goo

キム・ミンギ、ヒョンギョンとヨンエ 「美しい人」

 
 
 
 
 
 2015年3月に放送された「開かれた音楽会」は、『美しい人』がテーマでしたので、ソン・チャンシクとヤン・ヒウンはラストに”美しい人”をデュエットしました。二人のハーモニーもさることながら、歌詞の美しさに感激しました。
 You Tubeには、ヤン・ヒウン、ソン・チャンシクとヤン・ヒウンの”美しい人”はUPされていないので、作者キム・ミンギの”美しい人”を載せることにしました。
 キム・ミンギは作曲家としても活躍。1974年にヒョンギョンとヨンエのアルバムに”美しい人”を提供しました。1975年にキム・ミンギのアルバムはすべて発売禁止になりました。民主化後「キム・ミンギ4集」が1993年に発売され、”美しい人”はその収録曲です。
 
   美しい人
 
 暗い雨降ってくると 軒下に一人の子供 泣きながら立っている
 その清い両目に 雨水がたまると 美しいその方は 人なのです
 
 激しい風吹いてくると 野原に一人の子供 駈けていく
 その熱い胸に 風を抱くと 美しいその方は 人なのです
 
 真っ白な雪降ってくると 山の上に一人の子供 すくっと立っている
 その美しい心に 歌が響くと 美しいその方は人なのです
 
 その方は美しい人なのです
 
 
 
 
 
 1974年に発売されたヒョンギョンとヨンエの唯一のアルバム『美しい人~わが友』。韓国音楽を超えた歌声です。本当に美しい!!
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ソン・チャンシク ”一度ぐらい””僕のギターの話””カナダラ”開かれた音楽会より

2,015年3月に日本で放送されたKBSTV「開かれた音楽会」は、旧正月特集ということで特別な企画でした。ソン・チャンシクとヤン・ヒウンの夢のようなジョイントコンサートは、歌っているヤン・ヒウンも感涙し、聴く者も胸にこみあげてくる感動で、素晴らしいコンサートでした。二人のデュエット”愛です””美しい人”の画像が、You Tubeにないのが残念でたまりません。
 ギタリストのハム・チュノが、ソン・チャンシクとヤン・ヒウンの曲をそれぞれ演奏し、番組は始まりました。
 ヤン・ヒウンは4曲、”愛そのわびしさについて(1991年)” ”40歳の時には(1995年)” ”あなたさえいてくれれば(2006年)” ”幸せの国へ(1972年)”を歌いました。
 ゲストのユリサンジャは、1969年のツインフォリオの3曲”祝祭の歌” ”白いハンカチ” ”ウエディングケーキ”をきれいなハーモニーで歌いました。
 司会のファン・スギョンはソン・チャンシクを、「道人が高笑いするように歌う歌手」と紹介し、ソン・チャンシクは”一度ぐらい(1974年)” ”僕のギターの話(1978年)””鳥は(1974年)” ”カナダラ(1980年)”を歌いました。画像は1曲目の”一度ぐらい”です。
 
   一度ぐらい
 
 一度ぐらい話しかけてくるだろう いつ頃だろう いつ頃だろう 
 震える声で声をかけてくるだろう
 時間はどんどん過ぎていくのに 家にたどりつくのに
 なぜこんなにためらうんだろう
 僕は待っているのに 振り向きたいけれど 手招きしたいけれど
 もう少しだけ もう少しだけ 待ってみよう
 一度ぐらい振り返るるだろう いつ頃だろう いつ頃だろう 
 怖気づいた表情で 後ろを振り返るだろう
 時間はどんどん過ぎていくのに 家にはたどりついたはずなのに
 なぜこんなに前だけ見て 僕をあせらせるんだ
 一度声をかけられれば 一度手をにぎられれば
 もう少しだけ もう少しだけ ゆっくり歩ければ
 
 
 
 

 

나의기타이야기 송창식 with 함춘호

나의 기타이야기 송창식 with 함춘호

youtube#video

 

 

この画像は2015年10月の「開かれた音楽会」からの画像です。”僕のギターの話”はKBSTV「不朽の名曲」で、3人組フォークグループ「自転車に乗った風景」がアレンジして披露していました。

 「不朽の名曲」に出演し”この曲は特別な曲”と言うソン・チャンシクは、”子供が生まれた記念に作った曲です。曲を作るときは比喩を用いて作るのですが、この曲だけはストレートにギターをテーマにしました。作詞作曲も私ではなく妻と子供の名前で発表しました”と話していました。
 
   僕のギターの話
 
   昔、昔 僕が住んだ小さな町内には  一年中青い丘があった
 そこには1本の桐の木と 一緒に遊んだ少女がいた
 桐の葉が落ちれば 手のひらと比べながら一緒に笑って
 僕の名前とその子の名前を互いにお互いに 木全体にきざんだものさ
 ディンドンデンディンドンデン 鳴りひびく僕のギターは 昔のラブストーリー
 青く美しかった過ぎた日の悲しい物語 ディンドンデンディンドンデン

 
 
 ひときわ空が明るい日 いつものように彼女の顔眺め
 彼女の名前を刻んだ桐の木で 彼女の姿を作ってみたくなった
 話すときは丸くなる口も作り 細く長い首も作り
 くびれた腰を作った時は 本当に本当とても嬉しかった
 ディンドンデンディンドンデン 鳴りひびく僕のギターは 昔のラブストーリー
 青く美しかった過ぎた日の悲しい物語 ディンドンデンディンドンデン

