「判断」することはそんなに難しい行為ではない。
問題は「判断」するにあたって、その条件となりうる、正しい情報がいかに沢山集められているのか、ということによる。
例えば
・何故放射能におかされた汚水を垂れ流しても大丈夫なのか?
・何故、原発稼働反対の気運が高まらないのか?
・メガソーラーこそが自然破壊なのではないのか?
・津波対策として高い防波堤は本当に必要だったのか?
・100年後に求められる電気とはどういう電気か?
・水素社会実現に向けて何故日本は舵を切れないのか?
様々な疑問が世には溢れている。
もう思考停止して「今だけが住みやすければ良い」と考える人も多い。
「人間は日々退化している」という人もいる。
何が正しいかどうかわからなくなる時がある、しかし俯瞰してみると、また
100年先からバックキャスティグしてみると、結構正しい方向は見えてくる
そんなに人間の考えていることは大したことではない。
・安く上げよう・楽をしよう・手間を惜しもう・近道を選ぼう・自分だけよければよい等々
そういう考え方が正しい「判断」を妨げる。
自分を他者化して、自分が何ができるか、何からできるか、まずは初めてみる。
そんなことが「判断」するにあたっての条件のひとつになりそうだ。