百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

資源循環

2010-01-08 21:48:14 | 循環
県内の水産加工業者さんと連動して、魚のアラを酵素分解し魚粉末化、それを私たちの農業資材として用いるようになって、今年の夏で丸5年になる。
導入当初は様々な問題点が発生したが、何とか皆さんの協力を得て円滑に運用されるようになった。
ありがたいことだ。
何でも言うことは簡単だが、やることは難しい、やること以上に継続することは更に難易度が高くなる。多くの資源が無駄になっている現状(食糧廃棄物は年間500万t~900万tともいわれている―2007年)ではあるが、抜本的な解決法を説くものはいない。食糧廃棄物の内容自身に問題がないわけではなく、現場的にはその仕分け方法にも問題が生じる、基本的な考え方(食を大切にする、旬を味わう、足るを知る)がない現代社会では根本的なモノの見方・考え方を改めない限り、次のステージは期待できない。

許しには力がある

2010-01-03 21:42:49 | 循環
今日から龍馬伝が始まりました。久しぶりにNHKの大河ドラマをみることにしようと思っています。
第一話で、龍馬は母親から「憎しみでは何もかわらない」ことを身をもって教わります。
そういえば憎しみや怒り、憤りといった感情を抱くと体内バランスが著しく崩れ、憎しみや恨みが人を変えるという話を聞いたことがあります。
今回の話から、『憎しみ』を『許し』、『自分自身を解放する』ことを教訓としたいと思います。
※写真は年末の琵琶湖です。

自然共生型社会

2009-12-05 23:02:21 | 循環
未来型の社会のあり方を考えてみると
おそらく『先端技術型社会』と『自然共生型社会』に大別されるのだろう。
その中で私たちは何を求めて社会を形成していくのか
『ゆとり
分散型
地産地消
もったいない
文化・社会的価値の創造』を key word に未来の社会を考えてみたい。

尾鷲

2009-11-19 21:24:33 | 循環
海と山のまち、尾鷲を訪れた。
紀伊半島も南端に近く、比較的暖かいのかと思っていたが、今日はさすがに寒かった。
魚と檜のまちで有名な尾鷲だが、今は魚をつくり育てる漁業+檜を活用する林業に取り組んでおられる。
今回、尾鷲を訪れた目的は、魚のアラの活用方法の提案だが、実際お伺いすると一企業の課題ではなく、まち全体の有機性廃棄物の有効活用方法と地域活性化策の提案が同時に出来ればもっともみなさんに喜んでいただけることがよく理解できた。
海と山を繋ぎ、あらたな地域のブランドをつくりだす、そんな地域活性化を次回には提案したい!!

サテイシュ・クマールさんの講演会

2009-11-11 23:50:11 | 循環
サテイシュの講演会は、みなさんのお陰様でなんともエネルギッシュで、なんともあたかかく、なんともほのぼのと自然に迎えることができ、そして終えることが出来ました!! ありがとうございました。
サテイシュは貨幣や技術を決して否定しているのではなく、それらに振り回されている人類に危惧を覚えているのであり、我々はみんなが巡礼者になれると説きます。
地球上に降り注ぐありあまる太陽の光に満足せず石炭や石油を掘り尽くそうとする人類の傲慢さ、大企業といえども植物の種の持つ再生するメカニズムの神秘性を決してもちえない無力さ、地球温暖化にみられる環境問題の本質的な課題(個々に持つ欲望)等々を真摯に受け止め、今まさに、私達ひとり一人から何かを感じ始めてみよう、変革はまずは個々から、誰もがガンジーやキング牧師になれるといいます。そのためにはまずは自らが自らの殻を破ること、そして自らが歩みだすことだが大切、そしてそのアプローチの方法は個々の思いのまま、決しヒナ型がある訳ではない、そして、また決して結果が大切なのではなく、そのプロセスが重要なのだと彼はやさしくそして力強く説きます。
眼から鱗が落ちるように、ごく普通のことをごく普通に考えてみると政治家や企業経営者、官僚や弁護士が世の中を決定するのではなく、世の中はみんなが、一人ひとりがどう関与するかによって変わってくるのです。どういう意思を持ち、どう歩みだすか、そういうことが大事なのだと考えてみると、霧がはれ、心の中に妙にすーっと道がみえてくるのです。
本当に良い機会を与えていただいた皆様に感謝
サティシュ・クマールさんに感謝
このご縁に深く感謝
合掌

君あり、故に我あり

2009-10-31 20:28:45 | 循環
「我思う、故に我あり」とデカルトは言った。
西洋文明の理論の枠組みは、このデカルトの二元論(主体と客体、精神と物質、心と体)が根幹にある。この二元論は、「分離する哲学」といわれるように、自己は他者から独立して存在するという幻想を我々に与え、自我は他者とは無関係に自身の意思で行動することが可能であり、すべては自我を中心に据えている点に特徴を持つ。
逆に、仏教では『因縁生起(相互依存の現象)』といい、全ては繋がっている、「存在することは、相互依存することである」と説く。つまり、「君あり、故に我あり(あなたが存在する、故に私は存在する)」であり、地球の賜物によって養われ、太陽が私に暖を与え、水が私の渇きを癒し、私は空気を呼吸する。これらの元素が存在する、故に私は存在する。とサティシュ・クマールは『君あり、故に我あり』(講談社学術文庫)で説く。
単純に考えても、それらは物の見方であり、分離してみるか、繋げてみるかのアプローチの違いである。しかし、大切なことは、分離したことで強者と弱者を生み出し、終わりのない競争社会を作り出し、我々は途方もない不安な時代を生きる破目に陥っている事実であり、これを回避するためには考え方を根本的に転換し、それに基づいて行動する準備をし、対立と調和の間に均衡を目指し、全体性の獲得に努めることが必要な時代を迎えているのではないだろうか。

仏の教え

2009-10-30 22:09:27 | 循環
あなたが握りしめている紙切れには雲が浮いている。雲なしでは、雨は降らない。雨なしでは、木は育たない。木がなくては紙を作ることはできない。雲は、紙の存在には不可欠なのだ。もし雲がなければ、この紙もまた存在することはない。だから、雲と紙は「ともにある」。
この紙をもっと深く見ていくと、そこに太陽の光を見つけることができる。もし太陽の光がなければ、森は育たない。事実、何も育つことはない。わたしたちといえども、太陽の光なしに成長できないのだ。だから、太陽の光もこの紙切れの中にあることを知る。紙と太陽の光は「ともにある」。
もっと、紙を見続けてみよう。すると、そこに木を伐採し、それを紙に変えるために粉砕器に持ち込んだ木樵が見えてくる。そして小麦も。木樵は、毎日のパンを食べなければ存在できない。ゆえに、木樵のパンになった小麦もこの紙きれに入っている。そして、木樵のお父さんとお母さんもその中に入っている。
さらに、深く見てみよう。この中には、わたしたちも入っている。なぜなら、紙を見ているとき、紙はわたしたちの知覚の一部だからだ。
すべてのものが、この紙の中に入っている。時、空間、地球、雨、土壌の中の鉱物、太陽の光、雲、皮、熱。すべてのものが、この紙きれの中にともに存在している。「あること」は「ともにあること」。あなたは、一人では存在することさえできない。あなたは、他のどんなものとも「ともにある」。紙切れは、ゆえに、他のどんなものである。紙切れは、こんなにも薄いものだが、その中に宇宙を宿しているのだ。
「仏の教え ビーイング・ピース ―ほほえみが人を生かす―」ティク・ナット・ハン 中公文庫 より



堆肥

2009-10-29 23:03:43 | 循環
堆肥とは、本来有機資材の中でもほぼ未分解の有機物残渣を含んでいないものを指すのですが、コンポスト (compost) とも含めて堆肥と表現される場合も多く、堆肥の意味合いが大変曖昧になっているのが現状です。
そもそも肥糧法上、堆肥は「堆積または攪拌して腐熟させたもの」としか定義されておらず、発酵熱は何度以上で、かつ何時間(期間の長さ)経過したものと明確に記されていないことに問題があるように思われます。
土壌に対する堆肥の役割は、腐植質の供給と土壌状態の改善につきます。腐植質を入れることで土の団粒構造を作り出し、アンモニアやカリウム、カルシウムの陽イオンを保持力を強め、微生物の増殖は菌の偏りを阻害するのです。
しかし近代農業は、未熟堆肥を供給する場合が多く、本来施用する際には、減肥することが望ましいのです。特に、カリやリン酸が蓄積する可能性があります。また堆肥の多量施用は、ガス障害や濃度障害などを引き起こすおそれがあり、かつ環境に負荷を与えるといわれています。しかし、あまりその点が強調されていないため、窒素過剰に陥りがちで、化成肥料と未熟堆肥の組合せは、決して良い土づくりにはならないように思えます。


バラ栽培

2009-10-27 20:58:42 | 循環
和歌山の山本さんは、このバラの栽培で農林水産大臣賞を受賞されました。
(本当の受賞作は大輪スタンダード「スイートアバランチェ+」なのですが・・・)
実は、昨年12月23日の天皇誕生日を間近に控えた12月19日に天皇陛下へ献上、他には農林水産大臣、副大臣、総理大臣、NHK会長他に贈呈され、雑誌、TVでこの希少な品種のバラ「スイートアバランチェ+」は一躍脚光を浴びたのでした。
しかし、本来もっと注目を浴びるべきなのは、彼の栽培技術なのです。資源循環型の低コスト栽培、花は美しいだけではなく、花持ちが違うのです。花にもカルシウムを如何に効かせ、炭素中心の堆肥の活用で微量要素をうまく施し、表層マルチの技術を使いこなすことによって、植物本来の“力”を充分に引き出されているのです。
野菜も果樹も花卉もすべて栽培方法の基本的な考え方は同一なようです。

雨奇晴好

2009-10-25 19:43:46 | 循環
『雨も嬉し、晴も好し』
今日は第三回“住まいの小学校”の勉強会に参加させて頂いた。
鈴木有(たもつ)先生の伝統工法に学ぶ暮らしのありかたについてのお話をお伺いし、その後少しの時間ではあったが、意見交換させて頂いた。
先生曰く「住まいが変わり、暮らしが変わり、暮らしがかわると考え方がかわる」なるほど!でもやはり根本的な“気づき”は日々の暮らしの中にあり、その“気づき”を感じる『力』を如何に身につけるかが大切になるのだろう。
※写真は宋の詩人・蘇東坡の詩の一節