真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

アメリカの欺瞞と圧力による戦争

2023年03月30日 | 国際・政治

 日本にはいろいろな政党があり、それぞれ自由に活動しています。選挙の際、国民は、そんな政党のなかから、自分の判断で好ましいと思う政党に投票することができます。
 またメディアは、日本政府の施策や閣僚の発言に関して、自由に批判したり、厳しく非難したりしています。だから日本は自由な民主主義の国であり、戦前の日本とは違うと考える日本人がほとんどだと思います。
 でもそれは、与えられる情報に基づいて、見えるところだけを見ている結果であって、現実の日本は、決して自由な民主主義の国ではなく、アメリカの覇権主義の影響下にあり、日本の政治や施策は、超えることのできない一線があることを見逃してはならないと思います。
 世界最大の軍事力と経済力、政治力を誇るアメリカは、気づかれないように、巧みに情報操作をしながら、他国に圧力をかけ、法を無視して、アメリカに都合のよい政治をやっているということです。
 だから、日本が、ウクライナ戦争で停戦・和解に動くようなことはできず、日本はウクライナ支援を義務づけられている、と言えるように思います。

 ロシアを弱体化するために、アメリカがウクライナの政権転覆を主導し、ウクライナ戦争を画策したのに、日本では、ウクライナに対するアメリカの関与がほとんど報道されません。
 日本におけるウクライナ戦争の報道の大部分は、アメリカ発の情報であり、日本の報道機関は、独自の取材をほとんどしていないと思います。日本の報道記者がウクライナに入って取材している内容も、アメリカと一体になったウクライナ側のものばかりで、ウクライナ政権を支持しない人たちや親露派の人たちが住む地域からのものはほとんどありません。ロシアの人たちの主張やプーチン大統領の演説の内容なども、断片的にしか報道されません。
 そしてしばしば、ウクライナ戦争を、下記、朝日新聞の天声人語の一節のように、プーチン大統領個人の問題にしてしまうのです。

”ロシア軍は、しばしば士気とモラルの低さが伝えられる。それはこの戦争に義がないことが一因だろう。兵士たちを戦争に送り、死なせているのは、大義を装ったプーチン大統領の危うい情念に他なるまい。独裁者はそうした粉飾が巧みなものだが、プーチン大統領もまた例外ではないようだ。

 このような記事は、日本国民のウクライナ戦争に関する客観的理解を妨げているように思います。
 ウクライナ戦争の解説に招かれた専門家と称する大学の教授も、プーチン大統領の経歴に触れつつ、彼はウクライナを再びロシア領土にしたいのです、などと言っているのを聞いたことがありますが、戦争に至る経緯や背景を無視して、ウクライナ戦争をプーチン大統領個人の思いで説明しようとするのは、プーチン大統領を独裁者に仕立て上げ、ロシアを弱体化したいアメリカの対露戦略に基づくものだと思います。

 だから、私は、かつて事実に反する「大本営発表」を、何の検証もなく報じ、国民を騙すことに加担した報道機関が、今度は、覇権主義に基づく「アメリカ発の情報」を何の検証もなく報じ、再び国民を騙すことに加担しているように思うのです。

 下記は、朝日新聞の読者の声欄から、「政権への異論許さぬ社会の怖さ」と題した、無職 〇〇〇豊さん(京都府 74)の投書を抜萃しました。
 朝日新聞は、似たような内容の投稿を、しばしば掲載しています。私は、そうした投降を読むたびに苛立ちを感じます。なぜなら、ウクライナの人たちに心を寄せ、日本の将来を心配する人たちが、自らがプロパガンダにさらされていることを疑うことができない状況に置かれたまま、メディアの報道に騙されていると思うからです。

ウクライナに侵攻したプーチン大統領を、ロシアの人たちの多くは熱狂的に支持しているようだ。ウクライナの学校や病院、集合住宅に対する攻撃や道路に放置された民間人の遺体などの「不都合な真実」は報じられず、ネオナチや西側諸国から祖国を守る戦いというプーチン大統領の一方的な主張をロシア国民は信じているのだろうか。
 異論を許さず政権側の立場のみを一方的に報道されることの怖さが表れている。戦前の日本もラジオや新聞は検閲され、戦況は「大本営発表」のみ、国民は真実を知らされないまま無謀な戦争を続けた歴史がある。戦後、その深い反省のもと放送法が定められた。
 しかし、第2次安倍政権は放送法の解釈を変え、戦前の教訓を真っ向から否定した。政権の意に沿わない番組やコメンテーターを排除しようとし、放送局もそれに「忖度」し続けているのではないか。「今のロシアは明日の日本」にしないため、テレビだけではなくマスコミ全体の奮起を求める。

 批判力があり、日本の将来を心配する読者を、こうした認識にさせているのは、朝日新聞をはじめとする報道機関が、政権批判はしても、ウクライナ戦争におけるアメリカの関わりや、他国に対するアメリカの圧力には目を閉ざしているからだと思います。

 くり返し取り上げていますが、ノルドストリーム2計画に反対するバイデン大統領は「ロシアが侵攻すれば、ノルドストリーム2を終わらせる」と指摘し、ドイツの管理下にある事業をどう止めるのかという女性記者の質問には、「われわれにはそれが可能だ」と述べました。ドイツもアメリカの覇権主義の下にあることがわかると思います。そして、現実にノルドストリームは爆破されました。でも、日本ではほとんど追及されることはなく、報道もされないのです。


 また、アメリカが、世界中の人びとを欺いて、自らの覇権と利益のために戦争をくり返してきた過去の事実はなかったかのような報道をしているからだと思います。
 アメリカは、自らが始めた戦争について、何の反省も謝罪も補償もしていないのに・・・。

 ベトナム戦争では、トンキン湾事件がありました。当時のジョンソン米大統は、米軍艦がトンキン湾でベトナム民主共和国の魚雷艇に攻撃され、「武装衝突が発生した」と演説し、多くの人たちの同意を得て、激しい北爆を開始したのですが、事件はアメリカの「秘密工作」に基づくものだったといいます。「ペンタゴンペーパーズ」という映画で、その問題が取り上げられたりしました。

 また、湾岸戦争における「ナイラ証言」は、湾岸戦争にきわめて大きな影響があったということですが、その「ナイラ証言」も、世界中の人びとを欺瞞するものでした。
 「ナイラ」という当時15歳の女性が、アメリカ合衆国の議会人権委員会で、涙ながらに語ったことが、国際的な反イラク感情とイラクへの批判の高まりを生みだし、無関係に近かったアメリカを中心に、多くの国で、イラクへの攻撃支持世論が広がったといいます。
 しかし、「ナイラ」という女性は、実は、当時クウェート駐米大使の娘で、その内容は、クウェート政府と自由クウェートのための市民運動の反イラク国際世論扇動広報キャンペーンの一環で演じられたものであったことが判明したというのです。

 イラク爆撃を正当化した大量破壊兵器の存在も、偽造文書に基づくもので事実ではありませんでした。
 アメリカは、自らの覇権と利益のために、くり返し、世界中の人びとを欺いて戦争をしてきたといえるのです。

 だから、ウクライナ戦争についても、マイダン革命に対するアメリカの関与、ウクライナのNATO加盟問題や共同軍事訓練の問題、ミンスク合意の問題、武器の供与や生物兵器の開発の問題、ノルドストリームの関連企業に対するアメリカによる制裁の問題、ドンバス戦争の実態など踏まえて理解する必要があると思います。
 でも、西側諸国の報道、特に日本の報道は、そういうことを無視して、ウクライナ戦争を独裁者プーチン個人の問題とし、アメリカ発の情報をそのまま報道するから、ウクライナ戦争は、ロシアの一方的侵略が発端という理解になり、上記のような投稿がなされることになるのだと思います。

 台湾有事の準備も着々と進み、日本は再び、危機的状況にあると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疑問だらけ、「ブチャの虐殺」ロシア軍犯行説

2023年03月27日 | 国際・政治

 ウクライナ戦争に対する世界の認識を決定づけたいわゆる「ブチャの虐殺」について投げかけられている疑問をまとめておきたいと思います。
 アメリカの影響下にある西側諸国の「ブチャの虐殺」の報道の多くは、プーチン大統領を悪魔のような独裁者に仕立て上げるために利用され、ロシアを野蛮な侵略国とする認識を世界中に広めることにつながったと思います。そしてそれは、ウクライナ戦争の動向に大きな影響を与えることになったと思います。だから、私は、見逃すことができないのです。


                        ブチャの虐殺の疑問

 ふり返れば、ロシア軍がキエフ(キーウ)から撤退したのは、3月30日でした。そして、翌日3月31日に、ブチャの市長が解放を報告しましたが、その際、なぜかブチャの虐殺については何も語りませんでした。
 その後、ウクライナ国防省も、イルピンやブチャなどを含むキエフ(キーウ)周辺の全域を奪還したと発表しました。
 そして、4月2日に、ウクライナ国家警察がブチャに入り、その際の動画を公開しました。その映像には、破壊された様子は記録されていましたが、なぜか、死体は見えなかったのです。死体が道路上に散乱している映像は、その後、ブチャに入った西側諸国のメディアが撮影したものでした。

 「ブチャの虐殺」については、4月3日に、ドミトロ・クレバ外相イリーナ・ウェネディクトワ検事総長セルゲイ・ニキフォロフ大統領報道官などが、ロシアの「戦争犯罪」を糾弾するかたちで、発表したのです。世界中に衝撃がはしりました。

 その後、4月4日 ニューヨークタイムズは ブチャの街中に遺体が転がっていることを示す衛星画像を公開しました。ロシア軍の犯行を裏づける証拠として、決定的な意味を持つものでした。この映像は、キエフ(キーウ)周辺が解放される前の、3月19日と21日のものであるということでした。

 疑問の一つ目は、ブチャの市長が解放を報告したとき、戦争犯罪や虐殺には一言も触れなかったのはなぜか、ということです。
 
 疑問の二つ目は、ウクライナ国家警察が公開した、ブチャに入った際の動画に 死体が見えなかったのはなぜかということです。

 疑問の三つ目は、米紙ニューヨーク・タイムズが公開したブチャの街中に遺体が転がっているというアメリカの宇宙企業マクサー社の衛星画像が、なぜ、撮影された後、すぐ公表されなかったのか、ということです。

 疑問の四つ目は、ブチャが、人っ子一人いない街になっていたのではないのに、なぜ、3月19日以降2週間以上も、虐殺の事実が明らかにされず、死体が放置されたままになっていたのかということです。ロシア軍が撤退した後もなお、死体がそのまま放置されていたのは、なぜか、ということも疑問です。

 疑問の五つ目は、画像の中の死者の多くが白い腕章をつけていたことです。ドイツのノンフィクション作家トーマス・クレバー氏は、この腕章はロシア兵を識別するためのものであり、ブチャの市民がロシアに連帯して白い手製の腕章をつけたと思われると指摘しているのです。真相はどうなのかということです。

 疑問の六つ目は、ロシア軍が、虐殺した死体を路上に放置して撤退すれば、世界中から非難の声があがり、戦争犯罪として追及されることはわかりきっているのに、なぜそんなことをしたのか、ということです。

 だから、ブチャの虐殺に疑問を抱く人たちは、ブチャの虐殺で誰が利益を得たのかというこを考えるべきではないか、といいます。私も、そう思います。

 疑問の七つ目は、独立した調査がされないうちにウクライナ支援が呼びかけられ、武器供与の取り組みが進んだのは、なぜかということです。ブチャの虐殺報道の前には、ロシアとウクライナの話し合いで、合意の可能性があったといわれています。ブチャの虐殺で決裂することになったというのです。

 だから、ウクライナ戦争でロシアもヨーロッパ諸国も疲弊し、ほくそ笑むのはアメリカではないかということが、問題になるのです。
 もちろん、ロシアが、ロシア軍による「ブチャの虐殺」を認めてはいないことも、わすれてはならないと思います。

 情報源は主に https://www.kla.tv/22232 です。
 また、「ブチャの虐殺 それは偽旗作戦ではなかったか︖ (Massacre in Bucha. Was it a False Flag?)」https://www.globalresearch.ca/massacre-bucha/5776423 や、sputnik日本(https://sputniknews.jp/)、https://english.pravda.ru/、さらに、ロシア語、ウクライナ語を解する日本人のツイートも参考にしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米駐日大使、最高裁長官と密会、伊達判決に対処

2023年03月25日 | 国際・政治

 「砂川事件と田中最高裁長官 米解禁文書が明らかにした日本の司法」布川玲子・新原昭治(日本評論社)から、さらに注目すべき文書二つを抜萃しました。

 砂川事件に関わって、東京地裁の伊達裁判長が「日米安全保障条約に基づく駐留米軍の存在は,憲法前文と第9条の戦力保持禁止に違反し違憲である」との判決を下したことにあわてたアメリカのマッカーサー駐日大使が、当時の藤山外務大臣に、伊達判決に対する「跳躍上告」をアドバイスしつつ、国務省と頻繁に「夜間作業必要緊急電報」などで連絡を取り合い、対応に追われていたことは、すでに取り上げた文書で明らかだと思います。

 今回取り上げたのは、「跳躍上告」された際に判断を下す最高裁の長官にも、マッカーサー駐日大使が接触し、「内密の話し合い」をしていたことを示す文書と、戦後の日本のありかたを決定づけたともいえる、下記のようなアメリカに都合の良い判断を示している文書です。

”憲法は、このような問題は、立法政策上の問題であり、基本的人権が侵されない限り、断じて裁判所は審査する権限を持たないと規定しているからである。

 

東京地裁判決は、憲法9条は、日本の「戦力保持」を禁止しているという前提に立ち、その正当化として憲法前文を引用する。しかしながら、前文は、攻撃から自衛するための日本の戦力保持を禁止していないし、自衛手段を講ずる権利も否定していない。

米軍は、国連の抑止活動の補完を意図しているのであるから、米軍の展開は、日本国憲法の精神に反するものではなく、むしろ憲法に依って立つところの平和主義をと国際協調主義を支持することは明白である。”

 私は、統治行為論のような考え方で、国際関係をはじめとする国の政治を憲法の上に置き、自衛のための戦力保持は合憲であるという考え方で米軍の駐留や自衛隊の存在を合法化し、アメリカは、国連の抑止活動を補完しているという考え方で、アメリカの不当な影響力行使(権力支配)を認めるから、アメリカは野蛮な戦争をくり返してきたのだと思います。