 可愛らしいその姿は作ったが 美しいその声はどこに入れよう
 風を一握り二握り三握り掴んで入れようか 小川の水音を入れようか
 僕の心に満ちた声のため 何人もの人が手を貸した
 叶えられない悔しさで 幾夜も泣きあかしたのさ
 ディンドンデンディンドンデン 鳴りひびく僕のギターは 昔のラブストーリー
 青く美しかった過ぎた日の悲しい物語 ディンドンデンディンドンデン

 
 ある日彼女の声が聞こえ起きてみると 僕が作った桐の木の少女の胸に
 きらめく天の川が流れていた 六筋も流れていたんだ
 桐の木の少女に心奪われて 可哀そうなあの子は忘れられていた間に
 
 一年中青い丘を去り 空の天の川になってしまった
 
 
 
 ディンドンデンディンドンデン 鳴りひびく僕のギターは 昔のラブストーリー
 青く美しかった過ぎた日の悲しい物語 ディンドンデンディンドンデン
 
 

 

가나다라 - 송창식(1980)

 

youtube#video

 

 ”カナダラ”です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1963年の洋楽 ④ 「北京の55日」 OST / ブラザーズ・フォア

 
 
 「北京の55日(55 Days at Peking)」は、1963年製作・公開のアメリカ映画で、監督はニコラス・レイ、主演チャールトン・ヘストン、ディヴィッド・ニーヴン、エヴァ・ガードナーです。1900年代初頭の北京での義和団事件を舞台にしています。
 音楽は「真昼の決闘」「紅の翼」などのディミトリ・ティオムキンで、主題歌をブラザース・フォーが歌って日本でヒットしました。
 美しいメロディーで、オーケストラの演奏が穏かで優しく、ディミトリ・ティオムキンの名作だと思います。
 
 
 
 
 
 ブラザーズ・フォーの「北京の55日」です。日本でシングルカットされ、「TBS今週のベスト10」で、10月7日に19位に初登場、12月2日に最高位1位、1964年の2月14日まで20位以内にランクしました。   (Kann Dorao)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1963年の洋楽 ②「思い出の冬休み」 コニー・フランシス、弘田三枝子

 
  
 コニー・フランシスの”思い出の冬休み(I'm Gonnna Be Warm This Winter)"は、アメリカで1962年に最高位48位、日本では「TBS今週のベスト10」で4月1日に17位で初登場、5月20位に最高位8位、6月24日まで20位内にランクされました。
 
 コニー・フランシスはアメリカが生んだもっともポピュラーな女性歌手の一人です。
1957年に”Who's Sorry Now"、1958年に "Stupid Cupid”が全米1位になり、日本でも”ヴァケイション””可愛いベイビー”などがヒット、中尾ミエ・伊東ゆかり、弘田三枝子など多くの歌手にカヴァーされました。
 
 
 

 

 弘田三枝子のカヴァーです。ミコチャンの歌はパンチがあって、声が青空のように明るくて健康的で最高です。   (Kann Dorao)

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1963年の洋楽 ① マーシー・ブレイン 「ボビーに首ったけ」 「夢見る片思い」 「恋のテレフォンナンバー」

 
 
  マーシー・ブレーン(Mercie Blane)の”ボビーに首ったけ(Bobbie's Girl)”は、1962年にビルボードで4週間3位にランクされ、ゴールド・ディスクになりました。
 TBSラジオ「今週のベスト10」では1963年2月21日に20位で初登場、4月1日に最高位5位、5月13日までベスト20にランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、1963年年間チャートで34位に選ばれています。
 
 マーシー・ブレーン(1944年~)はニューヨーク生まれの女性ポップス歌手で、高校卒業前に友達と録ったデモテープが、レコード会社(SEVILLE Record)のプロデューサーの目にとまり、1962年秋に”ボビーに首ったけ”でデビューしました。
 ”ボビーに首ったけ”に続いて、1963年に”夢見る片想い(What Does a Girl Do)"、"小ちゃなおばかちゃん(Little Miss Fool)" "恋のテレフォン・ナンバー(You Gave My Number to Billy)” "恋の目移り(Why Can't I Get A Guy)"の4曲をリリースしましたが、ヒットにはいたりませんでした。
 
 
 
 
  
 
  マーシー・ブレーンの1963年1枚目のシングル”夢見る片想い(What Does A Girl Do)"で、ビルボードで最高位82位にランクされました。画像を観ているとビートルズ以前の「夢見るガール・ポップ」の幸福な感じが伝わってきます。
 日本でもシングル番(キング (L)-32/B面 ”何といえばいいの”How Can I Tell Him”)が発売されました。日米B面同じです。
 
 
 

 
 
 マーシー・ブレーンの1963年3枚目のシングル"恋のテレフォン・ナンバー(You Gave My Number to Billy)”です。ヒットはしませんでしたが、軽快でガールズ・ポップらしい良い曲です。
  日本でもシングル番が(キングHIT-236/(B面) " おっしゃる通り(Told You So)")が発売されました。日米B面同じです。  
    
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »