真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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大統領選撤退のケネディ氏 なぜトランプ候補支持

2024年08月31日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞は、「無所属ケネディ氏米大統領選撤退へ トランプ氏を支持か」と題する記事を掲載しました。そして、”民主党の候補がハリス氏になり、リードしていたトランプ氏を追い上げているという世論調査が相次いでいることを受け、トランプ氏にはケネディ氏の支持層を取り込みたい狙いがあるとみられる”という文章で締め括られていました。

 でも、大事なことは、トランプ氏の選挙戦略ではなく、長く民主党員であったケネディ氏が、なぜ撤退を決意し、共和党のトランプ氏を支持することにしたのか、ということではないかと思います。NHKも、朝日新聞とほぼ同じ内容の報道をしていました。日本のメディアが、みなケネディ氏の主張を無視し、支持層拡大を狙ったトランプ氏の選挙戦略問題に矮小化してしまうのはなぜか、と思います。

 朝日新聞をはじめとする日本の大手メディアは、みなハリス氏支持の立場で、大統領選の報道をしており、客観的事実を読者にきちんと伝えていないように思います。

 ケネディ氏は、下記の講演のなかで、とても重要なことを語っています。民主党は変質したというのです。その主張をまったく無視して、トランプ氏の支持層拡大の選挙戦略問題に矮小化したり、ケネディ氏を陰謀論者としたり、陰謀論を信じる政治家と見做すような報道をする朝日新聞をはじめとする日本の大手メディアも、アメリカの民主党と同じように変質してしまったのではないかと思います。



  「DS解体」を宣言しているトランプ氏が再びアメリカの大統領になれば、アメリカ社会は相当混乱するでしょうが、国際社会の戦争状態は解消されていくように思います。だから、トランプ氏の選挙公約ともいえる「DS解体」の演説の、日本語訳のついたTwitterの動画を、以前、投稿文に貼り付けたのですが、いつの間にか「削除」されていました。驚きました。だから発信元を探したら、”Leading Report、というサイトが、「DS解体」の内容の英文をつけてtweetしていました(https://twitter.com/LeadingReport/status/1750332674701463838)。ケネディ氏の演説内容とも関連して、興味深いものがあると思います。

Trump’s plan to dismantle the ‘Deep State':

1. Immediately reissue 2020 executive order restoring the president’s authority to remove rogue bureaucrats and wield that power “very aggressively."

2. Clean out all the corrupt actors in our national security and intelligence apparatus.

3. Totally reform FISA courts.

4. Establish a “Truth and Reconciliation Commission” to declassify and publish all documents on the deep state’s spying, censorship, and corruption.

5. Launch a major crackdown on government leakers who collude with “fake news to deliberately weave false narratives and subvert our government and democracy.”

6. Make every inspector general’s office independent and physically separated from the departments they oversee.

7. Ask Congress to establish an independent auditing system to continually monitor our intelligence agencies.

8. Continue the effort launched by the Trump administration to move parts of the federal bureaucracy to new locations outside the “Washington Swamp.”

9. Work to ban federal bureaucrats from taking jobs at the companies they deal with and regulate.

10. Push a constitutional amendment to appose term limits on members of Congress.

ポストを翻訳というところをタップしたら、下記の日本語になりました。

1. 2020年の大統領令を直ちに再発行し、不正な官僚を排除する大統領の権限を回復し、その権力を「非常に積極的に」行使する。

2. 国家安全保障および諜報機関に潜む腐敗した関係者を一掃する。

3. FISA裁判所を全面的に改革する。

4. 「真実と和解委員会」を設立し、ディープステートのスパイ活動、検閲、汚職に関するすべての文書を機密解除して公開する。

5. 「フェイクニュースと共謀して故意に虚偽の物語を作り上げ、政府と民主主義を転覆させる」政府の情報漏洩者に対する大規模な取り締まりを開始する。

6. 各監察官の事務所を独立させ、監督する部署から物理的に分離する。

7. 諜報機関を継続的に監視するための独立した監査システムを確立するよう議会に要請する。

8. トランプ政権が開始した、連邦政府官僚機構の一部を「ワシントン・スワンプ」外の新しい場所に移転する取り組みを継続する。

9. 連邦政府の官僚が、自らが取引し、規制する企業に就職することを禁止するよう取り組む。

10. 国会議員の任期制限を定める憲法改正を推進する

 

 また、2016年の大統領選挙では民主党全国委員会の副議長を辞し、バーニー・サンダースの支持を表明した、トゥルシー・ギャバード(Tulsi Gabbardも、”私は、20年以上民主党員であったが、今日、大統領としてトランプ候補を支持するI was a Democrat for over 20 years. Today, I endorsed Donald Trump for President.)” と、演説をしてます。(https://twitter.com/i/status/1828165678844850456)彼女は、ワシントン・ポスト紙等複数メディアが、2020年大統領選挙の有力女性候補11名の1人として紹介した人物だといいます。

 このように、国際社会でもよく知られた民主党の政治家が、トランプ氏を支持する演説をしたことは、重大なことであり、メディアは、その賛否に拘わらず、理由を報道する責任があると思います。

 

 なぜ、ウクライナ戦争が続くのか、なぜ、ハマスの兵士だけではなく、パレスチナの民間人が殺され続けるのか、なぜ、国連車両がイスラエル軍に銃撃されるのか、歴史を遡ることによって、真実が見えてくることがあると考え、再び「イラン 世界の火薬庫」宮田律(光文社新書303) から、「第四章 イランとアメリカ」の「2 対テロ戦争の標的」から、「アメリカの矛盾」「二重基準」「核戦略の正当化」「莫大な予算」を抜萃しました。武力行使に至る源がわかるような気がするのです。

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                  第四章 イランとアメリカ

                   2 対テロ戦争の標的

 アメリカの矛盾

 アメリカはイランの核開発を懸念し「テロ支援国家」イランによる核兵器の保有は容認できないという考え方を再三明らかにしている。アメリカの軍産複合体にとって、反米スタンスを頑なに崩さないイランの動静は、「イラクの次の脅威」として国民を説得できるものであるにちがいない。

 しかし、アメリカがイランの核エネルギーを問題にすることは、イランはじめとしてイスラム世界で説得力を持たない。イランはウラン濃縮活動停止止を2006829日に拒否したが、ハメネイ最高指導者やアフマディネジャド大統領など保守強硬派の影響力が強まったイランは核問題で米欧諸国と容易に妥協しないだろう。

 アメリカとの対決姿勢を鮮明にするイランは核問題で国際政治において当面焦点となり続けるだろう。9.11の同時多発テロからアメリカは「対テロ戦争」を展開したが、これまでも触れてきたように、イランはアメリカやイスラエルがテロ組織と形容するヒズボラを支援している。そうしたイランとヒズボラの関係は疎遠になることはなく、イランもまたアメリカの対テロ戦争の標的になる可能性は高い。

 アメリカは、イランのウラン濃縮活動の停止期限とした2006831日の前日である830日にネバダ州の核実験場で臨海前核実験を行なった。イランの核エネルギー開発を非難するアメリカが核実験を行うことは、自らの矛盾した姿勢を明白に露呈した。

 米欧諸国には理性があるから核兵器を保有しても問題ないが、イランなど「テロ支援国家」の核兵器保有は断固阻止するというアメリカの姿勢は、少なからぬムスリムたちの憤りを招くことになっている。パキスタンは2000年に核実験に成功した時、アメリカやイスラエルに対抗する「イスラムの核」として、イスラム世界の民族性を越えてこれを歓迎するムードがイスラム世界にはあった。



 二重基準

 現在アメリカが保有する核弾頭の数は9960発で、そのうちの5735発はすぐにも使用できると見られている。1050発は大陸間弾道弾で、また1955発は爆撃機に搭載され、さらに2016発は潜水艦に搭載されるのだ。200から300発はベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコ、イギリスというヨーロッパのNATO加盟六カ国に配備されている。NPT(核不拡散条約)ではアメリカは核兵器を保有してもよい五カ国に数えられているが、こうしたNPTの在り方もイランなどイスラム諸国からは不信をもって見られる原因だ。

 1998年にインドとパキスタンが核実験を行うと、クリントン政権はこれら二国に対して経済制裁を加えたが、インドに対する経済制裁は翌1999年に停止されている。

 これに対してイスラム国であるパキスタンは、非民主的な方法で政権を奪取したとして経済制裁が停止されることはなかった。アメリカがパキスタンへの経済制裁の撤回に踏み切るのは、パキスタンのムシャラフ政権が2001年のアフガニスタンにおける対テロ戦争に協力してからである。さらに、2006年になって、アメリカのブッシュ政権はNPTに加盟していないインドとの核協力を行っていくことを約束した。

 イスラム世界を訪ねると、日本はアメリカによってヒロシマ、ナガサキに原爆をとされた国であるとの同情がある。「対テロ戦争」によるアメリカの攻撃によってアフガニスタンやイラクで一般市民が犠牲になることは、多くのムスリムたちの反発を招いている。アメリカやヨーロッパ諸国はイランの核兵器開発を問題にし、またエジプトやサウジアラビアなど、イスラム諸国にNPT加盟を強く促すことは、米欧諸国がイスラエルにNPTに加盟することに圧力を加えないことと相まって、核問題に関する米欧の「二重基準」としてムスリムの憤りを煽る結果になっている。

 結局、米欧諸国に「隗より始める」姿勢がないことが、核に関する「文明の衝突」構造を強めることになった。イギリスもまた20062月にアメリカとともに臨界前核実験を行った。フランスは、ムルロワ環礁で核実験を繰り返し、深刻な環境破壊を招き、国際社会の批判を浴びると、アルジェリアの砂漠などアフリカで核実験を行うようになった。

 

 核戦略の正当化

 クリントン政権の初代国防長官であったレス・アスピン氏は、核戦略において熟練した人物であったが、彼は冷戦後の世界における核抑止の考えに疑問を抱いていた。

 彼は「核のない世界のほうがよい。核兵器は偉大な平衡装置(イコライザー)だが、アメリカは世界の核兵器保有を平衡する役割を果たしていない。アメリカは平衡されるべき存在なのだ」と語った。

アスピン国防長官は冷戦時代の「相互確証破壊」という考えを改めて、「相互確証安全」や「協力的非核化」を提唱したが、国防総省からの強い反対を招き、辞任を余儀なくされた。アスピン国防長官は、アメリカの核戦略の危険性を強く意識していた人物だった。クリントン政権時代、国防総省はアメリカの核戦略に変更が加えられることに激しく抵抗した。空軍は地上に配備されたICBM(大陸間弾道弾)の削減に猛烈に反対した。

 アシュトン・カーター国防次官は、アスピン国防長官の提案を検討する六つのワーキング・グループを立ち上げた。これらのワーキング・グループは、軍の中堅や若手の将校、またキャリア官僚達によって構成され、10ヶ月間の活動を行った結果、アメリカの核戦略に関するいかなる変更にも反対するという結論を出した。

 このワーキング・グループの出した結論の背景には軍産複合体の意向があった。ワーキング・グループは、アメリカの既存の核戦略を支持する考えを明らかにし、アスピンやカーターの目標に背く提言を行った。それは国防総省など軍産複合体の「勝利」を意味していた。

 軍産複合体はロシアが再び全体主義的な軍国主義国家となることを防ぐという口実の下に、従来の核戦略を継続することを正当化し、ICBM1数を倍にし、また戦術核(ICBMや戦略爆撃機によって運搬されない核兵器で、短距離のミサイル、巡航ミサイル、また航続距離の短い爆撃機に搭載されるもの)の保有数には何の制限も加えられないことになった。こうしてアメリカは冷静後も核軍拡の道を進むことになる。

 アメリカが冷戦時代の絶頂期に毎年38億ドルの予算を核兵器の設計、実験、製造に費やしていた。2000年代の現ブッシュ政権になっても、アメリカは50億ドルの予算を毎年核兵器のためにつけている。これが包括的核実験禁止条約(CTBT)、核不拡散条約に違反することは明らかだ。9.11の同時多発テロから1年後の時点で、アメリカは65種類に及ぶ7302発の核爆弾を製造した。また、1945年から91年までの間、アメリカはセ1030回の核実験を行なった。それはソ連の715回、フランスの210回、中国の45回、イギリスを45回、インドの5回に比べると突出して多いものだった。



 莫大な予算

 人類を破滅に導きかねない核兵器の製造はアメリカの軍産複合体に大きな利益をもたす。ボーイング、ロッキード・マーティン、ノースロップ・グラマン、レイセオンなどアメリカの軍事産業は、核兵器の実験や製造で莫大な利益を得ている。毎年、広島や長崎の原爆記念日に核廃絶が唱えられても、アメリカの軍産複合体が核兵器の製造から莫大な経済的利益を得ている限り、核兵器の製造は残念ながら止むことはないだろう。ロッキード・マーティンは、2000年から2002年の間に、4715600ドエウの予算を国防総省から与えられた。2002年に政府や議会のロビー活動のために626万ドルを費やし、その商業的利益の擁護や拡大を図った同社は、潜水艦発射型のトライデントⅡ弾道ミサイルを開発し、またトライデント潜水艦に搭載する多弾頭ミサイルを製造している。

 同社は長距離核ミサイルを製造する唯一の企業である。1999年には、トライデント潜水艦に搭載する59800万ドルに相当する12基のD5核ミサイルを受注した。このD5核ミサイルは、16000万ドルもする。核兵器を使用するような戦争の可能性はほとんどないにもかかわらず、アメリカの軍産複合体はこのように核兵器製造や売却のために莫大な予算をつぎ込んでいる。

 同社はカリフォルニア州にあるサンディア国立実験場で、核弾頭の設計や製造を行っている。ネバダの核実験場では、同社は臨界前核実験を新しい核兵器製造のために繰り返すようになった。

 ロッキード・マーティンはまた、ベクテル・ネバダや他の小規模な軍需産業とともに、ネバダの核実験場の管理を行っている。20035月、ロッキード・マーティン・ミッション・システムズとノースロップ・グラマン・ミッション・システムズは、核戦争のための装備や、核戦争の際のコミュニケーション手段を製造するための契約を与えられた。

 この契約は、8年間に及ぶ2億ドルの国防総省のプログラムで、長期化した核戦争に耐えられるためのコンピューターや通信システムの開発にある。両社はイラク、アフガニスタン、コソボで使用された劣化ウラン弾の製造を行う企業でもある。この劣化ウラン弾が特にイラクで奇形児を生んだり、湾岸戦争に参加した多国籍企業兵士に身体的障害をもたらしたりしたことはよく知られている。

 ベクテル・ネバダは、ネバダの核実験場で核兵器の実験や製造を行っている。ベクテル・ネバダとロッキード・マーティンが請け負った契約は19憶ドルと見積もられている。これらの企業が行う臨界前核実験は包括的核実験禁止条約に違反するものであることはいうまでもない。

 また、カリフォルニア大学の国家核安全保障局評議員は、アメリカにおける核兵器の管理を行っている。核兵器に関連するカリフォルニア大学の職員達は、ローレンス・リバーモアやロスアラモスの国立研究所に雇用されている。これらの研究所は毎年60億ドルの予算が与えられ、新たな核兵器の開発研究を行っている。これらの研究所で開発される核兵器は、B61爆弾、またW80巡航ミサイルの弾頭として用いられている。

 アメリカでは冷戦が終わってもなお新しい核兵器の製造が意図されている。テネシ州のオークリッジには、国家安全保障コンプレックスが存在する。このコンプレックスには、アメリカの核兵器の製造工場であるY12工場がある。また、テネシー峡谷の三つの原子炉であるワッツ・バー・ユニット(テネシー州のスプリング・シティの近くにある)やセクオヤ・ユニット12は、アメリカの核兵器製造のために必要なトリチウムを生産している。アメリカの物理学者のロバート・テイラー氏は、「アメリカの政治指導者たちはイラクが民間施設を大量破壊兵器製造のために利用しているというが、アメリカもまた同様な事を行ない、民間の原子炉を核爆弾製造のための施設としている」と語っている。

 アメリカの核爆弾は110年間、その威力を持続できるように改良が加えられていると語る核兵器学者もいるほどだ。40億ドルをかけるオークリッジの核兵器製造工場の再建は、現在のアメリカの核兵器製造能力を10倍高めることを目標としている。2004年のブッシュ政権の予算では、核爆弾製造のための予算は70億ドルで、前年よりも9%の伸びを示した。

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イランとアメリカの関わりをふり返る

2024年08月28日 | 国際・政治

 イスラエルによるナチス・ドイツに類するジェノサイドが、パレスチナのガザ地区で続いています。毎日、毎日、ガザでは、パレスチナの人たちが亡くなっています。

 それだけではなく、イスラエルは、ハマスのイスマイル・ハニヤ最高指導者を、イランの首都テヘランで殺害しました。イラン国内でハマスの最高指導者が殺害されたことを受けて、イランは報復を宣言しています。また、イスラエルは、しばらく前、レバノンのヒズボラ司令官も殺害しています。殺害されたのはウィサム・タウィル司令官と戦闘員だということです。

 私は、長く中東が安定しない責任は、アメリカにあると思っています。 

 だから、「イラン 世界の火薬庫」宮田律(光文社新書303) から、「第四章 イランとアメリカ」の「1、アメリカの意図」を抜萃しました。

 現在につながる重要な指摘があります。見逃すことができな指摘をいくつか列挙します。

 

〇 アメリカ軍の関係者たちがイランに潜伏して、イランの反体制運動との接触を図っている…。

〇 ハーシュ記者によれば、アメリカのイラン空爆の目的は聖職者主導のイスラム共和国体制を動揺させ、人々が政府打倒のために立ち上がることを促すというものだ。こうしたイスラム共和国体制の打倒は、…、AI PAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)系の研究所である「ワシントン近東政策研究所」のパトリック・クローソンによっても提唱されている。

〇 アメリカが核問題をイラン・イスラム共和国体制の打倒の口実として考えているのは中東の石油を支配するためで、イスラム共和国体制打倒のためには軍事力の行使が必要と国防総省の上級顧問も語るようになった。

〇 イランは、対テロ戦争によってアフガニスタン、イラク、中央アジア、湾岸諸国と米軍が駐留する国によって包囲されているが、そうしたイランが体制の維持を図るためには核爆弾の製造が必要だというのが少なからぬアメリカ政府高官の認識である。

〇 2006年冬、国防総省はイランの核施設を攻撃するために、M61─11という、地中を貫通する核爆弾である、バンカー・バスター戦術核の使用をホワイトハウスに提言したといわれている。

〇 ホワイトハウスもまた「イラン・シリア政策オペレーション・グループ(ISOGIran Syria Policy and Operation Group)」を設立し、アメリカのメディアに対してイランの否定的イメージを強調するように訴え、イランの反体制派に資金を与え、さらにイランに関する情報を蒐集するようになった。

〇 アメリカは、イランの核問題に関して国連安保理の動きがその期待通りいかない場合、安保理を無視して単独で、あるいは有志連合で軍事行動を起こす可能性がある

 

 こうした指摘を踏まえれば、現在、アメリカが、エジプトやカタールとガザの戦争の停戦交渉を仲介するということに期待が持てないことは明らかだと思います。停戦交渉の仲介は、多くの国が関わる国際機関や中立の立場にある国がするべきだと思います。イスラエルに対する軍事支援を続けるアメリカが、公平な停戦案を提示するはずはないと思うのです。アメリカが提示する「停戦案」は、きっとイスラエルと共有する戦略に基づいた案であり、国際社会を欺くためのものである可能性もあると思います。したがって、停戦に関わる報道には注意をする必要がある、と私は思います。

 また、下記のような報道は、アメリカのイスラエル支援が、アメリカ政府のみならず、軍産複合体と一体であることも示しているのではないかと思います。 

 アメリカのハイテク大手企業が、イスラエルのAIを活用した大量虐殺やアパルトヘイトを熱心に支援しているというのです。

 また、ハマスによる攻撃の直後、グーグルのCEOは、ソーシャルメディアで声明を発表し、イスラエル人に同情を表明し、メタ、アマゾン、マイクロソフト、IBMなど、他のハイテク企業の幹部たちも、みなイスラエルへの熱烈な支持を表明したとのことです。だから、抗議運動が行われているのです。

 中東に対するアメリカの関わりをふり返ることは、今、とても大事だと思います。

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                         第四章 イランとアメリカ

                          1、アメリカの意図

 倒したかった本当の敵

 200648日号の『ニューヨーカー』誌おいてジャーナリストのセイモア・ハーシュは、ブッシュ政権がすでにイランの核施設に対する軍事攻撃の準備段階に入ったと述べている。ハーシュ記者は、アメリカの空軍は空爆する標的のリストの作成に入り、またアメリカ軍の関係者たちがイランに潜伏して、イランの反体制運動との接触を図っていると伝えている。ブッシュ政権が、核問題に関連してイランのイスラム共和国体制の打倒考えていることは周知の事実となった。

 前にも述べたように、アフマディネジャド大統領はホロコーストを否定し、イスラエルが世界地図から抹殺されることを訴えた。こうしたアフマディネジャド大統領の姿勢に対してブッシュ政権の高官たちは、アフマディネジャド大統領が中東におけるアドルフ・ヒトラーになるのではないかと見ている。ブッシュ大統領はイランが核兵器を持とうとしていることを確信していると国防総省からも見られるようになった。

 ハーシュ記者によれば、アメリカのイラン空爆の目的は聖職者主導のイスラム共和国体制を動揺させ、人々が政府打倒のために立ち上がることを促すというものだ。こうしたイスラム共和国体制の打倒は、「はじめに」でも述べたように。AI PAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)系の研究所である「ワシントン近東政策研究所」のパトリック・クローソンによっても提唱されている。

 クローソンは長年にわたってイスラム共和国体制の打倒を提唱してきた人物で、イスラム共和国体制が継続する限り、イランは核兵器を持つだろうと述べ、イランに対して大規模な戦争を行うべきであると主張する。対テロ戦争開始以降、ブッシュ大統領が本当に打倒したかったのは、イラクのサダムフセイン政権ではなく、イランのイスラム共和国体制であるともアメリカでは見られている。

 アメリカが核問題をイラン・イスラム共和国体制の打倒の口実として考えているのは中東の石油を支配するためで、イスラム共和国体制打倒のためには軍事力の行使が必要と国防総省の上級顧問も語るようになった。イランは、対テロ戦争によってアフガニスタン、イラク、中央アジア、湾岸諸国と米軍が駐留する国によって包囲されているが、そうしたイランが体制の維持を図るためには核爆弾の製造が必要だというのが少なからぬアメリカ政府高官の認識である。

 軍事アナリストのサム・ガーディナーは、イランの核兵器開発能力を完全に奪うためには、イランの化学兵器工場、イラク国境の近くに配備されたイランの中距離弾道システム、14時空軍基地を攻撃し、さらにペルシャ湾のタンカーの航行にとって脅威となるイランの巡航ミサイル・システムや潜水艦を攻撃しなければならないと主張している。イラン・イラク戦争でイラクが化学兵器を使用したことは有名だが、イランもまたイラン・イラク戦争中から化学兵器部隊を持っていた。



 友好国への武器移転

 2006年冬、国防総省はイランの核施設を攻撃するために、M61─11という、地中を貫通する核爆弾である、バンカー・バスター戦術核の使用をホワイトハウスに提言したといわれている。このバンカー・バスター戦術核は、特にテヘランから300キロほど離れたナタンズの核施設を攻撃するために必要と考えられている。5万基とも推測される遠心分離器を持つナタンズの核施設は、地下100mほどの地中深く掘られてているからだ。

 アメリカはナタンズが、もはやIAEA(国際原子力機関)の監査体制の下に置かれていないと判断している。かりにナタンズの5万基の遠心分離機が実際に稼働すれば年間20発の核弾頭を製造できるとアメリカは主張するようになった。ナタンズの核関連施設の破壊はイランの核エネルギー開発能力を奪う重大な手段であるが、通常兵器ではこの核施設を破壊することは不可能とアメリカは政府は考えている。

 アメリカは、核開発を行ない、ヒスボラにロケット弾を移転するイランの軍事的脅威に対し、その同盟国であるイスラエルの軍事力を強化するために、イスラエルや中東におけるアメリカの友好国に武器を移転するようになった。アメリカはイスラエルによるナタンズ攻撃にも備えて100発のバンカー・バスター爆弾をイスラエルに売却したと見られている。このバンカー・バスターの移転は、核開発を行っているイランに圧力を加える目的を持っている。

 20066月下旬に、アメリカの防衛協力局「DSCADefense Security Cooperation Agency=ディフェンス・セキュリティ・コーポレーション・エージェンシー」は、アメリカによる諸外国への110億ドルの武器売却を承認するよう議会に求めた。アメリカ製兵器の最大の輸入国はサウジアラビアで、サウジアラビアはその国家防衛隊の近代化のために58億ドルの予算を投入するつもりでいる。サウジアラビア政府は旧式のMIA2戦車に代えてM1A2戦車を購入する予算を29億ドル計上した。

 アメリカ政府がナタンズの核施設に関して充分な情報を持ちあわせていないことも、またアメリカ政府に戦術核の使用を検討させる結果になっている。アメリカ政府にとって戦術核の使用はきわめて難しい選択だが、かつてアメリカは日本に対して困難な決定を行ったと語る高官もいる(広島長崎への原爆投下を指す)。

 アメリカの統合参謀本部ではいったんイランに対する核兵器の使用を断念する声も上がったが、ホワイトハウス関係者の一部はイランへの戦術核の使用を放棄していないとと見れている。特に、ラムズフェルド元国防長官が選出したメンバーからなる「国防科学委員会(Defense Science Bディフェンスセキュリティボードは、イランに対する戦術の企画の使用を支持し、Defense Science Board)」は、イランに対する戦術核の使用を支持し、より破壊力があり、放出する放射能の少ないB61─11を使用できると国防総省に提言を行っている。

 

 ネオコンの意向

 2007年になって、ブッシュ政権はイランとシリアに対する敵対的姿勢をより明確にするようになった。ブッシュ大統領は110日の演説で、イランとシリアがテロリストを支援しているが、イラクのテロリストたちを訓練し、武装させているネットワークをアメリカが壊滅させると述べた。

 200611月の中間選挙でイラク戦争に対する「ノー」という答えが国民から突き付けられ、ネオコンの影響力が低下したと考えられているものの、ブッシュ大統領の「新イラク戦略」はネオコンの「アメリカ企業研究所(AEI)のフレデリック・ケーガンの考えに基づいている。AEIは、アメリカのイラク戦争を最も熱心に提唱したシンクタンクで、ケーガンはネオコンの雑誌である『ウィークリー・スタンダード』の編集者としてウィリアム・クリストルとともに活動している。イラクへの2万人以上の増派もAEIの発案によるものだ。

  ネグロポンテ国家情報長官が辞任した背景にもネオコンの意向があったと見られている。ネグロポンテがイランは次の10年間に核兵器を製造できないと発言したことが、ネオコンやユダヤ・ロビーの逆燐に触れたとされる。モサドなどイスラエルの情報機関は、イランがあと2年で核弾頭を保有するようになるとしきりに訴えるようになった。

 2007年にアメリカ中央軍司令官にはウィリアム・ファロンが任命されたが、彼は空爆の専門家であり、アメリカやイスラエルによるイラン攻撃は空爆で行われることが想定されているため適任だとみられている。ファロンはネオコンと近い関係にあり、アメリカとイスラエルの軍産複合体の協力を推進するJINSA(ユダヤ国家安全保障研究所)の2001年の授賞式に功労者として参加した。JINSAはイラク攻撃を推進し、そのためのロビー活動を行っている。ディック・チェイニー副大統領、またジョン・ボルトン元国連大使もJINSAのメンバーだった。

 ホワイトハウスもまた「イラン・シリア政策オペレーション・グループ(ISOGIran Syria Policy and Operation Group)」を設立し、アメリカのメディアに対してイランの否定的イメージを強調するように訴え、イランの反体制派に資金を与え、さらにイランに関する情報を蒐集するようになった。ISOGで指導的な立場にあるのはやはりネオコンのジャームズ・F・ジェフリー、エリオット・エイブラムズである。

 エリオット・エイブラムズはイスラエルのタカ派であったベンジャミン・ネタニヤフの政策立案などを行い、ネタニヤフ首相の下で作成した『完璧な突破口』という報告書では、シリア・イラン・ヒスボラを攻撃し、入植地の拡大を提供していた。エイヴラムズは、20067月のイスラエルとヒスボラの戦闘の際にはシリアを攻撃する事を主張した人物だ。

 

 アメリカ政府説

 アメリカ政府の説では、アフマディネジャド大統領は1986年に革命防衛隊の特殊部隊に入り、1980年代後半のテロ活動に加わったという。アメリカはアフマディネジャド大統領が、テヘランのアメリカ大使館占拠事件にも関わったと主張しているが、こうしたアメリカ政府の主張は、アメリカ国民のイランに対する憎悪を強めるためのものであることは間違いない。

 アフマディネジャド大統領が革命防衛隊員であったことはアメリカのイラン攻撃に絶好の口実を与えている。さらにアメリカ政府は、アフマディネジャド大統領はFBIの指名手配人物であるイマド・ムグニーイェとも関係を持っていたと訴えるようになった。ムグニーイは、1983年にレバノンのベイルートにおけるアメリカ大使館やアメリカ海兵隊兵舎爆撃事件の首謀者の一人とFBIは主張している。