 私は、”自衛のための戦力保持は合憲である” などというのは、アメリカの影響力行使(権力支配)を正当化するための議論で、ナンセンスだと思います。日本国憲法の精神に反するばかりでなく、法の支配を蔑ろにする議論だと思います。東京裁判で東条英機元首相が、”日本は自衛のために戦った。あの戦争は米国が仕掛けた戦争だ” というようなことを言ったことを忘れてはならないと思います。戦争は、当事国にとってはいつも自衛の戦争なのです

 
 また、マッカーサー駐日大使が、田中最高裁長官と「内密の話し合い」をしたり、国務省と「極秘」「」「部外秘」というような電報のやりとりをしていることでも、アメリカの法の支配を蔑ろにする姿勢が明らかだろうと思います。民主的ではないのです。

 日本という国の根幹に関わる重要な問題が、このようなかたちで、秘密裏に決定されてよいわけはないと思います。民主国家にあるまじきことだ、と私は思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                第1部 砂川事件に関する米国政府解禁文書  

国務省・受信電報
「秘」
1959年4月24日午前2時35分受信
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:2200、4月24日午後4時
国務省宛2200:同文情報提供─太平洋軍司令部宛615、在日米軍司令部宛394
太平洋軍司令部は政治顧問へ
大使館関連電報2019

 最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、被告側は答弁書を提出することになる。

 外務省当局者がわれわれに知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審理は、おそらく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では判決の時機を推測するのは無理がある。内密の話し合いで田中(耕太郎)最高裁長官は、大使に本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審理が始まったあと判決に到達するまでには、少なくとも数カ月はかかると語った。
                                     マッカーサー 
 (英文の訳に関する説明は省略しました)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国務省・受領航空書簡
「部外秘」
1959年6月8日受領
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
航空書簡番号:G-647
同文情報提供─外交行嚢により太平洋軍司令部宛Gー86、
       外交行嚢により在日米軍司令部宛
大使館関連航空書簡:Gー631

 東京地方検察庁は、政府関係省庁が総力を挙げて作成した1万6000字に及ぶ砂川事件東京地裁判決に対する上告趣意書を6月2日最高裁に提出した。印刷されて発行された要約によれば、検事上告趣旨は、日本における米軍駐留の合憲性に対し、以下の基本的根拠に基づき強力な主張をしている。
 1、米軍は、日本との合意によってここに駐留しているのだから、米国の軍事力によって平和が確保されると考える義務が日本政府にはある。刑事特別法2条による刑罰は、軽犯罪法の刑罰とのみ比較
されるのではなく、〔刑法の〕住居侵入罪の規定との比較で考量されねばならない。ここに何故、刑特法による刑罰が、軽犯罪法によるものより重く、住居侵入罪による罰より軽いのかの理由がある。いずれにせよ、東京地裁が、刑特法に拠る刑罰の正当性につき判断したのは、その権限を越えている。というのは、憲法は、このような問題は、立法政策上の問題であり、基本的人権が侵されない限り、断じて裁判所は審査する権限を持たないと規定しているからである。

 2、東京地裁判決は、憲法9条は、日本の「戦力保持」を禁止しているという前提に立ち、その正当化として憲法前文を引用する。しかしながら、前文は、攻撃から自衛するための日本の戦力保持を禁止していないし、自衛手段を講ずる権利も否定していない。

 3、憲法9条は、日本の「戦力保持」を禁じているが、これは、日本の統制下にある戦力を言っている。したがって米国の軍隊は、断じて日本の統制下におかれるものではないので、米軍の展開は、日本にとっての「戦力」を意味しない。

 4、地裁判決は、日本における米軍は、日本の外で極東の平和維持のために発動されるかもしれないので、米軍の展開は、日本が関与していない争いに日本を巻き込む可能性を持ち、かくして憲法の精神に反すると述べる。しかしながら、米国が軍事的行動に出るのは、国連の指令による場合と国連憲章51条に規定されている個別的及び、集団的自衛権による場合のみであり、さらにこの規定は、この権利は国連加盟国に対する軍事的攻撃がなされた場合に行使できるとしている。さらに加えて、日米安全保障条約は、極東におけるいかなる軍事的攻撃も日本を脅かすことになるのは、明白である。このような攻撃を抑制するのは国連の義務であり、日本は、国連の加盟国としてこの点に関して国連と共働する義務を負っている。ここで米軍は、国連の抑止活動の補完を意図しているのであるから、米軍の展開は、日本国憲法の精神に反するものではなく、むしろ憲法に依って立つところの平和主義をと国際協調主義を支持することは明白である。

 5、地裁判決は、米軍の日本駐留の根拠でる日米安全保障条約が憲法に違反するとは、直接には宣告していない。しかしながら判決は全文において、裁判所の考えでは条約は違憲であるという意味を明らかに含んでいる。この立場から裁判所は、その管轄権を越えて、実質的に条約の合憲性につき判断を下しているが、これは憲法81条によって規定されている司法の違憲立法審査権を越えるものである。

 反響  新聞記事は、以下のものに限定される。『読売』コラムは、上告趣旨の骨子は「法的というよりも政治的」であり、憲法9条に対する政府の立場につっかい棒をする意図である、としている。
『東京タイムズ』社説は、憲法9条の解釈について国民は、改定安保条約調印前にこの問題のすべての疑念が晴らされることを望んでいると思われるから、最高裁は明確な判断を下すようにと求めている。

 コメント  検察の上告趣意書提出に伴い、裁判の審理は、「小法廷」から「大法廷」に移った。弁護側は、趣意書を精査のうえ、6月下旬に答弁書を提出すると思われる。大使館は、目下、上告趣意書正本の写しを入手しようと努めている。
                                             マッカーサー
                              JI ステグマイヤー:cj  政治顧問 HB クラーク 
                                        主席公使Wm レンハート    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカによる司法介入の証拠文書

2023年03月23日 | 国際・政治

 下記は、 「砂川事件と田中最高裁長官 米解禁文書が明らかにした日本の司法」布川玲子・新原昭治(日本評論社)からの一部抜萃ですが、アメリカが東京地裁の伊達判決にいかにあわてふためいたかがよくわかると思います。
 伊達秋雄裁判長が,1959年3月「日米安全保障条約に基づく駐留米軍の存在は,憲法前文と第9条の戦力保持禁止に違反し違憲である」と断定した直後から、アメリカのマッカーサー駐日大使は、藤山外務大臣などと接触しつつ、頻繁に国務省に「夜間作業必要緊急電報」を打っているのです。そして、日本政府やメディアの報道、日本社会の反応などを逐一国務省に報告しています。
 私は、そうした「夜間作業必要緊急電報」のやりとりは、米軍の日本駐留が、実は、日本を守るためというより、アメリカの覇権と利益のためであったことを示しているように思います。
 また、当時の岸首相が、アメリカと手を結んだ日本の戦争指導層を代表する首相であったために、伊達判決は、アメリカの司法介入によって覆されることになったのだと思います。60年以上前の話ですが、私は、日本に対するアメリカの司法介入は、現在につながっている問題であることを忘れてはならないと思います。

 日本のメディアは、日本政府を批判し、非難しても、アメリカの他国に対する内政干渉や戦争犯罪には目をつぶり、追及しないということが、あたりまえになっているように思います。そういう意味では、戦後アメリカと手を結んだ岸首相をはじめとする戦争指導層と同罪だと思います。
 先日、朝日新聞は「イラク戦争20年」ということで、”不正な侵略 重い教訓”と題する記事を掲載しました。そのなかに、下記のような”苛立ちを感じる”一節がありました。

米ブラウン大によると、アフガニスタン、イラクの戦争で戦費は退役軍人への治療費などを含め8兆ドルに上る。米兵7千人以上が死亡し、敵兵や市民も合せて90万人の命が失われた。疲弊した米社会に厭戦ムードが拡大し、政治の「内向き化」の加速により国際社会での米国の存在感は陰った。
 世界最強の軍事大国でも、武力で他国の体制を変えることはできなかった。自身の国力と威信は無惨に傷ついた。この事実こそ、イラク戦争からくみ取るべき最大の教訓だろう。「不正な戦争」がいかなる末路をたどるのか。国内の不満を強権で抑え込むプーチン大統領は、歴史に真摯に向き合う必要がある。

 アメリカは、イラクやアフガニスタンでの戦争が「不正な戦争」であったと認め、反省したでしょうか。イラクやアフガニスタンの人たちに、賠償や補償をしたでしょうか。退役軍人に出した治療費に相当するものを、イラクやアフガニスタンの人たちに出したでしょうか。なぜ、そうしたことを問わないのでしょうか。    

 また、当時の小泉首相が、多くの反対の声があったにもかかわらず、アメリカの戦争をいち早く支持した過ちさえ問わないで、イラク戦争から「教訓」をくみ取ることを語れるのでしょうか。
 どうしても受け入れることができないのは、この記事の結論です。
 なぜ、アメリカのイラク戦争の問題を、”「不正な戦争」がいかなる末路をたどるのか。国内の不満を強権で抑え込むプーチン大統領は、歴史に真摯に向き合う必要がある。”などとプーチン大統領の問題にすり替えてしまうのでしょうか。

 アメリカは、選挙で選ばれ、2011年に日本を公式訪問した際、当時の天皇(明仁)から大勲位菊花大綬章を授与されているウクライナのヤヌコーヴィチ大統領(親露派)を独裁者に仕立て上げ、暴力的なクーデターで政権転覆することに手を貸し、ウクライナ戦争のきっかけをつくったのではないでしょうか。
 この記事は、追及すべき相手を意図的にすりかえて、読者を惑わす記事だ、と私は思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 第1部 砂川事件に関する米国政府解禁文書  

国務省・受信電報
「部外秘」
1959年3月30日午前6時52分受信
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:1968、3月30日午後8時
夜間作業必要緊急電
国務省宛1968:同文情報提供─太平洋軍司令部宛55、在日米軍司令部宛332
太平洋軍司令部は政治顧問へ
国務省から国防総省と文化情報庁へ。
大使館・文化情報局共同連絡

 伊達秋雄裁判官を裁判長とする東京地方裁判所法廷は本日、日本が日本防衛の目的で米軍の日本駐留を許している行為は「憲法第9条で禁じられている陸海空軍その他の戦力保持の範疇に入るもので、日米安保条約と日米行政協定の国際妥当性がどうであれ、国内法のもとにおいては米軍の駐留は……憲法に違反している」と宣言した。

 判決はいわゆる砂川事件に関連したもので、全学連(共産党支配下の学生組織)の書記長、土屋源太郎並びに他の6人の被告に関する1957年7月8日の米軍立川基地侵入(1957年7月8日の大使館電報第68号で説明済)について無罪とした。

 当地の夕刊各紙はこれを大きく取り上げており、当大使館はマスメディアからさまざまな性格の異なる報道に関した数多くの問い合わせを受けている。外務省当局者と協議の後、これらの問合わせには「日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのは、きわめて不適切であろう。この問題にコメントする最適の立場にあるのは日本政府だと考える」旨答えている。在日米軍司令部、マスメディアの問い合わせに同様の回答をしている。

 外務省当局者がわれわれに語ったところによれば、日本政府は地裁判決を上訴するつもりであり、今夜の参議院予算委員会で法務大臣がそれについて言明する予定である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国務省・受信電報
「極秘」
1959年3月31日午前1時17分
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:1969、3月31日午後2時
至急電
国務省宛1969、同文情報提供─太平洋軍司令部宛552、在日米軍司令部宛533
限定配布
太平洋軍司令部は政治顧問とフェルト提督へ。在日米軍司令部宛はバーンズ将軍へ。
大使館関連電報1968

 今朝8時に藤山(愛一郎=外務大臣)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生み出すだけでなく、4月23日の東京、大阪、北海道その他でのきわめて重要な知事選挙を前にしたこの時期に、国民の気持ちに混乱を引き起こしかねないとの見解を表明した。
 私は、日本の法制度のことをよく知らないものの、日本政府がとり得る方策は二つあると理解していると述べた。

1、東京地裁判決を上級裁判所(東京高裁)に控訴すること。
2、同判決を最高裁に直接、上告(跳躍上告)すること。

 私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接最高裁に上告することが、非常に重要だと個人的には感じている。というのは、社会党や左翼勢力が上級裁判所(東京高裁)の判決を最終のものと受け入れることは決してなく、高裁への訴えは最高裁が最終判断を示すまで議論の時間を長引かせるだけのこととなろう。これは、左翼勢力や中立主義者らを益するだけであろうと述べた。
 藤山は全面的に同意すると述べた。完全に確実とは言えないが、藤山は日本政府当局が最高裁に辞跳躍上告することはできるはずだとの考えであった。藤山は、今朝9時に開かれる閣議でこの上告を承認するように促したいと語った。               マッカーサー                                                         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国務省・受信電報
「秘」
1959年3月31日午前9 時29分受信
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:1973、3月31日午後9時
至急電
国務省宛1973、同文情報提供─太平洋軍司令部宛554、在日米軍司令部宛335
限定配布
大使館関連電報1969

 今夕、外務省当局者は、日本政府が東京地裁判決を最高裁に跳躍上告するか、それともまず東京地高裁に控訴するかをめぐって、いまだに結論に到達していないと知らせてきた。どちらの選択肢がより望ましいかで議論の余地があるらしく、目下、法務省で緊急に検討中である。外務省当局者は、今の状況をなるべく早くすっきりと解決することが望ましいことは十分認識している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
抄訳
国務省・受信電報
「部外秘」
1959年4月1日午前7 時06分受信
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:1978、4月1日午後8時
至急電
国務省宛1978、同文情報提供─太平洋軍司令部宛556、在日米軍司令部宛337 並びに全駐日領事館宛
太平洋軍司令部は政治顧問宛
大使館関連電報1968

 日本における米軍の駐留は憲法違反と断定した東京地裁の伊達判決は、政府内部でもまったく予想されておらず、当初日本国内に鮮烈な衝撃を拡げた。同判決は、国会での政府と社会党指導者との鋭い論議を巻き起こし、また憲法問題専門家らの議論や政治評論家らの広範囲に及ぶ推測、論評が飛び交った。
 岸(首相)と政府幹部はともに国会でも国民向け声明でも、同判決は裁判所内の少数意見を代弁したに過ぎないこと、最終的判決は最高裁によってなされること、差し当って伊達判決は、日本政府の政策を変えるものではないし、憲法9条について日本政府が長年にわたりとってきた以下のような解釈を変えるものではないことを強調している。(A)第9条は、攻撃から自らを防衛する権利を日本が持つことを否定していないこと、(B)このような目的のための戦力を日本が持つことを禁じていないこと、(C)日本における米軍の駐留を禁じていないこと。
 岸は、政府として自衛隊、安保条約、行政協定、刑事特別法は憲法違反ではないことを確信を持って米国との安保条約改定交渉を続けると表明した。

 すべての新聞が引き続き、伊達判決についての詳細な論説や全世界の主要首都からの反応を含めて、大きな扱いを続けている。ただし、当初は3月31日付紙面で際立ったようなセンセーショナルな扱いは影をひそめ、むしろ落ち着いた反応にとってかわっている。
〔以下、各紙論評の特徴と社会党の動向を報告しているが、原本コピー不鮮明につき翻訳は省略。〕

 コメント  東京地裁判決の反響を全面的に予測することはまだ早すぎる。差し当っての一応の推測としては、いうまでもなく社会党は、当面次の選挙戦に向けてこの問題を最大限に活用することが予想される。同時に、長期的には政府が確信をもって予測しているように、最高裁の最終判決が伊達判決を明快な論法で覆すなら、国民的論議や法律的論議の最終的結末は、米日防衛取り決めのための特別な罰則規定を含めて、自衛のための適切な措置をとる権利を日本が持っていることを健全なやり方で明確化するものとなろう。                 マッカーサー
                                    
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                                            
国務省・受信電報
「秘」
1959年4月1日午前7 時26分受信
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:1982、4月1日午後8時
至急電
国務省宛1982、同文情報提供─太平洋軍司令部宛557、在日米軍司令部宛338 在日米軍軍司令部宛338
太平洋軍司令部は政治顧問宛
大使館関連電報1968
                   
 藤山(外相)が本日、内密に会いたいと言ってきた。藤山は、これまでの数多くの判決によって支持されてきた憲法解釈が、砂川事件の上訴審でも維持されるだろうということに、日本政府は完全な確信を持っていることをアメリカ政府に知ってもらいたいと述べた。法務省は目下、高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告する方法を検討中である。最高裁には3千件を超える係争中の案件がかかっているが、最高裁は本事件に優先権を与えるであろうことを政府は信じている。とはいえ、藤山が述べたところによると、現在の推測では、最高裁が優先的考慮を払ったとしても、最終判決を下すまでにはやはり3ヶ月ないし4ヶ月を要するであろうということである。
 同時に、藤山は、東京地裁判決が覆されるであろうということ、そして日本政府が、自衛隊と米軍駐留が合憲であるという政府の立場が支持されるであろうということに、いささかの疑いも抱いていないことを明確に示すよう振舞うことが大事だと述べた。地裁判決へのマスメディアと世論の反応はこれまでのところ、日本政府の立場にとって決して不利なものではない。いまのところ、日本政府は社会党が新たに司法を尊重せよと騒ぎ立てていることを必ずしも不快に思っていない。というのは、日本政府は「社会党の司法尊重」が最高裁の段階になった時ブーメラン効果〔自らに負の効果がかえってくる〕をあげることを期待しているからである。

 一方で、藤山は、もし日本における米軍の法的地位をめぐって、米国または日本のいずれかの側からの疑問により、例えば〔日米安保〕条約(改定)交渉が立往生させられているといった印象がつくられたら、きわめてまずいと語った。
 そこで藤山は、明日の私と藤山との条約交渉関連の会談を、事前に公表のうえ開催することを提案した。ここで藤山は、会談が日本政府のイニシアチブで行われたことを明らかにすることで、日本政府自らの立場の合憲性を確信しており安保条約〔改定〕交渉を続行するとの意向をアメリカ政府に対し明確に示すことになろう。
 この会談の開催について最終決定を下す前に、藤山は明朝、福田〔赳夫=自民党幹事長)と船田〔中=自民党政調会長〕と相談し、事前公表予定の明日の会談が、自民党にとっても世論にとっても有意義かどうかを再確認する予定である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国務省・受信電報
「秘」
1959年4月3日午前2時26分受信
発信元:東京(大使館)
宛先:国務長官
電報番号:2001、4月3日午後4時
至急電
国務省宛2001、同文情報提供─太平洋軍司令部宛563、在日米軍司令部宛344 在日米軍軍司令部宛344
太平洋軍司令部は政治顧問へ
大使館関連電報1982

 自民党の福田幹事長は、内閣と自民党が今朝、政府は日本における米軍基地と米軍駐留に関する東京地裁判決を最高裁に直接(跳躍)上告することに決定した、と私に語った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アフガニスタン紛争におけるアメリカの犯罪

2023年03月21日 | 国際・政治

 下記は、「民衆法廷の思想」前田朗(現代人文社)から「アフガニスタン国際民衆法廷開催に向けて」の文章の一部を抜萃したものですが、アメリカのアフガニスタン爆撃も、明らかにアメリカの覇権と利益のための爆撃であり、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争と同じような戦争犯罪がくり返されたことが分かると思います。

 アメリカという国は、魅力的な文化がいろいろあり、魅力的な人が大勢おり、世界中の人たちを引き付ける魅力にあふれている思います。
 しかしながら、アメリカの政治、特に、その対外政策や外交政策に目を向けると、それを盲目的に賛美することはできないと思います。
 アメリカは、圧倒的な軍事力と経済力で西側諸国の頂点に立ち、野蛮で残虐な戦争を続けながら、世界中から利益を吸い上げ、そうした文化を発展させてきたと思うからです。
 アメリカが、圧倒的な軍事力と経済力を背景に、アメリカの覇権と利益のための政策を進め、受け入れない国には、制裁を課し、それでも受け入れない国には、容赦なく武力行使をしてきたことは、誰にも否定できない事実です。
 佐藤由美子氏によると、アメリカは、1776年の建国以来239年間のうち、222年間を戦争に費やしてきたということがそれを示していると思います。239年間で、戦争をしなかったのは、たったの17年ということなのです。

 だから私は、日本は、アメリカに追随すべきではないと思い、アメリカの戦争の野蛮性や残虐性、また、アメリカの対外政策や外交政策の違法性を指摘している文章を、さまざまな著書から引き、くり返し確認しています。
 そして、見逃してはならないのは、アメリカは、今、自らの国の覇権と利益が失われつつあることを受け入れることができず、中国やロシアを弱体化するための戦争をせざるを得ない状況に追い込まれていることです。だから、攻撃的なのはロシアや中国ではなく、アメリカであることを踏まえて対応する必要があると思います。

 今、西側諸国のロシア敵視もちろん中国敵視も、覇権が危うくなりつつあるアメリカの戦略に基づくものであることを踏まえる必要があると思うのです。
 バイデン政権は、中国発の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」の親会社バイトダンスにティックトックの売却を要求し、応じなければ、米国内での使用を禁止する方向で動いているようです。英政府は、職員が公用スマートフォンでティックトックを利用するのを禁じると発表し、米国やEU(欧州連合)でも同様の措置をとるということです。アメリカがやってきたことを、中国にはやらせないという理不尽な動きだ、と私は思います。

 しばらく前にアメリカは、中国のテック産業を代表する企業であるファーウェイ(華為技術)に制裁を課しました。アメリカの利益を損ねるので、ファーウェイ(華為技術)には儲けるチャンスを与えないという方針だったと思います。
 でも、そんなアメリカを見限り、中国に接近する国が増えているように思います。当然の流れだと思います。アメリカが敵対させていたともいえるスンニ派が大多数のサウジアラビアと、シーア派が主流のイランが、中国の仲介により、外交関係を正常化させることに合意したことも見逃すことができません。
 なぜなら、BRICS、すなわち、ブラジル(Brazil)、ロシア(Russia)、インド(India)、中国(China)、南アフリカ(South Africa)の非米諸国の5カ国の側が、広い国土や多くの人口、石油を中心とする豊かな天然資源をもとに、ますます力をもってくることになるからです。
 アメリカの世界支配は終わりを迎えつつあるといえるように思います。
 でも、アメリカはそれを受け入れることができず、力によってその流れを止めようと、攻撃的になっているのだと思います。だから、アメリカに追随することは、危険だと思います。 

 自民党政権は、沖縄の人たちや地域住民の声をきちんと受け止めることなく、敵基地攻撃能力を含む南西諸島の要塞化を進めているようですが、愚かなことだと思います。アメリカの戦略に基づいて、中国を挑発するようなことはすべきではないと思います。
 ウクライナ戦争におけるロシアと同じように、成長途上にある中国が、今、それを台無しにするような戦争をするわけはないのです。戦争をしようとしているのは、アメリカだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                     第2章 民衆法廷の実践

                二 アフガニスタン国際民衆法廷開催に向けて

 10 被告人はブッシュ
 ICTA実行委員会が2002年春に準備した「起訴状(草案)」は、ジョージ・ブッシュ米大統領を被告人としている。ブッシュ大統領は2001年10月7日に始まった「アフガニスタン空爆について、米軍に指揮・命令をし、ブレアや小泉に協力を要請して、現に空爆を実行させた。これは、次の犯罪の共同実行というべきである。ブレアや小泉も共同正犯ないし幇助であるが、単純明快にもっとも悪質な被告人を取り上げる趣旨から被告人はブッシュに限定しているが、ブレアや小泉の犯罪を見逃す趣旨ではない。
 第一に侵略の罪である。
 「9・11」に対してブッシュ大統領は「これはチャンスだ。これは戦争だ」と叫び、最初は「報復戦争」を唱えた。「報復戦争は許されない」と指摘されると、自衛戦争の論理を持ち出した。しかし、、国連憲章第51条の自衛権の要件を充たしていない。そこで最後には「テロリストを匿う国はテロリストと同じ」という身勝手な理屈で攻撃を開始した。国際法上の正当化理由のない空爆であり、国連憲章に違反する行為である。これはICC規程などが規定する「侵略の罪」にあたる。ニュルンベルク・東京裁判における「平和に対する罪」に対応する内容である。ICC規程は、1988年に採択2002年7月1日に発効したが、侵略の罪の定義がないため、当面は侵略の罪は適用されない。しかし、民衆法廷では、法廷自身が侵略の罪の定義を示すことで、これを適用していくことができる。不戦条約、ニュルンベルク・東京裁判、国連憲章、国連総会決議「侵略の定義」などを参考にして、ICTAの侵略の罪の定義を明らかにして、ブッシュを裁くのである。
 第二に、人道に対する罪である。
 2001年11月から2002年2月にかけて、米英軍の空爆によりアフガニスタンには大量の国内避難民が溢れた。パキスタンやイランが国境を封鎖したため、難民となることができない膨大な人々が国内避難民として極寒の大地を流亡した。国境の山々を越えた難民も流出した。大量の難民化を生みだしたことは、人道に対する罪としての迫害や、場合によってはジェノサイドの罪にあたる。
 第三に、民間人・民間施設攻撃の罪である。
 米英軍はタリバンを攻撃すると称していたが、実際はアフガニスタンの都市や農村において民間人・民間施設を攻撃した。「誤爆」という弁解は通用しない。民間住宅、学校、モスク(教会)に対する爆撃の証拠が多数ある。これは古典的な戦争犯罪である。「誤爆」の論理は、古くロシア・トルコ戦争におけるニコポル城攻略や日露戦争における旅順攻撃に際しても持ち出されたが、現在の米軍の「誤爆の論理」も所詮は同様の言い訳に過ぎない。一方で精密誘導兵器を誇りながら、湾岸戦争でも、ユーゴ攻撃でも、「誤爆」を繰り返いしてきた。アフガニスタンでも同じである。そして、民間人被害は「付随的損傷」と切り捨てた。実際は決して「誤爆」ではなく、意図的に民間住宅地への爆撃を行い、後になって「誤爆」と弁解していることが明らかである。
 2003年2月12日に至っても、米軍はアフガニスタン南部ヘルマンド州で民間人殺戮を続けている。これをメディアは「誤爆」と報道し続けている。また、デイジー・カッター、クラスター爆弾、バンカーバスターなどの大量破壊兵器を住宅地やその周辺に投下した。さらに、2002年暮になってようやく明らかになってきた「劣化ウラン弾(放射能爆弾)」の大量使用も戦争犯罪の疑いがある。
 第四に、捕虜虐殺と捕虜虐待である。
 マザリシャリフ近郊におけるタリバン捕虜虐殺は、EU会議で放映された映像でも衝撃を与えたという。キューバのグアンタナモ基地における捕虜虐待の証拠写真や映像も確認された。ジュネーブ条約に違反するとの国際的批判に対して、ブッシュ大統領は自身が「ジュネーブ条約の捕虜として扱わない」と無法行為を容認する発言を繰り返した。ジェイミー・ドーランの映像「死の護送」──アフガニスタンの虐殺」はその一端を明らかにした。
 ICTAはこれらの戦争犯罪の証拠を収集し、現代国際法に照てまぎれもなく戦争犯罪であることを立証していく運動である。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル資本主義よる搾取と収奪、富の偏在、戦争

2023年03月19日 | 国際・政治

 フルカウント(fullcount)によると、今、WBCで大活躍中のエンジェルス・大谷翔平選手は、単年3000万ドル(約43億4000万円)で2023年の契約に合意したということです。また、年俸3000万ドルは現時点でメジャーで16番目だそうですが、フォーブス(世界的な経済誌)は「今回の契約とエンドースメント収入を合わせて、5000万ドルになると見られ、この額は今年のMLBの高額収入選手リストで2位に位置する」と指摘しているといいます。エンドースメント収入とはスポンサー収入などのことで、年俸と合わせて、総収入は5000万ドル(約72億3700万円)にもなるというのです。

 アメリカのメジャーリーグで活躍すれば、こうした高額な年俸が得られるのみならず、世界に名を知られる選手になれるので、優秀な選手が世界中からアメリカに集まるのだと思います。
 そして、野球選手に限らず、あらゆる分野で、優れた能力を持つ人たちが、アメリカを目指すのだと思います。圧倒的な経済力によって築かれた他国では見られない文化が、アメリカには数多くあるからだと思います。だから、中国やロシアにも、アメリカに魅力を感じ、自国よりもアメリカが好きだという人は大勢いると思います。

