真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「大イスラエル主義」とガザ猛攻撃

2023年11月29日 | 国際・政治

 イスラエル軍は、ハマスの攻撃を受けて、これまでに1万数千人の子どもを含むパレスチナ人を殺害し、猛烈な爆撃でガザのライフラインの大部分も破壊しました。だから、たとえ停戦が実現しても、パレスチナの人たちは、到底もとの生活には戻れない状態になっていると思います。それが、イスラエルの「大イスラエル主義」の思想に基づく戦略であることは、ネタニヤフ政権(リクード)の政治家や政権に関わる極右の政治家の発言から、疑う余地がないと思います。
 だから、イスラエル軍による常軌を逸した無差別なガザ爆撃や、病院、難民キャンプ、学校等に対する攻撃は、パレスチナ人を恐怖に陥れるとともに、ライフラインの破壊によって、再びもとにもどれないようにして、「パレスチナの地」からパレスチナ人を追い出すことが目的なのだということです。

 先日、アラブ・ニュースは、下記のようなことを伝えていました。
 エジプトは、ガザのパレスチナ人をシナイに押し出そうとするイスラエルのプランに対し、法的措置を取ると圧力をかけたという記事です。イスラエルのガザ地域猛攻撃によって、エジプトに押しよせる200万を超える民間人を受け入れることを、カイロは拒否するというような内容です。
Egypt threatens legal action against Israel for plan to push Gaza Palestinians to Sinai.
Egyptian Prime Minister Mostafa Madbouly reiterated Cairo's refusal to take in Gaza's more than two million strong civilian population as Israel's onslaught on the territory persists.”

 エジプトは、イスラエルの「大イスラエル主義」に基づくガザ猛攻撃の意図をきちんと見抜いて対応しているということだと思います。

 だから、国際社会が、イスラエルの政治家の「大イスラエル主義」の考え方の過ちをきちんと指摘して、国際法を守るよう圧力をかけるべきだと思います。戦闘休止が2日間延長されたといっても、それは、国際世論の非難をかわすガス抜きのようなもので、いずれ再び一方的な爆撃や襲撃がくり返される可能性が大きいだろうと思います。

 現在、戦争犯罪を重ねるイスラエルに制裁を課す動きや、ネタニヤフ首相に逮捕状を出すような動きはありませんが、それは、アメリカがイスラエルと「特別な関係」にあり、今回もいち早く軍事支援を表明したからだと思います。
 世界中に数え切れないほどの基地を置き、圧倒的な軍事力と経済力を持っているアメリカの影響力の大きさを象徴しているように思います。また、下記の「イスラームに何がおきているのか」小杉泰編(平凡社)からの抜粋文にあるような、善悪を逆様に見せる情報操作も見逃せません。

 
大イスラエル主義」の考え方を持つイスラエルの政治家の見逃すことのできない発言は、以前からくり返されていますが、しばらく前、下記のような報道がありました。
 
イスラエルの極右政党党首のスモトリッチ財務相が「パレスチナ人など存在しない」といった暴言を連発し、パレスチナやアラブ諸国が猛反発している。イスラエルとパレスチナの間では暴力の連鎖で死傷者が膨らんでおり、緊張が悪化する恐れがある。
 同氏は19日にパリで開かれたユダヤ系フランス人らの会合で「パレスチナ人はこの100年未満でつくられた」「歴史も文化もない」などと述べた。演壇で示された「大イスラエル」とする地図には隣国ヨルダンも含まれていた。”

 また、メナヘム・ベギンの率いた「ヘルート」の流れを汲むネタニヤフ首相をはじめとするリクード所属の政治家が、「イスラエルの支配がイスラエルの地全域に及ぶべきだ」と考えていることも見逃してはならないと思います。
 だから、不当な支配に抵抗するハマスの奇襲攻撃を受けて、ネタニヤフ首相は「血まみれの怪物を根絶やしにする準備できている」などと語り「ハマスの殲滅」を宣言したのだと思います。
 モシェ・フェイグリン氏が、この問題の唯一の解決は、ガザの完全な破壊であり、核兵器なしで、ドレスデンや広島のように破壊することだと言ったこと、また、政権に近い政治家が、アラブ人のイスラエルに対する悪感情が反ユダヤ主義に起因している以上、彼らと平和裏に共存しうると考えるのは幻想に過ぎないと言ったり、ガザ市民すべてを潜在的なハマス・ハマス支持者とみなし、丸ごと攻撃対象とみなすような発言をしていることなどを踏まえて、イスラエルに圧力をかけ、平和主義に徹した行動を働きかけるべきだと思います。
 パレスチナ人の生命や人権を尊重する立場で、イスラエルに対する制裁や、戦争犯罪をくり返す人たちに対する逮捕状を考慮すべきではないかと思うのです。

 下記は、「イスラームに何がおきているのか」小杉泰編(平凡社)から抜萃しましたが、9・11がパレスチナの問題と深くかかわっていることがわかります。イスラエル・パレスチナ戦争の問題は、イスラエル建国以来の問題であり、昨日今日の問題ではないということです。

 臼杵陽氏の指摘を踏まえれば、私たちが、アメリカの巧みな情報操作によって、”アメリカが表彰(リプレゼント)する世界からこぼれ落ちる多くの人々”の思いをくみ取ることができなければ、世界の平和はないということだと思います。
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        「<世界>はムスリム虐殺に沈黙するのか? ビン・ラーディンとパレスチナ」
                                                   臼杵陽

 パレスチナ問題に沈黙する<世界>
 世界を変えた「9・11」はアメリカの悲劇の日であったが、パレスチナにとっても悲劇の日となった。パレスチナは、あたかも囚人のように、人々の敵意の視線にひとたび晒された上でその姿を消してしまったからである。全世界はアフガニスタン、そしてその難民に目を向けた。アメリカが犯人と指名したウーサマ・ビン・ラディーンを匿ったタリバーンが彼を米側に引き渡さないために、米軍がアフガニスタンに空爆を開始した。しかし、問題の根源はパレスチナではないのか、と中東イスラム世界の多くのムスリムは考えたはずである。なぜなら、パレスチナ難民はすでに半世紀にわたって放置され、イスラエル建国直前のデイル・ヤースィン村の虐殺に始まり、これまで幾度となくパレスチナ人虐殺事件が起こってきたにもかかわらず、<世界>はその虐殺には沈黙してきたからである。
 事件発生直後からDFLP(パレスチナ解放民族戦線)が犯行声明を出したとの報道が流れた。パレスチナの現状から判断してDFLPによる犯行はありえなかった。事実、パレスチナ暫定自治区のラーマッラーにあるにDFLPの事務所が即座に報道に否定した。しかしテロの犯人探しの過程で、パレスチナが世界の矛盾の中心的な問題であることを図らずも露呈した。テロとパレスチナを結びつける報道はこれだけではなかった。アメリカの国際メディアを代表するCNNも事件直後からエルサレムのパレスチナ人が歓喜している映像を流し始めた。「東エルサレム市街」と称する場所で、パレスチナ人女性が「ザガーリード」と呼ばれる喜びを表現する舌笛を鳴らしていた。この映像は執拗に繰り返して流された。
 誰もが湾岸戦争時の油にまみれた海鳥の姿と重ね合わせたことだろう。アメリカの代表的なメディアによる「事実」の捏造である。パレスチナ人たちは、悲しみに沈む世界に対して、歓喜乱舞する者達として対峙させられた。パレスチナはテロを支持しているという意図的なメッセージが込められた、湾岸戦争以来、何度も経験した政治的な構造であった。それような構図に抗するように、アラファートPLOの議長は、アメリカ国民に対して哀悼の意を表明し、犠牲者のために献血までも行うという政治的パフォーマンスを行わざるをなかった。アメリカのメディアは、テロを支持するパレスチナ人を拡大して見せる一方で、そのテロから自らを守るためとして、パレスチナ人への国家テロとでもいうべきイスラエルの暴力的な蛮行を世界の視野から遠ざけるメカニズムとして強力に作用したのである。

 なぜパレスチナ問題は今回の事件を通じて黙殺されなければならなかったのか。自爆テロによるこの悲惨なジェノサイドに関して直視しなければならないのは、アメリカが表彰(リプレゼント)する世界からこぼれ落ちる多くの人々がこの前代未聞のテロ行為に拍手喝采した現実である。無差別虐殺であるこのテロを礼賛しているからではなく、アメリカが攻撃されたという事実に対して少なからず留飲を下げた人々が存在するということこそ注目すべきであろう。それは「反米」という大きな共鳴板があったからに他ならない。アメリカのいう<世界>の反対側から現実を考えてみる必要がある。アメリカが各地域で起こる諸問題に積極的に介入している以上、アメリカの<帝国>的な振る舞いをもとに、今回の悲惨な事件を位置づけて見る必要があるだろう。その意味で、パレスチナ問題こそがその核心にある。なぜなら世界のムスリムにとってパレスチナはイスラエル建国以来、黙殺され続けてきた未解決の問題の象徴であるからだ。<世界>はパレスチナ人の虐殺に対して沈黙してきたのである。
 アメリカ自体は「9・11」以降、急速に戦争モードへと入っていき、自制のメカニズムも発動させず、予定通りというべきであろう。10月7日には米英軍によるアフガニスタンへの空爆を開始した。アメリカは正義を振りかざすカウボーイさながらに、断固としてテロと戦う、という決然たる政治的メッセージを発したのである。本当にビン・ラディーンは犯人になのかどうか、確固たる証拠も開示されないまま、既成事実化された攻撃によってアメリカの作り上げたシナリオ通りに事態は進み、新たな現実が作り上げられている。それは、1990年の湾岸危機、翌年初めの湾岸戦争とよく似たシナリオであった。

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「大イスラエル主義」に基づくイスラエル軍の野蛮

2023年11月23日 | 国際・政治

 イスラエル軍による常軌を逸した無差別なガザ爆撃や、病院、難民キャンプ、学校等に対する攻撃の思想的背景は、アシュケナジームを中心とするユダヤ人の「大イスラエル主義」にあると思います。
 「大イスラエル主義」に基づくイスラエル軍の戦略は、パレスチナ人を恐怖に陥れ、パニック状態にして「イスラエルの地」からパレスチナ人を追い出そうということだろうと思います。それが、イスラエルの政治家や軍人などの発言で察せられると思います。でも、国際機関は動きません。

 半年ほど前、国際刑事裁判所(ICC)は、ロシアのプーチン大統領が、占領地からの子どもの連れ去りに関与したとして戦争犯罪容疑逮捕状を出しました。でもいまだに、連れ去りの目的や実態は、専門家と言われる人たちの憶測やごく一部の人の証言だけで、全体像が明らかにされたとはいえないと思います、虐殺されたというような報道もありません。でも逮捕状は出されたのです。
 ところが、今、イスラエルのガザ空爆や地上侵攻による攻撃で、毎日、毎日パレスチナの子どもたちが死んでおり、明らかな戦争犯罪がくり返されているのに、 国際刑事裁判所は、ネタニヤフ首相に逮捕状を出す気配はありません。また、国際社会が、ロシアに課したような厳しい経済制裁をイスラエルに課す動きもありません。
 私は、そこに欧米諸国、特にイスラエルと「特別な関係」にある、アメリカの戦略に基づく世界支配の姿を見ます。

 イスラエル建国は、今からおよそ75年前の1948年5月14日で、第二次世界大戦後のことです。その時、すでに国際連合が設立されていました。国際連合憲章は、1945年10月24日に発効しているのです。そして、国際司法裁判所規程は国連憲章と不可分の一体をなすものとされました。
 だから、国際法に基づけば、プーチン大統領よりも、むしろネタニヤフ首相に逮捕状が出されるべきだろうと思います。
 国際機関や国際社会が、国際法を無視しているイスラエルに法的に対応しないのは、圧倒的な軍事力と経済力を背景に、巧みな対外政策や外交政策を展開するアメリカの力が、いろいろなかたちで働いているからだろう、と私は思います。

 イスラエルの独立も、法的には考えられないかたちでなされたと思います。
 本来、「パレスチナの地」に移住したユダヤ人が、国家として独立するためには、パレスチナ人との合意がなければならなかったと思います。
 でも、イギリスの「フセイン・マクマホン協定」と「バルフォア宣言」の外交的矛盾もさることながら、アメリカの意向で少数派のユダヤ人に約6割、多数派のアラブ人に約4割を割り当てるという「国連パレスチナ分割決議」もひどいものだったと思います。
 イスラエルが、その国連の分割決議さえ守らなかったという事実を見逃してはならないと思います。だから、土地を追われた多くのパレスチナ人は、土地や家を手離して難民となってしまったのです。常識では考えられないことです。

 それだけではありません。イスラエルの一部ユダヤ人は、「イスラエルの支配がイスラエルの地全域に及ぶべきだ」というのです。そして、そうした考えを持つメナヘム・ベギンの率いた「ヘルート」の流れを汲むのが、現在のネタニヤフ首相が主導する政党「リクード」です。
 先日取り上げましたが、ユダヤ人武装組織イルグンは、パレスチナ人を恐怖に陥れ、パニック状態にして逃亡させる方針で、村民254人の虐殺をしたといいます。その武装組織イルグンの指導者が、のちのイスラエル首相「ベギン」なのです。だからこのとき、ベギンはイギリス政府によって”テロリスト”の烙印を押された”お尋ね者”だったということです。
 そうした「ヘルート」の「大イスラエル主義」が、いま「リクード」に受け継がれていることは、イスラエルの政治家や軍人の言動によって明らかだと思います。

 先日、イスラエルのネタニヤフ首相は、不当な支配に抵抗するハマスの奇襲攻撃を受けて、「血まみれの怪物を根絶やしにする準備できている」と語り、大規模侵攻に踏み切りました。そして、捕虜に関する交渉はせず、「勝利まで戦う」と語り、「反撃を中止することはない」などと主張しました。
 また、国連のグテーレス事務総長の、ハマスの軍事行動は何もない状況で急に起こったわけではない」との事実に基づく発言に対して、イスラエルのエルダン国連大使は、理解を求める努力を何もすることなく、一方的に事務総長の辞任を要求し、イスラエルのコーヘン外相も「(グテーレス氏は)恥を知れ」との強硬な発言をしています。常識では考えられない対応だと思います。

 また、イスラエルの立法府、クネセトの元議員である、モシェ・フェイグリン氏は、中東のメディア、アルジャリーラのインタビューで、この問題の唯一の解決は、ガザの完全な破壊(complete destruction of Gaza)であると言っています。核兵器なしで、ドレスデンや広島のように破壊すること(Destruction like Dresden and Hiroshima, without a nuclear weapon )だと言っているのです(https://twitter.com/i/status/1717574138200572310)。

 フェイグリン氏は、”核兵器を使わずに”とつけ加えていますが、イスラエルの閣僚、エルサレム問題・遺産相のエリヤフ氏は、パレスチナ自治区ガザに対して、原爆を使うことも「一つの選択肢」と述べたとの報道もありました。
 こうした発言をする人は、ほとんど村民虐殺を実行したベギンの「ヘルート」の流れを汲む現在の「リクード」のメンバーであることを見逃してはならないと思います。
 さらに、オスロ合意を無視したり、ヨルダン川西岸地区で分離壁の建設を進めたアリエル・シャロンもリクードの人です。

 「リクード」を主導するネタニヤフ首相は、モシェ・フェイグリン氏のような考え方でパレスチナを攻撃しているのだと思います。ネタニヤフ首相は、「停戦はしない」とはっきり言っています。「停戦はイスラエルの降伏を意味する」などとも言っているのです。捕虜の人命は後回しようです。
 だから私は ネタニヤフ首相の言う「ハマスの殲滅」は、世界の人々を欺く目標で、ほんとうは、イスラエルからパレスチナ人を追い出すために、一方的な戦争を続け、徹底的にガザの破壊を進めているのだと推察します。話し合って、共存する道を探ろうとはしていないと思います。 

 先日、イスラエルの政治家や軍関係者からは、ガザ市民すべてを潜在的なハマス・ハマス支持者とみなし、丸ごと攻撃対象とみなすような発言が、次々と飛び出したとの報道もありました。見逃すことができない主張だと思います。
 それが、ヨーロッパから移住したユダヤ人「アシュケナジーム」の「大イスラエル主義」の考え方だということです
 「大イスラエル主義」の考え方は、「ハマス殲滅のため」であれば、市民に大規模な被害をもたらす病院や学校や難民キャンプの爆撃も許されるということだと思います。そして「ハマス殲滅」を表向きの目標として掲げつつ、徹底的な爆撃、破壊によって、パレスチナ人の日常生活再建を不可能にし、イスラエルから追い出す戦略なのだろうと思います。
 国際社会が止めることができなければ、人類の将来はあまりに暗いと思います。

 下記は、「イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる」立山良司(中公新書941)から「大イスラエル主義とリクード」を抜萃しました。
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                    第7章 岐路に立つイスラエル

                     大イスラエル主義とリクード

シオニズムの基本的な原理は、「イスラエルの地」にユダヤ人の国を再建することにあった。「イスラエルの地」とは旧約聖書で神がユダヤ人に与えると約束した「約束の地」であり、かつてユダヤ人の王国が築かれたところでもある。第一次中東戦争<イスラエル独立戦争>で、イスラエルはパレスチナ国連分割決議で割り与えられた「ユダヤ国家」の領域より広い地域を支配化に収めたが、東エルサレムやヨルダン川西岸など「イスラエルの地」の核心部分は手に入らなかった。そのことはそれなりに大きな失望をシオニストにもたらしたが、多くの人はそれはそれで仕方がない、と考えていた。むしろ誰もが誕生したばかりの国を守り育てるのに忙しかった。
 こんな中で、唯一「イスラエルの支配がイスラエルの地全域に及ぶべきだ」と主張し続ける大イスラエル主義政党があった。メナヘム・ベギンの率いる「ヘルート」(後の「リクード」)である。「ヘルート」とはヘブライ語で「自由」を意味しているが、ベギンらは党名「ヘルート」に「ユダヤ人の自由はイスラエルの地全域にユダヤ人の支配が及んだときに初めて実現される」という意味を込めていた。しかし当時、ヘルートの主張は「荒唐無稽な主張」としてイスラエル国内でも無視され続けた。
 1967年の第三次中東戦争はそれまでの状況を一変した。「イスラエルの地」のほぼ全域が、わずか数日の間にイスラエルの支配下に入ってしまった。中でも、東エルサレムの旧市街地を含むヨルダン川西岸は、「イスラエルの地」の核心的な部分である。イスラエルの人々は東エルサレム旧市街地の「嘆きの壁」や、ヘブロンにあるユダヤ人の祖(同時にアラブ人の祖でもあるが)アブラハムらの墓に行っては、狂喜しかつ涙した。狂喜し、涙をすることで、宗教的な、あるいは民族主義的な精神が人々の間で急速に高まった。戦後のイスラエル内では誰もが、「イスラエルの地」とユダヤ人の「宗教的」「民族的」「歴史的」な結びつきを熱っぽく語り始めた。
 第三次中東戦争直後のイスラエルに生まれたこの新しい精神状況は、大イスラエル主義を主張する右派や「イスラエルの地」とユダヤ人との宗教的な結びつきを重視する宗教勢力はもちろん、左派の活動家やキブツ運動家までをも巻き込んだ広範囲なものだった。ヘブロンを訪れたある左派の活動家は、その訪問をきっかけに、ヘブロンとユダヤ人と結び付ける強い民族的な精神が、自分自身の中に沸き上がってくるのを強く感じとったという。そのまま彼は、「ヘブロンとテルアビブのどちらかを棄てろといわれれば、私は躊躇なくテルアビブを捨てる」といって、新しく結成された大イスラエル主義運動グループの中心的な活動家に”転向”した。
 べギンとその政党「ヘルート」が主張していた大イスラエル主義は「荒唐無稽」な主張ではなく、現にイスラエルが支配している領土に関する「現実的な主張」となった。それより前の1965年に、他の非労働党系政党と合併し、党勢を拡大していた「ヘルート」は、第三次中東戦争直後からイスラエル内に次々と誕生した大イスラエル主義を掲げる各種グループの強い支持を受けるようになった。勢いに乗った「ヘルート」は1973年、大イスラエル主義を掲げる他の小政党を糾合し新しい選挙リスト「リクード」(「連合」の意)を結成。労働党政権の対応の誤りから第四次中東戦争でイスラエルが苦戦したこともあり、また労働党長期政権に反感を抱き始めた。セファルディ(アジア・アフリカ系ユダヤ人)票をも集め、議席数を伸ばし続けた。そしてついに1977年の第9回クネセト選挙で、それまで絶対優位を誇っていた労働党破り、政権の座についたのである。
 1977年から1984年までの間、リクード政権はイスラエルだけでなく中東和平問題全般、パレスチナ問題の将来の行方に大きな影響を及ぼす二つの政策を実行した。一つはエジプトとの和平を達成、シナイ半島全域をエジプトに返還したことである。しかし、エジプトとの和平とワンセットになっていたキャンプ・デービッド合意のもう一つの取り決め、西岸・ガザの最終的な地位を交渉によって決定すると合意した「中東和平のための枠組み」の方は、自治交渉もまとまらないまま棚上げ状態となった。大イスラエル主義を掲げるリクードの主張からして、米国やエジプトが期待したように、安全保障上必要な若干の地域を除く西岸・ガザの大部分から撤退することはあり得なかった。むしろ政権にあった七年間に、西岸・ガザで次々に入植地を建設した(1977年から1983年までの7年間に建設された入植地は、それまでの4倍の97にのぼった)。
 次いでエジプトとの和平が達成され。南部方面の脅威から解放されたイスラエルは、レバノンへ侵攻した。85ページで述べたように、当時ベギンらは、レバノン戦争でPLOの軍事力壊滅だけでなく、より遠大な目標を抱いていたが、それは達成できなかった。逆に泥沼化するレバノンに足を取られ、国内経済は年率400%を超える超インフレにあえいだ。それでもリクードが1984年のクネスト選挙で政権への足掛かりを失わなかったことは、すでに見た通りである。

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イスラエルを動かす「アシュケナジーム」の野蛮

2023年11月19日 | 国際・政治

 イスラエル・パレスチナ戦争に関する判断を誤らないためには、やはり歴史をふり返ることが大事ではないかと思います。イスラエルの軍事行動に行き過ぎがあるというようなレベエルの非難にとどまれば、本質的な問題が見失われ、同じ過ちをくり返すことになるように思います。

 ふり返れば、1948年にイスラエルの独立を宣言したのは、ポーランド生れのユダヤ人、ダヴィド・ベングリオンでした。
 “イスラエル建国の父”と呼ばれるダヴィド・ベングリオンが、ユダヤ人国家の樹立を宣言した直後、当時のアメリカ大統領トルーマンは、世界に先駆けてイスラエルを国家承認したといいます。
 だから、イスラエルにとってアメリカは、建国当初から特別な国であり、 両国の関係は「特別な関係」であるといわれるのだと思います。
 そして、冷戦時代のアメリカは、アラブ諸国に接近するソビエトに対抗するため、実態とかけ離れているにもかかわらず、民主主義を掲げるイスラエルを、軍事面でも財政面でも、支援し続けてきたのです。
 アメリカは、イスラエルの建国以来、多額の援助をくり返してきましたが、ウィキペディアによると、1,580億ドル=日本円で23兆円以上にのぼるということです。戦後、アメリカが支援してきたどの国よりも突出して多いのです。
 今回のイスラエル・パレスチナ戦争でも、バイデン大統領は「イスラエルにはテロから自国を守る権利と義務がある」などと主張し、直ぐに軍事支援を表明しました。そして、イスラエル軍のガザ空爆や地上侵攻による病院襲撃などの戦争犯罪に関しても、アメリカは停止を求めることをしていません。一時的な休戦の提起は、反発の高まりを抑制するためのポーズだろう、と私は思います。 

 なぜなら、アメリカもイスラエルも、ロスチャイルドなどに代表されるユダヤ資本が大きな影響力を持つ国であり、法や道義・道徳より、国益を最優先する国であると思うからです。
 現在の国際金融システムを作り上げたのは、ユダヤ人であるといわれますが、それは、長く宗教的な弾圧や迫害を受けてきたユダヤ人の多くが、キリスト教徒から忌み嫌われた職業、すなわち、高利貸しや両替商、貿易商などとして、狡賢く生き延びるしかなかったという面があったからだと思います。ヨーロッパのユダヤ人は、金融や貿易を取り仕切るプロとして、金融業や貿易業の世界で力をつけ、現在の国際金融システムを作り上げて、世界的に大きな影響力を持つに至ったということです。

 そういう意味で、現在のアメリカの政治は、ユダヤ資本を背景とする「ユダヤ・ロビー」とか「イスラエル・ロビー」と呼ばれる圧力団体の存在を抜きに語ることはできないと思います。極論すれば、イスラエルの問題は、同時にアメリカの問題でもあるという側面があるのだろうと思います。

 見逃してはならないことは、多くのアメリカ人やイスラエル人とは違って、両国の政治家や軍人が、人命を軽視し、人権を無視し、法や道義・道徳を蔑ろにする考え方で、外交を展開しているということです。
 それは、現実の両国の政治を見ればわかることだと思います。特に、その外交政策は、非民主的であり、武力主義的だと思います。
 先日取り上げた、ア・ランダウというユダヤ人女性が、バシール・ヘイリというパレスチナ人男性に宛てた手紙は、一般市民のレベルでは、共存は十分に可能であるということを示していたと思います。でも、現実は、血を血で洗う戦いに、終わる気配がありません。
 その現実は、イスラエルという国を支配するのが、キリスト教社会で受け入れられなかった欧米、特に東ヨーロッパ出身の「アシュケナジーム」(欧米系ユダヤ人)であるということからきているように思います。少数派であるにもかかわらず、イスラエルの一般市民とかけ離れた考え方、すなわち、法や道義・道徳を蔑ろにする考え方で、パレスチナ人に対応しているように思うのです。巧みなプロパガンダで、それを支えるのがアメリカだと私は思います。
 イスラエル・パレスチナ戦争は、法や道義・道徳に照らせば、「即時停戦」しかないと思います。両国の一般市民はそれを望んでいると思います。戦争が続けば、幾世代にもわたって憎しみ合うことになると思います。
 下記は、『「和平合意」とパレスチナ イスラエルとの共存は可能か』土井敏邦(朝日選書537)から、「 Ⅴ ユダヤ人国家の自意識 分裂するイスラエル」の「イスラエルの多数派ミズラヒーム」を抜萃しました。
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                                Ⅴ ユダヤ人国家の自意識 分裂するイスラエル

                 イスラエルの多数派ミズラヒーム

 ミズラヒームとは
 イスラエルは「一枚岩のユダヤ人」だけから成る国ではない。92年6月の総選挙直前の地元紙『ハダショット』によれば、総人口約493万人のうち、ユダヤ人は82%で、残りの18%はイスラム教徒やキリスト教徒のアラブ人(パレスチナ人)である。その404万人あまりのユダヤ人も大きく三つに分類される。欧米、とくに東ヨーロッパ出身の「アシュケナジーム」(欧米系ユダヤ人)151万人と、周辺アラブ諸国などイスラム圏出身のユダヤ教徒である「ミズラヒーム」(東洋系ユダヤ人)165万人、さらにイスラエルで生まれた第三世代以降のユダヤ人(サブラ)88万人である。そのサブラを出生率の違いからアシュケナジームとミズラヒームに2対3の割合で分類すると、アシュケナジームは186万人で全人口の37%。これに対してミズラヒームは218万人で、45%にも及ぶ。つまりミズラヒームがイスラエル社会の多数派なのである。しかし、人口比は多数派であっても、社会の指導権を握るのは少数派のアシュケナジームだ。なぜか。その原因は、イスラエル国家の建設過程にある。

 イスラエル建国以前から経済、組織、政治的な基盤を造りだし、建国後も新生の国家の経済発展の方向づけをし、さらに外からの莫大な資本の流入や離散ユダヤ人の大量移住の波をコントロールしたのはアシュケナジーだった。彼らはその後も、イスラエル社会の政治、経済、社会のあらゆる面で支配層を形成していくことになる。その一方、ミズラヒームは、アシュケナジームを中心とした新政府の政策によって、建国直後の1950年代に、それまで住んでいたアラブ諸国の生活基盤を捨てて、イスラエルに大量移住した人々であり、新生国家の経済開発のための安価で扱いやすい労働力として組み込まれていったユダヤ人たちである。その出身国はモロッコ(全ユダヤ系市民の12%)、イラク(同6%)、イラン(同3%)、アルジェリア・チュニジア(同3%)、リビア(同2%)などアラブ諸国のほぼ全域に及んでいる(『ハダショット』、参照)

 社会の底辺で
 しかし、このミズラヒームは欧米出身のアシュケナジームの文化環境から見れば、「野蛮であり、原始的であり、後進的であり、歴史すら持たない、忘却のかなたから忽然と現れた異質の人びとであった。せいぜい好事家の好奇心を満たす対象でしかなかった。欧米のユダヤ人から見れば『同胞』と呼ぶに値しない『異物』であり、『化石』であった。(臼杵陽「『もう一つのイスラエル』考」『グリオ』第50号 1993年春、平凡社、参照)。イスラエルの初代首相ベン・グリオンもミズラヒームを人間のゴミとさえ呼んでいる。(臼杵・前掲、参照)。しかしそんなミズラヒームでもホロコーストによって数百万人のユダヤ人が抹殺された状況では、シオニズム運動にとってはイスラエル建国のために不可欠なマンパワーであった。彼らはイスラエル到着と同時に、領土の安全保障のための「盾」として、辺境の国境地域に送られていった。それは「開発町」と呼ばれ、その後、地方都市に発展していく。イスラエル北部のキリアット・シモナやベッシャーン、南部のデモナなどはその典型的な街である。現在でもその住民の大半はミズラヒームであり、教育、経済、社会、環境などの面でアシュケシナジームの多い大都市との大きな格差は今なお解消されてはいない。

 一方、建国後数年で人口が倍増したイスラエルでは、住宅不足に悩まされた。アラブ諸国から大量移住したミズラヒームの中には、大都市の周辺に設営された「マアバロート」と呼ばれる臨時のキャンプに収容された人々も少なくなかった。しかし、臨時のはずのこのテント暮らしは、二年、三年を経ても終わらなかった。さらに悪いことに移民のピークだった50年、51年には悪天候が続き、冬の寒さ、夏の酷暑、雨漏りなど劣悪な生活環境を強いられた。住民たちの多くは職もなく、生活は困窮していた。このような社会状況の中で、少年たちを中心に犯罪が蔓延していった。やがてマアバロートは大都市に隣接するスラム街となり、犯罪の温床ともなっていく。(臼杵・前掲、参照)
 

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「ハマス」のあゆみと日本の主権

2023年11月14日 | 国際・政治

 現在日本では、岸田政権の支持率低下について、いろいろな議論があります。朝日新聞は社説で
結局のところ、首相の判断の起点が、国民ではなく、総裁再選という自身の権力維持にあると見透かされていることが、政権発足以来最低水準に落ち込んだ支持率が、なかなか反転しない根本にあるのではないか”
と指摘していました。岸田政権が国民のための政治をやっていないという意味で、その指摘は正しいと思います。
 でも、なぜそんな自民党の政権が、戦後長く続いているのか、ということを考えるべきと思います。踏み込んでいく必要があると思います。

 自民党政権では、岸田政権に限らず、呆れるような理由で、次々に閣僚や政務三役など、要職にある人物が辞任に追い込まれてきたと思います。
 また、防衛予算の大幅な増額をはじめとした、国民生活に直結する重要な問題が、首相判断で独裁的に決定されたり、国会の議論抜きで閣議決定されてきており、とても民主国家といえる状況にはないと思います。
 そして、日本人の大部分が勤勉で、まじめに働いているのに、どんどん貧困化が進み、アメリカとの1人当たりGDPの水準の比較でも、差がどんどん広がり、大差が生じていることに、目をつぶってっている政治家やメディアは、主権を放棄して、アメリカに仕える「下僕」になり下がっているように思います。
 なぜなら、日本の富がどんどんアメリカに吸い取られ、また、アメリカの戦略に沿って、日本の政策や予算が決定されていくシステムを受け入れていると思うからです。
 それは、防衛予算の大増額が、岸田首相から防衛大臣や財務大臣に指示されたことにはっきり現れていたと思います。国会の議論や防衛省からの要求で、大増額が決まったのではないのです。バイデン大統領も認めているように、大統領との話し合いで決まったのです。
 また、さまざまな問題が指摘されているコロナワクチンの購入に、日本はいったいどれほどのお金を費やしたのでしょうか。

 さらに、下記のような差別も、いろいろなところでくり返されてきたと思います。
 主権国家としてあり得ないことだと思います。

 最近、ヤフーニュースが、
「猛毒の泡消火剤」PFASを浴びた「米軍基地で働く消防隊員たち」が怒りの告発!「なぜ日本人だけ検査を受けられないのか」《防衛省の驚きの回答》
 と題する記事を掲載しました。

 在日米軍は、PFASを含む泡消火剤については
「16年以降、訓練では使用していない」とし、'23年6月までに、横田基地と嘉手納基地をのぞくすべての基地で交換を完了した”
 と発表しているようですが、問題は
ただ、いま使っていないからといって、安心はできない。PFASは分解されにくく蓄積されやすいため、なかなか消えないからだ。「永遠の化学物質」と呼ばれる。
 ということにあるといいます。
 そして、冒頭の消防隊員は、
”PFASの危険性が指摘されるようになって以降は『1滴でもこぼすな』と厳しく言われるようになりましたが、かつてはいい加減でした。泡消火剤を交換したりする作業は、私たち日本人が素手で行っていましたから
 と語り、多くの消防隊員が、泡消火剤まみれになって働いていたことがある、と証言しているのです。
 この数年、PFASによるとみられる環境汚染が報道され、体への影響が心配になって血液検査を求めているということです。PFASは腎臓がん、精巣がん、潰瘍性大腸炎などのリスクを高めるとされるだけに、血液中にPFASがどれくらい蓄積しているかを現時点で調べておきたいというのです。

 だから、基地従業員でつくる「全駐留軍労働組合」(全駐労)は、防衛省との団体交渉で、日本人消防隊員の血液検査を求めたということです。
 でも、防衛省で基地を担当する地方協力局の労務管理課が、
消防庁や航空自衛隊にも確認したところ、消防隊員が定められた手順・規則に従って機材などを扱えば、消火剤等が体内に取り込まれることはないと理解している。また米軍でも、安全対策を考慮した手順・規則に則って活動することになっている、と説明を受けている
 と答え、応じなかったといいます。
 しかし、”その説明は実情とかけ離れたものだ”、と現場の消防隊員は具体的に証言しているのです。
 そして、 ”いったい、どれほどのPFASを体内に取り込んだのか。想像もつかないからこそ調べてほしい”と求めたというのです。

 全駐労は、防衛省との団交で、米兵との二重基準についても詰め寄ったといいます。
三沢基地では、PFASによる健康への不安を抱いた消防隊員が基地内の診療所で血液検査を求めたが、「日本人は受けられない」と断られた。嘉手納基地の消防隊員は「同じように泡消火剤を扱っていた米軍人は軍病院で血液検査を受けている。なぜ私たちは受けられないのか」と漏らした。”
 とあります。
 こうした声に、防衛省は
 ”米軍の血液検査はデータ収集・サンプリングのためのもので、健康上の問題を特定したりするためのものではない。また、受けるかどうかは任意だとの説明を米側から受けている

 と説明したといいます。
 そして、結局、防衛省は'22年12月、血液検査は時期尚早との意向を伝えたというのですが、ほんとうは、それが事実に反する言い訳だったことが、後に判明します。下記のようにあります。

 ”しかし、その5ヵ月前、727日付で出された米国防総省マニュアルを読むと、消防隊員である兵士への血液検査は、アメリカの国防政策の方針を定めた国防権限法('20)に基づいて行われる、と記されている。

 PFASの中でも代表的なPFOSPFOAPFHxSなど6種類について定期検診の一環として調べ、健康への影響の評価は定まっていないとしながらも、「PFASファクト・シート」とともに結果は本人に伝えられる。なお、血液検査を受けないことも選べるが、その場合は署名した書類の提出が求められる。

 だから、全駐労の紺谷智弘・中央執行委員長
同じ作業をしていて日本人だけ血液検査が受けられないというのは納得できない。引き続き防衛省に働きかけていきたい
 と話したというのですが、この防衛省の担当者は、日本の自民党政権と同じように、完全にアメリカの方針に基づいて働いていると言えるように思います。主権国家の公務員とはいえないと思うのです。
  またヤフーニュースは、米軍基地などで発生したPFASが、水道水の水源を汚染していることも取り上げ、
『「女労働者7人の2人の子供に奇形」「6つの大きな疾患に関連」…東京・多摩地区で検出された《有機フッ素化合物・PFAS》の「ヤバすぎる実態」と「汚染の真相」【日本全国《PFAS》汚染マップ】』では、PFASの危険性と、検出された場所について詳報している。”
 とつけ加えています。

  アメリカに仕える「下僕」になり下がった自民党政権だから、先日、上川外相がわざわざイスラエルまで行って、”ハマスの攻撃はテロ”などと語り、戦争犯罪が指摘されているのに、”イスラエル国民との連帯”の意を伝えたのだと思います。アメリカの”お使い外交”を象徴しているように思います。