 CIAの中東担当官であったロバート・ベアは、アフマディネジャド大統領や革命防衛隊は核兵器を製造することができ、それをイスラエルに向けて発射する可能性があると語る。

 アメリカは、イランの核問題に関して国連安保理の動きがその期待通りいかない場合、安保理を無視して単独で、あるいは有志連合で軍事行動を起こす可能性がある。

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停戦を最優先して考えれば、結論は、・・・

2024年08月25日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞の「時事 小言」欄に”米大統領選 「未来」をまとうハリス”と題する藤原帰一教授の文章が掲載されました。私は、ハリス応援団の活動家のような文章だと思いました。

順天堂大学特任教授 国際政治)という立場で書く文章ではないような気がしたのです。

 私は、アメリカのバイデン政権(DS)の影響下にある教授が、朝日新聞の読者を、自らの側に引き込むために書いた文章のようにさえ思いました。客観的事実に基づいて、現状を分析したり、考察したりされていないように思ったのです。ハリス候補を持ち上げ、トランプ候補を痛罵するだけの文章は、国際政治の学者が書く文章ではないような気がしたのです。

 その文章のなかに、

”バイデンの再選断念は、しかし、稀に見る政治的結集を引き起こした。バイデンが候補なら大統領選ばかりか、上下両院も共和党に奪われてしまう。何よりも、トランプが再び大統領になれば民主党ばかりかアメリカ政治が破滅する。その恐怖のために民主党はハリス候補支持にまとまったのである

 とありました。トランプが再び大統領になれば、”アメリカ政治が破滅する”、とはどういうことでしょか。

 それは、アメリカ政治の破滅ではなく、正確に言えば、”DSの破滅”ということではないのでしょうか。

 そして、トランプ候補の公約「DS(=闇の政府)解体」が実施されれば、多数の連邦政府職員の解雇や離職が予想され、行政機関のキャリア官僚の権限も削減されて、大手メディアや国際政治に関わる大学の関係者、研究機関の関係者などDSの影響下にある人たちが、自らの立場が危うくなることを、”アメリカ政治の破滅” として恐れているということではないのでしょうか。

 また、私が、日本の大手メディアが、バイデン政権(=DS)の影響下にあると思うのは、みな判で押したようにハリス候補を持ち上げ、トランプ候補を批判し、非難する傾向が強いからです。

 トランプ候補を支持する姿勢を示し、ハリス候補を批判したり、非難したりするメディアは日本にはないような気がするのです。

 でも、私は、海外基地から米軍を撤退させたり、”私は新たな戦争を始めなかった、ここ数十年で初の大統領となったことを特別に誇らしく思う”と述べたり、「ウクライナ戦争を終わらせる」と語り、さらに、「私が大統領なら、ハマスのイスラエル襲撃はなかった」と主張するトランプ候補を、もっと高く評価するメディアがあってもいいのではないかと思っています。 

 また、ウクライナでの「代理戦争」が続けば世界規模の戦争に発展する危険性がある、とか、外交政策のロシアが最大の脅威だというのはデマだ、とか、私たちを永遠に終わらない戦争へと引きずり込むグローバリストとネオコン、ディープステートの完全解体とNATOの目的と使命の見直しが必要だというような、トランプ候補の主張は、でたらめでしょうか。私には、そうは思えないのです。


 下記は、今、イスラエルに対する報復攻撃が予想されるイランの過去をふり返るために、「イラン 世界の火薬庫」宮田律(光文社新書303から、抜萃した文章です。

 当時のイランでは、「イスラエル国家の移転」を唱える、強い反米・反イスラエルのアフマディネジドが大統領でしたが、イランはきちんと約束が果たされれば、共存可能な国であることがわかると思います。イスラエルやアメリカが、イランの内政に干渉したり、イランの弱みにつけこんだりするから、イランの政治家は、イスラムの教えに固執するようになり、共存が難しくなるのだと思うのです。

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                          はじめに

 社会的変化

 核問題で揺れるイランを20069月に訪問した。

 2005年に大統領に就任したアフマディネジャド大統領の急進的な主張を聞いていると、イランでは厳しい社会的引き締めが行われているのかと思ったが、その予想は簡単にくつがえされた。イラン革命の指導者ホメイニの存命中は、女性のイスラム・コート(身を覆うコート)はひざ下までなければならなかったが、現在ではひざ上20cmから30cmぐらいはありそうな短いものを身につけている女性が数多く街を歩いている。

 また、インターネットへの規制は厳格に行われておらず、私が開けようとしたサイトで接続できないのはなかった。戸外では厳しく禁じられている肌を露出した女性の姿もインターネットを通じて見ることができた。

 伝統的な喫茶店に行くと、紅茶を飲みながらデートする若いカップルの姿を目にした。1979年の革命で成立したイスラム共和国体制は、未婚の男女のデートをイスラム的規律に反するものとして禁じていたが、現在ではそうした規制も歯止めがきかなくなっている。夜の街では若者たちがオートバイの曲芸乗りをし、爆音を上げて走行している。

 首都テヘランの「銀座」ともいうべきヴァリー・アスル通り(王政時代のパフラヴィー通り)を歩くと、高級な婦人靴や衣料品もずらりと並べて売られている。テヘラン北部の比較的高級な住宅街では、イスラムでは不浄視される犬を連れて散歩する人たちの姿も見かけた。

 このように、イスラムの戒律を厳格に適用したイスラム共和国でも欧米文化が浸透し、その社会的変化は容易に止められそうにない様子だった。

 しかし、社会的変化はともかく、イスラム共和国政府が体制を揺るがすような政治変動を認めるわけにはいかない。イスラム共和国体制の安定や継続は、アフマディネジャド大統領などイランの政治指導者にとって最も優先すべき課題であることに違いない。

 イランではハタミ元大統領時代に雨後の筍の如く改革派の新聞が現れたが、現在では反政府運動の芽は厳しく摘み取られているので、反政府的な新聞を目にすることは全くなく、顕著な反体制組織も存在しない。アフマディネジャド政権になってメディアへの締め付けは明らかに厳しくなり、政府による抑圧的な方針は目に見えて強まっている。

 

 イラン政治の特色

 19896月に他界したホメイニ廟を訪ねた。テヘランの中心から廟があるベヘシュテ・ザフラーまで地下鉄で移動した。この地下鉄は中国企業が建設を請け負い2000年に開通したが、石油需要が急速に伸びる中国と世界でも有数の産油国であるイランが経済関係を強めていることを地下鉄に乗ってもうかがい知ることができた。

 バスは男女の席が厳格に分けられているが、地下鉄は女性専用の先頭車両を除いてそのようなことはなかった。私の前に座ったイラン人の夫婦は、テヘランからおよそ150キロ離れたところに位置するカーシャーンから来たといってホメイニ廟がある駅で降りた。

 ホメイニ廟は、ホメイニが亡くなった直後は彼の石棺を追うだけの小さな建物でしかなかった印象だが、いまや巨大な建造物となった。廟の敷地には、いくつかの付属の宗教施設が建てられ、レストランなどが入るショッピングセンターもでき上がっている。地下鉄やバスを使って、宗教心に富むイスラム共和国体制を熱烈に支持する、地方のあまり豊かでない人々が廟を訪ねている様子だった。彼らは大きな布を地面に敷いて、その上に家族で座り、食べ物や飲み物を口にして会話に興じている。

 ホメイニ廟に見られるように、イスラム共和国は、その体制のイデオロギーを普及することには多くの予算を費やしているようだ。

 廟にある書店では、イスラム共和国のイデオロギーを宣伝する書籍が売られていたが、こうした書籍は政府の補助金によって非常に安く手に入るようになっている。イラン革命のイデオロギーに忠実な「革命防衛隊」が経営する書店やビデオショップでも、ホメイニやハメネイ最高指導者のポスター、イラン・イラク戦争で戦死した革命防衛隊の司令官たちの写真、また、イラン・イラク戦争のドキュメンタリーVCD(日本のDVDのようなもの)やイスラムの聖職者の説法が安価な値段で売られている。こうした書店やビデオショップ街を歩くのは、ほとんどが革命防衛隊か、民兵組織スィージュのメンバーであると教えられた(革命防衛隊とバスィージュについては第2章で詳しく述べる)。どの顔を見ても、人の良さそうな「おじさん」や「お兄ちゃん」ばかりだ。

 イランではアフマディネジャド政権になって、大統領自身がそうであるように、この「革命防衛隊」の出身者たちが政治や社会の中枢につくようになった。数千人の文民の政府官吏が「革命防衛隊」の出身者にとって代わられたという見積もりもあるほどだ。イランの州は30あるが、そのうちの11州の知事は革命防衛隊の出身者である。

 ごく普通に見える「お兄ちゃん」たちが革命防衛隊である背景には、若者の就職難がある。最近は、原油高によってイラン経済に追い風が吹いているといわれるが、著しい人口増加(王政末期は3300万人ぐらいで、現在は7000万人とも見積もられる)、イラン革命やイラン・イラク戦争、またアメリカの経済制裁などの影響によってイラン経済はずっと苦境であり、失業率は15%を軽く超えると見られている。つまり、経済的に豊かではない層は、革命防衛隊に入ることによって職や社会的ステータスを得ようとしているわけだ。

 イランでは大統領選挙は公平に行われているのかと現地のジャーナリストに尋ねたら、革命防衛隊や、民兵組織のバスィージュが選挙に大量に動員されて、革命防衛隊出身のアフマディネジャド大統領に投票したのだろうという回答が返ってきた。

 パスィージュのメンバーは800万人もいて、それが体制を支える装置として機能し、反政府的な考えや動きをする人物がいないか監視している。また、政府主催の集会や体制支持のデモにもバスィージュが動員されている。このように、抑圧的な権威主義体制と、政府よる大衆動員は現在のイラン政治の特色だ。



 経済格差 ・・・略



 特殊な信仰

 アフマディネジャド大統領も、ホメイニ廟を訪ねる多くの人々と同様に、地方の貧しい保守的な家庭の出身である。彼は、イスラム・シーア派の聖地であるコムの「ダール・ラーヘ・ハグ」という神学校で学んだ。この神学校で学んだ学生たちは、「イスラエルの抹殺」の提唱など急進的なイデオロギーを身につけるが、現在ではそうした思想がイラン政治に影響力を持つようになった。

 アフマディネジャド大統領のイスラム解釈は、イラン国内でも。波紋を呼んでいる。

 大統領は第十二代イマーム(シーア派が考える預言者ムハンマドの後継者)が地上に間もなく再臨することを説いている。イランで信仰されるシーア派十二イマーム派は、初代イマームのアリー(預言者ムハンマドの娘婿で、シーア派から唯一の正当な後継者と考えられている)から数えて12代目のイマーム(幼少の頃行方不明となる)が、信徒の苦難の時代に正義と平等をもたらすためにマフディ(救世主)としてこの世に再臨すると考える。

 このように、シーア派はイスラム共同体の最高指導者として預言者ムハンマドの血筋を重視するが、それに対してイスラム世界の多数派のスンニ派(イスラム世界総人口の90%を構成するとみられる)は、預言者ムハンマドの後継であるカリフや、その後のイスラム王朝が預言者の正統な後継者と見なす。

 アフマディネジャド大統領はマフディの存在をすでに感じていて、2年後に再臨すると2006年に訴えている。こうした考えは、マフディの再臨の時期を明確にしていない正統な12イマーム派の考えからかけ離れている。

 アフマディネジャド大統領は20059月に国連で演説した後、彼自身が神聖な緑(イスラムの色)の光によって囲まれていることを訴えた。アフマディネジャド大統領は、宗教的事象についてはハメネイ最高指導者でなく、強硬派と言われるコムのアーヤットラー(シーア派の高位聖職者の位階)のモハンマド・タギー・メスバース・ヤスディ師の教示を得ているとされている。コムなどシーア派神学研究の中心地にある神学校で記憶中心の教育が行われれば、ヤスディ師のような急進的宗教指導者の、反米・反イスラエルを強烈に説く過激な訴えが学生たちの頭に容易にインプットされることになる。



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戦争を起こさぬ主権者の責任とは、

2024年08月22日 | 日記

 朝日新聞は、818日、社説に「戦後79年に思う」「戦争を起こさぬ主権者の責任」と題する記事を掲載しました。

その記事は、結論ともいえる下記のような文章で結ばれていました。

私たちは何をすべきか。

 権力を批判する自由があり、誰もが尊重され権利が守られる社会を築く。政策や法制度の変化を点検する。そうした営みに、主権者として自律的にかかわる。決して未来に惨禍を起こさぬために

 立派な文章だと思いますが、私は、言葉の裏に、中国やロシアには権力を批判する自由がない、という中ロ敵視の意味が隠されているように感じました。そして、朝日新聞を含む日本の大手メディアが、”誰もが尊重され権利が守られる社会を築く”ための報道をしていないと思うのです。

 先日、沖縄タイムスは「過剰な基地負担に憤り 辺野古座り込み抗議10」と題する記事を掲載しました。辺野古新基地の問題や米兵の少女誘拐・暴行事件の問題、自衛隊の南西シフトの問題等に声をあげ続けている人たちがいるのに、大手メディアで、ほとんど報道されないのはなぜでしょうか。

 また、岸田首相が独裁的に決定し、防衛大臣と財務大臣に指示をした防衛費増額決定の経緯を問題とせず、中国敵視の報道を続けているのはなぜでしょうか。バイデン大統領は、先だって、ABCテレビのインタビューで、自身の功績として「日本に予算を増額させた」と述べたのです。日本の防衛費増額方針は、バイデン大統領が自らの手柄として語ったのです。ボケ老人の空想などではないのです。だから、日本の「自主的判断」などという言い訳は通用しないと思います。

政策や法制度の変化を点検する”というのであれば、日本の主権や民主主義に関わるこの重大問題を追及すべきではないでしょうか。それをせず、上記のような文章で社説を締め括るのは、朝日新聞が、アメリカの戦略に従っているからで、読者に「仕方がない」と受け止めさせるためではないか、と私は思ってしまうのです。 

 

 朝日新聞は、814日には、「アフガン 少女は心も壊された」「児童婚・暴力・増えるうつ病」「学校も遊園地も許されない タリバン支配3」「自殺図った少女 医師になりたい」というようなタリバン非難の記事を掲載しました。でも、タリバンが厳格なイスラム思想に固執し、乗り越えようとしないことの責任の多くは、アメリカのアフガニスタン侵攻・爆撃にあるのではないでしょうか。

 アメリカ同時多発テロ事件の首謀者ウサーマ・ビン・ラーディンを匿っているとして、アメリカが一方的にアフガニスタンに侵攻し、激しい爆撃をくり返えして生活基盤を破壊し、タリバン政権を崩壊させたことが、アフガニスタンの現在のさまざまな悲劇につながっているのではないでしょうか。どうして、そうした経緯や実態を問題にせず、タリバンを悪者して済まそうとするのでしょうか。

 一方的に家族や友人、知人を殺され、生活基盤を破壊された人たちが、アメリカや有志連合の国々の文化や思想を受け入れようとするでしょか。貧しい生活が続くことになって、伝統のイスラム思想に固執せざるを得ないのではないでしょうか。日本も、アフガニスタン侵攻・爆撃に関わったことを忘れてはならないと思います。

 朝日新聞のタリバン理解も、”主権者として自律的”なものではなく、歪んでいる、と私は思います。アメリカの戦略に基づく、善悪を逆様に見せる報道だと思います。

 タリバンがアメリカを爆撃したでしょうか。ウサーマ・ビン・ラーディンを匿ったら、アメリカや有志連合の国々に、アフガニスタンのタリバンを爆撃する権利が発生するのでしょうか。

 下記は、「わたしは見たポル・ポト キリング・フィールズを駆けぬけた青春」馬渕直城(集英社)からの抜萃ですが、

軍は私たちを尋問した後、ラングーンの日本大使館に送ろうとし、日本大使館に問い合わせたが、あろうことか大使館は私たちを国境からタイ側へ追放するようにと指示した。

 自国民を保護するどころか、騒乱中に陸路、国境まで送り返せというのである。極悪非道で通る軍事政権の地方司令官でさえ信じられない様子で、私に申し訳ないといった顔を向けた

 というような記述があります。

 また、「あとがき」には、

”米軍の撤退のため、ある日突然カンボジアに拡大されたベトナム戦争。そして東南アジアの平和な仏教国を長い戦争に巻き込んでしまいました。それはあくまでも外からやってきた戦争で内戦など一度もありませんでした”

 という記述もあります。善悪は、客観的な事実を知らないと判断できないと思います。

 そして、「戦争を起こさぬ主権者の責任」は、戦争をくり返してきたアメリカとの同盟関係の見直しによって、果たされるのではないかと思います。

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                      第六章 復興のなかで

 揺れるインドシナ

 1988年、ビルマで民主化闘争に火がついた。私は友人のラオス専門家、竹内正石氏と闘争最盛期に潜入取材を行った。

 入国に際し、旧日本陸軍が英領ビルマに侵攻したのと同じルートを使った。タイのメソットから国境のムーイ川を渡り、ドーナ山脈を越えて行くルートだ。

 初めビルマ軍事政権に対して独立闘争を行っているカレン民族解放軍に案内を頼んだが、無理だと断られた。簡単に歩いて行けるような道はないのだ。

 仕方なしにメソットに住む旧日本兵中野弥一郎さんにお願いし、現地に詳しい案内人を見つけてもらった。

 吸血ダニやヒルたかられ、難路に苦しみながらも、どうにかカレン州の州都パアンへ辿り着いた。そこで反政府活動を取材している時、その時はまだ中立を装っていたビルマ軍パアン司令官から呼び出され、警察署に軍隊一個小隊の護衛(監視)付きで軟禁された。「暴徒から守ってやる」という理由だった。

 その拘留中、ビルマ軍は反乱鎮圧に動き、民主化闘争を武力で弾圧した。ちょうど世界中がソウル・オリンピックに目を奪われている時だった。

 軍は私たちを尋問した後、ラングーンの日本大使館に送ろうとし、日本大使館に問い合わせたが、あろうことか大使館は私たちを国境からタイ側へ追放するようにと指示した。

 自国民を保護するどころか、騒乱中に陸路、国境まで送り返せというのである。極悪非道で通る軍事政権の地方司令官でさえ信じられない様子で、私に申し訳ないといった顔を向けた。

 ビルマ軍部は私たちを国境から安全に追放するために、国境付近に展開しているカレン軍に軍事攻撃を仕掛けた。補給用武器弾薬を送る輸送軍団の準備をするのに、まず数週間かかった。

 輸送に使用された軍用トラックは、軍事目的に使われてはないはずの日本ODAによる車だった。軍用に再塗装された日本製トラックは、少数民族ゲリラが待ち伏せ攻撃を行なう道を走った。車の轍(ワダチ)分だけが二本、コンクリートで舗装されている。世界でビルマだけにある奇妙な道だった。そこを通り、国境の街ミャワデまで送られたのである。

 そのコンボイの隊長F中尉は、不思議なことにアメリカのウエスト・ポイント陸軍士官学校の出身だった。まる2日間の護送中の会話のハイライトは、同年918日に軍部が行った”血の弾圧”をどう思うかと訊いた時だった。彼は答えた。

「軍人は命令に従うものだ」

「ではその命令が人間として従えないものであったらどうするのか」

「どのような命令でも、従うのが軍人だ……だが、あえて言うなら、人間として従いづらい命令は出してほしくない」

 暗に、”血の弾圧”を批判した。彼はパアンの街で購入したタバコを、道すがら街道警備に立つ兵士たちに配り、労をねぎらう心遣いを見せていた。

 日本政府はビルマを何とかインドネシアのような国にして、ASEANメンバーとしてうまくやって行かせたいと考えている。背景には先述したように、ODA資金の円滑な還元(キックバック)の問題がからんでいると思われる。アウンサン・スーチーさんの軟禁や民主化運動を武力弾圧する軍事独裁国家にはODA資金を投入しづらい。その点、インドネシアのような国ならやりやすいということだろう。

 同じ年の春、私はインドネシアのジョクジャカルタへ行った。ジョグジャカルタでは、その数年前に突発的なデモが起っていたが、私が行った時にはデモは完全に収まり、何かが起こりそうだという気配はどこにも感じられない。

 だが、そうはいっても人々の生活は決して楽ではなく、みな貧困に喘いでいた。きっかけさえあれば不満が爆発するだろう。事実、その後インドネシアの各地で反政府活動による事件が頻発した。ごく一握りの金持ちと、圧倒的大多数を占める貧困層。その不満は並大抵のことでは解消できない。取材後ほどなくして、インドネシアのスハルト大統領は倒れ、その後何人かの大統領が立ったが、誰一人として最大の問題である貧富の激しい差を縮めることができた者はいない。

 カンボジアに国連の介入が決まり、91年末から先遣隊(UNAMIC)が投入された。そのなかに一人アジア人の好青年がいた。インドネシア軍のA少佐だった。

 カンボジア王朝のスリビジャヤ王国時代は、その版図がインドネシアにまで及んでいたといわれているが、A少佐の顔付きは、アンコール・トムを都とし造成したクメール王国の覇王ジャヤバルマン七世にそっくりだった。彼はその後のUNATC時代になってからもカンボジア各派と連絡を取り、各派から信頼されて重要な役割を果たし続けた。

 インドネシア軍が当時、一番武力衝突事件が多かったコンポン・トム州に派遣されることが決まると、A少佐はその司令官に任命された。ポル・ポト軍、シハヌーク軍とヘン・サムリン軍、ベトナム軍が戦闘を続けるなか、その危険地帯をうまく治め、各派の支配下の人々と連絡を取り、停戦を進めて武器の廃棄、選挙準備をするなど、彼の手腕は国連PKO軍の中でも高く評価されていた。

 UNTAC軍のなかでも、オランダ軍やオーストラリア軍が、わざわざポル・ポト軍を挑発するような行動を取ったことに対して、インドネシア軍は同じ顔つきをしたアジア人同士ということもあってか、友好関係を保つように行動した。

 しかしカンボジアでは友好的だったそのインドネシア軍が、東チモールの独立に際しては、過酷な弾圧を行った。また、インドネシアは世界最大のイスラム国家であり、米英の反イスラム戦略の対象となっていることから、これに反発するイスラム教原理主義の台頭も懸念されている。こうした状況の下、A少佐のような青年将校が支配権力と民衆の間で翻弄され、苦労することがないようにと願わずにはいられない。

 これらインドシナ半島をめぐる情勢が揺れ動いているなか、19929月、日本の自衛隊はカンボジアのUNTAC時代に戦後初めてとなる海外派兵を行った。

 最初は基地作りから始め、簡易道路を作った。戦後最大の国連介入だというのに、UNTAC自体には資金が乏しく、カンボジアの激しい雨季に耐えられるような道路は、結局一本も作れなかった。海外派兵という既成事実ばかりが先行し、内実が伴わなかったのは残念としか言いようがない。

 国連監視下の総選挙をポル・ポト派が妨害するという噂が流れた時、自衛隊はそれまで見せなかった自動小銃を持ち、武装した。そして道路工事中も防衛のためと称して、一般通行人に銃口を向けた。この時点で自衛隊は占領進駐外国軍となった。このことによって、どう言い繕おうと、自衛隊はカンボジア国民にとって敵となったのだ。これは国連側の妄想で、実際にポル・ポト派は選挙に参加こそしなかったが、フンシンペック党を支持したのだった。
















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善悪を逆様に見せるプロパガンダ

2024年08月17日 | 国際・政治

 813日、朝日新聞は、日本にある米軍基地に関し、かなり突っ込んだ記事を掲載しました。

”日米 不平等変わらぬまま”とか、

”地位協定の壁「改善」でごまかし”

”公務中 米軍に裁判権 独・伊・韓では改定実現”

”改定求めぬ政府 世論も背景”

”絶えぬ米軍機事故 放置される「異常」”

”規制できない飛行 辺野古移設でもくり返す恐れ”

”沖縄の戦後と主な米軍機事故” 

”沖縄県内で起きた最近20年間の米軍機事故”

”進む軍事一体化 全国にリスク”

 などと題されて、それぞれの問題点が取り上げられていました。しばらく前には、米軍基地と有機フッ素化合物(PFOSPFOA)の問題もかなり詳しくとり上げていました。

 だから朝日新聞は、米軍基地基地問題に関しては、日本人が知っておくべき事実の報道を続けていると思います。でも、朝日新聞は、日常の報道で、それを帳消しにしてしまっていると思います。

 客観的事実の報道を通じて、ウクライナ戦争を止めたり、台湾有事を回避したりするための努力をせず、ロシアを敵視してウクライナを支援し、中国を敵視して自衛隊の南西シフト問題に目をつぶっていると思います。だから、米軍基地問題の報道は、意味のないものになってしまい、「仕方がない」という問題になっていくのだと思います。米軍基地問題を脈絡のない話にせず、下記のような住民の行動と結び付けて報道すべきだと思います。

 日本政府は、アメリカの戦略に基づいて、中国やロシアを敵視し、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では、「力による一方的な現状変更の試みに反対」とか、「自由で開かれたインド太平洋地域を実現」などともっともらしい表現を使って提起した政策に、G7関係国の同意を得たようですが、その内実は、日米同盟の強化(さらなる日本の属国化)であり、緊張を高め、台湾有事をもたらす自衛隊の南西シフトであり、中国を敵とするアメリカを中心とする近隣諸国との軍事的一体化だと思います。

 また、サミットでは、”中国が海洋進出を強める東・南シナ海情勢に深刻な懸念を示し、力や威圧によるいかなる一方的な現状変更の試みにも強く反対すると表明した”ということですが、そうした日本政府の外交を追認する報道ではなく、日本政府に漠然とした表現を改め具体的に指摘して話し合う場をもうけることを提起すべきだと思います。

 そうした努力をせず、武力衝突を前提にして、さまざまな政策が進められている現実に目をつぶっては、米軍基地問題の報道は、意味を失うと思います。

 そしてそれは、アメリカの戦争戦略に手を貸すことだと思います。

 しばらく前、米中央情報局(CIA)のバーンズ長官が講演で、アメリカの「機密情報」として、中国の習近平国家主席が「2027年までに台湾侵攻を成功させる準備を整えるよう、人民解放軍に指示を出した」との見方を示したことが報道されました。でも私は、それはアメリカの対中戦略上必要なプロパガンダで、「機密情報」というのは、事実ではないと思います。

 それは、何もしないと年々アメリカ離れが進み、衰退していくアメリカが、覇権と搾取や収奪による利益の獲得を維持するために計画した対中戦略の一環なのだと思います。

 なぜなら、中国が、現在、国際社会や台湾の反対を押し切って台湾に侵攻する理由などないと思うからです。

 台湾有事を必要としているのは、覇権や圧倒的な利益の獲得を維持し、やりたい放題をやってきたアメリカだと思います。そういう意味でアメリカは特殊な国だと思います。アメリカは他国となかよく利益を分け合い、民主的な国際関係を維持することができない、特殊な国になっていると思うのです。現在のアメリカ社会を維持するためには、覇権と搾取や収奪といえる圧倒的な利益の獲得が必要であり、他国となかよくし、民主的な国際関係を築くことはできないのだと思います。

 だから、何もしないと年々アメリカ離れが進み、衰退していくアメリカが、覇権と圧倒的な利益の獲得を維持するために計画した戦略として、ウクライナ戦争があり、台湾有事があるのだと思います。

 

 今、中国はさまざまな課題を抱えつつも、着実に国際関係を広げ、発展していると思います。

 先月、上海協力機構(SCO)首脳会議が、カザフスタンで開催されました。SCOの役割を拡大し、世界の平和・安全・安定を固める条件を作り出し、新しい世界秩序を構築するとした「アスタナ宣言」をはじめ、25の文書を採決したといいます。また、ベラルーシの正式加盟が承認され、加盟国が10カ国になったということです。その加盟10カ国の総国土面積は3,500万平方キロメートルを超え、人口35億人以上、世界のGDPの約4分の1を占め、世界貿易のシェアは15%以上だといいます。 

 だから、議長国カザフスタンの大統領は、首脳会議の演説で、SCOが大きな潜在力を持ち、世界的で重要な役割を担う組織に成長したと述べた(カザフスタン大統領府ウェブサイト)ということです。

 さらに、加盟国による非干渉、平等、相互利益を基本としている「BRICS」も、年々拡大しています。中国やロシアを中心とする反米・非米の国々の組織が拡大しているのです。だから、中国が台湾に侵攻する理由はないといってもいいと思います。

 バイデン政権は、14回にわたり、さまざまな武器を台湾に売却したといいます。日本をはじめ、近隣諸国にもさまざまな働きかけをして、軍事的関係を深めています。中国は黙って見過ごすわけにはいかないだろうと思います。だから、東・南シナ海における「中国の海洋進出」というのは、アメリカの戦略抜きに語れることではないと思います。

 善悪を逆様に見せるアメリカの戦略に乗ってはいけないと思います。

 ユネスコ憲章に、”戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。”とあります。

 今、日本は、戦争の支援や準備ではなく、ロシアや中国と”平和のとりでを築く”努力をすべきだと思います。

 