 でも、考えるべきことがあります。
 世界の大企業ランキングトップ10中、9か国はアメリカの企業です。トップ20に入る企業のアメリカ以外の国のものは、サウジアラビア1 フランス1 台湾1 中国1です。
 また、フォーブス世界長者番付・億万長者ランキング(2022年版)を見ると、トップ10に入るのは、アメリカ人8人、フランス人1人 インド人1人です。
 私は、アメリカの魅力が、この富の極端な偏在に基づいていることを見逃してはならないと思います。アメリカは、圧倒的な経済力、圧倒的な軍事力、圧倒的な政治力を生かして、世界中から利益を吸い上げるシステムを構築しているのです。

 現在アメリカは、「自由で開かれたインド太平洋」などというもっともらしい言葉を使って、アジア諸国を仲間に引き入れ、中国を追い詰めるためようとしているようですが、それは、国家間の障壁を取り除き、自由化を推し進めて、アメリカの資本が、他国から自由に利益を吸い上げることのできるグローバルなシステムを、中国に認めさせようとする意図に基づいていると思います。中国が受け入れないので、様々な制裁を課し、武力行使の準備をしているのだと思います。
 でも、経済のグローバル化の実態は、上に見たように、富の偏在をもたらし、強者と弱者の格差を拡げ、環境破壊さえもたらしていることを見逃してはならないと思います。
 すでにみたように、最近アメリカは、自国の利益のために、メキシコに遺伝子組み換えトウモロコシを輸入するように強要しているのです。少し溯れば、メキシコのサパティスタ民族解放軍が、当時のクリントン大統領に訴えたように、アメリカは、当時のカルロス・サリナス・デ・ゴルタリ政権と手を結び、搾取と収奪をくりかえしていたのです。

 アメリカが露骨に搾取や収奪をする対象国は、主として、中南米やアフリカ、中東、アジアなどの国々だと思いますが、その他の国々からも、大なり小なり利益を吸い上げていると思います。アメリカの要求を受け入れなければ脅し、脅しても受け入れなければ制裁を課し、場合によっては武力行使もするというのがアメリカだ、と私は思います。

 下記は、「ぬりつぶされた真実」ジャン・シャルル・ブリザール/ダスエ、ギヨーム著:山本知子訳(幻冬舎)からの抜萃ですが、アメリカがあらゆる地域から利益を吸い上げるために、巧みな外交を展開していることが分かると思います。

 アメリカは、共産主義政権や社会主義政権はもちろん、民主主義政権をも、排除の対象にしているように思います。自由に利益を吸い上げることが難しいからだと思います。
 アフガニスタンでは、1978年に社会主義政権が成立し、近代化およびイスラムの教えに縛られない世俗化政策を進めたということですが、イスラム勢力の反政府運動が激化したため、当時のソ連が、このアフガニスタン人民民主党政権を安定させる目的で、侵攻に踏み切ったといいます。
 その時、アメリカはソ連軍と戦う勢力を支援したのです。でも、いわゆる「アメリカ同時多発テロ事件」以降、アメリカは、手のひらを返したように、かつて支援した勢力を潰しにかかったのです。それがアフガニスタン戦争だと思います。
 そうしたことを踏まえて、ウクライナ戦争やアメリカの対中戦略を受け止める必要があると思うのです。アメリカが支援するかどうかは、アメリカの覇権や利益の維持拡大のためであり、民主主義などとは関係ないのだ、と私は思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
             第一部 アメリカ合衆国とタリバンの隠された関係
 
            第一章 ライラ・ヘルムズ 職業:タリバンのロビイスト

 元CIA長官の姪ライラ・ヘルムズ。タリバンのロビイストだ。2001年9月11日の同時多発テロ以前、2月から8月にかけて、アメリカ政府はタリバンと交渉を続けていた。
 もともとアメリカは、アフガニスタンの戦士たちに好意的だった。旧ソ連のアフガニスタン侵攻に対して、CIAを通じてひそかにイスラム戦士、ムジャヒディンを支援していたし、ソ連撤退後の泥沼の内戦では、タリバンに期待した時期もあったのだ。
 アメリカは自国の石油政策のため、アフガニスタンを手中におさめたかった。一方のタリバンは窮迫し、経済支援を得るために国際的な認知を必要としていた。こうしてアメリカ政府とタリバンの利害が一致した…。
■ ムジャヒディンへの支援
 彼女の名はライラ・ヘルムズ、ワシントン在住。元イラン大使で、最近までCIA長官を務めていたリチャード・ヘルムズの姪である。その生い立ちから見ても、ライラが世界の闇の部分と無関係に生きてきたとは考えられない。アフガニスタン生れでアメリカ育ちの彼女は、40歳を過ぎた今も溌溂(ハツラツ)としている。彼女の半生は、この両国の関係の波乱に富んだ歩みとともにあったといえるだろう。
 ライラは、1980年代にはすでに、アメリカ東海岸で、アフガニスタンへのソ連の侵攻と闘うムジャヒディン(イスラム教の聖典、ジハードを戦う兵士たち)を支持する活動をしていた。
 当時、彼女は、国務省とホワイトハウスがバックアップするアメリカの非政府団体「アフガニスタンの友」に参加していた(ソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するムジャヒディンを支援する在米グループの代表)。アフガニスタンのムジャヒディンに対するアメリカの世論の共感を高めること、それがこの会の目的である。
 遠い祖国で起きている対ソ聖戦の、いわば西洋での中継地としての役割を果たしていた。
 若きライラ・ヘルムズは、この会の一員として、1986年3月20から4月5日までの間、ムジャヒディンのリーダー、サイイド・ムハンマド・ガイラーニーのアメリカ国内旅行をお膳立てする役を仰せつかった。このアフガニスタン・ゲリラの幹部ガイラーニーは、アラブ系のパシュトゥン人である。西洋で教育を受け、最も穏健なムジャヒディン指導者といわれていた。
 まったく予定されていなかったことだが、彼は旅の途中、当時副大統領であったジョージ・ブッシュ(父)に出会い、長時間話し合う機会を持った。1986年3月21日、ワシントンでのことである。
 ライラ・ヘルムズは世渡りに長け、アフガニスタンの宗教的リーダーをはじめとする豊富な人脈を持っていることから、アメリカのアフガニスタン人の間でしだいに頭角を現していった。
 さらにいくつかの歴史的偶然も手伝い、気がつくと誰もが認めるアフガニスタンのロビイストになっていた。いいかえれば、アフガニスタンに対するアメリカの政策が、ライラをロビイストに仕立て上げたのだ。彼女は、いわばアメリカ政府から優遇されてきたイスラム教徒のリーダーたちを、長い間サポートしてきた存在だった。
 1995年、サウジアラビアからの寵愛を受け、財政的支援を得たタリバンはアメリカの国務省までも味方につけ、今まさにカブールで権力を握ろうとしていた。当然のことながら、アメリカとサウジアラビアは、タリバンの陰のスポンサーとささやかれ始める。そしてこのころにはもう、ライラは自然に、ワシントンにおけるタリバンの利益代理人のひとりに数えられるようになった。
 それから6年間、ライラはタリバンの代理人として、特に国連に対して影響力を持つさまざまな活動の調整役を務めてきた。1996年以降、タリバンの最高指導者ムハンマド・オマルは、アフガニスタンの法律を無視して次々に死刑を執行する。
 こうした指導者の実態が明らかになるにつれ、タリバンはアメリカ政府にとっては正式に付き合うのが難しい相手になってきた。しかし、国連に対するライラの働きかけは決して衰えることはなかった。
 1996年にタリバンがオサマ・ビンラディンを迎え入れた後も、さらに1998年、ビンラディンがナイロビと、タンザニアの首都ダルエスサラームのアメリカ大使館襲撃テロに資金を提供した罪で追われるようになった後も、ライラはロビイストとして、タリバン支持の立場を変えなかった。
 たとえば1999年2月、ライラ・ヘルムズは、アフガニスタン女性の生活を紹介するテレビドキュメンタリーをNBCで制作した。

 この番組のため、テレビ局の撮影班がアフガニスタンに送り込まれた。撮影は二週間に及んだという。しかし完成した番組は、アフガニスタンの女性たちの暮しの厳しさをありのままに映し出したものではなかった。まるでタリバンのプロパガンダ用フィルムのように仕上がっていたのだ。結局NBCはもとより、アメリカのどこのテレビ局もこのドキュメンタリーを放映することはなかった。
 今ではとても不思議に思えるが、ヘルムズ女史のこうした積極的な行動は、アメリカでは決して例外的なものではなかった。
 タリバンの他の代理人たちも、ごく最近までは、一見目立たたないが重要な活動の拠点となっている組織を通してアメリカでも一目置かれている存在だったからだ。
 たとえば、アフガニスタン・イスラム首長国(タリバン政府)のアメリカのオフィスは、タリバン政権が表向きは認められていないので完全に非公式ではあったが、アメリカに構えたタリバンの大使館事務局のようなものであった。それでも2001年8月、タリバンの代表者たちは、ニューヨークのフイーンズにあるビルの中でいくつかの部屋を手に入れることができた。それは、9月11日のテロの直前まで、彼らがニューヨークに存在することが実際には容認されていたことを意味している。
 このクイーンズにあるビルに、北アメリカにおけるタリバンの非公式大使、マウラーナー・アブド・アル・ハキーム・ムジャーヒドが迎えられていた。
 2001年2月5日に、タリバンが正式な認知を求めた後、アメリカとアフガニスタンの新しい関係を大々的に調整するという重責をワシントンで任されたのは、当然のことながらこのライラ・ヘルムズはであった。彼女は、その外交的手腕を発揮して、ブッシュ政権の最高責任者たちとムッラー・ムハンマド・オマルの密使との会議を準備した。
 オマル側の交渉相手となるアメリカ政府では、今や実権を握っているのは、その昔ムジャヒディンがソ連と戦った時代に手を組んでいたのと同じ人物である。ブッシュによる共和党政権では、かつてモスクワを揺さぶるためにイスラムゲリラを熱烈に支援した官僚たちが、再び重要なポストに就いていたからだ。
 こうして、一時的なものとはいえ、タリバンとアメリカ政府との間で非常に大きな意味を持つ同盟関係が結ばれようとしていた。

 ■ タリバンへのインタビュー

 ライラの奔走の成果が最初に現れたのは、タリバンが国際的認知を求めてきた2ヶ月近く後だった。2001年3月18日から23日まで、タリバンの移動大使と呼ばれる24歳のサイイド・ラフマトッラー・ハシミが、アメリカを短期訪問したのである。彼は、ムハンマド・オマルの個人的な相談役でもあった。この旅行は、タリバンがバーミャンの建立千年以上といわれる古い仏像をダイナマイトで破壊した事件が世界中に伝えられた後に行なわれている。
 これほど緊迫した状況にもかかわらず、ロビイストのライラは、若いアアフガニスタン指導者のためにいくつかの会談をセッティングする。保安問題の専門家で、元情報担当軍人であったアメリカ人ジャーナリスト、ウェイン・マドセンによれば、この時、アメリカ政府の少なくとも二つの組織がハシミとの会談に応じたという。CIA中央局(DCI:Directrate of Central Intelligence) と国務省情報調査局である。
 それどころか、メディア王国アメリカにあってライラは、この大事な客人ハシミに、二つのインタビューを用意することに成功した。各国の政策決定者がチェックしているといわれるメディア、ABC放送とナショナル・パブリック・ラジオでオンエアされるインタビューだ。タリバンのイメージを改善し、交渉を有利に進めるための夢のようなチャンスだった。
 このハシミの訪問の背景は何だろうか? 単にヘルムズ女史の才覚の成果だろうか? 誰がハシミを送り込んだのだろうか? そして、このアメリカ旅行は、一連のどんな流れに沿ったものなのだろうか?

 アメリカでは、1999年初めから2001年8月まで、アフガニスタン問題を解決しようとする慎重かつ粘り強い意志が確かに存在していた。こうした努力の唯一の成果は、ブッシュ率いる共和党政権が
 、クリントン政権のメンバーによって始められたアフガニスタンに対する働きかけのプロセスを加速させる決断をしたことである。
 その一方、2001年2月5日のタリバンの外務大臣の宣言は、カブールの指導者たちもまた、できるだけ早く協定を結びたがっていることを示していた。
 アメリカ政府とタリバン。この段階で、両者が手を結ぶことによる利益はどちらにとってもはっきり見えていた。ワシントンはエネルギー政策という名目で、タリバンを段階的に国際認知させていく方針を支持していく。この支持と引き換えに、タリバンは平和政策をとることを決断する。つまりタリバンは、原理主義者の長オサマ・ビンラディンを客人として歓迎することを断念しようとした。そして国際的な関係では、原理主義的なスンナ派国家という路線にとどまることで合意していく。
 さらに、急進的なスンナ派の最大の財源であり、アラブ世界ではアメリカの第一の同盟相手であるサウジアラビアが定めた方針と、完全に合致した立場をとることにしたのだ。
 このギブ・アンド・テイクの関係を実現させるために奔走した重要人物が何人もいた。たとえば、2000年1月パキスタンで、アメリカ国務省の高官のひとりが、タリバンの大使サイイド・ムハンマド・ムッタキーと会見する。この高官は、その機を利用して現地のアメリカ人大使トム・サイモンズとも話し合った。その後、このアメリカ大使サイモンズが、アメリカとアフガニスタン間の折衝のパイプ役を果たすようになる。
 こうしてアメリカとアフガニスタンの交渉が最後の幕が上がった。ワシントンにとって、これらの交渉目的は、ひとことでいえば、きのうまでの同盟相手であるタリバンに過激な行動を控えさせ、本来の道に立ち戻らせることにあった。
 なぜなら、タリバン政権は、必ずしもホワイトハウスと国務省の権力者たちによって嫌悪されてきたわけではないからだ。むしろ反対だ。
 数年間アメリカは、タリバンの台頭を自分たちにとって幸運な動きとさえ考えていた。たとえば1994年から1998年まで、タリバンに対して歓迎の意を表していたほどである。アメリカは強大な権力が集中しているポトマック河沿いのワシントンDCから、アフガニスタンの状況のさまざまな変化をすばやく察知していた。3、4平方キロメートルの面積に、財政、政治、軍事の司令部──世界銀行からペンタゴンまで──が混在している地域だ。
 そこに立ち並ぶ建物の中では、巨大なスクリーンに、石油をはじめとする原料価格の変動する相場が映し出されている。ここには、世界中のありとあらゆるニュースをまとめた外電までがまっ先に送られてくる。
 アフガニスタンに関して、アメリカの参謀本部の考えは完全に決まっていた。中央アジアのエネルギー備蓄の鍵を握っているアフガニスタン。和解の方向でこの鍵を利用するには、アフガニスタンを揺るぎない強力な政府によって統治される必要がある。
 1998年ナイロビとダルエスサラームでテロが起きた後でさえ、またタリバンがオサマ・ビンラディンを保護していたにもかかわらず、アメリカがタリバンと交渉を続けてきた理由がそこにあった。

