地元では「地鉄」の略称で呼ばれている富山地方鉄道の中滑川駅がすでに改築されていたのを知ったのは、去年の12月になってからだった。中学の3年間はこの近くに住み、時折この駅を利用していた。最寄り駅は一つ隣の西滑川駅であるが、特急、急行、準急といった電車種別が多かった当時、すべての電車が停車する中滑川駅の方が便利だった。そして、農協会館との併設で駅ビルと言っていいほどの大きな駅舎があり、その中のテナントとして入居していた書店によく行っていた。
中学卒業後は転居のためこの駅を利用することはなかった。ずいぶんさびれてしまっているとは聞いていたが、2、3年前に三十数年ぶりに行ってみた時は想像以上の状況に愕然とした。昼なお暗く、通路両脇のテナントのシャッターがほとんど下りている状態は廃墟のようでもあった。
古い建物が取り壊されたと聞くとノスタルジーが先に立つが、今度の場合はようやく建て直されたか、という安堵感の方が大きかった。調べてみると完成したのは3月末、瓦屋根の民家のような造りと壁面に掲げられた縦書きの駅名標が不思議に見えたが、先々代の駅舎をモチーフにデザインされた駅舎なのだという。実際はどうなのか、日を置かずに見に行く。
旧駅舎のように物販や飲食のテナントもなく、電車の乗り降りのためだけの簡素な建物である。ただし、待合室は明るく、改札口の外がすぐホームでバリアフリー対応の改造もなされていた。
ホームは地下道からの階段が埋められたほかはあまり変わっていない。
大きな旧駅舎の跡地はほとんど更地のままだが、いずれ公園などが整備されるのだという。これからは住宅地の中の小さい静かな駅として歴史を重ねてゆくのである。記憶に残る広い駅舎やそこでのにぎわいの光景は、もはや遠い昔に見た幻でしかなかった。
中学卒業後は転居のためこの駅を利用することはなかった。ずいぶんさびれてしまっているとは聞いていたが、2、3年前に三十数年ぶりに行ってみた時は想像以上の状況に愕然とした。昼なお暗く、通路両脇のテナントのシャッターがほとんど下りている状態は廃墟のようでもあった。
2013年4月、旧駅舎テナント部分から正面入口方向を見る
古い建物が取り壊されたと聞くとノスタルジーが先に立つが、今度の場合はようやく建て直されたか、という安堵感の方が大きかった。調べてみると完成したのは3月末、瓦屋根の民家のような造りと壁面に掲げられた縦書きの駅名標が不思議に見えたが、先々代の駅舎をモチーフにデザインされた駅舎なのだという。実際はどうなのか、日を置かずに見に行く。
旧駅舎のように物販や飲食のテナントもなく、電車の乗り降りのためだけの簡素な建物である。ただし、待合室は明るく、改札口の外がすぐホームでバリアフリー対応の改造もなされていた。
ホームは地下道からの階段が埋められたほかはあまり変わっていない。
大きな旧駅舎の跡地はほとんど更地のままだが、いずれ公園などが整備されるのだという。これからは住宅地の中の小さい静かな駅として歴史を重ねてゆくのである。記憶に残る広い駅舎やそこでのにぎわいの光景は、もはや遠い昔に見た幻でしかなかった。