争推進論といえるような内容でした。下記です。

チョンハル橋への攻撃は、ミサイルの性能や射程を考慮すると、英国から供与された巡航ミサイル「ストーム・シャドー」が使われた可能性が高い。ロシアが大規模な兵站を構えるクリミアとウクライナ本土を結ぶルートは他にもあるが、遠回りなので一定程度はロシア側の補給が制限されそうだ。今後もウクライナによる補給路などへの攻撃が続くだろう。
 ウクライナ軍の反転攻勢はかなりの損害が出ているようだが、必死に守りを固めたロシア軍の陣地突破が容易でないのは想定の範囲内だ。重要なのは、防衛線を突破できたときに、後方に控える予備戦力を素早く投入できるかどうかだ。ウクライナ軍は、装甲性能に優れたドイツ製のレオパルト2をロシアの防衛線を突破するための戦力として投入した後、第2陣として使い慣れた旧ソ連製戦車で機動戦を展開するつもりでは。突破戦力の消耗は仕方ない。消耗のペースが想定を上回るかが問題だ。
 昨秋の北東部ハルキウ州では、ロシアの重要な補給拠点クピャンスクを奪還したことが、ウクライナ軍の電撃的な領土奪還につながった。今回も、例えば中南部サポりージャ方面の防衛線を突破し、アゾフ海沿いの各都市に通じる重要拠点のトクマクを奪還できれば、一帯の迅速な進軍が可能になるだろう。アゾフ海まで到達すればクリミア半島孤立させられる。そうなれば、クリミアで反攻を展開し、最後に東部ドンバス地方を狙うといったシナリオも描ける。

 まるで、悲惨なアジア・太平洋戦争がなかったかのような主張だと思います。再び日本は、こんな国になってしまったのかと思いました。
 自分自身や、自分の親・兄弟、親族、あるいは知人・友人が戦っている時も、”突破戦力の消耗は仕方ない。”などと言えるのでしょうか。人命軽視だと思います。私は、高橋杉雄氏の役職名を日本の防衛研究所・防衛政策研究室長ではなく、戦争推進研究所・戦争推進政策研究室長に改めるべきではないかとさえ思います。
 また、こうした考えの人ばかりを、日本の新聞やテレビ局などの主要メディアが、専門家と称してウクライナ戦争について語らせていることに、大きな問題があると思います。事実に反する大本営発表を流し続けた戦前・戦中の日本と変わらない状況になっているように思います。アメリカの戦略に逆らうような考え方をする人たちがすっかりメディアから排除され、停戦や和解に関する民主的な議論がほとんどできなくなっているように思うのです。
  アメリカは、1776年の建国以来ずっと戦争を続けてきました。ある人は、アメリカは建国以来239年のうち222年間、すなわち93%の年月を戦争に費やしてきたと書いていました。そして、現在もウクライナ戦争に深く関わっていますが、アメリカの武力的支配の現実に目をつぶり、日本が野蛮なアメリカの手先となって、戦争を推進するような道を歩んではいけない、と私は思います。
 アメリカは世界中に基地を持っています。国防総省2018米会計年度の「基地構造報告書」によると、海外に展開する米軍基地は45カ国で、計514にのぼるといいます。アメリカは、米軍基地が国際秩序を維持し、平和を守るために必要だというのですが、私は違うと思っています。
 アメリカは、世界中の国々から搾取や収奪を続けるために、米軍基地を必要としており、米軍基地は、駐留国や周辺国を威圧するための存在であることを見逃してはならないと思います。
 また、アメリカは圧倒的な経済力にものをいわせて、他国をアメリカの戦略に従わせてきたと思います。従わない国に対しては、軍事的圧力のみならず、経済制裁などの圧力かけてきたと思います。

 アメリカは、国際社会に民主主義と自由主義をもたらす国であるという、パックス・アメリカーナの考え方がありますが、それは、アメリカが現実に世界中でやってきた不都合な事実を隠し、アメリカの影響力行使を美化し、正当化する考え方である、と私は思います。現実を直視する必要があると思います。
 そこで、森 聡氏の「ウクライナと「ポスト・プライマシー」時代のアメリカによる現状防衛」に注目しました。国際社会の変化の捉え方には、異論がいっぱいあるのですが、民主主義や自由主義に反するアメリカの力による支配の一端を知ることができると思ったのです。

 特に、「①  対ロシア制裁」で、アメリカが、ウクライナ戦争が始まる前から、ロシアにさまざまな経済制裁を科し、ロシアの弱体化を意図していたことがわかります。
 また、「② 同盟国への安心供与」や「③ 対ウクライナ支援」で、アメリカが、ロシアを軍事的に挑発するような取り組みや支援をしていた事実がわかると思います。NATO加盟国ではないロシアの隣国ウクライナに、ジャベリン対戦車ミサイルを供与したり、統合多国籍訓練グループ・ウクライナが、ウクライナ西部ヤボリウの軍事訓練用基地を拠点に、ウクライナ軍の訓練をしたり、15カ国の軍隊から6000人が参加するラビット・トライデント演習をウクライナ領内で実施したりしているのです。プーチン大統領が演説で、レッドラインを超えた” と語ったことが頷けるのではないかと思います。
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        ウクライナと「ポスト・プライマシー」時代のアメリカによる現状防衛
                                                森 聡
 はじめに
 米中が対立を深めているところに、ロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻したことで、米露と米中が対立と相互不信を深め、中露が結託し、世界が分裂して国際秩序が大きく変わると騒がれる時代が到来した。世界は、いかにしてこのような時代に至ったのだろうか。まずは冷戦終結後の大きな流れを、アメリカを軸にした大国間関係の変化という文脈に即して振り返ってみたい。冷戦が終結した頃から2008年にグローバル金融・経済危機が発生して数年が経つまでの時期は、ユニポーラー・モーメント(単極のとき)とも呼ばれる。アメリカが単極を成す圧倒的な優位、すなわちプライマシーを確立し、いわゆるリベラル国際秩序の擁護者としての役割を果たしていた時代と捉えられる。自由主義的な国内統治や対外行動に関する規範やルールの重大な違反に及ぶ国家は、「ならず者国家」とされ、経済制裁や、イラクのように武力介入による体制転換の対象とされた。
 領土侵攻や大規模人権侵害の阻止、民主政の樹立、大量破壊兵器の脅威除去、テロ掃討などを大義名分に掲げて、中山俊宏が活写した『介入するアメリカ』は、クウェイトからソマリア、ハイチ、バルカン半島、アフガニスタンそしてイラクで、次々と経済・軍事制裁という形で力を行使していった。またアメリカの同盟は、その存在意義を互いの領土防衛を前提とした集団防衛から、「域外」におけ
るリベラルな価値や規範の推進に求める傾向を強めた。冷戦後の世界でアメリカがプライマシーを確立していったという理解は、市場経済型民主主義国家モデルの正当性が高まるということと表裏一体でもあったといえよう。北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty organization)の東方拡大は、こうした時代の潮流の中で進んだ。
 リベラルな価値や規範を力で執行し、世界の「変革」を推し進めようとしたアメリカが、2003年にイラク戦争を始めた際には、自らが信奉するはずのルールや制度から逸脱するかのような単独主義的な姿勢を強めているとして、利害を異にする同盟国あるいは世界から、「帝国主義化」という批判を浴びた。そうした物議を醸しながらも、圧倒的な優位の下でルール違反国を「制裁」するのが、プライマシー時代のアメリカであった。
 この間、アメリカは中国やロシアをリベラル国際秩序に取り込もうとした。アメリカはまず中国による世界貿易機関の加盟を推し、ロシアを先進国首脳会議に招き入れて、G8の一角を占めさせた。この当時、中露両国がアメリカに対抗する理論的な可能性は語られても、アメリカの圧倒的な優位が際立っていたために、そうした可能性は現実味を持たなかった。アメリカのユニポーラー・モーメントが力の変動で終焉することよりも、一強のアメリカがあまりにも自在に力を行使できることへの懸念が一部の同盟国の間で強まった時代だったといえよう。
 しかしアメリカは、介入先で出口が見つけられなくなり、アメリカの理念と力をもってしても人権の保障や民主主義の実現が困難であることを思い知ることになった。また、それまで新興国で発生していた金融危機が、アメリカを震源地として2008年に発生すると、アメリカ経済は大打撃を受け、国際問題の解決に労力をかけようとする余裕を失う。アメリカ政治指導者たちは、国内経済・社会の「再生」、あるいはそれを求める有権者の期待に応えることに腐心し、国際場裏での力の行使を抑制する姿勢を強めた。この最初の兆しは、2013年9月のオバマによるシリア空爆の見送りに顕われた。
 そして力を行使する意欲を減退させたアメリカを見た中国とロシアの指導者らは、アメリカによる報復や大規模な対抗行動を招かないような巧みな方法によって、自らが正統と考える世界を作り出すべく、「現状」の変更に乗り出した。
 2014年の春先にロシアがクリミアを不法に併合し、ウクライナ東部に干渉するという出来事は、このような時代の文脈において発生した。アメリカの対外姿勢の変化は、ウクライナ情勢や南シナ海情勢への対応にも滲み出てくることになる。
 アメリカは、ロシアによるウクライナ侵略に対して、これまでのように対応し、これから何をどのまでやる用意があるのだろうか。本稿は、現時点で入手可能な各種資料を手掛かりに、2014年にロシアがウクライナへの侵略を開始して以降、アメリカがいかにウクライナ情勢に対応して来たかを検証するとともに、アメリカの指導者が下してきた判断の輪郭を捉えることを試みたい。

 そこで第1節では、まずオバマ政権とトランプ政権の取り組みを検証し、対ロシア制裁、対ウクライナ支援、NATO諸国への安心供与という、今日まで続く三本柱の取り組みがいかなる判断に立って形成されたのか、そしてその内容にはどのような特徴があり、いかに発展して来たのかを明らかにする。第2節では2022年2月にロシアがウクライナに全面侵攻する前の段階におけるバイデン政権の取り組みを、そして、第3節では、侵攻開始後のバイデン政権の取り組みを明らかにする。第4節では、ウクライナ戦争がアメリカにもたらす3つのインプリケーションについて検討し、最後に「ポスト・プライマシー」時代のアメリカは、核兵器を保有する国による武力を使った現状変更にどう対応するかについて考察して結ぶ。なお、資料が制約され、報道記事にも頼らなければならないため、本稿は同時代的な予備的な分析の範疇を出ないということを断っておきたい、

                 1 クリミア併合後のアメリカのウクライナ政策
 (1)オバマ政権
 2014年2月27日に武装集団がクリミア自治共和国の議会や政府施設を占拠したことを受け、3月3 
日にアメリカを含む西側諸国は、ロシアによるウクライナの主権と領土的一体性の侵害を非難する共同声明を出した。兵力を撤退させるべきとの要請に対してロシアは翌々日、現地の自衛組織はロシアの指揮下にないなどとして要請を退けた。このときオバマ大統領は、政権内の安全保障政策の責任者らに対して、「我々は、野次馬(筆者注:ワシントンの政策論壇)に脱線させられないように、我々の利益に見合った対応をとらなければならない」と伝えた。オバマは、ロシアをアメリカの利益に多大な損害を及ぼしうる危険な存在と見なしていたが、ロシアは強さではなく、弱さに駆られて行動している「強い軍隊を有した地域国家」とみなしており、ロシアを圧倒的な強国として扱うべきではないと考えていた。また、プーチンは最長で2024年まで大統領職にいる可能性が高いので、アメリカは長期間にわたって持続可能な対応をとるべきと考えていた。こうした判断に立ってオバマは、①ロシアを制裁し、②同盟国には安心を供与して、③ウクライナを支援するという三本柱からなるアプローチをとった。
 ① 対ロシア制裁
 そこでオバマ政権は当初、ロシアに対してまず金融制裁を科した。アメリカの対ロシア制裁の多くは、最近のものも含め、国際緊急経済権限法(IEEPA:Internaitional Emergency Economic Power Act)や国家緊急事態法(NEA:National Emergency gencies Act)を根拠とする行政命令(いわゆる「大統領令」と呼ばれるものを、行政命令だけを指す場合もあれば、行政命令と大統領令の両方を指すこともある)に基づいて科されている。資産凍結や投資・金融取引の禁止などの金融制裁は、米財務省外国資産管理局(OFAC:Office of Foreign Assets Contorol)が所管している。
 2014年3月6日付の行政命令第13660号、同16日付大3661号、同20日付第13662号は、ウクライナの不安定化とクリミア侵略に関わった人物、プーチン側近を含むロシア政府関係者やロシア国営企業幹部などを対象にした個別制裁であった。ただし、かつてロシアはアメリカに金融制裁を科されたことがあったので、制裁対象がすでに対策を講じていれば痛手にならないのではないかとの指摘もあり、制裁の実効性に疑問が持たれた。