 


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イラク戦争、元国際原子力機関事務局長の証言

2023年03月15日 | 国際・政治

 「イラク戦争を検証するための20の論点」イラク戦争の検証をもとめるネットワーク編(合同出版)は、いろいろな角度からイラク戦争をとらえて書かれていますが、アメリカの犯罪的と言える数々の指摘に、間違いはないと思います。
 アメリカは、イラクが大量破壊兵器を持っていると主張し続けていましたが、02年から03年まで700回、500ケ所の査察をくり返していたという当時の国際原子力機関事務局長・ハンス・ブリクス氏は、その『証拠』が、まったくお粗末なものであったと言っているのです。
 だから私は、ハンス・ブリクス氏の下記の証言が、イラク戦争が、実は、アメリカの覇権と利益のためであり、大量破壊兵器の存在は、単なる口実であった可能性が大きいことを示しているように思います。

 私は、そうしたことを踏まえて、ウクライナ戦争や台湾有事の問題を考える必要があると思います。
 イランとサウジアラビアが、中国の仲介で外交関係を正常化したことを受けて行われた会見で、アメリカ国家安全保障会議のカービー戦略広報担当調整官は「イランが本当に合意を守るかまだわからない。イランは通常、約束を守るような政権ではない」などと述べ、”中東でアメリカの存在感が低下しているのではないか”という指摘に対しては、「我々が中東で後退しているという考え方には断固として反対する」と語気を強めたといいます。そして、「我々は、中国が自分たちの利己的な利益のために、世界中で影響力と足場を得ようとするのを見続けてきた」と主張したといいます(朝日新聞、3月11日夕刊)。
 でも私は、利己的なのはアメリカであり、イランに対しても、中国に対しても、敵対的だと思います。また、イラクに対しても、ロシアに対しても敵対的であったと思います。話し合いで合意を得ようと努力せず、強力な軍事力や経済力を背景に、一方的に制裁を課し、最終的には武力行使に至っています。

 バイデン米大統領は3月9日、2024会計年度(23年10月~24年9月)の予算編成方針を示す予算教書を発表したとのことですが、それによると、アメリカの国防予算は、前年度比3・3%増の8864億ドル(約121兆円)だといいます。驚くべき金額ですが、その理由は「中国に打ち勝つ重要な投資と、侵略を受けるウクライナ支援の継続」だとのことです。でも私は、”侵略を受けるウクライナ支援の継続”は、実は、ロシアを孤立させ、弱体化させるという、アメリカの目的達成のための支援の継続だと思います。
 また、バイデン大統領は、同日の演説で、国内産業の強化に向けた研究開発能力に触れ、「米国が世界を再びリードするための資金を提供する」と述べ、中国に技術力で打ち勝つ姿勢を示したとのことです。
 アメリカは、中国やロシアが、アメリカを超える力をもつことを受け入れらないのだろうと思います。だから、台湾有事が心配なのです。
 
 台湾の蔡総統が、4月に中米訪問の途中に訪米し、マッカーシー米下院議長(共和党)と西部カリフォルニア州で会談するとの計画が報じられています。対中戦争準備の会談ではないかと心配です。
 朝日新聞は、この件に関し、
ウクライナ侵攻への関与の仕方を巡って台湾世論に広がっている米国への不信感をおさめるため、台米関係の強さをアピールする狙いがある。また、来年1月に控える総統選を見据え、後継者とみなす頼清徳(ライチント)副総統に対する内外の支持を固めたい考えもあるとみられる。
 と報じています。
 もしそれが事実なら、私はそれは内政干渉に当たるだろうと思います。でも、アメリカはいつも、アメリカの覇権と利益のために他国の内政に干渉してきたので、問題があるとは考えていないような気がします。

 中国は、蔡総統の訪米に関し、「『一つの中国』原則に違反し、『台湾独立』の分裂分子といかなる形であれ接触することに断固として反対する」と強く反発したといいます。
 習氏は、先日の党大会の党活動報告で、”最大の誠意と最大の努力を尽くし、平和的統一の未来を勝ち取る”と語ったということですが、”外部勢力の干渉と、ごく少数の“台独”分裂勢力に対しては、武力行使の放棄を約束しない”と語り、強い姿勢を明らかにしています。

 それは、蔡総統が、「我々はすでに独立国家であり、独立を宣言する必要はない」などとくり返す、いわゆる「反中」の”台湾独立分裂分子”であり、また、背後で、”我々は台湾が独立するのを奨励していないが、(独立するかどうかは)彼らが自ら決めることだ”などいうバイデン政権が動いているからだと思います。
 中国は、アメリカが ”我々は台湾が独立するのを奨励していない”と言いながら、実際は、大量の武器を売り込み、蔡総統を支援して、独立を後押しするような干渉を続けていることが受け入れられないのだろうと思います。

 台湾有事で見逃してはならないことは、台湾の多くの人たち(86.5%:行政院大陸委員会調査)が、どちらかといえば現状維持派で、中国と争ってまで、独立を求めてはいないということです。だから、アメリカの内政干渉ともいえる台湾に対するさまざまな関与は、アメリカの覇権と利益のためであると思います。台湾の人たちの思いを受け止めたものではないということです。

 もし、来年1月に控える総統選で、反中的な民進党が、親中的な国民党に敗れると、アメリカの台湾関与が難しくなり、台湾有事の可能性が少なくなる一方で、尖閣諸島をめぐる日中の対立に、アメリカが本格的に関与してくる可能性が高まるのではないかと心配です。

 ウクライナ戦争が始まって以降、台湾では「今日のウクライナは、明日の台湾」という言葉が広がったといいます。
 また、米インド太平洋軍司令官やCIA長官が、中国の台湾侵攻を予言したり、米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)が、2026年に中国が台湾に侵攻するという設定で軍事シミュレーションを行っていることが報道されていますが、台湾では今、多くのメディアが、そうしたことを取り上げ、「台湾は世界で最も危険な場所」とまで表現するようになっているといいます。そして、ウクライナ戦争の成り行きから「アメリカは台湾を見捨てるのではないか」という不安が広がっているということです。

 だからでしょうが、2023年2月の台湾民意基金会による世論調査によると、政党支持率は、民進党26.9%に対し国民党27.1%と、野党国民党が上回ったということです。政権交代の可能性が高まっているということだと思います。
 それは、尖閣有事が近づいていることを示しているのではないかと思います。日本も賢い選択をしなければ危ないと思います。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
               第2章 証言・イラク戦争は間違いだった
             
ハンス・ブリクス:1928年スウェーデン・ウプサラ生れ。元国際原子力機関事務局長((UNMOVIC)委員長在任時のイラクでの査察活動が国際的な注目を集めた。著書に「イラク大量破壊兵器査察の真実」(DHC出版)

 イラクへの攻撃は国連憲章に違反している
 国会で話すことができて幸いです。日本には何度も来ていますが、国会で話すのは初めてです。
さて、まず申し上げたいのは、イラクへの攻撃は国連憲章に違反している、ということです。
 当時戦争を遂行する側には、「合法」とせざるを得なかった人もいるでしょうが、それは少数派です。私を含め90%の国際法の専門家は「違法」と判断するでしょう。実際、イギリスの政策担当者のなかには、戦争に抗議、辞任した人もいます。現在、私は核兵器の拡散防止に取り組んでいます。イランでの核開発が問題となっていますが、仮に国連安保理でイラン攻撃が提案されたとしても、誰も賛成しないでしょう。それはイラクでの経験があるからです。イラク戦争は、国連憲章で認められる自衛のための戦争でも、安保理決議による戦争でもありませんでした。

 開戦前のイラクはほんとうに脅威だったのか?
 開戦前の02年から03年当時、イラクは国際社会にとって差し迫った脅威では、まったくありませんでした。また、脅威が増大しているということもありませんでした。(イギリス検証委員会での証言で)ブレア首相は「イラクが大量破壊兵器を開発する危険を放っておけなかった」語りましたがと、(90年のフセイン政権による隣国クウェートへの侵攻いらいの)10年余りの経済制裁のなかでイラクが破壊されつくしたことは、国際社会も知っているはずです。
 私は、81年から97年までIAEA(国際原子力機関)の事務局長を務めましたが、イラクには核兵器もなく、それを作る能力ももっていませんでした。イラク戦争の開戦当時、米国などの国々が訴えていた「イラクが大量破壊兵器の査察に協力しなかった」との主張にも異論があります。イラクは査察を喜んで受け入れた訳ではないですが、まったく妨害しませんでした。私たちは、02年から03年まで700回、500ケ所を査察してきました。そして大量破壊兵器はありませんでした。米国がイラクで大量破壊兵器を持っていると主張し続けましたが、その『証拠』は、まったくお粗末なものでした。
私たちはアメリカとイギリスに『あなた方は大量破壊兵器があると確信しているようだが、それはどこにあるのか。もし教えてくれれば、そこに査察に行きましょう』と言いました。彼らは100ケ所くらいを教えてくれ、私たちは30ケ所を査察しましたが、通常兵器や書類は発見したものの、大量破壊兵器はありませんでした。この時点で自分たちのもっている情報源がいかに精度の低い、信頼できないものであることに、アメリカ・イギリス両国は気づくべきだったでしょう。結局、100ケ所全部を査察する前に戦争が始まってしまいました。
 アメリカが主張する『証拠』には明らかに捏造された嘘も、いくつかありました。「イラクが核兵器の開発をしている証拠」として提出した、アフリカのニジェールからイラクがウランを輸入したという書類も偽造でした。この書類が偽造されたものであると、IAEAが気づくまで、1日もかかりませんでした。この偽造とわかっている書類を、当時のブッシュ大統領は米国内の演説で、あたかも証拠であるかのように取り上げたのです。

 イラク戦争は回避できる戦争だった
 私は、イラク戦争は回避できた戦争だったと思います。
 フセイン政権と国際テロ組織アルカイダとの関係についての情報も間違いでした。『民主主義』をもたらすと言っていましたが、7年にわたる無政府状態をつくり出しただけでした。アメリカにとってはイスラエルを助けるという口実もあったのでしょうが、実際には、より強大なイランとイスラエルは対峙せざるを得なくなりました。つまり、国際法上、イラク戦争は違法かどうかの法的な解釈とは別に、戦争の結果だけを見ても、この戦争を正当化できません。戦争の結果としてどれほど多くの人の死や破壊をもたらし、人びとは深い悲しみにくれたかは言うまでもありません。
 私はイギリスやオランダで検証が進んでいることをたいへん歓迎しています。それは過去のことだけでなく、私たちが国際社会のなかでいつ武力行使を認めるかどうかにかかわることだからです。もし日本での検証で私の証言が必要とされるなら、断る理由はありません。
                      (2010年4月の参議院議員会館での講演より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本イラク医療支援ネットワーク」の訴えとアメリカのメキシコ制裁

2023年03月12日 | 国際・政治

 「イラク戦争を検証するための20の論点」イラク戦争の検証をもとめるネットワーク編(合同出版)の文章は、現地に入ったJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の関係者の切実な訴えであり、しっかり受け止めるべきだと思います。

 イラク戦争をはじめたアメリカは、フセイン政権による大量破壊兵器使用の危険性を煽りたて、世界の国々に、参加するよう強く訴えたにもかかわらず、北大西洋条約機構(NATO)を構成するフランスやドイツさえ抵抗し、アメリカの姿勢を支持しなかったことは忘れてはならない大事なことだと思います。なぜなら、当時の小泉元首相が、いち早く支持を表明していたからです。

 私は、当時、酒井啓子教授がしばしばテレビに登場し、フセインを倒せば、宗派や民族集団の勢力バランスが崩れ、イラクは混乱すると主張されていたことを覚えています。その通りになったのです。民主化などされなかったのです。 
 だから、アメリカは覇権や利益の維持・拡大のために、イラクで戦争を始める必要性に迫られていて、イラク戦争強行の理由にした大量破壊兵器があるかないかは、ほんとうはあまり関係なかったのではないかと思います。
 当時、イラク国内に大量破壊兵器があるという確実な証拠はありませんでした。イギリスのブレア英政権が、イラク戦争強行の根拠にした機密情報に関しては、イギリス政府の調査委員会(バトラー委員長)が、後に、”情報には深刻な欠陥があった”と指摘しているのです。関係者が見れば、一見して不備が分かるような文書だったと聞いています。
 しかも、フセイン大統領は、前年から国際原子力機関の査察を受け入れており、査察中だったのです。結果をまたずに、戦争を始める理由などなかったのです。

 下記を読めば、イラクにおけるアメリカの犯罪性がわかるように思いますが、そのイラク戦争に、日本も加担していたことを、私たち日本人は忘れてはならないと思います。
 イラク戦争が始まる前、アメリカによるイラク爆撃を断念させようと、世界中の人々が反戦行動が繰り広げていました。にもかかわらず、日本は「イラク特別支援特措法(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)」を成立させて、「復興」を口実に自衛隊の海外派兵を行ないました。
 そして、ひそかに「戦地」において米兵や武器を空輸し、当時認められていなかった「集団的自衛権」を行使すようなことまでしていたといわれているのです。

 

