小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第15回中山道ウォーク(妻籠宿~馬籠宿~落合宿~中津川宿)第3日目(10月4日 晴)

2021-10-24 | 街道歩き

最終日もお天気に恵まれ、思ったより足の疲れも残らずに、7:45宿をスタートしました。

8:00大妻籠の一里塚
塚のあとはなくなっていましたが、江戸日本橋から81里目で庚申塚の石碑が建っていました

古い民家や民宿の集落大妻籠

山の中に見事な石畳が続きます。山道には熊ベルも設置されていました。


8:20 男滝・女滝
少し中山道から渓流を下りたところに男滝、わずかに男滝より水量の少ない女滝がありました

滝つぼの近くまで行くことができるので、一汗かいた後の顔にかかるミストがとても気持ちいいです
ここは吉川英治「宮本武蔵」の舞台にもなっているのだとか

深い山の中、細い山道を登っていきます

当時、木曽谷の人々は尾張藩の厳しい山林規制に苦しめられ、木曽五木の伐採禁止木の出荷統制が行われ
「ヒノキ一本首ひとつ」と過酷なもののようだったとありました



9:20 一石栃立場茶屋跡(牧野家住宅)
当時は7件ほど茶屋があったということです
現在では「牧野家住宅」だけが残り、住宅の中も見学ができるようになっていました。


9:40馬籠峠
峠の上は県道7号中津川線の車道にでます。茶屋は廃屋となっているようでした。

長野県からやっと岐阜県にはいりました。

10:15十返舎一九の碑
「渋皮のむけし女は見えねども栗のこわめしここの名物」
この地の茶屋は古くから栗こわめしを名物としていたようです。(私も馬籠宿に着いたら栗おこわを食べよう)

10:25水車塚 石置き屋根の水車小屋

10:45 陣馬坂
石畳の急坂を下り、階段を上る旧道に入ると展望のきいた馬籠上陣馬跡につきます
眺望も効き、恵那山も見えました。(多分左あの辺り)


10:50 馬籠の宿場
この宿場も観光地として整備され、細い傾斜地の街道沿いには土産物店など軒を連ねていました

11:20 「大黒屋」
「大黒屋」十代目当主が40年間書き続けた「大黒屋日記」が島崎藤村「夜明け前」の原点になっているそうです
現在は大黒屋茶房として民芸品と茶房の風情あるお店でした

私たちはここで、私は待望の栗おこわを夫がとろろそばを食べました

11:50 馬籠宿の町並み
斜面に石垣を築いて造られています
石畳以外はやはり明治の大火で焼失し、現在は復元された町並み




12:00 諏訪神社
馬籠宿を過ぎると観光客も途絶え、のどかな田園風景に変わります
村の鎮守諏訪神社と民家の軒


12:15 正岡子規碑
明治22年正岡子規は郷里松山に向かうおり、木曽路を越えたときに詠んだのだそうです
ここは眼下に中津川を望み、信州サンセット百選の一つに選ばれています


12:25 新茶屋の一里塚
江戸日本橋より83里目、またここが信濃美濃の国境であったという標石が残されていました
木曽路の最終地であり、ここからは美濃路に入ります


12:50 十曲峠(じゅつきょくとうげ)
全長830メートルの石畳が続き、「落合宿2.0km」の標識に従い、苔むした石畳を下りていきます
昔は難所で知られた十曲峠も今では史跡として整備されています

馬籠宿のお土産屋で買った編み笠をいつの間にか背中に・・・やっぱり恥ずかしいらしい

13:20 落合宿入口
馬籠からの峠はすべて下りでしかも道はわかりにくく、京都方面からは登りの急坂でどんなに難儀したことかと思います
町の長さは390m、旅籠14軒の小さな宿場だったようです

秋葉山常夜灯と皇女和宮降嫁の際に休息した本陣

13:30 助け合い大釜

皇女和宮の大行列の際、温かいもてなしをこの釜で煮炊きをしたと案内板に描かれていました

門冠の松

善昌寺の宿並に突き出た「門冠の松」 枡形を左折する先に路上に大きく張り出した松の木がありました。

この突き出た松を右手に見ながら中山道は左折して行きます
この先が「向坂」という急坂を登って国道に下りまた登ってと、入り組んだ道も
中山道には粉塵された石がちりばめられた舗装となって間違うことなくすすめることができました


14:10 与坂立場 子野の一里塚跡 
いったん旧道から国道のトンネルを潜り、中山道へと合流します
このあと住宅街の中をヘアピン状に曲がったとんでもない急坂「与坂」をしばらく登ります
息も続かず、何回か休みながら、やっと登り切ったあたりが「与坂立場」の茶屋跡がありました

急坂を登れば、当然今度は急坂を下りることになり、なんとアップダウンの多いことかとウンザリしました

中津川バイパスを潜り、番所跡から公園の片隅に芭蕉の句碑がありました
「山路来て 何やらゆかし すみれ草」

14:50 中津川宿入口
高札場・常夜灯・庚申塚


なんとか、この日もヘトヘトになって、それでも予定の1時間前のJR中津川発快速名古屋行き15:20に間に合い、名古屋を16:49の新幹線に乗って帰路に着きました。穏やかな晴天に恵まれて、無事3日間の行程を終えヤレヤレ、それにしても京都に近づいたとは言え、まだまだあるなぁーとため息も。(歩行距離:33,147歩)


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第15回中山道ウォーク(須原... | トップ | 季節は秋、気づかぬうちに »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
続く石畳 (Akiko.H)
2021-10-28 11:45:19
>kurakさん
中山道は、特に木曽のあたりは山の中!街道も石畳が多く、民家も当時に思いを馳せることができて
これが中山道を歩く醍醐味なんだと思います。
それにしても、昔の人は冬の寒さをどんな思いで忍んできたのでしょう。
>あやさん
私も出かけると疲れがなかなか取れないことがおおいです。私は歳のせいにしていますが。
中山道は特に木曽路は文学碑が多いと思いました。こんな山奥まで難儀なことだったと思いますが・・・。ちゃんと作品を残している、皇女和宮も籠に乗りながら歌を残していますね。
返信する
中山道ウォーク! (あや)
2021-10-27 14:51:44
連日の3万歩超え、お疲れ様でした!ホントすごいです。私はコロナ禍をいいことに自分を甘やかしていたようで、ちょっと出かけると思わぬ疲れを感じて、この頃焦っています・・。

 それにしても中山道は色々な文学作品を生み出しているんですね。それだけ魅力的な道だということでしょう。写真を拝見していてもとても楽しかったです。でも、とっても大変そうでもありました。

 写真で見るととても素敵な山の石畳も実際に歩くと大変そう・・。長い行程、これだけのアップダウンが続く大変な道のりですね。だからこそ途中に見ることが出来る風景はより素晴らしく感じられそうです。食べ物もそう。おこわもとろろそばもとっても魅力的に見えました。私はとろろそば派かなぁ。

まだまだ続く道のり。私はとっても楽しみです!今度はいつお出かけでしょう?それにしても、京都、遠いですね。
返信する
3日目 (kurak)
2021-10-26 15:07:17
今回も沢山の行程を朝早くから9時間近くを行かれたのですね。33000歩以上も歩かれて。
中山道の山道はアップダウンがあり大変ですが随所に石畳が敷かれ木漏れ日が気持ちいよさそう。熊ベルには緊張、男滝・女滝には癒されます。牧野住宅は冬の寒さは厳しいだろうなと思いました。馬籠峠からは岐阜県、神馬坂の眺望は素晴らしく、大黒屋の栗ご飯ととろろそばは食べてみたいです。諏訪神社の民家にある塩と煙草の看板は懐かしさを感じました。皇女和宮の本陣と助け合いの大釜は当時の人々の心情がわかるような気がしました。最後の芭蕉の句には何かしらホッとした気持ちになりました。3日間の記録、本当にお疲れさまでした。
返信する

コメントを投稿

街道歩き」カテゴリの最新記事