 ハマスは、インティファーダが始まったとき、ムスリム同胞団闘争組織として設立されたのであり、「ハマス」はイスラエルの不当な支配に抵抗する組織としてスタートしたのです。ハマスは、不当な支配を逃れて「自由」を手にするために命がけで独立を目指している組織である、という側面を見落としてはならないと思います。
 法を犯すような逸脱行為があったとしても、執拗にイスラエルに抵抗するハマスの思いは、受け止める必要があると思います。
 だから、「1日4時間の戦闘休止」などでなく、「即時停戦」を求めるべきだと思います。

 また、イスラエルの主張する「ハマス壊滅」などありえないと思います。それは「パレスチナ人皆殺し」という主張と変わらないように思います。現に、イスラエルの人たちの中に、そういう主張をする人がいるといいます。恐ろしいことです。だから、「即時停戦」しかないと思います。何度もくり返してきた悲劇を、再びくり返すようなことをしてはならないと思うのです。
 
 下記は、『「和平合意」とパレスチナ イスラエルとの共存は可能か』土井敏邦(朝日戦勝537)の「Ⅳ 闘争の論理」から、「ハマスの歩み」を抜萃しました。
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                     Ⅳ 闘争の論理

                      ハマスの歩み

 ハマスとは何か
 「イスラム抵抗運動」というアラビア語の頭文字を取った「ハマス」という組織は、インティファーダが発生した直後の1987年12月、「ムスリム同胞団の闘争部隊」として登場した。ガザ地区で出された12月9日付の最初の声明の中で、ハマスは自らをこう説明している。
一、ハマスはムスリム同胞団の闘争部隊である。
二、シオニストの敵に対して、暴力にはいっそうの暴力で対抗することを示威する。
三、イスラムこそがパレスチナ問題の実際的な解決策である。
四、空虚な平和的解決や国際会議を追い求めて、エネルギーと時間を無駄にすることを拒絶する。
五、敵との闘争は、パレスチナ人民の目標達成までの、信仰・存在・声明(生命?)の闘争である。
六、当面のいくつかの目標──被拘置者の釈放、彼らに対する虐殺の停止、入植の拒絶、国外追放または移動禁止の政策の拒絶 占領と市民に対する暴虐の拒絶、悪徳と堕落を(イスラエルが)広めることを拒絶。不当な重税の拒絶」(小杉泰「現在パレスチナにおけるイスラム運動」『現代の中東』NO17、アジア経済研究所)
 また、88年8月に出された「ハマス憲章」は、ハマスの目標を「虚偽を失墜させ、真理を優越せしめ、郷土を回復し、モスクの上からイスラム国家の樹立を宣言する呼びかけをなさしめ、人びとと物事のすべてを正しい位置に戻すこと」(九条)とし、さらに「パレスチナの地の一部でも放棄することは、宗教の放棄の一部である。またハマスの愛国主義はその信仰の一部をなす」(13条)として、ハマスが現在のイスラエルを含むパレスチナ全土の解放をめざすことを明言している(小杉・前掲)。

 ムスリム同胞団
 ハマスの母体である。「ムスリム同胞団」(以下、「同胞団」)とは、1928年にイスラムの大衆運動としてエジプトで誕生した組織である。40年代にはエジプト国内最大の政治集団となったが、ナセル政権時代に大弾圧を受け壊滅状態となった。復活をとげたのは、67年の第三次中東戦争でのエジプトの大敗、さらに70年のナセル大統領の死以降である。
 かつてエジプト統治下にあったガザ地区でも45年にこの同胞団の支部が誕生した。だが、イスラエルによる占領後、同胞団は住民の支持を広げることができなかった。社会のイスラム化を最優先させ、宗教教育や福祉活動を主な活動とした同胞団は、共産主義勢力をも含む世俗的なPLOとも敵対した。  
 一方イスラエル側もPLOの勢力を切り崩す手段として、同胞団のモスクや宗教学校への資金援助などによって、同胞団の活動を積極的に支援してきた。86年には、当時ガザ地区軍政府長官であったイスラエル軍のセゲブ将軍が「我われはモスクを通してイスラム組織に資金援助をしてきた。それはPLOを支持する左派勢力に対抗する勢力を作り出すためである」と発言している(ヒシャーム・アハマド『ハマス』、参照)。このような動きが「同胞団はイスラエルを利している」という批判を呼ぶことになった。80年代半ばの調査によれば、同胞団への住民の支持率は10%程度に過ぎなかったといわれる。

 闘争の開始
 しかし、この同胞団もインティファーダが始まると、その闘争組織として「ハマス」を設立した。パレスチナ問題という政治課題と取り組むためには、より一般的なイスラム復興を目指す同胞団とは違う独自の組織が必要とされたためである。
 しかしイスラエル側は、インティファーダの初期の段階では、まだハマスの実態や目的がつかめず、外国から占領地内のPLOへの資金の流入を阻止することに全力をあげる一方、ハマスへの資金の流れをあえて遮断しようとはしなかった。つまりイスラエル当局は間接的にハマスを助けていたのである(アハマド・前掲、参照)
 ハマスはその憲章の中で、「敵がイスラム教徒の土地を占領すれば、あらゆるイスラム教徒にとってジハード(聖戦)は義務」(15条)であり、また「イスラム抵抗運動の視点からは、ナショナリズムは宗教信仰の一部」であり、「ジハードこそがこのナショナリズムの最高の発揚である」(12条)と、民衆に「ジハード」を強く呼びかけている。ただハマスの言うこの「ジハード」は、単なる武装闘争だけを意味するのではなく、学者や教育者、ジャーナリストなどを動員して、教育を変革し、西洋の思想的な攻撃の影響を払拭することや、イスラム教徒に「パレスチナ問題は宗教問題である」との認識を植え付けることなどを含めた「イスラムのために敵と戦うための行為すべて」を意味していると解釈される(小杉・前掲、参照)。

 豊富な資金源
 イスラム抵抗運動の豊富な資金源はどこなのか──ハマス指導者ザハール教授にこの質問をぶつけると、「我われにはザカート(喜捨)と呼ばれるイスラムの資金がある。イスラム教徒は収入の2.5%をイスラム運動体に寄付します。外国政府など公的な組織からではなく、個人からの援助です。集められたこの金が貧しい人びとに配られるのです」という説明が返ってきた。しかし外国から莫大な援助資金援助を受けていることは、既に周知の事実である。
 サウジアラビアがかつてPLOに援助していた資金が湾岸戦争後、ハマスに回されているといわれる。サウジはハマスの母体であるムスリム同胞団に以前から援助を与え続けてきた。その既成ルートがサウジのハマス援助を容易にしている。
 イランとハマスの関係についても、さまざまな情報が飛び交っている。エジプトの未確認情報によれば、イランは国内で3000人のハマス活動家を軍事訓練する一方、3000万ドルの資金援助を与え、テヘランにハマスの事務所を開くことを承認したといわれる。
 またハマスはヨルダンの政府から援助を受けている。ハマスがガザ地区や西岸におけるヨルダンの影響力の維持に貢献していること、またヨルダン国内において無視できない政治勢力であるムスリム同胞団との良い関係を維持するためにハマス援助が有効だという判断がある。ヨルダンは何百万ディナー(1ディナーは、1.6ドル)という金額を毎年占領地のイスラムのワクフ(宗教寄進財)の財団やザカート委員会に援助を続けている。
 さらにスーダンもハマス支援に熱心で。自国内でのハマス活動家の訓練を認め、首都ハルツームのムスリム同胞団からハマスへの資金援助も認可している。
 このようなアラブ諸国のハマス支援の背景には、アラブ各国の指導者の指示どうりに動かないPLOの勢力を弱めるためにハマスの力を借りたいという計算があるという見方もある(アハマド・前掲書、参照)。

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ユダヤ人の極悪非道とパレスチナ人のインティファーダ

2023年11月10日 | 国際・政治

 イスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスの奇襲攻撃を受けて、「血まみれの怪物を根絶やしにする準備できている」と語り、大規模地上侵攻に踏み切りました。そして、「勝利まで戦う」ということで、「反撃を中止することはない」などと主張しています。
 また、バイデン米大統領も、ハマスによるイスラエル奇襲攻撃を「悪の所業だ」と非難するとともに、イスラエルには、「攻撃に対抗する権利がある」と述べて、イスラエル支持を表明、軍事支援を約束しました。
 その流れは、ウクライナ戦争とよく似ていると思います。
 ウクライナ戦争でも、イスラエル・パレスチナ戦争でも、アメリカやイスラエルやウクライナは、自らが受けた攻撃の悲劇的な状況ばかりを取り上げ、戦争が始まる前の自らの悪業は隠しています。そして、突如不当な攻撃を受けたかのように装い、極悪・非道な相手組織や相手国に反撃するのは当然の権利であるとして、見境のない武力行使を正当化しています。話し合おうとはしていないのです。

 でも、「イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる」立山良司(中公新書941)から抜粋した下記の文章を読めば、ハマスの奇襲攻撃は、逸脱している面があるとは言え、イスラエルの不当な支配に対する抵抗であり、独立戦争の側面があることがわかると思います。
 イスラエルは圧倒的な軍事力を背景に、パレスチナでやりたい放題の不当な支配を続けてきたのです。
 それは、イスラエルの政治家や軍人の発言でも察することができると思います。
 くり返し取り上げていますが、イスラエルの立法府、クネセトの元議員・モシェ・フェイグリン氏は、アルジャリーラのインタビューで、この問題の唯一の解決は、ガザの完全な破壊であり、ドレスデンや広島のように破壊することだと主張したのです。
 フェイグリン氏は、”核兵器を使わずに”とつけ加えましたが、イスラエルの閣僚、エルサレム問題・遺産相のエリヤフ氏は、パレスチナ自治区ガザに対して、原爆を使うことも「一つの選択肢」と述べたといいます。
 また、イスラエルの政治家や軍関係者からは、”ガザ市民すべてを潜在的なハマス・ハマス支持者とみなし、丸ごと攻撃対象とみなすような発言が、次々と飛び出している”との報道もありました。
 ハマス掃討のためであれば、市民に大規模な被害をもたらす病院や学校や難民キャンプの爆撃も許されるという考えなのだろうと思います。現在のガザ空爆や地上侵攻による攻撃は、その考え方で進んでいることを示していると思います。

 先日、国連のグテーレス事務総長が「ハマスによる攻撃が理由もなく起きたわけではないと認識することもまた重要です。パレスチナの人々は56年間にわたり、息の詰まるような占領下におかれています。彼らは自分たちの土地が入植によって食い荒らされるのを目の当たりにし、暴力に苦しめられてきました」と述べましたが、下記の抜粋文が、その発言が事実に基づくものであることを示していると思います。

 でも、この発言に対し、イスラエルのコーヘン外相は「恥を知れ」などと語り、エルダン国連大使も「事務総長は辞任しなければならない」などと言ったのです。そして、国連職員への査証(ビザ)発行を停止するというのですから驚きます。話し合って、理解を得ようとはしないのです。だから私には、イスラエルの政治家が、イスラエル国民を代表しているとは思えません。
 ハマスではなく、むしろイスラエルの政治家が、人心を失った「血まみれの怪物」のように思えます。

 先日、上川外相がイスラエルのテルアビブでコーヘン外相と会談し、ハマスなどによる残虐な殺りくやテロ攻撃を断固として非難するとともに、”イスラエル国民との連帯の意を表明した”との報道がありました。私は、イスラエルと連帯などしてはいけないと思いました。
 また、8日、東京で開催された主要7カ国(G7)外相会合で、”イスラム組織ハマスとイスラエルとの軍事衝突によるパレスチナ自治区ガザ地区の人道状況の悪化を受け、戦闘の「人道的休止」を支持する共同声明をまとめた”との報道がありました。私は、大事なことは「即時停戦」であり、「人道的休止」などではないと思います。
 「人道的休止」などというのは、イスラエルやアメリカの戦略が支持を失うことを恐れて、少しばかり国際世論に寄り添い、ごまかそうとするものだろうと思います。

 下記は、「イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる」立山良司(中公新書941)の「第四章。緊張のイスラエル占領地」から、「インティファーダの嵐」と、「長期化した占領」を抜萃しました。
 イスラエル・パレスチナ戦争を客観的にとらえるためには、こうした戦争前のことが書かれている著書を読むことも大事ではないかと思います。
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                   第四章。緊張のイスラエル占領地

 インティファーダの嵐
 直線道路の1キロほど先、ジャバリア難民キャンプ入り口付近の路上に積み上げられた古タイヤから、もうもうと黒煙が上がっている。100人以上の群衆がこちらを見守っているようだ。青地に白の大きな国連旗を付けた車がこちらの先頭にいるから、まちがっても投石されることはないだろう。地区のUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)職員と相談の結果、そのまま先へ進んだ。
 キャンプ入り口に近づくと、気勢を上げていた若者や子供たちが「わっ」と我々の車を取り囲んだ。指でVサインを作り、「PLO万歳」「パレスチナ万歳」と口々に叫んでいる。なかには両手に投石用の石を握りしめている男の子もいる。電線にはパレスチナの旗がいくつもいくつも引っかかっていた。その向こうにイスラエル軍の監視塔が遠望できる。塔の上から我々の動きを見守っているに違いない。路上に築かれた古自転車やブロックのバリケードをどかしてもらい、やっとキャンプ内に入った。

 キャンプ内のUNRWA診療所では10歳ぐらいの男の子が唇を切られ血を流していた。今しがたイスラエル兵に顔を棍棒で殴られたという。背中も殴られたため、いくつもみみず腫れができていた。 
 1987年12月、ここガザのジャバリア・キャンプの住人が乗った車二台とイスラエル軍の大型トレーラーが正面衝突。トレーラーを運転していたイスラエル兵は無事だったが、パレスチナ人の方は4人が即死した。4人はいずれも占領地ガザからイスラエルへ日雇い労働者として仕事へ行き、その帰りに事故にあったのだ。キャンプでの葬式に集まった家族、親戚や友人たちの胸にはやり場のない怒りや疑問が湧き上がってきたに違いない。なぜイスラエル軍やユダヤ人入植者は我が物顔に振るまい俺たちの土地や水を取っていくのだ。なぜ俺たちはこの狭いキャンプで40年近くも閉じ込められるようにして暮らさなければならないんだ。なぜ俺たちは日雇い労働者としてイスラエルへ働きに行く以外に仕事がないんだ。なぜ俺達は何の権利もないままイスラエルの占領下に置かれていなければならないのだ。
 葬式はイスラエル占領に反対する抗議集会と化した。イスラエル軍が鎮圧に乗り出した。投石、発泡、外出禁止令。アラビア語で「インティファーダ」と呼ばれる大衆蜂起の始まりだった。インティファーダは、まずガザ地区の他の難民キャンプや市町村に広がった。さらにすぐ、同じイスラエル占領地のヨルダン川西岸へも飛び火した。
 インティファーダが始まってからすでに2年近く、ほとんど毎日のように占領地内の町や村、難民キャンプのどこかで民衆とイスラエル軍が衝突し、死者や負傷者が出ている。東エルサレムの商店街をはじめ、各地でゼレストが絶え間なく打たれている。イスラエル当局は力でインティファーダを抑えつけようとしているが、いっこうに衰える気配を見せていない。
 インティファーダは、反占領地パレスチナ住民の意識を確実に変えた。以前は反イスラエル・デモに参加する子供を親は必死に止めた。今、街頭に出て行く子供を親は止めることはできない。むしろ中・高年の女性まで街頭に出て、イスラエル軍に石を投げたり、棍棒で殴られたりしながらもイスラエル兵士にくってかかったりしている。
 インティファーダ前、「政治」の話はタブーだった。いつどこでイスラエル秘密警察のスパイが聞ているかもしれないからだ。しかし、今や誰もが、パレスチナ国家、パレスチナ人の政治的権利を臆することなく口にする。
 黒、白、緑、赤四色からなるパレスチナの旗を掲げることはイスラエル占領当局によって厳重に禁じられている。この四色を使った画家が自宅拘禁の処分を受けた。パレスチナの旗が禁じられていることは今でも変わりない、しかし、インティファーダ以降、占領地のどこへ行ってもこの旗を見ることができる。
 大量の逮捕者や負傷者が毎日のように出ているため、各地に相互扶助のための「民衆委員会」が設置されている。逮捕などで働き手を失った家族に若干の経済的援助をしたり、長期にわたる外出禁止令が出された際に、食料を互いに融通しあったりする。また、時にはイスラエル当局への協力者の”摘発”も行われているようだ。
 イスラエル当局者はインティファーダを「ある種の戦争状態だ」と言った。パレスチナ住民からみても、やはり「ある種の戦争状態」だろう。手にしているものは石かたかだか火焔瓶だが、イスラエルに対する”独立戦争”だ。
 占領から20年、インティファーダの嵐はなぜこうも一気に爆発したのだろうか?
ーーー
                    長期化した占領

 あの人たちは私に聞く。あなたはどうしてこんな屈辱のなかで生き耐えていられるのでかって。どうして荷物をまとめ、よその土地へ出て行かないのかって。でも私はパレスチナの子供。よその土地では幸せになれない。パレスチナは故郷、私の夢と望みすべてを持っている。

 ヨルダン川西岸のアル・ビラの幼稚園を訪れたとき、子供がアラビア語でこんな歌を歌ってくれた。「私たちはパレスチナの子供」という題で、子供たちは踊りながら歌ってくれた。
 ヨルダン川西岸は面積約5800平方キロメートル、ちょうど三重県一県ぐらいの広さである。他方ガザ地区はずっと小さく360平方キロメートル、東京都の面積の六分の一ぐらいしかない。西岸・ガザがイスラエルに占領されたのが1967年6月、以来20年以上にわたって、両地区のパレスチナ住民は被占領民としての生活を続けている。
 被占領民にとって「占領」とは、占領当局の権力が生活のあらゆる面に及んでくることを意味している。身分証明書(IDカード)の取得、自動車免許証の更新、学校での教科書の採用、新聞の検閲、家の新改築許可、農地の開梱、井戸の掘削、店の営業許可、占領地外へ旅行する際の許可…。日常生活の細かな点まで占領当局の権力は及んでいる。それは、占領地住民にとっては屈辱以外の何物でもない。
 イスラエル占領当局(実体は軍)は、反占領活動に対しては徹底的に厳しい措置をとる。軍のパトロールに子供が投石すると、親は多額の罰金を支払わなければならない。また、家族の一員がイスラエル側のいう「テロ行為」やPLOなどと関係していたとして逮捕されたりすると、その家族の住む家で全体がブルドーザーやダイナマイトで破壊される。また時には逮捕された子供の部屋だけがコンクリートブロックで閉鎖され、家族は使えないようにされる。家を破壊された家族たちは、そこに住むことも許されないため、親戚や知り合いの家にバラバラに分かれて住むしかない。

 行政拘禁、占領地からの追放、外出禁止令などの措置も頻繁にとられる。行政拘禁とは、具体的な「反占領行為」を行わなくても、その可能性があると占領当局がみなしたパレスチナ人を予防拘束的に裁判抜きで拘禁することである。期限は一応六か月となっているが、当局の考えで更新できるため、具体的な嫌疑の無いまま数年間も捕まったままになってしまう。
 占領地からの追放もイスラエルが占領直後から行っている措置であり、すでに約2000人が追放されたと言われている。追放者はイスラエルが影響力を持っている南レバノンまで連れていかれ、そのまま追放される。
 占領当局の行為は当然、占領地住民の人権保護を目的とした1949年の「戦時における文民の保護に関する条約(第四次ジュネーブ条約)」の制約を受ける。イスラエルが行っている行為の多くはジュネーブ条約違反と見られている。イスラエルはこのジュネーブ条約を1952年に批准したが、西岸・ガザへは同条約は適用されない、と主張している。しかし、イスラエルの同盟国米国も、ジュネーブ条約は被占領地住民の保護を目的とした条約であり、西岸・ガザ両地区にも当然適用されると反論している(米国務省法律顧問の見解)。

 1987年12月にインティファーダが始まって以来、イスラエルの力による政策はますますエスカレートしている。ゴム弾やプラスチック弾、さらには実弾の発射、催涙ガスの大量使用。長期にわたる外出禁止令、大学や学校、さらには幼稚園までの閉鎖、占領地からの追放、大量逮捕などなど。現在、西岸・ガザの病院はどこも野戦病院さながらだ。
 イスラエル政府当局者は、力の政策によってパレスチナ人の意識を抑えつけられると、いまだに信じているようだ。しかし、力の政策こそ西岸・ガザのパレスチナ人の民族意識をさらに高めてきた。長期化した占領の中で、先鋭化した民族意識が、次に述べるような経済的な閉塞状態と相まって臨界点を超えたのがインティファーダといえよう。

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ヘルツルの呼びかけとシオニズム運動とイスラエル軍のジェノサイド

2023年11月07日 | 国際・政治

 私は、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ウクライナ国民のために働く政治家ではなく、アメリカと結託した独裁者だと思っています。なぜなら、アメリカやNATO諸国のいろいろな挑発に対抗して、ロシアが実施に踏み切った「特別軍事作戦」を、即座に「侵略」と断定し、逸早くウクライナ単独で相手にできるはずのないロシアとの戦争に踏み切ったからです。
 また、国民総動員令に署名し、18歳から60歳の男性の出国を禁止して戦いを強いたからです。さらに、野党の活動を禁止し、野党の政治家を逮捕させたり、テレビ放送を一本化するなどの徹底した言論統制もしたからです。だから、ウクライナ国民の思いが、表に出てくることは、ほとんどなくなりました。特に、ドンバス地域やクリミアの人たちの思いを無視して、クリミアを取り戻すまで戦うなどとも主張しました。まさに、アメリカ好みの独裁的だと思います。

 同じように、イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエルの国民のために働く政治家ではないと思います。
パレスチナの人達と平和的に共存しようとはしておらず、戦争犯罪と言える残虐な空爆をくり返し、国際社会のあらゆる働きかけにまったく耳を貸そうとはしていないからです。イスラエルの一部ユダヤ人は、ホロコーストに苦しめられた自らの過去を、パレスチナ人に味わわせるかのようなかたちで、軍の残虐行為を支持し支えており、ナチ化しているように思います。
 事の始まりは、下記の抜粋文にあるように、世界に離散し迫害を受けてきたユダヤ人が、ヘルツルの呼びかけや、シオニズム運動の高まりを受けて、パレスチナの地に移住し、パレスチナ人を排除するようなかたちで、独立宣言したことであると思います。
 だから、イスラエル・パレスチナ戦争は、もともと何世代にもわたってパレスチナの地に住んでいたパレスチナ人の立場に立って考えることを忘れてはならないと思います。特に、ユダヤ人によって、ガザに閉じ込められたパレスチナ人は、日々、不自由な生活を強いられ、若者の半数近くは、経済活動が自由にできないために働きたくても働くところがない状況にあるといいます。パレスチナの人たちの3人に2人が貧困ライン以下で暮らし、国際社会の人道支援に頼って暮らしているのに、よそからパレスチナの地に入り込んできたユダヤ人が、何の不自由もなく贅沢な生活をしていることを、パレスチナの人たちは、何の疑問も抱かずに受け止めることができるでしょうか。不満を募らせて、パレスチナ人の若者が抵抗するたびに、イスラエルはそうした若者を殺してきたのではないでしょうか。ユダヤ人が、パレスチナ人を「天上のない監獄」に閉じ込め、人権を侵害するようなことをしなければ、パレスチナの若者がハマスを組織することはなかったし、ハマスが、ガザを実効支配することもなかったと思います。
 だから私は、ガザ地区を実効支配するハマスを「テロ組織」に指定して平然としている人は、実態が少しもわかっていないと思います。

 パレスチナの若者や、ハマスのメンバーが不満を爆発させ暴力的行為や攻撃に出るたびに、イスラエルは軍事力を行使してきました。
 特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)によると、イスラエル軍は、2008年、2009年、2012年、2014年、2021年に、逃げ場のないガザに大規模軍事侵攻を行ったといいます。2014年の軍事侵攻では、死者2,251人(うち70%が女性や子どもを含む民間人)、 負傷者約11,000人、全壊・半壊家屋18,000戸という大きな被害があったということです。また、2021年5月には11日間にわたって空爆が続き、民間人や子どもを含む約2,500人が死傷したということです。
 そして今回の大規模軍事侵攻では、すでに1万人を上回る死者が出ているといいます。
 国内法の刑法の正当防衛と同じように、国際的な紛争の自衛権行使についても、下記のような考え方が、一般的だということです
1 急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)
2 他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)
3 必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)
 この考え方で、イスラエルの軍事力行使が、自衛権の行使として認められるでしょうか。イスラエル側の死者は1400人と当初から変わっていませんが、パレスチナ側の死者は日々増えて、とうとう1万人を超えたと言われています。自衛権の行使を逸脱していることは、明らかではないかと思います。

 にもかかわらず、バイデン大統領は、先日、ロシアとハマスを並べて、「両者とも近隣の民主主義国家を完全に破壊しようとしている」などと指摘し、イスラエルの軍事力行使を正当化しているのです。歴史的経緯や実態を完全に無視した暴論だと思いました。

 以前、赤十字国際委員会(ICRC)が、ガザの若者を対象として実施したオンライン調査の結果、回答者の9割が、「自分たちの暮らしは異常だ」と考えており、4割が「今後15年の間に仕事に就ける見込みはない」と回答したといいます。そういう状況をつくりだしてきたのがイスラエルであり、それを追認してきたのがアメリカなので、平和共存を意図した「オスロ合意」も、事実上、雲散霧消の状態なのだと思います。
 言い換えれば、イスラエルを背後から支えているのがアメリカなので、国際社会も法や道義・道徳に基づいて対処することができないのだろうということです。

 下記は「イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる」立山良司(中公新書941)から「シオニズム運動の起こり」と「シオニズム運動とパレスチナ」を抜萃しました。イスラエル・パレスチナ戦争の歴史的背景を知ることができると思います。
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                  第一章 パレスチン問題の発生

 シオニズム運動の起こり
 1896年、ウィーンで百ページほどの小冊子が発行された。テオドール・ヘルツル著『ユダヤ人国家』である。
「この小冊子で私が論じているユダヤ人国家を再建しようとする考えは、決して新しいものではない」という書き出しで始まるこの小冊子の出版によって、近代シオニズム運動が始まったといえる。
 ヘルツルは1860年、当時のオーストリア・ハンガリー帝国内のブダペストで生まれ、ウィーンで法律を学んだ。19世紀後半の西ヨーロッパでは、依然としてユダヤ人に対する迫害は続いていたものの、それでもゲットーの壁は取り崩され、各地でユダヤ人の「解放」が進んでいるかに見えた。多くのユダヤ人が、宗教はあくまで個人の内的な問題であるとして、ドイツ人にあるいはフランス人になりきろうとする、いわゆる「同化」が進んでいた。それな時期に大学を卒業し、ジャーナリストとして活躍していたヘルツルの関心はユダヤ人問題だけでなく、幅広いものだった。
 そのヘルツルの関心がユダヤ人問題に絞られたのは、フランスでドレフュス事件を取材してからだった。1894年、特派員としてパリに駐在していたヘルツは、事件の経緯をつぶさに取材して報道した。作家エミール・ゾラの『私は弾劾する』で世界的に有名となったこの事件は、フランス軍砲兵大尉ドレフェスに対する軍機密漏洩疑惑事件である。ユダヤ人であったドレフェスが、彼にとって有利な証拠があったにもかかわらず軍法会議で有罪とされ、また当時のマスコミがこぞって反ユダヤ主義の論調を掲げたことに、ヘルツルは大きなショックを受けた。
 ユダヤ人の国が再建されない限り、真のユダヤ人の解放はありえない。ヨーロッパ各国にいかにユダヤ人が同化しても、結局は反ユダヤ主義によって迫害される。ドレフェス事件の取材を通じこう確信したヘルツルは『ユダヤ人国家』を執筆した。
 シオニズム運動の組織的な活動は、この小冊子の出版をきっかけとして始まった。しかし、ユダヤ民族主義運動としてのシオニズム運動はこれより以前、すでに19世紀後半以降、二つの大きな流れとして始まっていた。
 一つは、西ヨーロッパ各地のユダヤ人の間で盛んになっていた「同化」に反対する動きである。反対者は「同化」によってユダヤ人は民族としてのアイデンティティ失うばかりでなく、ユダヤ人がいくら「同化」しても反ユダヤ主義の根を断ち切ることはできないと主張し、ユダヤ人が民族としてのアイデンティティーを守り、真の解放を達成するには、ユダヤ人の国を作るしかないと訴えた。
 同化問題をめぐる西ヨーロッパの動きとは別に、ロシア帝国内では当時、新たな反ユダヤ主義の嵐が吹き荒れていた。ユダヤ人の村や集落が襲われ、多数のユダヤ人が虐殺された。ロシア語で「破壊」を意味するポグロムの嵐である。ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』で、ポグロムに怯えるユダヤ人の姿が再現されるのを見た人も多いだろう。
 反ユダヤ主義の嵐の中で、ロシアに住む多くのユダヤ人が米国へ移住したが、一部はパレスチナの土地に「新天地」を求めた。彼らはロスチャイルド家のようなユダヤ人大富豪の経済的援助を受けながら、細々とパレスチナへのユダヤ人入植を始めた。その一つ「ビール運動」は1882年の宣言で「我々の求めるものは、自分達の国の中に自分達の家庭を持つことである」と述べ、ユダヤ人同胞にパレスチナの地へ向かおうと呼びかけた。

 この頃、ロシアからパレスチナへ向かったユダヤ人の一人が「現代ヘブライ語の祖」と呼ばれるエリエゼルベンユフダである。ヘブライ語自体は聖書の言葉、祈祷の言葉としてユダヤ人の間に受け継がれていた。しかし、実際にユダヤ人の間で使われていた言葉は、各地の言語か、あるいは各地の言語とヘブライ語の中間言語であり、ヘブライ語は生きた言葉ではなかった。パレスチナに移住したベンユフダは、ヘブライ語を現代的な言語として体系づけ、パレスチナのユダヤ人社会の中で日常語として復活させた。言語の上でもユダヤ民族主義が芽生え始めたのである。
 ヘルツルの『ユダヤ人国家』はこうした時代背景の中で発表された。だが、ヘルツルの呼びかけに対するユダヤ人同胞の反応はきわめて冷たいものだった。同化ユダヤ人の間からは、「ユダヤ人国家再建」を声高に主張することは、折角進んできたユダヤ人の「解放」に水を差し、かえって反ユダヤ主義の風潮をあおることになると批判された。また、宗教的に熱心なユダヤ人達は、ユダヤ人がパレスチナの地を追われ、「ディアスポラ」の状態であるのは神の意思によるものである。ユダヤ人が自分達の力で国家を再建しようとすることは、神の意思に背く冒涜行為であると非難した。
 しかし、ヘルツルの行動は速かった。『ユダヤ人国家』出版からわずか一年半後の1897年8月には、スイスのバーゼルで第一回シオニスト会議が開かれた。この会議には、ヘルツル以前からユダヤ民族主義思想を表明していたユダヤ人や、パレスチナへのユダヤ人入植活動を行っていたグループの代表者らが参加した。会議ではシオニスト機構(後に「世界シオニスト機構」と改称された)の設置が決定され、シオニズムは、パレスチナの地に、ユダヤ民族のための、公的な法によって保証された郷土を創設することを目的とする」と述べ「バーゼル綱領」が採択された。パレスチナの地にユダヤ人の国を建設することを目標とした近代シオニズム運動が始まったのである。
ーーー
               シオニズム運動とパレスチナ
 バーゼル綱領は「パレスチナの地に母国を」と宣言していた。しかし、どこにユダヤ人の国を作るかについては、その後シオニズム運動内でも見解が別れ、一時はウガンダなども候補地にあげられた。だが、結局は再びパレスチナの地が運動の目標とされた。
 ここで、パレスチナの地とユダヤ人との結びつきを簡単に振り返っておこう。旧約聖書によれば、カナンの地と呼ばれるパレスチナに移ってきたアブラハムは、神ヤハウェ(エホバ)を唯一神として信仰すると誓い、神は「この地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで」と約束する。こうしてユダヤ人のあいだに「約束の地」の考えが生まれた。
 その後、ユダヤ人達は一時、エジプトにのがれたりしたが、ダビデ、ソロモン両王の時代(紀元前十世紀頃)にユダヤ人の王国は絶頂期を迎えた。しかし、地図の上から明らかなように、パレスチナの地はアジア、ヨーロッパ、アフリカ三大陸の結節点に位置している。このため、各地に次々と現れる王朝や帝国の侵略の波を避けることはできなかった。紀元前6世紀には、新バビロニアによって、一部のユダヤ人はバビロニアに連れていかれた。有名な「バビロンの捕囚」である。この時、囚われのユダヤ人がエルサレムを想って歌った詩が、旧約聖書詩篇第137編して次のように伝えられている。

 われらは バビロンの河のほとりに座り、シオンを思い出して涙を流した。われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。われらをとりこにした者が、われらにを歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。エルサレムよ、もしわたがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。もしわたしがあなたを思い出さないならば、もし私がエルサレムを 最高の喜びとしいないならば。わが舌をあごにつかせてください。

 シオンとはエルサレムの別名である。ダビデ王が建てたエルサレムの神殿は、バビロンの捕囚の際に破壊された。その後、再建された第二神殿も紀元70年、ローマ軍により破壊された。しかし、ユダヤ人はいつかメシア(救世主)があらわれ、ユダヤ人を救い、エルサレムに神殿を再建する、と信じ続けてきた。ユダヤ人達がディアスポラにありながらも、「来年こそエルサレムであいましょう」と交わす別れの挨拶には、彼らのエルサレムへの、さらに「約束の地」への思慕の念が込められている。

 この「約束の地」への思慕の念は、しかしあくまで宗教的な信条だった。巡礼者としてエルサレムへ行くユダヤ人は絶えることがなかったが、「ユダヤ人国家再建」という思想とは無関係であった。また。ユダヤ教徒とユダヤ民族が道義的に使われていたが、ここでいう「民族」と」、は民族自決権など近代の政治思想の文脈で述べられる「民族」を必ずしも意味しなかった。
 「シオンの地」へ帰還し、そこにユダヤ人国家を再建することを目標としたシオニズム運動は、ユダヤ人の存在、さらには「約束の地」とユダヤ人とのつながりを近代的な民族主義思想の衣で包み、政治運動へと発展させていった。

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ナチスのユダヤ人虐殺とユダヤ人のパレスチナ人虐殺

2023年11月04日 | 国際・政治

 10月7日、パレスチナ暫定自治区ガザのハマスが、イスラエルへの攻撃を開始しました。それを受けてアメリカは、すぐにハマスの攻撃をテロとして非難するとともに、イスラエルに対する軍事支援を発表しました。
 どこかでこうした軍事衝突が起きると、アメリカはいつも今回と同じように、仲間の国や組織を支援し、敵と見なす国や組織を潰そうとする方針をとってきました。法や道義・道徳をもとにして、仲裁することはしてこなかったと思います。
 バイデン大統領は「テロを正当化するいかなる理由もなく、すべての国がこのような残虐な行為に対し、団結しなければならない」と述べて、ハマスを非難し、団結を呼びかけました。でもその前に、イスラエルの不法行為や不法行為に抵抗するパレスチナ人に対する殺人行為を止めるべきであったと思います。確かに、残虐行為は許されませんが、ハマスが、双方に甚大な被害が出ることがわかっているのに、なぜ攻撃を決断したのか、その理由や経緯は無視されてはならないと思います。

 下記は、「イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる」立山良司(中公新書941)から抜粋しました。”和平への接点をさぐる”ために、考えなければならないことがわかると思います。
 特に、ダリア・ランダウというユダヤ人女性が、バシール・ヘイリというパレスチナ人男性に宛てた公開書簡は、一般のイスラエル人やパレスチナ人のレベルでは、停戦・和解が可能であることを示しており、示唆に富むものであると思います。

 考えるべきは、 
あなたの家は”所有権が放棄された財産”とみなされたのです。
 とか
ほとんどのイスラエル人は、パレスチナ人が爆弾を仕掛けたり、あるいは石を投げることでさえ、単に占領に反対する抵抗運動とはみなさず、むしろパレスチナの地にユダヤ人国家が存在することを拒否しようとするあなた方の深い意思と見ています。
 というイスラエル側の主張やとらえ方だと思います。私は、改められる必要があると思います。
 そうしないと、ヨーロッパ・キリスト教社会において、ユダヤ人が迫害され続けてきた歴史をくり返すことになるのではないかと思うのです。

 現在、世界中で、イスラエルの無差別な空爆を非難する声が徐々に広まっているように思います。   
 旧約聖書に、イスラエルは神がユダヤ人に与えた「約束の地」であるというようなことが記されているからといって、パレスチナ人が幾世代も住み続けてきたパレスチナの地を、パレスチナ人の了解なく、残虐な方法でイスラエルの地にしようとすることは、許されないからだと思います。

 イスラエル軍が、ガザの病院や難民キャンプを連日空爆し、がれきの下から次々に遺体が見つかっているといいます。また、死傷者の多くが女性や子どもである、と現地の報道機関が伝えています。
 今日も、ヤフーニュースが、ロイター発として、”イスラム組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザの保健省は3日、ガザ市内の病院から出発する救急車の車列がイスラエル軍の攻撃を受けたと発表した。”とのニュースを伝えており、そのニュースに関連して、三牧聖子・同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科准教授が、
「ハマスが使用」といえば、どんな施設へのどんな攻撃も正当化されると考えているのだろうか。ハマス側が「市民を盾にしている」ことは「ハマスを打倒するために市民もろとも攻撃していい」ということでは決してないが、イスラエル当局の頭の中では区別されていないようだ。
 と述べたことも伝えています。また、
さらに、米NYT紙によれば、イスラエル政府関係者は米政府関係者と非公式の会話の中で、米国の広島・長崎への原爆投下に言及し、ハマス掃討のためであれば、市民に大規模な被害をもたらす攻撃も許容されると述べたという。これ以外にも、イスラエルの政治家や軍関係者からは、ガザ市民すべてを潜在的なハマス・ハマス支持者とみなし、丸ごと攻撃対象とみなすような発言が次々と飛び出している。軍事的な合理性のためなら、人道をいくら踏み躙ってもよいという考えは、2度の世界大戦を経て、戦争の悲惨さを緩和させるために人類が発展させてきた国際法や文明の流れに、完全に逆らうものだ。”    
 とありました。
 先日取り上げた、イスラエルの立法府、クネセトの元議員である、モシェ・フェイグリン氏がアルジャリーラのインタビューで語ったという
Moshe Feiglin, Israeli politician and former Knesset member, said in an interview with Aljazeera that the only solution is the “complete destruction of Gaza, before invading it… Destruction like Dresden and Hiroshima, without a nuclear weapon.”
 も、同じような主張だと思います。
 イスラエルは、パレスチナ人を恐怖に陥れ、難民として逃亡させる方針で、残虐行為をくり返しているように思います。
 だから私は、モシェ・フェイグリン氏ネタニヤフ首相などが所属するイスラエルの政党リクードは、テロ組織のような気がします。
 現在くり返されているイスラエルの空爆は、ナチス・ドイツのホロコーストにも似た戦争犯罪であり、ふたたびユダヤ人に対する憎しみを拡大させ、差別や迫害を招くおそれさえある行為だ、と私は思うのです。

 上川外相がそんなイスラエルを訪れ、コーヘン外相と会談したとの報道がありました。でも、一番大事な空爆を直ちにやめるようにという話はしなかったようで、”ハマスの攻撃はテロ”とし、”イスラエル国民との連帯”の意を伝えたと報道されました。ハマスの攻撃はテロであると非難するのに、イスラエル軍の病院や難民キャンプの空爆について何の非難もしないのは、どういうことかと思いました。
 ”会談の詳しい内容は明らかになっていませんが、両外相はイスラエルには国際法に基づき、自国や自国民を守る権利があるという認識を共有したものとみられます。”と報道されています。イスラエルにはあっても、ハマスには、自国や自国民を守る権利はない、ということを宣言しているように思えます。
 下記は、「イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる」立山良司(中公新書941)からプロローグのなかの「一通の手紙」と「せめぎ合う主張」を抜萃しました。
 政治家や軍人と違って、一般市民は、平和を望み、仲よくしたいのだということがわかるように思います。
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                           プロローグ
               
                                                     一通の手紙
 親愛なるバシールへ
 思いもしなかったような不思議なきっかけで、私たちが知り合いになってから、もう20年になります。今、私はあなたが追放されたそうだと聞きました。これがあなたへの私の最後の連絡になるかもしれません。だから私はこの手紙を公開書簡とすることにしました。最初に私たちの出会いから思い起こしてみましょう。
 六日戦争(1967年6月の第三次中東戦争)直後、あなたは他の2人の人と一緒にラムレのあなたの生家を見にやって来ましたね。これが私にとって初めてのパレスチナ人との出会いでした。あなたの家族がこの家から退去させられた直後の1948年以来、私と私の家族はずっとこの家に住んでいたのです。1948年当時、あなたは6歳、私は1歳でした。私たち一家は他の5万人のブルガリア系ユダヤ人と一緒に、誕生したばかりの国イスラエルに移民して来ました。あなたの家は”所有権が放棄された財産”とみなされたのです。
 あなたが最初に私たちを訪ねてきたあと、私はラマッラーのあなたの家に遊びに行きました。ラマッラーでは大歓迎を受け、私たちは何時間も話し、すっかり友達になりました。しかし、私たちの政治的な見方は完全に違っていました。私達はそれぞれが属する民族の苦しみが作り出したレンズをとうしてお互いを見ていたのです。
 でも、私の見方に幾分かの変化が生まれ始めました。忘れもしません。ある日、あなたのお父さんがあなたの兄弟といっしょに、私のラムレの家に訪ねて来られました。あの時、お父さんは既に歳をとっていらして、目が不自由でした。お父さんは家のごつごつした石にさわってました。それから「裏庭にはまだレモンの木がありますか」と聞かれました。私達はお父さんをたわわに実をつけたレモンの木の所へお連れしました。その木は何十年も前に、あなたのお父さんが植えられた木だったのです。お父さんは木をなでながら黙って立っていらっしゃいました。頬には涙が流れ落ちていました。
 何年もたって、あなたのお父さんが亡くなったあと、私はあなたのお母さんからこんな話を聞きました。お父さんは何か心配事があって眠れない夜はいつでも、もうすっかりしぼんでしまったレモンの実を手に握りしめて、アパートの中をゆっくり歩き回っていらしたと。そのレモンの実こそ、あなたのお父さんが私達の家に来られた時、私の父が差し上げたものだったのです。
 あなたに会って以来、この家は私達だけのものではない、という気持ちが私の心の中に芽生えてきました。こんなにも沢山の実を結び、私たちを喜ばせてくれたレモンの木は、他の人の心の中にも生き続けていたのです。
 バシール、あなたはハバシュ(パレスチナ解放人民戦線議長ジョージ・ハバシュのこと)を支持し、この地における私達の民族の自決権を否定しています。ほとんどのイスラエル人は、パレスチナ人が爆弾を仕掛けたり、あるいは石を投げることでさえ、単に占領に反対する抵抗運動とはみなさず、むしろパレスチナの地にユダヤ人国家が存在することを拒否しようとするあなた方の深い意思と見ています。
 私はパレスチナ人とイスラエル人の双方に、力の行使は基本的なレベルでは紛争を何も解決しないのだということを訴えたいのです。この紛争はどちらの側も勝つことのない戦争であり。どちらかの民族が民族解放を達成し、他方が民族解放を達成できない、という戦争ではありません。
 アッラー・マアク── 神があなたとともにありますように。

                                               せめぎ合う主張

 この手紙は、1988年1月、イスラエルの英字紙『エルサレムポスト』に掲載された、ダリア・ランダウというユダヤ人女性からバシール・ヘイリというパレスチナ人男性に宛てた公開書簡の一部である。
 手紙にあるように、ユダヤ人女性ダリア・ランダウは1948年、彼女が1歳のとき、ブルガリアから新生国家イスラエルに移住し、ラムレの家に住み始めた。その家こそ、1948年まで、この手紙の相手のパレスチナ人バシール・ヘイリとその家族が住んでいた家だった。ラムレは、テルアビブとエルサレムの中ほどに位置し、もともとはパレスチナ人の町だった。1948年のイスラエル建国以来、イスラエル領内に組み込まれ、ユダヤ人の町となった。
 バシール・ヘイリとその一家は、イスラエル建国をめぐる第一次中東戦争の最中、ラムレの家を追われ難民となり、ヨルダン川西岸の町ラマッラーへ移り住んだ。1967年の第三次中東戦争でヨルダン川西岸がイスラエルの占領下に入ると、占領地住民はほぼ自由にイスラエル国内へいけるようになった。バシール・ヘイリも第三次中東戦争直後、今はダリア・ランダウが住む彼の生家を訪ねたのである。「思いもしなかったような不思議なきっかけ」で、二人は友人となった。しかし、手紙にあるように、バシール・ヘイリはイスラエルに対し「テロ活動」を行ったという理由で1988年1月、イスラエル占領地から南レバノンへ追放された。
 バシール・ヘイリへ宛てたダリア・ランダウの手紙は、我々に多くのことを考えさせる。
 ユダヤ人は過去2000年にわたりディアスポラ(離散状態)の中で生き続けてきた。ディアスポラのユダヤ人を支えたのはユダヤ教であり、パレスチナの地への思慕の念だった。ユダヤ人はパレスチナを「イスラエルの地」と呼ぶ。旧約聖書によれば、神がユダヤ人に与えた「約束の地」であった。ユダヤ人はヨーロッパ・キリスト教社会の中にあって際限のない迫害に苦しんだ。ユダヤ人に対する迫害が頂点に達したのが、ナチによるホロコーストだった。ナチはユダヤ人問題の「最終的解決」として、ユダヤ民族の物理的抹殺をはかったのである。

 迫害の歴史を生きてきたユダヤ人は近代いたり、他の民族と同じように民族主義の思想を学んだ。19世紀後半に開花したユダヤ民族主義は「イスラエルの地」にユダヤ人の国を再建しようとするシオニズム運動となり、1948年、イスラエル建国となって結実した。ナチによるホロコーストの灰儘の中から新たな民族の出発を願ったユダヤ人にとって、イスラエル建国は心底からの喜びだったに違いない。ブルガリアから移住してきたダリア・ランダウ一家もそんなユダヤ人だったのだろう。彼らにとってイスラエルは庇護と、政治的・社会的・経済的自由と権利を与えてくれる唯一のユダヤ人の国だった。

 以来40年、イスラエルはユダヤ人の国として発展してきた。米国などからの援助にかなり依存しているものの、経済的にも飛躍的な発展を遂げた。国内を見るかぎり、政治的な自由は保障され、社会保障も他に類を見ないほど充実している。
 だが、しかし、これまで述べてきたことは、歴史の一方の側面にしかすぎない。シオニズム運動がユダヤ国家建設を目指した「イスラエルの地」(パレスチナの地)は、決して無人の荒野ではなかった。過去何十世代にもわたりパレス人が連綿として生き続けてきた場所であり、彼らにとって唯一の故郷だった。シオニズム運動が活発化した頃と相前後して、パレスチナ人はアラブ民族主義運動を担い、アラブ民族の政治的独立を目指す運動を開始した。しかし、彼らの民族主義運動はシオニズム運動のゆえに特異な形態をとった。単にパレスチナの独立を目指すだけでなく、パレスチナの地の所有権の正当性をシオニズム運動と争わなければならなかったからである。

 イスラエル建国はパレスチナ人にとって大きな敗北だった。パレスチナ人は本来自分達がすべてを占めるべきだと考えていたパレスチナの地の半分以上を失った。何十万というパレスチナ人が故郷の町や村を追われ、難民となった。バシール・ヘイリ一家も1948年、ラムレから追わ難民となった。その生家には、全く面識のないユダヤ人一家が移り住んだのである。故郷を奪われたパレスチナ人の立場からすれば、イスラエル建国によってパレスチナ人はパレスチナの地に対する自分たちの正当な権利を奪われたのである。パレスチナ人の多くはパレスチナの地におけるユダヤ人国家の存在を否定した。
 ユダヤ人とパレスチナ人の主張はいずれも、パレスチナの地(イスラエルの地)への歴史的、民族的、さらには宗教的結び付きに基づいている。ユダヤ人は旧約聖書に原則的な根拠を求め、ホロコーストを頂点とする迫害体験を自らの主張の基本的な契機としている。一方、パレスチナ人は過去何十世代にもわたりパレスチナの地に生き続けてきた歴史的事実に、自らの主張の正当性を求めてきた。さらにパレスチナ人から見れば、ホロコーストに代表されるユダヤ人への迫害はヨーロッパ・キリスト教社会における出来事であり、ユダヤ人に同情はしてもパレスチナの将来とは無関係であった。

 パレスチナ人の否定にもかかわらず、イスラエルの存在は確固としたものとなってきた。1967年以降は、東エルサレムを含むヨルダン川西岸とガザ地区を占領下に置いた。軍事的にもイスラエルは圧倒的に強い立場にある。それでもなおイスラエルは強い苛立ちを抱いている。ダリア・ランダウが述べているように、40年にたった今でもなお、自分たちの国がパレスチナ人によって認められていないという苛立ちである。この苛立ちは増幅されたセキュリティの意識と結びついて、パレスチナ人やアラブ全体に対する根強い不信感や恐怖心となっている。

 他方。パレスチナ人にとって、イスラエルは少年ダビデの前に立ちはだかる巨人ゴリアテ以上の存在である。イスラエルは近代的な装備を持ち、圧倒的な力によってパレスチナ人を抑圧し、その存在すら否定しようとしている。だからゴリアテに対抗しなければならない。対抗しない限り、いつか故郷のパレスチナの地へ帰り、パレスチナ人の独立国を建設しようとする自分たちの民族の目標、「パレスチナの大義」は永久に達成されない、とパレスチナ人は確信している。
 パレスチナをめぐる双方の主張はせめぎ合ったまま、平行線をたどり続けてきた。
ーーー
 ・・・
 1987年12月、イスラエルの占領下にある西岸とガザでは、アラビア語で「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ住民による大衆蜂起が始まった。西岸・ガザの町や村、難民キャンプでは毎日のようにパレスチナ住民とイスラエル軍とが衝突し、死傷者が出ている。20年以上にわたりイスラエルの占領下に置かれ、政治的、社会的な権利を奪われてきたパレスチナ住民の意識がついに臨界点に達し、ほとんど無防備のまま、重装備したイスラエル軍に立ち向かい始めたのがインティファーダである。 

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イスラエルの「ガザ」無差別爆撃とユダヤ人差別

2023年11月01日 | 国際・政治

  イスラエルが過去に、”パレスチナ人に恐怖状態のパニックをおこさせ、逃亡させる”方針をとって、村民254人を虐殺した事実があることを、「パレスチナ合意  背景、そしてこれから」」芝生瑞和(岩波ブックレットNO.322)が、明らかにしていました。そして、その虐殺を実行したユダヤ人武装組織イルグンの指導者が、後のイスラエル首相ベギンであったことも明らかにしていました。

 私は、ネタニヤフ首相の「ハマスを根絶する」という発言や、エルダン国連大使のグテレス事務総長に対する辞任要求コーヘン外相の「(グテレス氏は)恥を知れ」との発言、そして、現在のガザの無差別爆撃地上侵攻などを考え合わせると、イスラエルが過去の村民虐殺事件と同じように、”パレスチナ人に恐怖状態のパニックをおこさせ、逃亡させる” という方針をとっているのではないかと考えざるを得ません。
 もともとパレスチナ人が住んでいたところに、イギリスの二枚舌外交バルフォア宣言)がきっかけとなって、多数のユダヤ人が移住し、移住したユダヤ人が、パレスチナ人の土地や家を奪って、分離壁でガザに閉じ込めた上、さらに、現在、そのガザからもパレスチナ人を”逃亡”させ、追放しようとしているように思えるのです。
 先日、イスラエルの国連大使は、国連職員へのビザ発給を停止したと明らかにしましたが、一切批判を許さないその姿勢は、あまりに独善的であり、恐ろしい考え方だと思います。そうした恐ろしい考え方をするから、ユダヤ人に、いろいろな問題が起きることになるのではないかと思います。

 先日、イスラエルの立法府、クネセトの元議員である、モシェ・フェイグリン氏は、中東のメディア、アルジャリーラのインタビューで、下記のように、この問題の唯一の解決は、ガザの完全な破壊(complete destruction of Gaza)であると言っています。核兵器なしで、ドレスデンや広島のように破壊すること(Destruction like Dresden and Hiroshima, without a nuclear weapon )だと言っているのです(https://twitter.com/i/status/1717574138200572310)。
 彼が、現在イスラエルでどれほどの影響力を持っている人なのかは知りませんが、彼が所属していたリクード - 国民自由運動( Likud – National Liberal Movement)は、村民虐殺を実行したメナヘム・ベギンが結党した政党です。オスロ合意を無視したり、ヨルダン川西岸地区で分離壁の建設を進めたアリエル・シャロン首相もリクードの人でした。そして、現在のネタニヤフ首相もリクードの所属なので、イスラエルのパレスチナ無差別爆撃や地上侵攻は、モシェ・フェイグリン氏のような考え方で進められているように思います。ネタニヤフ首相は、「停戦はしない」とはっきり言っています。「停戦はイスラエルの降伏を意味する」などとも言っているのです。
Moshe Feiglin, Israeli politician and former Knesset member, said in an interview with Aljazeera that the only solution is the “complete destruction of Gaza, before invading it… Destruction like Dresden and Hiroshima, without a nuclear weapon.

 私は、ガザの悲惨な報道に接するたびに、シェイクスピアの「ベニスの商人」の話を思い出します。ユダヤ人高利貸しのシャイロックが、若き法学者ポーシャに、見事に貸した金の見返り取得の道を閉ざされ、逆に殺人未遂罪にとわれるという裁判の話です。長くユダヤ人が「嫌われ者」であったから、この話が、多くの人たちに受け入れられてきたのだろうと思うのです。

 そして、そうしたユダヤ人に対する評価に関して、「パレスチナ合意  背景、そしてこれから」」(岩波ブックレットNO.322)の著者・ 芝生瑞和氏も、下記のようなことを書いています。
 
  芝生氏によると、ユダヤ人差別は20世紀にはじまったのではないといいます。中世ヨーロッパでユダヤ人はマイノリティとして差別され、災害がユダヤ人のせいにされ、異端裁判で火あぶりにされたりもしたと言います。帝政ロシアのもとでもユダヤ人のポグロム(大量虐殺)が起ったということです

 特に、問題とすべきは、下記のような記述です。
第一次世界大戦後。経済不況と社会不安の中で、ドイツの体制のみならず「西洋の没落」の危機感をあおるドイツのウルトラナショナリズムがナチスという怪物を作り出した。その排外主義の対象となり、ドイツ民族の団結の象徴として異端者のユダヤ人は虐殺されたのだ。資本主義の頽廃も共産主義の脅威もユダヤ人のせいにされた。歴史家アイザック・ドイッチャーはいう「金持ちのユダヤ人の商人と高利貸のイメージは非ユダヤ人のフォークロア(伝説)のなかに生きつづけ、一般人のこころのなかに深くきざまれて、不信と恐れをかきたてるものだった。ナチスはこのイメージをつかまえ、それを途方もなく巨大な規模に拡大し、大衆の目の前に絶え間なくつきつけ、ぶらさげてみせたのである」

 シェイクスピアの「ベニスの商人」の話と、ナチス・ドイツがユダヤ人虐殺に至る歴史、イスラエル要人の批判を受けつけない攻撃的な発言やガザ爆撃・地上侵攻の事実は、深く関連している問題に思えるのです。
 イスラエルの政治家や軍人は、差別され、迫害されてきた歴史の影響で、「”故国防衛戦争”と”領土拡大”が強迫観念となった狂信的なユダヤ人至上主義」に陥っているのではないかと思います。

 だから、アメリカのように、イスラエルの空爆や地上侵攻を自衛権の行使などといって支援していては、差別や迫害、憎しみの連鎖を断ち切ることは不可能だと思います。イスラエル支援をやめ、強く停戦を働きかけるべきだと思います。

 下記は、「パレスチナ合意  背景、そしてこれから」」芝生瑞和(岩波ブックレットNO.322)から「イスラエルに振り回されるアメリカ」と「アラブ・ナショナリズムの高まり」を抜萃しました。
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                  イスラエルに振り回されるアメリカ

 イスラエルの”独立”を米国はただちに承認した。イギリスがユダヤ人のパレスチナ移住を制限するようになってからシオニストはパトロンをアメリカにのりかえていた。
 1947年の国連分割協議は賛成33カ国、反対13カ国、棄権10カ国で可決されたが、それは背後でアメリカが活発な各国への働きかけを展開したためだった。そして莫大な援助資金がアメリカから流れこんだ。それは政府援助だけではなかった。多くのユダヤ人が第二次大戦に至る過程で、ナチスの迫害を恐れてアメリカに亡命していた。その豊富な資金がドッと流入した。アメリカではユダヤ人はいうまでもなくマイノリティーだが、そのユダヤ人口は600万人。イスラエルよりも大きく、世界で最大のユダヤ人口を擁している。ユダヤ人は米国議会に対して強力なロビー活動を続けてきた。その中心になっているのはAIPAC(American Israeli Public Affairs Committee)アメリカイスラエル公益事業委員会)だ。AIPACは、イスラエルに不利な投票をした上・下両院の議員をつぎの選挙では落選させるという実績をそれから作り続けてきた。イスラエルへのユダヤ人の個人的献金には優税措置がなされていた。アメリカなしだったら、イスラエルは、とても今日まで維持できたかどうか疑わしい。「イスラエルはアメリカという犬の尻尾だ。しかし尻尾が犬を振り回している」ともいわれた。国際社会から見て非常識なイスラエルの行為に国連総会などで非難決議がなされると、それに反対するのがイスラエルと米国の二国だけというようなことが続くことになる。
 
 ソ連はどうだったか。ソ連また国連分割決議に賛成した。イスラエルの”建国”宣言の数日後にはイスラエルを承認した。それがパレスチナ人の民族自決権を支持し、東欧ブロックをひきいてPLOへの資金と政治援助によって強力なバックアップ体制を整えるのは、のちのことだ。東西冷戦構造の枠組みのなかで、それは中東においてアメリカに対抗するためだった。やがてソ連の崩壊と東欧ブロックの解消はPLOにもイスラエルにも方向転換を強いるのだが──。

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                   アラブ・ナショナリズムの高まり

 パレスチネに無定見なユダヤ人移住を許したのは、第一次大戦でユダヤ人の経済的支援を得たい大英帝国の無責任な「バルフォア宣言」だったが、第二次大戦後にイスラエルの”建国”を可能にしたのは、ホロコーストをつくり出してしまった欧米諸国の罪悪感とユダヤ人への同情心だったろう。しかし、そのために100万人のパレスチナ・アラブ難民がさ迷うことになる。
 パレスチナ人やアラブ諸国にしてみれば、ヨーロッパでユダヤ人に対して起こされた罪の償いをさせられているとんでもない尻拭いだ。”西欧の二重基準”だと怒ることになるだろう。パレスチナ人のなかにはユダヤ人が欧州でなめた苦しみを知っている人は少ない。
 おりからアジア・アフリカ諸国では、かつての植民地支配体制から脱却して自立しようという民衆の願いがうずまいていた。

 エジプトの王制を倒した青年将校の革命とナセル政権の登場は、アラブ民衆の想像力をとらえた。スエズ運河の国有化は、第三世界の”資源ナショナリズム”のはしりだ。民衆は熱狂した。英仏資本とフランス人技師レセップスによってスエズ運河はつくられたとされるが、重要な労働力はエジプト民衆によって担われ、掘削にあたって何万人もの死者が出ていた。

 スエズ運河国有化に直面し、既得権益を守ろうとする英仏はエジプトへの侵略戦争をおこなう。そして英仏が攻撃を開始する数日前にイスラエルは英仏の了解のもとにエジプトを攻撃した。
「アジアにおけるヨーロッパの防壁の一翼を担い、野蛮に対する文明の前哨を形づるだろう」と近代シオニズムの創始者ヘルツルが『ユダヤ人国家』のなかで述べたことが、現実とになって、アラブ民衆の前にたちはだかった。
 英・仏・イスラエルへの国際世論の非難はごうごうたるものだった。まだ中東に権益を持たないアメリカもこれを非難し、国連安保理は英仏の拒否権行使で機能がマヒしたが、緊急国連総会が停戦を決議した。このとき、いま問題になっているPKO(国連の平和維持活動)が初めておこわれた。10カ国からなる6000人余りのUNEF(国連緊急軍)が、スエズ運河地帯でエジプト軍と英仏軍の撤退を見守り、シナイ半島でもイスラエル軍の撤退を監視したのである。

 このスエズ戦争(第二次中東戦争、1956年)はイスラエルとアラブ諸国の対立を深めた。ナセル大統領は「イスラエルを海の向こうにたたき込め」と公言してはばからなかった。イスラエルを打倒して、パレスチナ人の民族自決権を実現することが「アラブの大義」になった。
 敵対するアラブの海にとり囲まれたイスラエルの孤立は、イスラエルのユダヤ人にとって心理的圧迫感となった。ホロコーストの記憶がよみがえる。”故国防衛戦争”と”領土拡大”が強迫観念となって狂信的なユダヤ人至上主義が信条になる。中東における対立は決定的なものになった。それはさらなる戦火を呼ぶことになる。
 ユダヤ人がローマ帝国によってエルサレムから締め出されたのは紀元一世紀のことだ。欧州でユダヤ人は少数者として疎外されていたとはいえ、彼らはやはり十数世紀にわたってヨーロッパ人だった。中東諸国に来ていたユダヤ人もそれぞれの国のアイデンティティーを持ち、少数者として生活してきた。その彼らがパレスチナに結集し、国を作るというのは、中世のヨーロッパ人が聖地エルサレムにキリスト王国を作ろうとした十字軍の思想に近い。違いは、ユダヤ人がヨーロッパで迫害されていた人びとだということだ。近代シオニズムは「十字軍」の色彩を持った。そしてそれは、アラブ・ナショナリズムと真っ向からぶつかった。

コメント (2)
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