 イラク戦争とは直接関係はありませんが、先日(2023年3月8)、朝日新聞は、アメリカの覇権や利益に関わると思われる重要な記事を掲載しました。下記です。

米通商代表部(USTR)は6日、メキシコ政府が、遺伝子組み換え技術を使ったトウモロコシの輸入を制限していることについて、「非科学的」だとする声明を発表した。トウモロコシはメキシコの主食トルティーヤの原材料。農産物の輸出大国・米国はメキシコに協議を要求しており、改善されなければ貿易上の制裁に動く可能性もある。USTRのダイ代表は声明で「メキシコのバイオ技術政策への深刻な懸念と、科学的根拠に基づく手段の重要性をくり返し伝えてきた」と主張。協議の行方によっては、米・メキシコの・カナダ協定(USMCA)に基づく国家間の紛争解決プロセス入りもにおわせた。
 メキシコの制限措置は、トウモロコシの巨大産地の米農家の反発を買っており、米政府は「1年以上にわたって懸念を表明してきた」(米政府高官)。ロイター通信は6日、「両国間の最終的な協議がまとまらなければ、米国が報復関税を発動する可能性を伝えた。
 メキシコ政府は2020年、遺伝子組み換えトウモロコシの輸入や販売を24年までに禁じる政令を発出。ただ、米側の圧力もあって、今年2月には家畜の飼料用等については輸入を認めることにした。それでもロペスオブラドール大統領は2月の記者会見で、「健康に有害な食品は許可されるべきではない」と述べ、食用の原則輸入禁止にこだわっている。
 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、メキシコ経済省は6日、一連の措置について「国内で栽培されるトウモロコシの生物多様性を確保し、トルティーヤがメキシコ原産のトウモロコシ品種を使ってつくられるようにするのが目的だ」と説明。今後の協議で米側の理解を得たい姿勢をにじませた。(ワシントン=榊󠄀原謙サンパウロ=軽部理人)

  メキシコの主食「トルティーヤ」を、”メキシコ原産のトウモロコシ品種を使ってつくられるようにする”というメキシコ政府の政策が、アメリカによって、制裁の対象にされようとしていることは見逃すことができません。アメリカが、メキシコに、”アメリカ産の遺伝子組み換えトウモロコシを使え”というような圧力をかけることが許されてはならないと思うのです。
 だから、アメリカから圧力をかけられているメキシコ大統領の苦言(https://twitter.com/i/status/1631903909714485248)は、傾聴に値すると思います。 

 世界情勢は変化し、アジア、アフリカ、中東、中南米で、少しずつアメリカ離れが進んでいると思います。中国の仲介によって、イランとサウジアラビアが外交関係正常化で合意し、アルゼンチンやイランが、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)として知られる新興5カ国グループへの加盟を表明していることなどと、メキシコ大統領の苦言を考え合わせると、アメリカの覇権と利益が危うく、アメリカが攻撃的になっていることは否定できないと思います。だから、ウクライナ戦争とノルドストリームの爆破で、ロシアをヨーロッパ諸国から切り離したように、台湾有事によって、中国を孤立させ、弱体化させようとするアメリカの悪あがきが心配されるのです。

 日本が、アメリカのプロパガンダに踊らされて、中国やロシアを敵視し、防衛費を大増額するなどということは愚かなことだと思います。日本は、何でもアメリカの言う通りにする属国のごとき状態を脱し、日本国憲法を掲げて平和外交に徹するべきだと思います。
 かつて、世界の頂点に立つ大国アメリカに逆らい滅亡の淵に立った日本が、今度は、アメリカに隷従し、アメリカの意図する対中戦争に加担するような愚かなことは、決してやってはならないことだと思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
              第1章 イラク戦争を検証するための20の論点

           検証07 戦争とはいえ、イラク市民を殺すことは許されるのか?

 いいえ、戦争だから何が起きてもしかたないのではありません。ジュネーブ条約などの国際人道法は、戦時に守るべきルールを定めています。そして、これらに違反する戦争犯罪は追及される必要があります。
 アメリカも批准しているジュネーブ条約の第4条約では、民間人の殺害、障害、虐待が禁止されています。また、軍事施設以外の不動産の破壊を原則として禁止し(第4条約53条)、病院の破壊はいかなるばあいでも禁じられています(第4条約18条)。食料や医療物資の供給確保も、占領軍の義務です(第4条約55条)。しかし、米軍はこれらの条約に違反しつづけてきました。
 西部ラマディは、2005年から06年にかけて日常的に米軍の攻撃をうけ、多数の住民が殺されました。狙撃兵が陣取り「狩り場通り」と恐れられた道だけでも、女性や子どもをふくむ1000人以上が、ただ歩いていただけで撃ち殺されたのです。さらに、「狙撃の邪魔」という理由から米軍は2つの学校と200の民家を区画ごと破壊、電気・水・食料・ガソリンスタンドなどのライフラインを断たれ、病院も破壊されたリ占拠されたりしたので、ラマディ住民40万人の生活は困難をきわめました。
 ほかにも、西部のハディーサでは、05年11月、米軍車両ヘの攻撃があった近くに住んでいたというだけで、1歳から13歳の子どもをふくむ家族24人が、米海兵隊に虐殺されるという事件がありました。中部のマハムディヤでは06年3月、14歳の少女が5人の米兵にレイプされたうえ殺害され、5歳の妹と両親も殺されました。このような殺戮や破壊が、各地で相次いだのです。
 04年4月末に発覚したアグブレイブ刑務所での虐待事件など、米軍による捕虜虐待も重大なジュネーブ条約違反です。同刑務所での人権侵害を告発するアリ・サハル・アッバス氏は、自身の経験として、つぎのように証言しています。「私たちは殴られ、小便をかけられ、電気ショックに苦しめられ、何時間もヘッドフォンで大音量の音楽を聞かされました。何日も裸にされ、水や食料もあたえられませんでした」。
 多くの場合、米軍は明確な証拠も裁判もなく、人びとを長期間拘束しました。情報を得るためという、ただそれだけのために、無実の人を拘束もしていました。武装勢力関係者などを捜索するために、その家族の女性を連行した、という疑惑もあります。これは06年1月、アメリカの人権団体「アメリカ自由人権協会」が米軍の内部文書を情報開示請求し、発覚しました。また、現地人権団体「イラク人権モニタリングネット」は、「人質として米兵たちに拘束されたイラク人女性が、出頭した夫の前でレイプされ、解放されたのち、自殺した」などの事例を報告しています。
 アメリカ上院軍事委員会は、08年12月、「イラクなどでの米兵たちによる虐待は、ブッシュ政権が拷問を容認したことに起因する」とした報告書を公表していますが、イラクでの戦争犯罪は日本にとってもひとごとではありません。
 ジュネーブ条約・第1追加議定書は、これを批准した国々に、いわゆる戦争犯罪人をその国籍を問わず自国裁判所に公訴するよう義務づけているからです(普遍的管轄権)。実際、スイスでは11年2月に同国を訪問予定であったブッシュ氏が告訴される可能性があったため、急遽、予定をキャンセルするということがありました。つまり、ブッシュ氏が来日した際に、逮捕・訴追することも理論上、ありうるのです。少なくとも、日本がいかにイラク戦争での国際人道法違反を追及するかという問題は、もっと議論されるべきでしょう。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イラク戦争を検証するための20の論点によれば…

2023年03月10日 | 国際政治

 今回は、「イラク戦争を検証するための20の論点」イラク戦争の検証をもとめるネットワーク編(合同出版)から、「検証05 イラク戦争は国連憲章に違反しているか」を抜萃しました。
 2003~2011年のイラク戦争によって、イラクではおよそ50万人にのぼる人びとの命が奪われたといわれます。
 そして、その戦争について、当時のフィ・アナン国連事務総長は、BBCのインタビューに答えて、「イラク侵攻は、国連安全保障理事会によって承認されておらず、国連憲章にもしたがっていない」(04年9月16日)、と述べているのです。
 また、 9・11以後のアメリカの考え方であるという、「先制的自衛権」という言葉も見逃すことができません。現在問題になっている日本の「敵基地攻撃能力」も、その「先制的自衛権」の考え方からきているのだろうと思います。国連憲章に反する考え方であることを見逃してはならないと思います。
 また、アメリカが台湾に大量の武器を売却したり、アジア諸国に軍事同盟の強化を働きかけたりしていることも、対中戦争の準備であり、”すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない”という国連憲章に反することだと思います。 
 平和な世界は、法を蔑ろにしてはつくれないと思います。 

 プーチン大統領は、2023年2月21日年次教書演説で、下記のように語っています(Sputnik 日本)
”・・・、ウクライナの装甲車にはナチスドイツの時のドイツ国防軍の記章が描かれている。
ネオナチは、自分たちが誰の後継者であるかということを隠そうとしていない。驚いたことに、西側諸国の権力者は誰もこのことに気づかない。なぜか? それは、彼らにとってはどうでもいいからだ。我々との戦い、ロシアとの戦いにおいて誰に賭けるかはどうでもいい。主な目的は我々と戦わせること、我々の国と戦わせることだから、どんな人間を利用してもいい。事実そうであることを我々は見てきたではないか。テロリスト、ネオナチ、はげ頭の悪魔でさえ(神よ、許したまえ)、自分たちの言いなりになり、ロシアに対する武器になるのであれば、何でも利用することができる。
「反露」プロジェクトは、本質的に、わが国に対する復讐主義的政策の一環であり、わが国の国境のすぐ近くに不安定と紛争の温床を作り出そうとするものだ。1930年代の当時も今も、東方へ攻撃を仕掛け、欧州において戦争を煽り、他人の手で競争相手を排除しようという、その企みは変わらない。
我々はウクライナ国民と戦争しているわけではない。このことは今まで何度も言ってきた。ウクライナの国民は、キエフ政権とその西側の支配者らの人質となった。西側は事実上、この国を政治的、軍事的、経済的に占領し、数十年にわたってウクライナの産業を破壊し、その天然資源を略奪した。その論理的帰結が社会の退廃、貧困と不平等の爆発的な増加だ。そして、そのような状況では当然ながら、戦闘行為のための材料集めなど容易く(タヤスク)できる。人々のことなど誰も考えず、人間を破滅のために準備し、最後は消耗品にしてしまった。痛ましく、語るのも恐ろしいことだが、これは事実である。
 ウクライナ紛争を煽り、拡大させ、犠牲者を増やした責任は、すべて西側エリート、そしてもちろん、キエフの現政権にある。この政権にとってはウクライナ国民は本質的に他人だ。ウクライナの現政権は自国の国益のためではなく、第三国の利益のために奉仕している。
 西側諸国はウクライナをロシアを攻撃するための破城槌(ハジョウツイ)として、射撃場として利用している。私は今、戦況を変え、軍事供給を増やそうとする西側諸国の計画についてあれこれ言うつもりはない。だが、次の状況は万人に理解できるはずだ。西側の長距離戦闘システムがウクライナに供与されればされるほど、我々はその脅威をロシアの国境から遠ざけざるをえなくなる。それは当然だ。
 西側のエリートは自分たちの目標を隠そうともしていない。彼らははっきりと「ロシアに戦略的敗北」を与えるのが目標だと言っている。これはどういうことか。我々にとって、それは何を意味するのだろうか。これはつまり、我々とさっさと、永遠に決着をつけるということだ。つまり、彼らは局所的な紛争を世界的な対立の局面に転化させるつもりなのだ。我々はすべてをまさにこのように理解しており、相応の方法で対処していく。なぜならば、この場合、話はすでに我々の国の存続に関わるからだ。・・・”

 私は、このような年次教書演説におけるプーチン大統領の主張を、どのように受け止め、どのように対処すべきか、という専門家の話や解説を聞いたことがありません。それをすると、ロシアを悪とし、プーチン大統領を悪魔のような独裁者とする西側諸国のプロパガンダが、揺らぐことになるからではないか、と想像します。

 いわゆるマイダン革命で重要な役割を担ったといわれる、キーウ(キエフ)のクリチコ市長は、先日、”ロシアの若い兵士が次々と死んでいっているのは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の野望のために過ぎない”と、BBCに話したことが報道されました。
 彼は、元ボクシングWBC・WBO世界ヘビー級チャンピオンで、今も多くのファンをもっているそうですが、私は、ロシアをヨーロッパ諸国から切り離し、孤立させ、弱体化するために、アメリカによって、彼がうまく利用されているように思います。
 
 ウクライナ戦争が、”プーチンの野望”によるものだというクリチコ市長のような主張を無批判に受け入れ、ウクライナにおける戦争の経緯や背景を考えたり、また、アメリカを中心とする西側諸国の過去の戦争の事実をふり返ったりすることなく、ウクライナ戦争をとらえることは、平和を遠ざけることにつながると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
            第1章 イラク戦争を検証するための20の論点

            検証05 イラク戦争は国連憲章に違反しているか

 フィ・アナン国連事務総長(当時)は、BBCのインタビューに答えて、「イラク侵攻は、国連安全保障理事会によって承認されておらず、国連憲章にもしたがっていない」と述べました(04年9月16日)。
 国連憲章第2条は、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立にたいするものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも謹まなければならない」として、武力行使を原則禁止しています。
 しかし、武力行使が認められる例外が2つだけあります。
① 武力攻撃が発生したばあいに安保理が必要な措置をとるまでのあいだ、国家にみとめられる個別的または集団的な自衛権の行使(国連憲章第51条)
② 平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為に対する集団的措置として安保理が決定する行動(国連憲章第42条)の2つです。
 9・11以後アメリカが主張したのは、先制的自衛権です。攻撃されてからではなく、やられる前にやってしまえ、という考え方ですが、国連憲章の51条の自衛権の行使にあたるのかといえば、イラクが大量破壊兵器をもたず、9・11のテロとも関係なかったわけですから、単なる先制攻撃というべきでしょう。
 すると国連憲章42条の、イラク攻撃が安保理で決議されたかがポイントになります。
 イラク攻撃に関する安保理の決議案には、678号、687号、1441号があります。以下に内容をまとめてみました。
 国連安保理決議678号:90年採択。クウェートを侵攻したイラクに対して、アメリカを中心とする多国籍軍に「あらゆる措置」をとる権限をあたえたもの。
 国連安保理決議687号:91年採択。イラクに対して、国際機関による監視のもと、大量破壊兵器や運搬用ミサイルなどの破壊あるいは撤去することを求めたもの。
 国連安保理決議1441号:02年11月採択。イラクは安保理決議687号に違反していると断定。イラク対して、大量破壊兵器や弾道ミサイルの検証可能な破壊あるいは撤去しないと「深刻な結果」をもたらすと通告。
 「深刻な結果」はかならずしも武力行使をさすわけではなく、新たな決議案を採択する必要がありましたが、イラクは全面的に1441号を受け入れ、02年11月末には国連による査察が再開されました。中国、ロシア、フランスの常任理事国3ヶ国が、アメリカがイラク攻撃容認の新たな決議案を出しても拒否権を発動することを明らかにしたために、ブッシュ大統領は、新たな決議案なしに、「678および687は、アメリカと同盟国が、イラクの大量破壊兵器を廃棄するために武力行使することを承認している」として、有志連合での攻撃を決めてしまいました。
 03年3月18日、開戦直前の演説で、ブッシュ大統領は、「安保理の常任理事国のいくつかは、イラクの武装解除を強制するいかなる決議案にも拒否権を発動する、と公式に表明してきた。それらの国々は、われわれと危機についての認識を共有してはいるが、それに対峙する決意を有していない。しかし、多くの国は平和に対する脅威に立ち向かう強い決意をもっている。国際社会の正当な要求を達成するための、広範な連合が形成されつつある。国連安保理はその責務を果たしていない。だからこそアメリカが立ち上がるのだ」と述べ、安保理を非難しました、 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欺瞞に満ちた開戦理由と隠された被害の実態