 また、連邦議会もウクライナ関連で「ウクライナの主権、統一、民主主義、経済の安定性を支援する法」(SSIDES:Support for the Sovreignty Integnity,Democracy,Economic Stability of Ukraine Act of 2014)と「ウクライナ自由支援法」(UFSA:Ukraine Freedom Support Act)という二本の法案を可決し、オバマ大統領が署名して法律になった。前者はウクライナで人権侵害や情勢不安定化に関わった人物、重大な腐敗事案に関わったロシア人などを対象とし、後者はロシア政府が運営する武器輸出業者や、ウクライナやシリアなどに兵器を移転する人物や団体、ロシアで深海・北極海・シェールオイルの開発に投資している人物や団体、ロシアの兵器輸出や資源開発などを幇助している外国金融機関などを制裁対象とした。
 オバマ政権がロシアに対する経済制裁を本格化させたのは、同年7月以降、いわゆるセクター別制裁に及んだときである。7月16日に行政命令第13662号の適用範囲を、金融サービス産業とエネルギー産業に拡げ、さらに9月12日には防衛産業にも広げた。これに加えて12月19日付行政命令第13685号は、すべてのアメリカ人によるクリミア地方との輸出入や同地方への投資を禁じた。これらの制裁は、マレーシア航空17便が、ロシアが提供した地対空ミサイルによって撃墜されたとして、欧州諸国で強い反発が生じていたことを背景にとられた措置であった。
 ②同盟国への安心供与
 第二のアプローチである同盟国への安心供与は、当初はイギリス、イタリア及びアメリカ本土の米軍部隊を、バルト三国とポーランドに緊急展開して、パトロール任務に参加させたり、合同軍事演習を実施するという形をとった。中心的な取り組みとなったのは、オバマ大統領が2014年6月にポーランドを訪問した際に発表した「欧州安心供与イニシアティヴ(ERI:European Reassurance Initiative)であった。ERIはトランプ政権期の2018年に「欧州抑止イニシアティヴ(EDI:European Dterrence Initiative)」に名称を変更されるが、①軍事プレゼンスの増強、②装備・軍需品等の事前集積、③インフラの増強、④パートナー国の能力強化、⑤演習と訓練という5つの事業で構成されている。2015会計年度(9.85億ドル)と2016会計年度予算は規模が限定されていたが、2017年会計年度から2019会計年度にかけて増額され、その後2021年まで減少傾向を辿っていくことになる。
 ③ 対ウクライナ支援
 第三の柱である対ウクライナ支援は、2014年にウクライナで誕生した新政権の要請を受けて、ロシアの支援を受けたウクライナ東部の武装勢力と戦うために必要な装備を提供し、演習や訓練を実施することから始まった。また、オバマ政権はアメリカ政府及び国際通貨基金による対ウクライナ経済援助パッケージも策定し、ウクライナ経済を支える取り組みを実施した。
 まず訓練については、アメリカによるウクライナ軍の訓練は、1993年から「州パートナーシップ(State Partnership)まるプログラムとして20年以上続いており、アメリカ州兵がウクライナ軍の訓練にあたってきたという実績があった。これはロシアを脅かさない形で、国防改革を目指す中東欧諸国との軍事交流を進めるという趣旨で設けられたプログラムであった。
 しかし、2014年に事態が急変すると、2015年春から米陸軍第7訓練コマンドの責任の下で、統合多国籍訓練グループ・ウクライナ(JMTG-U-:Joint Multinational Training Genter Ukuraine)が、ウクライナ西部ヤボリウの軍事訓練用基地「国際平和維持・安全保障センター」を拠点に、ウクライナ軍の訓練を開始した。イギリスなど他国もウクライナ軍への訓練を実施したが、アメリカのプログラムは、アメリカ各地の州兵が9ヶ月のローテーションでウクライナに赴いて同国軍部隊の訓練に当る形をとった。こうした多国籍の取り組みの一環で、2014年9月には、15カ国の軍隊から1300人が参加するラビット・トライデント演習をウクライナ領内で実施するなど、演習や訓練が強化された(なお、このヤボリウの訓練基地ないし演習場は、2022年3月13日にロシアが30発以上のミサイルで攻撃して破壊されることになる)。
 また、アメリカ国防省は、2016年度国防授権法第1250条で定められたウクライナ安全保障イニシアティヴ(USAI:Ukraine Security Assintance Iitiative) を通じて、各種装備の提供も開始したが、兵器類は非殺傷兵器に限定された(USAIは、ERIのパートナー国能力強化支援の枠組みの中に位置付けられている)。2015年には、アメリカがウクライナに殺傷兵器を提供すべきか否かが問われ、この問題をめぐってオバマ大統領と政府高官らとの間で意見が対立した。政府高官の大半が殺傷兵器を提供して、軍事バランスを変えられないまでも、ロシアの武力侵攻の敷居を少しでも上げるべきだと主張したのに対し、オバマ大統領はあくまで殺傷兵器の提供反対という立場を貫いた。このとき殺傷兵器を供与すべきだと主張した高官の中に、当時ウクライナ問題を任され、同国のポロシェンコ大統領と良好な関係を築いていた副大統領バイデンや国務副長官だったブリケンらもいた。
 当時国際安全保障担当の国防次官補だったショレによれば、オバマ大統領が殺傷兵器の供与に反対した理由はいくつかあった。第一に、殺傷兵器をウクライナに提供しても軍事バランスを大きく変えられないにもかかわらず、紛争を激化させて、プーチンにウクライナ全土を侵攻する口実を与えかねない。第二に、ウクライナ支援を強化する条件として、ウクライナが改革を進めるかどうかが重要であるにもかかわらず、ポロシェンコ大統領との信頼関係が十分構築できていない(特にポロシェンコが2014年9月に訪米した際に、殺傷兵器を提供しようとしないオバマ政権を批判する演説を連邦議会で行ったことは、悪影響をもたらしたとされる)。第三に、ロシアがウクライナ東部の武装勢力にミサイルを提供して、マレーシア航空機17便の撃墜という惨劇を招いたように、アメリカも完全に制御できない相手に殺傷兵器を提供すると、予期せぬ事態が生じかねない。
 ショレは、ホワイトハウス高官らは、ロシアを意図せずして挑発することを過剰に恐れていたと指摘している。また、当時のオバマ政権関係者によれば、2015年2月にホワイトハウスでオバマと首脳会談を持ったメルケル独首相は、アメリカはジャベリン対戦車ミサイルをウクライナに提供して事態をエスカレートすべきではなく、外交的解決を探ることは可能だとオバマを説き、このメルケルの説得がオバマの考え方に強く作用したという。
 他方、当時CIA長官だったブレナンは、米情報当局も米軍も当初、ウクライナに特にジャベリン対戦車ミサイルを提供することについては反対だったと、2019年11月のインタビューで述べている。ブレナンによれば、親ロシア政権下のウクライナ軍部、治安当局、情報当局の内部には、ロシアの工作員が深く入り込んでおり、殺傷兵器をウクライナに提供すれば、機微技術がロシア側に漏洩するという懸念があったからだった。ブレナンは、ユーロマイダンから約8週間後にキーウを訪問したが、それはロシアの工作員をウクライナ当局から排除する手伝いをするためであったと語っている。
 ④オバマの判断
 殺傷兵器供与問題に関してオバマ本人はインタビューで、アメリカにとってのウクライナよりも、ロシアにとってのウクライナの方が重要なので、ロシアはあエスカレーション上の優位に立っているという考え方を示唆し、「NATO非加盟国のウクライナがあ、ロシアの軍事的な支配に対して脆弱であるという事実は、何をしようと変わるものではありません」と述べたうえで、次のように説いた。

 人間は自分にとって何が必要不可欠かという判断に基づいて反応するものです。ある何かが、相手にとって本当に重要で、我々にとってそこまで重要ではないとすれば、その事実を相手はわかっているし、我々もわかっているのです。抑止する手段は様々ありますが、それが有効であるためには、あらかじめ何をめぐって戦争する用意があるのかをはっきりさせなければなりません。もしクリミアやウクライナ東部をめぐって我々がロシアと戦争すべきだという人がこの街に(ワシントン)にいるのであれば、その人は声を上げてそれをはっきりいうべきです。単に強硬な言葉を使ったり、問題となっている地域のすぐ隣で何らかの軍事的な行動をとれば、ロシアあるいは中国の意思決定に影響を及ぼせるんどという考えは、過去50年間に見られた様々な事実に反するのです。 

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