 下記は、引き続き、「わたしは見たポル・ポト キリング・フィールズを駆けぬけた青春」馬渕直城(集英社)からの抜萃ですが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュに関する客観的事実の報道が蔑ろにされ、善悪を逆様に見せる結果になってしまったといえるように思います。

 ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる粛清や拷問による死者も少なくなかったとは思いますが、”元来保守的で温厚な性格のカンボジア農民を苛烈な反米闘争へと駆り立てたのは、米軍による73年の大々的な無差別爆撃であった”という現実を見逃してはならないと思います。

 事の始まりは、アメリカの反共戦略に基づくベトナム戦争であり、カンボジアに対する大々的な無差別爆撃だと思います。

 アメリカによる爆撃の死者に目をつぶり、”民主カンプチアを懸命に建設するポル・ポト以下、指導部を大虐殺集団に仕立て”るような報道は許されないと思います。 

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                    第三章 民主カンプチアの誕生

 仕立てられた大虐殺

 1978年、日本国政府はすでに民主カンプチアを独立国家として承認し、在北京日本大使がカンボジア大使を兼任していた。その後、一時帰国した私は北京経由で入ってくる民主カンプチア政府の発表を順次翻訳するなどして入国の機会を窺っていた。

 そんな折、カンプチア政府は日本カンボジア友好協会に取材の許可を伝えてきた。当初、私はその訪問にカメラマンとして当然随行させてもらえると思っていた。だが団体は財政の逼迫を理由に、取材権利をNHKと共同通信社に売却してしまった。その額はわずか数百万円だったと言われている。私のプランペン行きこれで流れてしまった。

 解放軍によって行われた大下放により、プノンペンからは市民がまったくなくなってしまったという風説とは異なり、実際にはプノンペンには十万近くの人が住み、ロン・ノル政権時代から続く中小工場はすべて稼働していた。アンコール・ワットの貴重な仏像も、当時はまだベトナム軍に盗み出されておらず、残されていた。

 これらのことは、徐々にさまざまな証言や証拠の映像によって明らかにされていたが、石山さんと泰造さんの消息は、その頃になっても依然不明のままだった。 

 1977年の一回目の侵攻に失敗したベトナム軍は、よく78年のクリスマス、再度、大部隊で国境を破り、カンボジア国内へ武力侵攻を開始した。大量の機甲部隊が一気に領内に雪崩込み、民主カンプチア軍と激しい戦闘を繰り広げた。ポル・ポトが懸念していたベトナムの全面的侵攻が現実として起こったのだ。

 197917日、ベトナム軍がプノンペンに入城し、ポル・ポト以下民主カンプチア政府はタイ国境地帯へとその政治機能を移した。12日には傀儡ヘン・サムリン政権が成立したが、2月にはベトナムの軍事侵攻を見咎めた中国軍が、ベトナムに”懲罰”侵攻を開始。これに対してベトナムは全力で対抗。またしてもインドシナは戦火に見舞われることにとなった。

 ヘン・サムリン政権の誕生と前後して、タイ国境にカンボジア難民が大量にやってきた。その数、1979年、1980年で30万人。1981年にも10万人以上が国境を越えた。

 19791月以後、ヘン・サムリン政権やハノイからのニュースをもとに、日本のマスコミはポル・ポト政権の大量虐殺をセンセーショナルに伝え始めた。マスコミから流された”虐殺”による死者数は、300万から400万人という、とてつもない数だった。しかし不思議なことに、その数字の根拠はどれ一つとっても不明で、ただ虐殺は虐殺だと言い続けるだけなのだ。具体的な証拠など何一つなかった。

 そうしたなかで、197912月、イギリス人東南アジア史研者、京都精華大学教員(当時)デビッド・ポケット氏がこうした数字にいち早く疑義を呈している。

  ポケット氏は、まずカンボジアの人口が、67年当時の640万から79年には820万へ増加していることを指摘し、「全人口の四分の一にあたる200万人以上の死者が出たのなら、なぜ人口減として統計に現われないか。また、在パリ難民側の情報では、75年ポル・ポト政権誕生後の出生率はゼロに近いというが、人口はかなり増加している」(「朝日新聞」1979121日夕刊)と述べている。

 そのほか、77年ポル・ポト政権が20万トンのコメをビルマに輸出しているが、「民衆を虐殺してコメ増産ができるか」と問い、764月に「タイム」誌がビニール袋で窒息死させるイラスト掲載しているが、「石油産業のないカンボジアでは、ビニールは高級輸入品。とても大量虐殺には使えない」とも指摘するなど、欧米のマスコミの”大虐殺”に具体的な反証を挙げている。また、ポル・ポトを悪玉に仕立てることによって、ベトナムがカンボジアに侵攻しやすくなるとも指摘したうえで、こう結論する。

「このように、大国の思惑に反したからポル・ポト政権は袋だたきにあったと私は見る。むろん革命で伴う上層部の処刑はあったと思うが、それと民衆虐殺とは区別しなければならない。真実を究明し、カンボジア革命の背景を正しく位置づけることこそ、難民問題解決の近道となる(前掲「朝日新聞」)」

 1975430日、プノンペンの解放から少し遅れてサイゴンの解放が成った。この時青紅金星の南ベトナム解放軍旗を掲げて入城してきたのは、実は北ベトナム方言を話す北ベトナム正規軍だった。南ベトナム民族解放戦線の主力部隊は1968年の旧正月(テト)に北の指令で仕掛けたテト攻勢で消耗しきって、最終的にはすべての部隊が”北”に呑み込まれてしまった。このことは当時、誰も見抜けなかった。みな南の解放を諸手を挙げて喜んだのだ。

 解放(ジャイホン)の日、戦車部隊を取材したフジテレビと契約していたフリーの井出昭カメラマンは、「我々の戦争は、マレーシア国境に行きつくまで終わらない」という北ベトナムの兵士の言葉に驚いている。

 当時あった中国とソ連の対立を背景に、ソ連を選んだベトナムは、中国革命方式(農業中心)をとらず工業中心のソビエト方式を取った。しかし結果は失敗に終わり、深刻な食糧不足に陥った。その失政は北の忠実な戦士にさえ反発が起きるほどだったと言われる。

 ベトナム労働党は、主導するインドシナ連邦化政策を続行することによって、食糧不足に苦しむ北の住民の反発を抑え、南ベトナムの反北側の人間を処分するという方向へ進んだ。

 華僑系ベトナム人を中心とした住民の多くが、ボートピープルとなって南ベトナムを脱出した。逃げることができずに残った元南ベトナム軍、官吏などは再教育センターへ送られた。最近、そうしたセンターで多数の犠牲者が出たという情報も出てきている。

 日本共産党や新左翼もこの情報をはっきりと見ることができなかった。それはひとえにマスコミのベトナムに対するシンパ報道が目をくらませた結果だった。共産党新左翼とは距離を取りつつ反戦運動を展開していたベー平連関係者もさすがに正しく情報を把握し、対処することができなかった。

 1977年にベトナム軍がカンボジア侵攻する前に、ベトナム側がカンボジア軍の国境侵犯の現場案内するといってジャーナリストを集めたことがある。そこには香港で発行されている「アジアウィーク」の記者フランシス・スターナーやティチアーノ・テルザニも招かれていた。取材許可が出たものの、フランシスはハノイで1ヶ月近く待たされ、ようやくヘリコプターで国境付近の現場に連れて行かれた。

 大砲の音がするのだが、どうも方向がおかしい。カンボジア側ではなく、ベトナム側から発射されている気がする。虐殺された農民たちの服装もどう見てもクメール人のものだ。フランシスは何か胡散臭いものを感じたとバンコクに戻ってから私に話した。その国境近くの村には、もともとクメール人が多く住んでいたところだから服装がクメール風であることは充分ありうる。だからでっち上げとは決めつけられないが、1ヶ月も待たされたというのは、ベトナムに都合のいい事件が起こるまで待っていたとしか思えない。

 事実、それらの記事が発表されてほどなくして、カンボジアへの侵攻が行われた。「蜂起したカンボジア人民を助けるボランティア軍が入った」という大ウソのもとに。

 そうしたプロパガンダに乗っかったかたちの各マスコミは、結果として民主カンプチアを懸命に建設するポル・ポト以下、指導部を大虐殺集団に仕立て、それを退治する正義漢を演じるベトナムに加担したことになる。

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善悪を逆様に見せる物語を紡ぎ出すのは、

2024年08月15日 | 国際・政治

 今回も「わたしは見たポル・ポト キリング・フィールズを駆けぬけた青春」馬渕直城(集英社)からの抜粋ですが、粛清や拷問や大量虐殺を行った独裁者とされているポル・ポトに関して、見逃すことのできない文章が多々あるのです。

 例えば、

米軍はその灌漑設備を狙い、爆撃で徹底破壊を行った。堰堤を切り、水路を破壊し、米の生産を阻止する。住民の直接殺害と並行して、飢餓の蔓延を図る非人道的な爆撃をカンボジア全土で、着々と行っていた

 ベトナム戦争に関わって、アメリカがカンボジア領土を猛爆撃した、こういう事実を知っている日本人は、ほとんどいないように思います。報道されなかったからです。

実際に起きた米国の爆撃により、各都市郊外で待機していた都市住民は市街地へ戻ることができなくなった。食料不足のなか、農村で馴れぬ農作業に従事し、病死者を多く出した一員である。後にポル・ポト時代に殺されたという難民証言の多くは、この時の病死者のことだった

 というのです。恐るべき粛清や拷問で亡くなった人たちの頭蓋骨というのは、実は、独裁者ポル・ポトの恐ろしさを強調するために、餓死したり病死したりした人たちの頭蓋骨を集めたものであったということだと思います。さらに、カンボジア側に拿捕された「マヤグェーズ号」に関し、

当時、『週刊現代』の「こもんせんす」というコラムに、評論家の江藤淳が、”公海上”で”一般商船”を襲うクメール・ルージュの”蛮行”というアメリカの蛮行を覆い隠す内容のことを書いたが、これも事実とは掛け離れていたわけだ

 ということを、”ある黒人マリーンが、彼は名を出さないという条件で、内実を語ってくれた”内容で、確認しています。「マヤグェーズ号」は一般商船の外観をしているが米海兵隊の持ち船で、普段は偵察、情報収集に従事するスパイ船だったというのです。そして、

後に見た海兵隊の広報誌にも、マヤグェーズ号は、過去に米国人をインドシナ半島より引き上げさせるイーグル・ブル作戦に参加した、と明記されていた。マヤグェーズ号は商船などではなく、まぎれもない海兵隊の軍用船だったのだ”

 と書いています。

 このように、西側諸国で知られているポル・ポトに関する情報は、不正確で、その多くが客観的事実とはいえないということだと思います。

 

 そして現在、ウクライナ戦争に関して、西側諸国に都合の良い情報が、くり返し流されている事実も見逃すことができないのです。

 811日、朝日新聞は、再び、「ニューヨークタイムズから読み解く世界」と題する記事を掲載しました。From The New York timesUkraine─Russia Peace Is Elusive as Ever. But in 2022 They Were Talking. ロシアによる侵攻直後の平和平交渉 NYTが文書入手「上」

 ”クライナ譲歩「中立国家化」提案したが”と題されていました。

 私は、朝日新聞の独自の取材に基づく報道をすべきで、「ニューヨークタイムズから読み解く世界」などとアメリカ大手メディアの報道を、何の批判も考察も加えずに掲載する姿勢が理解できません。受け売りの報道は、朝日新聞の主体性の放棄だと思います。そして、それは日本がアメリカの属国であることを受け入る姿勢だと言ってもいいのではないかと思います。

 朝日新聞がアメリカに追随するメディアではなく、独立したメディアであるというのなら、「NYT」が入手したという文書を、直接ロシア側に提示し、一般報道する前に、その内容をロシア側に確認する必要があると思います。

 第二次世界大戦後も、あちこちで残虐な戦争をくり返し、今も、ウクライナやイスラエルを支える戦争に加担しているアメリカの報道が、客観的事実に基づいているといえないことは、上記のような事実の数々が証明していると思うのです。

 また、NYTの記事の中に、

”交渉の席でウクライナ側は重要な情報案を提示した。NATOに加盟することも外国軍のウクライナ駐留を認めることも決してない「永世中立国」になる用意があると表明したのだ。この提案はプーチン氏の根源的な不満の解消を狙っているようだった。その不満とは、「西側諸国はウクライナを利用してロシアを破壊しようとしている」という、ロシア側が紡ぎ出した物語のことだ

 

 ノルドストリームに関わるアメリカの対ロ制裁や、マイダン革命、ドンバス戦争の事実を踏まえれば、 ”ロシア側が紡ぎ出した物語”は、決して「物語」ではないことがわかると思います。むしろ、ニューヨーク・タイムズの記事が、アメリカ・ウクライナに都合の良い物語を紡ぎ出そうとしているように思います。

 だから、私は、下記のような主張も踏まえ、片方の情報を鵜呑みにせず、両方の情報を得て考えることを心がけたいと思うのです。

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                    第三章 民主カンプチアの誕生

 B52──猛爆の下で

 ・・・

 カンボジアには明瞭な形で、雨季と乾季がある。乾季には雨量が極端に減少するため、その間、農耕は天水を溜めた用水に頼ることになる。管理された水が命の綱のだ。水がないと、米が育たない。  

 米軍はその灌漑設備を狙い、爆撃で徹底破壊を行った。堰堤を切り、水路を破壊し、米の生産を阻止する。住民の直接殺害と並行して、飢餓の蔓延を図る非人道的な爆撃をカンボジア全土で、着々と行っていた。

 そのため、クメール・ルージュが解放後に、まず取り組まねばならなかったことは、米軍の爆撃により破壊され尽くした灌漑設備の再構築だった。機械力に全面的に頼ることのできない農村部での土木工事は、必然的に下放による市民の労働が基本となる。米の収穫が遅れれば餓死者が出る。一刻の猶予もない状態から民主カンプチアは国造りを始めなければならなかった。それは0(ゼロ)からのスタートどころではない。アメリカがもたらした戦争による大量の負の要素を抱えた上での国の創建だったのだ。

 

 1975年、米軍がインドシナ半島から敗退し、共産化へと倒れ出したドミノ牌の方向を案じたタイ人たちの一部が米国へ逃げ出した。カリフォルニアにタイ料理の店が、雨後の筍のごとく多数できたのもこの頃だ。

 5月、シャム湾に面した新生カンボジアの沖で、米国籍の商船ヤマグェーズ号が領海を侵犯し、拿捕される事件が起きた。

 その前月417日にカンボジアをクメール・ルージュに解放されてしまったアメリカは、国内に残された親米勢力を救出するためか、潰された己のメンツを保つためか、ともかく”公海上”で拿捕されたヤマグェーズ号を救うという名目で一大軍事作戦を行った。

 太平洋を押さえる第七艦隊の空母がシャム湾に入り、ベトナム戦争中ずっと米軍に協力していたタイのウタバオを米軍基地からは多数の戦闘爆撃機やAC── 47対地攻撃用機ガンシップがやってきた。 拿捕現場近くのプーロワイ諸島には、戦争終結直後からのベトナムの海上国境拡大作戦がなければ配置する必要さえなかった国境警備兵が百人ばかりいた。米軍は、通常爆弾をはじめ、デイジー・カッターの名で知られる6トンもの燃料気化爆弾を、シハヌークビル(コンポン・ソム)、レアム海軍基地、そしてプーロワイ諸島に投下した。

 1973年のパリ和平会議の米側提供提案による同時停戦に応じなかったカンボジアに対してベトナムは圧力をかけ、もし賛成しなければ「アメリカに爆撃させる」と言っていた。それは73815日までの米軍秘密爆撃として行われた。まるでベトナムとアメリカの共同報復作戦のようだった。後に行われた徹底的な、反ポル・ポトの”大虐殺”キャンペーンも、この二国は共通の利害の上に不思議なほどの合致を見せる。

 

 あのプノンペン解放の日、解放軍の上部機関が、日本製軽トラックに乗りラウドスピーカーを通して伝えていた「アメリカによる爆撃あるかもしれません。市民兄弟たちはいったん街から離れてください」という警告は虚偽でも冗談でもなく、本当にあったのだ。それまでの戦闘において、クメールルージュはアメリカ人のやり口と爆撃の凄まじさを熟知していた。市民を救うためには爆撃目標となりそうな場所からは遠ざけなくてはならなかったわけだ。

 実際に起きた米国の爆撃により、各都市郊外で待機していた都市住民は市街地へ戻ることができなくなった。食料不足のなか、農村で馴れぬ農作業に従事し、病死者を多く出した一員である。後にポル・ポト時代に殺されたという難民証言の多くは、この時の病死者のことだった。

 ベトナムも解放後、カンボジアと同じように都市住民を国境方面に下放したが、結局失敗し、街には浮浪者が溢れた。この時の余剰人口が、後のカンボジア侵攻の際、兵力の一部として使われた。

 その後アメリカは、マヤグェーズ号が釈放された後も軍事攻撃を続けたが、プーロワイ諸島では上陸させた海兵隊員に百名以上の死傷者を出してしまい、結局退却せざるをえなくなった。

 当時、『週刊現代』の「こもんせんす」というコラムに、評論家の江藤淳が、”公海上”で”一般商船”を襲うクメール・ルージュの”蛮行”というアメリカの蛮行を覆い隠す内容のことを書いたが、これも事実とは掛け離れていたわけだ。

 この時、米軍が在タイ米空軍ウタパオ基地をタイに無断で使用したことに反発した当時の首相のクークリット・プラモートは、学生たちの反米デモに支持されて、米軍基地六ヶ所の一斉返還を決定した。インドシナ共産党の脅威を受けながらも、タイは米軍に頼ることをやめて自主独立精神を見せたのだ。

 日本にはまだ数百カ所以上の米軍基地がある。日本が実質上、アメリカの植民地であるのとは雲泥の差だ。

 数年後、私は報道写真家、桑原史成氏に誘われて沖縄へと向かった。

 ゴザ(現沖縄市)の海兵隊基地の近く、海兵隊員(マリンコー)相手のバー街でマヤグェーズ号のことを知っている者を探したのだ。取材を始めると、じきに事情を知る男に出会うことができた。ある黒人マリーンが、彼は名を出さないという条件で、内実を語ってくれた。マヤグェーズ号は一般商船の外観をしているが米海兵隊の持ち船で、普段は偵察、情報収集に従事するスパイ船だという。

 後に見た海兵隊の広報誌にも、マヤグェーズ号は、過去に米国人をインドシナ半島より引き上げさせるイーグル・ブル作戦に参加した、と明記されていた。マヤグェーズ号は商船などではなく、まぎれもない海兵隊の軍用船だったのだ。

 先の評論家はそうした事情など何一つ知らず、米軍発表の情報だけを垂れ流す日本のマスメディアによる情報を鵜呑みにしたのだ。

 元来保守的で温厚な性格のカンボジア農民を苛烈な反米闘争へと駆り立てたのは、米軍による73年の大々的な無差別爆撃であった。太平洋戦争で米軍が日本に落とした爆弾の総トン数16万トンの3.5倍、54万トンもの爆弾がカンボジア全土に落とされ、百万人にものぼる国民が殺害されたという。

 この非人道的無差別爆撃という、自国の軍隊が行った大虐殺の隠蔽を図るために、アメリカのマスメディアは必死にポル・ポト派の”大虐殺”を宣伝した。この姿勢は今でも変わっていない。「石器時代に戻してやる」と言って猛爆撃でカンボジア国民を殺戮し続けたのは米軍の方なのだ。

 それにしても、あれだけの凄まじい爆撃のなかを、兵士たちは一体どのようにして生き延びてきたのだろう。解放後にクメール・ルージュの兵士に尋ねた。

 兵士は「走るのだ」と言った。平坦な土地が多いカンボジアでは、兵士は飛来してくる爆撃機の飛行方向を注意深く見る。基本的に大型爆撃機は作戦行動中は進路を変えない。一直線に侵入してくる。兵士はその進路が自分の頭上を通過するようであれば、即座に進路に対して直角方向に全力疾走する。爆弾倉が開き、爆弾が投下され、地上に到達する前までに400m以上走ることができれば命は助かる。

 B─52が投下する通常爆弾は、飛行方向に従い直線上に落ちてくる。そしてその落下地点から少しでも遠くへと離れるには、直角方向に全力速力で走る以外方法はない。

 原始的ではあるが、これが爆撃から身を守る最も有効な手段だった。あれだけの猛爆撃を受けながらも兵士たちの損害が少なかった理由だ。

 爆撃で命を落としたのは老人と婦女子それに牛馬といった家畜が多かった。走ることのできなかった者たちが、肉片となって飛び散り、紅蓮の炎に焼かれた。

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核廃絶や平和の願いを込めた広島平和祈念式典が…

2024年08月10日 | 国際・政治

 広島の平和祈念式典に関する87日の朝日新聞の記事は、世界の平和や核兵器廃絶が、欧米主導の政治では実現できないことを示したように思います。

 広島市が、6日の平和記念式典にイスラエルを招いたことに関連し、イスラエルの攻撃を受けるガザ地区と境界を接するエジプトのモハメド・アブバクル大使は、「我々がは直面している切迫した状況の中で、広島は平和の象徴だ。イスラエルが(核の恫喝やイスラム組織ハマス壊滅などの)瀬戸際外交を続ければ、全世界を後戻りできないところまで追い込みかねない」と語り、「広島は誰もが平和に取り組み、過去に向き合うことが必要だと思い起こさせる場所だ。核兵器を廃絶するしか人類が生き残る道はない」とも語ったといいます。

 イスラエルとハマスの停戦交渉を仲介するカタールのシャベル・マッリ大使は「なぜパレスチナが招待されないのか。パレスチナの都市は(核廃絶を目指す地方自治体の国際機構)平和首長会議にも加盟している」と、広島市の対応に疑問を投げかけたといいます。また、「あらゆる問題は戦争でなく、対話によって解決できるはずだ。すべての人に流血を止めるよう呼びかけたい」とも語ったということです。

 さらに、駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム代表は、「広島は抑圧された人々の側に立つのではなく、抑圧する側を招待することを選んだ」と批判したといいます。

 いずれも、きわめて真っ当な主張だ、と私は思います。

 

 一方、イスラエルのギラッド・コウヘン大使6日、式典参列後に朝日新聞のインタビューに応じ、「政府を代表して、広島の犠牲者とその家族に敬意を払うために来た。出席したのは正しいことであり、誇りに思う」と語り、「ガザにはまだ115人の人質がいる。民間人の犠牲は意図したものはでなく、最少にするように努めている」と述べ、核兵器廃絶を求める松井一美・広島市長の呼び掛けに対しては「(核開発疑惑がある)イランに向けられるべきだ」と語ったといいます。記者が「イスラエルは核を保有しているが」と聞くと、「ありがとう」と答えてインタビューを打ち切ったということです。責任を転嫁しつつ、不都合な質問には答えないということだと思います。

 

 さらに、広島市の平和記念式典に参列した英国のシュリア・ロングボトム駐日大使が、イスラエルを招待しなかったことを理由に挙げて、長崎市で9日に開かれる平和記念式典には出席しない意向を示したといいます。そして、記者団の取材に、「ウクライナという独立国に侵略したロシア、ベラルーシと違い。イスラエルは自衛権を行使している。同様の扱いをしては誤解を招く」との考えを示したというのです。「ガザ」の現実に目をつぶり、自衛権を逸脱しているイスラエルの攻撃を庇っているだけでなく、核廃絶の意思もないことがわかるような気がします。

 

 こうした各国の主張を、ガザを中心とする客観的な情勢を踏まえて比較すると、エジプト、カタール、パレスチナなどの代表者の主張が、イスラエルや英国の主張よりも、国際平和や核廃絶に真剣に向き合っていることがわかると思います。

 イスラエルのギラッド・コウヘン大使に、”記者が「イスラエルは核保有しているが」と聞くと、大使は「ありがとう」と答えてインタビューを打ち切った”、ということですが、そういうところに、欧米が、いまだに植民地主義的であり、差別的であることがあらわれていると思うのです。

 したがって、北朝鮮の核開発やミサイル実験には安保理決議をくり返し、国際法違反として制裁を科しながら、イスラエルの核弾頭保有には目をつぶる欧米と手を結んでいては、核廃絶できないし、戦争を止めることはできないと思います。

 朝日新聞、88日の一面トップは、”長崎市に書簡「イスラエル招かぬなら参加困難」米欧6カ国大使、式典欠席へ”と題する記事でした。G7の国々は、長崎市の平和祈念式典には欠席するということです。

 それは、極論すれば、かつてアフリカや中南米、中東やアジアの国々を植民地として支配し、今もかたちを変えて支配を続ける国々が、「核」を保持して、これからも軍事的優位を保ち、利益を吸い上げ続けようとしていることを示しているのではないかと思います。

 だから、イスラエルや英国の大使の発言には、欺瞞が含まれるのだと思います。

民間人の犠牲は意図したものはでなく、最少にするように努めている」というのは、客観的事実が嘘であることを示していると思います。

 また、核兵器廃絶を求める松井一美・広島市長の呼び掛けに対しては「(核開発疑惑がある)イランに向けられるべきだ」というのも、イスラエルの90発ともいわれる核弾頭保有の事実を覆い隠す発言だと思います。欺瞞的だと思います。

 

 そして、アメリカ大統領選にかかわって、ハリス候補が、パレスチナ人の苦しみについて「沈黙しない」と述べたことがくり返し報道され、ハリス候補が大統領に就任すれば、イスラエルに厳しい姿勢を取り、平和が取り戻せるのではないかとの期待を抱かせているようですが、それは、パレスチナ自治区ガザ情勢をめぐり、国際社会やアメリカの若者がパレスチナに同情的になっていることに対応する、アメリカお得意の情報操作だと思います。

 なぜなら、アメリカ社会におけるユダヤロビーの影響力や、イスラエルにおける米国企業の存在が、イスラエルに対する厳しい姿勢を許すわけはないと思われるからです。

  ナチスドイツをはじめとするヨーロッパのユダヤ人迫害を逃れ、当時、多くのユダヤ人が海外に移住しましたが、その大部分はパレスチナ(イスラエル)とアメリカでした。US Holocaust Memorial Museumによると、ユダヤ人は、総人口1,517万人のうちイスラエルに687.1万人、米国に600.0万人だといいます。この2国に集中しているのです。だから、アメリカとイスラエルは兄弟のような関係なのではないかと思います。

 かつては、金融業や貿易業で世界を股にかけたユダヤ人ですが、現在、米国のIT企業の時価総額上位企業のほとんどはユダヤ系であるといいます。その創業者もしくは現経営者がユダヤ人だというのです。wikipediaその他によれば、 

1. ラリー・ペイジ(Google共同創業者、元最高経営責任者 CEOAlphabet社元CEO)は母親がユダヤ人。

2. セルゲイ・ブリン(Google共同創業者、Alphabet社 社長)

 ソビエト連邦モスクワに住む東欧系ユダヤ人の家庭に生まれる。

3. マーク・ザッカーバーグ(Facebook 共同創業者兼CEO

 曾祖父がドイツ、オーストリア、ポーランドから移民したユダヤ系。ザッカーバーグはユダヤ人の家庭で育ち、13歳の時にユダヤ人の成人式を祝っている。

4. シェリル・サンドバーグ(Facebook COO

1969年、ワシントンD.C.のユダヤ人家庭、アデル・サンドバーグとジョエル・サンドバーグの長女として生まれる。父は眼科医で、母は大学のフランス語教師。1996年からビル・クリントン大統領時代の財務長官チーフのラリー・サマーズの職員として働き、アジア通貨危機の際に発展途上国の負債を免除する国務長官の仕事をサポートした。2001年にGoogleへ移籍、グローバルオンラインセールス&オペレーションズの副社長を務めた。

5. マーク・ベニオフ(Salesforce創設者、会長、CEO

サンフランシスコのベイエリアでユダヤ人の家庭に生まれた。

6. スティーブ・バルマー(マイクロソフト社元最高経営責任者 2000.1-2014.2

ミシガン州デトロイト生まれ、父はスイスからのドイツ系ユダヤ人移民で、フォード・モーター勤務だった。母はベラルーシのピンスク出身の両親を持つ東欧系ユダヤ人移民二世。

7. ハワード・シュルツ(スターバックス 元会長兼社長兼CEO

ニューヨーク・ブルックリン生まれ、両親はユダヤ系ドイツ人移民のアメリカ人で、退役軍人の子として生まれた。

8. アーサー・D・レビンソン(Apple会長、Alphabet傘下Calico CEO、ジェネンテック元最高経営責任者、元会長)

米国シアトル生まれ、ユダヤ人のマルヴィーナとソルレビンソンの家庭に生まれた。

9. マイケル・ブルームバーグ(Bloomberg創業者、第108代ニューヨーク市長、WHO親善大使)

マサチューセッツ州ボストン生まれ。両親はポーランドからのアシュケナジム系ユダヤ人移民。1981年に通信会社ブルームバーグを設立し、ウォール街の企業へ金融情報端末を販売して大成功を収めた。

10. ラリー・エリソン(Oracle共同設立者、元CEO/会長/CTO

ニューヨーク出身。ユダヤ人の母フローレンス・スペルマンが19歳の時に出産、生後9ヶ月でシカゴに住む叔母リリアン・エリソンとその夫である義理の叔父ルイス・エリソンに養子として引き取ってもらう。

<キリスト教の教会に通う社長のノート(キリスト教福音宣教会)。https://note.com/joel316/n/n071f8ebcc5ebより>

 

 そして、Googleは、イスラエルに研究開発センターを持ち、特にサイバーセキュリティやAIの分野で重要な役割を果たしており、Facebook (Meta)は、イスラエルでのスタートアップ買収を通じて、AIVR技術の強化を図っているというのです。Apple: Appleもイスラエルに研究開発拠点を持ち、特にハードウェア技術の開発に注力しているというのです。さらに、Microsoftも、イスラエルにMicrosoft R&Dセンターを持ち、クラウドコンピューティングやセキュリティ技術の開発に力を入れているといいます。

 こうした企業の創業者や現経営者の多くが、ユダヤ人であり、現実にイスラエルで大きな影響力をもっていることを考え合わせると、アメリカのイスラエル支援は、たとえ大統領といえども、簡単に止めることのできるものではないと思います。

 もしハリス候補が大統領となり、強引にイスラエル支援を止めたりすれば、大統領を続けることが困難になるばかりでなく、民主党自体が支持を失い、決定的に弱体化することは避けられないと思います。

 

 だから私は、多くの日本国民の核廃絶や平和の願いを込めた広島平和祈念式典が、G7と手を結んだ関係者によって、骨抜きにされてしまったように思うのです。

 でも、忘れてはならないことは、日本のみならず、G7の国々も、一般国民は核廃絶や平和を望んでおり、国際政治がそうした一般国民の思いや願いを代表して進められていないと考えられることです。

 覇権や利益のために、上手に嘘をつき、ごまかす欧米主導の国際政治は、終わりにすべきなのです。

 

 下記は、「わたしは見たポル・ポト キリング・フィールズを駆けぬけた青春」馬渕直城(集英社)からの抜粋ですが、アメリカが、現実を覆い隠し、自らに都合の良い虚構の世界を、映画を通じて広めたことがわかります。映画は、善悪を逆様に見せる手法の一つといえるように思います。

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                          第一章 初めての戦場

 プノンペン──1972

 197212月。すでにカンボジアは戦火に包まれていた。そのカンボジアの戦場を本格的に取材するために、隣国タイから陸路ポイペットの国境を越えた。 

 入国初日はカンボジア西部のバッタボンで夜を迎えることになったが、街にホテルはなく、政府の旅行案内所の床で寝てた。夜半、何発も砲弾が近くに落ち、吹き飛ばされた瓦が案内状の屋根に落ちてくる。派手な歓迎だったが、その日はバッタボンの街中に戦火が及んだ最初の日だった。

 当時、世界中の報道カメラマンはベトナムに集結しており、カンボジアくるカメラマンは少なかった。米軍がニュース取材に便宜を図ってくれることのあるベトナムと異なり、ラオスもカンボジアも独力で取材を行なわなくてはならないからだ。

 首都プノンペンはすでに解放軍(クメール・ルージュ)に包囲されており、ロン・ノル政府軍はププノンペンといくつかの県庁所在地、そしてそれを結ぶ点と線をかろうじて守っているだけといった状態だった。

 翌日、バッタボンからシアム・リアップの街へ向かった。プノンペンに行く前に東アジア最大の宗教遺構アンコール・ワットをめぐる主戦場を見ておこうと思ったからだ。バッタボンからプノンペンへと向かう道路はかろうじて通じているが。トンレ・サーブ湖の北側を通るシアム・リアップからプノンペンへ向かう陸路は断ち切られている。

 ここで、当時のカンボジアを取り巻く情勢を整理しておこう。

 19703月、シハヌーク外遊中の隙を狙って、ロン・ノル将軍がクーデターを起こした。このクーデターは、長期化し、泥沼化したベトナム戦争の状況を打開しようと焦った米国が、あくまでも中立を貫き、対米軍事協力を拒む元首シハヌークを追い出すために仕掛けたもので、これにはCIAが深く関与していた。

 このCIAの関与については、私の友人でもあった元CIA要員のスキップ・ブライアンから直接聞いた。スキップはCIA時代に、タイの空軍基地からF─111という最新鋭のジェット機に乗り、ラオス国内のホー・チ・ミン・ルート爆撃するという秘密ミッションに携わっていた。秘密作戦ということで、常に夜間に行われていたのだが、ある日昼間に飛ぶことがあった。すると眼下には緑の大地の中に点々と赤茶けた土がむき出しになっている。彼が落とした爆弾の跡だった。それを目にしたスキップは、この戦争の正体を見せつけられた思いがした。そこで基地に戻ると反戦カフェの運動を展開するのだが、そんなことをすれば当然クビになる。

 そこで彼はジャーナリストへの転身を図るのだが、その手土産として、CIAがカンボジアでクーデターを準備中であるという情報をプノンペンの通信社に持ち込んだ。しかし、APUPIもニューヨーク・タイムズもそんなことはあるはずがないと誰も信用してくれなかったそうだ。しかし、クーデターは実際に起こった。

 クーデター後、米軍はカンボジア侵攻を行った。カンボジア東部国境内にあった北ベトナム正規軍秘密指令部と南ベトナム解放戦線司令部に攻撃を仕掛けたのだ。しかし、この侵攻はベトナム軍をカンボジア領内深くに追いやるだけに終わった。

 そして平和な小国カンボジアを、以後30年にわたり不幸のどん底に突き落とした。後にマスコミの使う”内戦”という言葉は、この事実を押し隠すための情報操作だった。ひいては、これから予定されているポル・ポト裁判は、アメリカがベトナム戦争終結のため、カンボジアへ戦争を拡大したことへの責任逃れをするためにあるのだ。

 しかもその米軍の武力侵攻に対抗するために、ベトナムはハノイのインドシナ共産党の下で訓練した5000人のクメール・ベトミンと共に、それまではほとんど武器など持たなかったクメール・ルージュとシハヌークが呼集した左派を武装闘争に参画させた。これによってベトナム戦争はカンボジア国内へと拡大されることとなった。それまでは国境付近のベトナム軍に対する爆撃ぐらいだった米軍の攻撃が一気に国中へと広がっていったのだ。

 そしてその米軍の侵略攻撃に徹底抗戦の意を示すかのように、ベトナム・カンボジア合同軍は、クメール文化の象徴である世界的文化遺産アンコールワットを手中に収め、解放してみせた。

 私が訪れた時は、シアム・リアップの街はロン・ノル政府軍が押え、アンコール・ワットはベトナム軍指揮下の解放側が押えているという状態だった。

 

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日本の国家予算は、誰が決める?

2024年08月07日 | 国際・政治

 84(日)の朝日新聞2面は、一部広告欄以外は、アメリカ大統領選の記事でした。”女性・若者へ「違い」演出”と題するもので、ハリス氏に関しては、”ハリス氏に「世代交代」党に高揚感”と題をつけ、トランプ氏に関しては、”「極左」決めつけ トランプ氏が攻撃”という題がつけられていました。アメリカの大統領選に関して、これほどはっきり支持・不支持の意識化を潜ませた記事は、いままでなかったと思います。

 私のように時間的余裕があり、あちこちから情報を集めることのできる立場にある日本人は少なく、したがってこの記事を批判的に読むことが難しい一般の読者は この記事で間違いなくハリス候補を支持するようになると思います。

 なぜ朝日新聞は、支持率が拮抗している他国の大統領選の候補に関して、内政干渉と思われるほどはっきり、民主党ハリス候補の支持を意識化するような記事を掲載するのか、と私は疑問に思うのです。

 また、バイデン大統領は、昨年6月のインタビューで、日本の防衛予算増を巡って「私が説得した」と語りました。日本政府はあわてて、「わが国自身の判断」と申し入れをしています。でも、防衛費の大増額は、岸田首相が、防衛大臣と財務大臣に指示するという異例の独裁的決定でした。したがって、「わが国自身の判断」などというのは、日米の主従関係を隠し、言い繕うための申し入れであることは明らかだと思います。

 こうした防衛費増額決定の経緯は、日本の「主権」や「民主主義」を根底から否定するものであるにもかかわらず、日本のメディアは、バイデン大統領の発言を「失言」などとして、追及しようとしませんでした。私は、そういうところに、日本のメディアがディープステート(DSの影響下にあることが窺われるような気がするのです。

 そして、朝日新聞その他のメディアのハリス支持の姿勢は、トランプ氏がディープステート(DS)の解体を宣言していることと無関係ではないだろうと思うのです。ディープステート(DS)、すなわち「闇の政府」は、実態がはっきりしません。でも、アメリカ政府の機関であるCIANSAなどが、金融や軍需産業、大手メディアとネットワークを組織し、アメリカ政府といっしょに、あるいは、アメリカ政府の背後で権力を行使していることはあり得ることだと思います。

 

 以前、エドワード・スノーデンを取材した元ガーディアンのジャーナリスト、グレン・グリーンワルドGlenn Edward Greenwald)が、選挙戦中に誤った情報でイラク戦争を引き起こしたCIAの責任を問いただしたドナルド・トランプに対して、”民主党の重鎮、チャック・シューマー上院議員がテレビ番組で「情報機関に逆らい続けると潰されるぞ」と警告した”という事実を明らかにし、問題視していました。

 また、 前回の大統領選の際、共和党のタカ派と考えられてきた人たちが、トランプ候補を支持せず、クリントン候補の側に鞍替えしたというようなことも語っています。

 上記のグリーンワルドによると、トランプ政権発足後に、共和党を支えるネオコン知識人の一人とされるウィリアム・クリストルWilliam Kristol) 、『ウィークリー・スタンダード』誌編集長)が、”自分たちが作っていたシンクタンク「フォーリン・ポリシー・イニシアチブ」を閉じ、民主党のヒラリー派を巻き込んで新しく「民主主義保全同盟」という組織に作り変えた”ともいいます。

 さらにグリーンワルドは、トランプ氏の登場によって、”共和党に棲みついていたネオコンが、民主党と合流した”ともいうのです。トランプ氏の登場で、アメリカ政界が大きく変化したということだと思います。

 こうしたことは、現実には、トランプ氏が解体を宣言したディープステート(DSの存在抜きには考えにくいことです。


 「“ディープ・ステート=闇の政府”を解体し、腐敗したワシントンに民主主義を取り戻す。まず、2020年の大統領令を再び発令し、質の悪い官僚たちを排除するための大統領権限を取り返す」と宣言しているトランプ氏は、そういう意味で、単なる大統領候補ではなく、ディープステート(DSを乗り越えアメリカを、また、世界を激変さ得る存在だと思います。

 

 トランプ氏の言動には危うい面もあり、心配なことも多々あるのですが、彼が、”私は新たな戦争を始めなかった、ここ数十年で初の大統領となったことを特別に誇らしく思う”と述べ、「ウクライナ戦争を終わらせる」と語り、さらに、「私が大統領なら、ハマスのイスラエル襲撃はなかった」と言い、北朝鮮を訪れて、金正恩とも握手をしたトランプ氏に、私は期待したい面もあるのです。

 Qアノンが、「アメリカの政財界やメディアは“ディープ・ステート(闇の政府)”に牛耳られている」と言っているからということで、トランプ氏の発言を、何でもQアノンと結びつけ、ディープステート(DS)を「陰謀論」と結論づけてはいけないと思います。また、トランプ氏が選挙目的のために「ディープステートを解体する」という公約を掲げている、というのもいかがなものかと思います。


 関連して、私は、トランプ氏が批判的な立場を取っている「ビルダーバーグ会議」というものの存在も気になってます。いったい何を話し合っいるのか、なぜ極秘なのか、と思うのです。

 

 そして、今日もまた、ベネズエラの反政府デモなどの報道が続いているのですが、ウクライナと同じような政変に発展するのではないかと心配しています。ウクライナでは、当時オバマ政権の国務次官補で、ウクライナ担当であったビクトリア・ヌーランドが講演会で、「ウクライナの民主化に50億ドルを費やした」と語り、アメリカ議会でも問題になったということです。ベネズエラには、どれくらいの資金を投じているのか、と気になります。

 Twitter上では、”ベネズエラ情勢について、主流メディアもイーロン・マスクも反マドゥロのデモの映像を盛んに流すが、大統領選挙時にマドゥロ支持ラリーに膨大な人数が集まっていた映像はなぜか流さない。なぜだろうか?”という投稿があり、膨大な数の人たちが行進している映像が取り上げられているのです。(https://twitter.com/i/status/1819027761870364685

 

 だから私は、そういう情報操作がくり返されてきた歴史を確かめる意味で、「わたしは見たポル・ポト キリング・フィールズを駆けぬけた青春」馬渕直城(集英社)から、「キングフィールズの真実」を抜萃しておきたいと思ったのです。

 「ポル・ポト」や「クメール・ルージュ」という言葉を聞けば、日本を含む西側諸国の多くの人は「大虐殺」を連想するのではないかと思います。でも、カンボジアで長期にわたり命がけの取材を続け、カンボジアの人たちと深く関わった馬渕直城氏は、”THE KILLING FIELDS” 邦題『キリングフィールド』というハリウッド映画は、”ポル・ポト派の兵士たちを悪鬼の如くを描き出し、彼らによって”大虐殺が行われたというイメージを世界中に焼き付けたことはまちがいない。その計り知れない悪影響の大きさを考えると、単なる映画だといって、虚偽を見過ごすことはできないのである”と書いているのです。

 だから、「善悪を逆さまに見せる」西側諸国の政治戦略は、あらゆる分野・領域に広がっているといえるのではないかと思います。

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                    第二章 プノンペン解放

 キングフィールズの真実

 1984年、カンボジアの解放を背景に、”THE KILLING FIELDS” 邦題『キリングフィールド』という映画がハリウッドで制作された。

 映画の粗筋はおよそ以下のようである。ニューヨークタイムズ誌の記者シドニー・シャンバーグは、カンボジア人助手のディス・プラン(正しくはディット・プロン)と戦火のカンボジアを取材していた。プノンペン陥落後、シャンバーグはからくも国外へ脱出するが、プランはポル・ポト政権下に取り残され、クメール・ルージュが支配するサハコーで、強制労働を強いられ、虐殺場面を目にする。長い軟禁状態の末、運良く脱走し、タイへ逃れる。そこで四年ぶりにシャンバーグと感動の再会を果たすという、二人の友情を軸に描きながら、”大虐殺”の有り様を訴えるというものだ。

 先に書いた通り、解放の日、私はプノンペンにいた。そこで目撃したことは映画とは大きく違っていた。もちろん、映画はあくまでもフィクションであり、事実と違うといってことさらにあげつらうのは無意味かもしれない。しかし、この映画がポル・ポト派の兵士たちを悪鬼の如くを描き出し、彼らによって”大虐殺”が行われたというイメージを世界中に焼き付けたことはまちがいない。その計り知れない悪影響の大きさを考えると、単なる映画だといって、虚偽を見過ごすことはできないのである。

 ある大新聞の記者が、あの映画は真実の悲惨さを充分に伝えていない、といった間の抜けた記事を書いていたが、記者の言う「真実」とは、何を指すのか。現場を知りもしない者が、よくもそんなことを言えるものだと、その記事を見た私は怒りに駆られた。映画という娯楽作品としていったん情報が流れていくと、それが真実としてまかりと通ってしまう。その恐ろしさを改めて感じたものだ。

 大体、邦題では「キリング・フィールド」となっているが、原題は「キリングフィールズ」であって、アメリカとの戦争、革命時代、ベトナム侵攻と、フィールド(戦場)が何度も重なったところにクメール民族の不幸があったのだというのが制作側の意図だ。邦題ではそのニュアンスがきれいに消されてしまった。

 この映画は、そもそもシドニー・シャンバーグが、ニューヨーク・タイムズ・マガジン」誌の1980120日号に書いた手記『ディット・プロンの死と生』を原作としているのだが──ちなみに、シャンバーグはこの手記によりピュリッツアー賞を受賞している──、この手記自体がすでに事実を大きく曲げたものだった。

 

 実際、映画上映後、事実とのあまりの違いを批判されたプロデューサーのデイヴィット・パットナムは、この映画は政治的なことが主題ではなく、シャンバーグとプロンの友情物語として見てほしいと語っている。

 しかし、その「友情」すらも虚偽なのだ。実際のシャンバーグは、人前でプロンを罵倒したり、突き飛ばしたりしていた。映画では、フランス大使館にいるカンボジア人に退居命令が出た時、プロンはタイへ逃げようとするのだが、シャンバーグは一緒に逃げようと急遽英国パスポートを作り、材料の乏しいなか、パスポート用にプロンの顔写真をアル・ロコフが撮影し現像するといった場面がある。しかし実際には、プロンは自分の写真を持っていたが、私の忠告で偽パスポート作りをとりやめたのだ。こんな二人のあいだに友情など生まれようはずもなかったのである。

 また、シャンバーグは日頃からアジア人を蔑視するところがあった。サイホンも後に「週刊プレイボーイ」誌のインタビューに答えて、彼についてこう語っている。

「あの人をカンボジア人たちは、陰で”悪い目の人”と呼んでいました。悪い目とは、人のことを悪く解釈する人のこと。あの人はカンボジア人をいつも見下していた。およそ、ヒューマニズムとは、遠くはなれた人なんです」

 そんな彼の態度は同胞であるアメリカ人ジャーナリストにとっても不快だったのだろう。彼らにも総スカンを食っていた。

 シャンバーグのアジア人蔑視は恐怖と裏腹で、フランス大使館に避難していた時も、彼はたえず脅えており、大使館から一歩も出ようとしなかった。私が大使館内の生活を撮るべく、カメラを向けたら、「おれたちが苦しんでいるのを撮るな!」、とヒステリックに叫び、レンズに向かって手を広げたのである。そればかりか、外で写真を撮っている私をやっかんだのか、大使館員をそそのかして、私のカメラを取り上げさせたのである。

「従わなければ女房ともども大使館にいられなくしてやる」

 そんな言葉を吐く、なんとも低劣な俗物というのが彼の本性であった。

 映画『キリング・フィールド』は、フィクションではあるが、ドキュメンタリーの体裁をとっており、それが観る者に、より「衝撃」を与えることになるのだが、事実、ここでは多くの人々が実名で登場する。「ニューヨーク・タイムズ」のカメラマン、アル・ロコフもその一人である。

 解放前、ロン・ノル政権下のプノンペンにあったケマラ・ホテルは欧米人たちの溜り場になっていて、私もよくそこに通っていた。そこに時折、アメリカの海兵隊上がりのカメラマンがやってきた。それがアル・ロコフだった。彼は海兵隊の写真班員としてベトナム戦に参加した元兵士だった。

 いったいロコフはベトナムの戦場でどのような地獄を見てきたのか。私とほぼ同年齢だというのに、目から精気が失せ、かれに笑顔を見せてもその目は冷たく見開かれたままだった。常時マリファナで酔い、アメリカからきた同国人ともめったに話をしない。

 恰好も1970年代のヒッピー風で長髪という容貌の持ち主だった。そんなロコフがある時、彼が撮影した写真を焼き付けし、見せてくれた。私は息を呑んだ。すべて死んで腐敗した兵士の死体ばかりだったのだ。腐った死体の上を列になって歩く蟻のクローズアップだとか、水溜りの中で笑うように大きく下顎を開けた頭骸骨だとか、そんなものばかりだ。

 報道カメラマンの職分を逸脱した、そのあまりにもグロテスクな写真を見せられた私は、おそらく彼はこのベトナム戦争で底知れぬ闇の奥を見てしまい、少々頭が変になってしまったのだろうと思った。

 その写真を一度でも見せられた者は、誰もが気味悪がって彼と関わろうとしなくなる。それでもお互い売れないフリーランスのカメラマン同士だったこともあり、私とロコフはやりとりをするようになった。一緒に戦場へ行くこともあった。実際、ロコフは付き合ってみると意外にいいやつなのだ。

 彼と行動を共にするうちに、どうやらヨコフは戦場で死んだ人間の声を聞くことができるに違いないと思うようになった。とてつもない死臭が漂う熱帯の密林で、腐り、分解しつつある人体にごく至近からカメラを構えて跪(ヒザマズ)くロコフ。長い時間、死体ばかりを見続けてきたロコフは、まるであの世へ行ってしまった者たちからメッセンジャーに選ばれているかのようだった。カンボジアでは死者の霊は49日間死んだ場所に残っているという。怨念を抱きながら死んだ者が、死臭を放ち、そばにいる者に取り憑く。

 私は初め死体が不気味で、写真を撮影してもすぐに逃げるようにその場から離れていた。だが、そのうち免疫ができ、死体があちこちに散らばる戦場に長くいても、あまり気にならなくなった。だが、そうなると今度は長くいる分、漂う死臭が知らぬまに自分に取り憑いてくる。疲れてその日は、洗濯できず、翌日に同じ服に腕を通そうとすると、死臭が残っていることに気づく。

 現場で死臭にさらされるのは避けようがない。服に付くのも仕方がない。それでもまだ死臭を死臭だと認識できるうちはいい。拭いきれない死臭がレンズを通して頭の中に入り込み、現場に長く居座るとあちら側からの声をロコフのように聞くようになるのだ。その声がシャッターを切らせる。それが、ロコフの写真が、死臭をこれでもかというぐらいに放散させている理由だった。

 ごく普通の社会生活を送る者にとって、このにおいはあまりにも縁遠く、大方の者は嗅いだ瞬間に眉間に深いしわを寄せるか、顔をそむける。戦場写真の売買を手掛ける通信社や新聞社も、死体写真はあまり買わない。

 ところが、そんなロコフの写真が売れた。買ったのはほかでもない、あのシャンバーグと映画プロデューサーだった。

 田舎出の純朴なクメール青年が解放軍兵士だったという設定では、プロデューサーやシャンバーグの思う娯楽映画のストーリーが成立しない。そこで彼は死臭を放つロコフの一連の写真に目を付けて買った。そしてとてつもない蛮行を繰り返す極悪兵士の悪業の”証拠”として、ロコフの死体写真を使った。彼の解放時を含めた戦場写真をベースとして映像を創作したのだ。あの映画にこれでもかというぐらいに頭蓋骨の山が出てくるのは、そのためかもしれない。シャンバーグ自身は、プノンペン滞在中、服に死臭が付くことはなく、ましてや頭の中に死臭がこびりついて離れなくなるようなこともなかった。なぜなら、彼は現場取材にはほとんど出ないタイプの記者だったからだ。

 後にロコフが怒りを込めて言った。

「たった5000ドルだぜ、全部まとめて。ああれでやつはいったいいくら儲けたんだ」

 シャンバーグが、彼から買い取った写真の値段のことだった。

 

 そのほか、この映画には私の知り合いのカンボジア人が何人か出演している。「カラワン」というフォークバンドのリードボーカル、スラチャイは、小隊長の役で、実際にはなかった殺戮場面を演じてみせた。

 スラチャイはタイ国籍だが、クメール人が多く住むタイのスリン県出身のクメール人だった。さらに彼は、クメール・ルージュと友好関係にあったタイ共産党にも参加していた。つまり、ポルポト派とはごく近い線にいたのだ。その彼が反ポル・ポト・プロパガンダの映画に出演していたというのは、なんとも皮肉なことである。

 実は、サイホンもまたこの映画に関わっていた。映画のロケはほとんどタイで行われたのだが、その際に彼女はキャスティングに参加している。しかし、脚本を読んだ彼女は唖然とした。彼女が目にした事実と脚本で書かれていることがあまりにも違っていたからだ。脚本に書かれている凄絶な市街戦や虐殺・暴行シーンなど一切なかった。そのことをプロデューサーやスタッフに抗議すると、「脚本通りに映画ができるわけじゃない」「映画は映像により脚本とは別の感じ方をするものだ」と説得され、彼女の抗議は結局受け入れられなかった。

 後に彼女はこう語った。

「他のカンボジア人はお金が欲しくて映画に出るだけで何も言わない。私がこれまで日本とタイで活動して来たのは何のためだったと思いますか。問題が帰れるところがあるかどうか、ということなんです。カンボジアつぶすようなことはできません」

 この映画は結果的にカンボジア人蔑視を助長したことになる。このことを看過してはならない。

 

 

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またか、またか、

2024年08月04日 | 国際・政治

 731日、朝日新聞は、また、下記のような記事を掲載しました。バイデン政権とゼレンスキー政権の進める戦争戦略を支持する内容だと思います。”あきらめないことを示せた。ウクライナ人は、決してギブアップしない” とウクライナ人のメダリストに、ロシアと戦うことを呼びかけさせているように思います。

 似たような内容の朝日新聞の記事は、これで何度目でしょうか。

 ある時は、日本に避難したウクライナの音楽家に、ある時は、日本に留学しているウクライナの学生に、ある時は、ウクライナのバレーダンサーに、”ロシア憎し” の思い抱かせる話をさせてきたと思います。

 問題は、いかに平和を回復するか、だと思うのですが、”ロシアが2014年に併合した南部クリミア半島および親ロ派武装勢力が支配する東部ドンバス地域(ドネツク、ルガンスクの2州)を奪還するまで戦う”というゼレンスキー大統領の主張と同じで、ロシアとの話し合いに向かおうとする姿勢がないのです。

 したがって、下記のように「戦い」を鼓舞するようなことをメダリストに語らせることは、戦前の日本における「軍国美談」に類するものではないかと思います。

 ”ウクライナ 希望の初メダル

フェンシング女子サーブル個人のオリガ・ハリラン(33)が、ウクライナ代表の今大会メダル第一号となった。29日の3位決定戦で韓国選手に15─14で逆転勝ち。銅メダルを手にした。

 昨夏の世界選手権で「中立選手」の立場で出場したロシア選手に勝った後、競技規則にある握手を拒否して失格になった。

 記者会見で、ロシアの母国への侵攻に触れた。『2年半、自分の国で戦争が起きている難局の中、このメダルが少しでも喜び、希望になればと願う。私の3位決定戦での戦いが、あきらめないことを示せた。ウクライナ人は、決してギブアップしない」

 夫はイタリア代表のルイジ・サメレ(37)で、27日の男子サーブル個人で銅メダルを獲得した。(稲垣康介)”

 また、アメリカを中心とする西側諸国は、ロシアがウクライナに侵略し、クリミアやドンバス地方を一方的に編入したと主張し続けていますが、事は、それほど単純ではないのです。大戦後のクリミアの歴史をふり返り、ドンバス戦争をふり返れば、それがわかると思います。

 対立があれば、その両方の主張をしっかり受け止め、話し合いによって法的に解決する努力をすることが必要だと思いますが、ウクライナ戦争では、それができませんでした。覇権や利益第一の大国が、武力に頼っているからだと思います。

 アメリカが主導したマイダン革命によるヤヌコビッチ政権転覆2014年)以降、新政権による攻撃を受けるようになったドンバス地方の多くの人たちが、ウクライナを離れ、自らロシア編入を望んだということに目をつぶって、ロシアが一方的に編入したというのは、事実に反すると思います。

 また、国際紛争は平和的手段によって解決するという普遍的原則を逸脱して、軍事力で解決しようとすることは許されないのであって、ウクライナ戦争も決して例外であってはならないと思います。

 現在は、かつて欧米がアフリカや中東、アジアや中南米の大部分を植民地支配し、自らの覇権や利益のために、逆らうものを力でねじ伏せていた時代とは違うのです。国連憲章にあるように、”われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認”したのです。

 

 もう一つの ”またか” は、ベネズエラの大統領選に関わる、アメリカのブリンケン国務長官の出した声明です。野党統一候補で元外交官のエドムンド・ゴンザレス氏(74)の勝利は明らかだというのです。「選管の結果発表には深い欠陥があり、国民の意思を代表していない」などと踏み込んだことも言っているのです。だから、私は、またアメリカが反米的なベネズエラの左派政権を転覆すべく陰で動いているように思うのです。

 もちろんベネズエラには、マドゥロ政権に不満を持つ人たちもいると思います。アメリカと取引したい経営者やアメリカの文化に興味を持ち、もっと交流を深めたいという人たちも少なくないと思います。

 でも、見逃してはならないのは、アメリカはそういう人たちを支援し、利用して、反米的な左派政権の転覆をくり返してきたという事実です。そういう意味で、中南米でアメリカの関与を受けなかった国はほとんどないと思います。アメリカは、一貫して反米的な政権の国では、反政府勢力を支援し、政権を転覆するために動き、親米的な政権の国では、政権とともに反政府勢力を抑え込んできたと思います。

 特にベネズエラは、世界最大の原油埋蔵量を誇る国です。世界中でアメリカ離れが進む現在、アメリカは何とかしてベネズエラを親米政権の国に変えたいのだろうと思います。

 朝日新聞は、そうしたアメリカの戦略に追随して、”強権政治の混迷を憂う” というような記事を掲載し、”政権交代を求める市民が各地でデモを続け、衝突による死傷者が報じられている。政権はこれ以上、流血の悲劇を重ねてはならない” などと、アメリカの関与はないかのようなことを書いています。

 でも、そうした流血の悲劇を助長しているのが、アメリカであろうことは、ウクライナのマイダン革命が示していることだと思います。

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