2023年03月07日 | 国際・政治

  アメリカは1776年の建国以来、239年のうち222年間戦争に費やしてきたということです。それはなんと93%だといいます。
 そして、"Freedom isn't free (自由はただではない)"という言葉が、アメリカ人に親しまれているというのです。”アメリカを守るためには犠牲はやむを得ない”という意味だそうです(THE BLOG・太平洋戦争・安保法案・平和、佐藤由美子)。
 私は、そうした考え方に基づくアメリカの戦争の歴史をふまえて、ウクライナ戦争の経緯や台湾有事の可能性を考える必要があるだろうと思い、いろいろな学者や研究者の著作にあたっています。
 アメリカは、いろいろな口実を語って、戦争を続けていますが、実態はきわめて野蛮だと思うからです。

 下記は、「イラク戦争を検証するための20の論点」イラク戦争の検証をもとめるネットワーク編(合同出版)からの抜粋です。

 アメリカは、1991年の湾岸戦争後も、国連の「UNSCOM」(国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会)などを通じて、イラクに関わり続けていましたが、国際連合安全保障理事会決議を根拠として、イラク北部に飛行禁止空域を設定したり、1992年にはフランスやイギリスとともに、一方的にイラク南部にも飛行禁止空域を設定したりして、イラクの主権を侵害し、反発をまねいていました。

 そして、見逃せないのは、下記「08 イラク内戦はなぜ起きたのか?」にあるように、アメリカが、過激なシーア派グループと手を結ぶ占領政策を進めたことです。それが、スンニ派との深刻な宗派対立をもたらし、イラクを混乱に陥れることになったのです。アメリカの他国支配には、独裁政権と手を結ぶ方法のほかに、宗派や部族や民族の対立を利用する方法もあるのだと思いました。

 また、イラク戦争は、”大量破壊兵器の廃棄”と同時に、”イラクの一般市民を、サダム・フセインの独裁による圧政から解放し、民主国家に変える”ことを目的に始められたと思います。
 でも、大量破壊兵器がなかっただけでなく、イラク戦争が、”これでは、「民主化した」というより国家を破綻させたといえるでしょう”というような結果に終ったことを見のがしてはならないと思います。
 もともと、湾岸戦争による破壊やその後の経済制裁などで、当時のイラクは、大量破壊兵器を製造し、所有する能力も、その必然性もなかったと言われています。
 また、戦争後、イラクは宗派対立や汚職や暗殺が絶えない国となり、国民の多くが極度の貧困に苦しむことになったといいます。
 だから、ブッシュ大統領が語った、”大量破壊兵器の廃棄”や”イラクの民主化”は口実であり、イラク戦争の真の目的は、アメリカの覇権と利益の維持・拡大だったのだろうと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
               第1章 イラク戦争を検証するための20の論点

                  08 イラク内戦はなぜ起きたのか?

 イラクでは、シーア派とスンニ派、2つのイスラム教の宗派が混在していますが、戦争前、少なくとも一般市民レベルでは、人びとは宗派の違いを気にせずに暮らしていました。シーア派とスンニ派の信徒のあいだでの結婚も、よくあったのです。しかし、米軍の占領政策がイラクに混乱を引き起こしました。
 占領開始後、アメリカは、スンニ派を「フセイン支持層」として新たな政権から排除するいっぽう、フセイン政権と敵対してイランに亡命していた過激なシーア派グループ「SCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)」をイラクへと招き入れ、その配下の民兵組織「バルド団」を、イラク軍や警察に組み込みました。米軍は、これらのシーア派主体のイラク軍とともに、「スンニ派の住民の多い地域に攻め込んだのです。とくに西部のファルージャへの総攻撃の被害はすさまじく、スンニ派の政党はこれに抗議して2005年1月の国民議会選挙をボイコットしますが、その結果、同年4月末に発足した暫定政権ではシーア派政党が最大派閥となり、スンニ派の過激派がはびこる要因となり、シーア派関連施設や、行事での銃撃や爆破事件が相次ぎました。
 暫定政権で、SCIRI幹部のバヤーン・ジャブル氏が警察や治安部隊などを管轄する内務省の大臣に就任してから、事態はますます悪化します。警察や治安部隊による「スンニ派狩り」が始まり、人びとはスンニ派というだけで拘束され、恐ろしい拷問の果てに殺されました。「殴る蹴るはあたりまえ、ケーブルで鞭打ちされたり、熱した金属を体に押し付けられたり、電気ショックにかけられたり。電気ドリルで体に穴を開け、硫酸を流し込むということも、よくおこなわれた」(現地人権団体「イラク人権モニタリングネット」)。
 06年2月、シーア派にとって重要なイスラム寺院・アスカリ聖廟が何者かに爆破され、以後、イラクは最悪時には月4000人近くが犠牲になるという内戦状態に陥りました。このころから、シーア派ではあるけれど、スンニ派と共闘し「反米」を掲げていたサドル派の民兵組織「マハディ軍」も、スンニ派への攻撃に加わり、状況はさらに混乱していきます。
 米軍は、表向きは民兵組織を摘発しましたが、現地ジャーナリストらは「米軍は市民を守らない。民兵を拘束しても、つぎの日には解放している」と批判。イラク治安機関に拘束された経験のある匿名の男性も、「私がイラク人の取調官から拷問をうけていると、アメリカ兵たちは『もっとやれ』とはやし立て、写真を撮ったりしていた」と証言しました。10年10月に内部告発サイト「ウィキリークス」によって流出した米機密文書にも、米政府がイラク治安組織による拷問・虐殺の実態を知りながら放置していたとの記述があるなど、やはり米国の責任は重いといえます。
 日本がイラク内戦に加担した疑いもあります。日本の外務省は、「警察車両」「防弾車輛」の供与などで、イラク内務省へ7800万ドルもの支援をしていました。当時、外務省がどのような認識でイラク内務省を支援していたのか、日本の税金が現地での人権侵害に使われていなかったか、調査や情報開示が必要でしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   04 イラクは民主化されたか

 2005年1月30日、イラク開戦後初の国民議会選挙がおこなわれました。テレビには人差し指に投票した証の特殊インクをつけた笑顔の女性たちが映し出され、投票率はおよそ60%と報じられました。
「民主化のステップ」という言葉がくりかえされ、イラク戦争に疑問をもっていた人びとのあいだにも、一定の安堵感が広がったようでした。しかし、西部アンバル州では、米軍の軍事攻勢が勢いを増し、選挙どころではありませんでした。
 04年3月ファルージャ市内で、”アメリカ民間人”(アメリカ民間警備会社の社員)4名が殺害され、遺体が橋に吊るされるというショッキングなニュースが世界を震撼させました。ファルージャは一気に”テロの巣窟”と位置づけられ、アメリカ国内ではファルージャへの報復を支持する世論が盛り上がりました。のちに、軍人だけでなく民間警備会社のイラク人殺害や拷問をおこなう「戦争の民営化」の実態が取り上げられていきますが、このときは”民間人を殺す残虐なファルージャ住民”というイメージが先行していました。
 そして、4月5日に米軍の大規模なファルージャ総攻撃が開始され、700名を超える民間人が犠牲となりました。11月、2度目のファルージャ総攻撃がしかけられました。このおtき、米軍は町を完全封鎖し、メディアや人道支援・医療関係者までもが町に入ることを許されず、救急車や緊急支援物資搬送中の船もアパッチヘリの攻撃をうけました。死者6000名、行方不明者3000名を出したこの総攻撃は、”大量虐殺”といわれました。
 国民議会選挙は、この総攻撃の2ヶ月後でした。こうした地域では、有権者登録や投票所の設置などがほとんど整っておらず、選挙の当日も米軍の攻撃にさらされました。では、投票に行けたのはどんなひとたちだったのでしょう。
 それは、米軍が軍事展開していなかったバグダッド以南の人びとでした。南部には、多くのイスラム教シーア派の住民がいました。いっぽう、米軍の激しい攻撃によって投票を阻まれた西部は、スンニ派が多い地域でした。選挙結果は、予想通りシーア派政党が圧勝します。それでも、イラクは異なる宗派間でも結婚するのがふつうの世俗国家です。シーア派が圧勝しても、イラクのために働く政治家が当選すれば、とくに問題はないはずでした。しかし、発足した暫定政権を握ったのは、イランの影響を受けている人たちだったのです。これが、深刻な”宗派対立”を深めていくことになります。
 05年10月には、新憲法草案国民投票がおこなわれました。草案は、イスラム法にもとづいてつくられ、世俗主義に慣れたイラク人には受け入れがたいものでした。とくに、女性の権利や地位は後退したといわざるをえませんでした。
 西部アンバル州では、「投票に行こうと自宅を出たら米軍に狙撃された、投票所まで行ったが名簿に名前がなかったので投票できなかった」などの報告もあります。投票日の3日前に足を狙撃され、道路を這っていた市民が米軍戦車に轢き潰されるのを目撃した人もいます。
 10年3月に行われた国民議会選挙には、多くのイラク国民が期待していました。結果は、宗派色の強い政権からの脱却を計りたい世俗派連合が、わずかな差ではありますが最大勢力となりました。ところが、その後9ヶ月以上も政治空白が続きました。
 選挙のたびに政治家や候補者が暗殺され、政府はかつてないほど汚職にまみれ、国民は極度の貧困に陥っています。これでは、”民主化した”というより、”国家を破綻させた”といえるでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカによる他国支配の手口

