日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
陸の孤島から救い出せ②
陸の孤島から助け出せ②
143回
南相馬の避難所に避難住民を救出するバスが来たのはその日(17日)の夕方のことだ。民主党や関係者に対する俺の督促が功を奏したのか、夏井らの直談判が奏功したのかは分からんが、福島第一原発の事故と同じように、政府の対応がトロいことだけは間違いないわ。
この間に福島県いわき市も「屋内退避」の風評被害で救援物資が届いていないという情報が入ったんで、18日、今度はトラック部隊をいわき市に向かわせた。
バナナやミカンといった果物や、タオルやトイレットペーパーなどの生活必需品それに被災地ではどこも燃料が不足してて、避難所のストーブに入れる灯油もないという有り様だったから、ドラム缶4本分の灯油を4トントラックに積んでいわき市内の避難所に派遣したんだ。
避難所になっていた中学校(いわき市立江名中学校)ではトラックから灯油が降ろされた瞬間、歓声が上がったそうだよ。
20日もトラック部隊はいわき市に入った。今度は10トントラック1台と4トントラック2台でな。10トントラックには水、4トントラックにはそれぞれコメやインスタントラーメンを積んで、いわき市内の避難所になっている体育館や中学校を回った。
「ただ物資を搬入する」と一言で云っても、10トン分の水をトラックから降ろすとなると、これが半端でなくキツイ作業になる。
現場に行ってる(「G-RISE日本」の)メンバーは運転手合わせても十数人だ。おまけに皆、連日の救援物資の運搬で流石に疲労が溜まっていて、受け取る避難住民たちはそれ以上に心身ともに疲れきってるわけだ。
それで俺が、昔からの知り合いの地元の顔役に「ちょっと若い衆手伝いに出してくれねえか」って頼んだら、元気なアンちゃんたちを20人もよこしてくれたよ。
いわきの避難所を回り終えた後、残りの物資は北茨城の市役所に搬入して、とりあえず緊急の救援活動は終わりにした。そのころには少ないながらも、政府や行政からの救援物資が避難所に届くようになり始めたし、それまで被災地入りできなかった一般のボランティアの救援活動も,この後本格化するだろうと思ったからな。
(この国の政府に苦労させられる日本人)へ続く。
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