小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第18回 中山道ウォーク(赤坂宿~醒ヶ井宿) 2021年12月24,25日

2022-01-14 | 街道歩き

12月24日 朝、自宅を出てから、今回のスタート地点JR美濃赤坂駅(岐阜県)に下りたのが10:45、4時間を要するようになりました。
今回は3泊4日をかけて、旧東海道との合流点、滋賀県草津宿まで進める予定でした。ただ、25日あたりから、数年に一度の大寒波が襲来するとの天気予報に、天候によってはリタイアするつもりで出発しました。
でも、下り立ってみれば小春日和のような暖かさに、毛糸の帽子も手袋も外して歩きだしました。

11:00 赤坂宿の町並み

皇女和宮降嫁の際に街道が見苦しくては失礼だということで見栄えをよくするために
建て替えさせられたという町並みが整然と残っていました

11:15兜塚 昼飯大塚古墳

赤坂宿御使者場跡の石碑を登ったところに関ケ原の前哨戦で戦死した武将の鎧兜を埋葬した塚があり
いよいよ関ケ原など戦場跡が近づいてきた感じを受けました

また、この辺りは大塚古墳など古墳が多く点在して
この先にある「青墓」という地名は、古墳が多く大墓と呼ばれてこれが転じて呼ばれるようになりました

12:15 国分寺道標 青野一里塚跡
県道216号線を横断すると、広々と開けてきました。「国分寺道」と書かれた石碑は、天平の時代に聖武天皇の勅命によって全国に国分寺が造成されて、この美濃國にも美濃国分寺が建てられ現在は広大な歴史公園となっているようでした。


常夜灯前にある一里塚跡(江戸日本橋より百十一里目)

12:40 垂水宿入口
しばらくまっすぐな道を進むと美濃路追分道標があり、相川にかかる追分橋を渡ると、赤坂宿から美濃和紙発祥地である垂水宿に入っていきます。
相川は昔暴れ川と言われ大洪水のたびに流れが変わったので、人足渡しだったと案内板に書かれていました。


       今は川幅も狭く穏やかな川ですが        枡形に曲がっている垂水宿の江戸口        

13:00垂水宿の町並み
宿の中心である中町に旅籠、本陣跡、高札場跡などが残り、商家も多く、今でも古い建物が残っているという印象でした。
中ほどに南宮大社大鳥居があり、神社は鳥居から1.2キロメートル先に美濃国一之宮で重要文化財に指定されている立派な大社のようですが、残念ですが時間がなく鳥居は潜らずに通過しました。

13:30 垂井の一里塚(江戸日本橋より百十二里目)
国の史跡で南塚だけを残しています。関ケ原合戦の際に浅野幸長はこの一里塚あたりに布陣していたとか

野上の七つ井戸
 この辺りは「遊女の里」と呼ばれ、間の宿として栄えていました

14:00 松並木
野上地区に樹齢300年の松並木が残っていました。岐阜県内唯一残る松並木で町の天然記念物として指定されています。

14:45 関ケ原宿の町並み
垂水宿を過ぎて、国道21号線沿いに関ケ原町があり若宮八幡神社辺りが宿場の入り口になるようですが、現在の関ケ原町はほとんど当時の面影はなく、一里塚も不明、脇本陣跡も建物はなく、町には関ケ原合戦の遺跡があちこち残っているようでした。

15:00 西首塚
街道沿いには戦場のあとが色濃く残っていました

関ケ原合戦の戦死者数千名の首が祀られています  大友皇子を祀っている若宮八幡神社

山中村は関ケ原と今須宿の間の村として、立場としてに賑わっていたようです

            壬申の乱の流血で川底の岩石が黒く染まったという黒血川


年中鶯が鳴くという街道の名所のひとつ「鶯の谷」滝

15:45常盤地蔵
常盤御前は、鞍馬山から東国に向かった牛若丸を案じて後を追い山中の宿で土賊に殺され、この地に葬りました。義経は大軍を率いて上洛する際に、ここで母の冥福を祈ったと言われています。


常盤御前の墓と常盤地蔵

16:00今須峠
緩い上り坂の今須峠を越えます。厳冬期は積雪も多く難所と言われていました。


                    今須の一里塚(江戸日本橋より百十四里)

16:15 今須宿の町並み
関ケ原宿と今須宿間はほぼ1里 今までにない短い宿場間です。

銅板葺木造常夜灯と金毘羅大権現永大常夜灯


永楽通宝の軒丸瓦のある文永3年の問屋場跡と今須宿の町並み

牛車を引き返したと言われる旧道の痕跡  野ざらし紀行の芭蕉が詠んだ句碑
このあたりが美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)の國境

17:00 柏原宿入口
今須宿と柏原宿間も短く1里ほどでした。柏原宿の街道はJR柏原宿に近く、この日の行程を終えて柏原駅から2駅先の米原駅で降り、夕方6時には駅前のホテルに着くことができました。雨が降り出し、本降りになってきました。

20:00 翌日からの予定変更
暖かな一日で無事関ケ原を通過し、寒波はどこへとテレビをつけてみると、岐阜県、滋賀県などに大雪警報が出されていました。特に翌日の予定である彦根方面は大雪との予報に、あと3日続く行程を決行するのは無理と判断しました。すぐに翌日からのホテルの予約を取り消しました。(ホテル側も悪天候によるキャンセル料は無しの配慮がありました)
取りあえず、翌日は天気予報を見ながら午前中だけ先へ進めることにしました。

12月25日
朝起きたら昨夜の雨は止んでいましたが、どんよりと明らかに天候は下り坂でした。
取りあえず、午前中に柏原宿から醒ヶ井宿まで進んで米原に戻り、お昼の新幹線で帰る予定で米原のホテルを出発しました。

8:30 柏原宿の町並み


街道沿いには屋号などが今も残る古い町並みが続いていました

この辺りから赤いベンガラの色の家が目立ち始めます。

本陣跡 皇女和宮通行の際に建て替えられ、和宮の夫14代将軍徳川家茂も宿泊と書かれていました

                 常夜灯 高札場跡の常夜灯

8:40 伊吹堂
江戸時代に伊吹山から算出するよもぎを原料にしたもぐさが名物であったようです。亀屋の六代目松浦七兵衛は江戸に出て「伊吹もぐさ」の歌を遊女に宴席で歌わせて、その名を高めたと言われています。

8:50 柏原の一里塚 江戸日本橋から百十五里 柏原宿の外れに片方だけが保存されていました。


                人家の屋根にサルを発見

9:40 松並木 

並び松跡と呼ばれ、区間を定めて二十一ケ村が整備清掃に当たっていたようです。


                石がそのまま地蔵菩薩となる珍しいお地蔵さん

10:00 一色の一里塚跡(江戸日本橋より百十六里目) 街道沿いの民家に雪かきが用意され、松の雪吊りの庭も見かけました。この辺りは積雪も多いのでしょう

10:10 醒ヶ井宿入口

宿場は枡形道から左へ曲がるところから始まり、醒ヶ井宿の大きな石碑が建っていました。


10:20 地蔵川の清水
醒ヶ井宿は名水の里と言われ、清水が豊富で旅人の休憩地として賑わい、ところてんや素麵が名物だったそうです。現在も清らかな流れは観光地として、多くの人が訪れているようでした。

10:45 JR醒ヶ井駅
みぞれ混じりの雨が激しくなってきました。醒ヶ井駅から3駅先の米原駅まで戻り、雪になる前に新幹線で自宅に戻りました。
夕方にはテレビのニュースで彦根市が70センチの積雪を記録し、前の日に泊まった米原駅前から雪の情報が中継されていました。あっという間の積雪に雪国を知らない私はただただ驚きました。


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3 コメント

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ご無事で何より! (あや)
2022-01-17 15:22:39
やっぱり京都は遠いんですね。前回の場所に戻るまでにすでに4時間かかるんですか。行くだけで私など疲れてしまいそうです。
 それにしても大雪にあわずに良かったです。適切な判断は必要なんですね。テレビで見たあの風景が、このいいお天気の次の日とは・・・。雪国は怖いです。

 垂水宿あたりの風景は昔が思い起こされる街並みで、興味深く拝見しました。関ケ原は思っていた風景と、ちょっと違っていました。歴史話の多い関ケ原なので、私の中で勝手に思い描いていた感じでしょうか。ここが街道歩きの面白さでもあるんでしょうか。

 次回は桜の中山道でしょうか?楽しみにしています。オミクロン株、早く収まって欲しいです。
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見どころが沢山 (kurak)
2022-01-17 23:48:44
古戦場の関が原付近は歴史の見どころが沢山あり、通り過ぎるのが勿体ないほどの処なのですね。心なしか街道の建物が京都風に感じられます。もう少しで京都と云う処で天候の激変、早々に引き上げたのは賢明
だったと思います。街道が無くなる訳でもないし、コロナだって何時か終息すると思います、その時になればゆったりと旅ができると思います。その時を楽しみにしています。
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春が楽しみ! (Akiko.H)
2022-01-18 10:37:43
>あやさん
垂水宿場は、美濃和紙の発祥の地なのですね。美濃和紙はよく知っていても、
この地で誕生したことは訪れてみて初めて知りましたが
関ケ原と言えば、私の中では冬雪深く、荒涼とした感じでした。街は交通の便もよく、とても開けていました。

>kurakさん
関ケ原の街の観光はやはり古戦場でしか。観光協会には、古戦場巡りのコースがいくつか紹介されていました。機会があったら、ゆっくり古戦場跡を巡ってみたいと思いました。
紅いベンガラの住宅は、やはり京都に近くなってきたからでしょうか。
京都に近くなって、いよいよ見どころもいっぱい!暖かくなったら、ゆっくりと京都を目指したいと思います。
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