2023年03月04日 | 国際・政治

 下記は、「レッド・パージとは何か 日本占領の影」三宅明正(大月書店)から抜萃したものですが、アメリカの他国支配の手口がよくわかると思います。
 隈部結核研究所長が、”GHQ公衆衛生福祉局長サムス准将から、共産党員の首を切るか、BCGの製造を停止させられるか、二つに一つを選べ”と言われ、やむなく共産党員を解雇したと証言しているにもかかわらず、アメリカ(GHQ)は、その「脅し」を組合側から追及されると、GHQは関係ないとばかりに、”不服であるなら日本政府の機関に訴願したらよい”などと言い逃れをしたことが書かれています。
 私は、アメリカがアメリカの覇権や利益の維持・拡大のために必要と考えられることを、日本の関係機関に要請したり、指示したり、命令したりしておきながら、その責任は、日本の関係機関の指導者や責任者、あるいは日本政府に押しつけるかたちで、日本を支配してきたと思います。そしてそれは、今も続くアメリカの他国支配の手口だと思うのです。
 先日、”ウクライナの各地を取材し、戦時下で暮らす人びとの思いを伝えてきた朝日新聞の高野祐介・イスタンブール支局長が、優れた報道で国際理解に貢献したジャーナリストに贈られる「ボーン・上田記念国際記者賞」の受賞者に決まった”との報道がありました。
 でも、その高野記者が取材した主な場所20ケ所は、全てがウクライナ軍支配地域で、ウクライナ戦争に発展した武力衝突、すなわち「ドンバス戦争」における親ロ派の支配地域は一つもありませんでした。ウクライナ東部戦線ノボルガンスクからの報道も、ウクライナ政府が主催する内務省の視察に同行する取材で、西側諸国や地元記者30人ほどが参加し、ウクライナ治安部隊が行動をともにしたという、事実上ウクライナ側からのものでした。
 私は、ウクライナ戦争の公平な報道は、もはや日本では期待できないような気がしました。
 そして、日本が、日本独自の立場を放棄するような状況に陥っているように思いました。
 ふり返れば、いわゆるウクライナ戦争の発端となる「マイダン革命」があった2014年、当時の安倍政権は国家公務員法等の一部を改正する法律に関わる「内閣法改正」で、「内閣人事局」を設け、事実上、官僚の人事権を掌握して、官僚を支配下に置く体制を確立しました。
 見逃せないのは、安倍政権のそうした姿勢は、官僚支配にとどまらず、あらゆる方面に及ぶものであったことです。その結果、官邸を中心に、政界、主要メディア学界、財界その他も巻き込んだ大きなネットワークが構築されてきたのだろうと思います。そして、そのネットワークは、いろいろなところでアメリカにつながっているのだろうと思います。
 安倍政権による異例の日銀人事や菅政権の学術会議会員任命問題も、そうした流れのあらわれだったのだと思います。
 だから、ウクライナ戦争に関わるテレビ放送などでも、ほとんどアメリカの戦略を学んだ学者やアメリカとつながりのある研究者、あるいは防衛研究所のメンバーが、専門家として頻繁に登場し、説明や解説をするようになったように思います。
 その結果、日本国民が、停戦・和解や中立の考え方を知る機会がなくなり、そうした動きが広がらなくなってしまったように思います。
 でも、アメリカの戦略に基づいて、ロシアや中国を敵視することは、非常に危ういと思います。
 アメリカは、自国の覇権や利益を維持するために、ロシアや中国の発展、また、影響力の拡大を受け入れることができない国だと思うからです。”習近平主席は、2027年までに台湾に侵攻する準備を指示した”とのデービットソン米インド太平洋軍司令官バーンズCIA長官の発言、また、台湾に対するバイデン政権のくり返しての武器の売却が、そのことを示しているように思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
             Ⅱ パージはどのように遂行されたのか  ──初期の事例──
  2 結核予防会
 広がるパージ
 報道機関で始まった1950年のレッド・パージは、約1ヶ月後の8月26日に電話で、28日財団法人結核予防会で実施された。
 この間の8月10日、GHQ民政局公職審査課長ネピア少佐は「民間重要産業経営者」に対し、パージを示唆しており、その日は、民同派が掌握する電産執行部が共産派排除のために行った組合員再登録の締切日でもあった(竹前栄治「戦後労働改革」)。
 電産は当時、民同派と共産派の対立がきわめて激しい労働組合だった。1949年後半に全国本部では民同派が多数となったものの、地域組織には共産派が強い勢力を保持していた。1950年春、賃上げを要求して共産派の強い職場では電源ストライキに入り、運動方針をめぐって全国本部の民同派との対立は頂点に達した。5月の電産大会は流会という事態となった。7月12日、電産本部は「非常事態収拾に関する特別指令」を発して、組合員再登録により共産派を力で追い出すことを具体化した。共産派は再登録を拒否、8月24日に電産本部は人員整理がなされても未登録者の「反対闘争はしない」ことを決定した。(増山太助『検証 占領期の労働運動』)。
こうした事態をふまえて、電産の各経営者はパージを通告した。総数は2175人に及んだ。ユニオン・ショップ協定に基づき組合除名者を解雇することは、「合法」とされた。予測される抵抗に対しては、大橋法務総裁を陣頭にたてての弾圧体制が築かれていた。(竹前、前掲書)
 電産とは異なって、以下でとりあげる結核予防会では組合分裂があったわけではなかった。同会の労働組合は、1947年2月に従業員組合として設立され、以後全日本医療従業員組合協議会の主力の一つであった。予防会本部は東京都千代田区にあったが、従業員が多かったのは、東京郊外の結核研究所と結核療養所、東村山保生園である。組合運動もこれら都下の部署で盛んで、ことに結核研究所は、医師・技手らを中心に「共産党の影響がつよ」かったという(『日本労働年鑑』)。
 8月28日午前、同会の理事長名で、突然の呼び出し状が従業員に手渡された。
  「   殿
  お話ししたいことがありますので左記によりお出で下さい。
        記
  一、日時 8月28日午後一時
  一、場所 本会会議室     (大原社研所蔵資料、特記しない限り以下の資料も同様)
 呼び出しを受けて本部へ集まった人々に対し、理事長は「解雇理由並通告書」を読み上げ、退職辞令を手渡した。読み上げられた文書は以下のとおりである。
  「今回財団法人結核予防会は職員中の共産党員に退職してもらうことになった。かかる措置を採るに至るまでには予防会内に於ては勿論、関係諸方面とも数回にわたり協議したが、現下日本の諸事情並5月3日憲法発布記念日に於けるマ元帥の声明、6月6日以来数回にわたって元帥が首相宛に送った書簡の精神及び関係方面よりの強き示唆もあり予防会は遂にかかる極めて重大な決意を必要とするとの結論に達したのである。言うまでもなく吾が結核予防会が日本の結核予防事業遂行に占むる地位は極めて重要にして且公共的性質が極めて濃厚なことは社会の均しく認めているところである。若し本会に於ける諸事業特にBCGワクチンの製造或は結核専門医の講習等一連の事業の遂行に支障を来さんが日本の結核予防事業に多大の障害をおよぼし惹いては民衆一般のこうむる損害は極めて甚大なることは言をまたないところである。
 上記マ元帥の声明に含まれたる精神並四囲の状況は今回の措置を講ぜざるに於ては結核予防会の存続自体も危殆に瀕する程緊迫した状態となったのである。かくては前述の如く日本の結核予防事業に多大の障害を与えるとの信念のもとに本会はかかる重大決意を行ったのである。
 尚解職と同時に施設への立入りを厳禁することも申し添える。但施設内の私物の引き取りに関しては別に日時を通告するから管理者立合のもとに引取っていただきたい。退職金については規約の定めるところに従って即日支払うこととする。住居の立退きに関しては追而(オッテ)協議の上通告する。尚本措置に関する一切の交渉は本会に於てのみ行うことを申し添える」

 集められた人々は、これは不当解雇であるとして、その場で辞令を返上した。すると予防会の理事長は、今度はGHQ公衆衛生福祉局長サムス准将の以下の書簡を、閲覧させずにただ読み上げた。
  「GHQ/SCAP公衆衛生福祉局  APO500 1950年8月28日
 日本結核予防が、その内部を調査し、現在活動している、あるいは潜在的な破壊分子であって、日本国民の健康のため、とくに結核から彼らを保護するために用いられるBCGワクチンの重要な生産を、危険に瀕させつつある者を解職することは、時宜にかなった勇気ある行為である。 サムス」

 43人が本部へ集められたのとほぼ同時に、予防会理事長は従業員組合に対して、解雇の実施と、この問題での交渉は本部でのみ行なうとの申し入れを行った。結核予防会は、1939年に国策公益法人として設立され、戦後は厚生省管轄の財団法人となり、主に結核予防のBCGワクチンの研究製造にあたっていた。当時日本でこのワクチンを製造していたのは、同会のみであった。1950年当時の予防会の従業員総数は750人、うち結核研究所は387人を擁し、解雇を通告された43人の中で29人が研究所勤務であった。
 9月1日、従業員組合は理事会と団体交渉に入った。解雇理由の明示と解雇撤回を求める労働側に対して、理事側は「今回の解雇は予防会の意志と責任で行った」、「解雇の理由は共産党員であるということだけであって、それ以外に解雇の理由とすべき具体的な事実は何もない」、「被解雇者中非党員がおればその者の解雇は取り消す」と答えるのみでった。
 BCG製造室主任らに解雇を通告したため、理事側は8月29日からワクチン製造を停止すると公表した。組合側は「結核ワクチンを守れ」とのスローガンの下に、9月1日に「BCG防衛委員会」を組織し、近隣の工場の労働組合と共同闘争の体制を整えた(全日本金属労働組合機関紙「労働者」1950年9月8日付)。組合側はパージ撤回とワクチン製造再開とを併せて取り組むこととしたのである。しかし解雇通告された者の構内入場は禁じられ、さらに9月4日、結核研究所内に武装警官が配置された。労使間の交渉は暗礁にのりあげた。

 総司令部への追及
 理事会側が当初サムス准将の示唆による解雇だと述べたため、被解雇者と組合側は10月23日に公衆衛生福祉局へ彼を訪ねた。福祉局では局員のマニトフが応対した。このときのやりとりは次のようであった。
  私等がおききしたいのは、(1)(解雇とワクチン製造停止の)命令ないし示唆をおこなったのか、(2)BCG製造の管理権がGHQにあるのか日本にあるのか、(3)首切りが発表されると同時にサムス氏は……書簡を発表されたが、サムス氏が言う破壊分子とはいかなる事実にもとづいて判断されたのか……
  マニトフ「GHQは予防会の従業員追放については関与しない。不服であるなら日本政府の機関に訴願したらよい」
  代表「しかし予防会の経営者は文書や口答でサムス氏が切れと示唆したと言っているが、どうか」
  マニトフ「何時、何処で言ったか」
  代表「解雇理由書の中で関係方面よりの強き示唆もありと言っている」
  マニトフ「関係方面とGHQとは違う」
  代表「隈部結核研究所長は従業員の前でサムス氏より共産党員の首を切るか、BCGの製造を停止させられるか、二つに一つを選べと言われたからやむなく解雇したと言った」
  ここでマニトフ氏は1、2分退席して後
  マニトフ「この問題についてこれ以上答えられない、帰って欲しい」
会談はこれで打ち切った」
 さらに10月25日、組合側は今度は全日本医療従業員組合協議会の名称で、経済科学局労働課にエーミス課長を訪ねた。ちなみに同協議会の書記長は、結核予防会の職員で、解雇の被通告者でもあった。この時の質疑応答は以下のとおりである。
  労働側「この首切りを経営者側は非合法であると言っており、被馘首者は破壊的な人々ではないと言っている。その唯一の理由は、共産党員であるという理由である。経営側の説明によると、サムス准将によりそのような示唆があったのだということである」
  エーミス「共産党員だというだけで首切りが行われたことはない。サムスがそのようなことをするはずはないし、又そのようなことは私としては聞いてもいない。労働課としてもそのようなことをすることはありえない。それは経営者の口実であろう」
  労働側「日本の医療従業員は失業保険によってほとんど保護されていないから、このような非民主的な措置に対して被馘首者たちは非常に苦しい闘争をしている。退職金や解雇手当も甚だ低い。このような事実についてはどう考えるか」
  エーミス「今日はもう時間がないから来週中に組合と経営者とに来てもらって事情を聞くことにする」
 10月31日労働課で、エーミス課長と、理事会側隈部結核研究所長・藤田総務部長、労働組合側12名の、三者による会議が開かれた。以下はこのときのやりとりである。
  エーミス「先週全医協の代表から話があった点について私はサムス准将に聞いてみた。それによればBCGワクチンの生産が一定の基準に達していないこと、合格率が悪いこと等を心配していた。そうしてどうしたらBCGワクチンをより多く結核予防のためにまにあう様にするかを考えている」
  労働側「隈部結核研究所長は8月30日結核研究所の従業員多数を集めて、赤追放のやむを得なかった理由として総司令部サムス准氏に呼ばれて『赤追放』をやるか『予防会をつぶすか』どちらを選ぶかと言われたので今回の様な措置をとったと言っている」
  隈部「私は8月10日にアメリカから帰ってきた。その日の午後勝俣理事長とともにサムス氏に呼ばれて『BCGの生産が悪い、ついては共産党員がいるからこれを追放してはどうか』と示唆をうけた。私はアメリカから帰って来たばかりなので、少し考えさせてもらいたいといってその日は終わった。そうして8月22日朝9時30分ボースマン氏に呼ばれ、その時も『BCGの生産が非常によくない、このことは勤務状態と関連してよくない』と言われて『赤追放』をしてはどうかと示唆された。8月22日GHQでサムス氏と会い、一時間くらいこのことで討議してみたが結果としてはサムス氏が『もうこれ以上この問題で話すことはない』といわれ最後に『BCGの生産をやっているのは日本では予防会だけだが、BCGの生産を中止するか、共産党員を追放するか、どちらかを選ぶべきである』といわれた」
  エーミス「サムス准将のいわれた見解についてはくわしいことは知らないが『能率が悪いものは共産党員とそうでないものとを問わずやめさせるか、他の適当な職場に配置転換をやればよい』、こえは共産党員とは別関係である。結核予防会とそのためのBCGの生産を妨害するものはいかなる『色』を問わずやめさせるか別の職場に移すことが適当である」
  隈部「8月22日にサムス氏と会った時、私は今エーミス氏がいったようなことについて話した。又日本には憲法も組合法もあることも話した。併し結論としては前に述べたようになった」
  エーミス「私としてはいままでに関してのサムス准将の言った点にはふれないが、生産を妨害するようなものは、労資双方が協力して排除すればよい。共産党員の追放に関しては総司令部も日本政府も命令を出していないし、タッチしていない。赤追放ということばは、いやなことばだ」
  労働側「こんど首を切られた共産党員の人には生産を妨害するようなことはなかった。むしろ生産のために常に努力して来た人達である。このことは同じ職場に働いていたので責任をもって言える」
  労働側「経営者も生産妨害を理由として首を切っていないし、そのようなことをやったとも言っていない。このような首切りはあらためるべきではないかと思うが、エーミス氏はどう考えるか」
  エーミス「私もこんどの赤追放についていろいろなことを聞いているが、私が直接皆さんの職場にいって皆さんの働いている状態をみていないのでなんとも言えないが、問題はBCGをよくすることだ、どうして生産が悪いのか」
  隈部「BCGワクチンは非常に特殊なワクチンであり、世界的に見てもこのような規模で仕事をやっているのは日本だけだ、学問的にいっても完成されていないのが理由である。職場規律についてはよくない点もあるが、これは一般的な問題として言えることだ」
  エーミス「問題となった点は」
  隈部「4月から8月まで私はアメリカに行っていたのでこの間のことは知らないが、私がいた今年4月までは何事もなかった。サムス氏は職場放棄で団体交渉をやった、ビラが所内にいっぱいはってあった、赤旗が所内にたっていた、この外にも職場規律がみだれているといった」
  労働側「それはボースマン氏がたまたま闘争中に来たからで、ビラが一番多くはられていたときだ」
  エーミス「その旗は赤旗か」
  労働側「色は赤だが組合旗であって組合名が入っている」
  隈部「研究所は私が常々いっているように、研究を主とすべきであって政治活動などやるべきでないと言っていた」
  エーミス「研究所は仕事に専念するところであるから時間外に組合活動をやるべきであると思う」
  労働側「そのことは了解した。われわれの組合にはこういう例がある。公金を横領した組合員が懲戒解雇になったが、組合としてはこれを了解した。又こんど首を切られて初めて共産党員とわかった人もいる。そういう人々は真面目に働いているし、ほかに欠点のない人もふくまれている」
  エーミス「真面目に働いているのにどうしてよい製品が出来ないか」
  労働側「学問的に完成していない、生産工程が特殊である、首切り前と後との生産量を比較してみればわかるように、共産党員が破壊的でないことがわかると思う」
  エーミス「11時15分に用事があるので、あらためてもう一度私が調査して又あうことにしたい」   
 右のやりとりの中にある、ボースマンが来所した際の「闘争中」云々とは、労働協約をめぐる労使間の、1950年初夏以来の対立を指している。結核予防会における労働協約は1947年4月に締結され、半年ごとに自動延長されていたが、理事会側は1950年5月に新協約の締結を申し入れ、対立が発生していた。同じやりとりの中にある、就業時間と組合活動の関係ということが、労働協約をめぐる争点の一つであった。すなわち旧来の労働協約第四条には「組合員は就業時間中でも職場責任者の了解を得て、組合の活動をする事が出来る」という条項があったのである。また、同じく労働協約の第六条には「従業員の採用又は解職について乙(従業員組合)より意向あるときはこれを考慮する」とあり、これを受けて1949年5月に労使間で「覚書」が締結され、そこでは「職員を解雇するときは従業員組合と協議する、但し協議が整わない時は、経営、組合共にその権利を留保する」ことが決められていたのである。
 解雇に関する同意約款と就業時間中の労働組合活動、これがレッド・パージに先立つ労使間の対立の争点をなしていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする